あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

新宿御苑のツツジ(東京)

2009-05-30 21:47:19 | Weblog
 ハイキング誌への原稿締め切りに終われ、2日間投稿が出来ません
でした。ようやくギリギリに仕上がって発送したので、午後、新宿御苑
へ出かけました。



 御苑の新宿門に向かったら、見慣れない花が咲き、よい匂いです。

 木の幹に、セイヨウシナノキと表示されていました。

 今日の目的は、ここ新宿御苑インフォメーションセンターで開催中の
「第13回〝どんぐりの会〟風景画展」です。

 カントリーウオークの仲間、Tさんが所属するスケッチハイキンググル
ープの作品展で、『日本の美しい自然環境の中で、楽しく絵を描くこと
と、環境保全に努めることを目的として、グループ活動をしている』との
ことです。

 Tさんなど、メンバー11人の方が、新宿御苑や、関東甲信、裏磐梯
などを描いた作品44点が展示されていました。

 ちなみに、この展覧会は明日、31日(日)まで開催されています。
(インフォメーションセンターの入館は無料)

 観覧を終え、新宿御苑内を回ってみることにして、新宿門から入園
しました。(入園料:大人200円)


 門を入って右手の、「母と子の森」の方に向かいます。まず目に入
ったのが、この大木でした。

 「モミジバススカケ」と記されていました。通常はプラタナスと呼ばれて
いる木ですが、この木は樹齢は100年以上とのことです。

 都心とは思えぬ、緑濃い樹木がうっそうと茂る母と子の森を抜けて、日
本庭園の一角にある上の池に出ました。

 池の周辺は、つつじが花盛りでした。この後は、上の池の周囲に咲く
つつじの彩りを中心に、ご覧いただくことにしましょう。





 このように、びっしりと花がついています。




 向こうに見える屋根は、茶室です。












 上の池の東端にある、旧御涼亭から眺めたもの。


 このあと、中の池から下の池を経て、バラ花壇を抜け、新宿門まで、
ほぼ園内を一周しましたが、つつじの見ごろは、上の池だけでした。
 
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日本一長い踏切(東京・拝島)

2009-05-27 22:58:13 | 鉄道
 例年だと5月15日~20日ころ、わが家周辺で鳴き始めるカッコウが、
今年は鳴かないと思っていたら、昨日の朝、鳴いているのを確認しま
した。今年も来てくれたのです。

 その昨日、5月26日(火)の朝日新聞(東京本社発行)夕刊に、下の
記事が掲載されました。



 東京西郊の昭島(あきしま)市、JR青梅(おうめ)線、八高(はちこう)
線、西武拝島線、米軍横田基地への引き込み線が並ぶ拝島駅東側に
ある、日本一長い踏切が、今月末で廃止という内容です。

 今日、近くの青梅市へ行く用事があったので、帰途、JR青梅線から
西武拝島線への乗換のとき、拝島駅に下車して確認してきました。



 JR拝島駅構内は改造工事が進んで、駅ナカがほぼ出来上がり、コン
ビニ、食堂、売店などが数店並んでいました。

 その一つのそば店で遅い昼食をして、南口へ向かいます。完成した、
線路の南北をまたぐ自由通路から見た、踏切のある東側。


 新しい拝島駅南口。まだ工事中の部分もあり、全体設備の完成は
7月になるようです。


 「駅まで200メートル」と表示されたところからさらに進み、集合住宅
の横を入ると、踏切がはじまります。

 手前のJR青梅線の線路を越えると、中の島のようになっていて、
その向こうに見える倉庫などの建物の間を抜けます。ここまで最初
の踏切棒がありました。

 この踏切の名前は、「倉庫前踏切」と呼ぶようです。


 踏切からJR青梅線の上り方向を見たところ。


 中の島から先方(北)に延びる部分。人の立っている先で右に折れ曲
がっています。


 青梅線の始点・立川経由で中央線に乗り入れる東京行き上り電車。

 
 踏切の中間付近から見た、左手(西側)拝島駅方面。


 右に折れ曲がった先の部分。ここに、別の踏切棒がついています。


 その付近から右手を見たところ。手前が八高線八王子方面、左の少し
上がっているのが西武拝島線上り方向。西武線は、拝島が終点です。


 最後の線路、米軍横田基地への引き込み線の手前で、踏切は少し
盛り上がっていました。


 拝島駅を出発した、JR八高線上り八王子行きです。


 最後の横田基地への引き込み線の線路を越えて、渡り終えた北側
からふり返った踏切。最初の新聞記事にある上空からの写真では、
上から下に渡ったことになります。

 全長127mあるようですが、さすがに長いですね。でも、この踏切を
利用している人は、来月からは250m近く迂回して駅の自由通路まで
回らなくてはならないので、5~10分余計に時間がかかることになる
のではないでしょうか。

 新聞記事を見た人でしょうか。私のような物好き(失礼)が、3,4人、
踏切内でカメラを構えていました。

 
 
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信州・塩田平をカントリーウオーク(長野) 〈続き〉

2009-05-26 22:28:55 | カントリーウオーク
 2009年5月10日 (日)〈続き〉

 塩野神社境内の杉木立の下を北に下り、東に延びる「あじさい小道」と
呼ぶ両側にアジサイの続く遊歩道を進む。


 平行する車道に比べ、多少アップダウンはあるが、ウッドチップを敷い
たところもあり、足に優しく木陰なので快適に歩ける。

 新緑の山や集落を映す、塩野池の横を通過する。


 新しい炭焼小屋の前を過ぎ、里帰りそばが名物らしい「上田市塩田の
館」の横を抜け、ちょっとした急坂を上がって龍光院へ。

 塩田北条二代国時により父義正公の菩提を弔うために建立されたとか。
参道の途中に、義正公の墓もあるという。「信州の鎌倉」を訪れる人の
ため、特製の山菜料理も味合うこともできるようだ。

 山を背にどっしりと立つ本堂。しゃちほこの上がる鐘楼。その間によく
手入れされた庭木が豊富。山門の横に、みごとなフジが咲いていた。


 アジサイの小道はさらに続く。山すその高台なので、塩田平を見下ろ
す気持ちよい展望が得られる。


 「塩田城跡」と記された大きな石碑があった。

 鎌倉時代、幕府の重職だった北条義正が館を構えたのが始まりとか。
幕府滅亡後は村上氏が領有したが、甲斐の武田信玄に攻められ落城。
武田氏のものとなり、天正10年(1582)、武田氏が没落し、真田氏が
上田城を築くまで、この地方の軍政の拠点だったという。

 間もなく、塩田城の鬼門に位置し、その祈願時だったという前山寺(ぜ
んさんじ)に着く。弘法大師の開山と伝えられる塩田平きっての古寺と
いう。

 重厚なかやぶき屋根の本堂に相対して、南側段上に窓や扉、高欄の
ない三重塔が立つ。

 室町時代の建立と推定され、未完成のためといわれるが、見た目には
調和のとれた塔で、国重文である。


 広い境内は、やわらかな新緑とボタン、ツツジ、フジなどの花がいっぱ
い。三重塔のそばのモミジは、紅葉のような彩りを見せていた。


 正午が近いので、拝観後、山門の外で昼食とし、宿で用意してもらった
弁当を食べる。

 予定の電車に間に合わせるには、この先の無言館の観覧時間が少な
くなりそう。食事を終えた人から順次向かってもらうことにした。そばの
信濃デッサン館(下)も見たいところだが、寄らずに通過する。


 前山寺から下る参道には、松や桜が両側を覆い、入口に、樹高20m、
樹齢350年、お地蔵さんに囲まれた大ケヤキが立っていた。


 上田つむぎの店の横を曲がり、造成中の公園の広場を横切り、少しの
斜面を上がって無言館に行く。

 第二次世界大戦で戦死した画学生の遺作などを収蔵・展示する美術
館。志を果たす前に戦場に散った若者33人の絵画、ブロンズ像、手紙
や画具などが展示され、無言で悲惨な戦争と平和の尊さを訴えている
ようであった。

 ゆっくり観覧したい人はバスで、それ以外の人はさらに2㎞近く歩いて
塩田町駅に向かう。


 広々とした田園地帯を過ぎ、上本郷の家並みに入る。かやぶき屋根に
トタンを被せた薬師堂の横に、数人抱えの大ケヤキが、枝をいっぱい広
げていた。


 歩きのメンバーは、無人の塩田町駅に13時3分ころ、バス組はギリギ
リに着き、13時16分の上田行きに乗り、帰路についた。

 乗り換え待ちの上田駅前の温度計は、真夏並みの34℃を示すが、湿
度が低いので、それほどの暑さとは感じなかった。

(天気 快晴後晴、距離 9㎞、標高差(累積) 約700m、地図 別所
 温泉、武石(わずか)、歩行地 上田市、歩数 20,300)
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信州・塩田平をカントリーウオーク(長野)

2009-05-25 21:44:29 | カントリーウオーク
 2009年5月10日(日)
 =塩田平の社寺など巡る=

 今日は、国内でもトップクラスのカントリーウオークフィールドとして、
やまさんもオススメの、塩田平のカントリーウオークである。



 別所温泉の旅館晴山で、朝も盛りだくさんの朝食をいただき、記念撮
影をして8時半に出発した。


 別所温泉の温泉街を南東に抜け、建物の間から草道に入る。いきなり
の急坂だが、新緑の下に落ち葉がたっぷり積もっている。

 小さい峠を越えて山田集落に向かって下って行くと、静かなたたずまい
の集落や南側の山並み、北から東には塩田平が広がり、気持ちよい展
望に歓声が上がる。


 まず、集落の中心にある満願寺へ。明治初期の「昇高(しようこう)学校
跡」の標柱があり、この近在8か村の児童が学んだことが知れる。本堂
では、子どもたちが集まって集会が開かれていた。


 境内の一角に、十王仏という独特の姿の石仏が並ぶ。

 人が死んで三津(さんづ)の川を渡るとき、生前に犯した罪を裁くのが
十王で、「悪いことをすると地獄に落ちる」というのは、十王の教えが源
だという。


 新緑あふれる山並みや、花いっぱいの大ツツジなどを眺めながら集落
を抜け、舌喰池の先で手塚集落に入った。朝から気温が上がり暑さを感
じるので、日影で小休止してのどを潤す。

 集落の中ほどから新久保橋を渡って東側の台地に上がり、西前山集
落へ。

 正面にそびえる独特の山峰の独鈷(どつこ)山に向かって、ナノハナも
咲き残る里道を進む。

 
 道すがらには、文字道祖神も立っていた。


 間もなく、中禅寺に着く。

 中禅寺は、弘法大師・空海が開いたと伝わる古寺。境内の庭木はよく
整えられ、白花ツツジやモミジの新緑がよい。

 本堂の左手一段上に、重厚なかやぶき宝形屋根の薬師堂がある。
平安時代末期から鎌倉時代初期の建立と考えられ、長野県だけでなく、
中部日本最古の建造物という。

 堂内に祭られている寺宝の薬師如来像と合わせ、国の重文。仁王門
に立つ朱塗りの木造金剛力士立像も、長野県宝に指定されていた。


 名物「やくしだんご」のある門前の茶屋で、そば茶の振る舞いをいただ
く。気温が上がり乾いたのどに、温かいそば茶はおいしかった。


 新緑の山並み見ながら、すぐ先の杉木立に囲まれた塩野神社に向かう。


 塩野神社は、千年前に編集された「延喜式」に記載された内社。奥社
は南にそびえる独鈷山にあるという。古来からこの地方の信仰の中心で、
武田信玄の祈願状や真田昌幸の寄進状などがあるとのこと。


 屋根付きの太鼓橋を渡った正面の拝殿は勅使殿と呼ばれる独特の楼
閣造り。

 江戸中期の寛保3年(1743)の建築。天女や龍などの彫刻がみご
とな本殿は寛延3年(1750)の造営という。         〈続く〉


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南会津・下郷町大松川の朝(福島)

2009-05-24 22:48:00 | Weblog
 予定どおり昨日、今日は、やまさんのウオーキング合宿で、福島県
南会津地方の下郷町にある、旧大松川分校に泊まり、周辺をウオー
キングしてきました。



 レポートは別途アップしますが、とりあえず今朝、朝食前に散歩した
ときの分校周辺で見られた、山村風景を紹介します。

 下郷町には、このようなかやぶき屋根の家が散見されました。田植
えもまだ終えたばかりのところが多く、昨日田植えしている田んぼも、
何か所かで見かけました。


 どこかの奥さんが、自分の田んぼの水の入り具合を見に、バイクで
やって来ました。


 周囲を山に囲まれた、下郷の里です。


 この棚田も、田植えを終えて間もないようです。


 旧分校の北側に見えた、かやぶき屋根にトタンを被せた家。このよう
な民家は、町のあちこちで見られました。


 最初の写真に見える、かやぶき屋根の建物。そばに行ってみたら、農
作業の物置小屋のようです。


 旧分校付近は高台なので、西側の宮内集落が一望です。


 このあたりの田んぼも、植えたばかりなので、まだ早苗田です。


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明日から南会津・下郷町へ

2009-05-22 22:46:37 | Weblog
 明日、5月23日(土)から24日(日)にかけて、福島県南会津地方の
下郷町へ、1泊のウオーキング合宿に出かけます。
 
 可能ならモブログで簡単に投稿しますが、レポートは来週となります。
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上田市内と別所温泉を歩く(長野) 〈続き〉

2009-05-22 10:30:31 | ウオーキング
 2009年5月9日(土)〈続き〉

 =別所温泉の社寺をめぐる=


 
 上田駅から15時2分発上田電鉄別所線の2両の電車に乗り、15時
29分に終点の別所温泉で下車する。

 駅前の通りを西に向かう。郵便局前を過ぎ、常楽寺に向かって真っ直
ぐな道は、少しずつ高度を上げる。両側に小さいが精巧な木造の社が
並んでいた。平成6年に再建されたという仁王堂である。


 山腹まで上がり、常楽寺に入る前に右手急斜面を少し上がり、アカマ
ツに囲まれた別所神社へ。


 天明8年(1878)再建と考えられるという本殿は、上田市指定文化
財。屋根下の精巧な木組みや彫刻が目につく。



 拝殿右手には大きな舞台があり、新緑の山並みとそれに囲まれた
別所温泉街の展望がよい。


 左手赤松林の中には、2つの小さい社もあった。


 参道に戻ってすぐ先が常楽寺。石段を上がると、緩やかな円みを帯び
た、かやぶき寄せ棟造りの本堂が、どっしりと建つ。


 本堂の格天井には、花の絵が描かれていた。


 別所温泉を開いた慈覚大師の開山と伝えられ、この後回る北向観音
堂の本坊だという。本堂前に、長さ18.2m、幅10.3m、高さ6.2m、
樹齢300年という御船の松が、みごとな枝振りを見せている。


 境内は樹木が多く、モミジの新緑が気持ちよい。


 本堂裏山の杉木立を上がると、国重文に指定された石造多宝塔があ
るというが、私は省略した。

 石段を下り、斜面に沿って右手に回り込んで次の安楽寺へ。

 本堂左手の斜面を上がると、長野県最初の国宝、八角三重塔がある。
建立年代は明らかではないが、安楽寺の歴史的背景から、鎌倉時代末
期以外は考えられないという。

 八角の三重塔は国内でただ一つという、珍しい造りである。

 ここも山を背後に新緑が豊富。本堂背後の大きなシャクナゲが、白い
花をいっぱい付けていた。


 
 温泉街に下り、土産門店の並ぶ細い通りを進んで、今日の最後、北向
観音に参拝する。本尊は千手千眼観世音菩薩。南向きの善光寺に相対
しているようだ。

 厄除観音として、昔から全国の人々の信仰を集め、節分には数万人の
人手とか。さほど広くない境内にそんなに人が来たら、どんな混雑なの
か、想像もつかない。

 鐘楼の背後に、樹高約22m、枝張り約14m、樹齢1,200年、川口
松太郎が名づけたことで知られる「愛染かつら」が、枝をいっぱいに広
げて立つていた(鐘楼の背後)。

 長野県天然記念物でもある。

 17時近くなったので宿に向かうことにする。東側の車道に下り、車道
を南に上がって、17時9分に宿泊する旅館晴山(せいざん)に着いた。

(参加 15人、天気 快晴、距離 2.5+4.5㎞、地図(1/2.5万)
 上田、別所温泉、歩行地 上田市)
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上田市内と別所温泉を歩く(長野)

2009-05-21 21:18:04 | ウオーキング
 春の連休直後、5月9日から10日にかけて、カントリーウオークのグル
ープで訪ねた、信州・上田市内とカントリーウオークの好フィールド、塩田
平を歩いたときの、初日の模様です。

=============================

 2009年5月9日(土)

 朝7時10分、JR大宮駅高崎線下りホームに集合して、7時30分発
下り電車に乗る。高崎で信越線に乗換えて終点横川で下車した。JR
バスで新緑あふれる軽井沢バイパスを上がり、軽井沢で しなの鉄道に
乗り換える。

 小諸で乗り継ぎ、長野市から参加のYさんが待つ上田駅に、11時
53分に着いた。

 =上田城跡公園と北国街道を=



 昨日までの雨から一転、好天となり、駅前の気温表示は28℃を示す。
上田に詳しいYさんに市内を案内してもらうことにして、まずは上田城跡
公園に向かう。

 きれいに整備され、大きな水車も回る駅前を北に緩やかに上がり、細
い車道を西に少しで、上田高校正門へ。

 つつじ咲く上田城跡の外堀の中間、上田藩主屋敷門をそのまま使った
珍しい校門である。


 北側、市役所前の通りの街路樹はトチノキ。ベニバナトチノキも咲いて
いた。

 近くに、古い2階建の洋館が目につく。大正4年(1915)の建築で、
上田市立図書館(石井鶴三美術館)として、最近まで使われたものら
しい。


 突き当たりが上田城跡公園。お堀を巡らした本丸跡を囲んで、二の丸
跡の広場、野球場や陸上競技場、プールやテニスコートなどがあり、園
内は、桜やモミジ、ケヤキなどの新緑がみずみずしい。




 城門横の石垣に、「真田石」と呼ぶ身の丈を越える大石があった。
真田昌幸(幸村の父)が、上田城築城の際、北方の太郎山から掘り出
したものだという。

 城門を入り、正面の真田神社に参拝する。真田神社は、戦国時代の
天正11年(1583)、上田にこの平城を築き、城下町を造った真田父子
を主神とし、江戸時代、民政に尽くした仙台・松平の歴代藩主を祭神と
しているという。


 神社の前の桜の木陰に、木製のイスとベンチがあったので、ここで昼
食とし、弁当を広げる。

 食事を終え、本丸内部から三方を囲む内堀を見下ろし、北方の山並み
などを眺めて半周する。城門を出て、真田石の前で記念撮影。

 
 内堀沿いから、陸上競技場、プール横を抜けて公園の北東端に出た。


 北に少しで旧北国街道へ。江戸時代、全国的に善光寺信仰が広まり、
北国街道は善光寺を目指す参拝者で賑わったという。

 上紺屋町に、紺屋町泉屋という、文政9年(1826)の大火後、近くの
海野(うんの)宿から移設したという建物が残っていた。


 上紺屋町の外れで川を渡ると、北国街道は右折して柳町の家並みを
南に向かう。


 曲がり角に「保命水」と呼ぶ湧水が豊富に出ていた。明治14年
(1881)、近くの海禅寺境内に湧出した清水を引いて、町民の生活用
水にしたものとか。

 気温が上がり暑くなったので、冷たくまろやかな水はのどに染み通る。

 この柳町一帯2~300mは、白壁土蔵造りや、直線的な切妻屋根、
うだつの上がる家など、古い建物が並び、北国街道の面影をよく残し
ている。

 保命水の近くにある「木楽歩(こらぼ)」と呼ぶ木の工房は、YさんもNP
O法人の仕事で関わったとのこと。

 手作りの暖かみを感じられる木工品の数々が並んでいた。



 上田の銘酒「亀齢」の岡崎商店には、江戸時代のひな壇が飾られ、
銘酒のほか粕漬けや、野菜なども販売していた。



 北国街道は国道143号に入り、上田駅方面に向かう。幅広い通りに
も、陶器店など古い建物が散見される。


 14時21分に上田駅に戻った。駅前の温度計は31℃を示し、空気は
さわやかながら暑さを感じる。 〈続く〉
 
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第2次 21世紀の朝鮮通信使ウオーク 最終日(川崎~東京)

2009-05-20 23:50:04 | ウオーキング
 2009年5月20日(水)
 
 4月1日(水)に韓国・ソウルを出発した「第2次21世紀の朝鮮通信使
ソウル-東京 友情ウオーク」の一行が最終日を迎えたので、日帰り参
加した。今日は、川崎~東京・日比谷公園までの20㎞である。

 最終日のスタートは、JR東海道線・京浜東北線の川崎駅東口。

 8時から出発式が行われ、ソウルから歩き続けてきた韓国メンバーは
6人、日本メンバーは14人との紹介などがあった。

 何日か前から、あるいは今日だけの日帰り参加メンバーなどを加え、
100数十人が、8時20分に出発した。


 川崎の市街地を抜けて間もなく、神奈川と東京の都県境になる六郷橋
を渡って東京都に入った。


 5㎞ほど歩いて蒲田梅屋敷公園で最初の休憩。文政年間(1818~)
初め、梅の名木を集めた休み茶屋があったところとか。「明治天皇行幸
所」の標石も立っていた。


 品川水族館や、緑豊富な品川区民公園などのそばを通過し、東海道
品川宿にある品川宿交流館で次の休憩。

 館内で冷たい水の接待をいただく。快晴で湿度は低いとはいえ、気
温が上がって暑くなっていただけに、ありがたいサービスだった。

 八つ山橋を渡って品川駅前を通過、やがて東京タワーが近づく。


 芝公園に12時40分ころ着き、13時30分まで昼食となる。食事を
終えて出発を前のメンバー。


 ゴールの日比谷公園横を通過し、皇居前広場に向かう。


 桜田門を抜けて、一路日比谷公園へ。


 日比谷公園の西北側入口では、出迎えの方々が待っていた。


 日比谷公園内の広場に14時25分ころゴールした。少しの準備の後、
14時30分から到着式が始まる。


 全コースを歩いた韓国から参加の6人は、早変わりで朝鮮通信使の
服装で並ぶ。


 日本側の団長・小林さんから挨拶があり、歩行距離は韓国内525㎞、
日本国内633㎞の計1158㎞、全コース参加の韓国6人、日本14人
を含め、のべ参加者は韓国国内808人、日本国内906人の計1714
人であることなどが報告された。


 韓国側の団長・宣さんからは、『このウオークでは、「愛、平和、友情」
をテーマに歩いたこと、これからも平和の道として日韓だけでなく、世界
平和をめざしたモデルとするために、2年後の2011年に第3回を開催
する』ことなどの挨拶があった。


 そのあと全員で記念撮影。しかしカメラマンが多くて撮りきれず…。


 最後に、日帰り参加者にひとりずつ、宣 韓国体育振興会会長から
参加証が授与され、私も下の参加証をいただいた。



 全区間参加の方は、今日で50日間になるとのこと。大変お疲れ様
でした。明日は、ゆっくりお休み下さい。
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ひばりヶ丘から清瀬へ(東京)

2009-05-19 22:28:21 | 江戸・東京を歩く
 2009年5月17日(日)



 カタツムリ歩行のゴール地、西東京市住吉町1丁目の尉殿(じょうど
の)神社でミーティング後、散会となる。

 13時過ぎ、参道を南に抜けて神社を出た。


 怪しい雲があり、多少天気が気になるが、時間が早いので、東久留
米か清瀬駅まで歩くことにした。

 西に向かい、谷戸町三丁目からひばりヶ丘一丁目、南沢二丁目へと
住宅街を進み、落合川の毘沙門橋を渡る。


 橋の近くにあった多聞寺に入る。創立は元仁年間(1224~5)との
こと。本堂に安置されている天満宮は学問の神として参拝者が多く、
武蔵野三十三観音霊場第五番札所でもある。

 鉄筋造りの堂々たる本堂では、地元東久留米ロータリークラブ主催
の、「多聞寺・水辺コンサート」が開演されようとしていた。

 すでに5回目で、この日は日本の歌やスペインの歌を、ソプラノ歌手・
小渡恵利子さんが歌うとのこと。聞きたいところだが、先の予定もある
のでやめにした。

 総ケヤキ造りという山門は、材木を落合川に流して江戸に運び、獅子
の彫刻を彫らせたと伝えられ、嘉永5年(1852)ころの建立と考えられ
るという。


 毘沙門橋の南に戻り、落合川の支流沿いにある氷川神社へ。

 創立は明らかではないが、承応3年(1654)に再建の記録が残り、
現社殿は、昭和46年(1971)の竣工という。

 落合川上流、数か所の湧水群の水源地にあり、古代より湧水守護
神として祭られていたらしい。

 神社の前を流れる、落合川支流に沿って上流に向かう。

 
 すぐ近くに、「南沢緑地」と呼ぶ、広葉樹を中心とした緑地が残って
いた。


 この緑地内や周辺から湧出する湧水は、日量1万トンあり、すぐ上流
にある東京都水道局給水所では、構内の井戸から組みあげた水と、
荒川水系の水をブレンドして、市内の水道水としているという。


 南沢緑地から住宅地を北に抜けて、落合川の橋を渡る。


 川の北側は落合川水生公園。小さい池にスイレンが花を開いていた。


 北に進み、東久留米市役所の西側を通過し、黒目川の曲橋を渡り、
近くの大園寺へ。緑に囲まれたりっぱな山門を入る。


 ここも、先ほどの多聞寺とともに数年前、東久留米七福神めぐりで
訪ねたところ。本堂前には、格好の良い松が立つ。


 松の下に大きな石灯ろうが1対あった。本堂の落慶祝いに、上野の
寛永寺から贈られたものという。


 広い境内には、りっぱな護摩堂(下)や、大きな鐘楼などもある。


 寺を出て、小山二丁目の古くからの家並みを進む。西側の十字路に、
石橋供養塔と3個の力石が移設されていた。
 
 黒目川にかけた昔の3つの石橋を造ったときの供養塔と、地元の若
者の力比べに使った石とのこと。右側の力石には、45貫(約169㎏)
と刻まれている。

 さらに北西へ。小山四丁目から新堀三丁目を抜け、15時25分に西
武池袋線清瀬駅に着いた。

(天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、志木、歩行地 
 西東京市、東久留米市、清瀬市、)

  
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