2009年11月18(水)(第2日)
==四尾連湖から釜額へ==
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/30/11.931,138/31/48.434&scale=250000)
昨日の冷たい雨が上がって晴天となった。朝食前に I さんと、周囲1.5㎞
の四尾連湖(しびれこ)を時計回りに一周する。左の建物が宿泊した水明荘。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/7a/1a3c15dfd54e63e1f7cbb9a17e7a74d2.jpg)
まだ湖面には陽が差し込まぬが、湖の周囲は紅葉が見ごろになっていた。
宿泊した水明荘の主、Kさんと一緒に記念撮影をして、2人のお孫さんに
も見送られ、8時前に出発する。湖岸にも太陽が差し込み、紅葉の彩りが鮮
やかになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/9f/e00b3a9521cdd59320e68b13ff559b42.jpg)
湖の南面を回って少し上がると、りっぱな針葉樹に囲まれた子安神社が
ある。これから下る四尾連集落の氏神で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
が富士山噴火の折に来て、子供を産んだといわれる安産の神社だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a3/c20d42bd4e20c66d1adb9d74a17ff4e2.jpg)
本殿には、安産を祈って奉納した、穴の空いたひしゃくが幾つも並び、毎年
10月にはお神楽が奉納されるという大きな神楽殿もある。
境内には、建久4年(1193)、源頼朝がこの地で鷹狩りをして休んだ際に
使った、ヒノキのはしが育ったといわれ、「四尾連のリョウメンヒノキ」と呼ぶ、
2本の大ヒノキが立つ。
南側の四尾連集落に向かって下る道は、最近は歩く人がほとんどいない
ようで、少し荒れていた。四尾連集落は、標高790m前後の南斜面にあり、
南側に、色づいた広葉樹の山並みが広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c3/99accc2adbc9351bf079cc1501048157.jpg)
集落を出た斜面に湧水が湧き出ていて、「浄身石」と呼ぶ出生児に似た
石がある。木花咲耶姫が富士の噴火から逃れて四尾連湖に向かう途中、
この石に座って身を清め、無事出産したのだという。
藤田(とうだ)に向かって下る車道も南方が開け、周辺の斜面とあわせて
紅葉の彩りが楽しめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d9/65f12df76227ede43d355ce504531bdc.jpg)
藤田集落を抜けて500mほどで、左への旧道へ。少し進むと、富士川沿
いの谷間に続く集落が見下ろせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/76/78fbb674ee73887ee58ab3e70f4e5a76.jpg)
堀切(ほつきり)集落に近い車道に出て、ヘヤピンカーブのところを3度ショ
ートカットし、集落最上部の大明寺に下って小休止する。
この辺りは地図上に桑畑マークが多いが、寺の付近にも、まだ養蚕に利
用しているらしい桑畑が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/dc/0b4a2659312880577a1a38627693026b.jpg)
市川三郷町最南端の堀切集落を抜け、少し下ると身延町、その最奥の小
集落も堀切である。
樋田川の右岸に沿って次の久保集落まで下る。消えかけた「総合食品
宮下屋」の看板があったが、店は閉店していた。奥様がおられたので、
最近の近辺の様子を聞く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/19/0ce1d4977e13acb04e8f386146426a5d.jpg)
店の前に、柿の皮が干してある。「たくわん漬けに入れると甘くなる」と言
われた。
集落の南端から樋田川の大正橋を渡り、東側の大山集落に向かう。1車
線の車道は、等高線に沿うように短いカーブを繰り返して、少しずつ上がっ
て行く。
久保からは直線距離で1㎞ほどだが、標高差は約340mあり、50分かけ
て標高700m近い大山の小集落に上がった。
集落上部の稜線にある神社の方に向かって少し進むと、紅葉の稜線の上
に、雪を被った富士山の上部が姿を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/21/05a6402ce12132ff8ef0e616a0878d8e.jpg)
思いがけずの絶景に上ってきた甲斐があったと喜び、ここで昼食をするこ
とにする。稜線上の小道に腰を下ろし、水明荘で用意してもらったおにぎり
を広げた。
食べ終わった頃、われわれと同年配くらいと思われるご夫婦が上がって
きた。すぐ先の別宅に来たという甲府市にお住まいのNさん。
数本ある柿の木はみな、見事な鈴なり。その中の1本の甘柿をとりなさい
と、竹ざおを貸してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/52/a53efff0bc244a534af79a54ea05c21a.jpg)
I さんと、さおを使って落とし、20個くらいいただいた。
Nさんに、上小磯(うえこいそ)までの下り道を教えていただき、神社の
手前の炭焼小屋の右横から、紅葉樹林下の山道に入る。
ところどころにモミジが、鮮やかな彩りを見せる。Nさんの話では、昔は馬
も通った街道だと言われたが、現在はほとんど利用者がないようで、踏み
跡は細くて分かりにくい。
ヒノキ林のところまで下ると、斜面が崩れていて、道がはっきりしない。
間違えたかと少し戻るが、ほかに道はない。もう一度戻って先を探すと、か
すかな踏み跡があり、上小磯に下ることが出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/15/a80b827fc320895da8aa5f8dabb24d3b.jpg)
さらに下って三沢川沿いに出て、芝草から水船へと進む。水船の旧道沿い
に神社と寺のマークがあるが、見つからなかった。
水船橋に下って三沢川右岸に回り、道(どう)集落の高台にある慈観寺に
上がった。
甲斐百八霊場の第97番で、経蔵には一切教六千巻が納められていると
いう。朱塗りの鐘楼と、そばのモミジが、鮮やかな彩りを競っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/58/1446df1aa5cbf8b377c35ebbf0b86196.jpg)
モミジと鐘楼に目を奪われて気づかなかったが、庭には県内でも有数の
桜の古木があり、三沢川の川岸の桜とともに、春には周辺一帯が桜の花で
埋まり、山里の風物詩として大勢の人が訪れるようだ。
車道を越えて三沢川の橋を渡り、南側の尾根を上がる落ち葉道へ。太陽が
西に傾き、右手の広葉樹林の紅葉が映える。この道は良く踏まれていて、
分かりやすい。
稜線上の三差路に出て、右折して西に向かって緩やかに上がる。左に道
が分かれていたが稜線上を進んだら神社があり、通過予定の丸畑集落より
行き過ぎたらしい。
下の道を戻ったら、木喰上人(もくじきしようにん)ゆかりのお堂らしい、四国
堂というのがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/14/46d660e574901176794b77fb5bc3169b.jpg)
さらに戻ったら集落へ行く道に合し、その方に向かう。標高480~500m
付近の高地にある集落に、木喰上人生家があり、木喰記念館になっていた。
ちなみに、木喰上人は享保3年(1718)にこの地で生まれ、各地の寺を
遍歴して修行後、常陸国の羅漢寺で木喰戒を受け、日本全国を回って56歳
までに、独特の力感有る庶民的な1000体の木彫仏を残している。
先ほど通過した四国堂は、木喰上人が日本回国の旅から帰って建立した
ものらしい。
家並みが途切れた十字路の上の見晴らしのよい場所に、「木喰の里微笑
館」がある。だがこの日は休館日で、入れなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6e/66dfe571a313484b1fdd01c53a9c0c29.jpg)
往路で見つけられなかった永寿庵がないか、探しながら往路を少し戻った
ら、細い急な石段が見つかり、その上にあった。
上がると、民家のような簡素な平屋と、「五智如来像安置所」と記された小
さい保管庫のような建物がある。
永寿庵は、日本回国から戻った木喰上人が修復し、五智如来を彫刻して
堂内に納めたという。やはり山梨百八霊場の一つだが、建物の様相からは、
そうとは見えない質素なたたずまいだった。
集落の東端、四国堂のそばまで戻り、常葉(ときは)川沿いの国道に向かう
車道をどんどん下り、古関(ふるせき)集落の南西端に出た。太陽が西の山に
隠れ、冷えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f9/130303b0f846a3d71b610fab053991d4.jpg)
常葉川を挟み国道300号と並行する右岸の旧道を進む。集落の外れ近
くに、この日初めての商店があり、酒などを販売していた。
釜額(かまびたい)民宿入口バス停のところで国道入口に分かれ、支流沿
いに進む。釜額集落が近づいたところに、「赤い水」と呼ぶ赤茶色の岩肌か
ら流れ出る湧水があった。
集落の入口には、「釜額散策道案内図」があり、この道が古い街道である
ことを示す関所跡も記されていた。
民宿案内板もあり、小さい集落ながら15軒ほど記されていた。だが宿泊
した「民宿なか」のおかみさんの話では、現在は2軒だけとか。廃業した民
宿のひとつに、「本陣」の名もあった。
その「民宿なか」は、集落の一番奥にあり、専用の吊り橋を渡って入る。
かなり暗くなった16時半に着いた。
民宿のご夫妻は陶芸をされているとか。地元産のものだけを使った、家庭
的な料理が盛られた夕食の容器は、すべておかみさん手作りの味わい深い
ものばかりだった。
【コースタイム】四尾連湖畔・水明荘7・58ー四尾連集落西端8・45ー藤田の
西・旧道入口9・18ー市川三郷町・身延町境10・07ー久保・旧宮下屋商店前
10・25~32ー大山(昼食)11・29~12・00ー上小磯12・54~13・02ー慈観寺
13・45~55ー稜線上の三差路14・29ー木喰の里微笑館15・00~05ー古関
バス停15・47~50ー釜額民宿入り口バス停16・04ー釜額・民宿なか16・30
(天気 晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 市川大門、精進、歩行地 市川
大門町、身延町、歩数 39,400、標高差 -408m、標高差(累積)
約2,900m)
==四尾連湖から釜額へ==
昨日の冷たい雨が上がって晴天となった。朝食前に I さんと、周囲1.5㎞
の四尾連湖(しびれこ)を時計回りに一周する。左の建物が宿泊した水明荘。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/7a/1a3c15dfd54e63e1f7cbb9a17e7a74d2.jpg)
まだ湖面には陽が差し込まぬが、湖の周囲は紅葉が見ごろになっていた。
宿泊した水明荘の主、Kさんと一緒に記念撮影をして、2人のお孫さんに
も見送られ、8時前に出発する。湖岸にも太陽が差し込み、紅葉の彩りが鮮
やかになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/9f/e00b3a9521cdd59320e68b13ff559b42.jpg)
湖の南面を回って少し上がると、りっぱな針葉樹に囲まれた子安神社が
ある。これから下る四尾連集落の氏神で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
が富士山噴火の折に来て、子供を産んだといわれる安産の神社だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a3/c20d42bd4e20c66d1adb9d74a17ff4e2.jpg)
本殿には、安産を祈って奉納した、穴の空いたひしゃくが幾つも並び、毎年
10月にはお神楽が奉納されるという大きな神楽殿もある。
境内には、建久4年(1193)、源頼朝がこの地で鷹狩りをして休んだ際に
使った、ヒノキのはしが育ったといわれ、「四尾連のリョウメンヒノキ」と呼ぶ、
2本の大ヒノキが立つ。
南側の四尾連集落に向かって下る道は、最近は歩く人がほとんどいない
ようで、少し荒れていた。四尾連集落は、標高790m前後の南斜面にあり、
南側に、色づいた広葉樹の山並みが広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c3/99accc2adbc9351bf079cc1501048157.jpg)
集落を出た斜面に湧水が湧き出ていて、「浄身石」と呼ぶ出生児に似た
石がある。木花咲耶姫が富士の噴火から逃れて四尾連湖に向かう途中、
この石に座って身を清め、無事出産したのだという。
藤田(とうだ)に向かって下る車道も南方が開け、周辺の斜面とあわせて
紅葉の彩りが楽しめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d9/65f12df76227ede43d355ce504531bdc.jpg)
藤田集落を抜けて500mほどで、左への旧道へ。少し進むと、富士川沿
いの谷間に続く集落が見下ろせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/76/78fbb674ee73887ee58ab3e70f4e5a76.jpg)
堀切(ほつきり)集落に近い車道に出て、ヘヤピンカーブのところを3度ショ
ートカットし、集落最上部の大明寺に下って小休止する。
この辺りは地図上に桑畑マークが多いが、寺の付近にも、まだ養蚕に利
用しているらしい桑畑が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/dc/0b4a2659312880577a1a38627693026b.jpg)
市川三郷町最南端の堀切集落を抜け、少し下ると身延町、その最奥の小
集落も堀切である。
樋田川の右岸に沿って次の久保集落まで下る。消えかけた「総合食品
宮下屋」の看板があったが、店は閉店していた。奥様がおられたので、
最近の近辺の様子を聞く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/19/0ce1d4977e13acb04e8f386146426a5d.jpg)
店の前に、柿の皮が干してある。「たくわん漬けに入れると甘くなる」と言
われた。
集落の南端から樋田川の大正橋を渡り、東側の大山集落に向かう。1車
線の車道は、等高線に沿うように短いカーブを繰り返して、少しずつ上がっ
て行く。
久保からは直線距離で1㎞ほどだが、標高差は約340mあり、50分かけ
て標高700m近い大山の小集落に上がった。
集落上部の稜線にある神社の方に向かって少し進むと、紅葉の稜線の上
に、雪を被った富士山の上部が姿を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/21/05a6402ce12132ff8ef0e616a0878d8e.jpg)
思いがけずの絶景に上ってきた甲斐があったと喜び、ここで昼食をするこ
とにする。稜線上の小道に腰を下ろし、水明荘で用意してもらったおにぎり
を広げた。
食べ終わった頃、われわれと同年配くらいと思われるご夫婦が上がって
きた。すぐ先の別宅に来たという甲府市にお住まいのNさん。
数本ある柿の木はみな、見事な鈴なり。その中の1本の甘柿をとりなさい
と、竹ざおを貸してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/52/a53efff0bc244a534af79a54ea05c21a.jpg)
I さんと、さおを使って落とし、20個くらいいただいた。
Nさんに、上小磯(うえこいそ)までの下り道を教えていただき、神社の
手前の炭焼小屋の右横から、紅葉樹林下の山道に入る。
ところどころにモミジが、鮮やかな彩りを見せる。Nさんの話では、昔は馬
も通った街道だと言われたが、現在はほとんど利用者がないようで、踏み
跡は細くて分かりにくい。
ヒノキ林のところまで下ると、斜面が崩れていて、道がはっきりしない。
間違えたかと少し戻るが、ほかに道はない。もう一度戻って先を探すと、か
すかな踏み跡があり、上小磯に下ることが出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/15/a80b827fc320895da8aa5f8dabb24d3b.jpg)
さらに下って三沢川沿いに出て、芝草から水船へと進む。水船の旧道沿い
に神社と寺のマークがあるが、見つからなかった。
水船橋に下って三沢川右岸に回り、道(どう)集落の高台にある慈観寺に
上がった。
甲斐百八霊場の第97番で、経蔵には一切教六千巻が納められていると
いう。朱塗りの鐘楼と、そばのモミジが、鮮やかな彩りを競っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/58/1446df1aa5cbf8b377c35ebbf0b86196.jpg)
モミジと鐘楼に目を奪われて気づかなかったが、庭には県内でも有数の
桜の古木があり、三沢川の川岸の桜とともに、春には周辺一帯が桜の花で
埋まり、山里の風物詩として大勢の人が訪れるようだ。
車道を越えて三沢川の橋を渡り、南側の尾根を上がる落ち葉道へ。太陽が
西に傾き、右手の広葉樹林の紅葉が映える。この道は良く踏まれていて、
分かりやすい。
稜線上の三差路に出て、右折して西に向かって緩やかに上がる。左に道
が分かれていたが稜線上を進んだら神社があり、通過予定の丸畑集落より
行き過ぎたらしい。
下の道を戻ったら、木喰上人(もくじきしようにん)ゆかりのお堂らしい、四国
堂というのがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/14/46d660e574901176794b77fb5bc3169b.jpg)
さらに戻ったら集落へ行く道に合し、その方に向かう。標高480~500m
付近の高地にある集落に、木喰上人生家があり、木喰記念館になっていた。
ちなみに、木喰上人は享保3年(1718)にこの地で生まれ、各地の寺を
遍歴して修行後、常陸国の羅漢寺で木喰戒を受け、日本全国を回って56歳
までに、独特の力感有る庶民的な1000体の木彫仏を残している。
先ほど通過した四国堂は、木喰上人が日本回国の旅から帰って建立した
ものらしい。
家並みが途切れた十字路の上の見晴らしのよい場所に、「木喰の里微笑
館」がある。だがこの日は休館日で、入れなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6e/66dfe571a313484b1fdd01c53a9c0c29.jpg)
往路で見つけられなかった永寿庵がないか、探しながら往路を少し戻った
ら、細い急な石段が見つかり、その上にあった。
上がると、民家のような簡素な平屋と、「五智如来像安置所」と記された小
さい保管庫のような建物がある。
永寿庵は、日本回国から戻った木喰上人が修復し、五智如来を彫刻して
堂内に納めたという。やはり山梨百八霊場の一つだが、建物の様相からは、
そうとは見えない質素なたたずまいだった。
集落の東端、四国堂のそばまで戻り、常葉(ときは)川沿いの国道に向かう
車道をどんどん下り、古関(ふるせき)集落の南西端に出た。太陽が西の山に
隠れ、冷えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f9/130303b0f846a3d71b610fab053991d4.jpg)
常葉川を挟み国道300号と並行する右岸の旧道を進む。集落の外れ近
くに、この日初めての商店があり、酒などを販売していた。
釜額(かまびたい)民宿入口バス停のところで国道入口に分かれ、支流沿
いに進む。釜額集落が近づいたところに、「赤い水」と呼ぶ赤茶色の岩肌か
ら流れ出る湧水があった。
集落の入口には、「釜額散策道案内図」があり、この道が古い街道である
ことを示す関所跡も記されていた。
民宿案内板もあり、小さい集落ながら15軒ほど記されていた。だが宿泊
した「民宿なか」のおかみさんの話では、現在は2軒だけとか。廃業した民
宿のひとつに、「本陣」の名もあった。
その「民宿なか」は、集落の一番奥にあり、専用の吊り橋を渡って入る。
かなり暗くなった16時半に着いた。
民宿のご夫妻は陶芸をされているとか。地元産のものだけを使った、家庭
的な料理が盛られた夕食の容器は、すべておかみさん手作りの味わい深い
ものばかりだった。
【コースタイム】四尾連湖畔・水明荘7・58ー四尾連集落西端8・45ー藤田の
西・旧道入口9・18ー市川三郷町・身延町境10・07ー久保・旧宮下屋商店前
10・25~32ー大山(昼食)11・29~12・00ー上小磯12・54~13・02ー慈観寺
13・45~55ー稜線上の三差路14・29ー木喰の里微笑館15・00~05ー古関
バス停15・47~50ー釜額民宿入り口バス停16・04ー釜額・民宿なか16・30
(天気 晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 市川大門、精進、歩行地 市川
大門町、身延町、歩数 39,400、標高差 -408m、標高差(累積)
約2,900m)