あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

所沢航空記念公園に咲き出す春の花(埼玉)

2016-03-27 16:04:58 | 所沢だより
 2016年3月27日(日)

 今日も予報以上に青空が見えたので、市内ウオーキングは所沢航空記念公園へと向かい
ました。

 公園内にたくさんあるソメイヨシノは、まだ咲き出したばかり。見ごろは今週末ごろか
と思われます。
    

         これは、かなり開いている枝
                

 市立図書館の近くに立つヤナギの高木は、柔らかな葉を見せ始めていました。
    

         

 日本庭園に入ってみたら、トサミズキが花を見せています。


        

 庭園内で目についたのは、10数本のミツバツツジでした。


    

 池と築山、茶室・彩翔亭(さいしょうてい)の周辺でたくさん咲いています。




      



 池の南側ではミツマタが


      

 東南の隅近くにはハクモクレンが咲き残っています。


        

 日本庭園を東に抜けて、その先のロウバイ園に回ると、咲き終えたロウバイの木の下に
スイセンが。


        

 ロウバイ園の南東側、少しの芝生広場の向こうのソメイヨシノだけはかなり開花が進み、
花見の宴を開くグループも。



 これだけ咲いているソメイヨシノは、この1本だけです。

 児童遊園地近くに咲き出したのはシダレザクラのようですが、あまり枝垂れていません。


        

 航空記念公園を南に抜けて、西武池袋線と新宿線の交差する所沢駅西口を経て、西所沢
駅まで戻りました。駅西側踏切際では、ナノハナが見頃でした。






埼玉県 ブログランキングへ




にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の彩り少しずつ(埼玉・所沢)

2016-03-25 20:58:22 | 所沢だより
 2016年3月25日(金)

 前回投稿前後からの風邪の回復がはかばかしくなく、20日(日)の続カタツムリ歩行
にも参加出来ず、翌21日(月・振休)には春彼岸の墓参で県内小川町に出かけて、山浦
敬子さんのアートウオークセラピーも休むなどで、投稿間隔が空いてしまいました。

 その間、春の足取りは日の経過とともに進み、この2日ほどは2月並みの陽気に戻りま
したが、春の花が少しずつ増えてきました。

 今日は風が冷たいものの青空が広がったので、市内ウオーキングで見つけた春の花を幾
つか撮ってみました。

 上新井会館近くの樹木畑では、プラムが咲き出しています。


        

 上新井公園近くの民家の庭では、桜がかなり見ごろになっていました。



 手前に畑があってそばに近づけないので、何の桜か分かりませんが、ソメイヨシノでは
なさそう。
    

 国道463号バイパスの誓詞橋(せいしばし)交差点に近い畑では、10数本の桃が花
を競っていました。


    

          



        



    

 その下では、ユキヤナギが少し冷たい風に揺れています。


         

 誓詞橋交差点で国道に分かれてスーパーいなげやまで行き、再び国道を戻り、多少迂回
してわが家の近くまで帰ると、明治以前からお住まいの民家の庭先では、コブシが開花し
ていました。
      



        

 この先しばらくは、市内のどこを歩いても春の花が楽しめそうなので、これからも何度
か紹介したいと思います。





埼玉県 ブログランキングへ




にほんブログ村
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

取手から利根川を渡しで越えて我孫子市東郊へ(茨城・千葉)

2016-03-14 22:27:19 | カントリーウオーク
 2016年3月13日(日)

 24年目に入って最初の、カントリーウオークグループの例会に参加した。集合はいつ
もより1時間早い9時にJR常磐線取手(とりで)駅。午前中に乗る利根川の渡しの乗船
人員の関係で2組に分かれ、9時9分に東口を出た。

 
 == 取手宿旧本陣など巡り小堀の渡しへ ==
 
 線路に近い緩やかな坂を北東に上がり、まずは取手一高の南側のこぢんまりした地蔵堂
へ。新四国相馬霊場第20番札所で、境内に屋根付きのつるべ井戸が残る。



 取手一高の東に回ると井野天満神社がある。室町末期の天正元年(1573)の創建と
か。拝殿前には生花が飾られ、近くに新しい撫で牛像が置かれていた。
    


 東側の鳥居の横にカシの古木が目に付くが、ほかに高木は少ない。でも、盛りを過ぎた
が梅は何本も花を見せ、スイセン、クリスマスローズ、サンシュユなどが咲き競い、早春
の彩りにあふれている。
    

 東に下って台宿二丁目の東側を南下して、Y字路際に祭られた香取神社に入る。江戸初
期の正保4年(1647)の建立で、新しい社殿は平成8年(1996)末の竣工という。


        
 境内のハクモクレンが咲き出し、交差点を挟んで、新四国相馬霊場第4番と不動堂の小
さなお堂が並んでいた。


 西に回り、駅に近い取手二丁目の台地上にある広い境内の長禅寺に行く。平将門が祈願
寺として承平元年(931)に創建したと伝わる古寺。江戸初期に当地に移り、徳川家光
から朱印地5石3斗を賜り、以後代々の将軍からも朱印地を賜っていたという。


 茨城県指定有形文化財の三世堂は、宝暦13年(1763)の建立。外観は2層だが内
部は3層のさざえ堂形式になっていて、守本尊の十一面観音と、坂東、秩父、西国のあわ
せて百観音霊場の本尊が安置されている。


    
 境内はケヤキの高木など樹木が多く、中心の池にはニシキゴイが泳ぎ、梅やユキヤナギ、
カンヒザクラなどが花を見せていた。
         


 山門を出て急石段を下った南側の県道11号・水戸街道に、漬物の新六本店と田中酒造
店が並ぶ。新六本店は明治時代の創業で、キュウリやナスなどの粕漬けで知られているよ
うだ。



 田中酒造店は明暦元年(1655)の創業とか。店の前に大きな酒樽のオブジェが並ぶ。



 店内に五月人形が飾られていたので入り、動きのある姿の飾りびなを拝見する。明治天
皇行幸の折、陛下ののどを潤した功により下賜された銘柄が「君萬代」だという。
    

 東南に少しで「旧取手宿本陣染野家住宅」があり、公開していたので表門を入った。

 染野家は代々取手宿の名主で、貞享4年(1687)に水戸徳川家から本陣を命ぜられ
たとか。現在の主屋は寛政7年(1795)の再建で、ほぼ当時のままという。かやぶき
屋根正面の入母屋破風(いりもやはふ)が、風格を感じさせる。


    
 構内の紅梅やミツマタ、サンシュユ、カンヒザクラなどが彩りを添える。
         

 西側斜面を上がると、天保11年(1840)江戸から水戸への帰途、水戸藩主徳川斉
昭が読んだ自筆の歌碑が立っていた。
         

 そばに立つ高く枝を伸ばすムクノキは、市の保存樹木である。


 水戸街道をさらに進み、北側の石段を上がると、新四国霊場2番の念仏院。


       
 境内は狭いが、本堂前に市の保存樹木のイチョウが高く枝を広げ、相対して「とりで利
根川七福神」の福禄寿が立っていた。
         

 少し戻り南側の八坂神社へ。宝永4年(1707)建立という石鳥居を入った正面に、
社殿が祭られている。


 背後の本殿は明治39年(1901)の竣工。当時の名工の木彫が施されているが、覆
い屋にネットが被され、よく見えないのが残念だ。
        

 境内には、ご神木で樹齢300年以上という大イチョウが2本あり、「子授け安産の木」
「子育ての木」としてあがめらているとか。ほかにも何本かのイチョウがある。
      


 市民会館の横を進んで利根川の左岸堤防に上がると、眼下に取手緑地運動公園が広がり、
上流にはJR常磐線の鉄橋が望まれる。


 公園の駐車場横を湖岸まで下って、「小堀(おおほり)の渡し」の乗船場に行く。

 以前この辺りの利根川は蛇行していたが、大正9年(1920)に直線化工事が完成し、
小堀地区は河道の南側に分断された。不便になった小堀地区では、住民が渡しの運行を始
め、のちに取手町営となり、現在は上流の常磐線鉄橋下と対岸との3か所を結ぶ渡し舟が、
水曜と年末年始を除いて、1日7回運行されている。

 乗船定員が12名なので、今日の参加者17人は2組に分かれ、われわれ後半は11時
20分発の渡船に乗る。


 まずは上流のJR鉄橋そばの船着場に向かって遡行する。豊富な流れは緩やかで10分
ほどで着き、折り返して対岸下流に向かう。



 今度は速度が上がり風が冷たい。今日は真冬並みで気温も7℃前後か、寒いのをがまん
して11時47分に右岸の小堀船着場に着き、待っていた前半組と合流する。



 ナノハナ咲く堤内の草地を進んで、交通量の多い堤防沿いの車道を横断する。正午近く、
近くの常圓寺に入り、本堂に接する集会所の濡れ縁に並んで昼食にした。


 == 静かな里道を回り湖北駅へ ==


 常圓寺は、千葉重胤(しげたね)の家臣により寛文2年(1662)の創立とか。境内
には新四国霊場第9番のお堂や、聖天尊堂、聖徳太子堂など小さいお堂が並ぶ。



 道路側には寛文11年(1671)銘の十九夜塔や、青面金剛、勢至菩薩像など江戸時
代の石像が多く、土中に半分以上埋もれたものもある。



 隣接する水神社は寛文8年(1668)の創立、常圓寺とともにケヤキの高木が幾つも
目に付く。ミーティングと写真撮影をして、12時45分に寺を出た。


       
 東側に回って小堀集落の中心部を北東へ。1本の木に紅白の梅が咲き、アセビが花を見
せる。フキノトウはあちこちで咲いていた。
    

 利根川の河川改修で取り残されて「古利根沼」と名を変えた、旧河道の湾曲部左岸に出
る。「利根川百景、茨城自然100選」の看板が立ち、沼が県境で対岸は千葉県我孫子市
である。


 車道に戻り、古利根沼の東北端で利根川への流入部を横断し、近くのY字路で県境を越
えて、我孫子市下根古屋集落に入った。
      
 沼の右岸を少し南下して左へ、浸食が進んで薄暗いところもある竹林の間を進む。下根
古屋の東北端の田んぼに、田の神だろうか小さい祠(ほこら)が祭られていた。


 利根川右岸沿いに続く二つの老人施設を見ながら集落の東を回り込み、特養老人ホーム
和楽園前で小休止する。


 南西の中峠下(なかびょうしも)集落に入り、新四国相場霊場60番の照妙院不動尊へ。
創建年代は不詳だが、元文5年(1740)の中峠村の記録に記載されていることから、
それ以前には創建されていたらしい。


 この寺の境内にも古い石仏が幾つも並び、ムクロジの古木と気根の下がるイチョウの古
木があった。


 国道356号を横断して「北向薬師堂」とも呼ぶ中里薬師堂の横を鍵型に通過する。傍
らに小さい子安堂も祭られていた。



 今日のゴール、JR成田線湖北(こほく)駅には14時33分に着いた。14時48分
発上野行き上り電車に乗る。今日は一日中気温が上がらず真冬並み、風邪気味の私はマフ
ラーが外せなかった。

(参加 17人、天気 曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 茨城県
 取手市、千葉県我孫子市、歩数 16,200)




アウトドア ブログランキングへ




にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5社相互直通運転開始3周年記念乗車券(西武鉄道)

2016-03-07 17:06:32 | 鉄道
 2016年3月7日(月)

 きのう3月6日(日)から西武鉄道では、東武鉄道、東京地下鉄、東京急行電鉄、横浜
高速鉄道と合同で、5社相互直通運転開始3周年記念乗車券を発売しました。

 3月16日(水)に、東武東上線、西武池袋線、西武有楽町線、東京メトロ副都心線、
東急東横線、横浜高速みなとみらい線の相互直通運転開始3周年を迎えることを記念した
ものです。

 西武鉄道では西武池袋線の石神井公園駅、所沢駅、飯能駅の3駅からあわせて1,500
部が発売されました。発売額は1,000円です。

 私は今日、所沢駅で購入しました。所沢駅では何枚発売なのかは聞きませんでしたが、
私の記念乗車券のナンバーは0360です。これが表側で2つ折になっています。
      

            中を開いた見開きの左側
           

 見開き右側に記念乗車券の硬券5枚が挟まれています。少し見にくいですので順に説明
しますと、石神井公園(しゃくじいこうえん)から180円区間行き、保谷(ほうや)か
ら180円区間行き、清瀬(きよせ)から180円区間行き、所沢から180円区間行き、
小手指(こてさし)から小児140円区間行き、飯能(はんのう)から小児140円区間
行きの5枚です。  
                

 通用は3周年記念日の3月16日(水)限りとなっています。

 ちなみに、ほかの4社も同じスタイルで3月5日(土)か6日(日)から発売され、い
ずれも1,000円です。それぞれの社の発売駅などについては、こちらの報道発表資料を
ご参照下さい。




関東地方 ブログランキングへ




にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つの印旛沼の間を歩く(千葉・印西)

2016-03-06 23:17:25 | カントリーウオーク
 2016年3月5日(土)

 「新ハイキング」誌の昨年12月号に掲載された、「印西を歩く その3 北印旛沼(き
たいんばぬま)ー西印旛沼」を参考に歩いた。

 北総鉄道の終点、印旛日本医大駅に9時42分に着いた。駅構内にも駅の周辺にも商店
は無い。弁当を買ってきて良かった。9時50分に駅を出る。


 北側の戸建て住宅が並ぶ若狭一丁目と三丁目の間の通りを東進し、交差点を過ぎると松
虫の古くからの集落となる。

 次の変則四差路際に文化年代(1804~18)の廿三夜塔と、庚申塔が立っていた。

 集落の南端から北に進むと、集落中心部に松虫寺(まつむしでら)があり、門前にスダ
ジイの古木が立っていた。
     


 松虫寺は、聖武天皇の天平17年(745)僧行基の開創と伝えられる古寺。聖武天皇
の皇女松虫姫が重い病を患った際、夢のお告げで下総に来て薬師に祈り平癒したので、聖
武天皇が行基に命じて七仏薬師を刻んで寺を建立し、松虫寺と命名したという。


 朱塗りの山門と薬師堂は享保3年(1718)の改築、本堂↑は寛政11年(1799)
の建立とか。本堂右裏手には宝物殿が、左手背後には松虫姫神社↓がある。


 寺の西側の道路際に、庚申塔がビッシリと並ぶ。「百庚申塔」と呼ばれ、この地には数
多くの石塔を建てる風習があり、信仰の強さを物語るものとか。


 少し先のI家には、りっぱな長屋門が残っていた。


 北進した道が右カーブする三差路際の木の下に、「杉自塚(すぎじづか)」がある。
     
 松虫姫の乳母杉自は、姫が病癒えて奈良に帰ってもこの地に止まり、文字や養蚕、機織
りなど都の技術を里人に伝えて慕われ、没後村人が建てたものという。
         

 塚の周辺にも、文政12年(1829)銘の庚申塔が並んでいた。


 少し戻り、樹林と集落の間を東に下る。民家の畑の白梅が見頃で、近くの斜面にはカワ
ヅザクラも花開く。



 集落を出て谷地田を横切ったところに、印西大師第68番の小さなお堂が祭られていた。
        

 東側、大竹集落の台地の林は、地名の故か竹の浸食が著しく、あちこちで伸び放題。上
り坂際にM家の大きな長屋門があるが、屋根の痛みが激しく痛々しい。
     

 林間や畑の間を南方に抜けて国道464号を横断する。すぐ先の四差路際に「吉高の大
桜周辺案内図」があり、そばに7基の古い石塔が集められていた。

 中には、初めて見た「普門品塔」とか「光明真言塔」があり、光明真言塔の側面は道し
るべにもなっていた。


 畑の間を進んでナノハナ咲く吉高集落へ。二つ目のY字路際の畑道を南に回るとカワヅ
ザクラが花開き、その先に印西市天然記念物に指定された「吉高の大ザクラ」があった。



 須藤家の氏神として祭られた樹齢300年以上と推定されるヤマザクラで、根回り周囲
6.65m、樹高11.7m、枝張り最大24.5mあるとか。花期はソメイヨシノより
遅れの4月上旬から中旬という。のびのびと枝を広げていて、花の時期に見たいものだ。

 集落に入ると甘い香りが漂う。、民家の道路際で、3本のジンチョウゲがたくさんの花
を見せていた。
    

 少しの谷地田をの先の十字路際に、集会所のような平屋がある。「さくら広場」と記さ
れ、2000年公開の新藤兼人監督作品「三文役者」の映画ロケ地として使われたものと
か。

 平成17年(2005)まで、駄菓子屋として親しまれていたという。

 東北に上がった蕪和田集落の中心の十字路際には「村社宗像?」の石像と小さい祠(ほ
こら)が祭られ、北側に北印旛沼が望まれる。


 北東に少しで、豊富な森に囲まれた吉高鎮守の宗像(むなかた)神社に入る。

 天暦2年(948)、筑前国(福岡県)宗像から三女神を勧請したと伝えられ、宗像大
明神と称して治水・水産の神として尊崇され、弘化2年(1845)に宗像神社と改称さ
れたという。


 静かな境内と周辺に、10数本の紅梅や白梅が見ごろ。本殿背後にはカシだろうか、高
木が不規則に枝を伸ばしている。

    
 拝殿の左右にはカワヅザクラも咲き出していた。左手の木の下に木製のテーブルと椅子
があり、正午近いので、今年初めてのウグイスのさえずりを聞きながら昼食にした。


 12時21分に神社を去り、十字路に戻って東へ、放置された畑に怪獣のような木株が
残る。
    


 時計回りに下って台地下の迎福寺(こうふくじ)に行く。境内に樹木は少なく、新しい
お地蔵さんが並んでいた。


 田んぼの中を南東に進み、印旛捷水路(しょうすいろ)左岸に出た。印旛沼は以前W字
型の大きな沼だったが、戦後の干拓で北印旛沼と西印旛沼に分かれ、二つの間を結ぶ水路
のひとつがこの印旛捷水路で、西印旛沼から北印旛沼に向かって流れているという。


 近くには、北総鉄道経由で成田空港に伸びるスカイアクセスの線路が走っている。


 印旛捷水路左岸沿いの県道406号になっている自転車道に入り、南西に向かう。この
辺りは、禁を犯して佐倉惣五郎を対岸に渡した甚平渡し跡らしいが、護岸工事中で標識は
見られなかった。


 成田スカイアクセスの高架下を抜けて若木の桜並木沿いに進む。男性サイクリストが次
々に通過するので、流れ側を歩く。

 1㎞余り進んだ捷水路の14.5㎞標識近くに、「ナウマン象発掘地点」の説明パネル
があった。
    
 昭和41年(1966)、この水路の掘削工事中に発見されたもの。当時国内で頭、胸、
足の骨が揃って発見されたのは初めてで、発掘調査により約3万年前の化石と判明したと
いう。


 斜面上を横断する二つの道路橋下を通過し、流れはカーブして南に向かう。2.5㎞ほ
どのせんげん橋↓まで進んで自転車道を離れた。


 老人ホームよしきりの背後を西進し、花台大川岸集落の南側高台にある徳性院に入る。
江戸時代、周辺のお寺をまとめ印旛沼の航海の安全を祈って建てられたとか。

 本堂↑は印旛沼に向かって立ち、境内には「大悲窟」額のかかるお堂↓や、新しい「み
がきぼとけ七福神」、六地蔵などがある。



 境内からは南から西方に西印旛沼の展望が広がり、晴れた日には富士山も遠望できると
いう。門前には、「観音の 夢見やりつ 花の雲」と刻まれた芭蕉句碑が立っていた。

 沼や沼の北側の田園地帯を見下ろしながら北に少しでT字路を東に入り、集落の間の細
道を北西に向かう。集落を北に抜けた辺りにもカワヅザクラが4本咲いていた。


 北側の郷集落に入ってすぐのT家も、長屋門が残る。


 近くのT字路際の鎮守の森は宗像神社。寛和元年(985)、やはり筑前宗像から宗像
大明神として勧請して創建したとか。

 天保12年(1841)に宗像神社と改称し、古来から治水水産の神として崇拝を受け
ているという。本殿側面には、物語を刻んだ木彫が施されている。
    

 境内には、樹齢500年を越えると推定されるスダジイ、樹齢250年を越えると推定
のカヤをはじめ、ケヤキやムクノキなどの古木が高く枝を伸ばしていた。

 鳥居前の盛土上に、昭和53年(1979)建立の「印旛沼開拓之碑」が立っていた。
      

 北に少しのT字路の西側に、開放的で広い境内の願定院(がんじょういん)がある。

 比叡山延暦寺に属する寺で、本尊は阿弥陀如来座像。本堂と山門は享保14年(1729)
の再建と伝えられるという。


 北側の朱塗りのお堂は馬頭観音を祭る観音堂で、馬の掲額が奉納されていた。
    

 そばに毘沙門天を祭るお堂もあり、観音堂前にはケヤキの高木が目に付いた。

 南に少し戻り、林間を西に下って谷地田の東端へ。田んぼと山林の間の少し荒れた池に、
弁天堂が祭られていた。

 広がった田んぼの間を西進すると、西印旛沼の南側に、佐倉市街だろうか数棟の高僧マ
ンションらしい建物が望まれる。


 田んぼの中間辺りには、7基のお地蔵さんが並ぶ。周辺の田んぼの守り神として祭られ
たものを、一か所に集めたようだ。


 西側、一本松集落東南端の斜面上にある浅間神社に、急傾斜の石段が伸びていた。ステ
ップは短く一段飛びでも上がれるが、150段を超えるので結構キツい。上がった広葉樹
の森には、やや荒れた二つの小さい社殿が並んでいた。


 田んぼに沿って西に少しで、Sカーブ状に台地に上がる。国道464号沿いに、印西市
役所印旛支所と「ふれあいセンターいんば」の入った旧印旛村役場の建物がある。


 そばの交差点の北側は美瀬一丁目で、駅に近い新興の戸建て住宅地になっている。

 やはり住宅地の舞姫二丁目との間を進んで松虫姫公園沿いに出た。

 公園には、北側眼下に見下ろせる調整池、牛むぐり池にちなむ、牛ノ大きな遊具がある。


 公園沿いに進み、印旛日本医大駅に15時55分に戻った。1分後に上り普通電車があ
る。急ぎ階段を下り、もうホームに停車していた電車になんとか間に合った。

 それにしても、今日歩いたルートには駅の周囲を含めて全く商店を見ず、飲料水の自販
機もひとつしか見覚えが無い。駅周辺の住宅街を除いては首都圏とは思えぬ、昔ながらの
風景の残る取り残されたようなエリアだった。

(天気 晴時々曇、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 小林、歩行地 印西市、歩数
 27,600)


 なお、今日歩いたなかで、松虫寺や郷集落、花台大川岸集落などは、8年前の2008
年2月3日、やまさんや敬子さん、ともに岩槻のIIさん、TIさんと、降りしきる雪の
中を逆行したことを思い出す。当時はまだ成田スカイアクセスも開通前で、線路の路盤工
事中だったところを通過した。




アウトドア ブログランキングへ




にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする