あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

塩の道第一日、予定通り根知まで

2008-07-31 16:47:04 | Weblog
白池で昼食を終え、山口の塩の塩資料館を観覧する。建物は茅葺きの家だった。
山口関所跡を確認して、あとは一気に歩き、16時21分に大糸線根知駅に着いた。
これから糸魚川に向かう。列車待ちの根知駅から。
写真は塩の道資料館の建物。
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塩の道初日、大網峠を越える

2008-07-31 13:45:03 | Weblog
8時過ぎ大糸線平岩駅をスタート、姫川温泉、大網集落を経て、素晴らしいブナ林を上がり、正午前に大網峠を越える。
越後に向かって下りはじめ、いま、白池湖畔で昼食を終えた。
これから山口関所跡に向かう。
写真は白池湖畔の眺め。
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長野県小谷村千国から南小谷へ

2008-07-30 19:38:21 | Weblog
明日からの塩の道歩きのため、長野県小谷村の民宿に向かうため、16時に大糸線千国駅に下りた。
宿は次の駅、南小谷の近くなので、ひと駅歩くことにする。
姫川を渡り、東側斜面を上がって黒川集落へ。
茅葺屋根にトタンを被せた家が幾つか見られる。
民家の庭先には、色鮮やかな夏の花が咲き競う。
黒川諏訪神社には、太い杉がたくさんあり、ご神木になっているものも。
北へ下り、南小谷駅を経て、17時15分に民宿に着いた。
近くの国道の温度表示は25度、やはり山あいは涼しい。
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あすから「塩の道」へ

2008-07-29 22:17:22 | Weblog
 あす7月30日(水)に出かけ、7月31日(木)と8月1日(金)、
塩の道・千国(ちくに)街道の最北部、長野県小谷村(おたり
むら)の大糸線平岩駅から糸魚川市の日本海海岸まで歩い
てくる予定です。



 このコースは、3年前の8月下旬にも歩いたのですが、その
ときは大糸線の西側の道筋、大峰峠越えのルートでした。

 しかしどちらかというと、東側の大網峠、山口関所跡経由の
方が多く利用されたようですので、今回、この東コースも歩く
ことにしました。

 =主な予定=

 7月30日(水) 朝自宅を出て、青春18きっぷを使用しJR
 中央線、大糸線経由、南小谷下車。近くの民宿泊

 7月31日(木) 朝、南小谷駅から平岩駅まで行き、大網~
 横川吊り橋~大網峠~山口関所跡~根知駅まで歩き
 大糸線で 糸魚川まで行き、市内のビジネスホテル泊

 8月1日(金) 根知駅~中山峠~美山公園~糸魚川市街
 ~日本海海岸までで歩き終え、糸魚川市内のビジネス
 ホテルに連泊。

 8月2日(土) 朝、糸魚川駅発、大糸線、中央線経由、夕方
 帰宅の予定(青春18きっぷ利用)

 というわけで、明日は携帯電話の電波圏外で、モブログ
出来ない場所かと思います。

 糸魚川市内からは、モブログで間単に報告する予定ですが、
詳しくは帰宅後となりますので、ご了承下さい。
 

 
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「彩夏到来08埼玉総体」始まる

2008-07-28 18:03:58 | 所沢だより
 2008年7月28日(月)

 平成20年度全国高等学校総合体育大会(インターハイ)
が、明日から8月20日(水)までの会期で、「彩夏到来08
埼玉総体」と名付けられ、埼玉県内29の市町で始まる。

 所沢市でも、7月29日(火)~8月2日(土)にバドミントン
競技が、8月7日(木)~10日(日)に男子バレーボール
競技が行われる。


 今日は、所沢市民文化センター「MUSE(ミューズ)」に
て、バドミントン競技の開会式が開催されたという。


 バトミントン競技会場は、所沢市民体育館、所沢市民武
道館、所沢高、所沢北高、所沢西高の5会場で、また、男
子バレーボール競技は、所沢市民体育館、所沢高、所沢
北高の3会場である。

 メイン会場である所沢市民体育館の最寄り駅、西武新宿
線 新所沢駅にも、案内幕が掲げられていた。


 また、新所沢駅構内には、大会のための案内所が設けら
れ、市内の会場の地図や、観光ガイドブック、ウオーキング
マップ、名品・逸品などのパンフレットを配布していた。




 新所沢駅から市民体育館までは徒歩約10分。会場付近
には、大会ののぼりが何か所も見られる。


 メイン会場の所沢市民体育館は、埼玉県産の木材を主に
使い、環境に配慮した設計。

 2004年6月に完成し、その秋に開催された埼玉国体の
9人制バレーボール競技会場に使用された。




 明日からはこの会場で、全国から集まった高校生による
バドミントン競技の熱戦が、繰り広げられることだろう。

 
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志木街道沿いの社寺をめぐる(東京・清瀬)

2008-07-26 23:26:52 | 江戸・東京を歩く
 2008年7月24日(木)



 東京・清瀬市のひまわりフェスティバルを見た後、北側の
志木街道に出た。街道沿いにはケヤキ並木が続いている。


 下清戸三丁目交差点の近くに、改築中のお寺が見えたので、
入ってみた。

 長命寺で、建物は間もなく完成というところ。正面に本堂らし
い建物もあったので、横にあるこれは庫裡(くり)だろうか。

 境内の太いボダイジュの下に、古いお地蔵さんが立っていた。


 志木街道を西に向かう。下清戸一丁目で広い道路が合流する
Y字路は、長命寺前交差点。そばにあるのがその長命寺である。


 山門を入ると、太いケヤキが2本あり、右手には背の高い鐘楼
が目についた。

 本堂の前には、江戸時代に東京・芝の増上寺に奉納された、
各地の大名の名などが彫られた石灯ろうが10灯以上も並んで
いる(左手にも同様に並んでいる)。

 西武線沿線のお寺では、あちこちでよく見る灯籠だが、こんな
にたくさんあるところは初めて。

 山門の西側にある薬師堂。この寺は薬師様で知られている
ようだ。


 中清戸バス停近くの三差路際にあるコーヒー店。このあたり
では珍しい洋風建築である。


 水天宮前交差点のそばまで行く。道路の南側に、りっぱな
地蔵堂があり、等身大より大きなお地蔵さんが祭られていた。


 地蔵堂の横を入ると、南側には武蔵野三十三観音霊場第6番
札所、全龍寺がある。


 りっぱな塀(へい)の内側に、十六羅漢像が並んでいた。


 庫裡の玄関前には、オミナエシが咲いていた。


 志木街道に戻って北側の、日枝神社と水天宮の境内に入る。

 極彩色鮮やかな日枝神社。


 左に並ぶのが水天宮。


 境内にはほかに、八雲神社、琴平神社、白山社、盛り土の
上に御嶽神社が祭られている。

 日枝神社の右手前には、樹齢400年というご神木の杉が、
まっすぐな幹を延ばしていた。

 日枝神社の山王鳥居と呼ぶ鳥居の横の木に、わらで作った
大蛇が掛けてあった。

 カントリーウオークで歩いた6月15日の午後、同じ清瀬市内
の下宿で見た「ふせぎ」と呼ぶ民俗行事の大蛇と似ているが、
こちらの方がきらびやかである。


 ケヤキ並木の続く志木街道をさらに進み、上清戸一丁目交差
点で、斜めに横断するけやきロードに入り、西武池袋線清瀬駅
に戻った。  

 
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新宿御苑を回遊する(東京)

2008-07-25 23:21:49 | Weblog
 2007年7月23日(水)

 一昨日紹介した、新宿御苑インフォメーションセンターでの
風景画展を観覧後、新宿御苑内を回ってみることにしました。

 厳しい日差しですが、広大な都市緑地の新宿御苑では、正午
過ぎで約2℃、周辺市街地より気温が低くなることが観測されて
いるとのこと。それに期待してそばの新宿門から入園しました。


 新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋敷の一部が
そのルーツといわれ、明治に入り、農事試験場を経て、明治39
年(1906)に皇室の庭園となり、戦後、昭和24年(1949)に
国民公園として一般に公開されました。

 広さ53.8ha(約18万坪)、周囲3.5㎞の園内には、フランス
式庭園、イギリス風景式庭園、そして日本庭園が巧みにデザイン
され、明治を代表する西洋庭園といわれています。

 さて、入園した新宿門は御苑の北西側にあります。園内をどう
回るかですが、時計回りに一周することにして、まず園路を東に
向かいました。


 暑いので入園者はあまり見えません。でも陽の当たる芝生広場
で休んでいる人もいました。


 豊富な木々の下に、夏の花、アガパンサスが何か所かで見ら
れ、中には白い花も咲いていました。


 管理事務所や国重要文化財の旧洋館御休所の近くには、大きな
ユリノキが伸び伸びと枝を広げています(下の写真左側)。

 明治9年(1876)に日本最初に植えられたもので、樹齢は
100年以上、樹高35mは園内の木の中で最高とのことです。

 新宿御苑の目玉の一つ、温室は昨年から改装のため閉館中。
リニューアルオープンするのは3年後のようです。


 東北にある大木戸門の先に回ると、御苑のルーツといわれる、
江戸時代に完成した内藤家の庭園「玉川園」の玉藻池です。


 御苑が東に突き出たあたりには、よく育ったプラタナス並木が
あります。


 両側にプラタナス並木を挟んでバラの花壇があり、そのあたり
からは西側に、新宿副都心の超高層ビルが望まれます。


 バラ園には、たくさんの種類のバラがありましたが、ほとんど
盛りを過ぎていました。残った花の中で1番鮮やかだったのが、
このラバグルトという名前の花。


 東南の隅にある下の池に向かったところ、日本最初の疑木の
橋がありました。明治38年(1905)に、フランスから購入した
ようです。

 右側にも似たようなのがあり、今の疑木に比べるとかなり凝った
造りです。

 これが下の池。池の東から南側は、豊富な樹林に覆われていま
した。


 東側の木々の下には、あちこちにヤブミョウガが咲いていました
が、下の池のそばのここが、一番たくさん並んでいます。


 下の池に続くのが、この中の池。南側にはツツジ山があり、花
どきのツツジを思い出された方もおられることでしょう。


 さらに西に進むと、日本庭園の入口付近に旧御涼亭の独特の
建物が見えてきました。

 後の昭和天皇の皇太子時代、ご成婚記念に台湾在住の邦人
有志から贈られたもの。清和時代以降の1920年代の、台湾の
建築様式とのことです。

 ここでデジカメのバッテリー切れ。日本庭園は撮ることができ
ず、気温が周辺より2℃低いと行ってもやはり30℃は越えて
いて暑いので、そろそろ切り上げることにしました。

 園内のレストランで遅い昼食を済ませ、新宿門から退園しま
した。
 
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「清瀬ヒマワリフェスティバル」へ(東京)

2008-07-24 21:43:20 | Weblog
 今朝(7月24日(木))早暁、東北北部でまた大地震が発生しま
した。被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。

 各地で相次ぐ地震の情報を見聞するたびに、わが家でも、本棚
や食器、タンスなどに耐震対策を施さねばと思いながら、一向に
進みません。

 関東に大地震が来たら、それら家具が倒れる前に、家が倒れて
つぶれてしまうのではないかとも、思われます。

============================

 昨日、7月23日(水)のNHK総合TV、関東ローカルで、「東京・
清瀬市内の10万本のヒマワリが見ごろになった」と放映されたの
を見て、さっそく今日、行ってみました。



 西武池袋線清瀬駅で下車し、東北に2㎞余りの下清戸の畑が
会場です。気象衛星センター前を通る通りは、「ひまわり街道」
と呼ばれ、案内の看板がところどころに立っていました。


 いまは廃校になったらしい、旧清瀬東高校の先の畑のあぜを
入ると、ひまわりフェスティバルの会場です。


 日差しがあり木陰のない畑は、涙が目に入る暑さですが、お目
当てのヒマワリはたくさん咲いていました。


 清瀬市では、「花と緑の公園都市」を目指し、花のある町づくり
事業を進めており、「清瀬市農ある風景を守る会」とともに、ここ
下清戸三丁目の2万㎡の広大な農地に約10万本のヒマワリの
花を咲かせ、「清瀬ひまわりフェスティバル」を開催しています。

 フェスティバルの会期は、7月19日から8月17日までです。

 このヒマワリ畑は、5月15日に、市内の小学生たちが種をまき、
6月9日には、会員やボランティアの人たちが草取りをしたりして
大きくなったようです。


 全体の景観を形成しているのが、このハイブリッドサンフラワー
というヒマワリ。草丈150㎝前後になり、花径は30㎝くらいの
大輪花です。

 蜂もたくさん来て、蜜を集めています。


 ヒマワリ畑の北側には、古くからの街道、志木街道が走って
いて、街道沿いの農家は、武蔵野の景観の一つ、カシやケヤキ
などの防風林に囲まれています。


 ヒマワリの花は皆、太陽の方を向いているので、北側から見
ると背を向けていました。


 陽の当たる方から、もう一度眺めてみることにしましょう。


 ちなみに、ヒマワリの花言葉は、「あなただけを見つめている」
あるいは、「あなたはすばらしい」とのことです。


 ヒマワリ畑の中に、幾つかのテントが張られ、お茶の接待や、
写真コンテストの募集ちらしの配布、農産物の直売などをして
いました。


 種をまく時期をずらした畑もあり、まだこの先しばらくは、花が
楽しめそうです。


 北側の畑には、「ルビーエクリプス」という種類の花が咲いて
いました。


 赤い花びらに縁は黄色く染まり、日食のようなイメージから、
エクリプス(=食(しょく))という名がつけられたとのことです。


 北側の志木街道に出て、清瀬駅に向かう帰路につきました。

 なお、清瀬ヒマワリフェスティバルのことについては、下記、清瀬
市のWebをご参照下さい。

 http://www.city.kiyose.tokyo.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM040000
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「どんぐりの会 風景画展」へ(東京・新宿御苑)

2008-07-23 22:58:53 | Weblog
 2008年7月23日(水)

 今日から始まった、スケッチハイキンググループ「どんぐりの
会」の第12回風景画展に出かけました。



 会場は、東京・新宿御苑の新宿門横にある新宿御苑インフォ
メーションセンターのアートギャラリーです。





 どんぐりの会は、日本の自然に親しみ、楽しみながら絵を描く
グループ。


 作品を通して、日本の風景の美しさ、素晴らしさを感じて、
自然環境を大切にしていただければ、と願って作品展を開催
されたようです。


 メンバーは全部で16人、それぞれ3点ずつ出展されていま
した。


 描かれた場所は、関東甲信越と裏磐梯の広いエリアにわたっ
ています。




 ここ、新宿御苑を描いたものも、一人1点ずつありました。




 会期は7月27日まで。入場は無料ですので、新宿周辺に
お出かけの方、のぞいてみてはいかがでしょうか。




 開場時刻は9時~16時30分(27日は16時)です。


 インフォメーションセンターの窓際に、絶滅危惧種のランの
鉢植えが置かれていました。
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亀久保の地蔵院から大井弁天の森へ(埼玉県)

2008-07-21 23:15:57 | ウオーキング
 2008年7月20日(日)午後



 カタツムリ歩行のゴール、神明神社で昼食をして散会の後、
南側をもう少し歩いてみることにした。

 神明神社から川越街道の旧道に入って少し進むと、亀久保
3丁目に地蔵院がある。

 亀久保地蔵院は、正和3年(1314)の開基。昭和27年
(1952)の火災により、文化年間(1804~)建立の本堂は
焼失したといい、現在の本堂は近代的な造り。

 新しいがりっぱな鐘楼が目につく。


 山門を入ると、大きなシダレザクラがある。ふじみ野市文化
財になっているエドヒガンザクラの変種で、樹齢は350年前
後と推定されているという。

 開花のころ、もう1度来てみたい。

 本堂前の水がめに、ハスが花を開いていた。


 本堂際には、心地よい音を響かせる、水琴窟(すいきんくつ)
があった。

 地蔵院を出て、旧川越街道を南に進む。広い道路との交差
点に「角(かど)の常夜灯」と呼ぶ、古い常夜灯が立っていた。

 旧川越街道と地蔵街道の交差点を「角」と呼び、丹沢・大山
の阿夫利神社へ参詣する際に、亀久保村から最初の曲がり
角に立つので、この名がついたようだ。

 常夜灯は、享和2年(1802)の建立、明治30年(1897)
年に笠石と台石が再建されているという。

 さらに南に進むと、川越街道は再び新旧が合流して1本に
なる。すぐ先の交差点を過ぎ、そばの大井小の北東端に旧
大井村役場庁舎があった。

 昭和12年(1937)の建設で、昭和47年(1972)まで約35
年間使用され、その後、東入間警察署や大井小の特別教室、
埋蔵文化財整理室として使用され、現在は国の登録文化財に
指定されている。
 
 大井2丁目まで進むと、「池坊いけばな教室」の看板のある
広い敷地の道路際に、こんな標識が立っていた。

 大井宿は、川越街道の6宿場の一つとして、江戸から約8里、
川越城から2里半にあり、江戸中期の宝永2年(1705)には、
家数94軒、人口479人だったという。

 明治14(1881),15,25年の3度の大火で、町並みは
ほとんど焼失したといい、付近に宿場らしい面影は全く見られ
ない。

 しかし、当時の名残か、近くの古い民家の入口には祭礼の
提灯(ちょうちん)が下がっていた。


 豊富な花を見せるカシワバアジサイなど、緑いっぱいの庭を
見せる住宅もある。


 近くの徳性寺(とくしょうじ)本堂。 徳性寺は、室町時代の
開山で、大井宿の中心的存在だったが、明治14年(1881)
の大火で、本堂、庫裡などは焼失し、現在の本堂は昭和48
年(1973)の再建という。


 本堂前の仏足石に参拝して、石に触れた後、その手で自分
の足をさすり、これからも元気に歩けるよう、祈願する。


 山門の内側にある「弘安の板碑」と呼ぶ板石塔婆。

 市内最古の弘安4年(1281)のもので、高さ117cm、幅
31cmも、ふじみ野市内最大の板石塔婆である。

 ほかに20数基の板石塔婆が出土しているという。

 寺の南側で、川越街道を地下道でくぐり、東に抜ける。東川
(あずまがわ)の右岸沿いに、「大井弁天の森」と呼ぶ斜面林
が東に伸びている。


 その中ほどに、名前の由来の弁天池があった。

 大井弁財天は、江戸時代初期、上野不忍池の弁天様より
分霊したと伝えられているという。

 寛政年間(1789~)に建てられたお堂に、参拝する人は
多く、明治中期の縁日には露店が並んだという。

 その弁天堂も老朽化し、平成元年(1989)に解体された
とのこと。

 対岸に公園が見えたので、橋を渡って回ってみた。公園の
手前に土器が飾ってある。

 「西の原の土器」と記され、区画整理事業によりここ西の原
遺跡から出土した、約4500年前の縄文時代中期の土器だと
いう。

 そばの公園は、東原親水公園。日陰は少ないので、立ち寄
らずに駅に向かう。

 市沢三丁目から一丁目へと新しい住宅地を抜け、日本最初
のアウトレットモール、「リズム」のそばを通過した。


 東上線の線路際に回ると駅は近い。14時35分に、東武
東上線ふじみ野駅に着いた。

 厳しい暑さの中を歩いてきたので、のどが渇いた。駅構内
のコンビニでアイスバーを買って下りホームに下りる。

 ふと上りホームを見たら、先ほど「角の常夜灯」のところで
別れた、カタツムリ歩行の事務局、Doiさんご夫妻も、電車を
待っておられた。

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