あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

玉川上水、残堀川沿いから立川グリーンスプリングスへ〈東京・立川〉

2021-12-31 21:46:01 | ウオーキング
 2021年12月22日(水)

 今年最後の西武鉄道の「ウオーキング&ハイキング」の催し、「玉川上水、残堀川沿い
を進み立川グリーンスプリングスを訪ねる!」に参加した。
 
 集合地は西武拝島線の武蔵砂川駅、わが家からは50分ほどの10時24分に着いた。


 快晴のこともあり、駅前の受付タントに向かって長い列が伸びている。


 その後部に並んで受付を済ませてコース地図をもらい、10時40分にスタートした。

 高架になっている線路下を北側から南に回り、玉川上水沿いに出た。両岸の桜並木は葉
がすっかり落ちている。


 橋を渡り、右岸沿いを上流の西方に向かう。少し進むと民家は途絶え、樹木園や背の高
いケヤキが目につく農家の屋敷林らしいのが望まれる。


      大ケヤキにはヤドリギが寄生していた。
     


 南北に流れる残堀川(ざんぼりがわ)との交差点へ。川の流れはわずかしか見えない。


     
 右岸沿いの遊歩道を南に向かう。途中の民家の庭先の木に、白い実なのか花なのか分か
らないものがたくさん付いていた。
     

                          

 残堀川両岸の桜並木も、葉はすっかり落ちている。


 広い市道との交差点に出て残堀川に分かれ、その通り、国営公園北通りを東に向かう。


 通りの街路樹も南側に見えるケヤキなどの林も、すっかり葉は落ち寒々としている。


 1㎞近く進んで右に緩やかにカーブする辺り、北側にドーム状の民家らしい変わった建
物が目に入る。どんな人が住んでいるのだろうか・・


     

 団地東交差点の先、通りの南側に大屋根の建物が見えるが、近くに交差点がないので渡
れない。どうやら昭和記念公園の北端辺りになるらしい。



 「ファーマーズセンターみのーれ立川」という建物があったので立ち寄る。

 地元立川の野菜や果物、植木や花などを直売しているようだが、地方の野菜などのコー
ナーもあった。






 今日は冬至なので、ユズも。




 通りの北側に大きなケヤキが目についたので、少しだけ回ってみた。


     
 木の下に「平和の礎」という石碑が立ち、背後には畑や雑木林が広がる。


 通りに戻ったら、「砂川平和ひろば」、「砂川闘争写真・資料展示」と記された建物が
あるが、今日は閉じている。石碑もここゆかりのものらしい。

 砂川闘争とは、在日米軍立川飛行場(立川基地)の拡張に反対し、北多摩郡砂川町(現
立川市)の住民らが農地を守るため、1955年~1960年代に続けた住民運動のこと。

 当時、激しい闘争のことが何度となく報道されたのを覚えている。だが、半世紀上も前
なので、地元の方でもあの闘争のことを知る人はもうわずかかもしれない・・

 米軍は1968年に滑走路の拡張を断念し、立川基地は1977年に日本側に全面返還
された。その跡地が、国営昭和記念公園や官公庁、研究機関、病院などに活用されている。


 間もなく砂川五差路交差点へ。都道153号・五日市街道や芋窪街道と交差しており、
ここから、立川駅北口方面に向かう南北道路に入って南南東へ。


 500mほどの間、右手は立川基地の名残なのか、ススキや雑木に覆われたエリアにな
っていた。



 立川拘置所や立川市役所横を通過し、左手から多摩都市モノレールの引込線が近づき、
その本社前を過ぎる。





 裁判所前交差点でモノレールに分かれ、南に延びる通りへ。


 右手(西側)に裁判所らしい建物↑や国立国語研究所↓を見ながら進む。


      左手に小さな熊野神社が目に入り、背後には大イチョウが。
     

 自治大学校↓前を過ぎると中層の集合住宅が増える。



 大型店舗IKEAと災害医療センター↑のビルの間を進み、ゴールに近い「グリーンス
プリングス(GREEN SPRINGS)」の北西端に着いた。

 ここは未来型の都市空間のようで、ショップやレストラン、カフェ、ホテルやオフィス、
パブリックスクエア、ホール、さらに多摩信用金庫本店や美術館、幼稚園などが、7つの
ビルとそれらに挟まれた空間にある。

 西北側の階段を上がっり、2階のパブリックスクエアへ。

 芝生広場や植栽、池などがあり、平日ながら多くの人が訪れていた。





 その周りには、個性的な店舗やレストラン、カフェなど並んでいる。


     
      植栽の中に、わずかに紅葉が残っていた。
          

 中央部にインフォメーションセンターがあったので、エリアガイドの地図をもらう。



 南側には噴水の上がる池があり、南端のビルが多摩信用金庫本店。




     
 多摩産材木を活用した2階壁面はギャラリーになっていて、多摩ゆかりの絵巻や地図な
どが展示されていた。


     

 長いエスカレーターで1階に下りたら、正面玄関前ホールには大きな蜂の巣の模型が。
     
      「たまりば」と題する長谷川 仁氏の作品のよう。

      多摩信金のビル前の歩道の植栽にも、紅葉が残っていた。
     

     
 東側道路上には、多摩モノレールの高松駅と立川北駅間の高架が南北に走り、通りに面
した1階にも幾つものショップが並ぶ。
     






 そのひとつ、「FAVERS」に入る。南信州を中心の産直品を販売しているというので一
巡し、野沢菜の漬物を購入した。


     




 13時を過ぎたのでもう一度2階に上がり、先ほど目に入った南西端にある「glitter」
というレストランへ。

     

 「絶品!ビーフシチュー」(940円)とライス・飲み物セット(400)を注文し、
昼食とした。


 レストランの窓からは、西方に国営昭和記念公園の立川口が望まれる。


 3階にも、レストランやカフェ、立川ステージガーデンなどの施設があるようだが上が

ず、駅に向かうことにする。

     
 1階北東側階段を下ってモノレール沿いに南に進み、ゴールとなる多摩モノレールの立
川北駅に13時39分に着いた。



 13時45分発上北台行きに乗る。


 玉川上水駅↑で14時08分発の西武拝島線上り電車に乗り換え、さらに西武国分寺線、
西武新宿線、西武池袋線へと乗り継いで帰宅した。

(天気 快晴、距離 7㎞、地図 西武鉄道 ウィークデーハイキング地図、歩行地 立川
 市、 歩数 12,600)



アウトドアランキング


にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ところざわサクラタウンと市観光情報・物産館へ(埼玉・所沢)〈後半〉

2021-12-29 22:44:07 | 所沢だより
 2021年12月15日(水)〈後半〉

 12時50分近くに角川武蔵野ミュージアムの建物↓を出た。


 次は西側にある複合施設のある建物へ、外回りは不規則な階段で囲まれている。


    その2階北東側にある、埼玉県内の観光案内所「LOVE埼玉パーク」へ。
     

 入口際には埼玉県内63市町村のパンレットコーナーがあるので、ウオーキングの参考
になりそうなパンフレットをもらう。
     
      だが、パンフレットを置いてある市町村は半分くらいだった。


 部屋の中央部や通路側には、県内の多くの市町村からの特産品、土産物などがたくさん
並んでいる。




    
   その中から今日は、渋沢栄一コラボの「十万石まんじゅう」を購入した。
        

 13時を過ぎたので昼食をすることにして、隣接する「手打うどん さわいち」へ。




 とろろつけうどん(940円)を注文したところ、めったに食べたことのない腰が強く
てかみ応えのある太麺だった。


    昼食後、外回りを囲む階段を上がり、5階北西側から周辺を一望する。
     


 西側のビル群は所沢の中心市街地


 北西から北北西へと、遠くには奥武蔵から外秩父の山並みが。



 北方から北東の眼下には住宅地や工場群など。




 北西側に延びるデッキは、これから行こうとする観光情報館の新しい建物への通路。


 西側の階段を下りたら、4階だったろうか、「ダ・ビンチストア」と記された書店らし
い店舗があった。
     
      ここは、昨年末には来ていないので入ってみた。


 どうやらKADOKAWA関連の商品を販売しているようだ。






   ちょうどそのとき、レジ周辺に撮影関係者が集まり、誰かを撮っていた。
     
   マスクをしていたが、どうやら大野県知事が視察に来られ、何か購入されたようだ。

 ダ・ビンチストアをざっと一巡後、連絡デッキで市道と東川(あずまがわ)を越えて、
北側の「所沢市観光情報・物産館 YOT-TOKO(よっとこ)」に入る。

 ここは5月29日(土)にオープンした新しい施設。オープン時から来たいと思ってい
たが、春から夏にかけてはコロナの感染拡大が続いていて来られなかった。

 館内は、物産品、展示、観光情報、狭山茶、カフェの各コーナーがあり、所沢市を中心
に、ダイアプラン5市と呼ぶ近隣の入間市、狭山市、日高市、飯能市、さらに都県境を越
えて接する東京・多摩地区の一部市町などの観光情報や物産品などが入手できる。


 観光情報コーナー



 カフェコーナー


     
 一番広い物産品コーナーへ、中央部には所沢市のマスコットキャラクタートコろんが。



 狭山茶コーナー







 館内を一巡して全コーナーを見て回り、観光パンフレットや市内の店舗のせんべいとク
ッキーを入手した。





 南西側の展示コーナーでは、今日ここに来る主目的だった「松坂大輔選手引退特別展示」
を開催中。
     




 だが、狭いスペースで、引退当日の写真や簡単なプロフイール、主な受賞歴、22年間
の集大成した成績などわずかな展示しかなく、ちょっと期待外れだった。
     



 ひととおり館内を見て回ったので、帰路につくことにした。帰路は、昨年末サクラタウ
ン来たときと同様、そばを流れる東川沿いに上流へと西進することにする。

 14時35分にYOT-TOKOを後にする。

 しばらくは、車が多くて狭い右岸沿いの車道は避けて、未舗装の左岸の遊歩道を進む。
     

 2つ目の橋を過ぎると建物や人家が少なくなり、畑が増える。


 右岸には、かなりの年輪のソメイヨシノの並木が続き、春先のお花見コースでもある。


 市立東中学校の南側を通過し、次の橋際に大きなムクロジの木があり、たくさんの実が
付いていた。

 この実は、正月に遊ぶ羽根突きの羽の黒い玉に使われているが、最近の正月は羽根つき
風景を見ることも少なくなった。


 ここで橋を渡り右岸沿いの車道を少しで、裏手の墓地から長栄寺に入る。道路際のモミ
ジが、わずかに彩りを残していた。


     


 本堂↑の南東側、墓地を背にした閻魔堂には大きな閻魔像が鎮座されているので、ガラ
ス越しに拝観した。


     

     
    境内西側の背の高いハクモクレンには、もうたくさんの花芽が見られる。


      境内を西に出て橋を渡り、再び左岸沿いの遊歩道へ。
     

 陽が西に傾き、彩りの残るクヌギなどを照らす。


     
      いつも春先の花見で来たときの折り返し地点である、加美橋周辺の桜並木。
          

         

     

 両側に住宅が増えて市街地が近づく。日没が近づいてきたので、市内ウオーキングで時
々参拝している熊野神社にも寄らずに通過する。


 陽の落ちた16時28分に帰宅した。

(天気 快晴、距離 8㎞、地図 「所沢市おさんぽなび No.04 東川さくら おさんぽコ
ース」、歩行地 所沢市、歩数 16,400)



埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢情報へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ところざわサクラタウンと市観光情報・物産館へ(埼玉・所沢)〈前半〉

2021-12-28 22:17:29 | 所沢だより
 2021年12月15日(水)

 同じ市内だが、わが家からは少し離れているので、なかなか行けなかった「ところざわ
サクラタウン」や、今年5月下旬にオープンした市の観光情報物産館「YOT-TOKO(よっ
とこ)」に、師走になってようやく出かけることにした。

 ここを初めて訪ねたのは昨年12月7日(月)だったから、ほぼ1年ぶりになる。

 西武池袋線の秋津駅からJR武蔵野線に乗り換えて、東所沢駅に10時57分に着き、
11時ちょうどにスタートする。


 駅のすぐ北に接して公園があり、その道路際に「大魔神」の半身像があった。

 所沢を舞台とする映画「妖怪大戦争 ガーディアンズ」が、8月13日(金)から全国
公開されたのを記念して、この地に降臨(設置)したという。

 駅前から延びる東所沢駅前通りを北北東へ。



 歩道には、所沢市上下水道局の広告用デザインマンホールの一種、光るマンホールが目
につく。

 「KADOKAWA」のイラスト広告で、これから向かう「ところざわサクラタウン」まで
全部で28種類あるようだ。その幾つかを。

 夜になると、近傍に設置したソーラーパネルにより発電した電力で発光するという。


 駅から600mほどの左手、西側に東所沢公園があり、幼児などが遊んでいる。



 その先の広葉樹林も東所沢公園の一角で「武蔵野樹林パーク」と呼び、夜になると下に
並んでいるものはカバーが外されて、デジタルアートとして光り輝くという。



 道路を隔てた西側一角は「ところざわサクラタウン」で、隈研吾氏設計「角川武蔵野ミ
ュージアム」の独特の建物や、「武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとの
みやしろ)」、ショップやレストラン、ホテルなどのある建物がある。



 まずは左手の武蔵野坐令和神社に回って参拝した。





 社殿前に並ぶ変わったおみくじ


 北側にどっしり岩のようにそそり建つ角川武蔵野ミュージアムの南面には、昨年末には
なかったフクロウのような絵が描かれていた。


 今年1月8日から披露されたようで、現代美術家・鴻池朋子の「武蔵野皮トンビ」とい
う作品で、約1年にわたり壁に展示されるとか。

 終息しないコロナ禍の状況に不安を感じる中、角川武蔵野ミュージアムの「コロナ時代
のアマビエ」プロジェクト第2弾として披露したのだという。

 西側に回ってその建物、角川武蔵野ミュージアムに入り、受付で4・4階のスタンダー
ドチケット(1400円)を購入した。

 このチケットでは、2つのフロアにある本棚劇場、エディットタウン、荒俣ワンダー秘
宝館、「俵万智展」を開催中のエディット&ギャラリー、武蔵野ギャラリーと呼ぶ各エリ
アを観覧できる。


 まずは、2階の受付フロアの「グランドギャラリー」と呼ぶ、造形や壁面の展示などを
ひととおり眺めた。



 「ウルトラブッダ」(米谷健+ジュリア作)



 エレベーターで5階に上がった。北西側の窓際から望まれる展望


 次に「武蔵野ギャラリー」に入り、武蔵野関連の展示を眺める。


      
 「武蔵野回廊」の両側には、武蔵野にちなんだ幾つかの分類に分けて関連の図書が展示
されていて、自由に閲覧もできる。



 本棚劇場の5階エリアから4階に向かって、たくさんの本棚と書籍群を見ながら進む。

 ここがメインのエリアで、約8mの巨大本棚に囲まれた図書空間になっている。

 KADOKAWAの出版物のほか、角川源義、山本健吉、竹内理三、外間守善の個人文庫など
約3万冊があるという。

     
 5階の一角には「武蔵野3万年のレシピ」と呼ぶ企画展示エリアがあり、11月3日
(水)~2022年2月13日(日)の会期で開催中。

 ここはパネル展示がほとんど。





 わずなに食器具や農機具、土偶などの実物も展示されていた。
     




 武蔵野の古代から現代、地質、標高などの分かる大きな立体模型。


 4階に向かって階段を下って行くと、その壁面にも書棚が続く。




     
         4階に下って周囲を見上げる。
         

     

 エディットギャラリーに回ると、こんな展示が。


     
 その横では「俵万智展 #たったひとつの「いいね」」と呼ぶ展示を開催中。


     
 現代日本を代表する歌人のひとり俵万智(たわらまち)が、今年、短歌会の最高賞であ
る迢空賞(ちょうくうしょう)を受賞したことを記念した、初めての本格的個展のよう。


 もう一度本棚劇場に戻り、先に進む。



 片隅の細長い空間にある「荒俣ワンダー秘宝館」に入ってみた。


 「想像力」や「マニア」の見せ方にこだわり、荒俣宏が監修した部屋とか。
     




 その横は、立体的なデザインのディスプレイや宝石などの並ぶコーナーが。





 これらを一巡して1時間ほどで観覧し終え、エレベーターで2階に戻り、ミュージアム
ショップを少しだけのぞいてみた。


     

          

 ちなみに、5階建ての館内にはほかに、浮世絵劇場(1階)、マンガ・ラノベ図書館
(1階)、EJアニメミュージアム(3階)(何れも有料)がある。

 12時50分近くに角川武蔵野ミュージアム内の観覧を終えて、建物を出た。〈続く〉
  



埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢情報へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走の前半、市内で見つけた最後の彩り(埼玉・所沢)

2021-12-24 18:12:23 | 所沢だより
 2021年12月5日(日)~13日(月)

 今年の師走前半は比較的穏やかな日和が続き、寒さもさほど気にならずに過ごせました。
毎日のように出かけていた市内ウオーキングで見つけた、今年最後の彩りです。

 12月2日(木)、上新井2丁目の普門院駐車場のモミジ


     

 何気なく山門横を見ると、真っ赤な色が目に入った。境内に入っったら、山門横のウメ
モドキと思われる木に実がいっぱい。



 こんなにいっぱい実を付けたウメモドキは、見たことががありません。
     

          

 緑町の中央公園のケヤキやモミジなど




     

     







 12月5日(日)、小手指方面へのウオーキング途中で見つけた民家の前のウメモドキ
やモミジ。






 12月9日(木)も小手指方面へ。南口の市道沿いのドウダンツツジ




 エノキだろうか、やはり南口の小公園で



 12月10日(金)は市役所や航空記念公園方面へ。公園内の日本庭園に入ると、今冬
も茶処・彩翔邸(さいしょうてい)前でトナカイが迎えてくれました。
     
 毎年、この時期にここで見かけるクリスマス前の風景です。




 公園内や、南側の国道463号線沿いの歩道にはサザンカがたくさんあり、比較的花が
多そうなところで・・。


        

    

 日本庭園内に残るモミジ


     



 日本庭園の東側、ろうばい園に回ってみたら、もう咲き出した枝もありました。




         

 まだ12月前半です。チョット早すぎのでは・・




    






埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢情報へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西武ハイキングで紅葉の吾野・東郷公園を訪ねる(埼玉・飯能)

2021-12-21 22:28:13 | ウオーキング
 2021年11月26日(金)

 今日は快晴で風も無さそうなので、西武鉄道の「ウオーキング&ハイキング」の「紅葉
の吾野・東郷公園を訪ねる!」に参加することにした。

 8時19分頃、西武池袋線清瀬駅で人身事故があり、西武池袋線は1時間余り運転を休
止しており、西所沢駅に着いたらまだ運転を再開したばかり。

 池袋方面への上りホームには、たくさんの人が電車の到着を待っていた。

 下り電車の再開後2本目の電車に9時34分頃乗車した。下り電車も混んでいて、乗り
換えの飯能(はんのう)駅まで座ることはできなかった。

 飯能発10時03分の西武秩父行も同様で途中まで座れず、5分遅れた10時31分に
吾野(あがの)駅に着いた。


 同じ電車で来たウオーキング参加者が多く、駅前の受付テントへは長い列が延びる。


 受付を済ませて地図をもらい、10時42分に出発した。


 線路の北側沿いに西へ、駅を出てすぐのところの若木のモミジ並木がよい彩り。


 近くの国道299号線への分岐の近く、高台の上の大きなモミジ。



 その先は、石灰石を採掘している吾野鉱山の工場下を緩やかに上がりながら進み、西武
秩父線の線路を越えて高みから線路を見下ろす。
     

 周辺の山は針葉樹が多いが、広葉樹は少しずつ色づき始めている。


 陽の当たらぬ北向きの斜面に沿った遊歩道は下りとなり、わずかの民家の横を通過する。
     

 下りきった辺りにあった諏訪神社。



 その先、高麗川(こまがわ)右岸にある数本のモミジが見ごろに。
     



     

 国道299号線に接する芳延橋際に出た。左手の鳥居が目的地・秩父御嶽(ちちぶおん
たけ)神社の入口で、一帯は東郷公園になっている。


 一の鳥居を入ると公園の案内パネルがある。それによれば、「ここは御嶽山東郷公園、
秩父御嶽神社と称し、明治28(1895)年11月、当地の御嶽行者・鴨下清八の開山
で、信濃(長野県)の木曽御嶽山(おんたけさん)の分霊を奉斎している」という。

     
     
 すぐ先右手は里宮遙拝殿で、再建したのか社殿は新しい。まずは遙拝して先に向かう。



      次の鳥居をくぐるとモミジが増えて来た。
     

 斜面の入口付近には「おこころざし石」がある。紅葉が見頃な11月15日~30日の
入山者は、100円以上の入山料を納めるようになっていたので投入した。この先が参道
になるらしい。


 そばの斜面の石碑に囲まれた立像は、「清貫一誠霊神銅像」と呼ぶもので、開山者・鴨
下清八の像のよう。


 その横から比較的緩やかな石段があり、左手にはさらに緩やかな迂回路が。



 石段を途中まで上がって右に回り込むと、よい彩りのモミジが。近くには乃木大将銅像
がある。
     
 乃木大将は萩(山口県)出身の陸軍軍人。日露戦争時に、難攻不落といわれた満州・旅
順(りょじゅん)の203高地を攻略した。質素倹約を旨とし農将としても名高く、明治
天皇の大喪の日に殉死したことで知られている。
     

 当山開祖の鴨下清八氏は、将軍に師事するがごとく農業や養蚕業にも力を尽くし、人々
の模範となるよう、昭和4(1923)年11月、この地にこの銅像を建立したという。

     
      銅像の横から背後周辺のモミジ
     

        遊歩道を反時計回りに上がって行くと、独特の社殿の八海山神社前に出た。
          

     
      神社周辺のモミジもよい彩り。


     

 参道の中央部に戻ると休憩舎があり、左手背後に東郷元帥銅像が見えたが、帰路で回る
ことにして中央広場へ。

 ちょうど参道の中間辺りで、ベンチや周辺で休憩する参加者も多い。

 その先は、最上部の秩父御嶽神社に向かって長くて急な368段の石段が延びている。
左右に遊歩道もあるが、石段を上がることにした。
     
 途中、左右に4か所ほど迂回のための遊歩道があり、長い石段の踊り場にもなっている
ので、そこまで上がるたびに休憩した。
          
 でも、高齢化に伴う体力・脚力の低下に加えて久しぶりの急段なので息が切れ、横の手
すりにつかまったり、中ほどで何度も小休止したりしながらゆっくりと上がる。

      正午近く、ようやく最上段にある秩父御嶽神社前に着いた。
          
 秩父御嶽神社は、開祖の鴨下清八氏が明治26(1893)年に信州木曽御嶽山の分霊
を勧請し、この地にお祭りしたことにより始まったとか。

 拝殿は、ここでの祈りが本山の神々にこだまするようにと、木曽御嶽山を遙拝する向き
に造営されたという。現在の本殿は、開山100周年記念事業として平成10(1898)
年に再建されたようだ。

 拝殿に参拝して、新型コロナウィルスの感染防止や早期終息、健康などを祈願した。

 拝殿前には「幸(しあわせ)の鐘」があり、参拝者が自由に撞(つ)いて幸せを祈れる
ようになっている。
     

      下山に石段を下るのは止めて、両側の遊歩道を利用することにした。
     

 拝殿の前から右手の遊歩道を回り込み、石段を横切って左手へ回ると、小さな社殿の大
黒天社があった。


     さらに石段を途中横断した反対側には、三笠山神社が祭られている。
     

 その先は短いが急坂の石段、正面の石段を横断したりして幾つかのの社殿前を通過する。
     



     
      

 再びモミジが増えた先には、小さい社殿の乃木神社が祭られていた。


     

          


 乃木神社の下をジグザクに下り、清瀧不動堂荷の先で長い石段下に戻る。
     

 すぐ下の中央広場では、多くのウオーカーが昼食中だが、私は弁当を用意してこなかっ
たので通過して東郷神社に向かう。


 東郷神社は、中央広場の西側斜面を少し戻るように上がった場所にある。狭い斜面に建
つので正面から社殿を撮ることはできない。
     

 すぐ右手には「至誠館」と呼ぶ3階建ての建物があり、1階にはロシア製3インチ野砲
(1901年製)が展示されていた。
     

 明治38(1905)年の満州での日露戦争で、日本陸軍はこのロシア軍の新鋭の野砲
で苦戦したとか。日本陸軍の野砲に比べ操作や命中率などすべての面で優秀だったようだ。


 至誠館は、東郷元帥が来山の歳に休憩されたという。

      この辺りでも、モミジが彩りを競う。
     

 すぐ下に、珍しい展示物が目につく。

 日露戦争の勝利を決定づけたのは、明治38(1905)年5月28日の日本海海戦だ
った。このとき、東郷司令長官の乗った連合艦隊の旗艦三笠はロシア軍の集中砲火を浴び
て、甲板には蜂の巣状の弾痕を残したとのこと。

 この展示は、その旗艦三笠の甲板の一部だという。連合艦隊は大勝したと聞いていたの
で被害はほとんど無かった思っていたが、そうではなかったという貴重な証拠だった。

 そばに、「東郷元帥お手植えの松」の枯れ落ちた実生による、継承の松の若木がある。

     
      そして、すぐ近くの中央部には東郷元帥像が立っていた。
     

     
      傍らにある由緒と写真のパネルから
      

      その下、石段の両側には大きな球形の水雷と砲弾がある。

     
 水雷は敷設水雷といい、日露戦争の旅順港口にロシア軍により多数敷設され、日本海軍
の入港を阻止したよう。戦後に日本海軍が掃海して引き上げたものを、海軍省から下賜さ
れたという。

          
 砲弾は、日本海海戦の際、ロシア軍バルチック艦隊から発射された主砲の巨弾で、日本
海軍はこのため苦戦を強いられたようだ。



     
 周辺のに残るモミジなどを眺めながら、少しずつ中央部の短い石段や遊歩道を下り、上
り始めた遙拝殿の横の社務所前まで戻った。


 往路では気づかなかったが、鳥居を出た横に大きな高下駄が展示されていた。



 国道際の橋際からも往路を逆行して戻り、もう一度逆光のモミジの彩りを見る。




     

      その先も、往路と同じ遊歩道を周囲の風景を眺めながら戻る。
     

 13時55分に吾野駅に着いた。次の上り電車を待つ人のほとんどはウオーキング参加
者で、この時間の普段の乗客よりはるかに多そう。


 14時09分発飯能行き上り電車に乗る。

 (天気 快晴、距離 4㎞、地図 参加者へ配布の「東郷公園 秩父御嶽神社境内図」、
  歩行地 飯能市、歩数 12,400、累積標高差 上り下りとも約300m)

 



アウトドアランキング


にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の特別拝観と紅葉の奈良・京都へ(③京都・京都府立植物園)〈後半〉

2021-12-18 18:27:04 | 京都を歩く
 2021年11月18日(木)〈京都府立植物園へ〉〈後半〉

 京都府立植物園の観覧温室の観覧を終えて温室を出たら、正面(東)にケーブルカーの
駅やアンテナ塔などのある山が望まれる。どうやら比叡山の山頂付近のようだ。



 観覧温室の前面にある鏡池の東側、イチョウがよい彩りを池に映す。


 近くの黄葉高木はケヤキだろうか・・



 池の周辺の植え込みには、カンナなどの花が咲き競う。


 鏡池の前から東側に広がる大芝生地の北側を回り、高木の下にある「森のカフェ」と呼
ぶ建物の横を北に入り、先ほどの池の南側に向かう。


     
 フウ(楓)が色づき、ウルシ科のランシンボク(爛心木)も見頃。




 ランシンボク



 奄美大島の固有種で、絶滅危惧ⅠA類に指定されているという、ムクロジ科のアマミカ
ジカエデ
     

      


 この黄葉はアメリカハナノキ(ムクロジ科)


     
      これらの東側にはたくさんのサザンカが咲いていた。


     


 池の南東側に回り、モミジなどの彩りの変化を十分に楽しんだ。
     



     

          



     











 実がいっぱいのウメモドキ


 いまは枝を落とした梅林を東に抜ける。


     
      高木の並ぶ針葉樹林から広葉樹林ヘと進み、入口方面に向かって戻る。
          


 噴水の横から入門した北山門に戻り、13時25分頃に京都府立植物園を出た。


 北山門を出てすぐ左手にある「IN THE GREEN」(北山カフェ)に入る。まだたくさん
のグループが昼食中。



 自家製スパイシーカレーランチ(サラダ付・1050円)とホットコーヒー(200円)
を注文して昼食をする。


 14時19分に北山カフェを出た。

 午後は二条城に回ろうかと計画していたが、予定より時間を経過しているので止め、植
物園の東側に接した「京都府立 陶板名画の庭」に入ることにする。


 府立植物園前の広場にはオリーブの木が何本かあり、実を付けていた。
    

     
      「新月」という木にも赤い実がいっぱい。ヤマボウシの栽培品種らしい。
          

 京都府立 陶板名画の庭は、名画の美しさをそのままに再現した丈夫な陶板画を、建築家
・安藤忠雄氏設計の施設に展示したもの。

 屋外で観賞できる世界で初めての絵画庭園で、陶板画は全部で8点あり、大きな絵が壁
面や水面などに展示されていたので、順路に従い下降しながら一巡して観賞した。


      最初は水面にある、モネの「睡蓮・朝」
     

           そばの斜面を落下する滝
          


 次の「鳥獣人物戯画(甲巻)」は、壁面に沿って長く展示されている。



 3階分くらいある大きな壁面には、ミケランジェロの「最後の審判」が

 レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」



 台湾の台北故宮博物館所蔵という「清明上河図」は、横長の展示に精密な人物などが。




 スーラ作「ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後」、アメリカのシカゴ美術館蔵と
いう。


      ルノアールの「テラスにて」
     
     
          
           ゴッホ作「糸杉と星の道」

 目をこらしてみても、何れも陶板で描いたとは思えぬ緻密な作品ばかりだった。

 8点全部を観賞し終え、観賞しながら下った往路の斜面を戻り14時45分頃退出した。

 北側を走る北山通りの街路樹は、何れも色づいている。


 北山駅に戻り、14時55分頃の地下鉄烏丸線に乗る。


 15時10分頃四条駅で下車した。京都駅からの帰路に予定の新幹線には少し時間の余
裕があるので、近くの仏光寺(ぶっこうじ)を拝観することにする。

 四条駅南口から出て、東に延びる仏光寺通りに入る。


 2つめの交差点、府立洛王小の先で右折し、長い境内に沿って南端近くまで進み、真宗
仏光寺派本山の仏光寺の山門を入る。


 仏光寺は、配流から京都に戻った親鸞が山科東野に一宇を建て、順徳天皇(在位1210
~21)から「興隆正法寺」の号を賜り勅願所となったのが始まりで、のちにこの地に移
り仏光寺と改名したらしい。

 正面に、東向に立つ大きな本堂が。


 左手に並ぶ阿弥陀堂。


 南東に建つ鐘楼。


 山門を含め、何れも豪壮な造り。精巧な木彫の施された山門を15時40分頃に出た。
     

 北側の仏光寺通りに戻ると、交差点際に仏光寺派の大行寺がある。


 境内には入れないので門前からのぞくと、仏足石碑が目に入る。



 仏光寺の横の高倉通りを北に進む。京都らしいホテルや古くからの建物や店舗が多く、
なかなか興味深い通りだ。


 四条通の百貨店・大丸前に出て、近くのビジネスホテルに16時05分頃戻り、預けた
荷物を引き取る。
 
 四条駅から地下鉄烏丸線に乗り、京都駅構内の土産店で土産物屋弁当など買い求める。


 京都駅17時33分発、ひかり660号に乗り、京都を後にした。


   1時間ほど経過した名古屋駅周辺で、買ってきた柿の葉寿司を開けて夕食とする。
     

 東京駅到着は20時12分、山手線内回りで池袋駅まで行き、西武池袋線21時発の下
り特急むさし43号に乗る。

 昨年春にデビューし特急車両Laview(ラビュー)に乗るのは、私は初めてだった。


 所沢駅で普通電車に乗り換え、21時50分頃帰宅した。

 (天気 晴、歩数 17,200)

========================================

 出かけてからちょうど1ヶ月も経過してからの投稿で、季節感がずれてしまいましたが
ご容赦を。現地は、もうすっかり葉が落ちてしまっているのではないでしょうか・・




国内旅行ランキング


にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の特別拝観と紅葉の奈良・京都へ(③京都・京都府立植物園)〈前半〉

2021-12-17 16:42:54 | 京都を歩く
 2021年11月18日(木)〈京都府立植物園へ〉〈前半〉

 宿泊した京都・四条烏丸(しじょうからすま)のビジネスホテルで6時過ぎに起床し、
7時20分頃からサービス朝食をいただいた。

 今日午前中は、昨日朝、京都駅構内の観光案内所でもらった市内の「紅葉だより」で見
頃となっていることと、さらに昨日夕方のNHK京都のローカルニュースで、紅葉する池
のライトアップ中継が放映されていた、京都府立植物園に行くことにする。

 不要な荷物をビジネスホテルに預けて8時55分にチェックアウトした。

 地下鉄四条駅から烏丸線に乗る。9時25分頃、北山駅で下車して3番出口から出た。
     

 京都府立植物園は、烏丸線が地下を走る北山通りのすぐ左手、南側一帯にあり、駅の間
近にある北山門から9時30分に入園する(一般 200円、70歳以上 無料)。


 京都府立植物園は、大正13(1924)年に開園した日本最古の公立総合植物園。総
面積約24万㎡(甲子園球場の約6個分)、植物の数は約1万2千種類あり、春は450
本の桜が咲き誇り、秋はカエデやフウなど様々な木々の紅葉がみごとだという。

 

 北山門を入った正面(南側)にはコスモスの植え込みがたくさん並び、ちょうど見頃の
花が咲き競う。






      コスモスに沿って水辺があり、その南側には噴水が上がる。
     


 コスモの南西側、ワイルドガーデンに咲く花々



 アルストロメリア




 ワイルドガーデンの南端から園路を西進し、すぐの分岐を右手へ、針葉樹林沿いに進む。
     

 針葉樹林の中ほどを過ぎた辺りに水琴窟(すいきんくつ)があり、竹筒に耳を近づける
と澄んだ水音が聞こえた。
          

     
      その先に池が北西から南東へと延びていて、水辺のモミジがよい彩りに。
          

     

     
     池の北西端近くには水車小屋があり、池からの引水で水車が回っていた。
          

 池の近くに実るアマミヒイラギモチ


      カツラの黄葉
     


 池の北西端付近を少し巡り、対岸の紅葉の彩りを眺める。







 そのあと、植物園の北西端近くの「四季 彩の丘」と呼ぶエリアに回り、東西南北に数本
ずつある遊歩道を回って木々や花などを見る。




     
 咲き出した背の高いコダチダリア。別名の皇帝ダリアで最近はあちこちで見られるよう
になった。
          

  
 メキシコや中南米、コロンビアの標高1,500~1,700mの高地が原産という。

     
 そばに咲く、やはり背の高い黄色い花はニトベギク。晩秋に咲く短日性の植物で、新渡
戸稲造が日本に導入したことに由来した名のよう。原産地はメキシコ南部から中央アメリ
カだという。

   
      クレマチスの一種で、「白雪姫」と名付けられたもの
     

           パパイヤ「台農2号」
          

 イトススキ



 周辺には、幾つかの高木が見られる。
     




 幹線園路の西端まで進み、南へカーブすると盆栽・鉢物展示場があるが、園路際からの
ぞくのみとした。


      
      近くのコブクザクラ(子福桜)が咲き出していた。
     
 八重咲きで秋から冬に咲き、一花に1~3個着果するのでこの名が付いているという。


 園路の反対側にたくさん実の付いた木が目に入る。

 モチノキ科のナナミノキ、山城原野依存の天然木で隔年結実の傾向があるようだ。
     
     少し異なる2本の木があり、雌雄対になっているという。

 その先は、春先には450本の花が咲き誇るという桜林だが、いまは葉が落ちて枯れ枝。



 桜林の南西側に見えてきたドームは観覧温室。


 入口近くには、平成11(1999)年のちょうど今頃来園された、現在の上皇さまご
夫妻の行幸啓記念碑がある。


 入室には温室観覧券(200円)が必要だが、70歳以上は無料、11時25分頃入館
した。

 観覧温室は、最大の高さ約15m、延べ床面積約4,700㎡あり、約4,500種類、
約25,000株の植物を展示していて、日本最大級の規模と植物数を誇るとか。

 内部は10のゾーンや部屋に分かれていて、熱帯地域をはじめ、湿潤地帯や乾燥地帯、
低地から高山にいたるまで、様々な環境に生育する植物が観察できるという。

 
 中央部のエントランスホールに入室し、左手の一番広いジャングル室を経て、有用作物
室からラン・アナナス室まで、順路に従い一巡した。


 まずはアーチをくぐり観覧温室へ。ここは1階から2階へとループ上に順路がある。

      ニンフェア
     

           ヒメショウジョウヤシ
          



     


 日本の水草

      センナリバナナ
     

 有用作物室へ


      チャボディアスプレンデンス
     


               
      冷房室を抜けると砂漠サバンナ室
     

 金鯱(きんしゃち)


 昼夜逆転室は入室できず、高山植物室へ。花はほとんど見られなかった。


 最後はラン・アナナス室になる。


      フリーセアアーティスト
     

      ユメレタサギタタ
     

           クレマチススミラキフォリア
          

 ほかの観覧者よりゆっくりと巡ったので、ほぼ1時間近くかけて観覧し、12時19分
頃退室した。この時期だったからか、期待したほど花は無かったように感じた。〈続く〉




国内旅行ランキング


にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の特別拝観と紅葉の奈良・京都へ(②京都・東福寺と泉涌寺)〈後半〉

2021-12-12 18:36:31 | 京都を歩く
 2021年11月17日(水)〈後半・泉涌寺へ〉



 午前中の東福寺の拝観と昼食を終えて東福寺駅近くまで戻り、東大路通りを駅とは反対
の東北に向かう。

 京都第一赤十字病院前を通過し、泉涌寺道(せんにゅうじみち)交差点で東大路通りと
分かれ、住宅の増えた通りを緩やかに上がりながら東進する。

 その突き当たりに、泉涌寺の総門が見えてきた。


 すぐ手前左手は、泉涌寺の塔頭(たっちゅう)のひとつで京都七福神第一番・福禄寿を
祭る即成院(そくじょういん)である。

 門前の立札を見ると、なかなか興味深そうな寺だが、拝観の時間は無さそうなので省き、
泉涌寺の寺域に入った。





 常緑広葉樹に覆われた参道を進むと、右手に泉涌寺塔頭のひとつ法音院の山門が。

 創建は鎌倉末期の嘉暦元(1326)年だが応仁の乱で焼失し、寛文5(1665)年
に再建されたとか。書院は伏見桃山城の遺構の一部のようだ。

 洛陽三十三観音霊場第二十五番札所で、泉涌寺七福神の寿老人を祭るという。
     
 ここも、門前から正面をのぞくのみとした。

 さらに進むと。左手には戒光寺(かいこうじ)がある。

 やはり泉涌寺の塔頭のひとつで、安貞2(1228)年に八条大宮に創建され、後堀河
天皇の勅願所になったよう。現在地に再興されたのは正保2(1645)年とか。

 重要文化財の本尊釈迦如来像は運慶・湛慶父子の合作による極彩色の木彫の大仏で、鎌
倉時代の代表作であり台座を含めて約10mあるという。

 その先、左手を下ったところには、泉涌寺の塔頭で純別格本山の新善光寺の山門や大屋
根の本堂が望まれる。

 寛元元(1243)年の創立で、本尊は信州善光寺と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の
作だという。


 さらに樹林に覆われた参道を進む。西国三十三観音第十五番札所の今熊野観音寺の門前
や、後堀河天皇陵、孝明天皇陵などへの入口のすぐ先が、目的地、泉涌寺の大門である。




 泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山。皇室との関わりが深いので「御寺(みてら)」と
して親しまれているという。

 平安時代に弘法大師により営まれた草案が起こりで、建保6(1218)年に宋(中国)
から帰朝した月輪大師の寄進で大伽藍が整えられ、その際、境内に泉が湧き出たことにち
なみ泉涌寺と改められたとか。

 仁治3(1242)年の四条天皇をはじめ、歴代の多くの天皇の葬儀が行われ、寺内に
御陵が営まれており、皇室の香華院(菩提所)として厚い崇敬を受けてきたという。

 14時27分頃に大門をくぐり、そばの受付で仏殿と舎利殿の伽藍拝観券(500円)
を求めた。

 仏殿と舎利殿拝観の前に、大門を入ってすぐ左手の楊貴妃(ようきひ)観音堂を参拝す
ることにした。

 お堂はそう大きくはないが、横のモミジがよい彩りを見せている。
         

 大門からは少し下リ坂となっていて、右手に浴室↓があり、その先正面が仏殿である。



 重要文化財の仏殿は、寛文8(1668)年に4代将軍徳川家綱の再建。本尊は鎌倉時
代の代表的な仏師・運慶作の「三世三尊仏」で、左手の阿弥陀如来は現在、中央の釈迦如
来は過去、右の弥勒如来は未来の守護神として、三世にわたる人類の平安と幸福を祈念し
ているという。

 堂内は拝観したが撮影禁止なので、もらった4つ折りリーフレットから三尊仏を。


 次に背後の舎利殿に回ったが堂内の拝観はできず、正面から拝礼するのみだった。

 舎利殿は、お釈迦様の遺骨である「仏舎利」を納める貴重な霊殿。ここに納められてい
るのは印度、兜率天(とそつてん)、中国に伝わった不可思議な仏舎利で、釈迦の歯にあ
たり、説法をされる口にあることから特に尊い舎利といわれているようだ。

 ちなみに、「兜率天」とは仏教の世界観における天界の一つのことだという。


 この後、舎利殿の北側、山すそにある御座所とその庭園を拝観することにした(拝観料
300円)。


 皇族や天皇の勅使が寺を訪れたときに開かれる勅使門↑の前を進み、左手の門をくぐる。


 右手に見える檜皮葺き(ひわだぶき)の建物は勅使門の奥の「御車(みくるま)寄せ」
で、屋根の破風には菊のご紋の飾り板が付いている。


      御座所の玄関を入ると、菊の花などが飾られていた。
     

 御座所は、皇族が東南にある御陵や、霊名殿などへの参拝の際の御休息の場所。建物は
京都御所にあった皇后の御里(おさと)御殿が下賜されて、明治17(1884)年に移
築・再建されたとか。

 建物内は6つの部屋に分かれていて、南側の庭園に面して「侍従の間」「勅使の間」
「玉座の間」が、北側に「女官の間」「門跡の間」「皇族の間」になっている。

 玉座の間は一段高くなっていて、特徴ある違い棚があり、6つの部屋は撮影禁止だった
が、庭園と一部のふすま絵などは撮影可能だったので、それらの一部を紹介する。



 庭園のあちこちに植え込まれたモミジが、ちょうど見頃だった。


     



     

 この雪見灯籠は仙洞御所から移されたようで、桂離宮のものとともに雪見灯籠の双璧と
称されているという。








     











 御座所内部と庭園の拝観を終えて門を出た。南側の砂利敷の広場の一角には、よしず張
りの小屋が建てられ、京都菊花会による菊花展を開催中だったので、一巡して観覧した。



 右手の多くは樹木仕立ての作品だが、色彩豊富で見応えがある。












     










 仏殿横から緩やかに上がって大門に戻り、15時27分頃に大門を出た。

 往路の境内を西北へと戻って総門を抜け、東大路通りの泉涌寺前バス停から間もなく来
たバスに乗り、京都駅前バス停に16時10分頃着いた。


 京都駅北口の地下街で小休止後、2階のコインロッカーに預けた荷物を引き取り、地下
鉄烏丸線に乗り四条駅で下車する。

 今夜の宿は近くのビジネスホテルで、何度か利用しているおなじみの宿。17時25分
頃到着した。


 2時間近く部屋で休憩後、夕食に出かけることにした。四条烏丸交差点際のビル地階に
ある「博多もつ鍋やまや」に入り、白もつ鍋と生ビールを注文して夕食とした。


     





 20時10分過ぎ、ビジネスホテルに戻る。

(天気 晴、歩数 17,200)




国内旅行ランキング


にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の特別拝観と紅葉の奈良・京都へ(②京都・東福寺と泉涌寺)〈前半〉

2021-12-10 10:05:10 | 京都を歩く
 2021年11月17日(水)〈前半・東福寺へ〉

 近鉄奈良駅近くのビジネスホテルで6時頃起床し、7時過ぎからホテルでのサービス朝
食を済ませる。8時45分にチェックアウトして、宿の前で大宮通りの信号を渡り近鉄奈
良駅に行く。

 間もなく発車の京都行き特急電車に空席があるようなので、急ぎ特急券を買い2両編成
の特急電車に乗車した。近鉄の特急電車に乗るのは初めてかもしれない。





 東側の沿線風景などを眺めているうちに木津川↓を渡って京都府内に入り、定刻の9時
37分に京都駅に着いた。


 今日最初の目的地は、モミジの名所として知られる東福寺である。

 京都駅2階のロッカールームに不要な荷物を預け、駅構内の観光案内所でパンフレット
などを集めた後、北口駅前のバス停に回ったが、乗ろうとした東福寺方面へのバスが見て
いる前で発車してしまったのでJRで行くことにする。


 JR京都駅8番ホームに回り、10時33分発奈良行みやこ路(じ)快速電車に乗る。


 ひと駅なので、10時37分に東福寺駅に着く。前方改札から東側に平行する京阪電車
の東福寺駅改札前に回って駅を出た。


 東南方向に4~5回左右折して東福寺の北側から境内に入り、紅葉を眺める場所のひと
つとして知られる臥雲橋〈がうんきょう〉へ。

 駅から途切れなく続いていた観光客の多くが、まずは屋根のかかったこの橋から観覧し
ていた。


 東側に、この後渡る通天橋や方丈などが望まれ、その周辺をモミジで埋め尽くされてい
るが、最盛期はもう少し先かと思われる。


 それでも見頃の木々もかなりあり、皆さんじっくりと観賞していた。

 ちなみに、東福寺のサイトを確認したら、1週間後の11月25日(木)頃が一番見頃
だったよう。

 また、12月1日(水)のBS朝日「京都ぶらり歴史探訪」で、紅葉の名所のひとつと
して紹介していた、臥雲橋からの最盛期の様子。



 臥雲橋を抜けて境内を南進すると、両側のモミジもよい彩りを見せていた。


     


 境内中央部の日下門(くさかもん)↓を入る。上は日下門のそばにあった境内図。方位
では左が北、下が西、右が南、上が東になる。



 臨済宗大本山の東福寺は、摂政九條道家が、奈良で最大の寺院である東大寺に比べ、ま
た奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願から「東」と「福」の字を取り、
京都最大の大伽藍を造営したようで、嘉禎2(1236)年から建長7(1255年)ま
で19年を費やして完成したという。

 境内には幾つもの堂宇があるが、そのうち近くの法堂(はっとう)と三門(さんもん)
が特別公開中なので、三門のみ拝観することにした(拝観料1000円)
     

 国宝の三門は、高さ22m、横22.5mあり、そのどっしりとした構えに圧倒される。

 三門は、「山門」と記すところもあるが、東福寺の門は五間三戸、つまり柱と柱の間が
5つで門扉が3つあることから「三門」と表すのだという。

 これは「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無作門(むさもん)」を意味
していて、悟りに通ずるために通らなければならないとされる三つの解脱(げだつ)の境
地だと言われているようだ。

 日下門の東南にある禅堂


 手前の法堂の横を進んで三門に行き、60度以上はありそうな急階段を上がって回廊を
一周し、まずは京都市南部の風景を眺めた。

 そのあと内陣を拝観する。内陣中央には宝冠釈迦如来像が、その脇侍として右に善財童
子(ぜんざいどうじ)、左に月蓋長者(げつがいちょうじゃ)が控える。

 さらにその左右に、お釈迦さまを囲むように弟子の十六羅漢像が並んでいた。いずれも
室町時代初期に造られたと伝えられているようだ。天井には極彩色で天上世界が描かれて
いるが、堂内はもとより周辺の風景を含めて撮影禁止だった。

 12月1日のBS朝日「京都ぶらり歴史探訪」で放映されていた堂内の様子の一部。








 三門の階下に立ち並ぶ太い柱群


 北側の法堂↓は東福寺の本堂にあたり、明治14(1881)年に仏殿と法堂が焼失し
た後、昭和9(1934)年に仏殿兼法堂として再建されたとか。

 高さ25.5m、間口41.4mという大きな建物は、昭和の木造建築中では最大だと
いう。

 法堂も特別公開中だが拝観はせず、正面の扉の隙間から少しだけのぞいてみた。

          
 そのわずかな隙間からは、正面に本尊の釈迦如来立像↑を拝観でき、天井に描かれてい
た堂本印象作の蒼龍図の一部↓も撮ることができた。
          


 この後は、庫裡↑の横や方丈の勅使門↓の前を進んで、通天橋庭園と普門院庭園を拝観
することにした(拝観料600円?)。


 まずは通天橋と最初に見た臥雲橋との間に広がる通天橋庭園を一巡する。


     


 まだ早めの木も多いが、かなりのモミジがよい彩りを見せていた。


 この後回る通天橋周辺。


     

          

     

     

 北側にあるのは愛染堂。中には、鎌倉時代制作の愛染明王座像を安置しているという。


 南東側の法堂



 通天橋の北端から回廊を少し上がり、普門院の門から開山堂とその前に広がる庭園を眺
める。




 回廊から通天橋へ戻る途中からの法堂(手前)と三門(奥)



 通天橋を入口の方に向かって進みながら、両側にびっしりと並ぶモミジの彩りを眺めた。


     

 橋の途中には、三笠宮同妃両殿下、高松宮同妃両殿下、それに秩父宮妃殿下各々の記念
植樹のモミジもある。


 主な見どころを一巡して拝観を終えたので、12時20分頃に日下門を出た。


 すぐ先、北西側にあるのが東福寺五塔頭(たっちゅう)のひとつ、天得院(てんとくい
ん)。ここも今日まで特別公開中だったので、拝観することにした(拝観料1000円)。
    

 ちなみに塔頭とは、寺院中で大きな寺のいわば寺内寺院。とくに禅寺では高僧の基所に
建てられた塔,またその塔を守るための庵などのことをいう。


 山門から内部は撮影禁止だったが、「桔梗(ききょう)の寺」や「花の寺」として知ら
れ、スギゴケやモミジなどのきれいな桃山時代に作庭されたという枯山水庭園などを、
20分近く鑑賞した。



 12時40分を過ぎたので天得院の北側にあった食事処に入り、庭先の床机で「生ゆば
うどんと松茸ご飯(1100円)」の昼食をした。




 13時20分近くに食事処を出た。午後は、南東側近くにある泉涌寺(せんにゅうじ)
に行くことにする。


 臥雲橋を戻って少し進むと、塔頭のひとつ同聚院の門前に「御開帳 土力〈どりき〉不動
尊」の標示があり、入口周辺にたくさんの白バラが咲き競う。





      その先、龍眼庵周辺のモミジがよい彩り。
          

 左右折を3度した先にあるのが、東福寺の塔頭のひとつ退耕庵(たいこうあん)。

 豊臣秀吉の没後、石田三成や宇喜多秀家らが関ヶ原の戦いの謀議を行ったと伝えられて
いて、慶応4年の鳥羽伏見の戦いでは、長州藩の陣が東福寺に置かれたことから、当庵は
その戦いの殉難者の菩提所となっているという。
     


 山門から少しだけ入れたのでの入り、モミジなどを眺めた。


 東福寺駅近くまで戻り、東大路通りを駅方向とは反対の東北に向かう〈続く〉




国内旅行ランキング


にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平洋戦争の開戦から80年、当日の新聞から

2021-12-08 18:36:10 | アーカイブ
 2021年12月8日(水)

 今日は、日本がアメリカやイギリスなどを相手に戦争を開始した太平洋戦争の開戦の日
から80年になります。

 わが家には、父が保存してくれた当日の東京日日新聞(現在の毎日新聞)が残っている
ので、その全面を紹介します。

 80年も過ぎているので紙面が変色しており、また現在の当用漢字とは違い難しい旧漢
字であり、紙面も縮小して小さいので読みにくいかもしれませんが、当時の雰囲気を感じ
てもら得ればと思い、まずは紙面全面の4頁文を。

  1面
 

  2面
 

  3面
 

  4面
 

 12月9日の夕刊になっていますが、12月8日発行とも括弧書きされています。

 これら各頁の上部を切り取ってのが、以下の4枚です。

 1面

 下部の地名のうち、新嘉坡はシンガポール、布哇はハワイ、比島はフィリピン、馬来半
島はマレー半島のことです。

 2面


 3面


 4面
 

 私は幼児だったので、開戦の日のことは全く覚えていませんが、わが家でも、翌年秋だ
ったかに胸の病気で勤めていた横須賀海軍工廠を退職して、埼玉県中部の寒村が生家だっ
た伯父一家の家に同居して厄介になっていた30代末期の父が、昭和19(1944)年
2月には招集されて、海軍下士官としてシンガポールに派遣されました。

 幸いなことに激しい戦闘には遭遇しなかったようで、敗戦とともに英軍の捕虜になった
ものの、英軍の扱いは友好的だったと聞いており、敗戦から1年後の昭和21(1946)
年夏に帰還することができました。

 一方、世話になった伯父の家の20代前半だった長男は陸軍軍人として招集され、南太
平洋のハルマヘラ島に送られて、補給の途絶えた前線で厳しい食糧事情に遭遇したと思わ
れ、戦病死して帰らぬ人となりました。

 なお、従兄の派遣されたハルマヘラ島には、映画俳優の池辺良さんも見習士官として中
国戦線から転戦されたようで、悲惨な現地のことなどを記したという「ハルマヘラ・メモ
リー」(中公文庫)を出版したことを知り、読もうと思いながらまだ果たしておりません。 

 太平洋戦争は開戦から4年8ヶ月余りに及び、昭和20(1945)年9月15日に敗
戦という形で終結しました。

 この戦争での犠牲者は、戦闘員が約230万人、民間人が約80万人と言われています。

 国民はこの戦争により大きな損失や被害、困難におちいり、戦死された方や空襲で亡く
なった家族の方などは、その後も長く深い悲しみに暮れています。

 このような悲惨な戦争は2度とくり返してはならないと考え、今月に入りNHKをはじ
め放送、新聞などでは回顧の報道が多数なされています。

 開戦の日を知る人も少なくなり、歴史の彼方に埋もれてしまいそうな開戦の日ですが、
もう一度ふり返り、いつまでも戦争のない日の続くことを祈りたいと思い紹介しました。




人気ブログランキング


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする