あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

久しぶりに10センチを超える積雪に(埼玉・所沢)

2012-02-29 21:07:24 | 所沢だより
 今日、2月29日(水)早暁からの雪は、わが所沢市でも久しぶりに10㎝を超える
積雪となりました。

 朝8時50分頃、2階から東方を見たところ。わが家のそばを走る西武鉄道池袋線の
線路周辺です。




 モノクロ写真のような風景の中に、ポツンと点る信号機のランプ。



 この頃が、降雪のピークだったようです。


 朝食後、わが家の玄関先と駐車場、そして西に50mくらい伸びている私道の雪かき
をして、とりあえず人が通れるくらいの歩き幅を確保しました。

 この後は、正午近くわが家の庭先などに積もった雪の様子。




 今年は実るでしょうか、柿の木です。


 昨年暮れ、連れ合いが植え替えをしたニホンサクラソウの鉢は、雪帽子の下に。


 西隣、Tさんの庭のアメリカハナミズキ?




 南のWさんと、わが家の自動車の屋根。


 物差しで測った訳ではありませんが、積雪量はおよそ12~15㎝近く、日本海側
の雪とは比べものになりませんが、首都圏ではこれでも大雪なのです。



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「歴史街道へのいざない」講演会へ(東京・銀座)

2012-02-28 22:17:15 | Weblog
 2012年2月28日(火)

 今日は、東京・中央区銀座2丁目にある銀座ブロッサム中央会館で開催された、「歴史
街道へのいざない~歴史を楽しむ、ほんものに触れる~」という講演会に出かけました。

 この催しのことは連れ合いが情報を入手し、昨年暮れのうちに応募したところ、入場
券のはがきが送られてきたので、連れ合いと2人で出かけました。

 最寄り駅は、東京メトロ有楽町線の新富町駅。多分私は初めて降りたように思います。
駅のそばに中央区役所があり、その向こう、もとの築地川を活用した高速道路のすぐ向
こうに銀座ブロッサムのビルがありました。


 高速道路の上の、こ道橋からの高速道路の眺め。


 付近は高層ビルが林立していました。


 会場はこのビルの2階と3階にあたるところ。1階にあったレストランで早めに昼食
を済ませ、少し列んで待って12時開場の会場に入りました。


 開演は12時45分からですが、開演後の撮影は禁止なので、待ち時間に撮ったもの。


 そろそろ開演時刻なので、その前にとトイレに行くために受付付近を通ったら、思い
がけず、やまさんと敬子さんも来ているではありませんか…。

 もうかなり席は埋まっていたので、やまさんたちは別の席に座り、間もなく講演会が
始まりました。

 今日のプログラムは以下の通りです。

開 演 主催者 歴史街道推進協議会会長あいさつ

第一部 基調講演 「歴史に触れる旅~日本人のルーツ探し~」
        旅の文化研究所長・民俗学者・宇佐八幡宮(岡山県)宮司 神崎宣武氏
                              (かんざきのりたけ)   

第二部 特別講演 「春日の祈りの歴史~心のふるさと・大和を知る~」
         春日大社宮司 花山院弘匡(かさんのいんひろただ)氏

第三部 鼎  談 「歴史を見る喜び、伝統に触れる楽しみ」
         パネリスト     花山院弘匡氏
                俳優 紺野美沙子氏
         進   行     神崎宣武 氏

内容の幾つか

第一部
 日本の歴史は舒明天皇の629年からは明らかだが、それ以前の3世紀、崇神天皇から
 垂仁天皇の時代に、皇女の倭姫(やまとひめ)が、大和の御室(現在の三室)から伊賀、
 近江、美濃、尾張、伊勢、度会(わたらい・三重県)の幾つかの宮を32年にわたって
 伊勢神宮まで巡幸した理由、当時の大和の勢力範囲、神(天照大神)が鎮まる地として
 なぜ伊勢に落ち着いたのかなど。

第二部
 平城京を都とした地形的な背景、遣唐使を送る歌と返歌に読まれた大和の地のこと、
 平安京に遷都した後も、大和はロマンの地として歌われ、伊勢物語の初めにも記された。
 藤原道長の頃には、現職の政治のトップが競って大和巡礼をした。
 その大和の日出でる方向(東)に造られた春日大社は、平成27年に20年に1度の第
 60次造営を迎えるが、神仏習合だった平安時代の春日宮曼荼羅に描かれた時代と変わ
 らぬ造りになっている。

第三部
 歴史の旅で印象に残ったこと 
  紺野さん:奈良国立博で見た鑑真和尚、奈良公園の鹿を見ているだけで幸せを感じる
 春日大社の年1回のおん祭りは、夜のしじまの中で神に会える日
 次世代の人たちに日本の伝統文化などを伝える努力が必要
 心のよりどころが求められている現代だからこそ、パワースポットが人気に。
 東日本大震災を機に「絆」がキーワードになっている→あなたの祖先は何人いますかと
 問えば、20代も前までさかのぼれ血縁の絆だけでも大変な数になる。

 講演会は16時に終了しましたが、私が特に興味を引かれたのは、神崎先生の「倭姫巡
幸の道」の地図。この地図をたどり、古代の宮の跡をたどる歩き旅をしたら、どんな発見
や出会いに恵まれ、古代のロマンに触れることができるのでしょうか…。 
 
 
 
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やまさんの「旅人活動50年のつどい」へ(東京・葛飾)

2012-02-27 18:21:27 | ウオーキング
 2012年2月25日(土)

 2月25日は、カントリーウオーカーで「歩く旅の伝道師」を名乗る、「やまさん」
こと山浦正昭さんが、高校3年生の試験休み期間を利用して友人と2人で、九州一周の
旅に東京駅から旅立ったメモリアルデーとのことです。

 以来50年、日本とヨーロッパを行ったり来たりして、歩く旅4万㎞、YH(ユース
ホステル)からYHへと歩いて旅して2,000泊という足跡を地図上に刻みました。

 この記念すべき50年目の日に、ささやかなつどいを開くというので参加しました。

 つどいは3部に分かれ、1部は11時に京成電鉄の柴又駅に集合し、歩いてやまさん
のお住まいの一角を提供した小集会施設「ふらっと」へ、2部はそのふらっとへ15時
に直接集合、3部は18時から同じふらっとで、というスケジュールです。

 私は1部から参加することにして京成高砂駅に下車、小雨模様の高砂から柴又の町並
みを抜けて柴又駅に行きました。


 11時までに柴又駅に集まったのは、やまさんとパートナーの敬子さんのほか、遠く
新潟県村上からはせ参じたSさんなどカントリーウオーカーの仲間や、日本ウオーキン
グ協会、千里道場、ユースホステル、中山道や韓国一周などでやまさんと一緒に歩いた
10人でした。

 駅を出て、参拝客で賑わい土産物店や食堂などの並ぶ帝釈天(たいしゃくてん)参道
を進んで、まずは「帝釈天」で知られる題経寺へ。


 参拝後、本堂の周囲に巡らされた帝釈天彫刻ギャラリーと、大庭園「𨗉渓園(すいけ
いえん)」を拝観することにしました。


 総ヒノキ造りの帝釈天本堂は昭和4年(1929)の完成。このお堂を巡る外壁の木
彫は法華経説話により取材し、当時の名人により彫られたものとか。


 重要文化財的価値があるといわれていますが、ほかでは見たことのない精巧な彫刻に
目を奪われます。




 そのお陰で、大庭園を見るのをすっかり忘れて本堂を出てしましました。

 豪壮な山門を出て南東へ、雨は小降りになり上がりそう。


 次に、江戸川右岸堤防間近にある「葛飾柴又寅さん記念館」に入り、映画「男はつら
いよ」でおなじみの寅さんゆかりの展示をゆっくりと観覧し、館内にある無料休憩室で
昼食をしました。




 記念館も一体となっている柴又公園に上がり、悠々と流れる江戸川を見下ろします。


 晴天ならば運行するはずの「矢切の渡し」は今日は運休、対岸の千葉県松戸市側にあ
るという目印の旗は上がっていませんでした。

 そこで、公園のすぐ北にある「山本亭」を参観することにしました。


 この建物は、地元ゆかりのカメラ部品製造業、山本工場の創設者である山本栄之助翁
の自宅だったとのこと。

 関東大震災後に当地に移住し、以後4代にわたって使われたものを、昭和63年
(1988)に葛飾区が取得し、3年後の平成3年から公開している建物と庭園です。


 書院造りと洋風建築を複合した和洋折衷の建物と、純和風の庭園とが調和していて、
国内外から高く評価されているとのこと。



 ひととおり館内を巡って拝観した後、居宅の一角にある掘りごたつのある部屋で、来館
者に説明されているTさんから、万葉カルタや貝合わせのことなどをゆっくりとうかがい、
平安時代や鎌倉時代などの日本伝統文化の一端に触れました。




 雨は上がり、再び柴又公園に出て江戸川右岸堤防を下流に向かって進みます。



 北総鉄道北総線の鉄橋の先まで進んで堤防を降り、ソメイヨシノの並木に沿った延長
500mの「親水さくらかいどう」に入り、北北西に進路を取りました。


 街道の入口にあった大きな水神塔です。



 京成電鉄金町線の踏切を越えて北西に伸びる佐倉街道に入ると、「似顔絵コインラン
ドリー」の看板が目についたので、入ってみました。

 なんと、コインランドリーの壁面と天井は、著名人の似顔絵で埋まっていました。

 ゆっくり眺めて、「これは誰だろう」と名前を思い出していると、洗濯が仕上がると
いうことになるのでしょうか…。

 通りの尽きたところの近くが、今日の2部、3部会場の「ふらっと」です。

 建物の外回りには、やまさんが描いた葛飾のお店のスケッチ、ご近所の方の似顔絵図
鑑、敬子さんが昨年12月まで留学されたときに描いた、デンマークの風景画や絵地図
などが、ところ狭しと貼られていました。




 直接来られた方10人近くを加えて狭いスペースに集まり、15時過ぎに2部が始ま
りました。


 やまさんの話の幾つかを紹介すると、歩きの質を高めるためには「地図を見て、会話し
て、記録する」こと。山歩きのように決まったコースを歩くのでなく、村や町をつなげて
歩くヨーロッパ型の歩きは、コースは自分で選択して決める、それは画一的なコースに乗
ろうとしたくなる人生の行程にもつながる。ユースホステル活動の基本は徒歩による長い
旅だが、その理解者がほかにいなかった。歩き旅では、そこで暮らす人々が幸せになるお
手伝いをしたい。続けている日本一周徒歩旅行の今後の予定や、今年から2年がかりで行
く地中海から大西洋までのヨーロッパ横断の旅のこと。漠然とした目標では無く夢を実現
するための目標を立てること。など、山浦哲学ともいうべき数々の話がありました。


 周囲が薄暗くなってきた頃、電気の代わりにローソクを灯して3部が始まり、みなさん
が持ち寄ったものなどで乾杯をして、やまさんの歩き旅50年をお祝いし、おでんやつま
みもの、菓子などを頂きながら歓談しました。

 そろそろ失礼をと腰を上げたときに、やまさんと一緒に50年前に九州旅行したという
Yさんが来られ、やまさんとの旅や「山浦はロマンチストだ」など、やまさんの人柄のこ
と、ご自分の仕事などについて話されました。

 次の日の予定もあったので18時半頃に失礼をして、JR金町駅に向かいました。
 


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カタツムリ歩行 JR武蔵野線 北府中駅

2012-02-24 22:04:30 | カタツムリ歩行
 2012年2月19日(日)

 JR武蔵野線沿線を歩くカタツムリ歩行、22年目の最終年となる今年の初回、通算第
211回例会は好天に恵まれた。集合はJR武蔵野線の北府中駅である。

 10時5分に駅を出て、武蔵野線に平行する府中街道をこ道橋で越えて、東側の北府中
公園に入る。

 ケヤキなどまだ枯れ枝のままの高木が並ぶ園内の中ほどに、動物の彫刻が飾られていた。


 公園の東側を走る通りは「薬師道」と呼ばれ、国分寺の薬師堂へ通じる古代からあった
道だという。

 南側の車道を越えて府中中央公園と都立農業高の広い農場との間の通りへ。農場には、
きれいにせん定されたナシやモモの古木が並んでいた。


 中央公園にある陸上競技場では、練習中の高校生だろうか、何人もトラックを走ってい
る。


 この通りの南側には、「木刈道(きかりみち)」の標石が立っていた。


 寿町二丁目を貫く桜並木の通りを東に向かう。「桜通り広場公園」と呼ぶ小さい公園の
一角にある「童々広場」には、走る童子や蓮の池などの彫刻が並んでいる。




 南の大国魂(おおくにたま)神社に通じる、ケヤキ並木が続く広い通りに入った。


 画材店や焼きたてのパン店など、しょうしゃな店が幾つも見られた。


 府中市役所の府中駅北第2庁舎の南で、国道20号(甲州街道)を横断する。


 「梅まつり」や府中を本拠とするサッカークラブFC東京の旗の下がるケヤキの大木の
横を進むと、大魂神社の方を向いて源義家の像がある。

 950年余り前、源頼義・義家父子が、欧州平定の途次、大国塊神社に戦勝を祈願し、
平定後に神社にケヤキの苗木千本を寄進したのが、このケヤキ並木の始まり。のち徳川家
康により補植され現在の姿になり、いま「馬場大門けやき並木」は、国の天然記念物にな
っているという。

 通りに立って世界的な医療支援を呼びかけていた2人の若い女性に、やまさんが声をか
けたりしてさらに進み、石鳥居前に大ケヤキの立つ大国塊神社に入る。


 まず、右手にあった精巧な木彫の施されている手水舎にびっくり。ほかでは見られない
精巧な造りだ。



 門は改築後間もないようで、白木から匂いが感じられそうに新しい。門を入って正面の
本殿に参拝した。


 本殿の北東側にある鼓楼(ころう)は、嘉永7年(1854)の再建で、府中と近隣の
17名により寄進されたのだという。


 境内中ほどの道を西に抜け、宮西町五丁目に入る。小さい交差点際に大谷石造りの蔵が
残っていた。



 番場公園の前や、鉄道廃線跡を活用した下河原緑道↑を横断して、片町二丁目の高安寺
に入ると、境内の紅梅がかなり開花している。


 高安寺は、足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つで、武蔵国のそれにあたるという。

 まず、「南無観世音菩薩」ののぼりの立ち並ぶ南東隅にある観音堂へ。享保年間
(1716~36)に現在地に再建されたと伝えられ、桁行三間、梁真間三間の入母屋造
り。多摩地区では数少ない江戸中期の三間堂(さんげんどう)だという。


 広い境内の中心にある本堂の前にりっぱな山門があり、この二つと鐘楼とが、東京都選
定歴史的建造物になっている。


 山門の手前には双体道祖神があり、山門横には水子地蔵がたくさん並ぶ。



 本堂の右手前には、樹高13m、幹回り26mあり、市の保存樹木になっているクスノ
キの古木が、大きく枝を広げていた。

 ほかに、本堂前には佐渡産という木化石などもあり、見どころの多い古寺だった。


 片町一丁目を西へ、京王電鉄線の踏切を渡り、「屋敷分北裏道」の標石の立つ三好町一
丁目の住宅地を抜ける。国道20号を斜めに横切り、「本宿北裏道」を進むと、前方に石
積みの大きな円形のものが見えてきた。


 そばに行くと、西府二丁目にある今日のゴール、熊野神社の背後にある国史跡、武蔵府
中熊野神社古墳だった。

 古墳は、7世紀中頃の飛鳥時代に築造されたもので、上が丸く下が四角の上円下方墳
(じょうえんかほうふん)。3段目の上円墳の直径約16m、下方墳の中断一辺約23m、
下段の一辺約32あるという。

 熊野神社には12時18分に到着した。神社の創建は江戸初期と伝えられ、本殿は往時
のままで、拝殿は天保9年(1838)9月に改築されたようだ。



 拝殿の周囲で昼食後、記念撮影をしてミーティング。事務局のDさんの話の後、この
きの創始者、やまさんから、12月の府中本町駅ゴール後の、折り返し計画を↑、さらに
山浦敬子さんから↓デンマークでの留学生活の様子などついて話があり、13時近くに散
会となった。


(天気 快晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 府中市、歩数
 6,800)

 散会後、神社の西側から北に伸びる七小通りを進んで、14時5分にJR武蔵野線と
中央線との交差する西国分寺まで歩いて、帰途についた。(ゴールからプラス4㎞) 



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21日から国際ウオーキングトレイル実踏へ(静岡)

2012-02-20 20:39:06 | Weblog
 明日、2月21日(火)、昨年秋のゴール地、静岡県河津町の湯ヶ野温泉にある天城
温泉禅の湯ユースホステルまで出かけ、22日(水)と23日(木)の2日間、「やま
さん」こと山浦正昭さん企画の、国際ウオーキングトレイル実踏に参加します。

 今回の予定ルートは以下の通りです。

 2月22日(水)湯ヶ野温泉(天城温泉禅の湯YH)~大鍋越え~松崎町那賀
                          (三余荘YH泊) 約22㎞

 2月23日(木)松崎町那賀~雲見~波勝崎(はかちざき)~子浦(こうら)
                                   約25㎞
         子浦=バス=伊豆急下田駅から帰路へ

 このため、3日間不在になりますので、次のアップは24日(金)以降になります。

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関東百駅巡礼歩行 上毛電鉄 心臓血管センター駅(群馬)

2012-02-20 11:58:48 | 関東百駅巡礼歩行
 2012年2月18日(土)

 「関東百駅巡礼歩行」の第82番に参加した。集合地は、前橋市の東部にある上毛電鉄
心臓血管センター駅。始発の中央前橋駅からは6つ目になる。

 上毛電鉄は、中央前橋駅と西桐生駅を結ぶ全長25.4㎞の路線。開業は昭和3年
(1928)だが、私は初めての乗車になる。

 この駅の前身は、昭和43年(1968)12月に設けられた前橋病院前信号所。平成
6年(1999)4月に循環器病センター駅となり、平成13年(2001)6月に、現
在の心臓血管センター駅に改称したという。


 中央前橋駅発、2両編成の後部車輌は自転車持ち込みが出来る。心臓血管センター駅に
は駅舎は無く、島式ホームだけ。今日の参加者は9人。駅前で記念撮影をして、11時5
分にスタートした。


 晴れてはいるが、赤城おろしが強く吹き付けていて冷たい。前橋の最高気温は3℃の予
報だが、強風で体感温度はかなり低そう。

 駅名となっている、群馬県立心臓血管センターの大きな建物は、北側に立っていた。


 線路を挟んで流れる寺沢川沿いに、「ぐんまリハビリパーク」と呼ぶ遊歩道があり、セ
ンターの方の歩行中心のリハビリテーションのほか、一般市民も利用できるようになって
いる。



 遊歩道からセンターの北を走る車道に出ると、少し雲をまとった赤城山が、大きな裾野
を広げてそびえ立つ。近くに、寺沢川とかんがい用水路とが立体交差していた。


 東側の勝山集落に入る。西に、榛名山の起伏に富んだ山容が望まれ、その左(南)には、
少し霞んで西上州の山並みも見える。


 かんがい用の池があり、普段見慣れているのよりかなり太ったカルガモが20数羽、風
を避けていた。岸辺にえさ箱があり、これがメタボの原因と分かる。



 古い双体道祖神や寛政年代(1789~)の馬頭観音などが並ぶ横を通過する。このあ
たりは地図上に桑畑記号が多く、群馬県は養蚕の本場だっただけに、まだ桑畑が何か所か
残っていた。


 二つ並ぶ池に、かくはん用の水車とえさを供給するサイロが設けられていて、コイでも
飼育しているらしいが、冬場のいまはそれらしい姿は見えない。このような池は、この後
何か所かで見かけた。

 池の東にある八幡宮に11時55分に着く。背後に背の高いクスノキがあるが、開放的
な境内で社殿も小さめ。

 強風を避けて社殿横や集会所の建物の影で昼食に。

 神社に隣接して龍性寺があり、古いお地蔵様が数体立っていた。このあたりは足軽町だ
が、名前の由緒は何なのだろうか…。



 線路を越えて新宿集落の南に回り、麦畑と田んぼの広がる田園地帯の野道を緩やかに下
る。風が無ければ、絶好のカントリーウオークのフィールである。


 農業試験場の東側にある池のあたりからは、長い裾野を引いた赤城山が一望できる。


 池の南側は大きな用水池になるのだろうか、厚いコンクリートの壁が広い空き地を囲み、
工事が進められている。


 大規模な畜舎らしい建物の前を通過し、低木に覆われた池の南を回る。


 大きな鶏舎の前にたくさん鶏糞(けいふん)が排出されていて、それをえさにするのか、
周辺におびただしいカラスが集まっていた。

 三ツ屋集落の南側にある牛舎の前を通ったら、たくさんの黒牛が首を並べて私たちを歓
迎?してくれた。



 大きな水道タンクの東を通過し、しゅんせつ工事中の荒砥川を渡る。


 川の左岸堤防を上流に向かうと、ホルスタイン牛の牧場があった。



 400mほどで川に分かれて東へ。牧草を白い袋にこん包してたくさん並べた牧草地が
二か所あり、サイロもあちこちに見られ、このあたりに牧場が多いことが知れる。


 泉沢集落の北部から北へ、前橋東商高の横を抜けて車道に出て、千貫沼の南岸に回った。
この周辺で最大の沼だが、この冬の日照り続きで水位がかなり下がっている。


 西側に幾つか並ぶ小さい沼の間の細い車道を抜けて、荒砥川の大胡(おおご)大橋に出
る。右岸堤防を進み、14時23分、上毛電鉄では数少ない駅員配置駅である大胡駅に着
いた。


 駅前の小公園には、オランダ風の風車があった。


(天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 前橋、大胡、歩行地 前橋市、歩数
 15.400)



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武蔵浦和駅からの日没後の富士(埼玉)

2012-02-18 21:18:36 | Weblog
 2012年2月18日(土)

 今日は、やまさんの「関東百駅巡礼歩行」で、群馬県前橋市の東部になる上毛電鉄の
心臓血管センター駅から大胡(おおご)駅まで歩きました。

 北に、雪の残る赤城山を眺めながら、その山からの赤城おろしの冷たい風をまともに
受けて、厳しい寒さでしたが、天気は良く、広々とした展望の野道歩きを楽しみました。

 そのレポートは別途アップしますので、今日は、帰途のJR埼京線の武蔵浦和駅まで
戻ったときに見た、日没後の富士山をご覧いただくことにしましょう。


 時刻は17時42分でした。

 ちなみに、今日の前橋の最高気温は3.5℃(14時)。風がやや強めだったので、体
感温度は0℃以下の感じでした。
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さいたま市で開催の2つの展覧会へ(埼玉)

2012-02-15 21:05:05 | ウオーキング
 2012年2月15日(水)

 さいたま市浦和区で開催中の、2つの展覧会に出かけました。JR武蔵野線武蔵浦和駅
に11時18分に下車して、桜並木に挟まれた「花と緑の散歩道を」進みます。


 散歩道の行き着いたところは別所沼。池の周囲にたくさんあるメタセコイアは、枯れ枝
で並んでいます。




 池の中ほど、弁天島のそばにあった浦和のキャラクター。


 池の北面には、いつも水中から吹き上げる穏やかな噴水が見られます。


 別所沼公園の北西端から台地に上がって、県庁の構内を通過して近くの埼玉会館へ。
最初の目的地は、ここで開催している透明水彩画の発表会です。


 カントリーウオーク仲間のTさんが参加されているグループの発表会で、毎年この会場
で開催されているので、いつも観覧に行っています。


 さいたま市を中心に、近隣の5つの絵画教室のメンバー60人が、この1年間に描いた
水彩画を200点余り発表しているのです。


 Tさんも県内で描いた作品を6点出展していました(これはTさんの作品ではありません)。


 40分余り観覧して、会場を出ました。


 13時を過ぎたので、県庁のそばにあるそば屋さんで昼食をしました。この店は、何度
か利用しています。


 次の目的地に向かって、そば屋さんの横の通りを北に向かいました。


 さいたま市役所やNHKさいたま放送局の前を通過します。上は、さいたま市役所構内
にある建物で、昨年は同じカントリーウオーク仲間のNさんの写真展を見に来たところ。


 第2の目的地の浦和北公園に南東側から入り、池の横を通過しました。


 こちらが、会場の埼玉県立近代美術館の入口。


 地下1階の第2展示室で開催中の、このフォトコンテストの入選入賞作品の展示を観覧
しました。


 作品展のことを紹介した1月24日付け朝日新聞、第2埼玉版の記事。


 地下1階のオープンスペースには、何点かの彫刻が展示されていました。これはその一
つ「枢機卿」と呼ぶ作品。制作者は、現代イタリア彫刻家のジャコモ・マンズン。


 このあと東側の旧中山道に回って南下し、浦和宿の中心だった通りに入り、須原屋書店
に入って、地形図を数枚購入しました。


 浦和駅方面に向かう途中、玉蔵院の山門が見えたので寄ってみました。


 4月初め頃に見ごろとなるシダレザクラの古木は、まだ枯れ枝のままでした。




 JR京浜東北線の浦和駅に15時35分に着き、帰途につきました。

 (天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市南区、
  浦和区、歩数 12,700)



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LLウオーク行田~荒川~八丁湖~東松山(埼玉)

2012-02-14 21:44:17 | ウオーキング
 2012年2月12日(日)

 前日に続き快晴となった今年のLL(Lake to Lake)ウオーク3日目の最終日は、秩父鉄
道の行田市駅から東武東上線の東松山駅までの行程である。

 ちょっと風が冷たい行田市駅に集まったのは、やまさんとともに前日も歩いた、さいたま
市のEさん。それに、やまさんの近くにお住まいの方の妹さんという行田市のHさん。記念
撮影をして10時3分にスタートした。


 行田市は江戸時代中頃から足袋づくりが盛んで、最盛期の昭和13年(1938)には年
間8,500万足、全国シェアの約8割を生産する日本一の足袋の町だったと、駅前にある
足袋蔵めぐりコースの案内板に記されていた。

 南口を出て、市役所の横を回って南下する。交差点際にSL C5726号機が展示されて
いた。


 その南が忍城(おしじよう)跡に残る水城(すいじよう)公園。小さい池にカモが泳ぎ、
大きな池の周囲では釣り人がたくさん糸を垂れる。近くに車を置いてあるというHさんとは、
ここで分かれた。



 住宅地の間を佐間一丁目から三丁目へと進む。行田中の北側を通過して田園地帯を流れる
忍川(おしがわ)↑と武蔵水路を横切り、アシの茂る旧忍川の小さい橋を渡り、北側から埼
玉(さきたま)古墳公園に入った。


 そばの丸墓山(まるはかやま)古墳↑は、直径105mあり円墳では日本最大、高さ19
mで埼玉古墳群の中で最高という。復元した埴輪の並ぶ全長90mの将軍山古墳↓と二子山
古墳の間を南東に進み、公園を出た。


 古墳公園のあるあたりは県名「埼玉」発祥の地。大字埼玉(さきたま)の冨士山集落を抜
けて、郵便局の手前で西側の渡柳集落に入る。集落の西側にあった本性寺に11時35分に
着き、本堂の階段を借りて昼食にする。


 先が長いので20分足らずで寺を出て、上下車線の分かれた国道17号熊谷パイパスを横
断する。追い風を背に受けて、広大な田園地帯を貫くバイパスと武蔵水路の間の用水沿いに
南下し、上越新幹線の下をくぐる。



 前屋敷集落のところで忍川の緑道境橋を渡り、武蔵水路の流れの東側沿いに続くさきたま
緑道へ。広葉樹や松などに覆われた緑道沿いには、ところどころに彫刻やベンチなどがある。



 国道17号を跨道橋で越えた赤見台公園のところで、緑道は終わった。

 武蔵水路沿いをJR高崎線の線路際まで進み、右折して北鴻巣駅まで行き、橋上の自由通
路を通過して駅の西に抜けた。


 参耕地集落から小谷(こや)小の南に回って三町免(さんちようめん)集落を抜け、荒川
左岸堤防下を上流に向かう。田園地帯なので北風が強く冷たい。


 前方に見える吹上町の総合運動施設の「コスモスアリーナふきあげ」に向かって進み、ア
リーナのところで荒川の左岸堤防に上がる。

 このあたりの荒川の堤内(堤防の流れ側)には、秋になると広大なコスモス畑が広がり、
中山道ウオークなどで眺めたところ。

 今日は風が強く、西側の山並みの中に武甲山や笠山、両神山、雪で白い浅間山などの展望
が広がるが、ゆっくり眺めるいとまはない。


 上流に架かる水道橋の下あたりは、強風で土ほこりが舞っている。


 強い向かい風を避けようと堤内の道路を進んだが、やはり風が冷たく、急ぎ1㎞ほど先の
水道橋の先の大芦(おおあし)橋まで行く。

 県道66号となっている大芦橋の、上流側にある歩道を進むと、猛烈な北風が右から吹き
つけ、飛ばされそう。帽子を押さえながら11分かけて荒川と和田吉野川の流れを越え、右
岸堤防まで進んだ。



 折り返すように右岸堤防を1㎞ほど行くが、こちらは不思議に風が弱くてホッとする。中
曽根集落に下って八幡神社↓の角を回り、西側の台地に向かう。



 山ノ下集落でふるさと歩道の案内板に従い、石段を上がって行くと高負彦根神社があり、
周辺はポンポン山公園になっている。東屋のあたりからは東側台地下の展望が開け、鴻巣駅
周辺かと思われるビル群などが望まれる。


 公園から南に下って車道を南西に進む。丘陵を上がって前山集落の近くで道標に従い、左
手の広葉樹林に付けられた遊歩道へ。毎年11月の日本スリーデーマーチでは、逆行するコ
ースになる。


 遊歩道を上り下りして黒岩横穴墓群のそばを通過し、八丁湖の北岸に出た。


 いまは静かな湖畔を左に回って行くと、枯れ枝にカワセミが止まっていた。


 東側の堤防際に、アメリカから来てさいたま市に住み、英語教師をしているという若いサ
イクリストが休んでいた。

 その横を上がってピークを越え、坂東観音霊場第11番、吉見観音で知られる安楽寺へ。
県内では数少ない三重塔は、寛永年間(1624~44)再建のもので県指定文化財である。
スリーデーマーチでは賑わう境内も、今日はひっそりとしている。


 参道にある「どびんや」という厄除けだんごの店に入り、地元で採れた柑橘やジャムなど
を求める。


 御所から和名、米田などの集落沿いの車道を回り、天神沼東岸の堤防際に出る。少し戻っ
てカルソニックカンセイの広い工場の南側で丘陵を越えると大沼湖畔。比企丘陵に多いかん
がい用溜池の一つで、面積は5.71haという。


 沼の北側を進み、吉見百穴(ひやくあな)の南を通過して市野川橋に向かって下る。17
時となり日没が近づき、太陽が奥武蔵の山並みに沈むところ。東松山の市街地の向こうに笠
山などがシルエットに浮かぶ。


 市街地に入り、東松山ウオーキングセンターなどの前を通過して、17時20分に東武東
上線の東松山駅にゴールした。


(天気 快晴、参加者 3人、距離 28㎞、地図(1/2.5万) 熊谷、東松山、歩行
 地 行田市、鴻巣市、吹上町、熊谷市、吉見町、東松山市、歩数 46,200)



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春日部から岩槻へカントリーウオーク(埼玉)

2012-02-13 21:28:03 | カントリーウオーク
 2012年2月11日(土・祝)

 スタート以来19年となった、カントリーウオークグループの第190回例会に参加し
た。集合は東武野田線の八木崎(やぎさき)駅。参加者21人は4組に分かれ10時10
分にスタートする。

 北口を出て、Kさんの母校、春日部高校の門前を通過する。校舎には、全国大会出場を
祝した運動部など、たくさんの部の表示が並んでいた。


 近くにある八幡神社の広い境内へ。元弘年間(1331~4)、この地の武将、春日部
氏により鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請(かんじよう)したものとか。新編武藏風土記稿にも粕
壁宿の鎮守とされているという



 ご神木の大イチョウが天に高く枝を伸ばす。お七夜詣でのご家族が2組、参拝に来てい
た。社殿前には、願いを記した絵馬がたくさん奉納されている。

 豊かな鎮守の森の東側、稲荷神社のそばに「浅間山」と呼ぶ樹木に覆われた高さ8m、
周囲200mに及ぶ富士塚がある。


 登ってってみたら東の展望が開け、筑波山が望まれる。



 山頂には「不弐大神」と刻まれた石碑が立つ。眺めていたら、足下からズドンと突き上
げられ、すぐにかなりの揺れで地震と分かりビックリ。

 北に下って浜川戸一丁目の住宅地を抜け、国道16号を横切り内牧工業団地へ。明治の
工場などが立ち並ぶ広い道路も、休日で車はほとんど通らず安心して歩ける。


 工業団地の西に抜け、流れを暗渠(あんきよ)にした古隅田川緑道に出て北西に向かう。

 すぐ先の満蔵寺に、背後の墓地から入ろうとしたが、柵があり入れない。少し先に雑草
地に下る踏み段があったので、降りて乾いた雑草地を横切り、西側を回って満蔵寺に入る。


 本堂前に、「満蔵寺のお葉付イチョウ」と呼ぶ県の天然記念物の大イチョウが立つ。高
さ27m、根回り10.4mあり、枝が水平に出ること、枝端に葉の群生すること、葉の
くぼみに実を付けるなどの特徴があるという。


 門前の南東には、約千年前に京都東白川に住んでいたという、梅若丸にちなむ謡曲「隅
田川」伝説ゆかりの「梅若塚」があり、その由来が記されていた。



 大きなケヤキなどの屋敷林に囲まれた農家や、生産野菜を露地販売する農家の前などを
通過する。宮川小の北東の隅に、「はちまんさま」と描かれた小さい社が祭られていた。


 学校の南には開放的な境内の香取神社があり、大きなケヤキが枯れ枝を高く伸ばす。


 豊春中の北側から西に回り、古隅田川緑道に沿って北に少し回り込むと、「やじま橋」
と呼ぶ石橋が堤防沿いに置かれている。

 元文2年(1737)に、春日部市南中曽根とさいたま市岩槻区小溝の間を流れる古隅
田川に架けられたものを、1984年3月の河川改修工事の際にここに移設したとのこと。
埼玉県内で最も古い石橋の一つとされているという。


 古墨田堤防に沿って並ぶ新興住宅地の西に回り、桜並木の続く左岸堤防沿いを北に向か
う。堤防がいったん途切れるあたりで堤を離れて田園地帯へ。


 暗渠にコンクリートのふたを被せた歩道から、北側の小さい流れに沿ったあぜ道に入り、
岩槻北陵高の南で車道に出て、すぐ先の坂東三十三観音霊場第十二番札所の慈恩寺に入る。



 大本堂の前に、天正17年(1589)銘の珍しい南蛮鉄製の灯籠が立つ。境内のロウ
バイが花を見せ、南側には2本の大藤を支える藤棚がある。

 西側山門のそばに、かやぶき屋根のこじんまりした民家が残っていた。


 岩槻北陵高の前まで戻り、先ほどの流れの延長上から田んぼのあぜ道を横切り、西遊記
で知られる玄奘三蔵(げんじようさんぞう)法師の霊骨塔である十三重塔の立つ園地に入
った。離れてはいるが、ここも慈恩寺のもの。

 長く不明だった玄奘三蔵の霊骨が昭和17年(1942)に中国南京で発掘され、日本
に分骨贈与されたものを、この地に昭和25年に塔を建立して奉安したという。

 今日の昼食は、この十三重塔を傍らで管理されているHさんが、自作の大きなかまどで
焼いて下さるというピッツァである。



 これも原さん手作りという「倭杖林」の看板の掛かった古民家風の建物に入り、太い丸
太が赤々と燃える大きないろりを囲み、1枚ずつ焼き上がってくるおいしいピッツァを、
4枚に切り分け順次いただく。各々が途中で買ってきたアルコールも口にして、賑やかに
語り合いながらゆっくりと過ごす。



 食べる合間に外に出て、Hさんがかまどで焼く様子を拝見したり、数々の趣向を凝らし
て建物の造り。やはりHさんがつくられたという、たくさんの教典を背負った玄奘三蔵像
や「元亀」と呼ぶ大きな亀の像、ともちゃん地蔵、今日の担当Aさんの協力で造ったとい
うホタルの飼育池などを見て回る。




 3時間前後過ごした後、玄奘三蔵の霊骨が十三重塔に奉安されたいきさつを、Hさんか
ら詳しく説明していただく。塔の前でHさんご夫妻と一緒に記念撮影をして厚く御礼申し
上げ、16時近くに出発した。


 開智中と東岩槻小との間の通りを進み、台地に残る樹林の傍らに立つ「花積貝塚」碑の
ところに回る。花積貝塚は、縄文前期から中期にわたる長期に先人が生活したところとか。

 昭和43年(1968)の調査で、住居跡や多数の貝殻のほか、ほ乳類の骨なども発見
されたという。

 整然と並ぶ住宅地の真ん中にあるSさんのお宅の前を通過して、ゴールの東岩槻駅には、
16時35分に着いた。

(天気 快晴後晴、参加 21人、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地
 春日部市、さいたま市岩槻区、歩数 13,300)



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