あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

西武ライオンズ リーグ制覇記念など絵柄のマンホールふた(埼玉・所沢)

2019-12-29 22:36:45 | 所沢だより
 2019年12月29日(日)

 埼玉西武ライオンズのリーグ制覇を記念したマンホール蓋(ふた)が、西武鉄道所沢駅
の東西の駅前ロータリーに設置されたとの新聞記事があったので確認に出かけ、あわせて
周辺の駅を含めて設置されている広告など絵柄デザインのマンホール蓋も撮ることにした。

 わが家の最寄り、西武池袋線西所沢駅前には無いかとまず立ち寄ったが、見当たらない。


 次に所沢駅西口に行き、西武ライオンズパリーグ制覇記念マンホールの一つを見つけた。
これは西武ショッピングセンター(旧西武百貨店)前にある。
    
 辻発彦監督が胴上げされて宙を舞っている写真である。

 ほかに、所沢駅西口では、広告入りマンホール蓋と、所沢市のイメージキャラクター・
トコろんをデザインした2つが見つかった。
    

         

 駅の階段を上がって東口の駅ビル、グランエミオに入り、2階の商店街を一巡したら、
古い所沢駅のモノクロ写真3枚が掲示されていた。





 いつ頃の写真か、年代は記されてない。


 東口の西武ライオンズリーグ制覇記念マンホール蓋は、グランエミオのビルの北東側、
喫茶店前にある。


    

    
 東口には、西武鉄道本社ビルがあり、その前には西武鉄道のマンホール蓋など幾つかあ
った。


        

 所沢市のイメージキャラクター・トコろんと、埼玉西武ライオンズのマスコットキャラ
クター・レオ。この絵柄は市内何か所かで見ている。
    
            
              

 東口を北に進んで西武池袋線と新宿線の踏切を渡り、さらに北進してファルマン通りを
経て、所沢航空記念公園に南側中央部から入る。


 
 公園中央部の北側にある所沢市民文化ホール・ミューズ(MUSE)↑は、耐震強化工
事で3月末まで休館中だが、そのミューズ入口付近から西武新宿線の航空公園駅前まで、
ミュースのデザインのマンホール蓋があるので、順次駅に向かって撮る。 


    

         

    

 少し汚れた通常のマンホール蓋もところどころに。


    

        

    

        



    

 航空公園駅前まで進む。


    


 駅前には広告入りも幾つか。
    

         

    



    



    

        

 航空公園駅西口に回ったが、こちらには無かった。

 線路に沿って西側を北進し、中ほどで踏切を渡って線路の東側沿いに新所沢駅東口へ。
だが、ここにも広告入りはない。

 2階の駅コンコースを抜けて西口に下ると、以前紹介したことのある2つの広告入りマ
ンホール蓋がある。
    

        

 ほかにも無いかと付近を見たが見つからない。これで今日のデザインマンホール蓋探し
は終了とし、自宅に向かった。

 今日のマンホール蓋探しの市内ウオーキング距離は9㎞だった。

 なお、帰宅後所沢市上下水道局のサイトで確認したら、現在広告を募集しているのは、
所沢駅西口と東口、新所沢駅西口、小手指駅南口、狭山ヶ丘駅東口、航空公園駅東口のみ
ということがわかった。

 応募状況に応じて、今後募集か所を増やすこともあるという。

 次の機会を作り、小手指駅や狭山ヶ丘駅の広告入りマンホール蓋も訪ねてみることとし
たい。






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目黒区の二つの天空庭園と祐天寺など巡る(東京・渋谷、目黒、世田谷)

2019-12-26 16:09:02 | 江戸・東京を歩く
 2019年12月23日(月)

 定期購読している月刊誌「地図中心」の発行元・日本地図センターで来年の地図関連カ
レンダーの無料配布をするというので、2日目の今日出かけた。


 JR山手線渋谷駅西口を10時37分にスタートする。国道246号線と道玄坂に挟ま
れた細い通りの急坂を上がり、合流点近くで国道に合する。歩道のイチョウがまだ葉を残
していた。
     

 旧山手通りを横断し、急坂の大坂を下った山手通りに面した左手が、日本地図センター
である。
    
 昨日も地図配布があり残りは少ないが、世界地図、日本地図などの大判カレンダー4枚
をもらう。さらに売店で最近発売の2万5千分の1地形図2枚を購入し、11時10分に
日本地図センターを出た。

 この後は、探しておいた周辺のポイントを幾つか回ることにする。

 国道246号を南西にすぐ、上を走る首都高3号線の大橋ジャンクション下へ。


 国道をこ道橋で横断してエレベーターで上がり、一周約400mのジャンクション屋上
に設けられた「目黒天空庭園(めぐろてんくうていえん)」に入る。

 高速道路ジャンクション屋上の公園は全国初のようで、約7千㎡のエリアには、四季折
々の自然や和の文化を楽しめる回遊式の和風庭園が整備されている。


 管理棟↑を出ると、反時計回りの緩やかな上り傾斜に沿って季節の花の咲く花壇、芝生地
と種々の植栽が続き、両側に遊歩道と階段があり、どちらを上がってもよい。





 ところどころに色づいた葉も残り、常緑広葉樹の葉も昨日の雨でみずみずしい。
    


 周辺のビルや住宅群なども望みながら少しずつ上がる。途中には休憩用の東屋やベンチ
もあり、いくつかの石灯籠も配置されている。


    

    
 大きな盆栽の松や植え込みの松、彩りの残るモミジなど見ながら最上部まで上がった。


 西側のビル群、この中央部辺りから富士山が見えるというが、今日は雲があり望めない。   

    
 赤い実がたわわに実るクロガネモチやモミジなど眺め、一巡し終えたので退出すること
にした。
         

    

       
 北東側、目黒区立大橋図書館などのある42階建て超高層ビル・クロスエアタワー↑の
9階に入り、エレベーターで1階に下りた。
     

 国道を南西にすぐで目黒川を渡り、ソメイヨシノの並木の続く右岸沿いへ。



 小さな水車小屋があり、二つ目の橋で川を離れて南西に進み、東山公園内を北東から南
西へと広い芝生地を抜ける。


 東山小グランドの北西側の交差点際に標高31.1m水準点マークがあったので探した
ら、サクラの古木下にすぐに見つかった。しかも「一等水準点 第一一〇二五号」の説明
板もある。


 国道でもないのに一等水準点とはと思ったが、そばに「国土地理院跡地記念碑」もあり、
ここに昭和54(1979)年まで国土地理院があったことなどが記されていた。
     
 国土地理院は現在のつくば市に移る以前はここにあったのだったと、来たことはないが
うろ覚えの知識ながら思い出す。背後の一帯は公園として整備されていた。

 落葉したイチョウの街路樹の続く通りを少し進み、世田谷公園の北東端に出た。北側は
サッカー場とテニスコートで、その南側一帯に公園としての種々の設備や豊富な木々が目
に入る。


 テニスコートの南側には、SLのD51272号とヨ14740号貨車が保存公開され
ていた。


 D51272号は昭和14(1939)年の製造。昭和47(1972)年に山口県厚
(あさ)機関区で廃車されるまで、主に九州や広島方面で貨車輸送専門に活躍し、走行距
離は地球約61周の約245万8千㎞になるという。


 公園の中央部には六角形の池があり、大きな噴水がきれいな弧を描いていた。


 池の北側には「平和の灯」と呼ぶモニュメントが立つ。昭和60(1985)年に世田
谷区が「平和都市宣言」を行った5年後に設置したもの。製作は区内在住の彫刻家・向井
良吉氏だという。
     


 池の南側はソメイヨシノの多い「さくら広場」。


 その南側のカエデ広場を囲んでミニSLの走行するレールが楕円形で大きく一周し、そ
れら一帯を囲んで豊富な樹林がよい緑陰を構成している。


 公園の南東端から出て、池尻特別支援学校前を東へ、右左折して「蛇崩(じゃくずれ)」
という珍しい名の交差点に出た。地形図では、東に向かう緩やかなカーブの緑道らしいの
があるのでその道を進むことにした。
     
 入口に「蛇崩下橋」の橋桁があり、流れが走っていたことが分かる。少し先に居られた
奥さんに聞くと、やはりこの下は蛇崩川の流れとのこと。50年くらい前に奥さんが来ら
れた頃には周辺に蛇がいて、「東京なのに蛇がいるとは」と驚いたことも話してくれた。

 ちなみに、蛇崩川は世田谷区弦巻付近から東流し、中目黒付近で目黒川に合流する全長
約5㎞で、昭和48(1973)年に暗渠化され、蛇崩川緑道としてサクラ、フジ、サツ
キ、アジサイ、クチナシなどが植えられているとのこと(「東京の川を歩く」飯野頼治著)。


 住宅地の間を縫う緑道で、両側の樹木や花、紅葉、柿の実をついばむ鳥など見ながら進
み、上目黒五丁目のキリスト兄弟団目黒教会際の交差点へ。
    

     


 緑道を離れて北側の区道に回り、住宅に挟まれた西照寺に入るが、境内は狭くて由緒な
どもなく、変わった鬼瓦だけが目につく。



 東側近くには烏森稲荷神社が祭られ、ほぼ葉の落ちたイチョウの古木が2本立っていた。


 すぐ先、蛇崩川緑道の諏訪山橋で緑道に戻るが、その先は車道と並走するので緑道幅は
狭まる。
     
 ソメイヨシノが数本並ぶ先で東急東横線の高架に突き当たり、北側のガードをくぐる。

 南東に緩やかに上がり、大きなビルの目黒区役所に13時半近くに入り、1階奥のレス
トランで昼食とした。

 遅いので主なメニューは売り切れ。注文したのは牛丼のような丼ランチ(560円)だ
った。
    

 食堂の東側には池があり、植栽も少しあって区役所としては珍しい造りである。


 珍しいといえば、ここに来た目的は屋上庭園を見ること。エレベーターでR階まで上が
って屋上に出ると、「目黒十五庭(とうごてい)」と呼ぶ屋上庭園がある。


 都市部のヒートアイランド現象を緩和する一助として、目黒区では屋上や壁面緑化の助
成制度を平成14(2002)年からスタートしたが、その情報発信基地として東京農大
の全面協力を得て総合庁舎屋上に庭園を整備したもの。

 この総合庁舎は、平成13(2001)年まで生命保険会社として使われていたとか。

 建築家村野藤吾(むらのとうご)氏の名建築として評価されているところから、屋上庭
園の作庭にあたり屋上緑化への「十五の思い」と村野藤吾氏の名前にちなみ、「目黒十五
庭」と名付けたという。

 面積は1,120㎡あり、中高木約20種140本、低木など約30種1,700株、地
被植物約50種2,000ポット、コウライシバなどで構成されているとか。





 横長の屋上庭園の数々の植栽や芝生、咲き出したアセビ、野菜畑などの間を一巡した。
    

 
 期待したほどびっしり植栽に覆われてはいないが、地球温暖化に対する区の取り組みの
ひとつとして貴重な場所と思われた。

 1階に下りて長い廊下を回り、入ったのとは反対の駒沢通りに面した東口から区役所を
後にした。

 区役所のすぐ南側に、「中目黒しぜんとなかよし公園」と呼ぶ小緑地がある。豊富な樹
林の中に、モミジやクヌギなどの紅葉が明るい彩りを見せる。
     



 区役所寄りの一角には「平和の石」がある。原子爆弾で被爆した広島市旧庁舎の階段の
石で、同庁舎建て替えの際、平和の使者として目黒区民に寄贈されたものとか。

 そういえば、わが所沢市役所にも、同様に広島市から寄贈された平和の石があった。


 駒沢通りを南西に少しで、天祖神社に参拝する。境内にはケヤキやイチョウの高木があ
り、左手背後の児童遊園地のモミジがよい彩りを見せていた。
         

 拝殿左手前の小さい覆い屋に2基の庚申塔が祭られていた。

 右は享保元(1716)年の建立、道標を兼ねていて区内の道標碑では最古のもののよ
う。左は宝永5(1708)年の建立である。

 さらに駒沢通りを300mほどで、板塀に囲まれた祐天寺(ゆうてんじ)の表門前に着
いた。

 浄土宗祐天寺は、享保3(1718)年に祐天上人を開山と仰ぎ、その高弟祐海上人が
創建した寺院。将軍吉宗から特別の保護を受けるなど、徳川家と因縁のある寺として栄え
てきたとか。

 広い境内にある本堂、書院、地蔵堂、地蔵堂門、表門、水屋、それに鐘楼の7つの建造
物が登録有形文化財である。


 明治初期建造の表門を入ると、正面に享保20(1735)年建立の仁王門があり、5
代将軍綱吉の息女竹姫の寄進という。表門を入った右手の地蔵堂に、「子まもり地蔵尊」
が祭られている。


 左手の地蔵堂門は嘉永4(1851)年建立、奥の地蔵堂は天明8(1788)年建立
で、その前の手水鉢には「え組」と刻まれていた。




 近代建築の精進堂を挟んで南側は阿弥陀堂で、享保9(1724)年の上棟。仁王門と
同じ綱吉の息女竹姫の寄進のよう。


 正面の本堂は万延元(1860)年の建立。賽銭箱にはたくさんの鳶(とび)組の組紋
章が記されていた。



 本堂前左手の掲示板にはこのようなことばがあり、右手前の大きなドウダンツツジの紅
葉が見ごろ。



 本堂左手は近年再建らしい新しい仏舎利殿で、前面に祐天上人などの描かれた大きな絵
馬が掲示されている。


 本堂右手は寺務所の祐光殿で、その前に格好良い赤松が2本ある。

 仁王門右手の鐘楼は、享保14(1729)年の建立。下がる梵鐘は6代将軍家宣(い
えのぶ)の17回忌追善供養のため、正室の天英院(てんえいいん)(近衛煕子(このえ
ひろこ))が発願したものとか。

 鐘の上部には徳川家家紋の三葉葵(みつばあおい)、門部には近衛家の家紋の牡丹が記
されていて、徳川家と祐天寺の関係を示す貴重な資料という。

 元文3(1738)年の27回忌追善を機に時の鐘として撞(つ)かれることになり、
現在も朝6時と正午に撞かれているという。

 鐘楼の北側には累塚(かさねづか)がある。

 文政年間(1818~30)に鶴屋南北が脚色上演した累一族の怨霊にかかる歌舞伎の
名作にちなみ、大正15(1926)年に6世尾上梅幸、15世市村羽左衛門、5世清元
延寿太夫などが施主になり建立したもの。

 以来、歌舞伎や清元の上演者は必ず詣でる慣習になっているという。

 境内中央部左手にある五社神社の横を進んで、東側の墓地へ。中央部近くに大正天皇の
生母、柳原一位局(愛子)の墓があるが、東日本大震災の影響だろうか、少し右に傾いて
いた。


 その先には、東京都指定旧跡・祐天上人墓がある。
     
 祐天上人は、江戸中期に活躍した浄土宗の高僧。桂昌院の帰依を得て将軍綱吉との関係
を深め、正徳3(1711)年に将軍家宣から芝増上寺住持を命ぜられて36世になり、
多数の寺院の復興などを行ったとか。

 祐天寺は、祐天上人の遺言により、高弟祐海が念仏道場を建立したのが始まりで、祐天
を開山とし、祐海は2世となったという。

 ほかに、表門を入り左手にある2基の海難供養碑、目黒区区発展の功労者で寺の興隆に
尽力した島崎七郎翁之像などを見て、表門から寺を出た。

 寺の斜向かいの目黒高の先の交差点を右折して駅前商店街を進み、15時28分に東急
東横線の祐天寺駅に着いた。間もなくの渋谷行き上り電車で帰途につく。


 ほとんど下調べもせずに回ったが、歩いてみると初めて知る場所や、祐天寺と徳川家と
の関係など興味深いことなども分かり、充実したウオーキングとなった。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、歩行地 渋谷区、目黒区、
 世田谷区、歩数17,500)






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令和初の正月から「所沢七福神めぐり」が開場(埼玉・所沢)

2019-12-20 22:17:46 | 七福神めぐり
 2019年12月20日(金)

 年号が平成から令和に代わって最初の年も残り11日となり、何かとご多忙の方も多い
かと思います。

 新年というと、七福神めぐりを計画されている方もおられるのではないでしょうか。そ
こで、首都圏で七福神めぐりをしてみたい方に新しい七福神めぐりの情報です。

 令和2(2020)年元旦から、「所沢七福神めぐり」のコースが開場されますので、
簡単ですが紹介します。



     

 この七福神めぐりは、狭山丘陵周辺にある所沢市内の7つの寺院を巡るもので、所澤郷
土博物館の平塚宗臣(そうじん)館長が、所沢の豊かな自然、歴史を物語る史跡・名所・
寺院を地域振興に役立てたいと5年前から練っていた構想とのこと。

 令和の改元を機に、平塚さんが指揮を執って7つの寺院の住職と檀家が一丸となり準備
されたようです。

 また、7つの寺の選抜条件としては、歴史のある寺で駅から徒歩圏内の立地、車の往来
が多くない道路であること。途中には狭山丘陵の八国山、将軍塚、鳩峰八幡社、荒幡富士、
所沢市民の森などがあり、子どももでも飽きの来ないハイキングコースになっているとか。

 各々の寺には、所沢のマスコットキャラクター「トコろん」入りのご朱印(300円)
が用意されています。

 ただし、オリジナルの御朱印帳や朱印色紙は用意されていないようなので、自分で用意
して行く必要がありそうです。詳しくはこちらのサイトをご覧下さい。 

     

 最寄り駅は、西武池袋線・新宿線の所沢駅、池袋線西所沢駅、狭山線の下山口駅、西武
園線の西武園駅で、全行程はゆっくり歩いて約4時間、車では1時間半程度で回れそう。

 マップは、所沢市内の町づくりセンターや所沢駅、市内元町の野老澤町造商店(ところ
ざわまちぞうしょうてん・通称まちぞう)などに置いてあります。



 この地図では、実際歩くにはわかりにくいかと思いますので、2万5千分の1地形図
「所沢」や、市役所や町づくりセンター、まちぞうなどにある「ところざわウオーキング
ナビ」の西エリア、中央エリア↓などを併用するとよいかと思います。

     

 ただし、ウオーキングナビには、恵比寿天の持明院、寿老人の光蔵寺、布袋尊の本覚院
は掲載されていませんので、グーグルマップなどで検索する必要があります。

 7つの寺院の住所は以下の通りです。

 1.恵比寿天 時明院(じみょういん)  所沢市北秋津85

 2.大黒天  長久寺(ちょうきゅうじ) 所沢市久米411
 
 3.福禄寿  佛願寺(ぶつげんじ)   所沢市久米2445

 4.弁財天  永源寺(えいげんじ)   所沢市久米1342

 5.寿老人  光蔵寺(こうぞうじ)   所沢市荒幡499

 6.布袋尊  本覚院(ほんかくいん)  所沢市荒幡653

 7.毘沙門天 海蔵寺(かいぞうじ)   所沢市山口2725

 問い合わせ先は 主催 所沢七福神「八国山、荒幡富士コース」霊場会
                  事務局 04-2922-2965 平塚さん

         協力 一般社団法人 所沢市まちづくり観光協会
                      080-4473-1056

 私も、新年になったらさっそく巡拝して報告したいと考えています。
 




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有楽町駅前の国際フォーラムからJPタワー経由 東京駅まで(東京・千代田)

2019-12-15 17:14:27 | Weblog
 2019年12月14日(土)

 会食のため、正午近くにJR山手線の有楽町駅に下車しました。

 東京駅寄りの国際フォーラム口を出ると、その東京国際フォーラムの建物2棟のひとつ、
ガラス棟が間近です。
     
 ガラス棟は、JR東京駅~有楽町駅間の山手線線路西側に近接しており、線路のカーブ
に平行した構造になっているようです。

 ガラス棟と東京国際フォーラムの主要棟との間の広場。ケヤキの葉はもうすぐ落ちそう。


 ガラス棟1階からの内部の様子。ガラス吹き抜けの大きなホールは船を題材にしていて、
この国際フォーラムの設計は、アメリカの建築家ラファエル・ヴィニオリの設計とのこと。
開館したのは1997年1月のよう。
        

 1階で待ち合わせをした家族と間もなく合流し、そばのビックカメラのビル内でゆっく
りと昼食をしました。

     
 食事を終えて再び国際フォーラムのガラス棟へ。B1階へ下りるエスカレーターからの
内部の眺め。
      

      見上げた天井は
          

 反対側の東京駅側1階に上がると、江戸城を最初に築いた太田道灌の像が。像は、江戸
城の方角を望んで立っているよう。
     
 開都500年記念の昭和31(1956)年10月、彫刻家 朝倉文夫氏により制作され
たもの。
          

 
 像の下にその由来が記されており、この場所が都庁だった頃にこの像が都庁前にあった
ことは私もよく知っていましたが、その像がここに戻っていたとは今日ここに来るまで知
りませんでした。


 そばには、寛永15(1638)年に徳川家光により建築された江戸城天守の1/84
スケールの模型も。


 その横の床面に描かれた、花絵師 藤川晴彦氏による「花歌舞伎クリスマスVer.J」とい
う作品。


 北側の出口からガラス棟を出ました。馬場先通りを挟んでそびえる丸の内の超高層ビル。


 北西側、赤煉瓦の三菱1号館際のイチョウの黄葉がよい彩り。


 東北側、JR山手線や新幹線などの高架橋の向こうに立つ超高層ビル2つ。
     

 通りを横断して北に進んで、東京中央郵便局のあるJPタワー「KITTE(きって)」
へ。
     

 1階のアトリウムと呼ぶ大ホールには、LED照明に輝く大きなクリスマスツリーが下
がっていました。
          

     
 このツリーのひとつひとつのボールは、長野県飯田地方の伝統工芸「飯田水引」の紙紐
を使用して作られたものとか。
     
 ボールは1,000個あり、ひとつひとつ職人の手によって編まれたようです。


     ツリーの斜め横下に展示されてあった水引のボール
    

     
 じっと見上げていると、LED照明の色が何色にも変わりました。
     

     

     
 この「水引イルミネーションプログラム」は、12月25日(水)まで開催されます。
     

     


 色が一巡したようなのでホールを出て、東京駅丸の内南口前から15時40分頃に地下
に入り、東京メトロ丸ノ内線で池袋に向かいました。

 
 




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名残の紅葉を求めて椿峰緑道から狭山湖へ(埼玉・所沢)

2019-12-12 18:58:56 | 所沢だより
 2019年12月11日(水)

 15℃前後の暖かさになりそうなので、久しぶりに狭山湖まで市内ウオーキングに出か
けることにして、11時15分に自宅を出ました。

 小手指南(こてさしみなみ)の住宅地を西に抜けて、椿峰(つばきみね)ニュータウン
の中層住宅群の中を東西に貫く椿峰緑道に向かいます。


 小手指南1丁目の大規模な戸建て住宅地のある民家のドウダンツツジ。
    


 その先の住宅で咲いていたのはジュウガツザクラでしょうか。
    

 椿峰ニュータウンの東端から椿峰緑道に入ります。こちらにもドウダンツツジが何か所
かで見られました。 


      モミジの彩りもあちらこちらで
     





 緑道を覆うモミジは、かなり落ちているところも。



 
     

      椿峰中央公園近くの緑道に下がるピラカンサ。
     

      椿峰中央公園の広葉樹林
     

 西側の中層住宅際の大きなモミジ






     
 さらに進んで椿峰西公園に入ると、車道側のモミジもよい彩りに。
         


 緑道沿いの広葉樹やモミジ、ドウダンツツジなど。




     
 椿峰緑道の西端に近い高峰公園にも、よい彩りのモミジが。




 椿峰緑道の西端まで進み、椿峰ニュータウン西交差点上を跨道橋で越えて、その先に続
く広葉樹林内の遊歩道に入ります。
     

 少し先には、狭山丘陵の緑の自然を残す活動を支援する、所沢市の「緑のパートナー活
動地」であることを記したパネルが。
     

      一帯は豊富な落葉広葉樹林に覆われています。
     



 この辺りは「堀口の森」と呼ぶ自然保護エリア



 樹林に囲まれた狭山茶の茶畑が現れます。


 こちらも市の保存樹林で、ブナ科とヒノキ科の木が中心のよう。


 北側の樹林が途切れた、西部浄水場のそばに小さな稲荷神社が祭られています。


 間もなく南北に走る市道を横断して、狭山湖堰堤(えんてい)の北端近くに。


 湖面にはたくさんのカモが


 狭山湖北東端近くの湖岸


 堰堤北端の休憩舎周辺には、湖面の鳥を狙うカメラマンが何人か三脚を立てていました。





 堰堤北端周辺の木々の彩り





 13時過ぎ、帰路に着くことにして、折り返してもう一度湖面を眺めました。



 わが家の水道水の供給元である西部浄水場↑や、そばの、満杯になった大規模なゴミ処
理場上を土で覆い被せた上にできた、ソーラーパネル群のある「メガソーラー所沢」と呼
ぶところを少しだけ眺め、北に向かって下って行きます。

 西部浄水場構内


 メガソーラー所沢






    


 往路に通過した保存樹林を眺めながら少し進むと、行く手にお寺の屋根や小手指駅前の
高層ビルなどが望まれました。


 北野南2丁目の古くからの集落に入り、小さめの社殿の藤森稲荷神社に参拝。
 
 藤森稲荷神社は、文政7(1824)年に伏見稲荷神社により、神霊を持ち帰って安置
したといわれているよう。北側の児童遊園地に、大きなフジの木があるので「藤森稲荷」
と呼ばれるようになったのだろうか…


 そばの民家の大きなツツジ
    


 下り坂の途中に見えた寺、全徳寺に入り、参拝しました。





 境内のモミジもよい彩り
    

 近くには、新しい十六羅漢像が並んでいました。


 その横には「そのうち」という碑が、すこし読みにくいかもしれませんが


 少し先から、小さな流れに沿った遊歩道を東へ、沿道に実るミカンとマユミ。




 市の施設「小手指まちづくりセンター」に立ち寄り、さらに流れ沿いを。民家のキクが
きれい。


 大六天交差点を経て、15時37分に帰宅しました。

 (天気 晴後曇、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 所沢市、歩数
  19,500)





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所沢市役所で「ひょうたん展示会」と「とことこ市」を見る(埼玉)

2019-12-10 21:29:22 | 所沢だより
 2019年12月10日(水)

 今日もほとんどお日様が顔を出さない薄寒い1日でしたが、市内ウオーキングは市役所
や所沢航空公園方面へと出かけました。

 市役所に入ったところ、1階の市民ギャラリーでひょうたん展示会を開催中だったので、
のぞいて見ました。何年か前にも1度見た記憶があったからです。
     

     

 所沢市内在住の人が中心で、埼玉県内の会員が最近作成したらしい、ひょうたんを用い
た作品がたくさん展示されていて、見事で興味深い作品ばかりでした。




 こちらは、会員の活動状況を記したパネルや作品



 ちょっと分かりにくいですが、各々のひょうたんに日本の歴代の年号を記した作品










     

 シンプルながらほのぼのとした夫婦ひょうたん


          

 小さいひょうたんで作った輪飾り


     そのひとつ
    





    



         

 かなりひょろ長いひょうたんも


 下の作品は、会津塗のように色を塗っては乾かす作業をくり返し、最後にヤスリで削り
出してつくるという、手間のかかる作品のよう。
     



         

             

     

 入口近くにあったこの大きなひょうたんは、長さと胴回りのクイズ用。私も回答してみ
たのですが外れでした。私が書いた長さは1m15㎝、胴回り1m08㎝としたのですが…
     

 1階ホールの市民ギャラリー近くには、大きなクリスマスツリーが。
     
 飾り付けは、市内の3つの児童館の子どもたちがつくってくれたとのこと。

 市役所本庁舎を出て、東側のNTTビル1階にある市役所別館前では、毎月第2火曜日
に開催される市内の農産物などを直売する「とことこ市」を開催中でした。










     


 野菜を販売している店の一つでハヤトウリを求め、南側の航空記念公園に入りました。




 




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米軍基地を横断する東西連絡道路の工事進む(埼玉・所沢)

2019-12-09 22:42:15 | 所沢だより
 2019年12月9日(月)

 昨日は、太平洋戦争の開戦から78年になりましたが、戦争の終結(敗戦)から74年
になる現在も、沖縄を初め国内各地にはまだ多くの米軍基地が存在しています。

 所沢市にも、旧陸軍の所沢飛行場が昭和20(1945)年9月から米軍に接収された
広大な通信基地があり、その後、三次にわたりその一部が変換されましたが、基地が南北
に長く位置しているので、基地を大きく迂回しないと行けないため、基地の東西を貫いて
市民が通行できる「東西道路」の建設をかなり以前から要望してきました。

 その結果、2009年に米軍から具体的な返還条件(案)が示され、基地返還協議会が
検討を重ね、米軍からの返還条件に対する市と国との負担区分が決まり、2012年に日
米合同委員会で返還合意が行われました。

 以下は、上記のことなどを記した所沢市基地対策協議会と所沢市作成のパンフレットの
表紙とその一部です。
     

     

     

     

 私は、市内ウオーキングで時々基地の西側の市道周辺を歩いてきましたが、昨年辺りか
ら通信局舎やアンテナの解体とそれらの移転先での新設などの工事の模様を見ております。

 今年に入ってからでしょうか、いよいよ東西道路の工事が始まり、少しずつ道路の様子
が見えてきたので、今日はその模様を紹介することにして、うす寒い曇天で写真も冴えま
せんが撮ってみました。

 東西連絡道路の西側には、第一次返還により設置された国立障害者リハビリテーション
センター(略称リハセン)が北側(写真の左側)に、防衛医科大学校と東京電力、環境調
査研究所が南側(写真の右側)にあります。

 その道路西端、T字路の国立リハビリ入口交差点付近から東方(基地方向)を見たもの。







 東京電力の建物


 リハセン側(北)の広い歩道を基地に向かうところ。


 リハセン構内のイチョウ並木はもう葉がかなり落ちていました。
  

 防衛大学校の北東端にある体育館の建物周辺


 そばには、基地全面返還の推進塔が。



 道路東端のT字路交差点、この先、金網の中で東西連絡道路が工事中。


 T字路交差点際からふり返る西側道路

 
 金網の隙間からの工事中の連絡道路の様子、上の写真の手前(下)が、この新しい道路
の手前側と結ばれるのです。






 一方、この東西連絡道路の反対側、基地の東側から見た工事の様子(11月16日)


 基地西側沿いの市道を北に進みます。つぎのT字路近くには、東西連絡道路新設に伴い
撤去されたアンテナに代わり、今年新設された新しい通信用アンテナが見られます。




 その交差点近くには、東西連絡道路建設に伴う所沢市負担分の道路工事の説明パネルが
4個並んでいました。








 4つの工事合わせて、所沢市負担の工事費が4億円を超えていることが分かります。

 そばで見た新しいアンテナ2種




 通信基地の西北端まで進み、基地を一望します。


 同じ場所から、東西連絡道路の南側、基地の南端近くに立つアンテナ群を少しズーム
アップしてみると。


 西北端近くには、工事の全体像についてのパネルもあります。


 2つの地図をそれぞれ拡大してみると。




 所沢市基地対策協議会と所沢市発行のパンフレットの最終頁に記された今後の取り組
みについて
    

 それにしても、この東西連絡道路建設に伴う工事費が、所沢市負担分が14億6千万
円、国の負担額が53億円になるとは。わずか延長580m、幅員16m道路を通すだ
けでもこんなにお金がかかるとは驚きです。

 でも、この道路の完成により、現在は北側、南側ともコの字状に迂回していた道筋が
一直線で行けるようになるのですから、利便が向上される市民はかなり多くなるものと
思われ、年度末までの開通が待たれます。


〈追記〉この道路の開通当日(2020年3月28日(土))の様子はこちら

 




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師走に残る所沢航空記念公園の紅葉(埼玉・所沢)

2019-12-06 18:31:34 | 所沢だより
 2019年12月4日(水)

 師走に入って4日目、穏やかな快晴となり気温も15℃近くまで上がりそうなので、今
日の市内ウオーキングは最後の紅葉を見ようと、所沢航空記念公園に向かうことにします。

 その前に、ここもいつもの市内ウオーキングルートの一つ、西武新宿線の新所沢駅西口
に近い緑町中央公園にも足を向けてみることに。

 この公園は、周辺の新所沢団地ができた時に設けられたものですが、以前からの武蔵野
の面影を残す雑木林を活かして作られており、ナラやクヌギなどの落葉広葉樹とアカマツ
の林が公園の大部分を覆っています。

     

    

 
 モミジの木は1本だけ、よい彩りを残していました。
  


 
        



 航空記念公園に着く頃には13時を過ぎたので、そばの所沢市役所8階の食堂で昼食を。
食事を済ませ、南側の市街地中心部のマンション群や、眼下に広がる航空記念公園を一望
します。


 市立図書館の東側一帯のソメイヨシノは、もうほとんど落葉していました




 左手のドームは、当ブログで6回前に紹介した航空発祥記念館。


 東南東側をズームアップすると、都心のビル群も望まれました。




 一方、逆光の西南西方面には丹沢山塊の山並みが。


 市役所を出て航空記念公園に入ります。航空発祥記念館と市立図書館の間のハゼの彩り。



 近くのコナラやソメイヨシノ


 市立図書館の南東側に回ると、1本だけのモミジが。


 その辺りから西側の市道方面を空かしてみると、クヌギかコナラの黄葉が望まれました。
     

         

 日本庭園に回って門を入ったところで、例年同様クリスマスを迎えるトナカイ君が待機
しています。


 日本庭園の南西側にある、落葉広葉樹やモミジなどの間を回ってみました。
     



   
     
     

    

 日本庭園の東北側に出ました。航空発祥記念館前に展示されているC-46輸送機の背
後のイチョウはまだ緑の彩りも。


 中央部の放送塔から南に延びる園路沿いの彩り。


 放送塔の南東側、花の丘際の大きなツツジ。


    


 南側へ緩斜面を下ったところ、むさしの川沿いの2本のモミジがよい彩りに。




         

 放送塔から伸びる園路沿いのモミジ






 大きなコナラの黄葉


 南側の国道463号線沿いに出て、西新井交差点から所沢駅方面に向かいました。
 




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池田山と呼ぶ東五反田から白金台を歩く(東京・品川、港区)

2019-12-04 21:21:47 | 江戸・東京を歩く
 2019年12月1日(日)

 今年最後のカントリーウオークグループの例会に参加した。今回はカントリーウオーク
ならぬタウンウオークで、集合はJR山手線の五反田駅、10時11分にスタートした。

 
== 池田山の公園と白金台の寺町を経て白金台の児童遊園へ ==

 集合した西口から東口に回り、国道1号線を北へ少しで、「池田山」とも呼ばれる東五
反田五丁目の住宅街へ。北西へと進む途中、少し大きな住宅風建物にベラルーシ共和国大
使館が設置されていた。
     


 近くに「ねむの木の庭」と呼ぶ小公園がある。平成16(2004)年開園の約200
坪の庭園は、上皇后美智子様がご誕生からご成婚まで過ごされた正田(しょうだ)邸の跡。

 園内には約60種という草花や50本の樹木があり、その中心部に公園の名となったネ
ムの木が。
     

 さらに、上皇后陛下が皇后時代に読まれた草花などの歌が、幾つも記されていた。
         

 池田山の静かな住宅街を北へ、上大崎一丁目との境の通りに出て東へ下り、第三日野小
の南側、台地底部の斜面に広がる豊富な樹林に覆われた池田山公園に入る。



 園内は、池を中心にした回遊式庭園で、入口付近には古いつるべ井戸が残る。


 何本かあるモミジの紅葉が見ごろで、池には小さい滝も流れ込む。
     


 池の周囲を一周し、モミジやハゼの紅葉などを眺めた。


        

 第三日野小北側の通りを西へ、少し先のマンション風建物の一角がタジキスタン共和国
大使館で、上階に国旗が掲揚されていた。
     

 その通りは西から北へ回り込み、台地に向かって上がる。T字路に出て東へ、次のT字
路を南に入ると一帯に寺院が数カ所ある。


 右手最初は光取寺で、本堂はコンクリート造り。境内右手に古い地蔵尊など数基が並び、
中央部のひとつには寛文4(1664)年と刻まれていた。道路側塀の外には「子守り地
蔵」も祭られている。


     


 南に接するのは清岸寺(せいがんじ)で、本堂は古くからの建物のよう。この周辺の寺
では唯一、第二次大戦の戦火を免れたのだという。

     
 入った左手に、品川区天然記念物「清岸寺のサクラ」が目に入る。芝増上寺三十六世の
祐天上人(ゆうてんしょうにん・1637~1718)のお手植えと伝えられ、樹齢250
~300年になるようだが、近年樹勢が衰えて接ぎ木したようだ。

         
 右手墓地には「板東家之墓」がある。歌舞伎俳優、坂東三津五郎家のもので、初世から
七世までの三津五郎とその夫人の名が刻まれ、その前には大きなクチナシが色づいた実を
付けていた。



 道路を挟んで東側は隆崇院。正面に青瓦屋根の本堂があり、門を入った左手には延命地
蔵大菩薩が祭られていた。
     
 もとは、浅草山谷(さんや)の専念寺に延享4(1747)年に造立したもので、昭和
2(1927)年に当寺と合併した際、転座したという。


 南側のT字路を左折、下り坂の左手に新しいお堂がある。開け放たれた扉を入ると、本
尊の阿弥陀仏を中心に、左右に脇侍の普賢(ふげん)菩薩と観音菩薩が祭られていた。


     
 四隅上部には、金色で小さい多聞天、持国天、増上天、広目天の四天像が立っていた。
          


 背後の新しい住宅のハゼがよい彩り。その先、右手の戒法寺↓は通過する。



 T字路で折り返して北に上がる。最初の常光寺は独特の屋根でコンクリート造りの本堂
を眺めるのみ。


 隣接した本願寺もコンクリート造りの本堂。掲額「選擇山」の揮毫は三木武夫元総理大
臣である。
    


 屋根下に天女像などの彫刻があり、ブルーと白の色彩は独特な彩り。本堂前のユズが鈴
なりだった。
         

 北に接する最上寺も、コンクリート造りの堂々たる本堂である。


 これら何れの寺も浄土宗の寺で、増上寺下屋敷内子院八ヶ寺の一つのようだ。

 寺町を一巡後、北側の白金台(しろかねだい)三丁目へ。民家の道路際に、真っ赤なヤ
マボウシの実がついていた。食べられるらしい。
    

 都道312号・目黒通りの白金台交差点際に出て、南西にすぐの白金台どんぐり児童遊
園に入る。
    


 ここが今日の昼食地、11時55分に着き、西側の盛り土上の芝生地で弁当を広げた。




 この児童遊園付近は、江戸時代から明治維新までは讃岐高松藩松平家の下屋敷。明治か
ら大正2(1913)年まで海軍省・陸軍省の火薬庫、昭和8(1933)年からは一部
が朝香宮(あさかのみや)邸となり、第二次大戦後は公務員宿舎などに使用され、跡地が
平成18(2006)年に児童遊園になったという。

== 東大医科研や白金の坂などを巡り樹林豊富な自然教育園へ ==
 
 12時37分に白金台どんぐり児童遊園を出た。目黒通りを北東へ、イチョウ並木が色
づき始めた外苑西通りの南端を過ぎる。


 東京メトロ南北線・都営三田線の白金台駅上を過ぎてすぐ、北側の東京大学医科学研究
所構内に入る。



 イチョウなど大きな街路樹の並ぶ園路を進むと、右手に大きなレンガ造りの建物がある。


 左手に、やはりレンガ造りで平屋の近代医科学記念館のユニークな建物が、さらに進ん
で大きな東大医科研病院の前に出た。





 近くの大きなツツジがよい彩りで、大きなイチョウやソメイヨシノなども色づいている。

 4号館などの横を北進して、構内北側中ほどにある裏門に抜けた。門の近くのサザンカ
が花いっっぱい。


 医科学研究所の北側は聖心女子学院の長いコンクリート塀が続き、その間を東進する。
学院の塀の上から、大きなクロガネモがたくさん実を見せていた。



 聖心女子学院の東南端から、白金台四丁目の住宅地を東北へ。二つ目のイチョウ並木の
通りを西に入ると、下り坂の先に聖心女子学院の独特の門が見えた。


 男子は門内に入れないようなので、通りの中ほどで戻る。北に伸びる三光坂の下り際辺
りから、西北へと住宅地を左右折して、聖心女子学院の東北端の細道に下り、都道305
号線に出た。
     
 西に少し、北里研究所の高層ビル↑前から南へ上がる蜀江坂(しょっこうざか)に回り、
聖心女子学院西端の塀沿いを進む。


 坂を上がってY字路際の興善寺横を西進し、明治坂に回って坂を下る。首都高2号線の
北側にある「日東坂下遊び場」と呼ぶ小公園で小休止する。

 南側は、これから入る自然教育園の北端だが、高い塀に囲まれていて入れない。

 南東へ延びる日東坂を上がり、イチョウ並木の外苑西通りに入る。近くのセブンイレブ
ンで飲み物などを調達し、昼食地の児童遊園を抜けて、隣接の国立科学博物館付属自然教
育園へ(入園料 一般 320円、65歳以上 無料)。

 自然教育園は隣接の児童遊園同様に、400~500年前は豪族の館で、江戸時代には
高松藩主松平頼重の下屋敷に、明治時代は陸海軍の火薬庫、大正時代には白金御用地であ
ったよう。
    
 この間、一般の人は入れなかったため豊かな自然が残され、昭和24(1949)年に
国の天然記念物及び史跡に指定され、一般に公開されるようになったという。


 受付のある教育管理棟に入り、自然教育園の自然を紹介する展示を少しだけ見て、豊富
な樹林の間に設けられた園路に入って西北へ。
     
 園路沿いは路傍植物園になっていて、樹木や野草などの名を記したパネルが幾つも続い
ている。


 その先には土塁が残されていた。400~500年前に白金長者と呼ぶ豪族が、外敵や
野火を防ぐために築かれたと考えられているらしい。


 シイの巨木が目につき、周辺にはヤツデの花が多い。


 分岐点で左へ進むと館跡(やかたあと)の説明板がある。この辺りは周囲を囲むU型の
土塁で、その中に白金長者の館があったと考えられているよう。


 少し下り、水鳥の池のほとりに出た。池の南岸付近にたくさんのカモが見える。ここで
V字状に折り返して北に向かう。



 「おろちの松」跡地の説明板付近に、10月の台風の被害か、大木が根こそぎになって
倒れていた。


 その先の少しの広場は休憩所のひとつで、大きな石を囲んでベンチがある。そばで記念
撮影後、ベンチを囲んで乾杯し、ささやかな忘年の集い場所としてしばらくの間歓談する。


 16時近くなったので切り上げ、少し戻って別の道に回り、水生植物園になっている池
のほとりを南東へと戻る。


     
 「物語の松」と呼ぶ古木の赤松の横を進み、往路の分岐まで戻り、16時10分に退園
した。


 都道312号線・目黒通りを西進し、16時27分にJR山手線の目黒駅に着いた。

(参加 12人、天気 晴一時曇、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、
 歩行地 品川区、港区、歩数 18,700)




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新宿歴史博物館の「測量✕地図」展と晩秋の新宿御苑へ(東京)

2019-12-02 20:36:23 | 江戸・東京を歩く
 2019年11月29日(金)

 数日続いていた雨が上がり快晴になったので、新宿歴史博物館で開催中の企画展「測量
✕地図」の観覧と、少し遅いかもしれない新宿御苑の紅葉見物に出かけることにしました。

 西武新宿線の西武新宿駅を11時25分にスタートして、新宿歴史博物館に歩いて向か
います。

 駅の南側から東に延びる靖国通りを東へ、富久町西(とみひさちょうにし)交差点の南
側、外苑西通りに面して見えた寺に立ち寄りました。

 東長寺で、山門はコンクリート造り。山門を入った正面にある本堂もコンクリート造り、
その前一帯は水が張られているという変わった造り。両側の壁面には仏教画が描かれてい
ました。




    
 山門の北側にある多宝塔や鐘楼もコンクリート造りでした。


 富久町交差点の北西側には、マンションらしい超高層ビルが目を引きます。
     

 少し先の富久町交差点辺りからは、行く手にやはり高いアンテナ塔が望まれます。どう
やら市ヶ谷本村町(いちがやほんむらちょう)にある防衛省のアンテナのよう。
          

     
 曙橋(あけぼのばし)交差点の先、中央大学市ヶ谷キャンパスの前から、南に延びる細
い通りの津の守坂通りに入り、少し先でひとつ東側の通りに回り、四谷三栄町にある新宿
歴史博物館に12時15分に着きました。


 新宿歴史博物館は、武蔵野の一原野から今日の新しい都心として変容した、新宿区の風
土に根ざした「まちの記憶」を共有し、未来へと継承していくため、資料の収集保存、調
査研究、展示公開する施設として、平成元(1989)年1月に設立されたよう。

 入口を入ってチケット(一般300円)を買い、地下1階の展示室に下り、まずは目的
の企画展「測量✕地図」の観覧に。この企画は、近代測量150年になる今年の節目にち
なんで開催されたもの。この展示は、撮影可能でした。

 展示は第1章から第6章にわけて構成されていました。


 第1章は「近代測量前史」で、新宿区内の四谷や市ヶ谷、江戸などの絵図、伊能忠敬の
測量隊が文政4(1821)年に完成した伊能中図、その測量に使用した器具などの展示。


 


 第2章は「近代測量の漠開け」で、明治新政府により作成された「迅速測図」と呼ぶ2
万分の1地図の原図を中心に、三等三角点の実物、測図に使用した高測標の模型、明治時
代に設けられた新宿区内の水準点図などが展示されていて、1番大きなスペースを占めて
いました。
     

          



 第3章は「近代測量の発展」で、陸地測量部の発行地図一覧図、5万分の1東京西北部、
東京東北部図などが。

     
 第4章「戦災からの復興」は、戦火をくぐり抜けた地図の銅原板についての説明、東京
の戦災焼失区域を表示した図↑、新宿区の都市計画図、平版測量器具一式↓など。


 第5章「高度成長を支える」は、昭和42(1962)年版2万5千分の1「東京西部」
地形図のみ。

     
 第6章「情報通信技術との融合」では、電子基準点の説明パネルや模型↑、測量用航空
機の説明や模型、最近の豪雨や地震直後の国土地理院による撮影事例の写真などが展示さ
れていました。
          

     

 これら地図やパネル、写真、測量器具など多数の展示により、明治から最近までの測量
技術の進歩や、それぞれの時代を記録した地図による歴史的変遷などがよく分かり、地図
愛好者としては興味深く大変参考になりました。

 この企画展は、12月8日(日)まで開催されます。

 このあと常設展示室の観覧に。常設展示室は、1 大地に刻まれた歴史、2 中世の新
宿、3 江戸のくらしと新宿、4 近代文学にみる新宿、5 昭和初期の新宿、6 戦中
から戦後・平成 新宿のうつりかわり、及び特設コーナーに分かれて展示されていて、基
本的には撮影禁止ですが、中に4か所だけ撮影可能の展示があったので、その写真のみ紹
介します。


 最初はコーナー入口付近の内藤新宿模型


 次は「商家のたたずまい」を紹介する江戸時代の建物と内部の様子
     


 こちらは東京市電5000系車輌で、中にも入れます。


     
 最後は、文化住宅の生活を紹介した昭和10年頃の落合に借家住まいをする若いサラリ
ーマン家庭の様子を紹介したもの。
     



 これらを観覧して、14時頃退館しました。館の入口付近には、大正2(1913)年
に開通した四谷見附橋(よつやみつけばし)の高欄(こうらん)の一部が展示されていま
した。

 現在の国道20号線(甲州街道)にかかる橋で、JR中央線四谷駅をまたいで新宿区と
千代田区とを結んでいたもの。平成3(1991)年に道路拡幅のため架け替えられ、再
利用できない部材の一部が当館に寄贈されたようです。

 歴史博物館前の通りには、新宿区に関わる絵柄タイルがいくつか見られました。
    

 その通りを南進して四谷税務署前などを過ぎ、国道20号・甲州街道に出て左折して西
へ、近くのそば店で遅くなった昼食をしました。

     
 四谷三丁目交差点の西北際には、四谷消防署と消防博物館のビルがあり、その西側建物
屋上には消防用ヘリコプターが展示されているのが見えます。


 四谷四丁目交差点まで進むと、行く手に新宿副都心の超高層ビル群の一部が。
     

 交差点の南西側、東京都水道局の建物際には、「史跡 玉川上水水番所跡」、「水道碑
記」、「四谷大木戸後碑」の説明パネルがあり、そばに、都指定有形記念物で玉川上水開
削の由来を記した記念碑「水道碑記」↓が立っていました。
     

 次の十字路を左折すると新宿御苑大木戸口で、14時40分頃入園しました(入園料
 大人500円、65歳以上 250円)。

 チケット売場の自販機付近には65歳以上の料金表示が無かったので、500円のチケ
ットを買って入園したのですが、入口にあったリーフレットを帰宅後見て、65歳以上は
割引があったのだと知りました。

 新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋敷の一部がそのツールといわれ、明治に
入り農事試験場を経て、明治39(1906)年に皇室の庭園となり、昭和24(1949)
年に国民公園として一般公開されたもの。

 園内は、風景式庭園、整形式庭園、日本庭園といった異なる3つの庭園が巧みにデザイ
ンされていて、明治を代表する近代庭園といわれているようで、私もいろいろな時期に10
回近く訪れているところです。

 今日は紅葉に期待して入園したのですが、すでに15時近くに なり西日がかなり傾き、
日陰のエリアが増えているのにまず気づき、真冬の寒さと相まって期待をそがれた感じ。

 大木戸門に近い大温室では、ちょうどこの時期にラン展を開催中のようですが、時間も
無いので省略することとして、まずは南側の玉藻池周辺へ。
     

          

 さらに進んで南東側、整形式庭園のプラタナス並木まで進みましたが、広葉の最盛期は
過ぎた感じ。



 中央部のばら園では、何色かのバラが名残の花を見せていました。
    



 南に下って下の池と中の池の間へ向かうと、木々の間から西方にDoCoMoビルの尖塔が
望まれました。
     

 中の池の北東岸に咲くのはジュウガツザクラか。
   

 中の池の南岸からの北側湖畔の眺め。


 南岸の紅葉は見ごろでしたが、日陰の場所では彩りはいまひとつ。


 あちこちに咲いていたヤツデの花。


   
 北岸の彩りや湖面のカモなどを見ながら西へと進みます。


     




 さらに進んで上の池周辺へ。茶亭楽羽停や松の周辺はまだ日に照らされていますが、
池の周辺はすでに日陰で、見ごろのモミジの彩りももうひとつの感じ。




    

 気温も下がってきたので新宿門に向かうことに。芝生広場の人気も少な目に。



 園路沿いにたくさん咲いていたツワブキ
    


 こちらにも、ジュウガツザクラが花をいっぱいに。
   

 新宿門に近い辺りはモミジが多いのですが、日陰なのが残念。



 15時40分頃、新宿門を出ました。おばの大イチョウが夕日によい彩り。
     

 入口横のインフォメーションセンターの建物前に植えられたこの花は何だろう。



 新宿3丁目の紀伊國屋書店にも立ち寄り、西武新宿駅には16時15分頃戻りました。

 天気は快晴ながら、最高気温は10℃台だったのでビルの谷間になる通りは日差しが届
かず、真冬並みの寒さでした。

 (天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、歩行地 新宿区、歩数
 15,000)

 
 なお、新宿歴史博物館のサイトはこちらをご覧下さい。
 




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