あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

百田稔作品展を見て市川真間の寺社を巡る(千葉)

2017-12-29 22:52:08 | Weblog
 2017年12月3日(日)

 毎年ご案内をいただいている、市川市在住の「放浪のお絵描きおじさん」こと百田稔
(ももだみのる)さんから、今年も作品展の案内が届いたので、観覧に出かけました。
    

 京成本線の市川真間(いちかわまま)駅に下車、11時47分に会場に向かいます。

 
     駅近くの市川市のマンホールデザイン
    

        途中の民家の玄関先に、早くも咲き出したアセビが。
        

 会場は、東に歩いて10分足らず、県道264号沿いにある国府台(こうのだい)女子
学院正門と道路を挟んで相対する「相田みつをギャラリー サロン・ド・グランパ」です。

 ウィンドウに飾られた案内など


       



 ちなみに、百田稔さんは40年間勤めた会社を退社後、子どもの頃からの夢だった「冒
険」と「お絵描き」をジョイントさせた「ひとりでお絵描き歩き旅」に挑戦され、平成16
(2004)年の旧東海道から平成26(2014)年の千葉県一周までの11年間で、
歩いた日数は延べ335日、総延長距離8,523㎞に及びました。

 昨年の平成27(2016)年夏には、自動車による北海道一周の一人旅に挑戦され、
延べ37日間で4,385㎞を回り、歩き旅同様に毎日お絵描きをされています。

 今回の作品展は、地元千葉や東京都内、横浜などを歩いて描かれた「近郊・日帰りお絵
描き散歩編」でした。




 中ほどまで見ていたら、この催しのことをお知らせしたカントリーウオークの仲間、I
さんも来られたので、会場におられた百田さんに紹介し、一緒に写真を撮らせてもらいま
した。


 会場では、百田さんが昨年回った北海道一周のブログをまとめた「北海道ひとりでお絵
描きブログ族」を販売していたので、私もIさんも購入して百田さんにサインしていただ
きました。
       
 
 百田さんの作品点を観覧後、同じ「サロン・ド・グランパ」内にある相田みつをさんの
作品や図書なども見て、会場を出ました。

 今日は、気温は低めながら快晴で風もないので、以前も回った近くの寺社などを一巡す
ることにしました。

 すぐ北側の五差路を北西に延びる「文学の散歩道」に入ると、ヤツデの花が。
         

    

 文学の散歩道沿いには、ソメイヨシノの並木が続いています。


 そばの民家のモミジ


 300m余りで真間川の右岸に突き当たり、流れ沿いを西進しました。



 2つ目の橋を渡った北側には稲荷神社があり、静かなたたずまいの池も残っています。
     

 北側に接するのが手児奈(てこな)霊神堂です。


     
 お堂の前には、歌手のさだまさしさんが奉納したカツラの木が立っています。
       

 そばの民家のハゼがよい彩りに。  


 北側の台地にある弘法寺(ぐほうじ)に向かい、急階段を上がりました。
    
 弘法寺は、奈良時代に行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺が
はじまりで、その後平安時代に弘法大師が七堂を構えて弘法寺とし、さらにその後天台宗
に改宗したとされるよう。

 江戸時代にはモミジの名所として知られ、いろいろな書に弘法寺の紅葉狩りのことが記
されているようです。


 山門のそばには、江戸時代の弘法寺の絵図が。


 山門を入った正面に立つお堂、最近の再建のよう。


 境内の中心辺りには、シダレザクラの古木が葉を落として立っていました。


      山門横のモミジ
     

         近くの小さなお堂に祭られた濃縁(のうえん?)観世音菩薩。
        

 境内東南側斜面上からは、市川市の中心街が望まれます。




 山門の西側に回ると、何本ものモミジが見頃でした。












 境内西側にある太刀大黒天神堂


           その右手には、里見龍神を祭るお堂も。
          

 ここには近寄れず、何の建物かは分かりません。


 境内の西側には前方後円墳の弘法寺古墳がありますが、一部は崩壊しているよう。


 古墳のそばから弘法寺を後にして、市川真間駅の次、江戸川左岸に近い国府台駅に向か
います。真間川右岸沿いに、広い敷地の民家の立派な門が目につきました。


 
 京成本線の千葉県東端の駅、国府台駅に13時42分に着き、上り電車で帰途につきま
した。




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上田市立美術館・上田城跡公園と別所温泉を訪ねる②(長野)

2017-12-23 10:31:12 | 国内旅行
 古いパソコンが11月下旬に壊れてしまい、それ以前にデジカメで撮った写真をパソコ
ンに移してあった画像データも全部読み出し不可能となりました。
 
 そのため、11月22に日にアップした「上田市美術館・上田証跡公園と別所温泉を訪
ねる①(長野)」の続きも写真が無いのでアップできなくなったと考えておりました。

 ところが、新しいパソコンが入ってから、ブログにアップするための画像データのリサ
イズするために以前から使っていたフリーソフト「縮小専用」をダウンロードしたら、そ
の説明文の後に、デジカメからパソコンに移してしまったデジカメのSDメモリの画像デ
ータなどを読み出せるソフトの紹介広告がありました。
 
 さっそくそのソフト「CardRecovery」の試用版をダウンロードして、SDメモリから読
み込ませたら画像が確認できました。パソコンに保存するには有料版(3780円)を購
入する必要があり、購入してパソコンのファイル上に復元することができたので、続きを
以下にアップします。

========================================

 2017年11月9日(木)
 == 信州の鎌倉・別所温泉の寺社を巡る ==


 宿泊した上田駅に近いビジネスホテルを8時50分頃に出て、上田電鉄別所線の始発の
上田駅に行き、9時10分発の下り電車に乗る。






 終点の別所温泉駅には9時38分に着いた。

 今日も晴天で、昨日の夕方のような冷たい風は治まった。今日は「信州の鎌倉」と呼ぶ
別所温泉の町並みと周辺にある寺社を巡る予定である。


 駅を出て、まずは西側山麓にある常楽寺に向かう。300m近く進んだX型交差点際に
将軍塚と呼ぶ小さな盛り土の一角があり、モミジの古木がよい彩り。
     
 塚は、古墳時代後期に築造された周囲10m余り、高さ3m余りの円墳で、この地方の
有力な豪族の墓だとか。

     
 将軍塚はまた維盛(これもり)塚とも呼ばれている。平安時代の安和2(969)年、
信州戸隠山に住む鬼女が妖術を使って近隣を荒らして住民を苦しめていたのを、北向観音
に祈願後に討ち滅ぼした、余吾将軍・平維盛の塚と伝えられているという。


 交差点から、西北西に真っ直ぐに伸びるのが常楽寺の参道のよう。その参道を進んで別
所郵便局前を過ぎる。周辺の山並みは紅葉の彩り。


 次の交差点の両側に、新しく小さな社殿のよう建造物がある。


     
 「仁王堂」と呼び、常楽寺の表参道に古くからあったのを、平成6(1994)年に往
時のままに復元したらしい。そばの大きな石碑に絡まるツタが色づいていた。
       



       


 参道を山すそまで進むと、常楽寺の本堂らしいかやぶき屋根が見えてきた。常楽寺の開
山は、別所温泉を開いた慈覚大師と伝えられているとか。古くから学問寺として名高く、
あとで行く北向観音の本坊という。階段を上がって境内に入る。

 かやぶき寄棟(よせむね)造りの本堂は、享保末期から元文期(1730年代)の建築
と考えられ、江戸中期後半の特色をよく示したものとして上田市の有形文化財に指定され
ている。庫裡(くり)↓もかやぶき屋根だった。



 本堂の前に、「御船ノ松」と呼ぶ長さ18m、幅10.3m、高さ6.2m、樹齢350
年という船ノ形をした見事な松が目につく。




     
 境内のモミジがよい彩りを見せていた。
 

   

 本堂の左手から裏山に回ると、針葉樹林の下に国の重要文化財に指定されている石造多
宝塔と上田市指定文化財の石造多層塔が並んでいる。



 石造多宝塔(中央)は、弘長2(1262)年の造立で全国的にも数少なく、重要文化
財はここと滋賀県の小菩提寺の2基のみという。

 石造多層塔は、大正13(1924)年に別所温泉の大島屋旅館裏での水道工事の際に
地中から発見され、その後散逸していたのを昭和56(1981)年に当地に再建したも
ので、鎌倉時代の作と推定されているようだ。


 本堂背後や境内のあちこちで、モミジや落葉広葉樹などが彩りを競っていた。


 階段下から、ほぼ等高線上を南に延びる遊歩道を次の安楽寺に向かう。

       
 ススキの並ぶ辺りをすぎると、眼下の別所温泉の町並みが一望でき、開かれた東北東に
は浅間山や高峰高原、湯の丸高原などの展望が広がるようだが、今日は雲が多くて遠方の
山並みは判然としない。


 さらに進むと、昭和初期の農民運動の指導者として知られる高倉テルと山本宣治、高倉
テルが上田自由大学の講師の頃の借家の家主であった斉藤房雄の記念碑が並ぶ一角がある。


 その前を下って右手に回り、モミジの色づく林間を上がって安楽寺に入る。


 安楽寺は天長年間(824~834)に開かれたと伝えられ、鎌倉時代中期には鎌倉北
条氏の外護により禅寺として栄え、多くの学僧を育てていたとか。北条氏滅亡後は寺運も
傾き正確な史料も残らないが、国宝や重要文化財など多くの文化遺産を蔵しているという。

 急石段を上がって山門を入ると、鐘楼の奥に本堂が見えてきた。


 鐘楼のそばのモミジがひときわ鮮やか。


       


 本堂の右手にある庫裡(くり)↑も重厚な作り。まずは本堂↓に参拝する。


 本堂左手の受付で拝観料を払い、背後の山腹を上がると国宝の「八角三重塔」が立って
いる。
     
 いっけん四重塔に見えるが、初重の屋根はひさしに相当する「裳階(もこし)」だとい
う。建立年代は不明だが、当地に守護として信州一円に威を張った塩田北条氏が館を構え
た鎌倉時代末期(1277~1333)以外には考えられないというのが定説になってい
るようだ。

 建築様式は当時の中国・宗(そう)の先進技術だった唐様(からよう)(禅宗様)を用
いていて、八角塔は奈良、京都などにも記録として残されているがそれらは全部失われ、
我が国に残る唯一の八角塔できわめて貴重な遺構とか。長野県で最初に国宝に指定された
という。
            

 本堂前に戻り、山門を出て安楽寺を後にする。次の北向(きたむき)観音に向かう道筋
に黒門がある。

 入口側の扁額「祟福山(そうふくざん)」は安楽寺の山号で、門は安楽寺境内の入口に
あたり、寛政4(1792)年に建てられたという。


 駅前から延びる通りには「北向観音」の門があり、そこから下って湯川を渡ると両側に
土産物店や喫茶、食堂などが、わずかなエリアに並んでいる。




 突き当たりの石段を上がれば北向観音の境内である。北向観音の創建は天長2(825)
年と古く、昔から全国の人々の信仰を集めていて厄除け観音として知られ、芸能人の信仰
も多いとか。

 南向きの善光寺(長野市)に参詣したら、北向観音にも参拝しないと片参りになって願
い事がかなわないという。

 本堂の左横には、別所五木の一つで夫婦円満の木といわれる「夫婦杉」が立っていた。
     

 北側には、樹齢約1200年と推定され川口松太郎の「愛染かつら」で知られ、縁結び
の霊木として親しまれている「愛染カツラ」の古木がある。
     
 昭和49(1974)年の掲示では、樹高約22m、目通り周囲約5.5m、枝張り約
14mと記されているが、その後落雷があったのか主幹の上部は失われていて、葉の落ち
た今はそう見栄えがよいとも思えない。


 境内には不動堂や懸崖(けんがい)造りのお堂、愛染堂などもある。
     


 境内を一巡して参拝を終えて往路の商店街を戻り、湯川の橋際にあった橋本屋というそ
ば店で昼食をしたが、期待した信州そばの味は感じられなかった。
       

 橋の斜向かいに、「大師湯飲泉塔」と呼ぶ飲用できる温泉が流れ落ちていたので飲んで
みた。摂氏46.8℃の硫黄泉だという。
       

 流れに沿ったすぐ上流に、「大師湯」と呼ぶ公衆浴場がある。天長2(825)年に比
叡山延暦寺の座主・円仁慈覚大師が北向観音堂の建立にあたり、好んで入浴されたと伝え
られているとか。入湯料200円を支払い入って暖まる。


 ちなみに、別所温泉は古くは「七久里(ななくり)の湯」と呼ばれ、平安時代の和歌集
にもその名をとどめているとされる信州最古の温泉。北条氏が別院として使っていたこと
から「別所」の名がついたよう。肌がなめらかになることから「美人の湯」とも呼ばれて
いるとか。

 温泉街には、旅館の内湯のほかに大師湯など三つの外湯と三つの足湯、日帰り温泉施設
があり、大師湯のすぐ上流には、もう一つの外湯である「大湯」があった。


 こちらの方が建物は新しくて玄関横には「真田幸村公 隠しの湯」碑があり、その下か
ら飲泉が流れ落ちていた。
          
 なお、この文字は「真田太平記」の作者、池波正太郎の揮毫(きごう)だという。


 近くには旅館や食堂などがいくつか並んでいた。


 少し先で上り坂の道路は右カーブしている。そこから折り返すことにして、駅に向かっ
て下り坂の車道を進むと、真田六文銭の幕の飾られた建物があり、中につるしびなが展示
されていたので入ってみた。



 幾つものつるしびなのほか、よろい甲(かぶと)や豪華な衣装などが展示されていた。
     

  


 家並みが減った辺りには別所温泉センターがあり、別所温泉の紹介、歴史年表、別所温
泉の地層図、温泉街や周辺のジオラマ、発掘された土器などが展示されていた。





 さらに駅に向かって並ぶいくつかの店をのぞいたりして緩やかな斜面を下り、14時15
分頃、別所温泉駅に戻る。


 駅前広場の線路際に、昭和2(1927)年製造で上田電鉄最初の新造車両のひとつと
いう、モハ5250形電車が保存されていた。


 別所温泉駅14時32分発上り電車に乗る。カントリーウオークのメッカともいわれ、
何年か前にグループのメンバーと歩いた塩田平(しおだだいら)の晩秋の展望を、車窓か
ら眺める。上田駅には15時01分に着いた。



 上田駅発15時36分の北陸新幹線上り、あさま622号に乗る。隣の長野駅始発の車
内はほとんどが空席だった。





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続カタツムリ歩行の最終回で西船橋周辺を歩く(千葉)

2017-12-20 22:56:50 | カタツムリ歩行
 2017年12月17日(日)

 JR武蔵野線の沿線を中心に歩き続けてきた「続カタツムリ歩行」も、50回の今回で
最終回となった。


 集合地はJR武蔵野線の終点の西船橋駅、快晴なれども北風が冷たい中、10時05分
に北口を出発した。

     
 駅前広場のモミの木には、クリスマスツリーのような飾り付けがある。


 国道14号・千葉街道に出て西へ、県道180号・松戸原木線を横断した先の勝間田公
園に、「まなざし」と題する女性像の彫刻がある。
       


 隣接するのが葛飾神社で、拝殿のさい銭箱の周囲にたくさんの松ぼっくりがあった。地
元の子供たちが願いを込めて飾り付けたのだという。
    

 本殿の背後に、幹が二股に分かれたクロマツの古木が目につく。どうやらこの松からと
落ちた松ぼっくりのよう。

 樹高は13m、幹周り3.42m、葉張(はば)り16.5mあり市内で最も太いクロ
マツのようで、船橋市の天然記念物に指定されている。

 葛飾神社は、もとは現在の勝間田公園のあった勝間田の池の西側高台にあったとか。勝
間田の池は下総(しもうさ)の歌名所の一つと数えられていたようで、当時の様子を描い
た「江戸名所図会」の挿絵「勝間田池」が説明板に記載されていた。


 神社の西に接する自転車屋さんには、大きな犬のようなおもちゃが姿を見せている。
     

 さらに国道を500m近く進んで東明寺に入った。東明寺は弘治3(1557)の創建
で、本堂内には行基菩薩の作と伝えられる薬師如来像が安置されているという。


    
 本堂前部には精巧な龍の木彫が刻まれ、境内の松が趣ある姿を見せ、白いサザンカが見
頃になっていた。
           

 国道を手前のT字路に戻って北に入り東中山一丁目の台地に上がり、京成本線の東中山
駅の南側にある羽黒神社へ。

 鳥居の周囲に葉の落ちたイチョウの古木とケヤキの古木2本が立ち、東側には何本かの
ソメイヨシノがある。
     


 背後の京成電鉄東中山駅に左手から回り込み、構内の自由通路を北に出た。東中山二丁
目を抜けて東側の県道180号・松戸原木線を北に進み、古作三丁目の明王院に行く。

 本堂では法事が始まるようなので近づかず、境内の大日堂や鐘楼などを眺めるのみとす
る。本堂の左手前には別の建物が建てられるようで、コンクリートの土台だけができてい
た。




 北側の中山競馬場はレースの開催日なのか、周辺の私設駐車場に呼び込みの人が目につ
き、近くの道路にも交通整理の人が何人もいる。

 広い道路を横断して、その中山競馬場の南側の台地に祭られていた熊野神社の森に回り、
神社の階段を上がる。


 熊野神社は鎌倉時代、白砂青松の入江だったここ古作の地に創建、昭和50(1975)
年に不審火で焼け、現在の社殿は2年後の再建のよう。

     
 境内には、船橋市指定樹木のクロマツとクスの高木が立っていた。
       


 南東に向かったつもりだが、民家の背後に中山競馬場の照明塔が2つ見え、平行する南
側の道路を折り返す。


桜並木の車道に回って南東へ、JR武蔵野線の高架近くの民家の玄関先に、クリスマス
飾りらしいのが並んでいた。
       

              

 武蔵野線の西側に並行する車道を南西にすぐのところには、狭いスペースに小さな社殿
の六所(ろくしょ)神社が祭られている。
     
 周囲は新興住宅地になっているが、鳥居脇のカシの古木に神社の歴史がしのばれた。
        

 正午が近いのでゴールに向かい、印内二丁目から一丁目へ。葛飾中と葛飾小の横を下っ
て京成西船駅横の踏切際を線路沿いに東に回り、正延寺に寄る。

 本堂にある木造五智如来坐像は、カヤの一木造りで平安時代の作と見られ千葉県有形文
化財に指定されていて、平安時代の五智如来像は全国的にも珍しいという。
     
 境内の樹木はよく整えられていて、その中で新しい大きな石灯籠が目についた。
          

 京成西船駅横の踏切を渡り、国道14号の手前台地上の西船四丁目にある、ゴールの春
日神社には12時01分に着いた。

 社殿は近年の再建のようで新しい。西船橋駅まで300mくらいの市街地の一角だが、
境内はカシやクロマツなど豊富な樹林に覆われている。


     

 背後の公園の芝生地で先着の皆さんは昼食をしていたので、その一隅に腰を下ろした。



 食事を終えた頃、事務局のDさんがシートを広げて、年末恒例の観歩賞の賞品を並べる。
参加者の皆さんから提供の品も多く、シートいっぱいになった。皆で周りを囲んで何をも
らおうかと品定めする。


 記念撮影を終えて観歩賞の発表があり、今年の年間10回の完歩者から順に観歩賞が渡
され、各々が並んだ中から賞品を選んでいただく。私は今年の参加が8回、5年間50回
の通算では43回の参加だった。


 商品をもらって最後のミーティングの後、近くにお住まいのKさんが用意してくれた郵
便局の近くのギャラリーのようなところに移動して、簡単な打ち上げの集まりを行う。

 親子4人のご家族でずっと参加されていた別のKさん提供のワインで乾杯後、ひとりず
つカタツムリ歩行に参加しての感想などを述べる。


            
 会場には、Kさんが読まれたという「神様のファインダー」(写真ジョー・オダネル、
編著坂井喜美子)に掲載されている広島・長崎原爆関連の写真の1枚と同じ、少年の姿を
織り込んだタペストリーなど、何点かの作品が展示されていた。
     



       

              

 「続カタツムリ歩行」とその前身の「カタツムリ歩行」を含め、4半世紀に及ぶ事務局
をつとめられたDさんご夫妻、そしてこの集まりを企画されたが近年は参加されなくなっ
た「やまさん」に深く感謝して、15時近くに散会となった。

(天気 快晴(風冷たし)、距離 6㎞、歩行地 船橋市、地図(1/2.5万) 船橋)




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比企丘陵北部から畠山重忠ゆかりの地を歩く(埼玉)

2017-12-18 18:30:23 | カントリーウオーク
 2017年12月9日(日)

 埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループの第249回例会に参加した。

 東武東上線の小川町駅に集合して10時15分発熊谷駅行きバスに乗り、10時30分
に西古里(にしふるさと)バス停で降りた。

 担当のKさんから今日の行程の説明があり、3組に分かれてスタートする。

 == 比企丘陵北部を抜けて埼玉県農林公園へ ==


 県道11号を少しで、田んぼの中を北に伸びる道を北へ。行く手にカヤの大木が目に入
り、そのカヤの立つ重輪寺に入った。

 嵐山町指定天然記念物の大カヤで、樹高約18m、幹周り約5m、推定樹齢は約350
年という。
      
 重輪寺の開山は慶長年間(1596~1615)とされ、カヤの植樹は草創後50年後
と伝えられているようだ。

 本堂は禅寺らしい落ち着いたたたずまい、小さい山門の前に近年の建立らしいい風神、
雷神像と曹洞宗の開祖・道元禅師立像が立っていた。
 

              

 寺の前を東進して県道69号を横切り、東側台地の集落に上がって兵執(へとり)神社
に行く。このような名の神社は、私は初めてのように思う。

 境内は杉など豊富な樹林に覆われていて、八幡神社、稲荷神社などいくつかの摂社があ
る。


 地図上は南東側に寺マークもあるがそこには廃屋が残るのみで、どうやら廃寺になった
ようだ。そばの大きなピラカンサがたくさんの実をつけていた。


 東側の車道を北に向かい、右カーブ点で車道に分かれて山道に入る。その入り口付近に
まん丸で小さいカキが実っていた。取って熟したのを口に入れたら、少し渋みがあるが甘
くなっていた。
     


 山道といっても軽自動車が通れるくらいの幅があり、傾斜もほとんど無く歩きやすい。
     
日当たりのよいところや木陰などを抜けて行くと、金網に囲まれた広い敷地の県立循環器
・呼吸器病センターの南西側に出た。

 その先の馬内集落を西に抜けて、わずかな家並みの後鷹巣集落を北西に進み、昼食地の
埼玉県農林公園に入る。

 入口周辺は「武蔵野の森」と呼ぶナラやクヌギなどの広葉樹林で、その先の農産物直売
所に入って少しの買い物をする。




 先着の皆さんが昼食中の芝生広場には12時33分に着いた。

 近くのジュウガツザクラが花を見せていた。
 


 芝生広場の周辺は、葉の落ちた広葉樹林やソメイヨシノなどに囲まれている。


 農産物直売所のそばには、温室や石窯焼きピザの店、公園食堂などの建物が並んでいる
が、年末だからか来訪者は少なめだった。




 公園食堂横の小さい池をバックに記念撮影して、13時23分に出発した。


 == 吉野川を渡り畠山重忠公史跡公園へ ==


 公園の南西端の交差点を渡り、西側の川本サングリーンパークを少しのぞいて西へ、次
のY字路を右に入った黒野台集落には、ズイキや大根を干した民家がある。


 北に向かう道沿いの民家には、ユズがたくさんの実をつけていた。
    


 集落を北に抜けて吉野川を渡ると、吉野川の左岸沿いに広々とした田園地帯が東西に延
びている。


    
 次の分梨子(わけなし)集落には、たくさんの実をつけてピラカンサが目につき、ホオ
ズキかミニトマトのような実を吊した木株もある。
       


 斜面林の間を抜けて古い庚申塔などの並ぶ背後を下り、北斜面の斜面林と田んぼの間の
日の差さぬ道を西へ。


 昨夜降った雨の水溜まりが凍ったままになっていた。北側の根岸集落の入口付近で小休
止する。
       

 今は深谷市だが、合併前の川本町のマンホール


 北に日光の男体山など、西北に雲のかかる浅間山などを望み、次の畠山集落から金井集
落へと少しずつ北西に進み、畠山重忠公(はたけやましげただこう)史跡公園に入った。


 公園は畠山重忠の館跡(やかたあと)を整備して作られたもの。畠山重忠は平安後期~
鎌倉時代初期に活躍した関東武士を代表する武将で、鎌倉幕府の有力な御家人の一人。園
内には畠山重忠と家臣の墓といわれる五輪塔や、重忠公の産湯の井戸、愛馬を背負った重
忠公の銅像などがある。
     

 
 覆屋の中にある「畠山重忠墓」は埼玉県指定史跡で、重忠など主従6基の五輪塔があり、
中央の一番大きいのが畠山重忠墓と伝えられているという。


       

 10分余りで公園を出て、東北に延びる車道を800m前後進み、畠山氏の菩提寺とい
う満福寺(まんぷくじ)に行く。

 満福寺は真言宗豊山派の寺院で、草創は鳥羽天皇(1110年)の頃とか。後に畠山重
忠が寿永年間(1182~5)に再興して菩提寺としたようだ。

 現在の本堂は以前は講堂で寛政4(1792)の建立、重忠の位牌や寺宝の茶釜、茶碗、
太刀、御朱印状などが伝えられているとか。


 手前の観音閣↑には、重忠公の守り本尊である等身大の千手観音像が安置され、秩父・
板東・西国の百番観音像、算額絵馬などがあるという。

     
 境内には2本の大イチョウやシダレザクラが目についたが、いずれも葉はすでに落ちて
いた。





 寺の東側から特産の深谷ネギの畑の横を北に入り、荒川右岸の断崖を背にした井椋(い
ぐら)神社の森に入る。

 井椋神社は、畠山氏の先祖、雅恒(まさつね)から5代重能(しげよし)までの間、秩
父吉田郷領主として井椋五所宮を敬ってきたが、その後重忠の父重能が館を畠山に移した
時に、祖父重綱がこの地に勧請(かんじょう)したとか。


 拝殿の左手横から背後の荒川断崖上に回ると、「鶯(うぐいす)の瀬」の碑が立ち、そ
の説明板があった。
       
 荒川のこの辺りは鶯の瀬と呼ばれ、増水時でも川瀬の変わらぬ浅瀬とのこと。ここは、
畠山重忠が榛沢六郎成清のところに行った帰路、豪雨にあって洪水で渡れないでいるとき
に、1羽のウグイスが鳴いて浅瀬を教えてくれたと言い伝えられているという。



 右岸に沿って上流へ少し進んで重忠橋を渡る。


 橋の左岸上流側に接して六堰頭首工(ろくせきとうしゅこう)がある。

 1602年に伊奈備前守(いなびぜんのかみ)は荒川に石堤を設け、左岸に4つ、右岸
に2つの堰を作って用水路を整備した。
 
 しかし上流からの水を取るため渇水時には水争いが絶えず、また洪水による施設の流失
などが繰り返されたとのこと。

 そこで、水争いを解消して安定した用水を取水するため、6つの堰をまとめ完成したの
が六堰頭首工で、昭和14(1939)年に完成し、今日の大里(おおさと)の豊かな農
業・農村を支えている大里用水の前身になったという。


 すぐ先で国道140号を渡り、ひとつ北側の車道を西進して、ゴールの秩父鉄道の永田
駅に15時35分に着いた。

 皆さんは急ぎ熊谷方面への上り電車に乗り、私とTさんは16時08分の三峰口行き下
り電車で帰途につく。


(参加 12人、天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 三ヶ尻、 歩行地
 嵐山町、深谷市、歩数 20,700)




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間もなく再開します

2017-12-12 14:52:57 | Weblog
 2017年12月12日(火)

 パソコンが不調になり新しいパソコンに買い換え、一昨日10日に入荷しました。

 ただ、古いパソコンのデータを新しいパソコンに移し替えしてもらうよう、買った家電
量販店に依頼したのですが、古いパソコンのデータ読み出しが全くできないとわかり、あ
きらめざるを得ませんでした。

 したがって、今年6月頃からのデジカメで撮った画像データや、20年以上前から書き
ためていたワープロのデータ、メールアドレスなどもすべて消えてしまいました。

 前々回にアップした上田周辺への旅の写真も無くなってしまったので、2日目のレポー
トは省略することになりそうです。

 新しいパソコンのOSは当然ながらWindows10ですが、古いパソコンはWindows7でした
ので、10に慣れるまでに少し時間がかかりそうで、あわせてパソコンメーカーも変わった
ので、キーボードの機能キーの配置が今までと違い、これも早く慣れなくてはなりません。

 それやこれやで、しばらくは新しいパソコンに慣れるための時間をかけなければなりま
せんが、次のウオーキングレポートも近日中にアップしたいと考えていますので、これか
らもご覧下さいますようよろしくお願いいたします。
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