あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

シンポジウム「トトロの森の未来に向かって」(埼玉・所沢)

2008-11-30 22:05:17 | 所沢だより
 2008年11月29日(土)

 西武線所沢駅東口前の「くすのきホール」で開催された、「トトロ
のふるさと財団」設立10周年記念シンポジウムに参加しました。

 狭山丘陵のこれまでをふり返り、今後を展望するための催しで、
将来への指針とネットワークをつくり、「身近にある自然」の価値を
後世へ引き継いで行くために何をなすべきかを考えるのが、この
シンポジウムの狙いです。

 くすのきホール1階では、市民団体など幾つかの団体が、無農
薬有機栽培の農産物や、木工品、手工芸品などを販売していま
した。


 シンポジウム会場は、このビルの8階です。

 シンポジウムに先立ち、「となりのトトロ」に賛同された世界中の
アーティストが画いた絵画の、チャリティオークション収益金およそ
20万ドル(約1800万円)を、トトロのふるさと財団へ贈呈するに
あたり、そのプロジェクトの小林さんから、経過報告がありました。

 報告後、オークションの収益金が、トトロのふるさと財団の安藤
理事長に贈呈されました。

 この後、来賓挨拶があり、埼玉県の北村課長、東村山市の渡辺
市長、所沢市の当間市長から、お祝いの言葉とともに、県や市の
自然環境保全などへの取り組みについての話がありました。

 プログラムの最初は、トトロのふるさと財団の安藤聡彦理事長の
基調講演。この10年の財団の活動状況などが中心でした。


 シンポジウムのコーディネーターは、早大自然環境調査室の
大堀 聰氏、パネリストは、財団常務理事 対馬良一、ナショナル・
トラスト研究者の四元忠博、アニメ映画監督で財団顧問の宮崎駿、
㈱リコー 社会環境本部の岸 和幸、西武鉄道㈱総合企画部企画
室長の田中規之の諸氏です(写真左から右へ)

 対馬市は、里山の自然保護を日本初のナショナルトラスト手法
で実践しているトトロ財団の活動について、所沢市北野の谷戸の
買い取り交渉の例などで紹介。

 四元氏は、イギリスのナショナルトラスト運動発生の背景や、
その後の経緯や現状などについて報告しました。
 
 宮崎氏は、このような活動は皆正しいと思って行動しているが、
各々が金、力、知恵、時間など、それぞれが持つものを出し合い、
無理せずに自分のフィールドを決めて、その範囲で持続して行くの
が大事。成果は出なくても、活動を広げるタネと思えばよいのでは
ないだろうか、といったようなことを話されました。


 岸氏は、リコーが1999年からはじめている森林を守る活動に
ついて、ロシアのアムール虎生息地、オランウータンの住む森、
C・W・ニコル氏の黒姫の森とのかかわりなどについて。

 田中氏は、西武鉄道が住宅開発用に取得した飯能市の森を、
逆線引きで調整区域にして、地域の環境保全に努めるように
したことや、狭山丘陵でのウオーキングイベントを実施している
ことなどの話がありました。

 各パネリストの最初の発言で時間が無くなり、あとは会場から
の2,3の質疑応答で、パネルディスカッションは終了しました。

 会場の背後には、世界中のアーティストが画いてチャリティオー
クションにかけられた原画が展示されました。






 休憩の後は、地元所沢市で活動している男声合唱団・所沢メン
ネルコールのミニコンサートです。

 最初は、宮崎 駿アニメテーマメドレーで、「となりのととろ」
「もののけ姫」「Medley・ナウシカ」「天空の城ラピュタ」より、
などを。

 後半は、日本の四季より「夏」・「秋」をテーマに、「夏は来ぬ」
「たなばたさま」「あかとんぼ」「もみじ」など。歳を感じさせない
若々しい歌声とハーモニーでの熱唱でした。

 ホールの入口付近では、トトロのふるさと財団をはじめ、自然
保護活動をしている近隣の市民団体・企業の活動紹介があり、
パネル展示や資料配付、書籍やトトロファンドグッズ販売などが
行われていました。




 また、映画「となりのトトロ」背景原画展もあり、自然と人とが共生
してきた里山の背景画が、何点も展示されました。




 催しが終わり、帰る頃には夕日が西に落ち、その左手に、傘雲を
かぶった富士山が姿を見せていました。


 多くの人々の理解と協力を得て、古くから守られてきた日本の
かけがえのない自然が、これ以上破壊されることのないよう、
各々が意識をもって行動しなくては、と感じたことでした。
コメント (2)
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熊野古道中辺路を歩く⑤(小口~熊野本宮大社~湯の峰)

2008-11-28 23:25:12 | 熊野古道を歩く

 第4日 2008年10月28日(火)
 =小雲取越(こぐもとりごえ)=


 
 6時起床、6時30分に朝食。7時3分に小口自然の家を出発
した。快晴で冷え込み、周辺の山に朝もやがかかっている。今日
は、きのうの大雲取越に続く、小雲取越である。


 小口川沿いを小和瀬まで進み、橋を渡って民家の横からいきな
り急登が始まる。

 同宿の江戸川区のHさんが先発し、後発の福岡の3人にも間も
なく抜かれる。

 急斜面なのでゆっくり上がるが、すぐに大汗をかく。小雲取越に
は、請川の下地から500mごとに数字の増える標識が立つ。逆
行の小和瀬から上がると、まず「25」の標識があった。

 その先には長塚節の歌碑があり、傾斜が幾分緩んだ。


 杉木立下の気持ちよいトラバース道となり、桜茶屋跡へ。明治末
まで茶屋があったところ。現在は東屋があり、眼下に小和瀬の集落
が見下ろせる。


 同宿の皆さんが休んでいたので、これをご縁にと記念撮影をする。
私が休憩中に、皆さんは先発した。


 その先は緩やかなアップダウンが続き、大雲取越同様に歌碑も
立っている。石堂茶屋跡には、古い東屋と水場があった。


 こけむす杉木立の下を進み、小石をたくさん積んだ賽の河原地蔵
を過ぎて、緩やかに下って行く。

 「皇太子殿下行啓の地」の記念碑があり、そばで林道と交差する。
林の左斜面をトラバースして行くと、西方が開けた百間ぐらに出る。

 好天なので、重畳たる山並みの大展望がすばらしい。Hさんが休
んでいた。

 その先も万才峠分岐から松畑茶屋跡へと、歩きやすく道幅も広め
の左斜面のトラバースが続く。


 松畑茶屋跡には、長い木のベンチがあった。

 このあたりはウラジロが多く、リンドウもあちこちに咲いている。

 緩やかな下りが続くので、ピッチも上がる。熊野川が見下ろせる
ようになり、さらに進むと請川の家並みも見えてきた。


 さらに一気に下って国道の下地橋バス停際に下りた。福岡の3人
がバス停で昼食中。私もそばの草地にシートを敷いて昼食とする。


 右に熊野川の流れを見ながら請川を通過し、さらに川沿いの国道
168号を進んで、本宮の町並みに入った。国道沿いは、電線を地
中化してすっきりした町並みだ。

 「熊野大権現」の旗の並ぶ急な石段を、熊野本宮大社に上がって
参拝する。

 この門の奥、檜皮葺の厳かな社殿が並ぶ門内は、撮影禁止だった。

 石段を戻り、福岡の3人が帰途のバス待ちをしていた本宮大社前
バス停の横から、熊野川の中洲にあった旧本宮大社跡、大斉原(お
おゆのはら)へ向かう。

 幅約42m、高さ約34mで日本一という大鳥居をくぐり、広い旧社
地に入る。第10代崇神天皇の御代に社殿が創建され、歴代上皇、
法皇、女院の行幸啓は百数十度に及んだという。

 明治22年(1889)の大水害で8つの神殿が倒壊し、主神の4神
殿を現在の地に移したもの。社殿跡を一巡し、手前(南側)の国道に
出た。

 本宮の町並みの南端付近の旧道から、熊野古道「大日越」(だい
にちごえ)と呼ぶ山道を、今日の宿のある湯の峰に向かう。

 いきなり杉木立下の薄暗くて急な上り。ゆっくり上がるが、小雲
取越をしてきた後だけに疲労が残り、ペースが上がらない。

 りっぱな杉の並ぶ月見ヶ丘神社を経て、さらにひと上り。大日越
にも立つ「2」の標柱から先は、緩やかな下りとなった。

 やがて広葉樹林下の急降下となり、またひと汗かく。ほぼ下り終
えたところにあった、湯峰王子の朱塗りの小さい社に参拝する。

 そばに、高浜虚子の句碑が立っていた。

 少し下ると湯の峰温泉街。川を挟んだ狭い谷間に、旅館や民宿
などが並んでいる。

 温泉街の中ほどに熊野曼陀羅第15番の東光寺があり、そばに
温泉くみとり所と公衆浴場があった。


 バス停で行き先や時刻などを確認、川の左岸を上がって、16時
に民宿てるてやに着いた。

 全部で3室だけの、こぢんまりした宿。洗濯機を借りて洗濯中に
入浴。熱々の温泉で、たっぷり水で薄めて入り、手足をよくもむ。

 夕食は18時から。栗ご飯に馬刺し、とろろ汁、煮物など盛りだく
さん。皆なおいしく頂いた。

[コースタイム]小口自然の家7・03ー小和瀬7・23ー長塚節歌碑
8・05ー桜茶屋跡8・35~48ー石堂茶屋跡9・35~41ー林道横断
10・02ー百間ぐら10・20~35ー万才峠分岐10・58ー松畑茶屋跡
11・03ー⑤標識11・33ー下地バス停(昼食)12・04~35ー世界遺
産センター13・25ー熊野本宮大社13・30~14・00ー大日越上り口
14・21ー月見ヶ丘神社14・50~55ー峠15・10ー湯峰王子15・40
~47ー民宿てるてや16・00

(天気 快晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 本宮、伏拝、歩行地
 新宮市(旧熊野川町)、田辺市(旧本宮町)、歩数 37,200)

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熊野古道中辺路を歩く④(熊野那智大社~小口)

2008-11-27 21:13:28 | 熊野古道を歩く
 熊野古道より後に出かけたレポートが、先になったり途中に入っ
たりで、なかなか熊野古道の報告が進捗せず、今日は、ちょうど
1か月前の10月27日分の報告です。

============================

 第3日 2008年10月27日(月)
 =中辺路のハイライト・大雲取越=


 
 この日は、中辺路で一番の険路・越前峠を越える「大雲取越(おお
ぐもとりごえ)」と呼ぶ山道である。

 6時5分に起床、6時半からの朝食も、夕食同様部屋に運んできて
くれた。宿坊だが、朝の勤行(ごんぎよう)(お勤め)はなかった。
 7時7分に宿坊・尊勝院を出る。

 昨日お参りした青岸渡寺と熊野那智大社に、もう一度旅の安全を
祈願し、「熊野道」の標識に従い青岸渡寺の横から石段へ。


 熊野那智大社からは、500mごとに「1 大雲取越」と記された石
標が立ち、2、3…と数字が増えてゆく。

 太い杉林下の石段が終わり、那智高原と呼ぶ開かれた一角に上
がる。昭和52年(1977)の全国植樹祭開催地を公園にしたもので、
桜並木の紅葉がよい彩り。


 公園の駐車場の先、「熊野道」の石標の横から石段を上がる。
しばらくは杉林の下を進み、登立茶屋跡を過ぎる。


 西からの風が強まりこずえがうなる。寒くなったのでジャンパーを
着たが、歩くうちに汗ばんできて、8の石標のところで脱いだ。

 間もなく、後発の女性が追いつき追い抜く。路傍にはリンドウが
咲いていた。


 船見茶屋跡には東屋があり、勝浦の町や那智湾などが見下ろせ
る。追い抜いた東京・江戸川区のHさんが休憩していた。


 すぐ近くが船見峠。5年前に熊野古道伊勢路歩きの最後、逆コー
スでこの大雲取越えをしたのだが、その時この峠付近で、冷たい
風を避けながら食事したことを思い出す。峠からは熊野灘が見える
はずだが、曇天ではっきりしない。

 峠付近は歩きやすい土道だったが、その先からはやや急な下りで、
石畳の残るところもあった。林道に下ったところに、「八丁の堀割」と
「花折街道」の標識が立つていた。


 少し先で林道の右へ入り、流れに沿っての上り道となる。再び林道
を横断、再度林道に出て1㎞余り下り、地蔵茶屋跡に着く。

 東屋で先着のHさんが昼食中。少し早めだが私も昼食とし、Hさん
と話しながら食べる。今日の宿は、同じ小口自然の家とのこと。道路
の反対側には、がっちりした休憩所もあった。

 Hさんは先発し、以後、宿まで追いつくことはなかった。11時45分
に出発する。

 大雲取地蔵尊(上)の横から林道を離れ、こけむす石畳道を上がって
石倉峠へ。



 峠には斎藤茂吉の歌碑が立ち、道しるべでもある古い無縁仏も
残っている。


 峠からの下って行くと沢沿いとなり、長塚節の歌碑がある。最後の
越前峠に向かう上りには、リンドウがあちこちに咲いていた。

 大雲取越の最高点、越前峠(870m)は、杉木立に覆われ薄暗い。

 峠には、土屋文明の歌碑をはじめ、小中学生の登頂記念碑、大峰
奥駈(おくがけ)修行者の木札などが幾つも並んでいた。

 峠の先からは、杉木立下の長い下りが続き、古い石畳道も多い。
ひざを痛めぬよう、折り畳み杖を頼りに慎重に下るが、次第に足の疲
れを感じる。この下りにも、歌碑が幾つか立っていた。

 幅広い石畳道がV字状にカーブして、傾斜はやや緩んだ。しかし、
さらに石畳の長い下りが続く。

 伐採した杉丸太が、こけで緑色になったところもあった。

 小さい石仏や橋の久保旅籠跡を過ぎると、休憩所の古い東屋が
ある。傍らに、須川峡生の「鯉のぼり大雲取の一軒に」という歌碑
が立つていた。


 両側にウラジロが増え、うんざりするほど下り、大岩の上に梵字が
三つ記された円座石(わろうだいし)に着いた。梵字はコケがむして
字は読みにくい。

 円座とは、わら・すげ・いぐさなどを渦巻き状に丸く平たく編んだ座布
団のような敷物のこととか。この上で熊野の神がそれぞれに座って、
お茶を飲んだり相談をしてのだという。

 さらに1㎞近く下り、ようやく人家が現れ、その間を抜けて車道に下っ
た。近くの東川にかかる渡月橋際に小公園があったので小休止する。
古くて字が全く読めない西行の歌碑があった。

 近くの小口(こぐち)郵便局の先で、小口川の橋を渡り、小口自然の
家に15時8分に入った。

 5年前にも泊まった2度目の宿。廃校になった小学校の校舎を転用
した建物で、入口は独特のとんがり屋根。長い廊下に沿った教室を
仕切って部屋になっている。

 洗い場に洗濯機が2台あり、下りで汗をかいたので洗濯をして乾燥
機で乾かす。
 
 夕食は18時過ぎから食堂で。たっぷりの鍋物などメニュー豊富で、
食べきれないほどだが、皆おいしかったので全部いただいた。

 この日の同宿は、先着のHさんと、福岡・久留米の高校の山岳会メ
ンバーで、卒業後も山登りを続けているという3人の男性。

 3人は私と同年というが、現在もスイスの山や南北アルプスなどハー
ドな山にも登るという山のベテラン。

 Hさんも、キリマンジャロに上り、スペインの巡礼の道を歩き、スキュ
ーバダイビングも楽しむというアウトドア派。いずれも元気な皆さんの
話を聞き、元気をもらった。

[コースタイム]青岸渡寺宿坊・尊勝院7・07ー那智高原7・50ー登立
茶屋跡8・40~49ー船見峠9・37~49ー八丁の堀割10・10ー林道へ
10・34ー地蔵茶屋(昼食)11・10~45ー石蔵峠12・04ー越前峠12・39
~47ーVカーブ点13・30~35ー東屋14・09ー楠の久保旅籠跡13・59
ー円座石14・33~40ー渡月橋際(小公園)15・00~03ー小口自然の
家15・08

(天気 曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 新宮、紀伊大野、
 本宮、歩行地 新宮市(旧熊野川町を含む)、歩数 26,000)
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精進湖畔から富士山の展望台・パノラマ台へ(山梨)

2008-11-25 22:00:02 | ハイキング
 2008年11月23日(日)



 軽いハイキングを楽しむグループで、富士山の展望台として知られ
るパノラマ台へ行く。

 8時55分、JR五日市線秋川駅前に集合した11人は、2台の乗用
車に分乗、外環道、中央高速道、富士パノラマラインと呼ぶ国道139
号などを経て、富士五湖のひとつ、精進湖畔の駐車場に着いた。

 そばの地図で登山路を確認したところ、もう少し先の駐車場の方が
近いと分かり、車を移動してその駐車場に行く。

 快晴の湖畔からは、正面に富士山が大きくすそ野を広げている。 


 背後の山も、よい彩りを見せていた。


 今日のチーフリーダー・Kさんから挨拶があり、11時40分に出発。
精進湖西側車道際の「パノラマ台」の標識に従い、登山道に入る。

 
 湖畔の標高は900m余り、山頂との標高差は約420mである。

 最初は、稜線に向かって緩やかな傾斜をジグザグに上がる。ちょ
っと進むと、林間から湖畔が見下ろせる。 


 下の方は、広葉樹の色づきがよく、足元にはたっぷりと落ち葉が
積もっていた。


 稜線に出て少し進むと樹林が切れ、アカマツの間に富士山がよく
見えるところがあった。


 稜線の左側をトラバース気味にやや傾斜のあるところを上がり、
右にカーブすると、傾斜が緩む。


 丸木の橋と板の橋を渡るあたりで左折して、陽の差さぬ斜面を
進む。広葉樹の中に、太いブナが何本か見られた。

 右の稜線からの登山路と合し、パノラマ台に続く主稜線に上が
った。西側の樹間に、雪を被った南アルプスらしい山並みが望ま
れる。
 
 右下、広葉樹の間に、逆光に輝く本栖湖の湖面も見えてきて、
間もなくパノラマ台(1328m)に着いた。

 正面に、広大な青木ヶ原樹海のすそ野を見せた雄大な富士の
大展望は、まさにパノラマ台である。


 今日の昼食は、肉入りキノコうどん。さっそく準備にかかる。


 待つほどもなく、熱々のうどんが出来あがった。お椀に盛りつける。


 富士山を見ながら、温かいうどんをおいしくいただいた。風もなく
穏やかな日和である。


 一時、山頂広場はたくさんのグループでいっぱいになったが、食事
を終えるころにはかなり少なくなった。そのタイミングを捉えて記念
撮影をする。


 北東には、上がってきた精進湖の向こうに御坂山塊が望まれる。


 御坂山塊の右、写真左側一番奥のピークは三ツ峠山(1785m)。
その下、わずかに見えるのは河口湖。手前は西湖である。


 14時10分、パノラマ台を後にした。帰路も往路を戻る。
山頂近くの稜線から北方に向かう緩やかな下りは、気持ちよい
落ち葉道。


 上りはゆっくり1時間半近くかけて上がったが、帰路はほとんど
休まず1時間で下り、15時10分に精進湖畔の駐車場に戻った。

 15時25分に精進湖畔から車で帰路につく。ところが3連休2日
目の夕方とあり、富士パノラマラインと中央高速道の大月~八王
子間で大渋滞。JR秋川駅に着いたのは19時40分だった。

(天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 精進、歩行地 富士河口
 湖町、身延町)
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熊野古道中辺路を歩く③(新宮駅前~熊野那智大社)

2008-11-24 20:35:56 | 熊野古道を歩く
 第2日 2008年10月26日(日)
 =新宮駅~熊野那智大社=〈続き〉



 近くの那智駅に回って見た。朱塗り社殿造りの駅は無人で、併設
の温泉施設があるが観光案内所などは無い。那智山参拝客のほと
んどは、車を利用するようだ。

 那智の町からは浜を離れ、那智川沿いを那智山を目指すことにな
る。出発しようとしたら本降りになったので雨具を着ける。

 前方に見える谷間に向かい、那智山への車道を2㎞ほど進む。牧
野々からは曼陀羅寺の石標に従い、細い旧道で家並みの間を抜け
た。


 集落が終わり、杉林の下の緩やかな山道へ。


 荷坂峠には尼将軍供養塔がある。尼将軍とは源頼朝の妻、政子
のこと。頼朝夫妻は熊野信仰が厚く、那智山の寺の建立もしている
という。


 林を抜けたところの「ふたらく霊園」に、幹囲2.9m、源頼朝
(1147~99)の死後に植えられたと伝えられているという、伊勢
平柿と呼ぶ甘柿の古木があった。


 旧道に戻り、街道らしい風情の残る市野々へ。この集落には老杉
に囲まれた市野々王子神社がある。雨もやんだので、雨具を外した。


 市野々に続く二の瀬も、街道筋らしい家並みが続く。


 さらに麓集落(上)を抜け、車道を横断すると那智山の入口、
大門坂である。


 南方熊楠が3年間滞在した大阪屋旅館跡や、新宮藩の関所跡な
どがあり、土産物店なども現れる。


 樹齢800年という夫婦杉など、太い杉木立の並ぶ坂道を、267段
上がる。


 途中には、九十九王子最後の多富気王子社跡もあった。


 さらに最後は急な石段を、増えてきた観光客と一緒に上がり、熊
野三山の二つ目、熊野那智大社に着いた。朱塗りの社殿に参拝し、
この先、熊野古道中辺路歩きの安全などを祈願する。


 境内にある、樹齢約800年、樹高27m、幹回り約8.5m、平重盛
の手植えと伝えられるクスの大樹に圧倒される。


 隣接する西国三十三観音霊場第1番札所の青岸渡寺にも参拝、
本堂前に流れ落ちていた、延命の水と呼ぶ清水をいただいた。


 そばの展望台からは、三重塔の向こうに、垂直に落下する那智
大滝の豪壮な流れが遠望できる。


 今日の宿、青岸渡寺の宿坊・尊勝院にザックを預け、三重塔の
先から石段を下り、那智大滝の下にある飛滝神社に参拝した。


 日没が近づき薄暗くなってきた。帰路は別の道を通り、16時17
分に宿坊・尊勝院に入る。

 庭に面した6畳の部屋で、空調はない。大きな風呂場だが入浴
者はほかに1人だった。洗濯機を使わせてもらえるか聞いたら、
宿坊の方が洗って乾燥の上、夕食後に持ってきてもらい感謝する。

 夕食は17時15分過ぎから。精進料理だが品数が多く、皆おい
しくいただいた。

[コースタイム]ステーションホテル新宮7・40ーサークルK7・50~
55ー浜王子社8・07~15ー高野坂入口8・50ー展望台9・18~20
ー三輪崎駅9・37ー南珠寺10・00~05ー佐野王子10・20~30ー
宇久井駅10・46~48ー小狗子峠11・30ー浜の宮王子・補陀洛山
寺11・56~12・33ー那智駅往復&雨具直用(補陀洛山寺)12・53ー
尼将軍供養塔13・30~35ー市野々王子13・54~14・05ー大門坂
入口14・25ー大門坂上14・48ー熊野那智大社・青岸渡寺15・01
~23ー宿坊尊勝院(荷物預け)15・25~30ー飛滝神社15・50~55
ー宿坊尊勝院16・17

(天気 曇時々雨、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 新宮、歩行地
 新宮市、歩数 41,300)

【王子とは】 京都から熊野三山への参詣道には、「熊野九十九
王子」という、熊野権現の御子神をまつる分社が点在する。これ
を王子と呼ぶ。参詣者は道中、それら王子を巡拝することで、まだ
遠い熊野を遙拝し、旅の安全を祈願したという。
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パノラマ台で富士山を見る

2008-11-23 18:28:08 | Weblog
軽いハイキングを楽しむ会で、富士山の展望台として知られるパノラマ台に行く。
富士五湖の一つ、精進湖の駐車場まで車で行き、そばの登山口から上がる。
快晴の山頂からは、薄く冠雪した雄大な富士山の展望を楽しむ。
連休の帰路、中央自動車道は大渋滞。のろのろの車からのアップです。
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熊野古道中辺路を歩く②(新宮駅前~熊野那智大社)

2008-11-22 22:15:19 | 熊野古道を歩く
 初日だけで中断していた、熊野古道中辺路(なかへち)のレポー
トを続けます。今日は、本格的に歩き始めた第2日目です。

===========================

 第2日 2008年10月26日(日)
 =新宮駅前~熊野那智大社=


 
 6時20分に起床、7時から朝食サービスがあり、7時40分にステ
ーションホテル新宮を出た。

 雨がポチポチしていたので、ザックカバーをする。熊野速玉神社
への参拝は昨日済ませているので、反対の海岸方向に向かう。

 熊野地2丁目にあったサークルKで昼食のおにぎりを買う。王子
町3丁目で海岸沿いに出て、黒松林沿いを少しで右に入り、最初
の王子社、浜王子神社へ。

 狭い境内だが広葉樹が多く、その下に小さい社が祭られていた。

 JR紀勢本線が浜に出るところで、上を越える車道に上がる。少
し戻って海岸の堤防沿いへ。王子ヶ浜と呼ばれる直線の砂浜が、
先方に2㎞ほど伸びている。

 コンクリートの防波堤と線路の間の狭い道が、熊野古道である。


 王子ヶ浜の先端まで進み、保線小屋のところで線路を渡って高
野坂に向かう。


 林間を上がって進むと、途中で林が切れ、振りかえると王子ヶ浜
が見下ろせる。


 樹林の終わり近くからは往復10分ほどで、展望台へ行ける。
展望台からは、行く手の三輪崎漁港方面が望まれた。


 一部残る石畳道も下って、その三輪崎に下り、JR三輪崎駅前
から線路沿いの旧道へ。熊野古道は港のそばを回って国道42号
に出るのだが、こちらは車が少なくてよい。

 次の紀伊佐野駅近くの南珠寺には、紀伊国日高郡に生まれた
念仏行者、徳本上人(とくほんしようにん)の碑があった。

 国道に出ると間もなく、復元されたばかりの佐野の一里塚がある。


 近くには、スパーセンターと呼ぶスーパーや、ドラッグストア、電
器店、食堂。映画館などが集まった複合商業施設があった。

 その末端付近の小さい林の中が佐野王子跡。「王子跡」の石碑
と、数基の石仏が並ぶだけだった。


 このあたりの国道42号には歩道が無く、高速で車が通過する
危険地域なので注意が必要。無人の宇久井駅でトイレを借りた。

 宇久井の町並みを抜け、国道が左に急カーブするところで、右
への旧道に入り、線路の西に回る。

 那智勝浦自動車学校の横を進み、車道を横断し、廃車置き場の
奥から小狗子(こくじ)峠へ向かう。


 竹やぶや杉林などを峠に上がり、峠を下るととミカン畑や棚田が
現れた。


 白菊の浜の説明板のある狗子の浦付近は、歩道のある国道を
進み、次の大狗子峠は国道より海側に残る、旧国道のトンネルを
抜けた。


 再び国道42号に入ると、歩道がない。車に注意して赤色海岸沿
いを進む。那智湾の向こうに、勝浦の温泉旅館などが望まれる。


 那智駅の近くから、山側の静かな旧道に入ってホッとした。

 正午近く、浜の宮王子社跡の浜の宮神社に着く。


 推定樹齢800年という大きなクスノキが、鳥居の上に大きく枝
を広げていた。



 隣接するのが補陀洛山寺。補陀洛浄土(観音の浄土)に渡海する
場所で、境内には復元された渡海船が展示されていた。


 少し雨が落ちてきたが雨宿りの場所もないので、神社の隅の古い
ベンチで昼食にする。                 〈続く〉

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国際ウオーキングトレイル実踏 番外(棚横手山へ)

2008-11-21 23:29:49 | ハイキング
 2008年11月14日(金)
 =大滝不動から山梨百名山・棚横手山へ=


 
 国際ウオーキングトレイルの実踏を終え、最終日は、勝沼ぶどう郷
の東側にある、山梨百名山のひとつ、棚横手山に上ることにした。


 予定があり直接帰宅されるHさん、 I さんと記念撮影をして分かれ、
やまさん、 I I さんと私の3人で、勝沼ぶどう郷ユースホステルを
8時にスタートした。

 今朝は雲ひとつ無い快晴。ユースホステルからも、甲府盆地や南
アルプスなどがよく見える。

 棚横手山の山ろくから流れる、大滝川に向かって緩やかに車道を
上がる。川沿いに出たところに大滝不動の前不動堂があり、傍らに
コンクリート造りで朱塗りの社務所があった。


 川の右岸沿いを進むと、今は使われなくなった大滝青少年旅行村
のキャンプ場があり、炊事場や管理棟などが残っていた。

 虚空蔵菩薩堂の先で、流れを横切る大滝林道へ。広葉樹林を左
に大きくう回して少しずつ高度を上げる。地形図上の838m三角点
付近からは大きく右に回り込む。

 樹林の切れ目があり、ぐっと高度が上がって見下ろす甲府盆地や、
うっすらと冠雪した南アルプスの展望にしばし見とれる。


 林道が、もう一度大滝川を横切るところに、大滝不動尊があった。
りっぱな山門をくぐり、急な石段を上がって朱塗り色鮮やかな不動
尊堂に参拝する。

 標高950mを越え、高度が上がり手が冷たい。社殿の右手に滝
が落ちているが、流れはわずかだった。

 その滝の下の橋を渡り、南側斜面の山道へ。

 二つの社の下を通過し、斜面をトラバースしながら次第に上がっ
て大滝林道に出た。

 そばに東屋(あずまや)が設けられた展望台がある。甲府盆地を見
下ろし、その向こうに甲斐駒や鳳凰三山をはじめ、南アルプスの長
い稜線の連なりが一望できる。

 棚横手山には10回目という男性が来たが、このような快晴の日
は初めてとのこと。好展望の日に上がれたのは幸運というもの。

 道標の「甲州高尾山 菱山・深沢林道」の方に少し下ったが、南
に向かい少し回り道になりそう。道標まで戻って地図と対比し、
「富士見台」の標識のある林道に進む。

 アップダウンが少ないので、3人で話しながら進むと、右手斜面を
上がる「富士見台 甲州高尾山」の小さい標識があり、もう少しで
見逃すところだった。

 林道は少し先で通行止めになっているらしい。

 陽の差さぬ北斜面を進み、15分足らずで棚横手山への稜線に上
がった。今まで見えなかった富士山の上だけが姿を現す。

 道標があり、富士見台は棚横手山とは反対に少し戻ることになる
ようだ。

 稜線を東北に向かって上がって行くと、少しずつ富士山のすそ野
が広がってきた。林道を横切り階段を上がり、山梨百名山の棚横手
山(1306.2m)に着いた。


 「大富士見台」の標識もあり、多少の木やススキにさえぎられるが、
雄大な富士山や、その西に累々と重なる山並みの展望がすばらし
い。東側には、ほどよく色づいたカラマツ林が望まれる。


 先行していたが、林道から上がる標識を見逃し、林道の先まで進
んでう回してきたという、東京・青梅市の若いご夫妻が反対から上
がってきて、しばらく話す。

 25分ほど山頂で大展望を楽しみ、下山にかかる。上がってきた
道を林道への分岐まで戻り、さらに稜線を少しで富士見台。こちら
はカヤトの上で、本当にさえぎるもののない富士の展望台だ。

 振りかえり見る棚横手山。2つのピークのうちの右側である。


 南面の色づいた斜面を見下ろし、短いアップダウンを繰り返して
次第に下る。


 甲州高尾山(1106m)に着いたら、反対側から上がってきた
ご夫妻が休んでいた。

 少し霞んできた山並みを眺めながら、ここで昼食にする。

 もう一つアップダウンを繰り返すと、甲州高尾山剣ヶ峰とも呼ぶ
宮宕山。標高1091.9mの三角点があった。

 地形図上には、ここから南の深沢方面に下る道が記されている
が、標識はなく、西に向かう稜線を下る。何本かのアンテナ塔の
ところで林道を横切ると、傾斜が強まる。転倒せぬよう慎重にスト
ックを使って下って行く。

 送電線下を通過してさらに下り、最後は南に方向を変えて急降
下、薬師堂のある五所公園に下った。

 東屋もあり、眼下に中央自動車道や国道20号が走り、真下に、
武田家寄進の国宝や文化財が多いという大善寺が見下ろせる。

 国道20号に下って東へ、「近藤勇 柏尾古戦場」標柱と柏尾橋
の説明板の横から、深沢川沿いの車道に入る。

 800mほどで「大日影トンネル遊歩道」などの標識に従い谷間に
下ると、レンガ積みの旧中央本線大日影トンネルがある。

 明治39年(1903)開通のトンネルで、94年にわたり旅客や貨
物輸送を支えたが、役目を終え、甲州市がJR東日本から無償譲
渡を受け、整備して昨年から大日影遊歩道として歩けるようにした
もの。


 トンネル内には線路も残り、両側を舗装して歩けるようにしてい
る。全長は1367.8mあり、直線なので出口も見える。

 外は結構暖かかったが、中に入るとヒンヤリとしている。ところど
ころの待避所には、トンネルの歴史や見どころなどのパネルがあっ
た。急ぎ足で通過したら、15分余りで抜けた。

 勝沼ぶどう郷駅側の出口付近には東屋があり、駅そばの広場に
は、電気機関車EF6418号が保存されていた。

 JR勝沼ぶどう郷駅には、14時40分に着いた。

[コースタイム]勝沼ぶどう郷YH8・00ー前不動尊8・11ー大滝林道
へ8・34ー838m三角点付近8・50ー大滝不動尊9・15~32ー展望
台9・48~10・05ー林道から山道へ10・15ー林道横断10・40ー棚
横手山10・54~11・20ー富士見台11・45ー甲州高尾山(昼食)12・22
~45ー送電線下13・20ー五所公園13・53~14・00ー大日影トンネル
入口14・18ー出口14・35ー勝沼ぶどう郷駅14・40

(天気 快晴、距離 13㎞、累積標高差 2500m、地図(1/2.5万)
 塩山、大菩薩峠、歩行地 甲州市(旧勝沼町)、歩数 25,700)
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国際ウオーキングトレイル実踏(甲府市上帯那~勝沼)④

2008-11-20 21:59:04 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2008年11月13日(木) 〈続き〉

 西念寺での昼食を終え、南に向かって下る。

 
 吊し柿が秋の日に映え、ブドウ畑の隅に大きなマクワウリが、
ひとつだけ残っていた。


 旧牧丘町役場に近い窪平交差点そばのバス停で、バスダイヤ
を確認する。近くの郵便局の先を左折して笛吹川を渡った。

 ワインカラーのぶどうの葉が、逆光によい彩り。


 川を境に山梨市から甲州市へ。左岸の斜面を上がって行くと、
昨日今日歩いた牧丘のブドウ畑や民家などの展望が広がる。


 台地を上がったところに、法光寺がある。元暦元年(1184)
甲斐源氏新羅三郎義光の孫、義定の創建という古寺。武田信玄
は祈願所として厚く崇敬し、寺領を寄進したという。

 織田信長の兵火で焼失後、慶長年間に再建されたとのことで、
重要文化財になっている平安時代の仏像3体など、文化財も多
く残されているようだ。

 本堂内は有料で拝観でき、予約制で精進料理も味わえる。本
堂と山門との間はよく整えられた庭園になっていた。

 東側の道路脇には、「小屋敷セギ」と呼ぶ速い流れがあり、江
戸時代末期に個人が創設したという、「西藤木の水車」と呼ぶ水
車小屋が残されていた。


 車の多い車道に出てすぐ先で、武田信玄の菩提寺として知られ
る恵林寺に入る。まず目に入ったのが西側の三重塔。

 恵林寺は、1330年、夢窓国師の開創。本堂裏手の池泉回遊
式庭園は夢窓国師の代表作のひとつで、国の名勝である。

 回遊式庭園のほか、うぐいす廊下の本堂、武田信玄と柳沢吉保
墓所などが拝観でき、別に信玄公宝物館もあるが、今回は省略し、
広い境内の一角で小休止した。


 東側の小屋敷集落は、ころ柿の里として知られていて、どの家
にも数え切れないほどの吊し柿が見られ、晩秋の太陽をいっぱい
に浴びていた。


 大きな杉木立に囲まれた船尾神社(下)や、松里中の前を進ん
で、小屋敷集落の東に出る。


 近くの柿畑から収穫した柿を運ぶ奥様と出会った。「余っている
ものだから、幾らでも持って行って」とカートンに入った柿を勧めら
れ、3人が10個くらいずついただく。

 「もっと持っていって」と言われ、欲しくもあったが、ザックが重
くなるのでそれ以上は遠慮した。

 ブドウ畑の一角に「秩父街道」などと刻まれた古い標識の立つ
旧道を進み、千野集落に入る。「陣屋街道」と記された新しい標
識に従い応量寺前を通過し、塩山駅に向かって南下する。

 飛宮神社を過ぎると家並みが増え、上於曽の町並みへ。

 右書きの古い写真館前などを通過し、JR塩山駅北口に出た。

 そばに、国の重要文化財で「甘草(かんぞう)屋敷」とも呼ぶ旧
高野家住宅の、ひときわ大きな建物がある。やはり中間に屋根
のある独特の造り。

 19世紀初頭の切妻造りで、甲州民家の代表的建造物だとい
う。庭先で、江戸時代の漢方薬の原料、甘草を栽培したことが
名前の由来となったようだ。

 塩山駅前には、武田信玄の銅像があり、駅の改札口横には、
甲州市の観光案内所もあった。駅で、2日間一緒に歩いたDさん
と分かれる。

 今日のゴールは、次の勝沼ぶどう郷駅。南口に出て広い駅前
通りを東に少し進み、赤尾集落の旧道を南に向かう。

 清泉寺の先の路傍に、日蓮宗系のものか、長い石柱の上に座
像が乗ったものが立っていた。

 川原にたくさんのススキの穂がなびく重川を渡り、牛奥集落に
上がる。西から北側の展望が開け、昨日山ろくを通った塩の山や、
塩山の市街地などが見晴らせる。


 陽が西に傾き、冷えてきた。さらに緩やかに上がって西野原の
山ろくを進み、JR中央線のガードをくぐる。

 勝沼ぶどう郷駅の東、菱山集落に上がり、16時25分に、勝沼
ぶどう郷ユースホステルに着いた。これで、2日間の行程を予定
通り歩き終えることが出来た。

 毎回参加している大阪のHさんが、東京での日本ウオーキング
協会の会議を終え、先着して待っていた。

[コースタイム]民宿あらい8・30ー西山天満宮9・00~05ーフルー
ツラインへ9・25ー杣口のKさん宅10・08~45ー大神宮(大室)11・15
ー西念寺(堀之内)11・42~12・08ー窪平交差点12・28~35ー法光
寺12・50~13・05ー恵林寺13・10~18ー飛宮神社14・30ー甘草
屋敷14・52~54ー塩山駅14・55~15・10ー勝沼ぶどう郷YH16・25

(天気 晴、距離 19㎞、累積標高差 940m、地図(1/2.5万)
 塩山、川浦、歩行地 山梨市(旧牧丘町、塩山市)、甲州市(旧勝沼
 町)、歩数 33,400)
コメント (2)
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国際ウオーキングトレイル実踏(甲府市下帯那~勝沼)③

2008-11-19 22:45:46 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2008年11月13日(木)
 =山梨市牧丘~甲州市勝沼ぶどう郷YH=


 
 今日は里道で距離も短めなので、ゆっくりして、8時半に山梨
市倉科の民宿あらいをスタートした。

 民宿のご主人から、北方の杣口(そまぐち)集落にかやぶきの
家が残っていると聞き、回ってみることにする。


 民宿のブドウ畑に残っていた、よく熟したぶどうを2、3房ずつ
もらい、食べながら県道206号に上がる。

 さらに、昨日下りた黒戸奈神社の西のブドウ畑の農道を上が
り、新井の寺、陽徳山の前を通って北に進む。

 西山まで上がって天満宮に寄る。嘉永5年(1852)再建とい
う社殿は、前面の拝殿が舞台になっていて、江戸末期から村
芝居を行っているという。


 少し下りかけたら、ブドウ畑にいた人が声をかけてきた。なん
と、先ほど分かれた民宿のご主人、Uさん。教えてもらった杣口
への道はもっと上だとのこと。

 近くにあった、廃屋になった民家を改造してUさんが管理して
いるという「民宿農土香(のどか)」にも案内してもらう。

 ブドウ畑の間を緩やかに上がり、フルーツラインと呼ぶ車道を
越えると、行く手にもブドウ畑が広がる。


 真智集落まで上がって振りかえると、ブドウ畑の上に冠雪した
富士山の上部がよく見える。


 山すその用水に沿った車道を東北に回ると、眼下に色づいた
ブドウ畑や、富士山の展望など、気持ちよい眺望が続く。

 大室集落まで来たが、見下ろせる範囲には、かやぶきの屋根
が見えない。 I さんが、近くの家に聞きに行ったら、奥さんが自
宅から出てきて教えてくれた。

 大正6年(1917)生まれの91歳というTさん。背はぴんと伸
び、耳も達者でお元気。夫はディサービスに通っているが、自分
は元気で、干してあった布団の出し入れもしているという。

 教えてもらった東側の県道210号線に下って少し進むと、昨日
幾つも見た、真ん中に大きな屋根のある独特の形の、かやぶき
屋根の家があった。

 昨日の家は皆、トタンを被せてあったので、もとのままのかや
ぶき屋根は初めて。

 門を入ったら奥様が居られた。拝見させてもらうようお願いした
ところ、心よく了解していただく。ご主人も来られ、そばにある蔵
の中も見せて下さった。

 Kさんご夫妻の家で、このような屋根の造りは、この牧丘周辺
の養蚕農家に限られた独特のものとか。かやぶき屋根のまま
残しているのはKさんだけだけという。

 中間の屋根は煙出しの役目をしており、最近屋根のふき替え
をしたが、表側に3年、裏側に3年かけているとのことだった。

 Kさんのお宅では昭和40年代(1965~)まで養蚕をしていた
が、現在はぶどう栽培が中心。リンゴも栽培していて、奥様が
りっぱなリンゴをむいて下さり、その上、漬け物やお茶もいただ
いた。


 庭のモミジの大木や、数本のツツジがよい彩り。モミジの葉の
向こうに富士山も見えるという、うらやましい眺めの庭である。


 40分くらいもおじゃまし、ゆっくり話を伺い、帰り際には大きな
リンゴもひとつづついただき、厚く御礼申し上げて門を出た。

 文化財としたいような貴重な建物を拝見し、その上、温かい
もてなしもいただき、ここだけでも来た甲斐があったというもの。

 南に向かって旧道を少し下った山本には、木樵(きこり)神社と
いう珍しい神社があった。

 この地が杣山口なので、きこりの安全を祈願して創られたもの
らしい。


 正面に富士山を眺め、色づいたリンゴの実るリンゴ畑や、ブド
ウ畑の間の旧道を少しずつ下って大室に入る。



 独特の造りの大神宮を過ぎ、東側の斜面に向かってブドウ畑
の間を下る。




 堀之内まで進むと、大きなしだれ桜の寺が見えた。

 西念寺で、山門を入ると、赤い帽子とよだれかけを掛けた六地
蔵が並んでいる。

 正午近いので、ここで昼食とし、顔を見せたご住職に断り、暖
かくなった日差しを避けて、本堂西側のぬれ縁に腰を下ろした。

 民宿で作ってもらったおにぎりは特大で、3つは食べられない。
柿とエスカップも添えられていた。
                               (続く)

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