あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

やまさんの旅人活動50年祈念誌「みちをひらく」発刊

2012-01-30 16:22:59 | ウオーキング
 カントリーウオーカーで、青少年国際野外旅行研究会の代表でもある「やまさん」こと
山浦正昭さんが、歩く旅の活動を開始してから50年になるのを記念して、自主制作した
冊子「みちをひらく」が完成し、1月30日(月)の今日、わが家にも届きました。

        表紙
           

 B5判300頁に及ぶもので、50年前の1962年2月の高校卒業記念に、友人と2
人で行った九州一周旅行以来、歩く旅のパイオニアとして活動して独自の世界を切り拓い
てきた活動の記録が中心です。

 やまさんは、25歳で会社を退職して半年間の予定で日本を発ち、ユースホステル運動
発祥の国ドイツに行き、イギリス、フランス、オランダを回ってドイツに戻り、その間多
くのユースホステルに泊まり、1か月半かけて船で帰国し、この体験を生かして日本ユー
スホステル協会職員となり、歩く旅の指導を続けました。

 その後、少年たちと日本列島を徒歩旅行する「やまさんの千里道場」を12年間続け、
6000㎞を歩いて終止符を打ちました。

 続いて、カントリーウオークの普及指導に力を注ぎ、そのひとつである朝日新聞に連載
した「カントリーウオークへの招待」で、多くの読者からの反響を得たことから、全国に
点在している人たちの横のつながりをと、「のみちネットワーク」を立ち上げました。

 私も、その活動に参加した一人です。

 それらの間には、ユースホステル協会を40歳で退職して、ホステリングの先進国であ
るイギリスとドイツで歩く旅の経験を重ねたり、ご夫婦で10年をかけてヨーロッパ縦断
4000㎞の徒歩旅行、武蔵野線をひと駅ずつ22年かけて歩く「カタツムリ歩行」、外
国人のための歩く旅のコース「国際ウオーキングトレイル」づくり、国際的な青少年の野
外旅行活動の研究と指導者の養成を目指した活動などを続けてこられました。

 やまさんは、これらの活動を多くの人に理解してもらうための冊子造りも続けており、
NHK出版や実業之日本社、新評論、経済界、まつやま書房などから9冊の市販図書を出
版し、毎年のように発刊した自主刊行物は数十冊に及んでいます。

 本冊子は、やまさんのそれらユニークで多彩な歩き旅の活動をまとめたものですが、ほ
かに、やまさんと交流のあったマスコミや有識者、ユースホステル活動、歩く旅仲間など
116人に及ぶ方々から寄せられたメッセージも盛り込まれており、やまさんの交友の多
さと多彩さにも感心しました。

        裏表紙
          

 これからゆっくりと目を通して、やまさん長年の活動の様子を理解したいと思いますが、
最初に「歩く旅で日本と日本人を元気に、パワーアップ」、次世代の旅人へのメッセージ
として、「3年間、日本と海外を武者修行の歩き旅で自分を磨き、自分を鍛える」、さら
に「これからの世代の人にしたい、させたい4大目標」といった、やまさんの目指す歩き
旅の指針ともいうべきことが述べられています。

なお、自主刊行物で少部数ですが、希望者には協力金3000円で分けてもらえます。
 


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寒風に立つ夕暮れの富士(埼玉・所沢)

2012-01-29 18:02:15 | 所沢だより
 今日、1月29日(日)は快晴となりましたが、1日中北西の風が吹き、厳しい寒さ
が続いています。

 所沢市の最高気温は5℃とか。風が冷たかったので体感温度は0℃前後かもしれません。
15時半過ぎに軽い市内ウオーキングに出かけました。

 17時近く、自宅に戻る途中、高台の住宅の間から日没直前の富士山が眺められました。


 風が強いので、こういう日は遠望には適しています。何度か紹介している、自宅近くの
展望地に回ったら、奥多摩の大岳山や御岳山奥の院などが、いつもよりくきりと眺められ
ました。


 富士山も同様、寒風の中、どっしりと立っています。




 帰宅後、所沢市の現在の気温を日本気象協会のウェブページで見たら、2.6℃との
こと。この寒さはいつまで続くのでしょうか。

 帰宅したら連れ合いが、少し前に富士五湖周辺を震源とする地震があったとか。そう
いえば2、3日前にも同じあたりの地震がありました。富士山も寒くて、身震いしたの
でしょうか…?



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横浜市電保存館(神奈川)

2012-01-28 17:28:54 | 鉄道
 2012年1月19日(木)

 当ブログの3つ前に紹介した『横浜 磯子七福神巡り』の中で、横浜市電保存館に立ち
寄ったことを紹介しましたが、もう少し館内の様子をご覧頂くことにしましょう。

 横浜市電保存館の入口。バス通りに面したゲートをくぐり、正面の5階建て集合住宅
の1階部分が保存館になっています。


 入った右手に受付があり、自動販売機で入場券を購入して入館します。なお、入館料
金は大人・高校生100円、中・小学生50円、65歳以上と就学前児童は無料です。

 受付の横には売店があり、市電ゆかりの商品が購入できます。

 その前は市電歴史ホールになっていて、横浜市電の歴史が写真・年表・映像などにより
紹介されていました。



 年表パネルの前には、市電の乗り換え乗車券や記念切符などが、ガラスケースに入っ
て展示されています。




 パネルの最後は、市電が廃止されたときのこと。


 パネルや記念乗車券などのコーナーの奥、記念館の約半分を占めるスペースに、横浜
市電の保存車輌が並んでいます。




 保存車輌のほとんどのドアは開いていて、中には入れるようになっていました。


 保存車輌コーナーの1番奥は、電停カフェと呼ぶ一角で、売店と数宅の木製テーブル
と椅子が並び、休憩したり飲食も出来るようになっていて、飲物の自動販売機も並んで
います。


 売店に並ぶ賞品や雑誌は、昭和30~40年代頃のものだったように思います。


 この売店の右手にビデオの再生装置があり、市電が廃止された昭和47年(1972)
3月に近い頃に撮った、市電の映像が上映されていましたが、スタンダードサイズで撮影
したと思われる映像を、ワイドスクリーンに上映するために横長に変換したのか、正面か
ら見ると縦長のはずの市電が真四角に近い形になっていて、不自然に感じました。

 市電を見たことのない若い人がこの映像を見ると、市電はこんな四角い車輌だったのか
と思うかもしれません。

 売店の左手にあった無蓋貨車。大正3年(1914)、キリンビールを運ぶために製造
された1両のようです。


 そばにあった運転台の一部。


 資料館の約半分のスペースを占める保存車輌の一角。


 その車輌の一つの窓下にあった宝くじの広告。




 並ぶ車輌の間には、古い集電装置であるポールも残っていました。


 ⑥系統を走った1601号車両


 これは、先代横浜駅東口に掲げられていた大時計。昭和3年(1928)に旧横浜駅が
完成したときから、昭和54年(1979)2月までの約50年使われたもの。


 1100型は、昭和11年(1936)に新式中型ボギー車として5両購入されたとか。
その中の1つ、1104号。


 昭和5年(1928)から60両購入した500型の一つ。


 その車輌の内部だったと思います。

 こんな車輌に乗ったことを覚えておられる人は、もう数少ないのでしょうね…。

 横浜市電保存館の場所は、もと市電の滝頭(たきがしら)車庫があったところ。現在は
市営バスの車庫になっています。


 観覧を終えて出たら、入口のゲート付近に市電最後のポールが保存されていました。

 昭和3年(1928)開業の生麦線で使われていたもののようです。

 電停カフェの先に、鉄道コレクションルームと横浜交通プラザがあり、鉄道車輌模型の
展示、日本最大級の鉄道模型パノラマや運転シミュレーター、地下鉄コーナーなどもある
ようですが、時間の関係で観覧は省略しました。

 ちなみに、横浜市電は明治37年(1904)の神奈川停車場前~大江橋間の開通に始
まり、全盛期の昭和35年(1960)には15系統約50㎞の路線網を有していたとの
ことですが、昭和47年(1972)3月31日に残っていた3系統の廃止で、70年近
い歴史を閉じました。

 なお、横浜市電保存館の詳細については、このウェブページをご覧下さい。

 私は、市電保存館のある磯子区に住んでいたことがあるのですが、就学前のことなので、
市電に乗った記憶は全くありません。
 


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雪の後の庭に長い霜柱(埼玉・所沢)

2012-01-26 10:51:12 | 所沢だより
 2012年1月26日(木)

 大寒に入って本格的な寒気が襲来し、日本海側は大雪となっているようです。

 首都圏に23日夜から24日未明にかけて降った雪、わが家周辺では日陰を除いて
昨日でほとんど消えました。

 昨年12月上旬からのからから天気でパサパサになっていて、霜も出来なかったわが
家の庭も、今週に入ってからの雨と雪ですっかり湿り、今朝は長い霜柱が出来ました。

 

 霜柱の長さは4~5㎝くらいあり、久しぶりの大霜です。
 

 

 

 

 この寒波はまだしばらく続きそう。2月3月も気温は全国的に低めとか。皆さんお互い
に、風邪を引かぬよう注意しましょう。
 



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雪の所沢航空記念公園 彩翔亭(埼玉)

2012-01-24 16:24:27 | 所沢だより
 2012年1月24日(火)

 昨夜半から明け方にかけて首都圏では積雪となり、JR常磐線や武蔵野線などが午前
中は運休になったようです。わが家でも数㎝の雪が積もりました。

 雪は朝までには上がり、午前中は青空が広がりました。日陰の道路に残った雪が凍っ
て滑りそうなので、長靴を履いて所沢航空記念方面へウオーキングに出かけました。

 わが家のそばにある、西武池袋線を越える学童用歩道橋からの、奥多摩の山並みなど
の展望。


 昨年今頃は仮住まいしていた、弥生町にあるお寺の門前のお地蔵さん。


 所沢郵便局に寄り、当選したお年玉はがきで賞品の切手シートをもらい、南側の所沢
航空記念公園へ。市立図書館近くのソメイヨシノの木の下に、ダルマが並んでいました。


 何度か紹介している公園内の日本庭園、彩翔亭(さいしょうてい)に入ります。


 茶室の南側にある池は、珍しく半分以上凍っていました。


 茶室前のロウバイ


 茶室から池を眺めるとこんな感じ。


 東側の竹林の竹は、雪の重みで傾いていました。


 東屋に近い西側が凍った池。


 日陰になっているシャクナゲには、まだ雪がいっぱい。


 池の南側の広葉樹林、葉が無いので太陽が差し込み、雪はほとんど落ちていました。




 池の南側、築山から見下ろす茶室。


 池に流れ込む小さい方の流れ。


 正午過ぎのこの頃は快晴でしたが、午後になると雲が広がってきました。


 入口付近に1本だけ色鮮やかなナンテンが…。


 10℃近くまで気温が上がったのか、日差しのあるところは雪解けがかなり進んだ
ようです。



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横浜 磯子七福神巡り(神奈川)

2012-01-21 18:27:49 | 七福神めぐり
 2012年1月19日(木)
 
 昨年12月上旬から続いていた、からから天気が明日から崩れるとの予報なので、今春
2度目の七福神巡りとして、横浜磯子七福神を回ることにした。

 横浜磯子七福神は大正7年(1918)に始まったといわれ、太平洋戦争の混乱で一時
途絶えていたが、昭和53年(1978)に磯子区制50周年記念事業の一環として、巡
拝コースが整備されたという。

 10時過ぎ、京浜急行の弘明寺(ぐみようじ)駅に下車する。七福神巡りの前に、駅の
すぐ東側にある、坂東三十三観音霊場第14番札所で「弘明寺観音」とも呼ばれている
弘明寺に参拝する。

 養老5年(721)、インドの禅無畏(ぜんむい)三蔵法師が仏教伝通のために日本に
渡来したときに開創され、天平9年(737)に諸国に悪病流行の際、行基菩薩が観音様
を彫刻し、安置したという。


 堂々たる本堂や太い柱とどっしりした屋根の鐘楼など、坂東札所にふさわしいたたずま
い。境内には、禅無畏三蔵法師ゆかりの七ツ石があり、霊石として多くの信仰を集めてい
るようだ。



 東側の石段を下り、これもどっしりした山門を出て、アーケードの続く観音通りの商店
街に入る。

 飲食店や喫茶、衣料店、靴店など並ぶ活気ある通りを進み、大岡川のさくら橋を渡り、
下を市営地下鉄1号線が走る県道21号へ。

 正面は横浜国大付属中の正門、門前にりっぱな「鎌倉街道」の石碑が立ち、下は地下鉄
弘明寺駅。横浜南警察署のすぐ先、旧道入口交差点から、その旧道に入る。

 善然寺前を過ぎ、大岡二丁目のポストのある角から左折する。上り坂の手前の十字路を
右折、大岡住宅前バス停の先で左折して、東側の大岡三丁目の台地に上がる。

 坂上バス停をピークに下りとなる。大黒天通りに平行する旧道に下って右折、南に少し
で最初の寺、大黒天の金剛院に入る。


 今春の七福神開帳は15日(日)で終わり、納経所は閉ざされている。本堂はコンクリー
ト製。左手の護摩堂のそばに、陶器製の大黒天とタヌキが並ぶ。


 その横のコンクリート製のひな壇にも、小さい七福神が並んでいた。


 地層の露出地点もある旧道を南側の笹堀交差点まで進み、大黒天通りに入る。左側、ポ
ストのある三差路を左折して岡村七丁目の住宅地へ。七曲がり坂を短縮する急階段を台地
に上がった(下の写真は階段上から振り返る)。


 すぐ先の笹堀第五公園横がピークで、その先は下り坂となる。左にカーブし、磯子六丁
目から古い住宅も残る七丁目へ。宮戸屋酒店や斜面にスイセンの咲く旧宅の前を進み、畳
店のところで磯子旧道の手前を走る細道に右折する。

 すぐ先に、「磯子観音」とも呼ばれる弁財天の金蔵院(こんぞういん)があった。


 開創は嘉暦3年(1328)、鎌倉幕府の3代執権北条泰時が、京の明恵上人から薬師
如来をいただき、本尊として祭ったという。

 南側背後に広葉樹林が広がり、本堂の左上に、上州、妙義神社の護摩堂を移築した、朱
塗り色鮮やかな観音堂が目につく。


 観音堂には、色あせてはいるが天井絵が描かれていた。


 磯子旧道に出て北東へ、国道16号に合してすぐ先、浜バス停の横から北西に入る。磯
子小の校門前が、毘沙門天の真照寺(しんしようじ)である。

 寿永元年(1182)、源頼朝の御家人で「吾妻鏡」に名のある平子平右馬丞有長が再
興した寺。有長は、頼朝が富士の巻狩りの折、曽我十郎と刃を合わせた人という。


 白亜コンクリート造りの本堂、正面から見ると人の顔にも見えるのは私だけだろうか…。
毘沙門天は、本堂右手の庫裡(くり)の前に、弘法大師像と並んで立っている。


 境内には、干支の守り本尊の新しい石造の仏像や、当山ご住職と14世ダライラマ法皇
との写真を刻んだ石碑などがあった。


 磯子小の北側を東進し、2つ目の交差点を左折して中浜町交差点を横断、滝頭二丁目に
ある布袋尊の密蔵院に入る。


 慶長時代(1596~1615)の開山といわれ、布袋尊はコンクリート造り方形屋根
の本堂の、わずかに開いた最前部に安置されていた。境内には、枝をいっぱい伸ばしたイ
チョウが立つ。


 密蔵院前の通りを北へ、300m足らずで横浜市電保存館があったので入館する。昭和
47年(1972)3月末で廃止された横浜市電の、滝頭(たきがしら)車庫のあったと
ころ。65歳以上は無料である。


 館内には、横浜市電の歴史パネルや、記念乗車券、市電の運転台、パンタグラフなどと
ともに、保存されている市電6台や、貨物車も展示されている。



 最奥部にある、木製の円テーブルと椅子の並ぶコーナーを借りて、そばで上映している
廃止直前の市電の映像を見ながら昼食をした。

 すぐ北側の丸山二丁目交差点を左折、堀割川に沿った国道16号に出て、北側最初の橋、
根岸橋を渡る。流れには、レジャーボートが何台も係留されている。


 台地下の住宅地の中を進み、少し高見にある恵比寿尊の宝積寺へ。

 道路際に、大きな石に刻まれた真民の詩碑があり、山門前には、双体道祖神や関東大震
災の追悼碑、お地蔵さんなどが並ぶ。「あかし尋常小学校」の古い看板の掛かる山門を入る。


 正面にどっしりした本堂が立ち、その前にパンジーなどの花が咲く。シダレザクラや枝
振りのよい松、石灯籠、仏足石など、境内は趣きよいたたずまい。


 本堂左手には、赤いマントをまとったたくさんの水子地蔵が並んでいる。恵比寿神は、
本堂階段上に釣り竿を持って立っていた。


 ミツマタのつぼみがふくらみ、ロウバイやスイセンの咲く境内を出て、堀割川沿いに下
って磯子区と南区との区境の天神橋を渡る。


 国道の「南区」の標識横を西に入る。本立寺横を過ぎて、台地下を回って西側の石段を
上がると、豊富な広葉樹林を背にした寿老神の宝生寺境内に入る。


 もと灌頂堂だったという本堂は、延宝8年(1680)の造営で市有形文化財に指定さ
れている。

 背後の弘誓院に続く「宝生寺・弘誓院の寺林」は、タブノキ、スダジイ、シラカシなど
の常緑樹に覆われていて、商店街や住宅密集地に残る貴重な自然として、市の天然記念物
になっている。


 鐘楼前にはソテツの古木があり、近くには大きな「関東大震災韓国人慰霊碑」が立って
いた。

 肝心の寿老神はどこにあるのか…、本堂は閉ざされ、これまで回った何か所かで相次い
で出入りしていた、中年の姉妹らしいお二人にも分からなかったようだ。


 鐘楼の裏手、墓地の横に敷石があり、崩れていて危険の立て札があるが、広葉樹林に入
るとすぐにピークとなり、北に下って弘誓院の墓地を通過して本堂横に出る。


 コンクリート造り宝形屋根の弘誓院の、わずかに開いた本堂の最前部に、黒ずんだ福禄
寿が立っていた。本堂前庭は、広い砂利敷きになっている。


 今日回った七か寺とも、高野山真言宗の寺。この寺にも、弘法大師の修行大師像が立っ
ていた。

 午前中は薄日も出て幾分暖かさも感じられたが、午後はすっかり雲が広がり冷たくなっ
てきた。

 寺の北側に回って堀ノ内町の住宅地を西に進み、市営地下鉄の蒔田(まいた)駅に15
時3分に着いた。

 ちなみに、磯子七福神巡りの色紙と宝船は500円、朱印は各寺に用意してあり、参拝
者が各自で押印するようになっているようだ。

(コースタイム)京急弘明寺駅-2分-弘明寺-35分-金剛院-35分-金蔵院-13分
 -真照寺-10分-密蔵院-5分-市電保存館-15分-宝積寺-14分-宝生寺-5分
 -弘誓院-18分-蒔田駅 

(天気 晴後曇、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 横浜西部、戸塚、本牧、横浜東部、
 歩行地 横浜市南区、磯子区、歩数 18,300)
 


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所沢航空記念公園のロウバイ(埼玉)

2012-01-17 21:38:26 | 所沢だより
 2012年1月17日(火)

 昨日は1日中曇り空、市内の最高気温も4℃台で寒い1日でした。今日は青空が広がり、
幾分暖かみが感じられたので、市内ウオーキングで所沢航空記念公園に入り、ロウバイ園
に回ってみました。


 ロウバイ園といっても、植えられたロウバイは100本前後なので、そう見栄えはしま
せんが、かなり開花していて木のそばに近づくと甘い香りが漂っています。


 よく見ると、木により少しずつ色の濃淡があり、各々の花の付き方や開花の具合も異な
るので、一巡してきれいそうな花を撮ってみました。


 園内に掲示されていた写真付きの説明では、ロウバイには「満月」と[ソシン]という
2種類の花があり、多くは満月ですが花弁全体が黄色いのがソシン(素心)だそうです。


 15時半過ぎに入ったので一部は日が陰っていましたが、花の彩りをご覧下さい。















 全体的にはまだ満開とはなっていないので、いましばらく花を楽しめそうです。



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関東百駅巡礼歩行 西武狭山線 西武球場前駅(埼玉)

2012-01-15 19:17:35 | 関東百駅巡礼歩行
 2012年1月14日(土)

 9年目を迎えた、やまさんの「関東百駅巡礼歩行」、第81番目は、西武狭山線と山
口線のターミナルである西武球場前駅。わが家最寄りの西所沢駅からはわずか2駅目。
過去の百駅の中で最も近い駅である。

 西武池袋線からの直通電車もある狭山線には、10両編成が発着できるホームが3面
6線あり、西武ドーム↓でのパリーグプロ野球公式戦や、イベントが開催される日は賑
わうが、シーズンオフのこの日は閑散としていた。


 参加者は9人、初参加は5日前のLLウオークにも参加された、さいたま市在住で、も
と朝日新聞社カメラマンの金井さん(金井さんの出展された写真展のことは、昨年10月
20日の当ブログで紹介)。駅前で記念撮影をして11時10分にスタートした。


 西武狭山線の西側に平行する県道55号を、平成18年(2006)に廃止されたユ
ネスコ村敷地の東北端まで進んで左折し、上山口集落に入る。三差路際に赤ずきんを被
ったお地蔵さんが並ぶ。


 集落の西に、東京都の水源の一つである狭山湖の高い堰堤(えんてい)が見えてきた。
湖を水源とする柳瀬川の小さい橋を渡り、その堰堤の南端に上がった。


 湖畔には、近年完成した堰堤の耐震強化工事完成を記念して、石原都知事が記した石
碑が立ち、湖面の取水塔の向こうには、奥多摩の大岳山(1266m)や御岳山奥の院
のピークなどが望まれる。


 堰堤下は所沢市営の運動場になっていて、少年たちが動き回り、谷間の住宅地の向こ
うに、西武園遊園地の観覧車や展望塔などが一望できる。


 堰堤上を北端に向かう。中ほどには、多摩川を経由してこの湖の水源になっている奥
多摩の山並みのパノラマ図があり、いま見える山々の名を確認した。


    

 堰堤の北側にあった東屋のところに正午近くに着き、昼食とする。このあたりからは、
富士山も見えるのだが、雲が増えて右側の裾野が認識できただけだった。

 そばのパネルによれば、東京都と山梨県の水源林からの水は、いったん小河内ダムに
貯えられ、多摩川の小作(おざく)と羽村(はむら)の取水堰からこの山口貯水池(狭
山湖)と隣の村山貯水池(多摩湖)に導水され、山口貯水池では、都民の水道使用量の
約4日分(約2千万立方m)を貯めておくことができるという。


 ソメイヨシノの多い堰堤の北端から下の車道に下り、上山口集落の北西端に入り、高
台にある清照寺に行く。境内は狭いが、方形造りの本堂は趣(おもむき)がある。


 本堂に参拝して東に抜け、広葉樹林とお茶畑に囲まれた山間の社、天満天神宮に回る。


 私は、昨年春まで会社のOB会の会報配布のボランティアで、この横を年4回通過す
るとき、いつも立ち寄って参拝していた。東日本大震災後、会報配布は取りやめになっ
たので、今年の初参りとなった。


 神社の東側の広葉樹林は、県の緑のトラスト保全第二号地である「雑魚入(ざこいり)
樹林地」である。樹林の中の遊歩道に入り、ピークを越えて東に下ると、南側斜面は、
トトロのふるさと基金で買い上げて保存する「トトロの森1号地」の森が広がっている。


 遊歩道を東に抜けた近くには、「トトロの森3号地」の斜面も保存されていた。


 柳瀬川に沿った車道に出て東へ、高橋交差点の先から南に入り、柳瀬川の南側に続く農
家と新興住宅地と畑との混在した集落を、しばらく東に進む。

 西武園ゴルフ場の北側の旧道を回り、雑木林の谷間にあり、屋根上に雑草や木の茂った、
県の「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」に入った。



 左手の展示場には、狭山丘陵に生息する鳥や動物のはく製、採集した植物、写真や解説
パネルなどが展示されていて、わが家と同じ大字(おおあざ)で捕獲されたというタヌキ
のはく製もあった。


 Iさん差し入れのようかんを頂いたりしてゆっくり観覧してから館内を出て、南側にあ
る標高119mの「荒幡の富士」に登頂する。


 荒幡の富士は、地元荒幡村のシンボルだった富士塚を移転構築することになり、明治17
年(1884)から同32年にかけて、村内の信者や近隣の村々の有志も加わって営々と築
いたもの。近隣の人工の富士でも最大のものとなり、登山道脇の築山碑に文人大町桂月もそ
のことを記している。

 登山道は北側の浅間神社の横から始まり、折り返し点ごとに一合目、二合目と十合目まで
の標石が立ち、山頂には小さい石のほこらが祭られている。


 山頂からは、本物の富士山も眺められ、西武球場前駅に集合前の朝10時過ぎ、私が立ち
寄って登ったときには、松の木の間にかすかながら認識できたが、午後になって雲が増えて
隠されていた。


 東側には新宿副都心のビル街や、間もなく完成の東京スカイツリー(634m)などが望
まれる。


 目を北に転じると、西武池袋線小手指(こてさし)駅周辺の建物群などが一望できる。



 荒幡の富士を下山し、いきものふれあいセンターの横の林を北に下り、山口の住宅地を抜
けて、今日のゴール、西武狭山線の中間駅、下山口駅に14時33分に着いた。

 私は駅で皆さんに別れ、さらに北東へ歩き知った道を戻り、15時10分に帰宅した。

(天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 所沢市、歩数 13,400)



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LLウオーク 館林~多々良沼~近藤沼~赤岩(群馬)

2012-01-11 12:47:27 | ウオーキング
 2012年1月9日(祝・月)

 「やまさん」こと、カントリーウオーカーの山浦正昭さんが、4年前から正月に実施
している『LL(Lake to Lake)ウオーク』、その16回目が成人の日に行われた。

 集合は、昨年のゴールである東武伊勢崎線の館林駅に10時。新装なった駅前広場に
集まったのは、やまさんのほか埼玉県の4人と、地元邑楽町(おうらまち)にお住まい
で、このウオークは初参加のKさんの6人、いずれも中山道ウオークのメンバーである。

 隣駅、茂林寺前駅に近い茂林寺ゆかりのタヌキや、設立当初の巨人軍のキャンプ地、
分福球場での猛練習(このことを知る人は相当の高年齢者)のことを記した記念碑の前
で記念撮影をして、駅東口を10時10分に出発した。


 西口に回って伊勢崎線の線路に沿って進み、最近開通したらしい広い道路に出ると、
北側に平屋建ての大きな工場があった。皇后さまゆかりの正田醤油の工場である。


 東武小泉線の踏切を越えて国道122号を横断、新栄町から北成島町へと進む。住宅
地の中に、いまは需要も少なくなっていると思われる旗の店があり、成人の日の今日は、
国旗が掲揚されていた。


 付近は畑も多く、農家の作業施設だろうか、こんな大きな建物も見られる。



 住宅地の北側で、多々良沼(たたらぬま)に沿ったりっぱな赤松林に入った。林の中
には、ところどころに野外彫刻が置かれている。


 松林を抜けて田んぼの中を多々良沼の東部に向かう。北側には、雪を被った男体山な
ど日光連山、上毛三山の一つ赤城山などの山並みが遠望できるが、今日は風がなく穏や
かな日和なので、それらは霞んでいた。


 北東には、やまさんなどと以前に関東百駅順礼歩行で来たときに入館した、県立美術
館も見られる。



 多々良沼の東側沼辺に出ると、たくさんのカモに混じり北国から飛来した白鳥が岸辺
に集まっていたが、以前Kさんの案内で回った対岸の弁天堂付近の方がはるかに多い。


 沼の東側から南側にかけては、県立多々良沼公園として整備されている。公園の自然
観察池から中央広場を経て里山ゾーンを西に抜けた。


 沼際を離れて「スーパー魚丈」のある交差点に出て、次の近藤沼に向かう。

 東武小泉線成島駅の西側の踏切を越えて、交通量の多い国道354号を横断、館林市
市立十小の通りを南に進んで、鶴生田川(つるうだがわ)沿いに出た。


 川沿いを進むと、水辺で休んでいた10羽前後のカモが、われわれに驚いて飛び立つ。

 1㎞余り進んで長方形の近藤沼の東北端に正午近くに着き、ここで昼食とする。


 沼の北岸には桜並木が続き、花どきにはよい花見の場所となりそう。沼では釣り糸を
垂れる人の姿も見られる。


 20分ほどで沼を離れて下三林町に入り、県道83号に面した長良神社の横を通過する。

 田んぼのあぜ道を南に進み、次の入ヶ谷町の県道361号際には、菅原神社が狭い高
台の上に祭られていた。


 県道のすぐ東の橋際、昭和天皇のご成婚記念碑のところから川に沿って南へ。工業団
地と田んぼを造成した広い空き地の間を進み、明和町大輪の住宅地を抜けて、利根川左
岸堤防に上がった。


 下流すぐ近くに、県道122号の昭和橋が望まれ、近くに利根川河口から151.5
㎞の標識が立つ。


 広々とした河川敷に繁る枯れススキや、堤防の北側に広がる明和町の家並みなどを眺
めながら上流に向かう。風がなく気温も幾分高め、新年になって初めての絶好のウオー
キング日和だが、遠方はさらに霞み、日光連山や北から西の山並みはほとんど認識でき
なくなった。


 次第に近づく武蔵大橋に向かって進み、橋の北詰に出た。

 橋のすぐ上流が満々と水をたたえた利根大堰(おおぜき)。全長は約700mあり、
対岸の埼玉県側の取水口から昭和44年(1969)年4月に取水を開始して、首都圏
の飲料水や工業用水、利根川中流域のかんがい用水などに供給されている。


 ちなみに最近の報道では、取水口近くで観察された昨年のサケの遡上数が1万5千匹
を超えており、過去最大だったという。 詳細は、このウェブページを…。

 利根大堰のあたりから、利根川の流れは右に緩やかにカーブする。満々とたたえた水
面ではジェットスキーが、上空には近くの河川敷から上がったモーターグライダーが、
激しい音を立てて移動していた。


 一方、3~4㎞先の妻沼グライダー滑空場から離陸したグライダーが数基、音もなく
上空や前方を飛翔するのが望まれる。

 瀬戸井集落の東端付近の堤防上にあった、水辺運動広場の東屋で休憩する。


 しっかりした足取りでウオーキング中の女性が来たので、声をかける。近くにお住ま
いで、間もなく喜寿になるとか。そうは見えない足取りに感心し、元気の秘訣などをう
かがった。

 堤防に上がってから7㎞ほど、河口から158.5㎞標識の近くに、今日のゴールの
赤岩渡船場があり、15時ちょうどに着いた。


 赤岩渡船の歴史は古く、永禄年間(1558~69)の上杉景虎の案内状にも記され
ており、江戸時代には年貢米や参勤交代の荷物、生活物資の集積地、上下流の物資の中
継地点として栄えたという。

 現在は、群馬県千代田町赤岩と埼玉県熊谷市葛和田(くずわだ)とを結ぶ県道熊谷館
林線の道路渡船として、地域の人に利用されている。

 次回は、この渡船を利用して埼玉県に入るので、管理小屋に寄ってみたら、地元の方
数人が寄り集まり、歓談していた。

 堤防上にあった標識のそばで、今回のゴールの記念撮影をする。


 そばのバス停からのバスは16時発なので、周辺を少し回ることにした。北側の赤岩
集落に入り、「赤岩不動」とも呼ばれる光恩寺へ。

 「北関東三十六不動尊霊場第十一番札所」と掲げられた山門前には、お堂に入ってい
ない仁王像が立っていた。


 本堂の天井には龍の天井絵があるが、正面の扉はわずかしか開かず、全面を見ること
はできない。

 境内東側には、対岸の熊谷市葛和田出身で日本最初の女医、荻野吟子(おぎのぎんこ)
生家の長屋門が移築されていて、国登録有形文化財に指定されている。


 そばに、最近できたらしい荻野吟子像が立っていた。


 境内西側、コンクリート製の建物の下には、県指定重要文化財の地蔵菩薩画像板碑が
保存されていた。鎌倉時代の文永8年(1271)の制作で、画像板碑としては最古に
属するものという。

 ここで、地元から初参加のKさんが、自宅まで歩いて帰宅されるというので分かれる。

 門前の通りを東から北に回ると、光恩寺の境内が続いていて、全長80m、高さ8m
ほどの前方後円墳で、古墳時代のものと推定される堂山古墳があり、後円部頂上には光
音寺の鐘楼が設置されていた。


 古墳の前には、県重文の阿弥陀三尊を祭る阿弥陀堂があり、そばに、「弘法大師が安
置し、永享12年(1440)の結城合戦に焼け残った」ことなどが記されている。

 利根加用水を越えてさらに北へ、町民プラザを呼ぶ建物の前や町立体育館の横を通過
し、15時45分に千代田町役場に着く。


 少し遅れてきた16時5分発バスに乗ったら、70歳以上は無料という。16時35
分に館林駅に着き、すぐに来た久喜行き上り電車に乗る。

(天気 快晴、参加者 6人、距離 18㎞(役場まで20㎞)、地図(1/2.5万)
 館林、佐野、妻沼、(足利南部))、歩行地 館林市、明和町、千代田町、歩数
 32,100(役場まで)
 


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東京国立博物館の「北京故宮博物院200選」展へ

2012-01-06 22:11:37 | Weblog
 2012年1月6日(金)

 招待券が入手できたので、東京・上野の東京国立博物館平成館で開催中の「北京故宮博物
院200選」展に出かけました。

 正門を入った正面の池の前に、こんなキャラクターが。国立博物館のものでしょうか…。


 中庭には、枯れ枝になっていますが、かなりの大木が枝を伸び伸びと伸ばしています。




 こちらが目的の平成館。


 もっと並んでいるかと思って上野駅を降りたのですが、さほどでなくてひと安心。


 でも、最大の見ものとされる「清明上河図(せいめいじょうかず)」は、180分(3時
間)待ちのようで、見られそうにありません。


 10分余り並んで、正午過ぎに会場に入りました。


 2階の会場は、第1部と第2部とに分かれていました。第1部は「故宮博物館の至宝-皇
帝たちの名品-」というタイトルで、紀元前16世紀から18世紀にかけての「一級文物」
とよぶ日本の国宝に相当するような書や絵、容器や刺繍などが中心の展示です。

 この中に「清明上河図」もありましたが、並ばなかったので、そばを通過するだけでその
大きさを理解するぐらいで、描かれた絵はほとんど見られません。(下の絵は朝日新聞に掲
載の5mを超す絵の一部)


 これも朝日新聞に掲載の代表的な書の一部。


 第2部は、「清朝宮廷文化の文化の精粋-多文化の中の共生-」というタイトル、こちら
では、17~19世紀が主の清朝(しんちょう)時代の宝石や図、絵巻など、さらに、清朝
で集めた紀元前13世紀から20世紀にかけての玉(ぎょく)の製品、壺、香炉、仏具、仏
像など多彩な文物が展示されていました。

 この中で目についたのは、長さ10mを越えていると思われる「康煕帝南巡図巻」と呼ぶ、
長江に沿った人々の暮らし?と、広大な故宮のまつりの様子を描いた2つの絵巻でした。

 2時間半余り見たのでかなり疲れを感じ、平成館を出ることにしました。

 平成館の入口付近から見た前庭のあたり。↑ ↓


 ここからは出ず、左手の本館の方に回って庭に出ました。本館の前には、真生流の幹部が
活けたという、大きな生け花が並んでいました。




 東京国立博物館は、開館して140年になるようです。



 本館の入口付近。




 遅くなった昼食にと、博物館内のレストランに行ったのですが、待っている人が何人か居
たのであきらめ、上野駅のきっぷ売り場横の食堂に入りました。


 なお、展示内容など詳細は、「北京故宮博物院200選」の公式ホームページへ 
 


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