あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

やまさんの葛飾のスケッチ展を見る(東京・葛飾)

2008-08-31 19:57:36 | ウオーキング
 8月最終日の31日(日)、日中は青空が広がり、不安定な
天気は解消したのかと思ったら、夕方からまた雲が広がり、
18時過ぎから激しい雷雨になりました。まだ上空に寒気が
残っているようです。

 今日も、昨日報告した8月27日の東京・葛飾方面のウオー
キングの続きです。

==========================

2008年8月27日(水)

 やまさんの案内で、寅さんのふるさと、葛飾区柴又から江戸
川沿いを経て、京成電鉄本線の国府台駅までを歩いたことは
昨日報告した。

 このあと、やまさんは国府台駅から京成電車に乗り、お花茶
屋駅で下車するという。



 お花茶屋駅付近でお茶でも飲んで解散かと思い、Hさんとも
ども京成本線の普通電車で5つ目、お花茶屋駅で下りた。
 お花茶屋も葛飾区である。

 東京の下町の雰囲気の残る商店街を北に向かい、途中から
曳舟川親水公園沿いの道路に出た。前方に、天文台らしい半
円形のドームの建物が見える。

 その建物が、やまさんの目的の「葛飾区郷土と天文の博物
館」だった。

 ここでは9月21日(日)まで、「かつしか昭和のまちかど」と
いう企画展が開かれていた。

 企画展は2つのコーナーに分かれ、その一つが、「スケッチ画
で見るかつしかの街角 山浦正昭さん作品展」である。

 やまさんが、ふるさと葛飾区の急激に変わりゆく街角をスケッ
チした100枚は、昭和の雰囲気が色濃く残る場所を描いている。

 その100枚を何回かに分けて展示替えしているようで、この
日は1993年から2000年にかけての作品17点が展示されて
いた。上、下ともに、やまさん1993年の作品である。

 会場には、やまさんが卒業したと同じ中学校の生徒も観覧に
来ていて、やまさんがそのことを生徒に話すひと駒もあった。

 やまさんの作品を背にして、来館中の女子中学生にとっても
らったのだが、ピントがやや甘いのが残念。


 もう一つのコーナーは、『「葛飾写真館「かつしか昭和の風景」
パート3』。


 区民の目で捉えた「昭和」を物語る写真が展示され、そのほと
んどがモノクロームだった。


 企画展のあと、常設展示の郷土展示室へ。ここでは、水に囲
まれた「かつしか」の歴史と人々の暮らしを展示している。


 これは湿田の民具(上)や、かつて葛飾の産業の一つだった
しめ縄などのワラ製品(下)。


 ほかにも、葛飾の農村時代の様子や、昭和22年(1947)9
月のカスリーン台風の模様の映像、昭和30年代の民家のよう
す(下)など、興味ある展示が多かった。


 博物館を出て、曳舟川親水公園沿いの道路をさらに先方、北
に向かう。

 車道を挟んで中央が親水公園の遊歩道になっていて、せせら
ぎが続いており、草の茂った流れや、稲を植えたミニ水田、東
屋(あずまや)や水の流れるモニュメントなどもあった。


 正午近くなり、やまさんは旧水戸街道の亀有上宿交差点際に
あった「吟八亭 やざ和」という手打ちそば屋さんに入った。



 石臼で挽いた手打ちそばで、田舎そばというのを注文したが、
なかなかの味で、おいしくいただいた。


 旧水戸街道の亀有上宿は、千住宿から一里、江戸日本橋か
ら三里のところなので、亀有の一里塚があったとの説明板があ
り、石の標柱や水戸黄門の顔を彫った新しい石柱が立っていた。


 亀有2丁目で、半日案内してもらったやまさんに分かれ、JR
亀有駅から常磐線に乗る。

 日暮里駅で乗り換え、大阪に向かうHさんは東京駅へ、私は
池袋駅に向かった。
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柴又から江戸川沿いを国府台へ(東京・千葉)

2008-08-30 22:24:13 | ウオーキング
 2008年8月27日(水)

 前日、「十代青少年旅立ち応援シンポジウム」に参加し、夜は
葛飾区にある特別宿泊施設「ふらっと」に4人が泊まった。

 朝になったら前日までの雨が上がり、予想外の青空が広がる。
 8時前にフラットを出て、やまさんの案内で「寅さん」でおなじみ
の柴又周辺を巡ることにした。



 用事のある2人は帰り、参加したのは、シンポジウムには間に
合わなかったが、新幹線で大阪からかけつけたHさんと私。
 
 下町の人たちの水がめ、東京都金町浄水場のそばから京成
金町線に沿って進み、柴又七福神・布袋尊の良観寺に寄る。

 江戸時代の初期に、近くの商人が大木のうろにあった布袋尊
を持ち帰ってお祭りしたところ、商売繁盛したので、御利益を大
勢の人に役立てたいと発願し、「宝袋尊」と称してこの寺に奉納
したのだという。

 これは、境内にある新しい布袋尊。

 京成柴又駅近くから柴又商店街を抜ける。まだ8時前なので、
帝釈天詣での客で賑わう商店も開店前の店が多く、閑散として
いた。


 商店街の突き当たりが柴又帝釈天。本堂は、精巧な木彫で
飾られている。

 この日の夜、柴又の寅さん「男はつらいよ」誕生40周年プロ
ジェクトの一環で、「男はつらいよ」第1作上映会を開催すると
かで、境内のこの右手に大スクリーンが張られ、イスがたくさ
ん並んでいた。

 本堂横から境内の南側に出て、近くの山本亭構内を抜ける。
 山本亭は、カメラ部品製造の山本工場創立者、山本栄之助
翁の住宅で、山本家4代の居宅を昭和63年(1988)に葛飾
区が取得し、一般公開している。

 大正15年(1926)から5年間に数次の増改築をしており、
都内でも珍しい伝統的な書院造りから洋風建築までがあり、
純和風庭園とみごとに調和を保っている。


 南側にある長屋門は、瓦ぶき木造平屋で、伝統的な武家屋
敷の長屋門の形式を受け継ぎながらも、外観・内部ともデザイ
ンを洋風化した珍しいつくり。


 近くにある「寅さん記念館」の上の、芝生に覆われた小公園
に出ると、降り続いた雨で水かさを増した江戸川が、ゆったり
と流れていた。

 対岸は、千葉県松戸市である。
 
 まだ運行前の矢切の渡しを見下ろし、右岸堤防を上流に向か
い、広大な金町浄水場の横を通過する。


 金町浄水場への取水塔が近づいてきた。江戸川からの取水
量は毎秒5.33立方mという。


 新葛飾橋まで行き、橋を渡って千葉県側へ向かう。橋からの
下流の眺め。2つの取水塔の向こうは北総鉄道の鉄橋。


 左岸の千葉県松戸市に入り、折り返して下流に向かった。
 河口から16.8㎞地点に「川の一里塚」の標識が立つ。

 江戸時代、江戸川には1本の橋もなく、40あった渡しで
対岸に渡っていたという。

 ここは、その中でただ一つ残った矢切の渡しの船着場から
上がったところである。

 川の一里塚のそばに太田道灌の「水五則」を記した石碑と
「日本の音風景百選」と記した自然石の彫刻が立つていた。

 近くには「野菊のこみち」の案内標識があり、道標をたどっ
ていくと、野菊の墓文学碑のある松戸市矢切の西蓮寺へと
行けるようになっている。

 案内標識の上の本には、伊藤左千夫の「野菊の墓」の出
だしの部分が記されていた。


 北総鉄道の鉄橋下や排水機場のある柳原水門を過ぎて、
市川市に入る。矢切の渡し船着場から3㎞で、豊かな斜面
林の続く里見公園の下に着いた。


 斜面林を上がった里見公園の西北側は、桜など広葉樹に
覆われた自然公園、東側は噴水広場、花壇広場、梅林など
がある。

 
 花壇広場のバラ園には、咲き残ったバラが花を見せていた。
 斜面林の切れ目から、西側の江戸川区北小岩から都心にか
けての町並みが望まれる。


 公園の南端がけ下には「羅漢の井」と呼ぶ湧水がある。古
くは、天保5年(1834)の江戸名所図会にも描かれていたと
いう。


 国府台(こうのだい)の町並みを抜け、10時半過ぎ、京成
本線の国府台駅に着いた。

(天気 晴、距離 8㎞、歩行地 葛飾区、松戸市、市川市)

 

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地図の本と地形図をテーマの「趣味悠々」

2008-08-29 22:46:52 | 地図
 昨日、8月28日(木)、関東や中部地方では記録的な集中
豪雨となり、大きな被害が出ました。

 わが所沢市も時々激しい雷雨に見舞われましたが、ニュース
になるような被害が出なかったのは幸いでした。

 きょう午前中は日も差したのですが、午後からはまた不安定
な天気になり、今も雷鳴が聞こえています。

 このあと、各地に被害が拡大しないよう祈りたいものです。

 今日の話題は、地形図のことです。

========================== 

 文春新書8月の新刊として「地図もウソをつく」発売との新聞
広告をみて、さっそく入手しました(本体750円)。



 著者はフリーランス・ライターの竹内正浩さん。私は知りま
せんでしたが、JTB出版部門で旅行誌などの編集をされて
おり、旅や地図好きな方のようです。

 地形図をよく読むと、いろいろな疑問が出てくるものですが、
その謎を解いてくれたり、正確に思われる地図にウソや誤り
があるとか、地図と国際関係など、地形図や地図に関する
興味深いことが、いろいろ盛りこまれています。

 まだ読み終えたわけではありませんが、目を引かれたのが、
最後の章・終章の「いま地図があぶない」です。

 その章で、国土地理院の地形図が危機を迎えていることが
述べられています。カントリーウオークを初め、どこのウオーキ
ングにも地形図を携行して歩いている私としては、見逃しなら
ぬことです。

 それによれば、2007年の地形図の売れ行きは、全盛期の
1981年の1/6以下、141万枚余りになってしまったとの
こと。

 私がウオーキング用に愛用している2万5千分の1地形図は
98万枚余り。全部で4342面あるので、1枚平均わずか227
枚しか売れてないということになるようです。

 ちなみに、私の昨年の地形図購入枚数を調べてみたら、2万
5千分の1は23枚、5万分の1は7枚でした。

 また、4月にカントリーウオークグループの皆さんに、保有して
いる地形図枚数を調べてもらったときの、私の保有数は、2万
5千分の1が472面、5万分の1が40面でした。

 地形図の値段は、2万5千分の1が1枚270円、5万分の1
が290円ですが、その値段では得られない豊富な情報が盛り
こまれていると思います。

 地形図を眺めていると、いろいろな興味や疑問が生じ、現地
に行ってみたくなることもしばしばです。

 毎日毎日テレビからは、日本国内はもとより、世界中の情報
や観光地の紹介などがたくさん放映されていますが、それらは
確かにきれいで理解されやすいですが、限られた場所であり、
すべて画面を通した虚像ばかりです。

 子どもも大人も、もっと地形図に興味を持ってもらい、地形図
をもとに、あちこち歩き回ってもらうと、その土地のナマの情報
に接することができ、日本の現状に対する理解も深まるのでは
ないでしょうか。そして地形図の売り上げ増にも寄与できること
にもなります。

 そんなことを狙いとしたのかどうかしれませんが、NHK教育
テレビ「趣味悠々」で9月、10月に、地形図をテーマの番組が
放映されます。その第1回は9月1日(月)です。

 毎週月曜午後10時~10時25分(再放送翌週月曜午後0時
30分~時55分)に放映される「地形図片手に日帰り旅」で、
下はそのテキストです(本体1000円)。



 講師は、もと国土地理院長だった野々村邦夫さん。私も一昨
年だったかに参加した、JRのジパング倶楽部主催の地図に
関するカルチャー講座で、野々村さんの話を聞いたことがあり
ます。

 この講座では、それぞれの2万5千分の1地形図をもとに、
千葉・銚子の九十九里浜の海岸線、神奈川・横須賀の港町
の昔と今、東京・江東、江戸川の下町散歩など、関東と山梨
県の特徴的な地形のところを地図と見比べながら歩き、地形
図を理解し、地形図に興味を持っもらおうという番組のようです。

 地形図は難しい、地形図は苦手だという人も、ちょっとのぞ
いてみてはどうでしょうか。地形図を読むことに興味が湧いて
くるかもしれませんよ。

 テキストはオールカラーで、関連の地形図や写真が豊富に
盛りこまれているので、ちょっとでも地図に興味を持っている
人は、テキストを読むだけでも、興味が広がるのではないでし
ょうか。

 このテキストには、下のような「地図記号ハンドブック」が
綴じ込み付録になっています。



 切り離して閉じると14頁の小冊子になり、よく使われる地図
記号112個の説明が、理解しやすいように解説されています。
 
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「十代青少年旅立ち応援シンポジウム」(東京・文京)

2008-08-27 23:40:34 | Weblog
 8月27日(水)、首都圏は何日ぶりか、予想外の青空が
広がり、少しだけ暑さが戻りました。

 前日、8月26日に参加した「十代青少年旅立ち応援シン
ポジウム」の模様を報告します。

=========================

 2008年8月26日(火) 

 若い頃、旅に熱中したおじさんたちが、今の十代の青少年
があまりにも篭の中にとじこめられて、まるでブロイラーのよ
うに育てられるのを見かねて、篭の外の世界をちょっとでも
見せてあげたいという願いを持ち、昔の少年に戻って、少年
の自立の旅立ちを考え、話し合うためのシンポジウムが開催
された。


 会場は東京・文京区白山の東洋大学白山キャンパス6号
館にて、14時~17時にかけて実施した。


 催しの企画は、青少年国際野外旅行研究会で、(財)日本
ユースホステル協会(略称:JYH)が協力している。

 第1部は、絵本作家 関屋 敏さんと、カントリーウオーカ
ー「やまさん」こと、山浦 正昭さんとのトークセッション。
 
 2人の出会いや、以後の関屋さんの行動や考え方などを
中心の話が進んだ。

 絵本作家、関屋さんは、南極探検家・白瀬中尉や、樺太探
検をした間宮林蔵の伝記、ご自身が38歳のときに55日かけ
てした日本縦断3,000㎞の記録、リヤカーを引いての北海道
一周など、自転車、ヨット、そりなどで実際に自分で旅をして、
現場体験を通して描いた絵本は60冊を超えるとのこと。


 ご自身の体験から、小さいときの旅がその後の人生に大き
な影響を与えると考え、子どもたちに絵本を通じてメッセージ
を送り続けてきた。

 今後も、現場体験した上で、子どもたちが歩く旅をしたくな
るような そして絵の中から歌が聞こえるような絵本を描いて
行きたいと言われた。

 山浦さんは、「旅をする条件として、成長期になる前に多く
の人と出合い、親や教師以外の大人とふれ合うチャンスを
つくることが、人格形成の大きな柱になる。

 大きな旅行を経験することで、自分の実力以上の要求に応
えられる力がつき、お金の使い方の工夫や物を節約すること
を知り、大人になってもそのスタイルで生きられるようになる。

 本人が直接企画し、自分で判断する旅が大事。自分たち
は18歳以上で旅を経験したが、もっと早い時期に体験して
欲しいと思う。よい意味でのお節介をして、子どもたちの旅
の応援をして行きたい」といったことで話をまとめた。

 次に、紙芝居「シルマンとアルテナ」が上演された。
 この作品の作者はやまさんで、絵はYKさん。そして読み手
はYKさん、補助はYMさんというキャストで、やまさん一家が
総出演、さらにKIさんのヴァイオリン伴奏が、紙芝居の内容
をいっそう印象づけた。

 
 内容は、ユースホステル運動をはじめたドイツ人、シルマン
の物語りである。

 第2部は、やまさんの進行によるフリートーキング。
           
 姫路市から参加の「出がらし紋次郎」こと、KTさんが口を
切り、大学時代の周遊券の旅について。次に、明星大のFK
さんは、管理責任を問われる現在の社会慣習を自己責任に
どう移行すべきかと問われた(下)。


 参加者中の最年少、青少年代表ともいえるSKさんは、小
学校から中学校卒業前の一人旅の経験を。磐田市のYUさ
んは、27年続けているユースホステルに泊まって2泊の旅
をする活動の報告を行う(下)。


 新潟市のKNさんも、自分の青春時代の旅の経験から、新
潟県の子どもたちに旅の経験をさせたいと述べた。さいたま
市のIHさん(下)は、ご自身でリーダーをしているボーイスカ
ウトの野外活動を紹介。


 若手の一人、横浜市のDKさんは、3月に香港から北京
を目指した歩きの初め頃、野宿中に身ぐるみ盗難にあった
という貴重な体験を話す。


 渋谷区のKMさんは、3年前から会津で実施中のシルマン
スクールのことや、自主的活動のできる青少年づくりが大事
であることなど。 
  
 最後に、やまさんから、「自主行動型人間や社会造りが必
要で、旅はそのための手段。徒歩旅行の体験を生かし、将来
の地球への負担増を減らし、エネルギーコストの削減を目指
す必要がある。

 その様な青少年を増やすため、青少年国際野外旅行研究
会「ワンデル」を今日発足する」と結んだ。

 シンポジウムは17時で終了、場所を別棟の食堂に移して
懇親会が開催された。


 参加者のひと言ずつのメッセージを通して、思いがけずの
再会やアドバイスなどもあり、実のあるひとときとなった。



 最後に、YKさんのオカリナ演奏と、KIさんヴァイオリン演奏
があり、全員で合唱をして、この日を記に発足する青少年国
際野外旅行研究会「ワンデル」の発展を祈り散会した。



コメント (4)
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熊野古道 伊勢路を歩く④<甫母峠・逢神坂峠・松本峠>

2008-08-25 23:41:10 | 熊野古道を歩く
 2003年10月17日(金) 第3日 
 甫母峠、二木島峠、逢神坂峠、大吹峠、松本峠、鬼ヶ城
 =五つの峠を越える=


 
 今日も、Y山本さんが不要な荷物を運んでいただけるとの
こと。民宿嬉志野の前からバスに乗り賀田(かた)湾沿いに回
って、JR賀田駅の南、賀田バス停で下りた。

 左手に、賀田湾や大クスノキなどの森に囲まれた飛鳥神社
を見ながら国道311号を1㎞ほど南下し、曽根町の町はずれ
から甫母(ほぼ)峠への上りにかかった。

 上り口にある、コンクリートの祠に入った古い六地蔵が、わ
れわれの安全を見送ってくれているようだ。


 民家の間から急な石段を上がってゆくと、真珠貝の養殖イ
カダなどの並ぶ賀田湾の展望がよい。

 鏡のように静かな海面に周辺の山並みを映し、すがすがし
い眺めだ。

 ヒノキの木立の下に古い石垣が目につく。猪垣(ししがき)と
呼び、猪から畑の農作物を守るために作られたもの。

 巡礼供養塔の上あたりで、再び賀田湾の展望が広がる。


 わずかな盛り上がりからそれと知れる曽根一里塚跡を過ぎ、
幅広い石畳を上がって甫母峠(305m)に着く。

 薄暗い杉やヒノキの木立の中に休憩舎がある。傍らに、Y
さんの友人、Oさんが待っておられた。Oさんも伊能ウオーク
で熊野古道のガイドをされた方。

 甫母峠は、曽根次郎坂・太郎坂とも呼ばれ、ここが紀伊と
志摩の国境で自領、他領がなまったものとか、古道の石畳
や猪垣のことなどを話していただいた。

 峠には、古いお地蔵さんも鎮座していた。


 10分ほど先に、大川さんお勧めの楯見ヶ丘と呼ぶ展望の
良い場所があり休憩。木のベンチもあり海からの風が気持ち
よい。

 Oさんから、手作りの熊野古道の木札、つきたての栃餅と
草餅をいただく。餅はやわらかでおいしかった。

 この先、二木島(にぎしま)までの熊野古道は、平成4年の
19号台風による被害で歩けなくなったが、大川さんが一人
で風倒木を整理して復興されたとのこと。そのお陰で私たち
も今日歩けるのだと思うと、そのご尽力に深く感謝する。

 尾根上を進む古道は、適度に落ち葉が積もった歩きやすい
土の道。この稜線にもウラジロが多い。ところどころに木の
階段も設けられていた。

 下るにつれて苔むした猪垣が増え、城壁かと思われるよう
な立派なものもある。

 説明板によれば、寛保元年(1741)から1年で築いたのだ
という。そばに「猪落とし」と呼ぶ落とし穴もあった。

 山道が終わり、国道311号バイパスの西の谷橋に下りた。

 二木島湾の最奥部と、それを囲むわずかな民家を眼下に見
下ろす好展望の場所。ここでOさんと別れる。

 ミカン畑の横から急階段を上り下りして、新逢川橋を渡った
ところで休憩した。JR二木島駅はすぐ先の高台にある。近く
の路上でミカンを売っていた。


 JRの鉄橋下を抜け、背後に山の迫った相川の民家の間か
ら階段を上がって駅北側の高台に出る。廃屋の屋敷の庭先
を抜け、石の祠に鎮座するキリシタン灯篭(下)の前を進んで
二木島湾を見下ろす国道に出た。




 少し先、コンクリートの壁面に急階段があり、熊野古道の
表示に従いその階段を上がる。再び山道となり、良く手入れ
された真っ直ぐな杉木立が並んでいる。

 苔むす谷間の石畳を上がって二木島峠(240m)に出た。

 ここも展望はないので小休止で通過。緩やかな下り坂は日
が差し込み、草の生えた土の道が多い。


 水場のある沢を横切ると小さめの石畳道。間伐され比較的
明るい杉林をゆるやかに上り、三つ目の峠、逢神坂(おおか
みざか)峠(290m)に着く。やはり杉木立で見晴らしはない。

 下りは背の高い杉木立の下、緑に苔むした立派な石畳が目
につく。再び猪垣が現れ、右手に石積みの棚田も見えてきた。


 橋間集落の民家の間を通過し、湊川を越えて新鹿(あたしか)
の海岸に出る。              (続く)

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熊野古道 伊勢路を歩く③<馬越峠・八鬼山越えコース>続き

2008-08-24 18:34:07 | 熊野古道を歩く
 きのう、8月23日(土)の所沢の最高気温は19.8℃とか。
あの暑かった夏はどこへ行ったんでしょうか…。

 引き続き、5年前の熊野古道 伊勢路2日目の後半です。

=========================

 2003年10月16(木) 第2日〈続き〉  
 馬越峠・八鬼山越え  =熊野古道一の難所越え=



 献灯所の先から、いよいよ熊野古道一の難所という八鬼山
越えの山道に入った。ススキや野菊、ゲンノショウコなどの咲
く緩やかな道がわずかで終わって上り坂となる。

 行倒れ供養碑を過ぎ、水場のある駕籠立場(かごたてば)で
まず休憩。


 開けた西側、真砂川の谷側に、樹齢300年という大ヒノキ
が立っていた。谷筋からの風が気持ちよい。


 少し先には、清順上人供養碑がある。清順上人とは、戦国
期、長らく途絶えていた伊勢神宮の遷宮を復興させた尼僧と
のこと。

 真砂川の対岸を走る国道311号から林道を車で回り、七曲
がりの下でYさんが弁当を届けて下さった。

 同乗されてきたNさんの知人、N先生から、熊野古道の石畳
は、かなかけ石と言い、カンナをかけたように滑らかなこと、
この先にあるあかんべ地蔵のことなどを説明していただいた。

 N先生は、もと小学校長で伊能ウオークの際、尾鷲から熊野
までのガイドを務められた方と聞く。(N先生を中心に記念撮影)

 いよいよ今日のやま場、七曲がりの急坂だ。うす暗いヒノキ
林の中、苔むした石畳は滑りやすいので慎重にゆっくりと上る。


 七曲がりが終わって幾分傾斜が緩む。道の両脇にウラジロ
が多くなったのに気付いた。ずっと下からあった身の丈1m足
らずの古い地蔵さん、N先生の言われたあかんべ地蔵を確認
しながら上ったら、3、4個ほど見つかった。


 空腹と上り続きで疲労もつのり、皆、口数が減ってきた。蓮
華石と烏帽子岩のある桜茶屋一里塚跡を通過し、ようやく九
木峠に着いた。展望はないので昼食はもう少し先ですることに
なる。

 木々に覆われて涼しい尾根、丸太の階段や石畳の道を進む
と、そぼくな社殿の三宝荒神堂がある。

 八鬼山日輪寺の跡で、「その歴史は1300年もさかのぼり、
西国三十三番第一番札所の前札所として、八鬼山越えの巡
礼が道中の安全を祈った」と記されていた。

 その先には立派な石畳があり、637m三角点の先で江戸
道と明治道に分かれる。

 昼食地にと期待し、江戸道を少し入ったさくらの森という新
しい芝生広場に出る。


 広場からは、山並みが入り組んだ複雑な海岸線の向こうに
熊野灘の雄大な展望。

 皆思わず「すばらしいー」と感嘆の声。広々とした展望を前
に、遅い昼食をする。




 素晴らしい展望の後には、厳しい下りが待っていた。はじめ
は緩やかな稜線、落ち葉が一杯の道筋にリンドウが一輪また
一輪と咲いていたが、やがて急坂となった。

 転ばぬよう、杖を頼りに慎重に下る。鎖の付いた木の手すり
も現れ、高度はどんどん下がるが明治道との合流点がない。

 通過したのかと思っていたら、ようやく合流点に出た。どうや
ら明治道を下った方が楽だったようだ。

 その先は、沓川の源流に近い沢沿い。傾斜もゆるみ、やが
て林道に出た。大石がごろごろする川を見下ろし、名柄(なが
ら)一里塚の手前から流れに沿って左岸を進んだ。


 紀勢本線の線路が近づいたところで名柄町の集落に回り、
国道沿いにある三木里(みきさと)の湾に面した小公園に着
いた。休憩後、ストレッチ体操をして疲れをとる。


 湾の西側で魚がしきりに飛び跳ねている。魚を間近に見よ
うと堤防沿いに回り、海水浴場の中心辺りで眺める。どうも
ボラが飛んでいるようだ。

 国道に出て、郵便局の少し先にある民宿・嬉志野(うれし
の)に着いた。道路を挟んで本館に女性、別館に男性が入る。

 三木里はNさんご夫妻の故郷。一旦実家に帰られたNさん
も戻られ本館で夕食。

 Yさん差し入れの東紀伊千鳥という特産の鶏肉や、地元の
魚料理など、盛りだくさんの料理をいただいた。

〈コースタイム〉鷲下バス停8・07~18ー夜泣き地蔵8・30ー
林道横断点8・47~9・01ー馬越峠9・12~15ー桜地蔵9・30
ー馬越公園(WC)9・39~50ー尾鷲市街ー東邦石油東北端
(尾鷲節歌碑)10・48ー献灯所先(WC)10・53~11・03ー駕籠
立場11・30~35ー七曲がり下(弁当受領・N先生の話)11・40
~56ー七曲がり上12・18ー九木峠12・49~59ー荒神堂(水場)
13・19ーさくらの森(昼食)13・28~14・02ー江戸道・明治道合
流点15・00~11ー名柄一里塚跡15・26ー名柄町海岸の公園
(WC)15・44~16・00ー民宿嬉志野16・15

(天気 快晴後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 引本浦、
 尾鷲、賀田、歩行地 海山町(紀北町)、尾鷲市)

 注:歩行地の地名は当時のもの、( )内が現在の地名。
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熊野古道 伊勢路を歩く② <馬越峠・八鬼山越えコース>

2008-08-23 13:30:15 | 熊野古道を歩く
 今日は、夏が過ぎて行く「処暑」とのこと。昨日からすっか
り涼しくなり、今夜はカントリーウオークの仲間で暑気払いを
するのですが、その必要もないくらいの気温です。

 5年前に歩いた熊野古道伊勢路のレポートの2日目です。

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 2003年10月16(木) 第2日  
 馬越峠・八鬼山越え  =熊野古道一の難所越え=


 
 尾鷲(おわせ)市街地の北端、三重県尾鷲庁舎前のバス停
から国道42号を、8時1分発の南紀特急バスで昨日の方向
に一駅戻り、海山(みやま)町の鷲下(わしげ)バス停で下りる。

 今日は、NAさんの弟さん、Yさんが、荷物を次の宿まで運
んで下さるというので預け、皆、軽装である。

 参加者は、NAさんの高校の同級生、Sさんが加わり20人。
国道横のわずかな広場で体操をして出発する。

 バス停からすぐに馬越(まごせ)峠への山道。大きくて滑ら
かな石畳がヒノキや杉木立の下に続いている。


 石室のような祠(ほこら)の中にある夜泣き地蔵を過ぎると、
石畳は2、3人並べるくらいの広さ。紀州藩の駕籠(かご)に合
わせて1間半(2.7m)の幅をとったのだという。

 一里塚跡もあったようだが気付かずに通過し、1時間足らず
で海山町と尾鷲市との境、馬越峠(325m)に着いた。



 丸木造りの避難小屋や、自然石に彫られた江戸末期の俳
人、可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)の句碑(上)、熊野古道
の説明板などがあるが、一帯は杉木立に覆われ展望は全く
利かない。

 小休止だけで下りにかかる。

 上りに比べると小さめの石畳道をどんどん下る。途中、レン
ガ造りの地蔵堂に入った桜地蔵があった。

 説明板によれば、旅人の安全を祈って奉納されたもので、
以前は石積みの祠(ほこら)だったとか。

 同じ説明板に、「熊野古道の石畳は、全国有数の多雨地帯
なので、大雨による路面の流失や崩壊を防ぎ、夏草やシダ類
などの繁茂を押さえて道筋を確保するためであった」とも記さ
れていた。

 広葉樹が増え、明るくなった道を下って行くと桜並木となり、
行者堂のそばに馬越公園がある。桜も多く、今は萩が見ごろ
である。

 ススキや野菊などの咲く道、眼下の尾鷲市街に向かって下
り、北浦町の住宅地に入る。新しい野口雨情の歌碑があり、
そばのコスモスが咲き乱れていた。



 ゆるい傾斜地に続く墓地の間を下ってゆくと、江戸後期の
念仏行者、徳本上人(とくほんしょうにん)名号碑がある。

 晩年は、江戸小石川の伝通院一世になった人とか。

 その先、民家の軒先で売っていた採り立てのミカンをEさん
などが買い求め、分けていただいた。

 尾鷲の市街地に入り、朝日町から林町辺りには、黒焼きし
た板を壁に張った古い家があちこちに見られた。Nさんご夫
妻の新婚当時のお住まいがこの地だったとのこと。

 水量豊かな中川を越え、火力発電所の高い煙突が左手に
近づく。正面には八鬼山(やきやま)の山塊が大きく迫って
きた。

 円いタンクの並ぶ東邦石油横から矢の川を渡り、川沿いに
対岸の東邦石油の東端まで進む。

 その三差路に「ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならし
て通わせる」と八鬼山道を歌った尾鷲節の歌碑が立っていた。


 折り返して東邦石油の南側山すそ、桜並木の道を少しずつ
上ると、越えてきた馬越峠方面の展望が利いてきた。


 山頂近くの八鬼山荒神道を遙拝するという献灯所の近くに
トイレがあったので小休止する。       (続く)




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熊野古道 伊勢路を歩く① <ツヅラト峠コース>

2008-08-22 21:12:04 | 熊野古道を歩く
 押し入れに休眠中の写真を探したら、5年前の2003年
10月に「熊野古道 伊勢路」を歩いたときの写真が出て
きた。

 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録される前
年のことであある。

 当時はフィルムカメラで撮り、プリントが色あせていたが、
スキャナーに取り込んで色修整し、なんとか使えるように
したので、その時のレポートを順次掲載する。

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 第3次・第4次中山道ウオークで大変お世話になったNさ
んご夫妻から、8月中旬(2003年)、熊野古道 伊勢路・
本宮道ウオーキングのお誘いをいただいた。

 ご案内によれば、1日当たりの歩行距離は中山道ほどは
ないが、急しゅんなアップダウンがあり、厳しい行程が多い
とのことであったが、私も、以前から熊野古道は歩いてみ
たいと思っていたので、参加することにした。

 
 2003年10月15日(水) 〈第1日〉 
 ツヅラト峠コース  =峠から熊野灘の絶景=


 
 前日の冷たい雨も上がり、スタートにふさわしい穏やかな
晴天となった。集合はJR・近鉄線松阪駅南口へ10時45分。
4月の中山道を歩いメンバーを中心に、19人が集まった。

 11時5分発三重交通の南紀特急バスに乗り、JR紀勢本
線とほぼ並行の国道42号を南西に進み、大内山村の梅が
谷バス停で下りた。

 完歩を目指して全員で元気良く、「エイ・エイ・オー」の檄
(げき)を飛ばし、12時30に出発する。

 すぐ先の三差路を西に、県道758号に入り、大内山川沿
いにコスモスの咲く小川口から中野集落へと進む。刈り入れ
後の田んぼに吹く爽やかな秋風が気持ちよい。

 中野橋の先の小公園で昼食。最近整備されたらしい近畿
自然歩道の案内板や休憩舎、トイレがある。


 小公園から500mほどで栃古(とちこ)川との合流点。大内
山川を北西に分け、栃古川沿いに進むとすぐ、消防センター
がある。東側の田んぼと川の間に、猪(いのしし)除けのトタン
板が並んでいた。

 のどかなたんぼ道が終わると渓谷が迫り、ツヅラト峠への
登山路に入る。

 清流のせせらぎを聞きながら杉木立の下を少しずつ上る。

 上り坂を20分ほどでツヅラト峠(357m)に着いた。



 休憩舎があり、南方にこれから下る長島の家並みや緑の
山並み、その向こうに広がる熊野灘の展望が広がる。




 西側の稜線を少し上がった展望台からは、さらに見晴らし
がよい。最初の峠での思いがけぬ展望に皆、感激した。


 ツヅラトとは九十九(つづら)折りのこと。峠は、かつて伊勢
と紀伊の国境。伊勢から熊野に向かう旅人は、この峠に立っ
てはじめて熊野の海を目にしたという。その感激は、今日の
我々よりはるかに大きかったろうと思う。

 下りはかなりの急降下。皆、用意した杖を出して慎重に下
る。私も杖を使うのは初めてだが、確かにバランスを取るの
に有効である。杉や桧の木立の下、名のとおり連続するカー
ブをどんどん下る。

 しかし、杉木立の中の右カーブを曲がった辺りで、Mさんが
足を踏み外し頭から落下。幸い10数mほどで止まったが、
左目の下が大きくはれあがった。

 山道が終わり、車の入れる林道に出た。そこに表示されて
いたタクシー会社に電話して、Mさんは病院に直行すること
にした。

 傾斜が緩くなり休耕田や田んぼが現れた。志子川を左岸
から右岸に渡って志子の集落に入るが、すぐに左岸に戻る。

 行く手が開けて花広場に出た。水辺にホテイアオイが咲き、
その下に一面コスモスの花畑が広がる。


 もう一度志子集落へ左岸から右岸へ行き戻り、志子川と
赤羽川の合流点に出て、すぐ先で別の支流沿いに入る。山
砂を採掘したのか、地形図上は山となっているところが平に
えぐり取られていた。

 田山集落近くのカーブ点で、標識に従い簡易舗装の山道
に入り、ちょっとした峠を越えて山本集落へ。「フウラン群生
地」の表示や、二郷神社、地蔵院前を通過し、今日のゴー
ル、JR紀伊長島駅に着いた。


 16時41分発紀勢本線下りに乗り、17時10分に尾鷲(お
わせ)駅着。男性は潮来(いたこ)旅館に、女性は別の民宿
に入る。夕食は全員、潮来旅館でいただいた。

〈コースタイム〉梅ヶ谷バス停12・25~30ー小公園(昼食・
WC)12・50~13・14ーツヅラト峠登り口13・35ーツヅラト峠
13・55~14・08ー花広場15・00~05ー赤羽川を離れる三差
路15・24ー紀伊長島駅15・54

(天気 晴、距離 9㎞、地図(2万5千分の1) 間弓、長島、
 歩行地 三重県大内山村(大起町)、紀伊長島町(紀北町))

 注:歩行地の地名は当時のもの、( )内が現在の地名。
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大丸東京店の「里山 今森光彦写真展」へ

2008-08-19 22:06:29 | Weblog
 2008年8月19日(火)

 再び真夏日に近い猛暑になった今日は、東京駅八重洲口
の大丸東京店に出かけました。

 左側の黒っぽいビルが旧大丸で、正面の明るい感じの超
高層ビルが新しい大丸東京店です。

 今日のお目当ては、10階の大丸ミュージアムで開催中の
「里山 今森光彦写真展」の観覧です。


 写真家・今森光彦さんは、1954年滋賀県生まれ。大学卒
業後、独学で写真技術を学び、琵琶湖をとりまくすべての自
然と、人との関わり合いをテーマに撮影を続けています。

 一方、熱帯雨林から砂漠まで、世界各地の辺境の地にも
取材に訪れ、それらの自然の撮影も撮り続けています。

 また、NHKハイビジョンスペシャル「琵琶湖畔・里山の四
季」やNHKスペシャル「映像詩 里山」などでも、美しい里山
の映像を紹介しました。



 この写真展では、四季折々に違った表情を見せる田んぼや
雑木林の風景など「里山」と、それにかかわる人々の暮らし、
湖の生物など、琵琶湖と周辺の里山風景が、今森さんならで
はのカメラアイで捕らえられています。


 昆虫など小さな生物の一瞬の表情、人と里山とが密着した
営みの様子、季節や時間で変わる里山の表情など、さすがは
今森さんと思わせる映像の数々でした。

 この写真展は9月1日(月)まで(会期中無休)
 入場時刻 10時~19時30分(20時閉場)
      (最終日は16時30分まで(17時閉場))
 入場料 一般800円、大高生600円、中学生以下無料
 (入場料の3%がWWFに寄付され、自然保護のために役
  立てられるとのこと)

 また、今森光彦さんの「神様の森 伊勢」という写真展が
新宿三井ビルのEPSON Imaging Gallery エプサイトにて
9月7日(日)まで開催しています。

 場所 新宿区西新宿2-1-1 新宿三井ビル1階
 電話 03-3345-9881
 開館時刻 10時30分~18時  入場料 無料
コメント (2)
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企画展「陸軍少年通信兵学校」へ(東京・東村山)

2008-08-17 23:44:08 | Weblog
 今日はほぼ1日中雨となり、首都圏の最高気温は真夏
日になった一昨日より10℃くらいも下がり、涼しい1日で
した。

 その一昨日、暑い中訪ねた東京・東村山市での企画展
の模様です。

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 2008年8月15日(日)



 第2次世界大戦が終わって63年の日、東京・東村山市
の「東村山ふるさと歴史館」で開催中の企画展「陸軍少年
通信兵学校」の観覧に、職場の先輩、Hさんなどと行った。




 なぜこの企画展に出かけたか。それは、かつて東村山
市にあった陸軍少年通信兵学校の施設が、第2次大戦
後転用され、誘ってもらったHさんの初期の職場であった
というのが一つ。

 次に、新潟県にあった村松少年通信兵学校の卒業生で、
やはり職場の先輩であり四国遍路の先輩でもあるSさん
から、1期先輩が戦場に赴く途中、東シナ海で散ったこと
を記した鎮魂の書を、最近いただいたこと。

 もうひとつは、少年通信兵が習得したのと同じモールス
通信の仕事を、私も初めての職場で5年間したことがある
ということから。

 陸軍少年通信兵学校は、東村山市富士見町、現在の
第一中や明治学院高校周辺の広大な地域を占めていた。


 第2次大戦当時の通信は、主にモールス通信で行われ
たが、通信要員の育成は、「頭の軟らかい純真な少年の
頃から適正なものを選んで教育するのが効果的」というこ
とから、徴兵制度より若い15~16歳の少年を選抜して
行った。

 入学希望者は全国から集まり、昭和18年(1943)の
11期生は、定員700人のところ10,000人の応募があ
ったという。

 会場には、無線機や受話器、電鍵など、多くの通信機
器が展示されていた。


 その中には、Sさんが使った受話器もあった。




 通信兵学校の校舎や生徒、訓練中の様子など貴重な
写真も多い。



 モールス通信を受信して記録する和文タイプライターは、
「和文打字機」と呼ばれ、その教本や、訓練の写真もある。



 私も最初の職場で、この和文と欧文のタイプライター
の改良したものを使用したが、受信するモールス音は、
このようなレシーバーからでなく、音響機という装置で
聴取した。

 蛇足ながら、5年間使ったモールス記号は忘れること
は無く、ン十年過ぎた今でもよく覚えている。

 例えば「サイタマ(SAITAMA)」は、和文と英文(欧
文)では以下のようになる。

【和文】 ―・―・― ・― ―・ ―・・―

【英文】 ・・・ ・― ・・ ― ・― ― ― ・―

 あわせていえば、現在はデジタルの時代で、地上TV
放送も3年後にはデジタルTVだけになるが、デジタル
通信のさきがけが、このモールス通信なのである。

 会場では、東京国立美術館フィルムセンター所蔵の映
画「武蔵野に鍛ふ 陸軍少年通信兵学校の記録」の抜
粋映像も上映されていた。


 展示や映像を見ると、厳しい通信訓練や戦闘訓練を経
て戦場に赴き、乏しい資材や食料の中、敵機の来襲を避
けながら通信を確保するため苦労した様子がよく分かり、
改めて平和の尊さをかみしめた終戦記念日であった

 この企画展は9月7日(日)まで開催中。
開館時刻は9:30~17:00、月曜休館、入場無料

 観覧を終え、東村山駅近くで昼食後、少年通信兵学校
があった現場を訪ねることにした。



 西武国分寺線で一つ国分寺寄りの小川駅で下車し、西
へ10分足らずで通信兵学校の正門前に着く。

 Hさんが通勤した半世紀以上前は、小川駅から職場まで
の道の両側は林だったとのこと。商店街や住宅の続くその
変わりように驚いていた。

 正門の手前を流れる野火止用水の橋の、石のらんかん
は、当時のままらしい。 


 ここが、少年通信兵学校の正門を入ったあたり。

 左手は現在、明治学院高校の正門になっている。

 野火止用水に沿って北東に進み、敷地の東端付近まで
行ったら、古い建物が見えた。

 そばに近づくと横長に長い平屋の建物。通信兵学校の
材料庫だったものと思われ、現在は使っていないようで
朽ちかけているが、貴重な近代化遺産といえよう。


 敷地の東端を北に進み、Hさんのもうひとつの乗降駅
だったという西武多摩湖線の八坂駅に向かった。

 歩いた距離はわずかだが、猛暑日の午後で、終戦当日
をしのばせる、厳しい日差しだった。
 

 

 

 
 
 
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