あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

NHK「趣味悠々」で「西国三十三所巡り」

2008-09-30 18:36:20 | Weblog
 早いもので、今日で今年の3/4が過ぎてしまいます。

 明日からは10月ですが、10月~11月の2ヶ月間、NHK
教育TV「趣味悠々」で、『はじめての西国三十三所巡り』と
いう番組が始まります。

 一昨年秋には、同じNHK「趣味悠々」で「はじめての四国
遍路」?がありましたが、札所巡りの2番手ともいえる番組
です。

 西国三十三所の観音巡礼は、奈良時代に開かれたという
古い歴史を持ち、札所巡りの先駆けともいわれ、四国遍路と
ともに、日本の宗教文化の中で2大巡礼と呼ばれているよう
です。

 おりしも西国三十三所では、この9月から2010年5月に
かけて全札所で、普段は見られない秘仏が公開されることに
なっています。

 私は、三十三所のうち、ン十年前の修学旅行で行ったところ
を含めても、まだ10か寺しか回っていませんが、いずれも訪ね
る価値のある寺院だったように思います。

 三十三所のエリアは、1番の那智山青岸渡寺(せいがんとじ)
から、33番谷汲山華厳寺まで、和歌山、大阪、奈良、京都、
滋賀、兵庫、岐阜の2府5県の広いエリアにわたっています。

 四国遍路のように歩いて回ったらどれくらいになるのか。
一例ですが、四国遍路を2回歩いた私の知人が、2005年~
2006年にかけて8回に分けての区切り打ちで、37日を要し、
総行程は約1000㎞になるようです。

 四国遍路のような整ったガイドブックが無く、多くの場所で道
に迷ったり、宿泊場所の確保にも苦労したようで、全行程を歩
いて巡るには、かなり準備と覚悟が要るようでした。

 しかし、行程中には熊野古道をはじめ、竹内街道、山の辺の
道、鯖街道、中山道、東海自然歩道、近畿自然歩道など、魅力
的な街道、古道などもかなり通過するとのことです。

 交通機関を利用するとしても、東日本からは容易に回るわけに
は行きませんが、番組で西国三十三所の歴史や観音信仰のこ
となどを知り、この機会に思いきって巡ってみるのもよいかもしれ
ません。

 放映は、毎週水曜日午後10時~25分、再放送は翌週水曜
日午後0時30分~55分となっていて、第1回は明日、10月
1日です。

 以下のようなテキストを書店で発売中です(税込み1050円)



 このテキストの最後には、ご開帳日の日程一覧表も掲載され
ています。

 なお、西国三十三所札所会のWebは、以下をご覧下さい。

  http://www.saikoku33.gr.jp/
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第2回 葛飾探見歩行(京成金町~水元公園)(東京)

2008-09-29 16:54:36 | 江戸・東京を歩く
 きのうの所沢市の最高気温は17.4℃、すっかり秋の気配
となり、今日も冷たい雨でさらに気温が下がりそう。

 雨なので外出もせず、もっぱらパソコンの前に座っています。

 そんな、きのう今日とはうって変わって、暑かった9月上旬
のレポートです。

=========================

 2008年9月7日(土)



 やまさんの新企画、『葛飾区内を10回に分けてきめ細かく
歩き、無名ながらも価値のある宝物を発見、記録し、地域とじ
っくりふれあおう』という「葛飾探見歩行」、その第2回に初参
加した。


 9時、京成金町駅に集まったのは9人。JR常磐線の北に回
り、東金町三丁目の金連院に向かう斜めの通へ。

 上総屋という魚屋に、ミネラル軟水を専用のペットボトルで販
売する自動販売機があった。

 通りの突き当たりが金連院。永正年間(1504~20)の創
立で、末寺30か寺、朱印地十石という由緒ある寺院である。


 門前に、珍しい線刻の板碑が14基並んでいた。

 境内は黒松やイチョウ、枝を広げたクスノキなど緑が豊富。
区の天然記念物、樹高10mあまり、樹齢400~500年と
いわれるラカンマキがあり、固そうな太い幹に圧倒される。


 本堂横には、区の文化財で、宝永7年(1710)に二十六夜
講の人たちが建てたという、愛染明王石像があった。

 山門の横に「山門不幸」という立て札が立てかけてある。何
のことかと思い調べたら、ご住職が亡くなられたときに掲げる、
一般の「忌中」に相当するものらしい。

 寺から南西に延びる通りへ。うどんを玉で売っている柳田製
麺所という店があった。

 今は珍しい個人経営の麺類製造直売店である。

 その先には、かやぶき屋根にトタンを被せた「葉ら」という割
烹がある。庭に木々も多く、昭和のふんいきを残している。

 幅広い都道307号を越え、東金町六丁目に入る。玄関前に、
ふくろうのポストを置いた民家があり、庭には「赤ダルマ」と呼
ばれた公衆電話機も置いてあった。

 先に進むと葛西神社。元暦元年(1184)、下総国香取神宮
から勧請(かんじよう)し、葛西三十三郷の総鎮守として創立し
たという。徳川家康から朱印十石を賜り、「葛西ばやし」発祥
の地でもある。

 コンクリート造りながら朱塗り寝殿造りのりっぱな社殿に参
拝。緑の多い境内で、「弥栄銀杏(いやさかいちよう)」と呼ぶ2
本の大イチョウが目につく。

 社殿造営の奉賛者のなかに、やまさんの名が木札で掲げら
れていた。

 境内には金町コカブや千住ネギの説明板もあり、江戸時代、
このあたりがこれらの生産地であったことが記されていた。

 北に進み、松や大イチョウ、ツツジなど、庭木が豊富でよく整
えられた光増寺へ。

 貞応元年(1222)創立、親鸞聖人が宿泊したとかで、「親鸞
聖人関東追跡地」の標識が立つ。

 境内には、区文化財、俳人・鈴木松什(しゆじゆう)の墓があ
り、ほかに、赤い前垂れや帽子を被った六地蔵をはじめ、古い
石仏や灯ろうが多い。

 区文化財の舟形地蔵は、元禄7年(1694)の建立。草加
や岩槻・慈恩寺への道しるべにもなっていて、以前は近くの
街道沿いにあったようだ。

 さらに北へ。民家の一隅に「趣味の陶器」の看板があったの
で入り、砥部焼や京焼の茶器を少しだけ拝見する。

 その先の観蔵寺には、享保9年(1724)建立という石造り
の「いぼとり地蔵尊」があり、願いをかけた人が奉納した塩が、
足元に置かれていた。


 幅広い都道471号を横断、西側の半田稲荷に入った。ここ
もりっぱな社殿。


 江戸名所の一つで、歌舞伎、芸能人、花柳界の人たちの参詣
が多かったらしい。周囲の石柵にはそれら奉納者の名も見える。

 境内には保存樹のスダジイや、大イチョウ、クスなどがある。
現在は渇水している神泉遺構という古い石の井戸枠に、しめ
縄がかけられていた。

 本殿左手奥の小さい稲荷神社の前には、石造りのお狐様が
たくさん並んでいた。

 東金町五丁目に入った。半田小の校庭に「半田の森」の標
識が立つが、樹木は数本だけだった。

 ゴールデンストアという下町らしいスーパーの横を北東に進
み、瑞正寺へ。鉄筋造りの現代風本堂の前に、ノウゼンカズ
ラとサルスベリが咲く。庭木は、なかなかよく整えられている。


 北側は水元公園の東端に近い。園内に入ってまず、オニバス
池へ。オニバスは環境省の絶滅危惧種で、都内ではただ一つ
の自生地だという。

 ちょうど開花期で、紫色の花が幾つか、水面から開花していた。

 旧水産試験場の横を抜け、金魚展示飼育池に入る。江戸時
代から続く、地場産業の振興に役立てているもので、幾つも
ある養魚池に、見たことのない種類の金魚が、たくさん飼育
されていた。


 南に進み、その先に広い水面が続く小合溜(こあいだめ)の
ほとりに出る。

 大きな東屋に入り、水面やその向こうに広がるメタセコイヤ
などの林を眺めたり、先着の地元の人たちと話したりしながら
昼食をする。
 
 水元公園の面積は約86haあり都内でも屈指の広さ。ただ
一つ水郷風景をつくる小合溜は、享保年間(1716~36)
に、江戸の町を洪水から守り、水田を潤す水源(水元)として
つくられたという。

 小合溜の水辺から南側の園路を回り、東水元二丁目にある
「しばられ地蔵」で知られる南蔵院へ行く。

 寺は貞和4年(1348)の開創、大きな本堂の前には、形の
よい黒松が枝を広げている。


 しばられ地蔵は、本堂左手のお堂に、荒縄をいっぱい巻かれ
て祭られていた。大岡裁きの由緒は、長くなるので省略する。

 本堂裏手には水琴窟(すいきんくつ)があり、水を流すと澄ん
だ水音を響かせる。
 ちなみに、東儀秀樹夫人は、この寺がご実家だとのこと。

 水元公園の園路に戻り、花菖蒲園の横を進む。水元大橋の
近くから公園を出て、そばの香取神社へ。

 本殿の背後に、背の高いイチョウが豊かな葉を見せていた。

 岸辺や小舟から、たくさんの釣り人が糸を垂れる釣り堀に沿
って進み、12時58分に水元公園バス停に着いた。

 今回の探見はここまで。金町駅でバスを乗り継ぎ、やまさん、
敬子さん宅そばの、「ふらっと」におじゃまする。

 お茶やクッキーなどをいただき、お二人が夏休みに出かけた
写真やスケッチなどを拝見し、敬子さんのオカリナ演奏を聞く。


 そのあと、敬子さんのデンマークの生涯教育の視察旅行と、
やまさんの英国・湖水地方の歩き旅の報告に、近づいてきた
雷鳴を気にしながら耳を傾ける。

 来訪者の一人、練馬区でかやぶき民家にお住まいの方の
話もうかがうなどして、17時近く散会した。
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関東山の辺の道⑨【仁井田~上戸祭町】(栃木)〈続き〉

2008-09-28 13:09:35 | 関東山の辺の道
 2008年9月10日(水)〈続き〉




 根小屋集落の西で田園から離れ、台地上の台岡本に上がっ
た。岡本北小やNTT河内電話交換センタを過ぎ、県道157号
に入る。

 県道73号と交差し、余坪台ニュータウン際まで進むと、右手
の森の中に「ふれあい通り」と呼ぶ遊歩道があった。少し迂回
するが、緑陰を歩けそうなのでこの道を進むことにした。

 傍らは芝生地などのある公園。ベンチにいた男性に公園の
名を聞いたが知らないという。

 その代わり、「緑道は岡本駅から高崎製紙への引き込み線
の廃線跡だ」と教えてくれた。地形図を見直したら、なるほど
線路跡らしいルートが前後に残っている。

 暑さから解放された木陰の緑道は、500m余りで終わる。
椎ヶ坂第二の新興住宅地や高崎製紙の南側を進み、宇都宮
河内清掃工場の前で県道157号に戻った。

 散在する大塚の住宅地を過ぎると再び田園地帯。

 コンバインで刈り入れをしている田んぼもある。


 畑中で東北新幹線の高架下を抜け、山すそを流れる山田川
の新山田橋を渡る。


 陽の差さぬ林間を北山霊園に向かって上がって行った。

 車止めがあり、舗装の途切れた道をさらにしばらく進んだが、
霊園が無い。道が細くなりどうも間違えたようだ。林間のすき
間から南側を見下ろしたら、目指す霊園が見えた。

 ちょっと斜面がきついが、関東百駅での幾つかの経験を思い
出し、木につかまりながら霊園のそばまで下った。

 ところが最後は、砕石を組み合わせた土留めが2mくらい
ある。飛び降りるのは危険なので、土留めの途中にある排水
用のパイプを足場にして、なんとか霊園に下りた。

 山の斜面を何段かに整地した広い霊園だが、管理事務所や
トイレなどは見あたらない。地形図で見当をつけていた遊水地
のそばから谷間を下り、赤ずきんをしたお地蔵さんの横で西側
の旧道に出た。


 静かな宮下集落や谷地田の間を進み、清流がくねって流れる
田川の田川橋を渡る。


 次の斜面を上がって行くと、豊郷台の広いニュータウンがある。

 小公園に東屋(あずまや)があったので入って休憩。東側は、
東北新幹線の高架や住宅、黄金色の広がる田園などの展望が
よい。


 緑が多く、ゆったりした豊郷台の戸建て住宅の間を緩やかに
上がる。T字路際に「かましん」というスーパーがあったので寄り、
アイスを買ってのどを潤し、汗を鎮める。

 さらに緩やかに上がって「うつのみや文化の森」に入った。総
面積は約26ha、既存林や緑の広場と呼ぶ広い芝生地の間を抜
ける散策路があり、最高地に近い北西端近くに宇都宮美術館が
ある。

 市制百周年の1997年に開館したとか。閉館時刻が近いが入
館し、ルネ・マグリットやシャガール、マティス、日本の近代絵画
などの作品を、短い時間で鑑賞した。


 美術館から南へ、広葉樹の多い散策路を回って、調整池のほ
とりに出る。谷地沿いに南に下ると、休耕田にキバナコスモスが
一面、花を開いていた。


 刈り入れ中の田んぼの横を下り、国道119号際へ。南斜面の
山すそに、露出した凝灰岩をくり抜いた横穴が幾つもある。

 栃木県史跡・長岡百穴古墳で、7世紀前半のものと推定され、
現在52基あるという。それぞれの横穴には、凝灰岩をくり抜い
た石仏が祭られていた。


 日が西に傾き、涼しくなってきた。中心にある百穴観音堂に参
拝し、最後の道のりを急ぐ。並行する国道は夕方のラッシュ時で、
交通量が多い。赤坂集落を抜ける旧道も、バイパスとして通り抜
ける車が結構あり、わずらわしい。

 長岡町交差点で国道を横断して釜川を渡り、上戸祭町交差点
に17時45分に着いた。今回はここまでとし、そばの長岡街道
入口バス停から宇都宮駅に向かった。

【参考スタイム】JR仁井田駅9・48ー県営圃場整備完成記念碑
10・28ー高根沢町町民広場・歴史民俗資料館10・46~11・16ー
JR東北本線跨線橋11・55ー新鬼怒川橋東詰12・16ー根川横の
小公園(昼食)12・45~13・15ー廃線跡の遊歩道13・40ー宇都宮
河内清掃工場14・05ー東北新幹線横断14・26ー北山霊園14・52
ー豊郷台の小公園(東屋)15・24~30ーかましん(スーパー)15・40
~55ー宇都宮美術館16・20~40ー長岡百穴17・12~19ー上戸
祭町交差点17・45ー長岡街道入口バス停17・47~52=<関東
バス>=JR宇都宮駅18・15頃

(天気 晴、距離 25㎞、地図(1/2.5万)宝積寺、大谷、宇都宮
 西部、歩行地 栃木県高根沢町、宇都宮市、歩数 42,500)
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関東山の辺の道⑨【仁井田~上戸祭町】(栃木)

2008-09-27 23:36:43 | 関東山の辺の道
 暑さ寒さも彼岸まで。9月も最後の週末となり、すっかり涼し
くなりました。

 月末締め切りの原稿作りなどに追われ、2週間以上経過して
しまいましたが、9月10日のウオーキングレポートです。

==========================

 2008年9月10日(水)



 夏の「青春18きっぷ」の使用期限の日、残り1枚を使い、1
年5ヶ月ぶりに、私のオリジナルウオーク、関東平野の周辺を
巡る「関東山の辺の道」歩きに行く。

 自宅を6時34分に出て、大宮、宇都宮経由、JR烏山線の
仁井田駅に9時44分に着いた。


 無人の駅を出て、商店が散在する南側の通を西へ向かう。


 郵便局前から細道を南に入る。交通量の多い県道10号を越
え、南側を並行する田園地帯に出た。

 広々とした黄金田が広がり、向かい風がさわやか。

 畑の隅に、かぼちゃのようなものが捨ててある。畑にいた奥
さんに聞くと、長雨で干せず、出荷できなくなったカンピョウだ
という。栃木県は、日本一のカンピョウの生産地である。


 自然堤防の五行川を横断、流れに、今年生まれのカルガモ
のひなが数羽が泳いでいた。


 すぐ先の交差点に、県営圃場(ほじょう)高根沢地区の完成
記念碑ができていた。

 横5m、縦2.5mくらいもある特大の記念碑である。

 杉林に囲まれた西下集落の一角に、大きなかやぶき屋根の
民家が見える。


 次の原集落には、広々とした芝生に覆われた高根沢町の町
民広場があり、ナイター設備も設けられていた。


 隣に、新しくてりっぱな瓦屋根の長屋門や、大きな平屋の
民家、蔵造りの建物が見えた。


 高根沢町歴史民俗資料館で、蔵造りの展示館に入館する。


 町内に約250か所もあるという、旧石器から平安時代に至る
遺跡から発掘された土器、町の特産品、小学校の古い教材、
江戸時代からこの地にある宇津救命丸本舗の歴史などが展示
されていた。


 本屋と呼ぶ中心の大きな民家風の建物には いろりがあり、
天井はガッチリした丸木で組まれ、3室×2室がふすまで隔
てられた大きな平屋となっている。


 屋外には、復元された縄文時代の竪穴住居があり、長屋門
の片側は収蔵展示室になっていて、古い農具がたくさん並ん
でいた。

 石橋交差点で再び県道10号と交差し、県道101号に入る。
宝積寺(ほうしゃくじ)の家並みが増え、天神坂交差点の先か
ら、少し坂を上がる旧道へバイパスする。このあたりは、1月
19日の関東百駅「宝積寺」で歩いたところ。

 JR東北線の線路際に出て、堀割を走る線路上を渡る。宝積
寺下集落付近の林に、「勝善神」と刻まれた石碑がある。

 ほかでは見たことがないが、この先の集落にもあったから、
栃木県独特の古くからの信仰なのだろうか…。

 ネットで見ると、仏教系で言う馬頭観世音のことを神道系で
言う呼び方のようで、日光街道や奥州街道など、栃木県内に
多いように思われる。

 そういえば、この日歩いた約25㎞のコース中に、寺院は一
つも無かった。こんなに長くお寺のない道を歩いたのは、初め
てかもしれない。

 宝積寺交差点近くで国道四号に合し、鬼怒川の新鬼怒川橋
を渡る。この橋は東京方面行きで、線路側には仙台方向への
鬼怒川橋がかかっている。

 鬼怒川橋のたもとは、関東百駅の時、下流の岡本頭首工横
から右岸沿いに来たが道が無くなり、垂直に近いがけをよじ登
ったことを思い出す。

 下流に、その岡本頭首工〈下〉や、鮎を食べさせてくれるらし
い大屋根の店を見下ろしならが橋を渡り、宇都宮市に入った。


 好天で残暑が厳しいが日陰が無く、橋の先も黄金田の田園
地帯。木陰のある昼食地がないかと気にしながら進むと、下
坪集落の先で、根川という小さい流れの横に小公園があった。

 藤棚の陰にイスもあるので、これ幸いと昼食にする。(続く)

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父母の菩提寺へ彼岸の墓参に(埼玉・小川町)

2008-09-25 23:19:03 | Weblog
 車の故障で出戻りして2日後、春分の日の9月23日(火)
に、改めて埼玉県小川町上横田(かみよこた)にある父母の
菩提寺、輪禅寺(りんぜんじ)へ墓参に行きました。



 父母の墓は、地元に住む次弟夫妻が守ってくれています。

 輪禅寺の山号は一機山、曹洞宗の寺院です。


 輪禅寺本堂。曹洞宗の寺らしく、境内は落ち着いたたたず
まいを見せています。


 この寺は、慶長13年(1608)、この地を治めていた武田
新十郎信俊が、ここにあった安養寺を廃し、新たに父・武田
信実(武田信玄の異母弟)の菩提寺として開創したものです。

 寺には、町文化財になっている武田信俊筆鷹絵図があると
いうことですが、見たことはありません。


 墓地の中心にある武田家の墓地には、一族52基余りの墓
石が並んでいます。

 どれが武田信実公の墓なのかは、分かりません。


 今年は、寺の開創から400年ということで、昨年まで無かっ
た曹洞宗の開祖・道元禅師の像などもできていました。


 境内には、古い石仏がいくつもあり、ちょうどヒガンバナや
ハギがたくさん咲いていました。






 山門の前は田んぼになっていて、あぜのあちこちにもヒガン
バナが咲いています。




 武田家の墓地があることから、休日には歴史愛好家のグル
ープや、ウオーキンググループなどの来訪も多いようです。




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カントリーウオーク川角(埼玉県)

2008-09-24 21:06:32 | カントリーウオーク
 2008年9月20日(土)



 埼玉県を中心にカントリーウオークをしているグループの9月
例会に参加した。

 心配された台風13号は前夜半に通過し、集合地の東武越生
(おごせ)線 川角(かわかど)駅に着いたら、すっかり好天にな
っていた。

 参加者15人は、5組に分かれて10時5分に出発した。

 =新しき村から毛呂山総合公園へ=
 
 踏切を越えて南側に回り、下川原の星宮神社へ。3代将軍
徳川家光から朱印状を賜った社(やしろ)。境内はりっぱな杉木
立に覆われている。

 大杉の間の狭い参道を下り、隣の延命寺に行く。鐘楼の前
のハスが、たくさん実をつけていた。


 城西大の南に進み、1車線ぎりぎりの木の橋を渡る。多和
目集落の民家の間を抜け、多和目天神社へ。

 社殿横には、樹高15m、樹齢800年ほどと推定されるカゴ
ノキの大木がある。

 関東以北では珍しいというクスノキ科の樹木で、樹皮が鹿の
子の斑点のようなことからこの名称がつけられたという。

 集落を少し戻って高麗川際に下ると、キバナコスモスやヒガン
バナの咲くゲートボール場がある。冠水橋になっている低い欄
干の木の橋を渡り、黄金色になった田んぼの間を抜ける。


 残暑が厳しいが、そばの城山中は運動会の最中で、元気な
歓声が聞こえる。コンバインで稲刈りをしている田んぼや、す
でにはさ掛けした田んぼもあった。

 城山橋の近くからヒノキ林に入り、林間を上がる。結構急坂
だが陽がさえぎられたので、暑さから解放されてほっとする。

 台地上にできた西坂戸の新興住宅地の南側に上がり、杉林
との間の緑陰を進む。

 多和目城の説明板があり、そばの城山(113.4m)が中世
の城跡で、室町時代の大永4年(1524)に河越城主の扇谷
上杉氏が攻めたことなどが記されていた。

 西坂戸三丁目の住宅地の西端から谷地田の間を抜け、西側
の台地に上がって武者小路実篤の「新しき村」に入った。創立
から90年になるようで、建物などはかなり年代を感じるもの
ばかり。

 中ほどにあった東屋(あずまや)で小休止し、水分補給をする。
周辺に美術館や、村で栽培した野菜や卵などの売店、ギャラ
リーなどもあったが、昼食地までの残り時間が少なくなったの
で寄らずに通過する。

 村の入口には、こんな門が立っていた。


 JR八高線の踏切を渡り、車の多い県道30号を横断し、昼
食地の毛呂山(もろやま)総合公園に12時35分に着いた。

 =緑陰を抜けヒガンバナの里へ=
  
 昼食を終え、芝生広場にあった、わが人類の大先輩?を囲ん
で記念撮影し、13時34分に午後のコースに向け出発する。


 総合公園の南側に屋外プールがあるが、草が伸びて営業は
止めた模様。埼玉ゴルフ場の間を上がって下ると、林間に山
根六角塔婆と呼ぶ梵字(ぼんじ)の記された古い塔婆(下)と、
宿谷(しゆくや)地蔵尊の地蔵堂があった。


 林間を少し下って宿谷川沿いに出る。陶芸工房の北側から
宿谷川左岸の涼しい林間に入った。陽の差さぬ針葉樹の下に、
やぶミョウガやシュウカイドウが咲いていた。

 上大寺から下大寺へと家並みの散在する集落を進む。ソバ
畑があり、穏やかな白い花が、暑さを和らげてくれる。


 このあたりにも、ヒガンバナがあちこちに咲いていた。

 ふたたび県道30号とJR八高線を横断し、川端集落に入っ
た。キバナコスモスがたくさん咲き、さらに進むと、田んぼの
あぜにヒガンバナが群生していた。

 ここは11年前の同じ頃にも寄ったところ。その時と同様、
ちょうどヒガンバナが見ごろで、頭を垂れた稲穂の黄金色と
ともに、よい彩りを見せる。

 花を見ながらそばの民家の緑陰で休憩する。

 すぐ先で南西に向きを変える。近くの民家のガレージに吊さ
れた温度計は30度を示し、改めて残暑の厳しいことを感じる。

 しかし、田んぼでは、実りの秋の近いことを告げていた。


 3度目の八高線と県道を横断、やや交通量のある車道を仲
居から馬場へと進み、松福院へ。

 趣ある本堂で、境内の木々もよく手入れされている。郷土の
木というボダイジュや、薬師堂もあった。

 金剛寺集落で車道を離れ、高麗川の木の橋を渡る。


 新堀から四本木へと南東へ進み、15時58分にJR高麗川駅
にゴールした。

(天気 晴、参加 15人、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 越生、
 飯能、歩行地 埼玉県毛呂山町、日高市)
コメント (2)
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パソコンからのネット接続、回復

2008-09-24 10:46:49 | Weblog
 今朝早めに、ゆうパックで、ADSLモデムのACアダプタなど、
交換品が届き、交換したところ故障は回復しました。

 パソコンからの投稿やメールが可能になりました。投稿は別
途とします。とりあえずお知らせのみ…。

 
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パソコンメールもお休み

2008-09-22 21:41:48 | Weblog
ADSLモデムの電源アダプタ故障で、パソコンメールも通信できません。
今日午後以降いただいたメールは、閲覧できないので、回復後、拝見しますので、ご了承下さい。
急ぎのご用件は、携帯メール宛てにお願いします。
ご迷惑をお掛けします。
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故障でパソコンからの投稿が不能

2008-09-22 18:46:37 | Weblog
昨日の車の故障に続き、今日はパソコンから当ブログへの投稿が出来なくなるトラブルが発生しました。
原因は、ADSLモデムのACアダプタの故障です。
昼間は正常に使えたのですが、午後、ウォーキングに出かけ、帰宅後、ネットにアクセスしてもつながりません。
おかしいなと思ってADSLモデムを見たら、ランプが皆消えています。
モデムのACアダプタに触ったら熱くなっています。
テスターでチェックしたところ、モデムへの供給電圧AC12Vが出ていません。
抵抗値を見たら、1次側が断線状態、2次側は導通があり、入力側の故障のようです。
アッカからOCNへと3度目のたらい回しで、やっと故障手配が出来、24日午前に代替品が来ることになりました。
したがって、それまでは、パソコンからの投稿が出来ません。
明日は、昨日行けなかった父母の墓参に行くこともあり、休稿になりそうですので、明後日以降、またご覧下さいますよう、よろしくお願いします。
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あれれれれ… 交差点で車がエンジンストップ

2008-09-21 17:04:17 | Weblog
 彼岸の日曜日、父母の墓に墓参に行くことにして、連れ合いと
2人、車にて弟夫妻の住む埼玉県小川町に向かいました

 家を出て30分前後、飯能市の国道と県道との交差点にて右折
レーンに入り、信号の変わるのを待ちました。

 信号が青となり、アクセルを踏んでも車は動かない…。あれれ、
おかしいな、もう一度、二度とエンジンを入れ直してもだめ
 ハザードランプを点灯しました。

 後方の右折車は、迷惑そうに直進ラインの方から徐行気味に追
い抜き、次々に右折、中にはクラクションを鳴らす車も…。

 免許を取ったのが遅い私は、運転経歴10年余りですが、走行
距離も極めて少なく、まだ新米同様。それにこんなことは初めて
で、大あわてです。

 どうしても動きそうにもないので、JAFをコールしました。
到着まで40分くらいかかるとのこと。場所の様子をを伝えたら、
警察に110番して、交差点から移動してもらった方がよいのでは
と言われました。

 さっそく110番したところ、交差点の先、100mくらいにある
飯能警察署から、すぐに数人の警官がやってきて、比較的交通
量の少ない、左折した先の道路際まで押して移動してくれました。

 待つことしばし、到着したJAFの人が、エンジンの調子をチェッ
ク。エンジンがかかっても少しして停止してしまい、修理に出した
方がよいとのこと。

 飯能市内には、私の車のメーカーの修理カ所がないようなので、
購入した所沢市内まで、レッカー移動してもらうことに。

 連れ合いは電車で帰ることにして、私がJAFの車に同乗して市
内に戻り、メーカーの拠点で修理を依頼しました。

 点検の結果、バッテリーとエンジンを結ぶ4本のコードの何れか
が、経年劣化で絶縁不良になり、漏電している模様と分かりました。

 交換用コードは取り寄せとなり、車を預けて帰宅しました。

 ちなみに、JAF会員でもレッカー移動が5㎞以上になると有料
とのこと。9㎞オーバーで5,400円を支払いました。

 という次第で本日の墓参は中止し、秋分の日に改めて電車で
出かけることにしました。

 以上、本日のおそまつ……

  

 

 

コメント (2)
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