あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路で泊まった宿⑥

2011-09-29 20:28:14 | 四国遍路あれこれ
 2011年3月2日(水)、今治市内の54番延命寺から59番国分寺まで、6つの
霊場を回り、市の南端、今治湯ノ浦温泉の温泉街にある公共の宿、今治湯ノ浦ハイツに
泊まりました。


 場所は今治市湯ノ浦、遍路地図64-2、遍路割引価格で、1泊2食8,000円、
コイン洗濯機は300円でした。 

 瀬戸内海が一望できる部屋は10畳でトイレ付き、大浴場も30人以上は入れる気持
ちよい温泉で、歩き疲れた体を癒やしてくれます。


 夕食はメニュー豊富で、美味しくいただきました。


 朝食ももりだくさん、3回とも泊まり、お勧めの宿のひとつです。


 3月3日(木)は、別格10番興隆寺と別格11番生木(いきき)地蔵、さらに61
番香園寺から63番吉祥寺まで参拝して、62番宝寿寺やJR予讃線の伊予小松駅に近
い同行民宿鈴(どうぎょうみんしゅくすず)へ。普通の平屋の民家のつくりです。


 西条市小松町荒屋敷にあり、遍路地図は66-2、1泊2食4,600円と暖房代200
円でした。


 私の泊まった部屋の真ん中には、厚い古木でできたテーブルがあり、そのテーブルの
上や床の間には、おかみさんが自分で焼いた備前焼の焼き物や、遍路ゆかりの品などが
たくさん並んでいました。


 同行民宿鈴の夕食。弘法大師に深く帰依されているおかみさんの、信仰心やご苦労され
たことなど、こたつに入って伺いながらいただきました。


 3月4日(金)、雪の積もった60番横峰寺と、64番前神寺にお参りをして、JR
予讃線伊予西条駅前の西条ステーションホテルへ、2度目の宿泊です。


 西条市大町、遍路地図は64-1図、シングル1泊(朝食付き)4,910円、コイン
洗濯機が200円



 西条ステーションホテルの朝食、洋食メニューもあります。。


 3月5日(土)は、別格12番延命寺のみの参拝で、JR予讃線伊予土居駅に近い蔦廼
屋(つたのや)泊。初めての宿でしたが、古くからのよき旅館の伝統が感じられ、お勧め
です。


 場所は四国中央市土居町土居、遍路地図68-3、1泊2食7,300円、お接待で
120円いただきました。


 きれいな盛りつけで、美味しい夕食。


 玄関を入ったところに、昭和60年(1980)6月まで、近在の100軒ほどに提供
していたという井戸が残っています。


 蔦廼屋の朝食


 3月6日(日)、別格13番仙龍寺と別格14番椿堂にお参りをして、民宿岡田にお
世話になりました。翌7日(月)も、別格15番箸蔵寺まで往復して、民宿岡田に連泊
です。

 場所は徳島県三好市池田町佐野牛頭、遍路地図は72-1、1泊2食6,000円、洗
濯機は無料で乾燥機が100円です。

 10人前後が泊まれる小さい宿ですが、親父さんの人柄に惹かれる歩き遍路に人気の
宿として知られ、私も3度目です。

 6日の夕食

 夕食の場は、親父さんと遍路同士との情報交換などで、話のはずむひとときが楽しみ
です。



 翌7日の夕食


 岡田さんが見せてくれた、四国遍路結願証、88番大窪寺で申請すればいただける
そうです。 

 背後の写真は、宿泊したお遍路さんから送られてきた、岡田さんと一緒に撮った写真
など。私が前回お世話になったときにお送りした写真もありました。

 民宿岡田の玄関。懐かしい黒電話も現用です。


 連泊後の8日の朝食。


 いつも、おにぎりのお接待をいただいています。

 (続く)


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稲荷町から田原町周辺の寺社を巡る(東京・台東区)(続き)

2011-09-26 22:00:00 | 江戸・東京を歩く
 9月24日(土)(続き)

 その通りの南側にある源空寺の墓地に入る。ここには、日本国中を測量して精密な
地図を造った伊能忠敬↓と、伊能忠敬に測量を指導した江戸中期の暦学者、高橋至時
(よしとき)の墓が並び、いずれも国指定史跡になっている。


 その横には、江戸初期の町奴として知られる幡随院長兵衛夫妻の墓が、近くには、江戸
後期の文人画家である谷文晁の墓↓もあり、それぞれ東京都史跡に指定されている。



 源空寺本堂は通りの北側にあり、境内のイチョウにギンナンがいっぱい。


 鐘楼には、徳川家光の勧めで寛永13年(1636)に鋳造したという、高さ2.22m
ある大型の銅鐘が下がっていた。

 この周辺に寺院が数え切れないほどあるのは、明暦の大火後、幕府の政策により寺院が移
ってきたことによるようで、当時「新寺町」と言われたことなどが、近くの「旧浅草清島町」
の説明板に記されていた。

 さらに東に進んで、矢先稲荷神社に行く。平成3年(1991)で鎮座350年になるとか。

 現在の社殿はコンクリート造りだが、昔は、京都の三十三間堂を真似た矢場があったという。
いま境内は、あまり広くなく、どの方向にその建物があったかは分からなかった。

 2本ほど南の通りを西に少し戻り、同じ松ヶ谷2丁目の聖徳寺に回る。ここには、4代将軍
家綱の承応2年(1653)に、羽村から四谷大木戸までの43㎞に及ぶ玉川上水を4か月余
りで完成させた、玉川庄右衛門と清右衛門兄弟の墓が並び、都指定史跡となっている。


 同じ道を戻ってすぐ東側、正定寺の墓地へ。ここも墓石1つ分だけの狭いスペースの墓が
並んでいるが、その中に、剣聖直心流の幕末の剣豪で、その道場に勝麟太郎(海舟)も通っ
たという剣客、島田虎之助の墓(左)と、漆喰を塗った上に鏝(こて)で絵を描くという
鏝絵の、江戸末期の絵師、伊豆長八の墓(右)があった。
 

 本堂は、4階建てのマンションのような建物の一角である。



 東側の通りは、商売の道具などの店の並ぶかっぱ橋通り。看板や、食べ物のサンプル
商品、食器の店などが連なる通りを南へ少し進み、東側の西浅草1丁目に回った。


 南側から広い境内の東本願寺に入り、大本堂に上がって参拝する。



 本堂内には数百の椅子が並び、参拝の人が次々に訪れる。涼しい境内でひと休み後、本堂
を背にして記念撮影をした。


 14時を過ぎたので、南側の浅草通りに出てひとまず解散となり、帰る人は近くの東京
メトロ銀座線の田原町駅に向かう。

 残った6人は、もう少し回ることにして、東本願寺の東側にある等光寺に行く。石塀に
埋め込まれたご住職の標石は「土岐」となっている。


 ここは、土岐善麿(ときぜんまろ)の生家であり、墓地に「一念」と刻まれた善麿の墓
が立っていた。

 土岐善麿は、明治18年(1885)生まれの歌人で国文学者。現代国語、国学の基礎
確立に尽くし、ローマ字の普及にも尽力し、多くの校歌の作詞者としても知られている。

 翌明治19年生まれの石川啄木の親友でもあり、啄木の葬儀はここで行われたとか。境内
の一隅には、啄木の歌碑もあった。


 田原町駅そばの寿四丁目交差点を渡り、南側の寿2丁目にある本法寺に、西側の門から入
った。

 門の傍らに熊谷稲荷があり、そばに「はなし塚」が立つ。

 はなし塚は、昭和16年(1941)に建立されたもので、太平洋戦争に向かうにあたり、
時局に合わない禁演落語の台本を納め、落語界先輩の霊を弔らうために建立したもの。

 戦後の昭和21年には、禁煙落語復活祭が行われ、それまでに納められた物に代えて、戦
時中の台本などが納められたという。

 境内には扇塚や筆塚もあり、西側の石塀は戦後、落語家、講談師、演芸場やラジオ放送局
などの寄進で立てられ、その名が刻まれている。




 寺の南側から東に進み、国際通りを越えて寿四丁目に入り、わずかなスペースの角地に
立つ宗吾殿へ。


 宗吾とは、江戸時代の義民で、佐倉藩の重税に苦しむ農民のために藩主堀田正信に直訴
して処刑された佐倉宗吾のこと。この地はのち、その堀田家の家系の近江堀田氏の屋敷と
なり、宗吾殿は近江堀田家で建立したらしい。

 宗吾のことは、芝居や講談の題材となって広く知られ、その縁でここの石塀も、寄進し
た講談師や落語家、寄席などの名が刻まれていた。


 これで予定のコースを巡り終え、15時過ぎ、ゴールの東京メトロ浅草線田原町駅に
下った。


 歩いたエリアは、東西、南北とも1㎞に満たないわずかなエリアだが、企画したKさん
のきめ細かな下調べのお陰で、多くの寺社の江戸時代から近代までを知る、盛りだくさん
な歴史散策ができた。

(天気 晴、参加 9人、距離 5㎞、地図 台東区1万分の1図、歩行地 台東区)

 帰宅後、夕方のテレビで、国内ただひとつ残っていた講談専門の寄席だった上野本牧亭
が、この日の講座を持って閉幕したことが報道された。午後訪ねた本法寺や宗吾殿の石塀
に、本牧亭の名が刻まれていたかもしれない。



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稲荷町から田原町周辺の寺社を巡る(東京・台東区)

2011-09-25 15:22:44 | 江戸・東京を歩く
2011年9月24日(土)

 地図愛好者グループの第21回例会があり、東京メトロ銀座線の稲荷町から隣の田原町
周辺を巡る、東京歴史散歩に参加した。


 11時に稲荷町駅上↑をスタートし、駅の北側、東上野五丁目にある永昌寺へ。


 境内左手に「講道館柔道発祥の地」碑が立っている。柔道の父、嘉納治五郎は明治15
年(1882)、ここの書院に12畳の道場を設け、柔道を始めたという。


 寺の北側の通りには、関東大震災の復興のために建設されたという古い建物がが残って
いる。

 上野下アパートと呼び、4階建ての建物は現在も使用されて、中にはこのような組織も
入っているようだ。


 上野下アパートの西側の通りを南下して、浅草通りを横断し、東上野三丁目の下谷神社
に行く。


 下谷神社は、天平2年(730)に上野忍ヶ丘に創建されたと伝えられ、祭神は日本
武尊である。近隣での2度の移転を経て、関東大震災後の昭和3年(1928)の区画
整理によりこの地に移り、昭和9年(1934)に遷座されたとのこと。


 拝殿の天井には、近くの池之端に住んでいた日本画の巨匠、横山大観の天井画が描か
れている。


 境内には、最寄りの地下鉄の駅名の起こりである稲荷神社もある。その稲荷神社の横
を南に抜けて境内を出た。

 東に向かう通りには、太平洋戦争の戦災を免れた古い民家が残り、庭のない家の前に
鉢植えをたくさん並べた家も多い。


 元浅草二丁目を東に抜けて、元浅草四丁目にある誓教寺に入った。本堂は現代風な建物。


 墓地に回ると、「富岳三十六景」などで知られる江戸後期の浮世絵師で、欧米の近代
芸術にも影響を与えた葛飾北斎の墓があり、東京都史跡になっている。


 境内には、生誕230年の平成2年(1990)に建立した葛飾北斎像もあった。


 再び北に向かい、浅草通りを松ヶ谷一丁目交差点で横断し、松ヶ谷1丁目の妙音寺に
西側の山門から入る。



 境内はよく手入れされた植栽が多く、弁天池にはりっぱなヒゴイガがたくさん泳いで
いる。池の脇に咲き出した白ハギの横の緑陰で小休止した。


 東上野6交差点を北に渡ると、西側にあるのが報恩寺。本堂はコンクリート造りで大
きく、境内にはソメイヨシノの古木が立つ。


 寺では、江戸時代から正月に四條流包丁儀式「俎板開(まないたびらき)」が継承され、
テレビなどでも報道されているという。


 境内には、慶安元年(1648)鋳造の銅鐘が、大きな鐘楼に吊され、傍らには、昭和
10年(1935)の竣工時に現在の本堂に用いられたという、高さ2m余りで重量530
㎏という大きな鬼瓦が置かれていた。


 報恩寺の北側に、「筑波」というそば屋さんがあった。正午を少し過ぎたので、ここで
昼食をすることにした。


 店内はかなり広いが、墓参に来たらしい近隣の人たちが次々に出入りして満員。私たち
も幾つかのテーブルに分かれたが、一般のそば屋さんより盛りが多くて美味い。賑わうの
も当然で、よい店に入ったとみな満足した。

 店のおすすめ、筑波そばは450円、私の食べたとろろそばは550円だった。

 道路を隔てた東側には、いまは都内でも数少なくなった銭湯が残り、煙突から煙が上が
っていた。


 北側の通りを西に入って、次は上野小の北にある法善寺へ。本堂は近代的なコンクリート
造り。


 本堂右手の墓地に、天保5年(1834)と7年に江戸の風俗や行事、名所などを絵入り
解説した「江戸名所図会(ずえ)」を完成させた、斎藤長秋(ちょうしゅう)以下三代の墓
が、きゅうくつな墓地の片隅にあり、都史跡に指定されていた。


 北側の通りに回って東へ向かうと、行く手に建設が進む東京スカイツリーが望まれる。


 (続く)


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四国遍路で泊まった宿⑤

2011-09-21 21:55:46 | 四国遍路あれこれ
 9月21日(水)午後、台風15号が浜松市付近に上陸し、わが所沢市も15時頃から風雨
が強まり、日よけ用に鉢植えした朝顔のつるが、支柱やネットとともに抜けるのではないか
と思われるほど、激しく揺れ動きました。このあたりでは久しぶりのことです。

 でも、県内秩父地方を通過したという19時頃には、雨風とも治まりました。

 皆様のところはいかがだったでしょうか。被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

=====================================

 3度目の四国遍路の後半は、今年2月下旬に再開しました。引き続き、後半に泊まった
宿を紹介します。

 2月23日(水)夕方、前半の最後にお世話になった愛媛県大洲市のときわ旅館へ。今回
は、別格7番出石寺へ往復するために連泊させてもらったので、再度の紹介です。


 大洲市中村、遍路地図54-1、2泊4食では割引で12,500円、洗濯はお接待です。

 2月24日(木)の朝食


 玄関を入ると、小さいながら趣ある中庭があり、池にコイが泳いでいます。


 別格7番出石寺に往復して2泊目、2月24日の夕食


 夕食の大部屋には、前半の最後のとき同様にひな飾りがあり、遍路関連のパンフレットが
何種類か用意されていました。


 後半の遍路を再開した2月25日(金)は、JR内子駅をスタートして、小田川から吉野川
沿いに進んで、砥部町(とべちょう)総津のたちばな旅館泊。


 遍路地図には出ていませんが、55-1図の落合トンネル東側、53.6㎞点から北へ1㎞
ほどのところ。電話をすれば、落合トンネル東のこの地点まで迎えに、朝もここまで送って
もらえます。

 1泊2食7,350円でした。

 宿泊者は、ほかに歩き遍路の方1人だけ。2人分の布団の用意された広い部屋に1人で
入らせてもらえました。


 たちばな旅館の夕食


 2月26日(土)は久万高原町(くまこうげんちょう)に入り、鴇田(ひわた)峠を越えて44番
大宝寺と45番岩屋寺に参拝して、3度目の国民宿舎古岩屋(ふるいわや)荘へ。


 久万高原町直瀬乙にあり、遍路地図は56-1、1泊2食6,800円、洗濯機200円です。
大風呂は源泉温度13℃という沸かし湯ですが、暖かくてつるつるでした。



 夕食のメニューは、盛りだくさんです。


 ここもロビーの隅に、ひな飾りが並んでいました。


 古岩屋荘の朝食


 2月27日(日)、三坂峠を下って松山市に入り、46番浄瑠璃寺から別格9番文殊院まで
お参りして、浄瑠璃寺のそばの民宿長珍屋(ちょうちんや)へ。旅館でもあり、団体遍路も
何組も泊まれます。


 松山市浄瑠璃町、遍路地図58-1、1泊2食6,825円でした。



 大部屋での夕食


 長珍屋の朝食


 2月28日(月)は、松山市内を48番西林寺から53番円明寺まで回り、途中で寄って荷を
預けた、道後温泉に近い松山ユースホステルに泊りました。


 歩き遍路さんが、結構利用しているユースホステルのよう。場所は松山市道後姫塚、遍路
地図59-B、1泊2食4,935円、洗濯機200円、乾燥機は100円。

 神泉園共和国とも呼び、ソーラー発電設備やソーラー温水器が設けられるなど、地球環境
に優しい運営を心がけているとのこと。岩盤浴(850円)もでき、無料でインターネットの使え
るパソコンもありました。

 4人部屋を、一人で利用させてもらいました。


 松山ユースホステルの夕食 


 3月1日(火)は、番外霊場鎌大師を経て、JR予讃線大西駅前のあさひや旅館へ。初回に
続く2度目の宿泊でした。


 場所は今治市大西町新町甲、遍路地図62-2、宿泊費用はメモ忘れですが、6,000円
くらいだったと思います。



 あさひや旅館の夕食


 (続く)

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カタツムリ歩行 JR武蔵野線 新座駅(埼玉)

2011-09-19 17:58:58 | カタツムリ歩行
 2011年9月18日(日)

 JR武蔵野線周辺の駅に集まって、カタツムリのようにゆっくりじっくりと半日歩く、カタツムリ
歩行の第207回例会に参加した。今回の集合はJR武蔵野線の新座(にいざ)駅、10時過ぎ
に駅前を出発する。

 車の通行の激しい国道254号(川越街道)を横断し、線路の南側沿いの道路を西に進む。
不二家などの工場を過ぎると、広葉樹林が残っていたので、林の中を貫く細道へ。


 林床の一角に、ヒガンバナが咲いている。


 その先に、もとフィールドアスレチック場だったらしい所があり、木製の遊具が幾つか残って
いた。


 道なりに左に折れると前方に畑が広がり、その柵にトンボが幾つか止まっている。


 高圧送電線付近の住宅地の南側に、菅沢稲荷神社があったので寄り、境内のサクラの木
の下で水分補給を兼ねて小休止した。前回の7月例会も暑かったが、今日も残暑が厳しい。


 そばに大きなマユミの木があり、実がたくさん付いていた。暑いながらに、秋はもうすぐ
そこまで来ているのだ。


 南側の車道出て東に向かう。南側一帯には農地が広がり、軟らかな土の農道があるが、
10人近い人数なので入るのは止めて、先に進む。


 十文字学園女子大の正門付近から右折して再び南へ、ふと西の遠方に目をやると、久し
ぶりの富士山が見えた。まだ夏姿だが、今月下旬には初冠雪の報を目にするかもしれない。


 次の通りに出て、少し東側で右折して住宅地を抜ける私道に入る。中ほどの民家の板塀
からウメの木が伸びている。やさしい配慮のお宅に、どんな花を見せてくれるのだろうか…。


 その住宅地にあるミニ公園の片隅には、フヨウのつぼみがいっぱい。もう咲き終わった
時期ではないかと思うのだが、こんな木もある。


 私道を抜けた通りの向こうには、国の天然記念物になっている平林寺の境内林が広がる。

 武蔵野の面影を残す貴重な林で、クヌギ、コナラ、アカマツ、エゴノキ、クヌギ、クリなどを
主体に56haに及ぶという。

 東側の通りを南下して、山下橋のところから平林寺境内林の北側に沿って流れる野火止
(のびどめ)用水沿いの遊歩道に入ると、野火止ホタル飼育施設があった。


 いまはこのような細い流れだが、野火止用水は、承応4年(1655)に川越藩主松平信綱
により、武蔵野台地開発の一環として生活用水の確保を目的として造られたもの。多摩郡
小川村(現在の東京都小平市)から玉川用水を分水して、新河岸川までの約25㎞を40日
で完成したという。


 流れに沿って、珍しい黄色やピンクのヒガンバナが幾つか咲いている。その間には普通の
赤い花だろうか、すでに咲き終わった株もたくさん並んでいた。


 住宅地を抜けるときは暑かったが、平林寺境内林の緑陰で日差しを遮られた野火止用水
緑道は気持ちよい。


 600mほど進んだ送電線下付近に、F製作所の小さい工場があり、建物の壁に掲げられた
社名標の横に、製品を組み合わせた飾り物があった。特殊チェンの製造工場らしい。


 工場のところで野火止用水緑道に分かれ、ゴールを目指して畑の間の細道を北に向かう。
畑の片隅になぜか、古い展望車が置いてある。どこかのトロッコ列車の観光用にでも使われて
いたのだろうか…。


 住宅地に入ると、道路側が花で埋もれていたお宅があった。どこから入るのかも分からない
くらい、花に彩られている。


 ゴールの若宮八幡宮には、正午ちょうどに着いた。

 若宮八幡宮は、江戸時代の「新編武藏風土記稿」にも記されていて、寛政3年(1791)銘
の力石が奉納されているとか。

 境内の一隅には、新座で最初の水道(1949)発祥の地であることを記した、「源泉水道
発祥の地」碑が立っていた。


 境内で昼食後、記念撮影とミーティングをして、13時近く解散となった。


 私は神社北側の車道を北西へ、西武池袋線清瀬駅に向かったが、残暑をまともに受けて
暑いので中断し、少し先のバス停からバスで清瀬駅に出た。

 (天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 新座市)

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四国遍路で泊まった宿④

2011-09-17 21:05:07 | 四国遍路あれこれ
 昨年3月12日(金)は、土佐清水の市街地を抜けて西へ、竜串(たつくし)にある民宿とさ
やに泊まりました。場所は土佐清水市竜串、遍路地図は48-1図です。


 1泊2食6,850円、翌日のおにぎりは300円ですが、50円のお接待をいただきました。

 2階にある洗面所兼用の小さいロビー


 民宿とさやの夕食、宿泊者は私だけでした。


 3月13日(土)、大月町に入って番外霊場の月山神社にお参りをして、小筑紫(こづくし)の
港に面した大島屋旅館へ。2回目でしたが、看板が無いので近くの人に確認して入りました。


 宿毛市(すくもし)小筑紫にあり、遍路地図49-1、左の窓から小筑紫の港が眺められ
ます。


 1泊2食で5,500円、おにぎり弁当は250円。ここでも50円お接待いただきました。

 大島屋旅館の夕食、この日も私一人だけ。


 3月14日(日)は、午前中に宿毛市の市街地に入り、この岡本旅館へ荷を預けて39番延光
寺まで往復して参拝してきました。2度めの宿泊です。


 宿毛市中央7丁目にあり、遍路地図は46-A、1泊2食6,000円



 岡本旅館は料理店でもあり、夕食は美味しい海の幸が中心です。


 3月15日(月)、長かったけれども私としては1番好きな高知県の最後の日、県境を越え
て愛媛県に入り、雨の中40番観自在寺にお参りして、御荘(みしょう)の町中にある民宿
磯屋に3度目のお世話になりました。


 場所は愛媛県愛南町御荘平城、遍路地図は50-1図、いつもは2階の部屋に入れてもら
ったのですが、この日は1階の床の間のある部屋へ。大きなヒョウタンが飾ってあります。、


 1泊2食6500円、洗濯機無料、乾燥機代200円でした。

 数人しか泊まれない小さい民宿ですが、歩き遍路に理解の深いおかみさんの暖かい対応
と美味しい食事が人気で、1度泊まるとまた来たくなる宿です。

 民宿磯屋の夕食 


 3月16日(火)は宇和島市に入り、旧津島町の中心地にある大畑旅館に初めての宿泊。松
の右手は、岩松川の流れです。


 宇和島市津島町岩松、遍路地図50-B、1泊2食6,820円です。

 部屋は、玄関の奥の2間続きの12畳で、バストイレ付きでした。


 大畑旅館の夕食 、部屋に運んできてくれました。


 はし袋に「文学ゆかりの宿」と書いてあったので、ご主人に伺うと、獅子文六が2年間滞在
して、毎日新聞の連載小説「てんやわんや」を執筆したとのことでした。

 3月17日(水)、別格龍光院から42番佛木寺(ぶつもくじ)までお参りして、近くの民宿とう
べやへ。


 宇和島市三間町則にあり、遍路地図52-1、1泊2食6500円、洗濯機は無料、乾燥機
が100円です。



 ぼくとつな親父さんが一人で切り盛りしている小さい宿ですが、ここならではのメニューの
食事がおいしく、親父さんとのコミュニケーションも気持ちが和らぎます。

 前半の最後は、2010年3月18日(木)、43番明石寺(めいさきじ)で御朱印をいただき、
大洲市の市街地にある、ときわ旅館にお世話になりました。ここも歩き遍路に人気の宿で、
私も3回目、お勧めの宿です。


 場所は大洲市中村、遍路地図は54-A、1泊2食6,500円、洗濯はいつもお接待でして
いただき、乾燥後きちんとたたんで、部屋に届けて下さります。

 ひな祭りの近い時期には、食事をする大広間には、ひな壇が飾られます。


 堀ごたつの食卓でいただく夕食も、きめ細かな飾り付けでおいしく盛りだくさん。


 夕食時の同宿のお遍路さんや、食後の若いご主人との情報交換などのひとときが楽しく、
ご主人も厳冬期に歩き遍路を経験されていて、遍路道や近隣の宿などの情報も豊富です。

 朝食ももりだくさん


 いつも、歩き遍路に必要な、まち針やホッカカイロなどの小物を詰めたパックをお接待いた
だいています。  

 (続く)

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残暑の中にも秋の気配が

2011-09-15 17:14:15 | 所沢だより
 9月15日(木)、今日も所沢では31℃を超える暑さ。ここ数日真夏並みの残暑が続いて
います。でも、町の中を歩いてみると、秋の彩りが少しながら感じられました。

 昨年は猛暑が続いて、確か月末まで見られなかったヒガンバナが、今年は季節に合わせ
て開花し始めています。今年の彼岸入りは20日(火)です。



 上は、わが地区の守り神、六所神社前の東川(あずまがわ)沿いに、下は、少し上流の道路
際の空き地で見つけたもの。



 その東川の流れを見下ろすと、ハヤでしょうか、小さい魚がたくさん泳いでいます。一番大き
いのは、コイかもしてません。


 10年くらい前までは、この川も家庭からの雑排水の流入があって、水の少ない時期はぬる
ぬるしたものが底に付いていたのですが、最近は無くなり、このような小さい魚が流れのいた
るところで見られるようになりました。時には、子ども達が釣りをする姿も目にします。

 わが家の近くまで戻ってくると、Kさんの庭にはオミナエシが初秋の彩りを見せています。


 別のKさん宅では、咲き残るスプレー咲きのバラがまだ元気に…。


 残暑は、彼岸入り前後まで続きそうですが、こうして、少しずつ秋の気配が濃くなって行く
ことでしょう。


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四国遍路で泊まった宿③

2011-09-14 20:52:09 | 四国遍路あれこれ
 2010年3月5日(金)、高知市内の32番善師峯寺(ぜんじぶじ)と33番雪蹊
寺(せっけいじ)にお参りして、雪蹊寺門前の民宿、高知屋へ。2度目ですが、建物は
新しくなっています。


 場所は高知市長浜、遍路地図35-1、1泊2食6,500円、洗濯は2度ともお接待
でしていただきました。


 改築して新しい建物は清潔で、この夕食も明るい食堂でいただきました。


 3月6日(土)、34番種間寺から36番青龍寺まで回り、三陽荘に泊まりました。


 青龍寺の手前1㎞足らずの土佐市宇佐町竜にあり、遍路地図は36-1、1泊2食
8,550円、洗濯機100円でした。

 上の写真に見える黄色い看板の「黄金大師」は、大食堂にある祭壇の中心に祭られて
います。


 部屋の写真では、いつも洗濯物が吊されていて、お見苦しくて申し訳ありません。


 三陽荘の夕食


 3月7日(日)は土佐市から須崎市に入り、別格5番大善寺の参拝のみで、JR土讃
線の安和(あわ)駅に近い民宿あわへ。2度目の宿泊です。


 須崎市安和にあり、遍路地図は38-A,1泊2食6,000円、コイン式のエアコン
は2時間100円。洗濯機と乾燥機は無料でした。夕食時の食堂は、遍路同士やおかみ
さんとの良いコミュニケーションの場となります。



 民宿あわの夕食


 3月8日(月)は、37番岩本寺に近いまるか旅館へ。四万十町琴平町にあり、遍路
地図は38-C、1泊2食6,500円でした。


 まるか旅館の夕食。


 3月9日(火)、翌日の足摺岬を目指して四万十町から黒潮町に進み、3回目の民宿
日の出に泊まりました。場所は黒潮町上川口、遍路地図40-1図、1泊2食6,000円、
洗濯機、乾燥機とも100円、エアコン100円。

 部屋からは海の眺めが良く、朝は宿の名の通り日の出が望まれます。部屋、風呂、トイ
レなど、みな清潔感にあふれ、部屋の暖房は有料なのでエコロジカルです。

 いつも海の幸がいっぱいの夕食。


 清潔感あふれる食堂の一角


 民宿日の出の朝食。今回の遍路では初めての、納豆がついていました。


 3月10日(水)も、足摺岬を目指して前進するのみ。時折雪も舞う寒い日、四万十市
から土佐清水市に入り、久百々(くもも)にある民宿久百々へ。遍路地図は42-1図、
1泊2食6,000円

 歩き遍路に人気の遍路宿のひとつで初回は泊まれず、2度目のお世話になりました。
今回は、食堂の隣の部屋です。


 おかみさんのもてなしが評判の宿、10人くらいでいっぱいになるので、予約は早め
の方がよさそう。野菜の多いヘルシーメニューの夕食をいただきながら、おかみさんや
同宿者とのコミュニケーションの場が楽しい。翌朝いただくおにぎりなど、お接待の品
数は盛りだくさん。

 ヘルシーメニューの夕食


 食事をする部屋には、訪れたお遍路さん達から送られたものなど、遍路の本がいっ
ぱい並んでいて、私が送った、2度目のときの遍路レポートも並んでいました。


 なお、久百々のWeb Pageの「思い出写真館」には、日々宿泊したお遍路さんの
写真がアップされています。

 3月11日(木)は、足摺岬にある38番金剛福寺に参拝し、岬の先に回って民宿青岬
に泊まりました。ここも私のお気に入りの宿で、3回目です。民宿とは思えぬ、りっぱな
建物です。


 土佐清水市松尾の外れにあり、常緑広葉樹林に囲まれた自然がいっぱいの宿。遍路地図
は42-2、1泊2食7,350円、洗濯機は無料で乾燥機100円でした。

 青岬の屋上に出ると、歩いてきた足摺岬方面や、松尾の集落などが見晴らせます。 


 部屋、風呂、食堂などみな明るくて清潔。夕食、朝食とも、地元の魚介類を中心に盛り
だくさん(下は夕食)。盛りつけもきれいでみなおいしくいただきました。 


 おかみさんは、俳句や詩などを地元新聞などに投稿し、話題も豊富で話し好き。ご主人
ともども気持ちよい対応で、設備、食事、対応などみな満足、私1番のお勧めの宿です。

 青岬の朝食


 さらに高知の遍路旅は続きます。 (続く)

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四国遍路で泊まった宿②

2011-09-11 21:09:06 | 四国遍路あれこれ
 2月26日(金)、雨の中、徳島県最後の霊場23番薬王寺に参拝して、JR牟岐(むぎ)線
牟岐駅前の民宿あづまに泊まりました。1階は、おかみさんが飲食店を兼営しています。


 場所は徳島県牟岐町中村、遍路地図は25-A、1泊2食6,500円でした。

 風呂やトイレは普通の民家並みですが、ご自身も自動車で四国遍路をされた、おかみさん
の歩き遍路への心づかいと、梅酒の食前酒をはじめとする美味しい食事、独特のパジャマと
ガウンは、この宿ならではのもの。3回お世話になりました。遍路地図も置いてあり、希望者
は分けてもらえます。

 部屋は2階です。


 食堂での夕食


 2月27日(土)は、県境の水床トンネルを通過して徳島県から高知県へ。最初の町、東洋町
生見(いくみ)にある民宿いくみ泊。遍路地図は24-4図。1泊夕食と朝の弁当で5.650円

 生見海岸は、サーファーがたくさん訪れるところ。民宿いくみをはじめ、幾つかのサーファー
向けの民宿があります。建物は撮り忘れたので、食堂での夕食時に撮ってもらった写真を。


 翌朝は早出したかったので、おにぎりをお願いしたら、寝る前に届けてくれました。


 2月28日(日)、室戸岬の24番最御崎寺(ほつみさきじ)を目指して、海岸沿いの国道55
号をチリ地震による津波警報を気にしながらひたすら進み、最御崎寺に近い岬観光ホテルに
泊まりました。


 室戸市室戸岬町、遍路地図は26-B、1泊2食8,400円でした。



 岬観光ホテルの夕食


 3月1日(月)は、室戸岬から西岸に回り、25番津照寺(しんしょうじ)と26番金剛頂寺に
参拝して、奈半利(なはり)の町並みの手前にある4階建てのホテルなはりへ、雨の中入り
ました。


 場所は奈半利町乙、遍路地図28-C図、1泊シングル5,500円、洗濯機200円、乾燥
機は100円です。 

 シングル室内。


 夕食はホテル内の食堂で、これは鰹たたき定食で1,580円でした。


 3月2日(火)は、27番神峯寺(こうのみねじ)への参拝のみ。宿泊は、安芸市の中心街に
ある西内旅館へ。遍路地図30-1、安芸市本町1丁目、1泊2食6,500円。2度目の宿泊
でした。


 コンクリート造りながら、内部は老舗旅館らしいたたずまいです。


 西内旅館の夕食


 朝食


 3月3日(水)は午後、激しい腰痛に悩まされた日、28番大日寺を経て29番国分寺に向
かいましたが、納経締切り時刻にとうてい着きそうになく、途中でJR土讃線に1駅だけ乗り、
御免(ごめん)駅から1㎞ほどの南国ビジネスホテルへ。


 南国市篠原、遍路地図は32-1図、1泊シングル4,200円、朝食500円。



 夕食はホテル内の食堂にて、鰹たたきや湯豆腐などで1,250円。


 南国ビジネスホテル食堂での朝食


 3月4日は、29番国分寺と30番善楽寺を回り、高知市内のホテル土佐路たかすに宿を取
り、雨ながら31番竹林寺へも往復してきました。晴れ上がった翌朝撮った宿の写真。


 場所は高知市高須の国道32号沿い、遍路地図は32-1、1泊シングル4,900円、朝食用
のおむすびセット400円、洗濯機200円、乾燥機100円でした。



 夕食は、国道を挟んですぐ前にあった、たかす食堂で。おかずやご飯など1品ずつ選べ
ます。これで715円でした。


 (続く)

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四国遍路で泊まった宿①

2011-09-09 19:05:34 | 四国遍路あれこれ
 昨年の前半と今年の後半、ともに同じ2~3月に歩いた3度目の四国遍路にて、宿泊した
宿を紹介します。歩き遍路にとっては、毎日長い距離を歩いて疲れた体をリフレッシュして
くれる、宿の存在は大きく、ありがたい場所です。

======================================

 遍路の初日、2010年2月19日(金)は、1番霊山寺(りょうぜんじ)から5番大日寺まで
参拝し、6番安楽寺の宿坊に泊まりました。2回目です。

 徳島県上板町、遍路地図では10-2図、宿泊料金は1泊2食で6,500円、コイン洗濯機
200円、乾燥機は100円。

 風呂は温泉です。部屋は明るくて清潔、夕食前に勤行(ごんぎょう=おつとめ)があります。 

 宿泊した部屋


 安楽寺宿坊の夕食


 これは朝食


 2日目の2月20日(土)は、6番安楽寺から11番藤井寺まで回り、JR鴨島駅前にある
3度目のさくら旅館へ。遍路地図は12-A、吉野川市鴨島町です。


 1泊2食6,300円、家庭的な雰囲気の宿です。宿泊者は私だけでしたが、食事時の若い
ご主人とのコミュニケーションが楽しく、翌朝お接待いただいた弁当の包み紙には、おかみ
さんの手書きのメッセージが記されていて、いつも昼食の時に読んで感激します。

 夕食のメニュー


 2月21日(日)、11番藤井寺を経て、最初の「遍路転がし」をたどって12番焼山寺(しょう
ざんじ)に上がり、玉ヶ峠を越えて植村旅館にお世話になりました。

 遍路地図は14-1図、神山町本名(ほんみょう)にあります。

 1泊2食7,000円、洗濯はおかみさんがして下さり、洗濯代200円でした。山間集落本名
にあるただ1つの宿。ひなびた雰囲気とおかみさんの心温まる対応が気に入り、3度お世話
になりました。部屋は3部屋なので、多客の時には相部屋になります。



 植村旅館の夕食


 2月22日(月)は、徳島市内に近接する霊場、13番大日寺から17番井戸寺まで参拝して、
市の中心街にある東横イン徳島駅眉山口泊り。遍路地図18-Aのエリアですが、記載されて
いません(上部左、国道439号沿い)。徳島市東大工町です。1泊シングル4,870円

 東横イン徳島駅眉山口のシングル室内、ベッドはセミダブルの大きさなので、ゆったり寝ら
れます。




 2月23日(火)は、小松島市内の18番恩山寺と19番立江寺にお参りして、勝浦町坂本に
ある「ふれあいの里さかもと」に泊まりました。遍路地図は92-1です。

 ご覧のように、鉄骨3階建ての建物、廃校跡の校舎を活用したものです。集落を見下ろす
高台にあります。

 1泊2食6,300円、翌日昼食用にお願いしたおにぎりは210円。洗濯機は無料、乾燥機は
200円でした。

 地元の若い方々が、てきぱきと対応して下さり、きれいな部屋や広いジャグジー風呂、地元
料理を盛りつけた食事も美味しく、設備、食事、対応とも、私が泊まった遍路宿の中でもトップ
クラスでした。

 私の部屋は、もとの校長室です。


 玄関横にある談話室、地元産品の直売もしています。


 ふれあいの里さかもとの夕食


 朝食もたっぷり


 2月24日(水)は、別格3番慈眼寺(じげんじ)に往復後、第2の遍路転がしと呼ぶ、標高
500m台の2つの霊場、20番鶴山寺(かくりんじ)と21番太龍寺(たいりゅうじ)に上り下り
して、民宿龍山荘に泊まりました。


 遍路地図21-1図、阿南市加茂町。1泊2食6,500円、洗濯機100円、乾燥機100円。
太龍寺から3.8㎞下った静かな谷間の宿。なかなか見事な庭木が並んでいました。 



 龍山荘の盛りだくさんの夕食 上半分は同泊のもう一人の分です。


 2月25日(木)、22番平等寺(びょうどうじ)と番外霊場弥谷(いや)観音に参拝後、海沿い
に出て、JR牟岐線の田井ノ浜駅に近い民宿明山荘へ。


 円弧を描く田井ノ浜海水浴場が目の前、シーズンには海水浴客で賑わいそうな宿です。遍路地図
22-2、美波町(みなみちょう)田井にあります。1泊2食7,000円でした。



 この頃、NHK総合TVの朝のドラマで「ウェルかめ」を放映中。この美波町が舞台でしたので、
宿にもポスターが…。


 明山荘の夕食


 【注】遍路地図とは、へんろみち保存協力会遍の「四国遍路ひとり歩き同行二人」【地図編】
第9版(第8版も同じ)のこと。

 (続く)

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