2008年12月23日(火・祝)
天皇誕生日の今日、やまさんが葛飾区内を10回に分けて順次回
る、「ぐるり一周葛飾探見歩行」の第5回目に参加した。
集合は、JR常磐線亀有駅。亀有といえば、「週刊少年ジャンプ」
で1976年に連載を開始して以来、全国の人々に愛され続けている、
「こちら葛飾区亀有公園駅前派出所」の舞台である。
主人公の両津勘吉像が駅周辺に3つあるという。まず北口にある
右手を挙げた両津勘吉像を見てから、南口に回る。
南口の本物の交番横にある「両津勘吉 祭り姿像」の前で並んだ
ら、交番から警官が出てきてシャッターを押してくれた。
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集まったのは老若男女?とりまぜた多彩なメンバー11人。
駅から南に少し、亀有郵便局近くの5差路にも、「少年両さん像」
があった。
旧水戸街道の上宿から一里塚跡を経て、曳舟川親水公園に出たとこ
ろに、本格的な手打ちそばの店「やざわ」がある。
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この店には8月27日に、やまさん、Hさんと入って昼食をした。
曳舟川は、江戸幕府が明暦3年(1657)の大火の後、本所・深川
方面の新市街地へ飲料水を供給する目的で開削された水路で、水
源は、瓦曽根溜井(現在の埼玉県越谷市)だった。
上水の廃止後、篠原村(現四ツ木)から亀有村までの28町(約3
㎞)の水路を利用して「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上
から長い綱で肩にかけて曳くことが始まり、「曳舟川」と呼ばれるよ
うになったという。
帝釈天参りや水戸街道に出る旅人が利用した曳舟は、江戸東郊
の風物として人気を呼び、多くの紀行文や初代広重の「名所江戸
百景」などに画かれている。
曳舟川親水公園は、もとの曳舟川沿いの歩道で、何か所かに東
屋(あずまや)やトイレなどを設けて公園にしてもので、亀有4丁目
から南に3㎞くらい続いている。
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一部には流れも復活し、ビオトープも設けられていた。
親水公園沿いにあった店。ワンちゃんも入って一緒にお茶を飲め
る?という愛犬家にはうってつけの店らしい。
親水公園が6差路となるあたりで西に向かい、そばの上千葉砂原
公園に入った。
園内北東の隅に、D51502が保存されていたが、一部塗装が
はげ落ちていて、保存状態が良好とはいえないのが残念だ。
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このSLは、昭和16年(1941)に国鉄鷹取工場で製造され、奈良、
広島、新鶴見、新津、直江津などの各機関区管内を走り、酒田機関
区で昭和47年(1972)1月に廃車となり、2か月後にこの公園に
保存することになったとのこと。
走行距離数は、地球を47周に近い約187万7千㎞に及んでいる
という。
公園の一角に「ふれあい動物広場」もあり、子どもたちがポニーに
乗ったり、モルモットなどの小動物をだっこしたりできるようになって
いた。
公園の北側には、東京二十三区内では珍しい都立農産高があり、
敷地の隅でアシタバが大きく育っていた。
上千葉砂原公園の西に伸びる、西亀有せせらぎ公園に入ると、
南米の楽器を演奏している人がいた。
和楽器の笙(しょう)のようなのはサンポーニャといい、芦の筒を
使っているとのこと。演奏しているのは、竹で自作したケーナだと
いう。
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「せせらぎ仙人」と自称するこの方は、区内に住むサラリーマンで、
土日にここで演奏を楽しんでおられるとのことだった。
さらに西に続くせせらぎ公園は、イチョウ並木が続いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/f0/32082956a6d3cb44d630547fcff7c743.jpg)
かつて、この地は水田を中心とした農耕地で、そのかんがい用水
路や排水路だったところがこの西亀有せせらぎ公園になっている。
東西に延びる亀有せせらぎ公園の西端まで行き、少し先を回って、
北に伸びるもう一つの亀有せせらぎ公園に入った。
「カンタンの里」と記された一角があり、ほんのわずかなあし原に
「鳴く虫の女王」と呼ばれるカンタンが生息して、晩夏から秋にかけて
きれいな音色を聞かせてくれるという。
北端まで進み、左折した西側は藤塚西公園。正午近いので、ここ
で昼食とする。少年2人は上で、私は下の段で食べた。
昼食後は、さらに西の西亀有二丁目へ。JR常磐線の線路の北に
ある都立葛飾ろう学校のそばから古隅田川緑道を進む。もとの川の
流れに沿ったカーブが続いていて、一部は流れが見えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/a4/f312219775c22f4f1d71fc87aeaff7c3.jpg)
古隅田川は16世紀まで利根川の流末のひとつで、広大な河川敷
だったようだが、利根川が江戸に氾濫を及ぼすために、江戸時代初
期から改修され、江戸川を経て現在の流路に付け替えられた。
のち、旧河道の古利根川が中川として新宿(にいじゅく)から南流
すると、それまで西流して隅田川へ注いでいた河道は干上がり、河
底部が大きく蛇行して残った。これが古隅田川だという。
緑道を南に進み、堀切八丁目の香取神社に入った。
別の流れの跡らしい緩やかなカーブの「青葉ふれあい通り」から、
堀切七丁目を都立葛飾盲学校のそばまで進み、小菅三丁目の住宅
地を北に抜け、小菅四丁目の連昌寺に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/c0/cc68f5f34d1e5753320ae37da191e97f.jpg)
境内はかなり広くて木々も多く、山門や鐘楼もあり、かなりの歴史
を持つ寺院らしい。
綾瀬一丁目と二丁目の間を北に進み、13時50分に亀有の西隣、
綾瀬駅に着き、散会となった。
今回は、古くからの民家はほとんど見られず、第2次大戦後に増え
たと思われる住宅街だったが、親水公園や緑道が多く、休日という
こともあるのか交通量も少なく、散策によいエリアだった。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 草加、歩行地 葛飾区)