2021年11月16日(火)
自宅を7時28分頃出て、JR東京駅に9時10分頃着いた。朝食をせずに来たので構
内の駅弁専門店で朝食用の弁当を購入する(連れ合いとの2人分)。
東京駅9時33分発 東海道新幹線下り、ひかり637号の自由席に乗る。座席はかなり
空席があった。
昨年はコロナ渦で遠距離への旅行はしてないので、ジパング倶楽部の割引切符を利用す
るのは1年何か月ぶりになるのだろうか・・
静岡県内を通過中の10時22分頃、右手車窓からの富士山。
京都駅に12時12分に着き、近鉄奈良線のホームに回り、12時27分発近鉄奈良行
き急行電車に乗る。
近鉄奈良駅には13時13分に着いた。
今日の宿泊先である駅に近いビジネスホテルに行き、チェックインを済ませて荷物を預
ける。
近くのパン店のフードコーナーで遅い昼食を済ませ、奈良県庁前から南側の奈良公園に
入る。公園の広葉樹はかなり色づいていた。
一帯は興福寺境内で、北参道を少し南進すると右手に平成30(2018)年10月に
再建された中金堂(ちゅうこんどう)が見えてきた。
興福寺には何度か来ているが、再建された中金堂を見るのはもちろん初めて。
中金堂の背後は仮講堂のよう。
今回の目的のひとつは、中金堂の南東側に立つ国宝 五重塔特別公開の拝観である。
拝観券(1000円)を求めて急階段を初層まで上がり、心柱の四方に安置されていた
「塔本四方仏」と呼ぶ薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来像を拝観した。
興福寺五重塔の上棟は応永33(1426)年とか。4体の仏像は、塔が再建されて間
もない享徳年中(1452~55)から寛正3(1462)年にかけて造られたことが分
かっているという。
特別拝観エリアは撮影禁止なので、拝観受付でもらった折り込みのリーフレットから。
東方の薬師如来像
南方の釈迦如来坐像
北方の弥勒如来坐像
西方の阿弥陀如来坐像
なお、五重塔は来年から、明治33(1900)年以来120年ぶりの大規模修理に入
り、修理期間は約10年とも予想されており、文字通り「令和の大修理」になるという。
五重塔前から、蘇った中金堂↑と北側の東金堂↓(とうこんどう)。
この東金堂と国宝館も観覧できるので共通券を求め、まずは東金堂へ(共通券900円)。
本堂にあたる中金堂の東側にあることから東金堂と呼ばれ、現在の建物は応永22
(1415)年の再建で国宝という。
堂内には薬師如来像(国重要文化財)を中心に、十二神将立像が並び、その両横を持国
天、多聞天、増長天、広目天の四天王立像が配置されている。ここも堂内は撮影禁止なの
で、もらった5つ折りのリーフレットから。
東金堂の本尊で、中央に鎮座する重要文化財の銅造薬師如来像
本尊の左右にはいずれも国宝の維摩居士(ゆいまこじ)座像と文殊菩薩座像が
その両横は重要文化財の銅造月光菩薩像(左)と日光菩薩座像(右)
国宝の木造十二神将立像を3体ずつ、本尊薬師如来を挟んで左右に各6体ずつ立つ。
これらの仏像を守るように4隅に立つ国宝木造四天王像
堂内いっぱいに配置されていたこれら国宝や重要文化財の仏像群は壮観で、いずれも丹
精な彫刻の技と表情などの迫力に圧倒された。
ちなみに、鎌倉時代の十二神将12体すべてが残っているのは貴重なところのよう。
この後は北側の国宝館へ。
館内には、国宝八部衆立像の阿修羅像や、興福寺の歴史を伝える仏像や典籍、古文書、
絵画、工芸品などを展示している(撮影禁止)。
15時40分頃観覧を終え、南側の猿沢池の方向に向かう。中金堂の南側の回廊跡には
基壇と礎石の一部が残されていた。
西南側には納経所や一言観音堂があり、その向こうに南円堂が望まれる。ちなみに南円
堂は西国三十三所霊場第9番札所で、以前参拝したときに御朱印をいただいている。
回廊跡から階段を下ると、西側斜面のカエデがよい彩り。
少し東進したところに「植桜松楓之碑(しょくおうふうのひ)」が立ち、傍らにその説
明パネルがある。
その横から幅広い52段の石段を下って猿沢池の東北側へ。そばにある吉田屋旅館は、
修学旅行で泊まった宿。もう60数年も前のことだが、名前は覚えていて、宿の前で撮っ
た記念写真も残っていた。
16時近くなり、陽が傾き猿沢池に影を映す。
池の東南側には、真っ赤なちょうちんが幾つも飾られている。何のためだろう・・・
その辺りから望む南円堂周辺。
その東側には、何本かの木々が彩りを競う。
池の南西側に回ってベンチで小休止して、池越しの五重塔を眺める。五重塔を背後に記
念写真を撮るのが、多くの修学旅行生の定番だったことを思い出す。
60数年前の修学旅行時の同じ位置の風景↑と記念撮影↓
来年から五重塔の大修理に入ると、しばらくはこの風景も見られなくなりそうだ。
もう一度南円堂周辺も眺めた。
ベンチで菓子を食べていたら、私にもちょうだいと鹿が近寄ってきた。
かなり陽が傾いてきたので、16時20分過ぎに猿沢池の西北端辺りから池を離れた。
JR奈良駅方面に向かう通りの入口際に、采女(うねめ)神社があった。境内は柵に囲
まれて入れず、社殿も小さめ。
道路際の説明パネル。
その先両側には、土産物店やカフェなどが並んでいる。
少し進むと、高札場が復元されていて、その下に奈良市道路元標がある。いずれも当初
は約20m西方に設置されていたが、2010年5月の平安遷都1300年を記念して移
設したという。
その先南側に、アーケードに覆われた商店街「餅飯殿(もちいどの)センター街」があ
るったので入ってみた。
奈良で最も古い商店街のひとつのようで、その由来を記したパネルもある。
間口が狭く奥行きのある商店が建ち並び、ユニークな店も多い。
人通りの少なくなった辺りで引き返した。
少し先、奈良駅寄りの十字路際には南都銀行本店がある。この建物は大正15(1926)
年4月、奈良郵便電信局跡地に旧六十八銀行の奈良支店として竣工されたものとか。
外壁に岡山産の花崗岩と褐色の煉瓦を使用した鉄筋コンクリート造3階(一部4階)地
下1階の建物。奈良唯一のギリシア様式建築で県内では貴重な洋風近代建築として、平成
9(1997)年に国の登録有形文化財になったという。
その横を北に向かうアーケードの細い通りは「東向(ひがしむき)商店街」。
ここもかなり賑わっていて、近鉄奈良駅方面に向かっているので進むことにする。
17時過ぎで、わが家のいつもの夕食時刻には早いが、「うどん麦の蔵」という店が気
になり、行き戻って入り「鴨汁つけ麺」を注文して軽い夕食とした。
「東向商店街」の北端を出た横が近鉄奈良駅の東側(改札口やプラットホームは地下1
階)で、近くに行基菩薩立像がある。
近鉄奈良駅ビル
近くのコンビニで夕食の補食など飲食物を購入し、18時頃、宿泊するビジネスホテル
に入る。
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自宅を7時28分頃出て、JR東京駅に9時10分頃着いた。朝食をせずに来たので構
内の駅弁専門店で朝食用の弁当を購入する(連れ合いとの2人分)。
東京駅9時33分発 東海道新幹線下り、ひかり637号の自由席に乗る。座席はかなり
空席があった。
昨年はコロナ渦で遠距離への旅行はしてないので、ジパング倶楽部の割引切符を利用す
るのは1年何か月ぶりになるのだろうか・・
静岡県内を通過中の10時22分頃、右手車窓からの富士山。
京都駅に12時12分に着き、近鉄奈良線のホームに回り、12時27分発近鉄奈良行
き急行電車に乗る。
近鉄奈良駅には13時13分に着いた。
今日の宿泊先である駅に近いビジネスホテルに行き、チェックインを済ませて荷物を預
ける。
近くのパン店のフードコーナーで遅い昼食を済ませ、奈良県庁前から南側の奈良公園に
入る。公園の広葉樹はかなり色づいていた。
一帯は興福寺境内で、北参道を少し南進すると右手に平成30(2018)年10月に
再建された中金堂(ちゅうこんどう)が見えてきた。
興福寺には何度か来ているが、再建された中金堂を見るのはもちろん初めて。
中金堂の背後は仮講堂のよう。
今回の目的のひとつは、中金堂の南東側に立つ国宝 五重塔特別公開の拝観である。
拝観券(1000円)を求めて急階段を初層まで上がり、心柱の四方に安置されていた
「塔本四方仏」と呼ぶ薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来像を拝観した。
興福寺五重塔の上棟は応永33(1426)年とか。4体の仏像は、塔が再建されて間
もない享徳年中(1452~55)から寛正3(1462)年にかけて造られたことが分
かっているという。
特別拝観エリアは撮影禁止なので、拝観受付でもらった折り込みのリーフレットから。
東方の薬師如来像
南方の釈迦如来坐像
北方の弥勒如来坐像
西方の阿弥陀如来坐像
なお、五重塔は来年から、明治33(1900)年以来120年ぶりの大規模修理に入
り、修理期間は約10年とも予想されており、文字通り「令和の大修理」になるという。
五重塔前から、蘇った中金堂↑と北側の東金堂↓(とうこんどう)。
この東金堂と国宝館も観覧できるので共通券を求め、まずは東金堂へ(共通券900円)。
本堂にあたる中金堂の東側にあることから東金堂と呼ばれ、現在の建物は応永22
(1415)年の再建で国宝という。
堂内には薬師如来像(国重要文化財)を中心に、十二神将立像が並び、その両横を持国
天、多聞天、増長天、広目天の四天王立像が配置されている。ここも堂内は撮影禁止なの
で、もらった5つ折りのリーフレットから。
東金堂の本尊で、中央に鎮座する重要文化財の銅造薬師如来像
本尊の左右にはいずれも国宝の維摩居士(ゆいまこじ)座像と文殊菩薩座像が
その両横は重要文化財の銅造月光菩薩像(左)と日光菩薩座像(右)
国宝の木造十二神将立像を3体ずつ、本尊薬師如来を挟んで左右に各6体ずつ立つ。
これらの仏像を守るように4隅に立つ国宝木造四天王像
堂内いっぱいに配置されていたこれら国宝や重要文化財の仏像群は壮観で、いずれも丹
精な彫刻の技と表情などの迫力に圧倒された。
ちなみに、鎌倉時代の十二神将12体すべてが残っているのは貴重なところのよう。
この後は北側の国宝館へ。
館内には、国宝八部衆立像の阿修羅像や、興福寺の歴史を伝える仏像や典籍、古文書、
絵画、工芸品などを展示している(撮影禁止)。
15時40分頃観覧を終え、南側の猿沢池の方向に向かう。中金堂の南側の回廊跡には
基壇と礎石の一部が残されていた。
西南側には納経所や一言観音堂があり、その向こうに南円堂が望まれる。ちなみに南円
堂は西国三十三所霊場第9番札所で、以前参拝したときに御朱印をいただいている。
回廊跡から階段を下ると、西側斜面のカエデがよい彩り。
少し東進したところに「植桜松楓之碑(しょくおうふうのひ)」が立ち、傍らにその説
明パネルがある。
その横から幅広い52段の石段を下って猿沢池の東北側へ。そばにある吉田屋旅館は、
修学旅行で泊まった宿。もう60数年も前のことだが、名前は覚えていて、宿の前で撮っ
た記念写真も残っていた。
16時近くなり、陽が傾き猿沢池に影を映す。
池の東南側には、真っ赤なちょうちんが幾つも飾られている。何のためだろう・・・
その辺りから望む南円堂周辺。
その東側には、何本かの木々が彩りを競う。
池の南西側に回ってベンチで小休止して、池越しの五重塔を眺める。五重塔を背後に記
念写真を撮るのが、多くの修学旅行生の定番だったことを思い出す。
60数年前の修学旅行時の同じ位置の風景↑と記念撮影↓
来年から五重塔の大修理に入ると、しばらくはこの風景も見られなくなりそうだ。
もう一度南円堂周辺も眺めた。
ベンチで菓子を食べていたら、私にもちょうだいと鹿が近寄ってきた。
かなり陽が傾いてきたので、16時20分過ぎに猿沢池の西北端辺りから池を離れた。
JR奈良駅方面に向かう通りの入口際に、采女(うねめ)神社があった。境内は柵に囲
まれて入れず、社殿も小さめ。
道路際の説明パネル。
その先両側には、土産物店やカフェなどが並んでいる。
少し進むと、高札場が復元されていて、その下に奈良市道路元標がある。いずれも当初
は約20m西方に設置されていたが、2010年5月の平安遷都1300年を記念して移
設したという。
その先南側に、アーケードに覆われた商店街「餅飯殿(もちいどの)センター街」があ
るったので入ってみた。
奈良で最も古い商店街のひとつのようで、その由来を記したパネルもある。
間口が狭く奥行きのある商店が建ち並び、ユニークな店も多い。
人通りの少なくなった辺りで引き返した。
少し先、奈良駅寄りの十字路際には南都銀行本店がある。この建物は大正15(1926)
年4月、奈良郵便電信局跡地に旧六十八銀行の奈良支店として竣工されたものとか。
外壁に岡山産の花崗岩と褐色の煉瓦を使用した鉄筋コンクリート造3階(一部4階)地
下1階の建物。奈良唯一のギリシア様式建築で県内では貴重な洋風近代建築として、平成
9(1997)年に国の登録有形文化財になったという。
その横を北に向かうアーケードの細い通りは「東向(ひがしむき)商店街」。
ここもかなり賑わっていて、近鉄奈良駅方面に向かっているので進むことにする。
17時過ぎで、わが家のいつもの夕食時刻には早いが、「うどん麦の蔵」という店が気
になり、行き戻って入り「鴨汁つけ麺」を注文して軽い夕食とした。
「東向商店街」の北端を出た横が近鉄奈良駅の東側(改札口やプラットホームは地下1
階)で、近くに行基菩薩立像がある。
近鉄奈良駅ビル
近くのコンビニで夕食の補食など飲食物を購入し、18時頃、宿泊するビジネスホテル
に入る。
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