あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

新宿御苑バラ花壇の花の饗宴(東京)

2014-05-30 17:10:58 | Weblog
 2014年5月28日(水)

 新宿御苑の初夏の見どころといえば、何といてもバラ花壇に咲き競うバラの花でしょう。


 何度か新宿御苑に出かけた中で、今年はバラの最盛期に観賞することが出来ました。
    



    

 どの花も、ちょうど見ごろです。


    



    

 ひとつひとつに花の名前があるようですが、それをいちいちメモする間もなく、シャッタ
ーを押し続けます。
    

        



 斑(ふ)入りの花も。


    



    

 白い花でも少しずつ違う彩り。
    





    

 自然ならではのあざやかな彩りの数々。


    



    


        

    

 花壇に沿って少しずつ移動しました。






    

 新宿副都心のビル群が間近に…


    



    


 ほぼ一巡して、バラ花壇を離れることにしました。

 御苑の入口にあったリーフレット「新宿御苑のみどころ 初夏」によれば、新宿御苑のバ
ラは、6月いっぱい見られそうです。




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新宿御苑の大温室を巡る(東京)

2014-05-29 17:58:22 | Weblog
 2014年5月28日(水)

 新宿御苑内を一周する途中、大温室に入ってみました。今まで何度も新宿御苑には来て
いますが、この温室に入るのは初めてです。


 この温室は、2年前の平成24年(2012)に全面的な建て替えを行い、絶滅危惧種
の保存、展示も行う環境配慮型の温室に生まれ変わったとのこと。

 現在では、熱帯の植物を中心に約2,700種を栽培するほか、ハナシノブなど絶滅の恐
れのある植物の保護増殖にも力を入れているようです。

 温室内は、ぐるぐると一巡できるようになっていて、幾つかのコーナーに分かれていま
す。入口の近くは「人と熱帯の植物」コーナー。まずは実のついたバナナの木が目に付き
ました。
        

 その下に咲くのはランの一種でしょうか、ヒポエステス・アリスタタという花。
   

 これは名前不明。


 国内各地でも見られるネムの花とは違うのかな?


 次のコーナーは「熱帯池沼の植物」です。


 熱帯性のスイレン。




 この辺は「沖縄コーナー」だったかな…


    

 次は「熱帯低地の植物」ですが、どこからだったかよく分かりません。


    

 カラーの一種のよう。


    

 サンゴのような花を見せるのはサンゴのボタン。


 熱帯らしい花。


 さわると痛そうなサンゴサボテン。


 中心部は岩の間を抜けてゆきます。途中には滝も落ちていました。


 最初の「人と熱帯の植物」の反対側辺りのナンヨウソテツ。


 バナナの木を反対から見たところ。


 こちらはホソババナナのようです。


 繊細な白い花。


    

 シダの一種でしょうか。


 名前は分かりませんが、熱帯らしい葉っぱ。


 20分ほどで大温室内を一巡して、新宿御苑の東北端、大木戸門付近から再び苑内巡り
をしました。




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新宿御苑で風景画展を見て苑内を巡る(東京)

2014-05-28 21:43:43 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2014年5月27日(火)

 2年ぶりに新宿御苑に出かけました。目的は、カントリーウオークグループの仲間、T
さんが出展する「第18回どんぐりの会風景画展2014」の観覧です。


 会場は、新宿御苑新宿門のそばにあるインフォメーションセンターのギャラリー。毎年
開催していますが、昨年は会期が過ぎてから知り、出かけられなかったのでした。
        
 どんぐりの会は、「日本の美しい自然を楽しみながら描くことと、自然景観の保全に努
めることを目的として活動している」とのことです。

    
 会場では、メンバー13人がこの1年に描いた水彩の風景画を、ひとり4点ずつ出展し
ていました。
    
 スケッチの場所は、ここ新宿御苑を初め、関東甲信越の四季を描いたのが中心でした。
    
 ちなみに、この風景画展は6月1日(日)まで開催中です。

 風景画展を観賞した後は、いつものように新宿御苑の苑内を回ってみることにしました。
新宿門から入り、時計回りにほぼ一巡の予定です。


 御苑の正北端にある新宿門から東に進むと、国の重要文化財に指定された「旧洋館御休
所」の建物の前に出ます。

 皇室の御休所として、宮内省により明治29年(1896)に建設された木造家屋で、
19世紀後半のアメリカの住宅建築を中心に流行したスティック・スタイルを基調とした
洋風建築のようです。
    

 近くに、ユリノキの高木が目に入りました。高さ35m、幹周囲3.9m、樹齢100
年以上とのこと。
    
 
 南側のイギリス庭園の中央にも、枝を思い切り広げた大きな木が見られます。


 御苑の東北端、大木戸門近くには大温室があり、今まで入ったことが無かったので、初
めて入ってみました。中にはたくさんの植物が茂っていたので、次回紹介します。



 その先にあるのが玉藻池。中の島を渡って南側に抜けました。


 プラタナス並木の方に進むと、カシワバアジサイが咲きだしていました。
 

 プラタナス並木は3列あり、先ほど見た「どんぐりの会」の皆さんも、以前よくスケッ
チの対象にしていたところです。  
    

 南側はバラ花壇。いままで花の最盛期に見ることが出来ませんでしたが、今日は見ごろ
の花がたくさんありましたので、ここも大温室の後で別途紹介します。


 さらに南に回り、中の池と下の池の間を進みます。

 
    


 中の池の南に回り池を半周しました。


 池の南側に、包帯を巻いたようなかつらの古木がありましたが、樹齢などは記されてい
ません。
        

 西側の日本庭園に向かい、旧御涼亭に入ります。この建物は、昭和天皇ご成婚記念とし
て昭和2年(1927)に台湾在住の邦人有志から贈られたものとのこと。清朝中期以降
の台湾で用いられた建築様式の特徴を表しているようです。  


    
 御涼亭の北側からは、日本庭園が一望できます。




 日本庭園の池に沿って西進します。



 一番西にある、上の池を北側から眺めました。


 正午頃に入苑し、新宿門に戻ったのは1時間40分近く経過した頃でした。インフォメ
ーションセンターの食堂で遅い昼食をして、帰路の西武新宿駅方面に向かいました。  




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アートウオークセラピーで横須賀市長井周辺を歩く(神奈川)

2014-05-27 19:08:19 | カントリーウオーク
 2014年5月25日(日)

 土日のカントリーウオークグループの1泊例会には要件が重なり参加出来なかったが、
日曜日だけ空いたので、山浦敬子さんのアートウオークセラピーに参加した。

 集合は京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅。10時2分発荒崎行きバスで終点の荒崎バ
ス停まで行き、10時30分に出発する
    

    
 バス停のある交差点から南への細道へ。民家の傍らに寒天の原料、テングサが干してあ
り、近くのお宅ではユスラウメが色づく。
    

 すぐ先に「三浦札所三十一番観世音菩薩」の石柱が立っていた。少しだけの斜面中腹に、
豊富な広葉樹を背にしたお堂があった。お堂の天井には横須賀市文化財の板墨画の龍の図
があるようだが外からは見えない。


 社殿背後に回ると、錫杖(しゃくじよう)を持ったお地蔵さんが立っている。錫杖まで
一つの石で彫られている珍しい地蔵菩薩だという。
        

 隣の民家のご主人が、観音堂は開けて入れると教えてくれた。中に入り、本尊正観音菩
薩の祭られた厨子に参拝する。

 三浦三十三観音は1週間前の5月18日まで本開帳されていたが、終わっていたので厨
子の扉は閉ざされていた。

 この観音堂は「荒井観音堂」といわれ、鈴木家個人の所有とのこと。鈴木家の先祖は源
義経の家臣の鈴木重家の子、家長で、ここ長井領の領主だったという。

    
 天井に描かれた龍の絵は、江戸時代の文人画家、谷文晁の作といわれ、横須賀市指定文
化財。横の格天井にも何か描かれているが、色あせていて判別しにくい。

 道路際には、「海士(あま)の屋は 小海老にまじる いとどかな」と刻まれた芭蕉句
碑が立っていた。
        

 緩やかな斜面を上がり、神社に行こうとしたが見当たらない。生け垣の間からかやぶき
屋根の民家が見えた。広い芝生の庭でご主人らしい方が草取りをしていたので声をかけ、
芝生に入って見せていただく。屋根は近年葺(ふ)き替えたばかりとのことだった。



 ウグイスの鳴く林の横を下り、東側の海岸沿いに出た。岸壁には漁船やレジャーボート
などが係留されている。


 そばのうっそうたる森に祭られた住吉神社へ。社殿は小さめの簡素な造り。


 湾沿いの道に桑の木が2本あり、桑の実が色づく。黒いのを摘み取り口に入れると甘か
った。
    

 出発した荒崎バス停に戻り、今度は東に向かう。

 木の根や曲がった枝などを飾り付けた民家の前を通過し、小さいピークを上がり下りし
て観明寺に入る。


 山門には、蓮如上人御真筆という額が掲げられている。本堂の前には、フェニックスの
古木が太い支柱に支えられて立っていた。
        

 寺の入口の路上には、「長井町荒井の道切り」と呼ぶしめ縄が下がっている。
    
 毎年5月15日と11月15日の住吉神社の祭礼の前に作られ、ここなどムラの三か所
に張って、疫病などがムラに入ってくるのを防ぐのだという。

 Y字路に戻って南東へ向かう林間の道路上にも、二つ目の「道切り」があった。
    

 次のY字路には、観音像の庚申塔や青面金剛塔など、古い石塔や石碑が並んでいた。
    


 台地上に出て花畑の横を通過し、広々とした畑の中を老人ホームに向かって進む。手前
を少し下がると狭い湾になっていて、海からの風が気持ちよい。


 湾を見下ろす絶好の場所にコンクリート造りのりっぱな廃屋があった。正午近いので場
所を借りて、建物の下から海を眺めながら昼食とする。




 老人福祉施設「サニーヒル横須賀」のそばを左折し、畑の間を北に向かう。無農薬栽培
なのだろうか、草の伸びるに任せたキャベツ畑が何枚か見られる。
    

 畑が終わって突き当たり、少しの住宅地を東にすぐ、「天地生成」と大きく刻まれた
「栗谷浜埋立土地改良記念碑」が立っていた。
        
 この辺りは以前、小さい舟泊まりのある湾が入り組んだ複雑な地形だったが、横須賀市
の生活廃棄物を埋め立てて環境浄化と地域開発を行うために、昭和54年(1979)か
ら土地改良事業を実施し、現在のような広い畑に変わったことなどが記されていた。

 すぐ先の南側一帯は、「ソレイユの丘」とも呼ぶ広大なエリアの「長井海の手公園」で、
入場は無料。中には、子どもの遊び場やお花畑、水場、牧場などがあるようで、駐車場に
は来園者の車が並び、園内は家族連れなどで賑わう。



 それら施設の方には回らず、入園ゲートを入って左へ、エン麦(ばく)畑の横を通って
東北の出口から出た。


 公園の東に並ぶ5本のアンテナ塔の敷地の東側、カボチャ畑などの間を回って唐池の集
落へ。


 神社マークのところに小さい社殿が祭られていたが、神社の名は分からない。


 集落の東端付近から道路の南側一帯は「YMCA三浦ふれあいの村」。県立の施設を横
浜YMCAが管理し、学校や団体を対象に、キャンプや海水浴、磯の観察、野外炊事など、
自然を相手のプログラムが用意されているようだ。

        
 ふれあい村の東北端、T字路際に「和田城址」の説明板が立っていた。この辺りは和田
小太郎義盛の居館趾で、三浦半島有数の穀倉地帯としてこの地から多くの兵士が出陣し、
食料を戦陣に送ったことなどが記されていた。


 T字路を入り、ふれあい村の南東端付近でスケッチタイムに。記念撮影後、前面に広が
るカボチャ畑などを短時間でスケッチした。
    

    

 ふれあい村の南側からスイカやカボチャ畑の間を進み、折り返して矢作(やはぎ)の広
大な畑作地帯を北東に向かう。畑の向こうに陸上競技場のスタンドのような、ふれあい村
の大きな建物が一望できる。



 花の咲くジャガイモ畑やネギ畑もあり、吹く風はさわやか。標高27mながら広々とし
た展望を楽しみ、北側の森ノ後集落に入る。


 国道に向かう台地の下り際に天王様を祭る小さい社殿があり、傍らに「和田義盛舊里碑」
が立ち、鎌倉武士和田義盛の栄枯盛衰の歴史が記されていた。
        

 国道134号の和田交差点に出て、そばの和田バス停に14時9分に着いた。


 14時21分のバスは行楽客で大混雑、ようやくステップを上がる。でも三崎口駅は近
い。14時29分に着き、8分後の京浜急行泉岳寺行き快速急行で帰途についた。

 
(参加 4人、天気 曇一時晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 秋谷、歩行地 
 横須賀市、三浦市、歩数 11,800)





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秩父札所午歳総開帳ハイキング⑤準拠 西武秩父駅~白久駅(埼玉)

2014-05-26 18:31:54 | ウオーキング
 2014年5月23日(金)

 5回目の秩父札所巡りに行く。西武鉄道と秩父鉄道共催の札所巡りハイキングは済んで
いるので、今回もひとりで回ることにして、9時11分に西武秩父駅に下車した。

 ハイキングのスタート地は秩父鉄道影森駅だが、乗り換えの秩父鉄道御花畑駅発の下り
電車まで少し時間があり、最初の26番円融寺(えんゆうじ)までの時間はあまり違わな
そうなので、西武秩父駅をスタート地として9時19分に出発した。

 国道140号を南へ、秩父鉄道の踏切の手前で国道に分かれ、線路の東を平行する旧道
を進む。


 家並みの間から武甲山を眺め、八幡町を経て大沼町にある26番円融寺に入る。

 本堂や境内を囲む塀は、再建間もないようで新しい。本尊聖観世音立像は、かつては奥
の院である南側の山の中腹、岩壁に覆われた岩井堂に安置されていたという。

 岩井堂はハイキングで何回か通過してるので今日は省き、次の札所に向かう。近くの長
福禅寺に入る交差点際に、移設したらしい古い地蔵や念仏供養塔、巳待塔(みのまちとう)
などが並んでいた。
    

 1㎞足らずで27番大渕寺(だいえんじ)の門前に着く。地蔵堂に大きなお地蔵さんが
祭られ、その横に安政4年(1857)に当時の名主が私財で通じたという、県史跡「影
森用水」の説明板が立っていた。

 山門に向かうと、正面の琴平丘陵のハイキングコース上にある大きな護国観音像が望ま
れる。
                    ↓護国観音像  
     

 大渕寺は明治・大正と2度の大火で堂宇をすべて焼失し、現在の宝形屋根の観音堂は平
成7年(1995)の再建とか。


 境内は緑豊富で、本堂前に観世音菩薩のお恵みという延命水が流れ落ちている。「この
水を飲むと三十三か月長生きする」と伝えられているようなので、私も冷たい水を2杯い
ただいた。
    

 少し進むと、秩父鉄道の線路と、南に平行する石灰岩採掘場への専用線際に出る。

 秩父鉄道を跨線橋で越えて少し迂回し、次の跨線橋で再び秩父鉄道の南側へ。

 その先400mほどは、やはり採掘場への専用線の廃線跡を活用した琴平ハイキングコ
ースの歩道になっていて、架線用に用いられていた古い鉄柱も残っていた。
     


 県道73号に入ると、すぐ先に「秩父市立浦山歴史民俗資料館」(入館無料)があった
ので入館し、この地、浦山の獅子舞、養蚕や林業など浦山の古くからの暮らしの写真や用
具、秩父市と浦山の獅子舞の写真などを観覧した。
    

 その先、秩父市水道部の浄水場のそばに「影森用水の碑」と「影森水道之碑」があった
が、何れも文字が霞んでいて読めない。
    

 県道に分かれて県道の高い橋の下を通過し、鍾乳洞もある巨大な岩壁下の斜面にある
28番橋立堂(はしたてどう)の石段を上がった。


 お堂は、高さ80mある石灰岩の直立した岩壁下に江戸中期に建立されたとか。本尊馬
頭観世音座像は鎌倉時代の優秀な作で、昔は縁日には近在からの馬を曳(ひ)いた参詣者
で賑わったという。
    

 観音堂の横に、白馬の木像を祭った小さいお堂があり、周辺のモミジがよい彩り。境内
には、そばなどを味わえる茶店が2軒あった。

 少し戻り、県道の高架下付近から左に下る杉木立の間の小路へ。


 民家風の光西寺横を通過し、浦山口駅の南を走る旧道に入る。眼下に橋立キャンプ場を
見下ろし、久那の集落に入って左に上がる細道へ。民家の前にお地蔵さんが立ち、古い道
しるべ石もあった。

        
 旧道に合した辺りに「草臥(くたび)れて 宿かる頃や 藤の花」と刻まれた芭蕉句碑
が立つていた。


 正面の切り立つ谷間に浦山ダムの堰堤(えんてい)が望まれ、ダム直下からの細い流れ
を古いアーチ橋で渡る。


 下流眼下に養魚場らしい池を見下ろしながら緩やかに坂を上がると、29番札所長泉院
(ちょうせんいん)である。

 開山は平安中期の正暦元年(990)とか。現在の本堂は、場所を移して天保4年
(1833)に建てられ、本尊聖観音立像は平安時代の慈恵大師の作という。


 道路際のシダレザクラの古木が、豊富な新緑を見せていた。その下を進んで境内に入る。


 本堂前部の濡れ縁に石のだるま像が並び、左手には秋葉堂がある。庭石や石灯ろうを配
した趣ある庭は、木々もよく手入れされていて新緑が気持ちよい。


 納経所のご住職に断り、モミジの下のベンチで昼食をさせてもらう。そばの大きなカル
ミヤが花をいっぱい付け、モミジにも風車のようなピンクの小さい花が咲く。
    

 車道を西に向かう。2本走る送電線の最初の高圧線の下辺りに、「巡礼通りふれあいセ
ンター」の建物があった。

 木造の建物には広い休憩スペースとトイレがあり、団体の休憩所としても使えそう。

 さらに500mほどで南に少し回り、シダレザクラで知られる栃久保集落の清雲寺(せ
いうんじ)に立ち寄る。


 本堂前に市の天然記念物で豊富な若葉を見せるシダレザクラ↑があり、石段を下りた西
側には何本かのシダレザクラが枝を広げている。

 その中央に、県天然記念物で応永30年(1423)に開山した楳峯香(ばいほうきよ
う)禅師お手植えと伝わる樹高15mのエドヒガンザクラが、独特の枝張りを見せていた。
     

 隣接する若御子(わかみこ)神社には寄らずに通過する。隣の船川集落には千手(せん
じゆ)観音堂があり、社殿の前に信頼相撲の土俵が設けられていた。

 観音堂は大同年間(806)に坂上田村麻呂の創建と伝えられ、現在のお堂は明治8年
(1875)の再建とか。天井には、近在の草相撲力士が奉納した相撲四十八手図がはめ
込まれていた。
    

 信頼相撲は、文政年間(1818~)に4代目花籠親方の辻免許を受けて関東三辻の一
つとして栄えたが、実際にはそれ以前から行われていたようだという。現在も毎年8月16
日の縁日に行われ、相撲は二番取りで、一番で勝った者は二番目には負ける慣わしという。


 この地、旧荒川村はソバの里。まだ開花前のソバ畑が増えてきた。花菖蒲の咲く休耕畑
もあり、マーガレットもあちこちに咲き、周辺の新緑の彩りも気持ちよい。

 事上集落で道は90度カーブし、踏切を越えて秩父鉄道の北に回る。国道140号に入
るとすぐ、芦川の深い谷を渡る南側の旧道と秩父鉄道の橋が望まれる。



 国道際に咲き残るツツジの横を上がって武州中川駅前を通過し、西側の踏切を渡って線
路沿いに荒川日野集落を進む。



 道路際に石仏の並ぶ浄光寺の先に、「道の駅荒川」があったので入り休憩する。

 館内には地元産の農産物やその加工品、鉢植えの草木などが並び、車で来た人が品定め
をしている。
    


 隣の「山里自然館」↑では、「秩父観音霊験記」を公開していたので、常設展示の動物
のはく製などと合わせて観覧した。
    

 再度秩父鉄道の北に回ると、ソバ畑の向こうに武甲山の北面が望まれる。



 荒川の対岸、北麓に並ぶ小野原の集落を眺め、花の終わった「カタクリ・ニリンソウの
里」の横を通過する。


 豆早原(ずさばら)集落の西端付近に、「白久(しろく)の串人形芝居」の説明板が立
っていた。幕末の頃からこの集落に継承されている独特の人形芝居で、国選択民俗文化財
と県の無形民俗文化財に選定されている。

 谷津川(やつがわ)と踏切を渡り、白久駅前を通過する。谷津川左岸沿いを南に向かっ
て高度を上げ、橋場集落にある30番法雲寺(ほううんじ)へ。

 開基は13世紀中頃の鎌倉時代で、本尊如意輪観音は、唐の玄宗皇帝の作と伝えられて
いるという。
     
 「浄土庭園」と呼ぶ、池を中心の趣ある斜面に、たくさんのツツジが花を残し、その上
部に方形屋根の観音堂が立つ。朱塗りの堂内には、たくさんの絵馬が奉納されていた。
    

 納経所の前に、梅の古木が立っていた。御朱印をいただいた後、庭の清掃に出てこられ
たご住職に伺うと、樹齢は500年を超えるという。
    

 観音堂の左手には、樹高約26mのヒバの古木もある。


 同じ道を下り、今日のゴール、秩父鉄道の白久駅には15時56分に着いた。


 ホームの前面に広がる気持ちよい新緑の山並みを眺めて電車を待ち、16時20分発の
上り電車に乗る。


(天気 晴、距離 15㎞、地図(1/2.万) 秩父、三峰、歩行地 秩父市、累積標
 高差 上り約390m、下り約330m、歩数 29,500)  




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所沢航空記念公園のバラが見ごろに(埼玉)

2014-05-22 16:57:29 | 所沢だより
 2014年5月22日(木)

 昨日は久しぶりに50㎜を超える降雨があり、かさかさに乾いていた庭や畑なども潤い、
木々の緑や花の色もよい彩りとなりました。

 そこで今日は、いつもの市内ウオーキングルート、所沢航空記念公園に行ってみたら、
中央の放送塔付近のバラが見ごろになっていました。
    

    

 バラは、フジ棚を囲んで植えられていて、バラ園というほどのスペースではありません
が、かなりまとまって咲いています。
    

    

    

 赤系の色を中心に、何種類ものバラの彩りが見られました。


        

    

    

        

    



 蛇足ながら、そばの大きなシャクナゲも満開だったので、仲間に加えました。


    

 公園内の広葉樹の木々も、雨のお陰で生き生きとしています。


    

        

        

    

    

    

        

        

    

 ちょっと変わった混色の花も…。



 花の向こうの芝生広場には、たくさんの幼稚園児が遠足に来ていて、昼食の最中のよう。


 ソメイヨシノの新緑の下など、ほかの場所でも何グループもの幼稚園児が、昼食を楽し
んでいました。 花の香りをお届けできないのが、ちょっと残念です。




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深谷駅の南側一帯をカントリーウオーク(埼玉)

2014-05-21 12:13:02 | カントリーウオーク
 前後のレポートが先になりましたが、10日前のカントリーウオークの報告です。

========================================

 2014年5月11日(日)

 爽やかな快晴となり、いつものメンバーがJR高崎線の深谷駅に集まる。東京駅に似た
赤レンガの駅舎をバックに記念撮影後、4組に分かれて10時11分に出発した。


 ちなみに、この深谷駅は平成8年(1996)に竣工された。東京駅が深谷産レンガを
使用していることから東京駅をイメージして造られたもので、深谷出身の実業家・渋沢栄
一の顕彰とレンガを活かした町づくりを進める、深谷市のシンボル的な存在となっている。

 == 新緑の桜並木と仙元山公園 ==

 
 線路の南を平行する流れ沿いに続く桜並木を西進し、近くにあった滝ノ宮神社に入る。
うっそうとした木々に囲まれた境内は、ツツジが花盛り。モミジの若葉もよい彩り。



 拝殿の左手にりっぱな演舞台↓があり、その前にご神木のケヤキが立っていた。


    
 さらに緑陰の流れに沿って進む。赤鳥居が並び小さい社殿の稲荷神社前を過ぎると、大
きなアカシヤが花をいっぱい付けていた。
    

 流れはやがて、線路から離れて90度左にカーブする。すぐ先の清信寺境内に、平氏き
っての知勇に優れていたという平薩摩守忠度(たいらのさつまのかみただのり)の五輪塔
がある。
    
 12世紀、源平一ノ谷の戦いで、この地の武将、岡部六弥太忠隅(ろくやたただすみ)
が薩摩守忠度を討ったが、その菩提を弔らうため、領地内で一番景色の良いこの場所に建
てたのだという。

 流れ沿いに戻り、さらに桜並木の続く右岸堤防を南下する。川沿いに、「家庭からの生
活雑排水を少なくしてきれいな川にしよう」という深谷市の大きな看板が立っていた。埼
玉ガスのガスタンク横までで桜並木は終わる。

 深谷南中の横を過ぎて間もなく、住宅が途切れる。川を離れ、南に延びる広々とした畑
の間の農道を進む。


 南東に、これから上がる仙元山公園の森が近づいてきた。シャクヤクの咲く畑もある。
    

 柏合集落を少し通過して、北西端から広葉樹に覆われた仙元山公園に入り、石段横の土
の道を中心付近のピークに向かって上がる。


 稜線に出て広がった遊歩道を仙元山の頂上まで進むと、富士浅間神社があった。

 創立年代は不詳だが、深谷上杉氏第5代房憲(ふさのり)から第9代氏憲(うじのり)
まで、代々の深谷城主が深く崇敬しており、近在の人々には安産の神として古くから信仰
を集めたという。小休止した、境内のがっちりした造りの東屋の屋根下には、木彫りの仏
像が祭られていた。


 長い石段で公園の南端に下ると、正面に上越新幹線の高架が横切る。公園下を左に回り
込み、開放的な境内の昌福寺へ。


 左手の植え込みのそばに小さい三重塔が立ち、近くには典座和尚と若き日の道元禅師像
があり、台座にその由緒を記した自由詩が刻まれていた。
    

 独特の造りの仁王門を出て、陸上競技場の横で上越新幹線の高架下を南に抜けて人見集
落へ。深谷特産のネギ畑が現れ、大きなビニールハウスをのぞくと、たくさんのシャコバ
サボテンの鉢が並んでいた。
    

 一乗寺に北側の墓地から入ろうとしたが、境内を囲む柵があり入れない。戻って藤沢小
の西側に回る。墓地には、田中島家具センターの設立者、田中島俊雄氏の新しい碑があり、
氏の生涯が記され、横に胸像も出来ていた。


 藤沢小付近から一乗寺の大きな本堂を眺め、近くにある昼食地の藤沢生涯学習センター
に12時8分に着いた。建物は深谷特産のレンガ造りで、予想以上に大きい。

 南側にあった緑陰のベンチで昼食にした。

 
 == 開拓集落と花植木センターへ == 

 
 食事後にミーティングを済ませ、13時18分に出発する。病院と老人福祉施設を併設
の「あねとすホームケア」の大きな建物の横から畑の中の農道を西に向かう。

 南側には、私が毎年9月、バザーのために古切手や書き損じはがき、未使用の衣料品な
どを送っている「養護盲老人ホームひとみ園」の平屋の建物が見える。


 県道62号に出て、少し先の櫛挽(くしひき)排水路に接した宝積寺に寄る。堂々たる
本堂で、傷んではいるが鐘楼も大きい。よく整えられた植栽の間に、青銅の観音像や弘法
大師像が立っている。


 境内には、明治末期この地に生まれ、上京してタクシー・ハイヤー業を興し、バスやレ
ストラン業などの事業を拡大して年商350億円の事業に発展させたという、富田金重氏
の墓があり、家訓と業績を記した説明板もあった。

 本堂裏手にクジャクがいるという。回ってみると、何種類かの鳥もいる飼育舎があった
が、羽を広げたクジャクは見られなかった。


 櫛挽排水路に沿って西進する。周囲の展望が開け、北には霞む榛名山↑が、南に外秩父
の笠山や堂平山などが望まれる。1㎞ほどで開拓集落の櫛引に入った。

 昭和22年(1947)から入植が始まった開拓地で、北東から南西へ帯状の樹林が何
条か走り、これと農地とが交互に配置されていて、樹林は家屋と耕作地を荒天の被害から
守る防風林として保護されてきたという。

 開拓当時の樹林はヒノキ、スギ、アカマツが主だったようで、地形図上も針葉樹マーク
だが、現在はクヌギ、ナラなどの広葉樹が多い。


 2本目の樹林に沿って西南に向かう。500m足らずでひとつ南の樹林帯に回ると、開
拓当時のものらしい建物が一つだけ残っていた。


 近くの緑あふれる幼稚園の前にも、当時のままらしい素朴な畜舎が残されている。


 進むにつれ大きなビニールハウスが増え、こちらのどのハウスにも数知れぬほどのシャ
コバサボテンの鉢が並んでいた。
    


 ツツジの咲く樹木畑の前を進み、「ふかや緑の王国」に正門から入る。


 「市民がつくり市民が守り育てる市民の森」をテーマに、自然の大切さや素晴らしさを
再発見し自然と人間が共生できる町造りを目指す、市の憩いの施設とのこと。

 森の音楽祭や梅まつり、ホタル鑑賞会、ピザ焼き、芋煮会、紅葉ライトアップなど、季
節ごとに多彩な催しが行われているようだ。

    
 新緑の樹木が広がる園内、はなみずき通りを進むと、大きなシャクナゲが花を見せてい
た。本館の建物付近で小休止する。




 南門を出て花植木センターの横を通過して、南東に向かう。珍しいピンク色のアカシア
が咲く。
        


 戸田川に沿った田園地帯を通過し、立野集落の桑名野神社前に出る。開放的な能舞台が
あるが、先を急いで寄らずに通過する。


 ユリ苗を育てる幾つかのビニールハウスの間を進み、広々とした畑作地帯を過ぎる。




 北根集落を抜けて、交通量の多い国道140号バイパスを車の切れ目に斜めに横断し、
ゴールの秩父鉄道永田駅に16時23分に着いた。


 仙元山公園以外は平坦地だったが、カントリーウオークとしては少し長めの距離になっ
たので予定の16時8分発には間に合わず、次の電車で帰路についた。

(参加 16人、天気 快晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 深谷、三ヶ尻、寄居、
 歩行地 深谷市、歩数 26,200)




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続カタツムリ歩行の帰路 北朝霞駅に向かう道で(埼玉・朝霞)

2014-05-19 18:48:10 | カントリーウオーク
 2014年5月18日(日)午後

 続カタツムリ歩行の散会後、私はひとりで午前中通らなかった東側を回って、北朝霞駅
に戻ることにして、13時12分に溝沼2丁目の滝の根公園を後にしました。

 公園の西側から北方に向かいます。溝沼5丁目には、古くからお住まいらしいりっぱな
邸宅が残っていました。


 豊富な緑を残す家並みも続きます。


 溝沼6丁目の光善寺に行ってみましたが、檀家や関係者以外は入山禁止の立て札があり、
境内には入れません。門前から眺め見る本堂はコンクリート造り。


 門のすぐ内側に、近くから移転したらしいお地蔵さんが並んでいました。


 さらに北側の溝沼7丁目には、庭中バラに彩られたお宅があり、近所の方か、たくさん
の人が訪れていました。


 第六小入口交差点に出て城山通りに入り、東武東上線を越えて岡2丁目交差点で城山通
りに分かれ、西側を平行する旧道を進んで、参道の新緑がまぶしい東圓寺に行きました。



 山門を入って右手には、新しい鐘楼が目につきます。


 正面の本堂手前には「一夜塚供養塔」が立っていて、昭和18年(1943)に東京空
襲を避け疎開児童が増えた学校の拡張を図るため、隣接の一里塚を壊してしまったことを
悔やみ、お詫びに建てた供養塔をその後ここに移したこと、などが記されていました。
        


 ここも、コンクリート造りの大きな本堂。その前にあった市の保存樹木になっているボ
ダイジュの古木は、たくさんの花を見せています。
     

 広い境内は緑豊富で、気持ちよい新緑にあふれています。


 りっぱな植栽は、よく手入れされていました。


 境内には、やはり近くの道路改修か何かで移転したのか、庚申塔などがまつられていま
した。
    
 左手のものには、享保17年(1732)と刻まれています。

    
 北側の小さめの門を抜けて、新緑のモミジと竹林の間を北に下る斜面には、ここだけで
一巡できる八十八か所めぐりの石塔が転々としていました。 
        

 下の方の斜面には、たくさんの石仏が並んでいます、説明板などはありません。



 そばに不動堂があり、その下から「不動ノ滝」と呼ぶ細い流れが落下していました。
    

 境内の東北端最低部には、不動の滝の水を引いた弁天池があり、弁天堂もまつられてい
ます。


 本堂正面の山門まで戻って寺を出て、弁天池の横を走る旧道を下ることにしました。近
くの農家らしいお宅には古くからの納屋が残り、横にりっぱな土蔵が並んでいます。




 旧道を下りきったところに朝霞市博物館があったので、入館しました。入館料は無料で
す。


 展示室に向かうガラス張りの廊下からは、屋外に設けられた水車が見られます。

 常設展示室にも水車のコーナーがあり、黒目川沿いには以前幾つもの水車があって、水
車を利用した伸銅工業が盛んだったことなどが記されていました。なお、館内は撮影禁止
です。

 常設展示室ではほかに、復元した縄文時代の竪穴住居、「遺跡が語る朝霞」、「リクの
道と水の道」、「水となりわい」、「朝霞の美術・工芸」、川越街道膝折宿(ひざおりし
ゅく)の模型などが展示されていました。

 ギャラリーの企画展示は「川越街道を歩くⅡ」で、中山道の脇街道だった川越街道に今
も残る当時の面影の写真などが並んでいました。

 博物館を出て、畠の中を北西に延びる市道を駅に向かいます。すぐ北側は東洋大学朝霞
キャンパス。


 建物北側には幾つかのグランドがあり、一番大きなグランドでは、アメフトの親善試合
らしいのが行われていました。
    

 県道112号和光志木線際に信泉寺別院があるので回ってみましたが、ここも「檀家と
関係者以外は入山禁止」の立て札があり入れません。


 すぐぐ北側の、黒目川がカーブする岡橋際から再び左岸堤防を進みます。


 次の水道橋の歩行者用側道を渡って駅に近い浜崎1丁目へ。


 住宅の垣根のそばに、紅白のカルミヤが咲いていました。


 15時ちょうどにJR武蔵野線の北朝霞駅に着き、10分後の下り電車で帰路につきま
した。 

 (距離 4㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 朝霞市、続カタツムリ歩行との
  合計距離 8㎞、合計歩数 14,400)
 



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続カタツムリ歩行で北朝霞駅南部を歩く(埼玉)

2014-05-18 22:53:47 | カタツムリ歩行
 まだ1週間前のカントリーウオークのレポートが出来ていないのですが、今日出かけた
「続カタツムリ歩行」の例会模様を先に報告します。

 2014年5月18日(日)

 JR武蔵野線沿線を中心に歩いている「続カタツムリ歩行」の第14回例会に参加しま
した。集合地はJR武蔵野線の北朝霞(きたあさか)駅。武蔵野線に交差して東武東上線
が走っていて、その朝霞台駅も近接しています。


 さわやかな快晴に恵まれ、10時33分に駅を後にして、東武東上線の東側を平行する
車道を南東に向かいます。

 信号のある交差点の先は、市の新しい公共機関が幾つか並んでいました。その一つ、朝
霞消防署浜崎分署。今はほとんど役目を果たしてはいないでしょうが、珍しいスタイルで
消防署のシンボル火の見やぐらも設けられていました。


 その先に並ぶ、市立図書館分館のある産業文化センターやエコネットあさかなどの間を
進んで、黒目川の流れが左に90度カーブする地点にかけられた自転車と歩行者だけ通れ
る浜崎黒目橋を渡ります。


 きれいな流れを見せる黒目川上流側。


 橋の下では、若いグループがバーベキューパーティの準備中。


 その上流に向かって右岸堤防を少し進み、振り返り見る浜崎黒目橋。


 堤防にはソメイヨシノの並木が続いていて、開花の頃は花見客で賑わいそう。


 対岸も、桜並木が続いています。


 少し先の畠では、小麦が色づき始めていました。


 そばのジャガイモも花盛り。


 その辺りからは、東上線の線路の向こうに東洋大学朝霞キャンパスの体育館が望まれま
した。


 桜の木の上を見上げている地元の方が居られました。聞くと、上の方の枝にカラスが巣
を作っていて、ひなが3羽生まれているとのこと。これは真下から撮ったのでよく分かり
ませんが、違う場所からは親鳥が帰ってきたときに確かに見えました。
    


 流れは右にカーブする辺りでは、堤防に大きなクルミの木があり、実がふくらみ初めて
います。


    


 次の新高橋の近くの対岸では、たくさん家族連れが集まり、小さい子どもさんが水遊び
を楽しんでいました。
    

 橋の下で遊ぶグループも。


 橋を渡って左岸に回り、そばの日成寺に行ってみましたが、民家風の造りの建物しかな
く、ここが本堂なのかよく分かりません。


 桜並木のなくなった左岸堤防をさらに上流へ、やはり自転車と歩行者だけの桜橋が近づ
いてきました。


 右岸に戻り、さらに上流に向かいます。流れで魚を狙っているのでしょうか…。
    

 水道橋の付近、対岸を100人を越える大勢のウオーキンググループが通過しました。


 近くで堤防を離れて南に延びる道に入ります。路傍に咲くゼニアオイ。
      

    
 T字路を折り返すように左に回って行くと、サボテンや珍しい白色のシランが咲いてい
ます。
    

 マンホールのふたも花がいっぱい!
    


 市立十中のそば、りっぱな土蔵の残る古くからの民家の横を上がって溝沼4丁目に入り、
ゴールに向かってカーブの多い道を東に向かいます。

 半世紀前は農道だったと思われる道に、新興住宅地への路地などが加わり、少し分かり
にくくて回り道をしましたが、ゴールの滝の根公園のうっそうとした森に入りました。


 斜面林の中に遊歩道が巡っていて、どこが集合地なのか探し、ベンチのある先着の皆さ
んの居られたところに12時5分頃付き、昼食としました。

 下の方で昼食しているメンバーもいるとか。食事を終えてそちらに下ります。クヌギら
しい高木の周辺に広場ともいえないくらいのスペースがあり、斜面から他小さい滝が流れ
落ち、カルガモも泳いでいました。
      

 そこで記念撮影とミーティングをして、13時10分頃散会となりました。


 (天気 快晴後晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 志木、 歩行地 朝霞市、歩
  数 6,100)

 散会後私は、午前中回らなかった寺院を巡って北朝霞駅に戻ることにしました。その報
告は次回とします。
  



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山陽路3日間の旅③ 周防大島 宮本常一ゆかりの地を訪ねる(山口)

2014-05-17 18:42:15 | 国内旅行
 2014年5月9日(金)
 == 周防大島で宮本常一ゆかりの地を巡る ==

 宿泊した周防大島町(すおうおおしまちよう)西方(にしかた)のかわい寿し旅館で起
床後、3階の窓を開けて周辺を眺める。


 南側間近に下田(したた)八幡宮の森が望まれる。




 北側には国道437号を隔てて、瀬戸内海をイメージしたというブルー色トラックの
陸上競技場、隣接する総合体育館、近くの小島、我島などが目に入る。




 7時半からの朝食を済ませ、荷物を預けて8時半過ぎに宿を出た。今日も4時間ほどで、
この町出身の民俗学者、宮本常一(みやもとつねいち)ゆかりの地を訪ねる予定である。

 ちなみに、周防大島は山口県の東南部に位置し、地形図では「屋代島」となっている。
全島が周防大島町。瀬戸内海の島では淡路島、小豆島に次き、面積は約138㎢ある。

 東西に直線で約28㎞、南北の最長部で約13㎞あるが、大畠駅から宿のある西方まで
は、国道距離では約24㎞になる。

 比較的温暖な気候から、島全域でみかんの栽培が盛ん。瀬戸内海の魚介類の収穫も多く、
観光客は年間約90万人訪れるという。宿泊した西方は金魚のような形をしたこの島の、
尻尾の上部つけ根の辺りになる。

 宮本常一は、宿と同じ旧家室西方(かむろにしがた)村で明治40年(1907)に生
まれた。学生時代に柳田国男の研究に関心を示し、その後渋沢敬三に見込まれ本格的に民
俗学の研究を行い、1930年代から亡くなる昭和56年(1981)まで日本各地を訪
ね、歩いた距離は地球4周分の約16万㎞といわれている。

 宮本は、単なる民俗学者としての活動に止まらず、農業技術の指導者として、あるいは
離島振興に情熱を傾け、埋もれた地域芸能の発掘と育成などで地域の活性化を図るプロデ
ューサーとして、さらに、既成概念にとらわれない手づくりの組織で、若者たちに生きが
いを植え付ける教育者としても尽力している。

 宮本の足跡を追った佐野眞一著「宮本常一がみた日本」で、宿泊したこの西方が出身地
と分かっていたので、前夜、宿のおかみさん聞いていた生家の場所をまずは訪ねることに
する。

 国道の南を並行する旧道を少し西進する。大島特産のサツマイモ、「大島あんのう」と
「東和きんとき」の無人スタンドがあった。
    
 ここが宮本常一の生家らしいが、平屋の建物は当時のものではなさそう。狭い庭先に、
サツマイモを洗うのに使う箱がたくさん積んであった。


 すぐ先に下田八幡宮の石鳥居があり、石段を上がった境内は豊富な広葉樹林に覆われ、
「下田八幡宮樹林」は山口県の「自然記念物」に指定されている。

 宮本常一は少年時代、この森が遊び場だったようで、当時は小学校も下田八幡宮にあっ
たという。


 権現造りの社殿は予想以上に大きく、背後の本殿には精巧な木彫が施されている。
        

 拝殿に貼られた最近の奉納金者の中に、宮本の三男、光さんの名も見られた。

 東側に下り、国道にへ移行する旧道を次の平野集落に向かう。東和中前を過ぎ、長崎集
落が終わると旧道は国道437号に合する。


 瀬戸内海に沿って走る国道からは、島内の嵩山(618.m)や、昨日バスで通過した
島の北西部の展望が広がる。国道は海と反対側に幅広い歩道があり、車の交通量も少なく
安心して歩ける。

 平野集落に入ると再び国道に平行する旧道がある。JAの前を過ぎ、集落の中心部の
国道際に二つの建物が見えてきた。「星野哲郎記念館」と「周防大島文化交流センター」
である。


 最初に、手前にある近代的な造りの星野哲郎記念館(入館料510円)に入る。
    

 星野哲郎は大正14年(1925)に現在の周防大島町和佐に生まれ、高等商船学校
(現・東京海洋大)を卒業後、日魯漁業(現・ニチロ)のトロール船に乗る。

 腎臓結核の闘病を経て作詞家の道に入り、島倉千代子の「思い出さん今日は」、畠山
みどりの「恋は神代の昔から」、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」、小林旭の
「昔の名前で出ています」、北島三郎の「風雪流れ旅」、鳥羽一郎の「兄弟船」美空
ひばりの「乱れ髪」など、多くの歌手のヒット曲を世に送り出した。

 平屋建てガラス張りの細長い館内は、星野劇場、ギャラリー、収蔵庫、星野工房、星
野歌酒場などに分かれ、星野作曲の歌を聴いたり歌ったり、星野の年表やレコード大賞
ほかの受賞楯などが観覧できるが、写真撮影は禁止だった。入口の右手には、周防大島
町東和総合支所のエリアもある。




 建物の突端から「山のテラス」と呼ぶ芝生広場に出ると、瀬戸内海や周防大島北西部、
近くの島々などの気持ちよい展望が広がる。


 予定以上の50分ほど観覧して退館した。




 隣接する周防大島文化交流センターの建物前には、大きな樽や小舟が展示されている。
建物に入り、受付で入館料(星野哲郎記念館入館者割引200円)を払う。館内は撮影
禁止だが申請すれば撮影可能なので、撮影許可書に記入して許可をもらった。

 左手の展示室に、周防大島に来た主目的である宮本常一関係の展示がある。手前のロ
ビーには、機織り機が並んでいた。
    

    
 展示室の最初は、周防大島東部の生産用具のコーナー。宮本常一の指導で昭和51年
(1976)から地元有志が収集した民具は2万点にのぼるとか。

    
 それらの中から農耕、養蚕、運搬、漁労用具約200点が展示されていた。これらの
多くは国の重要有形民俗文化財に指定されているという。

    
 宮本常一が旅に持ち歩いた、愛用の遺品も展示されていた。
    

    
 壁面の両側はパネル展示。左手は「写真でつづる宮本常一」で、周防大島での青小年
時代から、渋沢敬三との出合いやアチックミュージアム研究員の時代に全国を巡った写
真、武蔵野美大や日本観光文化研修所での後進の育成時代などの写真や年表が並ぶ。
    
 右手は企画展示「宮本常一、島へのまなざし」。宮本が尽力して制定された離島振興
法制定から60年を記念したもので、宮本が生涯にわたり訪ね歩いた、日本の島々に暮
らす人々の営みを撮った、貴重な写真が展示されていた。

 奥のコーナーには宮本の著書、関連の文献や資料の書庫があり、手にとって傍らのテ
ーブルで自由に閲覧でき、宮本が日本各地で撮った約8万9千枚に及ぶという写真も、
横の専用パソコンで閲覧できる。
    

 壁面展示の反対側は、長州大工のコーナー。江戸時代以降、主に四国の伊予、土佐の
神社の宮大工として腕を振るった周防大島出身の大工の建築した、神社の足跡や写真な
どの説明パネルがあり、先ほど見た下田八幡宮の見事な彫刻も、地元長州大工の作品と
知れる。
    
 パネルの下には木組みの実物がたくさん並び、長州大工の伝統的な木造建築で用いた
「木組み」の技法が、手にとり分解して理解できるようになっていた。
    

 別のコーナーでは、宮本常一の生涯を紹介した岩波書店制作のフイルムを上映してい
た。45分間にわたる映像を見て、宮本の生い立ちや偉大な業績を再確認した。

 11時近くに入館し、ゆっくり観覧して12時40分頃、周防大島文化センターを出
た。

        
 館の前の広場に、初めて見たクワ科の亜熱帯植物・アコウ(榕、赤榕、赤秀、雀榕な
どと書く)が実り、傍らにピンクの花がたくさん咲いていた。
    

 帰りのバスまで1時間となったので、急ぎ国道を宿に向かって戻る。宿のそばの道の
駅の手前に、りっぱな日本家屋が見えた。

 町指定文化財「服部屋敷」で、旧東和町西方にあった屋敷を移築、復元したもの。東
和町は長州大工の拠点で、その大工たちの代表作の一つとか。江戸末期や明治中期に建
設された主屋、土蔵、土蔵などがあるようだが、時間が無いので道路側から眺めるに留
めた。


 「道の駅サザンセトとうわ」に入り、急ぎ周防大島産品の中から目についた何品かを
求める。
    

    

 食堂もあったが昼食の時間は無い。パンも買い、宿に戻って預けた荷物を受け取り、
そばの周防長崎バス停で待つ。間もなく来た13時39分発の防長バスに乗る。



 車中で昼食代わりのパンを口に入れ、往路の国道を戻って14時21分にJR大畠駅
に着いた。

 大畠駅発14時42分の山陽本線上り電車で岩国駅まで行き、乗り継いで広島駅へ。
広島駅発16時17分さくら558号を、新大阪駅でひかり532号に乗り継ぎ、東京
駅には21時10分に着いた。帰宅したのは22時45分に近かった。

(天気 晴、距離 4㎞、地図 2万5千分の1・安下庄(あげのしよう)、パンフレ
 ット「周防大島遊び場ナビ」地図、歩行地 山口県周防大島町)

 3日間とも現地観光の時間は半日足らずだったが、予想以上の見聞や思いがけぬ出合
い、素晴らしい新緑と瀬戸内の景観、そして天候にも恵まれ、充実の3日間だった。




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