あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

秩父往還・甲州道を歩く②(武州日野駅~三峰口駅)(埼玉)(続き)

2010-11-30 21:18:12 | ウオーキング
 2010年11月27日(土)(続き)

 日向(ひなた)とも呼ばれる、荒川北岸の下郷集落への旧道に入り、高台にある熊野
神社で昼食となる。川向こうに聞こえてきた秩父鉄道のSLの通過を眺めてから、弁当
を広げた。


 神社の社殿は小さいが、境内では10月9日に、「御殿ざさら」と呼ぶ獅子舞が行われ
る。南に見える熊倉山にあった熊倉城主・長尾景春に召され、城中で舞ったと伝えられ、
雄獅子、雌獅子、子獅子の3頭で舞うのだとという。

 昼食後、前・現保存会長の両Sさんから、それらの話を聞いた。


 山際の高台を回って行くと、荒川両岸の展望が広がり、やや霞んではいるが、いずれ
も広葉樹の彩りが見頃。集落のある家には、ユズがたわわに実っていた。

 国道に出て、日向橋の先から再び右手の旧道、秩父往還を進む。上郷集落の阿弥陀
寺の石段下に、大きなお地蔵さんが立つていた。

 この先にあった、旧川端集落から移されたもののようだ。

 そばに、秩父特産の緑泥片岩(りよくでいへんがん)でできた板碑もある。


 阿弥陀寺は、貞治2年(1363)の開創で、秩父十三仏霊場の一つ。入口の馬頭尊の
花台には、珍しい小さい馬が彫られている。



 境内には、少し朽ちてはいるが秩父最大級という↑宝篋印塔(ほうきよういんとう)や、
これも珍しい六道能化地蔵がある。モミジの彩りも一段と鮮やか。

 国道に戻って贄川の八幡橋を渡る。少し先から八幡坂を荒川左岸に向かって下って行
くと、馬頭尊や地蔵など5体の石仏が並び、その上の斜面に八幡神社がある。

 境内は狭いが、石段横の夫婦ケヤキと呼ぶ樹齢400~500年と推定される大ケヤキ
が、寄り添うように立っている。


 さらに下った川岸が、江戸中期の宝暦年間(1751~64)にはあったと記録の残る、
白久の渡し場跡。上流の白川橋ができる昭和4年(1929)まで、渡船が行われていた
という。

 このあたりは川幅が広がり、昔は上流から集められた木材が、ここで筏(いかだ)に組
まれて、筏師により江戸まで運ばれたという。

 国道に上がり、北側の秩父往還に入る。小さい流れの横にある橋場家↓は、最近、国
の登録有形文化財に指定された旧家。

 
 その横の急坂を上がると贄川宿(にえがわしゆく)である。

 贄川宿は江戸時代、秩父甲州往還道の大宮郷(秩父市の中心)に次いで賑わい、
三峯山の講中や、秩父札所への巡礼者、商人などの宿泊が多く、物資の集散地でも
あったことから、六斎市(ろくさいいち)と呼ぶ市もあったという。

 当時の面影を残す家並みが続き、紅葉の時期(今年は前週の土・日)には、民家の
縁側に絵画や写真、彫刻、陶芸など展示する、縁側展と呼ぶ催しが開催されている。

 家並みの最初の三差路際、屋号・番場さんのお宅で、秩父地方に伝わる「おなめ」
と呼ぶ、大麦、大豆、塩、麹菌を原料にした自然食品を販売しており、多くの参加者が
買い求めた。私にとっても懐かしい味なので、1パック入手する。


 贄川宿が終わり、国道140号の権田橋の先で国道を歩道橋で越え、荒川にかかる
白川橋を渡る。



 橋から眺めると、下流は流域が広がっているが↑、上流は↓狭く切り立つ渓谷となっ
ている。

 このあたりが地層の変わり目とのことだが、その詳しい説明はメモを漏らした。

 両側ともに、紅葉の彩りは今が盛りといった感じ。


 橋を渡って東に向かう。山すそを回る旧道に入り、上サ(かさ)集落にある神明神社
へ。境内の神楽殿では、春、夏、秋の祭礼には、安政年間(1854~60)から伝わる、
神明社神楽が奉納されるという。

 社殿横の戸板に、森玄黄斎が彫りかけたたままの鍾馗(しようき)像が残っている。

 森玄黄斎とは、文化4年(1808)、近くに生まれ、極めて小さい彫刻や、漢詩、書
画などに優れた業績を上げた人のようだ。

 ここで今日のコースは終わりとなり、秩父ジオパーク理事長の挨拶がある。北側の
車道に出れば、秩父鉄道の終点、三峰口駅は近い。15時25分に着いた。

 (天気 晴一時曇、距離 7㎞、歩行地 秩父市(旧荒川村)、地図(1/2.5万)
  秩父、三峰、歩数 12,700)
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秩父往還・甲州道を歩く②(武州日野駅~三峰口駅)(埼玉)

2010-11-29 22:59:08 | ウオーキング
 9月27日(日)の第1回に続き、11月27日(土)、秩父ジオパーク歴史道をたどる
スローウオークの2回目に参加した。

 前回のゴール、秩父鉄道武州日野駅には、60人前後かと思われる参加者が集ま
る。


 秩父ジオパーク中谷理事長の挨拶、飯野副理事長のコース説明などがあり、3班
に分かれて10時40分に駅を出た。

 駅北側の国道140号を越えて、下日野の住宅地へ。小さい薬師堂のそばに、4基
の石仏が並ぶ。左端の鳥居を背負った珍しい石仏は、水神の弁天様のようだ。



 緩やかなカーブを見せる秩父往還に出た。南に、紅葉した弟富士山↑を眺め、近く
の荒川歴史民俗資料館に行く。館長さんの説明を聞きながら、狭い館内を観覧する。


 正面に展示された、国指定有形文化財の半縄の笠鉾(かさほこ)は、全国で一つと
いう歌舞伎ができる笠鉾。笠飾りや台の彫刻などが、華やかな彩りを見せる。


 国指定無形文化財の串人形は近くの白久(しろく)に伝わるもの。2人で動かす人形
は全国でも3か所のみとか。ほかに、小正月の飾り物、のこぎりや鎌(かま)、養蚕の
道具、農具、生活用具など、秩父ならではのものが、たくさん展示されていた。


 国道に出て西に向かう。国道際のモミジが、落葉間近の彩り。


 駅のそばに戻った国道際の民家に、久保鍛造所の看板がある。3代続く鍛冶屋さん
で、畑道具や山仕事道具、職人道具など200種類もの道具を製造しているという。


 大塚沢の先で、秩父往還は左に入る。その三差路に、「右三峯山新道 左旧道」と
刻まれた、道標を兼ねた三峯山登拝碑が立つ。


 その先には、子供の夜泣きなどを治す信仰の夜泣石があった。


 国道に戻り、荒川にかかる荒川橋の手前を北に入ると、竹林の中にひなびた鳥居と
小さな社殿の荒川神社がある。

 橋の工事中の明治23年(1890)や6年後、事故が続出したため、人夫たちが烏天
狗の仕業とおそれ、橋工事の守り神として建てたもの。橋は苦難の末、明治31年に
完成したという。


 橋の上を通過したのでは分からぬが、鉄骨で組んだ橋脚は深い谷にかかり、橋から
は、その深い谷を蛇行する清流が見下ろせる。


 荒川橋から1㎞余り、高橋沢の先にあった採石場跡に寄る。大きく露出した石の斜面
をよく見ると、さざ波のような痕跡があり、下に剥離(はくり)した大きなかけらもある。



 「漣痕(れんこん)」と呼ばれ、さざ波の跡が岩に残されたもので、ここが古くは海だっ
たことの証拠だという。 (続く)

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昼下がりの所沢航空記念公園(埼玉)

2010-11-28 17:06:23 | 所沢だより
 2010年11月28日(日)

 穏やかな晴天に恵まれた今日昼下がり、ウオーキングで所沢航空記念公園に出かけ
ました。

 公園の南側、国道463号のケヤキ並木も、そろそろ落葉が始まっています。

 このケヤキ並木は、さいたま市まで続く、日本一長いケヤキ並木です。

 南側から中央の園路に入ると、モミジなどの広葉樹の彩りが鮮やか。


 クヌギの葉の黄葉。


 何本かのモミジは、今が盛り。








 これもクヌギの葉のようです。


 そばにあったのは、トチノキだろうか。


 公園の中央にある放送塔の周辺では、イチョウが見頃でした。




 好天に誘われ、航空発祥記念館前の広場は、市民で賑わっています。


 広場の西にあるソメイヨシノの葉は、もう間もなく全部落ちてしまいそう。




 公園の北側、市役所や郵便局などの並ぶ通りも、ケヤキの葉がかなり落ちています。


 もうすぐ12月、冬の装いの前の華やかなひとときです。
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今森光彦 写真展へ(東京・品川)

2010-11-26 21:51:43 | Weblog
 今日、11月26日(金)、東京・品川にあるキャノンギャラリーにて開催中の、写真
展に出かけました。

 まずは場所をご案内しましょう。JR品川駅で下りて、東口に向かいます。


 上の写真の終わったところで、真っ直ぐ進むと地上に下りる階段とエスカレータが
ありますが、下りずに右手のブリッジに向かいます。


 品川グランドコモンズと呼ばれる、超高層ビル群の2階を結ぶブリッジです。


 ブリッジから見下ろす中庭の木々は、いずれもよい彩りを見せていました。


 こちらは桜の木が主のよう。


 右側のビル群のうちの先の方、三菱重工ビルの次にあるキャノンSタワーが目的の
場所です。


 ビルに入ってエスカレーターで1階の下りると、写真展会場「キャノンギャラリーS」
がありました。


 ここで開催中なのが、『今森光彦 写真展「地球いきものがたり」~小さな生命に
出逢う旅~』です。



 今森光彦さんは、琵琶湖をのぞむ田園にアトリエを構え、自然と人との関わりを
「里山」という概念で追って、たくさんの写真を発表されています。

 今回の写真展は、今森さんが訪ねた熱帯雨林から砂漠まで、世界各国を回って
取材された写真の数々が展示されています。



 厳しい自然環境の中でたくましく生き抜く昆虫、自然に密着した子供たちの暮ら
し、人間の汗の結晶ともいえる棚田とそこで耕す人々、アマゾンの密林を蛇行する
広大な流れ、擬態や美しさを競う小さな昆虫など、今森さんならではの目で捕らえ
た写真が大判のプリントで並び、迫力十分です。

 この展示会は、12月18日(土)まで開催されていて(日曜・祝日休館)、開館時
刻は10時~17時30分です。入場無料ですので、近くにお出かけの方は立ち寄ら
れて、ご覧になってはいかがでしょうか。

 なお、キャノンギャラリーSのWeb pageは以下をご覧下さい。

   キャノンギャラリーS

 
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気がかりな へんろみち保存協力会の宮崎さんの動向

2010-11-25 17:05:00 | Weblog
 歩いて四国遍路をされた方は、大多数の方が利用されている遍路用の地図である、
『四国遍路ひとり歩き同行二人』の著者で、へんろみち保存協力会の代表・宮崎建樹
さんが、11月8日(月)に自家用車でご自宅を出たまま、消息不明になっているとの
ことです。



 宮崎さんは地図づくりだけでなく、遍路道のわかりにくい場所に数限りないほどの、
遍路札を吊るしたり、張り付けたり、建てたりして、お遍路さんが道に迷わないよう
に尽力されています。

 

 おかげで私も2回の遍路と、3回目の前半を今年2~3月に、心配なく歩かせてい
ただき、宮崎さんにはいつも感謝の気持ちでいっぱいでした。



            

 感謝の一端として、私もできることを協力したいと思い、2回目と3回目前半の遍路
では、以下のようなことを行いました。

 それは、『四国遍路ひとり歩き同行二人』【地図編】の地図コピーを常時携帯しな
がら歩き、現状と違うところ、例えばコンビニやスーパー、公共的と思われるトイレや
休憩所、ガソリンスタンド、交差点の信号の有無、宿の廃業などについて、地図と対
比してチェックしておき、帰宅後にその情報を宮崎さんにお送りしたのです。

 折り返し宮崎さんからは、丁重な礼状をいただき、次回改版時には、そのデータを
反映したいとのことでした。

 その宮崎さんが、行方不明になり、もう20日近くになり、いまだに消息不明との
ことで、大変心配しております。

 関係の方々が、霊場や宿、現在歩いておられる方など各方面に、探していただける
ようにチラシを配っているようですが、いまだに分からないようです。

 私も本来なら、今ごろは3度目後半の遍路に出ている予定だったのですが、家事の
都合で来年に延ばしたため、現地に行くことが出来ず、遠路から心配をしているだけ
で、何のお手伝いも出来ないのが残念です。

 四国の方、これからお遍路に出かける方など、ぜひ心がけて探していただけるよう
ご協力をお願いいたします。

 ちなみに、宮崎さんの乗っておられる自動車は、ススキの軽バンで、ナンバーは
愛媛51 う84-99・シルバー色で紅葉マークを付けているとのことです。

 そのほかのことについては、下記、へんろみち保存協力会のWeb Siteをご覧の
上、何らかの情報がありましたら、同会へご連絡下さい。

  へんろみち保存協力会



  
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小川町郊外をカントリーウオーク(埼玉)

2010-11-23 20:50:56 | カントリーウオーク
 2010年11月14日(日)

 埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループの第178回例会に参加した。

 集合は東武東上線・JR八高線の小川町駅。今回は、起伏の多い里道を回るので、
短距離コースと遠路を回るグループとに分かれる。遠路グループは、10時15分に
出発した。

 =鬼ヶ谷津沼から輪禅寺を経て小川農産物直売所へ=

 駅東側のガードをくぐり、小川高校の横に出る。兜川(かぶとがわ)を渡った三差路
で、北側の冨士山(ふじやま)(162.1m)に上る数人は東へ、残りは兜川に沿って
西に向かう。


 池田集落の民家の庭先で、桜がよい彩りを見せる。兜川には10数羽のカモが泳ぎ、
近くの山際に、木曽街道の難所、桟(かけはし)のことを読んだ芭蕉句碑があった。

 バス道路に突き当たり右へ、みどりが丘の住宅地に向かって上がる。アメリカハナ
ミズキの街路樹が、よい彩りで続いている。

 みどりが丘二丁目から五丁目へ、住宅地の中の東側の道路を進む。どの家にも、よく
手入れれされた植木や盆栽などが見られ、ゆとりある暮らしが感じられる。


 住宅地の東北端から、広葉樹林下の遊歩道に入り、鬼ヶ谷津(おにがやつ)沼に下
った。谷間の静かな水辺に、落ち葉がたくさん浮かび、周辺の広葉樹も、きれいな彩
りを見せる。


 沼の水を利用していた休耕田は、アシが伸びて雑草地に変わり、かたわらの何種類
かのユズの木が、大小たくさんの実をつけている。


 目を足下に落とすと、季節外れのスミレが咲いていた。

 国道254号バイパス近くまで進み、高谷(こうや)集落の能満寺の下へ。かなり時間
を経過していたので、寺には寄らずに先に向かう。県道とバイパスとの交差点近くの旧
道に、「聖徳皇太子」と刻まれた、大きな石碑が立っていた。


 県道を越えて東に回り、上横田(かみよこた)の輪禅寺(りんぜんじ)に行く。

 江戸時代にこの地を治めた武田新十郎信俊が、父信実(のぶざね)(武田信玄の異
母弟)と一族の菩提寺として建立した寺。

 本堂西側にある墓地の中心に、武田氏の墓域があり、一族52基余りの墓石が並
んでいる。

 蛇足ながら、輪禅寺は私の父母の菩提寺でもある。父母の墓は、この武田一族の
墓地の裏手にある。

 上横田集落の、民家と田んぼの間の町道を東へ。葉の落ちた柿の木に、たくさんの
実が色づき、休耕田のカヤのような草が、晩秋の彩りを見せる。


 国道254号バイパス際にある、小川農産物直売所に正午過ぎに着いた。そばの、
小川ゴルフ場の隅の芝生に腰を下ろして昼食にする。

 Sさんが、Nさん世界一周航海土産の、ジャマイカのコーヒーを湧かしてくれた。

 =里道を回り紅葉の西光寺から小川町駅へ=


 農産物直売所をのぞき、買い物をしたりして、13時10分に午後のコースに向かう。

 農産物直売所のすぐ東から、南側の林間を上がり、下横田(しもよこた)の百庚申へ。
林の下の斜面に庚申塔が100個並んでいた。ここで記念撮影をする。


 中国の道教の信仰に基づくもので、平安時代から続く庶民信仰として、60日ごとに
巡ってくる庚申の日に、夜を眠らず過ごして長寿を願う「庚申待」という行事があり、
その供養ために講中や個人により、嘉永2年(1846)に建立されたものという。

 国道バイパスに戻って歩道橋を渡る。橋際に、よく熟したアケビが幾つも実っていた
が、手の届かないところなのが残念だ。


 畑の横を下り、下横田の養昌寺へ背後から入る。境内は狭いが、趣ある鐘楼や古
い二十三夜塔などがあり、高台の静かなたたずまい。


 桑畑も残る集落を東へ。畑では手で麦まきをしていて、その向こうの斜面林がよい
彩り。関越自動車道嵐山小川ICからの道路をくぐって、中爪(ながつめ)の普光寺に
入る。

 鐘楼は朱塗りで色鮮やか。本堂の前には、小川七福神のうちの大黒天、毘沙門天
など、5つの福神が鎮座していた。

 南に下って田んぼを横切る。西に少しで、七福神の残りの寿老尊と布袋尊の祭られ
ている聖観音堂下を通過し、東小川五丁目の小川東第10公園で小休止する。

 東武東上線がSカーブする地点なので、鉄ちゃんにとっては絶好の撮影地点かと思
われるところだ。

 国道バイパスと東上線の下を抜け、広葉樹が色づく菖蒲沢沼の横を通過する。午前
中の鬼ヶ谷津沼より大きいが、ここも同様に静かで晩秋のたたずまい。


 沼の横の空き地に、太い丸太を一刀彫りした彫刻が、幾つも並んでいた。

 線路に沿って500mほど進み、国道254号を横断する。下里(しもざと)集落に入る
と、南東の山の中腹に大聖寺が見えたが、ゴールへの予定時刻に遅れそうなので、
行くのは省略して、先に進む。


 はさ掛けの残る田んぼの間を抜けて、槻川(つきがわ)左岸沿いに出る。対岸の大
きなケヤキがよい彩り。


 短距離組が後ろから来たので合流し、埼玉伝統工芸会館には寄らず、川を渡って南
側の西光寺へ。

 室町時代後期の開創とといわれ、慶安2年(1649)に10石の御朱印を受けている
という。山門の上が鐘楼になっていて、その奥に大本堂がどっしりと立つ。


 境内のカエデとモミジが色鮮やかなので、その下でもう一度記念撮影を。


 カタクリとオオムラサキの林として知られる、仙元山(289m)の山ろくを進み、槻川
の北川橋を渡る。奥武蔵の笠山と堂平山の間に太陽が落ちて、夕焼けに染まる。


 槻川に合流する直前の、兜川右岸沿いを回って国道254号に出る。小川町の市街
地に入り、16時10分に小川町駅に戻った。
 
 (天気 曇一時晴、参加 19人、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 武蔵小川、
  歩行地 小川町、歩数 25,400)
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新しい交通信号機の点灯式(埼玉・所沢)

2010-11-22 16:25:00 | 所沢だより
 午前中から雨となった今日、11月22日(月)、傘を差して所沢駅方面に向かって
歩いていました。

 近く開通するという、市道・所沢駅西口通り線の終点のところに行ったら、新しい
信号機の横に人が集まっていました。

 どうやらこの信号機のスイッチを入れて、点灯させるようなので、急いで背中の
ナップザックに入れていたカメラを取り出しました。取り急ぎ撮ったのがこの点灯
前の信号機。

 すぐに制御装置のスイッチを入れたようで、間髪を入れず信号機は点灯しました。


 これから停電でもない限り、このLEDの信号機は点灯を続けることになります。

 点灯式は、11時ちょうどに行われたようです。偶然ながらよいタイミングでした。

 新しい信号機の制御装置。


 これは、新しい道路に接する西側に既設の市道。大きく左へカーブする地点に、
所沢駅西口方面からの新設道路が右側に接続され、信号機が開通したのです。


 三差路となる、この新しい交差点は、「一本木」と命名されたよう。現在、そばに
それらしい木は見あたりませんが、昔はここあったのでしょうか…。


 左手前方に進むと、所沢駅西口方面です。


 駅に向かう中間にも、新しい信号機の工事が進んでいますが、まだ点灯していま
せん。


 新しい道路も、中間で大きくカーブしています。駅側から見たたカーブ点。


 新設道路の始点、所沢駅西口交差点近く。突き当たりが、改修工事中の所沢駅西口。


 新しい道路名の標識。所沢駅西口交差点から全長510m、幅員20mの道路です。


 所沢駅西口広場の跨線橋から望む、新しい道路。突き当たりから左にカーブします。


 ちなみに、この市道・所沢駅西口通り線は、11月25日(木)13時30分に開通の
予定で、道路の略図は以下の通り(所沢市のWeb Siteから)。



 この市道が開通すると、所沢駅西口周辺から、南西を回る県道4号(東京所沢線、
通称・行政道路)への交通路が短縮されて便利になり、駅周辺の渋滞解消にも幾分
か役立ちそうです。
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関東百駅巡礼歩行 JR宇都宮線 野木駅(栃木)

2010-11-21 18:51:01 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年11月13日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第69番に参加する。集合はJR宇都宮線の野木(のぎ)駅。
栃木県再南端の駅だが、駅の開設は昭和38年(1963)で、歴史ある宇都宮線
(東北本線)では新しい駅である。

 参加者は、やまさんのほか、久しぶりの栃木県の女性2人と、私を含む埼玉県の
男性2人。駅前で記念撮影をして、11時4分に西口をスタートした。


 駅に近い交差点際に、しゃれた建物と紅葉が鮮やかな店があった。「ういんどべん」
という名のコーヒー店である。


 新橋小の校門を入ったところに、初代校長の校訓ともいうべき、りっぱな石碑が立
っていた。新興住宅地が終わると古くからの農家が増え、色づいたユズがあちこちで
見られる。


 森に囲まれた高良神社↑を抜けて松原集落へ。屋敷に続く畑に、真っ赤なリンゴが
実っていた。

 国道4号の松原交差点の近くに、同行の小山のKさん知り合いの、「小びとの家」と
いう天然酵母パンの店があった。

 パンには国産の安全な材料を使い、10数時間発酵させて作るという。試食させて
もらうと、よい歯ごたえでおいしかったので、皆さんが購入した。

 松原交差点を北に入り、国道に平行する北側の旧道へ。道は国道と違って自然カー
ブしており、こちらが旧日光街道らしい。

 思川(おもいがわ)浄水場の先、野木集落の中心地付近に、「のぎ水辺の楽校」の
案内板があり、一帯の湿地周辺を、子供が安全で楽しめる自然体験や学習の場とし
て整備したと記されていた。

 西側中ほどにベンチがあったので、ここで昼食をする。

 すぐ先に「この奥 野木城跡」の看板があるが、面影は見られず、その歴史なども記
されてない。

 りっぱな屋敷林が続く農家の裏手を通過、ツカサ工業のところで道路は右側に迂回
している。角に、古い青面金剛像が残っていた。


 畑の隅のモミジが鮮やかな彩りを見せ、その先には、長い参道が続く野木神社が
あった。

 延暦年館(782~806)に、坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中に寄り、
社殿を造り遷座したと伝えられる古社。現在の社殿は、文化3年(1806)に古河城主
・土井利厚が再建したとのこと。明治時代には、乃木大将もたびたび参拝に訪れたと
いう。

 拝殿の奥、覆屋で保護された本殿の周囲には、精巧な木彫が随所に施され、一見
の価値がある。


 町の文化財である境内の大イチョウは、坂上田村麻呂が植えたものと伝えられる古
木である。

 婦人たちが、乳が出て乳児が健全に育つよう祈願し、米ぬかと白布で作った乳房の
模型が奉納されていた。

 拝殿には、子供たちが描いた祈願の絵馬がたくさん並び、5月になると境内に毎年
現れるという、フクロウの写真も飾られていた。


 参道には、樹齢650年以上と推定され、高さ太さとも県内の名木といわれる、町の
文化財であるケヤキの高木が立ち、ほかのケヤキや桜の古木ともども、よい彩り。


 参道のすぐ北にあった雷電神社は、渡良瀬川を隔てて西にあった旧谷中村(やなか
むら)から移築したものという。

 ちなみに旧谷中村一帯は現在、渡良瀬遊水池となっている。

 近くの畑で、麦肥橎種機という小型の機械で種をまいている人がいた。一部自分で
工作して作ったものとのこと。

 麦の種と肥料が一度に4列まける機械で、麦の種類はタマイズミといい、収穫した麦
は、群馬県館林市にある正田(しようだ)醤油に出荷するという。

 野木集落が終わり、広い道を西に進んで、渡良瀬川の左岸段丘上にある、馬術クラ
ブの横に回る。馬術クラブの以前は結婚式場だったという広い構内の中心に、国の重
要文化財の野木町煉瓦窯(れんががま)があり、遠くからも見えた煙突の高さは34m
だという。

 明治23年(1890)に建築された旧下野煉化(しもつけれんが)製造会社の煉瓦窯
で、「ホフマン式輪窯」と呼ばれ、ドイツのフリードリヒ・ホフマンが発明した連続釜の
一種とのこと。

 レンガで造られた円形の窯の外周は100mあり、昭和47年(1972)まで赤レンガ
を製造したもの。現在日本にただひとつ残る、貴重な円形のホフマン式輪窯だという。

 乗馬クラブの回りは、さくに囲まれ入れない。外からのぞいただけで、渡良瀬川沿い
に下った。


 ゆうようと流れる川沿いを500mほど下流へ進む。放置されて大きく伸びたクワの葉
が、よい彩りを見せる。

 野渡集落の北端に上がり、馬術クラブの正門に回る。

 馬術競技のスタンドがあり、その向こうが煉瓦釜だが、入るには事務所の許可が要
るとのこと。門の近くで眺めて、そばまで行くのは省略した。

 南側の熊野神社の参道沿いには、あの煉瓦釜で作ったらしい、くず煉瓦が積まれ
ていた。

 満願寺の角を回り、野渡集落の南側へ。すぐ西側に茨城県境が接近している土地
なので、お孫さんと外に出ていた奥様に、県境付近のことなどをうかがう。

 茨城県古河(こが)市との県境付近で、渡良瀬川の左岸堤防に上がった。利根川か
ら5㎞の標識があり、堤防をさらに南に向かう。堤外(流れ側)はゴルフ場である。

 背の高いケヤキや常緑広葉樹に囲まれた雀神社のそばに、古河を歌った万葉集歌
2首を記した歌碑が立っていた。


 すぐ近くには、渡良瀬川を汚染した足尾銅山の公害を糾明した、田中正造の新しい
遺徳碑もできている。

 堤外に広がるススキが色づく、国道354号の三国橋際まで進み、川を離れた。


 古河一小前を通過して本町に入り、15時半近く、古河歴史博物館前で解散となる。

 全員博物館に入り、古河の歴史や古河城、古河藩家老として知られる鷹見泉石(た
かみせんせき)のことなどについて、50分ほど観覧する。

 レンガ造りで趣ある校門の古河一小(旧校舎?)前や、古い蔵造りの残る通りなど
を抜け、16時36分に、JR宇都宮線でただ一つの茨城県の駅、古河駅に着いた。

 (参加 5人、天気 曇一時晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 古河、歩行地
  栃木県野木町、茨城県古河市、歩数 19,700)
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晩秋の彩り(埼玉・所沢)

2010-11-20 21:40:18 | 所沢だより
 2010年11月20日(土)

 朝晩はかなり冷え込むようになり、わが家周辺の木や草花なども、色鮮やかに
なってきました。今日午前、市内を回って見つけた、晩秋の彩りです。

 この時期、いつの間にかおなじみになった皇帝ダリアが、すぐ近くの家の庭先で
開花しました。 


 夏の猛暑で心配された柿の実も、すっかり色づきました。


 木に立てかけてあるのは、もぎ取るための竹でしょうか…。


 同じ家の庭の隅にあった葉っぱ。なんの木かな?


 こちらの柿は、もうかなり熟しているようです。


 近くに、かやぶき屋根の家もある、古くからの農家の庭先に咲き競うキク。


 清楚な白菊が、花を競っています。


 これは、アメリカハナミズキかな?


 鳥たちのおいしい食料になりそうな、ウメモドキ。


 東京都民の水がめ、多摩湖の下から流れ出る柳瀬川の流れも、秋の彩りでした。
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国際ウオーキングトレイル実踏③(元箱根~山中城跡~三島駅)(続き)

2010-11-19 21:08:19 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2010年11月11日(木) (続き)


 珍しい「雲助徳利の墓」↑の先で、国道をまたぐ歩道橋を渡り、駒形神社の横から
国史跡で日本百名城の一つ、山中城跡に回る。

 小田原に本城のあった北条氏が、永禄年間(1558~70)に築城したと伝えられる
山城。西方防備の拠点としていたが、天正18年(1590)3月に、全国統一を目指す
豊臣秀吉により、1日で落城したという。

 復元整備された城跡の、北の丸跡や西の丸などを回り、そばの宗閑寺に入る。境内
には、北条軍、豊臣軍の武将たちの石碑や、城主松田右兵衛太夫の墓などがあった。
本堂の屋根下で昼食とする。

 国道の西側に残る旧街道の、杉並木に入ったところで、三重県四日市市から来て、
東海道を歩き継いでいるというHさんが上がってきた。

 山中集落から1㎞ほど下った国道際に、芭蕉句碑が立つ。国道の左手に回って下っ
て行くと、三島市郊外の集落が見下ろせ、天城連山や駿河湾の展望が広がる、絶好
のビューサイトがあった。




 笹原新田の家並みを抜け、「こわめし坂」と呼ぶ急坂を下り、次の三谷新田へ。民家
の背後にベンチがあったので休憩する。

 パッチワークの畑の上に、富士山が望めるようだが、雲が増えてきて裾野しか見え
ない。そばの小さい小屋は、「軒下の美術館」と記され、ここからの富士山の写真など
が展示されていた。


 軒下の美術館とは、訪れるハイカーや観光客に民家などの軒先を休憩場所として
提供し、写真を展示して交流を深め、この地区の特色を紹介しているところ。その先、
明治天皇御腰掛石のある松雲寺、Sさん宅のガレージ、坂公民館↓などにも、軒下
の美術館があった。


 三島市眺望地点と記された、坂公民館裏からも富士山は裾野のみ。愛鷹連山↓
だけが全貌を見せている。

 
 このあたりは大根の産地らしく、公民館には、富士山と大根を干す絵も掲げられて
いた。

 題目坂を経て、臼転(うすころげ)坂の石畳道を下る。塚原新田の宗福寺屋根下に
も、軒下の美術館がある。集落の先、旧街道が国道に合したところには、「箱根路」
と刻まれた大石があった。


 近くの初音ヶ原からは、旧街道の面影を残す松並木が続き、江戸から28里の錦田
一里塚↓は、旧態がよく残り国史跡となっている。


 松並木の西側に石畳の遊歩道が整備され、国道は上下車線に分かれて松並木の
間を抜けている。

 松並木が終わり、五本松交差点から分かれて、右手の旧道へ。東海道線の踏切を
渡り、愛宕橋と新町橋を渡ると、三島市の市街地となり、三島大社に入る。


 弁天池の先で二つの門をくぐり、立派な社殿の本殿に手を合わせ、3日間の行程を
無事歩き終えたことに感謝する。

 境内は、七五三参りに備えて紅白のテントが張られ、露店の準備も進んでいる。
本殿の近くには、国天然記念物で樹齢1,200年という、日本一のキンモクセイが枝を
大きく広げていた。


 弁天池のそばまで戻って西に抜け、桜川沿いに進む。カルガモの泳ぐ清流沿いの
歩道には、三島水辺文学碑が続き、三島由紀夫や太宰治、司馬遼太郎、井上靖など
の文が記されていた。


 日本の歴史公園百選に選定されている楽寿園の横を進んで、15時20分に、今回
のゴール、JR三島駅に着いた。

 初日は風が強かったが、3日間とも好天に恵まれた。富士山の展望と国際観光地、
箱根の紅葉、石畳と杉並木の旧東海道の面影を存分に味わい、いつもほど疲れを感
じることのない、よい歩き旅だった。

 【コースタイム】民宿箱根ゲストハウス8・03ー元箱根セブンイレブン8・24~30ー駒形
 神社9・14ー箱根峠9・43ー接待茶屋跡10・15ー雲助徳利の墓11・05ー宗閑寺(昼
 食)11・25~12・00ー笹原新田入り12・40ー松雲寺13・10~13ー市山新田入り(軒
 下美術館)13・25~33ー宗福寺13・56~14・00ー錦田一里塚14・18ー三島大社
 14・50~15・00ーJR三島駅15・20
 
 (天気 快晴後晴、距離 18㎞、地図 箱根、三島、歩行地 箱根町、静岡県函南
 (かんなみ)町、三島市、歩数 32,300、累積標高差 1,230㍍)
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