あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

パソコンは修理中

2021-01-31 21:28:28 | Weblog
1月23日に故障したパソコンは26日に修理に出しましたが、
コロナ渦で修理完了まで3週間くらいかかりそうです。
まだしばらくアップできそうにありません。
2月半ばくらいまでお待ちください。
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パソコン故障でしばらく休載します

2021-01-23 18:10:58 | Weblog
パソコン故障したので投稿しにくくなり、しばらく休載
します。
パソコンメールも読めませんので、メールされる方は
携帯メール宛にお願いします。
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今年はみごとな「あしがくぼの氷柱」へ(埼玉・横瀬町)

2021-01-18 21:38:22 | Weblog
 2021年1月14日(木)

 1週間前の1月8日(金)から、新型コロナウィルスの第3次感染拡大に伴う2度目の
緊急事態宣言が首都圏1都3県に発令されました。

 わが埼玉県でも不要不急の外出自粛が要請されていますが、2日前の1月12日(火)
から「あしがくぼの氷柱」の公開が始まったと報道されたので、出かけることにしました。
     



 県をまたぐ移動の自粛が要請されており、県外からの来場は控えて欲しいとの主催者の
要請も出されており、平日ならば密になることはないだろうと考えたからです。

 西武池袋線と秩父線を乗り継ぎ、11時23分に芦ヶ久保駅に下車しました。


      駅前広場には、こんな立札が出ていてチョット心配も。
       

 北斜面ある駅前の線路敷き斜面には霜がビッシリ。


      氷柱の看板に従い、線路沿いを西に向かいます。
     


 北側谷間を走る横瀬川と国道299号線を挟んだ北側の斜面上部に、大きな観音様が望
まれます。
     

 線路に沿って桜の続く車道を下って行くと、右下には道の駅「果樹公園あしがくぼ」の
建物や駐車場が。


 その向こう、北側の斜面は「あしがくぼ果樹公園村」の一角です。


     
 道の駅の西端や横瀬川に架かる橋の手前に近いところに、あしがくぼの氷柱の受付をす
る建物が。
     
 受付では、コロナの感染予防のために消毒をして検温を受けるとともに、氏名や電話番
号などを記入するか新型コロナウイルス接触確認アプリをスマホに登録することが求めら
れました。

 その後、環境整備協力金(300円)を支払い、チケットを入手して受け付け終了です。
         

     陽の当たらない北側斜面下の道を、氷柱ののぼりに従って進みます。
     



 山すそを左に回り込み、西武秩父線のガードを抜けた南側一帯の斜面が会場です。



 昨年暮れからの低温で、氷柱は十分に成長していました。昨年は開催してすぐだったか、
気温が高くて氷が溶けてしまい中止になったのでした。



 少し進むと鳥居があり、その先の斜面一帯が氷柱に覆われています。
     



 さらに左から右へと回り込んで上がった、↓この高台の上が展望広場になります。


     
      日陰斜面のみごとなつらら
          

     



 会場の北側を通過する西武秩父線の電車。その向こうの斜面には大規模なソーラーパネ
ルが。


     
      展望広場下の中段付近からの眺め。



 展望広場に上がりました。昨年まではここで甘酒などのサービスがあったのですが、今
年はコロナの感染防止のために実施されません。

 右手を見下ろすと、入口から回ってくる道路が。


 
 斜面全体を右から左へと見まわした後、ポイントを少しずつ撮ってみました。




     

          





      谷間の流れの左手、最上流部は砂防ダムになっています。
     


 展望台の左手から中段に下る道もあり、そこからはさらに間近に氷柱が眺められます。
     

          

     

 ひととおり会場を回って撮ったので、そろそろ退場することにしました。


 展望広場に戻ってもう一度眺めてから、会場を後にしました。広場の入口付近には、周
辺の食事処の案内が。



 帰り道は、上がってきたルートとは別の道路を下るようになっていて、コロナ感染予防
が図られていました。



 葉の落ちきった広葉樹林の間の別ルートを迂回し、途中からロープで仕切られた往路と
同じ道に合して駅近くまで戻り、 道の駅「果樹公園あしがくぼ」へ。



 売店で土産物2点を求めてから別棟のうどん店に入り、秩父名物ずりあげうどんを注文
して昼食にしました。
     

     

    

 道の駅構内からの横瀬川の流れは、この冬の小雨のためわずか。
     


 芦ヶ久保駅には13時過ぎに戻り、13時16分発飯能行き上り電車で帰路につきまし
た。


 なお、緊急事態宣言発令中のため、県外からの来訪は自粛するよう要請されていますが、
県民の方が行かれる場合はこちらのサイトで制約などを確認してからお出かけを。



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「水野律子 旅のスケッチ展」へ(埼玉・さいたま市西区)

2021-01-17 21:15:41 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2021年1月7日(木)

 カントリーウオークグループの仲間、水野律子さんが毎年新春に開催している旅のスケ
ッチ展の案内を昨年暮れにいただいた。

 新型コロナウィルスの感染者はさらに増大しており、明日は首都圏1都3県に緊急事態
宣言が発令され、不要不急の外出自粛が求められそうなので、その前にと今日観覧に出か
けることにした。

 家を出るのがいつもより遅れ、12時25分にJR川越線の日進(にっしん)駅に着く。


       
 改札を出たコンコースの壁面に、地元日進の七夕飾りと餅つき踊りのステンドグラスが
目についた。
          
 餅つき踊りは元旦の行事のようで、その今昔を紹介する写真もある。


 北口に下り、12時28分に駅を出た。


 北側の日進3丁目の住宅地を北西へと向かい、国道16号線近くまで行くと無住のお堂
があった。



 阿弥陀堂のようで、入口周辺に幾つかのお地蔵さんなどの石仏があるが、説明パネルな
どはない。
     

          
        

 国道16号線を長い歩道橋で越えて、北側を東西に走る車道を西にすぐで鴨川の橋を渡
る。


 ドラッグストア セキの横から内野本郷の住宅地を北進し、突き当たりでひとつ西の通
りに回り、さらに少し北側の大きな2階建ての建物が目指す会場である。



 会場は「クラフト&ギャラリー 風画(ふうが)」で、入口は北側にある。



 入って右手の画廊に、水野律子さんが県内や都内を中心に首都圏や関東甲信越、東北な
ど各地でスケッチされた懐かしさの感じられる作品が、30点ほど展示されていた。


         



   

        



   

           

        


 
  

    

      

        

 左手がカフェで、オーナーのの井出さんはもともとは現代美術作家とのこと。だが、遺
跡の発掘調査をきっかけに縄文式土器の魅力にひかれ、現在は復元土器の作家として知ら
れているよう。

 カフェには井出さんが作られた復元土器や湯吞みなどの作品、関係の方がつくられた作
品など見て楽しいものがあちこちに並んでいた。
     



 観覧と喫茶などで1時間10分ほど過ごし、14時20分に会場を後にした。以前は、
北側の大宮花の丘農林公苑を回ったこともあったが、今日は来たのが遅いので直帰するこ
とにして、川越線のひとつ西の駅、西大宮駅方面に向かう。


 花の丘農林公苑の南側道路を少し西進すると住宅地が途切れて畑が増え、古くからの農
家の屋敷林かと思われる大ケヤキや屋敷林を背にした民家などが目に入る。


 国道17号線バイパスの西新井(南)交差点で幅広いバイパスを横断する。


 道路は南西へとカーブして清河寺(せいがんじ)郵便局前を過ぎる。その先の変則六差
路・清岸寺交差点際にあった「すき家」に14時40分過ぎに入り、遅い昼食をする。



 西消防署前を通過し、相撲や陸上競技などの強豪校で知られる↑埼玉栄中学・高校前や、
さいたま市西区役所前↓を通過して、15時28分にJR川越線の西大宮駅に着いた。



 15時41分発川越線下り電車で川越方面に向かう。

(天気 快晴後晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 上尾、歩数 9,300) 



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2021年の初もうでは市内の寺社へ(埼玉・所沢)

2021-01-15 21:43:31 | 所沢だより
 新年になっても新型コロナウィルスの感染拡大が続くので市外への初もうでは止め、市
内のうちでも比較的自宅に近い寺社へ5日かけて、ウオーキングを兼ねての初もうでに出
かけた。

 2021年1月2日(土)

 所沢航空公園の日本庭園に入ると、茶室・彩翔邸(さいしょうてい)前の紅梅がかなり
花を増やしていた。





 庭園の池は、年末からの寒波で凍っている。


 航空発祥記念館前の芝生広場には、家族連れなど市民がたくさん訪れていた。



 蝋梅園内のロウバイは100本前後あるかと思われるが、咲きだした木はわずか。
    

 子ども広場でも、たくさんの子どもたちが元気に遊びまわっていた。


 今日最初の初もうでは、航空記念公園の南側、西新井町にある熊野神社へ。

 昨年暮れに来たときには形が崩れていた鳥居の大蛇は、新年を迎え新装されていた。


 拝殿に参拝して、新型コロナウィルスに感染しないよう、そして早く終息するよう祈願
した。



 拝殿前のテントでは、鳥居の大蛇に用いた稲ワラで作った御守りを新型コロナウィルス
などの疫病除けとして頒布していたので、ひとついただき(200円)、あわせて焼きた
ての暖かいサツマイモもサービスでいただいた。
         

    


 境内南西端の西新井不動堂は普段閉じているが新年で開帳され、不動明王を拝顔できた。

 木彫漆塗りの不動明王は、身の丈57㎝で江戸時代初期に建立されたといわれているよ
う。家内安全、無病息災、五穀豊穣、子孫繁栄、学業成就などに御利益があるという。

 この後は、市内中心部を西から東に流れる東川(あずまがわ)沿いに西進して、自宅最
寄りの神社、六所(ろくしょ)神社に参拝する。


 六所神社の創建年代は不詳のようだが、東京・府中市の大國魂神社を勧請して創建され
たよう。


 本殿の左手には、明治43(1910)年に合祀したという2つの稲荷社が並ぶ。


 1月3日(日)
 
 今日の市内ウオーキングの後半で、所沢の総鎮守である所沢神明社に詣でる。



 境内南東側中段には人形殿があり、男性用の兜が拝殿右手に、女性用のひな人形は左手
に奉納されている。
         

    

 人形殿前には、いくつかの露店が出店していた。


 所沢神明社は、日本武尊が東征の際、天照大神を祭り勝利を祈願したのが創始とされ、
古くから所沢村の鎮守だったようで、現在も所沢の総鎮守である。


 南側正面の鳥居から上がった中段には、市内にある熊手や人形など縁起物製造業「面亀
(めんかめ)」が奉納した大きな熊手が飾られていた。


 元旦などは参拝者が多くて拝殿前から階段下まで長い行列が出来るのだが、3日目にな
ると列は短くなっていて10分前後で参拝出来た。



 拝殿の左手にある面亀のテントにはたくさんのだるまが並び、そばの狛犬にも奉納され
ていた。



 境内の絵馬掛けには、合格やコロナ終息などを祈願する新しい絵馬が並ぶ。


 御守り頒布所は2か所あり、その一方で私も例年同様に交通安全の御守りを分けていた
だいた。


 境内中段から西に下る参道を下りて、大ケヤキの前を通過する。このケヤキは市の「ふ
るさとの樹(巨樹)」の第1号に指定されている。
     

 西参道を出てふり返る所沢神明社。境内にはほかにもケヤキの巨木が何本かある。
          

 西側の通りを南下するとすぐ、通りの西側に唐風の門の寺がある。新光寺で、この門は
普段は閉じていて、開いているのを見たのは初めて。
     
 門前には「幸先詣(さいさきもうで)」ののぼりが立ち、傍らの掲示板にその説明があ
った。


 新光寺は「馬の町の寺、所沢観音」として知られ、本尊の聖観音菩薩は行基菩薩の作と
伝えられ、慶安2(1649)年には幕府から6石の朱印が出されたとか。

 武蔵野三十三観音霊場第10番、狭山三十三観音霊場第8番、奥多摩新四国霊場八十八
か所第24番霊場である。

 この場所は旧鎌倉街道の傍らにあり、「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」
や「吾妻鏡」「江戸名所図会」などの地誌に、建久4(1193)年に源頼朝が那須野へ
鷹狩りに行く途中でここで昼食をとった折に、そのときの幕舎の地を寄進したといわれて
いるよう。

 また、元弘3(1333)年に新田義貞が鎌倉攻めの途上で必勝を祈願し、北条氏を平
らげた帰途に再び立ち寄り、前にかすめ取られた土地を寄進したとも伝えられるという。

 いつもは山門の左手から入っていたのだが、今日は初めて門をくぐる。正面には観音像
が立ち、その奥には六角堂がある。
     

 この観音様は昨年春紹介したが、新型コロナウィルスの感染拡大が一向に治まらないの
で、依然としてマスクを付けたまま。
     

 六角堂の右手に観音堂が祭られており、いつものように新型コロナウィルスに感染しな
いよう、あわせて早期終息も祈り参拝した。


     
 新光寺のそばも東川が流れており、上流の西に向かって進むと、民家の庭先の紅梅がか
なり開花していた。
    

 1月4日(月)

 午前中は、年末に故障した冷蔵庫の買い換えのため近くの量販店ノジマに出かけたので、
市内ウオーキングはいつもと違って午後になり、西武新宿線の新所沢駅周辺を巡り、日が
傾き始めた15時30分過ぎに愛宕大権現を祭る愛宕神社へ。

 周辺は緑町3丁目の旧日本住宅公団、URの中層住宅が多いところ。その中に残された
緑の一角に拝殿は西向きに立つている。

 もとは、近くの通称愛宕山と呼ばれたところにに享保14(1729)年に建立された
ようだが、昭和34(1959)年からの日本住宅公団の新都市計画により移転を余儀な
くされ、現在地には昭和40(1965)年11月に遷座されたという。

 境内には、市立向陽中美術部の皆さんが描いて昨年11月29日(日)に奉納したとい
う、今年の干支・牛の大きな絵馬が奉納されていた。


 南に進んで西武池袋線の線路を越える。線路の南側斜面の通称「くぬぎ山」と呼ぶ市の
保存樹林の多くを占めるクヌギが夕日に染まっていた。
     

 1月5日(火)

 昨日までは、いつも巡っている市内ウオーキングのエリアだが、今日は久しぶりに少し
離れた西方の北野地区に足を向けることにした。

 国道463号線バイパスの大六天交差点の少し先からから裏道を西進し、小手指(こて
さし)小近くまで進むと、民家の庭先にかなり大きなシダレザクラが見えた。
     

 小手指小や小手指中の裏手を進み、小手指中の南側の森に祭られた北野天神社に西側の
鳥居から入る。

 北野天神社は、景行天皇の時代、日本武尊が東征の折に当地に2神を祭ったのが初めの
よう。武蔵国の延喜式内社(えんぎしきないしゃ)入間郡5社のひとつに数えられた由緒
ある古社という。

 その後、長徳5(995)年には菅原道真5世の孫修成が武蔵守となって武蔵国に下向
し、この地に京都の北野天満宮を祭り、以後北野天神と呼ばれるようになったとか。

 武家の信仰も厚く、源義家や頼朝、足利尊氏、前田利家などによりしばしば社殿が造営
され、現在の社殿は安永年間(1770年代)の建築で、拝殿、幣殿は平成6(1994)
年の改築という。


 拝殿に参拝し、今日も新型コロナウィルスに感染しないようなど祈願する。正月にこの
ように何か所かに参拝すれば、新型コロナウィルスにもとりつかれないのではないかと期
待するが、あわせて3密を避けるなど日々の予防対策もしっかりしなくては・・

 拝殿近くにある、令和の御大典記念事業への奉賛を求める掲示には、「江戸名所図会
(えどめいしょずえ)」に描かれた当社の絵が。


 境内にはいくつかの摂社があり、西側のひとつは養蚕や糸繰・裁縫・機織など女性の美
徳を備えた「多治比文子」と呼ぶ女神を祭るという文子天神社(はた神様)。



 西側中央部には小手指神社が。

 日清・日露の両戦役から第二次大戦に至るまでの戦に参戦して英霊となった方々を祭っ
た社で、毎年4月15日には慰霊祭が行われるという。

 拝殿前には「航空神社跡」の標柱もあり、その当時奉納されたらしい航空関係ゆかりの
人が奉納したことを記した木札が拝殿内に並んでいた。
    
 ちなみに徳川好敏は、明治43(1910)年12月に国内初の飛行機により空を飛び、
のち昭和19(1944)年3月~終戦直後の昭和20(1945)年9月まで陸軍航空
士官学校長だった人。

 拝殿近くにはこんな人形などが。


 奉納された絵馬は、天神様にちなみ合格祈願が多い。
 
 
 テントの中に、初めて見た木とわらで作った神馬が立っていた。令和の幕開けを祝い氏
子の有志により奉納されたよう。

 昔は境内に馬場もあり、流鏑馬(やぶさめ)も行われたという。

 境内には、前田利家が天正18(1590)年に小田原攻めの際に立ち寄り献栽したと
いう大納言梅があるが、まだ花は数輪のみ。
     

 また、日本武尊が東征の折にお手植えしたという、尊桜(みことざくら)の4度目のひ
こばえという桜の古木もある。


 木の下には、市内では最古の歌碑で享和2(1802)年建立の「尊桜の歌碑」も立っ
ていた。
     

 別の場所には、「常道の芸では さきがしれてる されば 道遠き苦難の みちを求め
ん」と芸道を詠んだ、地元三ヶ島出身で当社の神官を務めた家系だったという昭和の喜劇
俳優、左卜全(ひだりぼくぜん)の歌碑も。
     

 新年5日目だが、境内には露店のテントもひとつだけ出店している。


      南側正面の2つの鳥居を抜けて、北野天神社を後にした。
     

 1月6日(水)

 最後は、所沢中心街に最も近い有楽町の薬王寺へ。ここも市内ウオーキングで良く通過
するルートのひとつ。最近改築された新しい山門を入る。

 薬王寺は、新田武蔵守義宗が戦に敗れた後、再起の時を待つために密かに隠れ住んだと
ころとか。

 ところがその後、足利市が勢いを増して南北朝も統一され戦乱も収まったとの話を聞き、
義宗は髪を落として衣を着て今までの隠れ家をお堂に改め、薬師如来を彫刻して一族や部
下の菩提を弔ったのが始まりとされるよう。

     
 境内で目につくのが2本の大イチョウ。近年伐採されて枝張りは短いが、幹の太さと幾
つもの乳注(気根)や幹の太さから樹齢の多さが感じられ、市の保存樹木になっている。


 本堂はコンクリート造りの堂々たるもの。いつものように拝礼して新年初もうでのひと
区切りとした。



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初歩きは 富士山の見える荒幡富士へ(埼玉・所沢)

2021-01-08 21:21:54 | ウオーキング
 大変遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。新型コロナウィルスの感染拡大は止
まず、1月8日(金)から首都圏1都4県に緊急事態宣言が発令されました。

  このような現況から、今年も限られたエリアで巡ったことなどをアップしたいと考えま
す。どうぞよろしくお願いいたします。

========================================

 2021年1月1日(金)

 最近の新年は、2日に東京都ウオーキング協会主催の都内の七福神巡りに参加していた
のだが、新型コロナウィルスの感染拡大が止まらぬ現況では都心に行くのがためらわれ、
今年は参加しないことにした。

 その代わりに、今朝は昨年末から続く好天で風も無く穏やかな新春となったので、市内
にある富士山に上って富士山を眺めてみようと考えた。

 10時36分に自宅を出た。まずは近くの普門院に初参りとする。普門院は武蔵野三十
三観音霊場第12番と狭山三十三番霊場第7番霊場である。

 門前は市内ウオーキングでいつも通っているが、山門を入るの久しぶり。

 昨年は武蔵野三十三観音開創80周年で総開帳の年だったが、巡ろうとした頃に緊急事
態宣言が出されて出鼻をくじかれ、とうとう回ることが出来なかった。


 本堂前には小さい観音様が立ち、子どもたちが小さかった当時は4月の釈迦祭の日には
甘茶がふるまわれたことを思い出す。
         

 知らなかったが、門を入った左手に「ぼけ除け地蔵尊」が祭られていた。
     

 門前には、西国三十三観音霊場第14番三井寺の本尊、如意輪観音座像の等身大石像が
ある。
         

 1.7㎞ほどだけ開通中の県道4号・東京所沢線バイパスの梨子の木戸(なしのきど)
交差点を横断して南に下り、弁天池の畔へ。



 池の西北に岩崎弁財天が祭られているが、氏子の方々が集まり新年祭が始まったところ
だったので、道路際から拝礼するのみに留めた。


 西武狭山線の上山口駅東側の踏切を渡り、柳瀬川の橋を過ぎる。住宅地が途切れ、南側
の稜線に向かって上がると東南側に樹林が近づく。


 さらにその上には、この後回る予定の「ドレミの丘公園」の芝生地や背後の荒幡(あら
はた)小の校舎が望まれる。


 右手は市の特別緑地保全地区「荒幡富士市民の森」中の「学習の森」と呼ぶ樹林である。


 さらに上がった右手に、県の「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」の建物がある。


 上がりきった正面が今日の目的地、「荒幡の富士」である。

 荒幡の富士は、旧荒幡村と近隣の村々の有志により明治17(1884)年から明治
32(1899)年まで16年かけて築き上げた、富士講のシンボルである大きな富士塚。

 近郷近在では最大級の富士塚で高さは12mほど。山頂の標高は約119mになる。


 登山口には鳥居があり、その右手には大正10(1921)年に文人・大町桂月の撰文
になる「荒幡富士築山碑」が立っている。
     

 登山路は、数m~10m前後で左右にジグザグ状に折れ曲がりながら上がり、曲がり角
には1合目から9合目までの標石が置かれている。


     
 山頂には小さな祠(ほこら)が祭られている。その周囲には10数人の人が上がってい
て、少し密なので注意する。



 西南方には大山から丹沢山塊の山並みが、さらに右にお目当ての富士山も左側に少し雲
をまとってはいたが望まれた。




 さらに右手間近には埼玉西武ライオンズのホームグラウンドのメットライフドームが。


 一方、東方には都心の超高層ビルなどの中に東京スカイツリーも。



 北側には地元山口の民家やマンション群、西武池袋線小手指(こてさし)駅周辺のマン
ションなどが望まれ、小手指の背後の山並みは上州三山のひとつ赤城山かと思われる。




 眼下の登山口横に祭られているのは富士山には欠かせぬ浅間神社で、氏子会のテントも
設けられている。



 10分足らずで登山口を下り、浅間神社に参拝して新型コロナウィルスに感染しないよ
う、あわせて早期の終息を祈願した。

 そばの「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」に回ってみたが、閉館していた。


      浅間神社を出て、北北東へと稜線上の遊歩道を進む。
     

          
 正面に荒幡小の校舎が見え、その手前を左に回り込み、校舎の背後に広がる「ドレミの
丘公園」と呼ぶ芝生地際へ。





 北側一帯の展望が開け、西北には奥武蔵や日本二百名山の武甲山などの山並みが。

 北側一帯には、眼下に山口地区の家並みや小手指駅前の高層マンションなどが望まれた。



 荒幡の住宅地を東に下って光蔵寺へ。

 昨年正月から開創された所沢七福神の寿老人の寺で、新しい寿老人像は山門を入った右
手に祭られている。
     

 その隣には耳を傾けた「聞くぞう地蔵尊」が、悩みごとや困りごとを聞いてくれる。
          


 そばの信号を渡って東側の台地に上がる。市の西部浄水場横の北側を回って東に延びる
樹林帯の中の遊歩道へ。少し進むと「トトロの森2号地」がある。



 狭山丘陵の豊かな自然環境を保護するナショナルトラスト運動「トトロのふるさと基金」
により1996年に取得したエリアで、面積は1712㎡という。

     
 さらに広葉樹林を主体に構成される鳩峯公園の落葉した樹林内の遊歩道を進み、右手の
久米水天宮に参拝する。

 久米水天宮は北側にある鳩峯八幡神社の摂社のひとつ。安産の神様として市内の人々の
崇敬を集め、毎年1月5日の例大祭にはだるま市が開かれて初詣客などで賑わうが、今日
は3~4組の参拝客のみ。拝殿には小さなだるまが並んでいた。


 石段を上がり、北側の林間に祭られた鳩峰八幡神社に回る。

 鳩峯八幡神は、延喜21(921)年に山城国(京都)の石清水八幡宮を分祀し勧請し
たと伝えられる古社。

 元弘3(1333)年5月、新田義貞が鎌倉討伐の折に参拝して戦勝を祈願したと伝え
られるとか。天正19(1591)年には徳川家康から朱印5石を寄進され、以後代々の
将軍から寄進を受けているという。

 慶長13(1608)年に修復された社殿は、一間社流れ造り見世棚形式と呼ぶ建築で、
県内では数少ない室町時代以前の古社建造物として、埼玉県有形文化財に指定されている。

     
 境内には、新田義貞が参拝の時に兜をかけた「兜掛けの松」の何代目かの松があるが、
枯れてしまっていた。

     
 林間を東に延びる参道を進んで鳥居を出て、鳩峯八幡宮を後にした。

 東側にある幼稚園も豊富な樹林に囲まれていて、広い園庭には落ち葉が積もっていた。


 北に下って久米の住宅地を進み、一部開通中の県道4号・東京所沢線バイパスの東端に
なる北久米交差点に入る。

 バイパスを北西に進んで県道55号と交差する岩崎交差点を通過し、西武狭山線を山口
陸橋で越えて梨子の木戸交差点で往路に戻った。

 (天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩数 14,400)



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秩父 贄川宿(にえがわじゅく)かかしの里から白久へ(埼玉・秩父市)(後半)

2021-01-04 10:41:44 | カントリーウオーク
 2020年12月27日(日)〈午後〉

 贄川宿(にえがわじゅく)かかしの里から三峰口駅近くまで戻ると、駅構内には秩父鉄
道の急行電車などが引込線に入っていた。背後は武甲山。



 駅前には、往路で草餅を買った店や食事処などがある。

 12時30分近いので、そのひとつ大衆食堂 福島屋に入り、月見そばを注文して昼食に
した。
    

 午後は、線路の南側を東進して、次の白久(しろく」)駅まで行くことにする。

 白川橋寄りに少し戻ってY字路を緩やかに上がると、無住の松風山洋向寺本堂が東向き
に立っていた。


 本堂左手の斜面下には、閻魔様など13体の仏像が祭られた十王堂↓と医王殿がある。



 北側、線路を挟んで並ぶ青梅集落や上郷集落と思われる家並みなどを眺めながら少し進
む。



 りっぱな公衆トイレがあり、その東側がトイレの名になっている神明社である。

 社殿は、幕末に南側の熊倉山麓の伊勢山に建立されたものを明治45(1912)年に
移築したとか。拝殿に参拝して、新型コロナウィルスに感染しないよう、さらに早期の終
息を祈る。
     
 
 神明社では春、夏、秋の3季に、歌舞伎的手法が取り入れられた神楽が奉納されるよう
で、この神楽のことと神社の歴史を記したパネルがある。


 また、神明社の夏の川瀬祭と傘鉾行事は市指定無形民俗文化財のようで、その詳細を記
した説明パネルもあった。


 さらに東進した里道は左折して、秩父鉄道の線路近くてまで進む。T字路を東にすぐで
折り返して南へと緩やかに上がって円通寺に行く。

 円通寺は曹洞宗の寺院で、応永2(1395)年に村の有志により創建された地蔵堂が
初めのよう。慶長2(1597)年に円通寺に改称したという。

 境内で目につくのがシダレザクラの古木。エドヒガン科で、近くの上田野集落の清雲寺
にある県天然記念物の桜の子を移植したといわれているようで、樹高10m、目通り周囲
約2.5mという。
     
 ほかの花より早く開花し傘鉾(かさほこ)のように咲くという、花どきに来てみたい。
          

   境内にはこんな看板もあり、気をつけなくては・・
     

     
 参道入口付近には白久学校跡碑、数基の石仏や格好良いアカマツなどがある。




     
 近くの民家にはナンテンがたくさんの実をつけ、周辺のケヤキはすっかり葉を落として
いた。
         



 線路近くまで戻って近くの落合沢の橋を渡り、東側の秩原集落を抜ける。ふり返り見る
落合沢の橋。





 静かなたたずまいの民家や周辺の山並みなどを眺めながら進み、白久駅に14時近くに
着いた。

 次の上り電車まで30分余りあるので、さらに次の武州日野駅まで進むことにした。


 駅の東側で線路の北に回りこみ、Y字路で荒川対岸からの道と合して双見沢川の橋を越
える。北側、道路沿いに広がる豆早原(ずさばら)集落の西端付近に「白久の串人形芝居」
の説明パネルが立っていた。

 この地区に幕末の頃から伝わるもので、義太夫の語りにあわせて2人で操る全国でも珍
しい人形芝居で、県指定無形民俗文化財と国選択無形民俗文化財になっている。

 集落の半ばを過ぎた辺り、線路下の斜面に「カタクリ・ニリンソウの里」の表示がある。


     
 その先から線路の南側を迂回する里道があったので、踏切を越えて回ってみたが少し先
で行き止まり。
  


 時間を見たら戻れば次の上り電車に間に合いそう。引き返すことにして14時32分に
白久駅に戻った。



 14時32分発上り電車に乗り、秩父駅で下りた。

 駅ビル1階の物産館で小鹿野町の漬物を求める。


         
 駅前には、秩父市のイメージキャラクター「ポテくまくん」のマンホールふたがあった。
        

            


 県民の日の11月14日にも来ているが、近くの秩父神社に参拝して新型コロナウィル
スに感染しないよう祈願する。


 拝殿正面には、名工左甚五郎作の「子宝・子育ての虎」(右)の彫刻が目につく。


     
 まだ15時過ぎだが、太陽は西に傾き少し寒さを感じる。境内には門松を販売するテン
トも出ていた。



 西向きの鳥居を出て、その先の通りの古い建物などを見ながら西武秩父駅に向かう。
     




 往路に乗車した御花畑駅構内を抜けて、西武秩父駅には15時28分に着き、15時38
分発上り普通電車に乗る。

(天気 快晴、距離 8㎞(秩父駅~西武秩父駅間含む)、地図(1/2.5万) 三峰、
 秩父、歩数 15,900)


 今日の秩父の最高気温は12.8℃、風も無く穏やかな日和で、この時期としては高め
の気温であり、良いウオーキング日和だった。  



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秩父 贄川宿(にえがわじゅく) かかしの里から白久へ(埼玉・秩父市)(前半)

2021-01-03 18:47:53 | カントリーウオーク

 年を越してしまいましたが、昨年最後のウオーキングレポートです。

========================================

 2020年12月27日(日)〈午前〉

 9月に入手した西武鉄道内を1日乗降自由のフリーきっぷ「ありがとう!としまえん」
の使用期限が12月末までなので、これを利用してコロナ渦には縁遠いと思われる秩父へ
と出かけた。


 西武秩父線の終点、西武秩父駅に9時48分に着く。本来なら、この電車は秩父鉄道に
乗り入れて三峰口駅行きなのだが、新型コロナウィルスの感染拡大で短縮されていた。

     
 近くの秩父鉄道御花畑駅(芝桜駅)から10時15分発下り電車に乗る。


 終点の三峰口駅には、乗り入れダイヤより20分遅い10時37分に着いた。


     
 10時47分に駅を出て、西へ200mほどで荒川に架かる白川橋を渡る。橋から眺め
る上流は狭いV字谷だが、下流は少し開けた河岸段丘になっている。
          
 ここは秩父山地と秩父盆地との境で、上流側は約2億年~1.5億年前の「秩父帯」と
呼ぶ固い地層で、下流側は約1700万~1500万年前に「古秩父湾(こちちぶわん)」
の海底に堆積した柔らかい地層が広がっているのだという。


 橋の下流側に、左岸から右岸へと細い吊り橋と駕籠のようなものが架かり、その向こう
に日本二百名山の武甲山(1304m)が望まれる。
     

 橋を渡ったすぐ先のT字路で国道140号線・秩父往還(彩甲斐(さいかい)街道)に
入り、すぐ先の歩道橋際へ。


 白川橋から見えた吊り橋はこの横にある「秩父ジオグラビティパーク」と呼ばれるもの
で、荒川渓谷の雄大な自然の中でスリル満点のアクティビティを楽しむことができるとい
う民間施設のよう。

 利用者は専用のハーネス(安全帯)を着用した上で、ワイヤー等に接続された安全な状
態で楽しめるものとか。

 例えば「キャニオンウォーク」というメニューでは、旧白川橋の橋脚を使用して架けら
れた高さ約50m、長さ約100mの吊り橋を、ハーネスを付けて渡るアクティビティで、
渓谷を使った同様の施設は日本で最初という。


 そばの建物が受付になっていて、橋脚際では利用者が担当の人に説明を受けていた。

 
 今日来た目的地は、この先、贄川宿(にえかわじゅく)の「かかしの里」めぐりである。
     
 最初のかかしは、このジオグラビティパークの入口際で迎えてくれた。


 橋を渡ったY字路際には3体のかかしが立ち、その下に旧白川村の道路元標がある。
     

 すぐ先、贄川宿の標柱際にも女性かかしが立ち、そばに贄川宿の説明パネルがある。
     


 斜向かいにある贄川宿観光トイレの横から、秩父御岳山登山口への道が左へ回り込んで
いるが、トイレと道路際でもかかしが迎えてくれた。
     

          

 近くの門松を飾り終えた家では、これから洗濯しようというかかしも。
     

           公会堂の門番かかし。
          


 さらに贄川宿の家並みを進むと、それぞれの家にも。
     

          

数え切れないほどのナンテンの実。





 「贄川宿ギャラリー」があったので入ってみた。

 たくさんの木彫りの人形や民具、以前行われていた縁側展の看板、古い日用品やおもち
ゃなどたくさんの展示が店いっぱい。








「贄川宿かかしの里 歩くガイドマップ」があったので、ひとつもらう。
     

 ガイドマップによれば、「蜷川宿はかつて三峰神社や甲州への街道の宿場として栄え、
平賀源内やナウマン象で有名なナウマン博士などが逗留した宿も残っている」とか。

 かかしについては、「2016年から地元の主婦達が鳥獣害対策と自分たちのコミュニ
ケーションの場として始め、古着などを利用して廃物利用で作ったかかしは思いのほか評
判を呼び大変嬉しく思っている」とのこと。

 なお、集落の現在の住民35世帯79人に対し、かかしは住民より多い約100体ある
という。

     
 ギャラリー周辺の民家の前でも、次々にかかしが迎えてくれる。



 さらに進むと、どの家の前にもかかしさんが見られる。
     







 この家の横には、数体のかかしが並んでいる。




     




 次の三差路があり、その周辺の家々のどこにもかかしが。






三差路を北にすぐ、もう一つの三差路際には庚申塔とお地蔵さんが祭られていた。

 庚申塔は、秩父三十四ヶ所霊場の巡礼者や旅人の道中安全を祈ってこの先600mほど
の山道に享保13(1728)年に建立したよう。

 その上のお地蔵さんは「御堂鐘(みどうがね)地蔵」と呼ばれ、宝暦7(1757)年に
建立され、地元民はもとより近隣近郊の人や旅人が「地蔵十福」を祈願したという。

 その後の交通発展に伴い古い山あいの巡礼道は廃れてきたので、平成7(1995)年
に庚申塔もこの地に遷座したようだ。

 この三差路を右に上がると西小があるようだが民家なさそうなので、左手の道を北に向
かって少しずつ上がる。


 両側の斜面にも、畑を耕すかかしとそばの流れで釣りをするかかしなどが。




 もう一つ左に分ける里道があり、その先のT字路付近で民家は終わる。そばの広場から
は東に武甲山(左)から小持山、大持山ヘと延びる奥武蔵の稜線が望まれた。

 
 右手上に鳥居が見えたので上がってみた。秩父の山里らしい素朴なたたずまいの諏訪神
社だった。


 境内は広くはないが伊勢神宮、稲荷神社、天満宮、秋葉神社など6つの摂社が一つの屋
根下に並ぶ。


     
 そばの梅林の下にスイセンが咲き出し、近くのミカンが色づいた実を。


 中ほどの里道を西に進む。1戸の民家の先で家は途切れて南面の展望が開け、右手の
「かかし広場」と呼ぶ芝生地に、生活感あふれるたくさんのかかしが並んでいた。




     
 道路の反対側には、武甲山などを眺める旅人らしいペアかかしなども。
       

 ここからもう一度、東方の武甲山から大持山へと伸びる稜線などを眺める。


 すぐ先に秩父御岳山の登山口があり、道は左へと回り込んで下って行くと東北東の山麓
には近くの反平集落らしい家並みも望まれた。


 下ったところは最初の贄川宿観光トイレ際だった。


 往路を戻って荒川の白川橋を渡る。下流に架かった吊り橋には、「秩父ジオグラビティ
パーク」でのキャニオンウォークを楽しんでいるらしい人が何人か見える。



 白川橋を渡り終えてふり返る(国道140号線は向こうの山麓を走っている)。(続く)



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