あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

玉川上水と野火止用水沿いを中心に歩く(東京・小平市)

2020-10-31 18:55:10 | 江戸・東京を歩く
 2020年10月29日(木)

 さわやかな快晴になったので、8月28日(金)以来約2か月ぶりに電車に乗り、市外
へのウオーキングに出かけた。

 市外といってもわが家からは都県境を越えてわずか、電車もひと駅ずつ3回乗り換えて
4駅目の西武拝島線東大和市(ひがしやまとし)駅に9時39分に下車した。


 駅の南側に出ると丸い郵便ポストがある。駅名は東大和市だが東大和市は線路の北側の
みで、南側一帯は小平市である。小平市内には丸形のポストが37あって都内では1位と
か。ちなみに23区内にはたったの5つだけという。
     
 
 ポストの前から電車に平行して南西へと緑陰の続く野火止(のびどめ)用水上散策路を
進む。下を野火止用水が流れているのだが、暗渠(あんきょ)になっているのでその様子
は分からない。
     

 散策路が右カーブすると、線路の北側に西武拝島線玉川上水車両基地の車両が見える。


 散策路にはカシの実だろうか、どんぐりがいっぱい落ちていた。



 野火止用水が玉川上水に合した都水道局の小平監視所の施設の横を進み、まもなく隣の
玉川上水駅前へ。



 南に延びる多摩都市モノレールの高架の手前から折り返し、玉川用水右岸沿いの遊歩道
に回る。

     
 都水道局小平監視所の先で玉川上水が斜面から流れ出るところに下ると、清流復活の碑
がある。この場所は、小平市内で玉川上水の水辺に下りられる唯一の場所だという。




     
 さらに右岸の遊歩道を下流に向かう。南側の新興住宅地の間に畑が何か所か残っていた。




 
 次の橋、西中島橋で玉川上水の流れを見下ろし、左岸に渡って少し戻ると「こもれびの
足湯」があるが、木曜の今日は定休日だった。
     


 こもれびの足湯

     
 西中島橋から、右岸より幅広い左岸の遊歩道を少しで、小平市内の玉川上水の分水のひ
とつ、新堀(しんぼり)用水が流れ出す胎内掘(たいないほり・ほっこぬき)と呼ばれる
ところの、昨年復元された抗口(分水口)があった。
     

 新堀用水は、この先しばらくは玉川上水左岸に沿って小さい流れが続いている。
         

 近くには「国指定史跡 玉川上水」の説明パネルがあり、「玉川上水は羽村取水口から
四谷大木戸までの43㎞にわたる水路で、承応3(1654)年仁完成し、多摩川の水が
江戸市中の広い範囲に供給されて江戸が大きく発展したこと。

  その後、明治31(1898)年に完成した淀橋浄水場への水路として昭和40
(1965)年に廃止されるまで利用されていた」ことなどが記されていた。

 間もなく、東大和市駅横から南下してきた道路が交差する都道の小川橋へ。橋の北西側
に石橋供養塔が立っているが、そばに金網があって正面からは撮れず、右側のみを撮る。
     


 小川橋を渡って右岸に回り、再び右岸沿いの遊歩道を進む。南側は住宅地の横を進んで
広葉樹林に囲まれた上水新町地域センターでトイレを借りる。樹林内にリンドウのような
花が何株か咲いていた。
         


 その先にも保存樹林になっているエリアがある。



     近くのくぬぎ橋を渡って流れを見下ろす。
    


 再度左岸の遊歩道に回るとすぐに百石橋(ひゃっこくばし)。橋を渡ってさらに左岸遊
歩道を少しで「きつねっぱら公園」と呼ぶ小公園があった。
     

 隣接する大けやき通公園も小さな緑地。ここで玉川上水と分かれ、丸木造りのトイレの
横から北に延びる大けやき通に入る。
         

 通の東側は武蔵野美術大の敷地、その一隅の学生寮らしい建物の裏手に柿がたくん実を
つけていた。


 畑の中を平行する2本の通を過ぎて青梅街道が近づいたところに、「竹内家のケヤキ」
と呼ぶ大ケヤキが立っていた。
      
 小平を代表する樹木であり、竹内家がここに移り住んだ寛文年間(1661~73)に
台風に備えて植えた樹木の中の1本とのこと。樹齢300年以上、高さ35m、目通り周
囲6.5m、枝張り面積400㎡あり、市内最大の巨木だという。
     

 すぐ北側で小川橋からの通と青梅街道街道とが合する小平上宿交差点に出た。青梅街道
を東に少しで小川寺(しょうせんじ)前へ。

 小川寺は、明暦2(1656)年に小川九郎兵衛(おがわくろべえ)が小川村の開発を
始めたとき、江戸市ヶ谷河田町の月桂寺住職の雪山碩林大禅師(せつざんせきりんだいぜ
んじ)を勧請(かんじょう)して開山して建立した臨済宗円覚寺派の寺院という。

 青梅街道に面して北向のりっぱな仁王門があり、さらに中門をくぐると右手に本堂が東
向きに建っている。




 広い境内にはりっぱな植栽がよく整えられ、多くの石像や庭石などが配されている。
     


 本堂に参拝後、左手の門を入って本堂背後に回ると、さらに良く整えられた庭園が広が
り、モミジやススキ、多くの庭石や灯ろう、石像などがある。






 それらの間を一巡する遊歩道が巡らされ、玉川上水の分流らしい流れもある。
     


 境内東南側には、その流れを生かした趣ある池も設けられ、そばのジュウガツザクラが
咲き出していた。


 池の前から南側に出ると広大の墓地になっていて、手前南西側に小川村の開拓と馬継場
(うまつぎば)基礎を確立したという小川九郎兵衛墓がある。
     


 中門の東側にある鐘楼も確認して小川寺を後にした。


 そばの手押し信号で青梅街道の北側に回り、すぐ西側のうっそうとした鎮守の森に祭ら
れた小平神明宮に入る。
     
 小川神明宮は、明暦2(1656)年、「逃げ水の里」といわれた不住の地に、開発の
ため移住した人々の守護神として阿豆佐味天神社(西多摩郡瑞穂町)の別宮から選祀し鎮
座されたとか。
     
 鳥居を入ると、100m余りの長い参道は武蔵野特有のケヤキ、エノキ、ムクなどの広
葉樹におおわれ、何本かのケヤキが市の保存樹木に指定されていた。


 正面の本堂に参拝してから境内を一巡する。右手には八幡神社、八雲神社、春日神社を
祀る東殿があり、他に幾つもの建物がある。

     
 拝殿の西側には小平市保存樹木の大イチョウがまだ緑いっぱいの葉を広げ、その下に神
米として奉納されたらしいワラがはさ木に干されていた。

     
 参道の途中には、水の恵みに感謝する「御井神 水波能売神」の額のかかる小さい祠が
祀られ、傍らから地下125mの水脈からくみあげた清水が流れ出ていた。
         

 境内の東側、園児の歓声の絶えない小平神明幼稚園を見ながらが参道を鳥居際まで戻る
と、りっぱな小川村開拓碑が立っているが碑文は判読しがたい。
     

 鳥居際には日露戦役の戦歿者慰霊顕彰と従軍者顕彰という戦捷記念碑があり、碑文は乃
木希典大将と思われる希典書と刻まれている。
      

 青梅街道を小平上宿交差点まで戻り、さらに西進して小平消防署出張所交差点を右折し
て大ケヤキの横から北に延びてきたけやき通りに入る。西武新宿線の踏切を越えて栄町の
北側で野火止用水の橋際へ。

     
 橋の北東側には用水工夫像(ようすいこうふぞう)があり、通りの西側から流れを見下
ろし野火止用水左岸の遊歩道に入る。
     

 こちらも玉川上水の遊歩道同様、落葉広葉樹林下に歩きやすい土道になっている。
     

     
 少し先で流れは左折して南西へと向きを変えて暗きょとなり、暗きょの上を人工のせせ
らぎが設けられ、その一部にホタルを飼育するエリアもあった。
     

 500m余りで西武新宿線の高架下をくぐって青梅橋際へ。青梅橋は野火止用水を青梅
街道が横断するために架けられたもので、昭和38(1963)年に暗渠になったという。

 スタートしてゴールの東大和市駅はすぐ先、当時の駅名は青梅橋駅だった。13時39
分に着いた。


 駅の北側、青梅街道沿いの食堂で昼食をして、14時10分発上り電車に乗る。

(天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 小平市(大半が立川
市と東大和市との市境)、歩数 16,100)




アウトドアランキング


にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2000年秋、標高2000mの行田山へ(山梨・早川)

2020-10-27 20:10:03 | ハイキング
 2020年10月27日(火)

 数日前、古い段ボールのひとつを開けたら、20年前の今日、標高2000mの山に登
山したときにもらった登山証明書が見つかったので、その記録も探してみたらあった。

 写真もあるはずだが別の段ボールなので近日中に探すことにして、とりあえず当日の記
録と登山証を紹介する。

========================================

 == 全国ただひとつ、2000mの山 行田山に上る ==

 2000年もあと2か月あまりとなった10月27日(金)、全国でただひとつだけの
標高2000mの山、山梨・静岡県境にある行田山(ぎょうだやま)に記念登山した。

 前日の10月26日(木)9時20分に西武新宿線花小金井駅で、この山行を企画した
小金井市のMさんの車に乗る。いったんM家に寄った後、国立府中ICから首都高に上が
り、渋滞もなく順調に中央自動車道に入る。

 甲府南ICで中央道を下りて国道140号線に入り、間もなくの「道の駅とよとみ」で
昼食をする。周囲は田園地帯、まだ刈り取り前の色づいた稲穂も見え、田んぼの西には櫛
形山の山並みが広がる。
 
 650円の与一公定食というのを食べたが、盛りも良く味もまずまず。道の駅がある豊
富村(現 中央市)の目玉はシルク。村内の「シルクの里公園」にある郷土資料館にはシル
クの展示室があり、この食堂にもシルク入りのシルクラーメンというメニューがあった。
道の駅には農産物直売所もある。
 
 13時に道の駅を出て、笛吹川沿いに国道を身延町(みのぶちょう)方面に向かう。市
川大門町で国道52号線に入り、釜無川(かまなしがわ)を合して富士川となった川沿い
に南下する。硯(すずり)の里、和紙の里、句碑の里などの標識や、幅広くなった富士川
を見ながら鰍沢町(かじかざわちょう・現 富士川町)から中富町(なかとみちょう・現
身延町)へ入り国道に分かれる。

 早川橋を渡って早川沿いに入ると間もなく早川町(はやかわちょう)。深い山の斜面に
長い導水管が見える。早川町は南アルプスの水を集めた早川沿いに水力発電所が多く、発
電量は山梨県内の4割を占めるという。
 
 役場の少し先で早川に分かれ、雨畑川(あめはたがわ)の沿いに入ると左岸の斜面中腹
にに付いた道は1車線になる。細いトンネルを抜けて雨畑湖の北側に出た。湖面は下がっ
ていて水はほとんど無い。湖の中間点に突き出た半島の付け根に今日の宿、ヴィラ雨畑が
あった。14時25分に着く。

 今日は気温が24~25℃くらいに上がり季節外れの暖かさ。窓を開けて外気を入れる。
湖岸の桜や周囲の山の斜面上部は紅葉が始まり色づいている。夕食は川魚の塩焼きや野菜
などが中心のヘルシー食。おいしくいただいた。


 10月27日(金)は5時半に起床した。昨日ほどではないが晴。しかし昨日見えた雨
畑湖の上流、行田山方面の稜線には雲がかかっている。

 6時過ぎに西側の山の斜面に陽が差し込み、紅葉の色が冴える。7時からの朝食を済ま
せ、7時50分にMさんの車で18㎞先の行田山駐車場に向けて出発する。

 雨畑湖の奥にある雨畑集落は、狭い道路沿いの斜面にへばりつくように昔ながらの住宅
が並ぶ。その先は、雨畑川左岸からかなり上がった斜面に急カーブの連続する林道が続い
ている。

 トンネルを抜けたら舗装がはがれて大きな穴が開いていたり、手で持てないような大き
な落石があったり対向車が来たりして、運転するMさんは気が抜けず、助手席の私も周囲
の紅葉をゆっくり眺める余裕はなく、もっぱら前方を注視する。

 数戸ずつの小さな集落を4つほど抜けると舗装が終わり、カーブミラーもなくなった。
急斜面を削って作った林道は降雨量も多いのか道路の痛みも激しいようで、何か所かで道
路の補修中。

 工事用のダンプカーが来ると行き違い出来る場所にバックしたり、ショベルカーで掘削
中のところで待ったりして、8時55分に標高1600m地点にある行田山駐車場に着く。

 林道の途中からガスがかかって見通しが悪くなったが、駐車場は雲の上。雲海の上に青
空が広がり北側の山が見えてきた。周囲の針葉樹の間に見える紅葉も見ごろ。さすがに気
温は低くて10℃前後か、手が冷たい。不要の荷物を車に置き、9時15分、「熊出没注
意」の標識が立つ行田山登山道に入った。

 しばらくは稜線の北側斜面トラバースする緩い上り道を、行田山の東北に伸びる稜線に
向かう。ブナやツガなどの広葉樹とモミなどの針葉樹の混じる林。石ころの多いところも
あるが、道は整備されていて迷うことはない。木道の連続する場所も何か所かあった。

 カラマツやツガが増えて北側の展望が開けてきた。南アルプス南部の山並みが正面に現
れ、槍ヶ岳のような鋭いピークの山も見える。しかし展望も長くは続かずガスに隠れ、や
がて全く見えなくなった。稜線が近くなり、クマザサや立ち枯れの木が増えてきた。

 行田山から八紘黎(はっこうれい)(1918m)に延びる稜線に出た頃には、木の上
にたまったしずくがポトポトと落ちてきた。トウヒやシラカバ、シラベなどの多い稜線を
20分ほど戻るように進んで、10時57分に行田山山頂に着いた。標高1999.7m、
四捨五入して国内ただひとつの2000mの山である。

 ガスで視界は全く利かない。急斜面のがけがそぎ落ちている南側の静岡県側から冷たい
風が吹き上げてくる。防寒用に雨具を着たが寒い。まず、早川町が立てた今年限りの登山
証明書申し込み用のポストに申請書を投函する。

 山梨県では行田山と呼ぶが静岡県では大谷嶺(おおやれい)と呼び、山頂には両方の標
識が立っている。Mさんと交代でそれらの前で記念撮影をして、ミレニアム記念登山の成
功を祝った。記念登山のパーティが数組、あい前後して上ってきた。

 早川町が1月1日に設置した2000年記念の石のレリーフがあったが、三角点は見つ
からなかった。大きなナナカマドの木に赤い実がたくさん実っている。

 天候が回復する兆しはなく、休んでいると一層寒いので11時40分に下山にかかる。
帰りも往路を戻る。時折ガスが晴れて遠くの山が見えるが、またすぐに見えなくなる。駐
車場に近づくにつれて天候は回復し、紅葉、黄葉の色が鮮やかになり、緑の針葉樹の間に
素晴らしい彩りを見せてくれる。13時19分に駐車場に戻った。

 朝、雲海の上に見えていた北側の布引山(2584m)と笊ヶ岳(2629m)の展望
多一層良くなっていた。駐車場の隅に湧き出ている冷たい水でのどを潤し、ポットにも入
れる。ヴィラ雨畑に戻って昼食をするつもりで弁当は作ってもらわなかったが、意外に時
間をとってしまった。カロリーメイトで少しだけエネルギーを補給して、13時45分に
帰途につく。

 往路には気がつかなかったが、雨畑集落の近くまで下がったところに見神の滝というの
があった。100m以上はあろうかと思われる断崖絶壁からほとんど垂直に落ちてくるみ
ごとな滝。都会に近ければたくさん見に来るだろうと思われる素晴らしい景観である。

 帰途、ヴィラ雨畑と早川町役場に寄って無事登頂を報告する。遅い昼食は前日も食べた
道の駅とよとみで。夕食の時間にも近い16時半を過ぎていた。

 道の駅でゆっくり食事と休憩の時間をとる。帰りの中央自動車道も順調に進む。20時
20分に西武新宿線花小金井駅前に着いた。


 山頂で投函した登山証明書申請書に基づき、11月に役場からはがき大の登山証明書が
送られてきた。


      はがき面
     

  どこで入手したか思い出せない鈴もあった。     
           


 ちなみに、今年と同じ標高、2020mの山に登山された方もおられることでしょう。



アウトドアランキング


にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋深まり柿の実色づく

2020-10-25 17:47:10 | 所沢だより
 2020年10月25日(日)

 ギックリ腰になって1週間経過し、かなり回復しつつありますが、まだディスクトップ
パソコンの前に長く座っているのは良くないので、短く今日のウオーキングで見つけた柿
の実などをご覧いただくのみとします。

 わが家の近くには古くから農業をされていた民家の多いエリアがあり、それらの家には
柿の木が多く、秋の深まりとともに色づきも良くなってきました。






    



      庭の一隅にユズの実の色づくお宅もありました。
     

    

 この家や近くの家にも柿が。






 こちらには小さな実がいっぱい。




 周辺の家にも柿が。


     

 西武池袋線の小手指駅に近い小公園では、ハナミズキも紅葉に衣装替え。




    

 わが家近くまで戻ってくると、古くからの民家の庭先の皇帝ダリアがかなり大きくなっ
ていました。

 そろそろ花が咲き出しそうで、冬の近いことが感じられます。

 今日は1日じゅう.雲ひとつない快晴、所沢市の気温も20℃をわずかに越えたようです。

 これだけの入力も、1度では腰が痛くなりそうなので2度に分けました。パソコンの前
に座っているより、歩いている方が腰への負担ははるかに少ないようです。



埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢情報へ
にほんブログ村


 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギックリ腰になり、しばらく休みます

2020-10-19 21:39:59 | Weblog
 2020年10月19日(月)

 雨が上がった昨日、市内ウオーキングから戻ってから、わが家の猫の額の庭の落ち葉
掃きや伸びてきた木の枝や草花の剪定をしたのですが、チョット腰をかがめて剪定した
際にギックリ腰になってしまいました。

 かなり痛くて、たびたび通っていた近くの整形外科にも行けず、自宅で自然回復を待
つことにしており、デスクトップパソコンにも少し長い時間座っていると痛みが出るの
で、しばらくの間投稿を休みます。

 今日は午後、市役所に行く用事もあったのですが、当日キャンセルせざるを得ず、迷
惑をかけてしまいました。このことについては別途報告します。
 
 そのような事情ですので、明日以降は少し日にちをおいてからのぞいてみてください。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月も半ばとなり秋の彩り増える

2020-10-15 17:55:12 | 所沢だより
 2020年10月15日(木)

 10月も半ば、ようやくカキの実など色づき、秋らしい彩りが増えてきました。この3
日間の市内ウオーキングで目にした秋の彩りです。

 わが家から近い、東川(あずまがわ)沿いの畑に実るカキ


    

 民家の横の畑に1本立つハナミズキ




      その民家の庭のこの実が紫色に色づくのはもう少し先のよう。
     

 先日紹介したヒガンバナの上のウメモドキ


    

 東川の調整池際にはセイタカアワダチソウが咲き出していました。
     

         

 一巡して戻ってきたわが家近くの幾つかの民家のカキ。








     

 たくさん実をつけたウメモドキも




     昨日回った所沢航空記念公園のハギ
    



    

 公園内の日本庭園に咲き残るススキ。


 バラ園では秋バラが、少しながら花も見せ始めています。


          



    

         

         



     

 公園の中央から南に伸びる園路のサルビアは、まだきれいに咲き続けていました。




 南側入口付近のケヤキも秋の装いに。


 今日は小手指方面に向かいます。国道463号線バイパス沿いに咲いていたムラサキシ
キブ


 近くの畑には、まだアサガオも頑張って咲いています。


 同じバイパス沿いの民家のヒャクニチソウ




 小手指駅の北口に回り、国道463号本線沿いの事務所だったかのブロックに植えられ
ていた黄色の色濃いヒガンバナがまだ咲き残っていました。


 このところ天候もぐずつき気味の日が多く、なかなか市外まで足を伸ばそうという気に
なりません。そのうちに、寒さが気になる日々が迫ってきそうです。




埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢情報へ
にほんブログ村
           
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1964年10月開催の東京オリンピック用 電話番号簿

2020-10-12 21:11:58 | アーカイブ
 2020年10月12日(月)

 一昨日に続き今日も、1964年10月開催の東京オリンピックのコレクションです。

 前回紹介した東京オリンピック大会の記念切手は、お持ちの方もまだかなりおられる
かと思いますが、今日は東京オリンピック用の電話帳(当時は「電話番号簿」とよんで
いました)で、これを入手されて保存されておられる方は少ないのではないでしょうか。

 東京オリンピック関係者用に発行されたもので、市販もされたので私も購入しました。

      まずは表紙から
     
 サイズはA5判で149頁あり、言語は日本語、英語、フランス語の3カ国語で掲載
されています。
     

 掲載されているのは、利用案内と大会関係電話、外国公館、そして一般加入電話の中
では大会に関係の深い病院、ホテル、銀行、航空会社、船舶会社、旅行案内所、新聞社、
通信社、放送局、外国報道機関、劇場・寄席、ハイヤー、デパート、博物館・美術館の
電話番号などです。
     

 電話番号は省き、ところどころにある広告頁の幾つかを以下に紹介します。当時の商
品や建物などのことを思い出され方もおられるのではないでしょうか・・・

     

         

 東京にあった放送局は、ラジオ、テレビ合わせてこれだけでした。
     

         

     

         

     

      都心や観光地のホテルなど
     

         

     

         

 まだ全国どこへも自動ダイヤルで接続できる時代ではなく、一部の地域には交換手を呼び
出して接続してもらっていました。その申し込み番号など。
      

      発行者など
      

 最後は裏表紙、表紙とともに回転ダイヤルがデザインされていて、まだプッシュホンもあ
りませんでした。
      

 加入電話(固定電話)を申し込んでも需要に供給が追いつかず、家庭用電話などは何年も
待たされた時代、自宅に固定電話を持たずスマホだけの方も多い現代とは大変違う電話事情
でした。



人気ブログランキング


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1964年10月開催の東京オリンピック記念切手

2020-10-10 15:09:48 | アーカイブ
 2020年10月10日(土)

 台風14号の接近でこの3日間はわが家周辺も雨が降り続き、外出もままなりません。
そこで今回は、半世紀以上も前の古い話題を。

 今日は、1964年に開催された東京オリンピック開会式から56年になります。

 あの日は、前日の冷たい雨が上がって快晴になりました。当日は私も開会式を当時の国
立競技場で見ることが出来ましたので、そのことを6年前に紹介しています。

 東京オリンピックの開催にあたっては、4年前の1961年からオリンピックにちなむ
記念切手が発行され、私も当時勤務していた大手町の職場から近い東京中央郵便局ですべ
て購入していました。

 それから何年か後に、記念切手のシリーズごとにまとめたファイルを作っていて、その
中に1963年6月から1964年10月までに発行された東京オリンピックの記念切手
が2枚のシートに保存されていました。



 
 ところが別の切手シートファイルを見直してみたら、このシリーズ切手は1961年か
ら発行されていて、それらのシートが少しずつ欠けてはいますが残っていたので、上のも
のも含めて、以下にシートごとに紹介することにします。

 最初の1961年は10枚ずつのシートだったようで、その3種のシートをまとめて。
開催された競技種目は20あり、それらが順次発行されました。

 左からレスリング、陸上競技、水泳・飛び込み

 1962年発行分

   体操競技 


   柔道


   水球


   フェンシング


   バスケットボール


   漕艇

 1963年発行のもの

   バレーボール


   ヨット


   射撃


   ホッケー


   自転車競技


   馬術


   ボクシング

 開催の年1964年発行分

   カヌー


   近代五種
  

   ウェイトリフティング


   蹴球、英語表記はFootballです。


    
       聖火


   国立競技場

    
 上から50円の駒沢体育館、40円の屋内総合競技場、30円の日本武道館で、ともに主
会場の国立競技場とともに主要競技会場でした。 

 さらに開会式に出かけた際に、国立競技場の最寄り駅である国鉄中央線の信濃町駅で求め
た20円区間の切符も見つかりました。
     

 さて、今年開催予定だった2回目の東京オリンピックは、全世界に広がった新型コロナウ
ィルスの感染拡大で来年に延期されましたが、依然として多くの国で感染拡大が治まりそう
にありません。はたして開催できるようになるのでしょうか・・・  




関東地方ランキング


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所沢航空記念公園周辺の彫刻や記念碑など(埼玉・所沢)

2020-10-05 21:58:59 | 所沢だより
 2020年10月5日(月)

 西武新宿線の航空公園駅東口↓から市役所方面に向かう通りに、彫刻があることは知っ
ていましたが、5点ありどのようないきさつで設置されたかは知りませんでした。

 市の広報10月号にその紹介があったので改めて見直し、さらに航空記念公園内にある
航空機ゆかりの記念碑などについても、最近入手した「ところざわ 航空発祥の地 所沢航
空記念公園めぐり」というリーフレットに解説があったので、以前紹介したこともありま
すが、改めてご覧いただくことにします。


 航空公園駅の駅舎は「関東の駅百選」に選定されていて、航空発祥の地にふさわしく発
祥当時の複葉機をイメージしたデザインになっています。駅舎の中央にある時計の針は、
プロペラがモチーフになっているのです。


 その東口を出てすぐのロータリーで目に入るのが、「天翔」と呼ぶモニュメント。

 東口を出て航空記念公園への陸橋方面に向かう広場には、このような噴水がありますが、
最近は水の出ているのを見たことはありません。


 市役所方面に向かう交差点の手前に、所沢市ロータリークラブが設置したモニュメント。
     

 その先にはYS -11型航空機が。戦後に日本で初めて開発された旅客機です。


 交差点を渡って、所沢市役所から所沢郵便局、所沢警察署へと続くケヤキ並木の街路樹
の歩道に、「みどりの中のギャラリー」と呼ぶ5点の彫刻が設置されています。


 この作品は、良好な都市景観の形成や文化的なゆとりと潤いを目指すという目的で、市
が公募して応募のあった26点の作品から市民へのアンケートなどをもとに選ばれた作品
で、平成11(1999)年3月に設置されようです。

 最初は市役所入り口近くにある「風の道標」、柳澤 飛鳥 作

 見方によってはプロペラや飛行機の羽に見える作品で、所沢といえば「航空」というこ
とで、航空公園駅から歩いて最初の彫刻となるように設置されたとか。

 この通りはしょっちゅう歩いているのに、この彫刻には気づきませんでした。

 市役所庁舎の東北隅近い歩道にあるのが「増殖-生々流転」、宇野女 宏平 作

 「立方体から何か出てこようとしているのだろうか・・ 彫刻なのに見ているとこれら
の物体がうごめいているように思えてきて、不思議な感覚を覚える作品です。」と紹介さ
れています。 この彫刻も、目にした記憶がありません。

 3番目は市役所敷地の東北側、手押し信号交差点際にある「LOVE」、佐々木 実 作

 「LOVE」という文字の形をした彫刻ですが、近づいてよく見ると人物がポーズを取
って文字を作っています。近づいて人形の表情にも注目してみるのもよさそう。

 信号を渡ると郵便局ですが、その入口近くの歩道にあるのが「踊」、高橋 勝 作

 「大理石を使った重厚な彫刻ですが、「踊」のタイトルのとおり、今にも踊り出しそう
な躍動感があります。ダイナミックに削り出された作品の表面も、見ていて面白くなりま
す。」と説明されています。

 郵便局を過ぎた辺りから望む前方。右手には警察署があり、その奥に少し見えるのは所
沢市民文化センター「ミューズ」です。
     

 最後、5番目の彫刻は警察署敷地の東北側、交差点際にある「雪雲」花岡 篤夫 作。

 「山頂にかかった雲を表現した作品で、見るときにはぜひ下から眺めてください。自然
の壮大さが伝わってきます。まるで山のふもとにいるような感覚になります。」と記され
ています。

 この彫刻もほとんど記憶にありません。よく通っている通りでもいかに散漫に通過して
いたのかと思い知らされました。

 さて、この交差点を右折して県税事務所とミューズの間の市道を進み、航空発祥記念館
の駐車場の間から航空記念公園に入ります。

 南側からの所沢航空発祥記念館

 埼玉県が、所沢を日本の航空発祥の地として永く伝えるために航空資料の収集をして、
平成5(1993)年4月に開館した航空機に関する県営の博物館です。

 右手の大きなドームがメインの展示場、左手のドームは映像館で、縦15m、横20m
の大型スクリーンによる立体感あふれる映像が観られます。

 航空発祥記念館前には、航空自衛隊で使用したC-46A型航空機。

 アメリカのカーチス・ライト社製で、1040年から3,180機を製造したとのこと。
当初は軍用輸送機として使用され、戦後は多くが民間旅客機として使用されたよう。

 当機は、隣の市にある航空自衛隊入間(いるま)基地で使用されていたものを、昭和
55(1980)年12月に航空自衛隊から貸与され設置されたとのこと。

 最大速度433km/h、航続距離2,000km、乗員5名、輸送人員50名とか。

 その前に設置された「航空発祥の地の地」碑。

 自然石を利用した石碑で、所沢市と所沢航空資料調査収集する会により建設されたもの。
傍らには説明パネルも。


 碑の前から西に延びる緑地が当時の滑走路跡で、その東端に航空機をモチーフにした2
つの展示物があります。

 
 滑走路跡の西端の南側には、大正天皇駐輦(ちゅうれん)碑と説明パネルが。
      

 

 南東に少し下った日本庭園南側斜面中腹にあるのが「フォール大佐胸像」と説明パネル
     



 野球場の北側から東北にあがり、公園中央部の放送塔のあるロータリーから東に少しで、
少年航空兵像があります。健児の塔とも呼ばれているよう。 
     
 昭和18(1943)年に彫刻家長沼孝三氏が「翼を抱き、空を見上げる少年航空兵3
人の姿は操縦・通信・整備の協力によって飛行機が飛行すること」を彫刻したもので、1
年後に所沢航空整備学校内にあった建空神社参道に設置され、当時の少年飛行兵や整備兵
たちのシンボルとして崇拝されていたよう。

 戦後は米軍基地として接収され、昭和46(1971)年の一部返還に伴い公園内に整
備されたのですが、長年の風雨で痛みが激しくなり平成9(1997)年に修復工事をし、
さらに平成17(2005)年に台座を新設してこの場所に設置されたとのことです。

 その前をさらに東進して時計塔のあるロータリーを過ぎます。
     

 そのロータリーの南東側は林になっていますが、その辺りはかつて池があり、少年兵の
憩いの場所だったようで「荒鷲達の憩いの庭園」と呼ばれ、特攻隊員が基地に向かう時の
憩いの場でもあったとのこと。



 さらに南東側に回ると休憩所↑の建物の北側に芝生広場があります。

 この辺りは「グラブパーキングロット跡」と呼ばれ、米軍が基地として利用していた時
の駐車場やダンスホールがあった場所のよう。

 休憩所から南西に下ったところにあるのが「木村・徳田両中尉記念塔」です。


     



 その東側、時計塔から下ってくる道路際にはバスケットボールの練習用コートがあり
ます。
     
 ここは旧日本陸軍気球隊本部があったところで、戦後は米軍のスポーツ広場としてバ
スケットボールなどの運動場所として使用され、米軍が使用していたときの支柱跡が残
っているというのですが、2つのゴールポストがそうなのかは確認できませんでした。

 このように、所沢航空記念公園とその周辺には幾つもの見どころがあります。興味の
ある方は一巡して訪ねてみてください。
 
 ちなみに、航空記念公園内については以下のA3判4つ折りのリーフレットに詳しい
説明と園内地図が掲載されています。
  

 私は元町交差点際にある市の観光拠点「野老澤町造商店」で入手しましたが、航空記
念公園の北西側にある市役所別館(もとNTTの営業窓口だった平屋の建物)の観光課
や公園内の管理事務所などにもあるかもしれません。
 



埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢情報へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする