2014年10月29日(水)
朝は冷え込んだが快晴に恵まれた今日、さいたま市中央区で開催されている、カントリ
ーウオークの仲間Tさんと、もう一人Kさんとの水彩スケッチ二人展を見ようと出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/de/7bc0c660f67db64b7983fdf8ac3850ce.jpg)
会場の最寄り駅は、JR埼京線の与野本町駅。12時15分に駅を出て、東側のJR京
浜東北線与野駅に通じる通りを、さいたま市中央消防署や与野郵便局前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/51/981248006d888acee748bb7b107ef7f5.jpg)
その先にあった交番の次の角を入ると、氷川神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5c/6c58568e3fea028e6f7446fb9f147e71.jpg)
氷川神社の創建時期ははっきりしないようだが、江戸時代の「新編武藏風土記稿」に記
され、旧社殿の改築時の棟札(むねふだ)に明和7年(1770)と記されており、それ
以前からあることは確からしい。
水彩スケッチ二人展の会場は、そばの緑に囲まれた軽食・喫茶の「墨流亭」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/d6/9eadc5885a4983730eaf448860f9e989.jpg)
お店の壁面に、2人合わせて12枚の水彩の風景スケッチが展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/ad/be025acaac94b2ff8aff52dd8034b627.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a4/0001cfbb350e8e73ba4a654deb6f7674.jpg)
画展を見終わった後、店のコーヒーを味わい、周辺の社寺や与野公園も巡ることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/04/57d21424738471aed89aff7ce2c5eaae.jpg)
下落合五丁目の北端の道路を西進して、JR埼京線と東北・上越新幹線の高架下にあっ
たラーメン店で昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/29/b31f90eda2af887bf14ec9eab5ff1aab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/41/d9e922bc72195d82ecf6d6bec5200b35.jpg)
高架下を抜け、すぐ先の鴻沼川右岸沿いの細い遊歩道を北進して落合橋まで進む。落合
橋近くからは東側に、さいたま新都心の高層ビルが間近に眺められる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/2e/0d7ad98619a0c39214814270825b0ef8.jpg)
落合橋で川を離れて与野八幡小前を西進し、最初の寺、本町東五丁目の長伝寺へ。本堂
はコンクリート造りで西向きなので、西側から入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ba/90647589072fd8e02265ab8d4576c83a.jpg)
墓地には、寛保3年(1743)に本町に生まれて江戸で儒学を学び、郷里に戻って近
在の子弟教育を行い、天明の大飢饉では私財をなげうって窮民救済にあたり、後生に「与
野聖人」とうたわれたという西沢嚝野(にしざわこうや)の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/b4/59bb9fd3efbb4aa3a6c3a8cc23e8ce2e.jpg)
県道165号の西に回り、本町西四丁目の正園寺の山門をくぐる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/90/efb07084d5809dd90a3b763b588d7ca9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/7a/ed2153bdee6911c15d48f6ecbd1a2cdc.jpg)
改築して新しい本堂の右手前には、さいたま市の天然記念物で、樹高約4m、枝張り
5mを越える大きなドウダンツツジが色づいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/0f/65f32a6f7fc2f925de0cf33986c5a6d0.jpg)
県道の東に戻った本町五丁目の住宅地には、たくさん実をつけてピラカンサが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/62/4e65362a1dd64ce2f320efb5348799bc.jpg)
南側の本町西三丁目にはひとつ神社があったが、柵があり入れない。さらに南の通りか
ら再度県道の西に進むと、与野高の正門前に出る。門の横に、最近参加した大会名などを
記した幕がたくさん並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f0/cf22ea4c3103ed0a2affa7404296087e.jpg)
高校の南側にあるのが御嶽神社、石段上に小さい社殿が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/83/baf0b97ae4f9201768a407d4c6daa4ed.jpg)
与野は江戸時代から木曽御嶽講の盛んな地域だったようだが、江戸時代の文政4年
(1821)に幕府は御嶽講に禁圧を加えたとか。その後解禁になり、与野の名主・井原
平八が造った社とも、あるいは明治初年の創建ともいわれているようだ。
社殿に参拝して、木曽御嶽山の噴火が沈静すよう祈る。
御嶽神社の手前の社務所の建物には、与野七福神の弁財天が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/9f/f7f36a805d6c791185decba99fe48f8d.jpg)
弁天堂は、南側に広がる与野公園北側の弁天池にある。
社務所前の空き地には、「御神(みかみ)の大井戸」と呼ぶ新しいつるべ井戸が出来て
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/4b/85b58c40880eeeeb77270211e04bb219.jpg)
昔この地に、祈りと修行のための井戸があり、お神酒造りにも使われたようだが、いつ
の間にか無くなり、その名残の地に今年再建したと「御嶽社」の名で記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a0/ddaa766532bf2dd0c92c79ab0cdfadee.jpg)
その南側、豊富な樹林に覆われた一帯が与野公園で、色づく葉も見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/3b/2d717140806239008fe2817fd2adaa0d.jpg)
弁天池の中心には、噴水が設けられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/aa/f6f696d947642d7bf5d9397baff39273.jpg)
公園の西側、首都高の高架に接してバラ園がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5d/d3ebedc2bc1629fe7a04fccb0bfe9284.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b5/2f4dbf5807e1adb194891f7111ce6dc8.jpg)
先週だったか、NHK総合TVの首都園ニュースでは見頃と報道されていたので、期待
して来たが、もう盛りは過ぎていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6d/20a6441d0af806dfedae94d5da188023.jpg)
バラ園のそばに立つモニュメント
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/6e/dd33cc74f2f0cbf689760d76e14bafb0.jpg)
公園の東側高みにある天祖神社は、かつて神明社と称し、文政年間(1818~30)
の「与野町並絵図」には、両側に家屋が並ぶ鎌倉街道から西に入った田畑の中にあったと
書かれていたようで、明治8年(1875)にに与野町の町社になったのを機に、天祖神
社と改めたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/45/074c72c3dfdd3ff052f244a8aebb8c99.jpg)
天祖神社には、与野七福神の寿老人が祭られていた。
与野公園の東側は、広い境内にりっぱな堂塔の見える円乗院。寺の塀に沿って南側を少
し進むと、「喜多山」というせんべい店があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f5/e03384d60d14f08bda067d1749bf5692.jpg)
「久助の日」の旗が出ていて、特売日のようなので入ってみたら、美味しそうなせんべ
いがたくさん並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/dd/33a9b8b8e8cb89d69e288bf3431f8efd.jpg)
私は、目的の久助せんべいだけ求め、店を出た。
その通りの先、県道165号に面して「いちごいちえ」という居酒屋があり、南側の壁
面にはこんなものが描かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/95/32fe375701e7f4fac7077928c299b755.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f0/f75c02f4440be35b2a456ba819fb84dd.jpg)
円乗院は、その横の県道側の仁王門から入れる。入ろうとしたら、「境内撮影禁止」の
表示が出ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/df/32e385f48bb63ad40fcb90e1716ffd14.jpg)
せっかく入っても、りっぱな建物などが撮れないのではと思い、入るのは止めて仁王門
の手前から、正面の本堂と門を入って右手にある多宝塔を撮り、先に向かうことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d5/ff0c2129170a6ea57c17c547580ac641.jpg)
円乗院の前、与野本町駅方面への道路と県道との三差路際にあった、壁面に独特なデザ
インを施した建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a1/d9bfc79637d887b0ee504f52e82b465b.jpg)
その横を駅方向に少し進み、本町東二丁目から本町東一丁目の中心部へ南下し、さらに
タツミ通りを横断して鈴谷(ずすや)八丁目へ。
与野西中の南東端には鈴谷天神社が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/8f/ada0f8866cf17e89f7a177f6dbd4db5c.jpg)
参道には、稲垣田龍の碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/7c/eea625b444cbec8fcd1244ca13f93122.jpg)
稲垣田龍は、この地、鈴谷に生まれて幼少から武道を志し、剣術棒術柔術に励み、31
歳のときにその奥義を極め、一刀流兵法目録を伝授されたとか。
さらに江戸で西洋流天文学を学び、数多くの貴重な天文暦学天体図などを書き残し、文
武両道に優れた高潔な人物として郷土の誇りとなり、文久元年(1861)に72歳で没
した人という。
近くにある鈴谷大堂は、墓地の中にポツンとお堂だけがあり、何年か前の正月、与野七
福神巡りで来たときの記憶が蘇る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/31/922b3baf3f9951cd55ba575989a36dc0.jpg)
お堂には、与野七福神の毘沙門天が祭られている。
かやのき通りを鈴谷七丁目から鈴谷四丁目に入り、今日の最後、妙行寺へ。創建年代は
不明だが、境内の正元2年(1260)の板碑などから鎌倉中期と推定されるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fe/ce32163d0c2908cdf7effcf6c9745e8a.jpg)
新しく堂々たる本堂の右手には、これも再建新しい庫裡かと思われる建物がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/72/e60a6cc8167225142f9f6612417c84f7.jpg)
本堂の裏手に回ると、県指定文化財で幹回り3.5m、高さ約7m、樹齢600年余り
と推定されるモッコクの古木が1本だけ立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/36/484d99f681065d2373e51faab8c0257d.jpg)
道路を挟んで南側には、やはり新しい金比羅天堂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b8/72f52af52d3618296202160535815936.jpg)
そばに樹齢約1,000年と推定され、樹高21.5m、目通り周囲7.28m「新・
日本名木百選」にも選定されているという、「与野の大かや」と呼ぶカヤの巨木が立って
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/3d/0ee9cfaccca3a0f9cb017e2f5a432951.jpg)
応永年間(1394~1427)には、すでに関東随一の巨木として知られていたよう
で、「榧木金比羅(かやのきこんぴら)」と呼ばれ、古くから信仰の対象でもあったとの
こと。国指定天然記念物である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/86/1929b041798260d2e75720510a957583.jpg)
今日の最後に、思いがけずの素晴らしい巨木を見ることができた。
さらに南下して国道463号を越え、JR埼京線南与野駅に16時19分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/d8/7ad02f1b2f119a5fa1351e907dee9d69.jpg)
(天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市中央区、
歩数 14,700)
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朝は冷え込んだが快晴に恵まれた今日、さいたま市中央区で開催されている、カントリ
ーウオークの仲間Tさんと、もう一人Kさんとの水彩スケッチ二人展を見ようと出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/de/7bc0c660f67db64b7983fdf8ac3850ce.jpg)
会場の最寄り駅は、JR埼京線の与野本町駅。12時15分に駅を出て、東側のJR京
浜東北線与野駅に通じる通りを、さいたま市中央消防署や与野郵便局前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/51/981248006d888acee748bb7b107ef7f5.jpg)
その先にあった交番の次の角を入ると、氷川神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5c/6c58568e3fea028e6f7446fb9f147e71.jpg)
氷川神社の創建時期ははっきりしないようだが、江戸時代の「新編武藏風土記稿」に記
され、旧社殿の改築時の棟札(むねふだ)に明和7年(1770)と記されており、それ
以前からあることは確からしい。
水彩スケッチ二人展の会場は、そばの緑に囲まれた軽食・喫茶の「墨流亭」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/d6/9eadc5885a4983730eaf448860f9e989.jpg)
お店の壁面に、2人合わせて12枚の水彩の風景スケッチが展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/ad/be025acaac94b2ff8aff52dd8034b627.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a4/0001cfbb350e8e73ba4a654deb6f7674.jpg)
画展を見終わった後、店のコーヒーを味わい、周辺の社寺や与野公園も巡ることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/04/57d21424738471aed89aff7ce2c5eaae.jpg)
下落合五丁目の北端の道路を西進して、JR埼京線と東北・上越新幹線の高架下にあっ
たラーメン店で昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/29/b31f90eda2af887bf14ec9eab5ff1aab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/41/d9e922bc72195d82ecf6d6bec5200b35.jpg)
高架下を抜け、すぐ先の鴻沼川右岸沿いの細い遊歩道を北進して落合橋まで進む。落合
橋近くからは東側に、さいたま新都心の高層ビルが間近に眺められる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/2e/0d7ad98619a0c39214814270825b0ef8.jpg)
落合橋で川を離れて与野八幡小前を西進し、最初の寺、本町東五丁目の長伝寺へ。本堂
はコンクリート造りで西向きなので、西側から入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ba/90647589072fd8e02265ab8d4576c83a.jpg)
墓地には、寛保3年(1743)に本町に生まれて江戸で儒学を学び、郷里に戻って近
在の子弟教育を行い、天明の大飢饉では私財をなげうって窮民救済にあたり、後生に「与
野聖人」とうたわれたという西沢嚝野(にしざわこうや)の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/b4/59bb9fd3efbb4aa3a6c3a8cc23e8ce2e.jpg)
県道165号の西に回り、本町西四丁目の正園寺の山門をくぐる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/90/efb07084d5809dd90a3b763b588d7ca9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/7a/ed2153bdee6911c15d48f6ecbd1a2cdc.jpg)
改築して新しい本堂の右手前には、さいたま市の天然記念物で、樹高約4m、枝張り
5mを越える大きなドウダンツツジが色づいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/0f/65f32a6f7fc2f925de0cf33986c5a6d0.jpg)
県道の東に戻った本町五丁目の住宅地には、たくさん実をつけてピラカンサが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/62/4e65362a1dd64ce2f320efb5348799bc.jpg)
南側の本町西三丁目にはひとつ神社があったが、柵があり入れない。さらに南の通りか
ら再度県道の西に進むと、与野高の正門前に出る。門の横に、最近参加した大会名などを
記した幕がたくさん並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f0/cf22ea4c3103ed0a2affa7404296087e.jpg)
高校の南側にあるのが御嶽神社、石段上に小さい社殿が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/83/baf0b97ae4f9201768a407d4c6daa4ed.jpg)
与野は江戸時代から木曽御嶽講の盛んな地域だったようだが、江戸時代の文政4年
(1821)に幕府は御嶽講に禁圧を加えたとか。その後解禁になり、与野の名主・井原
平八が造った社とも、あるいは明治初年の創建ともいわれているようだ。
社殿に参拝して、木曽御嶽山の噴火が沈静すよう祈る。
御嶽神社の手前の社務所の建物には、与野七福神の弁財天が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/9f/f7f36a805d6c791185decba99fe48f8d.jpg)
弁天堂は、南側に広がる与野公園北側の弁天池にある。
社務所前の空き地には、「御神(みかみ)の大井戸」と呼ぶ新しいつるべ井戸が出来て
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/4b/85b58c40880eeeeb77270211e04bb219.jpg)
昔この地に、祈りと修行のための井戸があり、お神酒造りにも使われたようだが、いつ
の間にか無くなり、その名残の地に今年再建したと「御嶽社」の名で記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a0/ddaa766532bf2dd0c92c79ab0cdfadee.jpg)
その南側、豊富な樹林に覆われた一帯が与野公園で、色づく葉も見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/3b/2d717140806239008fe2817fd2adaa0d.jpg)
弁天池の中心には、噴水が設けられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/aa/f6f696d947642d7bf5d9397baff39273.jpg)
公園の西側、首都高の高架に接してバラ園がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5d/d3ebedc2bc1629fe7a04fccb0bfe9284.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b5/2f4dbf5807e1adb194891f7111ce6dc8.jpg)
先週だったか、NHK総合TVの首都園ニュースでは見頃と報道されていたので、期待
して来たが、もう盛りは過ぎていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6d/20a6441d0af806dfedae94d5da188023.jpg)
バラ園のそばに立つモニュメント
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/6e/dd33cc74f2f0cbf689760d76e14bafb0.jpg)
公園の東側高みにある天祖神社は、かつて神明社と称し、文政年間(1818~30)
の「与野町並絵図」には、両側に家屋が並ぶ鎌倉街道から西に入った田畑の中にあったと
書かれていたようで、明治8年(1875)にに与野町の町社になったのを機に、天祖神
社と改めたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/45/074c72c3dfdd3ff052f244a8aebb8c99.jpg)
天祖神社には、与野七福神の寿老人が祭られていた。
与野公園の東側は、広い境内にりっぱな堂塔の見える円乗院。寺の塀に沿って南側を少
し進むと、「喜多山」というせんべい店があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f5/e03384d60d14f08bda067d1749bf5692.jpg)
「久助の日」の旗が出ていて、特売日のようなので入ってみたら、美味しそうなせんべ
いがたくさん並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/dd/33a9b8b8e8cb89d69e288bf3431f8efd.jpg)
私は、目的の久助せんべいだけ求め、店を出た。
その通りの先、県道165号に面して「いちごいちえ」という居酒屋があり、南側の壁
面にはこんなものが描かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/95/32fe375701e7f4fac7077928c299b755.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f0/f75c02f4440be35b2a456ba819fb84dd.jpg)
円乗院は、その横の県道側の仁王門から入れる。入ろうとしたら、「境内撮影禁止」の
表示が出ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/df/32e385f48bb63ad40fcb90e1716ffd14.jpg)
せっかく入っても、りっぱな建物などが撮れないのではと思い、入るのは止めて仁王門
の手前から、正面の本堂と門を入って右手にある多宝塔を撮り、先に向かうことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d5/ff0c2129170a6ea57c17c547580ac641.jpg)
円乗院の前、与野本町駅方面への道路と県道との三差路際にあった、壁面に独特なデザ
インを施した建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/a1/d9bfc79637d887b0ee504f52e82b465b.jpg)
その横を駅方向に少し進み、本町東二丁目から本町東一丁目の中心部へ南下し、さらに
タツミ通りを横断して鈴谷(ずすや)八丁目へ。
与野西中の南東端には鈴谷天神社が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/8f/ada0f8866cf17e89f7a177f6dbd4db5c.jpg)
参道には、稲垣田龍の碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/7c/eea625b444cbec8fcd1244ca13f93122.jpg)
稲垣田龍は、この地、鈴谷に生まれて幼少から武道を志し、剣術棒術柔術に励み、31
歳のときにその奥義を極め、一刀流兵法目録を伝授されたとか。
さらに江戸で西洋流天文学を学び、数多くの貴重な天文暦学天体図などを書き残し、文
武両道に優れた高潔な人物として郷土の誇りとなり、文久元年(1861)に72歳で没
した人という。
近くにある鈴谷大堂は、墓地の中にポツンとお堂だけがあり、何年か前の正月、与野七
福神巡りで来たときの記憶が蘇る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/31/922b3baf3f9951cd55ba575989a36dc0.jpg)
お堂には、与野七福神の毘沙門天が祭られている。
かやのき通りを鈴谷七丁目から鈴谷四丁目に入り、今日の最後、妙行寺へ。創建年代は
不明だが、境内の正元2年(1260)の板碑などから鎌倉中期と推定されるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fe/ce32163d0c2908cdf7effcf6c9745e8a.jpg)
新しく堂々たる本堂の右手には、これも再建新しい庫裡かと思われる建物がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/72/e60a6cc8167225142f9f6612417c84f7.jpg)
本堂の裏手に回ると、県指定文化財で幹回り3.5m、高さ約7m、樹齢600年余り
と推定されるモッコクの古木が1本だけ立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/36/484d99f681065d2373e51faab8c0257d.jpg)
道路を挟んで南側には、やはり新しい金比羅天堂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b8/72f52af52d3618296202160535815936.jpg)
そばに樹齢約1,000年と推定され、樹高21.5m、目通り周囲7.28m「新・
日本名木百選」にも選定されているという、「与野の大かや」と呼ぶカヤの巨木が立って
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/3d/0ee9cfaccca3a0f9cb017e2f5a432951.jpg)
応永年間(1394~1427)には、すでに関東随一の巨木として知られていたよう
で、「榧木金比羅(かやのきこんぴら)」と呼ばれ、古くから信仰の対象でもあったとの
こと。国指定天然記念物である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/86/1929b041798260d2e75720510a957583.jpg)
今日の最後に、思いがけずの素晴らしい巨木を見ることができた。
さらに南下して国道463号を越え、JR埼京線南与野駅に16時19分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/d8/7ad02f1b2f119a5fa1351e907dee9d69.jpg)
(天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市中央区、
歩数 14,700)
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