あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

東京都心で3つの展覧会を観覧

2013-02-27 13:26:53 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2013年2月26日(火)

 午前中、近くの職場に勤務していた頃から通っていた、JR品川駅東口にある歯科医院
に6か月検診に行き、そのあと、JR新橋駅で下車してパナソニック東京汐留ビルに向か
いました。左奥の高層ビルがパナソニック東京汐留ビルです。


 目的は、このビル4階の「パナソニック汐留ミュージアム」で開催中の、「日本の民家
一九五五年」という写真展です。
        

 会場入り口付近。


 この写真展は、世界中の優れた建築を撮影してきた二川幸夫(ふたがわゆきお)が、
1957~1959年に発表したデビュー作「日本の民家」を、今日的な意義でとらえ、
国内では初めての展覧会として開催されたのです。


 行くきっかけは、2月13日(水)の朝日新聞東京本社版夕刊のこの記事でした。


 二川幸夫は、1932年生まれ。早稲田大学文学部在学中に建築史教授の田辺泰の勧
めで民家と出会い撮影を始め、1957~59年に「日本の民家」全10巻を発表しま
した。


 この展覧会では、1955年の若き日に二川幸夫がとらえた貴重な民家の姿、そして
日本人のたくましさとしなやかさを、70点の作品で紹介しようというのが狙いのよう
です。


 上に挿入した写真は、朝日新聞の記事と会場でもらったパンフレットのもの。

 すべてモノクローム写真でしたが、京・山城、大和・河内、山陽路、四国路、西海路、
陸羽・岩代、武蔵・両毛、信州・甲州、北陸路、高山・白川といった広いエリアで撮っ
た民家や集落の空撮、民家の井戸やかまどなどが記録されています。

 これらの中には、京都の町屋、倉敷市の大原家、愛媛県の石畳の小道、山形県田麦俣
(たむぎまた)の集落、私も近年現地で見ている山梨県塩山市の甘草(かんぞう)屋敷
や長野県塩尻市の本山宿(もとやましゅく)など、貴重な記録が多数残されていました。

 この写真展は3月24日(日)まで開催されています。休館日は水曜日(3月20日
は開館)、開館時間は10時~18時、入場料 一般700円、65歳以上600円。

 場所は以下の地図をご参照下さい。
    

 [3月13日追記]3月12日(火)の朝日新聞朝刊によれば、二川幸夫さんは3月5
日に80歳で死去されたとのこと。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 パナソニック汐留ビルの4階からは、隣に復元された旧新橋停車場が見下ろせます。


 ここにも展示場があると分かったので、予定外ですが入館することにしました。


 この建物は、明治5(1872)年10月14日に開業した、日本最初の鉄道ターミ
ナル新橋停車場の駅舎の外観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したとのこ
とです。

 関東大震災で駅舎は焼失し、貨物専用駅となった汐留駅も昭和61(1986)年に
廃止され、平成3(1991)年に跡地の再開発工事に先立つ埋蔵文化財の発掘調査で
駅舎とプラットホームの一部などの礎石が発掘されて国史跡として指定を受け、駅舎再
建となったようです。 

 建物前にあった展示場の案内。


 建物の2階にある鉄道歴史展示室では、企画展として「成田へ -江戸の旅・近代の
旅-」というテーマで、北総の歴史や、江戸時代の成田山詣での様子、近代の鉄道の旅
における舟運や複数の鉄道による成田山行きをめぐる競争などの、資料や写真、切符、
浮世絵といったものが展示されていました。


 昨年秋に私も、カントリーウオークの仲間と成田山へ行っているので、興味深く見て
きました。

 ちなみに、この企画展は3月17日(日)まで開催中で、入場料は無料です。会場は
パナソニックビルの手前、新橋駅寄りです。


 この建物の入口とは反対の南側に回ると、新橋停車場開業当時のレールと0マイルポ
ストが復元されていました。








 新橋駅近くまで戻り、香川と愛媛2県のアンテナショップ「せとうち旬彩館」で、遅
い昼食を。四国遍路を思い出し、じゃこ天ウドンを食べた後、次の目的地に向かいます。

 近くの交差点を渡って、北側から見た旧新橋停留場の建物、左がパナソニックビル。


 この先で左に90度カーブして昭和通りに入り、三原橋交差点際にある「ぐんまちゃ
ん家(ち)」と呼ぶ群馬県のアンテナショップでパンフレットを入手しました。

 
 道路(晴海通り)を挟んだ北側で建て替え中だった、歌舞伎座の新しいビル。


 夜のテレビニュースでは、この日午前、併設された歌舞伎座タワー最上階の29階で、
竣工式が行われたことが報道されました。

 4月2日(火)から、こけら落としの公演が開始されるようです。

 晴海通りを三原橋交差点から数寄屋橋交差点に進みました。交差点の東側から、斜向
かいの西側を見たら、あらら…あったはずのビルが消えていて、JR線路の向こうにあ
る帝国ホテルや東京電力本社ビルが見えています。

      東京電力       帝国ホテル

 地図を見ると、ここには東芝も入っていたモザイク銀座阪急というビルがあったはず。
跡にはどんなビルができるのでしょうか…。 しばらく来ていなかったのですね。

 交差点を渡り、有楽町マリオンのビルの前に、こんな歌碑があるのに気づきました。

 フランク永井の「有楽町で逢いましょう」の歌碑がここにあったとは、何度も通って
いながら初めて知りました。

 マリオンを抜けてJR有楽町駅前の交通会館へ。長野県観光事務所に行こうと2階に
上がったら、一昨年3月の東日本大震災で大きな被害を受けた、岩手県大槌町(おおつ
ちまち)の人たちが撮った「リメンバー大槌」という写真展を開催しているのに気づき、
入ってみました。
         

 町にお住まいの方が、身の危険が迫る中で撮った写真も多く、被害の大きさや悲惨さ
を再認識させられました。この展覧会は、3月2日(土)まで開催されています(無料)。


 長野県観光事務所でパンフレットを入手し、外堀通りを進んで八重洲2丁目の八重洲
ブックセンターへ。

 いつも寄る地下1階にあった地図や旅行ガイドなどのコーナーは、8階に移っていま
した。地下1階の方が手軽に入れてよかったのですが、少し残念です。

 四国遍路の本の並ぶところを見たら、歩き遍路さんにおなじみの黄色い表紙の「ひと
り歩き同行二人」地図編は品切れ。でも、3月に改訂版が出るとの張り紙がありました。

 亡くなられた宮崎建樹さんの意思が引き継がれ、新版が出るのは嬉しいことです。

 東京駅八重洲口から丸の内側に回り、東京メトロ丸ノ内線で帰路につきました。



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アートウオークセラピーで油壺周辺を巡る(神奈川)

2013-02-25 20:48:09 | カントリーウオーク
 2013年2月24日(日)

 山浦敬子さんが年4回続けている、アートウオークセラピーの今年初回が開催された。
集合は、京浜急行の終点、三崎口駅。10時8分発油壺(あぶらつぼ)行きのバスに乗
り、油壺入口バス停で下り、10時20分にスタートした。

 バスの来た県道26号を少し戻ってY字路を左へ、油壺に向かう県道216号を郵便
局の先まで進む。路傍の畑に、ミニキャベツがたくさん並んでいた。


 名向小入口バス停際から細い旧道に入る。建設業者の小屋のような建物に、モーター
ワークス、ぴよよ楽器、こあじろ写真展など五つの名称の書かれたポストがあり、建物
の周辺に古い道具などがたくさん置いてある。


 ちょうどご主人のNさんが来たので、中ものぞかせてもらう。中にはたくさんのバイ
オリンを初め、ハープ、おもちゃ、道具など、色々なものが置いてあり、バイオリンの
修繕などを30年以上続けておられるとか。太極拳やアーチェリーもされているようで、
こだわりの職人らしい話を伺った。

 すぐ先には、珍しい「聖徳太子」と馬頭観世音の石碑が並び、古くからの道筋らしい。

 東側の高山の住宅地から延びた車道の下をくぐり、切り通しを上がって行くと、やは
り「神奈川古道50選 ももた坂」の標識が立っていた。

 県道216号に出たところに真光院があったので寄る。境内は狭く、本堂のすぐ前が
墓地になっている。寺は治承4(1180)年の開山と伝えられ、生徳元(1711)年
の中興開山で、三浦道寸(みうらよしあつ)とその子荒次郎が深く帰依したと伝えられ
ているようだ。三浦道寸については、あとで紹介する。

 通ってきた「なもた坂」は、名主の屋号にちなむもので、県道が通るまでは岬から小
網代(こあじろ)に至る主要道だったことが記されていた。


 なもた坂に戻り、北に上がって長畑集落に入る。高台なので小網代湾沿いに立つ中層
マンション群や富士山などが望まれ、周辺はブロッコリー畑が広がる。


 次の三差路で、折り返すように段丘下に向かって下る。畑にはナノハナが咲き、近く
には夏みかんがたくさん実る。


 谷間の林間を下って小網代湾沿いの東ノ台集落へ。

 集落の中ほどに海蔵寺の石門があり、急階段が境内に向かって上がっている。上がろ
うとしたら門に、「檀家以外の史跡めぐり、ハイキング、写真撮影、スケッチ、犬猫の
散歩等の入山を断る」旨の札があり、上がるのはあきらめた。


 隣接して、開放的な東臺稲荷神社の小さめの社殿が立っている。

 小網代湾の南岸に出た。湾の北側、森の斜面が白くなっている。上部にたくさんの鳥
が見え、どうやら鳥の糞によるものらしい。


 湾の出口側には、たくさんのヨットや小型の漁船が係留されていた。


 集落の東端にある三浦七福神の寿老神を祭る白髭神社に上がり、社殿の前で昼食にし
た。境内はこんもりしたクスノキなどの樹林に覆われ、手水鉢は大きな貝殻を利用した
ものだった。


 古い石仏の並ぶ湾沿いを戻ると、湾で収穫したワカメを干してある。


 隣接する西ノ台集落の湾岸、埋め立て地らしい場所に、高台から見えた「シーボニア」
と呼ぶ11階建てくらいのマンション群が数棟立ち、背の高いヤシが立ち並んでいた。


 少し戻って南への旧道を入り、青い瓦屋根の永昌寺前を通過する。すぐ先には「おい
しい水」と記された水タンクがあった。


 その先から急斜面を上がって、段丘上を走る県道216号に出た。

 産直野菜を売る店や鮮魚卸問屋の店の前などを通過し、駐車場や油壺バス停のある一
角を過ぎる。ホテル観潮荘の先で県道は終わり、突き当たりは京急油壺マリンパーク。
家族連れや仲間と来た人などが次々に入っている。



 マリンパークの塀に沿って北に回り、常緑広葉樹林の中を少し下ると、三浦道寸の墓
が海を背にして立っていた。


 三浦道寸はここ油壺にあった新井城主で、鎌倉時代以来の坂東の名族である三浦一門
最後の当主。永正9(1512)年、北条早雲が三浦氏を新井城に攻め、日本籠城史で
もまれな3年の籠城後、永正13年7月決戦に敗れ、三浦一族はその歴史を閉じたという。

 墓の先から、岬の北側の砂浜に下った。小網代湾の北側に、三浦富士などの緩やかな
山並みが望まれ、湾に大型ヨットが入ってきた。


 岩畳の上を進んで岬の北西端から石段を上がり、西岸に下る。


 こちらも石畳が続き、南方には諸磯湾南部の岬が望まれる。


 岩畳の上を南端に近い砂浜まで進み、廃止したのか、空き家らしい東大臨海実験所の
建物の手前で湾を離れ、上を走る車道に出た。

 「かながわの景勝50選 油壺湾」の標石があり、常緑広葉樹林の切れ目から、ヨット
の並ぶ油壺湾が見下ろせる。


 そばには、油壺を歌った北原白秋や荻原井泉水のことを記した説明板もある。

 その先には、北条早雲に敗れた三浦一族の血汐で染まったことから「油壺」といわれ
るようになったという、油壺の由来も記されていた。


 この道路は常緑広葉樹の古木に覆われているが、枝に吊された標識からそれらがモチ
ノキと分かる。

 小網代湾と油壺湾に挟まれ、切り立つ断崖のこの小半島は自然の要害だったという、
新井城址の説明板も立っていた。岬を回る一周約2㎞のハイキングコースを回り終え、
県道に戻った。

 油壺バス停の東、鷺野集落の西端辺りから「関東ふれあいの道」の道標に従い、油壺
湾に向かって林間を下る。湾近くまで下りたところに小公園があり、円筒形の新しい石
碑があった。


 昭和37(1962)年11月、相模湾でのヨットレースで慶應義塾大と早稲田大の
大型ヨットが突然の暴風で行方不明になり、ヨットは発見されなかったと、小学五年の
教科書に取り上げられたことが記され、海の安全を祈る遭難碑である。


 公園には、哀悼の意を示すかのように、可憐なスイセンがたくさん咲いていた。


 たくさんヨットの並ぶ油壺湾の奥に向かう。少し先にあった油壺公園で休憩して記念
撮影後、山浦敬子さんのオカリナに合わせて、春の唱歌を数曲合唱する。


 湾の最奥部の油壺ヨットハーバーの建物の先で車道下のトンネルをくぐり、東側から
その車道へ。諸磯湾沿いに出ると、この湾内にもたくさんのヨットが係留されていた。


 湾とは反対の東への道を入り、谷間の畑に沿って進む。道路際に、たくさんのツクシ
が顔を出していた。


 その先のキャベツ畑では、一家で大きなキャベツの収穫中。東北地方などへ出荷され
るという。



 農道の中の十字路を東北に上がって、台地上に出た。キャベツや大根などの畑を眺め
ながら東へ。


 体育館のような三崎幼稚園の横を通過して、県道216号の名向小学校入口交差点に
出る。

 そばにバス停があるが、あと100m進むと一区間安くなると地元の方に言われたの
で、県道26号と合するY字路まで行く。下車したと同じ油壺入口バス停に3時7分に
着き、間もなく来た三崎口駅に向かうバスに乗る。

(参加 5人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 三浦三崎、歩行地 三浦
 市、歩数 13,700、累積標高差 約470m)



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続カタツムリ歩行 JR武蔵野線 府中本町駅(東京)

2013-02-18 17:00:07 | カタツムリ歩行
 2013年2月17日(日)

 昨年12月で22年間の歩みを終了した、JR武蔵野線周辺を1年にひと駅ずつ歩い
た「カタツムリ歩行」だが、参加者の期待を受けて事務局のDさんご夫妻が、あと5年
をかけて府中本町駅から西船橋駅へと、いままでとは逆行する「続カタツムリ歩行」を
実施してくれることになった。

 今日はその初回、前日の冷たい強風は収まったが、最高気温は8度前後の予想で真冬
並み。でも、続行に期待していつものメンバーが20人以上集まり、三三五五とスター
トする。やまさんや事務局のDさんなどと最後のグループは10時8分に駅を出た。


 駅の西側から、JR武蔵野線と南武線の線路際を南に向かう。200mほど進むと、
広い空き地になっている矢崎町防災公園があった。

 もとの勤労福祉会館跡を活用したもので、災害対策用の諸設備があり、災害時の避難
場所になったり防災訓練などが行えるという。




 災害対策設備として、炊き出し用のかまどになるベンチやイス↑、太陽光と風力発電
設備によるハイブリッド照明灯、災害時に使用する機材を格納し、屋根と壁面に太陽光
パネルのある防災倉庫↓、災害用仮設トイレなどが設けられ、広場の地下には、消火や
飲料用の100トン貯水槽2基、防火用の100トンの貯水槽3基があるようだ。



 防災公園の北側から、ケヤキ並木の続く遊歩道が西に延びていて、電車ごっこ姿の少
年像があった。


 この道は、もと国鉄国分寺駅から多摩川に向かって敷かれた旧下河原線の支線が、東
京競馬場前へと伸びていた廃線跡で、昭和48(1973)年に武蔵野線開通で旅客輸
送を終え、昭和51(1976)年9月には貨物輸送も廃止したのだという。

 少年像の辺りが、「東京競馬場前駅」だったようで、この駅名は当時、国鉄で一番長
い駅名だったことが鉄道ファンには知られている。

 ちなみに、国分寺駅を出た当時の下河原線は、現在の西国分寺駅近くで90度左にカ
ーブし府中街道と交差して南下し、現在のJR武蔵野線の府中本町方向への線路敷きが
下河原線の線路で、浦和方面への線路は増設したものだという。

 住宅地を南北に貫く芝間通りに出て南に向かう。この通りは、昨年12月の最終回に
も通過したところ。


 すぐ先右手には、タマネギを植えた学校給食応援畑があり、この畑で収穫した野菜な
どは府中市の学校給食に使われると記されていた。


 左側のカーブする辺りには、江戸時代の「武蔵名勝図絵」にも記され、東京都史跡に
なっている「三千人塚」があり、大きなエノキの下に、多摩地区最古という康元元
(1256)年銘の板碑が立っていた。



 中央自動車道の下を抜けて、葬儀式場用の立て看板の並ぶ倉庫のような建物の先に進
むと、ビニールハウスの向こうに、真っ白な富士山の上部が望まれる。



 反対側の畑には、たくさんのムクドリがブロッコリーの葉をついばみ、その先には、
サントリー武蔵野工場の建物群が広がっている。



 「そよ風」と呼ぶ少女像のある交差点から下河原緑道に入るところに、「いしむら」
という和菓子店があり、試食販売中の表示にひかれてみんなで店に入ってみた。


 福岡市の銘菓・鶴の子の石村萬年堂の本社直売店のようで、店内は狭いが、彩り豊
富でおいしそうな和菓子がたくさん並んでいる。


      
 入った大方の皆さんが、それぞれお好みの菓子を買い求めた。

 いしむらの前の道路に平行している下河原緑道に入る。

 これがかつての国鉄下河原線の廃線跡。国道20号・甲州街道の北あたりから真っ
直ぐ南に延びてきていて、すぐ先の郷土の森公園の西側に沿って右に緩くカーブして
いる。

 郷土の森公園の北西端にある郷土の森博物館付近では、紅梅が花を見せ始めていた。



 右カーブの終える辺りで緑道を離れて北に向かう。すぐ近くに、私が不参加だった
昨年10月のゴールだったという芝間稲荷神社があった。

 狭い敷地で植栽も無いが、急傾斜の屋根を持つ社殿が朱塗り色鮮やかに立っている。

 その先の三差路際で、背の低い見慣れぬキャンピングカーを洗っているご主人がお
られた。かなり前のフォルクスワーゲンのようで、昨日雪国から帰ってきたらしい。

 ジェット噴水で床下の雪や泥をきれいに洗い流していた。

 その通りを行ってみたら、新興住宅地で行き止まり。戻って次の交差点を左折して
南町二丁目に入る。レンガ造りの住宅の道路際で、白梅が開花し始めていた。


 屋根上に鉄骨造りの火の見やぐらの残る府中消防団第13分団の建物前を過ぎ、住
宅地の間にかなりの面積で残る畑の横を通過する。


 近くの道路際では、スイセンが見頃になっていた。


 積み石の壁面になっているりっぱな住宅の壁面から道路際の植え込みにかけて、ク
リスマス用の幅広い電飾が残っている。



 どんな彩りに輝くのだろうか、夜に来て見てみたいものだ。

 回り込んできた下河原緑道が合した次の交差点の向こうが、ゴールの八幡神社。
11時55分に着いた。


 いつもは遅い方なのだが、今日は1番乗りの到着。境内にあった児童用砂場の周囲
などに腰を下ろして昼食にする。まもなくほかのグループも、あい次いで着いた。


 食事を終えて事務局のDさんが記念撮影して、ミーティングを行う。

 Dさんから、健康を保つための栄養の整った献立についての話があり、今までは続
いてやまさんから話があったのだが、昨年暮れにゴールして折り返しになったので、
今回からは別の人が交互に話すことにしたとのことで、久しぶり参加のSさんが挨拶
を兼ねて話し、13時30分近くに散会となった。

(天気 晴一時曇、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 武蔵府中、歩行地 府中市)

 最寄り駅は京王線の中河原駅だが、私は一人北東に向かい、中央自動車道を越えた
本町二丁目で下河原緑道に入る。国道20号の北で府中街道に回り、JR武蔵野線北
府中駅の横を通過して、JR中央線と交差する西国分寺駅まで歩いた。
                          (府中本町駅から通算8㎞)



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20周年記念カントリーウオークで大宮公園や見沼田んぼを歩く(埼玉)

2013-02-14 15:32:26 | カントリーウオーク
 2013年2月11日(祝・月)

 スタートから満20年となるカントリーウオークグループsaikoroの、第200回記念
例会が開催された。

 集合は東武野田線の大宮公園駅。長野からYさん、久しぶりのIさんなどで、参加者は
25人となる。いつもより早めに切り上げて記念パーティを計画しているので、組み分け
はせず、全員一緒に10時3分にスタートした。

 
 == 大宮公園から見沼田んぼへ ==

 県立歴史と民俗の博物館横から大宮公園に入る。



 博物館入口付近でミーティング後、池の北側や、以前、夜桜の花見をした桜の間を進ん
で武藏一の宮の氷川神社に行き、元気に20周年を迎えられたことに感謝して参拝する。




 氷川神社の山門前で記念撮影をした。



 大宮球場と大宮アルディージャのサッカースタジアム↑の間を東に抜け、競輪場も少し
のぞいて見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)へ。



 水車小屋付近で小休止後、万葉の並木道を進んで寿能町(じゆのうちよう)二丁目の住
宅地にある寿能城址に行く。


 岩槻城の支城として永禄3(1560)年頃築かれたが、天正18(1590)年、秀
吉の小田原城攻めの際に落城したという。

 城主・潮田出羽守資忠(うしおだでわのかみすけただ)の墓が、本丸跡の中央部に残っ
ていた。

 代用水西縁の東に回り、大和田公園沿いから大宮第二公園に入る。

 集中豪雨の際の芝川の溢水(いつすい)を貯める、深く掘り下げた調整池があり、周辺
は桜並木になっている。

 代用水に近い辺りには梅林があり、紅梅がチラホラと花を見せ、16日(土)からの梅
祭りのポスターも立っている。


 公園内にある「大宮公園ギャラリー」に入り、梅花写真展や押し葉美術展をちょっとだ
け鑑賞した。




 第二公園の東南端で県道2号を歩道橋で越え、南側の大宮第三公園へ。



 広い芝生地を横切り、「みぬまの沼」と呼ぶ湿地帯の南東端に回り、木製の野鳥観察
窓からヒドリガモやハシビロガモを見る。


 芝川沿いに出て、新しい稲荷橋を渡って左岸を新橋まで進む。


 市道を東の台地に上がって右に回り込み、Iさんお勧めの上山口新田にある樹木園へ。


 園内には数十本の若木のロウバイが植えてあり、多くの木が見頃になっていた。

 住宅地を南に下り、田んぼ際にあるIさんのミニ農場の横を通過し、芝川沿いに出る。
そばの松山橋を渡って右岸へ。


 さいたま市防災センターの南に広がる合併記念見沼公園に入り、管理棟の休憩所で軽い
昼食タイムとなった。公園からは、さいたま新都心の高層ビルが望まれる。


 20分ほどで休憩所を出る。公園の南を占める「見沼の沼と池」と呼ぶ池に泳ぐ、オナ
ガガモなどを見ながら木道を進んで、公園の南西端に抜けた。


 芝川小の南を進んで水量豊富な見沼代用水西縁に出て、緩やかなカーブの続く左岸の遊
歩道を南下する。



 首都高見沼線の新都心出入口↑のそばまで進んで、代用水に流入する高沼(こうぬま)
用水緑道に入る。

 緑道といっても住宅街の間を細々と流れているので、植栽は無い。県道35号(産業道
路)を横切り、さらに住宅街を進んでJRさいたま新都心駅に通じる県道56号へ。


 さいたま新都心駅前↑を通過してけやき広場に入り、ゴールで記念パーティ会場でもあ
るイタリア料理店「Felice Dining(フリーチェ ダイニング)」には、14時ちょうどに
入った。


 
 == イタリア料理で記念パーティ ==

 三つのテーブルに分れて座り、20周年記念パーティが始まる。


 次々に出されるコース料理を順次味わい、飲み放題のビールやワインその他の飲み物を
各自お好みで注文し、いただきながらどのテーブルも賑やかに話が弾む。


    

        



 料理が終わりフルーツをいただいた後、飛び入りの詩吟や歌なども出て、予定の17時
となり、お開きとなった。

(参加 25人、天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、浦和、歩行地
 さいたま市大宮区、見沼区、浦和区、歩数 17,100)


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二つの展覧会を観覧に さいたま市浦和区へ

2013-02-13 16:55:36 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2013年2月12日(火)

 さいたま市浦和区内で開催されている、2つの展覧会を見に出かけました。

 JR埼京線の中浦和駅で下車し、別所沼公園に入ります。公園内にはたくさんのメタセ
コイアがありますが、いまは寒々とした姿で立ち並んでいます。


 別所沼の西側にある遊歩道に入ると、ご夫婦でしょうか、ハトにえさを与えていました。



 弁天堂付近でも、沼のカモにえさを与えています。




 えさは要らないのか、こちらの3羽はじっとしたままに…。


 噴水の北から東側の台地に上がって、埼玉県庁構内を通過し、埼玉会館に入りました。
最初の目的地は、ここの地下で開催している「第14回水繪塾合同展」と呼ぶ、水彩画の
風景を主体とした展覧会です。


 この会のメンバーであるTさんが、私たちカントリーウオークグループのメンバーでも
あり、毎年出展する作品を見に行っているのです。



 広い会場には、この水繪塾の5つの教室の会員の方々の作品が、200点近く出展され
ていました。


 その多くは、埼玉県内を中心に関東甲信越の風景を描いた作品で、カントリーウオーク
で訪ねたところも多いので、興味深く見せてもらいました。


 今回は、カントリーウオークで10数年前に訪ねた、新潟県高柳町荻の島のかやぶき屋
根の民家がたくさん残る集落での写生会で描いた作品が何点もあり、大変懐かしく拝見し
ました。

 なお、この展覧会はこの日(12日)で終わっています。

 1時間近く観覧して埼玉会館を出て、旧中山道沿いにある書店、須原屋を少しのぞき、
戻って県庁近くのそば屋さんで遅い昼食を済ませ、JR京浜東北線北浦和駅西口から近い、
北浦和公園に入ろうとしました。

 公園の東側入口に、この公園が旧姓浦和高等学校の跡地を活用したことが記されており、
何度も来ておりながら初めて知り、認識を新たにして公園に入りました。





 2つめの展覧会は、公園内にある県立美術館↑で開催中の『第27回私が見つけた「埼
玉の自然」フォトコンテスト』の入賞・入選作品展です。

    

 県内の自然や動植物、景観、四季の表情などを撮った150点前後が展示されていて、
素晴らしい作品は、当ブログにとっても大変参考になるものばかりでした。

 当作品展は2月17日(日)まで開催しています。

 県立美術館そばの噴水。




 公園の北東端から出て、JR京浜東北線の北浦和駅↓から帰路につきました。




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関東百駅巡礼歩行 小湊鐵道 上総鶴舞駅(千葉) 

2013-02-12 18:33:50 | 関東百駅巡礼歩行
 2013年2月10日(土)

 第92回目の関東百駅巡礼歩行に参加した。集合地は、JR内房線の五井駅と上総中
野駅とを結ぶ小湊鐵道の中ほどにある上総鶴舞(かずさつるまい)駅。

 五井駅で出発を待つ小湊鐵道の車両。


 上総鶴舞駅はクラシックな建物の無人駅だが、「関東の駅百選」に選定されている。


 駅前には商店も無く閑散としていた。東京、神奈川、埼玉、栃木から集まったメンバ
ーは、駅前で記念撮影をして、11時43分に出発した。


 ホームから線路に下りて線路を横断し、西側の車道に出る。北側を走る国道297号
の手前を左折して矢田集落に入った。

 かやぶき屋根に瓦を被せた平屋の民家があり、集落の周辺は掘り起こされた田んぼが
広がる。


 南に回って開放的な社殿の十一面観世音堂へ。お堂は平成10(1998)年に修復
との石碑がある。


 境内の高いケヤキの上に、大きな寄生木(やどりぎ)ができていた。



 養老川を渡り、集落西端の山すそにあるお寺のマークのところに行ったが寺は無く、
小さい祠(ほこら)にお地蔵さんがあるのみ。そばの草原に腰を下ろして昼食をした。


 田園地帯の南側を回って次の小集落を抜ける。路傍のネコヤナギがたくさん花を見せ
はじめている。



 次の藪集落に入ると、スイセンが花を開いていた。


 養老川が直角に右カーブする地点のあたりから、車道をショートカットして工場のよ
うな建物のそばの三差路に出る。三差路際に「房総ふれあいの道」の道標が立っていた。

 道標に記された「橘禅寺(きつぜんじ)」の方向に向かい、緩やかな棚田の続く谷地
を上がり詰めたところに、潅漑用のため池があった。



 池の西で小さい峠を越えると前方に田園の展望が広がり、行く手の集落の家並みも望
まれる。


 少し下がったところの小さな池の岸辺は、氷が張ったままだった。


 北側に広々と田園風景が広がり、その南西端付近で折り返すように南側の丘陵に向か
う上り道へ。

 近くの畑には、ソーラー発電による、イノシシ除けの新しい電子柵が張り巡らされて
いた。そばの梅林のつぼみはまだ堅い。


 竹林やスギなどの林間を上がって行くと、猟銃を持った漁師が2、3人待機し、猟犬
が何頭も走り回っている。行く手の橘禅寺北側の林間にイノシシがいるので、猟犬で追
い出して撃つのだという。

 寺の境内へのカーブ点に、平成2(1990)年建立の慈母観音像が立つ。


 カシの古木などの間を上がり、橘禅寺境内に入った。

 橘禅寺は、天平9(737)年に僧行基が薬師如来を祭って建立したと言われている
とか。本堂は無く、コンクリート造りの薬師堂のみ。

 薬師堂には千葉県文化財の木造金剛力士像、木造薬師如来座像などが祭られているよ
うだが、拝観は出来ない。


 薬師堂の奥に石鳥居があり、その先の盛り土の上に、平和の女神像と航空兵らしい立
像がある。

                 

 薬師堂の近くには古いお地蔵さんが並び、東側には新しい夢違観音立像などがあった。

 境内にはスダジイやタブ、アラカシ、シラカシ、コナラ、スギなどがうっそうと繁り、
千葉県の郷土環境保全地域になっている。


 イノシシ狩りの犬と猟師の声が響く境内から、電子柵の畑付近までもとの道を戻り、
田園地帯の西端付近を北に向かう。盛り土上のため池のそばを回って皆吉集落に入った。


 カシの老木が立ち、その先の民家の庭先には、たくさんの庭石や石灯篭などが配置さ
れている。


 その家の横を入り集落内を北進して、寺のマークのところに回った。墓地はあるが寺
は集会所風の平屋。入口に挟まれた電気料金の伝票を見たら、観音寺となっていた。


 その先の民家の庭先にも、大きなクスノキが目につく。


 次のカーブ点には、「房総ふれあいの道」の一部「山辺とふるさとの道」の道標が立
っていた。


 新しい交通安全標語の立つ牛久小の横を進み、房総横断道路の国道409号に合し、
養老川の楓橋を渡る。


 珍しい「拓道隠士之碑」という石碑の立つ先の旧道から、牛久の町並みに入った。

 次の交差点を折れて国道に出て、郵便局や古い商店などの前を通過する。駅入り口の
T字路際に、土蔵造りの茶店の建物が残っていた。



 ゴールの上総牛久(かずさうしく)駅には、14時41分に着いた。15時7分発上
り五井行きで帰途につく。

(参加 12人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 鶴舞、歩行地 千葉県
 市原市、歩数 14,400)



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アンコールワットとベトナム2都の旅 ⑥ハノイ市内観光と帰路へ(その2)

2013-02-10 18:14:27 | 東南アジア旅行
 2013年1月26日(土) 

 == ハノイに戻って市内観光、そして帰国へ(続き) ==

 世界遺産タンロン遺蹟の南部にある、皇帝の住居への入口だったとい「端門」↓に回り、
階段を上がると広場に並ぶ盆栽などが見晴らせる。




 端門の最上部の塔。



 正面の煙突のようなのは、軍事博物館のフラッグタワーと呼ばれる建造物のようだ。


 下に降りて周辺の建物や龍の階段などを見て回る。大太鼓もあった。



 龍の階段を上がったところに皇帝の住居があったようだが、現在は「龍の家」と呼ばれる
フランス植民地時代に造られたフランス軍の拠点だった建物↓が残っている。




 15時30分にタンロン遺蹟の北門を出て、西南すぐ近くにあるホーチミン廟(びょう)
に行く。1975年の建国記念日に建立された、ベトナム建国の父ホーチミンの遺体を安
置するところで、1日1回、ガラスに横たわる遺体を見学できるという。


 廟の前は広場になっていて、ここで1945年9月2日にホーチミンが独立宣言をした
場所のようだ。

 16時から衛兵の交代があるというので、廟の前で少し待つ。


 ちょうど16時、3人の衛兵が左手から独特の歩調で現れ、立っていた3人と交代した。
衛兵の勤めは1時間ごとだという。




 衛兵の交代を見て、すぐ近くの一柱寺(いっちゅうじ)に回る。一柱寺は、李王朝時代
の皇帝・李太宗が1049年に建立した仏教寺院内の楼閣。

 ハスの花の上に立つ観音菩薩をイメージしていて、その名のように1本の柱の上に3m
四方の仏堂が建っている。

 でも、柱はコンクリート造りのようで、最近建て替えたものと思われた。堂内には小さ
い観音像が安置されていて、参詣者が次々に上がって拝礼していた。


 一柱寺の前にあり、屋根上に「延祐寺」と記された寺院に入って見たら、堂内は精巧な
飾り付けに覆われていた。



 寺域では今も、フランス植民地以前の漢字が使われているようで、あちこちに漢字が見
られた。

 16時30分に一柱寺周辺の観覧を終え、バスで市内のアオザイ(Aodai)という雑貨
店に行く。



 民芸品や服飾品、アオザイと呼ぶベトナムの民族衣装、ジュエリーや香木、木製品など
を販売しているが、ほとんどの人はすでに別の場所で土産品を買い終えており、買い物を
する人は少なかった。


 店は空いていたので、ここで荷物整理の時間を設けてくれた。品物の傍らにトランクを
開けて、手荷物とトランクに収めるものとを振り分けさせてもらい、ありがたい場所と時
間を提供してもらった。

 この後バスで、ホアンキエム湖の北東端近くにあるタンロン水上人形劇場に回り、正面
最前部の一番良い席に陣取り、18時半から開始の水上人形劇を鑑賞する。

 水上人形劇は1000年以上の歴史ある伝統芸能で、池や沼の多いベトナム北部の農村
で誕生し、王様の目にも留まり王宮でも演じられるようになったとか。

 仕掛けは、木で出来た人形に2,3mの竹竿がついていて、人形の中には仕掛けのひも
が隠されている。それを、人形師が幕の後から竹竿とひもを操って演じるようだ。

 劇は18の場面に分かれていて、龍の踊り、鳳凰の舞い、キツネとアヒル、魚とり、子
どもの遊びなど、農村部の生活を中心に45分ほど演じられ、そのきめ細かい所作は見事
なものだった。


 終演後、冷たそうな水中に姿を見せた6人の人形師の皆さんに、観客から盛大な拍がお
くられた。

 この後バスで移動して、ニッパヤシで葺かれた屋根のレストランに行き、ベトナム北部
の名物料理という最後の夕食を味わう。


 ここで6日間のツアー行程をすべて終え、空港に向かう。途中見えたホンダのビル屋上
の温度表示は17℃を示す。

 21時半頃ハノイ空港に着き、出国手続きや税関検査などを経て27日0時10分発成
田空港行きベトナム航空VN-310便に乗る。

 飛行機は0時30分に離陸した。所要時間は約4時間50分とのことだったが、帰路も
予定より早い4時間ほどで着くという。

 仮眠をしたかしないうちに東の空が明るくなってきて、朝食が出る。


 成田空港には、飛行時間ちょうど4時間の6時30分に着陸した(ベトナム時間より2
時間早い)。気温はマイナス1℃とか。暖かい(前半は暑かった)ベトナムから戻って、
一気に真冬の寒さを感じる。

 入国手続きや税関検査、荷物の受け取りなどを経て、7時55分発北総線経由の京成ア
クセス特急で帰路に着いた。(完)



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アンコールワットとベトナム2都の旅 ⑥ハノイ市内観光と帰路へ(その1)

2013-02-09 21:05:10 | 東南アジア旅行
 2013年1月26日(土) 曇一時小雨



 == ハノイに戻って市内観光、そして帰国へ ==

 最後の宿泊地、世界遺産ハロン湾に面したサイゴン ハロンホテルにて5時40分に起
床し、6時20分頃から14階レストランにて朝食をする。

 レストランからテラスに出ると、ハロン湾やホテル周辺が見晴らせる。


 8時にホテルを出発して、バスは往路をハノイ市内に向かって戻る。沿道の民家を含め
建物の端部や中央などに、2本かそれ以上尖った金属が立っているのに気づいた。


 屋上には円筒形のタンクも上がっているが、これは、水道の水圧が低いのでアップする
ための設備だと、昨日往路でガイドのジイさんが説明してくれた。

 田園地帯を通過すると、日本の昔のように手植えで田植えをしている田んぼが見られ、
水牛で耕している田もある。


 ホテイアオイの田もあり、葉を採取して米ぬかと混ぜて豚のえさにするようだ。

 ジイさんは車中、ホーチミンの生涯やベトナムの人気職業、ご自身の家族のことや日本
語学習のこと、寺に残る漢字文化のことなど、今日もいろいろ興味ある話をしてくれた。

 北側に2か所火力発電所が見え、道路沿いに走る鉄道の線路は火力発電所への石炭輸送
など、主として貨物輸送に使われているようだ。ベトナムには原子力発電所は無いという。

 9時50分に途中の民芸品店に着き、30分間のショッピングとトイレ休憩となる。



 店では、人形などの民芸品のほか、ベトナムコーヒーや茶なども販売していた。

 色鮮やかなサンダルも並んでいる。


 ジイさんに、屋上の尖ったものは何かと聞いたら、避雷針だという。2~3階建ての民
家にも上がっているので雷が多いのかと思われたが、それほどでもないらしい。

 そろそろハノイ市街に入るかと思われる頃、ハノイへの幹線から少し南に迂回して、11
時40分頃、バッチャン焼きで知られるバッチャン(BAT TRANG)という村に着いた。

 この村では600年前から陶器づくりが始まり、16世紀頃には日本にも輸出したとか。
小さい村だが、大小合わせて100軒以上の工房があり、村民の9割が陶器に関係する仕
事に就いているという。



 そんな陶器作りの工房の並ぶ一角にある、5階建ての建物の工房へ。まずは5階に上が
り、型作りや絵付けなどの工程をジイさんから説明してもらう。






 その後下のフロアに下って買い物タイム。コーヒーカップや茶碗、湯飲み、絵皿などの
商品を見て回り、購入する人も多かった。


 入口近くには、特大のつぼが飾られている。


 ちなみに、広くいう「陶器」には陶器と磁器とがあり、陶器は一度焼きで電子レンジは
使えず、磁器は二度焼きしてあり電子レンジでも使える。バッチャン焼きは磁器で、原料
の白粘土が近くで産出されていたのでこの産業が盛んになったようだが、現在は少なくな
りほかから調達しているという。


 バスは12時25分に店を出た。間もなくハノイ市内に入り、↑レストランでベトナム
料理の昼食をする。


 13時45分過ぎに店を出て旧市街に14時頃に着く。最終日の今日はハノイ市内観光
で、最初は旧市街の散策である。

 混雑している旧市街はスリやひったくりが多いので持ち物には十分注意するよう、また
道路横断の際のバイクなどへの注意をジイさんに言われ、離れないようジイさんの後につ
いて行く。



 通りで果物を売る人、靴やカバンをうず高く積み上げた店、民芸品の店などの前を通っ
て南に進み、ホアンキエム(Ho Hoan Kiem)湖の湖畔に回った。

 ホアンキエム湖はハノイ市街地の中心にあり、市民の憩いの場になっているとか。周辺
には大教会や大劇場などがあり、赤い橋を渡った島には、13世紀に元(げん)の侵攻を
撃退したチャン・フン・ダオ将軍を祭る玉山祠(ぎょくさんじ)があるという。





 湖の周りを少し回って再び旧市街に戻り、人とバイクと自転車が多く、切れ目なく店が
並び活気づく一帯を巡り歩いた。










 14時43分に旧市街を離れて西に向かう。


 ベトナム鉄道の踏切を越えて官庁街に入り、世界遺産になっているタンロン遺蹟へ。


 タンロンとは昇龍のことでハノイの旧称。2002年に国会議事堂の建て替えの際に出
土した7~19世紀の遺跡群で、11~19世紀に栄えたタンロン王朝など各年代の城跡
などが重層的に発掘され、2010年、ベトナムでは6番目の世界遺産に登録されたという。


 遺蹟の中心は広い芝生地になっていて、旧正月が近いので展示しているという、大小た
くさんの盆栽が並んでいる。


 日本の盆栽が手本になっているようだが、何れもなかなか見事な作品。ベトナムらしい
独特の木も見られる。(続く)





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アンコールワットとベトナム2都の旅 ⑤世界遺産ハロン湾クルーズ(その2)

2013-02-07 20:29:09 | 東南アジア旅行
 2013年1月25日(金) (続き)

 == 世界遺産ハロン湾クルーズ(続き) ==

 船の周囲には次々と島が近づき、それぞれ独特の形状を見せている。

 忠犬ハチ公に似た犬の姿の岩がある島の横も通過する。



 前方には浮いたような島が現れ、左手には水上生活をしている建物が続き、その一つ
にには、学校もあるという。






 われわれの船に別の小舟が近づき、その舟から乗り移って湾で採れた魚介類のセール
スを始めた。

 なかでもシャコ↑がお勧めだという。何人かが買い求め、船内の調理場で料理しても
らうことにした。






 浮いたような島は、水面に浮かぶ香炉のような形からディンフォン(香炉)島と呼び、
ベトナムの20万ドン紙幣にも印刷されている。


 島に近ずくと、島ノ下をボートで抜ける観光客のグループが幾つも見られる。


 このあたりが島巡りの中心のようで、大型、小型の観光船が多く、時には漁船も通過
する。







 さらに幾つもの島の近くを通過し、次々と移り変わる形の異なる島と波静かな湾の景
観を楽しむ。







 ゴリラのような形から「ゴリラ岩」と呼ぶ小島↑も見えてきた。





 前方に見えていたが、いったん視界から消えた二つの岩の近くを通過する。湾のシン
ボル的な存在だという闘鶏岩である。

 二羽の鶏が戦うような姿から名付けたようだが、仲良く寄り添って唇を近づけている
ようにも見えるのだが…。

 この辺りから船は戻る方向に転回したようだが、それとは気づかず変わりゆく島の景
観を飽きること無く眺める。

 16時半過ぎ、そろそろ夕食だというので、デッキからテーブルと椅子のある下の船
内に戻った。

 まず、先ほど漁船から買ったシャコをゆで上げたのを出してくれた。



 ハロン湾で採れたカニや魚など、海鮮料理を味わっているうちに船は出発した波止場
に近づき、17時40分に着いた。
        

 今夜宿泊するサイゴン ハロンホテルは近く、バスで数分ほど。旧正月が近いので、ロ
ビーにはその飾り付けがされていた。


 部屋はハロン湾に面していて、窓を開けると暗くなった湾内が見下ろせた。


  (歩数 4,400)




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アンコールワットとベトナム2都の旅 ⑤世界遺産ハロン湾クルーズ(その1)

2013-02-06 20:51:20 | 東南アジア旅行
 2013年1月25日(金) 曇

 == 世界遺産ハロン湾クルーズ ==

 ベトナムの首都ハノイの、ホテル クラウンプラザで6時に起床して、6時半過ぎから
レストランで朝食を済ます。バスでホテルを8時に出発して、東方約185㎞にある世
界遺産のハロン湾に向かう。


 市内の中心街は、ホーチミン同様にたくさんのバイクが道路を埋め尽くしている。


 郊外の路傍に並ぶ墓地。ベトナムの墓は、このようなL字型の造りになっていた。


 バスの中でガイドのジイさんは、運転席横の大型ディスプレイにハノイの写真などを
次々に映しながら、ベトナム全体やハノイのことなどの説明をしてくれる。

 ハノイ市は、面積約3400平方㎞で人口は約700万人、バイクは400万台あり、
市街地は旧市街と官庁街、それに新市街とに分かれているという。

 郊外に出ると、やはり水田が広がる。南部のホーチミン郊外は3期作と聞いたが、北
部のこのあたりは2期作で、12月に刈り入れを終えた現在は、休耕中の田が多い。


 米の輸出量は4,200万トンで世界一とか。ほかにベトナムの産品では、コーヒーが
124万トンでブラジルに次ぐ世界第2位、コショウが110万トンで全世界の37%
を占め世界一という。

 ジイさんはさらに、ベトナムの歴史、徴兵制や義務教育、2月9日からの旧正月のこ
と、ベトナムの果物、フランス植民地時代のこと、小学生時代の夏休みに自転車で12
時間かけてこの沿線に住んでいた祖母のところに行った思い出、自分で造る家造り、冬
期の現在に多い結婚式のことなど、いろいろな話題を説明してくれた。

 9時45分に途中の民芸品などを販売する店に着き、10時半まで買い物とトイレ休
憩の時間となる。






 2階では、たくさんの若い女性が精巧な刺繍作業に励んでいた。


 さらに東進すると、ハロンへ通じる道路の拡張工事をしていて、道路際の民家や商店
が壊されているところが続く。


 12時10分にハロンの町並みににあるホテルに着き、ホテルのレストランで1時間
の昼食時間となり、ベトナム料理をいただいた。



 食事を終え、近くのハロン湾クルーズの乗り場に移動し、4時間ほどのハロン湾クル
ーズ用の観光船に乗る。これ↓が乗船した船。


 ハロンとは、「龍が降りる地」という意味とか。波静かなハロン湾には、2000もの
奇岩がそそり立っていて「海の桂林」と形容され、199年にユネスコの世界遺産(自然
遺産)に登録されたという。


 船は13時20分頃岩壁を離れて、南に向かう。





 今日は曇っていて視界は弱めで、遠方の島々はぼんやりしている。




 2㎞ほど南下して最初の島に近づくと、岩壁に世界遺産の標識が掲げられていた。




 この島にはティエンクン(THIEN CUNG)洞と呼ぶ鍾乳洞があり、いったん船を下りて
観覧することになった。


 「ティエンクン」とは天宮のこと。1993年に発見された新しい鍾乳洞で、98年
から一般公開され、世界遺産にも追加登録されたという。


 すでに何組もの観光客がそれぞれの観光船から降りていて、100段ほどある階段を
上がった島の北側中腹にある入口は混んでいた。


 鍾乳洞の広さは約3000㎡、高さは20m以上あり、様々な形状の鍾乳石が乱立し
ていて、それらを何色もの照明で鮮やかに浮き立たせている。





 順路に従い右へ左へと上り下りして、長い年月をかけて造られた偉大な奇観の数々を
眺めながら巡った。





 洞内を30分ほどで一巡して南側に抜けると、高みから眼下に、回送された観光船群
が見下ろせる。船着場に下ってその一つに再び乗船し、14時55分頃出港した。(続く)




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