あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

パソコン更改作業中

2010-09-30 10:32:30 | Weblog
 7年近く使用して、すっかり動きが鈍くなったディスクトップパソコンを買い換え、
9月27日(月)に入荷しました。

 一昨日、昨日と、セットアップや、もとのパソコンからのデータや各種設定など
の移送作業などをしたのですが、まだ終わっていないものがあり、当ブログへの
投稿がとどこおっておりますが、もう少し時間をいただきます。

 
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秩父往還・甲州道を歩く①(埼玉)

2010-09-27 22:55:24 | ウオーキング
 関東百駅巡礼歩行などで知った、所沢市の I さんが関わっておられる、「所沢山里
探訪会」と「NPO秩父まるごと博物館」主催の催ししに参加した。

 9月26日(日)10時に西武秩父駅前に集合し、地図と見どころの解説の記された
資料をもらい、10時19分に出発した。

 土産店や飲食場所などの並ぶ仲見世通りを抜けて、秩父鉄道御花畑駅西側の踏
切を渡る。まずは秩父三十四観音第十一番慈眼寺(じげんじ)のそばの交差点へ。

 寺の前を南北に走る通りは、かつて地蔵川が流れていて、慈眼寺の地蔵堂は川沿
いにあったという。現在、川は暗渠(あんきよ)になっているようだ。

 道路沿いの地蔵堂や、精巧な木彫の施された慈眼寺本堂↑、薬師堂などを見る。
経蔵には、一切経(いっさいきょう)が1600巻余りが収蔵された、六角形の大きな
輪堂があり、参拝者が押すと回転するようになっていた。

 すぐ先左手に、埼玉県秩父地方庁舎がある。秩父地方は、江戸時代には「忍(おし))
藩秩父領」と呼ばれ、ここに代官所があり、明治、大正時代には、秩父郡役所があっ
たとのこと。庁舎の看板の下に、郡役所の写真が掲示されていた。

 上町一丁目交差点を左折して県道73号へ。北側の矢尾百貨店は、もと矢尾商店と
いい、創業者は滋賀県日野町の大橋喜兵衛で、江戸時代の店員は、全員近江から
の単身赴任者だったという。

 矢尾百貨店と道路を挟んで南側に、「松本教室」の看板の上がる古い建物があり、
中に入って見せてもらう。もとは旅館だった建物で、2階に上がると、学習塾に使われ
ている教室が4室ほどあり、中庭を挟んだ南側の広い敷地には、2棟の蔵や木造の
住居、井戸などが残っていた。


 旅館だった建物の内部は吹き抜けになっていて、太い柱や梁(はり)、2階の回廊
などの黒ずんだ木材が歴史を感じさせ、和紙で作られた長い行灯(あんどん)が吊さ
れていて、穏やかな光を放っていた。

 この建物は、国登録有形文化財となっている。

 県道を西に進むと、右手に木造3階の大きな建物がある。「三階松本」と呼ばれ、
秩父の代表的な養蚕農家だった、同姓の松本家のもの。蚕の飼育を増やすに従い、
2階屋では狭いので3階に増築したのだという。


 県道を400mほどで、秩父往還は右手の細い通りへ。市立図書館北の四差路際
に、小さい庚申堂があった。大正時代、この付近に伝染病がはやったとき、庚申様を
粗末にしているといわれ、ここに祭ったものらしい。


 秩父二中の横を回り、押堀川の大門橋を渡る。急坂を上がると、金仙寺(こんせん
じ)への長い参道の前に出る。金仙寺は橋久保大膳守の館跡といわれ、西は荒川
の断崖、北は押堀川の深い谷に囲まれた要害の地。秩父七福神布袋尊の寺だが、
時間の関係で境内には入らなかった。

 広い墓地の西に回ると、甲州武田家二十四将の一人、原隼人の墓がある。もとは
秩父二中前にあったが、校庭の拡張の際に朝礼台の下になり、校長や生徒に墓の
たたりといわれる病気が出て、この地に移して供養したという。
 

 近くの畑付近からは、石灰岩採掘で大きく姿を変えた、武甲山北面が望まれる。


 少し先の新興住宅地の北に、草に覆われた小さい丘があり、上に小さい祠(ほこ
ら)が見える。狐塚古墳と呼ばれ直径は24mあり、秩父地方では大きい円墳とか。

 昔この付近は「金泉寺原」と呼ばれ人家も無く、この塚に住み着いていた狐に、よ
く化かされたという。

 県道209号を横断し、影森中の正門前へ。1991年、当時の影森中の校長・小嶋
登作詞、音楽教師・坂本浩美作曲の「旅立ちの日に」は、現在、小中高の卒業式で、
全国で最も広く歌われる卒業式の歌。

 校庭にある歌碑を見せてもらい、そばにいた男子生徒にお願いしたら、2人で歌っ
てくれた。

 学校の先で右折、柳大橋に下る車道との交差点に、元禄時代(1688~1704)
の「二十六番道」と記された秩父札所の道標が残っていた。

 同じ時代の道標は、現在30基ほどあるという。

 細い甲州道をさらに進み、国道140号を横断する。ウッディコイケという木材加工
工場の横を通過し、影森駅前からの車道と合する交差点際に、地像堂があった。

 「延命地蔵堂」と記され、この地に接する4耕地を代表する旧家4家の地蔵だった
とのこと。下の写真は、地蔵堂の手前の秩父往還をふり返ったもの。


 旧家の残る宮本町の家並みを抜け、国道との合流点に近い台地上にある、諏訪
神社に12時45分に入り、境内で昼食とする。

 諏訪神社は、創立は不明だが天正5年(1577)の古い棟札が残り、「信玄焼」と
呼ばれる武田群の戦火にあった後に再建されたという。


 社殿横に樹齢600~700年、樹高40m、ご神木のスギの大樹があり、境内は
たくさんのスギに囲まれていた。

 境内には、秩父地方の農村歌舞伎舞台の典型的なものの一つという木造の舞台
もあるが、現在は公演は困難になっているという。

 国道に下って浦山口駅への道を入ると、不動名水と呼ぶ豊富な湧水が流れ落ち
ている。

 そばに不動堂があり、武甲山塊の地中深くから湧出したもので、古くから住民の
生活や旅人ののどを潤したと記されていた。飲んでみると、そう冷たくはないが、ま
ろやかな味わいだった。

 再び国道に戻る。久那橋への三差路際には、「左三峯山道 左廿八番道」と記さ
れた自然石の道標が立つていた。

 秩父鉄道の線路を越える手前には、「列士鈴木安吉碑」が立つ。秩父事件の際、
首領宮川安五郎を捕らえたため、戸長役場から金一封を賜った記念碑で、書は右翼
の大物、頭山満によるもの。

 秩父鉄道を越え、右手の旧道に入るあたりで浦山川が迫り、樹間はるか下に深い
流れが、上流正面には、浦山ダムの堰堤(えんてい)が望まれる。


 秩父市に合併した旧荒川村に入り、花盛りのソバ畑が増える。昨日今日、近くで
「新そばまつり」を開催中というので回ってみた。

 大きな変電所の北側に、花盛りの大規模なソバ畑が広がる。その周囲にテントが
たくさん並んでいたが、期待のソバはすでに売り切れ。売れ残っていた地元産品な
どを眺めて、しばし休憩する。

 その先の国道には、左側に新しい歩道が設けられていた。秩父鉄道が国道と交差
する近くに、即道(そくどう)神社(右)と薬師堂(左)の小さい社が並んでいた。

 「即道」とは、元禄の頃に出家した人だが、奇人として数々の逸話が残っていると
いう。

 即道神社の中にある爪彫石は、即道が富士山から袂(たもと)に入れて持ち帰った
もので、刻まれた文字は即道が爪で刻んだものとか…。薬師堂内には、即道が彫っ
たという木造薬師如来像が安置されていた。

 秩父鉄道の線路沿いを進み、武州中川駅に寄る。再び国道に出て荒川総合支所
の手前で右に入る旧道へ。旅館だったという坂口屋の先で左へ急カーブして、細道
を抜けて国道に戻る。

 小さい流れの先、右手下にも薬師堂がある。ここにも、即道が彫った、木造の薬師
如来立像が安置されている。お堂の横のヒガンバナが、見ごろになっていた。


 国道の改良で自動車通行禁止となった、旧国道の安谷橋を渡り、ゴールの秩父鉄
道武州日野駅に15時42分に着いた。

 道すじにに残る数々の建物や、遺跡、道しるべ、社寺などについて、詳しい説明を
していただきながら歩き、秩父往還・甲州道を知る大変よい機会となった。

(天気 晴後曇、参加 13人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地
 秩父市、歩数 18,000) 
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夏の名残と初秋の彩り(埼玉・所沢)

2010-09-25 22:02:45 | 所沢だより
 台風12号が関東東方海上に抜けて、青空が広がってきた今日、9月25日(土)
の午後、いつものように所沢航空記念公園方面へ、ウオーキングに出かけました。

 航空記念公園に近い、弥生町のあるお宅の玄関先に咲くのは、オオイヌタデで
しょうか。


 航空記念公園内にある市立図書館のそばでは、ようやくヒガンバナが見ごろに。


 こちらは、航空記念公園内の日本庭園、彩翔亭(さいしょうてい)の園内で。


 彩翔亭の入口付近には、夏の名残のアサガオが、午後の日差しを受けてもまだ
咲いていました。


 彩翔亭の中心にある池では、スイレンが見ごろです。




 池の周囲を回って行くと、マユミの実がもうこんな色に…。




 その先の広葉樹林の下には、ウメモドキも秋の彩りを見せていました。


 日没直後、わが家の近くの西武池袋線をまたぐ跨線橋からの、奥多摩の山並み。 

 
 その左手、日が落ちたあたりは、こんな色に輝いていました。


 ようやく猛暑も去って、これからは秋の彩りがいろいろと楽しめそう…。
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四国遍路道にある休憩所⑥

2010-09-23 18:19:50 | 四国遍路あれこれ
 昨日、9月22日(火)の所沢の最高気温は35℃を超えたとか。秋分の日の今日
は、北から下りてきた全線が停滞して、雷も鳴る冷たい雨の1日となり、昨日までの
猛暑とはうって変わった陽気に。

 17時のアメダスによると、所沢の気温は15℃台のよう。1日で20℃も下がり、体
がうまく対応してくれるだろうか…。

===================================

 3月15日(月)、高知・愛媛県境の松尾峠(300m)を越えて、愛媛県愛南町に入
り、40番観自在寺(かんじざいじ)に向かいます。

 上大道(うわおおどう)の満倉簡易郵便局の先から、県道299号に分かれて入った
遍路道にある、「いっぷく堂」と呼ぶ休憩所。小さな事業所か個人宅だったかの傍ら
にありました。


 いっぷく堂の内部、かまどや冷蔵庫もあるので、宿泊も出来るようです。


 少し先から遍路道は、僧都川の左岸堤防をしばらく進みます。川が右カーブする
地点にあるこぢんまりした休憩所。観自在寺までは2㎞余りです。


 40番観自在寺から、次の41番龍光寺までは50㎞余り。観自在寺のある愛南町
(旧御荘町)のおなじみの民宿を出て、国道56号を進みます。最初の上り坂の上の
八百坂峠バス停の建物。

 お遍路さん向けのものではありませんが、乗降客は少なそうな場所なので、ひと
休みさせてもらうにはよい場所です。

 3㎞ほど先にも、同じスタイルの外室手バス停があります。このあたりも、乗降客
は少なそう。


 海のそばの内海(うちうみ)(旧内海村)の中心街に下り、愛南町と宇和島市との
間の柏坂越えにかかります。上り坂の途中、標高400mにある番外霊場・柳水大
師(やなぎのみずだいし)のそばにある、「四国のみち」の古い東屋。


 柏坂を越えて宇和島市(旧津島町)に入り、下り道の途中、標高190m地点の送
電線鉄塔下にある東屋。初回と今回(3回目)は、ここで昼食をしました。


 芳原川沿いに下って国道56号を横断し、川の左岸沿いを少し進むと、川向こうに
東屋がありました。ここは遍路道とは川を隔てているので、立ち寄ったことはありま
せんが、回って休んでもよさそうな休憩所です。。


 芳原川の鴨田橋を渡った国道56号沿いにある、ヘンロ小屋19号津島・かも田、
そばに農産物直売所があり、弁当も販売していますが、今回は売り切れでした。


 津島町を抜けると松尾峠越えとなります。国道の松尾トンネルの手前に上がり口
があり、そばにあるお遍路さん休憩所です。

 松尾峠周辺の遍路道の復元などに尽力されている「てんやわんや王国」で設けた
もののよう。その内部には畳も敷いてあり、宿泊も出来るのでしょうか。 


 林間の遍路道を上がった、標高220mの松尾峠にある、ヘンロ小屋わん屋26号。

 この建設にも、「てんやわんや王国」の皆さんの支援があったようです。上に吊さ
れているのは、津島名物の大ウナギに見立てた枯れ木。


 41番龍光寺と42番佛木寺(ぶつもくじ)を回り、宇和島市の西端、旧三間町から
歯長峠へ向かいます。県道31号を離れて、工事中の松山自動車道横から上り道へ。
再度県道に出たあとの遍路道へ上ったところの東屋。


 宇和島市から西予市(せいよし)に入り、43番明石寺(めいせきじ)に参拝しまし
た。国の伝統的建物群保存地区に指定された宇和町の古い街並みを抜け、明石
寺から10㎞ほどで、国道56号を離れて鳥坂峠への遍路道に入ります。

 鳥坂番所の近くにある古い東屋。


 標高470mの鳥坂峠を越えて、番外霊場・札掛(ふだかけ)大師堂の下で国道56
号に出ます。600mほど下ったカーブ点にある、「ポケットパーク札掛」に出来た休憩
所です。

 この場所は、国道を走るドライバーのために設けられたようです。

 大洲市の中心街を抜けて、別格霊場8番十夜ヶ橋(とよがはし)を過ぎ、いったん、
国道に並行する旧道に回ります。JR予讃線北山駅の先あたりで、再び国道に合す
る手前にある、神南堂と呼ぶ休憩所。


 3月19日(金)、4㎞ほど先のJR内子駅で、前半の区切り打ちとしました。
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四国遍路道にある休憩所⑤

2010-09-21 22:31:13 | 四国遍路あれこれ
 3月9日(火)、37番岩本寺から足摺岬の38番金剛福寺へ向かう約80㎞の長い
道のりの途中、黒潮町の景勝地、鹿島が浦から佐賀公園を抜けて白浜海岸を通過
します。

 白浜海岸にあった東屋。午前中の雨で、海には白波が立っています。


 足摺岬東岸に入って、久百々(くもも)から大岐の浜に向かう途中の遍路道に、新
しい休憩所がありました。地元の県立中村高等技術学校が寄贈したものです。

 少し先を国道321号に下ると、間もなく大岐海岸です。

 足摺岬の東岸、最初の漁港のある以布利から、海岸と林間の遍路道を抜けて、少
し先にあった休憩所。


 次の漁港、窪津を過ぎて入った、県道27号の急カーブ点に、そばの民家の方が
管理されている、宿泊も出来る「おへんろさん休憩所」。


 休憩所の内部です。

 右手奥には、宿泊者用の畳が敷いてありました。

 足摺岬の38番金剛福寺への参拝を済ませ、岬の西岸に回って3㎞前後の臼婆
(うすば)に、ヘンロ小屋足摺20号があります。

 「ここ臼婆は、日本の海岸で唯一、黒潮が接岸するところ」と、休んでいたときに
来て説明してくれた男性が、教えてくれました。 

 土佐清水市街を西に抜けて、番外霊場月山神社をめざします。国道321号を進
み、「道の駅めじかの里土佐清水」の敷地内にある、ヘンロ小屋土佐清水35号。

 出来上がって間もない小屋ですが、この日は風が冷たく、吹き通しのよい小屋で
休んでいると、よく晴れているのに寒く感じました。
 
 すぐ近くの景勝地・竜串(たつくし)の民宿に泊まり、翌3月12日(金)朝は、土佐
清水市の西端に近い叶崎(かなえさき)から大月町に向かいます。

 断崖を見下ろす、叶崎展望台の東屋。左手400mほどに叶崎灯台があります。


 2㎞余り先、大月町大浦の「土佐サンゴ発祥の地」碑のそばにある東屋。手前左
のサンゴを持つ少女の像が、その碑です。


 大浦漁港を眼下に見下ろすところに立つ、ヘンロ小屋14号大浦。右手の赤い柱
は火の見やぐら。この先、向こうに見えるの墓地の横の遍路道を上がって行きます。


 番外霊場月山神社にお参り後、10㎞余りで国道321号にある「道の駅大月」へ。
ここにははヘンロ小屋9号大月があり、バス待合所としても利用されています。


 役場などのある大月町の中心街を抜けたところに、壁面も屋根も全部竹製の、ヘン
ロ小屋2号大月が。道の駅で休んだ後なので、ここは休まず通過しました。


 大月町から北へ、高知県西端の宿毛市に入り、小筑紫の幾つかの集落を通過して
「道の駅すくも」へ。敷地の片隅に立つ、神殿のようなヘンロ小屋10号すくもです。


 宿毛市の中心街を東に抜けて、39番延光寺に向かう国道56号の、松田川の橋
際にある、ヘンロ小屋33号宿毛。


 39番延光寺で高知県内の霊場巡りを済ませ、高知・愛媛県境の松尾峠を越えて
愛媛県愛南町に入りました。

 一本松の町並みを抜けて札掛け宿を過ぎ、上大道の県道299号沿いに、最近出
来たらしい新しい休憩所が。背後(右)には、立派なトイレもありました。

 
 休憩所の内部、この日、3月15日(月)は雨が降っていて、ちょうど正午近くだっ
たので、ここで昼食をしました。

       (続く)
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カタツムリ歩行武蔵大和(東京)

2010-09-19 22:27:21 | カタツムリ歩行
 2010年9月19日(日)

 JR武蔵野線沿線とその周辺の駅から、カタツムリのようにゆっくりと、見たり聞い
たり訪ねたりしながら歩く、「カタツムリ歩行」の第197回例会に参加しました。

 今回の集合駅は、西武多摩湖線の武蔵大和駅、10時6分にスタートします。 

 まず、駅東側の廻田(めぐりだ)三丁目にあった宝珠禅寺へ。墓地の東の高台に
改築したばかりの本堂がありましたが、集会所のような独特の造りです。


 石段の下にあった石像延命地蔵。寛文8年(1668)のもので、東村山市内では
最古の地蔵尊像とのことです。 右に並ぶ小さな像は何なんでしょうか…。


 その近くには、コムラサキシキブの実が色づいてきています。


 寺の前の都道128号を東に少し進むと、この地に古くからお住まいと思われる住
宅が目に入りました。ちょっとのぞいていたら、手前右手の別の建物におられた家
主の I さんから声をかけられたので、わけを話して改めて拝見させてもらいました。


 I さんは、この家の背後の斜面上に、約1,000㎡の畑を持っておられるとのこと
で、案内してくれました。畑には、数十本の梅の木や、ミカン、柿、チガヤ、落花生、
野菜など、いろいろな作物があり、収穫したものは近所の方に分けてあげたりして
おられるとのこと。

 でも今年は、春先の雪やこの夏の猛暑のため、どれも実りが悪いと嘆いておられ
ました。

 さらに東に少しで、地図にはない廻田不動尊が。正面の参道には「南無不動明
王」の赤いのぼりが並んでいました。屋根は、もとはかやぶきだったんでしょうか。


 その先の信号のある交差点際には、金山神社があり、今日は秋祭りのよう。

 社殿の前には、大太鼓や山車が用意されていました。


 交差点から北に伸びる廻田緑道に入り、北側の高台に向かいます。緑道の入口
近くの並木に、何本かのヤマボウシが実をつけていました。

 「赤くなった実は食べられます」との立て札があり、食べてみた人の話では、「マ
ンゴーのような味で美味しい」とのことでした。

 緑道といっても、両側に林が続いているわけではなく、住宅を挟んでところどころ
に緑地保全地域が残っていて、そこに入ると涼しさを感じます。


 台地の最高所まで上がると、北側の展望が開け、正面に西武園遊園地の大観覧
車が見えてきました。


 左手には、最近耐震のための堤体補強の改修を終えた多摩湖堤防も。下の線路
は、西武多摩湖線の終点近くです。
 

 最高所から急降下して廻田緑道は終わり、車道を横断した先は桜並木になって
いました。日差しが結構暑くなったので、よい緑陰です。


 桜並木が終わると北川の橋を渡ります。川の流れのそばに咲くヒガンバナ。


 北川の左岸に沿って上流の西に向かうと、流れと道路が分かれるところに、「ナ
チュレガーデン」と呼ぶ、ハーブガーデンと喫茶が楽しめる民家の店があり、川に
面した庭には、ご夫妻が育てておられる100種を超えるというハーブや、数え切
れない植物が生い茂っていました。

 時間がないのでチョット立ち寄り、表に居られたご主人に少しだけお話を伺い、
ゴールで解散した後、改めてうがい、美味しいケーキとお茶をいただきながら、ゆ
っくりとお話を伺いました。

 西武多摩湖線の高架下を抜けて、多摩湖(下湖)の堤防下にある、ゴールの氷
川神社には、12時6分に着きました。


 解散後、改めて訪ねた「ナチュレガーデン」のTさん宅で、奥様が採って下さった
写真。すぐにご主人が、私たち5人分プリントして、分けて下さいました。

 ちなみに、このハーブガーデン・喫茶「ナチュレガーデン」は、週末の金・土・日曜
日の10:30~16:30にオープンしていて、お店には、奥様の押し花の作品などが
飾られ、お子さんの創作小物などを分けてもらうこともできます。
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所沢航空記念公園にクラシックカーが数台(埼玉)

2010-09-18 18:10:38 | 所沢だより
 今日、9月18日(土)の昼下がり、ウオーキングで所沢航空記念公園に行ったら、
桜並木の下に、クラシックカーが数台並んでいました。


 どういう団体の催しなのか、何の表示もありません。公園内はクルマの乗り入れ
は禁止ですので、許可を得て展示しているようです。


 私は、クラシックカーにはあまり興味がないので、いつ頃の何という車種かは、
全く分かりませんが、並んでいた順に後から前へと紹介します。










 見たところ、これがどうも1番古そうなクルマですね。

 いつ頃のものなんでしょう、外車ですか?


 総勢6台だけでしたが、そばにいた人が、あと1台並べるようなことを言っていま
した。でも、私が見ている間には来ませんでした。


 こちらは、航空記念公園のシンボルともいえる、所沢航空発祥記念館。クラシック
カーならぬクラシックな飛行機やヘリコプターがたくさん展示されています。


 気温は30度前後まで上がりましたが、木陰はさわやか。明後日は彼岸入りです
ので、先週までのようなあの猛暑は、もう再訪することはないでしょう…。
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四国遍路道にある休憩所④

2010-09-17 22:27:28 | 四国遍路あれこれ
 3月3日(水)、28番大日寺に向かう途中、香南市(こうなんし)の「道の駅やす」
で昼食を済ませました。

 国道55号から北側の旧道に入り、間もなくのところにある、ヘンロ小屋8号香我美
(かがみ)。

 昼食地から2㎞足らずなので、寄らずに通過しました。

 28番大日寺のお参りを済ませ、物部川を渡って香美市(かみし)へ。29番国分寺
へ向かう遍路道にある、ヘンロ小屋28号松本。ここにあった松本大師堂が老朽化
したため、ヘンロ小屋を兼ねて再建されたのです。

 奥が大師堂で、手前両側に椅子があって休憩できるのです。このようなタイプの
ヘンロ小屋は初めてです。 


 上の大師堂から500m余り先にある、森本畳製作所の南国倉庫の一角が、お遍
路休憩所として利用できるようになっていますが、私はいつも先を急いでいて、まだ
立ち寄ったことはありません。


 29番国分寺から西へ、高知市街へ向かいます。国分寺のある南国市の西端付
近にあるヘンロ小屋5号蒲原(かんばら)。ここは、いつも休ませてもらっています。


 高知市内の5つの霊場と、土佐市最初の35番清滝寺を回り、土佐市街を抜けて
36番青龍寺(しょうりゅうじ)を目指します。

 県道39号を進んで、塚地峠への上り口にある塚地公園の東屋(あずまや)。

 ここでもいつも休憩しており、初回の時には、車で来ていた奥様から、お茶やお菓
子のお接待をいただいたことを思い出します。

 塚地峠か塚地トンネルを抜けて、宇佐大橋を渡り、宇佐湾に沿って進むと、「四国
のみち」の古い東屋が県道7号沿いにあります。

 36番青龍寺までは1.3㎞です。

 今回は前回同様、青龍寺から打ち戻って、浦ノ内湾北岸の県道23号を進むことに
しました。宇佐大橋を戻って県道23号に入り間もなく、宇佐市の外れにあった遍路
休憩所。漁業関係のものでしょうか、要らなくなった古い建物を活用したようです。

 休憩所の内部。畳が2畳敷いてあり、お遍路さんの宿泊も可能です。


 隣の須崎市に入って浦ノ内湾北岸を西に向かいます。浦の内小の先500m余り
先に出来ていた、お遍路休憩所。

 屋根のテッペンはボートでしょうか、廃船の小舟を活用した、ユニークなもの。

 浦ノ内湾の西端に近い浦の内中の先で、遍路道は仏坂経由の県道314号回りと、
押岡川に下る県道23号経由の2つがあります。

 今回は県道23号へ。押岡川沿いに出て間もなく、ヘンロ小屋17号須崎があった
ので、雨が降っていたこともあり、ここで昼食をしました。

 小屋の中には、お接待のミカンなどが置いてありました。


 須崎市を抜けて、中土佐町に入ります。久礼(くれ)の町並みから先は、土佐往還・
そえみみず遍路道と、大坂谷川沿いを進む大坂遍路道とがあります。

 今回は、初めてのそえみみず遍路道へ。JR土讃線の土佐久礼駅の手前から、川
沿いに少し進んだところにあった遍路休憩所。近くの民家の方が作ったものでしょう
か…。


 さらに少し進み、車道を離れてそえみみず遍路道の上り坂にかかるところに、最近
完成した、ヘンロ小屋そえみみず酔芙蓉31号。

 右手すぐ先から、そえみみず遍路道の急坂が始まります。

 そえみみず遍路道から標高287mの七子峠に下り、四万十町に入ります。七子峠
から3㎞余り先の国道55号沿いに、「影野のお雪椿」と呼ぶツバキの古木が立って
いて、その傍らに「東屋雪椿」が出来ていました。


 四万十町(旧窪川町)の中心街近くにある、37番岩本寺への参拝を済ませると、
足摺岬にある次の38番金剛福寺までは80㎞余りの長丁場となります。

 岩本寺から10㎞ほど先、国道55号際の佐賀温泉のそばに、これも初めての、
ヘンロ小屋13号佐賀がありました。

 この日(3月9日(火))はかなりの雨だったので、岩本寺近くの旅館を出て2度目
の休憩をしました。

 この時、佐賀温泉は改築工事中でしたが、8月中には完成するとのことだったの
で、現在は営業しているはずで、ヘンロ小屋のそばに足湯も出来るとのことでした。
       (続く)
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青少年国際野外旅行研究会「ワンデル」へ(東京)

2010-09-16 18:42:13 | Weblog
 2010年9月15日(水)

 夜、東京・水道橋の日本ユースホステル協会会議室で開催された、今年3回目の
青少年国際野外旅行研究会「ワンデル」に参加しました。

 この会は、少年たちの自由な独立独歩な旅立ちを応援する有志が集まって、それ
ぞれが活動してきた体験を発表して話し合う場です。

 今回のメイン発表者は、初参加の埼玉県の飯野さん。飯野さんは、私と同じ所沢
市にお住まい、小学5年生の時に地形図の授業で5万分の1地形図と出会って興
味を持ち、職業も地図に縁の深い高校の地理教師となり、埼玉県秩父地方の高校
で長く勤務されました。

 一方で、地図を手にして一人で、歩いての全国一周を2回、江戸5街道や東海自
然歩道、関東ふれあいの道など、テントを背負って多くの長距離歩行を実践されて
おられます。

 現在は、山村民俗の会、山里探歩会、野外調査研究所、秩父まるごと博物館、
秩父学検定委員などに関わり、スローウオークの案内、里山案内人の育成、秩父
ジオパーク推進事業などといった、多彩な活動をされています。

 ちなみに、私の持っている飯野さんの著書を2冊紹介します。


 
 飯野さんは、2つ前のブログで紹介した、9月11日(土)の「関東百駅巡礼歩行」
にも参加されました。
 

 今回のテーマは、平成16年(2004)6月から今年2010年6月まで、延べ52日
かけて歩いた、「坂東三十三観音巡り」についてでした。

 その要旨は以下のとおりです。

・坂東札所は、鎌倉幕府の肝いりで鎌倉時代に成立したものだが、西国三十三観音
や四国八十八ヶ所などに比べると巡拝記録は乏しい。

・当時の日数についても資料は少ないが、全行程1,300㎞で49日というのがある。

・坂東札所は、霊場の配置から見て二重構造だったと思われ、相模と武蔵の14霊
場を巡る小回りと、上州~房州19霊場を巡る大回りの二重構造だったのではないだ
ろうか。

・坂東札所を巡る人たちは、部分的にまとまった札所ごとに回ったり、時代により回
る順序が違うなど、正式な巡拝コースは無かったのではないか。

・飯野さんの巡礼記録

 延べ6年、52日の行程にて、日帰りが28日、テント泊が20日、旅館泊が4日で、
歩行距離は1,169㎞(1日11㎞~37㎞、1日平均22.5㎞)

 地図上で最短距離となるよう行程を設定したので、札所の順番通りとなったいない
ところがかなりある。

 巡礼中に歩いて回る人と会う機会は全く無く、ただ1度、自転車で回っている青年
がいることを茨城県の霊場で聞いたのみ。

 といったことに加え、12頁の資料に記された、地図による概略のルートの説明、霊
場や道中でのエピソードなどについても話されました。

 ほかに、「全行程が長いので、神奈川、東京・埼玉、群馬・栃木、茨城、千葉といっ
たように、地域別に回ったら」とのアドバイスや、「関東ふれあいの道」と組み合わせ
て回るルート造りを考えているなどの話がありました。

 配布された資料にはほかに、新潟県の佐藤さんの「サンチャゴ巡礼の道ひとかじり」
や、3人の方の自転車の旅のレポートが盛りこまれていました↓。



 最後に、この会の代表の「やまさん」こと山浦正昭さんから、「少年自立の旅」の4大
原則などを盛りこんだ、スローガンというべきものが発表↓され、会を終了しました。



 次回12月15日(水)は、全員の自由な情報、意見交換の場として、10回に及んだ
この回はひと区切りとし、今までの資料を1冊にまとめて、2011年1月26日(水)に、
締めのシンポジウムが開催される予定です。

【蛇足】今回は、デジタルカメラを持っていったのですが、会場の様子を撮ろうとしたら、
 バッテリー切れで撮れませんでした

 
 
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市川と松戸の梨の本場をカントリーウオーク(千葉)

2010-09-14 19:44:39 | カントリーウオーク
 2010年9月12日(日)
 
 梅雨明けからの猛暑は9月に入っても衰えず、この日も千葉市の最高気温は35℃
の予想。2か月ぶりのカントリウオークグループの例会も、この暑さではと、参加者は
13人と少な目である。

 10時3分にJR武蔵野線 市川大野駅を出発した。

 =市川市霊園から大町総合レクリェイションゾーンへ=

 東口から大野町三丁目の新興住宅地に入る。昔の農道だろうか、曲がりくねる住
宅地の間を進んで、まずは三社宮へ。緑陰の境内で、さっそく水分補給をする。


 さらにカーブの多い道を南東に下る。市川市立第五中の東の、クズなどの咲く暗渠
(あんきよ)の上を進み、東側の古い住宅地に向かって上がる。



 こちらは緑が多く、セミの抜けがらが10個以上も並んだ木があり、近くに広台遺跡
(ひろだいいせき)の標柱が立つ。弥生時代後期から古墳時代前期にかけての集落
遺跡があったようだ。

 すぐ先の法蓮寺に入り、再び水分の補給。大きな本堂や庫裡(くり)が目につき、
境内は桜など豊富な木々に囲まれている。近くの直売梨園から買ってきたナシを、
Sさんがむいてくれたので、皆でいただく。


 寺の東側を先に向かい、大きく実った梨園の横を東に下る。



 市川北高の北に出て、刈り入れを済ませ、はさ掛けの並ぶ田んぼの間を進み、
市川市霊園の南側入口に上がる。地図上に標高19.7m三角点の表示がある
が、見つからなかった。

 霊園は、北東から北西へと長さ1.5㎞ほどあり、真ん中を貫く園路を少しずつ
上がる。両側はイチョウ並木が続き、中にギンナンの実る木もところどころにある。


 緩やかな丘陵に広がる園内は緑も豊富で、公園のような雰囲気だ。


 入って間もなく休憩所があったので寄り、冷房の効いた部屋に靴を脱いで上がり、
10分ほど休ませてもらった。 

 北西端で園路を抜けると、北側一帯は約150haにわたる、「大野総合レクリェー
ションゾーン」。広い緑陰の一角に、水生植物園、バラ園、自然博物館、動物園、
少年自然の家などがある。

 昼食地に予定していた、水生植物園の「ホタルの里」の東屋(あずまや)は、探鳥
のカメラマンが先着していたので、バラ園のフジ棚の下のベンチに回って、腰を下ろ
した。12時7分に着いた。
 
 =梨の本場を抜けて八柱霊園へ=

 ミーティング後に記念撮影をして、13時11分に出発する。



 大きなコイの群がる池を回り、林間を北に抜けようとしたが、さくがあり進めない。
そばの高校のグランドの縁を回って、少年自然の家の横に上がる。

 北側の細道の両側は緑陰になっていて、日差しを遮る気持ちよい土の道。両側に
は梨畑が広がり、日本一の和梨の産地である千葉県内でも、一番梨畑の多いところ
のようだ。


 立派なお屋敷の見える竹之内果樹園の横を進み、国道464号沿いに出た。右手
の日枝神社の鳥居のそばには、大イチョウが2本立つ。


 国道には「大町梨街道」の表示があり、両側には梨の直売所が並んでいる。何人
かが神社北側の直売所で、新鮮な梨を購入した。

 さらに梨園の多い通りを北に進み、北総鉄道の松飛台(まつひだい)駅の横に出
た。次の通りの北東側一帯は松飛台工業団地。その一角に、小型モーターで世界
シェアの半分以上を占めるという、マブチモーターの大きな建物が見える。

 われわれは北西側一帯に広がる八柱(やばしら)霊園へ。東西1.5㎞、南北1㎞
近くに広がる広大な霊園は、昭和10年(1935)6月の開設というから、もう75年に
なる。

 午後の日差しが暑いので、東西南北に走る園路の中を、木の多そうなところを探し、
後半は針葉樹林の下を進んで北側入口に抜けた。


 北に向かう車道の両側は石材店などが並び、霊園の門前町ともいえる独特の町並
みを見せている。


 次の通りを西に進んで、県道51号バイパスの西にある河原塚の熊野神社へ。社殿
は平成6年(1994)の改築で、朱塗りの色鮮やかなコンクリート造りである。


 さらに北へ、日暮五丁目の高台にある徳蔵院に上がる。松戸七福神の寿老人の寺
で、白木の大本堂は改築間もないようで新しい。


 JR武蔵野線の線路に沿って北に少しで、ゴールの新八柱駅には15時42分に着
いた。残暑さは厳しかったが、緑もかなり残っていて、休憩もたくさんとったたので、
まずまずの歩きが出来た。

(天気 晴、参加 13人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 市川市、
 松戸市)
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