あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く⑥(和歌山)(2003年)

2020-09-21 18:38:58 | 熊野古道を歩く
 2020年9月21日(月)

 今日から秋の交通安全運動が始まりました。埼玉県警では、重点項目として「横断歩道
における歩行者優先の徹底」を揚げています。

 県内の今年の交通事故による死者数は、18日までに77人で昨年に比べて少ないもの
の、歩行者は昨年より3人多い26人で増えているとか。特に横断歩道を横断中の死者が
7人にのぼっていて、「本来0であるべき数字」とのこと。

 道路交通法では、「横断歩道を横断しようとする歩行者や自転車がいる際は、車両は一
時停止する
」ことが明記されているのに守られていないからです。

 私もウオーキング中に横断歩道を横断しようとしても、近づいてくる車が一時停止して
くれる機会は極めて少なく、いつもどうして守ってくれないのかと腹立たしいことがしょ
っちゅうです。ドライバーの皆さん、是非守って下さい。

 さて、今日は6回にわたる熊野古道伊勢路と本宮道歩きの最後です。デジカメを持って
いないときの写真で、ネガフィルムからの色が今ひとつでしたが、最終日もご覧いただけ
れば幸いです。

========================================

 第6日 2003年10月20日(月)
 大雲取越え、熊野那智大社、熊野速玉大社  =無事大雲取を越える=

 最終日は、伊勢路の八鬼山と並ぶ熊野古道の難所といわれる大雲取越え(おおぐもとり
ごえ)である。時間もかかりそうなので、朝食は5時50分と早い。

 体操後、バスで向かう2人に見送られて、濃い朝もやの中、19人が小口(こぐち)自
然の家を出た。まだ明け切らず、ひんやりした空気が気を引き締めてくれる。

 小口川の支流、東川に沿った小集落の途中から、道標に従い石段を上がって大雲取道に
入る。
          

 「熊野古道(大雲取越え)1」の道標が立ち、以後、この道標は500mおきにある。
陽が差し込まない杉木立の下、薄暗いこけむす石段を上がって円座石に出る。大岩に、丸
で囲まれた梵字(ぼんじ)が3文字刻まれていた。


 小雲取道と同様、この道にもところどころに歌碑が立っていた。ガスが晴れ、木の間か
ら青空が見えてきた。こけむす石畳が続き、水のある休憩舎や楠の久保旅籠跡(290m)
を過ぎる。


 土屋文明の歌碑の先、胴切坂で道はヘヤピン状に折れた。3人は並べるほどの幅広い石
畳みの急坂、りっぱな杉木立の中を歩一歩とゆっくりと上がり、今回の最高点、越前峠
(870m)に着いた。

  
 杉木立の下に歌碑と説明板がある。小口自然の家に同宿していた若い2人が追いついて
きたので、シャッターを押してもらう。


 緩やかの下りの後、階段状の急な石畳を下りると流れが現れ、長塚節の歌碑があった。
別の場所には斎藤茂吉の歌碑が。


 沢を離れて再び上りとなる。左に緩くカーブする辺りで西側の展望が開け、大台ヶ原方
面だろうか、高い山並みが遠望された。

 石倉峠(805m)を越えて、杉落ち葉がいっぱいでこけむす石畳の急坂を下り、林道
の横切る地蔵茶屋跡(702m)に着いた。小さいお堂があり、赤布をまとった石の地蔵
さんがたくさん並んでいた。


 1㎞余り、アザミや白いノギクの咲く沢沿いの車道を進む。岸壁にはリンドウがたくさ
ん咲いている。
     

 再び山道に入り、粥餅茶屋跡を過ぎる。この先、古道と車道は何か所かで交差をくり返
す。緩い上り下りを経てやや急坂を上がり、無線塔の横を通過して舟見峠(868m)に
着いた。


 勝浦辺りの海が見えるらしいが、霞んでいて確認は出来ない。その海の方からの風が冷
たい。風を避けて道路際に腰を下ろし、自然の家のおにぎりを食べた。


 少し先の舟見茶屋を過ぎると、砂混じりの歩きやすい道になった。左手にススキの大群
などが見え、冷たい風がやや強まる。上りも多少あるが次第に高度を下げて登立茶屋跡を
通過し、1㎞ほどで広い駐車場のある広場に出た。

 もう山道は終わった。ススキや色づいたツツジなど秋色の彩りを見せる自然公園を抜け、
杉木立下の石段をどんどん下って、待望の熊野那智大社に着いた。


 展望広場から、朱塗りの三重塔の向こうに山腹を落下する那智大滝が見える。バスで回
ってきた2人が待っていた。

<
 色鮮やかな朱塗りの熊野那智大社に参拝し、無事到着できたことに感謝する。そばの、
西国三十三番第1番札所、青岸渡寺(せいがんとじ)↓にも参拝する。

 檜皮葺きの古い本堂が、長い信仰の歴史を伝えている。



 観光バスやマイカーで来た参詣人が多い。この6日間、自動販売機やコンビニなど近代
文明から隔絶していた世界から、急に現世に引き戻されたことを実感する。

     
 土産店の並ぶ車道まで下り、太い杉木立に覆われた石段を下って飛滝神社に参拝する。
祭神は、眼前を垂直に落下する那智大滝である。
     

 土産店の間を抜けて、バスの始発地、那智山神社お寺前の駐車場まで行き、バスでJR
紀勢本線の那智勝浦駅に出た。最近はマイカーと観光バス利用が主で、電車で来る人はわ
ずかなのか、温泉を併設した寝殿造りの駅は無人だった。


 普通電車で新宮駅まで行き、熊野三山の最後、熊野速玉(はやたま)大社に向かう。踏
切を越えて駅の西側に回り、1㎞余りで熊野速玉大社に着く。全員無事に全行程を歩き終
えた御礼の参拝をする。





 境内には、中世に参詣された多くの皇室の御幸のことを記した石碑と説明パネルがある。



 この6日間、ご家族や知人の方々を含めて大変お世話になったNさんからご挨拶があり、
全行程が終わった。


 ほとんどの皆さんは市内のビジネスホテルに向かい、私を含めた5人が新宮駅から列車
や高速バスで帰途についた。


 薄暗いヒノキや杉木立の下、江戸や明治の雰囲気をそのまま残すこけむした石畳道。石
畳を上がった峠から見る熊野の海と大台ヶ原に連なる山並みの雄大な展望。世界遺産に登
録申請中という熊野古道は、ほかの古道や旧街道では味わえぬ聖地への巡礼の道であった。

〈コースタイム〉小口自然の家6:37-円座石7:00-休憩舎(水場)7:20~27-柿の久保
旅籠跡7:49-胴切坂8:04-越前峠9:02~08-石倉峠9:37-地蔵茶屋(WC)9:50~10:02
-古道・車道分岐10:26-舟見峠(昼食)11:15~35-登立茶屋跡12:09-駐車場(WC)
12:33~40-熊野那智大社・青岸渡寺13:01~11-飛滝神社(那智の滝)13:40~50-
那智山神社前バス停(WC)14:00~15=那智勝浦駅15:23=新宮駅15:44-熊野速玉大
社16:11~25(解散)

(天気 晴、距離 17㎞+3㎞(新宮市内)、地図(1/2.5万) 本宮、紀伊大野、
新宮、紀伊勝浦、歩行地 和歌山県熊野川町(現・新宮市)、那智勝浦町、新宮市)【完】



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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く⑤(和歌山)(2003年)

2020-09-18 21:12:12 | 熊野古道を歩く
 第5日 2003年10月19日(日)
 熊野本宮大社、小雲取越え  =整備された小雲取道=

 宿泊した熊野川温泉さつきで7時半に朝食をして、8時過ぎに旅館のマイクロバスで出
発した。熊野川右岸沿いに国道168号線を進んで、土産物店などの並ぶ熊野本宮大社前
で下りる。

 出発を前に、太い杉戸立ちに囲まれた熊野本宮大社に参拝する。熊野本宮大社は、熊野
速玉大社、熊野那智大社と合わせて熊野三山と呼ばれ、その中心で全国3000の熊野神
社の総本山。約2000年前の崇神天皇65年の鎮座という古社である。

 寺のような山門、檜皮葺き(ひわだぶき)の神殿、神殿を取り巻く板垣などの落ちつい
た彩りにその歴史が感じられる。熊野三山のシンボル、八咫烏(やたがらす)の大きなの
ぼりも目についた。



 今日の参加者は20人、いつものように「エイエイオー」をしてから記念撮影後、熊野
本宮大社の大鳥居前をスタートする。


 小雲取越え(こぐもとりごえ)道が始まる請川までは、熊野川に沿った国道168号線
を3㎞ほど進む。幅広い熊野川は水が少なく河原の方が目につく。


 請川橋の先の下地橋バス停の横から小雲取越えの道に上がる。茶の花などが咲く数戸の
民家を過ぎると杉林。木立の間から2、3か所で熊野川の流れが見下ろせたが、やがて展
望はなくなった。


 菅笠に白衣の巡礼姿の若い女性が休んでいた。聞くと、熊野三山を歩いて回っていると
いう。熊野古道は、若い人も引きつける何ものかがあるようだ。

 木漏れ日の差し込む道に落ち葉が積もり、やわらかな足触り。斜面をトラバースするよ
うに進んだ道は、右側の谷への分岐を過ぎて尾根道となる。幅広く石畳が敷き詰められ、
江戸時代に駕籠も通ったことが実感できる。

 よく枝打ちして背の高い杉木立の中を上り道が続くので、ゆっくりと上がる。万才峠
(ばんぜとうげ)への分岐を過ぎると傾斜がきつくなり、やがて右に回り込んで百間(ひ
ゃっけん)ぐらに着く。重畳と重なる緑の山並みの大展望である。ここでも記念撮影を。


 加法山(609m)の西斜面、標高450m付近をトラバースしながら進むと、右から
林道が上がってきて交差する。「皇太子殿下行啓の地」の新しい碑が立っていた。
     
 数年前、皇太子殿下がこの先のコースを歩かれたとのこと。

 杉木立下の尾根道。ところどころにリンドウが1輪ずつ咲いている。たくさん積まれた
小石の上にお地蔵さんが立っていた。旅の途中で亡くなった人の霊を慰めるために造られ
たのだという。
     


 杉木立の下に休憩舎があったので昼食とする。石堂(いしどう)茶屋の跡で、西側の谷
には水場もあるようだ。


 案内板によれば、茶屋の名はこの辺りから砥石(といし)が出たのが語源のようで、里
人は「イシンド茶屋」と呼んだようだ。


 昨日までは古道を行き交う人はわずかだったが、今日は日曜日なので何グループかの人
と会う。食事を終わる頃、抜いてきた10数人のグループが着き、腰を下ろした。

 茶屋の先にはビッシリこけが生え、緑のじゅうたんの上を歩くような感じ。しばらくは
幅広い石畳の尾根道が続き、杉落ち葉がいっぱい積もった階段もあった。

 東側の山並みの展望が開け、やがて桜峠である。すぐ先に明治の末年まで桜茶屋があり、
庭に桜の大木があったとか。

 いまは斎藤茂吉の歌碑が立つ。そういえば、皇太子行啓碑以降、ところどころに歌碑が
立っていた。
     

 茶屋跡から赤木へ下る道を分け、尾根道は赤木川に向かって下り始める。1輪ずつ咲く
リンドウや、随所に立つ歌碑や句碑を横目にピッチが上がる。


 杉林が途切れて展望が利くようになり、谷筋を大きく蛇行する赤木川や小和瀬(こわせ)
の集落が眼下に迫ってきた。


 石畳が終わり、いわゆるひざが笑うような急斜面が続くので、転ばぬよう注意して下る。

     
 石の祠(ほこら)に収まった足切地蔵↑を通過して間もなく、赤木川左岸の小集落、小
和瀬に下りた。川を渡ったところにトイレがあったので最後の休憩をする。

 赤木川右岸の車道を進み、支流の小口(こぐち)川の中の島にある小口自然の家に15
時前に着いた。よく伸びた庭の芝生で靴を脱ぎ、ストレッチ体操をして宿に入る。


 小口自然の家は、小学校の跡に建てられた木造平屋建て。学校のような板張りの長い廊
下に沿って部屋が並んでいる。夕食は食堂のテーブルで、地元産物中心の家庭料理を美味
しくいただいた。

〈コースタイム〉熊野本宮大社8:55~9:19-請川(弁当受領)10:00~10-小雲取上り
口10:14-南側の谷への分岐10:42-万才峠への分岐11:12-休憩11:15~25-百間ぐら
11:45~53-林道交差地点12:05-石堂茶屋跡(昼食)12:19~13:05-桜茶屋跡13:37
~45-足切地蔵14:25-赤木川橋際の休憩所(WC)14:31~45-小口自然の家14:55

(天気 晴、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 伏拝、本宮、歩行地 和歌山県本宮
 町(現・田辺市)、熊野川町(現・新宮市))



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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く④(三重・和歌山)(2003年) 

2020-09-12 10:18:43 | 熊野古道を歩く
第4日 2003年10月18日(土)
横垣峠、風伝峠、通り峠、丸山千枚田  =慶長の遺産、丸山千枚田=

 昨日までは毎日、朝は雲ひとつ無い快晴だったが、今朝は曇って遠望は利かず、期待し
た海からの日の出も見えなかった。7時半過ぎ、21人が宿のマイクロバスで御浜町神木
(みはまちょうこうのぎ)まで送ってもらう。

 道標に従いミカン畑の間を西に向かう。雲が低くて今にも降り出しそうな雲行き。ミカ
ン畑が終わりヒノキ林に入った。風がないので、上り坂が続くと汗ばんでくる。

 高度が上がり樹間から展望が開けてきた。霧の向こうに熊野灘らしいのが見える。でも
この先、最終日まで海とはお別れになりそう。


 ポツポツ雨が落ちてきたが、木の下なので雨具を出すほどではない。水場のある地蔵さ
んのところで休む。ヒノキ林を緩やかに上り下りして横垣峠(305m)に着いた。自然
石の新しい峠標石がある。
             

 峠の先は、緩いカーブの続く石畳道を下って車道に下りた。古道は、車道を横切って林
の中を緩やかに下り、折山地蔵の先で坂本川沿いの棚田の横に出る。

 ススキやセイタカアワダチソウを見ながら田のあぜ道を進み、折山神社前で車道組と合
流して休憩。周辺には、かなり前に収穫を終えた石積みの棚田が広がる。あぜのコスモス
が見頃である。


 車道を進んで坂本の集落を抜けた。柿の実が色づき、まだ緑の夏ミカンも実る静かな里
道だ。

 車道は、ヒノキの木立の間や風伝窯(ふうでんがま)と記された窯元の横を過ぎ、国道
311号線を横切って向地から大杉の集落を抜ける。
     
 大杉には、その名のもとになった2本の大杉が、松のような枝振りで立っていた。

 尾呂志川(おろしがわ)を渡って川瀬集落を過ぎると国道に合し、風伝トンネルの東側
に出た。風伝峠へは、トンネルの南側に残る車道を入る。


 薄暗いスギやヒノキの木立の下を進み、最後に少しだけ車道をショートカットして山道
を上ると、あっけなく茶屋のある風伝峠(257m)に出た。

 風伝峠は、我々の進む本宮道と、吉野へ向かう北山道との分岐点。風伝とは風顛(ふう
てん)の当て字で、風のよく通る峠のこと。峠の手前の尾呂志は、峠から吹き下ろす風伝
颪(おろし)が転じたもののようだ。

 峠からの山道をトンネル西側の国道に下り、国道を500m足らずで北側の狭い車道に
入って、通り峠へ向かう。棚田と点在する数戸の集落の間を進んで、集落最上部にあった
トイレのところで休憩する。


 集落から峠への上り口に標識がなかったので、別の道に入って少し戻った。ヒノキ林の
下、苔むした石垣の道などを進んで、ほどなく通り峠(390m)に出る。

 右手に入り、木の手すりもあるかなりの急斜面をジグザクに上がって展望台に着いた。
眼下に、地形そのままに緩やかなカーブを描く丸山千枚田が一望である。

 丸山千枚田は、慶長6(1601)年にはすでに7haの水田に2,200余枚を数えた
との記録があるという。近年、550枚まで減少していたのを、条例を制定して保存会に
より1,340枚まで復田したとのこと。全国の棚田が減反政策や耕作者の高齢化どんど
ん減っている中で、復田したのは嬉しいことである。


 いまは刈り入れ後で、土の見える田んぼはやや色彩に乏しい。田植え後の水の入った時
期とか、刈り入れ前の黄金田の景観を、再訪して見たいものだ。



 道沿いに1輪ずつ咲くリンドウの間を丸山集落に下る。千枚田の最上部を少し西に回り、
水車や休憩舎のある芝生の広場で昼食とする。



 今日の弁当は、朝通過した御浜町のふる里茶屋「おかげさんで」製。高菜(たかな)の
めはり寿司、サンマ寿司、ミカン汁で炊いたいなり寿司が詰めてあった。何れも町の産物
を使った郷土料理。棚田を眺めながら美味しく味わう。




 千枚田の間を下り、大栗須集落を抜けて板屋川沿いの三差路に出た。


 川の左岸に沿って進み、時計塔のある新しい木造校舎のゐる入鹿(いるか)中学校前を
通過し、紀和町役場の先、鉱山資料館で休憩する。天気が回復して青空が広がってきた。


 すぐ先の三差路を南に入った板屋川の支流に、小さい魚がたくさん見える。一族山
(800m)の山ふところに向かう集落にはサザンカが咲き、ムラサキシキブが実をいっ
ぱい付けている。

 今日はまだ先が長い。一族山の山腹、標高250m付近をほぼ等高線沿いに走る県道
780号線に入ると自然に先頭のピッチが上がり、前後が少しずつ離れてきた。

 ヒノキや杉林の下を西から南に回り込んで行くと西側の展望が開け、明倫小学校跡に出
た。沿革の説明板には2棟の校舎やプールの表示もある。
     

 当時は周辺に集落もあったのだろうか。現在その面影は全くなく、桜の植えられた一帯
は「夕陽の丘公園」と呼ぶ自然公園になっている。


 さらにハイピッチで進み、大規模な鶏舎の並んだ三差路を左に入り、最後は少しだけ舗
装の途切れた山道を下って楊枝川(ようじがわ)集落に入る。

 色づき始めた山波を見ながら、楊枝川に沿って右岸を一気に進む。陽が傾いて涼しさを
感じ始めた頃、熊野川との合流点に出た。

 今回の最長距離を歩き、疲れもつのる。前方に見えた三和大橋に向かって急いでいたら、
橋の手前で迎えのマイクロバスが来てくれた。三和大橋を渡って左折、赤木川左岸の「熊
野川温泉さつき」に17時過ぎに着いた。

 平屋建ての比較的新しい旅館。温泉に浸かって疲れをとる。夕食は和食のコース料理。
紀州鶏のすき焼きや、熊野の海の魚などを美味しくいただいた。

〈コースタイム〉神木8:10-横垣峠8:50-折山神社前(WC)9:21~30-風伝峠上り口
10:10-風伝峠10:30~35-通り峠上り口(WC)11:05~10-通り峠11:30-展望台
11:39~47-丸山千枚田(昼食・WC)12:18~55-オートキャンプ場三差路13:13-
鉱山資料館前(WC)13:53~14:09-明倫小学校跡14:50~55-大型鶏舎の分岐15:22
-楊枝川集落の車道15:49-三和大橋北詰16:43=熊野川温泉さつき17:05

(天気 曇後晴、距離 29㎞、地図(1/2.5万) 木本、瀞八丁、大里、本宮、
 歩行地 三重県御浜町、紀和町(現・熊野市)、和歌山県熊野川町(現・新宮市))



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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く③(三重)(2003年)

2020-09-09 12:58:15 | 熊野古道を歩く

 2020年9月9日(水)

 台風10号は、予想され特別警報の発令はなくて済みましたが、宮崎県椎葉村のがけ崩
れなど九州各地を中心に人災や停電、浸水被害などあり、椎葉村ではいまも行方不明者の
捜索が続けられているようで心が痛みます。

 避難者も20万人を超えたとか、これが首都圏や関西だったらどんな人数になったのだ
ろうかと思うと予想もつきません。1日も早い復興が望まれます。
 
 しばらく間が開きましたが、2003年10月の熊野古道レポートの3日目です。

========================================

 第3日 2003年10月17日(金)
 甫母峠、二木島峠、逢神坂峠、大吹峠、松本峠、鬼ヶ城  =五つの峠を越える=


 尾鷲市三木里町の民宿嬉志野の前からバスに乗り賀田(かた)湾沿いに回り、JR紀勢
本線賀田駅の南の賀田バス停で下りた。


 左手に、賀田湾や大クスなどの森に囲まれた飛島神社を見ながら国道311号線を1㎞
ほど南下し、曽根町の町外れから甫母峠(ほぼとうげ)への上りにかかった。

 上り口にあるコンクリートの祠(ほこら)に入った古い六地蔵が、われわれの安全を見
送ってくれているようだ。


 民家の間から急な石段を上がって行くと、真珠貝の養殖いかだなどの並ぶ賀田湾の展望
がよい。鏡のような静かな海面に周辺の山並みを映し、清々しい眺めだ。


 ヒノキの木立の下に古い石垣が目につく。猪垣(ししがき)と呼び、イノシシから畑の
作物を守るために作られたもの。


 わずかな盛り上がりからそれと知れる曽根一里塚跡を過ぎ、幅広い石畳を上がって甫母
峠(300m)に着く。

 薄くらい杉やヒノキの木立の中に休憩舎がある。甫母峠は、曽根次郞坂・太郎坂とも呼
ばれるが、由来は、ここが紀伊と志摩の国境で、自領、他領がなまったものとか。

 十分ほど先の、楯見ヶ丘と呼ぶ展望のよい場所で休憩。木のベンチもあり、海からの風
が気持ち良い。


 尾根上を進む古道は、適度に落ち葉が積もり歩きやすい土道。ここにもウラジロが多い。
ところどころに木の階段も設けられていた。

 下るにつれて苔(こけ)むした猪垣が増え、城壁かと思われるような立派なものもある。

 猪垣の説明板によれば、寛保元(1741)年から1年で築いたものだという。そばに、
猪落としと呼ぶ落とし穴もあった。

 山道が終わり、国道311号線バイパスの西の谷橋に下りた。二木島湾の最奥部と、そ
れを囲むわずかな民家を見下ろす好展望の場所である。


 ミカン畑の横から急階段を上がり下りして、新逢川橋を渡ったところで休憩した。JR
二木島駅はすぐ先の高台にある。


 JRの鉄橋下を抜け、背後に山の迫った相川の民家の間から階段を上がって、駅北側の
高台に出る。


 廃屋の屋敷の庭先を抜け、石の祠の鎮座するキリシタン灯籠↑前を進んで二木島湾を見
下ろす国道に出た。

 
 少し先、コンクリートの壁面に急階段があり、熊野古道の表示に従いその階段を上がる。
再び山道となり、よく手入れされた真っ直ぐなヒノキの木立が並んでいる。苔むす谷間の
石畳を上がって二木島峠(にぎしまとうげ・240m)に着いた。

 ここも展望はないので小休止で通過する。緩やかな下り坂は陽が差し込み、草の生えた
土の道が多い。

     
 水場のある沢を横切ると小さめの石畳道。間伐された比較的明るい針葉樹林を緩やかに
上がり、三つ目の峠、逢神坂峠(おおかみざかとうげ・290m)に着く。

 やはりヒノキの木立で見晴らしはない。


 下りは、背の高いヒノキの木立の下、緑に苔むした立派な石畳が目につく。

 再び猪垣が現れ、右手に石積みの棚田も見えてきた。橋間集落の民家の間を通過し、湊
川を越えて新鹿(あたしか)の海岸に出る。

 緩やかな円弧を描く新鹿湾沿いに回り、今は静かな海水浴場の休憩施設前で記念撮影を
して昼食となる。

 目の前180度に広がる緑の山並みと、真っ青な新鹿湾を眺めながらの昼食。ほかでは
あまり得られぬぜいたくな眺めだ。


 国道311号線を少し進んで、JR紀勢本線の甫本トンネル入口付近からはトンネル上
の山道と国道とを行き戻りする。東波田須集落では、南向きの急傾斜地に並ぶ民家の前の
狭い道をトラバースして通過、わずかに残る鎌倉時代のものという苔むした石畳道を上る。




 中波田須町から西波田須町にかけては、集落の上を走るカーブの多い国道を車に注意し
ながら通過し、休憩舎のあるところから大吹峠への山道に入った。
     

 モウソウ竹の竹林の間を10分余りで大吹峠(おおぶきとうげ・205m)。あっけな
く上がったので休憩もせずに下りへ。峠の先にも立派なモウソウ竹の林がある。
         

 やがてヒノキ林となり、石畳を下ると右側の谷間の展望が開けてくる。赤い前垂れをし
た常夜灯と地蔵さんの前を通過し、石を切り出して山塊が平らになった石切場付近で車道
に下りた。


 再び国道311号線に出て、海沿いの旧道を進んで大泊町を抜ける。宮川の橋を渡って
間もなく、右手の標識に従い今日最後の峠、松本峠へ向かう。

 標高差はわずかだがかなりの傾斜、ビッシリ敷き詰められた石畳を上がって竹林の中の
松本峠(135m)に着いた。赤垂れをつけた地蔵や石塔が立っている。地蔵には鉄砲傷
があるようだが、確認はしなかった。


 林の中の遊歩道を南に進み、展望のよい休憩舎に上がる。西側、眼下の熊野市街から真
っ直ぐに延びる七里御浜の展望が素晴らしい。
 
 その先、滝見の岡からは、大泊の湾の北側、山の中腹から落ちる清滝と呼ぶ大きな滝が
遠望できる。

 遊歩道の尽きたところは鬼ヶ城跡、鬼の見晴台と呼ぶ展望台があり、大泊の町並みや広
々とした太平洋が一望である。






 階段状の東側の遊歩道を一気に下って、観光バスの駐車場に出る。アーケードのある土
産物店の間を抜けると、海岸の巨大な岩盤が浸食された奇勝・鬼ヶ城(おにがじょう)で
ある。



 岩をくりぬいたトンネルの先は、千畳敷といわれる広い岩盤。それに覆い被さるような
岩の間を、半島を一周する遊歩道が続いている。


 海にそぎ落ちるような岩盤に付けられた細い遊歩道、鉄製の手すりにつかまりながら慎
重に上がり下りして半島の西側に出た。
     

 日暮れて涼しくなってきた。熊野市の中心、木本町(きのもとちょう)の市街地に入り、
17時近くに熊野市駅に着いた。

 迎えのマイクロバスで、市街地や熊野灘を見下ろす高台にある、かんぽの宿熊野に入る。

〈コースタイム〉三木里バス停7:33=曽根バス停7:55-甫母峠上り口(WC)8:10~16
-曽根一里塚跡8:40-甫母峠9:01~07-楯見ヶ丘9:17~33-猪垣記念碑10:15-新逢
川橋(二木島駅そば)10:42~53-二木島峠11:31~35-逢神坂峠11:54~12:00-湊川
橋12:36-新鹿海水浴場(昼食・WC)12:40~13:20-大吹峠上り口(WC)14:19~28
-大吹峠14:40-山道下った車道15:02~04-松本峠上り口15:16-松本峠15:28~34-
鬼の見晴台15:50~52-鬼ヶ城千畳敷16:18-周遊路終わり16:37-熊野市駅16:55

(天気 快晴後晴、距離 19㎞、地図(1/2.5万) 賀田、磯崎、木本、歩行地
 三重県尾鷲市、熊野市)



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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く②(三重)(2003年)

2020-08-26 18:42:02 | 熊野古道を歩く
第2日 2003年10月16日(木)
馬越峠・八鬼山越えコース  =熊野古道一の難所越え=

 尾鷲(おわせ)市街地の北端、三重県尾鷲庁舎前のバス停から国道42号線を、8時1
分発の南紀特急バスで昨日の方向に1駅戻り、海山町(みやまちょう)の鷲下(わしげ)
バス停で下りる。

 バス停からすぐに馬越峠(まごせとうげ)ヘの山道、大きくて清らかな石畳がヒノキや
杉木立の下に続いている。
     

 石室のような祠(ほこら)の中にある夜泣き地蔵↓を過ぎると、石畳は2、3人並べるく
らいの広さ。紀州藩の駕籠(かご)に合わせて1間半(2.7m)の幅をとったのだとか。


 一里塚跡もあったようだが気づかずに通過し、1時間余りで海山町と尾鷲市との境、馬
越峠(325m)に着いた。

 丸木造りの避難小屋や、自然石に彫られた江戸末期の俳人、可涼園桃乙(かりょうえん
とういつ)の句碑、熊野古道の説明板などがあるが、一帯はヒノキの木立に覆われ展望は
全く利かない。小休止だけで下りにかかる。

 上りに比べると小さめの石畳道をどんどん下る。途中、レンガ造りの地蔵堂に入った桜
地蔵があった。説明板によれば、旅人の安全を祈って奉納されたもので、以前は石積みの
祠(ほこら)だったとか。

 同じ説明板に、「熊野古道の石畳は、全国有数の多雨地帯なので、大雨による路面の流
失や崩壊を防ぎ、夏草やシダ類などの繁茂を押さえて道路を確保するためであった」とも
記されている。

 広葉樹が増え、明るくなった道を下って行くと桜並木となり、行者堂のそばに馬越公園
がある。桜も多く、今はハギが見ごろである。

 ススキやノギクなどの咲く道、眼下の尾鷲市街に向かって下り、北浦町の住宅街に入る。
新しい野口雨情の歌碑があり、そばのコスモスが咲き乱れていた。



 緩い傾斜地に続く墓地の間を下って行くと、江戸後期の念仏行者、徳本上人(とくほん
しょうにん)名号碑(みょうごうひ)がある。晩年は、江戸小石川の伝通院1世になった
人とか。
     

      場所のメモがないが、馬越の津波供養塔も残されていた。
     

 市街地に入り、朝日町から林町辺りには、黒焼きした板を壁に張った古い家があちこち
に見られた。

 水量豊かな中川を越え、火力発電所の高い煙突が左手に近づく。正面には八鬼山(やき
やま)の山塊が大きく迫ってきた。円いタンクの並ぶ東邦石油横から矢の川を渡り、川沿
いに対岸の東邦石油の東端まで進む。


 その三差路に、「ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならして 通わせる」と八鬼山
を歌った尾鷲節の歌碑が立っていた。
     

 折り返して東邦石油の南側山すそ、桜並木の道を少しずつ下ると、越えてきた馬越峠方
面の展望が利いてきた。山頂近くの八鬼山荒神堂を遙拝するという献灯所の近くに、トイ
レがあったので小休止した。

 すぐ先から、いよいよ熊野古道一の難所という八鬼山越えの山道に入った。ススキやノ
ギク、ゲンノショウコなどの咲く緩やかな道がわずかで終わって上り坂となる。


 行倒れ供養碑を過ぎ、水場のある駕籠立場(かごたてば)でまず休憩。開けた西側、真
砂川の西側に、樹齢300年という大ヒノキが立っていた。谷筋からの風が気持ちよい。


 少し先には、清順上人供養碑がある。清順上人は、戦国期、長らく途絶えていた伊勢神
宮の遷宮を復興させた尼僧とのこと。

 七曲がり下で用意してもらった弁当を受け取り、記念撮影をする。

 
 いよいよ今日のやま場、七曲がりの急坂だ。薄暗いヒノキ林の中、苔(こけ)むした石
畳は滑りやすいので慎重にゆっくりと上る。
     
 
 七曲がりが終わって幾分傾斜が緩む。道の両側にウラジロが多くなったのに気づいた。
ずっと下からあった身の丈1m足らずの古い地蔵さん。途中で教えてもらった野田先生の
言われた「あかんべ地蔵」を確認しながら上がったら、3~4基ほど見つかった。
         

 空腹と上り続きで疲労もつのり、皆、口数が減ってきた。蓮華石と烏帽子岩のある桜茶
屋一里塚跡を通過し、ようやく九鬼峠に着いた。展望はないので、もう少し先ですること
になる。


 木々に覆われた涼しい尾根、丸太の階段や石畳の道を進むと、素朴な社殿の三宝荒神堂
がある。八鬼山日輪寺の跡で、「その歴史は千三百年もさかのぼり、西国三十三番第1番
札所の前札所として、八鬼山越えの巡礼が道中の安全を祈った」と記されていた。

 その先には立派な石畳があり、627m三角点の先で江戸道と明治道に分かれる。
 

 昼食地にと期待し、江戸道を少し入った「さくらの森」という新しい芝生広場に出ると、
山並みが入り組んだ複雑な海岸線の向こうに熊野灘の雄大な展望。皆思わず「素晴らしい
!」と感激の声。広々とした展望を前に、遅い昼食をする。




 さくらの森での記念撮影、前列右端が私。


 素晴らしい展望の後には、厳しい下りが待っていた。初めは緩やかな稜線、落ち葉がい
っぱいの道筋にリンドウが一輪、また一輪と咲いていたが、やがて急坂となった。

 転ばぬよう、杖を頼りに慎重に下る。鎖の付いた木の手すりも現れ、高度はどんどん下
がるが明治道との合流点がない。通過したのかと思っていたら、ようやく合流点に出た。
どうやら、明治道を下った方が楽だったようだ。


 その先は、沓川の源流に近い沢沿い。傾斜も緩み、やがて林道に出た。大石がゴロゴロ
する川を見下ろし、長柄(ながら)一里塚の手前から流れに沿って左岸を進んだ。


 紀勢本線の線路が近づいたところで長柄町の集落に回り、国道沿いにある三木里(みき
さと)の湾に面した小公園に着いた。休憩後、ストレッチ体操をして疲れをとる。

 湾の西側で魚がしきりに飛び跳ねている。魚を間近に見ようと堤防沿いに回り、海水浴
場の中心辺りで眺める。どうやらボラが飛んでいるようだ。

 国道に出て、郵便局の少し先にある民宿・嬉志野(うれしの)に16時15分に着いた。

〈コースタイム〉鷲下バス停8:07~18-夜泣き地蔵8:30-林道横断点8:47~9:01-馬越峠
 9:12~15-桜地蔵9:30-馬越公園(WC)9:39~50-尾鷲市街-東邦石油東北端(尾鷲節
 歌碑)10:48-献灯所先(WC)10:53~11:03-駕籠立場11:30~35-七曲がり下(弁当受
 領)11:40~56-七曲がり上12:18-九鬼峠12:49~59-荒神堂(水場)13:19-さくらの森
 (昼食)13:28~14:02-江戸道・明治道合流点15:00~11-長柄一里塚跡15:26-長柄町
 海岸の公園(WC)15:44~16:00-民宿嬉志野16:15

(天気 快晴後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 引本浦、尾鷲、賀田、歩行地
 海山町(現・紀北町)、尾鷲市)



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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く①(三重)(2003年)

2020-08-22 22:47:52 | 熊野古道を歩く
 2020年8月22日(土)

 相変わらずの残暑と新型コロナウイルスの感染拡大が治まらず、特に最近は猛暑日が続
いているので市内ウオーキングも最小限に留めていて、新しい投稿も出来ません。

 所沢市は今日も猛暑日で、梅雨明け後今日まででの猛暑日は13日になりました。

 そこで今日からは、古いフィルムと記録の中からみつけた17年前の秋の熊野古道伊勢
路と本宮道(ほんぐうみち)を歩いたときのレポートです。

 この歩きを企画されたNさんは、その前年から参加していた中山道ウオークの主力メン
バーのひとり、三重県尾鷲市のご出身なのでこの地の事情に詳しく、古い伊勢路の面影の
残るところを選んでコース設定をされました。

 熊野古道は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として翌2004年7月に世界遺産に登録さ
れましたが、その前年であり、以来17年も経過しているので現在はコースの様子が違う
ところがあるかもしれません。

========================================

 第1日 2003年10月15日(水)
 ツヅラト峠コース  =峠から熊野灘の絶景=

 前日の冷たい雨も上がり、スタートにふさわしい穏やかな晴天となった。集合はJR・
近鉄線の松坂駅南口へ10時45分。今年4月の中山道を歩いたメンバーを中心に、19
人が集まった。

 11時05分発三重交通の南紀特急バスに乗り、JR紀勢本線とほぼ並行の国道42号
線を南西に進み、大内山村の梅が谷バス停で下りた。

 完歩を目指して全員で「エイ・エイ・オー」の檄を飛ばし、12時30分に出発する。

 すぐ先の三差路を西に、県道758号線に入り、大内山川沿いにコスモスの咲く小川口
から中野集落へと進む。刈り入れ後の田んぼに吹く爽やかな秋風が気持ち良い。

 中野橋の先の小公園で昼食。最近整備されたらしい近畿自然歩道の案内板や休憩舎、ト
イレがある。


 小公園から500mほどで栃古川(とちこがわ)との合流点。大内山川を北西に分け、
栃古川沿いに進むとすぐ消防センターがある。東側の田んぼと川の間に、イノシシ除けの
トタン板が並んでいた。

 のどかな田んぼが終わると渓谷が迫り、ツヅラト峠への登山路に入る。清流のせせらぎ
を聞きながら杉木立の下を少しずつ上がる。
     

 上り坂を20分ほどでツヅラト峠(357m)に着いた。

 休憩舎があり、南方にこれから下る長島の家並みや緑の山並み、その向こうに広がる熊
野灘の眺望。西側の稜線を少し上がった展望台からはさらに見晴らしが良い。


 最初の峠での思いがけぬ展望に皆、感激した。

 
 ツヅラトとは九十九(つづら)折りのこと。峠は、かつて伊勢と紀伊の国境。伊勢から
熊野に向かう旅人は、この峠に立って初めて熊野の海を目にしたという。その感激は今日
の我々以上だったろうと思う。


 峠での記念撮影


      
 下りはかなりの急降下、皆、用意した杖を出して慎重に下る。私も杖を使うのは初めて
だが、確かにバランスを取るのに有効である。杉や桧の木立の下、名のとおり連続するカ
ーブをどんどん下る。

 傾斜が緩くなり休耕田や田んぼが現れた。志子川を左岸から右岸に渡って志子の集落に
入るが、すぐに左岸に戻る。行く手が開けて花広場に出た。水辺にホテイアオイが咲き、
その下に一面コスモスの花畑が広がっていた。

 もう一度、志子集落へ左岸から右岸へ行き戻り、志子川と赤羽川の合流点に出て、すぐ
先で別の支流沿いに入る。山砂を採掘したのか、地形図上は山となっているところが平に
えぐり取られていた。

 田山集落近くのカーブ点で標識に従い簡易舗装の山道に入り、チョットした峠を越えて
山本集落へ。「フウラン群生地」の表示や、二郷神社、地蔵院前を通過し、今日のゴール、
JR紀勢本線の紀伊長島駅に着いた。


〈コースタイム〉梅ヶ谷バス停12:25~30-小公園(昼食・WC)12:50~13:14-ツヅラト
 峠登り口13:35-ツヅラト峠13:55~14:08-花広場15:00~05-赤羽川を離れる三差路15:24
 -紀伊長島駅15:54

(天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 間弓、長島、歩行地 三重県大内山村
(現・大紀町)、紀伊長島町(現・紀北町))



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熊野古道中辺路の道標②(和歌山)

2008-12-25 21:56:58 | 熊野古道を歩く
 首都圏は今日は暖かでしたが、明日は真冬並みの寒波になりそう
で、生活感とともに厳しい年末が思いやられます。

 少し間が開きましたが、熊野古道中辺路の道標の続きです。私は、
多くの人が歩く滝尻→本宮とは逆に、本宮→滝尻→田辺へと歩きま
したので、その方向に進みます。

============================ 

 熊野古道中辺路の道標(続き)

 熊野本宮大社の地元、本宮の町並みの外れにある大日越道の登
り口にあるもの。

 この先は結構急な坂道を上がり、峠越えで湯の峰温泉に下ります。

 大日越にも、500mごとと思われる1~3の標識が立っていました。


 翌日、熊野本宮大社から中辺路のメインルートである滝尻を目指
します。次の集落・伏拝(ふしおがみ)に向かう杉林の下に立ってい
たもの。ほかでは、この標識は気づきませんでした。


 伏拝集落にあったカラー版道標。このタイプはこの周辺だけだった
ようです。


 林道から杉林を下った、猪鼻王子跡にあるもの。


 発心門王子の西、船玉神社前から湯の峰温泉に向けて、約5.5㎞
の熊野古道赤木越がありますが、その入口、川を渡る橋のそばの
標識。

 この左手で川を渡ると赤木越道、川沿いを右に進めば三越峠へ向
かいます。

 三越峠で車道に出るところに立つ、関所の門をかたどったもの。

 左の屋根は休憩所の東屋。

 近露(ちかつゆ)の家並みの終わりにある近露王子を過ぎ、川を渡
って牛馬童子像のある箸折峠へ向かう登り口です。


 箸折峠付近にある標識。世界遺産の人気にひかれて地図もガイド
ブックも持たない人が来ても、迷わないようにという親切心からなの
でしょうか…。

 こんな標識まで立てなくてはならないというのも考えもの。ほかにも
何か所かありました。

 大坂本王子の先、十丈王子への杉林の中。


 これもそばにあったもの。刻みを入れたのはこの付近だけだった
ように思います。


 このタイプの標識は、ここだけでした。


 中辺路随一の展望台、高原霧の里のすぐ西、高原熊野神社の近
くに立っていたもの。


 中辺路のメインルート、本宮~滝尻も終わりに近づき、あと500m
で滝尻というところに立つ1番の標識です。

 熊野本宮大社に近い祓所王子近くの最終番号は75でした。

 滝尻王寺にある起点標識。ここから500mごとの数字のカウントが
始まっていたのです。


 さらに滝尻から田辺駅まで歩いたのですが、歩く人が少ないため
か、その道すじには熊野古道の標識はほとんどありませんでした。
                             



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熊野古道中辺路の道標①(和歌山)

2008-12-20 23:54:19 | 熊野古道を歩く
 10月下旬に歩いた熊野古道中辺路には、世界遺産に登録された
ためか、道標がかなり多く設置されていました。

 そんな道標のいろいろを紹介します。

 新宮から出発して熊野那智大社に向かう海岸沿い、高野坂上り口
の標識です。


 海岸を離れ、小狗子峠へ向かう集落にあったもの。


 峠を下り、国道に出たところが白菊の浜。


 那智駅のそば、補陀洛山寺を過ぎて市野々王子へ向かう川沿い
のカーブ点に立つ。


 熊野那智大社への最後の上り口、大門坂にかかるところ。


 熊野那智大社と隣接する青岸渡寺に参拝し、中辺路の険路、大
雲取越道に入ります。青岸渡寺の横にある階段の標識です。


 大雲取越道には、青岸渡寺を起点として500mごとにこの標識が
立っていて、ここは最初の標識。以下、2,3,4…と数字が増えて
行きます。


 大雲取越道には、この標識がポイントとなるところや、カーブ点など
に幾つも立っていました。


 石倉峠の先に立つ数字標識、このあたりでは石標に代わり木柱に
表示されていました。


 この標識も、分岐か所などに数多く設置されています。


 大雲取越の最高地点、越前峠にあった、ここ独自の標識。


 大雲取越を終え、小口集落の車道へ下ったところにあるもの。


 小口から翌日上がった小雲取越道への入口、小和瀬渡し場跡
付近の休憩所そば。


 小雲取道の石堂茶屋跡近くにあったもの。


 中辺路随一の展望地、百間ぐらの近く。


 この後も幾つもあったので、続けます。
コメント (2)
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熊野古道中辺路を歩く⑪(滝尻~紀伊田辺駅)〈続き〉

2008-12-11 21:28:25 | 熊野古道を歩く
 2008年10月31日(金)〈続き〉



 昼食を終え、背後の王子谷越をしようと、標識の方に向かったが、
住宅に入り込み、イヌが吠えるのであきらめ、国道の稲葉根トンネル
(423m)を通過した。


 トンネルの先の十字路で国道に分かれて右折し、県道35号に入
る。射矢ノ谷の田中神社には、南方熊楠が命名したというオカフジ
と呼ぶフジの古木が数本と、クスノキの大木があった。


 県道の東に並行する旧道を進み、八上(やかみ)王子へ。老杉数
本など、うっそうとした森の中に社がある。

 当時は桜があったのか、八上のさくらを歌った西行の歌碑がある。


 県道に上がって新岡坂トンネル(340m)を抜けると、歩道が無く
なり高速で通過する車が危険。埴田から左会津川の左岸沿いを岩
屋谷集落へ回り、草道を上がって三栖(みす)王子跡に行く。

 石碑と道しるべ、ここを歌った万葉集、額田王の歌碑だけだが、
高台なので北方の展望がよい。


 すぐ先の高台にあった報恩寺に寄る。本堂の前に日本一という大
きなソテツがあり、本堂の背後を巡る西国三十三観音のミニ霊場
や、賽の河原地蔵尊、大岩の上に立つ石塔など、見どころが多い。


 県道35号に戻って反対の北へ少し入り、国史跡に指定された三
栖廃寺搭跡に寄る。7世紀後半の白鳳時代の創建とされ、法隆寺
式の伽藍配置で、寺域は約100m四方あったと推定されるという。

 三重塔と推定される基壇と礎石が復元されていた。


 一帯は梅林が多く、県道際の万呂(まろ)王子跡は標識だけだった。


 橋を渡って県道を離れ、左会津川の左岸を進む。天王集落で県道
に戻り、急な石段を上がって須佐神社に参拝する。境内は常緑広葉
樹が豊富だった。


 目座から新田にかけては新興住宅地を抜ける。新田の会津小の
隅に、国土地理院の地図造りの基本になる電子基準点があった。


 NHKラジオのアンテナ塔の交差点を左折すると秋津王子跡だが、
ひとつ手前の通りを入って見つからず。行き戻って田んぼの隅にあ
る石碑と説明板を確認する。

 ここも、田辺側の角には標識があるが、滝尻方面からの角には標
識が無い。逆行する人は少ないらしい。

 日暮れて薄暗くなった。右会津川沿いに出て左岸の車道を急ぎ、
国道42号の高架下を過ぎる。二つの会津川の合流点の小公園に
も、秋津王子の説明板がある。

 この付近は洪水で川の流れが変化して、王子社は何度か移され
たらしく、現在は旧地を確定することが出来ないようだ。

 田辺の市街地の一角、八幡町に入ったら雨となり、折り畳み傘を
出しザックカバーをかける。踏切を越え、紀伊田辺駅前に17時5分
にゴールし、今回の熊野古道中辺路の歩き旅を終えた。

 駅前の大通りを5分ほどで、今日の宿、アルティエホテル紀伊田辺
に入った。

[コースタイム]滝尻7・20ー清姫の墓7・57~8・05ー国道の橋下
横断8・53ーのごし橋(定家歌碑)9・26ー住吉神社9・49~10・02
ー鮎川王子10・13~20ー一ノ瀬王子11・15~21ー稲葉根王子(昼
食)12・05~45ー田中神社13・11~17ー八上王子13・29~37ー
三栖王子14・12~22ー三栖廃寺搭跡14・53~58ー万呂王子15・10
~12ー須佐神社15・35~37ー会津小15・55ー秋葉王子16・22ー合
流点の小公園16・40~42ー紀伊田辺駅17・05

(天気 晴曇後雨、距離 24㎞、地図(1/2.5万) 栗栖川、紀伊田辺、
 歩行地 田辺市(旧中辺路町を含む)、歩数 47,300)
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熊野古道中辺路を歩く⑩(滝尻~紀伊田辺駅)

2008-12-10 22:20:46 | 熊野古道を歩く
 飛び飛びで報告している、10月下旬に歩いた熊野古道中辺路
のレポートですが、ようやく最終日になりました。

===========================
      
 第7日 2008年10月31日(金)
 =滝尻~紀伊田辺駅=


 
 最終日は、6時起床、6時30分朝食。旅館きけうや出発前、おか
みさんは、「以前は役場の人や林業関係者など、日によっては40
人くらいも飲食に来て賑わったが、時代がすっかり変わってしまっ
た。」「この宿は40年やっているが、いつ止めることになるか分か
らない…」と嘆かれていた。

 自家製の梅干しをお土産にいただき、7時10分、ご主人の車で
滝尻まで送ってもらう。

 昨日参拝した滝尻王子にもう一度参拝し、7時20分にスタート。
左に富田川を眺めながら国道311号を南へ向かう。


 途中の真砂集落は山側の旧道を上がる。太陽が東の山の上に顔
を出し、陽が差してきた。民家の裏のやぶで、時季外れのウグイス
が鳴く。

 国道に戻り、次の旧道との分岐点に清姫の墓があった。江戸時代、
歌舞伎や狂言で知られた安珍・清姫物語の女主人公「清姫」の出生
地。隣に薬師堂もある。


 旧道を上り下りして、朱塗りの吊り橋の北郡橋を渡り、国道を横断、
富田川左岸の中地集落へ。


 山腹の集落を抜け、草道から杉木立下となり、国道のトンネル上に
なる小さい峠を越えた。

 
 富田川左岸沿いに下ったところに、オオウナギ北限の生息地の標
識が立つ。

 国道の橋をくぐり、さらに川沿いを進むと、二つの休憩所が続く。
それぞれれ木のテーブルとベンチが設けられ、流れが見下ろせる。


 対岸には、「道の駅ふるさとセンター大塔」も見える。


 向越の集落を抜け、富田川左岸の車道が続くが、車はほとんど通
らない。ウグイスがまた鳴いた。


 内ノ井集落の住吉神社は、杉や常緑広葉樹に囲まれた静かなた
たずまい。

 本殿が2社、左に3社並ぶ趣ある造りで、社殿の横には、マキと
ムクロジがくっついたご神木の夫婦樹があった。神社の森は県の
天然記念物に指定されている。


 旧大塔村役場前を過ぎ、鮎川新橋を渡る。国道に出た鮎川新橋
バス停際に鮎川王子跡があるが、標石だけ。

 そばに「ふれあいやかた」と呼ぶ熊野古道休憩所があった。

 すぐ先で、国道と2本ある旧道が分かれるが、山際の旧道に入り、
家並みを抜ける。真ん中の旧道に合し、山側の旧道を上地集落に
上がる。振り返る富田川の流れ。

 集落の終わりから急降下して国道に下った。

 車の激しい国道を急ぎ横断、加茂橋を渡って再び左岸へ。

 車の少ない山すその旧道を小山まで進み、集落の上を回ったが、
目指す一ノ瀬王子が見つからない。

 柿の手入れをしていた人に聞き、少し戻って集落の中ほどの一ノ
瀬王子跡へ。クスノキの大木の下に小さい社のみ。

 東側からの入口には表示が無く、少し分かりにくい場所だ。

 市ノ瀬橋を渡って国道311号に出る。王子谷集落の旧道を川沿
いに入る分岐の広場に、クスの大きな古木が展示されていた。

 明治22年(1889)の大水害で上流から流れてきたものらしい。

 旧道の少し先が稲葉根王子跡。クス、カシ、杉など、うっそうとした
森の中に小さい社がある。

 後鳥羽上皇に随行した藤原定家や、足利義満の側室・北野殿な
どが参拝した記録が残されているという。

 ここで予定どおり昼食とし、宿のお握りをいただいたが、雲が増え
て休んでいる内に冷えてきた。              (続く)
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