あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

中山道 蕨宿 歴史民俗資料館周辺をめぐる(埼玉)

2012-09-27 21:10:05 | Weblog
 昨日、9月26日(水)午後、埼玉県蕨(わらび)市内での手鞠(てまり)作品展を観
覧後、周辺に残る中山道(なかせんどう)蕨宿の面影を偲ぶものなどを探しながら、JR
京浜東北線の蕨駅に向かいました。

 ちなみに、蕨市の面積は5.10平方㎞で全国の市の中で最も面積が狭く、人口は約71,760
人(2012年6月推計)、人口密度は14,070人/km²で全国の市町村で最も高いとのこと
(東京23区は14,480人/km²)です。

 北町2丁目の作品展会場から、中山道を市役所通りとの交差点に向かうと、古い薬局の
建物が残っていました。ちょっと読みにくいですが、看板は右書きです。


 その斜向かいにも、宿場の面影を残す建物が見られます。


 旧中山道の通り。


 この通りの歩道には、中山道六十九宿の浮世絵のタイルが埋め込まれています。


 江戸方向の次の宿場は板橋宿。蕨宿は日本橋から2番目の宿場です。

 京都方向には、次の浦和宿への距離が示されていました。

 市役所通りとの交差点近く、さぬきうどんの店のそばに立つ、小さな仙の鐘。


 この通りの側溝のふた


 マンホールのふたも、中山道蕨宿の文字と旅人のデザイン。


 交差点際の蕨宿本陣跡に、蕨市立歴史民俗資料館があるので入館しました(入館無料)。
中山道ウオークや別のウオーキングなどでも来ており、何回目かの入館です。


 玄関ホールの奥では、昭和30年代に関する展示が並んでいました。
 
 これは昭和30年代の食べ物などの物価。現在と比べるとどんなものでしょうか…。


 その頃の映画のポスター。ご覧になっていますか?


             

 レコードのジャケット。この中に、私も求めたのが1枚ありました。


 主要展示室は「蕨宿の世界」がテーマ。中心にあるのが中山道蕨宿の江戸時代の模型。


 当時の商家のようす。


 本陣上段の間。大名や貴人が休泊するところとか。


 弘化元年(1844)5月、牧野遠江守が宿泊時の夕食の献立。


 旅人宿


 織物の町・蕨の織機、これは明治以降のもののよう。


 2階の企画展示室では、「忘れ得ぬあの時 ~戦中・戦後の暮らし~」というテーマで、太
平洋戦争の開戦を報じる新聞や、臨時召集令状、回収された鉄類や金属に代わって作られ
た陶器製の代用品や、当時の写真が展示されていました(この企画展は9月30日まで)。




 歴史民俗資料館を出て市役所通りに入り、市役所の崎にある和楽備(わらび)神社に参
拝しました。


 最近改築されたらしい社殿。


 江戸時代初期のものと考えられるという、安山岩製の大型水盤。上野寛永寺に旧在した
ものともいわれているようです。


 境内の一角には、神饌米(しんせんまい)の栽培をしている小さなスペースがあり、
4/5はもう刈り取られていました。


 その背後にある末社のひとつ、色鮮やかな稲荷社本殿。17世紀末から18世紀初めの
建立と考えられているよう。


 境内に接した南側は蕨城址公園。蕨城は、南北朝時代に渋川氏が居を構え、大永4年
(1524)に北条氏綱により攻撃され破壊したといわれ、江戸時代には徳川家康が城跡
に御殿を置いたようです。


 公園の隅に、成人式発祥の碑が立っています。1946年(昭和21年)から開催され
ている成年式が成人式のルーツといわれているとのこと。


 そばに、サミエル・ウルマンの詩「青春」碑もありました。


 神社と公園との境界付近のヒガンバナは、今年の猛暑で咲き遅れているのか、まだつぼ
みです。


 ここから、JR蕨駅までは10分足らずです。




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中山道蕨宿で手鞠(てまり)作品展を鑑賞(埼玉)

2012-09-26 22:46:25 | Weblog
 2012年9月26日(水)

 長かった残暑も去り、雲が多いながら好天となった午後、JR京浜東北線の蕨(わらび)
駅に降り、中山道の面影が残る蕨宿の本陣跡に近い、「ポワン」と呼ぶ軽食カフェで開催
中の、手鞠作品展を観覧してきました。




 この作品は、カントリーウオークグループにご夫婦で参加されている、NKさんの作品
です。


 コンパクトなお店の三か所のカウンターに、たくさんの作品が並んでいました。



 ケースに入っているので、彩りが分かりにくいかと思いますが、実際はもっと鮮やかな
ものばかりです。


 NKさんの手まりづくりは、もともとはお母様が70歳の誕生日にプレゼントされた手
まりづくりの本がきっかけで、毎日手まりをかがるようになり、90歳からは地元で教室
を始め、101歳で亡くなられた後をNKさんが引き継いで、やはり70歳から作り始め
たとのことです。





 正面のカウンターに並ぶ作品。




 左手の壁面に吊されたミニ手まり。




 その横にも、緻密(ちみつ)できれいな作品が幾つも。




 私のカメラよりずっときれい。夫のNAさんが自宅で撮られたもの。

 NAさんは、地元さいたま市のカメラクラブで活躍されています。

 会場の、北町カフェ ポワンは、旬の素材・食材・調味料を吟味し、日替わりのサンドイ
ッチやおにぎり、独自レシピのマフィンなどのスイーツを、テイクアウトできるお店です。






 わずかながら店の隅にテーブルもあり、できたてのパンや菓子、飲み物などをいただく
こともできます。

 なお、この作品展は、9月27日(木)まで開催しています。

 この後、近くの蕨宿歴史民俗資料館と和楽備(わらび)神社に寄り、蕨駅から帰路につ
き、池袋経由でわが家の最寄り駅、西所沢に下車しました。

 自宅までに戻る途中の西の空は、秋の到来を告げるかのような、きれいな夕焼けとなり
ました。








 でも、予報では明日は夕方から雨になるようです。


 

 








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秩父ジオパーク歴史道 武甲の里山歩き 六番峠から風の道(埼玉)

2012-09-24 23:23:53 | ウオーキング
 2012年9月22日(土)

 秩父ジオパーク歴史の道シリーズ「武甲の里山を歩く」の第3回として計画された、
「六番峠から風の道」ウオーキングに参加した。


 集合は西武秩父線の横瀬(よこぜ)駅。NPO秩父まるごと博物館の中谷理事長の
挨拶と、コース設定をした山里探訪会代表の飯野さんからコース説明があり、参加者
39人は10時2分に出発した。

 駅前から東北へ、横瀬町役場の横から国道299号に合する旧道に出ると、国道際
に「齋」と記された土蔵が見える。

 創業者が京都で神官をしていて御神酒造りに励み、清酒「武泉」の酒造所だった斉
藤酒造のもの。埼玉県でいちばん小さな醸造所だったという。

 国道に出て町民会館の横を北に入り、横瀬町歴史民俗資料館に行き、学芸員から説
明を聞く。


 展示ホールには、武甲山御嶽神社の宮殿複製、近くの和田河原で打ち上げた花火な
どが展示されている。


 常設展示室には、武甲山をめぐる自然や、町内で出土した土器や石器、農林業に使
われた用具などが展示され、特別展示室には、秩父三十四観音霊場に関する展示が並
んでいた。

 入口前の植え込みには、武甲山に生育する植物16種が移植されていて、中には絶
滅危惧種に指定されているブコウマメザクラ、チチブヒョウタンボクなど貴重なもの
も見られる。


 里道をS字状に北東に向かう。横瀬川の新田橋からは、白山淵と呼ぶ流れが見下ろ
せ、北岸の断崖には断層が見られた。


 このあたりには江戸時代、直径6mの大水車が回り、80本もの杵(きね)が動い
て、火薬製造をしていたという。

 橋の先にはウオーターパークシロヤマと呼ぶ小公園があり、小さな白山神社が祭ら
れている。

 「今市」と呼ぶ屋号の町田家の先祖が、加賀の国鶴来(つるぎ)の白山神社を勧請
(かんじょう)したもの。流れの断崖上には東屋(あずまや)も設けられていた。

 さらに北へ、寺坂を上がると、道路いの畑に秋ソバが花盛り。その先の斜面一帯は
「寺坂の棚田」と呼ばれ、黄金色に色づいた棚田が広がり、ヒガンバナもチラホラと
咲き出している。


 寺坂の棚田は、約5㏊の斜面に350枚の棚田があり、2001年に寺坂棚田学校
が開校され、放置されていた休耕田を古代米を植える試みを中心に復活させ、2003
年からは棚田オーナー制度も取り入れているという。


 久しぶりに収穫直前の黄金田と、はさ掛けの並ぶ棚田の素晴らしい景観を眺めるこ
とが出来た。青米と呼ぶ古代米の田↓もある。


 南面には、山頂を雲に隠された武甲山(1304m)がそびえ立ち、山ろくの三菱
マテリアルの工場群も望まれる。


 新田橋の近くまで下り、秩父札所巡礼道の立て札に従い、T字路を南東に向かう。
苅米(かりごめ)橋を渡ったあたりからも、ソバ畑の向こうに武甲山が望まれた。


 次の古山橋の先の左手は、武甲山から聖観音を移して祭った、札所六番荻の堂卜雲
寺(ぼくうんじ)跡だというが、現在は2軒の民家があり、その面影は全く感じられ
ない。

 秩父札所七番法長寺入口先の交差点を東へ。そばの桑畑にキバナコスモスが花盛り。


 すぐ先の畑の中に、風変わりな社殿がみえる。畑の横を回って行くと、その社殿の
横には「矩(さしがね)稲荷」とも呼ばれる花井稲荷神社の小さな社もあった。


 さしがねとは、大工の使う直角に曲がった金属製物差し。大工が稲荷様に差し金を
奉納して大工事の完成祈願をして以来、お金や金属類を紛失した際、早く見つかるよ
うに祈願する信仰が広まったとか。

 さらに東進すると六番沢沿いとなり、ブドウ畑の上の高台にある六番札所卜雲寺に
向かう。

 寺の上がり口に、元禄15(1702)年銘の巡礼石が立ち、坂の途中には、元文
2(1737)年創立の「ねがい地蔵」が祭られている。


 石段を上がって12時10分に境内に入り、本堂西側の東屋周辺で昼食をする。


 石段上に宝暦12(1762)年造立の↑聖観世音菩薩石像が立ち、近くには平成
2(1990)年の午歳(うまどし)総開帳記念事業で、翌年建立した六地蔵尊が並ぶ。

 高台にあるので、南に武甲山の全容が望まれる。階段横には、ゴマギが赤い実を付
けていた。



 13時に出発して午後の行程へ。ブドウ畑の横から六番沢に沿って北東の斜面に向
かう。刈米マスつり場を過ぎると山道となる。


 沢沿いの広葉樹林の中を進み、枕木のような木の段も上がり、少しずつ高度を上げ
る。沢を横切って右折したあたりには、山神社と呼ばれる小さい石のほこらがあった。


 ところどころで小休止して、列詰めをする。

 東に向かってさらに緩やかに上がり、幾つか流れを横切る。下に流れを見下ろした
りしながら進み、尾根筋を簡易舗装路が走る六番峠に上がった。

 眼前のイノブタ養殖小屋や、谷を隔てて望まれる↓二子山などを眺めながら休憩する。


 休憩後、植物に詳しいIさんが途中で採集してきた木の葉や野草などの名を、たく
さん紹介してくれる。


 北へ100mほどで簡易舗装路と分かれ、シイタケのほだ木の並ぶ横から気持ちよ
い緑陰の斜面を進んだが、右折したあたりから道が不明瞭になった。


 しばらく進んだが違うようだと分かり、シイタケのところまで戻り、往復1時間近
くの時間のロスとなった。

 シイタケの間の針葉樹林の中の道が正しく、その道を進んでイノシシ除けのネット
の張られたゲートを過ぎると間もなく、5戸ほどの家が並ぶ開けたところに出た。こ
こからも、山頂を雲に隠された武甲山の展望がよい。


 「小峠ぶどう園]と記された山菜や野菜の無人販売用の小屋の横から、「風の道」と
呼ぶ南に下る山道に入る。

尾根筋を下るので、確かに風の通りは感じられる。道は昨日の雨でやや抜かっており、
ストックを使って滑らぬように下る。

 広葉樹林帯を出てススキの咲き出した一角を通過し、二反沢を渡った。V字状に折り
返して少し上がって行くと、露座の大仏座像の鎮座する広場に出た。

 「源寿院埼玉別院芦ヶ久保大観音」と呼ばれるもので、そばに法要などに利用される
らしい建物がある。


 コスモスの咲き競う広場からは、武甲山や芦ヶ久保駅周辺の家並み、周辺の山並みな
どが一望できる。


 芦ヶ久保の集落に向かって車道を下る途中、三方の辻と呼ばれる三差路際に十一面観
音堂があった。

 もとは精進堂と呼ばれ、年4、5回決められた日に若者が集まり、日常生活から離れ
て心身を清め神仏に祈る「お精進」と呼ぶ行事が行われたという。

 国道299号近くまで下ったところには茂林寺があり、船乗(ふなのり)観音と呼ぶ
安永8(1779)年銘の聖観音像や、閻魔大王の木座像がガラス窓越しに拝観できる。

 ここで主催者の挨拶があり解散となる


 国道に出れば駅は近い。ヒャクニチソウの咲き並ぶ横を通り、横瀬川の橋を渡って、
対岸の高みにある西武秩父線の芦ヶ久保駅には、16時32分に着いた。

(天気 曇、距離  ㎞、地図(1/2.5万) 秩父、正丸峠、歩行地 横瀬町、歩数
 16,100)

【追記】寺坂の棚田では今週末の9月29日(土)に、「寺坂棚田彼岸花祭り」が開催さ
 れます。下のリーフレットのように彼岸花が見頃になるかは分からませんが、黄金色
 の水田の彩りはよいと思われます。
     

       


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やまさん夫婦のフランス歩く旅1200㎞報告会(東京・飯田橋)

2012-09-20 19:11:56 | ウオーキング
 2012年9月19日(水)

 カントリーウオーカーで青少年国際野外旅行研究会の代表である「やまさん」こと
山浦 正昭さんと、パートナーの敬子さんが2年がかりで計画している、地中海から
大西洋へヨーロッパ横断大歩行の、前半コース約1200㎞をを今年5月から7月に
かけてを歩いた報告会が、14時から約2時間開催されました。

 会場は、JR中央線や東京メトロ東西線、南北線、有楽町線などの飯田橋駅そばの、
東京セントラルユースホステルの会議室です。


 この報告会には、やまさんの予想をはるかに超える21人が参加されました。


 白板には、歩いたコース地図や、途中であった人たちとの写真、お二人の旅姿の写
真、用意していった旗などが貼られています。






 お二人は、5月20日(日)にフランス、地中海の観光地ニースをスタートし、前
半は独自のコースを巡礼の町ル・ピュイまで約500㎞歩き、後半はル・ピュイから
スペインへの巡礼の道を約700㎞歩いて、スペイン国境のサン・ジェーン・ピエ・
ド・ポールに7月10日(火)に到達しました。

 まずはやまさんから、計画のいきさつや地図を揃えるのが大変だったこと、後半の
巡礼の道に入ったら、初日から50人くらいの巡礼者に会って驚いたこと、などの話
がありました。


 続いて山浦敬子さんが、ご自身で書いた紙芝居により、行程でのトピック的なこと
などを順次説明されました。


 これが紙芝居のタイトル。


           まず、コース概要の地図です。
          

           お二人は、1993年夏にデンマークのスカーエンをスタートして、
          毎年夏に約1か月ずつ歩いて、ドイツ、スイスを経てフランスに入り、
          2002年にニースにゴールしました。その距離は4000㎞でした。

           それから10年目の今年と来年、ゴールしたニースを出発して西へ
          向かい、大西洋岸のスペイン巡礼の道のゴール、サンティアゴ・デ・
          コンポスティラを目指す、ヨーロッパ横断の旅の今年は前半です。

 最初は、1200㎞を歩き通してゴールのお二人。もう歩かなくてよいとホッとしたとか。

 今年のゴール、サン・ジェーン・ピエ・ ド・ポールは、一面白壁に赤い屋根の美しい町並
みだったようです。

           歩き出した日に、なんと尺八を吹く人が…。 
          

 1泊目はテント泊。ところが夜、雨になり、テントに浸水してビックリ!


           2日目のグラースは香水の町。インフォメーションセンターの女性
          が、四国遍路をしたいとのこと。
          

 2日目に止まったジットエタップと呼ぶ宿の3人。普通の民家でした。 


           赤屋根の家の並ぶ集落。予定していた宿は閉まっていて不在。誰か
          いないかと探しながら行ったら、窓から顔を出した人が居たので声を
          かけて別の宿を教えてもらう。  
          

 その日泊まったのもジット、飛び込みだが食事も用意してくれた。


           歩いていたら、反対から来た自動車のご夫婦に声をかけられ、その
          家に泊まるよう勧められ、お世話になりました。 
          

 敬子さんの説明に、ときどきやまさんが補足の話をされました。


           声をかけてくれた方の家は大きく、洗濯もさせてもらい庭に干しま
          した。 
          

 前半の、やまさんオリジナルコースを歩き終え、巡礼のスタート地、ル ピュイに入ると、
今までとはうって変わり、人が多いのにビックリ!

 皆、スペイン巡礼の道を目指して歩くときの目印、貝を下げていました。

           巡礼の道のうちのG65コースに入り、前半最初の難所、オーブラ
          ック越えにかかります。野道を歩くお二人。           
          

 コンク(Conques)では、大きな教会に併設の宿泊施設に。100人くらい泊まれ、
大勢のボランティアの方が食事などの世話をしてくれました。 

 ここは100年前から利用されていて、気持ちがホッとするところでした。

           同じようなペースで歩くので、一緒になる機会が多かった若者3人。 
          
           左はパリから来たクレアさん。フィリピンでNGO活動をしていた
          とか。真ん中は日本の青年、直樹くん。右はスイスのクリストフさん、
          独・仏・英語が達者で、いろいろフランス語の仲介をしてくれた。         

 自転車にキャリアカーを付けて、2歳の子づれで巡礼の道を歩いていた人。 


           歩くペースがほぼ同じなので、親しくなった3人。
          

 ゴール近くになると、一面のトウモロコシ畑やヒマワリ畑が1週間も続いていた。

 ヒマワリは、自動車の燃料になるのだとか。

 といったような、敬子さんの紙芝居でした。

 この後やまさんから、質疑応答も含めていろいろな話がありました。その幾つかを…。

 3日間町のないところもあり、そのときは3日分のパンを用意して歩き出した。

 巡礼用のコースマップは、1日単位で見られるようになっていて、標識も多いので間違
うことは少ないが、一緒に歩いている人と話をしていると、マークを見逃すことがある。

 フランス巡礼の道は、今まで数多く歩いたイギリスやドイツ以上に標識があり、道も整
備されていて分かりやすい。

 巡礼コース上は5㎞、10㎞間隔くらいに宿があり、予約しなくても先着順で泊まれる。

 かなり利用したジットエタップは、役所が提供のものと民間のものがあり、申込先も、
直接、インフォメーションセンター、役所のどこでもよく、コース上になくても場所を案
内する標識が出ているので探しやすい。

 巡礼の道は、女子1人でも歩くことが出来、安全性は高い。

 前半の一般道では、ほとんど歩く人に会わなかったが、後半の巡礼の道は歩く人が多く、
多くの人との交流が出来、ふれあいが得られる。

 フランスの地方の美しさ(景観)は、屋根や壁の色や高さが統一されていて、どの町で
も石畳の古い町並みが残っている。

 ユースホステルは2カ所だけだったが、そう安くはなく(1泊1500円くらい)、ジ
ット(巡礼宿)なら1000円、ホテルでも35ユーロ(約3500円)で泊まれ、日本
のユースホステルより安い。

 どの宿もホスピタリティにあふれ、言葉(フランス語)の不自由さはほとんどない。
巡礼者は、ほとんど英語を話す。

 今回歩いたフランスの巡礼の道の両端、ル・ピュイとサン・ジェント・ポールは世界遺
産になっており、当日早めにインフォメーションセンターに行けば、事前予約無しで泊ま
れる。この2都市だけでも歩き旅をお勧めする。

 コース全体としては、集落、牧草地、町並みなど同じ景色が続くが、息切れや汗をかく
とか、のどが渇くような急斜面はない。

 といった、多彩な話がありました。

 ちなみに、来年お二人が歩く、スペインのサンティアゴ巡礼の道については、以下の
NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会のウェブサイトをご覧下さい。

 下は、以前紹介した今回の歩き旅をまとめた冊子。しかしもう余部はなく、増刷はしな
いとのことでした。
          


 蛇足ながら、会場となった東京セントラルユースホステルは18階にあり、受付ロビー
からは新宿副都心などの展望が得られます。



      



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八潮と三郷の川沿いをカントリーウオーク(埼玉)

2012-09-18 18:37:29 | カントリーウオーク

 前回のアップと日にちが前後してしまいましたが、1日前のウオーキング記録です。

=======================================

 2012年9月15日(土)

 8月を夏休み後の、カントリーウオークグループの第196回例会に参加した。集合
は、つくばエクスプレスの八潮(やしお)駅。参加者が少ないので組み分けはせずに全
員一緒に歩くことにして、10時7分に出発した。

 == 大場川沿いにみさと公園へ ==

 駅の開業は2005年8月。南口を出ると区画整理事業により新しい広い道路が出来
ていた。その道路を南西に進んで垳(がけ)地区に入る。

 「垳」は日本でただひとつの地名。新町名「青葉」に変更される計画が出ていたが、住民
からの請願を受けて一昨日の市議会で見直されることになりそうだという。(下記9月
14日朝日新聞朝刊、埼玉版記事参照)。

 合併や町名変更で、古い由緒ある地名がどんどん消えていく中で、ほかにない貴重な
地名が残ることになれば、大変喜ばしいことだ。

 集落の中心に垳稲荷神社があり、狭い境内の南東端に標高2.0mの水準点が埋め込
まれていた。


 少し先の常念寺には、古い手水鉢に猫や獅子の置物が並び、中興上人北川勉正像、新
しい観世音菩薩像、宝暦8(1758)年銘の↓地蔵菩薩像などが目についた。



 そばの垳川沿いに出て、中川と交差する垳川排水機場の横を通過する。


 川と反対側の金網に、円形の瓜のような実が実っていた。


 中川右岸沿いを北東に向かう。川沿いは工場が多く、上野風月堂の工場には直売店も
ある。潮止橋からは東京スカイツリーが望まれ、流れの西方には夏雲が広がる。


 橋を渡って南に延びる古新田通りに入る。通りには、昭和時代かららしい商店が幾つ
か残っていた。

 通りの中ほどにあった古新田稲荷神社の緑陰で休憩して水分補給する。境内のイチョ
ウにはギンナンをたわわに実を付け、ミンミンゼミが賑やか。


 道路を挟んだ西側の福蔵院には、夏の花サルスベリと秋近しを感じるハギが、ピンク
の彩りを競って咲いていた。


 昭和中期のものか、平屋の市営住宅らしい建物の横を入って大場川右岸沿いへ。県内
最大のマリーナという大場川マリーナがあり、数千万円するというレジャーボートがた
くさん並んでいた。



 流れが大きく左カーブするあたりの流れにアオサギが立ち、近くの畑にパンパスグラ
スがりっぱな穂を風になびかせている。


 この夏の日照り続きで、流れの水量は1.5m前後は減っていることが、両岸の泥の
様子で分かる。八潮南公園の横を入って大場川と第二大場川の橋を渡る。


 大場川には、大正3年竣工で県史跡になっている二郷半領不動堀橋↑と呼ぶレンガ造
りの橋がかかり、その先の水元(みずもと)公園の西端には、東京都でただひとつ現存
のレンガ造りアーチ橋という、りっぱな閘門(こうもん)橋↓がかかっていた。

 閘門橋の正式名称は「弐合半領猿又閘門」と呼び、歩道専用橋である。

 小休止して水分補給後、大場川左岸沿いの遊歩道を進む。

 しばらくは桜並木が続いたが、やがて途切れた。でも雲が増えて暑い日差しを遮って
くれる。

 対岸の水元公園の豊富な緑や、水辺に何か所か見えたイソシギやアオサギなどを眺め
ながら進む。反対側の道路際にはカラスウリの花が咲いている。


 流れが、水元公園を抱えるように大きく右カーブするあたりで橋を渡り、左に曲がる
大場川に分かれる。その先は水元公園とみさと公園を挟む都県境の水辺が続き、再び東
京スカイツリーが望まれる。


 向こうのクイにカワウが止まり、北端からからみさと公園に入った。12時半を過ぎ、
対岸の水元公園にメタセコイアの高木が並ぶあたりに東屋があり、遅れて別ルートから
来たNさんが待っていた。



 風の通るそばの緑陰にシートを敷き、流れで練習中のボートを眺めながら昼食とする。




 == 第二大場川から二郷半用水へ == 


 ミーティングと記念撮影をして、13時45分に午後のコースに向かい、まずはみさ
と公園の遊歩道を南に進む。


 湿地の中に池もあり、広い木道の続く自然観察ゾーンを一巡する。中ほどにはホタル
の保護エリアもあった。


 南東端から公園を出て、高州三丁目の宝蓮寺に入るころ、黒い雲が近づき霧雨が落ち
てきたがすぐに止む。山門際にギンナンの実るイチョウの古木が立ち、市の保存樹のシ
イもある。


 八木崎戸ヶ崎七福神の福禄寿の寺だが、どこに祭られているか分からない。そばの香
取神社にも大イチョウがあった。

 未完成の外環道用橋脚が並ぶ、みさと公園入口交差点を斜めに横断し、高州一丁目の
本隆寺へ。白壁の本堂は独特の造り。宝蓮寺同様、七福神の毘沙門天がどこにあるかは、
はっきりしなかった。


 北に向かうと、住宅地に囲まれた一角に黄金色に色づく田んぼが残っている。大場川
沿いに出て西側のせきわく橋を渡る。桜並木の九兵衛用水沿いを進み、外環道の終点近
くの県道295号に出た。

 鷹野五丁目に入り、午前中通過した大場川左岸の遊歩道に戻る。このあたりは植え込
みがなく、午後の日差しを正面から受けて暑い。小さい公園で小休止後大場川を離れ、
北に伸びる第二大場川沿いへ。

 間もなく合流点で第二大場川を右に分け、左に伸びる二郷半用水緑道に入った。この
先は植栽が多く車を気にせずに歩けるのがよい。


 植栽は多様で、桜、クヌギ、梅、モクレンなど進むにつれて変わり、真ん中に流れを
残すところもある。


 東屋とトイレのあるところで最後の休憩をした。

 その先、小さい道路との交差点際に「身代わり地蔵」の看板が下がり、そばのお堂に
何体かの石仏が並んでいた。正面は青面金剛像のようで、横にお地蔵さんらしいのもあ
るが、どれが身代わり地蔵かは分からなかった。


 遊歩道はカリンの若木に変わり、それぞれにたくさん実を付けている。


 西を流れる中川と東の江戸川とを結ぶ三郷放水路の、二郷半橋を渡る。

 橋の北側の遊歩道を外環道の東に抜けて新和小の横を通過し、第二大場川沿いを北進
する。周辺に新しいビルの建設が進むつくばエクスプレスの三郷中央駅に、16時35
分にゴールした。


 雲が多目で風もあったが、気温は32℃前後かと思われ、暑さに弱い私には残暑の中
の16㎞を超える距離はこたえた。帰りに乗り継いだ4本の電車の車中は居眠りに終始
し、帰宅して夕食後も2時間近く仮眠した。

(天気 曇後晴、参加 10人、距離 (別途)、地図(1/2.5万) 草加、松戸、
 歩行地 八潮市、三郷市、歩数 27,800)



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カタツムリ歩行 JR武蔵野線 新秋津駅(東京)

2012-09-16 22:21:07 | カタツムリ歩行
 2012年9月16日(日)

 8月の夏休みを挟んで2か月ぶり、カタツムリ歩行の第217回例会に参加する。集合は
JR武蔵野線の新秋津駅。10時5分に出発した。

 駅前広場にモニュメントがあるが、周りに植え込みがありそばには近寄れない。


 駅の南西側の細道に入ると、梅林やゴマなどの畑、古いたたずまいの民家など、駅のそば
とは思えぬ静かなたたずまいの一角が残っている。

 
 民家の庭先のムラサキシキブが、かなり色づいてきていた。


 そばの秋津神社は、何年か前のこの歩きでも来たところ。拝殿の後ろにある本殿には覆屋
がかけられていて写真は撮りにくいが、四面の木彫はなかなか精巧なものだった。


 境内は、市の保存樹木になっているケヤキなどの樹林に囲まれていて、暑さを忘れさせて
くれる。



 社殿の背後から北側の斜面を下って、西武鉄道からJR武蔵野線に通じる連絡線の横に出
ると、神社の台地下に池があり、周遊路の木道は壊れていて通行禁止になっていたが、池に
はコイが数匹泳いでいた。

 
 池の先から再び台地に上がると、秋津神社の南側に出た。住宅地を少し巡って神社の西側
にある大きな中層マンションの前を通過して、柳瀬川がV字状に西武池袋線のガード下を通
過するあたりに下る。

 このあたりの流れは、ちょっとした渓谷の様相を呈していた。


 ガードの所沢駅寄りをくぐると、民家の間を抜ける道があり、東村山市から都県境を超え
て所沢市上安松の住宅地に入る。

 東西に走る車道とのT字路に出て、そばのT字路から「七曲通り(ななまがりどおり))」
と呼ぶカーブの続く車道に入る。この道は古くからあったようで、最初のカーブ点に江戸時
代の石塔が立っていた。


 近くには、古くからの農家らしい家が多く、多くの家に土蔵が見られる。


 七曲通りを少し離れた北側の台地中腹には、近年移設したらしい稲荷神社が鎮守の森も無
い小さなスペースに立っていた。


 七曲通りに戻りさらに少し進むと、古い菅笠を被った方が居られたので声をかける。新潟
県上越市出身というKさんで、外での作業に欠かせない傘だが、近年はベトナムなどからの
輸入品しかなく、軽くて通風のよい日本古来の製品は新潟県内でも入手できなくなったと嘆
いておられた。

 Kさんは、この地と上越市高田に農地を持っていて、しょっちゅう往復してそれぞれで農
作業をしているという。

 次のY字路で七曲通り分かれ、西武池袋線のガードをくぐって線路の東側に回る。畑の隅
に大きなサルスベリがあり、ピンクの花を枝いっぱいに咲かせていた。



 その向こうには、かなり広い範囲の広葉樹林が残っていて、この周辺では貴重な緑の空間
が広がっている。


 少し離れていた柳瀬川が再び道路沿いに接し、緩やかなカーブで流れを見せていた。


 その先には一軒だけのお茶屋さんがあり、昨年は狭山茶が福島原発による汚染で出荷でき
なかったが、今年は汚染データは検出されず出荷できるようになったという。


 そのまま進んで旧所沢街道を渡り、そばの台地中腹にあるゴールの日月神社(にちげつじ
んじゃ)に11時50分に着いた。


 境内には「蜻蛉の寄生木(とんぼのやどりぎ)」と枯れた古木があり、昔、無理難題を言
って村人を困らせた殿様とこの木とのかかわりについての説明板がある。




 そばには、江戸時代から明治初期にかけて行われた石かつぎに使われたという、35貫目
(約131㎏)の力石(ちからいし)があり、春と秋の祭りの際に村の若者が力を競ったこ
とが記されていた。


 昼食を終えて社殿の前でに記念撮影後、ミーティングをする。事務局のDさんからは、残
り少なくなったカタツムリ歩行の今後の計画などの周知がある。

 やまさんからは、フランス歩き旅でのことや、来月からの日本縦断歩き旅で四国の高知県
を巡る計画などの話があり、13時過ぎに散会した。


 多くの参加メンバーは最寄りの西武線所沢駅に向かい、私は事務局のDさんなどと所沢駅
東口に接したマクドナルドでしばらく休憩し、さらに自宅まで歩いて15時半近く帰宅した。


(天気 曇後晴、距離 未定※、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東京都東村山市、
 埼玉県所沢市、歩数 6,600)

 ※ いつもパソコンで距離を測定していた、フリーソフトの「カシミール3D」が立ち上
   がらなくなりました。しばらく距離測定が出来ないかも知れません。



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夏の名残の庭の花

2012-09-12 21:16:54 | Weblog
 2012年9月12日(水)

 首都圏は相変わらずの残暑が続き、おまけに雨も少なく水不足が心配です。「暑さ寒さ
も彼岸まで」と言いますが、来週はもう彼岸、そろそろ秋の気配を感じたいものです。

 わが家の庭先には、連れ合いが主に手入れをしている夏の草花などが、まだいろいろ咲
き残っています。花でも眺めていれば少しは暑さしのぎになるかと思い、紹介します。



 昨年のこぼれ種がたくさん出てきた朝顔を塀際に植えたら、毎朝たくさん花を見せてく
れます。でも皆、同じ色ばかりです。




 ニチニチソウは3色咲いています。






 サフィニアは、もう盛りを過ぎて花も少なくなりました。

 紅白が咲いています。


 白いペンタス


 左が赤いペンタス、右はセンニチコウ。




 こちらはベゴニア、結構長い間咲いています。


 春先に咲くものですが、こぼれ種で遅いマツバボタン。


 パンジーも春のもの。やはりこぼれ種が遅れて咲いたのか。


 これからしばらくは、オシロイバナが見られそう。


 盛りは過ぎましたが、ゴーヤーもまだ花が次々に咲いています。


 塀際のアブチロン。これもしばらく花が見られそう。






 暑いと、庭に出て花を見る気力も衰え気味です。


 

 



 



 

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関東百駅巡礼歩行 横浜高速鉄道 こどもの国駅

2012-09-09 16:44:06 | 関東百駅巡礼歩行
 先週は、昨年作成するつもりで遅れていた資料づくりに追われ、5日間ブログ投稿が
できませんでした。ようやく7日(金)に、とりあえずだけの部数を作成したので、そ
の一部を持って昨日、関東百駅巡礼歩行に出かけました。

=======================================

 2012年9月8日(土)

 「やまさん」こと山浦正昭さんの、関東百駅巡礼礼歩行の第87番に参加した。集合
は横浜高速鉄道の終点、こどもの国駅。終点といってもこの線は、東急田園都市線長津
田駅に接する始発の長津田駅と途中の恩田駅を入れて3駅しかない。

 この線は、線路を保有するが運送は行わない第三種鉄道事業者の横浜高速鉄道が車輌
も保有し、運送を任せる第二種事業者の東急電鉄に貸し付けているのだという。時刻表
では、東急こどもの国線となったいる。


 無人駅の改札前で記念撮影をして、10時55分にスタートした。


 駅前には、こどもの国の来訪者用の広大な駐車場があるが、残暑の今日はガラガラ。
恩田川の支流、奈良川沿いの、空き家や雑草地のそばを進んで、横浜市奈良地区センタ
ーのそばで県道139号を斜めに横断する。


 横断したところに掲示板があり、千葉県の養老渓谷を歌った歌手の写真入り、いすみ
鉄道のポスターがある。この地とどういう関係があるのだろうか…。


 少し進むと谷間に、黄金色に色づいた田んぼが残っていた。


 路傍にヒャクニチソウやキバナコスモスなどの咲く、静かなたたずまいの道沿いには、
趣ある民家も見られる。


 谷間を上がって行くと、TBS緑山スタジオの広大な敷地に大きな建物が建っていた。


 スタジオの西側上部を走る県道139号に出て、建物や構内を見下ろしながらプラタナ
スの緑陰の続く歩道を緩やかに上がる。


 信号のある交差点を左折してすぐの緑山バス停のそばに、昨年の東日本大震災の鎮魂の
碑と、やはり新しい三界萬霊供養塔が立っていた。


 右手下に広がる柿畑などを見下ろしながら進み、このあたりの最高点、標高84m水準
点の三差路から北に向かって下る。


 行く手の谷間に、小田急鶴川駅周辺らしいビルや建物が見下ろせる。その周辺には緑も
多く、気持ちよい展望が広がる。


 そばに、津久井納豆の原料になる「大豆栽培実験農場」の表示があり、よく茂った大豆
のうねが並んでいた。


 ここは川崎市麻生区の飛び地で、東西、南北とも1㎞余りのエリアの大半は岡上(おか
がみ)の営農団地。地形図上は果樹畑マークが多い。


 北に向かって緩やかに下がって行くと、イガの大きくなった栗畑、紙袋で身を包んだリ
ンゴ畑、イチジクの木や柿畑などが続いている。


 路傍のあちこちに咲く色濃いクズの花を眺めながら進み、大規模な温室の近くから東側
に回る。


 柿畑の多い一角に瓢箪(ひようたん)農場があり、何種類かのヒョウタンが大小の実を
付けていた。


 再び県道139号に出てそばの岡上神社に入り、社殿の周辺で昼食にする。


 この境内も高台なので、北側眼下に鶴川駅周辺のマンション群などの展望が得られる。
境内の小さな建物に、シンボルも刻んだ金勢(こんせい)大明神の石碑が立っていた。


 ちなみに岡上神社は、明治42(1909)年に岡上村内にあった5社を、村の中央の
諏訪神社境内に合祀したとのこと。岡上村は歴史的に柿生村(かきおむら)との結びつき
が強く、ともに川崎市への合併を選び、飛び地になっているのだという。

 神社に接する墓地を下って岡上小の校庭の南側に回ると、「丸山」と呼ぶ岡上小の学校
林がある。



 広葉樹と竹林に覆われた山林の斜面を進んだが、道が途切れた。でも、すぐ下に見えた
西側の旧道に下りられ、岡上小の校門前に出る。


 折り返すように南に向かう。眼下の畑には何色かのケイトウが並び、その先では頭を垂
れた稲田が、秋近しを感じさせてくれる。


 次の斜面に向かって緩やかに上がる道は午後の日差しが暑く、ミンミンゼミが賑やかで
汗が止まらない。ポッカリ浮かぶ雲も、まだ夏の様相を見せている。


 岡上の北西端あたりの稜線に上がり、北に下る途中にウッディな民家があった。写真を
撮ったりしていたら奥様が顔を見せ、岡上を巡る市のウオーキングコースがあることなど
を話してくれた。


 その先の斜面は、緑が多く古い民家も残り、趣あるお地蔵さんが小さなほこらに立って
いた。


 鶴見川の南に平行する車道に出てすぐ先を左折すると、工場直送のとうふを販売する酒
店がある。



 鶴見川の大正橋を渡り、左岸沿いに進む。駐輪場の近くに「工楽室」と呼ぶ民家風の建
物があり、道路に面して10個余りガラス張りのケースが並んでいる。


 のぞくと、中には傍らの小さな太陽光発電の省電力で回る手作りの玩具が入っていて、
ミニ石臼が粉をひいたり、夫婦で酒を汲み交したり、金属製の大蛇がとぐろを巻いたり、
小鳥がえさをついばむなど、遊び心たっぷりでユニークな作品ばかりだった。


 川の南側を眺めると、今通過してきた学校林の上あたりに、大きな白雲がわき上がって
いる。


 変種のヒガンバナのような花の咲く横を通過して踏切を渡り、ゴールの小田急線の鶴川
駅には、13時45分に着いた。

(参加 6人、天気 晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 原町田、歩行地 横浜市
 青葉区、川崎市麻生区、町田市、歩数 10,100)



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スイスで見た花②

2012-09-03 21:00:40 | スイス旅行
 5月31日(木)午後に訪れたスイス東部、マイエンフェルトのハイジの村に咲いて
いたのは、日本でもおなじみのウツギのよう。


 6月1日(金)、ユングフラウヨッホからの帰路、昼食をしたクライネシャイデック
駅(2,061m)の背後の、新田次郎墓碑の近くに咲いていたアルペン・ソルダネッレ
(俗名イワカガミダマシ)。


 連泊するインターラーケンに戻り、午後アーレ川沿いを散策しました。その道筋では
いろいろな花が見られました。

 道路際のオダマキ


 これは何というのでしょうか。


 畑の隅にびっしりと咲いていたもの


 アーレ川沿いの街路樹の1本。花はちょっと分かりにくいでしょうか…。


 川沿いの民家の庭先にはマツムシソウが。


 その近くに咲いていたのは


 このあたりの民家の庭は、花で彩られていました。






 これらも近くのお宅の庭に。






 池のあるお宅では、スイレンが咲き出していました。


 こちらのシャクヤクは見ごろです。


 アーレ川の橋の傍ら、小さい広場の鉢植え。


 インターラーケンヴェスト駅近くの商店街、花屋さんで販売していた、アルプスの花
エーデルワイス。

 1本13.50スイスフラン(当時のレートで1,200円近く)です。

 インターラーケンの西駅と東駅を結ぶ駅前通りに面した、大きな公園ホーヘマッテ公
園には、道路際にバラの植え込みが続いていました。

 この公園からは、ユングフラウ(4,158m)が望まれます。
 


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スイスで見た花①

2012-09-01 21:18:31 | スイス旅行
 防災の日の今日9月1日(土)、わが所沢市では朝から夕方にかけて何回か降雨が
ありました。18時30分現在、アメダスの降雨量は16㎜となっています。

 8月18日(土)以来14日ぶりのおしめりで、乾ききっていた庭木も元気を取り
戻しそう。そして気温も30℃以下に下がり、うんざりしていた猛暑から一時的に開
放されました。

======================================

 5月下旬から6月初めのスイス旅行では、まだ本格シーズン前なのと、ハイキング
コースなどの散策をする機会が無かったので、あまり花は見られませんでしたが、わ
ずかに撮った花を2回に分けて紹介します。

 初日の5月27日(日)、まず訪れた首都ベルンのバラ公園は、バラの開花はまだ
これからといった感じでしたが、ツツジやシャクナゲ、フジなどが咲いていました。




             真ん中奥の白いのはフジの花



 シャクナゲは、少し盛りを過ぎていました。


 


 5月28日(月)の午前中訪ねた、レマン湖北東岸のブドウ畑が広がるラヴォー地区
シェイブルの民家に咲いていたポピー。


 3日目の5月29日(火)、ツェルマットの町中の草地に咲いていた花。


 ツェルマットのマッターホルン博物館の庭に咲いていた、高山植物らしい花。


 この花は、ツェルマットのカトリック教会裏手の墓地に咲いていました。


 次の日、5月30日(水)午前は、ツェルマットの北東にあるサースフェーへ。狭い
町中を一周して見つけた花の幾つかを。

 オオシマザクラのような桜が咲いていました。


 清楚な花


 この花は、町中のあちこちで見ました。




 建物の間の庭に咲く、白タンポポときれいなツメクサのような花。


 5日目の5月31日(木)、サンモリッツの町に咲く小さな花。


 午後、サンモリッツから氷河特急に乗り、1時間10分あまりのティーフェンカステ
ルまで行きましたが、その車中から見た黄色のじゅうたんのような彩り。



 このような彩りは、ほかでも何か所かで見られました。

 この日の午後訪れたマイエンフェルトのハイジの村には、広い芝生地にりっぱな広葉
樹が伸び伸びと育っていました。その1本に咲いていた花。


         (つづく)




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