goo blog サービス終了のお知らせ 

あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

歴史民俗資料館で「おひなさま展」観覧と周辺の社寺へ②(東京・中野)

2025-03-19 21:43:20 | 江戸・東京を歩く
 2025年3月13日(木)  
   〈その2〉=歴史民俗資料館周辺の社寺や公園など=

 今日の目的は「中野区立歴史民俗資料館」で開催中の企画展「おひなさま展」の観覧で、
その模様は前回紹介したが、その前後に回った社寺や公園について今回紹介する。

 西武新宿線上り電車で10時34分に沼袋駅で下車して、歴史民俗資料館に向かう前、
北口から線路の地下化工事中の線路沿いを東進し、近くの「沼袋氷川神社」に向かう。


 200mほどで「沼袋氷川神社」の大鳥居前へ。


 鳥居を入ると、右手の斜面にアセビが咲く。


 石段を上がり二の鳥居をくぐり、正面の拝殿に参拝した。


 沼袋氷川神社(正式には「中野沼袋氷川神社」)は、正平元(1346)年に武蔵国一
の宮の大宮(現さいたま市)の氷川神社から分霊されたと伝えられているよう。



 拝殿の左手前に神楽殿があり、その手前の二の鳥居を入って左手に、「道灌杉跡」の跡
と、その説明パネルが立っている。



 二の鳥居下まで戻り、平成21(2009)年に開設したという、西側に並ぶ「中野
七福神」にも参拝した。




 神楽殿の近くには、参拝記念の撮影用らしい大きな絵馬が2つ並んでいる。


 近くにある「日露戦役祈念碑」の文字は、「元帥侯爵 山県有朋書」と刻まれていた。
     


 境内西側には「三本願い松」松があり、その奥には摂社の天王社と稲荷神社が。


  東側、神楽殿の左手には大きなクスノキも。
       

 拝殿の右手にある授与所には、たくさんのお守りや神札、絵馬などがあり、その中から
「三本願い松 健康御守」を分けていただいた。
       

   隣接する社務所ではおみくじを頒布していて、このようなおみくじも。
     



  境内を一巡したので、西側の裏参道鳥居から沼袋氷川神社を後にした。
  
  なお、この鳥居は2011年の東日本大震災で倒壊後、翌2012年に再建したよう。

 すぐ北側のT字路を左折して西へ少し進み、「禅定院」の山門前へ。


 左手に、古い本堂にあったらしい大きな鬼瓦が保存されていた。


 山門を入った右手には古い六地蔵が並んでいる。


 正面の本堂は、最近改築されたようで真新しい。


 禅定院(ぜんじょういん)は真言宗豊山派の寺で、1362(貞治元)年の開山とか。

 上沼袋村の旧家 伊藤家の菩提寺だったので「伊藤寺」とも呼ばれ、伊東氏は鎌倉幕府
北条氏の家臣で北条氏滅亡の際に当地に落ち延び、一族の菩提を弔うために創建したよう。

  境内には、推定樹齢600年で区内で一番大きいイチョウの大木がある。
  


 本堂前の河津桜だろうか、見頃を少し過ぎた感じながら咲き残る。



    本堂に参拝し、少し空いていた正面から本尊の不詳明王やその周辺を撮らせてもらう。
    

         
     境内の石灯籠際でアセビが花盛り。



 境内西側のかなりのエリアは牡丹園になっていて、花芽が膨らむ。
     



 南西側、塀際のツバキにはたくさんの花が残る。


 この寺にも西門があったので、西門を抜けて「禅定院」を出た。


 西側の道路を北に少しで、「百観音・明治寺」の山門を入る。


 山門を入った右手一帯は、「中野区立百観音公園」になっていた。

 
 本堂は境内西側に東向きに立っている。


 明治寺は、 明治45(1912)年に明治天皇の病気平癒を祈り観音菩薩石像を建立
されたのが始まりで、その後、一大観音霊場を築きたいと呼びかけ、多くの賛同者により
大正5(1916)年までに百観音が整ったよう。

 百観音とは、西国三十三か所、坂東三十三か所、秩父三十四か所の合わせて100の札
所の仏像の写しを祭ったたもの。

 これら全てを参拝すると、百観音札所のすべてをお参りするに等しいご利益が授かるこ
とになるといわれ、関東大震災や第二次世界大戦の戦災を受けたが観音像の建立はその後
も続き、現在は180体あまりの観音像が境内に建立されているという。


    正面の扉を開けて参拝した。
    
 

 境内東側から北側一帯にわたり、芝生や樹木などの間に観音立像が祭られていたので、
柵を開けて入り、敷石伝いに回ることにした。










     
 
 北側のヒカンザクラは咲き出して間もない感じ。



 北側中央部ではサンシュユが見頃。


 西北側のソメイヨシノはまだ枯れ枝のまま。



 
  一巡し終えたので、境内北西側の山門を抜けると右手の道路際には多宝塔が。
  

 左手には、玉井稲荷社が祭られている。


  その横から北側の道路に出て左折、すぐ先から北東に延びる住宅地の間の細い車道へ。
  

 民家の一角ではボケが。


 都道440号・新青梅街道に出た。


 近くの信号のある交差点で北側の歩道に回り、近くの「中野区立歴史民俗資料館」の観
覧については前回紹介の通り。

 12時30分過ぎに歴史民俗資料館を出て西側の道路を北へ、突き当たりのT字路を右
折してすぐ先、変形五差路際へ。



 その東北側の狭い一角は「お経塚」で、元文3(1738)年建立の地蔵菩薩石像と、
安永6(1777)年建立の馬頭観世音菩薩石像(左の小さい方)が並んでいた。




  お経塚の横から通りを北へ、正面に中層の大きな集合住宅を見ながら進む。
  

     
          途中の民家の前に咲くボケと鉢花群。
          

 道路の突き当たりが、江古田3丁目の「江古田(えごた)氷川神社」(正式名称は「氷
川神社」のみ)で、「江古田おひかわさま」として親しまれているよう。


 10段の石段を上がり正面の拝殿に参拝する。


 右手には、中野区指定有形文化財の神楽殿が。

 当社の創建は寛正元(1460)年で、江古田村の鎮守だったよう。現在の神楽殿は弘
化4年(1847)の建築で、昭和7(1932)年までは本殿として使われたとか。

 毎年10月の例祭で奉納される三匹獅子舞は「江古田の獅子舞」として知られ、東京都
の無形民俗文化財に指定されているという。

 区立歴史民俗資料館と同様に、この地の名主だった山崎家ゆかりのものがあるよう。

 その南側には山車蔵も。

 保存されているのは、都の無形民俗文化財「江古田獅子舞」のもののよう。

 境内にはケヤキなどの樹木も目につく。


 西側の大ケヤキの周辺には、幾つかの摂社が並んでいる。


 それらの横に立つ「日露戦役記念碑」は、「東京衛戍総督 陸軍大将 子爵 川村景明書」
と刻まれていた。
     
 ちなみに東京衛戍(えいじゅ)総督部は、明治37(1904)~大正9(1920)
年に東京に置かれた、天皇直属の陸軍の組織だったよう。

 正面鳥居から出て、西側の「合同住宅前」交差点から北に延びる道路へ。 

 周辺には「プライムメゾン江古田の森」と呼ぶ大規模な中層住宅群が並ぶ。

 13時30分を過ぎた。周辺に昼食場所はなさそうなので、住宅群のひとつの1階に
あった「ファミリーマート中野江古田の森店」で弁当を求めた。


 突き当たりのT字路を左折して西へ、沿道の数本の桜は葉が出始めていたがまだ見頃。


 その左手から北側一帯に広がる「江古田の森公園」の西南端付近に入る。


  奥には高木の木々が林立し、その下を緩やかなカーブを描いた園路が続いている。
  
 
 少し東側に回り込み、老人介護施設のある大きな中層ビルの近くのベンチで昼食に。

 新型コロナで中断し、そのまま2年前に解散したカントリーウオークグループの例会が
無くなり、コンビニ弁当での昼食は5年ぶりくらいになるだろうか・・・

 その間にコンビニ弁当も多彩になったようで、買ってきた盛岡風冷麺はおいしかった。

 昼食後、木々の下の園路を東北方へと金網の張られた塀沿いに進む。


     
 南へとカーブした園路沿いには、災害時に備えて設けられた↑非常用トイレが10数
個続き、近くの地下にある震災対策用応急給水施設の給水槽についてのパネルと、機材
倉庫があった。

 

 さらに東北側へ金網沿いの園路を進むと、アセビとハナモモが咲く。


  
  江古田の森公園の歴史や案内図などのパネルの近くから、公園を出た。




 南側の道路を東へ、妙正寺川の橋に向かって下る。

 妙正寺川の江古田憩い橋から見下ろした上流側。この冬の降水量は極めて少ないので、
流れはコンクリート張りの中央部にわずかに見えるのみ。
  


 そばの交差点を左折し、江古田通りを北へ向かい、江原二丁目交差点で都道8号・目
白通りに出て、下を走る都営大江戸線の新江古田駅に14時30分頃着いた。




 14時38分発 光が丘行き電車に乗り、次の練馬駅で西武池袋線へ。

 14時48分発の小手指(こてさし)行下り電車に乗り換え、15時45分頃帰宅した。




関東地方ランキング関東地方ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中井の「染の小道」を巡る(東京・新宿)

2025-02-23 10:38:38 | 江戸・東京を歩く
 2025年2月21日(金)

 いつもこの時期に開催されている中井の「染(そめ)の小道」、今年は2月初め頃から
所沢市内の西武池袋線の駅にもリーフレットが用意されていたので、開催日を早めに知る
ことができ、初日の今日訪ねることにする。
  

 細かいので見にくいが、エリアマップ


 自宅を9時50分に出て、所沢駅で西武池袋線から西武新宿線上り電車に乗り換えて、
高田の馬場駅より2つ手前の中井駅に10時48分に下車した。

 以前は、上りホームと下りホームの連絡階段は無かったが、高田馬場駅側に地下をつな
ぐ連絡通路ができていて、その通路を使い南口へ。


 「染の小道」は一昨年以来の3度目、駅前広場にはいつもと同様に案内所が設けられ、
「染の小道」や新宿区内のリーフレットなどの配布と、染の小道特製手ぬぐいの販売をし
ている。




 「染の小道」の舞台裏と経過など、リーフレットから




  
 駅前を南北に走る道路を南へ、すぐに妙正寺川に架かる寺斉橋際へ。まずは橋から上流
側と下流側に架かる「川のギャラリー」と呼ぶ染め物を眺めた。
  

  

      


 橋の手前、左岸沿いの細道を上流側へ、すぐに上を覆う都道4号・山手通りの高架下に
架かるふれあい橋があり、もう一度上流側を見下ろす。




 さらに左岸沿いを上流へ進みながら随時、川のギャラリーを眺めながら進む。



 100m余りで次の橋、栄橋までで、こちら側の川のギャラリーは終わった。

 
 もう一度左岸の細道を戻りながら、並ぶ狭い店舗に吊されたもう一つの展示、染めたの
れんの下がる「道のギャラリー」を見る。
     

 各々の店の、のれんには番号やタイトルが付けられていて、作者なども分かるようにな
っていた。
 
 ヘアーサロン タニに下がる、「誰袖の図」と名付けた絹の紅型(びんがた)で、紅型と
は沖縄の染物の総称のよう。    
           

     レストラン「ソウル南山」には、「流水に紫陽花、黄葉」と呼ぶ絹の紅型が。   
               

     

          



     タイフード居酒屋「たわん亭」は、「椿」   
          

     ミュージックアカデミー第1教室の「さあ、はじめましょう!」も、絹の紅型   
     



     
 
 見下ろした妙正寺川の流れには、長い緑の藻も。


 駅のそばの寺斉橋まで戻り、南に延びる商店街沿いに下がるのれん「道のギャラリー」
に目を向けることに。

 
     中国料理の菜来軒は猫と梅のデザインだが、タイトルは分からない。
     

          アサガオのデザイン
          
 
 伊野尾書店ののれんのタイトル「更紗の旅~タクラマカン砂漠~」の一部  


 少し先のレストランは「鶏の幸」と呼ぶろうけつ染め   

 
 東京信用金庫に下がる「阿波おどり」

  
     斜向かいの「はなれ」ののれんも下がるギャラリーの作品は「海月花」   
     

  
 その先、短い坂を上がったると郵便局のあるT字路で折り返し、寺斉橋まで戻り、下流
の左岸沿いの細道へ向かうことに。
     

     
 道路際の出店やのれん、流れに続く「川のギャラリー」を見ながら進む。


 少し左カーブして次の大正橋で「川のギャラリー」は終わる。


     橋から南に延びる通りの「雪中花」   
     

         その先、醤油会社に下がるのれん 
         

 少し先のT字路で折り返して北へ、大正橋を渡少し先の寿司店に下がるのは「おいで遊
ばせ」と題する型染め・藍染め   
     

 西武新宿線の踏切を越えながら見た、左手の中井駅方面。


 すぐ先の整骨院に下がるのは「葉陰に集う小鳥たち」   


 隣の炉端焼店には「優しく 懐かれ 見守られ」というろうけつ染が。熱海の来宮神社の
大楠がモチーフのよう。    
     

 その先のT字路で中井通りに出て、右折して東へ、ツツイデンキは影がかかり少し見に
くいが「青い鳥と花」  
     

          二八そば 長寿庵のタイトルは、のれんに隠されて見えない。  
          

 まだ時間外でシャッターの下がる銭湯「ゆーざ中井」には、「貝尽くし(春の海)」が。 
     

          通りの反対側、宇田川文正堂ののれん。
          

 最東端ののれんは、次の十字路際の「中落合高齢者在宅サービスセンター」入口に下が
る「えんまんのシャボン」
     
 

 道路際、円形花壇に咲き競うたくさんの花。冷たい北風にも負けずに咲いている。


  中井通りを西へと折り返し、この通りに出たT字路より西側へ向かう。

 T字路に近い薬局には「薬」の名の染められたのれんが。


     不動産業「司環境計画」の「宇宙の花」と名付けた草木染め。   
     

          近くの和菓子店「おゝき屋」は「借景」 
          

 いちご大福が人気のようで、狭い店内に何人かの客が見えた。   


     隣のトケイ・メガネの「ミナクチ」は「花たちに希望を」という絹の紅型  
         

 そばのT字路から駅方面に向かう「中井駅前通り」際の日本そば「尾張屋大吉」の「そ
ばで使う道具」は綿の捺染のよう。
          

 ファミリーマートの横を左折して細い路地を東へ、古民具「つばき」は、その名のとお
りのデザイン。
          

 店の前に飾られた兜


 南側から合流したY字路の先の「たれ山」は、「シルエット」と名付けたろうけつ染め。 
     

 斜向かい、割烹「なか井」の「彩り柏」は、綿のタイダイという染め物のよう。   


     すぐ先のモダン・型染めの「おかめ工房」に下がるのは紅型のよう。
     

         その前、まごころ葬儀の「やまなか」は「祖母の想い出」という作品。    
          

 往路で北に進んだ道とのT字路に出て右折して南へ、踏切際だったか、わずかな植え込
みの前に下がる作品
     

 踏切を越えて2本目のT字路の細道を右折、折り返すように西へ、


 まずは少し先の「ギャラリースペースとTRY」に入り、手造りの作品を眺める。


     店の西側は古い床屋の椅子が。
     

 その先は「ねこみちアートフェス」と名付けられていて、ねこのデザインの手づくり作
品などを並べた出店が何店か続く。


 最初は、新潟県の農産物を中心を販売する店で、一昨年同様に笹だんご(5個入950
円)を求めた。
     


 その先のいくつかの店も、猫のデザインの品などが目につく。







 西端まで進み、ねこみちをふり返りT字路際へ。 右手角のレストラン四文屋には横長の
「洗象図」が下がる。



 中井駅前通りに出てもう一度北へ、踏切から両側を眺めた。


 すぐ先、北西側のテントは新宿区染色協議会のもので、職人が手がけた染色小物を販売
している。


     ファミリーマートに下がる「つながる」と呼ぶ綿の捺染。  
     

 その先、中井通りに近い中井接骨院には「イロワタシ」という綿の絞り・捺染作品が。 
          

 その辺から折り返して南へ、踏切や西武線の駅前の少し先まで戻る。寺斉橋に近い「こ
ころ接骨院」ののれんのタイトルは分からない。   
     


 12時50分を過ぎたので昼食をすることに。寺斉橋の南側まで進み、一昨年にも利用
した田舎そば「須坂」に入り、 鴨そば(540円)を注文した。


  
 食事を終えてもう一度、時斉橋~両側の「川のギャラリー」を眺め、西武新宿線の中井
駅南口に戻る。
       


 13時31分発下り本川越行普通電車に乗り、途中で急行電車に乗り換えたり、最寄
り駅からスーパーに回って買物をしたりして、15時過ぎに帰宅した。

 


関東地方ランキング関東地方ランキング



にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東伏見稲荷神社から田無神社へ〈後半〉(東京・西東京市)

2025-01-28 12:26:23 | 江戸・東京を歩く
 2025年1月15日(水) 〈後半:田無神社と総持寺〉

 東伏見稲荷神社に参拝後、青梅街道を西北進して田無神社の南側正面に着いた。
  
  
      一の鳥居を入り、階段を上がってケヤキなどの並ぶ参道を進む。
      


 

 二の鳥居の手前には、田無神社のパワースポット、五つの龍神のひとつ「白龍」が。




     
     参道を挟んて手水舎があり、手水鉢はきれいな花手水に覆われている。







 すぐ横には、良縁結びに御利益の「道祖神」と、良縁を念じて結んだカラフルな紐も。


 二の鳥居をくぐり正面の拝殿前へ進み、何人かの参拝者の後に並び参拝した。



 拝殿と本殿とが一体になった社殿は東京都指定文化財(歴史的建造物)で、拝殿を見上
げると精巧な龍の木彫がたくさん目に入る。




  
  拝殿の左手前にはご神木の大イチョウが立ち、その下にこのような大きなものが。

 「一楽萬開」と記されているが、当社では11月23日の新嘗祭~2月3日(今年は2
日)の節分祭まで、この文字を書いた五角形の木札「一楽萬開札」を授与しているという。

  
  そばから見上げた大イチョウ
  

     ご神木の北側には、「小彦名神社」が祭られている。
     

 境内西側、舞殿横にはカフェの出店も。  



 「小彦名神社」の奥には、厄除け祈願のたくさんの絵馬が奉納されていた。


 さらに奥の龍神には、若い女性の参拝者が多い。

 
 その後に並んで少し待ち、石積みの上に祭られた「黒龍」に参拝する。


 近くには、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祭神という「津嶋神社」も。



 境内西側の出店や「おみくじ処」



     そばの龍神池の龍神。
     

 境内中央部の南東側、東参道の鳥居際には「撫龍」が祭られ、「龍と玉を撫でて 昇運を
お授かり下さい」と記されていた。
     

 傍らには「田無神社と五木寛之」についてのパネルが。


 拝殿の右手には「大鵬土俵」と呼ばれる土俵がある。

 昭和の大横綱、大鵬関が引退後の1993年に五穀豊穣を祈念して寄付したものとか。

     
   その背後、社殿寄りには、金色の鳥居の奥に大黒様と恵比寿様を祭る社殿があった。
          


 さらに右手には「稲荷神社」↑や安産祈願のためのお社↓も。


 大鵬土俵寄りに戻ると、「大鵬」と刻まれた大鵬自身が揮毫(きごう)した碑が立つ。
     
 
     
 そばのよしず掛けの小屋に祭られていたのが、パワースポットひとつ「青龍」像と、戦
の神として崇められた「楠木正成公像」。
          

     小屋に接して立つ「日露戦役祈念碑」は明治40(1907)年の建立。
     
 碑文は、日露戦争の際、元帥陸軍大将として満州軍総司令官を務めた大山巌(おおやま
いわお)の揮毫によるもの。

 田無村では、日露戦争に71人が出征して3人が戦死し、68人が凱旋帰国したという。

 
 大鵬土俵の南側の「特別授与場」とその前面には、たくさんの御札や御守、破魔矢など
が並んでいる。




 私は「長寿健康御守」(700円)をいただいた。

  境内中ほどから西側に出る冠木門の向こうに、火の見櫓(やぐら)が残っていた。
  

  境内をほぼ一巡したので退社することにして、表参道に向かう。
  
  

 右手、国の登録有形文化財になっている「参集殿」の入口には精巧な木彫「九頭龍」が
あり、奉納者はレスリングのオリンピックメダリストの三宅義行、宏美父子だった。
     



  後になったが、近くにあった境内図
  

 一の鳥居を出ようとしたら、手前左手に並ぶ人がいるので回ると「赤龍」が。

 入ったときには気付かずに通過したのだった。

 12時30分過ぎに田無神社を後にした。

 ちなみに、田無神社の詳細についてはこちらのサイトを。

 そばにあった、周辺の商店街マップ



 道路を挟んで西側は、長い塀で囲まれた真言宗智山派の「田無山 総持寺」。南側の塀沿
いに延びる細道「やすらぎのこみち」を西進する。



 道路には、西東京市の木や、市の花のデザインマンホールが続く。






 南側中央部の山門前に出た。 


 総持寺の創建年代は不詳のようだが、元和年間(1615~24)に法印権大僧都俊栄
和尚が、谷戸に法界山西光寺として創建し、慶安年間(1643~51)に現在地へ移転
したと伝えられているよう。

 江戸時代は尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を勤めていて、明治8(1875)年、
西光寺と近隣の密蔵院、観音寺の3寺が合併して創建し、田無山総持寺と改称したという。

 山門の左手前には、昭和20(1945)年4月12日に当地が空襲に襲われた際の
「戦災者慰霊塔」があり、その上に平和観音が祭られている。
     


 大きなちょうちんの下がる山門を入ると、左手には「無我」と刻まれた大きな石碑が。


 まずは正面の大本堂に参拝した。



 本堂の左手には妙見堂があり、開扉されていたので中を拝観させてもらう。
     



     

 本堂の右手前方には、近年改築したらしい鐘楼が。


 境内を一巡したので山門を出ることにした。山門の境内側には、広目天と多聞天がにら
みを利かせている。
     

          

 近くのサザンカに花が残る。


 12時50分過ぎに総持寺を後にして、青梅街道を田無駅に向かう。



 少し進んだ北側のビルに「シンエイ動画」の看板があり、1階入口横にドラえもんなど
のパネルや人形が並んでいる。






     


 ここで、これらの動画を製作しているようだ。

  ウィンドウの前にあったチラシの表と裏
  

      

  ちなみに西武鉄道では、この映画の公開に因んだスタンプラリーを2月7日(金)から
開催するよう。詳細はこちらのサイトをご参照下さい。

 次の交差点を左折して南へ、6階建てのビル地階にあったスーパー西友系の「LIVIN」
に入り、少しの買い物を。



 南西側が西武新宿線の田無駅、駅ビル「Emio」の2階に見えた「洋麺屋 五右衛門」で
少し待って入店する。


 「月見とろろと納豆のねばねば」(1,150円)という洋麺を注文して、昼食に。

 私好みの味で、おいしかった。


 田無駅に14時11分に着いた。



 14時19分発の西武新宿線下り本川越行き電車に乗里、15時06分に帰宅した。
                                      〈了〉

 



関東地方ランキング関東地方ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東伏見稲荷神社から田無神社へ〈前半〉(東京・西東京市)

2025-01-26 11:41:11 | 江戸・東京を歩く
 2025年1月15日(水) 〈前半:東伏見稲荷神社〉

 昨年末から年初めのほぼ1か月間、市外に出かけることがなかったが、今日は久しぶり
に初参りとして、西武沿線にある近郊の神社へ行くことにした。

 自宅を9時36分に出て、最寄り駅から7駅目になる西武新宿線の西武柳沢(せいぶや
ぎさわ)駅で10時23分に下車した。


 最初の目的地は東伏見稲荷神社。西武新宿駅や高田馬場駅から下り電車で来るなら、次
の東伏見駅で下車する人がほとんどかと思われるが、上り電車なら西武柳沢駅の方が近い。

 南口に出て線路沿いの道を東へ、東伏見通りを踏切際で横断する。


 さらに少しで「都立東伏見公園」で、西北端の入口から園内へ。


 都立東伏見公園は、東京都が整備を進めている都市計画公園で、特別緑地保全地区に指
定されている東伏見稲荷神社の北側に位置し、公園の南側には石神井川が東西に横断する
など緑と水に恵まれた立地条件にあるよう。

 現在は、のびのびと体を動かせる多目的広場や展望の良い休憩施設が利用でき、今後の
整備により広場や親水施設を活かしたレクリエーションが楽しめ、災害時には様々な活動
の拠点としての役割を果たす公園となっていて、面積は約5万2千㎡あるという。

 広い芝生地の中に、ソメイヨシノやケヤキなどの木々が点在しているが、人影は少ない。

 

 歩道橋が西武新宿線を越えている中央部まで進み、南へ緩やかな斜面を下って行く。






 南側眼下には、これから訪れる東伏見稲荷神社境内背後の松などが望まれる。




 中央部を南側へ下り、公園の下をトンネルで抜ける都道233号・伏見通りを見下ろし、
右手(西側)の神社沿いの園路を下って東伏見稲荷神社の大鳥居前へ。

 色鮮やかな鳥居を入り、短い階段を上がって楼門をくぐると正面が拝殿。





 左手前には昇殿参拝の受付所が、右手には由緒などのパネルが立つ。




 拝殿に参拝して、この1年の健康や諸般の安穏などを祈願した。


 拝殿の左手には、奥多摩 青梅市にある酒蔵の銘酒が奉納されていた。


 以前来たときには、拝殿に参拝したのみだったが、拝殿左手の渡り廊下下をくぐって巡
る「お塚参拝道」があることが分かったので、回ることにした。


  
 拝殿に続く本殿の左手(西側)から北へ、さらに東北側へと赤鳥居の続く巡拝路があり、
順路などは記されていないので、適宜一巡する。
     

          



     

          

     

          

     



     

          







     


 こんなにたくさんのお社があるとは、知らなかった。 



 ほぼ回り終えて拝殿前に戻り、右手の社殿の周辺へも。




     




 拝殿前の絵馬掛けなどを見て拝殿をふり返り、楼門を抜けて11過ぎに大鳥居を出た。




 西側、東伏見通りの信号のある交差点際からは、青梅街道沿いにある東京ガスのガスタ
ンクが望まれる。


   交差点から西に延びる細い通りの両側は住宅地なので、車の交通量は少ない。
  

 その通りが突き当たり、左折して西武柳沢駅から延びる通りに出て、都道4号・青梅街
道と交わる「西武柳沢駅南」交差点へ。


 交差点の南東側すぐのところに、東京ガスのガスタンクがある。


 反対側、田無(たなし)駅方向に向かって青梅街道を西北へ進む。


 少し先、通りの北側に「柳沢禅寺」があるが、門は閉じ建物も普通の寺院建築ではない
ので通過する。



 前方に、西武新宿線が青梅街道の上を通過する跨道橋が近づき、細道とのY字路際に小
さな観音像やお地蔵さんなどが祭られていた。


     



     


 跨道橋下を抜けた富士街道↓とのY字路際には、弘法大師を祭る小さなお堂も。


     

 次の「田無町一丁目」交差点で青梅街道は斜め左折して、西に延びる上下1車線ずつの
狭い車道になる。



 少し進んだ右手、北側に次の目的地の「田無神社」があった。 〈続く〉




関東地方ランキング関東地方ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本地図センターから目黒天空庭園へ(東京・清瀬)

2025-01-03 12:46:24 | 江戸・東京を歩く

 2025年の新春を迎えました。昨年も1年間、たくさんの方にご覧いただき、ありが
とうございました。 

 新しい年が、皆様にとって災いや憂いのない、よき年となりますようお祈り致します。

 加齢に伴いすべての行動が鈍り、投稿間隔が空き、日にちのずれも大きくなりましたが、
本年もできるだけ投稿したいと考えます。 引き続きご覧下されば幸いです。

 本年最初の投稿も、遅れた昨年12月下旬のレポートです。

========================================

 2024年12月24日(火)

 「(財)日本地図センター」から毎週末に届くウィークリーメールで、今日と明日、地図
カレンダーの配布をするというので、2年ぶりに行くことにした。

 9時35分に自宅を出た。西武池袋線から東京メトロ副都心線、東急東横線直電車で渋
谷駅へ。東急田園都市線に乗り換え、ひと駅の池尻大橋駅で10時45分に下車した。
     

 地下を東急田園都市線が走る国道246号線・駒沢通りを東北へ。沿道のイチョウは黄
葉が残る。
     

 少し先、大橋ジャンクションのロータリーを回って都道317号・山手通りに向かって
緩やかに下る。


  山手通りに出た反対側に「日本地図センター」のビルがある。
   


 1階入口を入った右手のテーブルに無料配布のカレンダーが置かれていて、ひとり3本
までもらえるというので、日本地図と世界地図のカレンダーあわせて3本をもらった。
     

          

 左手は地図センターの売店になっていて、国土地理院発行の地形図や地図、地図関連の
図書などを販売しており、一巡したが特に欲しいものが無いので購入はせずに出た。

  
  ロータリーを上がって駒沢通りに戻り、そばの「上目黒氷川神社」を参拝することに。

 正面は急な石段だが、その先の交番の手前から上がる「目黒富士登山道」から短いジグ
ザグの急坂を上がった。
     

          



 上がった境内は平坦になっていて、左手(西側)に神楽殿がある。


 境内北側中央に上目黒氷川神社があり、両脇に2つの摂社も。


 石段を上がったところにある手水舎は、花手水(はなちょうず)になっていた。

 

     まずは、中央の上目黒氷川神社に参拝する。
      
 
 右手は目黒冨士浅間神社で、左側には葉の落ちたケヤキの高木が立つ。


 傍らにあった「目黒富士」のパネル


 左手、2ッの石鳥居の奥に祭られているのは稲荷神社。


  3つの社殿に参拝したので、正面の急な石段を下り上目黒氷川神社を後にした。
  

 この後は、日本地図センターに来たときにはいつも回っている、駒沢通りの南側に接す
る「目黒天空庭園」に向かう。

 池尻大橋駅寄りに少し戻り、専用エレベーターで上がって駒沢通りをまたぐ陸橋を渡る。



 見下ろす駒沢通り、上は首都高3号線



 陸橋を渡り終え、右手から反時計回りに少し上がると「目黒天空庭園」の管理棟がある。


 もらった折込リーフレットによる「目黒天空庭園」の施設案内


 図の左下部の管理棟前から、円形の外周を反時計回りに緩やかに上がり、上部中央の
東口広場まで進み、上側に隣接する「クロスエアタワー」9階に入るというのがルート。

 管理棟の休憩エリアに掲示の「大橋ジャンクション」周辺の写真



 管理棟前の植え込みや花壇の花など。


 目につく木々を眺めながら、散策路を少しずつ進む。



 実の残るガマズミの木が何本か。


  9階が目黒天空庭園の出口に直結するクロスエアタワー
  


     タイワンツバキ(台湾椿)も何本かあり、花が咲き残っていた。
     

     ゴテンバザクラ(御殿場桜)の実
     



     

 スロープの一番右手(南側)にある東屋(あずまや)




 「あそびの広場」


 

 「あそびの広場」を抜けると、クロスエアタワーに近づく。


 ふり返る「あそびの広場」周辺


 
 最上部の「東口広場」周辺には、色づいたモミジが数本残っていた。







 その一角にある探訪デッキから、以前は富士山の上部が見えたのだが、いまはその手前
に薄いブルーのビル(中央より少し右)が建ったので、見えなくなったよう。



 南側のビル群



 西側に見下ろせるエリアは「おおはし里の杜」と呼ばれ、入ることはできない。


  



     

 周辺のモミジや、たくさん実の付いたクロガネモチなどを眺め、12時10分に「目黒
天空庭園」を出ることにした。








     

 「クロスエアタワー」9階の入口を入り、エレベーターで1階に下りてビル東側に出た。


  北側に回れば駒沢通りで、先ほど参拝した「上目黒氷川神社」が正面に。
  

 池尻大橋駅に向かって駒沢通りを進み、次の横断歩道で往路の北側歩道に戻る。


 駒沢通り際から始まる遊歩道「目黒川緑道」のスタート付近には、かつて下を流れてい
た流れに架かっていた「大橋」の標石が残っていた。
     

     
 池尻大橋駅に12時29分に戻り、東急田園都市線で渋谷駅へ。渋谷駅で東京メトロ副
都心線、東武東上線直通電車に乗り、小竹向原駅で13時03分発の西武池袋線直通電車
に乗り換える。


 所沢駅で途中下車して、東口直結「エミオ」3階の食堂街に入り、「椿すすめ」へ。


 「納豆玉子ぶっかけうどん」(960円)を注文して、いつものように遅い昼食とした。

 
 さらにひと駅下り電車に乗り、帰宅したのは15時15分だった。



関東地方ランキング関東地方ランキング 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の紅葉の見納めに六義園へ(東京・文京)

2024-12-27 17:34:19 | 江戸・東京を歩く
 2024年12月16日(月)

 2,3日前のTVニュースによれば、都立庭園のひとつで国特別名勝の「六義園(りく
ぎえん)」の紅葉が、まだ幾分か残っているようなので、好天の今日、久しぶりに訪れる
ことにした。

 JR池袋駅から山手線外回り電車に乗り、3つめの駒込駅で11時20分頃に下車する。


 巣鴨駅寄りの南口を出て左へ、線路上を越える橋を渡り駅前を走る都道455号線・本
郷通りを南西へ向かう。


 すぐ先の交差点の南側一帯が六義園で染井門があるが閉じていて、入口はその先にある
のでさらに本郷通りを進む。

 次の大きな通り、不忍通りとの交差点の手前の細い通りを右折して、煉瓦塀沿いに少し
で、唯一の出入口になっている正門前へ。

     すぐ手前にあった公園の外周を囲む煉瓦塀の説明パネル
     

 正門前の掲示


 正門を入り左手の受付でシニアチケット(150円)(一般は300円)を求め、そば
のテーブルにあった「特別名勝 六義園」の折込の3つ折リーフレットなどを入手する。
         

 六義園は江戸の二大庭園”のひとつといわれ、徳川綱吉の側近であった柳澤吉保が、将
軍の命を受けて池を掘って山を築き、元禄8(1895)年から7年の歳月をかけて造り
上げた「回遊式築山泉水庭園」。

 紀州和歌の浦の景勝や、和歌に詠まれた名勝、中国古典の景観が八十八境として映し出
されていて、昭和13(1938)年に一般公開され、昭和28(1953)年に国の特
別名勝に指定されたという。

 リーフレット内面記載の地図に従い、中心にある池(大泉水)を囲む周遊路を時計回り
に回ることにした。


     受付近くにある六義園の標石と和傘、記念撮影用だろうか・・
     


 まずはその近くから、周辺のモミジなどの彩りを眺める。 


 左手(西側)に進み、庭園の中心部に入るための門「内庭大門」(ないていだいもん)
を入る。


 正面に大きなシダレザクラがあるが、葉はすべて落ちている。
 


 左手には懸崖菊(けんがいぎく)の展示が。
 


 さらに竹製の門をくぐると、「六義館跡(むくさのたちあと)」という標柱周辺の木々
が、きれいな紅葉を残していた。




 


 園庭や池、モミジなど眺めながら南側の園路を西方へと進む。








 園内南側中央部にある「心泉亭」と呼ぶ建物のよう。
 
 
     
     さらに西方へと、移り変わる風景を眺めながら向かう。
        







     


 池の西南端には「滝見茶屋」があり、そばのモミジも彩りが残る。
     



     そばの橋を渡って西側の園路を北へと進んだ。
     

     

   すっかり葉の落ちた木々
   


 西側から眺める大泉水 


   
 

    西側一帯は樹林になっていて、ところどころにモミジなどの彩りも残る。
    

   
    その先には大イチョウが見えたので、小さいピークを上がって根元からも。
    

 
 さらにモミジなど眺めながら緩やかな上り下りの園路を進む。




 大泉水の北西側にある吹上茶屋へ。


 ここでは、抹茶をたしなむいおともでき、池をみながらいただく人も。

 
 吹上茶屋の横から、川のような細い流れが北側の谷間に伸びているので、そちらの園路
へと進む。
     

 流れと行ってもほとんど動きはなく、松やモミジなどたくさんの落ち葉がきれいな模様
を見せていた。


 その流れが右へカーブするところに、小さなかやぶき屋根の「つつじ茶屋」が。

 明治年間にツツジの古木材を用いて建てられたとか。


 つつじ茶屋から向こうに見えるのは山陰橋



 吹上茶屋の近くまで戻り、橋を渡って大泉水の中で一番大きな島に入り、南側の大泉水
周辺を眺める。





 島の中央部北側は、六義園の最高点で標高35mの藤代峠(ふじしろとうげ)。咲き残
るツツジの横を上がってピークへ。
  


 藤代峠から、園内を東側から周遊してきた西南方まで一望した。




 藤代峠から下り、南東側の渡月橋を渡り園内東側を出口方面へ。



 池に泳ぐカモや周辺の風景、園路沿いに咲き残るモミジやカエデの彩りなどを眺めな
がら進む。




     


 出口が近づいた辺りに休憩所兼売店の建物があった。





 近くの「出汐湊(でしおのみなと)」と呼ぶ辺りから、西方に広がる大泉水と周辺を一
望する。






     
     出口に向かう園路沿いには、石灯籠や実の残るムラサキシキブが。



 その先の竹林に立つ和傘には、わら造りの龍が絡まっていた。



 もう一度、入口の内庭大門辺のモミジを眺める。
  

     

 13時10分に六義園を後にした。



 門前のビルは、児童図書の出版などをしているフレーベル館。門前にはクリスマスを待
つ人形などが。


 本郷通りをJR駒込駅に向かい、駅近くにあった「なか卯」に入る。


 「チーズトッピング牛とじ丼と京風つけもの、味噌汁」を注文して昼食とする。



 13時46分にJR山手線駒込駅に戻り、池袋方面行き内回り電車に乗る。

 
 


アウトドアランキングアウトドアランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東村山 北山公園の花菖蒲を見て近くの寺院へ(東京・東村山)

2024-06-12 21:24:45 | 江戸・東京を歩く

 今月前半は出かける日が多くて 投稿できるまでに1週間前後かかり、季節感が少しずれ
てしまいますが、順次投稿しますのでご了承下さい。

========================================

 2024年6月6日(水)

 毎年この時期に訪れている、わが所沢市の南側、都県境を越えてすぐの東村山市にある
北山公園の花菖蒲がかなり見ごろになったようなので、観覧に行くことに。

 西武鉄道 西所沢駅から、西武狭山線10時07分発西武球場前行下り電車に乗る。


 西武球場前駅に10時13分に着き、西武山口線(レオライナー)10時16分発上り
電車に乗り換える。

 2駅目の終点、多摩湖駅には10時23分に着いた。


 反対ホームからは、西武多摩湖線の国分寺行き電車が接続している。

 

 駅を出て多摩湖線の線路沿いを少し進み、住宅地を東進して多摩湖を水源とする北川の
左岸沿いへ。
  

     民家の前のタチアオイがかなり花を開いていた。
     

  北川は両岸をコンクリート護岸で固められていて、見栄えはいまひとつ。
  

 川沿いを500mほどで、住宅地の間に緑陰の残る「下宅部(しもやけべ)遺跡はっけ
んの森」がある。


 日本有数の低質地の遺跡公園で、2006年には「日本の歴史公園100選」にも選定
されたという。

 遺跡の説明パネル



 川の左岸に近い、南側の園路を進む。


 南東端近くには、ガクアジサイが咲いていた。


 さらに北側左岸沿いに300mほどには、「八国山(はちこくやま)たいけんの里」が。


 この辺りから北山公園の北側一帯の斜面は東村山市の八国山緑地で、敷地の南西側にあ
る建物では、八国山緑地周辺の動植物、環境、遺跡や暮らしなどを題材とした展示があり、
さまざまな体験学習が出来る。



 ここも何度か観覧しているが、ザッと一巡して観覧する(入館無料)。



 奥の部屋には、下宅部遺跡の出土品が保存、展示されていた。


 東側からの入口を入った左手には、棟門(むなもん)が保存されている。


 その説明パネル 


     建物前に咲き出したトラノオ
     

 敷地の北西側には、市内にあったらしい土蔵が移築されている。


      
 建物の前には2本のケヤキが立ち、中央部の木の前にはこのようなパネルが。


 八国山たいけんの里の観覧を終え、隣接する北山小沿いを南へ、道路際にはたくさんの
アナベルが咲き競う。




 北山小の南西端で北川を渡り、右岸に沿って細い市道を東へ。

     
   川沿いには、周辺の住民の方々が育てているらしい花などが見られる。


 市道が右カーブする辺りまで進むと、北山公園の西側一帯が見えてきた。


 さらに少し、関場橋を渡り11時30分過ぎに北山公園の西側エリアに入った。
 
 

 西側の池周辺の花菖蒲は、まだ少ししか咲いていない。




 そばの田んぼは、早苗がかなり分けつして育っていた。


 北山公園の北側沿いを走る西武 西武園線の、北側斜面一帯が八国山緑地である。








 少しずつ東に回ると、南東側の入口に近い大きな東屋が近づき、観覧者も多い。

 
 菖蒲田の中央部にある東屋


 

 菖蒲田の北側、アジサイの咲くエリアの近くには、国内の三代巨桜のひとつ「三春桜」
で知られるベニシダレザクラが大きく枝を広げている。



 そばのアナベルもまだ咲き出して間もないようで、見ごろはもう少し先になりそう。



 さらに東屋周辺から東側一帯の菖蒲田を巡る。


     











 
 南側には山形県長井市の交流田もあるが、ここも見ごろはもう少し先になりそう。 

 長井小町

     



     









     



 

 三春桜の右手(東側)には、今年初めての番傘を並べたパネルが設けられていた。









 公園の東端近くには3本のハナキササゲの木があり、珍しい花が咲いていた。

 北米産でノウゼンカズラ科の植物のようで、明治・大正年間に黄金樹の名で大量に輸入
されたが現存する木は極めて少なく、小石川植物園に数本確認されているという。


 東側の池周辺も巡る。池ではハスが咲き出していた。






 南側の大きい東屋には、観覧者がかなり増えている。


     近くの菖蒲田には、花の名も立札も。
     

               
       北山乙女は、ここ北山公園だけしか見られない品種のよう。
     

 東屋に寄り、そろそろ退出することに。


 東屋の南側から出口にかけては、この期間中の出店が並んでいる。



 本部テントの左側で花の管理費協力金100円を納めて、菖蒲の絵はがき2枚入りをも
らい、北川の善光橋を渡って12時25分頃に公園を出た。


     北川を渡った先には、タチアオイがたくさん咲いている。
     

 その先、三差路の左手にある焼団子の出店で草餅のあんこ団子を求めた(1本120円)。


 三差路の右手から南へ進み、いつものように正福寺(しょうふくじ)へ。金剛山正福寺
は、臨済宗の寺院で鎌倉の建長寺の末寺のよう。

 山門は元禄14(1701)年の建立で、東村山市の有形文化財に指定されている。

 山門を入りった突き当たりには、仏殿にあたる千体地蔵堂

 建立は応永14(1407)年、典型的な禅宗様建築で東京都で唯一の国宝建造物とか。
堂内には本尊の地蔵菩薩立像のほか、20㎝ほどの千体小地蔵尊が安置されているという。


 千体地蔵堂の右手から背後の本堂に向かう参道には、創建730年記念に建立の十三仏
石像が並び、反対側にはアジサイが。
     


 本堂↑に参拝し、千体地蔵堂の南東側に祭られた八坂神社↓にも拝礼して正福寺を出た。


 東側の十字路を南下して東村山駅方面に延びる都道128号へ。そばの細い市道を少し
東進すると大善院の前に出る。

 
 大善院は「野口の不動尊」と呼ばれ、地元の方々に親しまれているようで、山門のない
入口横のガクアジサイが花いっぱい。
     
 
 野口不動尊 大善院の創立時期は不明のようだが、八王子市高月町にある圓通寺の塔頭
(たっちゅう)で、明治32(1899)年に当地に移され開山としたという。

 本堂に向かう正面両側には、積み上げられた溶岩の上に石像やツツジなどが。

 
 境内左手にも大量の溶岩が積み重ねられ、山頂の不動明王を中心に三十六童子像が立ち
並んでいる。




 本堂前の水がめにハスも咲き出した。



 ガクアジサイは何種か見られた。


 道路側のモミジにも花がたくさん咲く。


       
     ぼんぼりの下がる参道を進んで都道128号に出る。


 東進して東村山駅の西口広場へ。西武新宿線の東村山駅周辺は高架化工事が進行中。

 
 広場の一角に、東村山市指定有形民俗文化財の「東村山停車場の碑」があるが、文字は
判読しがたい。
     

  
 13時30分頃、広場の東側に立つ高層ビル・サンパルネの2階にある中華食堂日高屋
に入り、冷麺(630円)を注文して昼食を済ます。


 
 
 2階デッキからの、工事中の東村山駅西口周辺


 同じビル1階のスーパー西友で買物をして、東村山駅発14時16分の本川越行き下り
電車に乗る。 

 (天気 曇後晴、距離 5㎞、地図 「水とみどりの東村山 わくわくMAP」、歩行地
 東村山市)
 
 



アウトドアランキングアウトドアランキング


にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村


 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「石神井公園ふるさと文化館」から「牧野記念庭園」へ〈後半〉(東京・練馬)

2024-05-31 20:39:36 | 江戸・東京を歩く
 2024年5月16日(木) 〈後半:三宝寺池から牧野記念庭園へ〉

 石神井公園ふるさと文化館での観覧と昼食を終えて、すぐ西側の井草通りを横断して三
宝寺池の東側へ。



 池の近くにはスイカズラが咲き、池の東岸のカキツバタも咲き残る。
     

 池の東岸近くでは、スイレンがたくさん咲き出していた。


 池と北側の水辺観察園の間の、新緑豊富な緑陰の遊歩道を西進する。



 中の島の北岸の眺め




 カワウとカルガモだろうか。


 中の島の北西岸の木の上には、サギの巣があるよう。 




 西北端近くまで進むと、対岸に厳島神社が望まれる。



 三宝寺池の西北端付近から階段を上がり、「石神井松の風文化公園」の南西門へ。


 
 門を入り左手の園路を少し進むと気象庁のアメダス練馬観測所があり、気温など5種類
の観測をしているという。


 最近の都内の夏の気温は、ここ練馬の観測値がいつも高温であることが知られている。


 公園の東側には、午前中観覧した「石神井公園ふるさと文化館」の分館があり、西北側
の広い芝生のエリアは野球などに使われる多目的広場。





 ふるさと文化館の分館の入口前を通過し、テニスコートの西側を北進して北側出口から
公園を出た。



 北側の石神井郵便局横に回り、局前を走る都道8号・富士街道を西へ。
   

 次のT字路を北に入って石神井台三丁目の住宅地を北北西へと進む。



 途中に残る畑には、ジャガイモの花が咲いていた。


   さらに進むと緑に囲まれた「東大泉つばき緑地」が。
   

 3回ほど左右折をして西へ、東京学芸大の大泉寮や附属大泉小などの前を過ぎる。



 西武池袋線 大泉学園駅前から南へ伸びるバス通りを横断し、すぐ先の練馬区立「牧野記
念庭園」前へ。
  

 昨年の今頃は、ここに住んでおられた牧野富太郎博士がモデルのNHK総合TVの朝の
ドラマ「らんまん」を放映中で、来園者も多かっはず。


 その後も来館者は増えているようで、今日も10数人は来ている感じ。14時10分過
ぎに入園した(入場無料)。

 私の来園は3~4回目だろうか、以前は有料だったような気もするが・・

 門を入り、右手の管理棟でリーフレットなどをもらう。


 リーフレットによる、牧野記念庭園の説明と牧野富太郎博士の略歴




   


 最初は左手の園内南側へ回ると、「御案内」パネルや記念撮影用らしい牧野博士の等身大
パネルが。


     


   その先に、スエコザサに囲まれた博士の妻、壽衛(すえ)夫人の胸像がある。
     

 園路を西側から中央部へ、突き当りの記念館に向かい両側の豊富な草木を見ながら進む。

 ヒメナべワリ


   

       

     ニシキマンサク
     


 ベニガク(アジサイ科)


 「ねりまの銘木」に選定されている、ヘラノキ(高さ13m、幹の太さ1.9m)
   

     ヤブレガサ
     

   これも「ねりまの名木」のセンダイヤザクラ(高さ8m、幹の太さ1.4m)
   


 北側の記念館際まで進み、中を観覧することに。最初は手前の常設展示室へ。


以前は記念館内は撮影禁止だったような気がするが、今日は企画展示の一部を除き撮影可
能なので、適宜紹介する。


   







     

      ホテイラン
     

          チャルメルソウ
          

     


 文化勲章(左)と勲二等旭日重光章(右) 、牧野富太郎博士が1957(昭和32)年
1月18日に亡くなられてから授与されたという。
     

          

 私は、当時の石神井公園駅近くでの勤務先で、牧野博士死亡のことを知った記憶がある。







     

          





     

 常設展示室の観覧後、左手の企画展示室へ。両室の間の壁面に飾られた植物の飾り





   
   ヤマブキ(バラ科)

    
    キキョウ(キキョウ科)

     
    バイカイカリソウ(メギ科)

     
     スエコザサ(イネ科)

 企画展示の観覧を終えて記念館を出て、東北側の「鞘堂」と呼ぶ覆い屋の中に保存され
ている「書屋展示室」に回り、牧野博士の書斎と書庫の一部の様子を見る。

 博士は晩年、庭で植物の観察を行い、この書斎で著書の執筆や植物の描画などに勤しん
だという。

 書屋展示室の入口近く、壁面に掲示の「壽衛の想い描いた植物園」の絵
   

     







     
     書屋展示室前を回って右手(北側)の出口から出た。西側の小さな庭に咲く花など。
     
     
   これで園内の観覧を終え、東側園路沿いの植物も見ながら南へと出口に向かう。

     

 出口際の大きなセンダンは、細かな花がたくさん咲いていた。


 15時05分に牧野記念庭園を後にする。

   バス通りに出て左折して北へ、駅前のマンションらしい高層ビル方面に向かって進む。
   


 南口のロータリー際を進み、西武池袋線の大泉学園駅に15時30分に着いた。




 15時33分発 所沢行下り電車に乗り、帰路でスーパーに寄ったりして16時25分に
帰宅した。

(天気 曇後晴、距離 6㎞、地図 「練馬区ガイドマップ」(ねりま観光センター発行)、
 歩行地 練馬区、歩数 12,400)



関東地方ランキング関東地方ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「石神井公園ふるさと文化館」から「牧野記念庭園」へ〈前半〉(東京・練馬)

2024-05-27 13:07:29 | 江戸・東京を歩く

  2024年5月16日(木) 〈前半:石神井公園ふるさと文化館へ〉

 

 連休初日の5月3日に行ったが混んでいたので止めた、「石神井公園(しゃくじいこう

えん)ふるさと文化館」で開催中の特別展「魔法の部屋」の観覧に出かけた。

 

 西武池袋線上り電車に乗り、石神井公園駅にて10時53分に下車する。

   前回とは違う西口改札を出て、前回の帰路になった商店街を逆行することに。

     

 

     

     マンションの前だったろうか、ウツギが花盛り。 

 

 石神井公園の東側を占める石神井池への下り道は、前回よりひとつ西側から行き、石神

井池の北岸へ。

 

 平日なので今日はボートに乗る人も見えず、池の水面は静まりかえっている。

 

   

 

     池の畔の空き地に咲くゼニアオイ

     

 

     少し西進して、池の中の島を2つのアーチ橋で渡り南岸へ。

     

     

 

 野外ステージ前のツツジは、まだ花を残していた。

 

 メタセコイアの新緑

   

     

 

 その先の広場から南へ斜面を上がり、「石神井公園ふるさと文化館」には11時25分

に入館する。

 

     

 2階への階段を上がった左手が特別展会場の企画展示室。観覧料は一般300円、65

~74歳は150円だが、それ以上の高齢者は無料だった。

 

   特別展のリーフレットと、裏面の説明部分

    

 

 

 最初のトリックアートは「揺れる町並」で、左右に動いてみると

 

     

 

 次は「2匹のリス」

 

 

 下は、館のスタッフが撮ってくれたもの

     

 

 「巨大ぼちゃ猫」、大きな猫のそばでスタッフに撮ってもらうと↓

     

 

 その先のトリックアートも、皆同様なトリックになっていた。

     

 

          

 上の説明をよく見なかったので、もっと右側や左側からの別の熊2匹は見落とした。

 

         

 

 「カッパドキアの夢景色」、カッパドキアには行ったことがあるが風船には乗らなかっ

たので、乗った気持ちになってに撮ってもらう。

     

          

  

 以下も同様で、それぞれの中に入ったような写真が撮れるが、眺めるだけにした。

         

 

     

               

 

     

          

 

     

          

 最初の1枚と「熊の檻」を除き、ほかはすべて自分が中に入って一体化したような写真

の撮れるトリックアートばかり。違うトリックアートをもっと期待していた私としては少

し残念だった。

 

 特別展を観覧後、同じ2階の常設展示室も再訪して、ザッと一巡する。何度か来ている

ので、目についた展示を幾つか。

 

 昭和年代の人なら、練馬といえば練馬大根を思い浮かべるだろうが、その練馬大根に関

わる展示が入ってすぐ右手に。

 

 

 

 私の最初の職場は石神井公園駅から近いところにあったが、関わりがあった当時の東映

東京撮影所の懐かしい写真。

 

 

 その頃、西武池袋線の中村橋駅から桜台駅付近までだったと思うが、線路の南側近くを

平行した道路沿いには千川上水が流れていた(現在は暗渠に)。

     

          

 

     

  夜勤作業の深夜の職場に、時々寄ってくれた屋台の中華ソバは30円だった。

 

 練馬の伯母の家に下宿し、石神井公園駅↑まで通勤した最初の頃、練馬~石神井公園駅間

の閑散時の石神井公園駅発の上り電車は、毎時0分、15分、30分、45分という15

刻み、4両編成だったように記憶している。

 

 

 ちなみに、現在の石神井公園駅発の閑散時の上り電車は、12時台、14時台ともに18本

で、8両あるいは10両編成である。

 

     

     50年ほど前のくらしの道具

 

 常設展示室の観覧後、1階に下りて情報コーナーなども一巡したら12時30分になっ

たので、休憩コーナーにある武蔵野うどんの店「えん座」に入り、昼食とする。

     

 

  注文したのは、この店で人気の「霙糧(みぞれかて)うどん」(900円)、盛りはも

う少し欲しかったが美味しかった。

 

 店中に飾られていた物など

     

          

 

    昼食を済ませて13時10分頃、石神井公園ふるさと文化館を退館した。

     

 

     館の北西側にある「やさしさについて」という石彫

     

 

 午後は、三宝寺池の北岸沿いを西進して北側の石神井松の風文化公園を抜け、隣の大泉

学園駅に近い「牧野記念庭園」を訪ねることにする。  〈続く〉

 

 

関東地方ランキング
関東地方ランキング

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連休初日 新緑の石神井公園と周辺の社寺へ〈後半〉(東京・練馬)

2024-05-19 16:59:47 | 江戸・東京を歩く

 2024年5月3日(金・祝) 〈後半:三つの社寺と三宝寺池周辺〉

 

 少し周辺を回ってから再訪することにして「石神井公園ふるさと文化館」を出て、西側を

南北に走る都道444号・井草通を横断して住宅地の間の細道へ。

  

     民家のツツジが紅葉のような彩り。

     

 

 そのお宅の庭も花盛り。

 

 近くの民家では、サクランボが色づく。

 

 立派な長屋門の前で左折して南へ回り、少し戻って道場寺へ。

 

 

 門前のクロマツは高さ25m、幹の周囲2.5mあり、「ねりまの名木」に指定されて

されていた。

  

 

  

 境内南西側には総檜造りという三重塔が立つが、モミジなど樹木が多く全容は望めない。

  

 

 道場寺は、石神井城主の菩提を弔うために応安5(1372)年に創建されたとか。武

蔵野三十三観音霊場の第2番霊場となっている。

 

 正面の本堂は、奈良の唐招提寺を思わせる屋根。

 

 本堂前の豊後梅(ぶんごうめ)

 

  本堂南西側の供養塔

  

 

 境内にはモミジが多く、新緑がみずみずしい。

 

    本堂の東側に廊下で結ばれた庫裡があり、庫裡の南側には立派な鐘楼が。

      

 

 周辺のモミジの彩りもよい。 

 

     鐘楼前に咲くアヤメ

     

 

 モミジの花も

 

    門前のバス通りを西へ、境内西南端の路傍にはお地蔵さんが祭られている。

     

 

               

          少し先、通りの南側にある葬祭場際に咲く花

 

 

 その北側に、広い境内を豊富な樹林に覆われた三宝寺(さんぽうじ)がある。

 三宝寺は、応永元(1394)年に創建され、石神井城主豊島氏からの帰依を受け、豊

島氏滅亡後は徳川家康などの受けて発展したよう。

 

 境内にある長屋門は、勝海舟の邸宅にあったものだとか。武蔵野三十三観音霊場第3番

霊場である。

 

 山門は、寛永2(1625)年と正保元(1644)年に徳川家光が狩猟の際、当山が

休憩所されたので「御成門」と称するようになったようで、練馬区の登録有形文化財。

 

 山門を入ると左手には大黒堂・子育千体地蔵堂があり、そばに立つ高さ17m、幹の周

囲2.5mのアカマツは「ねりまの名木」。

  

 

 参道を挟んで東側に立つサルスベリ(高さ10m、幹の周囲1.5m)も「ねりまの名

木」という。

     

 

 大黒堂・子育千体地蔵堂の内部を拝観すると

 

 お堂の前には「開運出世小槌」が置かれていた。

 

 

 正面の本堂に参拝、右手前には境内案内図が

 

 鐘楼の北側に咲くシャクナゲの大株

 

 その横、南側の長屋門が、勝海舟邸から移築したもの。

 

 近くに立つイチョウ(高さ26m、幹の太さ3.6m)も「ねりまの名木」である。

   

 

  本堂前から西側へ階段を上がると新しい多宝塔が。

  

 

  さらに西側には、境内で最高の観音像が東向きに立つ。

  

 

 多宝塔と観音像の間、北側のコンクリート製のお堂に、武蔵野三十三観音霊場の御本尊、

如意輪観世音が祭られていた。

 

     

 多宝塔の北側の樹林の中は、時計回りに一周する「四国八十八か所お砂踏み霊場」にな

っている。

          

 今まで何度か来ても一部しか回らなかったが今日はほぼ一巡し、実際に3度回った四国

八十八か所の各霊場のことを思い返した。

 

 後半の辺り、最奥に祭られている大師堂

 

 境内を一巡したので山門を出て三宝寺を後にした。

 

     

     少し西進すると民家の大きなツツジが花盛り。

 

 その先で、氷川神社参道の途中からケヤキなどの立ち並ぶ参道に入って神社境内へ。

 氷川神社は、応永年間(1394~1428)にこの地を領していた豊島氏が、武蔵一

の宮の分霊を奉斎して石神井城内に創建したといわれているよう。

 

 文明9(1477)年の石神井城落城後は石神井領の総鎮守として、周辺5か村の人々

から崇敬されたとか。 

 

 正面に拝殿が祭られ、手前右手(東側)には神楽殿が。

 

 左手の2つの末社には、江戸時代からの北野、須賀、稲荷、御嶽、八幡、三嶋、榛名、

浅間、三峰、阿夫利の各社が祭られていた。

 

  参拝を終えて境内右手から北側の石神井城址の樹林へ。

  

 

 東側のフェンスに囲まれたエリアは、石神井城跡の中でも土塁や空堀の保存状態がよく、

立ち入り出来ない。

 

 その横を緩やかに下り、三宝寺池の東端付近に出た。

 

     北斜面下には「石神井城址」碑とパネルがある。

     

 

     三宝寺池の南面を西へ、池を眺めながら周遊路を進む。 

     

 古くからの自然のままの姿を残す中の島周辺は、西端近いとはいえ23区内とは思えぬ

貴重な景観を残している。

 

     小さな社殿は水神社

     

 

     三宝寺池の西南近くには厳島神社が祭られている。

     

 

 柵に囲まれた社殿前から右手に回ると東屋があり、緑豊富な池が一望できる。

 

     さらに西岸の園路を進と、カキツバタが咲いていた。

     

 

 三宝寺池の西北端まで進み、今度は北岸の遊歩道を戻るように東へ向かう。

  

 自然のままの中の島の北岸の様子

 

 何を調査しているのだろうか、ボートをひいて中の島の西側を歩いて来た人が。

 

 三宝寺池の東北側にある、水辺観察園沿いの園路へ。

 

 東に抜けて三宝寺池の東北側に回ると、橋の近くにツツジと群生するカキツバタが。

 

 ハスの多い辺りに、サギがジッと立っていた。

 

 14時過ぎに石神井公園ふるさと文化館に戻り、特別展会場に行って見たが相変わらず

入場制限していたので今日の観覧は諦め、改めて来館することにした。

 館内の食事処、うどん房の「エン座」も、もう品切れのようで閉店していた。

 

 館を出て、石神井池の北岸沿いを駅に向かうことに。

 

 沿道に並ぶ住宅は、見栄えのする家が多い。

 

 池では、相変わらず多くのボートやスワンボートが行き来する。

 

 東端まで進まず、少し手前から住宅地の緩い上り道から石神井公園駅前に戻り、駅前の

讃岐うどんのチェーン店で遅い昼食を済ます。

 

 15時10分に石神井公園駅に着き、15時14分発 西武球場前駅行 下り電車に乗る。

 

 今日のアメダス練馬の最高気温は25.5℃。なお、アメダス練馬の観測地点は、三宝

寺池の西北端から台地を上がった北側の「石神井松の風文化公園」内にある。

 

 (天気 快晴、距離 6㎞、地図 「練馬区観光ガイドブック」(部分)ねりま観光セ

  ンター発行、歩数 17,200) 

 

 

アウトドアランキング
アウトドアランキング

 

にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする