あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

いまが盛り 春の彩り(埼玉・所沢)

2011-04-30 21:20:41 | 所沢だより
 ゴールデンウイークに入り、わが家の周辺も春の彩りがいっぱいです。市内を散歩すると
そんな春の彩りを、あちこちで見ることができます。

 4日前の4月26日(火)と、今日、4月30日(土)に撮った幾つかをご紹介しましょう。

 まずは自宅近くの上新井にある、古くからこの地にお住まいのお宅の、庭先の花から。


 色鮮やかなハナミズキ。


 フジの株も開花し始めています。


 青空に映えるヤエザクラ。


 清楚な白花のハナミズキ。


 別の家の、広い庭の一隅に咲くツツジ。




 踏切を渡って線路の北に回ると、樹木園にモクレンが咲き残っていました。


 同じ樹木園のツツジ。


 この先は、今日歩いた中新井の住宅地の花。まずはツツジから。


 バラ科の花のよう。


 中新井5丁目の二ユータウン東端に続く遊歩道は、ハナミズキの並木が。


 途中で見かけた、そばの住宅のボタン。


 花と緑の遊歩道は、1㎞近く続いています。


 モッコウバラでしょうか。


 ツツジは、いろいろな彩りの花が見られました。


 まさに今が盛り。


 花に埋め尽くされていました。


 皆さんのお宅の周辺では、いま、どんな花が咲いているのでしょうか…。


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3度目の四国遍路(後編)・香川その4

2011-04-29 13:04:52 | 3度目の四国遍路
 第16日 2011年3月11日(金)
 =80番国分寺~83番一宮寺=

 5時50分起床、6時20分に朝食をする。受付で時刻表を借りて高松行きの時刻を確認、
時間が少ないので急ぎ、6時46分頃に東横イン中新町を出た。

 今日は連泊なので不要な荷物は宿に置き、ザックは軽い。出る直前まで雨だったたよう
だが、濡れずに駅まで行けた。栗林公園北口駅6時57分発に乗り、高松駅ですぐに乗り
換え、昨日のゴール、讃岐府中駅に着いた。

 県道33号に出て、1㎞余り先のファミリーマートで弁当を求める。国道11号を横断して
旧道に回り、80番国分寺に入る。

 松の多い広い境内、正面の本堂に参拝し、手前右手の大師堂へ。堂内に納経所があり、
遍路用品も販売している。
 
 寺の東側に回ると、これから上がる稜線が望まれる。



 寺の背後にある、奈良時代の讃岐国分寺の伽藍(がらん)の配置模型のある、広場の横
を抜けて、背後の峠に向かう。だが今朝は、なぜか左もものつけ根が痛み、特に上り段が
きつくて、ペースが上がらない。


 1時間前後かけて、ようやく稜線近くの展望台に上がり、南側に広がる国分寺町周辺を見
下ろす。


 すぐ後に着いた奥さんが、ヤマガラにヒマワリの種で餌(え)づけをして見せてくれた。

 奥さんは、国分寺の歴史に興味を持ち、研究会に参加して国分寺周辺の社寺などを訪ね、
ここにもたびたび来られるという。

 すぐに稜線を走る県道180号に出て、西に向かう。県道といってもほとんど車は通らない。
南側は、自衛隊善通寺駐屯地の演習場。鉄条網が張られていて、時々射撃訓練の音が聞
こえる。

 2㎞足らずで北側の遍路道に入り、自衛隊古田兵舎の裏手から白峰寺へ向かう。風が強
まり、木のこずえがゴウゴウと音を立てる。


 摩尼輪塔(まにりんとう)と下乗石(げじようせき)と呼ぶ江戸時代の石が並び、その説明板
があるところを過ぎ、さらに遍路道を緩やかに下って、81番白峰寺(しろみねじ)に着いた。


 標高280mの山上にあり、スピーカーからご詠歌が流れる。階段の上り下りが、やはり左
ももに響いて痛い。すっかり曇って風が冷たくなり、手がかじかむ。


 自衛隊舎のところまでは往路を戻り、さらに東に向かう。林間の遍路道には赤布を掛けた
丁石(ちょういし)地蔵がたくさん残り、アップダウンの少ない快適な落ち葉道が続く。


 中ほどに2、3個「陸軍用地」の標石も残っていた。二十八丁石から二十六丁石にかけて下
りとなり、五丁石から上がって県道180号へ。

 2日後に春大祭という足尾大明神の前を通過し、オレンジパークの看板のある三差路から、
林間の遍路道を下って、82番根香寺(ねごろじ)の山門前に出る。


 寺の標高は365mあり、ここも風が冷たく粉雪がちらつく。本堂に参拝後、堂内を回って万体
観音像を拝観した。


 納経後、大師堂のそばのベンチで昼食をするが寒い。先に参拝と食事を終えた、ヒゲの歩き
遍路氏が先発された。


 東に下る別格19番香西寺(こうざいじ)は、前回お参りしたので省くことにして、オレンジパー
クの看板まで戻り、車道を東南に向けて下る。


 東側の展望が開け、高松市周辺の海や、市街地南部の家並み、屋島などが望まれる。途中
のヘヤピンカーブ点2か所を、ショートカットする遍路道で下った。

 高松西高近くまで下ると、紅白の梅が見頃。ほぼ下った鬼無(きなし)町には、特産の錦松の
畑があった。


 JR予讃線鬼無駅の東に出て、本津川の永代橋を渡る。近くに、個人のお宅の一部を開放し
た、「飯田お遍路休憩所」があったので、外のベンチで小休止させてもらう。


 香東川沿いに出た。初回に歩いた成合町経由の遍路道を行きたかったが、一宮寺の納経時
刻を考慮し、香東川左岸の河川敷を抜ける、自転車道と歩行者の専用道を行くことにする。

 車は通れないが、ここはれっきとした県道269号である。

 川を渡る4本の車道の下を通過して川を離れ、県道12号に入って、83番一宮寺(いちのみ
やじ)には、16時35分に着いた。

 参拝を終え、なんとか締め切り前に納経所で御朱印をいただくことができた。前回まで気づか
なかったが、境内に岸信介元首相揮毫(きごう)の般若心経の石碑があった。


 境内で小休止して、山門を17時に出る。

 北に向かう県道172号に入るが、夕方で交通量が多いのに、歩道がない。狭い側道を、車を
気にしながら先を急ぐ。


 高松自動車道下を過ぎ、御坊川を渡り、スーパーまるなかで夕食を仕入れる。すっかり暗くな
った18時45分に、連泊の東横イン中新町に入った。

 部屋のTVスイッチを入れたら、東北地方を中心に大地震が発生し、大きな被害が発生してい
るとの報道で驚く。

 首都圏もかなりの揺れで、電車も止まっているらしい。間もなく息子から心配のメールがある
が、「こちらは何の影響もない」と返す。

 妻は今日、都内に行くと聞いていたので、メールするも連絡は取れない。別居の2人の娘と、
息子にメールで安否問い合わせのやりとりを続けるが、娘からのメールはなかなかない。23時
前後か、息子以外の3人が、それぞれ都内で足止めになったことを知る。

 【コースタイム】東横イン高松中新町6・46ーJR栗林公園北口駅6・57=高松駅7・05~09=
  讃岐府中駅7・27ーファミリーマート7・44~47ー80番国分寺8・04~25ー墓地8・52ー展望
  台9・33~47ー81番白峰寺10・43~11・02ーH435m点(古田)11・25ーH440m点(三差路)
  12・20ー82番根香寺(昼食)12・43~13・30ーH195m点(3・6㎞点)14・35ー公民館前BS
  14・55ー飯田お遍路休憩所15・10~16ー香東川左岸へ15・43ー県道12号へ16・15ー83番
  一宮寺16・35~17・00ー高松自動車道下17・42ーマルナカ18・00~17ー東横イン中新町
  18・45

  (天気 曇後晴、距離 30㎞、歩行地 坂出市、高松市、歩数 55,100、遍路地図
   78ー1、80ー1)


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3度目の四国遍路(後編)・香川その3

2011-04-27 21:23:10 | 3度目の四国遍路

 第15日 2011年3月10日(木)
 =74番甲山寺~79番高照院=

 5時50分に起床、6時半からの朝食の際、Kさんから、昨夜の夕食の席で話題にし
た、葉書大の用紙に書いた般若心経をいただき、良い記念の品となる。宿のおかみ
さんからも、朱織りの納め札を2枚もいただいた。おかみさんに見送られて、7時18
分に門先屋旅館を出る。

 麦畑の間の遍路道を東に向かい、2㎞あまりで74番甲山寺(こうやまじ)へ。

 境内はそう広くなく、南側の山門が新しくなっていた。納経を終えた頃、後発のK
さんも着く。

 川沿いから工場横などを通過して善通寺市街地に入り、75番善通寺の真ん中を
抜ける道路から、まずは東側の境内に入る。


 本堂に参拝後、堂内を一巡して五百羅漢などを拝観した。こちらの境内には、大き
く枝を広げる2本の大きなクスノキと、五重塔が目につく。


 遍路用品の販売所や大きな宿坊などのある、道路西側の境内に回り、大師堂に当
たる御影堂(みえどう)に参拝する。再び東側の境内に戻って、東側の赤門から出た。

 市街地を抜ける県道24号を東へ進み、善通寺駅の北側でJR土讃線の下を抜けて、
車の少ない遍路道を北に向かう。東側に、端正な山容の讃岐富士が望まれる。

 高松自動車道の下を抜けて、76番金倉寺(こんぞうじ)へ。境内に乃木大将妻返し
の松があり、その由緒を記した石標が立つている。


 近くの河津桜が咲き出していた。


 北に向かい、多度津町に入ってすぐの葛原正(かずはらしよう)八幡神社に、樹高27
mというクスノキの大樹があった。神社の前後は、緑鮮やかな麦畑が広がる畑作地帯。

 収穫した麦が、香川特産の讃岐うどんの原料になるのだろうか…。

 77番道寺(どうりゆうじ)の近くで男性から、自分で焼いたという、かわいらしいお
地蔵さんをいただく。寺のトイレに入ったら、同じ物が幾つか並んでいた。トイレには、
花も活けられ、額入りの飾り物などもあり、清潔感が感じられる。


 境内には、四国八十八か所や西国三十三観音などの、細身の石像が並び、多宝塔
もあった。



 寺の背後から県道21号を東に向かい、丸亀市街が近づく。元の職場で一緒だったF
さんが住んでおられるので、携帯電話にかけてみたが、「使われていない」とのトーキー
が入り、連絡できなかった。


 うちわを形どったヘンロ小屋18号丸亀城乾の前を過ぎ、県道33号を市の中心街へ。
市役所近くのさぬきうどん「つづみ」で昼食をする。初回の遍路の際、同行した四人で食
べたところである。


 市役所の近くからは、南側に立つ丸亀城が望まれる。


 少し先で、通りがかりの奥様から、百円のお接待をいただく。土器川の堤防からは、
讃岐富士がよく見える。


 午後はやや風が強くなったが、昨日ほどではない。宇多津町(うたづちよう)に入り間
もなく、県道から分かれる。古い家並みの残る通りに入ると、硬貨をたくさん組み合わせ
て作った人形を飾る店があった。


 少し高台にある78番郷照寺(ごうしようじ)に上がる。厄除大師堂のそばの地下に万
体観音堂があり、堂内には、小さい金色の観音像がびっしりと並んでいる。


 この納経所の若い女性は、にこやかに気持ちよく対応していただき、歩きの疲れも忘
れる。境内からは、間近に瀬戸大橋が望まれた。


 寺の先の通りも、古い家並みの続く通りを進む。多くの家に、きれいな生け花が飾ら
れ、通りの一隅に、ピンクの色濃いサクラが咲いていた。


 県道33号に分かれて本街道と呼ぶ通りに入り、瀬戸中央自動車道の下から坂出市
となる。中心街周辺にはアーケードがあるが、衣料、食品などの店のほかは、シャッタ
ーが降りていて淋しい。


 今夜はビジネスホテル泊なので、坂出の中心街にあった大型スーパーAEONで夕食
を求める。金山郵便局の先、ガスタンクのある四国ガスのショールームに、無料の足
湯があると記されていたが、先を急ぎ通過した。

 JR予讃線の南に回ると間もなく、番外霊場八十場(やそば)の水があり、石垣から
清らかな水が流れ落ちている。そばにある名物の、ところてんの店は休業日だった。


 間もなく79番高照院(こうしよういん)、一体となった境内の手前にある白峰宮にま
ず参拝する。ご神木の大きなクスノキがあり、ピンクのサクラがかなり見頃になって
いた。


 JR予讃線沿いに進み、加茂川駅の手前から線路の反対側の県道33に回り、次の
讃岐府中駅まで歩く。県道の途中で、奥さんから500円のお接待をいただいた。

 冷えてきた17時40分に讃岐府中駅に着き、上り電車で高松駅に向かう。高松駅で
徳島線に乗り換え、栗林公園北口駅で下車、18時40分頃、東横イン中新町に入った。

 【コースタイム】門先屋旅館7・18ー74番甲山寺7・49~8・05ー75番善通寺8・26~
  9・00ー76番金倉寺9・51~10・18ー善通寺市・多度津町境10・34ー77番道寺
  11・15~36ー西汐入川の橋12・14ー手打うどんつづみ(昼食)12・30~57ー丸亀市・
  宇多津町境13・35ー78番郷照寺13・50~14・15ー県道33号・本街道分岐14・47ー
  AEON坂出15・15~30ー八十場の水16・04ー白峰宮・79番高照院16・08~28ー
  JR加茂川駅前17・00ーJR讃岐府中駅17・40~59=JR高松駅18・18~22=JR栗林
  公園北口駅18・28ー東横イン中新町18・40頃

 (天気 晴、距離 30㎞、歩行地 善通寺市、多度津町、丸亀市、宇多津町、坂出市、
  歩数 50,500、遍路地図74ー2、76ー1、76ー2,78ー1)


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新緑の鎌倉天園ハイキング(神奈川)(続き)

2011-04-26 15:30:04 | ハイキング
 2011年4月25日(日) (続き)

 昼食後、大平山からさらに南に向かい、「カマクラ天園」と呼ぶ茶店の前を通過し、緑陰の
稜線を進む。


 杉などの林床にアオキの多い一帯を過ぎ、再び広葉樹林を抜ける。時々展望が開け、新緑の
山並みが見晴らせる。


 修行の場だったのか、岩壁がくり抜かれているところが何か所もあり、石仏を祭った岩もあ
る。クスノキの古木の多い地点を過ぎ、三差路を右折して西に向かって下り、瑞泉寺のそばに
出た。境内を拝観することにして、受付を入る。

 瑞泉寺は、鎌倉公方(くぼう)(鎌倉府の長)の菩提寺として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹(じゅ
っさつ)に列せられた格式ある寺院。創建は嘉暦2年(1327)で、紅葉ヶ谷に囲まれ西が開け
た一角にあり、開山した夢窓国師(むそうこくし)が作った、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園は
国の名勝で、境内は国史跡になっている。


 モミジに覆われた緩い石段を上がって山門を入ると、庭園には古木の梅がたくさん並び、本
堂では数人の僧の読経が聞こえる。




 この寺には、大佛次郎、川端康生、高浜虚子、永井龍男など多くの文人が来訪して文学作
品が創り出され、文学碑も多いという。



 色鮮やかなツツジや、山吹、アセビなどの咲く園内の遊歩道を一巡し、八重桜の咲く東屋の
下で小休止する。



 本堂背後の大岩に、岩をうがった岩窟があり、本堂左手の小さいお堂には、「どこもく地蔵
尊」と呼ぶお地蔵さんが祭られていた。


 石段を下がった入口周辺の梅林の下草に、たくさんのショカッサイが咲き、その一隅には、
大きく伸びたレンゲの花も見られた。

 拝観を終え、豊富な新緑に囲まれた住宅地を緩やかに下り、鎌倉宮にも参拝する。

 後醍醐天皇の皇子、護良(もりなが)親王を祭神とする神社で、社殿背後の土牢(つちろう)
が親王最期の地とか。創建は明治2年(1869)と新しい。


 色鮮やかなトキワマンサクの生け垣が並ぶ、清泉小前を通過する。南西の角には、「大蔵幕
府旧跡」の石碑が立っていた。

 横浜国大鎌倉小の南を回り、鶴岡八幡宮の境内に入った。牡丹園の北側に、「静御前(しず
かごぜん)終焉(しゆうえん)の地」の標柱があり、「静桜」と呼ぶサクラの若木が植えてある。


 この付近で、いったん自由時間として、16時半までに鎌倉駅前に集合とする。

 鎌倉アルプスでは大震災の影響か、ハイカーは予想より少な目だったが、さすが八幡宮には
参拝者が多い。それでも外国人らしい姿は少なかった。



 社殿への石段下、昨年3月10の強風で倒れた話題になった大イチョウは、倒れた根元の親
木が左に移され、根元とともに若芽の芽吹きが始まっていて、力強い生命力に感動させられる。


 石段を上がり社殿に参拝したあと、南側の弁天池のほとりへ。



 ツツジや八重桜が見頃になっていて、中の島の白いフジの花も満開だった。




 ソメイヨシノの若葉が広がる若宮大路沿いを駅に向かい、途中から西側の細いが賑やかな通
りに回る。すき間なく並ぶ土産店や喫茶天、食堂などを、大勢の観光客に混じってのぞきなが
ら進み、時間前に駅前に着く。

 JR鎌倉駅16時25分発の上り電車で、帰途についた。

 (天気 快晴、参加 8人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 鎌倉、歩行地 鎌倉市、歩数
  18,800、累積標高差 約720m)


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新緑の鎌倉天園ハイキング(神奈川)

2011-04-25 21:27:47 | ハイキング
 2011年4月25日(日)
 
 カントリーウオークの仲間の、この指止まれの鎌倉ハイキングに参加した。前日の激しい
風雨から一転して、この日はさわやかに晴れ上がる。

 JR横須賀線北鎌倉駅に集合した参加者8人は、10時10分に出発する。線路沿いから
県道21号を進み、まずは我が国最初の禅宗寺院で、鎌倉五山第一位という建長寺境内へ。


 総門を入ると豪壮な三門がどっしりと立つ。右手には、かやぶき屋根の鐘楼に、建長7年
(1255)鋳造という国宝の梵鐘(ぼんしよう)が下がっている。


 三門と仏殿の間には、数本のビャクシンが大きく枝を広げている。建長寺創建の、建長5
年(1253)に植えられたものとか。


 建長寺の中心にある大きな仏殿。


 その先には、修行僧の道場だった法塔(はつとう)があり、堂内が公開されていて、本尊の
千手観音や、天井に描かれた雲龍図などが見られる。

 建物は国の重要文化財である。

 広い境内には。みずみずしいモミジの若葉が多く、ツツジ、ボタン、ヤエサクラなどが咲き、
春爛漫(はるらんまん)の彩りを見せる。


 境内を東北に抜けて、半僧坊道を上がる。


 紅葉のような彩りのモミジがあり、オオデマリやモミジ、シャガ、ドウダンツツジなどの花
を眺めながら進む。




 「半僧坊大権現」ののぼりが並ぶ急な石段を上がって行くと、烏(からす)天狗の並ぶ斜面
の上に、建長寺半僧坊がある。


 明治23年(1890)に創建されたもので、家内安全、商運隆盛、厄除消除、大漁祈願、交
通安全、合格祈願などに御利益があるという。



 背後の稜線に近く、眼下に建長寺の甍(いらか)が見下ろせ、新緑の森の向こうに相模湾
が望まれる。


 富士山の展望も得られるようだが、雲が多くて見えなかった。



 その先から、「鎌倉アルプス」と呼ぶ稜線のハイキングコースへ。うっそうとした常緑広葉
樹林の下を、東に向かう。

 いたるところでウグイスが美声を競っている。歩きよい土の道の間に岩場もあり、昨日の
雨で少し濡れていたので、滑らぬように注意しながら進んだ。


 覚園寺境内への道を右に分け、送電線の下を通過して下ると、今泉五丁目の住宅地横に
出た。少し先の広場から再び上がって稜線に戻る。足下に咲くのは、ナルコユリだろうか。
わずかだがスミレも咲いている。


 左に、鎌倉ゴルフ場の南端に接した稜線を進み、鎌倉アルプスの最高点、標高159mの
大平山頂に着いた。展望が開け、多様な彩りを見せる新緑の森が広がる。


 北東には、横浜みなとみらい地区周辺の高層建築群も望まれる。



 山頂で記念撮影をして南側の広場に下り、ゴルフ場のクラブハウス前の緑陰で昼食にした。


(続く)


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明治薬科大の薬用植物園へ(東京)

2011-04-23 21:56:47 | 江戸・東京を歩く
 2011年4月21日(木)

 所沢「とことこ漫歩」で、清瀬市郷土博物館から清瀬中里緑地保全地域を歩いた後、
ゴールの西武池袋線秋津駅に向かう途中にあった、明治薬科大に寄り、薬用植物園
を見学することにした。

 明治薬科大の正門付近。左に見えるのは、正門を入ったところにあるハイブリッド
マイクロ発電装置。定格出力400Wの風車と、定格出力110Wの太陽電池で構成
されている。



 正門の守衛さんに断り、門を入って右手の薬用植物園に向かう。


 立っている銅像には、「恩田重信先生像」との表示がある。


 近くの、ツツジとヤマブキが花を競っていた。


 その先から、たくさんの薬草が栽培されていて、簡単な説明がある。これは、シロ
ヤマブキ。果実を、虚弱体質の改善や老化防止に用いるという。


 キョウガノコ。どんな薬効があるかは記されてない。


 つるに、丸まったカギがある珍しい植物。カギカズラといい、カギの部分が高血圧
の頭痛や、めまい、動脈硬化、けいれんなどに用いられるようだ。


 園内を巡る参加者。


 アカヤジオウという植物。補血、強壮、止血の効があるという。


 テンダイウヤク(天台烏薬)、漢方薬である。 


 アケビがたくさん花をつけていたが、薬効の表示はなかった。


 アーモンドで、甘みのあるものを鎮咳、去嘆、食用にするようだ。


 コテングクワガタ、これも薬効は分からない。


 キバナスズシロ(ルッコラ、ロケット)、種子は強壮作用を持つという。


 ほかにもたくさんの薬草が植えられていたが、これくらいにして見学を終えることにする。

 正門近くには、白花のシャクナゲが満開だった。 


 ミツバツツジも見頃である。


 30分ほど見学して、薬用植物園を後にして、ゴールの秋津駅に向かった。

 ちなみに、明治薬科大薬用植物園の見学は、平日の9時から17時(冬期は16時頃)
の間可能で、大学の正門か東門の守衛所にその旨申し出る。

 団体(10名以上)の場合は、あらかじめ問い合わせが必要のよう。

 なお、明治薬科大学薬用植物園のWeb pageは、以下をご覧下さい。
  http://www.my-pharm.ac.jp/herb/index.html

 場所:東京都清瀬市野塩2-522-1
 交通:西武池袋線秋津駅から徒歩約12分、JR武蔵野線新秋津駅から徒歩約17分


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清瀬市郷土博物館と清瀬中里保全地域を歩く(東京)

2011-04-22 20:22:40 | 江戸・東京を歩く
 2011年4月21日(木)

 所沢山里探訪会主催の、第4回所沢「とことこ漫歩」に参加した。今回は、所沢市の
南東に接する東京都清瀬市を訪ね、所沢市とのと都県境付近の里山を歩こうという
企画である。

 9時30分に西武池袋線の清瀬駅改札口付近に集合して、まずは北口のケヤキ通り
を進んで、清瀬市郷土博物館に入る。

 ここで約1時間ほどの時間をとり、オリエンテーションとして、同館友の会会長で清瀬
の自然を守る会特別顧問の栗山 究(きわむ)さんから、同氏が中心となって昭和51
年(1976)から進めてきた、清瀬市内の自然保護活動の様子を聞く。

 清瀬市は「緑と病院」の多いところだが、都市化の進展とともに緑が失われて来たの
で、市に働きかけてその保全に取り組み、この後訪ねる空堀川(からぼりがわ)周辺の
「中里緑地保全地域」や、駅に近い旧結核研究所跡地の「松山緑地保全地域」の設定
などにこぎつけ、継続してその整備や調査などに取り組んでおられるという。

 中里緑地保全地域の様子については、たくさんのスライドを上映して、絶滅危惧種など
貴重な植物が、この地に多く残されていることなど紹介された。

 同じ部屋で昼食をして、12時30分に博物館を出る。昼食後のひととき、館内にある
清瀬の歴史や動植物などの展示も観覧する。


 その一つ、これは「下宿のふせぎ」と呼ばれるもので、村に悪病が入らぬよう祈願する
ために、村境にかけたものとか。毎年5月3日にこの行事が行われるという。

 さて、昼食を済ませた参加者20人余りは、お話しいただいた栗山先生の先導で博物
館を出て、北西にある中里自然保護地域に向かう。

 近くの小公園に、白い花をいっぱいつけた木が見えたので、立ち寄ってみた。リンゴの
花のようだが、こんなにビッシリと花に覆われたリンゴは見たことがない。

 なんの木だろうか?、先生もはっきりお分かりにならなかったようだ。

 南北に走る小金井街道(都道24号)に出て、北へ500mほどで左折して、中里2丁目
の旧空堀川の流れに近い平地の雑木林へ。このあたりを、清瀬中里緑地保全地域「C
地区」という。


 クヌギやコナラなどの林床にはカタクリが多く、毎年3月下旬から4月上旬にかけて
「カタクリ祭り」が開催されるという。ところどころに、遅れたカタクリが花を見せていた。


 南側の段丘崖には、この後回った「B地区」の広葉樹林が望まれる。


 A地区の車道沿いに咲いていたアケビの花。


 A地区の南西端から、樹林の中の遊歩道に入り、クヌギなどの若緑の間を抜ける。


 林床には、首都圏では滅多に見られなくなったカントウタンポポが、あちこちに咲く。


 さらに進むと、ニリンソウの群落が何か所も見られた。


 林の北側に出て、旧空堀川跡をかさあげして、小さい流れを復元した「清瀬せせらぎ
公園」を上流に向かう。


 南側の林には、たくさんの花を見せるクヌギが目についた。


 車道の南に回って、やや急な段丘になっている「B地区」の斜面林に入る。


 こちらには、イカリソウがたくさん花を開いていた。


 せせらぎ公園の流れに戻って林を抜ける。流れにはホタルも生息しているという。
ホタルの幼虫は見つからなかったが、いくつものアメンボウが泳ぐのが見られた。


 清瀬四小の東に接した「せせらぎ管理棟」で休憩タイム。ここにはトイレもある。


 ひと休みした後、せせらぎに沿ってさらに上流に向かう。清瀬四小の背後の、ウワミ
ズザクラが開花していた。


 近くに並んで咲くニワトコの花。


 せせらぎ公園の最上流、空堀川の石田橋まで行き、空堀川右岸に沿って次の橋の上
流まで進むと、通称「おばけ山」と呼ばれる、西北西向き傾斜地の広葉樹林が「A地区」
である。

 川沿いに見られた、ヤマグワ(山桑)の可愛らしい花。 


 こちらも、クヌギやコナラ、ヤマザクラなどの、みずみずしい新緑に覆われていた。


 A地区は空堀川の梅坂橋のところで終わる。橋から振り返る中里緑地保全地域「A地
区」の新緑。右端はハナミズキの花。


 中里緑地保全地域は、わずかなエリアではあるが、栗山先生のお話の通り、写真では
紹介できなかったが、ほかにもいくつもの貴重な植物や花が残っていて、興味深く植物
散歩をすることができた。

 この後、梅坂橋を渡って隣の秋津駅に向かうのだが、橋の北側にあった明治薬科大に
寄り、構内にある薬草園を見学させてもらった。これについては、項を改めて紹介する。

 西武池袋線秋津駅には、15時50分頃に着いた。

(天気 曇、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 清瀬市)


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3度目の四国遍路(後編)・香川その2

2011-04-21 20:44:57 | 3度目の四国遍路
 第14日 2011年3月9日(水)
 =70番本山寺~73番出釈迦寺、別格18番海岸寺=

 5時20分に起床して6時から朝食、6時45分に若松屋別館を後にした。


 財田川の左岸沿いを進むが、追い風が強くて冷たく、菅笠を時々押さえる。流れには、カモメが
たくさん泳いでいた。

 交通量の多い橋を渡って、北側にある70番本山寺(もとやまじ)へ。

 本堂は、鎌倉末期の正応4年(1291)の再建で、国宝である。本堂左手には五重塔がある。


 車の多い国道11号に出て、間もなく右に平行する旧道へ。車が少なくて歩きよい。国道と合した
近くにあった権兵衛神社に、「乃木大将追慕碑」が立っていた。

 再び国道に出て、池のそばから左の県道221号に入り、スーパーマルヨシで昼食を求めた。県
道は幅4mくらいしかなく、車の交差が難しそうなところもあるが、あまり車は通らない。


 高瀬郵便局で資金補充し、高瀬川沿いを少し進んで川を渡る。右手に、独特の山容の山が望ま
れる。県道とは思えぬ狭い車道を進んで、高瀬町を抜ける。田園地帯となり県道を離れ、山すそ
に近づく。


 簡素な机と椅子の置かれた、「いやだに温泉足湯」の前を過ぎ、さらに上ると俳句茶屋があり、
71番弥谷寺(いやだにじ)の山門をくぐる。


 急な石段などをさらに上ると、南側の展望が開けてきた。最奥の標高220mにある本堂に参拝
する。そばの岩壁に、阿弥陀如来や観音菩薩などの磨崖仏が刻まれていた。


 近くのベンチ際にザックを置いて、多宝塔の下を通って中腹の大師堂まで下る。大師堂は靴を
脱いで上がって参拝し、堂内の納経所で御朱印をいただく。ベンチに戻り、昼食をした。


 食事中に、民宿岡田で同宿の明石市の人が上がってきたが、食事を終えても本堂から戻らない
ので、番外霊場海岸寺に向かう。

 東側の天霧城跡への道標に従い、林間の遍路道へ。傾斜は緩やかだが、石が多くて少し歩きに
くい。標高288mの天霧峠に出て、北の白方に向かって下がって行く。


 途中には、西国三十三観音の石仏が並ぶ。砂防ダムの下で車道に出て、さらに下る。前方に、
海岸寺周辺の街並みが見えてきた。


 弘法大師の開基という、番外霊場虚空蔵寺に寄り、白方の集落へ。



 讃岐富士を眺め、細い路地を上がって白方小の横を通過する。


 行く手のこんもりした台地上に、海岸寺奥の院の塔が見えてきた。JR予讃線海岸寺駅そばから、
線路沿いを進んで寺に入る。雲が増えて雨になりそうなので塔には上がらずに先に向かう。

 陽が陰って風が一層冷たくなってきた。海岸沿いの県道21号に出て少しで、別格霊場18番海岸
寺に入る。


 仁王門には、地元出身の力士、琴ヶ浜と大豪の2力士が、仁王像の代わりに立っている。奥之院
もそうだったが、ここも本堂のみで大師堂はない。

 折り返しルートに向かい、海からの流れが一杯の広田川を渡る。



 県道217号沿いにある、弘法大師のご母堂、玉依御前の屋敷跡で安産祈願の寺という、番外霊
場の佛母院(ぶつもいん)にも参拝した。


 寺のそばの路傍で、八重桜が咲き出していた。JR予讃線を越えて、県道205号を過ぎた先に、
新しいヘンロ小屋29号「多度津おかのやま」があったので小休止した。

 小屋はちょっとした高台にあり、これから向かう我拝師山などが望まれる。真っ直ぐに伸びる県道
217号をしばらく進み、閉店後のさぬきうどん店のトイレを借りる。


 高松自動車道の下を抜け、近づく我拝師山を眺めながら吉原町へ。72番曼荼羅寺(まんだらじ)
のそばの門先屋(もんさきや)旅館に16時15分に着いた。


 ザックを預けて緩やかに上がり、まずは73番出釈迦寺(しゆつしやかじ)に参拝。時間がないので、
我拝師山にある奥の院、捨身ヶ嶽禅定(しやしんがだけぜんじょう)への参拝は省く。

 境内からは、讃岐富士や多度津の町並み、瀬戸大橋などが望まれる。ゆっくり眺める暇もなく、下
り道を急ぐ。


 72番曼荼羅寺に入り、先に御朱印をいただいた後、参拝する。参拝を終えたら17時3分だった。


 大きなわらじが奉納された山門を出て、すぐ右手の門先屋旅館には、17時4分に入った。

 部屋は広い八畳間。暖房が入って暖かくなっていた。すぐに入浴する。先に入っていた若い男性は、
東京・門前仲町から来て、今日から3日間の区切り打ちとのこと。

 夕食の席には、民宿岡田で同宿の明石市のKさん(食卓の表示で名前が分かる)、東京の若い男
性、同じ東京からのご夫妻、遺跡などにも興味があり、ゆっくり回るという別のご夫妻の、計7人の歩
き遍路が集まり、なごやかに話しながら美味しくいただく。

 今日は一日中風が強く、菅笠が飛ばされそうで、何度もあおられ、寒い一日だった。

 【コースタイム】若松屋別館6・45ーJR予讃線下7・35ー70番本山寺7・50~8・17ー国道・県道合流
  点付近(権兵衛神社)9・05~08ースーパーマルヨシ9・28~40ー高瀬郵便局9・54~57ー高瀬町
  新名10・10~20ー71番弥谷寺11・30~12・37ー天霧峠12・55ー虚空蔵寺13・25~32ー海岸寺奥之
  院14・05~17ー別格18番海岸寺14・22~37ー佛母院14・46~15・00ーヘンロ小屋29多度津・おか
  のやま15・15~23ー吉原小16・03ー門先屋旅館16・18~19ー73番出釈迦寺16・27~41ー72番曼荼
  羅寺16・50~17・03ー門先屋旅館17・04

 (天気 晴後曇、距離 27㎞、歩行地 観音寺市、三豊市、多度津町、善通寺市、歩数 42,500、
  遍路地図 72ー2、74ー1、74ー2、102ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・徳島その2・香川その1

2011-04-19 22:03:30 | 3度目の四国遍路
 第13日 2011年3月8日(火)
 =66番雲辺寺~69番観音寺=

 5時45分起床、6時半前から男性4人と、昨夜は夕食無しだった東京の女性とで朝食
をして、おにぎりのお接待をいただく。

 兵庫県明石市の人は、葉書大の用紙に黒ペンで般若心経を書いて、納経されている
とのこと。拝見すると小さい文字だが達筆で、よくこのように書けるものと感心する。

 4人中一番若い男性と、車で回っているが雲辺寺へは歩いて上るという東京の女性が
先発した。

 残り3人も出ようと外に出たら、思いがけず雪になっていた。ポンチョとザックカバーを
して、一緒に7時12分に民宿岡田を出る。

 「また来なさいよー」と、親父さんの声。親父さんには、角を曲がって見えなくなるまで、
手を振って見送っていただいた。

 徳島自動車道の下を抜けて、山にかかる遍路道の斜面に入ると、雪がうっすらと積も
っている。


 各々マイペースで上がり、次第に離れ、私はいつの間にか先になった。

 稜線上の車道も一面の雪。車のわだちは滑りそうなので、新雪の上を歩く。先発の2人
の踏み跡が、はっきりと残っている。

 
 一時かなりガスが濃くなり、視界の利かないところもあった。


 休まずに上がり、岡田から2時間ちょうどで、66番雲辺寺(うんぺんじ)に着いた。標高
910m、四国八十八か所中、最高地の霊場である。

 境内も2㎝くらいの積雪、本堂はコンクリート造りに改築され、以前より趣(おもむき)に
乏しい。納経所の女性の話では、一昨日はぼた雪だったが、昨夜は粉雪になったという。
間もなく後続の2人も着いた。



 うっすらと雪を乗せた五百羅漢の横を通過して、徳島・香川県境の稜線に出る。二つの
アンテナ塔の間から、香川県側への下山路へ。

 北面なので雪が多い感じ。滑らぬようストックを十分に使い、前回回った別格16番への
道を左に分ける。この下り道には、ところどころに木のベンチが置かれている。


 やがて雪は消えて傾斜も緩んできた。林間の切れ目から、観音寺の町並みが望まれる。


 酸性雨のためだろうか、立ち枯れの松が並ぶ一角があった。


 日帰りハイキング姿の女性と行き交い、雲辺寺から4㎞余り下って県道240号に出た。

 民宿青空屋の横を通過し、少しずつ下る。県道沿いには丁石のお地蔵さんが数多く残
され、花を供えたりして、地元の方々の厚い信仰の様子が伺える。



 岩鍋池まで下ると、観音寺の町の背後の山並みが望まれる。右に迂回して下り、東側
山門から67番大興寺(だいこうじ)に入るところで、民宿岡田を先発の、Mさんと会う。

 山門を入った先に、樹高20m、樹齢1200年余りというカヤの大木と、香川の保存樹
になっているクスノキの古木が立っている。


 参拝後、納経所で、「因幡の白うさぎ」という和菓子のお接待をいただく。境内のベンチ
で岡田お接待のおにぎりと、スティックパンの昼食をした。


 寺を出て少し下ると、右手に明日向かう73番出釈迦寺の奥の院のある、我拝師山
(481.2m)の独特の山容が見え、正面には観音寺市街背後の山が望まれる。

 すっかり晴天となったが、北風がやや強まる。菅笠があおられるのでうつむき加減となり、
県道6号の周辺を見る余裕がない。潅漑用の仁池は、かなり波立っている。


 反対側の心光院には、道しるべの丁石仏が並んでいた。

 県道24号と合した池之尻交差点の先は、少しだけ県道の東に平行する旧道を進む。高
松自動車道の近くにあった、手打ちうどん大多喜に入り、わかめうどんを注文して食べる。


 簡易な笠屋根の「お遍路さんの休憩所」を過ぎ、国道11号との交差点際のスーパー・マ
ルヨシセンターに入って飲物を購入した。JR予讃線を越えて観音寺市街に入り、3度目の
若松屋別館へ。

 ザックを預けて財田川を渡り、同じ境内の68番神恵院(じんねいん)と69番観音寺(かん
おんじ)に参拝する。中ほどにご神木のクスノキの巨木がある。


  観音寺本堂と大師堂の間から、松の多い琴弾(ことびき)公園に上がり、海岸の砂に描
かれた、寛永通宝の巨大な銭形(ぜにがた)を見下ろす。

 東西122m、南北90mあり、寛永10年(1633)、丸亀藩主が巡視の際に、歓迎のため
に地元古老達が一夜で作り上げたとか。以来、砂上の芸術として長く継承されているという。

 展望台の先で左手を上がり、初めての琴弾八幡宮にも参拝した。前2回とも入口に気づか
ず、先に進んで車道を下ってしまったのだった。境内からは、観音寺の町並みが一望できる。



 八幡橋を戻り、16時55分に若松屋別館に入る。部屋は3階最奥の307号室で、トイレと
洗面所付き。すぐに入浴して、出た後、洗濯機も借りる。

 夕食は18時過ぎから。冬山にも登られ多彩な活動をされている、おかみさん手作りの献立
を、美味しくいただく。宿泊者は、お遍路でない若い男性と私だけだった。

 【コースタイム】民宿岡田7・12ー稜線上の車道8・25ー66番雲辺寺9・12~35ー頂上線分岐
  9・49ー3・2㎞点10・40ー民宿青空屋11・21ー新池11・58ー67番大興寺(昼食)12・30~
  13・15ー豊田小横交差点13・53ー手打うどん大多喜14・15~37ーマルヨシセンター14・53~
  15・01ー若松屋別館15・42~46ー68番神恵院・69番観音寺15・55~16・23ー琴弾公園展望
  台16・24~39ー琴弾八幡宮16・40~46ー若松屋別館16・55

 (天気 雪後晴、距離 25㎞、歩行地 徳島県三好市、香川県観音寺市、歩数 43,400、
  遍路地図 72ー1、72ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・徳島その1

2011-04-18 21:13:43 | 3度目の四国遍路
 第12日 2011年3月7日(月)
 =別格15番箸蔵寺へ往復=

 5時45分起床、6時半からの朝食も瀬戸市のMさんと一緒にいただく。今日も連泊なの
で、不要な荷物は部屋に置いて、7時15分に出発した。

 昨夜の雨は上がり、周辺の山からガスが上がる。ザックカバーだけして出発、明日行く
雲辺寺への遍路道に分かれ、国道192号へ。


 昨夜から、右足のくるぶし付近に違和感があり、歩き出したら少し痛みがあり気になっ
たが、歩いているうちに薄らいだ。


 馬路からは左側の旧道を進む。境宮神社には、ご神木のイチョウと杉の大木が立つて
いた。


 天神バス停からは右側の旧道に入る。深川橋際の小さい社の境内に、「大藤」と呼ぶ
フジの古木が、大きな枯れ木に絡まっていた。


 雲辺寺へ上がる県道268号の、交差点の先は歩道が無く、高速で通過する自動車が
煩らわしい。


 狭い歩道しかない二つのトンネルを抜け、白地バス停のところから、左へ入る県道267
号へ。入口付近の温度は5度を示す。

 すぐ先の、民家の軒下にあったベンチを借りて小休止する。吉野川の左岸、池田湖沿
いに進む県道は、車が少なくて安心して歩ける。


 大きなアーチで吉野川を越える徳島自動車道の橋下を通過すると、しばらくは人家が
途切れる。



 吉野川をせき止めた池田湖の、ダムサイト横を通過し、四国中央橋からの車道と合す
ると、かなり交通量が増えてきた。


 箸蔵(はしくら)の町並みに入って左に上がり、JR土讃線と国道32号を横断し、箸蔵山
ロープウェイの登山口駅へ。

 上りのみの切符を買い、11時30分発のロープウェイに乗る。

 箸蔵の町並みを見下ろし、わずか3分で山頂駅に着いた。標高は500mになる。

 すぐに、別格霊場15番箸蔵寺境内に入る。


 広い境内を進み、最奥の223段の石段を上がると、山を背にして三つの社殿が連なる、
豪壮な本殿がある。

 四国霊場の中心はどこも本堂だが、ここでは本殿と呼ぶ。仏教と神道が一体となってい
た時代の様相を色濃く残す建物で、安政元年(1854)以降に着工され、明治初頭に完成
したといわれ、国重文に指定されている。


 本堂の左手、広い空き地の先にある大師堂は、宝行造り。途中にある独特の造りの鐘楼
堂や、本殿を小ぶりにしたような護摩殿も国重文に指定されている。

 納経所に戻り、正午過ぎに御朱印をいただく。納経所に断り、そばの屋根付きの長いベン
チで昼食とし、民宿岡田お接待のおにぎりと、スティックパンを食べた。


 下りは遍路道を下ることにした。石灯籠の並ぶ石段を下りて、どっしりした山門を通過し、
林間を下って国道32号に出る。


 あとは往路と同じ道を戻る。来るときに、白地バス停で帰路のバス時刻を見てきたので、
それに間に合わせようと歩を進める。


 紅梅が見頃のダムサイト付近で小休止し、徳島自動車道付近まで戻ったら雨になったの
で、ザックカバーをしてポンチョを被る。


 15時12分に白地バス停に着き、そばの倉庫風の建物で雨宿りして、三好市営のバスを
待つ。

 15時31分発のバスは5分ほど遅れて到着し、民宿に近い、佐野バス停終点には、15時
47分頃着いた。民宿岡田には、15時55分に戻る。

 玄関には、懐かしい黒電話が健在で、大震災などで停電になっても使える。すぐに入浴し、
汗はほとんどかかなかったので洗濯はしなかった。

 夕食は17時40分頃から。今日の宿泊者は、私のほかは高槻市の人など男性3人。いず
れも初めての遍路とのこと。

 食事後、岡田の親父さんから、明日の66番雲辺寺への行程をはじめ、その先70番付近
まで、地図を配ってコースの説明がある。

 この宿は、親父さんが仕事を辞めてから始めて、40年になるとか。初めは、歩き遍路より
も工事の人の宿泊が主だったようだ。

 親父さんが協力したアンケートなどをもとにまとめた、四国遍路をテーマにした分厚い博士
論文などを見せてもらう。また、岡田さんが昨年、大窪寺でもらった結願証も見せてもらった。

 ちなみに、この結願証は2,000円でいただけるとのこと。 

 この宿に何10回も宿泊された人の話や、霊場でスケッチをして回る人のことなども聞く。
今日の宿泊所のひとりは、霊場やその日印象に残ったところなどをスケッチして、ほぼ毎日、
奥さんに送っておられるという。

 今夜も、岡田の親父さんを囲み、19時過ぎまで、楽しくなごやかに話が弾んだ。この雰囲
気が、また来たくなる源なんだと思う。

 【コースタイム】民宿岡田7・15ー馬路小7・58ー天神BS8・21ー白地BS9・05ー徳島自動
  車道下9・27ー池田ダムサイト上10・04ー四国中央橋からの三差路10・43ーロープウェイ
  下11・15~30=(ロープウェイ)=別格15番箸蔵寺11・25~12・30ー国道32号戻り13・12ー
  四国中央橋からの三差路13・32ーダムサイト上14・05~15ー徳島自動車道下14・50~55
  ー白地BS15・12~36=(バス)=佐野BS15・47ー民宿岡田15・55

 (天気 曇一時晴後雨、距離 25㎞、歩行地 三好市、歩数 41,900、遍路地図 72ー1、
  100ー1)


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