愛媛県に入った四国遍路2回目の旅、前半の行程も残り少
なくなってきました。
2006年12月5日(火)、41番龍光寺へ向かいます。
1710mある国道56号の松尾トンネル経由は避け、旧道の
松尾トンネルを抜けました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/fa/85079815cdd64aadf3451b0a3d16ed02.jpg)
真珠貝砕石工場の先から、復元された新しいへんろ道を下
ります。その復元に尽力されたのが、この、「てんやわんや
王国へんろみち保存協力会」の方々のようです。
同じ日、宇和島市の中心街を抜け、JR予讃線に並行する県
道57号を、42番仏木寺へ向かいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a2/47078ec45134fe878714aa6d1a40a36c.jpg)
JR務田駅まで1.5km足らずのところに立つ、中務(なかつ
かさ)茂兵衛が229度目の遍路で奉納した石の道標。
中務茂兵衛は、明治、大正時代に四国遍路を280回もして、
高松市で亡くなりました。
茂兵衛は、88回目の遍路を機に、自ら発願主となって施主を
募る方法で、石の道標の建立を進め、現在も230余基残って
いるということです。
翌12月6日、42番仏木寺近くの民宿から葉長峠(480m)を
超えて、43番明石寺へ向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/80/d503b623e1ddc8c59cb970990d2fecd6.jpg)
県道31号から土道の遍路道への入り口に立つ標識です。
葉長峠へ向かう道の最も急坂にはくさりがついていて、この
ような標識がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/22/c51be1e028725be2e449dc511ac08dd3.jpg)
宇和高方面からの遍路道から、43番明石寺の長い参道へ
の入り口に立つ、中務茂兵衛奉納の256度石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/73/90171b46740447c32eb1a47cdaee67cf.jpg)
「明石寺2丁」と記されています。
43番明石寺の参拝を終え、西予市と大洲市の市境の鳥坂峠
(とさかとうげ)(470m)越えの道に上がります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5c/9e5eb0f2939d45023cc5a52b29ffc43e.jpg)
峠の先に、日天社という小さい社があります。峠付近に立つ
少し先の日天社への標識。
この日、JR大洲駅に近い旅館に泊まり、翌12月7日、内子
駅まで歩いて、前半の区切りとしました。
後半の遍路は今春2007年2月18日(日)から。初日、内子
町突合の国道379号と380号との分岐にある車遍路用標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/bb/adcc1bf9b9937c9866ab5b2dd0091a82.jpg)
初回は、橋の先を左へ、国道379号経由だったので、今回は
右の国道380号に入り、農祖峠(のうそのとう)経由のルートを
選びました。
2月19日(月)朝、国道380号を内子町最後の集落、大平に
進みます。三島神社付近に立つ、平成遍路石とへんろ道保存
協力会の標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a7/2e399be49bdf1eac41c32397f9c5168b.jpg)
国道380号を離れ、県道42号経由、農祖峠へ向かいます。
国道から、県道へ向かう旧道の分岐にあったもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e3/18c361cf887ec89af948121aa1718d0f.jpg)
県道から分かれ、農祖峠へのへんろ道に入り、しばらくは車も
通れる幅広い道。この先、農祖峠への最後の上りは山道です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/69/ed68fa3db945af45fd61c327c6057a19.jpg)
峠を下った下野尻の集落の先で、44番大宝寺と45番岩屋寺
との最後の分岐点に立つ平成遍路石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ed/697dc82bc92441a060c3de04bafca185.jpg)
右の道を岩屋寺へ向かいました。
45番岩屋寺への最後の集落・槙谷の素鵞神社の先から、八丁
坂へ向かって上がります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/46/501670a0b5d0377b674a12bdd6fb79f6.jpg)
標高730mのこの八丁坂上の分岐には、小さいベンチがあり
ました。この先、気持ちよい稜線を進んで、岩屋寺へ下ります。
(続く)
なくなってきました。
2006年12月5日(火)、41番龍光寺へ向かいます。
1710mある国道56号の松尾トンネル経由は避け、旧道の
松尾トンネルを抜けました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/fa/85079815cdd64aadf3451b0a3d16ed02.jpg)
真珠貝砕石工場の先から、復元された新しいへんろ道を下
ります。その復元に尽力されたのが、この、「てんやわんや
王国へんろみち保存協力会」の方々のようです。
同じ日、宇和島市の中心街を抜け、JR予讃線に並行する県
道57号を、42番仏木寺へ向かいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a2/47078ec45134fe878714aa6d1a40a36c.jpg)
JR務田駅まで1.5km足らずのところに立つ、中務(なかつ
かさ)茂兵衛が229度目の遍路で奉納した石の道標。
中務茂兵衛は、明治、大正時代に四国遍路を280回もして、
高松市で亡くなりました。
茂兵衛は、88回目の遍路を機に、自ら発願主となって施主を
募る方法で、石の道標の建立を進め、現在も230余基残って
いるということです。
翌12月6日、42番仏木寺近くの民宿から葉長峠(480m)を
超えて、43番明石寺へ向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/80/d503b623e1ddc8c59cb970990d2fecd6.jpg)
県道31号から土道の遍路道への入り口に立つ標識です。
葉長峠へ向かう道の最も急坂にはくさりがついていて、この
ような標識がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/22/c51be1e028725be2e449dc511ac08dd3.jpg)
宇和高方面からの遍路道から、43番明石寺の長い参道へ
の入り口に立つ、中務茂兵衛奉納の256度石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/73/90171b46740447c32eb1a47cdaee67cf.jpg)
「明石寺2丁」と記されています。
43番明石寺の参拝を終え、西予市と大洲市の市境の鳥坂峠
(とさかとうげ)(470m)越えの道に上がります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5c/9e5eb0f2939d45023cc5a52b29ffc43e.jpg)
峠の先に、日天社という小さい社があります。峠付近に立つ
少し先の日天社への標識。
この日、JR大洲駅に近い旅館に泊まり、翌12月7日、内子
駅まで歩いて、前半の区切りとしました。
後半の遍路は今春2007年2月18日(日)から。初日、内子
町突合の国道379号と380号との分岐にある車遍路用標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/bb/adcc1bf9b9937c9866ab5b2dd0091a82.jpg)
初回は、橋の先を左へ、国道379号経由だったので、今回は
右の国道380号に入り、農祖峠(のうそのとう)経由のルートを
選びました。
2月19日(月)朝、国道380号を内子町最後の集落、大平に
進みます。三島神社付近に立つ、平成遍路石とへんろ道保存
協力会の標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a7/2e399be49bdf1eac41c32397f9c5168b.jpg)
国道380号を離れ、県道42号経由、農祖峠へ向かいます。
国道から、県道へ向かう旧道の分岐にあったもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e3/18c361cf887ec89af948121aa1718d0f.jpg)
県道から分かれ、農祖峠へのへんろ道に入り、しばらくは車も
通れる幅広い道。この先、農祖峠への最後の上りは山道です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/69/ed68fa3db945af45fd61c327c6057a19.jpg)
峠を下った下野尻の集落の先で、44番大宝寺と45番岩屋寺
との最後の分岐点に立つ平成遍路石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ed/697dc82bc92441a060c3de04bafca185.jpg)
右の道を岩屋寺へ向かいました。
45番岩屋寺への最後の集落・槙谷の素鵞神社の先から、八丁
坂へ向かって上がります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/46/501670a0b5d0377b674a12bdd6fb79f6.jpg)
標高730mのこの八丁坂上の分岐には、小さいベンチがあり
ました。この先、気持ちよい稜線を進んで、岩屋寺へ下ります。
(続く)