あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…
彼岸を過ぎても真冬並みの寒さの日がありましたが、ようやく首都圏も春の兆しが感じ
られるようになってきました。
今日、3月28日(水)午前、市内ウオーキングで見つけた春の彩りです。
あちこちのお宅で、セイヨウサクラソウはよく見かけます。
これはパンジーでしょうか…
住宅地の中に取り残された広葉樹林の、樹下に咲いていたスイセン
こちらのスイセンは、農家の畑の隅だったかな…。
民家の庭先で、珍しくネコヤナギが花を開いていました。
何日か前に紹介した、国道463号沿いのシダレウメがようやく見ごろに。
紅梅も、まだ見ごろの木があちこちで見られます。
サンシュユも、あちこちで眺められました。
河津桜の開花は、いつもはもう少し早く見ごろになったのではないでしょうか。
ほかの花も幾つか撮ったのですが、ピントずれ。花を撮るのは難しい。
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2012年3月24日(土)
秩父のシンボル武甲山(ぶこうざん)の北麓、横瀬町(よこぜまち)を歩く、「秩父ジオ
パーク歴史道歩き」に参加した。
雨の上がった西武秩父線の横瀬駅前には、50人前後が集まる。主催のNPO秩父まるご
と博物館N理事長の挨拶、司会のIさんのコース説明、準備体操などの後、10時10分に
スタートした。
駅北側の踏切を越えて、南側の宇根地区に向かう。小さい広葉樹林の向こうに、秩父神社
に納める米を作るという、富田家の神饌田(しんせんでん)が望まれる。
日本の原風景を感じさせる静かなたたずまいの集落を進み、まずは八阪神社へ。社殿の棟
札(むねふだ)には弘化3年(1846)の墨書があり、以前は東方の天王山に祭られてい
たのを、明治末期にここにかつぎ下ろして遷座(せんざ)したのだという。
覆屋に納められた社殿は小さ目だが、周囲には中国の寓話、三国志、鳥獣などの精巧な木
彫が施され、わずかに残る極彩色が、製作当時の豪華な彩りを忍ばせる。
1週間後の4月1日が春祭りには、2基の笠鉾(かさほこ)が町内を曳き回されるようで、
そのポスターがそばの建物に掲示されていた。
少し進むと、兎沢の左岸台地に山神社が祭られていて、鳥居のそばのヒイラギの古木が2
本ある。
道路を挟んだ西側には、樹齢100年を超えるというチチブベニシダレザクラが、大きく
枝を広げている。2~3週間後には、色濃いという花が見られるのだろうか…。
路傍のミツマタが花開き、雨後で展望を妨げていたガスが上がり、武甲山の山肌が現れて
きた。
集落の南端近く、左カーブする三差路際に、「山裾の田中の道のきふねぎく ゆふくれな
ゐににほへるを見つ」の歌碑があった。
昭和42年(1967)の埼玉国体で秩父を巡察されたときに、昭和天皇が読まれたもの。
そばの高みにある「おきうね農園」は手作りアイスが人気で、以前来たときに賞味したこ
とがある。
宇根峠に向かう道は南面が開け、武甲山の石灰岩を採掘した斜面が望まれる。車道を離れ
て広葉樹林と杉林の間を進む。峠に上がると、北面からの「思索の森ハイキングコース」や
「ひゃくいち田んぼ」方面からの遊歩道と合していた。
車道に戻って、さらに緩やかに上がる。西側の林にキブシの花芽がふくらみ、ヘーゼルナ
ッツに近いというツノハシバミ↓も花芽を垂らし、春近しを感じさせる。
下り道となり、配水池の横で左カーブする。その前後に、武甲山から採掘した石灰石を運
ぶベルトコンベアが道路下を横断していた。近くには、石灰石の集積場もある。
ポツポツと雨が落ちてきた。右下に養蜂場を見下ろしながら下り、鳥居横に庚申塔の立つ
白髭神社の下で三差路に出る。
根古屋集落に入り、神社のそばの一区コミュニティ広場が昼食地。12時ちょうどに着い
た。雨を気にしながら藤棚の下で食事をしていたが、食事を終える頃には予報とは違い本降
りになった。急ぎ弁当包みなどをしまい、雨具や傘を用意する。
出発を前に、植物に詳しい人が、途中で採集してきた木の葉や草を幾つも紹介してくれた。
普段見慣れた草にも、帰化植物の多いことを知る。幸い雨も止み、12時40分に出発した。
近くの民家の大きなサンシュユが花を見せ始めているが、そばの紅梅はまだ咲き始めだ。
アケビ沢の大指(おおざす)橋を渡り、すぐ先のY字路を上がって、「大指の湯屋跡」と
いう大きな建物の佐野家を訪ねる。
元禄年間から続く「秩父七湯」の一つで、明治初年頃まで「元鳩の湯」と呼ばれたとか。
傷を負った1羽の鳩が10余り湯につかり、治り飛び去った伝承があるという。
佐野家はこの地に2軒あった湯宿の一つで「上の湯屋」と呼ばれ、近くの鉱泉を運び、五
右衛門風呂で湧かせていたようだ。
ちょうど奥様が居られ、土間まで入らせてもらい、掛け軸やそばの部屋を見せていただく。
庭先の紅梅が見頃で、フクジュソウも咲き出している。小さい池には金魚がたくさん泳いで
いた。
道を挟んだ民家には焼き窯(かま)の設備があり、裏手には素焼きの壺などが並んでいる。
そばの小さいお堂に、素朴な石のお地蔵さんが祭られていた。
Y字路に戻って南へ進むと、武甲山で採掘した石灰を扱う、武甲鉱業と秩父石灰の大規模
な施設が斜面下に並んでいる。
生川橋を渡ってV字状に折り返し、生川の右岸上部を進む。斜面に祭られた猿田彦神社と
八坂神社のそばに、「古御嶽神社入口、右武甲山道」と刻まれた大きな標石が立っていた。
天気が回復して次第に青空が広がり、振り返ると武甲山の採掘跡がよく見えてきた。
中ノ沢近くの民家の前庭に2本の枝垂れ梅がかなり花開き、樹下のフクジュソウやフキノ
トウも花を見せていた。
中ノ沢を渡ってY字路を左に入り、秩父三十四観音霊場第八番の西善寺前で小休止する。
寺の山門を入ると本堂前に、秋の紅葉が素晴らしいという、県の天然記念物で高さ10m、
枝張り20m、樹齢約600年のコミネモミジの古木が枝を広げている。
本堂は弘化2年(1845)の再建。境内には、六地蔵やなで仏なども祭られている。
Y字路に戻って右手の道を進み、城谷沢を渡る。遊歩道西口の標識に従い、根古屋城址を
巡る遊歩道に入った。
民家の間や茶畑の横などを進んで、山腹に祭られた稲荷神社の上の西郭(にしくるわ)付
近に上がる。
根古屋城は、江戸後期の「新編武藏風土記稿」によれば、北条氏直の家臣、渡辺監物、浅
見伊賀守が在城したといい、往古には秩父別当武光以下五代にわたり居住したとか。天正18
年(1590)の鉢形城落城とともに開城し、その後廃城になったという。
ここからは、根古屋城趾の発掘などに携ったという、Fさんに案内してもらう。まずは西
郭の空堀(からほり)や御殿跡、腰郭(こしくるわ)、横堀などの説明をしていただく。
林間を東に進んで急な木の段を上がると、山頂の郭付近に出る。西方樹間に両神山などの
展望が広がり、南面は石灰岩の採掘で破壊され、急斜面になっていた。
杉木立下の急な木の段を北西に下り、標高300m付近の配水池上部にある東郭付近に回
り、井戸郭や帯郭などの説明を聞く。ここで城址巡りを終え、西武秩父線のトンネル西側に
近い道路に下り、ご説明いただいたFさんに御礼申し上げて分かれる。
遊歩道北口から秩父往還に入り、ケンムシ坂を下って国道299号下を抜け、生川の柳生
橋を渡る。国道に合したところの東側台地上に、秩父霊場第七番の法長寺があるが、予定時
刻を過ぎているので寄らずに通過した。
横瀬橋を渡って国道に分かれ、西側の台地に向かって上がって行くと、秩父一の大伽藍
(だいがらん)という法長寺の大きな本堂が、裏手から望まれる。
西に進む道筋からは、三菱マテリアルの工場の向こうに、武甲山の山容が一望である。
T字路に突き当たって左折し、東方に連なる二子山↑などを眺めながら進んで、秩父霊場
九番の明智寺へ。
ここも本堂にお参りしただけで境内を通過し、ゴールの横瀬駅には15時50分に着いた。
後方のグループの到着を待たずに散会となったので、16時3分発飯能行きで帰途につく。
(天気 曇後晴一時雨、距離 9.5㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 横瀬町、
歩数 16,900、累積標高差 約700m)
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2012年3月22日(木)
JR東日本では、休日の日帰り旅行用フリーきっぷ「休日おでかけパス」を3月17日
(土)から発売しました。
このフリーきっぷは、従来の「ホリデー・パス」が3月11日(日)で終了し、それに
代わるもののようですが、フリーエリアが少し拡大され、東海道線では平塚~小田原間、
八高線の高麗川~寄居間、両毛線の小山~足利間、久留里線の木更津~上総亀山間なども
利用可能になりました。
その代わり、料金もホリデーパスの2,300円から2,600円(こども1,300円)
にアップしています。
利用期間は、3月17日(土)以降の土・休日と、ゴールデンウィークの4月29日
(日)~5月5日(土)、夏休み期間の7月20日(金)~8月31日(金)、年末年
始の12月29日(土)~1月3日の毎日で、利用日の1か月前から購入できます。
フリーエリア内は、JR線の快速列車と普通列車の普通自由席と東京モノレール線、
りんかい線が乗り降り自由で、別に特急券やグリーン券を買えば、新幹線や特急列車、
普通列車のグリーン車も利用可能です。
この「休日おでかけパス」は、窓口に並ばなくても、指定席券売機で購入できます。
詳細は、JR東日本の、このサイトをご覧下さい。
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カントリーウオーカーで青少年国際野外旅行研究会代表の「やまさん」こと山浦正昭
さんと、パートナーの敬子さんは、今日、3月21日(水)から4月14日(土)まで、
1988年から続けている日本一周歩き旅に出かけます。
日本一周歩き旅は、やまさんが少年たちと1988年3月に千葉県・房総半島の犬吠
(いぬぼうざき)をスタートした、「千里道場」(せんりどうじょう)が始まりです。
千里道場では、1988年から1997年までの10年間、毎年3月下旬から4月上
旬にかけて歩き、延べ83日で三重県・志摩半島の大王崎に到達しました。
翌年の1998年からは、やまさんと敬子さんとのご夫婦で、毎年同じ時期に歩き続
け、2002年までの5年、延べ39日で姫路に着いています。
その後4年間中断の後、2007年からご夫婦での歩き旅を再開し、2011年まで
の5年で32日間、山口県下関まで到達しました。
犬吠埼から下関まで足かけ24年で歩いた距離は、約3,500㎞になるようです。
今回は、3月22日(木)から歩き始めて、4月13日(金)に愛媛県宇和島までの
約500㎞の予定ですが、その主な日程は以下の通りです。
3月22日(木)~3月26日(月) しまなみ街道歩き(5日間)で、因島、生口
島、大三島、伯方島をめぐり今治へ
3月27日(火)~3月30日(金) 今治発、菊間、北条を経て松山まで、松山で
2泊
3月31日(土)~4月3日(火) 松山から大洲へ、大洲で2泊
4月4日(水)~4月9日(月) 大洲発、佐多岬を6日かけて往復し、八幡浜
まで
4月10日(火)~4月13日(金) 八幡浜発、西予市宇和町経由宇和島へ、宇和
島で3泊
4月14日(土) 列車で東京へ戻る
宿泊はユースホステルとキャンプとのこと。毎日宿に着いたら、その日の行動を現地
で地図化するので、かなり忙しい毎日となりそうです。
3月27日からは四国に入りますので、歩いて四国遍路をされている方とは、逆打ち
の行程になりますので、会われる方も居られることと思います。上のような似顔絵を掲
げながら歩くようですので、気がついた方は声をかけていただくと、喜ばれることと思
います。
ちなみに、お二人の歩き旅で日本一周してのゴールの目標は、2023年6月9日と
のこと。この日は、金婚式にあたるようです。
なお、まだ確定していないようですが、4月24日(火)の4時から、NHKラジオ
第1放送にやまさんが出演して、歩く旅の魅力を話す予定とのこと。正式に決まったと
の情報がありましたら、改めてお知らせします。
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2012年3月18日(日)
JR武蔵野線周辺の駅を歩く「カタツムリ歩行」の第212回例会に参加する。今回の
集合地はJR中央線の国立(くにたち)駅。南口を10時5分にスタートした。
駅前ロータリーから、南に真っ直ぐ延びる都道146号に入る。ロータリーの紅梅、白
梅はようやく開花し、間もなく見ごろになりそう。どこも、今年の梅の開花は遅れている。
ロータリーの南西にある、多摩信用金庫国立支店のウィンドウには、多摩地方の木の実
や草本などを集めた飾り付けが幾つも並んでいた。
南に延びる通りには、古木のソメイヨシノやイチョウなどの並木が続き、見事な枝振り
を見せている。
300m余り進んだ両側は、国立のシンボルともいうべき一橋大学。まず、西側の門を
入った。運動部や演劇サークルなどの勧誘の看板が幾つも立ち、その先にレンガ色の落ち
着いた彩りの建物が並んでいた。
こちらは西地区と呼ばれ、本館、兼松講堂、付属図書館、経済研究所、情報基盤センタ
ーなど20を越える建物がある。
時計台のある建物の前の、白梅の古木が見ごろ。近くに、昭和10年(1935)まで
長らく一橋大の前身である東京商科大の校長や学長を務め、学園をここに移転することを
推進したという、佐野善作先生の立像がある。
構内には、桜やアカマツをはじめとする樹木も多く、年代を経て大きな緑の空間を形づ
くっている。
通りを越えて東側のエリア、東地区にも回ってみた。こちらには、東本館、体育館・武
道場、国際研究館などがあるが、やはり何れもレンガ色西洋風の建物である。
そのひとつ東本館は、国の登録有形文化財になっていた。東本館前の紅梅の古木が、色
鮮やかな彩りを見せる。
駅の方に戻り、1本目の通りを西に入る。落ち着いた住宅地になっているが、その中に
幾つか、和風の食事処、洋風の喫茶やレストランなどの看板が出ていた。
民家の庭先のしだれ梅や紅梅も、ようやく見ごろになりつつある。
国立音大小の北側まで進んで右折して北へ、国立八小の先で高架化されたJR中央線を
くぐる。
すぐ先のそば屋さんの前に、店のご夫婦が居られたので話を伺う。新潟・津南のご出身
とか。店で出すご飯はもちろん新潟産米、その小さい米俵がウィンドウに飾ってあった。
高層化された都営住宅の構内を抜けて、立川市の北第一公園に入る。ここも、紅梅がよ
うやく咲き出したところだ。
公園の西側から北に伸びる西町緑道に入る。サイクリング道路になっているこの緑道は、
もと「立川飛行機専用線」と呼ばれ、国鉄立川駅から陸軍立川飛行場まで資材運搬用に敷
設された3.2㎞の鉄道の廃線跡。
戦後、米軍に接収された後も1968年までジェット燃料輸送に使われ、1972年に
立川基地が返還されて不要となって路線は廃止され、廃線跡は西町緑地、栄緑地として整
備されたという。
現在は植栽もかなり伸びて、よい緑道になっている。
500mはど進んで緑道を離れて東に向かう。広い通りに出ると、大きな紅梅と白梅の
咲く旧家があり、土蔵が真新しくなっていた。
すぐ先で左折して弁天八幡神社に入る。道路際に、古い青面金剛像が立っていた。
通りの右側、住宅地に囲まれた一角に広い樹木園が残っている。
西町二丁目に入り、広い墓地のある観音寺の東側を緩やかに上がって、寺の北にあるゴ
ールの神明社に、北側を回って11時57分に着いた。
神社の鳥居のある西側からは、石段を上がって豊富な境内林の間を上がって入る。
境内で昼食後、記念撮影をしてミーティングをする。小学生の頃参加していたというK
さん兄弟が青年になって、お母さんと久しぶりに参加し、皆さんの歓迎を受ける。
浦和から初参加のYさんが紹介された後、21日(水)から日本一周歩き旅で、しまな
み街道から愛媛県に入るという、やまさんからは、行程のあらましなどの話がある。
ポツポツ雨が落ちてきたので、いつもより早めの12時40分頃には解散となった。
(天気 曇、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地、国立市、立川市、
国分寺市、歩数 7,800)
この後私は、神社の背後の通りを東北東へ。高木町一丁目、新町三丁目などを経て、
並木町三丁目で五日市街道に入る。
通りに面した鳳林院、妙法寺、愛宕神社、神明宮に入って参拝し、東小川橋から線路
際まで玉川上水緑道を進み、西武鉄道国分寺線の鷹の台駅に13時55分に着いた。
(神明社~鷹の台駅、4㎞、歩行地(追加)、小平市、トータル歩数 14,500)
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2012年3月16日(金)
カントリーウオークグループの2月例会と重なり、参加できなかった今年のLLウオ
ーク(Lake to Lake Walk)2日目のコースである、群馬県千代田町赤岩から行田までを、
1人で歩いた。
東武伊勢崎線の館林駅前から10時15分発のバスに乗り、終点の赤岩渡船バス停に
10時48分に着いた。30分余り乗ったのに、70歳以上は運賃無料である。
そばの小屋で待機する船頭さんに声をかけ、利根川を渡る赤岩渡船に乗る。運転手と
岸壁のロープ操作の2人が乗り、乗船は私1人。道路の一部ということで渡船料は無料。
定員20人の船は、波静かな利根川を数分で渡り、対岸の熊谷市俵瀬(たわらせ)に
着いた。
赤岩渡船は、江戸時代の年貢米、参勤交代の荷物、生活物資の集積地としてにぎわい、
赤岩の町は宿場町として栄えたという。現在は、県道熊谷・館林線の道路渡船として、
地域の人々に利用されている。
俵瀬からも、1時間に1本は出る熊谷駅行きのバス停があり、近くの河川敷は、上流
の妻沼グライダー滑空場から飛んだ、グライダーの着陸スペースになっていた。
広い河岸からは、北にかすかに豊富な雪を見せる山並みが見えたが、今日は霞んでい
て関東平野を囲む山々の展望は得られない。
ナノハナの咲き競う利根川右岸堤防を下って、俵瀬集落を東に向かう。集落の東端に、
この地出身で日本最初の女医、荻野吟子(おぎのぎんこ)の記念館ができていた。
荻野吟子は、この地の名主の娘として生まれ、明治18年(1885)に医術業試験
に合格し、35歳で開業した。男性の中に混じって様々な困難を乗り越えて女性医師の
路を拓き、埼玉3偉人の1人として数えられている。
以前来たときには無かった長屋門造りの記念館に入り、荻野吟子にかかわる年表、手
紙や書籍など、ゆかりの展示品などを見て、係員の男性から説明と聞く。館内は、撮影
禁止になっている。
館を出たのは正午近いので、隣接の荻野吟子碑のある小公園の東屋で昼食に。園内の
河津桜はまだつぼみ。車で来ていた人の話では、昨年彼岸の頃は満開だったと、携帯電
話の写真を見せてくれた。
背後の紅梅白梅は見頃に。園内に、標高26.2mの四等三角点がある。
南に進んで、俵瀬排水機場のところから福川の左岸堤防に上がる。福川は、すぐ下流
の水門の先で利根川に合している。
岸辺のナノハナや、流れで鳴くカモの群れ、北に広がる麦畑や俵瀬の集落などを眺め
ながら上流に向かう。
県道59号にかかる落合橋を渡って熊野集落に入り、橋際の照岩寺に寄る。
山門前に、新しい「ほほえみ地蔵」が立ち、境内では鐘に比べて大きめの鐘楼が目に
つく。西側の紅梅が見頃になっていた。
県道を横断して、熊野集落の西側に伸びる堤防「中条堤(ちゆうじようてい)」に上
がる。この堤防は、上流で発生した洪水を止める遊水機能を持ち、中世から明治時代ま
で埼玉平野を洪水から守る役割をしていたという。
近くの堤防上に、シロバナタンポポがたくさん咲いていた。南側の用水のところまで
進んで堤防を下り、二つの流れの間を日向島から菱沼集落まで行く。
用水の流れに沿って少し進み、竹内集落の常光院に寄る予定だったが、最初に入った
のは、かやぶき屋根にトタンを被せた実相院。説明も無く特に見るべきものも無いので
すぐに出た。
常光院は、南側の通りを少し戻ったところにあった。門前に堀を配した広い境内は、
県の「ふるさとの森」に指定されたアカマツ、ケヤキ、スギ、モミなどの豊富な緑に覆
われている。
天台宗別格本山であり熊谷厄除大師で知られる常光院は、武蔵国国司だった中条氏の
館跡を、建久3年(1192)に天台宗の寺院としたもの。江戸時代は10万石の格式
を与えられ、25の末寺を持つ大寺だったという。
本堂は、堂々たるかやぶき屋根。本堂前に伝教大師童形像や、熊谷市内在住の俳人、
金子兜太(とうた)の句碑などが立っている。
ふるさとの森を巡る遊歩道には、ぼけ封じ観音、水子地蔵、不動明王など明王や菩薩、
観音像が並び、中条氏の始祖、藤原常光などの墓地、稻穀を収納する「屯倉(みやけ)
の礎石」など、見るべきものが多い。
寺を出て、中条中の東から田園地帯へ。行く手に、JAのカントリーエレベーターや
熊谷スポーツ文化公園のスタンド、熊谷ドームなどの大きな建物が近づく。
水道タンクの横を進んで、スポーツ文化公園に入る。平成16年(2004)秋の第
59回国民体育大会のメイン会場になったところで、面積は約100haあるという。
北側のラグビー場Bグランド付近から入って南東へ。ソフトボール場、熊谷ドーム、
陸上競技場、補助陸上競技場、投てき場などのそばを通って東に抜ける。補助陸上競
技場のそばの柳が、春の彩りを見せ始めていた。
県道303号を少し南進して東に延びる旧道へ。御嶽山・八海山・三笠山を祭った大
きな石碑の横を通過し、星川沿いの元屋敷集落に入った。三島神社と伊豆神社が合祀さ
れた朱塗りの社殿があり、右手奥の愛染堂↓には、市文化財の愛染明王が祭られている
という。
さらに進んだ宮下集落の、浄泉寺の門前に露座の仁王像が立ち、山門を入った両側に
お地蔵さんと古い石仏が相対して並ぶ。境内の紅梅白梅はようやく咲き出したところだ
った。
集落の東で、いったん星川に分かれ、次の星川橋を渡って下池森集落へ。龍高寺の前
を回って、東側の田園地帯に出る。
広々とした麦畑の横などを通過し、自動車の交通量の多い国道125号行田バイパス
を横断して、行田市総合公園に入った。
芝生地や林間、池の横などを通過して公園の東に抜け、公園の南側にある総合体育館
などを眺めながら小橋集落の西側を進む。
谷郷三丁目の住宅地を南に抜けて、忍川↑と秩父鉄道の踏切を渡り、16時30分に
行田市駅に着いた。
(天気 晴、距離 16㎞、地図(1/2.5万) 妻沼、熊谷、歩行地 群馬県千代田
町、熊谷市、行田市、歩数 27,300)
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春の彼岸が近づいてきましたが、この冬の寒さ続きで植物の春の目覚めも遅れている
ようです。まだ、真冬並みの気温の日が多いですが、ようやく所沢市内の梅の花も見ご
ろになってきました。
この2,3日の市内ウオーキングで見つけた、梅の開花状況です。
3月12日(月)、わが家に近いお寺の北側にあるお宅の紅梅。
小手指町4丁目、国道463号沿いの古くからの民家の庭先のしだれ梅。
満開はもう少し先ですね。
3月13日(火)、昨年の今頃は仮住まいしていた、弥生町にあるお寺の門前の紅梅。
ほぼ満開です。
今日3月15日(木)、上新井会館近くの農家の畑にある大きな梅の木。
そばの白梅は枝が皆、上に向かって伸びていました。
近くの東川(あずまがわ)に、覆い被さるように枝を伸ばした白梅。
さらにわが家に近づくと、古くからお住まいの家のしだれ梅が、かなり見頃に…。
道路を挟んだ北側のお宅の紅梅は、これからのようです。
昨年まで、わが家にも薄いピンクのしだれ梅があったのですが、いまはありません。
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2012年3月11日(日)
東日本大震災から1年になるこの日、復興祈念例会と名付けて、埼玉県内を中心にカン
トリーウオークをしているグループの第191回例会を開催した。
集合地は東武東上線の武蔵嵐山(むさしらんざん)駅。参加者は4組に分かれ、駅のコ
ンコースから展望塔も見える昼食地の二ノ宮山↓を目指して、10時10分に北口をスタ
ートした。
むさし台一丁目から川島の住宅地を抜けて、まずは鬼鎮(きぢん)神社へ。
寿永元年(1182)の創建で、畠山重忠(しげただ)が造営した菅谷館(すがややか
た)の鬼門除けの守護神。悪魔払いの神、家内安全、商売繁盛、受験の神として崇敬され、
節分祭には、「福は内、鬼は内、悪魔外」と連呼するという。
拝殿には、大小幾つもの鉄棒が奉納されている。絵馬には、赤鬼青鬼が描かれていた。
境内を北に抜けて車道に出る。少し先の市野川(いちのかわ)の橋を渡らず、右岸沿
いに進む。
次の橋で県道69号に入り、太郎丸集落のY字路際に進むと、りっぱな長屋門を構えた
家があった。
門前からのぞくと庭もなかなか趣ある造り。西隣の家も重厚な門構えだった。
すぐ先で会ったおばあちゃんに聞くと、Tさんのお宅で、かなり以前は造り酒屋だった
という。
左手台地に、近代的な造りの嵐山町役場↑が見える。県道を1㎞ほど進んで広野集落で
右折し、関越自動車道の下を通過する。山林を切って開発したらしい、伊古山田の新興住
宅地を上がり、山林に入って右折し、東側の車道へ出た。
おおむらさきゴルフ場の間の林間を緩やかに上がり、新沼のそばから広葉樹林の中の遊
歩道へ。保守用の車も通れるが、上り勾配は15~22%ある。ゆっくりと上がり、11
時51分、展望塔のある二ノ宮山山頂に着いた。
二ノ宮山は、その昔武内宿彌(たけのうちすくね)が東国巡察の折、この山に登って里
の状況を視察したと伝えられているという。
山の一帯は、アカマツ、ナラ、クヌギなどに覆われているが、塔の周辺は切り開かれて
芝生広場になっていて、ベンチや東屋、午後回る伊古乃速玉比売(いこのはやたまひめ)
神社の奥社などがある。
標高131.9mの二等三角点は、神社の裏手左に設置されていた。
食事前に、平成6年度にふるさと創生事業で建設されたという展望塔に上る。高さ21
mの展望台からは、関東平野や周辺の山並みの展望ができるはずだが、今日は曇っていて
遠望は利かない。
でも、南東はるかに新宿副都心など都心のビル群が望まれ、眼下にはゴルフ場、嵐山町、
滑川町(なめがわまち)周辺の町並みや山林、西に嵐山花見台工業団地などが一望できる。
広々とした眺望を楽しんだ後、ベンチと東屋に分かれて昼食にした。
展望塔のそばで記念撮影をして、13時24分に出発する。
遊歩道を下り「伊古の里フィッシングパーク」と呼ぶ新沼北岸へ。
沼では、ニジマスやイワナ、ヤマメなどが釣れるようで、10数人の釣り人が糸を垂れ、
大きな魚を釣り上げた人もいた。
そばの掲示によれば、大きな川が無い滑川町は、米作用水の4分の3をため池に頼り、
町内には192のため池があり、県内でも最も密度の高い地域のようだ。
上伊古から中伊古集落に入る。路傍の紅梅がようやく見ごろになってきた。緩やかに台
地を上り下りして、アラカシやアカシデなど豊富な暖帯常緑樹に囲まれた、伊古乃速玉比
売神社入る。
第60代醍醐天皇が藤原忠平に命じて編さんした延喜式(えんぎしき)に記された、武
蔵国44座中の1社で、この地比企郡(ひきぐん)の比企総社になっているという。
境内右手を回り、北側にある圓光寺にも寄る。門のところに新しい金剛像と力士像が並
び、道路際にも新しい釈迦如来や阿弥陀如来など、赤銅の仏像が並んでいた。
南に進んだ広瀬の民家の斜面に、フキノトウとうがたくさん花開いている。緩斜面を上
がりながら振り返ると、二ノ宮山の展望塔が見えてきた。
近くの民家では、大きな白梅が見頃になっている。
集落の南端付近で右折した林間の道は、「通行禁止」の標識が置かれているが、歩くに
は支障ない。気持ちよい落ち葉道を抜けて、造成しかけたような荒れ地を通過し、慶徳寺
の薬師堂に着いた。
お堂は「加田のお薬師様」と呼ばれ、眼病に霊験があるとか。現在の建物は元禄14年
(1701)に建て替えられたもの。
向拝の格天井には、色あせてはいるが極彩色の花鳥図が並んでいた。
ちょうど、1年前の東日本大震災発生時刻の14時46分が近づいてきた。Sさんが用
意してきてくれたラジオを聞きながら、ここで一同黙とうをする。
石段を下って山門を抜ける。本堂には回らず、池の横を進んで県道173号との三差路
に出た。県道に平行する旧道を南へ、対斜面に見える千代田メモリアルランド横を過ぎ、
迂回後、県道を横断して、下組集落で県道に入る。
関越自動車道をくぐって側道に回り、2基の小さい円墳のある古墳公園で最後の休憩を
した。
区画整理された新しい住宅地を真っ直ぐ進み、ゴールのつきのわ駅には16時3分に着
いた。
(天気 曇一時晴、参加 19人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 武蔵小川、
歩行地 嵐山町、滑川町、歩数 18,700)
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2012年3月10日(土)
「関東百駅巡礼歩行」の第83番は、東武宇都宮線のおもちゃのまち駅。家を出ると
きは雨、東京都内では雪だったとのことだが、出発の11時にはほぼ止んでいた。
記念撮影後、西口を出て広い通りの県道2号を横断する。あけぼの町に入ると、畑や
広葉樹の平地林が広がる。
町外れの「あけぼの公民館」に、絵や絵手紙などの展示をしているとの掲示があった。
「見て行きませんか」と声をかけられたので、入って見せてもらう。
近隣を描いた洋画、高校時代から描いている絵手紙、材料造りからしているという竹の
工芸品、46歳で始めたという書の4人の作品。各々10点足らずだが、いずれもなかな
か味わいのある作品。お茶と菓子も頂いて公民館を出た。
この冬の寒さで遅れた、近くの紅梅もようやくつぼみがふくらんでいる。家並みが途切
れた県道71号のそばで右折し、田んぼの東側の交通量の少ない車道を北に向かう。田ん
ぼの向こうには、杉やケヤキなどの斜面林が続いている。
中ほどまで進むと、右手台地の向こうに、獨協医科大の大きな建物が見えてきた。田ん
ぼの真ん中を貫く用水と合し、用水沿いを少し進んで橋を渡り、中坪に向かう。
台地に上がった畑の中、ブロック積みの小屋の横に標高80.5mの三角点があった。
普通の石の三角点と違い、少し細い柱状の角柱が50㎝くらい上に出ていた。
天気が回復して、北方にごつごつした独特の山容の山並みなどが見えてきた。中坪集落
の民家の幾つかに、近くの宇都宮市大谷(おおや)特産の大谷石造りの土蔵が見られる。
集落の中心にある宝光院へ。墓地に、日露戦争のときの「徴馬(ちようば)記念碑」や
「馬力神」碑があり、この集落に昔は馬が多かったことが知れる。
東側の木造の宝蔵庫には、町文化財「助谷(すけがい)の天棚」が収蔵されているよう
だが、どんなものなのかは分からない。ご住職の奥様に断り、本堂前で昼食にした。
食事を終えた後、やまさんが用意してきた関東1都6県の影絵を1枚ずつ渡し、どの都
県か当てるクイズがあり、7人が都県名の画用紙の上に並べる。
見慣れているようでも案外、県を間違えたり方位が違ったりするものだ。
12時50分に寺を出て、西に向かう。かやぶき屋根にとたんを被せた家の見える西坪
集落を通過し、排水路工事中の田んぼを横切る。
南側の台地に上がると、鹿沼土(かぬまつち)を貯蔵する2つのビニールハウスがあっ
た。まだ枯れ枝の広葉樹林を進んで、広い墓地になっている聖地公園の東側を通過する。
県道172号に合するところに、使い古した石やレンガ、ブロック、石臼などの並ぶ一
角があり、煙突のある小さな洋館が立っていた。
ちょうど家主さんが顔を出したので立ち寄る。「グリーングラス」と呼ぶ、手作りのぬ
くもりを感じさせるエクステリアとガーデンデザインのショールームで、喫茶もできると
いう。時間が無いのでパンフレットを頂いただけで出た。
県道172号の南側一帯が壬生(みぶ)総合公園。「とちぎわんぱく公園」と「壬生町
おもちゃ博物館」、『みぶハイウェイパーク「道の駅みぶ」』の三つの施設がある。
北入口広場から古木のリンゴ並木を進んで、顔のような形のわんぱく公園の正門を入っ
た。
枯れ枝のままの広葉樹の並木や池のほとりを回り、まずは東側の「おもちゃ博物館」に
行く。
館内は3月下旬までリニューアル工事で休館中だが、玄関を入ったホールは開放されて
いて、子どもさんが大小幾つかのおもちゃで遊べるようになっていた。
中心の虹の広場に戻り、西側の建物、「こどもの城」の方に向かう。電子音の蒸気を鳴
らして、園内を巡る色鮮やかなSLスタイルの「わんぱくピッピ号」と呼ぶ遊覧車がやっ
てきた。
「こどもの城」を囲む植え込みに、大きな恐竜の模型があり、館内にも優しい形の恐竜
の滑り台がある。ガラスドームの館内は温室のように暖かく、下の広場で子どもたちが遊
具などで遊んでいた。
クロッカスの咲き出した横を通過し、南側の「ぱなぱなのまち」へ。中庭を挟んで売店
やレストランがある。そばのメルヘンファームに回り、メルヘンハウスにて休憩して、今
日の参加メンバー各々の紹介をした。
「風の原っぱ」と呼ぶ広い芝生広場を通り、たくさんのカモが休む「冒険の池」の東側
から南に回りこむ。東側の木々の中に、マンサクが咲き出していた。
芝生の斜面にいろいろな形の石の並ぶ「ガリバーの山」の横を通過して、ワンパク公園
の南西端から県道71号に出た。
南側が「道の駅みぶ・ハイウェイパーク」。構内を抜けて北関東自動車道への取り付け
道路に入り、自動車道下のトンネルをくぐって南側の畑に下る。
麦畑などの横の農道を南東に進んで南坪集落へ。ちょうど自宅に返ってきた80歳とい
うKさんに会い、自宅の南側にある納屋の、たばこの乾燥に使ったという煙出し屋根のこ
となどを聞く。
南坪集落の東側の田んぼと広い用水路を横切り、台地に上がる。
桑畑や放棄ゴミの目につく林を抜けて、落合二丁目へ。郵便局の近くで、おもちゃのま
ち駅近くに車を止めてきたという小山市のKさんに分かれ、15時37分にひとつ南の国
谷(くにや)駅にゴールした。
(天気 曇、参加 10人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 壬生、歩行地 壬生町、
歩数 14,100)
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2012年3月8日(木)
西武鉄道池袋線と新宿線が交差するターミナル駅、所沢駅の駅舎改良工事の一部が完成
し、今朝の始発電車から新しい西口が利用できるようになりました。
ちなみに、2010年度の所沢駅の1日の乗降人員は9万4千人余りです。
昨日まで西口改札は、道路や駅前広場と同じ高さから直接ホームに入れるようになって
いましたが、今日からは階段やエスカレーターにより上がる、2階に変わりました。
階段を上がったあたりに掲示されたお知らせのポスター。
階段を上がり左折した左側に出札所(きっぷうりば)があり、その向こうが改札口です。
右側のシートに覆われたところはまだ工事中で、夏頃には商店がオープンする模様。
きっぷうりばは路線図などが増えて、見やすくなりました。
いままで無かった連絡会車線運賃表の路線図もあり、池袋、高田馬場、国分寺、拝島、
秩父鉄道お花畑などのターミナル駅で、JRや秩父鉄道など他社線に乗り換える場合の
運賃が、理解しやすいようになっています。
きっぷ売り場の先、左手が出札口。正面はまだ工事中で閉鎖されていますが、工事が終
われば東口や南口と結ばれます。
こちらが改札口。天井はテント膜の屋根なので、曇った今日も自然光が入り明るく感じ
られます。
また、コンコースと自由通路の照明は、すべてLED照明を採用し、従来の照明より約
4割程度の使用電力量の節減を図り、明るさを感知して自動で調光するとのこと。
改札の上に設置された、LCD式列車案内表示器。
特急や急行などの停車駅名も表示されて、従来より分かりやすくなりました。
改札口の先にあるのは、「TOMONY」(トモニー)とよぶ、コンビニ形式の売店。
商店街が出来るまでは、ただ一つの売店です。
改札を入った中に、四角に囲まれたコーナーが見えます、今日は入ってみませんでした
が、待合所なんでしょうか…。
【追記】さっそくコメントを頂き、ここは階段と分かりました。
工事中の部分に掲示された駅周辺の案内図。
この駅舎建設にあたっての、環境に対する配慮のポスターも。
階段上から見た西口のビル群など。
階段を下りて外に出ました。
蛇足ながら私は、駅にエスカレーターがあっても、健康と省エネのためにできるだけ階
段を利用して上り下りしています。健康で体が不自由で無い方は、ぜひ、普段は階段を利
用しましょう。
なお、駅舎の全面使用開始は、今年の秋になるようです。
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