あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

風景画展を見て新緑とバラの新宿御苑を巡る(東京)

2018-05-31 16:35:43 | Weblog
 2018年5月30日(水)

 カントリーウオークの仲間のTさんが事務局をされている、スケッチハイキンググルー
プ「どんぐりの会」の第22回風景画展の案内をいただいたので、出かけました。


 場所はJR新宿駅や東京メトロ丸ノ内線新宿御苑駅に近い、新宿御苑の新宿門横にある
新宿御苑インフォメーションセンターのアートギャラリーです。

     

 会場では、Tさんなどメンバー10人の方が4点~3点ずつ出展された、関東甲信地方
で描かれた39点が展示されていました。


 この会場を使用するにあたっては、新宿御苑の絵も必ず含むことが条件のようで、各々
1点ずつ御苑内の風景もあり、見慣れた風景や訪ねたところが多く、気軽に鑑賞させても
らいました。





 なお、会期は6月3日(日)までです。

 この催しは毎年あり、いつも鑑賞後は新宿御苑内を巡ることにしているので、今日は午
後は雨の予報でポツポツしてはいましたが、いつものように回ることにして新宿門から入
りました。


 新緑みずみずしい園内、東側の大木土門の方に向かう苑路沿いではアジサイが開花し始
めたところ。




 近くのビオウヤナギは見ごろに。


       

 春先は花に彩られたソメイヨシノも、新緑に覆われています。




 広い芝生が広がるイギリス式庭園の北端に立つユリノキの高木。明治9(1876)年
頃に最初に植えられたもので、樹高約35m、幹回り約3.9m、樹齢約100年以上で、
苑内では最も高い木のようです。
     

 東北側にある大温室を見ながら大木戸門方面へ。


 大きなタイサンボクがあり、見ごろを過ぎた花がほとんどでしたが、幾つかの花はまだ
白い花を見せていました。
    

 大木戸門から入ると突き当たりにある大木戸休憩所から見下ろす、玉藻池周辺の眺め。



 黄色い葉はクスノキの新芽でしょうか。

 池の畔に咲くワルナスビ、北アメリカ原産のよう。
    


 南に回り、フランス式整形庭園の北西端付近からの新宿副都心のビル群。



 フランス式整形庭園の中央部にあるバラ花壇では、最盛期の半分くらいの感じですが、
まだいろいろな色のバラが花を競っていました。
    

        

         



      

         





         


      

    













 バラ花壇のそばにあった大きなアジサイ。
    

 御苑の東南端部で「下の池」を回って西に向かいます。


 ツツジ山のツツジは、もうほとんど咲き終わり。
       



 その辺りから見た「中の池」に映る木の陰。


 高木の下に咲くアジサイ。



 池の畔から北西に斜面を上がり、西休憩所前を経て新宿門へ。門を出る頃から本降りに
なってきました。





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春の北陸路の旅③ 日本一の木彫の町 井波を訪ねる(富山・南砺)〈後半〉

2018-05-30 22:17:31 | 国内旅行
 2018年5月11日(金) 〈続き〉

 八日町通りにある蕎麦懐石の松屋で食事を終えて再び交通広場に入り、観光案内所で井
波関連のパンフレットを幾つかもらう。

 帰りに予定したバスは13時16分だが、お勧めという彫刻総合会館まで往復する時間
が無い。次の16時14分発のバスで帰ることにして、彫刻総合会館に向かう。






 八日町通りを次の交差点まで進んで左折し、住宅地を抜ける路地を進む。家並みの間か
ら北西に、残雪の山並みが望まれた。


 さらに進むと交差点際に「安政義人慰霊之碑」が立ち、「義人長崎茂右エ門磔之地」碑
もあるが、どのような人かの説明はない。その横には2基の古い石仏も並んでいた。
      


  

 穂の出始めた麦畑の横を進んで緩斜面を上がり、井波の町並みを囲む環状1号線の南東
部、北川交差点の北東側一帯に、「井波彫刻総合会館」と「道の駅 木彫りの里創遊館」
がある。
     
 

 駐車場の隅にある木彫の大きな七福神像を見ながら奥に進み、まずは井波彫刻総合会館
へ(入館料500円)。



 館前にも、木彫の大きなおひな様や龍、風神、世界最大という幅11m、高さ1mでク
ス製の井波彫刻欄間「十二支の図」などが目に入る。
     



 入館して、瑞泉寺の伽藍(がらん)配置をモデルにしたという館内の展示室を巡る。木
彫品は欄間や衝立(ついたて)、パネル、獅子頭、天神様、現代の彫刻や工芸品など多彩
で、クス、ケヤキ、桐などを原料として250年を超える伝統ある井波彫刻の粋を集めた、
200点を超える作品の数々を鑑賞した。作品は直売しており、数万円から1千万円を超
えるものまである。

 館内には、荒削りから仕上げまでに用いる200本以上のノミと彫刻刀も並んでいた
(館内撮影禁止)。

 観覧を終え、南西側斜面にある「芸術の森イヴェント広場」と呼ぶ広い芝生地で休憩す
る。ここにも木彫りの彫刻作品が何点か展示されている。




 東側には4棟の「匠工房」があり、各々に木彫の工房が設けられていたが、観覧は省く。



 最後に「道の駅 いなみ木彫りの里創遊館」に入り、売店に並ぶ数々の木彫品や地元産
品などを見た。







 北川交差点から細道を南西に下り、大門川河川公園に行く。


     
 カーブする大門川沿いの公園では、4年に一度、「いなみ国際木彫刻キャンプ」が開か
れるようで、園内には作品のいくつかが残されている。
          

     


 下流の池から上流の滝まで、園路を往復してきれいなせせらぎなどの間を巡る。流れの
南側斜面では、白フジがたくさん花を見せる。
     

          
 この斜面上一帯は井波城址で、明徳元(1390)年に瑞泉寺が創設された場所とか。

 文明13(1481)年には一向一揆の拠点になったが、天正9(1581)年に佐々
成政(ささなりまさ)に攻められて井波城となり、やがて前田利家の手で落城しという。
現在は古城公園になり、井波八幡宮や招魂社などがあるようだ。

 城址下を南西に少しで、その古城公園に上がる。うっそうと茂る樹林に「松島大杉」と
呼ぶ杉の古木が立っていた。幹が一本立ちのスギでは県内十指に入る大杉のようで、幹回
り7.6m、樹高40.4mあり、推定樹齢は450~530年という。
     

          
 大杉の横を上がった広い緑地に神武天皇かと思われる銅像が立ち、奥に招魂社が祭られ
ている。



 道路を挟んで南側の金城寺には「なでぼとけ」の相性で信仰を集めているという「おび
んずるさま」が祭られていた。
         


 城跡らしい石垣があり、その間の小さい門を入ると「臼浪水(きゅうろうすい)」と呼
ぶ井戸があった。

 瑞泉寺を開創した棹如上人が京都へ向かう途中、乗っていた馬の足かきにより湧き出た
といわれ、「井波」の地名や瑞泉寺発祥の地とされるところとか。

 天保年間には小庵と庭園も築かれ、歴史ある風情に多くの文人墨客が足跡を残したとい
う。奥には平成5(2003)年に再建した仏堂がある。


 その先の石段を上がり、井波城本丸跡に建てられた井波八幡宮に参拝する。


 本殿西側の高みには、文久元(1861)年に地元蚕業者がカイコの霊をともらうため
に建立した蚕堂(かいこどう)がある。

 総ケヤキ造りの一間社切妻造(いっけんしゃきりづまづくり)で、特色ある神社の小堂
構造のようだが、覆屋の中なのでよく見られないのが残念だ。

 鳥居の横には、南砺市の「巨木・名木100選」のひとつ、八幡宮の大杉が目につく。
     


 神社を出て西に少しで井波城の石垣が残り、瑞泉寺の山門前に出た。


 再び八日町通りの家並みを眺めながら北西に下る。途中「池波正太郎ふれあい館」があ
るが、残り時間が足りず入館は省く。15時50分に交通広場に戻った。


 16時14分発高岡駅前行きバスに乗り、17時16分に新高岡駅に着いた。急ぎ17
時24分発北陸新幹線富山行きつるぎ720号に乗る。
    



 富山駅で18時15分発かがやき514号に乗り継ぎ、東京駅には20時3分に着く。
自宅には22時ちょうどに帰宅した。

(天気 快晴、距離 3.5㎞、地図 井波散策MAP(2万5千分の1 城端)、
 歩行地 富山県南砺市)


 ちなみに、4日後の5月15日の朝日新聞夕刊〈アートトリップ〉コーナーに、「雲水
一疋龍」と題する井波の木彫りの技などの記事が掲載された。
   

 さらに5月24日(木)には文化庁が、地域の文化の魅力をストーリー仕立てで発信す
る「日本遺産」に、「宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた彫刻美術館・井波」が認定さ
れた。




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春の北陸路の旅③ 日本一の木彫の町 井波を訪ねる(富山・南砺)〈前半〉

2018-05-29 22:49:43 | 国内旅行
 2018年5月11日(金)

 最終日は、散居村(さんきょそん)で知られた砺波(となみ)平野(富山県)の南端に
あり、古い町並みの残る日本一の木彫りのまち、井波(いなみ)を訪ねることにした。

 今朝は快晴になり、宿泊したJR北陸新幹線新高岡駅前のビジネスホテルの部屋からは、
西方に白山(はくさん)らしい残雪の山並みが望まれる。



 新高岡駅南口から8時54分発小牧堰堤行きバスに乗る。少し西進して国道156号線
に入り南南西へ、途中JR城端線の中間の主要駅、砺波駅前を通過する。

 左右に広がる散居村の風景を眺めながらさらに南南東に進み、予定より10分余り遅れ
て10時7分に井波中央バス停で下りた。

       
 そばの変速五差路交差点の南西側は交通広場で、「花鳥の塔」と呼ぶ木彫の塔が目につ
く。広場には観光協会があり貸し自転車も用意されている。


 南側の八日町広場と呼ぶ小公園には湧水があり、白壁には透かし彫りの木彫が並ぶ。


 その横から、町の中心部を南に真っ直ぐに伸びる石畳の八日町通りに入った。



 通りの両側には幾つもの彫刻工房が並び、作業の様子を見られる工房もあり、木彫品の
直売もしている。





 通りにある酒店など古くからの建物や柱などには様々な彫刻が見られ、バスの標識や木
彫りの表札、七福神など、いたるところで木彫りの製品が目に入る。



 古い洋館の富山銀行井波支店の横の路地を入ると、突き当たりが黒髪庵(くろかみあん)
と翁塚(おきなづか)のある浄蓮寺である。

 黒髪庵は、越中の俳人数百人の寄進により文化7(1810)年に建てられたとか。境
内のかやぶき屋根は芭蕉堂で、町の俳人により明治15(1882)年建立のよう。


 傍らに、これから行く瑞泉寺の11代で芭蕉の門弟だった浪化(ろうか)上人が、近江
の義仲寺(ぎちゅうじ)にある芭蕉の墓から小石3個を持ち帰り建てた翁塚があり、その
後遺髪も納められたという。
       

 六日町通りの中ほどに、井波美術館があったので入館する。建物は、大正13(1924)
年に県下初の鉄筋コンクリート造りで建てられた旧中越銀行井波支店。
     

 井波は木彫りの町であるとともに、多くの芸術家が集う美術の町でもあるようで、館内
には彫塑、現代工芸、造形など地元作家の現代美術品が展示されていた(無料)。


     
 美術館前の公衆電話ボックスにも木彫が施され、入口横には「倒立」と題する木彫の彫
刻もある。
         


 少し先で、公開されていた国登録有形文化財の斎賀家住宅に入る。軒の出の大きい屋根
を支える登梁出桁(のぼりばりだしげた)造りで、間口4間・奥行8間の木造2階建て主
屋は江戸時代末期の建築と考えられるとか。
     
 道路側のミセには衣類物などが並び、右手の石敷の土間を進むと吹き抜けの一角もあり、
廊下の奥には昭和13(1938)年建築の土蔵がある。



 さらに緩やかな上り坂の通りを木彫の看板や七福神など見ながら進む。
    

         

                 

 上がりきった正面が、真宗大谷派井波別院の瑞泉寺(ずいせんじ)である。


 瑞泉寺は、明徳元(1390)年に本願寺5代棹如(しゃくにょ)上人により開創され
た寺院で、北陸地方の真宗木造建築の寺院では最も大きな建物のよう。

 寺は一時、越中一向一揆(えっちゅういっこういっき)の拠点になるなどして興亡の時
を迎えたが法灯を守り続け、秀吉の保護を得て勢力を復旧したという。


 豪壮な山門は、江戸後期の文化6(1809)年に地元井波の大工により完成したもの。
山門の各所には数々の優れた彫刻や文様が施され、総ケヤキ重層入母屋造りの建物は県指
定重要文化財である。
    

 正面の本堂は明治16(1883)年の再建で、単層入母屋造りの建物は北陸随一の大
伽藍(だいがらん)とか。



 境内右手には昭和9(1936)年建立の瑞泉会館があり、近くのフジ棚に古木の白フ
ジが咲き残り、別のフジ棚のムラサキのフジもわずかに花を残していた。






 本堂前から振り返る山門


 本堂に上がって内部を拝観し、渡り廊下で結ばれた太子堂にも参拝する(各々撮影禁止)。
本堂上部の木彫。


 太子堂



 太子堂側面上方の蟇股(かえるまた)などには、井波彫刻の粋を示す精巧な木彫が随所
に施されていた。







 境内は緑が多く、ツツジなども咲き新緑がみずみずしい。







 太子堂の前の鐘楼堂や、山門の右手にある勅使門とも呼ばれる瑞泉寺式台門などにも、
井波彫刻の素晴らしい木彫が目につく。


 なお、鐘楼堂の大梵鐘は口径1.24m、重さ3.372トンあり、北陸随一という。

 11時30分過ぎに瑞泉寺を後にする。八日町通りの様々な木彫を探しながら八日町広
場近くまで戻り、蕎麦懐石の松屋に入り昼食にした。





 注文した田舎そば(1100円)。

                                    〈続く〉





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春の北陸路の旅② 源平倶利伽羅合戦の歴史国道を歩く(石川・津幡、富山・小矢部)〈後半〉

2018-05-24 18:49:49 | 国内旅行
 2018年5月10日(木)〈続き〉

 12時半に倶利伽羅峠の休憩舎を出て、東方に下る旧北陸道に向かう。


 近くにこのような説明板があり、津幡町側の倶利伽羅公園↓にあった高木翁のことが記
されていた。
       

 「源平合戦慰霊の地」碑もあり、その先には、源義仲が角(つの)に松明(たいまつ)
をつけた牛の群れを先頭にこの山を駆け抜けて、京都から下った平家10万の大群を破っ
たことを模した、火牛の計〈かぎゅうのけい〉像が並んでいた。





 
 さらに「芭蕉塚(ばせをつか)」もあり、松尾芭蕉が奥の細道を訪ねてこの地を通った
元禄2(1689)年7月15日に詠んだ、「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」の句碑
が立っていた。
    

         


 近くには大伴家持(おおとものやかもち)が天平勝宝2(750)年に詠んだ「砺波山
ほととぎすの歌」の短歌と長歌の歌碑もある。
       



 そばの樹林が開けたところは「新幹線ビュースポット」で、好天ならばその向こうに白
馬岳や剣山、立山連峰も望めるようだ。




 歴史国道は、その先で車道をV字状に回り矢立山方面に向かうのだが、災害箇所があり
通行止めになっていて、北側の大池経由の迂回路を回るようになっていた。


 緩やかな木の段を上がって砺波山山頂近くを進んで砂坂を下る。
    





 坂の途中には「六号名号」「砂坂地蔵」「弘法の水」などの説明板があった。
     

          


 熊除けに鳴らすための金属製一斗缶が2箇所に吊され、鳴らすための木の棒もあったの
でたたいて熊に注意を促した。


 砂坂を下りきって車道のY字路に出た。進む予定だった東に延びる歴史古道は通行止め
で、北側の埴生(はにゅう)大池への道が歩行者の迂回路になっていた。この道は、小矢
部市の「ふるさと歩道」でもある。


 標高160m前後の等高線沿いにカーブを繰り返しながら北に進む。こちらにもタニウ
ツギがあちこちに咲き、ヤマアジサイやフジの花もそちこちで目に入る。
    

 「黒坂口」の標示があり、寿永2(1183)年5月11日に木曽義仲隊2万の軍は、
この辺りに陣をしいたよう。すぐ先に周囲を新緑に囲まれた埴生大池が現れた。


 池は、倶利伽羅不動寺創建時以来の由緒があるようで、加賀藩時代から広範囲の水田に
供給しており、近年では平成5年に5年かけた改修を終えているという。


 堤防の南側には、堤防の決壊を防ぐ人柱となった「おまん」のための地蔵堂が祭られて
いた。



 大池北側の三差路を右折して下り道となる。「木曽義仲軍勢進軍の道」の標柱が立ち、
この道も歴史的な街道であると知れる。
       



    

 道は流れ沿いになり、細い流れの「横引の夫婦滝」が流れ落ちていた。
     

 すぐ先の送電線下付近に「鳩清水」の説明板があり、義仲軍が白鳩の導きでこの水を飲
んで英気を養い戦に挑んだと伝えられているとか。ここで小休止した。
       


 近くのY字路の先も流れ沿いに進み、流れから離れた辺りで田園地帯へ。
       




 再び流れが近づき埴生集落に入り、小矢部市指定史跡「竹岳亭焼窯跡」↑のすぐ先で埴
生八幡宮の鳥居をくぐる。


 左手に「倶利伽羅源平の郷埴生口」の建物があるが、あとで寄ることにした。そばに大
きな木曽義仲の銅像がある。

 昭和58(1983)年に、源平倶利伽羅合戦800年を記念して建立したもの。日本
一の源義仲像で、騎馬像としても全国有数な大きさのよう。

 参道の反対側にある手洗鉢に注ぐ「鳩清水」は、倶利伽羅山中の「鳩清水」滝からのも
ので、3㎞の山道を経てここに流れ出るとか。

 木曽義仲が祈願の折、白鳩が飛来し、その案内で源氏勢が清水を得たと伝える霊水だと
いう。全国名水百選で、「とやまの名水五十五選」にも選ばれている。

 社殿正面に向かって103段の急石段を上がる。埴生八幡宮(護国八幡宮)は、奈良時
代の養老年間(717~24)に宇佐八幡宮の分霊を勧請(かんじょう)したのが始まり
とか。

 天平時代には越中の国守大伴家持が祈願したと伝えられ、寿永2(1183)年5月、
木曽義仲が埴生に陣をとり、倶利伽羅山に2倍の軍勢をしく平維盛(たいらのこれもり)
の大軍と決戦するにあたり、当社に祈願して著しい霊験があり、このことは平家物語、源
平盛衰記、謡曲木曽など、多くの古典文学で語られているようだ。


 正面の拝殿から奥に幣殿、釣殿、本殿と続く社殿は、慶長年間(1596~1615)
や正保3(1646)年、前田利長が寄進して完成したもので、全部が国指定重要文化財
である。無事、倶利伽羅峠越えを終えることができたことに感謝して拝礼する。

 拝殿には、木曽義仲と巴御前のNHK大河ドラマ化実現に向けての署名帳があったので、
私も署名した。
    


 急石段を下り、改めて「倶利伽羅源平の郷埴生口」の建物に入り、義仲ゆかりの展示や、
4つの「みち」に関するパネル、ここの工事の際に発掘された小判や金貨などを観覧する。








    


 埴生集落を貫く車道を東北へ、県道42号に入りさらに進む。
    

 北陸新幹線の手前に「砂川一里塚跡」の石柱があり、小公園になっていた。


 北陸新幹線の高架下と、あいの風とやま鉄道(旧北陸本線)下の地下道を抜けて、石動
町(いするぎちょう)で国道471号に入る。


 市街地を400mほどで、あいの風とやま鉄道の石動駅に15時30分に着いた。




 次の列車まで30分ほどあるので近くの寺院3つほど回り、16時4分発泊(とまり)
行き電車に乗る。


 高岡駅に16時19分に着き、16時45分発JR城端(じょうはな)線城端行下り電
車に乗り換える。車輌は昨日の氷見線同様の「忍者ハットリくん」のラッピング車である。


 次の新高岡駅に16時48分に着く。駅構内を一巡してから南口すぐそばにあるビジネ
スホテルに17時過ぎに入った。


 歴史国道の核心部の、道の駅竹橋口から埴生八幡宮間の3分の2前後は車道だったが、
車に出会ったのは倶利伽羅峠での観光客の車1、2台と、迂回路の埴生大池の先で2台く
らい。歩行者も倶利伽羅峠の休憩舎で昼食を終えた頃に来た20人ほどのグループのみ。

 コースは良く整備されていて、迷うような所や滑りそうな急斜面などは無く、標識や歴
史的な案内板も多く、歴史に残る多くの人たちの歩みや行動も知ることができ、来て良か
ったと思える歴史国道だ。(下図は金沢市・小矢部市・津幡町共同編集「行ってみたい金
沢と木曽義仲ゆかりの地を訪ねる旅」パンフレットから)

 1日のウオーキングコースとしても余裕ある歩きができ、熊に出会うこともなく予想以
上に満足した一日だった。

【コースタイム】中津幡駅8・05ー杉瀬八幡神社8・22ー道の駅8・55~9・15ー山道へ
 9・35ー城ヶ峰休憩舎10・24~30ー山森集落入口10・45ー手向神社下11・12ー倶利伽羅
 不動11・20~28ー倶利伽羅公園戻り11・47ー展望台と休憩舎(昼食)12・00~12・30ー
 砂坂下(通行止地点)13・05ー埴生大池13・22ー鳩清水13・50~14・02ー埴生八幡宮
 14・29~49ー倶利伽羅源平の郷埴生口14・50~15・00ー石動駅15・30

(天気 雨曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 石動、倶利伽羅、歩行地 
 石川県津幡町、富山県小矢部市、歩数 31,300、累積標高差 上り 約490m、
 下り 約460m)




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春の北陸路の旅② 源平倶利伽羅合戦の歴史国道を歩く(石川・津幡、富山・小矢部)〈前半〉

2018-05-23 16:28:16 | 国内旅行
 2018年5月10日(水)

 今日は、今回の旅で一番の目的である源平倶利伽羅(げんぺいくりから)合戦の行われ
た倶利伽羅峠越えの歴史国道を歩くことにした。

 昨年暮れ、カントリーウオークの仲間Kさんが歩かれた能登の文学者ゆかりの地を巡る
エッセイを読むため、周辺の観光パンフレットを入手した。

 そのひとつに「源平倶利伽羅合戦地(歴史国道)」の紹介があり、興味を引かれて歩く
ことにしたのである。

 木曽義仲は、私が育った埼玉県中部の隣町、嵐山町(らんざんまち)に生まれたとされ、
鎌形八幡神社に義仲産湯の清水があり、毎年11月の日本スリーデーマーチで何度も立ち
寄り、さらに中山道ウオークで木曽町や南木曽町で義仲ゆかりの寺社などを訪ねたことも
あり、昨年の旅では倶利伽羅駅も通過したことなどから、木曽義仲に一層興味を引かれた
のである。



 宿泊した金沢市のビジネスホテルを7時20分頃出た。金沢駅7時40分発IRいしか
わ鉄道経由JR七尾線直通の七尾行きに乗る。

 通勤通学時間帯なので、電車は予想外に長い6両編成だった。


 7時59分に無人の中津幡(なかつばた)駅で降りる。近くに高校があるようで、下車
した高校生も多い。雨が降っていたので傘をさして8時5分にスタートした。



 南西側の交差点を左折して県道218号に入り東へ、北陸道と思われる津幡集落の古く
からの家並みの間を進む。家並みが少なくなり南側に津幡川が近づく。



 Y字路を右折して杉瀬集落を南東へ進むと、街道筋らしさを残す大きな民家が見られた。
次のY字路際にあった八幡神社境内に上がり、今日の行程の無事を祈る。社殿は小さな民
家風の素朴な造り。


 社殿横から東北東へ緩やかに上がる道へ、その先は民家が途絶える。日本フィルター工
業の大きな建物があり、「熊出没‼注意」の立て札も現れた。近くにタニウツギが咲き、
この先でも数知れぬほどこの花が見られた。


 送電線下を通過すると両側は津幡運動公園となり、右手に陸上競技場と野球場、左手に
は体育館やテニスコートなどが続く。


 駐車場横から下り坂となり、行く手線路の向こうに道の駅らしい建物が見下ろせる。


 運動公園の終端付近で近づいた線路下を抜けて「道の駅 倶利伽羅源平の里 竹橋口」に
入る。

 最初の建物に観光コーナーがあり、開館直前だが開けてくれたので入館した。館内には
木曽義仲ゆかりの展示やパンフレットなどがあり、担当の方にこの先の歴史国道の様子を
聞き、分かりにくいところは無いようなので安心した。


 ちなみに「歴史国道事業」では、昔の姿を残す道を建設省(現国土交通省)で保存・復
元し、町並み、遺跡、構造物、祭りなどとネットワークすることで、歴史と文化の香り高
い地域造りを目指しているとのこと。

 館内のパネルには全国で24の歴史国道が紹介されていて、私が過去に歩いたところで
は、中山道「追分宿」、東海道「蒲原宿~由比宿」、中山道「落合宿・馬籠宿・妻籠宿」、
熊野古道(なかへちみち)が入っていた。

 今日歩く歴史国道・北陸道「倶利伽羅峠」は、津幡町竹橋のこの道の駅から石川・富山
県境の倶利伽羅峠を越えて小矢部市(おやべし)桜町の国道8号バイパス沿いの道の駅
「めるへんおやべ」までの12.8㎞となっている。


 道の駅にはほかに宿泊施設や入浴施設、売店、食堂などがあり、構内には和風建築の倶
利伽羅郵便局もあった。雨の心配は無くなったので傘をたたみ9時15分に道の駅を出た。





 この先からが歴史国道となり、東南東に真っ直ぐに延びる北陸道竹橋宿の家並みの間を
通過する。道の駅で教えてもらった歴史国道の目印が電柱上部にあった。


 道が右カーブし始めて竹橋宿が終わる辺りに、倶利伽羅峠三十三観音が祭られていた。
     


 その先は民家が途絶え、300mほどで車道とも分かれてY字路を左への山道となる。



 周辺にはたくさんのフジの花が雨に濡れて咲く。分岐点には、旧北陸道を紹介する掲示
があった。
 

     
 しっとりした新緑にあふれる道は簡易舗装されていて歩きやすい。4体のお地蔵さんの
並ぶ先から緩斜面の上りとなり、丸太の階段になっている。
          


 半円形の石柱が並ぶ先で車道に出て右へ少しで、再び山道に向かって上がる。ここにも
「熊出没‼注意」の看板がありチョット心配。



 道は軽トラが通れるくらいの幅があり、未舗装だがよく踏み固められていて歩きやすい。





 次第に高度が上がり、樹林の切れ目から谷を隔てた山並みや高圧送電線などが望まれる。
路傍にはキンポウゲ科と思われる黄色い花が咲き競い、ウグイスが間近で鳴いている。


 送電線下から間もなく、右から上がってきた舗装路に合し、「道番人(みちばんにん)
屋敷跡」の説明板や歴史国道の案内図が立っていた。
       



 北側の高台は城ヶ峰城址で、その南側に2戸の屋敷があり、加賀藩が寛文5(1665)
年から道番人を置き、給銀と屋敷を与えて街道の掃き掃除や砂入れ、水落し、並木の手入
れなどさせていたといわれていたようだ。

 近くに「龍ヶ峰城跡」説明板と「龍ヶ峰城跡公園案内図」が立ち、公園に上る道もある
が、まだ道半ばにも達していないので上がるのは省き、そばの休憩舎で休憩した。なお、
ピークの城ヶ峰の標高は194.5mである。


 その先は全て車道となり、分かりにくいところもなさそうなのででひと安心した。
     


 タニウツギの咲く道を進むと「馬洗い場跡」の案内板がある。湧き水を利用して岩場を
掘って作った馬洗い場が、数10年前まで使われていたが、現在は湧水も確認できないよ
うだ。

 倶利伽羅駅方面から上がってきた車道とのY字路際に、竹橋宿を出てから無かった民家
が現れた。

 数戸が散在する山森集落で、路傍の湿地にクリンソウが咲き、何色かのツツジも咲き残
る。近くの斜面ではシャガが咲き競っていた。
       

 500m余り進んで右カーブすると県境の倶利伽羅峠が近づき、津幡町最後の倶利伽羅
集落である。ムラサキモクレンの花が残り、車道はくねくねと曲がり急斜面の上りとなる。
この集落にもクリンソウが咲き、傍らにプリムラも咲く。


 急坂を上がった倶利伽羅不動寺入口に六地蔵が並び、反対側のお堂には秀雅上人像が祭
られている。
    
 秀雅上人は、天正年間(1573~92)の兵火で焼けて荒れた倶利伽羅山長楽寺(ち
ょうらくじ)の再興を発願し、慶長3(1598)年に住職に就任して前田公の信任を得
て、七堂伽藍(しちどうがらん)を造営して中興開山したという。


 お堂の反対側石段を上がり、手向(たむけ)神社に参拝する。手向神社の石堂神殿は、
慶長19(1614)年に加賀藩3代藩主前田利常が、兄利長の病気平癒を祈願して寄進
した長楽寺不動堂で、のち護摩堂になった建物とか。お堂の横には「長楽寺跡」の説明板
があった。


 神社の右手が、倶利伽羅不動寺の山頂堂である。倶利伽羅不動寺は、養老2(718)
年に元正天皇の勅願によりインドの高僧、善無畏蔵法師が、剣に巻き付いた黒龍姿の倶利
伽羅不動明王を彫刻して安置したのが始まりとのこと。

 倶利伽羅とは、インドのサンスクリット語で福徳円満の黒い龍を意味するもので、その
名をとってこの山を倶利伽羅山と呼ぶようになったという。

 現在は高野山別格本山で、千葉県の成田不動尊、神奈川県の大山不動尊とともに日本三
大不動とされている。


     
 山頂堂の周辺には、大きな開運不動剣、新しい小ぶりの五重塔などが並び、五重塔そば
からは東方の展望が開けていた。
          





 ここがコースの最高点で、標高276.7mの三角点があるようだが、確認は漏らした。
       

 奈良県の長谷寺のような登廊(のぼりろう)を下る。向きの変わる中間に、水かけ不動
尊が祭られていた。




 下ったところは倶利伽羅不動の駐車場だろうか。一隅に恵比寿様と大黒様が並ぶ。どう
やら倶利伽羅峠の先に下りたように思われ、右方向に進んでT字路をさらに右へ、西方に
向かって回り込む。


 手向神社の石段下まで戻り、その南側周辺が津幡町の倶利伽羅公園だったことを再確認
する。そばの車道のピーク↓が倶利伽羅峠のようだが、峠の標示も県境の標識も無い。


 ピークから、さらに高みの林間を上がる遊歩道があるのでその道を進むと、「北陸道不
動の茶屋」説明板があった。
       
 十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が文政11(1828)年刊行の「越中道ひざくり
毛」に、石動(いするぎ)から倶利伽羅峠を越えて加賀に向かう際、倶利伽羅不動前の茶
屋が賑わっていたと記され、そのことを詠(よ)んだ歌碑が傍らに立っていた。

 近くには、室町時代最大の連歌の巨匠という飯尾宗祇(いいおそうぎ)の歌碑もある。
        

      
 さらに、木曽義仲が寿永2(1183)年に平清盛軍と倶利伽羅山で戦って大勝利を挙
げた際、先陣を切った郷土の蟹谷次郞が酒宴を張り戦勝を祝い鳴らしたという「源氏太鼓
由来記」と、「蟹谷次郞由緒之地」碑や、平家軍の平為盛の供養のために建てられたと伝
わる「為盛塚五輪塔」もある。
       

 その先には倶利伽羅合戦の両軍の戦没者を供養する、新しい源平供養塔が設けられてい
た。



 供養塔から車道に下ると休憩舎と木造の展望台があり、そばに「倶利伽羅古道 散策案
内マップ」「倶利伽羅県定公園 展望図」「倶利伽羅合戦~平家滅亡の歴史的大転換の舞
台」説明板などが並んでいた。


 展望台に上がり、倶利伽羅合戦の舞台だったという南側の谷間と、その向こうに広がる
山並みなどを眺めたが、雲が多く展望図に記された遠方の山は確認できなかった。



 ちょうど正午なので、休憩舎に入り昼食とする。眼下の斜面に咲くトチや、たくさんの
フジの花が新緑に彩りを添えている。〈続く〉




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春の北陸路の旅① 万葉のふるさと伏木へ(富山・高岡)

2018-05-17 22:47:09 | 国内旅行
 昨年5月に続き今年も、大人の休日倶楽部会員限定「北陸フリーきっぷ」を利用して、
北陸路を3日間訪ねた。

 第1日 5月9日(水)
 == 北前船の寄港地で万葉のふるさと伏木へ ==

 自宅を6時前に出て、上野駅7時58分発北陸新幹線はくたか553号に乗る。


 富山駅に10時38分に着き、8分後のJR氷見(ひみ)線下り氷見行に乗り換える。

 氷見線の車輌は、氷見市出身の漫画家・藤子不二雄A氏の漫画「忍者ハットリくん」の
ラッピング車になっている。


 11時24分に伏木(ふしき)駅に着いた。

 駅構内の観光案内所で昼食場所を聞くが、適当なところがなさそう。教えてもらった近
くのコンビニで弁当を買い、最初の目的地、勝興寺(しょうこうじ)に向かうことにした。

 駅にはコインロッカーが無いので、終業の16時前までに戻る約束で観光案内所に預か
ってもらう。

 駅前の郵便ポストには、この地に5年間国守(現在の富山県知事相当)として赴任した
大伴家持(おおとものやかもち)のミニチュア像が乗っていた。
       

 駅前広場には、「如意の渡(にょいのわたし)」という義経・弁慶主従の銅像がある。
謡曲「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」の如意の渡は、この辺りにあったといわれているよう。


 駅前の通りを西に少し、上り坂になった左手に「高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所)」
があった。

 伏木測候所は、明治16(1883)年に伏木港近代化の恩人・藤井能三らにより、わ
が国発の私立測候所として設立されたとのこと。

 その後、県営、国営への移管を経て平成10(1998)年に無人化されたが、現在も
気象観測を続けているという。

 庁舎は明治42(1909)年に建築された洋風建築で、測候所建物としても希少価値
が高いとして、国の登録有形文化財になっている。

 館内も観覧できる(210円)が、時間の関係で入館は省いた。敷地内には、「越中国
守館址」碑と、測候所や伏木港、日本海側最初の洋式灯台、鉄道誘致運動などに多大な尽
力をされた明治の実業家「藤井能三翁像」があった。
          

     


 その先、両側は勝興寺の寺内町(じないちょう)で、敷地は狭いが幾つかの寺院が建ち
並ぶ。




 その中心部の小スペースに大友家持立像と家持の歌碑が立っていた。
       

            
     
 すぐ先の突き当たりが、広い境内の勝興寺である。

 勝興寺は、地方都市としては破格の規模と格式を備えた浄土真宗本願寺派の寺で、この
地に築かれたのは約420年前の戦国時代末期とのこと。

 戦国の頃は一向一揆(いっこういっき)の拠点として、近世は加賀藩主前田家や本願寺、
公家とも密接なつながりを持つ北陸を代表する有力寺院になったという。

 約3万㎡ある広大な敷地や門構えから城のようだといわれるようだが、それは神保氏の
古国府城を譲り受けて建てられたためで、境内には堀や土塁などが残っている。

 勝興寺の境内は、奈良時代に越中を統治していた国庁のあったところとされており、大
伴家持が国主として赴任した天平18(746)年から5年間に、多くの歌を残したとこ
ろでもある。

    
 堀の手前に記された「勝興寺の七不思議」が確認できるだろうかと思いながら豪華な唐
門(からもん)を入った(拝観料300円)。

 唐門は、明和6(1769)年に京都の興正寺に建築され、明治年代に勝興寺に移され
たと推定されているよう。門の造りは「前後唐破風造」という全国的にもあまり類例のな
い形式とか。唐門を含む境内12棟全ての建造物が国の重要文化財に指定されている。
    
 門には精巧な木彫が見られ、明後日訪ねる予定の南砺市井波(なんとしいなみ)の彫師
によるものかと思われた。

 正面に、近年7年がかりで改修された大きな本堂が構える。本堂は、勝興寺住職から還
俗して加賀藩主第11代を継いだ前田治修(はるなが)の支援を受け、西本願寺の阿弥陀
堂を模して寛政7(1795)年に建立されたという。

 大きさは約44m四方で、全国の重要文化財建造物中で8番目の大きさだとか。

     
 本堂前に七不思議の一つ「実ならずの銀杏」が柔らかな新緑を見せ、近くに「天から降
った石」が、本堂左手には「水の涸れない池」と「越中国庁址」碑がある。
    



       


 精巧な木組みの交差する上部を見上げながら本堂内に入る。


 正面祭壇周辺の柱や彫刻は金箔に彩られ、側面には加賀藩主前田氏系図や洛中洛外図屏
風などが展示されている。




     
 本堂を出て、北側濡れ縁の木組みや木彫なども観察した。
    

 修理工事中で入れないエリアの北側本堂寄りに、七不思議の一つ「三葉の松」も望まれ
た。
     

 本堂屋根下の四つ角上部には「屋根を支える猿」の木彫があるようだが、確認はできな
かった。

 平成10(1998)年度から約23か年計画で境内の建造物は保存修理中。修理を終
えた本堂以外の建物は覆屋(おおいや)の中なので拝観はできない。


 13時近くに勝興寺山門を出た。手前の大伴家持立像のある小スペースにベンチがあっ
たので、買ってきた弁当を広げて昼食とする。

 昼食後、細道を北側の台地下に下り、伏木小そばの車道を西北へと緩斜面を上がり、国
道415号を横断する。さらに400mほどで高岡市万葉歴史館に着いた。

 高岡市は奈良、飛鳥と並ぶ万葉の故地とのこと。それは、万葉集の代表的歌人である大
伴家持が国守として伏木の地に5年間在住し、多くの歌を残したことに由来する。


 大伴家持により越中で詠まれた歌は220余首、さらにゆかりのある歌を加えると337
首にのぼるという。そのうちの3首を紹介しよう。

  東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の
          釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ(巻十七・4017)

  あしひきの 山の木末(こぬれ)の 寄生(はよ)取りて
          かざしつらくは 千年寿(ちとせほ)くとそ(巻十八・4136)

  立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に             
         見れども飽(あ)かず 神(かむ)からならし(巻十七・4001)

       
 正面入口には大伴家持・坂上大嬢夫婦像が並び立つ。入館して常設展示室から企画展示
室へと順次観覧する(観覧料210円・65歳以上160円)。


 常設展示室は「万葉集とは」「越中万葉とは」というテーマで、万葉集の歌や百人一首
画などが展示され、展示室の周囲は四季の庭に囲まれていて、企画展示室への回廊の両側
には池がある。
    



 企画展示室では第6回企画展「越中国と万葉集」を開催中で、「越中国大友家持」「前
田家と万葉集」「近代歌人の越中万葉」などのパネル、越中国印、越中国大地ジオラマ、
大友家持の朝服、難波津木簡、遣唐使船模型などが展示されていた。






 次の小さな特別展示室では、「大伴家持のすがた」と呼ぶ春の特別企画展を開催中。歌
仙絵から現代洋画まで、館蔵品を中心の展示である。


 その先から外に出て、斜面に造られた自然庭園にも回る。

 新緑がいっぱいでこの辺は晴れているが、東側に広がる黒雲がちょっと心配。14時40
分頃万葉歴史館を出た。


 往路を伏木小の南まで戻りさらに東へ。JR氷見線の踏切手前で右折して南側の高台に
上がると、伏木北前船(きたまえぶね)資料館があったので入館する(入館料210円、
65歳以上160円)。

 この資料館は、江戸時代から回船問屋を営んできた旧秋本家の邸宅。大きな家の部屋数
は16室あり、奥には江戸時代後期に建てられたという土蔵もある。

 伏木は古代から知られた日本海屈指の良港で、18世紀には自ら渡海船を持ち公益業を
営む有力な船問屋が台頭し、大阪から瀬戸内海、下関を経て日本海側を北は蝦夷の松前ま
で、各港で海積みした商品を売りさばいたとのこと。

 秋本家は、文化年間(1804~18)以前からここで海運業を家業とした旧家という。


 館内の各部屋を回り、北前船の航海用具、船主の生活用具や衣装、歴史資料や写真など
の展示を見た。





 奥の土蔵の1階にも北前船に関する展示があり、2階の屋根裏に設けられた望楼は港へ
の船の出入りを見張るためのもの。細い急階段を上がると、伏木港や伏木の家並みなどが
望まれた。






 資料館になっている旧秋本家住宅は、高岡市指定有形文化財(建造物)である。


 近くのゴミ入れには、万葉集で大友家持により唯一詠まれた堅香子(かたかご)の花
(現在のカタクリ)がデザインされている。


 もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
          寺井(てらい)の上(うへ)の 堅香子の花(巻十九・4143)

 ちなみに「高岡市の花」は、かたかご(カタクリ)である。

 また、その先の大きな民家は、小説家・評論家として知られた堀田善衛(ほったよしえ)
(1918~98)氏の生家ではないかと思われた。

 帰宅後調べてみたら、生家は伏木港の廻船問屋と分かり、間違いなさそう。

 15時40分過ぎにJR伏木駅に戻り、観光案内所で預けた荷物を受け取る。
       


 16時24分発JR氷見線上り高岡行列車に乗る。高岡駅からは17時01分発IRい
しかわ鉄道(旧北陸本線)で金沢駅に17時42分に着いた。

          
 駅構内にあった金澤旬料理「駅の蔵」という店で夕食を済ませ、東口の駅から数分にあ
るビジネスホテルに19時過ぎに入る。

(天気 曇後晴、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 伏木、歩行地 富山県高岡市) 




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都県境の八国山緑地周辺にて新緑と寺社を巡る(東京・埼玉)

2018-05-14 21:42:30 | カントリーウオーク
 先週の5月9日(水)から3日間、北陸路の旅に出かけましたが、レポート作りに少し
時間がかかりそうなので、直後の週末に歩いたカントリーウオークを先に報告します。

========================================

 2018年5月12日(土)

 春の大型連休直後の週末、カントリーウオークグループの第253回例会に参加した。
集合は西武新宿線の東村山駅。駅の周辺は高架化工事中である。今回も参加者は10人な
のでグループ分けはせず、全員一緒に10時05分に西口をスタートした。


== 正福寺、北山公園から北川沿いを狭山公園へ ==

 線路沿いを北へ、踏切際の交差点を左折して西方に向かい、最初に野口町四丁目の大善
院へ。


    
 大きな水がめにスイレンが咲き、富士山の溶岩石を積んだ小山に三十六童子が立ち並ぶ。




     
 境内南隅に、10本くらいの幹が一つの木になった「家庭円満のこぶし」が立ち、ガク
アジサイやカルミヤが花を見せる。
    

 北側の通りのすぐ先は、東京都唯一の国宝建造物である千体(せんたい)地蔵堂のある
正福寺(しょうふくじ)である。

 正福寺は鎌倉の建長寺の末寺で、鎌倉幕府執権の北条時宗かその父時頼の開基と伝えら
れているという。狭山三十三観音霊場第十三番霊場でもある。


 境内東南側には八坂神社が祭られ、その横から山門を入る。四脚門の山門は元禄14
(1701)年の建立のよう。


 山門の正面が国宝の千体地蔵堂である。

 千体地蔵堂は正福寺の仏殿で、応永14(1407)年建立の典型的な禅宗様式建築。
鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様(からよう)建築を代表する建築で、花頭窓(かとうまど)
や屋根の反りなどに特徴があり、昭和3(1928)年に国宝に指定されたとか。

 堂内には、正徳4(1714)年から享保14(1729)年にかけて奉納された小地
蔵尊像約900体や、その後奉納された約500体が安置されているよう。


 本堂前には新しい十三仏像が並び、そばのカルミヤが花をいっぱい見せ、東村山市保存
樹木のマキノ古木も目についた。


    


 東側に出て北に進むと、八国山(はちこくやま)緑地を背にして北山公園がある。東側
の池の向こうの草むらに、アオサギが立っていた。
    


 公園一帯に菖蒲田が広がり、あと半月前後で見ごろだろうか。私はほぼ毎年見に訪れる
のだが、現在はピンクのハナショウブとキショウブなどが何か所かに咲くのみ。
    



       


 公園を北西端に抜け、北山小と西武西武園線の線路の間を進み、「八国山たいけんの里」
で小休止した。
     
 建物内では「水の恵み下宅部遺跡」展を開催中。体験用の畑では、幼稚園児がサツマイ
モ苗植えの体験を始めようとしていた。


    
 南側の道路を西へ、クワの木に熟した赤い実がある。空き地の先から細い流れの北川沿
いを上流に向かう。

 流れにもキショウブがあちこちで花を見せ、民家の軒先の植木鉢の小木にイチジクが実
をつけていた。


       

    
 流れにはたくさんのコイが泳ぎ、何れも丸々と太っている。流れ沿いの住宅には緑が多
く、流れにカラーの咲く一角もある。





 川沿いの、緑に囲まれた民家が喫茶になっていた。生花の額縁や花咲くザクロの古木な
どあり、ひと休みしたいところ。
    

 近くの民家の、大きなシャリンバイも花盛り。


 西武多摩湖線の高架下を抜けて、北川の源流になっている多摩湖堰堤(えんてい)下の
都立狭山公園に入る。園内にはソメイヨシノやヤマザクラなどの桜が多く花見の名所だが、
いまは豊富な新緑に包まれている。



 堰堤の北端付近に上がり、多摩湖(下湖)の湖面を眺める。





 近くにあった独特の形の休憩舎に11時47分に入る。周辺の気持ちよい新緑を眺めな
がら昼食にした。


 == 鳩峰公園の緑陰を抜けて 長久寺を経て所沢駅へ ==

 
 ミーティングと記念撮影をして、12時55分に出発した。北側一帯は西武園遊園地で、
その南側沿いの車道を東に向かう。背の高い展望塔を眺め、遊園地入口前や大きな観覧車
のそばを通過する。
     



 西武西武園線の西武園駅東側のT字路を左折して北へ、すぐに東京都から埼玉県に入る。
緩やかなアップダウンが続き、気温が上がって汗ばむ。T字路から1㎞ほどの仏眼寺に入
り小休止した。


 山門を入った右手に新しい「聞くぞう地蔵尊」が祭られ、『うれしい事、悲しい事、愚
痴など何でも聞きます』などと記されていて、聞いてもらいたい人のための石造の椅子も
用意されていた。
     

 そばの手押し信号のあるY字路を南東へ。急斜面を上がって水道タンク北側を回ると、
東に延びる林間の気持ちよい遊歩道となる。
     
 一帯は鳩峰(はとみね)公園と呼ぶ緑地で、「人と雑木林がもう一度みつめあいふれあ
う」ことのできる風致公園として所沢市が整備したもの。


 林間を進むと「トトロの森2号地」↑や、狭山丘陵の緑を守るための「ナショナル・ト
ラスト運動」の説明板なども立っていた。
     

 公園の東端近くの森に、二つの神社がある。南側は久米(くめ)水天宮で、安産の神様
として市内の人々の崇敬を集めているとか。

 新春1月5日にはだるま市で賑わうところでもあり、拝殿の前縁に小さいだるまが10
数個並んでいる。



 北側、周辺の雑木林と一体化している広い境内は鳩峰八幡神社。現在の京都府八幡市の
石清水八幡宮から分社したもので、創建は延喜21(921)年という古社。本殿は県内
に少ない室町時代以前の古社建造物で、埼玉県文化財(建造物)に指定されている。

 元弘3(1333)年、新田義貞が挙兵して鎌倉幕府軍と戦う際に当社に戦勝祈願した
ことで知られ、境内には義貞が兜(かぶと)を掛けたという「兜掛けの松」がある。


 のち徳川家康から朱印五石を寄進され、以後代々の将軍から寄進を受けているという。
なお、南側の水天宮は、鳩峰八幡神社の摂社のひとつのようだ。


 東側鳥居の前の斜面を南に下って光蔵寺に入ると、本堂前に立つ金色の一願観音が目に
入る。ここで小休止とする。
     

 南側東西に広がる松が丘一丁目の住宅地の北側を東へ、そばの畑に熟したグミの実がい
っぱい実る。
    

 調整池横のT字路を北へ、次のT字路を西に少しで、今日最後のポイント長久寺がある。

 長久寺は関東には珍しい時宗の寺で、玖阿弥陀仏が鎌倉時代末の元弘3(1333)年
前後に開山したよう。境内東側には豊川稲荷神社が祭られている。



 山門を入ると、安永3(1774)年建立の廻国供養塔があり、その上に薬師如来が祭
られていた。
       

 本堂前には、時宗の宗祖、一遍上人像が立っている。
  

 境内を東北側から出て住宅地を北に進む。西武池袋線の盛土下を抜けて、西武池袋線と
新宿線の交差する、ゴールの所沢駅西口に15時12分に着いた。


(参加 10人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東京・
 東村山市、埼玉・所沢市、歩数 20,000)



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カッコウ初鳴きの母の日、サンショウの実を収穫する

2018-05-13 15:39:56 | 所沢だより
 2018年5月13日(日)

 今日は母の日、午後からは本降りになるという予報なので正午過ぎ、庭のサンショウの
実を収穫することにしました。

 我が家の狭い庭には中小あわせて8本のサンショウの木があり、そのうち3本に実がつ
きます。これが一番大きい木で、高さはせいぜい私の胸くらいですが、一番たくさん実が
つき、収穫のほとんどはこの木からです。
     



    

        

 1時間近くかかったでしょうか、採取と採った中に混じっていた葉を取り除いて収穫で
きたのがこれだけ、今年もまずまずの収穫です。
    

 葉を取り除いているとき、近くの林からカッコウの声が聞こえてきました。今年の初鳴
きのよう。我が家の周辺では、例年5月10日から20日までの間に初鳴きを聞くことが
多かったのですが、近年は遅くなる年や鳴かずの年もありました。

 収穫したサンショウは、水に1時間前後漬けてから醤油とみりんで煮て、佃煮にします。
    

 できたものはビニールの保存袋に入れて冷凍庫で保存すれば、1年はもつとのこと。こ
れは昨年の製品です。
    

 たまたま今日の昼食には、一昨年作ったサンショウの佃煮が加えられていました。サン
ショウの実は味を引き立ててくれます。
    

 カッコウの初鳴きとサンショウの実の収穫、季節を感じた母の日でした。




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連休最終日、バラやシャクナゲ咲く所沢航空記念公園(埼玉)

2018-05-06 18:26:24 | 所沢だより
 2018年5月6日(日)

 春のゴールデンウィークも今日でおしまい。どこも混むだろうと連休初日以外は出かけ
ることも無く、市内ウオーキングのみの毎日でした。

 今日も好天ながら気温が30℃近くに上がる予報なので、いつもの市内ウオーキングコ
ースで所沢航空記念公園に入ります。

     
 国道463号に面した南駐車場近くのトチノキが花を見せ始めていました。
        

 公園の中央部、放送塔の西側にはちょっとしたパラ園があり、何色かの花が見ごろです。


    





    

        

    

 近くには珍しい色のツツジが。


    

 南西側の日本庭園に入ると、ウツギがたくさん花をつけています。


    

 池の北東側斜面には何本かのシャクナゲがちょうど見ごろに。


    

        

         

    

         

            

         

 近くで実をつけているのはユスラウメ?


 上を見上げるとゴンズイにも地味な花が。秋になると赤い実が目立つのですが。




 池にはもう、スイレンとコウホネが。
     

    

        

 花のそばにニシキゴイがやってきました。


 水際のキショウブ


 茶室・彩翔亭の周辺には何本かのシャリンバイが花盛り。


    

 航空発祥記念館前の広場では、たこが高く上がっていました。


    

 公園の西北端、市立図書館の背後から公園を出ました。




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