あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

西武鉄道の特急車両 「Laview」が2019年度グッドデザイン金賞に

2019-11-23 16:55:58 | 鉄道
 2019年11月23日(土)

 今年3月から西武池袋線の新しい特急車両としてデビューした「Labiew」(ラビュー)
が、2019年度の「グッドデザイン金賞」を受賞しました。

 「グッドデザイン金賞」は、今年度選出されたグッドデザイン賞受賞1,420件のうち、
グッドデザインベスト100」に選出された中から、特に優れたデザインと認められた作
品だけに贈られる賞のようです。

 受賞した新しい特急車両「Labiew」は、「いままで見たことがない新しい車輌」を目指
し、西武鉄道の次世代のフラッグシップトレインとして製作されたもの。

 都市や自然の中でやわらかく風景に溶け込む特急、みんながくつろげるリビングのよう
な特急、新しい価値を創造し移動手段ではなく目的地となる特急のデザインコンセプトを
もとにデザインしたとのこと。

 審査委員の評価としては、以下のように述べられていたようです。

『アヴァンギャルドな球形の先頭車両、風景がファジーに映り込み存在感を和らげる車体
塗装色、驚くほど大きな客室窓、窓からはリビングルームを彷彿させる心地よい暖色イエ
ローのシートがよく見える、乗車前から乗客の心を昂ぶらせる仕掛けが満載だ。

 広大な窓から見える車窓風景はあたかも外界と室内空間がシームレスで繋がっているか
の感覚を起こさせ、普段見慣れた景色を新しいものへと変えるだろう。「100年の風景
をつくる」という高い志のもと、デザインの力で革新的創造にチャレンジした姿勢とその
表現力は賞賛に値する。』

 この新しい特急車両「Laview」は、池袋線と秩父線で今年3月のダイヤ改正から運行を
開始し、車輌の増備も順次進んでおり、10月21日(月)以降は、平日下り15本、上
り17本に、休日下り16本、上り15本と、それまでの倍近くに増えています。

 この増備により、池袋線と秩父線の特急の約半分が「Laview」により運行されるように
なりました。

 なお、「Laview」は1編成8両で日立製作所の製造、全部で7編成56両が今年度中に
製造を終える予定になっています。

 11月5日(火)に、西武池袋線の小手指(こてさし)車両基地をのぞいてみたら、特
急車輌4編成を見ることができました。


 1番北側、洗車設備のところには「Laview」(001系)が。



 その右手には、11月1日(金)~12月31日(火)までの期間限定で、川越エリア
への誘客を目的にした「カナヘイの小動物」キャンペーン用のデザインを施した、従来か
らの特急車両ニューレッドアロー号10000系車輌が。


 南側の池袋線の本線寄りには、初代レッドアロー号の塗色を施したニューレッドアロー
号が待機していました。


 日にちが変わり、11月17日(日)8時51分頃、西所沢駅を通過直前の「Laview」
車輌による上り特急ちちぶ72号です。
 


 なお、「グッドデザイン金賞」受賞を伝える西武鉄道のニュースリリースはこちら


 また、今年の「グッドデザイン金賞」の概要についてはこちらをご覧下さい。





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カタツムリ歩行同窓会で府中本町駅周辺を歩く(東京・府中)(後半)

2019-11-19 16:30:27 | カタツムリ歩行
 2019年11月17日(日)〈続き〉

 カタツムリ歩行同窓会が13時頃散会し、その後、希望者14人は企画したKさんに従
い、公園の東端からふるさと通りを北へ、天然水のビール工場であるサントリー武蔵野ブ
ルワリーに行く。


    






 売店などのある工場見学者用ロビーで少し待ち、13時45分からのガイドツアーに参
加する。




 女性ガイドさんに従い、まずは映像を観た後、プレミアルビール「ザ・プレミアル・モ
ルツ」の素材である麦芽とホップ、天然水について、現物などで説明を受ける。
    


 そのあと工場の現場に回って製造工程の順序に従い、仕込、発酵、貯酒、ろ過、パッケ
ージングの現場を巡る。


     








 最後にお楽しみの試飲会場に入り、ザ・プレミアル・モルツや、ほかの銘柄など3杯ま
での試飲を楽しみ、14時55分過ぎに見学会を終えた。




 この後、私は歩いて府中本町駅に向かうことにした。工場を出てふるさと通りを北進し、
府中本町駅から東京競馬場への高架の通路下を抜ける。


 すぐ先、競馬場の北側にあった妙光院の山門を入る。右手の墓地の向こうに、競馬場の
メインスタンドが間近に望まれる。



 朱塗りの仁王門を入った正面に本堂があり、右手前には「府中の名木百選」のイチョウ
が、まだ黄葉前の葉で立っていた。


 妙光院の北側には、金比羅神社の社殿が、豊富な木々に囲まれてひっそりと祭られてい
た。
     

 通り沿いの民家の玄関先に、ハイビスカスが咲き残っていた。



 府中本町駅の東側まで戻り、大國魂神社の西鳥居から境内に入ると、すぐに拝殿前に出
た。

 昨日の七五三詣でに続き、今日も七五三の家族が何組も目につく。参拝後、北側の山門
を抜ける。



 周辺のケヤキが色づき、その先両側では菊花展を開催中で、何種類ものキクが花の彩り
や形を競って並んでいた。











 北に延びる参道の両側には出店が並び、その上にたくさんのちょうちんが幾重にも続い
ている。
    


 そちらには進ます、そばの立派な手水場↑の横から西側に抜ける。

    
     沿道のマンホール
    


 JR府中本町駅には15時44分に着いた。15時51分発武蔵野線の始発東京行き直
通の下り電車に乗る。

 ちなみに、東京行きは上り電車のはずだが、武蔵野線の終点は西船橋駅なので下り電車
になり、西船橋から京葉線直通で東京駅に向かっているのである。

 今日の府中市の最高気温は18.9℃、風も無く穏やかなウオーキング日和だった。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 武蔵府中、歩行地 府中市、歩数
 18,000)




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カタツムリ歩行同窓会で府中本町駅周辺を歩く(東京・府中)(前半)

2019-11-18 22:14:05 | カタツムリ歩行
 2019年11月17日(日)

 好天となった今日は、カタツムリ歩行の第7回同窓会に参加した。集合はJR武蔵野線
・南武線の府中本町(ふちゅうほんまち)駅である。

 今回の担当のKさんから地図をもらい、皆さんよりひと足早く9時50分に駅を出た。

 駅の東側、広い空き地に「国司館(こくしのたち)地区と家康御殿(いえやすごてん)
史跡広場」の説明板があった。

 ここは、約1300年前に武蔵国府の国司館があったところ。さらに約430年ほど前
には徳川家康の府中御殿も置かれていて、府中市の歴史を象徴する国の史跡だという。

 広場の中央に国司館の10分の1復元模型があり、東側には2.4mの柱が立ち並び、
国司館の建物を復元していた。


 東側の道路の大きなウメモドキの街路樹が、たくさんの実を枝いっぱいにつけている。


 その道路を北へ、右手に大國魂(おおくにたま)神社の鳥居を見ながら進む。通りには、
地元府中市を本拠地とするサッカーJリーグ1部のチーム、FC東京の旗がある。
    


 次の五差路を西に少しで、大ケヤキやサクラの葉が色づく天台宗善明寺(ぜんみょうじ)
へ。

 山門を入ると、境内の樹木はよく手入れされていて気持ち良い。
     



     




 正面が本堂、右手前には朱塗り柱の金仏殿、山門近くには豊玉荼枳尼尊天を祭る小さい
お堂がある。


     

 ちなみに、金仏殿の正面には阿弥陀如来座像と脇侍の阿弥陀如来立像が安置されている
よう。

 いずれも全国でも珍しい鉄製鋳造の仏像で、国の重要文化財に指定されており、特に阿
弥陀如来坐像は像高195㎝あり、国内の鉄仏中で最大の像だという。。


 山門を出て、JR南武線の線路沿いの清水下小路(しみずしたこみち)を進む。線路の
向こうの建物の上に冠雪した富士山が望まれ、近くのツタモミジがよい彩り。
         

 南北に真っ直ぐに走る下河原原(しもがわら)緑道まで進む。緑道を北に少しの番場公
園交差点で左折し、旧甲州街道を西へ。

 木造の古い民家があり、すぐ先を南に入ると足利尊氏の開基という曹洞宗高安寺(こう
あんじ)である。

 室町幕府により武蔵国安国寺として位置づけられ、江戸時代初期までは臨済宗の寺院だ
ったとか。広い境内のたたずまいが、その歴史を感じさせてくれる。


 まずは赤い幟(のぼり)の林立する突き当たりの観音堂に参拝する。多摩川三十三観音
霊場の第三十三番、結願(けちがん)の札所である。

     
 少し戻り、東向きに堂々と構え立つ山門を入る。


     
 境内にはタラヨウ、コウヤマキ↑、クスノキ↓などの大木があり、いずれも「府中の名
木百選」に選定されていた。
         

 旧甲州街道に出ると、高安寺側に標高56.7mの水準点が目に入る。
  


 次の十字路を南に入り、JR南武線の分倍河原(ぶばいがわら)駅東側の踏切を渡り、
駅に向かって右折する。


 駅の南側は片町公園で、その一角に新田義貞(にったよしさだ)公の像があった。
     
 元弘3(1333)年、上州で兵を挙げた新田義貞は、ここ分倍河原で北条泰家率いる
幕府軍を撃破し、一気に鎌倉に攻め込んだゆかりの地。騎馬像は、文化勲章受章者の富永
直樹氏の作という。

 JRと交差する京王線分倍河原駅の高架下を西に抜ける。少し先で北側の住宅地を迂回
し、府中市史跡の高倉塚古墳の北側に出る。

 古墳時代後期の古墳で、6世紀前半の土器が出土したとか。この辺りに広がる高倉古墳
群の中で中心に位置し、墳丘が現存している数少ない古墳だという。

 すぐ先で分梅通りに出て、南へ緩やかに下る。坂の途中、左手の光明院の山門を入るが、
本堂は2階建てコンクリート造り。


     
 1階中央部の不動尊像と山門際の弁在天像だけが目についた。
        

 南側の交差点を東へ、鎌倉街道を少しの分量橋まで進み、南に伸びる雑田掘緑道へ。

少し先で東南に向かうが、京王線の線路手前で行き止まりのようなので緑道に分かれて南
下し、中央自動車道の高架下を抜けて新田川緑道に回った。

     
 すぐに京王線の下をトンネルで抜け、東南に向かって進む。緑道沿いは樹木が豊富で、
ところどころに色づいた葉も見える。
         


 下河原通りを横切り、間もなくホタル飼育場横を通過する。


 その先は流れが広がり二つの池が続き、モミジやサクラ、ケヤキなどの葉や、ピラカン
サの実などで彩りも豊富となる。


     





         
 池の先は幾分植え込みが少なくなるが、咲き残るケイトウがあり、さらに進むと南側に
は、ひこばえで黄緑色の田んぼが現れた。


 間もなく北からの下河原緑道と交差し、その緑道に入る。すぐ南側がゴールの郷土の森
公園だが、左カーブした緑道を少し先まで進んで入口が無いので折り返す。


 郷土の森博物館本館の北側を進み、ゴールの郷土の森公園の芝生広場には11時53分
に着いた。緑豊富な木々や、市民などの憩う広場を眺めながら昼食にする。



 食事を終えて、南側の修景池へ。大賀ハスなど何種ものハスが栽培されていて、池の西
側には「緑光燦舞」と呼ぶ変わった彫刻がある。



 道路の西側にある観光物産館に入り、地元産のハヤトウリを購入する。



 さらに北側、博物館前の広場で開催中の「第30回府中市農業まつり」会場にも回り、
「野菜でできた宝船」や農産物、飲食物などのテント、鉢植えの盆栽など眺める。









 12時50分過ぎ、昼食場所に戻って全員で記念撮影とミーティングをして、13時頃
散会となる。〈続く〉





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埼玉県民の日 無料公開の所沢航空発祥記念館へ(埼玉)

2019-11-14 22:26:38 | 所沢だより
 2019年11月14日(木)

 今日は埼玉県民の日、県内を走る私鉄各社では1日乗車券を発売したり、県内の公共施
設の無料公開などが実施されました。


 所沢航空記念公園内にある所沢航空発祥記念館も無料公開されたので、市内ウオーキン
グを兼ねて出かけて観覧しました。
      

 私は、この記念館には数回入館していますが、今回は12月1日(日)まで特別展示中
の「アンリ・ファルマン機」の観覧が主な目的です。
           

 館の入口




 入館して、まずは1階の大ドーム下に展示されている航空自衛隊機などの実機展示を見
て回ります。

 ノースアメリカンT-6G型機

 1934年にアメリカのノースアメリカン社により設計され、世界33カ国で15,117
機も使用された中型練習機のベストセラーで、これは航空自衛隊で活躍したもののよう。




 アリソンCT63-M-5A型機

 バートルV-44型ヘリコプター

 1959年に陸上自衛隊が研究用としてアメリカのバイアセッキ社から購入した大型輸
送ヘリコプター。その年に東海地方を襲った伊勢湾台風では、災害派遣活動に大活躍した
ようです。

     
 その先の窓際は特別展のパネルが並んでいました。





 1階展示場の最奥部が、特別展示中のアンリ・ファルマン機。


 操縦席周辺


 車輪はこのようなリヤカーの車輪のようなもの


      説明パネル
     

          

 アンリ・ファルマン機の手前に展示された機種


 北側の少し暗い部屋での展示


     

 日本で飛行機を考案した二宮忠八が設計した機種2つ




 日本航空界最初の犠牲となったプレリオ機の残骸写真
 

 その飛行機模型


 重要産業遺産に認定されたもの
     



 1階から2階への階段を上りながら見下ろしたアンリ・ファルマン機


 その操縦席付近


 2階から見下ろした1階の展示


 2階からもアンリ・ファルマン機をもう一度見下ろします。


 天井から吊り下げられた機種





 2階中ほどには、航空路の交通整理をするための航空管制に使われていた装置が。ここ
航空記念公園の東側にある東京航空交通管制部で平成4(1992)年3月まで使われて
いたようです。
 


 近くには、航空参考館というコーナーがあり、国内最初の飛行場である所沢飛行場に関
わる写真や説明パネルなどが示されています。








 所沢飛行場に飛来してきた飛行船の写真





 2階の西側から展示を眺め、ほぼ見終わったので館を出ました。


 県民の日記念の特別公開として、近くの西武新宿線航空公園駅東口広場に展示されてい
る、戦後の国産旅客機YS-11型機も今日は11時~15時の間に内部が公開されるの
で、駅前に戻って観覧者の列に20分近く並んで機内に入りました。



 操縦席のそばから入り、後部の非常口から出るようになっていました。


 座席数は60席、最近の何百人乗りの大型ジェット機に比べると小さく感じられます



 YS-11型機の今年の公開は今日が最後、次の公開は来年春になる予定です。

 なお、所沢航空発祥記念館については、こちらのサイトからご覧下さい。






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所沢航空記念公園 晩秋の彩り(埼玉)

2019-11-12 22:55:16 | 所沢だより
 2019年11月12日(火)

 4日前の8日(金)に立冬を迎えましたが、まだ日中は20℃前後の日が多く、晩秋と
いってもよい感じです。今日は、2日前の日曜日同様に快晴となりましたが、北北西の風
がややあり、夕方からは風が寒く感じられました。

 でも、日中は青空が気持ち良かったので、市内ウオーキングの足は自然に所沢航空記念
公園に向かっていました。

 公園に向かう前、家の近くの高みからは関東平野を囲む南から西方の山並みが眺められ
たので、まずはそれらを撮ってみました。


 南南西方向には神奈川県西部の大山(おおやま)が。


 右に続くのは丹沢山塊。


 さらに西南へと目を向けると奥多摩のシンボルともいえる大岳山や御岳山奥の院のピー
クなどが。


 少し移動して別の場所からは富士山が望まれました。

 西武新宿線の航空公園駅を西口から東口に回ると、市道の街路樹であるケヤキがかなり
色づいていました。
     

 所沢航空記念公園の西北側、市立図書館近くのイチョウの高木。
     

 近くのケヤキ




 その向こうはカエデだろうか。


     


 市立図書館の南東側、緩やかな芝生地の辺り。


 園内を周遊する大会を開催中のようで、高校生ランナーがたくさん走っていました。


 クヌギの葉のよう


 日本庭園の門前に立つのはエノキだったかな。


     

 日本庭園の門を入って左手の高木




 日本庭園南側の樹林の周辺で 
    

     

    

 庭園の中心にある池の西側、東屋の背後も色づきました。
     

 公園の中心部、放送塔の北西側にある航空自衛隊で使われた輸送機C-46の回りのピ
ラカンサも色づいて。






 放送塔に西側にあるバラ園の秋バラ、花は残り少なくなりました。


    

         
         
 ばら園から南側の立木の間をのぞくと


     

 その周辺の秋色。








 放送塔南東側の木々の間から、サザンカが花を見せていました。


    

 南東に下って「むさしの川」と呼ぶせせらぎ周辺の木々


 その一角のドウダンツツジ


    





 そばの子ども広場



 公園の中央部南端、南駐車場周辺の彩りを眺め、公園を出て所沢駅方面に向かいました。


 
 



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熊谷市郊外・江南台地の里山や林間、田園などカントリーウオーク(埼玉)

2019-11-11 22:35:14 | カントリーウオーク
 2019年11月10日(日)

 前回の10月12日(土)は、関東甲信越や東北などに大きな被害をもたらした台風19
号の接近に伴い中止となり、2か月ぶりにカントリーウオークグループの例会に参加した。

 集合はJR高崎線熊谷駅。10時15分発県立循環器・呼吸器病センター行バスに乗り、
10時41分に終点に着いた。

 直前に東武東上線小川町駅からの逆行バスで着いた私と、その前に自家用車で来ていた
Tさんと合流し、10時50分に出発する。

== ゴルフ場の西側から北へ田園地帯や林間などを駒形公園へ ==

 快晴で風も無く、気温も20℃近くまで上がる予報で、絶好のウオーキング日和である。


 バスの通る県道130号を越えて北へ、畑の中に建築間もない立派な瓦屋根の民家があ
り、鶏小屋にはウコッケイが飼育されている。
    

 直線の道が右カーブし始めるところに「生みたてたまご 田中農場直売所」の看板の建
物があった。


    
 入ってみたら、ミシュランガイドでも評判の店のようで、東京からも美味しい卵を買い
に来るという。


 まだ歩き始めなので卵は買う訳には行かず、残っていた三つの「宝玉ぷりん」を私など
3人が求めた。

 ちなみに、田中農場のサイトはこちらをご覧下さい。

 右カーブした道は台地上の工業団地に突き当たり、金網の柵沿いに北北西へと進む。

 西側には谷地田(やちだ)が延び、ひこばえの伸びた緑の田んぼの先には、刈り入れ前
で粒の熟した田んぼが何枚か残っていた。





 その辺りからは北から西方の展望が広がり、冠雪した日光連山、長い裾野の赤城山↑、
かすかに雲のかかる浅間山、秩父の二子山などが確認できた。









 次第に右カーブして東方に向かうと、近くに白壁の立派な民家が、田んぼの向こうには
高岡集落の民家が望まれる。


 その先からは林間の道となり、まだ緑の広葉樹林の間を進んでV字状に折り返す。
     

 上ノ山集落の北側に、なぜか庭にライオン像のある民家があり、その先で台地と田んぼ
の間の道に下った。
         


 太平洋クラブゴルフ場の北側、流れに豊富な藻の茂るきれいなせせらぎに沿って東進す
る。流れにはホタルも生息するようで、その保護活動を記した看板が何か所か立っていた。
     


      
 流れの南側、斜面林下にキクの花が飾られた天保年間(1830~44)建立の馬頭観
音があった。
     


 田んぼが途切れて大林集落に入り、キクやヒャクニチソウ、バラなどの咲く畑や、小さ
な稲荷神社の横などを過ぎる。
         








 大きな刈込の植栽が目立つ民家や、色づいてきた幾つかのブルーベリー畑の横を通過し、
県道47号・深谷東松山線を横断する。


    


 カラスウリが実り皇帝ダリアの咲き出した民家の先が、昼食地の駒形公園。


 12時28分に着き、暖かすぎるくらいの日差しを避け、広場南側のベンチで昼食とし
た。





 公園の西側芝生地はターゲットバードゴルフ場。南側斜面林下には、旧江南町時代の
「彩の国ふれあいの里整備事業」による三本(みつもと)遊水路が走り、この公園の辺り
は親水エリアで、樹林を囲んで二つの池が静かな清流を見せていた。


 昼食後ミーティングをして、13時26分に公園を後にする。

 == 太平洋クラブ江南コースゴルフ場東側の里道を戻る ==

     
 往路を県道の西側まで少し戻り、大林集落東部から南下する。サザンカやバラが咲く民
家の先で平地林に入ると、10月の台風の強風による被害か、倒木が目につく。


 その先、杉林の中に「権現坂埴輪窯跡群(ごんげんざかはにわかまあと)」の説明板が
立っていた。

 江南台地北縁のこの地で、昭和37(1062)年に3基の窯跡が確認され、平成元
(1989)年からの調査では埴輪製作の工房跡と推測される古墳時代の竪穴住居や粘土
採掘坑が確認され、町の指定史跡に指定されたという。

 樹林下の周囲を見回したが、それらしいものは見つからなかった。

     

 北方集落の西側で右左折して再び太平洋クラブゴルフ場の東側の林間を進む。
    


 ゴルフ場のハゼ系の葉などが色づき、右手のゴルフ場の池の横からコースが望まれる。


 少し先でゴルフ場から離れ、東側の南方集落に入って普門寺へ。

 普門寺は、もとは薬師庵だったが、天和2(1682)年に舜佑和尚が建立、本尊は薬
師如来とか。

 当地は昔、千代村と呼ばれ、当寺は成田下総守(なりたしもうさのかみ)の家人の子孫
が開基といわれ、文政12(1929)年の火災で本堂や古記録などを焼失したが、天保
元(1830)年に再興されたという。


 本堂前などにシダレザクラが数本あり、本堂左手には、珍しい「標本は我が師なり」と
刻まれた小久保整形外科病院の手術切除標本塚の石碑が立っていた。
     


 境内で小休止して記念撮影する。その背後には「葉奈(はな)」と呼ぶ日本犬が長いひ
もにつながれていて、久しぶりの人間が嬉しいのか、はしゃぎ回って歓迎してくれた。



 東に出て、南側の柴集落に咲くキクやダリアなど見ながら集落西端の八幡神社へ。

 創立は後鳥羽天皇時代の建久年中(1190~9)といい、明治維新前までは西方300
mにあり、数百年の松や杉の老樹が生い茂っていたという。


 鳥居の横の柿の木に、たくさん実が熟していた。



 さらに西進して太平洋クラブゴルフ場の南側沿いへ。



 南側のため池を囲む木々が逆光に色づく。



 少し先から南西に向かい、北側の堤防のようなところに並ぶススキの穂列を眺め、たく
さんの実の付いた大豆畑↓の間を南下して、「おにっこハウス」と呼ぶ、田舎のカフェに
立ち寄る。




    
 あいにく今日は休日だったが、山羊が草を食む横のベンチで最後の小休止をした。

    
 バスの通る県道130号の南に回り、たくさんキウイが実る畑や樹木園、鬼ユズの実る
民家前などを西進する。
    

 時間調整でもう一度県道を横切り北へ、深谷ネギ畑の横などを回り少し先で折り返す。


 東京都心では天皇ご即位記念の祝賀パレードが赤坂御所に着く頃の15時30分、出発
地でゴールの県立循環器・呼吸器病センターに着いた。

 私は待っていた同時刻発の小川町駅行バスに急ぎ乗る。ほかの皆さんは15時55分発
バスで熊谷駅に向かい、Tさんは構内に駐車の愛車で帰路につく。

 今日の熊谷の最高気温は19.2℃、風も無く穏やかで快晴の日和。車に出会うことの
ない静かな里道や里山と田園地帯のみを歩き、高低差もほとんどないという、カントリー
ウオークには絶好の1日だった。

(参加 9人、天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万)、三ヶ尻、歩行地
 熊谷市、深谷市、歩数 18,800)




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JR駅からハイキングで生田緑地など登戸駅周辺を歩く(神奈川・川崎)

2019-11-04 18:31:18 | JR東日本駅からハイキング
 2019年11月1日(金)

 快晴の今日、久しぶりの市外ウオーキングは、JR東日本の駅からハイキングに出かけ
た。スタートはJR南武線の登戸(のぼりと)駅。小田急小田原線とも交差している。


 コースのタイトルは「登戸から始まる生田緑地ばら苑と自然・文化満喫コース」である。

     
 9時53分に川崎行き上り電車で着く。改札前にある「登戸行政サービスコーナー」で
受付をして、10時03分に北口から出発する。

 こ道橋を左に進んで高架の小田急線の下をくぐる。線路の西側に下りて、線路沿いを北
に少しで多摩川の右岸堤防に上がった。

 左手、上流側に小田急線の橋梁が架かり、堤防には「登戸の渡し」の標柱がある。登戸
の渡しは、津久井街道の往来などに利用され、昭和27(1952)年に廃止されたとい
う。

 堤防を東へ、すぐ先の堤外に2本の立木があり、先月の台風19号の際の流木かと思わ
れる枯木が絡みついていた。流れもまだ、渇水期よりかなり増水している。



 500mほどで、二ヶ領用水(にかりょうようすい)の取水口となる二ヶ領宿河原堰
(しゅくがわらぜき)があり、用水の橋を渡った北側には「二ヶ領せせらぎ館」が公開さ
れていた。


 ちなみに二ヶ領用水は、多摩川などを水源として川崎市多摩区から幸区まで全長約32
㎞あり、神奈川県下で最も古い人工用水路とか。

 関ヶ原の戦いの3年前に測量が始まり、14年の歳月をかけて完成した。二ヶ領用水の
名は、江戸時代の川崎領と稲毛領にまたがって流れていたことに由来している。


 二ヶ領せせらぎ館は、多摩川エコミュージアムプランの運営拠点で、多摩川の情報発信
の拠点でもあり、多摩川の歴史や生き物などを紹介している。


 館内には、魚の水槽や源流から河口までの航空写真、多摩川に住む鳥の写真などが展示
されていて、近隣の保育園児などが訪れていた。


 館を出て西へ、宿川原一丁目交差点でV字状に折り返して南東へ少し、新船島橋から二
ヶ領用水沿いの道に入る。
     
 両岸には桜並木が続き、流れ際には遊歩道もある。多摩川から引水したばかりの流れは、
10月の度重なる豪雨で濁っていた。

          
 中ほどを過ぎてJR南武線の下をくぐり、700mほどの北村橋で川を離れた。


 南に延びる通りに入り、東側に見えた常照寺は写真を撮るだけで通過する。長尾橋で右
折し、別の二ヶ領用水沿いに東西に走る都道9号・府中街道を西に向かう。

 大谷戸交差点の先に「川崎市藤子・F・不二雄ミュージアム」があり、専用バスで来た
人たちが入館しようとしていた。なお、入館には予約が必要だという。


 すぐ先が、生田(いくた)緑地「ばら苑」の入口。この秋の開苑は10月17日~11
月10日まで。入園料は無料である。

 南側の生田緑地に向かって車道を緩やかに上がる。最後は木の急階段を上がり、ばら園
の北東端から入園した。
     

 春には約533種4700株が、秋には約440種4000株が咲き、開花時期に合わ
せて年2回公開されるよう。
   


 周囲を豊富な木々に囲まれた気持ち良い環境の中、たくさんのバラが咲き競っていた。


    





     






 花を眺めながら主に東側の苑路を巡り、20分近く過ごして西南側出口からばら苑を抜
けた。

     
 生田緑地の樹林の中を西に進み、少しだけ住宅地を抜けて車道に出た。北に向かって下
り、ビジターセンターのそばから生田緑地枡形山展望台に向かう歩道へ。

 豊富な樹林下を少しずつ高度を上げて行くと、枡形門の向こうに広々とした山頂広場が
現れた。


 ここは多摩丘陵の緑に囲まれた小高い山で、四角い形なので枡形山と呼ばれ、四方を削
り取られたような斜面は、まるで天然の要害のようだという。

 ここには枡形城という鎌倉時代の山城があり、鎌倉防衛の重要な拠点だったよう。この
一帯を支配していた稲毛三郎重成(いなげさぶろうしげなり)の居城で、室町幕府から戦
国時代にかけて、さまざまな武将と関わりある城と伝えられているようだ。


 広場の北側には立派な展望台があり、階段かエレベーターで最上部の2階まで上がると、
「富士山や丹沢、秩父から筑波山方面まで一望できる」と記されていた。
     
 だが今日は、快晴ながら気温が上がってガスで遠望は利かず、南方に横浜みなとみらい
の高層ビル群、東に二子玉川駅周辺や都心のビル群、北に多摩川沿いの住宅地などが望ま
れるのみ。





 パノラマ写真で見比べてみたら、西側の建物の上に、わずかに上部だけを見せる冠雪し
た富士山だけは確認できた。

                
 展望台を下った広場の中央に、「枡形山山頂 海抜八十四米」の標石があり、川崎市に
このような標高の山があるとはと再認識した。

 ビジターセンター入口付近まで戻り、少し西進して「川崎市立日本民家園」の正面入口
へ。

 日本民家園は、江戸時代の東日本の古民家を中心に水車小屋、農村歌舞伎舞台など国や
県の重要文化財を含む25の文化財建造物を展示する野外博物館。

 民家園の東南端にある正門は、大きな民家の本館建物から入館する(一般500円、
65歳以上300円)。


 本館内には展示室があり、常設展示室では古民家の基本的知識のパネルや模型などを、
企画展示室では「おこさまとのくらし -岡上の養蚕信仰-」と呼ぶ展示をしていた。
     



 本館を裏手に抜け、左手に上がると最初にあるのが原家。川崎市中原区に大正2(1913)
年に竣工したといわれるもので、建築に22年を費やしたという豪壮な住宅。



 この先の建物を含め、ほとんどの民家は1階は入って観覧できるようになっていた。



 その先の4棟は「宿場の建物」で、奥州街道の馬宿、奈良の商家、名古屋市東区にあっ
た武家屋敷の門、伊那市の薬屋を営んでいた板葺き屋根の家が続いていた。


     


 建物をつなぐ路傍には、五輪塔や道祖神、庚申塔、馬頭観音など江戸時代の石塔も配置
されている。


 少しずつ斜面を上がり、次の一角は「信越の村」。ここには、長野市郊外にあった水車
小屋、千曲川沿いの名主の住宅、越中五箇山の合掌造り3棟や、飛騨白川郷の合掌造りが
続いている。





 民家園の中ほど、上部を横切る車道の下をトンネルで抜けると「関東の村」。最初の千
葉県九十九里町の網元の家のそばに休憩所があり、13時を過ぎたのでベンチで昼食を済
ませた。






 その先は、関東ではないが鹿児島県沖永良部島(おきのえらぶじま)の高倉(たかぐら)
があり、さらに山梨県甲州市の甲州民家、茨城県笠間市の分棟型民家が続く。

 右にカーブしてさらに高みに進み、「神奈川の村」へ。

 秦野市にあった貞享4(1687)年の墨書が残る民家、かやぶき屋根の棟に草のつい
た地元登戸の民家などが配置され、その中に山形県鶴岡市の独特の妻入りと呼ぶ高窓のあ
る民家が目を引く。




 そばの園路の分岐点には、川崎市多摩区の多摩川の渡船場にあった小ぶりの船頭小屋が
立っていた。


 東側には東北、馬と暮らした岩手県南部領の曲屋(まがりや)が配置され、近くに奥門
がある。


 さらに高みへ、民家園誕生のきっかけになったという川崎市麻生区の農家、養蚕信仰を
今に伝える同じ麻生区の蚕影山祠堂(こかげさんしどう)。県内清川村の山間の住宅があ
る。
     

 最奥の西北端まで進み、三重県志摩市の漁村に残されていた本格的な歌舞伎舞台の前に
出る。

 その前には観覧用の椅子席が並び、舞台回りでは3日後の11月4日の「民家園まつり」
に上演のため準備が進められていた。

 観客席の背後の木橋を渡ると西門のある伝統工芸館で、館内には藍染め体験のできる設
備がある。


 同じ園路を途中まで戻り、14時24分に奥門から出た。


 国内には、東京小金井市の「江戸東京たてもの園」や愛知県犬山市の「博物館 明治村」
など古い建物を保存公開する施設は幾つかあるが、人々の暮らしに密着した民家だけの施
設は貴重で、東日本の建物に限られてはいるが、なかなか見応えのある施設だった。



     
 少し下ると木々に囲まれた奥の池があり、さらに進んで中央広場と呼ぶ芝生広場に入る。
     


 西側には上野~青森間特急のブルートレイン車輌だったスハ42型2042号客車が、
東側には北陸本線や山陽本線、山手線などで主に貨物輸送に使われD51型1408号機
が展示されていた。


 広場の東側にあった「かわさき宙(そら)と緑の科学館」に入る(入館無料)。



 川崎市の自然を「台地」「丘陵」「多摩川」「生田緑地」などのテーマでの展示があり、
プラネタリウムや望遠鏡もあるようだが、1階の生物などの展示を一巡するのみとした。





 さらに東北に緩やかに下り、日本民家園正面入口前を通過する。緑地の東口に戻り、
「生田緑地東口ビジターセンター」にも入ったが、民家園など4つの展示施設を紹介する
小コーナーを見て退館した。


     
 生田緑地交差点を北進して府中街道を横断する。次のY字路で小田急線向ヶ丘遊園地駅
への道を左に分ける。


 間もなく小田急線の線路沿いに出て、ゴールのJR登戸駅には15時19分に着いた。

 名前は知っていたが、生田緑地は変化に富んだ地形の中に豊富な緑が残り、今日訪ねた
施設のほかに「川崎市 岡本太郎美術館」などもあり、ここが川崎市内とは思われぬ自然
環境に恵まれたところ。この一角だけを1日かけてゆっくり巡るのも良いかもしれない。

(天気 快晴、距離 8㎞、地図 駅からハイキング地図、歩行地 川崎市多摩区、歩数
 18,100)


 なお、川崎市立 日本民家園の詳細については、こちらのサイトをご参照下さい。





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19年前の首里城公園訪問の思い出(沖縄・那覇)

2019-11-01 22:01:15 | Weblog
 2019年11月1日(金)

 昨日、10月31日(木)は早暁からの沖縄・那覇市の首里城焼失を伝える各局のテレ
ビの映像は大変なショックでした。沖縄のシンボルともいえるものがなくなり、沖縄の皆
さんの心を思うと胸が痛みます。

 私も、第13回名護やんばるツーデーマーチ(ウオーキング大会)に参加するため、初
めて訪れた2000年12月の沖縄の2日目に首里城公園を訪ねていたので、あの首里城
が無くなってしまったかと信じられない思いです。

 そのときの記録が残っていたので、写真とともに在りし日の首里城をしのびたいと思っ
たのですが、写真が見つからないのでとりあえずそのときのレポートだけを。

======================================== 

 2000年12月8日(金)

 今日も前日に続いて好天、午前中は11月30日に世界遺産に登録されたばかりの「沖
縄の城群」(城のことは「ぐすく」という)のメイン、首里城公園を訪ねる。

 宿から上り坂を1㎞ほどで首里城の入口、守礼の門に出る。首里城の顔として昨年発行
された2千円札の図柄にもなったところだが、その先に奥深い城郭がある。

 四角い石を積み重ねた高い城壁の間の緩やかな石段を上がり、瑞泉門(ずいせんもん)
など4つの門をくぐる。その奥は有料となり、入場券を買って奉神門を入ると正面に朱色
の瓦や柱の色鮮やかな首里城正殿が現れた。

 1992年に復元されたという琉球王国最大の木造建築。正殿を挟んで右に南門、左に
北門を結ぶ回廊がある。

 まず南門に上がると、琉球王国を支えた素晴らしい衣装や漆器、乗り物などが展示され
ている。

 正殿は、獅子や龍などきらびやかな彫刻と彩色で飾られ、国王が座る玉座など絢爛豪華
な装飾は中国文化の影響を強く受けたことが分かり、素晴らしい建築や装具などに琉球王
国の栄華を目の当たりに感じさせられた。

 北殿には展示コーナーがあり、城の構成や王府の機構、行政などが模型やパネルで理解
できるようになっていた。

 売店の横から展望広場に出ると、上がってきた城門や城内、そして市街地の北に東シナ
海などが一望できる。

 久慶門から城を出て、池の中に立つ弁天堂に下る。池に向かって枝を大きく垂らした太
いデイゴの木が独特の景観を見せる。

 北側に続く龍潭(りゅうたん)と呼ぶ池を回って県立博物館に入った。(以下略)






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