あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

林試の森コンサートと大和路の写真展へ

2006-04-30 23:25:32 | Weblog
 今年の大型連休、関東は5日頃まで好天に恵まれそうです。

 今日の外出先は、都内・目黒区と品川区にまたがる林試(りんし)の森で行わ
れたコンサートと、渋谷区の代官山にある奈良県代官山iスタジオです。この2つ
を結んで、JR山手線目黒駅から渋谷駅へと歩きました。

 12時過ぎ目黒駅に下車、西口から林試の森に向かいます。権之助坂を下る
目黒通りの南側の急坂を下り、目黒雅叙園の先で目黒川を渡りました。流れに
沿った桜はすっかり新緑の装いです。

 広い通りの角に、「レトロの店」と書いた飲食店があり、通に面した壁面は
レトロな看板で埋め尽くされていました。

 目黒不動入口交差点で山手通を越え、目黒不動尊入口を過ぎるとすぐ近くに、
都立林試の森公園があります。

 林試の森公園は、明治33年(1900)に国の施設・目黒試験苗補として
スタートし、その後林業試験場だったところを整備して、平成元年(1989)に
生まれた公園です。

 一周2.3kmあるという園内は、林業試験場時代の名残の豊富な樹木に覆わ
れ、幹回りが3mを越える樹木も多く見られます。

 公園の一角にある出会いの広場で、13時から15時まで「林試の森のコンサ
ート」が開かれました。この催しのことは、三味線奏者・月岡祐紀子さんのWeb
で知り、やって来たのです。

 月岡さんは、1976年目黒区生まれ、幼い頃から民謡を学び、ごぜ三味線の
貴重な継承者にもなり、大学卒業の年に、三味線の奉納演奏をしながら歩いて
の四国遍路をしました。翌年も2度目の遍路をしてその体験をもとに「遍路組曲」
を作曲し、文春新書で「平成娘巡礼記」を著しています。

 私は、一昨年3月、四国遍路の途次、愛媛県内海村(現、愛南町)で「トレッキ
ング・ザ空海」という催しに参加し、峠の上の野外コンサートで月岡さんの遍路
組曲を聴き、遍路中で一番の思い出になりました。

 以後、月岡ファンになり、昨年夏の大阪と国分寺での演奏会に続き今回、3度
目のコンサートに出かけたのです。

 品川区八潮のメンバーによる八潮太鼓のあと、月岡さんをリーダーとする
女楽遊楽所という若い女性7名の和楽器グループが、中国現代曲「斎馬」、中国
民謡「太湖舟」、弘田龍太郎の童謡メドレー、涙そうそうの演奏を行いました。

 月岡さんは来月、高野山上の宿坊での演奏会に行く際、弘法大師が通った町
石道(ちょういしみち)を歩いて上ることを、ご本人のWebと「冬青(そよご)風」
のブログ(本ブログのブックマーク)で知ったので、私が昨年3月に同じ道のりを
歩いた際のレポートを、少しでも参考になればと、演奏会後にお渡ししました。

 演奏会は続いていましたがコンサート会場を離れて林試の森を一周、公園を出
て近くの目黒不動にお参りしました。目黒不動は天台宗滝泉寺の通称で、1月2日
の七福神めぐりのウオークで初めて来たのですが、それから4か月余りでの再訪
なので、本殿の参拝だけにしました。

 裏手に出て、小公園との間の細道を東に進むと滝泉寺の墓地で、その一角に
青木昆陽の墓がありました。
 
 昆陽は江戸中期の儒者で、幕臣大岡忠相の知遇を得て書物奉行となりました。
また、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために「甘藷先生」と呼ばれ、この
墓碑も「甘藷先生墓」となっています。

 山手通を越えて目黒川沿いに出て、新目黒橋から川沿いの遊歩道に入りました。
目黒美術館の辺り、1か月前はソメイヨシノが花盛りだったのでしょうが、今は
葉桜のトンネルです。木の下のツツジも咲き始めています。

 遊歩道を進んで駒沢通りに入り、次の目的地は代官山交番の近くにある「奈良
県代官山iスタジオ」です。

 ここは、奈良県の歴史、文化、観光、産業などを紹介する施設です。イベント
スペースで開催中の、アマチュアカメラマン楠田光信氏の「奈良を想う」~大和路
の伊勢本街道~写真展を観覧しました。

 大和路の伊勢本街道の素朴な田園風景や、人々の素顔の生活、伝統行事など
を紹介しており、5月8日(月)まで開催中です(無料)。

 館内には、奈良県各地の観光パンフレットコーナーもありますので、ご入用の方
は一度訪ねてみてください。東急東横線代官山駅から西に50mです。

 若い女性でにぎわう代官山界隈から、緑が豊富な猿楽町の住宅街を北に抜け、
渋谷駅に16時ちょうどに着きました。         (歩行距離 7km)
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我孫子・大正浪漫ウオーク(手賀沼一周)

2006-04-29 22:15:44 | ウオーキング
 「みどりの日」の今日、関東南部では午後、天候が不順になりましたが、緑を
求めてお出かけの方も多かったことと思います。

 私は、千葉県の北部にある手賀沼を一周する「第3回我孫子・大正浪漫ウオ
ーク」に参加しました。
 
 このウオークは、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の「手賀沼と我孫子
の歴史を訪ねるみち」のコースでもあります。

 集合地は、JR常磐線我孫子駅から10分ほどの手賀沼公園です。出発式を
して9時18分にスタートしました。距離は23km、それぞれがマイペースで
歩く自由歩行です。
 
 手賀沼は、東西約8km、南北は狭いところで500m、広いところでも1.2km
くらい、東西にかなり横長の沼です。

 葉桜になった桜並木の下にチラホラ咲き出したつつじの植え込みの続く、手賀
沼の北岸沿いの遊歩道を西進し、西端の北柏ふるさと公園に入ります。

 新緑の下にシバザクラがきれいに咲いていました。最西端の柏古里大橋を
渡り、「グリーンフェア柏」という催しで植木市やフリーマーケットが開かれて
いる、柏ふるさと公園を通過し、南岸に回ります。

 利根川の水を導水している北千葉導水ビジターセンターを通過、大津川の
ひどり橋を渡ると、しばらくはヨシキリの鳴く沼の芦原と、水が入って田植えの
始まろうとしている田んぼの広々とした展望が広がります。

 南側の遊歩道は、自転車道と歩行者道路がそれぞれ4mくらいずつあり、
自動車を気にせずに快適なウオーキングコースです。

 ほぼ中央にかかる手賀大橋下を通過し、さらに東へ遊歩道が続きます。対岸に
午後寄る「水の館」が近づいてきました。

 南東端近くで南側の丘陵に上がり、手賀の丘公園に入りました。ここは、カン
トリーウオーク仲間と例会で2度来たことがあり、木々が多く緑豊富な自然公園
です。八重桜もまだ咲いていました。

 公園の東側にある正門に抜け、北に下って再び沼の遊歩道に戻りました。
最東端の曙橋(写真)を渡って、少年野球のグランド横を通過して、北岸に回り
ます。

 野鳥などの保護をしているビオトープを過ぎ、滝下広場で12時21分から30
分間、芝草の上にシートを敷いて昼食にしました。

 間もなく、手賀沼浄化の拠点として整備された「水の館」、芝生の庭の一角
にはライラックが咲いています。展示ホールをちょっとだけ見学しました。

 いったん沼を離れ、高野山の住宅地に入ります。鳥の博物館と山科鳥類研究
所前を通過し、高野山小の背後で、国道356号に出て、西に進みます。

 800mほどで南側の寿二丁目の住宅地に入り、旧村川別荘に寄りました。
東大教授で西洋史の大家だった村川堅固(1875~1946)の別荘で、手賀
沼を見下ろす高台にありますが、現在はうっそうと木が茂り、沼は見えません。

 そぐ先は、「子の神大黒天」で、ねずみを使途とする大黒天を祭った大きな
神社です。珍しい金属板のわらじが、たくさん奉納されていました。

 台地下に下り、さらに西進すると志賀直哉邸跡(上の写真)があります。志賀
直哉はこの地に8年間住み、「城の崎にて」、「暗夜行路」などを執筆しました。

 そばには、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなど、白樺
派の作家の原稿や書簡などを展示しているという白樺文学館があります。

 その先で再度台地に上がって、楚人冠公園に入ります。朝日新聞の記者、
随筆家として活躍した、杉村楚人冠(1872~1945)の住居跡を小公園に
したものです。

 楚人冠は、石川啄木を世に出したことでも知られるようです。公園のツツジが
みごとな彩りを見せていました。

 近くには、講道館の創始者・嘉納治五郎の別荘跡や、庶民的な民芸品の美を
世に広く知らしめた柳 宗悦邸宅跡もあります。

 ゴールの手賀沼公園には、14時17分に戻りました。空が暗くなり雨が来そう
なので我孫子駅に急ぎ、着いた頃本降りとなりました。

 「みどりの日」にふさわしく、緑を一杯眺めながらのウオーク、ほとんどが湖岸
の遊歩道なので、車の危険もなく快適に歩けました。
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関東山の辺の道(7) つくば市北条~桜川市真壁町

2006-04-28 11:51:21 | 関東山の辺の道
 八重桜もそろそろ終わり、木々の新緑が日増しに濃くなってきました。
 今夜は、3月8日のブログで紹介した、金井さんの本の出版記念祝賀会に
出席するため、早めにアップします。


05年10月21日(金)
 「関東山の辺の道」歩きの7日目は、筑波山の南麓、つくば市北条をスタート
し、桜川市と変わった旧真壁町まで歩いた。今回は、4月以来2度目の取手の
Sさんとの2人旅である。

 土浦駅9時発真壁行きバスに乗り、9時32分、つくば市の北条仲町バス停で
下りた。

 三差路の、「これよりつくば道」の標石に従い県道139号に入る。ザクロやナツメ
の実が色づく民家の並びが途切れると、正面に筑波山が近づいてきた。

 1㎞ほどで広い車道に出て、すぐ先で「関東ふれあいの道」に入り、赤町集落に
ある普門寺に寄る。

 山を背にした境内は木立に囲まれ静かなたたずまい。滝や石灯ろう、池などの
ある日本庭園も趣がある。尊皇攘夷を唱えた水戸天狗党の田中愿蔵らの一隊の
陣営跡であったことを記した石碑があった。

 近くの高台からは、木の間越しに筑波山がよく見える。

 土蔵づくりや長屋門など、古い民家の多い西町から上町へ。上町の十字路には、
穀物倉庫として使われていたという大谷石造りの古い建物が残されていた。
  

 逆川の白滝橋を渡る。正面に筑波山が一層迫り、アンテナ塔やロープウェイの
駅の建物などもよく見える。辻赤塚の休耕田では、ソバの花が花盛りだった。

 山ろくの集落を西北に進んで沼田へ。旧関東鉄道筑波線の筑波駅跡に、廃線
跡を活用した全長約40㎞の自転車道「つくばりんりんロード」の「筑波休憩施設
が設けられていた。

 ホーム跡のベンチで、さわやかな秋風を感じながら休憩、隣接して路線バスの
筑波駅とタクシー乗り場があった。

 筑波山神社に上る車道・県道42号を横切り、山ろくを下郷から上郷へと進む。
上郷からの筑波山は双耳峰が重なり、富士山を小さくしたような単峰に見える。

 つくば市の最北、大島の家並みへ。なまこ壁の民家や長屋門の家などが残り、
街道らしいふんいきを残している。家並みは桜川市となった旧真壁町の南端、
金井集落に続き、市境ははっきり分からない。次の酒寄には、黒瓦屋根のりっぱ
な民家が多い。

 県道41号を斜めに横切り、つくばりんりんロードに入る。土浦から24㎞の表示
があった。両側は一面田んぼだが、休耕田がかなりを占めている。ソバ畑にする
とか、大豆を作るとか、もっと活用の方法はないものだろうか。

 りんりんロードのカーブ点に揚水施設らしい建物があったので、日差しを避け
て昼食とする。行く手に加波山の山並みも見えてきた。

 りんりんロードに分かれ、車の少ない車道を遠西へ向かう。ひこばえの伸びた
緑の田んぼと、筑波山の好展望が気持ちよい。
 
 東山田の県道41号との交差点に、はにわと日用雑器の店があり、花鉢や大小
幾つものはにわが並ぶ。近くの土管工場には、褐色の土管がたくさん積み重ね
られていた。この地区は以前、山田焼きという焼き物の生産地で、現在も窯業が
盛んなようだ。

 「筑波登山本道」の石標が立つ桃山で再びりんりんロードに入る。車道との交差
部分2カ所には線路が残っていた。

 加波山の手前に真壁の家並みが近づく。県道7号を横切り、14時12分、今日
のゴール、りんりんロード真壁休憩所に着く。
 
 8年前の1月下旬、カントリーウオークの仲間と来たときには、旧真壁駅ホーム
(写真)しか無かったが、屋根のある休憩施設やトイレ、説明板などが設けられて
いた。

 バスの時間待ちの間、真壁の町並みに残る古い民家などを訪ねる。真壁駅バス
停16時45分発下館行きに乗る。下館駅で、関東鉄道で取手に向かうSさんに
分かれ、JR水戸線小山経由で帰宅した。

(天気 晴、距離 15km、地図 筑波、真壁、歩行地 つくば市、桜川市(旧真壁
町))

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関東山の辺の道(6) かすみがうら市下佐谷~北条

2006-04-27 12:09:12 | 関東山の辺の道
05年9月9日(金) 
 台風14号が去った前日は35℃近い残暑だったが、この日は曇りの予報。青春
18きっぷの残り1枚を使い、4ヶ月ぶりの「関東山の辺の道」歩きに出かけた。

 JR常磐線土浦駅に9時着、9時20発柿岡車庫行きバスに乗り、9時42分、
下佐谷(しもさや)バス停で下車する。

 県道53号を西へ、500m余り先の3差路までは前回歩いた。この県道は、大型
トラックやダンプなど交通量が多く、歩道はあるが歩く道ではない。

 新治村(にいはるむら)に入り、「新治浄水場」の看板に従い、一般農道本郷へ。
クズの花が咲き、ツクツクボウシが鳴く。車からも開放された。

 色づく田園が広がり、寄居のY字路を左に入ると、実の熟す前の柿畑が多い。
 本郷の集落で少し回り道して名前の分からぬ寺で小休止する。

 田んぼの間を上がって大志戸へ。火の見やぐらの下に、文化9年(1812)の十九
夜塔が立つ。集落の西から南北に走る車道を北の山すそに向かう。休耕田が梨や
柿畑に変わっていた。

 三方を山に囲まれた田園地帯、山から吹き下ろす風が気持ちよい。山すその
清滝集落を上り詰めると、江戸時代のものという色あせた古い山門があった。

 阪東三十三カ所第26番札所、清滝観音で知られる清滝寺である。急階段を
上って本堂に参拝する。

 清滝寺は、推古帝15年(607)の創建、大同年間(806~10)徳一上人により
移設されたという古寺。七堂伽藍(がらん)を備えた大きな寺は2度の火災にあった
とか、現本堂は昭和52年(1977)再建のコンクリート造りである。

 ツクツクボウシやアブラゼミが鳴き、緑がいっぱいだが、阪東札所とは思えぬ
こぢんまりとした境内。今後、ほかの阪東札所巡りの機会もあるかと思い、納経
帳を購入し最初の納経印を押してもらった。

 山すその道を西へ進むと小野小町ゆかりの小町集落、東端に「小町の里」という
のがあった。

 小野小町は絶世の美女とうたわれた平安時代の歌人、京都から奥州に旅する
途中で清滝観音にお参りした後倒れ、この地の村長、小野源兵衛宅で元慶7年
(883)7月7日、69歳の生涯を閉じたという。

 小町の里には、小町の館、そば処、農産物直売所、直径7mの水車小屋などが
あり、小野小町文芸賞の短歌や俳句を記した歌碑も並ぶ。農産物直売所そばの
芝生で昼食にした。
 
 小町の里からほど近い小野家の奥に進むと、山ふところに立つ杉の大木の下に
小野小町の墓という五輪塔がある。婦人病に悩む人や、美人願望の年頃の娘が
よく訪れたようだ。

 次の東城寺集落の北まで進み、大きな山門をくぐる。常緑樹に覆われた谷間と
石段を上がり、山の中腹に立つ東城寺に参拝する。

 本堂は最近再建されたようで新しい。寺には、県文化財の木造の仏像、石造
灯籠、経塚群などが残されているようだ。中の島のある池も、山を背になかなか
趣ある造りだ。

 黄金田の間を南に進み、音をたてる採石場横を通過して、県道53号の交差点へ。
ダンプや大型トラックの激しい県道を700mほど西に進み、「にいはり園」の矢印を
入る。

 にいはり園の先からつくば市。池のほとりに高崎山古墳群西支群第2号古墳が
あった。全長35m、前方後円の横穴式石室で6世紀後半の古墳とか。人形や
馬形の埴輪(はにわ)が出土したという。

 西側にも水田潅漑用のため池があり、ブラックバスを釣るという釣り人が数人、
桜並木の下で池に糸を垂れていた。

 宮前集落に入り、長屋門の並ぶ集落の西側にある鹿島神社でで小休止。覆屋に
保護された本殿は、色あせてはいたが全面に精巧な木彫が施されている。延享2年
(1745)完成のもので、茨城県指定建造物である。

 色づいた田園地帯に出ると、しばらく隠れていた筑波山の双耳峰が現れた。
小田の町並に入って間もなく、国史跡の小田城跡に回る。

 鎌倉~戦国時代、常陸国(ひたちのくに)南部に勢力をもった小田氏の居城跡で、
現在残る遺構は戦国時代末期のもの。方形の曲輪(くるわ)を中心に3重の堀と
大小の曲輪が取り囲み、史跡の範囲だけでも東西500m、南北600mあるという。

 つくば市では、国史跡の小田城跡を街づくりの一環として保存整備中で、発掘
調査中の場所もある。東北端には、高さ3m近い大きな五輪塔(写真)や、草に
埋もれた20基近い五輪等が並んでいた。

 町を貫く通りに戻って西北に向かう。つくば小田郵便局で風景印を押して
もらい、町外れまで進むと筑波山の山並みが近づいてきた。

 新田集落を抜け、国道125号を横断、大池公園前バス停の交差点を右折すると、
2つの池があった。筑波山の影を映す大池の広い水面に、たくさん水草が浮いて
いる。遊歩道には500本の桜があり、春は花見によさそう。

 もう一つのハス池の北側が、国史跡で千年以上前の奈良・平安時代の筑波郡の
郡役所跡、平沢管衙(かんが)遺跡である。
 
 遺跡は、平成5・6年の調査で、一般の遺跡では考えられない大型の高床式倉庫
が並んでいて、これらの倉庫は当時の税である稲や麻布などを納めた郡役所の
正倉跡と考えられることが分かったという。

 広い芝生地の入口にある案内所で、出土した土器の展示や遺跡案内のビデオが
見られる。芝生の丘陵上には、復元された校倉、土壁双倉、板倉の3棟が、筑波
山を背に並んでいた。

 交差点に戻り、北条の街並みを西へ。鍵の手を曲がって中心街に入り、16時
38分、北条仲町バス停に着いた。本日はここまで。1分後に来たバスで土浦駅
に向かった。

(距離 22km、天気 曇り、地図 常陸藤沢、上郷、筑波、歩行地 かすみが
うら市、新治村(現、土浦市)、つくば市)
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関東山の辺の道(5) 岩間~かすみがうら市下佐谷

2006-04-26 21:37:10 | 関東山の辺の道
 今週後半は、昨年歩いた「関東山の辺の道」のレポートを続けます。


05年4月30日(土)
 連休2日目だが、朝の常磐線普通電車は空いていた。9時16分、岩間駅に
降りる。眼前にそびえる愛宕山(257m)めざして、駅前通を西に向かう。

 国道355号を越え、八重桜やツツジ咲く住宅地を進むと、八幡太郎義家が
勧請(かんじょう)したという六所神社があった。明治5年(1872)の布告で、
村内5社を併合して六所神社と改称したとか。わが家の近くにも六所神社が
あるが、同じ理由なのだろうか。

 緩やかな上り道を、三社神社やホテル、天正宮という神教風の建物を過ぎ、
愛宕山のすそを回って五霊集落南側の田園地帯へ。

 山根集落の山根池周辺は八重桜が満開。集落の最奥にある龍泉院へ上がる。
山を背にした静かな寺。本堂前に古い鐘が置かれ、鐘楼には別の鐘が下がって
いる。境内には、樹齢200年を越すというモクセイがあった。

 戻り道で、すぐ下の家の親父さんに「一服していかないかい」と声を掛けられ
た。もとブリキ職人だったという方。この先の道筋などの話をうかがい、お手製
の七味トウガラシをいただく。

 山根池の先を南に向かうと、花盛りの梨畑が広がり、その先には新芽の柿畑。
山すそでこいのぼりが泳ぎ、新緑がやわらかな彩りを見せる。

 中村の四差路に、弘化4年(1847)の銘で、高さ2.5mほどの二十三夜供養
塔が立つ。道しるべにもなっている。集落が途切れて栗畑が増える。

 つくば健康センター前を過ぎて真家(まえ)集落へ。右手にあった金龍寺には、
平成5年に再建したというりっぱな本堂が出来ていた。近くに、かやぶき長屋門
の家がある。地名と同じ真家家で、近くには真家姓が多い。この通りは高速で
通過する車が多く歩きにくい。

 集落のはずれから、水の入った水田沿いの農道を南に進む。静かな水田に、
近くの森や山並みのやわらかな新緑が影を映す。農水省石岡台地第3揚水機
の横から新谷に進み、谷地田やヒノキ林を抜けて宮ヶ崎の栗林を抜けた。

 八郷町と石岡市の境を走る道に三角点近くまで進むと、右手前方に筑波山が
見えてきた。この辺りでは左右対称の単峰に見える。

 「ふれあいの里石岡・ひまわりの館」と記された新しい施設前を通過する。
柏原工業団地の西側で県道7号を越え、大砂農村集落センターの先でもう1本の
県道7号を通過。西側の竜神山は真ん中が砂利採取で姿を変えている。

 竜神山南麓の旧道に入ると、やわらかな新芽の柿畑が広がる。山ろくを進んで
13時半、常陸風土記の丘に着いた。風土記の丘は八重桜が満開、好天の週末
なので家族連れなどで賑わう。花の下にシートを広げて遅い昼食をした。

 常陸風土記の丘は、鹿の子遺跡周辺の自然豊かな丘陵に造られた歴史、体験
学習、スポーツなどの余暇活用施設。水際公園、ふれあい広場、ちびっ子広場、
展示研修施設、古代家屋復元広場などがある。

 昼食後、風土記の丘を一周し、八重桜、ドウダンツツジ、シバザクラなどの
花や、移築復元された会津の民家、高さ14m、幅10mという日本一の獅子頭
などを見る。

 14時25分に出発、石岡海洋センター前を南に向かい、恋瀬川の粟田橋を
渡る。筑波山を見ながら田植えを終えた水田の間を進み、中志筑集落に入った。

 志筑城跡の表示に従い台地に上がると、緑豊かな志筑小が城跡だった。志筑城
は、源頼朝の家臣、下河辺政義が養和元年(1181)に築城、出羽から移封され
た本堂茂親が正保2年(1645)に陣屋を構え、廃藩置県まで12代の居城となった
という。

 南に下り、八重桜咲く池の先にあった長興寺を訪ねる。慶長7年(1602)の開祖
で、本堂氏の菩提寺とのこと。本堂内に篭が下がっていた。境内には、下半身が
シンプルな五百羅漢が並んでいた。

 県道138号に出て少し先の雲集寺は、解放的な境内、よく手入れされた庭木
がある。この通りは、 本堂氏の城下町の面影をしのばせるりっぱな長屋門の家
や、古いかやぶき家屋、白壁の塀を巡らす屋敷などが残っていた。

 しかし、狭い道に高速で通過する車がわずらわしい。ガソリンスタンド横から
裏道に回って国道64号に抜け、上志筑へ。こちらは庭木が豊かな家が多く、
梨畑には清楚な花が花盛りだった。

 森林総合研究所の研究林沿いに進む。カエルが鳴く田んぼや、新治地方環境
クリーンセンター横を通過、ビニールハウスが並ぶあぜ道や、穂の出た麦畑を
過ぎて、上佐谷集落を抜ける。

 県道64号に出たが車が多いので、すぐ先で左手に入る。栗畑や田んぼの間を
進んでくつぞう橋を渡り、老人ホームそばのY字路を右に向かう。県道を越えて
山本集落を抜け、果物直売店やセブンイレブンのある県道53号に出た。今回は
ここがゴール点とする。

 帰路は、県道を東に500mほどの上佐谷交差点から土浦駅に向かうことにした。
17時13分に着いたが、最終バスまで時間があるので、もう少し歩くことにする。

 県道64号を南へ、常磐自動車道を越えて七合小前バス停まで歩き、17時51分
発土浦駅行きバスに乗った。

 好天で爽やか。あちこちで八重桜、ナノハナ、梨の花などが花盛り、やわらか
な彩りの新緑をたっぷり眺め、春らんまんのウオーク日和だった。

(距離 24km、天気 快晴、地図(1/2万5千) 岩間、石岡、柿岡、常陸藤沢、
歩行地 岩間町(現、笠間市)、八郷町(現、石岡市)、石岡市、かすみがうら市
(旧千代田町))




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筑波山に上がる

2006-04-25 19:49:28 | ハイキング
 4月も終わり近くなり、八重桜も散り始めました。

 モブログで当日、簡単に報告した、4月23日の「カタクリの会」の筑波山山行
の模様です。


4月23日(日)
 筑波山は、日本百名山の中では一番低い山ですが、よく晴れていれば関東
平野のどこからも眺められ、万葉集にも歌われている名山です。

 私が筑波山に初めて上がったのは、1956年5月5日のことですから、ほぼ
50年ぶりになります。

 軽登山のグループ「カタクリの会」の山行は、いつも車に分乗して出かけ、
できるだけ行けるところまで上って高度を稼ぎ、歩くのは少なくして上り2時間
以内というのが原則です。

 今回も、多くの人が上る南側のケーブルの方ではなく、北側からの車道を筑波
山ユースホステル跡駐車場という場所まで上がりました。
 
 天気予報では、午前中に雨も心配されましたが、筑波山ろくに近づくにつれ空
は明るくなり、天気の心配は無さそうです。

 駐車場の標高はおよそ550mですから、870m余りの山頂までは220mほど
の標高差です。参加者19人がミーティングをして、10時47分に出発しました。

 山ろくは、芽吹き始めた淡い新緑で、ヤマザクラもあちこちに咲いていました
が、登山道はまだほんの少し芽が出た程度です。丸太で土留めした階段が
続いています。

 上がり初めて間もなく、カタクリが咲いていました。最初の予定より1週間遅れ
の例会なので、もう時期遅れではないかと来たのですが、思いがけずカタクリに
出会え、「カタクリの会」会員一同としては大変嬉しいことでした。


 「カタクリに混じって、イチリンソウも咲いていました。珍しくうすむらさきの
花です。」と最初に書いたのですが、図鑑を見たらイチリンソウは5弁なのと、
葉が少し違うようです。何の花かご存じの方、教えてください。

 筑波山は、西側の男体山(871m)と東側の女体山(877m)の2つのピーク
があり、その中間の790m~800mくらいのところは、御幸ヶ原と呼ばれる
ちょっとした平坦地で、ここには売店や食堂などがあります。

 11時半頃、売店のそばに上がりました。女体山寄りに小さいぼけ除け地蔵
さんがあったので、「これからもぼけずに、たくさん歩けますように…」と、参拝
しました。

 御幸ヶ原から西側に見える男体山です。


 女体山への上りにかかる手前に「かたくりの里」という一角があり、ここでも
カタクリがたくさん咲いていました。

 全員女体山に上がりました。岩がごつごつした山頂には、小さい女体山御本殿
や877mの1等三角点があります。記念撮影をして御幸ヶ原近くに下り、ベンチ
のある場所で昼食をしました。

 昼食後、希望者だけで反対側の男体山にも上がることになり、7人の一人として
私も参加しました。ケーブルの山頂駅近くから標高差70m余り上がると山頂です。

 こちらの山頂にも男体山御本殿の小さな社がありました。期待された関東平野
の遠望は利きませんが、山ろくの木々や田んぼなどは眺められました。

 昼食場所に戻り13時38分、下山にかかり、もと来た道を戻ります。駐車場には
14時20分に着きました。

 帰りは皆さんと別れ、取手市の従姉妹夫妻の車で桜川市真壁町まで送って
もらい、バスで下館に行き、明日の「関東山の辺の道」歩きのために予約した
ビジネスホテルに泊まりました。

 「関東山の辺の道」歩きのレポートは、まだ残っている昨年の報告に続いて
行います。


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ひょうが降りました(速報)

2006-04-25 13:28:55 | Weblog
 13時15分前後の、10分足らずですが、わが家周辺にひょうが降りました。
2階から見下ろした東側の畑とベランダの写真です。

 ひょうの直径は7mm前後(乾燥した大豆粒)くらいです。





 午前中は雷がゴロゴロしていました。
 現在(13時30分)は太陽が出ています。 
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本日も休載

2006-04-24 23:25:08 | Weblog
 今日は、今年初の「関東山の辺の道」歩きをしました。
 
 コースは、茨城県桜川市(旧、真壁町)からほぼ北上し、茨城・栃木県境を
越えて栃木県真岡市の真岡鉄道北山駅までです。

 帰宅が遅くなったのと、昨年分のこのウオークの報告が残っていますので、
本日のレポートは、別途とさせていただきます。

 東京や埼玉は夕方から雨になったようですが、幸い雨にはあいませんでした。
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筑波山へ上る

2006-04-23 19:54:56 | Weblog
今日は、カタクリの会という軽登山の会の、今年初の例会で筑波山に上りました。
マイカーに分乗して、北側の車道を筑波山YH跡地まで行き、スタート。
下の方は芽吹きが始まりましたが、上はまだ枯れ枝模様。
でも、もう遅いかと思っていたカタクリの花が、たくさん咲いていて、カタクリの会としては、大変うれしいことでした。
山頂からの展望も、遠くは見えなかったけれども、眼下の淡い新緑と、その間に咲く山桜の彩りがよく見えました。
詳しくは、別途、写真付きで報告します。
明日は、関東山の辺の道歩きの続きです。
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関東山の辺の道(4) 内原~岩間

2006-04-21 22:14:23 | 関東山の辺の道
 少し間が空きましたが、昨年4月に歩いた関東山の辺の道のレポートです。


05年4月7日(木)
 四国遍路の後半と、その記録整理などで昨秋以来中断していた、「関東山の
辺の道」歩きを、再開することにした。今回は、茨城県取手市に住む従姉妹の
連れあいとの2人旅である。

 JR常磐線内原駅を9時50分に出発、駅北側の旧道を西に向かう。近くの
住宅のミツマタが花を開いていた。
 
 三湯集落先の松林でウグイスがきれいな声で鳴く。雨が落ちてきたがすぐに
止んだ。友部町最初の集落・原の秋葉神社には、大きな甲子塔、二十三夜塔、
光明真言塔が並んでいた。

 常磐線が近づいた辺りに一本松古墳がある。一辺20mほどの方墳で、墳丘
上に開花前の桜が10数本立っていた。三角点もあるはずだが見つからない。

 こいのぼりの泳ぐ小原集落に入り、県道193号との交差点にある小原神社に
参拝。杉木立の境内に、大きな「小原神社敬神講碑」が立ち、根本にこぶのある
永徳元年(1381)からという友部町文化財の大ケヤキがあった。

 県道を100mどで、お堂の横を右折して北へ。ナノハナの向こうに豊かな屋敷
林に囲まれた旧家が見えるのどかな道、突き当たりが廣慶寺である。

 新秩父8番札所で、曹洞宗らしい落ち着いたたたずまい。門前に、6地蔵を
描いた手前に6本のローソクを立てた、L字形の板木が数枚立っていた。この
地域独特の信仰なのだろうか。

 車道を少し西に進むと、両側にかやぶきの家があった。集落はずれのY字路を
右に入る。槐山集落では太陽が出てきた。南側は田んぼで、土手にナノハナが
きれいな花を見せている。

 涸沼前川を越え、バス道路を久保バス停で横切り、栗畑になっている段丘上に
上がる。宿集落に下ると小さな社があった。

 南に向かう集落の中ほど、右側の深谷家に町文化財サルスベリがあった。集落
の南端にある吉祥院には、小さなお堂の横に、町天然記念物という高さ20mの
イロハモミジが、芽芽生え前の枝を広げていた。

 田んぼ道を少し進んで左折、ブドウ畑沿いに南東に向かう。近くの畑でキジと
ウグイスが鳴く。

 太田町の住宅地に入る。行く手にシダレ桜が見えてきた。台地のすそに完全寺、
光明寺、唯信寺の3寺が並び、それぞれ、ピンクのしだれ桜が5~7部咲きである。

 まず手前の完全寺へ。創建は元亀元年(1570)という。本堂前の桜は一番
大きいだろうか。柵がしてあって境内には入れない。

 隣の光明寺のシダレ桜は山門横にあり、5部咲きくらい。木の下に新しい石造
の観音菩薩像が立つ。本堂西側にももう1本のしだれ桜が、傘を開いたように
咲いていた。

 一番西は唯信寺。鎌倉時代、親鸞聖人に帰依した宍戸藩主宍戸義治の開基で、
800の歴史があるという。若木の白いシダレ桜が満開。明日ははなまつりなので、
本堂前には小さなおしゃかさまが用意されていた。

 境内にはほかに友部町天然記念物のシイがあり、太い幹の上に大きく枝を広げ
ている。シダレ桜のそばのベンチで昼食をした。
 
 国道355号に入って南進、JR水戸線宍戸駅の横を通過する。旧陣屋集落の
小丘陵に神社があり、宍戸城址土塁の表示が立っていた。

 友部町民俗資料館があったので、入館して見学する。建物は木造の洋風建築、
旧宍戸町と友部町役場として昭和33年(1958)まで使われたもので、昨年2月
に国の有形文化財に登録されている。

 館内には、町内から出土した土器、古墳や民族資料、宍戸城、宍戸焼き、町内
にあった筑波海軍航空隊の資料などが展示されていた。

 南に進んでT字路を左折、旧家も残る平町の町並みを200m余り進んで次の
T字路を右折する。南に向かって下加賀橋を渡り、東関東自動車道下をくぐる。

 すぐ先で舗装が途切れ、落ち葉がいっぱいの山道となる。ぬかるみと倒木で
廃道同様だ。でもそのまま進んだら、国道355号に出た。

 国道を斜めに横断し、南側にメタセコイヤの並ぶ池の横を進んで、宍戸国際
ゴルフ場沿いに上がる。
 
 クラブハウスそばの三差路を左折し、ヒノキの下の草道へ。2~3百mで横断
する車道に出た。右折して東北に進んだら、先ほどのクラブハウスの西端付近に
戻ってしまった。

 そのままゴルフ場沿いに西に進み、池の横の三差路を左に入る。滝尻からの
車道に出て、砂利採取場の手前から山道へ。堂山集落北端を東に向かうと滝尻に
出た。

 古い道筋を南に進み、古山の鹿嶋神社境内にある古山地区公民館で休憩。この
先、予定した羽鳥駅まではまだ10㎞以上ありそう。少し早めだが、今日は岩間駅
をゴールとすることにした。

 りっぱな長屋門の家が並ぶ古山から横関を抜け、桜川上流の2つの橋を渡って
国道355号に出た。国道を横断し、岩間小西側から線路沿いを進み、15時46分、
JR常磐線岩間駅に着いた。

(天気 曇後晴、地図(1/2万5千) 笠間、岩間、歩行地 水戸市(旧内原町)、
友部町、岩間町)
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