あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

この1年、ありがとうございました

2007-12-31 21:02:19 | Weblog
 この1年、当ブログをご覧いただき、ありがとうござ
いました。

 お陰様でブログ2年目も、元気にあちこちを歩かせ
ていただき、そのウオーキング模様を中心に、ご報告
することができました。

 今月、12月1日から30日まで、ご覧いただいたの
は、延べIP数5,149、総閲覧数13,465の皆さん
(1日平均171 IP、閲覧数448)でした。
 厚く御礼申し上げます

 2008年も、分かりやすい、読みやすい、見やすい
ブログづくりに努力しますので、引き続きご覧下さり、
ご支援下さいますよう、お願いいたします。

 皆さんにとって、2008年がよい年となりますよう、
お祈り申し上げ、今年の締めとさせていただきます
コメント (2)
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山手線一周ウオーク(2004年)後半

2007-12-31 19:02:55 | 江戸・東京を歩く
 2004年12月30日(木)午後

 昼食後、明治神宮本殿に参拝し記念撮影する。

 新年の参拝に備え、大きな賽銭(さいせん)箱が拝
殿の前に出来ている。板張りだが、水を入れれば
プールになりそうな大きさだ。

 うっそうたる神宮の森を南東に抜け、原宿駅の南
側に出る。駅には寄らずに進んでいったので、急い
で陸橋上からホームを撮った。

 線路に沿って西側の緩い坂を下る。右手には、東京
オリンピック会場だった第1体育館、第2体育館、
職員の不祥事で話題のNHK放送センターなどが見
える。

 中ほどでガードをくぐって線路の東側に回り、線路
沿いの宮下公園を抜けて渋谷駅東口へ。

 ここも多い人通りを避けながら進んで、玉川通りを
地下通路で越える。

 新南口を過ぎ、山手線と東急東横線の間を南に進
み、東横線が山手線をオーバークロスした先でガード
をくぐり、西側の通りを恵比寿駅北口に出る。

 駅ビルに入って東に回り、スカイウオークと呼ぶ
歩く歩道に沿って進み、恵比寿ガーデンプレイスに
入る。

 ここは、恵比寿ビールの工場跡。現在は、ビヤステ
ーション恵比寿、恵比寿ガーデンプレイスタワー、
東京都写真美術館などのビルが並び、人出も多い。

 写真美術館の南で陸橋を渡り、目黒三田通りを進
んで目黒駅西口へ。

 中央口から東側に回り、線路沿いに花房山通りを
緩やかに下る。

 高速目黒線ガード下を通過し、国道1号線を横断
歩道で渡ると五反田駅東口。駅の先でガードをくぐ
り目黒川右岸の遊歩道を進む。日が傾き日陰は風が
冷たくなった。

 途中から右折して山手通に出て大崎駅へ。新しい
南口の横からゲートシティ大崎の高層ビルに入り、
トイレ休憩する。

 ゲートシティ大崎は、山手線内側で20世紀最大最後
の市街地開発事業で出来た街。ツインタワーとその
間の低層レストラン街からなる複合ビルである。

 大崎駅の南東には山手線の電車基地があり、大崎駅
から引き込み線が延び、規模は、もう一つの電車基地
・池袋をしのいでいる。

 ゲートシティを出て、目黒川の森永橋を渡り川沿い
に少し進む。居木橋手前で左折し、御殿山中通の坂を
上がる。

 この辺りは立派な屋敷が並ぶ高級住宅街。山手線は
この南側で急カーブを描いて、南南東から北に向きを
変える。

 途中、Eさんの携帯にMさんから電話。どうやらゲー
トシティに置いてきたらしい。電車で品川へ向かう
よう連絡する。

 緑の多い御殿山ヒルズの中を抜け、国道15号・八ッ
山通りへ。八ッ山橋まで進んで少し戻り、山手、東海
道、京浜東北、東海道新幹線などの線路を陸橋で越え、
京浜急行の踏切も渡って東側に出た。

 右手には、品川インターシティと呼ぶ新しい高層
ビル群が並ぶ。高層ビルは3棟、ほかにホール棟も
あり、これらと品川駅東口はスカイウェイと呼ぶ
歩行者専用の陸橋で結ばれている。

 ここはもと東海道新幹線の基地跡。品川駅東口の
ビルが私の職場だった1992年ころは、まだ線路
が残っていたのを思い出す。

 スカイウェイを進んで品川駅東口へ。通勤してい
た当時、朝のラッシュ時は4~5分かけてうす暗い
地下道を通って東口改札に出たのだが、東海道新幹
線の駅も出来て、すっかりさま変わりした。

 その幅広い駅構内を西側の高輪口に出て、第1京浜
・国道15号を北に向かう。日が陰りかなり寒くなった。

 都営地下鉄泉岳寺駅そばの交差点を左折して、
200mほど西の泉岳寺に寄り、赤穂義士の墓に
参拝。年末だが参詣者が多く、線香の煙が沢山上
がっていた。

 国道に戻り、高輪郵便局や三田警察署前を進んで
田町駅に入る。

 改札前を通過して東側に出て左折、東京モノレール
の下を進む。

 東芝ビルの横から階段を上がり、屋根のかかった
通路を通って浜松町駅に入る。

 改札前を西に抜け、貿易センター内に入りトイレ休憩。

 風邪のため来るのをためらっていたというWさんが、
顔一杯のマスクをしてここから参加する。

 駅北口のガードをくぐり再び東に出て、線路沿いの
比較的新しい道を北に向かう。右から来たモノレール
・ゆりかもめの下を行くと、新しい超高層ビルの並ぶ
汐留シオサイトである。

 旧国鉄汐留貨物駅跡地31haを利用した都内最大の
再開発都市。完成する来年には、高層ビル13棟が並び、
昼間人口6万1千人の都市が生まれるという。

 シオサイトの2階部分を結ぶ歩道を進み、ゆりかも
め新橋駅を経て新橋駅東口に着く。

 夕方のラッシュが近づき、だいぶ人混みも増えて
きた。オッパーさんと駅名を撮ろうと構内に入ったら、
皆さんの姿が見えなくなった。

 西口に抜けたが分からない。北側のガード際まで行
ったら、向こう側を進んで右折した一行が見えたので、
急ぎ後を追う。

 次の有楽町駅までは線路沿いに行く。17時近くなり、
かなり暗くなった。北口のビックカメラ(以前はそご
うデパート)横を北に進み、少し先で左折して丸の内
仲通りに出る。

 この通りは年末恒例、「東京ミレナリオ」の会場。
1999年から始まったもので、過去5回で1200万人
の来場者があったとか。

 電飾される光の回廊は400mにわたり続いている。
それを見ようと付近はたくさんの人の波でごった返す。
だが、点灯は17時半とのことで、残念ながらわれわれ
は見られない。


 装飾だけを眺めて東京駅丸の内南口へ。赤レンガ
造りの駅舎はライトアップされ、暗い夜空に重厚な姿
を見せている。

 やはりミレナリオを見物の人々で混雑する中を北口
に抜け、線路沿いの中央線高架下を進む。大手町で
ガードの東に出て、日本橋川を渡る。

 線路沿いの細道を行くと、線路下に飲食店が増え、
ほどなく神田駅である。

 北口ガード下を斜めに抜ける通りはおなじみ中山道、
日本橋は後方1㎞にある。その中山道を横断し、線路
東側の薄暗い細道を進む。

 神田川の細い橋を渡り、すぐ先の通りをガードで西
に抜けると、電気街のきらびやかな照明が輝き、北側
に秋葉原駅が見えた。


 駅構内を北に抜け、やっちゃば(都の野菜青果市場)
跡に出来た高層ビルの横を線路沿いに行けば、最後の
駅、御徒町だ。

 年末の買い物客でごった返す駅周辺、アメ横には入
らず、松阪屋の角から中央通りへ。

 会社の宴会に向かうというWさんと京成上野駅で別
れ、17時55分、上野駅不忍口にゴールした。

 歩行時間は9時間50分。現在、電車に乗れば約62分
で1周できるという。

 10倍近い時間はかかったが、歩いたことにより新し
い東京や、古い江戸の名残などをたくさん見ることが
出来た。

 帰宅するMさんにも分かれ、残りのメンバーは、近く
のカラオケ店「おいしんぼう・パセラ」に上がる。

 2時間あまり、山手線一周の感想や中山道など、
今年のウオークを振り返り、にぎやかに年末のひと
ときを過ごした。
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山手線一周ウオーク(2004年)前半

2007-12-30 22:55:36 | 江戸・東京を歩く
 今日、12月30日、毎年中山道を歩いているメンバ
ーを中心に、Nさんの企画で東京のJR山手線一周
ウオークが開催されました。

 私は今年は不参加だったので、2004年12月
30日に実施した、初回の模様を振りかえることに
します。

 全文では長いので、午前中の前半と午後の後半
とに分けました。

 なお、写真は主に駅しか撮ってないので、見栄え
がいまひとつですが、ご容赦ください。

=====================
 
 2004年12月30日(木)


 
 8時前、上野駅公園口を出た東京都文化会館前に
着いたら、すでにNさんのリードでストレッチ体操中
だった。

 参加者は首都圏の10~15人くらいかと思って来て
みたら、26人も集まっていた。

 鹿児島のMさん、多賀城のWさん、春日井のMご
夫妻、安城のNご夫妻など、遠方の方のお顔も見え、
一方、昨日の雪の中、東京都ウオーキング協会の
山手線一周にも参加したという、かめさんことAさん、
オッパーさんことKさんは連日の山手線一周になる。

 Nさんから詳細な行程表が配られた。コースは、反
時計回りに池袋、新宿、渋谷方面に向かう。

 8時5分に上野駅前を出発、上野公園から東京国
立博物館の東を抜ける。日かげには昨日の雪が残り、
凍って滑りそうなので注意が必要。

 スタート直後から先頭のペースは早い。見失わな
いように急いで後を追う。忍岡中の横を通って鶯谷
駅へ。

 今日は各駅の改札口を確認して進むというので、
まず鶯谷駅の改札に触れる。私はほかに、全駅の
写真を撮ることにした。


 東京国立博物館の北側から、寛永寺や東京芸大
横を経て谷中霊園に入る。東京都の三大霊園の一
つで、広さ約10万㎡、ここには、徳川慶喜、渋沢
栄一、横山大観、長谷川一夫など、著名人の墓が
ある。霊園の中央、桜並木の道を北に進む。


 日暮里駅北口に出て、横断する通りを少し西へ、
お寺の角を回って北に向かう。

 西側からホームを見下ろしながら西日暮里駅北
側に下る。

 日暮里~西日暮里間0・5㎞は山手線駅間の
最短距離だ。


 さらに線路の西側を進んで田端駅へ。駅北側の
新田端大橋際から南東に少しで右折、田端高台通
りを富士見橋際まで進む。

 山手線は田端駅を出ると大きく90度近いカーブを
描き、この富士見橋から南西に方角を変えている。

 富士見橋の手前、線路の南側に沿って、堀割に
なっている山手線線路を見下ろしながら駒込駅へ
向かい、南口で最初のトイレ休憩。


 駅の西側、本郷通を南に、次の交差点を西に入
り、名勝・六義園(りくぎえん)の北側を白山通りまで
進む。

 六義園は、五代将軍綱吉の信任厚かった柳沢吉
保が築造した回遊式庭園。現在は都立公園になっ
ている。

 白山通りは、おなじみの中山道・国道17号である。


 中山道を巣鴨駅西口まで行き、線路の北側を左折、
線路際の狭い道を進む。緩い坂を下って都電荒川
線横を南に、ガードをくぐって大塚駅南口に出る。

 東京にただ一つ残る都電荒川線は、荒川区三ノ
輪を起点に、町屋、王子、ここ大塚を経て、終点
早稲田までの12・2㎞を走っている。

 都電の線路に沿った道を南西に、都電向原駅まで
進み、国道254号・春日通りと、明治通りを経由して
池袋駅東口へ。

 西北の一大ターミナルで駅前の人出も多い。

 さらに明治通りを南下、途中で右側の細道を抜け
て目白通りへ。

 目白駅北口で2度目のトイレ休憩。休んでいると
風が少し冷たい。駅と、樹木の多い学習院の間を
学習院下へ下り、新目白通りと神田川を越えて
高田馬場駅へ。


 駅北側の早稲田通りを西に回り、線路沿いを南
下する。桜の多い西戸山公園の横を通過、大久保
通りで新大久保駅北側を東に抜ける。


 線路から東に300mほどの細い通りを南に進む
と職安通り。韓国系の店がたくさん並び、ハングル
文字の看板が多い。線路の近くを南に、西武新宿
駅の横に出た。


 靖国通りの大ガードを西に、新宿駅西口へ。
中央線、総武線、小田急線、京王線、東京メトロ
丸の内線、都営新宿線、大江戸線などが集まり、
前年の1日平均乗降客は74万6千人。日本一の
大ターミナルである。

 国道20号・甲州街道を横断、JR東日本ビルの横
や小田急線踏切を越えると代々木駅前に出る。


 線路西側を進んで北参道入口から明治神宮境内
に入った。玉砂利の北参道を進んで、参集殿のそ
ばにある休憩所に11時52分に着いた。

 軽食堂に入り昼食。予定外と思われる多人数の
注文で、ご飯が品切れになった。  (後半に続く)


コメント (3)
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四国遍路での昼食地(6)

2007-12-29 23:26:44 | 四国遍路あれこれ


【後半8日目】初回は2004年11月、標高780m
の山上にある60番横峰寺を目指し、東側の温泉
旅館京屋別館から平野林道を上がり、奥の院から
石鎚山も拝礼して、同じ道を下り、京屋別館でうど
ん定食を食べました。

 このときは、2004年夏の台風被害で北側の61
番香園寺や62番宝寿寺からの遍路道が通行不能
になっていて、平野林道以外に上り道がありません
でした。

 2回目は、62番宝寿寺に近いビジネス旅館小松
でおにぎり弁当を作ってもらい、61番横峰寺に参拝
後、初回コースと同じ平野林道に下る途中、水場の
そばにあった木のベンチでいただきました。

 とても大きいおにぎりで、2つでも十分でした。


【後半9日目】初回では、64番前神寺から65番
三角寺への途中、宮原町のスーパー・バリューで
弁当を求め、日曜で児童の居ない関川小に入り、
校門のそばにあった石づくりのベンチとイスを借り
ていただきました。

 石のベンチの向こうは、太い桜の木です。

 2回目も、64番前神寺と65番三角寺の途中、
池田の国道11号にあったスーパーM2の弁当を、
四国中央市の心光寺境内で食べました。


【後半10日目】初回は、伊予三島駅前通の旅館を
出発し、国道11号バイパスのコンビニ・サークルK
で買った弁当を、65番三角寺を経て、別格霊場14
番・椿堂のベンチで食べました。

 2回目の際も、初回と同じ国道11号のサークルK
の弁当を、やはり初回同様、別格霊場椿堂で。
上は本堂、下は新しい大師堂です。

 この日は雨が落ちてきたので、本堂屋根下のベン
チで雨を避けながらの昼食でした。

【後半第11日】初回には、歩き遍路に人気の民宿
岡田で、お接待のおむすびをいただき、88カ所で
1番高所にある66番雲辺寺を経て、北に下って
67番大興寺のベンチでの昼食でした。


 2回目は、65番三角寺から66番へ向かう途中で、
1日ひにちをのばし、徳島県三好市の540mの山上
にある別格霊場15番箸蔵寺に参拝しました。

 参拝後、ロープウェイ下の駅のそばにあった「さぬき
うどんさぬきや」で、定食を注文、ボリューム満点で
した。

 店の前の看板は630円だったのに、なぜかレジで
は680円でした。

【後半第12日】初回は、弥谷山の山腹にある71番
弥谷寺に参拝、遍路道の途中にあった小さい池の
ほとりで。

 JR高瀬駅近くの国道11号にあったコンビニ・ポプ
ラで購入の弁当を広げました。

 2回目は、別格・箸蔵寺に回ったので1日遅れとな
り、民宿岡田お接待のおにぎりを、68番雲辺寺から
北に下がって回った別格16番、萩原寺境内のイス
でいただきました。


【後半13日目】初回は、前日とこの日、弘法大師
空海生誕地の75番善通寺宿坊に連泊し、この日は
休養日とし、民宿岡田で一緒だった4人の歩き遍路
の皆さんと、金刀比羅宮や満濃池に回りました。

 昼食は、金刀比羅宮参道にあった2軒並ぶさぬき
うどんの店のひとつで、うどんセット(800円)を食べ
ました。

 うどんのつゆが無くて、醤油を適量かけてたべる
ようになっているのですが、やはりつゆがあった方
がよいと感じたものでした。

 2回目は、初回の12日目と同じ、71番弥谷寺に
参拝後、遍路道の途中の小さい池で、国道11号に
あったスーパー・マルナカ購入の弁当を食べました。


【後半14日目】初回、77番道隆寺から78番郷昭寺
へ向かう途中の、丸亀市の中心街にあった手打ち
うどんの店「つづみ」にて、力うどんの中もり(410円)。
腰の強い、おいしいうどんでした。

 中心街を抜けると、土器川を渡ります。写真は土器
川からの讃岐富士。


 2回目も初回同様、75番善通寺宿坊に連泊して、
中間の休養日に、満濃池と金刀比羅宮に参拝しま
した。

 参拝後、金刀比羅宮参道にあった2軒のうどん店
のうち、初回とは別の店での、さぬきうどん(750円)
が昼食でした。  

 手前が今回、旗の向こう側の店が、初回の時の
13日目に入ったうどん店です。      (続く)
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『21世紀の朝鮮通信使を歩く』発刊

2007-12-28 23:23:59 | ウオーキング
 12月19日(水)22時からNHK総合TVで放映され
た、「対馬藩・決死の国書すり替え」という、朝鮮通信
使秘話をご覧になった方も多いかと思います。

 今年は、江戸時代初期の1607年に朝鮮通信使
が来日してから400年になります。以後、朝鮮通信
使は、1811年まで12回にわたり来訪しました。

 この節目の年を記念して、往時の日朝交流をしの
ぶ「21世紀の朝鮮通信使ソウル-東京友情ウオー
ク」が実施されました。

 今年4月1日にソウルをスタートし、釜山までの韓国
内514㎞を歩き、釜山から対馬を経由して博多まで
高速船で移動、博多から大阪までバスで移動し、大阪
から東京までの日本国内621㎞、計1129㎞を歩き、
日韓両国の善隣友好の和を広げました。

 この友情ウオークの記録が、もと朝日新聞カメラマ
ンの金井三喜雄さんの編著により12月21日に刊行
されました。



 全行程を1日4頁ずつの文章と写真で記録した「韓国
・日本の道中記」と「通信使よもやま話・韓国編」を金井
三喜雄さんが、「朝鮮通信使早わかり」と「Q&Aで学ぶ
朝鮮通信使」、「通信使よもやま話・日本編」を、桜美林
大講師の井上幹夫さんが執筆しています。

 ほかに、カントリーウオーカー山浦正昭さんの「旅の
道中絵図」や、韓国の崔悳春さんと日本の大津武士
さんが相手国をスケッチした「道中スケッチ対決」、在
日韓国人の康静春さんと李恵美子さんの「女朝鮮通信
使膝栗毛」などが掲載されています。



 編著・撮影 金井三喜雄、B5版263頁 角川グル
ープパブリッシング発行 本体1700円 

 メンバーの多くは、私も毎年部分的ながら参加して
いる中山道ウオークでおなじみの方々。私も国内の
行程中、5月11日の清水~吉原(32㎞)と、最終日
の5月18日の川崎~東京(皇居前)(20㎞)に参加
し、当ブログでも紹介しました。

 当日の模様は下記をご覧下さい。

〈5月11日分〉
http://blog.goo.ne.jp/saikoroat/d/20070514

〈5月16日分〉
http://blog.goo.ne.jp/saikoroat/d/20070516

 なお、朝鮮通信使についは、岩波新書から9月20
日に仲尾 宏著『朝鮮通信使』が刊行されています。


 仲尾 宏著、新書版212頁、岩波書店発行、本体
 740円 
 
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「四国八十八カ所へんろ文化展」へ

2007-12-27 23:04:16 | 四国遍路あれこれ
 今日12月27日午後、東京・銀座の松坂屋銀座
店で開催中の『四国八十八カ所へんろ文化展』の
観覧に出かけました。





 7階催事場の会場では、1番札所霊山寺から88番
大窪寺までの各札所のご本尊の掛け軸を礼拝しなが
らのお砂踏み場にはじまり、弘法大師空海の仏像、
仏画などの寺宝、遍路の歴史、古い遍路筆や絵地図、
案内本などが並んでいます。

 さらに、文化勲章受章者で日本画の巨匠・川端龍
子が描いた八十八カ所札所のスケッチ画と、写真家・
溝縁ひろしの撮った四季折々のお寺の庭や遍路道を
彩る花や草木の写真が対比して展示されています。

 ほかにも、漂白の俳人・種田山頭火終焉の地である
四国遍路巡礼の句と遺品類などが展示され、それぞ
れの札所での遍路のときのことを思い出しながら、
約1時間ほどかけて観覧してきました。
 


 会期:07年12月27日(木)~08年1月8日(火)
 入場料:一般700円、大・高校生500円、中学生
 以下は無料です。

 四国遍路に行かれたことのある方、四国遍路に感
心のある方は、どうぞお出かけ下さい。

 家を出たのが14時半近く、会場に行く前に御茶ノ
水の日本ウオーキング協会にも寄っていったので、
会場を出たら17時、すっかり暗くなっていました。

 銀ブラした人はおなじみ、銀座4丁目交差点です。


 銀座3丁目から4丁目方面を振りかえったところ。


 京橋を経て八重洲ブックセンターに寄り、地形図
2枚と本を買ってから、年末の電飾に期待して、丸の
内仲通りに回ってみることにしました。

 JR山手線や東海道線などのガードをくぐってすぐ、
三菱電機ビル内の照明です。


 丸の内仲通りに入りました。

 「フラワー・ファンタジア」と呼び、街路樹や持ち込ん
だ樹木や花などへの電飾が続いています。

 この催しは12月31日まで17時~22時の予定です。






 東京駅丸の内口へ回り、東京中央郵便局前から
地下に入り、東京メトロ丸の内線で帰途につきました。

コメント (2)
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本日も休載

2007-12-26 21:27:09 | Weblog
 今年中に発送したい資料づくりがあり、それに追わ
れているので、今日も休載とします。

 写真は、わが家に近い雑木林の向こうに落ちる夕日。

 夕日の少し左側に富士山が見えるはずなのですが、
富士山の上に落ちる夕日(ダイヤモンド富士)になる
ほど夕日は左に回らず、ここからのダイヤモンド富士
は望めません。

 今日16時17分頃です。


 
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四国遍路での昼食地(5)

2007-12-25 22:40:37 | 四国遍路あれこれ
 四国遍路での昼食地、今日からは後半の遍路道
での模様です。

 初回の後半は、2004年11月中旬~12月1日、
2回目は2007年2月中旬~3月上旬でした。

=====================



【後半第1日】初回は、飛行機で羽田から松山空港
に飛び、連絡バスでJR松山駅まで行き、駅構内の
店でちょっと場違いの喜多方ラーメンが昼食でした。


 この日はJR内子駅をスタートして小田川沿いに進
み、突合のさかえや旅館まで行きました。

 2回目も、スタートは内子駅。内子町内、国の伝統
的建物群保存地区を回った後、国道沿いのコンビニ
・サンクスで弁当を買って小田川沿いに進み、桝木
(かれぎ)の旧道にあった三島神社境内のベンチが昼
食地でした。


【後半第2日】初回、まだ暗い5時半前に突合を出発、
標高800mの鴇田(ひわた)峠のベンチで、さかえや
旅館の大おむすび(ひとつ)の7分目くらい食べました。

 ちょっと物足りなかったので、44番大宝寺までの
間で食堂か弁当のある店を探したのですが、見つか
りませんでした。

 仕方なくわずかな残りを、久万高原ふるさと旅行村
の見える田んぼのあぜを通る遍路道で。

 2回目は、別コースの農祖峠越えで45番岩屋寺に
向かいました。


 この日は、小田のふじや旅館で用意してもらった
混ぜご飯のおむすびを、農祖峠を通過して県道153
号の越ノ峠を越えたすぐ先の路傍で、行く手の谷間
を眺めながら、いただきました。

 この峠を少し下った左側のところです。 

【後半3日目】初回では、45番に近い古岩屋荘を出
て、久万町(現、久万高原町)のコンビニ・サークルK
の弁当を、三坂峠に向かう国道の上り道の途中に
あった、「東明神青空市」の看板のあった閉店中の
小屋で食べました。

 2回目も初回と同様、古岩屋荘を出発し、44番大宝
寺に参拝。久万高原町役場近くの松山生協で弁当を
買い、国道33号の上り道の途中、初回より少し先の
レストパーク明神の東屋の南側で、冷たい北風を避け
ながらの昼食です。


【後半4日目】初回は、松山市内の51番石手寺に参
拝後、門前にあったみよし食堂で、名物という「梅こん
ぶうどん」を注文しました。



 2回目も、51番石手寺参拝後、近くの「手打ちうど
ん丸太」での、肉うどんが昼食です。

 
【後半第5日】初回には、朝1番で53番円明寺に参拝
し、当時の北条市街(現、松山市)のコンビニ・サークル
Kで2人分の弁当を買い、番外霊場・鎌大師にて、前
半の遍路の際「トレッキング・ザ空海」の催しにお誘い
を受けた山下さんと初めてお会いし、一緒に昼食をし
ました。

 このとき山下さんは、逆打ち(88番から1番へ向け
てのお遍路)でした。

 2回目も初回と同じ番外霊場・鎌大師が昼食地。
やはり北条の市街地で買った唐揚げ弁当を、ちょっと
冷たい風にさらされながら食べました。

【後半第6日】初回、今治市内の55番南光坊に参拝
後、国道196号にあったコンビニ・サークルKで求め
た弁当を、57番栄寺境内の藤棚の下のベンチで、
小雨を避けながらの昼食。


 2回目、55番南光坊の参拝後、今治市街の国道
196号のスーパーで求めた弁当を、56番泰山寺
納経所そばの机と椅子を借りていただきました。


【後半7日目】初回には、番外霊場臼井の水の先の、
スーパー・ソゴウマートで買った弁当を、61番香園
寺境内のベンチで食べました。

 上の写真が香園寺本堂。四国八十八カ所の寺院
では異質の、ビルのような建物です。

 食べている最中、お参りに来た奥さんから、高知
産のミカンをお接待いただきました。

 2回目の際は、西条市(旧東予市)三芳の町並み
にあったソゴウマートで買った弁当を、初回と同様、
61番香園寺の鐘楼そばのベンチで食べました。

 香園寺境内にある山頭火の句碑です。

 この日はちょっと寒く、歩いているときには脱い
だジャンパーを着用して食べたことを思い出します。 
           (続く)

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カントリーウオーク伊奈(埼玉県)

2007-12-24 21:35:34 | カントリーウオーク
 今年もあと1週間となり、年内に片づけたり発送
したりしたいものが多く、最近は当ブログも休稿の
日が増えてしまいました。

 今日は、埼玉県内を中心にカントリーウオークを
楽しむグループ、一昨年の忘年例会のレポートです。

======================

 2005年12月4日(日)

 

 2005年の最後の例会の日、底冷えのする寒さ
にもかかわらず、集合地のニューシャトル丸山駅に
は、この1年で最高の26人が集まった。

 例会担当は4人の皆さん、前回配布のコース地図
は、Tさんの初企画。5組に分かれ、10時8分に
スタートした。

 ==新幹線の間を町制記念公園へ==

 出発地の丸山駅南部で、上越新幹線と東北新幹線
が分岐している。高架の丸山駅下を出て、両新幹線
の間の細道を北に入る。

 栗林の横を抜け、いったん上越新幹線の西に出て、
線路に近い集落を北に進む。畑の端に、色づいた
ドウダンツツジの大きな木が並んでいる。


 横断した車道の北側の遊歩道には、ツル状の赤
い小さな実(ヒヨドリジョウゴらしい)や、ハナミズキ、
ムラサキシキブなどがたくさん実っていた。

 再び上越新幹線の東に回り、消防署の南を通過
して無量寺へ。天正年間(1573~92)、関東郡代、
伊奈忠次の知行地となり、60石の御朱印を賜った
という。樹木は少なく開放的な境内である。

 竹やぶをやぶこぎして東に抜け、本町二丁目の
氷川神社に行く。

 参道の雰囲気から、初めて野草の天ぷら会をした
場所だったことを思い出す。1995年4月例会だから
もう10年前になる。

 社殿裏手に、高さ約27mの杉の大木があり、境内
には杉の古木が多い。

 北側の図書館横に抜け、住宅地と畑の間を進んで
小室(こむろ)観音と呼ばれる清光寺(せいこうじ)観音
堂へ。

 元禄15年(1702)創設で、足立坂東三十三カ所
第5番霊場。周囲のモミジが色鮮やかだった。



 裏手の不動堂のそばに、「史跡小室戸貝塚」碑と
説明板がある。その前で作務衣を着たご住職が待っ
て居られ、お茶と煎餅(せんべい)をごちそうになる。

 下見をしたTさんの、知人からの連絡で用意して下
さったらしい。不動堂の中にあった、貝塚からの出土
品の石おのなど、石器も見せてもらった。


 思いがけぬお接待を受け、昼食地集合予定の12
時が近づいた。梨畑や住宅地などの間を急ぎ、綾瀬
川右岸田園沿いの車道に出る。

 小針中の北を通過、伊奈学園総合高のそばから
伊奈町制施行記念公園に入り、キャンプ場に12時
8分に着いた。

 
 ==年末恒例の芋煮を楽しむ==
 
 過半数のグループは着いていて、芋煮の準備が
進んでいる。5つのバーナーに点火、持ち寄った
いろいろな材料が煮立ち、いい匂いを放つ。


 別の台では、薬味のユズやネギが刻まれ、柿を
むいている。


 最初の鍋が出来上がったので乾杯し、あつあつ
の芋煮を味あう。例年のことながら、このような場所
と仲間、そして多彩の材料がミックスされ、味は絶品
である。

 何杯もおかわりしながら、そちこちで環が出来て話
が尽きない。最後にうどんを入れ、だし汁のしみこん
だうどんを味わった。



 始めた頃から雨が落ちてきたが、本降りにはなら
ずに済む。

 腹ごなしにゲームをしようということになり、芝生
広場で輪になって「かごめかごめ」と「花いちもんめ」
をして、久しぶりに童心に帰った。

 ==郷土資料館から伊奈中央駅へ==
 
 雨が本降りになってきた。ザックカバーを着けたり
傘を差したりして、14時30分に出発する。

 公園を北に出て、小針内宿を西へ、ニューシャトル
の終点、内宿駅そばから新幹線の高架下を南東に
少しで小針神社の森に入る。

 緑豊富な神社の森は県のふるさとの森に指定され
ている。社殿裏手の太い杉は、北側が空洞になって
いるが高さは約30mある。

 小針新宿の畑の間を縫って西光寺へ。境内に常緑
樹はないが、数本のイチョウが黄葉し、ギンナンも
落ちていた。

 車の多い県道311号に出て、伊奈町立郷土資料館
に寄る。

 りっぱな長屋門を入ると、大きな民家の平屋が
あり、土間に古い農具や食器、暖房用具などが並
んでいた。

 建物は文政年間(1818~)に建てられたものだと
いう。

 県道を桶川市境まで行き、西側の須ヶ谷と菅谷の
間、畑や田んぼの横の旧道を南東に進む。雨は本
降り、気温も下がり手が冷たい。

 「いわつき」「おけがわ」「きさいち」など記された
安永5年(1772)銘の道しるべ地蔵の辻を東北に
向かい、15時35分、ニューシャトル伊奈中央駅に
着いた。

(天気 曇り後雨、参加 26名、距離 13㎞、
 地図 岩槻、久喜、鴻巣、上尾、歩行地 伊奈町、
 上尾市)
コメント (3)
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山古志の実話から生まれた『マリと子犬の物語』

2007-12-22 17:49:51 | Weblog
 2004年10月23日(土)夕方、私は毎年参加して
いる中山道ウオークのメンバーの皆さんと、埼玉県
桶川市から蕨市までを歩き、明日は東京・日本橋に
ゴールというので、川口市のレストランでの完歩前夜
祭に参加していました。

 午後5時56分、賑わっていた会場がぐらぐらとゆれ、
みんなビックリ。そのあとも2度の余震を感じ、どこか
分からないが、大地震が起きたということを実感しま
した。

 震源地は新潟県中越地方。その中でも甚大な被害
を受けて村に通じる道路が寸断され、全村民が翌春
合併予定の長岡市へ自衛隊のヘリコプターで避難し
た、当時の山古志村のことは、TVや新聞などで何度
となく報道されたので、覚えておられる方も多いかと
思います。



 その山古志村を舞台にした映画『マリと子犬の物語』
が上映中と、カントリーウオークの仲間、I さんに聞き、
昨日、所沢市内の映画館で鑑賞してきました。



 美しい棚田と錦鯉と闘牛の村・山古志に住む、母
親に死別した幼い兄妹は、お母さん犬「マリ」と3匹
の子犬を飼っていたのですが、あの新潟中越地震
が発生しました。

 自宅が倒壊し、がれきの下に閉じこめられた祖父
と妹は、マリの機転により救助の自衛隊員により助
けられ、ヘリコプターで長岡市に避難しました。

 しかし人命優先で、マリと子犬は連れて行くことが
できず、とり残されたのです。

 マリはただ1匹でわが子を守り、心配していた兄妹
は何日か後、雷雨に遭いながらも自宅までたどりつき、
それを追った父親とともに翌日、再会することができ
たという、感動的な物語です。

 この映画の公式Webは下記をご覧下さい。上映館
の一覧もあります。
  http://mari-movie.jp/index.html

 なお、父親役で主演の船越英一郎さんのことが、
東京本社発行の朝日新聞07年12月18日夕刊に
掲載されています。

 この映画のもとになる実話は、『山古志村のマリと
三匹の子犬』という絵本(文藝春秋社刊)で、小中学
生の間で話題になり、12.5万部を超える(07年6月
現在)ベストセラーになっているとのことです。

 この映画を紹介してくれた I さんは、ご夫妻でエキ
ストラ出演されたとか。闘牛場の観客とか、ヘリで
避難する村民、長岡市内の仮設住宅などに、たくさ
んの人びとがいましたが、確認出来ませんでした。

 ところで私は、地震発生の4年前、2000年9月
4日~5日に山古志村を訪ね、カントリーウオークを
してきました。

 そのときのレポートも紹介したいと思い、写真を
探したのですが見つけられず、大きく引き伸ばした
3枚だけあったので、とりあえずその写真だけご覧
いただくことにしましょう。

 これは初日、9月4日に種苧原(たねすはら)集落
から民宿のある虫亀に向かう途中の棚田。

 向こうに見える雲のかかる山並みは、越後三山の
駒ヶ岳か中の岳と思われます。

 この日止まったのは、虫亀の民宿三太夫でした。

 民宿を切り盛りされている長島久子さんには、夕食
後までいろいろ話を伺い、山古志周辺の四季を撮った
「古志の里中條均紀(なかじょうまさのり)写真集」を
見せてもらいました。

 また、ご自身もワークショップに参加されてまめた、
村民が16年かけて手掘りした延長877mの中山トン
ネルの報告書をいただきました。

 この中山トンネル掘削の苦労を描いた映画も、その
後つくられ、2、3年前、東京・中野の映画館で鑑賞
しました。

 翌朝もらった名刺は、夫の長島忠美さんのもの。
あの新潟中越地震の際、全村避難に踏み切った村長
さん(現在は衆議院議員)で、その年、初当選したばか
りでした。

 ちなみに、長島忠美さんへのインタビュー記事が、
東京本社発行の朝日新聞07年12月20日夕刊「か
ぞくの肖像」覧に掲載されています。

 長島久子さんのお勧めで、翌朝朝食前に訪ねた棚田
の写真が、下の2枚。山古志の棚田を撮りに来るカメ
ラマンの、多くが訪ねるところとのことでした。




 この美しい棚田も、あの地震で姿を変えてしまった
かもしれません。

 民宿で見せてもらった写真集を撮った写真家・中条
均紀さんは、中越地震の復興応援のため、翌2005
年2月に、「山古志村ふたたび」という写真集を、小学
館から刊行されました。


 蛇足ながら、私も地震直後、わずかですが長島さん
あて、非常食の足しになるようなものをお送りしました。

 その後、山古志は、どののように復興されたのでしょ
うか。もう1度、心休まる棚田を訪ねたいものです。 

 


 

 


 
コメント (1)
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