あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

「西武線のあゆみ110周年」オリジナルフレーム切手 販売局の不思議

2022-07-29 21:53:04 | Weblog
 2022年7月29日(金)

 前回投稿した、「西武線のあゆみ110周年」オリジナルフレーム切手の発売局一覧が、
日本郵便のサイトに掲載されていますが、これを見て2つ不思議なことに気付きました。

 掲載されている日本郵便のサイトです。

 ひとつは、発売された460の郵便局名を見ると、西武鉄道の沿線ではないエリアの郵
便局が含まれている一方、西武鉄道が走っている地域の郵便局でも販売されてないところ
があることです。

 販売局一覧は、以下の地域の郵便局になっています。
 東京都  品川区、世田谷区、新宿区、中野区、杉並区、豊島区、練馬区
      三鷹市、国分寺市、小平市、西東京市、東村山市、東久留米市、清瀬市、
      稲城市、東大和市、
 埼玉県  川越市、日高市、狭山市、飯能市、入間市、所沢市、秩父市、
      横瀬町、小鹿野町、長瀞町、皆野町

 上の地域のうち、東京都品川区、世田谷区、中野区、杉並区、三鷹市、稲城市や、
         埼玉県小鹿野町、長瀞町、皆野町には西武鉄道の路線が無いこと。
 反対に、西武鉄道の路線がある武蔵野市、小金井市、府中市、立川市、昭島市の郵便局
では、販売されなかったのです。

 販売されたエリアは、どのようなことから決められたのかが分からないのです。


 2つめの疑問、それは販売局一覧に記載されている住所の不思議です。

 都市部では普通、「〇丁目〇番〇号」とか「〇丁目〇番地」のような丁目があるはずな
のに、全部が町名や地名の後が3桁から6桁の番地で示されているのです。

 どうしてこんなに数の多い番地ばかりなのか、現状維持がなされてないようにも思える
のですが、古くでも5桁も6桁もある番地があったとは考えられないのです。

 以下に、一覧表の中から何か所か抜粋したのを掲載します。

 上から3つめ、品川不動前郵便局の番地は42915番地、5つめのTOCビル内局は
72217番地です。


 上から8つめ、練馬高野台郵便局の番地は53911番地、14番目の石神井四郵便局
は42813番地です。


 上から10番目の東大和清水郵便局は611902番地、東京都の最後、東大和芋窪局
は120792番地。


 下から5番目、わが家への配達局でもある所沢西郵便局は225941番地になってい
て、普段の郵便物では見たことのない桁数が桁外れともいえる数値になっているのです。

 郵便局の配達部門の現場では、最新の住所一覧を持っている一方、古い番地の宛名で来
たものももきちんと配達してくれる変換表もあるようで、現に最近わが家に来た10数年
前の古い番地を記載したはがきも届けてくれたのですが、この一覧表は一体いつ現在のも
のなのか、不思議でたまらず投稿した次第です。  




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「西武線のあゆみ110周年」オリジナルフレーム切手発売(東京&埼玉)

2022-07-28 18:55:53 | 鉄道
 2022年7月27日(水)

 今日、東京都と埼玉県内の一部の郵便局から、「西武線のあゆみ110周年」というオリ
ジナルフレーム切手が発売されました。

 この切手は、西武鉄道の創立110周年にあわせて、日本郵便東京支社が企画したもので、
開業時の武蔵野鉄道路線図がバックシートにデザインされています。

            
          透明シートに入った状態のシートの表↑と裏↓
            

       
 切手面は84円切手が10枚↑で、ほかに、定型封筒サイズの裏面に西武線の車輌5種
の写真↓が印刷された大型ポストカードが同封されていました。


           写真の裏面(ポストカードの表面)
               

 切手の額面総額は840円ですが、販売価格は2倍以上の1,750円です。

 私は、この切手が発売されることは前日にネットで知ったので、今朝10時前に小手指
駅南口にある小手指駅前郵便局に行ったところ、すでに予約で売り切れとのこと。

 それで、小手指駅北口に回り、最寄りの所沢小手指局に急ぎ、10時05分頃に購入で
きましたが、残りは1シートのみという状況でした。

 近年は記念切手ブームも去っているようなので、当日売り切れはないのかと思っていま
したが、どうやらこのような切手は鉄道ファン(鉄ちゃん)が購入したようです。


 ちなみに西武鉄道のサイトによれば、西武鉄道創立110周年は2022年5月7日で、
これは西武鉄道の前身である武蔵野鉄道の創立記念日のよう。

 なお、切手面のバックシートになっている武蔵野鉄道の池袋~飯能間の開業110周年
は、3年後の2025年4月15日になるようです。

 また、現在の西武新宿線の一部である川越鉄道の国分寺~東村山間の開業130周年が
2年後の2024年12月21日、さらに延長した国分寺~本川越館の開業130周年は
3年後の2025年3月21日で、こちらの路線の方が開業は早いのです。

 切手面のバックシートの武蔵野線路線図(現在の西武池袋線のうちの池袋~飯能間)を
拡大(この区間の開業は1915(大正4)年4月15日)


 この路線図によれば、池袋~飯能間の当初の駅は、池袋、長崎(東長崎)、練馬、石神
井(石神井公園)、保谷、久留米(東久留米)、清瀬、所沢、小手指(西所沢)、狭山
(狭山ヶ丘)、豊岡(入間市)、仏子、飯能の計13駅のみでしたが、現在は2倍の26
駅に増えています。   注:()内は現在の駅名




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伊東市内のカラーマンホールなど(静岡・伊東)

2022-07-25 21:22:48 | Weblog
 2022年7月9日(日) 〈続き〉

 前回、前々回に投稿した伊東市内の中心部を歩いたときに、幾つかのカラーマンホール
やデザインマンホールなどを見つけたので、紹介します。

 最初は、伊東駅前から南東に延びる細い通り、仲丸通りにあったもの。

 これから行く東海館と浴衣姿の市民がきめ細かにデザインされた「東海館と花火」。
 
 東海館近くには、水中でタライ乗りしているユーモラスな姿のカラーマンホールが。

 これは「松川タライ乗り競争」という催しのよう。

 消防団の纏(まとい)の上に市章をデザインしたカラーマンホール、東海館前にて。

 
 東海館の前には、「東海館と浴衣」のカラーマンホールも。


 さらに、市内の景勝地、城ヶ崎海岸のデザインのもの。

 市章と城ヶ崎海岸の 門脇埼灯台、それに吊り橋が描かれている。カラー版は2019年
7月から設置されたよう。

 大川橋から折り返して駅に向かう道、アーケードに覆われたキネマ通りにも「松川タラ
イ乗り競争」デザインのものが。その先にもありました。


 その先、駅側の湯の花通りに入る手前で交差する猪戸通りにも、まといのデザインマン
ホール。同じものは駅近くにもありました。

 
 湯の花通りの路上に描かれたデザイン。お湯かけ七福神中の毘沙門天の前だったかも・。
     

 纏(まとい)のデザインで少し違うもの。


 わずかの距離なので、見つけたのはこれだけでした。




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梅雨明け後の伊豆熱川と伊東への旅(静岡・東伊豆町、伊東市)〈その3〉

2022-07-20 18:15:30 | 国内旅行
 2022年7月9日(土) 〈後半・大川橋周辺から伊東駅へ〉

 東海館の東側に接して、別の古い木造建築がある。


     
 温泉旅館 以奈葉(いなば)で、「ケイズハウス伊東温泉」と呼ぶ日帰り入浴施設になっ
ていて、「ホステル」と呼ぶ簡易宿泊施設でもあり、食事なし、布団敷きなし、アメニテ
ィなしのセルフサービスで宿泊できるという。
     
 
           建物は、国の登録有形文化財である。
          


 さらに少し、松川にかかる大川橋の左岸手前に「食彩旬味komaki」という食堂があった。


     

          



 食事時だったが空いていたので入り、和風とんこつだしスープの「つけ麺」(1030円)
を注文して昼食とする。
 

 連れ合いは、貝柱と椎茸の「炊き込み飯セット」(990円)で、どちらも美味しくて
満足し、13時07分頃店を出た。


 そばの大川橋からの松川の眺め。手前のドームのある建物が温泉旅館以奈葉、望楼のあ
る建物が東海館。


     
 橋を渡って右岸沿いの細道へ。流れに沿った柳の下に、竹に穴を開けてデザインした飾
りが並び、なかなかの風情。「静岡県まちなみ50選」に選定されていた。
     

           
  
      東海館の対岸近くまで進むと、「きずな」と呼ぶ彫刻も。
     

 こちらが、国登録有形文化財の旅館 以奈葉とケイズハウス伊東温泉の建物



      見事な花を見せる東海館のエンゼルトランペット
     


 大川橋に戻り、道路を横断して下流側右岸の広場に回ると、オリーブの木が何本かあり、
実を付けた木も。


 広場の中央には大きな石車が目につく。

 「リエティ・伊東 永遠なれ!」と呼ぶモニュメントで、伊東市の友好都市であるイタリ
ア、リエティ市から2001年に贈られたもののようで、その説明パネル


 広場の横からさらに下流を眺めると、海岸を走る国道135号線に架かるなぎさ橋が望
まれ、そばになぎさ公園もあるようだが、帰路に予定した電車の時刻を考慮して、ここか
ら駅に戻ることにした。

 
      広場の南側には、変わった名の交番が目に入る。
     

 大川橋に戻り、「大川橋通り」を駅方向へすぐで、ひとつ手前の信号で左折して、往路
で下ってきた「駅前いちょう通り」の交差点に向かう。


 途中の魚屋の生け簀(いけす)に泳ぐのはハモだろうか。


     
 次の交差点から、アーケードのある「キネマ通り」を駅に向かう。シャッターの下りた
店も多いが、ユニークな店も幾つか残っている。


 中ほど交差し、左手に延びる中央商店街にもアーケードが。







 この店は昭和前期の建築だろうか・・






 アーケードが終わって猪戸通りを横断し、往路の「仲丸通り」の西側に平行する「湯の
花通り」に入る。その角にある駿河茶の和風店舗。


 この通りには、「お湯かけ七福神」と呼ぶ温泉の上に乗った七福神があり、まず茶屋の
横には弁財天が。
     

      この通りも先ほどのキネマ通りと同様、歩行者天国になっているので安心だ。
          

      2つめの七福神は布袋様。
     



     

      少し左にカーブした先には恵比寿神が。
     

           通りの反対側、近くにはユニークな彫刻もある。
          


 駅が近づき賑やかになってきた。


      こちらは大黒天。
     


 そばの店先に変わった花が咲いていた。連れ合いが花の名を検索したら、コンロンカ
(崑崙花)で、ハンカチの花ともいうようだ。

 
      5つ目のお湯かけ七福神は毘沙門天。
     


 その角の反対側には、北原白秋の童謡「お馬の湯」のパネルとモニュメントがある。
     



 その先には寿老人があったが、どこで見落としたのか、福禄寿は確認できなかった。
     
 
 13時53分頃、伊東駅に戻った。


 駅構内の土産店でいくつかの買物をしたり、カフェの冷たい飲み物で涼んだりして時間
が経過し、15時近くに改札を入る。


 帰路の上り電車は、初めて乗る15時09分発 特急サフィール踊り子2号。
 
 グリーン料金だけあり、席は海側2列山側1列の3列で、席の間隔も踊り子号より広い。

 16時27分に横浜駅で下車し、16時32分発湘南新宿ライン宇都宮行きで池袋へ。

 池袋では、西武池袋線17時30分発 特急Lavieちちぶ26号に、残り少ない特急券を
入手することができ、発車直前に乗る。

 昨日の西武池袋線トラブルのため、所沢駅から新所沢駅に迂回し、1階のスーパーで買い
物をして、駅近くの駐輪場に預けた自転車に乗り、18時30分頃帰宅した。




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梅雨明け後の伊豆熱川と伊東への旅(静岡・南伊豆町、伊東市)〈その2〉

2022-07-19 21:42:25 | 国内旅行
 2022年7月9日(土) 〈前半・伊東の東海館へ〉

 宿泊した伊豆熱川のホテルで6時に起床する。部屋からの展望や夕食、温泉など満足だ
ったが、昨夜の敷布団には失望した。薄いせんべい布団で寝心地が悪く、夜中に何度も目
を覚ました。

 窓から相模湾を眺めると、昨日より雲が多くて伊豆大島の展望もいまひとつ。

 

 今日も海はかなり波立っていて、突堤の先端は波を被っている。


 間もなく、そばの砂浜に10人近いサーファーが現れた。



 まだ立って乗りこなすほどの人はいないようで、適当に波に乗って楽しんでいる。


 7時30分過ぎからの朝食も、海の幸中心のメニューだった。


 9時15分頃チェックアウトしてホテルを出て、ホテルの送迎車で駅まで送ってもらう。



 伊豆熱川駅から、9時35分発の伊豆急上り電車に乗るためホームに上がったら、下り
の黒船電車が到着した。この電車には普通乗車券だけで乗車できる。


     
 噴気の上がる熱川温泉に別れを告げ、9時35分発上り普通電車に乗る。




 伊豆急の始発駅、伊東には10時11分に着いた。ここで途中下車して、今日は市内を
少しだけ巡ることにする。


 駅構内のコインロッカーに不要な荷物を預け、そばの観光案内所で地図などを入手する。


 まずは駅から南東にある東海館を目指すことにして、10時35分に駅前を出た。



 駅前から南東に延びるメインの通りは「駅前いちょう通り」だが、往路は西側に平行す
る細いが食事処などの並ぶ通り、「仲丸通り」を緩やかに下って行く。

 

 このそば屋さんは、店の名のとおり七福神が並んでいた。



 近くの魚屋の前には、名物の干物が。


 信号のある交差点際にはイノシシの像があり、この通りは「猪戸〈ししど〉温泉通り」
で、中伊豆方面に至る陸路の伊東温泉の玄関口のよう。
     

 その通りからひとつ東の「駅前いちょう通り」に回り、次の信号のある五差路から東へ
の細道をすぐで、大きな木造3階建ての温泉旅館だった「東海館」前に10時55分頃着
いた。

      建物は、伊東市市指定文化財である。
     

 東海館の2つ折りリーフレットに記された「東海館の歴史」


 入館料200円を払い入館し、1階から3階まで幾つもある部屋を順次巡ることにする。

 1階受付周辺の展示から


     



 部屋の入口や室内には、変木(ヘンボク)と呼ばれる形の変わった木がふんだんに使わ
れている。
     


 飾り窓や繊細な障子、欄間の透かし彫りなどが、どの部屋を巡っても素晴らしい。


 

 南側の部屋からは、眼下に松川の流れや対岸の家並みなどが望まれる。
 


 窓際にはエンゼルトランペットが咲き、ミカンも実を付けていた。



 2階に上がり、まずは松川側再奥の「牡丹の間」へ。







 次の「橘の間」は、徳川家康の外交顧問・三浦按針(英国人:ウィリアム・アダムス)
ゆかりの展示が。

 三浦按針は. 近くの松川河口で日本最初の洋式帆船を建造している。
     

          

     
 隣の「五月(花)の間」は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの伊東祐親
(すけちか)の間。


     
      中央部の「藤の間」は、伊東を愛した東郷平八郎ゆかりの展示が。
          
 この旗はZ旗で、船舶が掲げる国際信号旗の最後のZを示すもの。東郷連合艦隊司令長
官が日露戦争でのロシア、バルチック艦隊との日露海戦に望み、必勝を期してこの旗を旗
艦三笠に掲げたもののよう。




 最上階の3階には、120畳敷きの大広間がある。






     
 銘木、書院障子の組子細工、彫刻など、東海館の見どころが凝縮されいる場所のよう。
          

     
                黒壇↑とエンジュ↓の床柱
          

 3階中央部の階段を上がると望楼にも入れるので、急階段を上がってみた。

 

 望楼からの伊東市内中心部の眺め。







 2階まで下り、常設展示室に入った。ここには伊東市や東海館ゆかりの展示があった。


     


 南側の展示室にも回る。ここには重岡建治(しげおかけんじ)氏の彫刻作品がたくさん
展示されている。

 重岡 建治(1936~ )は彫刻家で満州国のハルビン出身。現在も市内大室高原にある
ご自身のアトリエで活動中という。


     
      階段の変木や、中庭の竹の飾り物などを見て、12時19分頃東海館を出た。
          


 東海館玄関上部の、精巧な木彫などをもう一度見上げる。   〈続く〉




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梅雨明け後の伊豆熱川と伊東への旅(静岡・東伊豆町、伊東市)〈その1〉

2022-07-16 22:13:00 | 国内旅行
 夏バテなのか体調不調が続き、左目の結膜炎も回復してなかったが、予定していた伊豆・
熱川への1泊旅行日となったので、連れ合いと出かけることにした。

----------------------------------------

 2922年7月8日(金) 〈伊豆熱川へ〉

 予定では11時過ぎに自宅を出て西武池袋線で池袋に行き、JR池袋駅11時35分発
の湘南新宿ラインで横浜に向かう予定だった。

 だが、9時半頃ネットをのぞいたら、西武池袋線はひばりヶ丘~保谷間で架線トラブル
等が発生し、回復見込みは13時過ぎになるとの情報。

 急ぎ支度をして、自転車で西武新宿線の新所沢駅近くまで行き、新所沢駅10時43分
発上り普通電車に乗る。これなら高田馬場でJR山手線に乗り換えれば、新宿駅で予定の
湘南新宿ラインに間にあいそう。

 ところが、次の東村山駅で後続の特急電車待ちとなったが、特急電車が所沢駅での池袋
線からの振り替え客で遅れ、15分以上待たされることになり、その後の急行電車に乗り
換えることにした。

 かなり混雑していたが、なんとか高田馬場駅には12時前に着いた。JR山手線への乗
り換え改札も混雑したが、新宿駅では予定よりひとつ前の湘南新宿ラインに乗り換えるこ
とができた。

 横浜駅発13時24分の特急踊り子15号に乗り、伊豆急線の伊豆熱川(あたがわ)駅
に向かう。熱海駅~伊東駅間、JR伊東線の車窓からの相模湾の眺め。




 伊豆熱川駅には15時18分に着いた。伊豆熱川には1月26日(水)~27日(木)
にも来ており、4か月余りでの再訪になる。


 駅のホームから望む近くの噴気塔。駅周辺には、このような源泉の噴気塔が幾つも見ら
れる。
     

 ホテルに電話して送迎車に来てもらい、急斜面を下った海岸のそばのホテルには15時
30分頃着いた。

 2,3年前なら歩いた行けたところだが、足の衰えた連れ合いと体調の良くない私には
送迎車が必要だった。





 7階の部屋からは相模湾が一望で、正面、東方に大島が望まれる。







 ベランダのテーブルにある展望図↑では、さらに右手には伊豆七島のうちの八丈島意外
の島々は望まれるようだが、曇天の今日はあまり眺望が利かず、カメラで撮れたのは以下
のような島々である。

 利島(左)と鵜渡根(うどね)島、間を置いて新島と式根島

 三宅島は、鵜渡根島と新島の間に見えるようで、写真をズームアップしたらかすかに確
認できた。

 以下はさらに少しアップ

 利島と鵜渡根島(無人)


 新島と式根島


 神津島 


 ちなみに、地図ソフト「カシミール3D」で、ここから各島までの距離を測ってみたら、
大島までは約26㎞、利島は約36㎞、ウド根島約42㎞、新島約46㎞、神津島までは
約63㎞、三宅島までは約86㎞くらいになる。

 見通しの良くない今日は、三宅島は確認し難かった。

 かなり風があるようで、湾岸は高波になっている。


 眼下の防波堤上には釣り人らしい姿が見えるが、アップしてみるとその足もとにも波が
来ていた。

 
 私自身は、ようやく到着したという体調なので、少し横になったりして時を過ごす。

 夕食は18時30分から、部屋に運んでくれた海の幸を中心のごちそうをいただくこと
にした。


 以下は、主膳の後、少しずつ時間をおいて配膳されたもの。


    





     

 ところが、食事中にテレビを点けたら、参議院選の奈良県候補者の応援演説中の安倍晋
三元首相が、11時30分頃近鉄西大寺駅前で背後から撃たれて心肺停止となリ、その後
死亡とのショッキングなニュースに驚く。








 ということで、目の前の海岸に出ることも無く部屋にこもり、就床前に4階の大浴場で
温泉に浸かるのみだった。 

 カメラでズームアップして撮ってみた、伊豆大島西岸北部の夜景。
 






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体調不調のためすこし休みます

2022-07-11 21:09:39 | Weblog
 2022年7月11日(月)

 前回投稿から10日経過しましたが、この間、熱中症ほどではないものの、夏バテ気味
で体調がいまひとつであり、加えて毎年夏になると発症する結膜炎に6月末頃からかかり、
7月1日に眼科医院を受診したものの回復せず、今日再度通院して新しい抗菌用目薬など
を出してもらったところです。

 そのような体調で、パソコンの画面を見るのもうっとうしいので、投稿は少し休みます。

 今週後半頃かそれ以降、またのぞいてみて下さい。
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旅のスケッチ展と中山道桶川宿めぐり(埼玉・上尾、桶川)〈後半〉

2022-07-01 22:55:00 | ウオーキング
 2022年7月1日(金)

 前々回の投稿で予想したとおり、以下のレポートの歩いた日の翌々日の6月27日(月)、
関東甲信の梅雨明けが発表されました。4年前の2018年28日より1日早く、観測史
上最速の梅雨明けです。

 その前後、6月25日(土)に続いて6月27日(月)から今日までの5日間、埼玉県
内アメダス観測地8地点の全部が35℃以上の猛暑日となり、全観測地点とも37℃以上
という日がほとんどの一層の猛暑です。

 この夏は100年に1度の猛暑が続くとの予想もあり、この先の長い夏が思いやられ、
電力需要の逼迫も懸念されており、どう過ごしたら良いのでしょうか・・・

 前置きはこのくらいで、大分間隔が延びましたが前回のレポートの続きです。

========================================

 2022年6月25日(土) 〈後半・中山道桶川宿めぐり〉

 上尾駅東口での「旅のスケッチ展」を観覧して駅に戻り、11時06分のJR高崎線下
り電車に乗り、11時12分に2駅先の桶川駅で下りた。


 この後は、駅の東側を南東から北西に走る江戸五街道のひとつ、中山道桶川宿(なかせ
んどうおけがわじゅく)の旧跡などを巡ることにする。

 ちなみに中山道は、江戸・日本橋から京都・三条大橋まで約530㎞をつなぐ街道。埼
玉県内には蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄の9つの宿場があった。

 私は、グループに参加して2002年~2009年にかけて、日本橋~京都間のほぼ全
行程を歩き継いで1往復しており、桶川宿には2004年10月以来17年8か月ぶりの
再訪になる。

 桶川駅を11時19分にスタートした。東口の階段下にあった「桶川史跡めぐり」図中
の「中山道桶川宿」の地図、今日巡るのはこの範囲の予定で、中山道の距離としては1㎞
ほどになる。


 中山道に向かう駅前の通りを直進し、街道に出るひとつ手前のT字路を右折して南東に
少しで、浄念寺の仁王門前へ。

 仁王門は朱塗り2階建て、2階が鐘楼になっている鐘楼門である。

 門の左手に金属板の説明パネルがあるが、読みにくくて全内容は判然としない。

 「2階の梵鐘(ぼんしょう)は寛保元(1741)年に鋳造されたが、第二次大戦で供
出され、現在のものは昭和40(1965)年鋳造、階下の仁王像は明和5(1768)
年に開眼された」、とのことだけは分かった。

      仁王門を入って左手には、格好良い松が目に入る。
     
  
 浄念寺は浄土宗の寺で、天文15(1546)年に現在の松戸市の東漸寺(とうぜんじ)
の團誉桂善壽上人(だんよけいぜんぜんじゅしょうにん)が、室町初期の1360年頃に
当地に建てた修行のための庵をもとに、寺院としたのが始まりのよう。

 桶川宿とも深い関係があったと考えられ、江戸初頭には、桶川宿を治めた西尾隠岐守吉
次(にしおおきのかみよしつぐ)が地蔵菩薩像と薬師如来像を納めたことからも伺えると
いう。

 正面に堂々と構える本堂は、平成16(2004)年に再建されたとか。


 境内には、集められた板石塔婆や2つの小社殿、古い石塔群などあるが、その説明パネ
ルも金属板の文字で、判読できないのが残念。


 浄念寺の山門を出て、正面突き当たりで中山道に入り右(南東)へ。中山道は、現在は
県道164号・鴻巣桶川さいたま線である。

 すぐ近くに古くからの旅館、武村旅館がある。

 桶川宿には、大名や公家などの宿泊施設である本陣、脇本陣とは別に、一般庶民のため
の旅籠(はたご)が数多くあり、江戸末期の天保年間(1830~44)には36軒あっ
たとか。

 武村旅館は嘉永5(1852)年の建築、皇女和宮(こうじょかずのみや)が中山道を
下向(げこう)した文久元(1861「)年当時は紙屋半次郎名義だったが、明治時代に
武村家が板橋宿からここに移って旅館業を営んだようで、国登録有形文化財になっている。

 武村旅館の間取り図


      次の交差点の南東側には、「旧跡 木戸址」碑が立っている。
     
 木戸は、警備のために宿場の出入口に設置されていたもの。ここに文久元(1861)
年に高さ1丈3尺、幅8寸の角材で柵を立てて木戸を開設したようで、桶川宿の江戸側末
端になる。

 中山道桶川宿の案内図には、その先近くに水準点があるようなので確認に進み、イエス
キリスト教会の先までいったが見つからないので引き返す。

 帰宅後、国土地理院の地形図で確かめたら、なんとこの教会敷地の北東端付近にあり、
見落としてしまったらしい。

 木戸址碑のある交差点まで戻り、さらに進む。武村旅館の斜前あたりに「藤倉家の鍾馗
様(しょうきさま)」というのがあるはずだが、これも見つからない。


 桶川駅前交差点を過ぎてすぐ、通りの右手建物横に「助蔵」の表示があるので入ると、
3階建て土蔵造りの建物で、国登録有形文化財になっている「島村家住宅土蔵」だった。

 桁行(けたゆき)6間、梁間(はりま)3間、木造3階建て土蔵で、江戸後期の天保7
(1836)年の建築と伝えられているとか。

 島村家は、桶川宿の本陣近くに店を構えた穀物問屋木嶋屋の総本家で、この土蔵の建築
工事は、天保の大飢饉にあえぐ人々に仕事を与え、その報酬で多くの民が餓え(うえ)か
ら救われたところから、「お助け蔵(おたすけぐら)」といわれたとの伝承も残るよう。 

 現在、壁面はトタンに覆われているが、黒漆喰壁(くろしっくいかべ)の堂々とした土
蔵だという。

 その隣の矢部家住宅は桶川市指定文化財(建造物)で、中山道に面した土蔵造りの店舗
と、土蔵造りの文庫蔵、切妻造りの勝手場ほかの建物で構成されている。

 矢部家は、主には穀物問屋を営んでいたが、桶川特産の紅花(べにばな)の商いも行い、
桶川の24人の紅花商人の中に名を連ねているという。


 中山道に面した店舗に残る古い電話番号標識。

 
 矢部家と中山道を挟んで西側には、国登録有形文化財の「小林家住宅主屋(しゅおく)」
が目につく。

 小林家住宅主奥は、江戸時代末期頃に穀屋吉右衛門が旅籠(はたご)として建て、棟札
(むねふだ)から文政11(1827)年、天保11(1840)年、嘉永5(1852)
年のいずれかの子年(ねどし)と考えられているようだ。

 その後、当主となった小林家は、材木商を営むにあたり大きく改修したが、外観は当時
の姿をとどめているという。


 看板や外の材木にそのことが伺えるが、現在は「ティー、クラフト&ギャラリー ブラ
ッドベリー」と呼ぶノスタルジックな雰囲気のギャラリー&カフェというが、入店は省く。
 
 
 その先、細い十字路の先、東側は「桶川宿本陣遺構」の標柱が立ち、県指定文化財の説
明パネルがある。




 木柱の門前までは行けるが、その内部は公開されてない。
 

 
 道路から門の手前には、たくさんアジサイが咲き、門の奥にはネムノキが花を見せる。


 隣接地は脇本陣跡、道路の反対側は問屋場跡や別の脇本陣跡の場所だが、遺構などは残
ってない。


 少し先、道路を挟んで西側に「中山道宿場館」があり、「桶川市観光協会」も併設され
ているので立ち寄る。

 入口際には、桶川特産のベニバナの植え込みが。あとで聞いたらいまがちょうど見ごろ
で、市の西郊では「べに花まつり」を開催中のよう。


 入口に、桶川のマンホールカードがもらえる申込書があったので記入し、まずいただく。
       
      このデザインのマンホールは、桶川駅西口に設置してあるらしい。


 入口際には、桶川特産の紅花色のつるし雛が下がり、館内は比較的小さめの説明パネル
や特産品、写真などがびっしりと展示されている。



 奥には、中山道桶川宿の説明パネルや、桶川市のマスコットキャラクター「オケちゃん」
などが。
      
 
 奥に居られた観光協会の方から、桶川に関わるいろいろな情報を教えてもらい、資料や
ベニバナの種などをいただいた。


 12時30分近くなったので、近くにあるおすすめの食事処など聞くと、隣が桶川グル
メの代表格、手打ちうどんの店とのことで、その店 松屋(看板は「まつや」)に入る。

 肉汁うどん(700円)を注文し、太くて固く腰の強い桶川うどんをしっかり噛んで美
味しく味わった。

 この店は、中山道沿いで80年以上も愛されてきた老舗のようで、よじれて腰の強い麵
は、通の間では「暴れん坊うどん」と呼ばれているらしい。

 店を出て先へ、東和銀行際の交差点を右折して最初の十字路を右折、さらに左折して突
き当たりの稲荷神社へ。

 創建は嘉禄年間(1225~27)で、桶皮郷(現在の桶川市と上尾市にまたがる地域)
の惣鎮守となったよう。

 本殿は、文化14(1817)年に、幕府の御用大工だった棟梁により造営されたとか。

 拝殿前の2基の石灯籠は、桶川宿と周辺の紅花商人たちが安政4(1857)年に奉納
したもので、灯籠には24人の紅花商人の名が刻まれ、かつての紅花商人たちの繁栄を伝
える貴重な文化財という。
     

     
      また、境内には「稲荷神社の大盤石(力石)」と呼ぶ大石が保存されている。
          
 日本一といわれる重さ610㎏の石で、「大盤石」は全国でも4か所しかないといわれ、
この石を、武州岩槻領三野宮(現さいたま市岩槻区)生まれの三ノ宮卯野之助が嘉永5年
(1852)2月に持ち上げたとのこと。 信じられないような力持ちだ。

      拝殿の左手には、ご神木のクスノキが 豊富な枝振りで立っている。
     
 

 その下周辺には、何株かのアジサイが豊富な花を競っていた。


 境内の西北端に立つケヤキの下部には、小さな社殿が祭られ、傍らにそのことについて
記された標柱も立つ。
     

 中山道に戻った東和銀行前に、「市神社(いちがみしゃ)の跡」碑があった。

 桶川では江戸時代から、毎月五と十のつく日に「五十(ごとう)の市」と呼ぶ米穀を中
心に農産物の商取引が行われて大変賑わい、その市と宿内の人々の守護神としてここに市
神社が立っていたとのこと。

 明治9(1876)年に交通の妨げになるとして、いま訪ねた稲荷神社に移され、八雲
神社として祭られているという。境内に4つの摂社があったが、どれだったか確認はして
ない。

 中山道をさらに進み、すぐ先左手(西)の大雲寺へ。

 大雲寺は曹洞宗の寺院で、弘治3(1557)年の開山と伝えられ、足立坂東三十三箇
所霊場の第2番札所である。

 桶川宿の上方(京側)にあるので、「上の寺」とも呼ばれていたようで、 本陣当主であ
る府川家の墓があり、江戸時代の俳人、府川志風、府川不莠も当寺に眠っているという。


 境内へは山門の右手から入ると、正面に本堂が堂々と構える。



 境内には松などよく整えられた植栽が配置され、鐘楼の複雑な木組みが目につく。


     

 大雲寺を出てさらに先へ、次の十字路の歩道橋の柱に「一里塚跡」の説明板がある。
     
 桶川宿の一里塚は、この付近の中山道の両側にあり、塚の上には杉が植えられ、根元に
は石の妙見菩薩が祭られていたようだが、明治9(1876)年に取り壊されたという。


 その先、広い十字路は桶川市役所入口交差点で、その南東側の一角には「史跡 木戸址」
標がある。

 午前中に見た江戸側の木戸址と同様、ここには文久元(1861)年に高さ1丈3尺、
巾8寸の角材で柵を立てた木戸を開設したとのこと。桶川宿の北端になる。

 折り返して一里塚跡の表示のある歩道橋のところまで戻り、反対側の東側に古いレンガ
蔵が残っていたので奥まで入ってみた。

 説明パネルは無いのでいつの建設かは分からぬが、明治から大正の頃のものかと思れ、
現在は使われてないようで、保有しているのは細田農機という会社らしい。

 往路で立ち寄った中山道宿場館の北側の駐車場横には、「桶川宿手洗い所」と呼ぶ公衆
トイレが設けられていた。



 道路際には、「滋味」と刻まれた「お茶博士・辻村みちよ顕彰碑」とその説明パネルが
ある。
 
 緑茶の中にカテキンが含まれていることを発見した人が、桶川生まれとは知らなかった。
歩いてみると、こういう新たな知識や発見が得られるのがよい。

     
 そばには、「中山道のいずみ」と名付けられた防災用手押し井戸や、古い円筒形の郵便
ポストなどもあった。
          

 桶川駅前交差点に向かって中山道を戻る途中で見つけた、カラーマンホール。


 その先では、桶川市内循環バス「べにばなGO」と行き違う。



 桶川駅前交差点を右折して桶川駅に向かう。交差点際にあった栄屋菓子舗に、NHK総
合TV「チコちゃんに叱られる」に紹介されたという張り紙などがあり、「塩あんびん」
という菓子が気になったので入ってみた。

 
 埼玉県北東部の郷土菓子のようで、砂糖でなく塩あんの大福餅。餅もきめ細かくて美味
しそうだったので3ツ購入する(ひとつ180円)。




 帰宅後調べたら、「チコちゃんに叱られる」の放映は2020年10月9日だった。
なお、この店・栄屋菓子補のサイトとはこちらから。

 すぐ近く、駅前通りの反対側に「おじいさんの店」という看板が目に入る。

 地元っ子の間では「ぢぢ店」と呼ばれているようで、めんこ、ビー玉、ままごとセット
など昔の玩具もここなら見つかるという。昭和ムードあふれる立ち寄りスポットというが、
暑さが応えているので、寄らずに駅に向かう。


 その先にも、昭和の雰囲気の感じられる店があった。



 JR桶川駅には14時21分に戻った。改札のある2階通路には、べに花開花情報が満
開を告げていた。
      

 14時35分発高崎線上り電車に乗る。
 

 (天気 晴、距離 5㎞、地図 「おけがわ散策マップ」(平成26年1月発行)中の
 「中山道桶川宿」食事処 お土産マップ)、歩行地 桶川市、歩数 8,700)


 この日、最寄りのアメダス観測地点の最高気温は、さいたま市で33.3℃、熊谷市は
35.0℃だったので、桶川はこの中間前後になったかと思われ、暑さがこたえた。 
 



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コメント (2)
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