あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

今年1年ありがとうございました

2010-12-31 21:24:21 | Weblog
 2010年も間もなく終わろうとしています。昨日歩いた所沢市の西郊、椿峰(つばき
みね)団地の一角では、水仙が咲き出していました。


 また、大晦日の今日、同じ所沢市内の久米(くめ)では、紅梅がほころびはじめて
います。


 年末寒波で、全国各地でかなりの降雪のようですが、首都圏では、このような新春
の兆しも見られます。

 この1年、2010年も、当ブログを多くの方がご覧下さり、本当にありがとうござい
ました

 来年、2011年も、ウオーキングを中心に、楽しんでいただけるような話題をアップ
して参りたいと考えております。どうぞ今年同様、よろしくお願いいたします。

 皆様にとって、新年がよき年となりますよう、お祈り申し上げます

 
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新年の七福神巡りに雑誌『新ハイキング』を

2010-12-29 22:32:44 | Weblog
 12月29日(水)、今年も残りわずかになりました。

 今日昼ごろ、いつもの所沢航空記念公園にウオーキングに出かけたら、市立図書館
近くの広場に、ロウバイが咲き出していました。



 先日お伝えした2か所のロウバイは、まだ葉が付いたままでしたが、ここは、すっかり
葉が落ちていて、本来のロウバイの咲く姿になっています。



 それにしても、従来は新年になってから咲き出したものですが、最近はどうやら年末
に咲き出すのが普通になってきたようです。



 航空記念公園から、新所沢駅に近い緑町中央公園に回ったら、こちらはもう梅の花
が開花していました。


 この公園には、例年市内のほかの梅より早く咲き出す木が3本あるのですが、その
3本とも、花がチラホラとしているのです。でも、年内に咲き出すのは、いつもより早い
ような気がします。


 やはり梅も、開花時期が早くなってきているのでしょうか…。


 ところで、お正月というと、初詣とともに七福神巡りを計画されている方もおられる
のではないかと思います。

 日本海側は、正月前後は大雪のところが多いようですが、首都圏は晴天の日が、
かなりあると思われ、そんな日は、風がなければ七福神巡りに好適です。

 七福神も最近はたくさんあるので、どこに行こうかということになりますが、その際
参考にしていただけるのが、現在首都圏の書店に並んでいる雑誌『新ハイキング』
の2011年新年号です。
 


 『新ハイキング』は毎年、正月号で七福神巡りと干支にちなんだ山のガイドを特集して
いますが、今号も同様です。

 「特集 七福神・卯年の山」として、武蔵五日市七福神、亀戸七福神、くりはし八福、
横浜金沢七福神、石川県・福井県の大長山-赤兎山、取立山、新潟県の兎岳-荒沢
岳を紹介しています。

 ちなみに、この中の「くりはし八福」は、私が今年1月19日に訪ねた際のレポートを
投稿したものです。

 ほかに、卯や兎という名のつく山を紹介した「卯年の山」や、正月向けの山の紀行12
コース、冬でも歩けるおすすめガイド10コースなどが掲載されています。

 正月のごちそうとアルコールに漬けの後は、新ハイキング新年号を参考に、見通しの
利くこの時期の、ハイキングやウオーキングにお出かけになってはいかがでしょう…
 
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年末恒例の所沢羽子板市を開催中(埼玉)

2010-12-26 22:48:28 | 所沢だより
 2010年12月26日(日)

 所沢市街地の一角、元町にある所沢市中心市街地活性化拠点施設『野老澤町造
商店(ところざわまちづくりしょうてん)』で、年末恒例の所沢羽子板市が開催されて
いるとうので行ってみました。


 この催しは、今年で4回目を迎えるとのことです。




 羽子板は、いまから約500年前、宮中で新年を祝い、女性どうしで羽根つきをして
遊んだのがはじめとか。それが縁起物や飾り物として豪華な羽子板に変身したのは、
江戸時代の元禄のころのようです。

 所沢は、押絵羽子板の日本一の生産地として知られていて、現在、所沢人形協会
の加盟店は、所沢市内が9店、近隣のふじみ野市、新座市、狭山市、東京都東村山
市と東大和市、武蔵村山市の店を含めて17店あるようです。



 店内には、歌舞伎の役者絵をはじめ、愛らしい着物姿など、たくさん並んでいます。


 












 上の写真は、いずれも飾り物の羽子板ですが、下のような羽根をついて遊べるものも
ありました。でも、デザインは昔のものとはだいぶ違います。


 この羽子板市は、28日(火)までの10時から18時まで開催中です。

 場所は、所沢市元町21-18(中央公民館や商工会議所、所沢出張所などのある
新しい建物のはす向かい) 電話/FAX 04-2923-1453   

 この建物は、以前、野老澤町造商店として使われていたもの。このような蔵造りの
建物は、20年くらい前には、この通りにずいぶんあったのですが、いまは数戸あるか
無しに減ってしまい、右に見えるような高層建造物が増えています。
 
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第2回山里探訪会講座へ(埼玉・所沢)

2010-12-23 22:29:32 | 所沢だより
 2010年12月22日(水)

 13時30分~16時30分、所沢市立中央公民館で開催された標記講座に参加した。
10分前くらいに入ったら、すでに学習室はいっぱい。参加者は60人を超えていそう。
私は、何とか最後列の机に座ることが出来た。

 今日の講師は、この会の代表、飯野頼治さん。11月27日に参加したスローウオー
キング『秩父往還甲州道』でもお世話になった、秩父をはじめ、県内の歴史や文化、
民俗などに造詣の深い方である。

 配布された資料は、「秩父往還と吾野道」↓と、「所沢市街地・歴史道路地図」、それ
に「所沢・山岳展望図」だった。



 講座の最初は「秩父往還と吾野道」について

 上記写真の資料と、所沢市街地・歴史道路地図を使い、まずは秩父往還についての
話。周りを山に囲まれた秩父に入る往還の主なものとして、上州道、熊谷道、吾野道、
名栗道、甲州道、信州道といったものがあったことことを話された。

 次に、所沢市街地の主要道として、鎌倉街道・入間川道、川越道、水子道、引又道、
江戸道、鎌倉街道・府中道、青梅街道、秩父道があり、その起点は現在の峰の坂交差
点であるとのこと。

 3番目に、所沢の秩父往還沿いにいまも残る史跡の数々について、道路沿いや社寺
にある石碑や富士塚、古地図などについて紹介された。

 これらの中には、私も立ち寄った場所も多かったが、全く気づかなかった史跡がたくさ
んあることが分かり、大変興味深く、いずれ再訪して確かめてみたいと考えている。

 次に、所沢からの秩父往還の途中である、飯能市のことについて、

 飯能の人で、水戸藩徳川家の家老として重用された中山信吉という人のこと、飯能
戦争と渋沢平九郎について、五代将軍綱吉の生母、桂昌院と天覧山の旧名、羅漢山と
の関係など、初めて知ることが多かった。

 さらに、吾野から正丸峠への道筋の社寺や遺跡、正丸峠の旧名考、横瀬から秩父市
街地への道にある観音堂などについても、興味深い話だった。

 そのあと、所沢市街の中心にある高層ビル・フォーラスタワー29階から見える、大山
から丹沢山地、道志山地、富士山、大岳山や御岳山など奥多摩の山並みを経て、奥秩
父の雲取山あたりまでの、素晴らしいパノラマ写真が披露された。

 配布された「所沢・山岳展望図」は、写真を撮られたMさんの写真をもとに、飯野さん
が地図で調べて山名や峠、丘陵あどを含めて書いたスケッチ図で、わが家周辺からの
山岳展望にも大変参考になる。
 
 講座を終わって出た市民会館の入口付近。今年完成した新しいビルである。 、


 歩いて30分近く、わが家周辺に戻ったら、いつもの場所から冬至で早い日没後の富士
山が望まれた。もらった展望図によれば、左のピークは大室山(1588m)だろうか。

      大室山     加入道山                   宝永山            富士山



 時刻は、ちょうど17時だった。
 

 
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武蔵国分寺跡から都立殿ヶ谷庭園へ(東京・国分寺)

2010-12-22 11:26:46 | ウオーキング
 2010年12月19日(日)(午後)

 カタツムリ歩行は13時頃散会となり、参加の皆さんはそれぞれ帰路に向かいます。

 私は、やまさんなど数人と一緒に、周辺を回ってから帰ることにしました。

 まずはゴールの八幡神社から、南側にある武蔵国分寺跡の史跡公園へ。奈良時代
中期、聖武天皇が鎮護国家を祈念して、全国各地に建立させた仏教寺院で、武蔵国
分寺は、その中でも最大級の規模だったようです。

 しかし、鎌倉時代末期の「分倍河原の戦い」で消失し、現在は広い跡地が国史跡と
なり、今年2月から来年3月まで、金堂跡の発掘調査が行われているところです。


 東側の跡地の一角には↓、七重塔の礎石が残っていました。

 続日本書紀(しょくにほんしょき)によれば、ここに立っていた七重塔は承和2年
(835)に、雷火で消失し、10年後に再建したという記録があるようです。

 公園の北側に抜けて、午前中通過した「お鷹の道」に向かいます。


 途中の住宅地の一角にあった、ライトハウスという軽食と喫茶の出来る店は、TV番
組「ちい散歩」で、地井武男さんが最近訪ねてきたようで、写真が飾ってありました。


 お鷹の道を東に抜け、東元町三丁目を北東に進み、野川の不動橋を渡りました。
北側に、「不動明王」と刻まれた石橋供養塔(左)と、庚申塔(右)が並んでいました。

 石橋供養塔は天保3年(1832)、庚申塔は延享2年(1745)の造立とのことです。

 すぐ先の不動橋交差点の東側に、野菜などを販売するエコマーケットがあったので、
立ち寄りました。別棟にはパンも販売する店もあります。


 国分寺駅に向かって坂道を上がり、駅の近くにある都立殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園
に入ります。大正初期に満鉄副総裁の別邸として造られ、後に三菱財閥の5代目、岩
崎彦弥太氏の別邸となったものとのことです。

 ボランティアガイドのNさんが案内してくれることになり、30分余りかけて園内を一周
しながら、ここにある植物のことなどを解説していただきました。


 まだ落葉前のロウバイですが、よく見ると幾つも花が咲き出していました。

 1週間前の佐倉でのロウバイ同様、異常気象で早咲きとなっているのです。

 150本あり、11月下旬には見頃だったというイロハモミジも、いまは、わずかしか
残っていません。


 園内には赤松が多く、いずれも、きれいな幹とりっぱな枝振りです。


 岩崎家の別邸となってから建てられたもの。 


 ケヤキなど広葉樹は、ほとんど葉が落ちていました。


 芝生広場に何本もあった多様松。上に伸びず横にたくさんの枝を広げています。


 趣ある竹のトンネル。


 1本だけ葉の残っていたモミジ。


 東京都名湧水57選に選定され、野川の水源の一部になっているという、国分寺崖線
(がいせん)(通称ハケ)と呼ぶ斜面から出る湧水の横を、別荘に向かって上ります。

 ちなみに、野川の主な水源は、国分寺駅と西国分寺駅の間、JR中央線の北にある
日立中央研究所構内の池だそうです。

 別荘から見下ろす池の周辺。ビルや商店などが林立する駅周辺とは思えぬ園内でも、
ひときわ静かなたたずまい。


 園内にはほかに、樹齢120年というノダフジ、4月上旬に咲くハナモモやキクモモ、
10月から11月に咲く吉祥草、実のついたヤブコウジやマンリョウ、淡緑の花の咲く
富貴草(ふうきそう)、古代紫、消炎剤となるボラギノール、数の多いモッコク、大木
のイチョウやヒマラヤスギ、花を見せていたツワブキなど、5万6千坪という園内には、
豊富な木々や草が満ちあふれていました。

 なお、都立殿ヶ谷戸庭園は、年末年始を除き毎日9時~17時に開園、入園料は
大人150円、65歳以上は70円です。

 殿ヶ谷戸庭園から、JR中央線、西武国分寺線と多摩湖線の国分寺駅までは、1
~2分です。

 



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カタツムリ歩行 JR武蔵野線 西国分寺駅(東京)

2010-12-20 21:31:33 | カタツムリ歩行
 2010年12月19日(日)

 JR武蔵野線とその周辺の駅を、カタツムリのようにのんびりじっくりと、年10回
歩く「カタツムリ歩行」が、この日、まる20周年となる第200回記念例会を迎えた。

 集合は、JR武蔵野線と中央線とが交差する西国分寺駅。参加者は、思い思い
に数人ずつのグループを作り、行きたい方向を回って正午のゴールを目指す。

 私も最後の、事務局のDさんたちのグループに入り、10時過ぎに出発した。  

 中央線の北側、武蔵野線の東側すぐの、駅ホームが見えるところに、姿見の池
緑地保全地域というのがあり、武蔵野を偲ばせる雑木林に遊歩道がついていた。


 保全地域の東端には姿見の池があり、探鳥のために望遠レンズ付きのカメラを
構えた数人が待っていた。

 鎌倉街道の宿場があった恋ヶ窪の遊女が、朝夕自分の姿を映したことから「姿見の
池」と呼ばれるようになったとか。大岡昇平著「武蔵野夫人」の舞台でもあるという。

 柿やユズなどの実る西恋ヶ窪の住宅地を進んで、西武国分寺線の線路に近い熊野
神社に行く。

 創建は、少なくとも1,000年以上前といわれ、国分寺市最古の神社らしい。境内東
側には、幹周り3.9mあるという、すっかり葉の落ちたケヤキの高木が立っていた。

 社殿の近くには芭蕉句碑と、地元恋ヶ窪出身の俳人、可尊の句碑が並んでいる。

 駅に戻るように南に進んで、東福寺に入る。社殿はコンクリート造りで、趣に乏しい。


 武蔵野線の西側に回り、西恋ヶ窪二丁目の市民農園の横を通過する。


 掘り割りになっているJR中央線の上を、車の通れぬ跨線橋で渡り泉町三丁目へ。
線路際に、国分寺市保存樹林地となっている一角があるが、周囲を柵で囲んであり、
中に入ることは出来ない。


 西国分寺駅前まで戻り、中央線の南側を東に抜けて、新しい集合住宅や情報通信
総合研究所の横を進み、広々とした原っぱになっている都立武蔵国分寺公園の円形
広場に入った。

 穏やかな日差しに誘われて来た家族が、たこ揚げをしたり散策を楽しんでいる。

 この公園は、旧国鉄の鉄道学園跡地に作られたもので、毎年11月第1日曜に開催
される「国分寺まつり」の会場になるという。

 ちなみに、「国分寺まつり」は、市民まつり、商工まつり、農業祭が一堂に会して開
かれる市内最大のイベントで、姉妹都市・佐渡市の物産直売や伝統芸能の披露、市
民手づくりの模擬店や、ステージ、パレードなどがくりひろげられるようだ。

 広場の南西にある「武蔵の池」↓の橋を渡り、南側の広葉樹林の中の散策路を抜
ける。


 林の縁にある、大きなコブシの枝一面にある芽が、かなりふくらんできていた。


 広葉樹林下の急坂を下って行くと、弁財天が祭られていて、そばに東京都名勝とな
っている「真姿の池(ますがたのいけ)湧水群」の水源があり、名水をくむ人もいる。


 すぐ下流の農家が、国分寺の地場野菜販売所となっていて、販売品のカブを湧水に
浸して、鮮度を保っている。 これなら、みずみずしくておいしそう…。


 湧水の流れるこのあたりは、江戸時代に尾張徳川家のお鷹場にあたっていたことから
いつのころからか「お鷹の道」と呼ばれ、昭和47~48年(1972~3)に国分寺市が
遊歩道として整備し、木々の多い民家の間を抜ける細道は、よい散策路となっている。


 お鷹の道を西に進み、武蔵国分寺の門前を通過する。正面の本堂は、昭和62年
(1987)に改築されたもの。境内には、文化財保存館や万葉植物園などがある。


 西側の石段を上がって国分寺薬師堂前を進み、隣接する今日のゴール、八幡神社
に12時8分に着いた。


 昼食後、社殿の前で、200回記念例会の参加者一同が記念撮影をする。


 その後、年末恒例の参加賞が並べられ、今年の参加回数順に欲しいものをもらう。


 最後に、20年前にこの歩きを企画した、やまさんから、このカタツムリ歩行の基本
的な歩き方についての提言があった。


 気温はさほど上がらなかったが好天に恵まれ、来年2月の再会を約し、13時近くに
散会となった。

 (天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市)
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寒さも本格的に(埼玉・所沢)

2010-12-18 13:29:48 | 所沢だより
 今日、12月18日(土)は、昨日同様の冷え込みとなり、わが家の東側の広い空き地
も、霜で真っ白でした。



 土に描かれている円形の痕跡は、草が生えないように時々ブルドーザーで土をかき
混ぜているためで、昨日はたまたまその日だったので、はっきりしています。


 気象庁のアメダスデータによれば、今朝の所沢の最低気温は1℃とか。でも埼玉県内
のアメダス観測点では、1番高い最低気温だったようです。


 太陽が上がるにつれて霜は溶け、9時過ぎには土色に変わりました。

 今日は風もなく、10時を過ぎると日だまりは暖かさを感じますが、昨日は少し風があり、
正午近くでも遠望が利いていて、市内の小手指陸橋からは、秩父のシンボル・武甲山
(ぶこうざん・1304m)や、南に伸びる小持山、大持山などの稜線がよく見えました。

 電柱の林立する下側は、西武池袋線の小手指電車基地です。

 ところで、武甲山といえば9月26日(日)に、秩父市内を歩くウオーキングに参加した
ときに、何カ所からも見えましたので、ちょうど上の写真とは裏側になる、北西側からの
写真も紹介しましょう。
 

 山の北面は石灰岩の採掘で削られて、岩肌が露出したところが多く、数十年前とは
すっかり変わった姿になってしまっているのです。
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佐倉市郊外をカントリーウオーク(千葉)

2010-12-16 21:39:00 | カントリーウオーク
 2010年12月12日(日)

 今年最後となる、カントリーウオークグループの第179回例会が開催された。

 前日同様、12月とは思えぬ暖かな日和に恵まれれ、京成佐倉駅南口に集まった
のは15人。駅前からの10時20分発の無料バスに乗り、川村記念美術館前まで
行く。

 入館は次の機会として、4組に分かれて美術館前を10時55分にスタートした。


 出発地の川村記念美術館は、佐倉市の南西端、緑豊富な北総台地の一角にあり、
川村理化学研究所を含めて敷地は約30haあるとか。


 美術館東側の園路に入り、白鳥池のそばから広葉樹林下の自然散策路を下って、
アート広場へ。広い芝生広場の真ん中に、黄金色の大きな彫刻が立っていた。


 花開くジュウガツザクラや、枯れ枝となったシダレザクラの並ぶ小さい池の横を抜
けて、南側の里道に出る。


 たくさん実ったセンダンの木の下を尾牛集落のそばまで行き、尾牛橋を渡って自然
堤防の鹿島川右岸を北に向かう。


 川の両側は田んぼが広がり、ひこばえの枯れた色どりが初冬を感じさせる。右岸に
合流する流れに橋がないので、少し戻って左岸に回り、坂戸橋を渡る。

 少し先から川を離れて東へ、榎戸集落と岩富町との間の谷戸(やと)に延びる田ん
ぼの南すそを、地形に従い緩やかにカーブしながら進む。全く車の通らぬ静かな里道
である。


 早くも花を見せるナノハナや、葉の落ちた木に残る柿の実などを見ながら進む。


 少年野球のチームが何組か練習中のグランドの横から、さらに細い谷戸に入った。


 落ち葉がいっぱいの雑木林の斜面下を、谷の奥に向かう。田んぼの一部は休耕田
となり、アシなどがかなり伸びている。

 その先に、地元Tさんなどが復元したという、田んぼが数枚あった。常に水を張って
生物の増えるのを待っているとのこと、昔ながらの自然再生に期待したい。


 少し戻って北側の斜面林を上がり、やはりTさんが関わる保護雑木林の一角の、ち
ょっとした広場が今日の昼食地。12時20分に着いた。

 ここ、クヌギやナラなどの広葉樹林は、数10年前までは木が伸びると切って、萌芽
更新(ほうがこうしん)を繰り返してきた薪炭林だったとか。

 持ち主が手入れをしなくなったのを借りて、手を加えて保護しているという。なるほど
木の根元を見ると、その痕跡を残す切り株が並んでいる。

 丸太のベンチが輪になって並んでいたので、そこにザックを下ろす。周辺の枯れ木
や落ち葉を拾い集め、真ん中でたき火をしながら昼食とする。風もなく暖かで、12月
とは思えぬ絶好のウオーク日和である。

 駅前で買ってきたアルコールを開けて乾杯、炭火が増えたので網を掛け、ウインナ
ソーセージや、シシャモとウルメイワシの干物などが並べられる。


 火を囲んでのんびりと談笑のひとときを楽しみ、アルコールが進んでフォークダンス
を始める人もいる。


 灰の中にサツマイモを埋めて焼き、ホクホクで熱々の焼き芋も味わった

 ミーティング後、14時25分に出発し、林間を北西に下って下川集落南側の谷戸に
出る。こちらも人工物の見えない自然がいっぱいのたたずまい。

 午前中通ったグランドの北を通過、車道を横切り点在する町田集落の奥の谷戸へ。
小さい池のほとりで記念撮影をする。


 谷戸の奥近くで左に回り込み、高台にある小鯨集落を西に抜け、鹿島川上流の田
園地帯に下った。中島橋の先の田んぼのあぜでは、この暖かさでの狂い咲きか、もう
ヒメオドリコソウやナズナの小さな花が咲いている。

 田んぼが終わって坂戸集落の北端へ。杉木立に囲まれた八幡神社に裏から入る。
境内には、ギンナンが実るイチョウの高木が立ち、色鮮やかなモミジも残っていた。


 車道を南に少しの西福寺境内には、7年前の平成15年に「ちば・ふれあいのみどり
百選」に選ばれたイチョウの古木があり、落葉した枯れ枝を広げていた。


 この寺には、浄土信仰が比較的芸能化されることなく伝わる、千葉県無形文化財の
「おどり念仏」の行事があるという。

 坂戸集落を南に出て、異常気象で狼狽したのか、もうロウバイが咲き出した尾牛集
落を抜ける。往路と同じ川村記念美術館内の園路を戻り、16時24分に美術館前の
バス乗り場に着いた。


(天気 晴、参加 15人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 佐倉、歩行地 佐倉市、
 歩数 14,100)
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残念な へんろみち保存協力会 宮崎代表

2010-12-14 18:36:55 | Weblog
 11月25日(木)付当ブログでお知らせした、へんろみち保存協力会代表の宮崎
建樹さんは、11月8日から行方不明になり、関係者の懸命の捜索にもかかわらず、
1ヶ月近く消息がつかめませんでした。

 ところが12月7日に、松山市福見川町の山中で宮崎さんの車が発見され、翌日
から警察や関係者などが捜索の結果、12月10日(金)に、近くの奥深い谷でご遺
体が発見されるという、悲しい結果となったそうです。

 宮崎さんは、歩いて四国遍路する人のために、2,000か所以上もの道しるべを設
置されるとともに、ガイドブック「四国遍路ひとり歩き同行二人」などを作成され、へん
ろ道の整備などでも、大変ご尽力されました。

 私も、3回目前半までの遍路では、宮崎さんのお陰で、迷うことなく安全に、遍路を
することができ、いつも大変感謝していたところです。

 このような残念なことになってしまいましたが、宮崎さんの多大なご功績に、改めて
感謝するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
  

 

 

 
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関東百駅巡礼歩行 JR常磐線 岩間駅(茨城県)

2010-12-13 18:31:11 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年12月11日(土)
 
 7年目の最終回となる、第70回の関東百駅巡礼歩行に参加した。

 集合はJR常磐線の岩間駅。10月並みという暖かな好天に恵まれ、参加者は8人。
駅前で記念撮影をして11時にスタートした。

 駅前通を西に少しで最初の角を左折、郵便局のそばで右折し、国道355号を横断
する。南西に向かうと、グランドと公民館、図書館があり、その間に芝生に覆われた
こんもりとした丘が見えた。

 丘の下に、今年2月に指定されたという「市指定文化財御前塚古墳」の新しい標石
が立つている。古墳時代中期の5世紀前半築造とされ、全長約100mの大型円墳。
東屋(あずまや)のある墳丘に上ると、西にそびえる愛宕山が一望である。


 北根集落の南側に出て田んぼを横切り、標高39.3m三角点のある神社を目指す。
広々とした田園地帯の一角で、愛宕山を背にもう一度記念撮影をする。


 うっそうとした杉やヒノキに囲まれた八坂神社には、2本の大イチョウの黄葉が残り、
紅葉の彩りを見せる木もあった。


 北根集落に戻り、鳥居の奥が盛り土された丘になっている藤塚に上がる。「藤原藤
房御遺跡」の大きな石碑が立つが、どんな人なのか裏面の字が読みにくくて、分から
ない。

 ここで暖かい日差しを浴びながら、昼食とした。

 この後、やまさんは近くの石岡市の自給農園を訪ねるため、同行の女性3人ともに
駅に向かい、午後の歩きは4人となった。


 西に向かう道筋、周辺は地図上に果樹園マークばかり。

 梅、柿、ナシ、栗、ブドウなどの果樹園だが、いずれも太い古木が多い。


 五霊集落を抜けて、広い通りを進んで山根池のほとりへ。東側の田んぼを潤すの
だろうか、いまは静かな初冬のたたずまい。


 広い通りをさらに進み、中村集落から隠沢観音を目指す。庭先で大豆の殻を打つ
人に道を確かめ、ヒノキ林に入ると三差路があった。

 車止めのロープが張ってあるが、山に向かう車道を回るように上がって行くと、標高
119.4mの山頂にあるNTTドコモの無線塔のところに出た。

 さくの周囲を一周したが下り道はない。もとの車道をロープまで戻り、林間の右手の
踏み跡らしいのに入ったが、すぐに不明瞭に。

 こずえの間、西側に民家の屋根らしいのが見えたので林の中を進んだら、家のそば
に細道があった。隠沢観音はその突き当たりの高台。その名の通り、そばに行かない
とそれと分からない。

 養老4年(720)の開創で、後に行基作の木造十一面観音を奉安し、安産、子育て
などの願望が達せられるとして、信仰されているようだ。

 しかし境内は手入れされずに放置されていて、庫裡(くり)なのか、そばの建物は屋
根や壁面が崩れていた。


 東側の竹の増えた林の斜面に、茨城百水という「観音様の胎内から生まれ出る子宝
のみず」と記された名水が流れ落ちていた。

 来た道を山根池のそばまで戻り、西側山腹にある龍泉院へ。りっぱな杉木立の参道
を上がり、山門をくぐると鐘楼があり、右手奥に本堂が立つ。


 本堂の左手斜面上には、龍神社が祭られていた。

 日没前に駅に戻れそうなので、北側の山上にある愛宕神社にも回ることにした。


 車道を400mほど上がり、南尾根につけられた登山道へ。落ち葉が一杯の樹林を
直登して行くと、「天狗の広場」と呼ぶところに、2つのモニュメントがある。

 さらに林間を直登し、最後は300段前後の急な石段を上がり、標高293mの愛宕山
山頂近くにある、日本火防三山の一つという愛宕神社境内に入った。
 最近改築したらしい社殿、拝殿上に大小2面の天狗面が奉納されている。


 境内は東側が開け、岩間の家並みや集落の向こうに、霞んではいるが鹿島灘かと思
われる地平線が望まれる。


 境内の大きなサザンカは花がいっぱい、散り際のモミジもきれいな彩りを残していた。
上りでは汗をかいたが、休んでいると冷えてきたので下山にかかる。


 駐車場の隅から「岩間駅へのうら道」の表示に従い、遊歩道に入る。東屋のある小
公園を抜けて、こちらも落ち葉がいっぱいの林間をどんどんと下る。

 神社の石段下から下る車道の、ヘヤピンカーブが終わるあたりにあった東屋やトイレ
のある公園付近で車道に入る。水道タンクの横を下り、天正会教会や三社神社前を
通過する。

 十字路の近くに、「李王世子殿下御宿営記念」と記された石碑の立つ旧家があった。
大正13年(1924)11月、近くで陸軍大演習のあった際、梨本宮に嫁いだ李殿下が
宿泊されたのだという。


 参り坂の六所神社前を過ぎ、国道355号を横断し、16時7分に岩間駅に戻った。

 12月とは思えぬ快晴で穏やかな一日。人も車も少なく、種々な果樹園や田園地帯、
落ち葉がいっぱいの里山歩きを楽しんだ。

 (天気 快晴、参加 8人、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 岩間、歩行地 笠間市
  (旧岩間町))
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