あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道の道しるべ(4)

2007-06-23 19:41:48 | 四国遍路あれこれ
 愛媛県に入った四国遍路2回目の旅、前半の行程も残り少
なくなってきました。

 2006年12月5日(火)、41番龍光寺へ向かいます。
1710mある国道56号の松尾トンネル経由は避け、旧道の
松尾トンネルを抜けました。

 真珠貝砕石工場の先から、復元された新しいへんろ道を下
ります。その復元に尽力されたのが、この、「てんやわんや
王国へんろみち保存協力会」の方々のようです。

 同じ日、宇和島市の中心街を抜け、JR予讃線に並行する県
道57号を、42番仏木寺へ向かいました。

 JR務田駅まで1.5km足らずのところに立つ、中務(なかつ
かさ)茂兵衛が229度目の遍路で奉納した石の道標。
 
 中務茂兵衛は、明治、大正時代に四国遍路を280回もして、
高松市で亡くなりました。

 茂兵衛は、88回目の遍路を機に、自ら発願主となって施主を
募る方法で、石の道標の建立を進め、現在も230余基残って
いるということです。

 翌12月6日、42番仏木寺近くの民宿から葉長峠(480m)を
超えて、43番明石寺へ向かいます。

 県道31号から土道の遍路道への入り口に立つ標識です。

 葉長峠へ向かう道の最も急坂にはくさりがついていて、この
ような標識がありました。


 宇和高方面からの遍路道から、43番明石寺の長い参道へ
の入り口に立つ、中務茂兵衛奉納の256度石。

 「明石寺2丁」と記されています。

 43番明石寺の参拝を終え、西予市と大洲市の市境の鳥坂峠
(とさかとうげ)(470m)越えの道に上がります。

 峠の先に、日天社という小さい社があります。峠付近に立つ
少し先の日天社への標識。

 この日、JR大洲駅に近い旅館に泊まり、翌12月7日、内子
駅まで歩いて、前半の区切りとしました。

 後半の遍路は今春2007年2月18日(日)から。初日、内子
町突合の国道379号と380号との分岐にある車遍路用標識。

 初回は、橋の先を左へ、国道379号経由だったので、今回は
右の国道380号に入り、農祖峠(のうそのとう)経由のルートを
選びました。

 2月19日(月)朝、国道380号を内子町最後の集落、大平に
進みます。三島神社付近に立つ、平成遍路石とへんろ道保存
協力会の標識。


 国道380号を離れ、県道42号経由、農祖峠へ向かいます。
国道から、県道へ向かう旧道の分岐にあったもの。


 県道から分かれ、農祖峠へのへんろ道に入り、しばらくは車も
通れる幅広い道。この先、農祖峠への最後の上りは山道です。


 峠を下った下野尻の集落の先で、44番大宝寺と45番岩屋寺
との最後の分岐点に立つ平成遍路石。

 右の道を岩屋寺へ向かいました。 

 45番岩屋寺への最後の集落・槙谷の素鵞神社の先から、八丁
坂へ向かって上がります。

 標高730mのこの八丁坂上の分岐には、小さいベンチがあり
ました。この先、気持ちよい稜線を進んで、岩屋寺へ下ります。 
                  (続く)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする