あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

大晦日の富士山とわが家の花(埼玉・所沢)

2016-12-31 18:18:11 | 所沢だより
 2016年12月31日(土)

 この1年も、当ブログをたくさんの方にご覧いただき、厚く御礼申し上げます
来年も引き続きご覧下さいますよう、あわせてお願い致します。

 さて、年の暮れとなり、狭いわが家の庭先もすっかり冬の装いとなり、色彩の乏しい
状態となりました。その中でわずかに緑以外の彩りというと、以下のような花と実のみ
しかありません。


    

        

        スイセンは、例年より早く12月初め頃には花を見せ始めました。
           

 これらを連れ合いが切って、正月飾りとして仏壇の横に飾り付けたもの。
     

 昼近く、今年最後の市内ウオーキングに行こうと、近くの西武池袋線の踏切を渡ったら、
線路際から富士山がはっきりと姿を見せていたのでシャッターを。




 その右手(北)には、奥多摩の目印、大岳山や御前山などがはっきりと望まれました。

           大岳山          御前山


 今日は、美原中、市民体育館、新所沢駅、大六天交差点などを回り、9㎞のウオーキン
グでした。

 ウオーキング手帳を見ると、今月は1日からきょう31日まで、市内ウオーキングと例
会などで歩いたウオーキングを毎日続けており、月間1日も休まずに8㎞以上の歩きを続
けたのは、この10年くらいでも初めてではないかと思われました。

 そこで、2006年~2015年まで過去10年間のウオーキング手帳を開いてみたら、
2010年1月と2013年12月は1日だけ休んでおり、やはり毎日歩いたのは初めて
でした。

 今月は1日中雨だった日が無く、江戸(東京都内)へ歩き以外の用事で出かける機会も
無かったので、毎日毎日歩けることができたようです。

 12月の月間累計歩行距離は260㎞になり、これも今年の月間距離では最高でした。
ちなみに、年間の累計歩行距離は2,334㎞で、月平均では194.5㎞となりました
が、目標としていた月間平均200㎞には達しませんでした。

 最後に、2017年が皆さまにとって良い年となりますよう、お祈り申し上げます。





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日本地図センター、目黒天空庭園から世田谷の寺社を巡る(東京)(後半)

2016-12-24 10:29:10 | 江戸・東京を歩く
 2016年12月19日(月) 〈続き〉

 「三宿の森緑地」の西南側から公園を出て、太子堂3丁目の円泉寺に行く。門前にある
枯れた古木の根元の洞に、2基の石像が祭られていた。
       


 円泉寺は、文禄5年(1597)の創建、太子堂↓には聖徳太子像が祭られているとか。
ここ「太子堂」の地名は、この太子堂に基づいているようだ。


 お堂の横にも新しい太子像がある。


 境内には、葉を落としたイチョウの古木が高く枝を伸ばして立っていた。
  

 寺の西側に接した路地の入口に、「林芙美子旧居」の掲示がある。この路地奥の二軒長
屋が芙美子不遇な時代の住まいで、処女作「放浪記」には、この頃の生活が描かれている
というが、当時の長屋は今は無いようだ。
     

 道は右カーブして緩やかに上がる。太子堂中学校の西側に御岳山大神の表示があるが、
それらしい神社は見つからなかった。

     
 太子堂五丁目に入り南西へ下る。小さな八百屋さんの前を通過して、太子堂八幡神社へ。
境内はクスノキなど豊富な木々に囲まれている。

 平安時代の終わり、陸奥の豪族阿部氏の反乱征伐の途中、源頼義(みなもとのよりよし)
・義家(よしいえ)親子が、鎌倉道に面したこの社に戦勝を祈願し、休憩したと伝えられ
ているとか。

 このことから、永承6年(1051)以前にはこの地の守り神としての歴史が始まって
いたと考えられ、先ほど訪ねた円泉寺の記録では、文禄年間(1592~6)に八幡神社
として建立されたとあるようだ。


 境内には稲荷神社↑や弁天社などの摂社や神楽殿などがあり、拝殿東側に立つご神木の
大きなクスノキに目をひかれた。
     

 少し高みの境内からは、南東に三軒茶屋駅上のキャロットタワーが望まれる。
   

 境内には、このような太子堂商店街のPR看板もある。



 南西に下って烏山川緑道↑を西進して、若林2丁目の若林稲荷に上がる。朱塗り堂々た
る社殿はコンクリート造りである。




 若林2丁目を東北に回り込み台地上へ、都道423号・淡島通りを背にした勝光院別院
に行く。通用門を開けて境内に入ったが、民家風の平屋が2棟並び、どちらが本堂か分か
らなかった。



 淡島通りを横断して北進し、北沢川緑道の鎌倉橋際へ。橋の東側に斎藤茂吉の歌碑が立
ち、その横に「文学の小路」の標石もある。
       

 近くには「萩原朔太郎・葉子と代田の61号鉄塔」の説明板がある。それによれば、萩
原朔太郎は昭和8年(1933)に近くの鉄塔の下に自宅を建てて居住したことや、萩原
が送電線のことを歌った詩のことなどが記されていた。


 桜並木の緑道を環状7号線近くまで西進して、樹木は少ないが広い境内の円乗院に入る。

 本堂の手前左手に観音堂↓があり、本堂の前にはハスを植えた鉢が数十並ぶ。




 そばに、昭和20年(1945)5月25日の空襲で焼けて枯れ枝となった、コウヤマ
キの古木が保存されている。
     


 緑道近くの参道には、六地蔵や古い石仏がたくさん並んでいた。


 寺の東に延びる道を進んで代田2丁目から代沢5丁目に入り、森厳寺の門前に出た。



 ここも境内は広く、最北右手の本堂のほかに淡島堂、不動堂・閻魔堂、近代建築の寺務
所などが配置され、西側には併設の淡島幼稚園もある。



 境内で目に付くのは3本の大イチョウで、何れも世田谷区の保存樹木に指定されている。
     


 西側の淡島堂↑の前には、毎年2月8日に行われる針供養の針塚があり、安政3年
(1856)には供養が行われた記録があるという。
       


 そばの不動堂・閻魔堂↑をのぞいてみたら、微笑むような閻魔様を中心に、不動尊など
幾つもの仏像が並んでいた。


 東側近くには、北沢八幡神社が祭られている。北沢八幡は、文明年間(1469~87)
に世田谷城主により創建され、江戸時代は歴代の地頭(じとう)の信仰が篤かったとか。

 コンクリート造りの社殿は、昭和50年(1975)の建築という。境内にはクスノキ
の高木が何本かあり、社殿背後にはイチョウの高木が望まれる。

 16時を過ぎて太陽が西に傾き、葉の落ちたケヤキが残照に浮かび上がる。日中暖かか
った気温も下がってきた。
     


 森厳寺と北沢八幡宮との間を北へ、北沢2丁目に入って下北沢南口商店街を抜けて、小
田急小田原線と京王井の頭線との乗換駅、下北沢駅に16時25分に着いた。

 地下化工事が進行中の小田急線ホームに下り、上り急行電車で新宿駅に向かう。

(天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、歩行地 渋谷区、目黒区、
 世田谷区、歩数 20,000) 




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日本地図センター、目黒天空庭園から世田谷の寺社を巡る(東京)(前半)

2016-12-23 11:03:13 | 江戸・東京を歩く
 2016年12月19日(月)
 
 目黒区青葉台の日本地図センターで毎年開催している、『地図ふぇす』と呼ぶ3日間の
イベントの観覧に出かけた。

 西武池袋線からの直通電車で東京メトロ副都心線の渋谷駅に下り、10時48分にスタ
ートする。


       
 ハチ公像の前からスクランブル交差点を渡り、道元坂を上がる。
     

    

 上を首都高3号線が走る国道245号・玉川通りを進み、都道317号との交差点の先
から大坂を下り、日本地図センターに入った。
          

 日本地図センターのビル



 「地図ふぇす」は、1階右手の展示場で開催中。


 今回のテーマは『地図と写真で見る「望岳都」東京』、東京は山がよく見える都市で、富
士山をはじめ丹沢、奥多摩、奥秩父、北関東の山、筑波山、さらに南アルプスまで望見で
きるが、東京からどんな山が見えるかを地図や写真で紹介するというもの。



 都内の区役所など、公開されている高層ビルからのパノラマ写真や山の写真、各地から
見える富士山の写真、南アルプスの可視マップ、山岳展望に良い20万分の1地勢図、山
座同定の方法、木暮理太郎の業績や作成した展望図、昔の三角点測量の説明など、展望フ
ァンには嬉しい展示が多かった。


    

 1階左手は売店で、地図関係の図書や全国の地形図などを販売している。最新版「地図
記号500」を割引価格で購入して、正午過ぎに地図センターを後にした。

 今日は好天で暖かいので、この後は周辺を歩いてみることにする。まず、すぐ先の首都
高大橋ジャンクションに設けられた「目黒天空庭園」に行く。
 
 大橋ジャンクションは、首都高3号線(地上高約35m)と首都高中央環状線(地下約
35m)とで約70mの高低差があり、これを結ぶ2回転のループが構成されている。

 このジャンクションの屋上部を利用して、立体都市公園として約7,000㎡の都市緑地
を整備したのが、「目黒天空庭園」である。

 庭園の出入口は、東に接する「クロスエアタワー」と呼ぶ目黒区立施設の入る3階と9
階にある。

 3階の出入口を入り、反時計回りで楕円形に緩やかに回って行くと5階部分から庭園が
始まる。そこに管理棟があり、さらに反時計回りに最上部まで上がれるようになっている。



 最上部までは高低差約24m、勾配約6%だが、両側の植栽などを眺めながら上がって
行くので高低差はほとんど気にならない。








 ところどころに東屋やベンチが設けられ、植栽の間に石灯ろうなどもある。







 日向ぼっこをしながら読書する人もいて、木の間から周辺のビルを眺めたり休憩しなが
らのんびりと一巡できる。

      
 最上部付近まで上がると東に東京タワーが望まれ、目黒川周辺の原風景を再生したとい
う「おおはし里の杜(もり)」と呼ぶ一角に、田んぼや樹林が設けられていた。




 西方、ビルの上に富士山も望まれるようだが、今日は霞んで奥多摩の山並みも確認でき
ない。



 地上高35mという最上部まで上がり、クロスエアタワー9階↑からエレベーターで1階
に下り、建物を出た。


 ジャンクションの北側高みに目黒氷川神社が見えるので、回ることにした。正面に石段
があるが、首都高3号線の下を歩道橋で渡った交番の横に「目黒富士登山口」の表示があ
ったので、ここから上がることにする。


 1合目から急坂を少しで10合目の山頂に着く。その広場が氷川神社の境内である。


 氷川神社は、天正年間(1573~92)に武田信玄の家臣の加藤家が、甲州上野原か
ら産土(うぶすな)の大神を迎えたのが始まりといわれ、現在は厄除けの神として親しま
れているという。


 境内には、富士信仰の富士浅間神社↓のほか、稲荷神社、北野神社も祭られている。


 ご神木のクスノキは樹齢150~200年といわれ、高さ約20m、幹回りは5mを越
し、ほかに、イチョウや松の高木が目に付いた。

 13時を過ぎたので、軽く腹ごしらえすることに。近くにあった「吉そば」というそば
店に入り、とろろそばで昼食とした。


 玉川通りを少し進んで、西に延びる目黒川緑道へ。入口には、「大橋」のレンガ積み橋
脚が残されていた。緑道は、歩道と自転車道とに分離されているので安心して歩け、平行
して草花や木々の多いせせらぎが続いている。



 せせらぎの水は、新宿区の落合水再生センターできれいにした再生水の一部を使用して
いるという。

    
 少し進むとせせらぎに、コサギだろうか1羽で歩いていた。ところどころに休憩用ベン
チもあり、皇帝ダリアが咲き残る。
          




 600m余りで、緑道は北沢川緑道と烏山川(からすやまがわ)緑道とに分かれるので、
歩行者と自転車が一緒になった烏山川緑道を進むことにした。
     


 三宿1丁目と2丁目の間を少しで緑道を離れて北東に上がり、北東端から「三宿の森緑
地」に入る。地形図上には三宿神社が記されているが現在は無く、全体が公園になってい
た。




     
 木々の下を西から南へ半周すると、金網で仕切られたエリアに大きな石仏や石灯ろうが
保存され、ビオトープ池もある。 〈続く〉





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続カタツムリ歩行で新松戸駅周辺を歩く(千葉)

2016-12-20 18:47:59 | カタツムリ歩行
 2016年12月18日(日)

 今年最後の続カタツムリ歩行、第40回例会に参加した。集合はJR武蔵野線と常磐線
とが交差する新松戸駅。11月下旬並みの暖かさになるという予報で参加者も多め。10
時02分に南西側の出口をスタートした。


 常磐線に平行する道路を南へ、T字路を左折して、1車線を交互通行する車道に付けら
れた細い歩道で線路の下を東に抜ける。


 幸谷(こうや)の住宅地を進むと、民家の庭先にユズに似た大きな実があった。
      

 広い車道を横断して幸谷小の先の細い十字路を左折し、急な斜面林を上がり幸谷観音に
行く。

 観音堂に参拝したら、正面にお前立ちらしい観音像のお姿が見えた。
 

     
 観音堂の前には大きなだるま像が祭られ、北側にはイチョウの古木がすっかり葉を落と
して枯れ枝を広げ、さらに松戸市保護樹木のモッコクの古木も目に付く。
   

       

 境内には古い石塔3基が並び、右手の観音像は貞享2年(1685)、真ん中の観音像
には宝永3年(1706)と刻まれていた。その横の六地蔵もかなり古そう。



 モッコクの下には、松戸史跡七福神の布袋尊がどっしりと座る。道路際のモミジが彩り
を残す。
    

 道路を挟んだ東側が福昌寺、こちらの方が狭いが観音堂は福昌寺のもののよう。福昌寺
の創建は天正5年(1577)、観音堂境内は観音下遺跡と呼ぶ縄文時代後期の貝塚があ
ったという。

 境内のヤツデが見頃の花を見せている。


 台地下に戻って東へ、二ツ木(ふたつぎ)の住宅地を南東に進み、水戸街道・国道6号
側から蘇羽鷹(そばたか)神社に上がる。同じ読みの蕎高(そばたか)神社は、この歩き
で訪ねたことがあるような気がするが、蘇羽鷹神社という名の神社に来たのは初めてだ。

 創建以前、この地には千葉孝胤が治めた三ヶ月(みこぜ)の馬橋城があり、その廃城後
に千葉氏の加護を受けて天正4年(1576)創建されたとか。江戸前期の万治元年
(1658)など再建の記録があるようだが、現在の社殿は昭和51年(1976)の火
災で焼失の4年後に再建されたようだ。

 境内の庚申堂には青面(しょうめん)金剛が祭られ、社殿の南側にも数基の青面金剛と
庚申塔などが並び、そのひとつには享保3年(1718)と刻まれていた。


 国道6号を北進して、JR武蔵野線の高架下を抜ける。


 北部市場交差点を左折して小金消防署の手前を西側に入り、光明寺に行く。

 近代的なコンクリート造り白亜の本堂で、境内は開放的。境内には市の保護樹木のイチ
ョウがあるが、葉はすっかり落ちていた。
     

 日当たり良い南側土手には、タンポポに似た花が咲いている。
   

 背後の車道に戻って幸谷(こうや)を西北へ。バス停「関さんの森」の先を少し回り込
むと、その森の主、関家の正門があり、第3日曜は公開と記されているが門は閉じている。
    
 門前にパンフレットがあったのでもらい、少し戻って北側へ、関さんの森の「屋敷林」
と呼ぶエリアに南口から入る。
     
 関さんの森は、幸谷村で代々名主をつとめた関家から寄贈された庭や屋敷林を保存し、
市民などに公開しており、国の都市緑地法による「特別緑地保全地区」に指定されている
という。

 「屋敷林」のエリアには樹齢100年以上のスダジイやケヤキなどがうっそうと茂り、
木製の遊具なども設置されている。
     


 モミジも残る遊歩道を一巡して湧水池のそばの北口に出た。




 正午近くなったので、後はゴールを目指すことにする。小金清志町の車道を北東に進ん
で東漸寺(とうぜんじ)の森の西側を通過し、JR常磐線の北小金駅構内を北に抜ける。

 駅に近い、ゴールの鹿島神社には12時05分に着いた。

 簡素な造りの社殿に参拝し、この1年も続カタツムリ歩行に参加出来たことに感謝して
から昼食にした。


 皆さんが食事を終えた頃、事務局のDさんがビニールシートを広げ、年末恒例の観歩賞
の賞品がたくさん並べられ、参加者は何をもらおうかと品定めする。


 記念撮影後、年間参加回数の多い順に観歩賞が授与され、賞品を自分で選んでいただく。
私は今年の例会10回中、参加は8回だった。


 その後ミーティングをして、13時に解散となる。帰路は、午前中寄れなかった東漸寺
などを回って新松戸駅に戻ることにする。


 北小金駅の南口に出て、イオンの南西側交差点を渡る。水戸街道小金宿の表示と、小金
宿の歴史を記した新しい説明板があった。
     

 200m余り南進して東漸寺の山門を入る。東漸寺には、3年前のやまさんの「関東百
駅巡礼歩行」の第99番で流鉄の小金城趾駅から来たのを思い出す。


 大きなクロマツなどに囲まれた長い参道には3つの山門があり、途中にはモミジの紅葉
が残る。
    

 東漸寺は、文明13年(1481)の創建で、高城(たかぎ)氏の小金城への移転とと
もにこの地に移ったと伝えられているとか。江戸時代には浄土宗の学問所である関東十八
壇林のひとつとして発展し、7世住職照誉了学(しようよりようがく)はのち芝増上寺の
17世となり、2代将軍秀忠の葬儀には大導師を務めたという。


 二つ目の仁王門が一番大きく、入ったところにもモミジの彩りが残る。
    


 最後の中雀(ちゅうじやく)門↑を入ると正面にどっしりと本堂が構え立つ。



 本堂前には、ともに市の保護樹木である松の古木とシダレザクラが大きく枝を広げてい
る。



 シダレザクラの横は観音堂で、参拝後中をのぞくと金色の観音様を拝顔できた。
     


 近くには小金宿で生まれた明治維新の志士、竹内廉之助と哲治郎兄弟の石碑が並び立つ。
本堂近くのスイセンが花を開いていた。
    


 鐘楼の横から、林間を西側の道路に下る。広い境内の台地下を東から南東へと進み、小
金上総町の山王児童公園の北東隅にある日枝神社に入る。

 日枝神社は、寛文8年(1668)の創立、江戸山王権現を勧請して山王神社だったが、
明治初期の神仏分離令で廃社の恐れが出たため仏教的名前の日枝神社に改名したという。
それで、公園の名が山王なのだと了解した。

 ここも簡素な社殿で境内も狭いが、拝殿前には寛延年代〈1748~51〉の青面金剛
塔などが残っていた。
       

 小金清志町二丁目の住宅地を西に抜け、関さんの森の近くの変則十字路を渡って幸谷の
古くからの集落へ。

     
 斜面林の中の細道を下り、新松戸駅東側近くで武蔵野線のガード下を南に下り、さらに
新松戸駅に近い赤城神社に行く。

 社殿は堂々としたコンクリート造り。社殿の東側に立つご神木のクスノキの古木が大き
く枝を広げ、この社の歴史を伝えているようだ。
     

 武蔵野線のガードを戻って西へ、さらに駅近くのガードを越えて南に回り、往路の常磐
線下の細いガードを戻り、新松戸駅に14時45分に着いた。

 好天で、気温は15℃前後と暖かくなり、12月とは思えぬ快適なウオーキング日和だ
った。

(天気 快晴一時晴 距離 5㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 松戸市、歩数
 9,500・帰路通算8㎞、歩数 17,400)




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「写真アルバム 所沢市の昭和」発刊される(埼玉)

2016-12-15 21:46:23 | 所沢だより
 2016年12月15日(木)

 いき出版(新潟県長岡市)が、この夏から編集を進めていた「写真アルバム 所沢市の
昭和」が12月13日に発刊されました。
     
               表紙カバー↑  裏表紙カバー↓
         

 A4判より一回り大きなサイズに279頁にわたり、所沢市の昭和年代の写真約500
枚が掲載されていて、厚さは約3㎝になるどっしりとした冊子です。

 口絵の8頁はカラー写真で、本文はモノクロ写真になっています。その一部を。






 内容は、口絵 ふるさとの暮らしとまつり、1 昭和戦前の所沢点景-ふるさとの原風
景、2 昭和戦前・戦中の教育-国家主義の教育、3 戦時体制下の地域-尽忠報国、4
 復興期の所沢-市政施行、5 農業と地場産業-首都圏近郊の立地を生かす、6 高度
経済成長期からの所沢-都市化の進行、7 思い出の出来事-所沢の発展とともに、8
地域を結んだ交通網-都市化の進行に対応、9 変貌した風景-都市的景観の形成、10
 戦後教育のあゆみ-民主主義教育の展開、11 地域の絆を結んだ祭り-季節のなかで、
の項に分かれて関連の写真が掲載され、間にコラム欄も6ヶ所にあります。

 最後に協力者一覧が記されていて、個人は私を含めて109人、企業や団体などは西武
鉄道や市の生涯学習センター、2つの民俗資料館など22の名が記されています。

 本書を作成するにあたっては、市内の新聞購読者への折り込み広告で、掲載写真を募集
する以下のチラシが8月初めに入ってきたので、私も応募することにしたのです。
       

 私は昭和44年(1969)夏から所沢市内に住んでいるので、その頃から撮った市内
の写真を探して30枚前後のプリント写真を選び、いき出版のサイトに記された連絡先に
メールしたところ、担当のTさんが自宅に来られることになり、8月31日(水)に来宅
され、選んだプリントをスキャナーで取り込んで持ち帰られました。

 さらにその後、別のプリントも見つかったのでコピーを送って何枚か選んでいただき、
自分でスキャナーしたものをメール添付で送り、何枚か使っていただくことになりした。

 写真提供者には、完成時に1冊進呈いただけるとのことで期待していたら、昨日届きま
した。さっそく自分の写真を探したところ、口絵の3枚を含めて全部で16枚掲載でした。
上の見開き3枚の写真の中に、私の写真が各々2~3枚入っています。

 本書完成までの間には、新聞折り込みのチラシが10回前後入っていて、毎回違う写真
が掲載されていましたので、市内の新聞購読者の中には見覚えの方もおられるでしょう。
これはその1枚のチラシの裏表。
  

     

 また、書店や事務用品店オフィスポートには、以下のようなパンフレットもありました。


     

 ちなみに、私の写真で掲載された中から、元のプリント5枚を以下に紹介します。

 西武池袋線 狭山ヶ丘駅、昭和45年(1970)1月25日撮影


 西武池袋線小手指駅北口、現在のはなみずき通りに放置駐車する隣の狭山ヶ丘駅方面に
住む人の車(小手指駅始発の上り電車に乗るため)。昭和48年(1973)11月9日 
   

 現在の市役所建設予定地(手前の草地)、右手少しは所沢郵便局、現在の市立図書館本
館の北側道路から撮る、昭和54年(1979)
     

     小手指駅を通過した上り特急ちちぶ号、昭和54年(1979)4月11日
          

 西武山口線のさよなら蒸気機関車記念ウイーク最終日、ユネスコ村駅の蒸気機関車、昭
和59年(1984)5月13日
               

 なお、本書を購入希望の方は、所沢市内の各書店か上新井のオフィスポートに申し込め
ば入手できるはずです。

 出版元の「いき出版」のウェブサイトはこちら。ほかの都市の出版状況も分かります。


 蛇足ながら、進呈いただいた本書を順次目を通したところ、連続する16頁分が乱丁に
なっていたので、いき出版にメールしてほかの冊子も確認されるよう依頼しました。

 また、月初めに歩き仲間のKさんからいただいた同人誌にも10頁ほどの落丁があり、
交換してもらいました。
 
 いままで、買ったりもらったりした書籍の落丁や乱丁が、このように同じ月に2度も続
いた記憶はありません。このことは、私自身に対して心身の乱れやどこかに落ちたり落ち
込んだりすることのないようにとの戒めではないかと考え、心して生活したいと思った次
第です。


〈追記〉乱丁について連絡したところ、いき出版からさっそく代わりの冊子を送付して頂
き、今日16日(金)に到着しました。なお、乱丁分については、いき出版の依頼により
着払いにて今日返送しました。
  



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中野富士見町駅から善福寺川沿いを歩く(東京)

2016-12-12 21:11:04 | 江戸・東京を歩く
 2016年12月11日(土)

 カントリーウオークグループの第239回例会に参加した。快晴に恵まれたが、最高気
温は10℃前後までの予報で北風が冷たい。10時12分に東京メトロ丸ノ内線の支線、
中野富士見町駅をスタートした。


 == 杉並区郷土館を観覧して和田堀公園へ ==


 駅前から神田川右岸沿いを和田見橋まで進んで左岸に回る。コンクリート製の高い堤防
の柱の上に、セミやチョウ、ハトなど鉄製の飾りが続いている。
    

 間もなく神田川と善福寺川との合流点で、ほぼ同じくらいの流量のきれいな流れが合流
していた。そばに、善福寺川源流から11.3㎞地点の標識や「善福寺川流域案内板」が
ある。

 合流点の上流から見下ろす流れ。手前からの流れが善福寺川、右手からが神田川。

 案内板によれば、「善福寺川の水源は善福寺池で、杉並区の中央部を蛇行して流れ、中
野区との区界付近で神田川に合流する。この神田川水系は、都内の中小河川中でも最大規
模の流域を持つ都市河川」だという。

 この先は善福寺川左岸沿いの遡行(そこう)、間もなく右手はに変わった形態の大きな
建物沿いとなる。西側まで進んだら「普門館」の表示があり、ここが「吹奏楽の甲子園」
と呼ばれ「全国吹奏楽コンクール」の会場だった普門館かと知る。

 ただ、建物の耐震強度不足が分かり、コンクールは2012年からは別会場で開催され
ている。


 普門館構内を北に抜けると、北側にも巨大な変わった建物が目に入る。立正佼成会の大
聖堂で、普門館の西側には佼正学園中・高校や出版社などもあり、この辺り一帯は立正佼
成会の聖地のようだ。


 和田堀橋交差点で環七通りを横断し、再び善福寺川左岸沿いへ。


 その先は歩道幅が広がり、「神田川・環状七号線地下調整池」の説明板があった。そば
の建物が善福寺川取水施設で、洪水時にはここから取水した流れを、環状7号線地下の調
整池に貯留するという。

 二つ目の本村橋で右岸に回ると、杉並区の中学校駅伝大会のコースになっていて、交通
整理の警官や関係者がたくさん配置されている。注意しながら進み、紅葉の残る済美公園
で小休止する。


 その先済美橋までがコースで、選手の通過中は通行禁止となり、少しの時間待機させら
れた。




    
 この辺りから、両岸には木々が増えて公園が続く。ソメイヨシノはほぼ葉が落ちたが、
モミジやクヌギ、イチョウなど、まだよい彩りを残す木々があちこちに見られる。


     

 流れが大きく左にカーブして、その先しばらく続く和田堀公園のエリアとなり、遊歩道
は豊富な木々の間を通過する。




 左手に杉並区立郷土館の建物が見えたので、観覧することにした。


 南側道路際には、かやぶき屋根を銅板に変えた旧井口家長屋門が移築されていて、門の
西側の部屋には、機織り機や養蚕関係の古い用具などが展示されている。


 井口家は旧大宮前新田(現在の宮前や西荻南辺り)の名主で、建築年代は文化・文政年
間(1804~29)とされているという。


 館内に入り(入館料100円)、常設展示室で原始から古代の出土品、武家政権時代の
文書や板碑、江戸時代の景観やくらし、明治維新以後の発展の様子などを観覧する。




 奥の特別展示場は「昔のくらしと今のくらし」と呼ぶ収蔵資料展で、昭和の頃の懐かし
い家具や電気製品などが多数展示されていた。




 構内の長屋門横には民間信仰の庚申塔や富士信仰塔、石橋供養塔、五輪塔や道標など、
区内の石塔が10基余り並んでいる。


 川沿いの遊歩道に戻り、流れに泳ぐカルガモなどを眺めながらU字状に進むと、モミジ
の残る和田堀池があった。



 対岸のモミジの下の枯れ木に、カワセミがいるのを誰かが見つけた。しばらく動かなか
ったので皆で観察する。
    




 近くの武蔵野園と呼ぶ釣り堀の前に木製のベンチが幾つかあり、12時10分になった
ので、持ち寄ったアルコール類を開けたりしながら昼食にした。



 この辺りも木々が多く、クヌギやモミジ、メタセコイアなどの紅葉がかなり残っている。
    

 ミーティングと記念撮影をして、13時05分に出発した。


 == 大宮八幡宮から田端熊野神社まで ==
 
     
 公園内の御供米橋を渡り、クヌギなどの林間を少し上がる。東側眼下に工事中で流れを
覆った善福寺川を見下ろし、その向こうには新宿副都心のビル街が望まれる。


     

        
 赤門とも呼ばれる北神門から大宮八幡宮境内に入ると、明治・大正時代に奉納された14
個の力石が並ぶ。重さは27貫(101㎏)~50貫(187㎏)あり、昔の人は力持ち
だったと知れる。


 近くにはジュウガツザクラの若木があり、たくさんの花が見頃になっていた。
  

 大宮八幡宮は、康平6年(1063)に源頼義(みなもとのよりよし)が京都の石清水
(いわしみず)八幡宮から勧請(かんじよう)したと伝わり、安産や子育て、厄除け開運
の神として信仰を集めているという。


 拝殿にて、今年1年の無事に感謝して参拝する。


 拝殿前に、七五三を形どったキクが飾られていた。拝殿の右手にはたくさんの絵馬が奉
納され、そのほとんどは安産祈願である。


    

 拝殿に相対する東側正面の神門の両側に、ご神木の男銀杏(いちょう)と女銀杏の老木
が高く枯れ枝を伸ばして立っていた。
     

 再び御供米橋を渡って左岸に戻り、さらに上流に向かう。両岸には豊富な広葉樹が残り、
気持ちよいウオーキングコースが続く。


     
 五日市街道の尾崎橋で左岸へ。右岸すぐ上流の大イチョウが鮮やかな黄葉を見せている。
枯れ枝となったソメイヨシノの古木の下を進み、天王橋で流れは逆V字状に折り返す。


     
 色づくメタセコイアの下を抜け、その先の道路で川を離れて左に上がり、成田西三丁目
の尾崎熊野神社に行く。豊富な木々に囲まれた拝殿はコンクリート造り。

 創建は大宮八幡宮と同年代といわれ、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が、紀
州の熊野権現をこの地に勧請したのに基づくと伝えられ、旧成宗村尾崎の鎮守だったとか。

 拝殿前には、樹齢約400年というクロマツの大木が高く枝を広げ、区内でも有数の樹
木のひとつのようだ。
     

 ここが今日のゴールとし、14時20分に散会となる。3人が近くの東京メトロ丸ノ内
線南阿佐ヶ谷駅に向かい、残りはさらに善福寺川沿いを遡行してJR中央線荻窪駅に向か
った。

(参加 19人、天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、歩行地
 中野区(少し)、杉並区、歩数 14,300) (荻窪駅までは通算10㎞、歩数 
 18,600)




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市川真間で北海道一周作品展を見て北国分駅へ(千葉)

2016-12-04 22:23:13 | カントリーウオーク
 2016年12月3日(土)

 ご案内をいただいた「百田稔第6回作品展 北海道一周 冒険・お絵描きひとり旅編」と呼
ぶスケッチ展の観覧に出かけた。


 京成本線の市川真間(いちかわまま)駅を9時58分にスタートして細い路地を東へ、
県道264号に出てすぐ北、「相田みつをギャラリー サロン・ド・グランパ」が会場で
ある。


 市川市内にお住まいの百田稔(ももだみのる)さんは、これまでに東海道、中山道、奥
州街道、九州、四国などを歩いておられ、現地で描いた絵はがき大の絵の作品展を過去5
回開催しているが、今回は昨年夏に車で北海道を一周して描いた作品展である。
    

 37日間で描いた絵は174枚とか。その中の数10枚が展示されていて、いずれもほ
のぼのとして味わい深く、なかには貴重な風景もあり、ゆっくりと拝見した。
    





 百田さんも居られたので、ヒグマを気にしながらスケッチしたこと、知床ではヒグマの
姿を目にしたこと、過去に歩かれた沖縄のことなど興味深く伺う。


 画集のひと組を分けていただき、1時間余り経過して店を出た。画集の中から3枚を。
 

        

              

 なお、百田稔さんの「放浪のお絵描きおじさんのブログ」はこちらからご覧下さい。

 今日は晴天で暖かい。周辺の社寺や旧跡などを巡り北へ、北総鉄道の北国分駅まで歩く
ことにした。

 まずは近くの五差路の交差点から、北西に延びる「いちかわ文学の道」と呼ぶ遊歩道に
入る。
     

  
 葉が落ちて紅葉も残り少なくなった桜並木に沿い、市川ゆかりの文学者や万葉集のこと
などを記した説明板がところどころにあるが、年月が経過し読みにくいのもある。
      


 真間川に出て文学の道は終わり、橋を渡って須和田二丁目の住宅地へ。


 形の良い松などの見える大きな民家前を東進して、県道264号との交差点際にある六
所(ろくしょ)神社へ。ちなみに、わが家の近くにも六所神社はある。
     
 12代景行天皇の勅願で国府台(こうのだい)に創建され、のち下総国の総社となり、
戦国時代は里見氏、北条氏、千葉氏の守護を受け、徳川氏からは朱印も賜ったという古社。
明治19年(1886)に境内が軍用地になりここに遷座されたという。社殿背後の大イ
チョウが、よい彩りを見せていた。

 県道を横断して須和田一丁目に入り、東光寺に行く。植栽は少な目の境内、本堂前の六
角堂にお地蔵さんが祭られている。六角の地蔵堂は珍しいように思う。


    
 寺の横を北へ、民家にユズがたくさん実る。国分一丁目との境のT字路に突き当たると、
東側一帯は南北に延びる東京外環自動車道(外環道)の建設中で、かなり幅広く工事が進
められている。


 反対に西進して県道264号との交差点に出て、近くのガストに正午ちょうどに入り昼
食にした。今日の私の注文は、和食の彩り丼(税込み971円)とする。
    

 12時42分にガストを出た。交差点から西側の国分二丁目に入り、北側の台地に上が
って国史跡の下総国分僧寺(しもうさこくぶんそうじ)跡に行く。

 天平13年(741)、聖武天皇の発願により全国に建立された国分寺のひとつ、当時
の面影はないが発掘調査の結果、法隆寺様式伽藍(がらん)配置の金堂、講堂、塔の遺構
が発見されているという。

 現在は国分山国分寺があり、近年塗り替えて色鮮やかな南大門は、当時の建築様式によ
る昭和53年(1978)の再建のよう。


 山門を入ると正面に堂々とした本堂が構え、右手前には大イチョウが黄葉真っ盛り。本
堂前のドウダンツツジもよい彩り。
    



     
 本堂近くには市川七福神の毘沙門天が立ち、その横には三地蔵が並び立つ。

 この三地蔵は、大正6年(1917)5月に東京・湯島小生徒が国府台里見へ遠足の帰
途、近くの渡舟場から小岩側に渡る小舟が転覆して溺死した3名をともらうために建立し
たのだという。


 国分寺の道路を挟んだ東側には、「いちかわ薬師」と呼ばれる宝珠院がある。山門を入
ると境内には植栽が多く、水子地蔵のそばにはぬいぐるみを並べた小屋がある。



 本堂前に、高さ1mを越える大きなやかんが置かれている。
  

 山門近くには、千葉市検見川(けみがわ)の縄文遺跡から発見された大賀はすを育てる、
カメがたくさん並んでいた。

 行きつ戻りつして、地図上宝珠院の東側に表示された稲荷神社を探すが見つからない。
その辺りの民家には皇帝ダリアが咲く。
       
 わが家周辺では11月24日の季節外れの雪で見る影もなくなっているが、この辺りは
降雪の影響はなかったようだ。


 宝珠院の背後を東進して経王寺に行く。本堂のそばまで墓地が迫り、南側墓地際には身
がわり厄除け観音像が祭られていた。
     


 少し戻り北に進むと、突き当たりが日枝神社。拝殿前の大イチョウも黄葉真っ盛りで、
幹からは長い気根が伸びている。
     

 近くに、東日本大震災により倒壊した鳥居の円柱2本の脚部が保存されていた。
     


 東に隣接して龍珠院があり、本堂前のモミジの古木がよい彩り。


 参道際にお地蔵さんなどが並び、左端の十九夜念仏講中塔には元禄10年(1697)
と刻まれていた。



 東に下り、県道264号のすぐ北の下総霊場十八番札所という竺園寺(ちくおんじ)に
入る。本堂の前に、水平に長く枝張りした松が目に付く。


 境内左手には、園通堂と呼ぶ方形屋根の端正なお堂があった。



 県道の横には幅広く工事中の外環道が接して景観に乏しいので、東に抜けて国分川沿い
に回って北進する。地図上の水田はサッカー場や野球場に変わり、北側の水辺にはサギが
見えた。



 広大な国分川調整池↑の南西端から、カルガモの泳ぐ国分川を渡り返して西北に向かう。


 外環道工事か所と県道264号が交差するところを横断して、中国分小学校の北側でも
う一度外環道工事地点を横切り、掘ノ内一丁目に入った。


 西の台地上に見える市川考古博物館を目指して進み、北側に回り込むと手前に市川歴史
博物館があった。考古博物館を含む南から西側一帯は堀之内貝塚公園である。


 まずは市立市川歴史博物館に入り(無料)、平安時代後半から現代までの市川市を紹介
する、五つの展示室を順次一巡した。






 南東に向かって緩やかに上がると市立市川考古博物館(無料)。こちらは先土器時代か
ら平安時代前半までの展示で、両館を観覧すれば市川市のすべての歴史が知れるように分
担展示しているようで、年代から考えればこちらの観覧が先だったかもしれない。


 こちらも五つの展示室に分かれていて、先土器時代の出土品、弥生時代の土器、古墳時
代の出土品、奈良・平安時代の国府や国分寺に関する展示などを観覧した。




 館の南側広場からは東側の展望が開け、先ほど通過してきた堀之内一丁目付近で右にカ
ーブする、外環道の工事現場などが一望できる。


 郷土博物館の南側から西北にかけて、広葉樹林に覆われた一帯が国史跡堀之内貝塚。林
間を一周する遊歩道あるので一巡することにした。



 15時30分を過ぎて初冬の太陽が西に傾き、西側の斜面林が逆光に彩られる。時計方
向に回って10分ほどで歴史博物館前に戻り、掘之内貝塚公園を後にした。

 北に少しで堀之内三丁目の住宅街を東進して、北総鉄道の北国分(きたこくぶん)駅に
15時50分に着いた。


(天気 快晴後晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 船橋、松戸、歩行地 市川市、
 歩数 17,400)
 



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