あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

今年はやや残念な「あしがくぼの氷柱」(埼玉・横瀬町)

2024-01-30 22:43:04 | Weblog
 2024年1月27日(土)

 この冬の寒さもいまがピークと報じられ、もう見ごろになったかと思われる秩父・横瀬
町の「あしがくぼの氷柱」を見に行くことにした。
  
 この冬は、昨年末から年始にかけての暖冬で氷結が進まなかったようで、予定より1週
間遅れの1月13日(土)からの公開となった。

 西武池袋線下り電車に乗り、飯能駅発10時36分の西武秩父駅行に乗り換え、11時
17分に芦ヶ久保駅に下車した。右が下車した下り電車、左は飯能行き上り。


 見送る下り電車


 芦ヶ久保駅は現在は無人になっていて、交通系ICカード(Suica,Pasumoなど)は、
リーダーにタッチして改札を出る。



 芦ヶ久保駅に下車したのは、前回の氷柱を見に来た2021年1月18日以来のはずで
3年ぶり。駅前広場の北側には、無人の無料休憩所が出来ていた。



 中の様子


    最近は秩父周辺でも熊が出没するので、「熊除け鈴」の自販機もある。
     

 駅前広場からの北側の展望。手前は「道の駅 果樹公園あしがくぼ」の駐車場、中央部
を国道299号線が走り、その背後、日向山山麓の南向き斜面に住宅などが広がっている。



 
 左手背後には、大きな観音像が。
 


 駅前広場の南西側から線路の北側下部を西へ、道の駅に沿って進む。見下ろす道の駅の
建物群



 下った突き当たりに「あしがくぼの氷柱」の受付をする小屋が。

 ここでチケットを購入して前方に向かう。チケットは以前は300円だったが、今年は
500円になっていた。
     

 少し進んで、ススキの残る先から右にカーブして緩やかに上がる。
    

 往路は右側、帰りは左側を通るようにロープが張られていて、混雑時もスムースに進め
るようになってるが、土曜日ながら今日の来場者は予想より少な目の感じ。


 右から左へと回り込んで車道へ下ると、氷柱は近い。



 この先↑、西武秩父線の線路下をくぐれば会場である。11時40分過ぎに着いた。



 この辺では、間近に逆光に輝くたくさんの氷柱が。 
  






 
     


 眼前の下部の氷柱はかなりあり、まずまずの感じ。






 だが、さらに進んで下部の展望台まで進むと、上の方の氷の付きが少ないことに気付く。




 少し上には、三脚を立てて撮影可能なエリアが設けられていた。





 車道に出て右手に回れは上部の広場で、恒例の甘酒や紅茶の無料サービスがある。



 いつものように温かい甘酒をいただき、広場のストーブのそばのベンチでのどを潤した。



 さて、ここから望む氷柱だが、上部の氷の張り付きが少な目で見栄えがいまひとつ。



 今まで来た4回とも、もっとビッシリ氷に覆われていたが、今回は土が多いのが明らか。
やはり暖冬の影響で、氷結が進まなかったようだ。


 地元の皆さんは一生懸命氷作りをされていると思うが、自然が相手ではどうにもならな
いのだろう。この先も、今のところ寒波予想がないのでどうなるやら・・・

 入口に近い谷間の方が、見事のように見える。

 西武線の線路の向こう、北西側斜面には大規模なソーラーパネルが望まれる。



 広場の左手(南東側)から少し下り、中ほどから下部の氷柱を間近に眺めた。


     







     



     左端には砂防ダムがあり、かなりの落差で流れ落ちている。
     
  
 
 上部の広場に戻ってもう一度ザッと一望した。





 広場の北側には、このような観光案内が。








 ストーブの燃料となる木片


 12時10分過ぎに展望広場を後にした。

 帰路はこちらの車道を進む。


     沿道の木々は枯れ枝のまま。
     

       右から左へとカーブを下って上りとの合流点に出て、後半の土道は右側通行で。
          

 少し下り右に回り込むと、横瀬川の流れが見下ろせる。


 受付の小屋の先まで戻り、横瀬川の橋から流れを見下ろす。


 国道に面して「横瀬町活性化センター」があるが、今日は休館日で入れない。


 橋に向かう道路の西側には麺類などの食堂があるが、入らずに橋際に戻る。

 
 橋際のイチョウの木の下には、おびただしい数のギンナンが。

 
 橋の南側まで戻り、左折して「道の駅 果樹公園あしがくぼ」へ。


 こちらの建物は、手作りパンなどを販売の「いわざくら館」、中を一巡したが買物はせ
ずに出た。



 一番大きな建物に入ると、秩父の食料品、果物や野菜、銘酒や飲料、土産物などがたく
さん並んでいる。










 所沢の西武ショッピングセンターでも入手でき、いつも愛用しているしゃくし菜漬と、
きびもちを購入した。



 13時になったので昼食をすることにした。隣棟の食堂に入って「しいたけ天そば大」
(1,100円)を注文する。

 しいたけは大きく美味しかったが、そばはややのびていて歯応えはいまひとつだった。

 そろそろ帰りの電車の時間が近づいた。駐車場の南西側から階段を上がり駅に向かう。


 芦ヶ久保駅の下りホームには、「旅するレストラン 52席の至福」と名付けられ土休日
に運行の、車内でグルメを楽しめる4両編成の列車が止まっていた。



 駅前広場の大きなパネル。


     


 無人の芦ヶ久保駅改札をSuicaで入る。


 ホームには、まだ「52席の至福」電車が。


 芦ヶ久保駅13時52分発の飯能駅行上り電車に乗る。


 秩父の13時の気温は10.8℃、快晴だったが西寄りの風がややあり、少し寒さが気
になる日和だった。

   買ってきたきびもち(360円)、写真はひとつ味わった後
     
    とってもやわらかで、きびの舌触りもよく美味しかった。





埼玉県ランキング埼玉県ランキング 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村


 
 
 

 


 


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

航空記念公園のロウバイが見頃に(埼玉・所沢)

2024-01-26 18:06:03 | 所沢だより
 2024年1月24日(水)

 今日も風が冷たいが、ロウバイの様子を見るため、久しぶりに航空記念公園に行くこと
にした。

 国道463号 浦和所沢線と県道6号 川越所沢線の交差する峰の坂交差点を経て、西武
新宿線の航空公園駅西口から東口へと連絡通路で越えて所沢市役所に入る。

 市民ホールでは、市内の小学校の作品展を開催していたが、関係者以外は撮影禁止なの
でザッと見て通過し、市役所別館(NTT東日本の建物)前から航空記念公園に入る。


 いつものコースで、西側の正門から日本庭園へ。門前のエノキも枯れ枝のまま。


     門を入って正面のケヤキの高木も同様。
     

 園内南西側の樹林帯の上空は雲に覆われていて冴えない。



 東屋に近いアセビは、花芽が膨らんでいた。


     まだ残る枯れススキ
     


 樹林の下の斜面では、スイセンだけが花を見せていた。
     



     築山の間を一周して東屋横に下る。
     

 池の北西側、茶処 彩翔邸(さいしょうてい)前のナンテンのような葉が、わずかな赤
みを見せていた。
     




 彩翔邸の東南側で、白梅が花を開き始めている。





 彩翔邸際の紅梅の開花は、白梅より幾分遅めの感じ。




 
 建物に近いもう1本の白梅の開花は、さらに遅め。




 いつもどおり東北側出口から日本庭園を後にした。


 東側一帯が、ろうばい園である。 





 ざっと100本くらいありそうなロウバイだが、西側はかなり開花して見ごろに。






 ロウバイにも2種類あるようで、わずかに彩りの違いが。




     














 
     
     枯れ枝を加工して作った、写真撮影用スマホスタンド







 花の咲いている木を中心に撮り、開花が少な目の東側に抜ける。








     
     枯れ枝のケヤキの木の下で、ハトが餌を探していた。





 ろうばい園をふり返り、放送塔から南に延びる中央園路を進む。


 東側沿道には何本かのサザンカがたくさんの花を。


 東側の花の丘を囲むケヤキなどの木々


 シダレザクラも枯れ枝



 南側の梅林に下ったが、まだ花芽の膨らんだ木もわずか。

 
 中央園路の南側、国道463号バイパス際から放送塔をふり返り、航空公園を出た。


 西新井交差点から南へ、ファルマン交差点を経て所沢駅方面に向かった。

 今日の所沢最高気温は5.2℃、この冬1番の寒さかもしれない。





埼玉県ランキング埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢市情報へ
にほんブログ村
 


 
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「水野律子 旅のスケッチ展」を観覧(さいたま市西区)

2024-01-23 17:01:55 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2024年1月18日(木)

 昨年1月と同様、今年も案内をいただいていた標記のスケッチ展2日目の今日、観覧に
出かけることにした。


 西武新宿線で新所沢駅から下り電車で本川越駅へ、JR川越線の川越駅から上り電車に
乗り換え、日進駅に4分遅れの11時07分に下車した。


     
 改札を出た南北連絡通路には、地元の催しをデザインした↑「日進七夕」と↓「餅つき踊
り」のステンドグラスが目に入る。
          

 北口に下りて、北西方向の郊外にあるスケッチ展の会場に向かう。


 駅前から西進する道を西へ、少しずつ右左折をくり返して鴨川左岸沿いにある番場公園
の東北側へ。

 好天で暖かな日和だが、公園は閑散としていた。



 北側の国道16号線・大宮バイパス際に出て、日進町(南)歩道橋で大宮バイパスを越
える。



 西南西に延びるバス道路↑に下りて鴨川を渡る。


 聖学院大学入口バス停の先まで進み、ドラッグストアSEKI の横から北に入り、住宅地
の間を進む。


 畑の隅に、見たことのない柑橘が実っていた。 



 樹林の残る一角を昨年公園化した「内野本郷大空公園」の東側から北側の住宅街に入り、
スケッチ展会場の「クラフト&ギャラリー 風画(ふうが)」に11時55分に着いた。
     

  

 受付に居られた水野さんから、昨年2月で活動を終えたカントリーウオークグループの
メンバーのひとり、KKさんも来ておられるとのこと。

 喫茶コーナーのテーブルに居られたKKさんと近況交換などしてから、ギャラリーに入
ってスケッチ展を観覧する。ちなみに、水野さんも同じグループのメンバーだった。


 作品の多くは埼玉県内や都内など、グループで歩いたりほかのウオーキングで訪れたと
ころも多く、水野さんの軽妙で親しみやすいタッチの作品をゆっくりと観賞した。


    水上公園のオフシーズン(加須市)

    
      利根運河の春(千葉県野田市)



   
    街道沿いの造り酒屋(深谷市)


    



    雪国(奥会津)

         
       紅葉に憩う(滑川町)


    高窓集落(本庄市)


    旧岩崎邸別館(東京 国分寺市)




    赤い色の小学校(宮代町 笠原小)


    忍城と百日紅(行田市)




    冬支度(小川町)






    水辺のカフェ(行田市)



     
        見沼公園と水鳥たち(さいたま市)


    残雪の頃(小川町)



    小舟たちの休息(宮城県石巻市)





 昨年同様、作品を掲載したカレンダーも分けてもらい、13時07分に会場を後にした。

 
 快晴だった空に雲が増えてきたが、今日はこの時期としては暖かなので、昨年同様に北
側近くにある「大宮花の丘 農林公苑」へ。



 まずは南端、管理センターのある「緑のふるさとセンター」に入る。



 館内には、公苑の四季の花の写真や風景などが何枚か展示されていた。




   

     さっと一巡して反対側の出口から出た。入口際の植木鉢を組み合わせた花鉢
     

 近くの芝生地や公園内のあちこちにも、同様な植木鉢を組み合わせた展示物がある。



 センターの北西側に咲くチューリップなど。





 北側の和風園地では、桜など枯れ枝の下にパンジー群がわずかに彩りを添えている。






 北側の車道を横切り、そばの「花の食品館」に入る。


 1階には農産物直売所があるが、販売するのは水曜と週末や休日に限られる。


     
 でも、2階のレストランはオープンしていたので上がり、トマトスパゲティとドリンク
バーセット(850円)を注文して昼食とする。
     


 

 食事を済ませて14時近くに花の食品館を出て、北側一帯に広がる農林公苑のメインエ
リアへ。



 すぐ近くのバラ園も、この時期はこんな感じ。






 広い芝生地を囲む木々もすべて落葉しており、上空は雲が増えて寒々としている。





 中央部に近い、豊富な笹に覆われた丘に上がり、東屋周辺から苑内を一望するが、花は
目に入らず、この時期は来苑者もほんのわずかしか見えない。






 
 東北側近くにある吊り橋を渡る。周辺にはカルガモがたくさん。




 この先にも花は無さそうので、池の東側から折り返すことに。


 東側の木はメタセコイアだろうか・・



 花の食品館まで戻り、1階にあったパンなどの売店で今川焼きを求め、帰路に向かう。




 スケッチ展会場のすぐ西側にある、「介護老人保健施設 ケア大宮花の丘」前から南へ、
往路で東側を通過した内野本郷大空公園の西側↓を南下する。
     

 バス道路際まで進んだら、近くの内野本郷バス停で待っていたTさんに声を掛けられた。
Tさんもカントリーウオークグループの仲間で、水野さんとは別のグループでスケッチ会
作品展を開催されている。

 すぐに宮原駅行きのバスが来たので一緒に乗り、14時50分頃、JR宮原駅前へ。

  
 15時07分発JR上野東京ライン上り電車に乗り、大宮駅から埼京線、武蔵野線と乗
り継いで新秋津駅へ。秋津駅から西武池袋線下り電車に乗り、16時32分に帰宅した。


 さいたま市の今日の最高気温は16.2℃、大寒間近とは思えぬ季節外れの暖かさだっ
た。

(天気 晴、地図 「さいたま市西区ガイドマップ」、距離 5㎞、歩行地 さいたま市西
 区) 
 



埼玉県ランキング埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年新春 北野天神社に参拝(埼玉・所沢)

2024-01-19 21:42:02 | 所沢だより
 2024年1月9日(火)

 所澤神明社とともに市内では参詣者の多いのが北野天神社だが、9日になればもう空い
ているだろうと考え、参拝に行くことにした。

 国道463号バイパスや県道4号・東京所沢線バイパス、県道179号・所沢青梅線の
交わる大六天交差点から県道179号線を少し西進し、Y字路を右に入って県道の北側を
平行する車の少ない市道に入る。

 小手指(こてさし)小の北側にある、「みどりの学校ファーム」と名付けられた学校の
畑の隅に、昨年同様何本かの綿の木があり、実を残していた。



 
     
     近くの民家の庭先では、たくさんのサザンカが咲く。


 その先、小手指中の北西側斜面を上がって西側の市道に出て、少し南下し10時50分
頃、北野天神社の西鳥居前へ。


 鳥居際にある当社のパネル


 西参道の中ほどには、細い竹の棒を組み合わせたものが。正月の飾り付けの一種のよう。



 突き当たりの手水舎で手を洗う。


 手水舎には、極彩色の色彩と彫刻が施されている。 


     横にはナンテンの飾り付けが。
     

 まずは左手、南向きに立つ正面の本殿に参拝する。



 拝殿の両側には4種類のおみくじ箱が用意されていた。


     
     拝殿の西側には、当地小手指のキャラクター「こてまる」が


 このあと、拝殿の西側に並ぶいくつかの摂社にも参拝することに。最初は小手指神社。

 日進日露の両戦役から第二次大戦の終戦にいたるまでの戦いに参戦し、祖国の尊い英霊
となられた方々を祭る社で、毎年4月15日には当地周辺の地区の関係者による慰霊祭が
執行されているという。

 もとは航空神社だった、この神社の経緯について記したパネル。



 拝殿内には航空神社ゆかりの木札も。


 その右手(北側)に立つ「彰忠碑」の碑文は、「元帥伯爵 東郷平八郎」の書。
     

 拝殿背後の本殿の西北側に並ぶのは、稲荷大明神と八雲社


     北側を覆う豊富な樹林は、市の保安林になっている。
     


 本殿の東側に回ると、養蚕や機織ゆかりの文子天神社。


 その前には、ススキで作ったトトロが。



 拝殿の南東側、手水舎横の絵馬掛けには、新しい合格祈願などの絵馬が並ぶ。



 
     
     近くのロウバイは、かなり開花していた。


 手水舎横の、境内維持基金募集のパネルには江戸時代の当社の絵図が。

 

     手水舎の背後、東側の建物は室町期の再建という諸神宮
     


  境内東南側の社務所にて、昨春同様「厄除招福」のお守りを分けていただいた。
     

          
 
 社務所付近から眺める手水舎や拝殿周辺


 拝殿前の広場の南側にある神楽殿


 その横には「尊桜(みことざくら)」と呼ぶ、日本武尊が御東征の折にお手植えされた
桜の4度目のひこばえという、幹が傾いた桜がある。


     
 桜と神楽殿の間には「尊桜の歌碑」があるが、碑文は判読しがたいので説明パネルで。

 所沢市最古の歌碑のようで、市の指定文化財(名勝)になっている。

 中央部にある手水舎の西側には、ワラで作った神馬が立つ。

 令和元(2019)年5月に、氏子会有志が奉納したよう。
 
           
 その左手は「北野地名由来之碑」と、天正18(1590)年に前田利家が兼栽したと
いう「大納言梅」が並ぶ。
          

     南側には、当地出身の俳優、左卜前(ひだりぼくぜん)の歌碑が。
     
「常道の芸では 先がしれてる されば 道 遠き苦難のみちを求めん」と刻まれていた。


     近くには「宗良親王遺跡」碑も。
     
   ここが、正平7(1352)年12月の小手指ヶ原合戦の御在陣跡のよう。
 
 背後(西側)には「白旗塚」碑なども。


 境内の数々の遺跡などをほぼ一巡したので、南側正面から退出することに。

 正面参道にも、竹を組み合わせた飾りものが並んでいる。


 そばに、徳川時代末期から明治初期まで「に奉納された力石(ちからいし)が。


     2つの鳥居をくぐって南側の県道側の正面へ。
     

 石段を下りて県道179号・所沢青梅線に出て、もう一度ふり返り拝礼して11時30
分過ぎに北野天神社を後にした。



 そばの北野天神前交差点を少し南下し、東西に走る六つ家川沿いの遊歩道に入り東へ。


     南斜面に樹林の残る一帯は「小手指緑地」と名付けられ、保護されている。
     
 
 流れの北側には遊園地もあるが、この時期は日陰で寒いのか閑散としている。


 さらに六つ家川沿いの遊歩道を東進する。


     
        沿道には、たくさんのサザンカ咲く民家も。
          

 県道所沢青梅線の小手指南交差点から南に延びる車道に出て、県道に向かって上がり、
大六天交差点のそばのスーパー・マミーマートで買い物をして帰路に着く。

 今日の所沢の気温は11時に5.3℃、12時で7.5℃、快晴ながら日陰では寒さが
気になる陽気だった。
 



埼玉県ランキング埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢市情報へ
にほんブログ村

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年新春 所沢七福神巡り(後半・5~7番)(埼玉・所沢)

2024-01-14 22:47:36 | 所沢だより
 2024年1月8日(月・祝)

 2日前の前半に比べると、今日は気温が上がらず北風が冷たい予報だが、青空が広がっ
ているので七福神巡りの後半に出かけることにした。

 歩行距離短縮のため、自宅近くのバス停から「ところバス」の南路線(吾妻循環コース)
に乗り、前半の最後、第四番永源寺近くの永源寺バス停にて10時20分に下車した。
     
 実は、自宅から歩いても乗車時間ほどにはならない距離ではあったが・・

 ちなみに、「ところバス」は「ところワゴン」とともに市が西武鉄道に運営委託してい
るバスで、65歳以上の住民は市役所や支所などで申請して「特別乗車証」(グリーン色)
を入手すれば、100円の均一運賃で利用できる。

 このことを知ったのは昨年秋で、さっそく新所沢支所で入手していて今回が初乗り。

 北を振り返って永源寺山門を見て、南に向かってスタートした。


 しばらくは一昨日のコースを逆行、柳瀬川の山王橋を渡り県道4号・東京所沢線バイパ
スの山王橋西交差点を横断する。

 
 三差路際からユニークな形の市の吾妻庁舎↓を見て左折し、次の三差路を右折して南へ、
鳩峰八幡神に向かって北斜面を上がる。


 左手に、一昨日は気付かなかった「カフェ&レストラン周」の看板があった。


 店は、この建物の南側にある平屋のよう。



 一昨日にも参拝した鳩峰八幡神社境内に入り、参拝して南側の水天宮との間の稜線上を
走る「久米八幡市民の森」の遊歩道を西に向かう。
     
 

 沿道には、「さいたま緑のトラスト運動」などのパネルなどが立っている。



 「カブトムシのペッド(落ち葉プール)」も。




     
     大きな高圧送電塔の先で樹林帯は終わり、市の西部浄水場横へ。


 右手(北側)が開けて、北方に秩父のシンボル武甲山や大持山、小持山などのスカイラ
インが望まれる。


 さらに右手遙かをズームすると、北方はるかに私が中学生まで過ごした頃は間近に眺め
た、外秩父の名峰、堂平山や笠山周辺の山並みも。


 北に向かって下り道となり、眼下に今日最初の七福神、第五番・光蔵寺の本堂が見下ろ
せる。


 バス路線の走る市道に下れば、すぐ右手が真言宗光蔵寺門前である。


 光蔵寺は、上組と下組に分かれているここ荒幡の下組の寺とされた寺院とか。創建年代
は不詳だが、石碑の年代を見ると鎌倉時代から続く寺だという。

 まずは、門を入って正面の本堂に参拝した。


     
 本堂の右手前には弘法大師像があり、七福神の寿老人は門を入ってすぐ右手に立つ。
          

 さらにその右手には、「聞くぞう地蔵尊」が祭られ、傍らのパネルには、「うれしい事、
悲しい事、愚痴など何でも聞きます。日頃のストレス発散に、あなたもお話ししてみませ
んか? きっと癒やされます」と記されている。
     
     こちらにも参拝し、幾つかのお願いを念じてみたが・・・

 山門内左手(南側)のロウバイが、少しだけ花開いている。


 高蔵寺の北側から細道を少し西進、ソーラーパネルのある角を右折して北へ、住宅地の
くねくねした細道を上り下りする。所沢第二幼稚園の看板の立つ十字路を左折、西側から
回り込んで第六番・布袋尊の本覚院へ。


 本覚院は、南北朝時代の創建のよう。一時荒廃したが平成12(2000)年に現在の
本堂を新築再建したとか。こちらは荒幡上組の寺とされているという。

 山門の無い開放的な境内、布袋尊は、本堂前右側に祭られている。本堂に参拝後、寿老
人に参拝した。
     

          境内東側には観音立像が。
                    

          
 南側には寛政年間(1789-1801)かと読める五輪塔が立ち、新しい六地蔵尊や
古いお地蔵さんも。


     

 西南側道路際には弁天池があり、中の島には小さい弁天堂が祭られていた。


 その横から南へ、すぐ先の荒幡会館横を通過する。



 南側台地に向かって進むと、右手の民家入口でロウバイがたくさんの花を。


 横のピラカンサも実がいっぱい。



 台地が近づき、荒幡小の北側に広がるドレミの丘の下へ。西側から丘への階段を上がり、
ドレミの丘の中心部に出た。






 西方から北、さらに東北方へと広々とした展望が得られ、奥多摩から奥武蔵方面の山並
みもよく見える。




 大持山、小持山から武甲山ヘの稜線。



 ドレミの丘と南側の荒幡小との間の稜線上の土の道を南南西へ、荒幡小の西側からは樹
林の間を少し進む。



 突き当たりの鳥居を入れば南西側が「荒幡富士」、北面に浅間神社が祭られている。



 荒幡富士は、明治17(1884)年から15年かけて荒幡村の住民たちが造った人工
の小富士で、人工の富士塚としては最大級ともいわれている。

 頂上までの標高差は約10m、浅間神社に参拝後、北側の登山口から登頂する。


 上り口には猿田彦大神が祭られ、その横から1合目ずつ折り返して上がる。


     
 山頂には、東向きに祠が祭られ、まずは背後の方向に見える富士山を眺める。




 山頂からは、眼下の狭山丘陵をはじめ、多摩から秩父の連山、新宿の高層ビル群や
東京スカイツリーなども望まれる。

 南側最左端には神奈川県の大山が。

 
 その右手は丹沢山方面か。

 

 東方には東京スカイツリーや都心、副都心などの高層ビル群が。


 西方、木々の間から間近に、埼玉西武ライオンズの本拠、西武ベルーナドームも。


 見下ろした北側一帯は、県の「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」を囲んで「荒
幡富士市民の森」が広がる。



 北方には、西武池袋線 小手指(こてさし)駅前の2つのタワービルなど。


 快晴だが山頂は風が冷たい。ひととおり周辺を眺めてすぐに下山した。


 再度荒幡富士を眺め、西北側にある「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」へ。

 昨年正月までは、屋根上には土が盛られ草がたくさん伸びていたが、最近修復したよう
で、スッキリした屋根に変わっていた。



 入口周辺はまだ工事中だが開館していたので入り、中の展示場を一巡する。




   



 

 12時25分頃入り、20分足らずで退館した。

     
 樹林の間をさらに西へ、少し先の西広場を通過して樹林の西端で右折し、北へ緩やかに
下って行く。
          
 
 切り開かれて休憩舎のある一角、サザンカがたくさんの花を。


 樹林帯の最後に荒幡富士市民の森の標柱が立ち、その先は住宅地の横の細道を下る。
     

 くねくねした住宅地の間の車道を進み、柳瀬川の神明橋を渡る。西武狭山線の下山口駅
近くまで進んで三差路を折り返すように左折し、再度柳瀬川の入道橋を渡る。


 
 少し先のカーブ点でY字路を右に入ると、所沢七福神最後の第七番、毘沙門天の海蔵寺
がある。


 堂々として本堂は、近年の改築で新しい。



 毘沙門天像は、本堂の手前左手の開けた一隅に立っている。
     

          そばには弘法大師像も。
          

 各々に参拝後、正面の本堂に参拝し、無事一巡し終えたことに感謝する。







 もとの道を入道橋際まで戻り、左手の柳瀬川を背にして祭られた「桜渕延命地蔵堂」に
も参拝し、新年も健康で延命できるよう祈願した。
     

 駅西側の踏切を渡り、西武狭山線で唯一の中間駅、下山口駅に13時19分に着いた。

 

 13時37分発西所沢行き上り電車に乗る。ホームには、成人式の記念式典を終えて帰
途らしい振り袖姿も。


 帰宅後見たアメダス所沢の記録は、13時の気温は7.9℃、北北西6mの風だった。

 (天気 快晴、距離 5㎞、地図 「所沢七福神めぐり」の地図、歩行地 所沢市、
  歩数 11,300) 
 



埼玉県ランキング埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢市情報へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年新春 所沢七福神巡り(前半・1~4番)(埼玉・所沢)

2024-01-11 22:28:44 | 所沢だより
 2024年1月6日(土)

 好天で暖かくなるという予想なので、昨年新春に続き地元所沢の七福神巡りに行くこと
にした。加齢に伴う体力や脚力の低下から、昨年同様に2日間に分けて巡ることにする。


 西武池袋線の西所沢駅から上り電車で所沢駅へ、10時40分に東口をスタートした。


 南東に延びる市道を少し進んで、西武バス所沢営業所前を過ぎる。



 6差路になっている北秋津交差点の北側にある八雲神社にまず参拝。境内に樹木は無く、
社殿も小ぶり。
 
 
 東村山方面に延びる旧所沢街道のすぐ右、細い車道を南に進んで台地下に下った辺りに
茶畑が広がり、近くには製茶所もある。


     
          茶畑の南西端↑とそばの交差点際↓に小さい石像が。
          


  南西に少し先、民家の庭先でヒカンザクラだろうか小さい花が咲き出していた。
     

 その先の三差路を左折して南東へ、次の三差路際、広い民家の屋敷前に「百番拝霊塔」
が4基並んでいる。

 四国、板東、秩父の百番の観音霊場を巡拝した記念に建立したもので、この屋敷の先祖
の方々が巡拝したらしい。
      

 近くには夏ミカンだろうか、大きな実の柑橘が実る。


 県道4号・所沢街道を横断して少し直進すれば、所沢七福神第一番・恵比寿天の真言宗
豊山派持明院(じみょういん)である。

 持明院は平安時代創建と伝えられ、「その昔、悪さを重ねていた柳瀬川の河かっぱ童が、
和尚様に説教されて詫び証文を書いた」という伝説が残っているとか。


   石積みの門を入ると左手に6地蔵堂があり、そばに新しい二宮金次郎像も。
     

 境内の南側、竹林背後の下を流れる柳瀬川が都県境になっている。

 
     
 七福神第一番 恵比寿神は本堂の手前に鎮座し、その前にゆかりのヱビスビールが並ぶ。
          


     本堂はコンクリート造りで、その前には弘法大師像が。
     

 西側には、宝形屋根のお堂や新しい三界萬霊塔、五輪塔がある。


 背後の墓地下には西武新宿線が走り、その向こうに国際航空専門学校が見下ろせる。


     
 県道4号・所沢街道まで戻り、緩やかに上る県道を所沢中心街方向へ少しで、西武新宿線
を越えた。陸橋からの南側の東村山駅方面


 陸橋を渡り終えたところで細道を下り、久米境交差点を横断して西へ。うなぎ料理で知
られる日本料理の店、野老(ところ)の先が、七福神の第二番・大黒天の長久寺である。

 長久寺は、鎌倉時代に開山したという所沢では唯一の時宗の寺。春先にはソメイヨシノ
が、秋にはドウダンツツジがきれいだという。

 山門前には青銅の仁王像が構えている


     大黒天は、山門を入ってすぐ右手に祭られていた。
     

 そばに、旗本中根氏の墓の説明パネルがあり、この寺には今まで数回来ているが初めて
気付いた。

 だが、境内を一巡後に本堂背後の墓地に回ったが見つからなかった。

 大黒天に参拝後、正面の本堂にも参拝する。


     
 
 本堂の右手前には時宗の開祖、一遍上人像がある。

 背後の大きなドウダンツツジが、秋にきれいに色づくようだ。
 
     こちらのお堂の右手に立つカシは、所沢市の保存樹木
     


     境内左手には、六地蔵堂や薬師堂↓も。
     

 最後に、本堂右手前に祭られた境内社、豊川稲荷神社に参拝した。

 
 その右手、東側には西向きの鐘楼が。


 豊川稲荷に参拝して南側道路際下り、長久寺を出た。


 来た道を戻り、日本料理店「野老」前を過ぎる。

 ちなみに「野老(ところ)」は、所沢の名の起源になったとろろ芋のような植物のこと。

 すぐ近くのコンビニ、セブンイレブン横を右折して南へ、柳瀬川に架かる勢揃橋(せい
ぞろいばし)を渡る。

 鎌倉時代末期、新田義貞らが鎌倉幕府を倒さんと挙兵した際、上州(群馬県)から鎌倉
を目指して鎌倉街道を南下して所沢周辺で幕府軍と激突した際、ここで数万人の兵を勢揃
いさせたことから名付けられたという。

 だが、橋の周辺には、そのことと記したパネルなどは無い。
 
 さらに南進すると、松が丘東交差点の北東側に大きな洪水対策用調整池があり、かなり
の水面にソーラーパネルが設置されている。

 「フロートソーラー所沢」と名付けられ、市が関わる太陽光発電施設のよう。

 交差点からは、前方に狭山丘陵の再東端付近の樹林が望まれる。


 交差点の先で右カーブすると、一帯は西武グループが開発した戸建て住宅が並ぶ松が丘
住宅が続いている。


 次の交差点で左折して、すぐ先の八国山緑地下部の砂利道から住宅地を進み、東端から
折り返し、都県境を西に延びる八国山緑地の遊歩道に向かう。
     
 上り口には「狭山丘陵いきものふれ合いの里」のパネルや、都立八国山緑地のエリア図
などが。


     まずは、急斜面を上がる。
     

 少し上がり東北東をふり返ると、所沢市の中心市街地周辺の高層マンションなどが望ま
れる。 
 

 ブルーシートの一角は、所沢駅西口の旧西武鉄道車両基地跡を再開発中のエリア。今年
秋には大規模商業施設がオープンの予定。

 左端の高層ビルは、先行建設されたマンションなどの入るビル。右端には以前の西武百
貨店、現在の西武ショッピングセンターの入るWaltz(ワルツ)ビルも望まれる。

     
 八国山緑地の多くを覆う落葉広葉樹林は冬枯れの様相で、足もとには豊富な落ち葉が。


 ところどころに、この丘陵に関わるパネルがある。


     
 稜線に上がってすぐ先、右手(北側)に将軍塚があり、その前には「元弘青石塔婆行在
跡」標石と、将軍塚のパネルが。


     その北側の少しの盛土上が将軍塚で、標石も立つ。
     

 近年、ここ狭山丘陵の樹林には「ナラ枯れ」が発生しており、ほかの木に伝染する恐れ
があるので近づかないよう注意のパネルも。


 さらに八国山緑地を西進する。
 
  
 南側の一角に、「萌芽更新(ほうがこうしん)」を施した落葉広葉樹が並ぶ。

 多くの広葉樹は、幹を切ると切り株からたくさんの芽が伸びてくるが、年を経た樹木を
伐採して、このような萌芽を育てて雑木林の若返りを図るのを萌芽更新と呼んでいる。

  かつては、薪や炭に利用される細い材をたくさん生産するのに適しているため、里山管
理の手法として江戸時代から武蔵野の雑木林では多く行われていたもの。


 さらに進むと、南へ東村山市諏訪町方面への分岐があり、その南東側は樹林が切り開か
れた「おおぞら広場」がある。


 広場からは南南東に、西武新宿線 東村山駅西口の高層ビルが望まれる。
  

 広場の東側にはトイレもあり、広場を囲む2カ所の木も「ナラ枯れ」が発生し、触れな
いように囲ってある。
     

 狭山丘陵の稜線上を走る都県境の遊歩道をさらに進む。 



 南側の緩やかな斜面下に「ほっこり広場」を見下ろしながら進み、右手に見えた階段の
2つ目で稜線を離れて松が丘住宅の中を貫く遊歩道に向かって下る。


 住宅地の中心部を東西に走る市道の松が丘中央交差点を右折し、すぐ先の松が丘中央公
園際へ。


 公園の東側を北に進み、次の通りの北側にある久米八幡市民緑地際を東に回り込むと、
所沢七福神第三番、福禄寿の佛眼寺門前に出る。

 平安時代初期に開かれたと伝えられ、明治維新までは北側背後にある鳩峰八幡神社の
別当(神社を管理するために置かれた寺)を務めていたという。

 
 数段の石段を上がると左側に6地蔵堂が祭られ、右側にはマンリョウが咲く。


 
     正面の本堂の前、左手には慈母観音像と弘法大師像が。
     

           
       右手、黄金色の一願観音のそばに、所沢七福神の福禄寿が立っている。
     

 夏ミカンの実る東側の山門から佛眼寺を出た。

 
 北側を東西に延びる台地に向かって上がると、細い十字路際には携帯用アンテナ塔が5
本立ち、十字路を左折して進めば、正月早々のだるま市で知られる水天宮境内へ。


 東向きの社殿は周囲を樹木に覆われ、その間を木漏れ日が差し込む。


 拝殿には、いつ来ても奉納されている、小さいだるまが10体ほど並ぶ。


 北側の数段の階段を上がり、豊富な鎮守の森に覆われた鳩峰八幡神社境内へ。

 当社は、延喜21(921)年に京都・石清水八幡宮を分祀したと伝わる古社。

 覆屋に覆われた本殿は、見世棚造り呼ばれる一間社流れ造りという室町初期の建築で、
埼玉県指定文化財。内部には、修理した慶長13(1608)年の棟札が残るとか。
 
 境内中央部に、新田義貞が鎌倉討伐の際の元弘3(1333)年5月に戦勝祈願に立
ち寄った際に兜を掛けたと伝わる「新田義貞兜掛松史跡」碑が。
                

          傍らには、何代目かになる松の若木が植えられていた。
                    
 
 拝殿への参拝を終え、東側の正面鳥居に向かって緩やかに下る。ヒノキ科樹木が中心の
境内の豊富な樹林は、市の保存樹林である。

 正面鳥居を出て、北側への樹林の間を下る細道へ。

 右側一帯は豊富な樹林に囲まれた富士幼稚園。


 樹林帯の下部に出ると、正面に西武池袋線西所沢駅周辺の中層マンション群が見えた。


 荒幡の住宅地を抜けて、県道バイパスの山王橋(西)交差点を横断する。


 さらに北進した突き当たりが、所沢七福神の第四番、弁財天の永源寺である。

 永源寺は、室町時代の応永年間(1394~1428)の創建、天文年間(1532~
55)に復興され、のち徳川家康から30石の領地を授けられたという。

 山門を入り右手に、市指定文化財の大石重信甫塔の説明パネルが。この寺も何度か来て
いるが初めて見つけた。


 まずは正面の本堂に参拝する。


 本堂背後の墓地を少し上がると「武蔵国守護代 大石重信之墓」の標石があり、すぐに見
つかった。
     

 本堂前の西南側には、今は枯れ枝だが大きなムクロジュがあり、正月の羽根つきの羽に
使われる実がたくさん残る。


 七福神の弁天様は、門前を出て道路を挟んだ西南側、弁天池中の島の弁天堂に祭られて
いる。

 
 その辺りからふり返る本堂周辺


 今日の巡拝はここまで、西所沢駅に向かって西進して台地上へ。茶畑の向こうに西武池
袋線の線路が平行する。


 西所沢駅東側の踏切を渡り、13時50分頃に西所沢駅前に着いた。

 
 まだ昼食前だったので、近くの中華料理 蟹谷(かにや)へ。


 ワンタン麵(税込780円)を注文し、高校サッカー準決勝第1試合のPK対決のTV
を見ながら昼食を済ませる。


 この後、近くの2つのスーパーを回って少しの食品を求め、15時02分に帰宅した。 

 14時のアメダス所沢の気温は13.5℃、正月早々としては温かな日和だった。

 (天気 快晴、距離 9㎞、地図 「所沢七福神めぐり」の地図、歩行地 所沢市、
  歩数 18,000)
 
 



埼玉県ランキング埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢市情報へ
にほんブログ村
 


 
 
  
 
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所澤神明社に2024年の初もうで(埼玉・所沢)

2024-01-07 20:55:08 | 所沢だより
 2024年1月5日(金)

 表題とは関係ありませんが、埼玉西部消防局(所沢市、狭山市、入間市、飯能市、日高
市を管轄)と所沢市共催の消防出初式は7日(日)、所沢航空記念公園で開催予定でした
が、「中止する」と発表しました。

 これは、元旦に発生した能登半島地震の状況等を考慮し、今日現在で被災地への職員の
派遣は実施していないが、市民感情を考慮して決めたようです。

 私は、7日には出初め式を観覧に行く予定でしたが、現状ではやむを得ないと思います。

========================================

 新春早々は例年、参拝者の長い行列となるので遠慮していた、市内の総鎮守でもある所
澤神明社、5日の今日はもう人出も少なくなったと思われるので参拝に出かけた。

 2日前の3日(水)とほぼ同様、市内中心部を東西に流れる東川(あずまがわ)沿いに
近い市道を進み、西参道から神明社境内へ。

     
 西参道には、市の「ふるさとの樹(巨樹)」の1号に指定されている、ケヤキの古木が
手前の曲がった1本とともに立つ。


    東側からふり返ったもの。幹は根元近くから2本に分かれている。
     

     
 西側の鳥居から石段を上がって中段へ。左折して正面石段を上がり、まずはそばの手水
舎で手を洗い口をすすぐ。


     
          手水舎の花は、昨年末の花手水から新年用の花に変わっていた。
          


 正面の拝殿前には、もう並ぶ人はわずかだったのですぐに参拝できた。


 参拝後、拝殿左手奥に設けられたお守り頒布所に回り、例年同様に交通安全の御守を分
けていただく。


     
 頒布所の前には、いただける御札や絵馬などの実物が張り出されていて、その番号で申
し込むようになっている。
     

          

     


 御札をいただいた後、その横に並ぶ摂社にも一巡して参拝した。






     



     



     




 境内の何か所かにある絵馬掛けには、たくさんの絵馬が奉納されている。




 中段広場まで下りると、新年の挨拶のパネルが。


 昨年蔵にも咲いていたシャクナゲの一部が、まだ咲き残る。



 何か所かに設けられたおみくじ掛けには、たくさんのおみくじが。


     



     


     中段広場のテント内は、パワーストーンおみくなどの自販ボックス。
     

          
 

 中段の東側には、神明社摂社の第一という蔵殿(くらどの)神社がある。



 その前から斜面の細道を東側に下ると、不要になった人形を奉納して供養する人形殿だ
が、年末の冬至の12月22日から立春の2月4日までは受付休止の札が下がる。



 その前の広場には数店の露店のテントが並ぶが、今日はもう閑散としていた。






     正面の階段を下ってふり返り拝礼し、所澤神明社を後にした。
     
 
 この後、今日が新年初売出しの近くのスーパー・ヤオコーで買物をして、折り返して中
央公民館を経て、帰路に向かう。


 上は、元町の中央公民館に掲示された紙製の「トコろん」(所沢市のイメージキャラク
ター)。
 



埼玉県ランキング埼玉県ランキング 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢市情報へ
にほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東川沿いの3つの寺社などへ初もうで(埼玉・所沢)

2024-01-04 21:24:11 | 所沢だより
 2024年1月3日(水)

 元旦の「令和6年能登半島地震」に続き、2日夕方には羽田空港へ着陸した札幌発日本
航空516便が、海上保安庁のMA722機と衝突して炎上という惨事が発生、乗客教員あわ
せて379人は脱出できたものの、海保機の6人中5人は死亡という大事故となりました。

 事故発生から約1時間後のNHK 総合テレビから


 これ以上、大災害が起きないよう祈るばかりです。

 さて今日は、曇天でスッキリしない雲行きながら、市内中心部を東西に流れる東川(あ
ずまがわ)沿いにある、3つの寺社などの初もうでに出かけました。

 最初は、西所沢二丁目の西友西所沢店の裏手、東川右岸沿いの小さなお堂・弘法堂へ。
     


 東側の国道463号線の橋際横にある「弘法の三つ井戸」に関わる、弘法大師を祭るお
堂です。




     
 国道の東側には、昨年大晦日で廃業したその名もゆかりの銭湯「弘法の湯」があります。


 昭和38(1963)年に創業したようですが、設備の老朽化により60年間の営業を
おえました。
     
 私は入ったことはありませんが、わが家では連れ合いと長男が何度か利用しており、長
男は廃業前日の12月30日に最後の入湯に出かけました。
          

      

     さらに東川沿いに下流に進み、「馬の町の所沢観音」で知られる新光寺へ。
     

 唐風の山門、普段は閉じていますが新年には開扉されるので、今日は門をくぐって境内へ。


 
 正面には六角形のお堂があり、その前に観音立像が。新型コロナウィルスの感染拡大が
続いた3年間はマスクをしていましたが、昨年春からは外されています。
     



 右手奥の本堂に参拝しました。

 

 山門に近い境内南東側の一角には、たくさんのお地蔵さんが並んでいます。春先には、
お地蔵さんに囲まれたシダレザクラが見事な花を見せてくれます。
     

          

 北東側のスーパー・ヤオコー有楽町店はまだ年始の休業中ですが、その前を通過して東
側の薬王寺の山門を入りました。


     
     コンクリート造りの本堂の手前右側には、太い幹のイチョウの古木が目につきます。
          
 
     その左手に、古いお地蔵さんと庚申塔が並びます。
     


 そばの掲示板には、この寺の周辺を描いた「江戸名所図会(ずえ)」の拡大図などが。


     

 本堂に参拝して、今年の健康や国内外の安穏などを祈願しました。

     鐘楼の前に立つイチョウは、正面のイチョウとともに市の保存樹木。
     


 南東側の駐車場から寺域を去りました。すぐ横、隣の民家のサザンカがたくさんの花を。


 再び門前の古くからの通りを東進し、細い十字路際の荒幡肉店前へ。

 改築した建物の外観は完成しています。

 古くからの店で、特にコロッケの美味しい店として知られていましたが、建物の老朽化
で昨年3月末にいったん店を閉じました。

     
     昨年3月30日、閉店前日の様子


 窓の張り紙によれば、3月にリニューアルオープンのよう。創業91年とも書いてあり、
1932(昭和7)年の創業とのこと。
      

 西武新宿線のガード下を東に抜けて、東川桜通りを少し進んで西新井町の熊野神社前へ。


   

     3月下旬には花に覆われる川は、いまはこのよう。
     

 最初の鳥居を入って境内へ。


 二ノ鳥居には、稲わらで編んだ新しい大蛇が。毎年大晦日に架け替えられるので、真新
しくなっています。


 正面の拝殿に参拝しました。



 右手にある小さなお堂も開扉されています。その辺りから見る拝殿と本殿↓。



 熊野神社社域の南西側にある西新井不動尊、正月で開扉されていたのでこちらにもお参
りしました。
     


 西武新宿線のガートの西側まで戻り、北に延びる飛行機新道へ。東川に架かる重厚な旭
橋は国登録有形文化財。


   橋の右岸上流側にあるパネルから
   

 東川は、ここで少しカーブしているので両側の橋桁の位置は南北にずれています。



 飛行機新道を南へ緩やかに上がり、所沢駅方面に向かいました。
 



埼玉県ランキング埼玉県ランキング


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢市情報へ
にほんブログ村

 
 
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年元旦は「令和6年能登半島地震」で幕開け

2024-01-01 22:24:32 | Weblog
 2024年1月1日(月)

 新年のご挨拶をと思いましたが、16時過ぎに能登半島を震源とする震度7の大地震が
発生して、それどころではなくなりました。

 午前中に到着した年賀状の中で、出してなかった人からのもあったので、賀状をしたた
め最寄りの郵便局に向かう途中、富士山を眺めました。

 電線や金属ポールが目障りですが、わが家から最寄りの場所としてはここだけです。

 郵便局のポストに投函後、緑町4丁目の愛宕神社に回ってみたら、参拝者の列が回りま
でながーく伸びていたので参拝は改めてくることにしました。




     

 近くのサザンカ


     


 上新井の六所神社に回って参拝し、今年の健康や諸事の安穏などを祈願しました。




 昼食後、年初の初午睡をして起床したら、テレビでは大地震発生の情報でビックリ。

 NHKテレビの映像から 






 この地震は、気象庁から「令和6年能登半島地震」と命名されました。

 各テレビ局とも地震情報が夕食後まで続き、正月どころではない元旦となりました。今
年の前途が予測されるような出来事です。
 
 被害にあわれた北陸地方など日本海沿岸の皆様に、心からお見舞い申し上げます。

 



 
 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする