あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路での昼食地と昼食④

2011-12-31 22:30:11 | 四国遍路あれこれ
 2011年も終わりです。大変なことも起きたこの1年でしたが、当ブログをたくさんの
方にご覧いただき、本当にありがとうございました

 皆様にとって2012年がよりよい年となりますよう、お祈り申し上げます。あわせて、
今後とも引き続きご覧いただきますよう、よろしくお願いいたします

=========================================

 後半の9目目、2011年3月4日(金)は、西条市小松の同行民宿鈴から標高745mの
60番横峰寺まで往復し、小松の国道11号にあったニュースコールという軽食の店で、遅
い昼食をしました。食事を終えたのは15時過ぎでした。


 注文したカツカレーは750円です。


 10日目の3月5日(土)、西条ステーションホテルを出て、国道11号と「旧街道」と呼
ぶ旧道を進みます。昼食は、新居浜市郊外の「新四国二十二番地蔵堂」の表示があった、集
会所のような建物の下で。




 弁当は国道際のスーパーM2で買ったもの。574円でした。


 3月6日(日)は、一部予讃線の電車を利用して伊予三島駅をスタートしました。65番三
角寺から堀切峠を越えて、番外霊場13番の仙龍寺に正午過ぎに着き、納経所が昼食中だっ
たので、私も本堂の前のベンチで食事をしました。


 弁当は四国中央市役所前のサークルKで購入のもの。今日はおにぎり主体で550円です。


 12日目の3月7日(月)、徳島県三好市の人気の民宿岡田から、別格15番箸蔵寺(はし
くらじ)まで往復しました。昼食は、納経を終えた箸蔵寺の納経所前にて。


 おにぎりは民宿岡田のお接待でいただいたもの。おにぎりの写真は、翌日のところで紹介
します。

 3月8日(火)は連泊の民宿岡田を出発、雪の中標高910mの66番雲辺寺(うんぺんじ)
に上がり、県境の尾根から香川県に入ります。昼食地は、納経を終えた67番大興寺境内で
した。下の写真は大興寺の大師堂。


 民宿岡田でお接待のおにぎりと、大興寺の納経所でいただいた「因幡の白うさぎ」という
和菓子をいただきました。


 この日は、宿泊する観音寺市内に入る前に、高松自動車道の近くにあった手打ちうどんの
店・大多喜に入り、わかめうどん(350円)を食べました。




 第14日の3月9日(水)は、観音寺市内の若松屋別館をスタートし、70番本山寺(もとや
まじ)を経て、昼近くに71番弥谷寺(いやだにじ)へ。

 納経後、標高220mの山腹にある本堂の近くのベンチで昼食にしました。

 弁当は、県道221号のスーパーマルヨシで買ったもの。このほかに菓子も含めて681
円でした。


 3月10日(木)は、72番曼荼羅寺のそばの門先屋(もんさきや)旅館を出て、75番善
通寺から77番道隆寺を経て、昼ころ丸亀の中心街を通過し、市役所近くの讃岐うどんの店、
「つづみ」に入りました。初回の遍路の時にも食べた店です。


 注文したのは「山かけ風かけうどん1.5玉」、480円です。


 16日目の3月11日(金)、東日本大震災の日ですが、震災のことは全く知らずに歩いて
いました。昼食は、高松市郊外、標高365mの82番根香寺(ねごろじ)で納経後、大師堂
そばのベンチです。雪がちらついて寒い日でした。


 弁当は、JR予讃線讃岐府中駅から歩き出して間もなくの、県道33号のファミリーマー
トで買ったもの。値段はメモ忘れでした。 


 3月12日(土)は、高松市内の東横イン中新町から出発して、標高284mの84番屋島
寺を経て85番八栗寺(やぐりじ)に参拝後、大師堂↓近くのベンチで昼食を。


 屋島寺から下った香東川そばのスーパーマルナカで買った、574円の弁当です。 


 第18日の3月13日(日)、87番長尾寺そばの民宿ながお路をスタートし、740mの
女体山を越えて88番大窪寺に正午過ぎ、無事結願できました。


 納経を終えた本堂前の広場にあったベンチでの昼食は、前山ダム際のお遍路交流サロン前
にあった道の駅ながおで買ったもの。310円でした。


 最終日の19日目、3月14日(月)は、高松市塩江町の樺川荘本館から別格霊場の結願寺、
20番大瀧寺(標高910m)に参拝しました。途中に店はなく、弁当を購入することはでき
ませんでしたが、大瀧寺の納経所でまんじゅう2つとお茶のペットボトルをいただいたので、
それを、戻る途中の道路際で食べて、昼食変わりとしました。




 この日は、樺川荘本館に戻って塩江町の中心部からバスで高松駅に出て、岡山から夕方の
新幹線ひかり号に乗り、日付が変わる頃、帰宅することができました。
 


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四国遍路での昼食地と昼食③

2011-12-30 18:25:34 | 四国遍路あれこれ
 年も押し詰まって何かと用事があり、ブログ更改もとどこおりがちとなりました。
今日は、2か月半近く中断していた「四国遍路での昼食地と昼食」の続きです。

=======================================

 3度目の四国遍路の前半、24日目の2010年3月14日(日)は、高知県宿毛市
の大島屋旅館を出発して宿毛市街地に入り、39番円光寺に正午前後に参拝しました。

 参拝を終えた後、宿毛市街の岡本旅館に戻る途中、近くの川の土手で昼食としました。


 弁当は、道の駅すくもの近くにあった果物屋で買った250円の弁当です。


 25日目の3月15日(月)は、高知・愛媛県境の松尾峠を越えて愛媛県愛南町に入り、
雨の中、満倉簡易郵便局の近くにあった、りっぱな遍路休憩所で昼食を。

 
 この日の弁当は、出発直後の宿毛市街地の外れ、国道56号交差点際のコンビニで買っ
たもの。595円でした。

 3月16日(火)、愛南町の民宿磯屋をスタート、柏坂の遍路道を越えて下り道の途中
にある、茶堂休憩所の古い東屋(あずまや)で昼食にしました。


 弁当は、柏坂にかかる手前、内海にあったJAの組合マーケットで購入のもの。これで
566円です。


 27日目の3月17日(水)は、宇和島市の市街地にある別格霊場6番龍光院を参拝し、
41番龍光寺に向かう前に、無人の北宇和島駅のベンチで昼食。


 弁当は、宇和島の市街地に入る前にあった、開店間もないスーパーマルナカで仕入れた
もの。弁当と牛乳で473円でした。

 前半の霊場の区切りとなる3月18日(木)、42番仏木寺に近い民宿とうべやをスタ
ートし、歯長峠を越えて前半最後の霊場である43番明石寺(めいせきじ)にお参りしま
した。

 お昼は、国の伝統的建物群保存地区に指定された卯之町の家並みに近い、国道に平行す
る通りにあった、この七五三(しめ)と呼ぶ中華料理店です。

 注文したチャーハンは500円でした。

 翌3月19日(金)、大洲市の市街地にあるときわ旅館から、午前中にJR内子駅まで
歩いて、前半の区切り打ちを終えました。

 3度目の遍路後半は今年2月24日(木)に再開しました。初日は、大洲市のときわ旅
館に荷を置いて、別格霊場7番出石寺(しゅっせきじ)までの往復です。

 出石寺には11時半過ぎに着き、参拝後、山門のそばのベンチで昼食をしました。


 弁当と飲物は、大洲市街を出て久米川沿いにあったコンビニ、サークルKで求めたもの。
651円です。

 2日目の2月25日(金)は、JR内子駅をスタートして、小田川に沿った国道379
号線を上流に向かいます。この日の昼食地は、番外霊場楽水大師の先の梅津バス停の小屋。


 買ってきたのは、内子の町を出たあたりのコンビニ、サンクスで買った弁当と牛乳で、
570円でした。

 2月26日(土)、内子町から久万高原町に入り、44番大宝寺に参拝後、河合休憩所
の東屋で昼食。久万高原町の中心街にあるJAのスーパーで購入の、弁当と飲物は667
円でした。


 第4日の2月27日(日)は、久万高原町の中心街から国道33号を三坂峠に上がり、
久万街道と呼ぶ古い遍路道を下ったあたりの朽ちそうな東屋で、昨夜同宿の奈良市のKさ
んと一緒に食べました。

 弁当は久万高原町のサークルKで購入のもの。飲物ともで500円。

 2月28日(月)は雨の中、松山市内の霊場巡り。51番石手寺に参拝後、この日の宿、
松山ユースホステルに不要な荷物を預け、近くの伊佐璽波(いさにわ)神社のそばにあっ
た食堂「いさにわ」で、肉うどん(700円)を食べました。(写真はありません)

 6日目の3月1日(火)、番外霊場鎌大師に参拝、小さい峠を越えて浅海(あさなみ)
の町並みに下り、町外れで旧道が国道に合するところの道路際で昼食に。


 弁当は、北条の市街地を抜けたあたりにあった、スーパーマルナカで購入したもの。
577円です。


 2011年3月2日(水)は、今治市大西町のあさひや旅館を出て、今治市内の霊場を
巡りました。57番栄福寺での参拝を済ませて、納経所前の石のベンチで昼食に。


 弁当は、今治の市街地の南、国道196号交差点際のサークルKで求めたもの。593
円でした。

 第8日目の3月3日(木)、今治湯ノ浦ハイツを出て、西条市に入りました。昼食は、
別格霊場10番の興隆寺にお参りした後、納経所の方に断り、境内の鐘楼のそばのベンチ
でさせてもらいました。


 弁当と飲物は三好のそごうマートで求めたもので、606円です。(続く)



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市川真間から矢切まで歩く(千葉)

2011-12-24 20:50:40 | ウオーキング
 2011年12月23日

 北からの寒気で真冬並みの寒さとなったが、10時過ぎに京成本線の市川真間(まま)
駅に降りた。予報では晴天のはずだが、空は一面雲に覆われていて風が冷たい。

 北口から住宅の間を抜ける狭い車道を東に向かい、県道264号に出た。北に少しで、
工事中の国府台女子学院に相対するあたりにある「相田みつをギャラリー」に入る。


 相田みつをの作品をたくさん展示販売するとともに、焼きたてのパンも販売しているが、
今日の目的は、やまさんから教えてもらった、正面のコーナーで開催中の「放浪のお絵描
きおじさん 第2回百田 稔(ももだみのる)作品展」である。

 百田さんは、平成17年(2005)に58歳で定年退職後、東海道を皮切りに、中山
道、紀伊半島、九州・沖縄などを、絵を描きながらの歩き旅を続けて来られた。

 それらの絵も展示されていたが、今回は10月4日から11月20日までの30日間、
北陸・能登半島など西舞鶴から直江津までの約808㎞を歩いて、1日1枚ずつ描いた絵
を展示していた。いずれの作品も、歩き旅でなければ得られないと思われる、味わい深い
絵ばかりだった。

 ギャラリーを出て、近くの交差点から北西に向かう「文学の道」に入る。


 桜並木の下に、市川ゆかりの文学者である北原白秋、幸田露伴、永井荷風など、90名
の作品にまつわる話や、万葉の歌を紹介した説明板が続いている。


 真間川に突き当たり、川沿いを笹塚橋から手児奈(てこな)橋へ。

 手児奈橋の南側には、浮島弁財天が祭られていた。


 橋の北に真間小があり、通りの西側に相対する真間稲荷神社に入る。

 創建は万延元年(1860)、昭和10年(1935)に現在地に遷座したのだという。

 稲荷神社と池を挟んだ北側には、手児奈霊神堂のどっしりとした社殿が西を向いて立って
いた。山部赤人や高橋虫麻呂など万葉歌人に詠(よ)まれた伝説の美女・手児奈を祭るお堂
で、子授け・安産・良縁成就の神として知られ、ちょうど初参りの若いご夫婦が訪れていた。


 境内の「縁結び カツラの木」は、昭和56年(1981)7月のほおずき市に、当時市
川市に在住していた、歌手のさだまさしさんが奉納されたものとか。

 西側の道路際には、「万葉集の真間の手児奈の歌」の説明板が立っていた。

 その道路の北側正面、台地に向かって急石段を上がると、広い境内の弘法寺(ぐほうじ)で
ある。

 行基菩薩や弘法大師の建立伝説を持つ古寺で、仁王門には運慶作と伝えられる仁王像が立ち、
額の文字はは弘法大師の真筆と伝えられているという。


 仁王門をくぐると正面に真新しいお堂があり、その近くに、樹齢400年といわれる「伏姫
桜(ふせひめざくら)」と呼ぶシダレザクラが目につく。


 境内には桜やモミジ、シイなどの古木が多く、モミジがまだいくらか彩りを残していた。東
南の草地からは、市川市の中心部が一望できる。


 境内裏手の墓地と、北側の千葉商科大の間を東に下る。市立二中の西側一帯の段丘にある緑
地が須和田公園で、中ほどに史跡須和田遺跡の説明板が立ち、弥生中期から平安初期の集落遺
跡だったことなどが記されている。

 そばに復元した竪穴住居があるが、かやぶき屋根は失われ、円形に掘り下げた部分だけ残っ
ていた。

 近くには、市川に10年間亡命生活を送った郭沫若(かくまつじやく)が、昭和30年
(1955)に再訪した際、旧知の人と交換した時の感慨を歌った、自筆の漢詩の詩碑がある。

 公園の横を少し北進すると、郭沫若記念公園があり、その一角に市政施工70年の2004
年に移築復元した郭沫若記念館が、無料で公開されている。


 郭沫若は、中国の著名な文学者で政治家でもあり、周恩来などと中国人民共和国建国に尽力
し、建国後は政務院副総理などに就任した。前述の昭和30年(1955)、中国文化視察団
長として来日したときに、亡命生活を過ごした市川市須和田の旧宅を訪れているという。

 なお、市内に亡命したのは、蒋介石政権から追われる身となった昭和3年(1928)から
12年までの10年間である。


 館内には、毛沢東や周恩来からの手紙(レプリカ)、少年時代の衣装、郭沫若ゆかりの写真
や図書、プロフィール、直筆の掛け軸など、多数の品々が展示されていた。

 市川市は、郭沫弱の生地・中国四川省楽山市と姉妹都市を締結しており、30周年となった
今月、植樹したばかりという記念樹が、公園内に立っていた。

 北東に向かい、国分集落の中ほどまで進んで下総(しもうさ)国分寺に行く。下総国分寺は、
天平13年(741)の詔勅により全国に建立された国分寺のひとつ。朱塗り鮮やかな南大門
は、たびたびの焼失で昭和53年に再建されたものとか。


 堂々たる本堂の右手前に、すっかり葉の落ちたイチョウの高木が立っていた。その奥には、
市川七福神の毘沙門天の石造が祭られている。


 道路を挟んだ東側には宝珠院があり、本堂に安置の本尊は「いちかわ薬師」と呼ばれる薬師
如来とか。境内に祭られた「いちかわ水子地蔵尊」の周囲に、人形などの玩具がたくさん奉納
されていた。


 本堂前に大きなやかんがあるが、由緒などの説明は何も無い。


 北側の三差路を左折して西に向かう。庚申堂の先まで進むと、広い草地の一帯が下総国分尼
寺(にじ)跡。国分尼寺跡公園になっていて、金堂跡には盛り土され礎石の位置が示されてい
るが、説明板などはなにも無かった。



 高い時計塔のある和洋国府台(こうのだい)女子中の西を進み、すぐの十字路を左折して階
段を下る。台地下の住宅地を北へ、車道を横断して北側のじゅん菜池緑地に入った。

 じゅん菜池緑地は、国府台と国分の台地の間に深く入り込んだ古くからの国分沼を、昭和
50年度(1975)から整備復元をはじめ、6年後に完成したもの。総面積は約8万5千㎡
という。


 南北に細長い池の、西側の遊歩道を進む。池のほとりに近づくと、たくさんのカモが寄って
きた。


 東側、中国分(なかこくぶ)の斜面林はほとんど落葉している。中間より先にある中の島を
渡り、東側の遊歩道を北端まで進んだ。


 その北側には二つの小さい池があり、一帯を自然環境ゾーンとして、ジュンサイやヒツジグ
サ、コウホネ、アサザ、ショウブなど水生植物ほかを保護している。


 二つの池の間の遊歩道には、落葉間近のモミジが残っていた。


 緑地の北西端を出て、栗山の住宅地を県道一号(松戸街道)に向かって上がる。マンホール
のふたには、矢切(やぎり)の渡しとコアラの2種類が描かれていた。


 県道に出て右折すれば、北総鉄道の矢切駅前広場。14時5分に着いた。広場の一角には、
「水上勉氏旧居跡」の石碑があり、昭和32年(1957)9月から34年10月まで、ここ
に住居を構えていたことなどが記されていた。

 松戸街道の少し先にあったそば屋さんで遅い昼食をして、14時半過ぎ、地下を走る矢切駅
に下る。

(天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 船橋、松戸、歩行地 市川市、松戸市、歩数
 10、800)

 なお、冒頭で紹介した「放浪のお絵描きおじさん 百田稔さん」のブログは、ここをクリック
してご覧下さい。



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山里探訪講座へ(埼玉・所沢)

2011-12-22 18:24:55 | 所沢だより
 2011年12月15日(木)

 所沢市緑町の新所沢公民館で開催された、「第4回山里探訪講座」に参加しました。

 この講座は、市内にお住まいでもと秩父の高校で長い間地理の教師をされていた、飯
野頼治さんが代表になっている山里探訪会の主催で、秩父や所沢周辺の歴史と地理に関
する講座を、年何回か開催しているのです。

 今回は、前半を「山里の記憶 秩父の冬」というテーマで黒沢和義さんが、後半は
「埼玉の坂東(ばんどう)札所」について飯野頼治さんが講演されました。

 「山里の記憶 秩父の冬」の講師、黒沢和義さんは飯野さんの教え子で、現在は都内
にお住まいのようですが、ご出身は秩父観音霊場第31番札所の観音院に近い、秩父郡
小鹿野町とのことです。

 黒沢さんの話は、秩父の山里に暮らす人たちが、正月を控えてどのような伝統行事を
しているのかについて、下の資料のパソコン画像を投影しながら話されました。



 山に囲まれた秩父盆地では、古くから農業や養蚕などに関わりのある伝統行事が残っ
ていましたが、農業従事者の減少と高齢化に伴い、それらの行事が急速に消えているよ
うです。

 それを惜しむ黒沢さんは、いまも伝統行事を残すお宅を訪ねて、その様子を子細に聞
き出して絵に描いて記録し、後世に伝えようとしておられるのです。

 今回お話しされた行事は、吊し柿作り、しゃくし菜漬、栃もち作り、もちつき、お正
月飾り、手打ちうどん、小正月の繭玉飾り、小正月のハナつくり、といったものですが、
私が中学卒業まで住んでいた、外秩父ともいうべき比企郡小川町で当時行われていた行
事と同じようなものが多く、大変興味深い話ばかりでした。

 黒沢さんは、このような秩父に残る伝統行事について、すでに100件近い記録を残
しており、それらをまとめた下のような冊子を刊行されています。



 それぞれに、秩父に残る「味の話」と「技の話」あわせて35ずつが記録されていて、
講座での話のほかに例えば、わさび漬けづくり、ずりあげうどん、タラの芽栽培、川の
りを食べる、石垣積み、竹カゴを編む、紙すきの話、棚田を守るなどがあります。

 現在も、このような伝統行事を伝承されている人を探しては、訪ねて記録し描かれて
おられるとのことで、200の作品作りを目標にしているとか。秩父にお住まいの70
歳以上の方で、このような古くからのしきたりなどを継承される方が居られたら紹介し
て下さいともいわれました。

 後半、飯野さんの「埼玉の秩父札所」では、まず、平安時代に成立した西国33観音
をはじめとして、坂東33観音、秩父33観音(のち34観音)をあわせて日本百観音
巡りが生まれ、四国88ヶ所を加えた「百八十八ヶ所」順礼旅が庶民の夢となったこと
に触れられました。



 次に、坂東札所の特色として、一巡すると山岳、海、古都、大都会、地方都市、農村、
山村など、すべての旅の要素が詰まっていたこと、秩父札所と比べて名刹、大寺である
こと、武藏、相模なえど八州にわたる苦行の旅だったことが述べられました。

 また坂東札所は、相模と武蔵の霊場(1番杉本寺~14番弘明寺)を巡る小回りコー
スと、上州~房州の霊場(15番長谷寺~33番那古寺)を巡る大回りの二重構造だっ
たと考えられること、正式な順礼コースはなかったのではないか、などの話がありました。

 さらに、飯野さんが平成16年(2004)6月から平成22年(2010)6月ま
で、52日間かけて約1170㎞を歩いて巡った行程が紹介されました。

 最後に、埼玉県内にある坂東札所である、9番慈光寺(ときがわ町)、10番正法寺
(東松山市)、11番安楽寺(吉見町)、12番慈恩寺(さいたま市岩槻区)について
の概略や歴史などのお話があり、この講座を終えました。

 私も坂東札所については、色々なウオーキングの途中で何か所か巡っていますが、機
会をつくって一巡してみたいなと考えながら会場を後にしました。



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カタツムリ歩行 JR武蔵野線 北府中駅(東京)

2011-12-19 11:38:25 | カタツムリ歩行
 2011年12月18日(日)

 JR武蔵野線周辺を歩き続けているカタツムリ歩行、21年目の最後になる第210回
例会が開催されました。

 集合はJR武蔵野線の北府中駅。やまさん旧知の、村松 昭さんが姿を見せました。
村松さんは、各地の川の散策絵図などをたくさん描かれているので、ご存じの方もおられ
ると思います。


 帰宅後私の本棚を見たら、村松さんの作品として、この3冊と「奥入瀬渓流マップ」と
いう絵図がありました。


 10時過ぎにスタートして線路沿いを北に少し進み、府中刑務所の職員宿舎などの南側、
ケヤキ並木の通りを東に向かいます。


 通りには、地元府中市の木や市の花、市の鳥などの絵タイルが埋め込まれていました。


 府中刑務所の職員宿舎の並ぶ通りの東端まで行って左折し、折り返すように次の通りを
逆行して職員宿舎と高い塀の続く刑務所の間を進みます。

 右手の高い塀の中が、受刑者の収容されているところ。左側が職員宿舎です。

 その通りの中間にある、この建物が刑務所の本館のようです。


 通りの南側にあったのは「寿徳殿」と呼ぶ建物。柔剣道の道場で、刑務所職員だけでな
く市民も利用できるとのこと。その南側には、体育館もありました。


 刑務所敷地の中間を東西に貫く道をを戻って、さらに東側のイチョウ並木の通りに入り
ます。ここもまだ、刑務所の敷地でした。


 この通りの東端に門があり、傍らにあった記念植樹には、昭和10年(1935)年に
刑務所が開設されたことが記されていました。

 門から北へ、国分寺通りにあった看板。就活学生の皆さんはどう思うかな…


 通りの東側は、豊富な木々に恵まれた東京農工大学。府中刑務所に負けないくらいの広
い敷地です。西にある正門に守衛さんがいないので、そのまま学内に入りました。

 ケヤキ並木と突き当たりの時計塔のある建物は、「府中30景」に選定されているよう
です。

 この建物は、東大総長で東大安田講堂も造った内田祥三氏の設計で、国重要文化財に選
定されています。

 建物の近くに立つ大きな記念碑。大学に多大な寄付をした大久保利通を顕彰して建てた
もののよう。


 構内のあちこちに高木が見られます。


 時計塔のある建物の北から東に回ると、こちらにもよく伸びた広葉樹が見られます。


 学内で飼育されているポニーを、どこかに連れて行く学生さん。


 建物群の東側には、広大な大学農場が広がっていました。


 その一角に、何種類ものサザンカを植えた並木があり、その一つに付いていたツタが
よい彩りに。


 サザンカの先には、アカマツがたくさん見られます。


 振り返ると、西の樹間には真っ白になった富士山が…。


 同じ辺りから望まれる大学の建物群です。


 府中刑務所の寿徳殿付近に遊んでいて、ここまで大学構内を案内してくれた、市立九小
6年の3人と記念撮影をして分かれました。


 農場の東側の通りを南に向かい、すぐ先で南東に向かう「山谷(さんや)通り」と呼ぶ
旧道に入りました。幸町二丁目に進むと、カタツムリ歩行を歓迎するようなこんな碑が…。


 近くのコブシの並木の一つをせん定している人がいました。Dさんが声を掛けたら、な
んと87歳とか。ボランティアで作業されていて、それがお元気の秘訣のようです。


 ゴールの府中公園には、12時3分に到着しました。園内のモミジがまだよい色を見せ
ています。


 昼食後、いつものように記念撮影とミーティングを。12月例会では、1年間の参加回
数順に「観歩証」がいただけ、その順に事務局のDさんご夫妻が用意した小品もいただく
ことができます。

 私は、事務局のDさん以外ではただひとり、10回参加のパーフェクト賞でした。
 
 右は、毎回参加の都度押してもらう、2011年の「カタツムリ歩行カード」です。

 ミーティングでは、今回初参加、やまさんお知り合いのEさんから、海外を含め遠距離
サイクリングを40数年前から続けておられるという、話がありました。


 この歩きもあと1年となり、22年前に西船橋駅をスタートしてJR武蔵野線沿線をひ
と駅ずつ歩き続けた、カタツムリのような旅も終わりますが、そのあとも、少しずつ沿線
を歩くとか、線路に沿って全線を歩いてみるなど、いろいろな歩き方を各自で見つけて歩
いて欲しいと、企画者のやまさんから話があり、13時近くに散会となりました。


 私はこの後、府中刑務所東側の旧道から国分寺街道に出て、先月の集合地であるJR・
西武線の国分寺駅まで歩き、西武国分寺線で帰路につきました。

 (天気 快晴、距離 4㎞(国分寺まで7㎞)、地図(1/2.5万) 立川、歩行
  地 府中市、(国分寺市)、歩数 6,700(12,700))
 


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佐倉市郊外をカントリーウオーク(千葉)

2011-12-17 15:27:27 | カントリーウオーク
 2011年12月11日(日)

 カントリーウオークグループの、前年12月の忘年例会が好評だったことに応えて、
同じエリアを歩こうと企画された、リピート忘年例会に参加した。

 昨年と同様に今年も快晴となり、京成本線の京成佐倉駅に集まったのは16人。10時
20分発の川村美術館行き無料バスに乗る。JR佐倉駅でKさんが加わり、10時48分
に川村美術館前に着き、先着のSさんとも合流する。


 約30haという広い美術館敷地にある、広葉樹林の自然散策路を下ると、広場の真ん中
にヘンリー・ムーアの「ブロンズの形態」と呼ぶ彫刻がある。


 広場の一角で4組に組み分けをして、11時10分に出発した。
 
 片隅に紅葉の残る広場を抜けて、ジュウガツザクラやシダレザクラの横を通過して美術
館敷地の南に出る。


 東側の尾牛集落の近くに、センダンの木があり、熟した実がたくさん実っていた。


 尾牛集落を東に進んで鹿島川左岸沿いの道に入り、枯れたアシやセイタカアワダチソウ
の間を北東に進む。

 西側の坂戸集落を囲む広葉樹は、すっかり葉が落ちている。



 坂戸橋を渡って右岸を少しで右折し、広々とした田んぼの間を東に向かう。正面の榎戸
集落背後の樹林には、まだ色づく広葉樹が残っていた。


 集落の南西端で車道を折り返し、岩富町集落の北西端から鹿島川支流に沿った谷地田の
南側山すその道に入る。すぐ先のさらに分かれた谷地田を囲む広葉樹林にも、まだ落葉前
の広葉樹が残っていた。


 山すそを進むと渋柿の木があり、誰も採らないのか、かなり熟した実がたくさん下がっ
ていた。


 下川集落の南あたり、次の谷地田への分岐点に佐倉市の運動広場があり、少年野球のメ
ンバーが練習をしている。ここを各組の集合地としたが後続の2組が遅れていたので、し
ばらく待つ。


 揃ったところで山すその道に入り、落ち葉がいっぱいのあぜ道を進むと、イナゴがたく
さん飛び出した。休耕田が多いのでえさ不足なのか皆小さいが、10数匹を捕まえてビニ
ール袋に入れる。


 かなり狭まってきた谷地田の横から北側の広葉樹林に上がり、12時40分頃、昨年と
同じナラやクヌギ林の中の昼食地に着いた。

 さっそくたき火の材料になる杉の葉や、ナラやクヌギの落ち葉、枯れ枝などを集めて点
火する。


 そばに、皆さんが思い思いに持ち寄ったスルメや魚類の干物、ソーセージや厚揚げ、シ
イタケや餅、漬物やピーナツ、みそ和えのこんにゃくなど、色々なものが並んだ。



 ソーセージやシイタケなどを棒に差して火の回りに並べ、各々が用意したアルコールを
開けて乾杯。並んだものを焼いたり食べたりしながら、この1年を振り返ったりして話は
尽きない。

 暖かい日和に恵まれたこともあり、今年も昨年の忘年例会と同様、思いきり飲んだり食
べたりして、ゆっくりとしたひと時を過ごした。



 枯れ枝になった林に差し込む太陽が傾きかけたので、記念撮影をしてたき火の始末をする。


 15時30分に帰路に向かうことにした。 西側の林道に回り、林を抜けて林と畑の間
を抜けて西北に向かい、下川集落南側の谷地に出た。


 日が陰りそうになった谷地田の南を進み、往路の運動広場の北側に回る。


 運動広場の西側から、南に伸びる台地に上がる。広葉樹林に囲まれた畑作地帯の真ん中
を進んで、岩富町集落の中ほど、弥富簡易郵便局近くの車道に下った。

 台地下に向かって車道を下る途中、鹿島川を挟む田んぼの、西側の木々の向こうに太陽
が没し、周囲はあかね色に輝く。


 カメラには納められなかったが、その右に富士山の頭部がわずかに姿を見せた。

 下集落の北側を回り、牛尾集落に戻った頃にはかなり暗くなる。足下に注意して川村美術
館敷地内の自然散策路を上がり、17時ちょうどに美術館入り口に着いた。

 17時15分発の最終バスで、京成佐倉駅に向かう。

(参加 18人、天気 快晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 千葉東部、歩行地 
 佐倉市、歩数 18,900)



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関東百駅巡礼歩行 JR東海道線 真鶴駅(神奈川)

2011-12-15 21:38:27 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年12月10日(土)

 今年の最後、通算80番目の関東百駅巡礼歩行は、JR東海道本線の真鶴(まなづる)
駅。真冬並みに冷えたが快晴となり、地元神奈川県の5人、栃木県からの2人など参加
者9人は、記念撮影をして11時に駅を出た。


 真鶴岬に通じる県道739号の西側を平行する旧道に入り、広葉樹の色づく荒井城址
公園に上がる。


 後三年の役(1083)に、源義家に従って活躍した荒井実継の居城だったといわれ
たところ。

 広場の周囲に色鮮やかなモミジが咲き、そばのコブシのつぼみがふくらむ。枯れ枝と
なった20本ほどのシダレザクラのところのベンチで、少し早めの昼食とした。

 南側の高台にある住宅地の一角に出て、県道に向かって下ることにする。


 少し下ると東側の展望が開け、三浦半島や丹沢山塊の大山、眼下の真鶴の町並み、そ
して箱根の駒ヶ岳方面↓まで望まれる。


 県道に下り、「魚屋」と呼ぶ魚料理店前を通過する。東側の車道を真鶴橋で越え、真
鶴港の北側の突端に位置する磯崎に向かう。

 真鶴小の前を過ぎると眼下に真鶴港が見下ろせ、その向こうに真鶴半島の中ほどの、
88.8m三角点のあるピークに立つアンテナや建物群などが一望できる。


 その先の三差路のところに一本松が立つ。数体の古い石仏や青面金剛、庚申塔なども
並び、古い道筋だったことがうかがえる。


 すぐ先からは再び東側の展望が開け、相模湾の向こうに、大山が全貌を見せてくれた。


 近くに「真鶴の丘絵画館」があり、画家でテノール歌手だった間紀徹の作品を展示し
ているという。


 少し戻って下の通りから自泉院に寄ったが、歴史や由緒などはなにも記されてない。


 車の通れぬ民家の間の狭い道を上がって行くと、海を見下ろす高台に鯖大師のお堂が
ある。


 海の守り神として信仰されているようで、海上安全や大漁祈願、水難者や魚介類の供
養をする木柱が、海に向かって立っていた。


 真鶴港から相模湾まで展望は180度以上に広がり、港に係留の漁船のほか、相模湾
で漁をする小型漁船なども望見できる。



 民家の間の細い路地を下って、真鶴漁港のそばに出た。魚を干す干物店があり、漁港
の最奥部では、今夜開催される花火大会の準備が始まっていた.


 湾に沿って南に回り込むと、治承4年(1180)8月、源頼朝が隠れたという鵐窟
(しとどのいわや)と呼ぶ岩屋があり、そばの「品川台場礎石の碑」の周囲には、当時
の家来の名を記したのぼりが並んでいた。


 ちなみに、江戸末期に築かれた東京湾の品川台場(砲台)には、ここ真鶴産の石が使
われたという。

 近くには真鶴半島遊覧船の乗船場があり、約30分で真鶴岬の景勝地、三ッ石まで往
復して、真鶴半島を海から展望できるようだ。



 魚市場の周辺には、イカやサバなどを干す魚店や、新鮮な魚料理を味わえる店などが
並んでいる。近くにあった観光協会には、真鶴町内だけでなく、近隣市町のリーフレッ
トなども置いてあった。

 観光協会のそばから、煩悩の数と同じ108段の急階段を上がって貴船(きふね)神
社に詣でる。


 平安初期の寛平元年(889)創建といわれ、毎年7月27日、28日開催の「貴船
まつり」は江戸時代初期から行われ、「日本三船まつり」として知られており、国指定
重要無形文化財である。


 階段上から振り返ると、真鶴の町並みと背後の箱根の山並みが望まれ、境内には、貴
船まつりの模型が飾られた建物があった。

 県道に戻り、さらに岬の方向に向かう。真鶴港の突堤を過ぎて右カーブした先の琴ヶ
浜沿いには、波打ち際に遊歩道が続いている。

 遊歩道の終端から上がった県道は、ヘヤピンカーブとなり、「魚付き林(うおつきり
ん)」と呼ぶ、うっそうとした常緑広葉樹の森に入り、次第に高度を上げる。

 魚付き林は、クスノキやスダジイなどの照葉樹林とクロマツ、アカマツ林で構成され、
神奈川県海岸部を代表する照葉樹林として、県の天然記念物に指定されている。

 森の中に立つ佐佐木信綱の歌碑や山神社の前を過ぎ、半島の最高部である灯明山の東
から南に回って、駐車場のある三差路に出た。

 岬に向かって左折し、岬の上部にある「ケープ真鶴」と呼ぶ建物の手前から左手の遊
歩道を下って行くと、画廊喫茶があり、前方に大島や初島、間近には三ツ石と呼ぶ岩礁、
西に伊豆半島などの素晴らしい展望が広がる。




 遊歩道は岩礁に沿って西に延びているのでさらに進む。


 三ツ石にはしめ縄がかかっているのが分かり、岩礁から釣り糸を垂れる人も見られる。


 波で足を洗われそうな所もあり、なかなかほかでは見られない海の景観に満足した。

 岩礁が終わった辺りで磯辺から再び原生林を抜ける遊歩道へ。

 潮騒遊歩道から番場浦遊歩道と続き、うっそうとしてはいるが明るさのある暖帯林を回
って県道に合し、「石の広場」と呼ぶカーブ点に出た。

 小公園があり、第二次大戦後間もなくの首相、片山哲の漢詩の歌碑が立っていた。


 一時行方不明になったメンバーも待っていて合し、そばの中川一政美術館前で解散と
なる。美術館に入り、バス時間の関係で急ぎ観覧して、16時に館を出る。


 16時3分のバスで真鶴駅に戻り、JR東海道本線で帰途につく。

 (天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 真鶴岬、歩行地 真鶴町、歩数
  14,200、累積標高差 約630m)



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「街中がせせらぎ」という三島の水辺を歩く(静岡)

2011-12-09 12:04:03 | ウオーキング
 2011年11月9日(水)

 富士山の豊富な伏流水に恵まれる三島市は、「街中がせせらぎ」とうたっている。その
せせらぎを結んで、2時間ほどの散策を試みた。

 9時に、JR東海道本線と伊豆箱根鉄道の三島駅南口をスタートする。駅前の御幸通り
を東に向かい、最初の水辺のある菰池公園へ。菰池の名前の由来は、昔、マコモという植
物が群生していたので名付けられたとか。菰池の湧水は桜川の水源になっている。

 菰池から南へ、「水上の小道」と呼ぶ通りを200m余りで白滝公園がある。公園の中
に溶岩が露出したところがあり、それらの周辺に富士山からの雪解け水が湧き出している。


 この流れも菰池からの湧水と合流して、桜川の源流になっている。


 公園の南側ある白滝観音堂は、平安時代末に現在地の北にあったものを、江戸時代にこ
の地に移したといわれているという。



 白滝公園から先、桜川は東南の三嶋大社に向かって流れている。流れに沿った水上通り
の歩道には、「水辺の文学碑」と呼ばれる太宰治や若山牧水、正岡子規、司馬遼太郎など、
三島ゆかりの文学者10名の文学碑や句碑が続いている。




 水上通りが県道21号に合した東側が三嶋大社境内。その西端に三嶋大社の末社で、通
称「浦島さん」と呼ばれる祓所(はらえど)神社がある。

 国司が三嶋大社参拝の折、必ずお祓いをしたのが神社の起源とか。社殿は、桜川の流れ
を引き込んだ中に祭られていた。


 広大な三嶋大社境内の南側には、北条政子が勧請し、厚く信仰したと伝えられる厳島神
社を祭る神池がある。


 三嶋大社は、伊豆国の一宮、創建時期は不明だがその歴史は古く、源義朝が挙兵に際し
祈願して緒戦に勝利したことで知られているという。


 境内にある国天然記念物のキンモクセイは、目通り約4m、樹高約10m、樹齢1200
年という古木である。


 祓所神社のところから西へ、桜小路を少し進んで、北西へ向かう「搗屋のみち」を抜け
て白滝公園の南側に戻る。

 公園の南西端にあった「めぐみの子」と呼ぶ、水くみ人形の小屋に目をひかれた。


 白滝公園の西を走る県道51号を横切り、西側の浅間(せんげん)神社へ。古くは三嶋
大社の別宮で、かつては富士登山するものは必ずこの神社に詣でるのを常としていたとか。

 この境内からも湧水が出ていて、下流町村の潅漑用水になっているという。

 浅間神社の西側にあり、国天然記念及び名勝に指定されていて源兵衛川と蓮沼側の源流
になっている広い庭園、楽寿園の南側を進み、源兵衛川が楽寿園から流出する辺りに行く。

 楽寿園に接して「ほたるの里」↓があり、蓮沼川はここから南に流れ下っている。


 楽寿園は小松宮別邸があったことから、蓮沼川は「宮さんの川」とも呼ばれ、流れが一
時枯渇したのを、地域の有志が市と交渉して東レ工場の冷却水を流してもらうことになり、
清流が復活したとのこと。

 現在は流れに沿って水車や花壇などが設けられ、コイも泳ぐ市民憩いの水辺になっている。


 流れに沿って南下し、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅の横を通過する。旧東海道を東に少し
で、源兵衛川沿いの遊歩道に入ると、三石神社の「時の鐘」がある。

 宝暦11年(1761)に鋳造されたものが太平洋戦争に供出され、戦後の昭和25年
(1950)「平和の鐘」として復興したもの。

 川沿いで境内の狭い三石神社は、南側に祭られている。



 少し下流から、水辺に遊歩道が付けられているが、水量が多くて途中から水没していて歩
けず、上の道路に上がった。


 案内に従い、東に少し入って雷井戸(かみなりいど)に行く。かつては「田町水道」とい
われ、地域住民約70世帯の飲料水を供給する簡易水道の水源だったとか。

 管理費用と衛生面から現在は市水道に転換していて、生活用水としては利用されていない
という。


 源兵衛川沿いに戻り、「水の苑地」と呼ぶ緑多い一角で川に分かれて東へ、県道51号に
面して「水神の池」があり、やはり豊富な湧水が見られる。


 県道の東側には、東洋の古美術を広く収蔵した佐野美術館があるが、入館は次の機会とし、
県道から線路際を進んで、11時ちょうどに伊豆箱根鉄道の三島田町駅に着いた。

(天気 晴、距離 4㎞、地図 みしまっぷ(三嶋商工会議所編)、歩行地 三島市)



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所沢航空記念公園 彩翔亭 師走の彩り(埼玉)

2011-12-07 16:30:13 | 所沢だより
 ぐずついて真冬並みの寒さだった天気が回復して、今日、12月7日(水)は、幾
分暖かな日差しとなりました。

 市内ウオーキングで出かけた所沢航空記念公園の木々も、かなり散ってしまい、冬
景色に変わりつつあります。

 でも、公園内の日本庭園、彩翔亭(さいしょうてい)には、まだ晩秋の彩りが残っ
ていました。

 彩翔亭の門を入ると、茶室の入口で木のトナカイが並んで迎えてくれます。


 園内にある何本かのモミジは、まだよい彩り。


 茶室の前から時計回りに、池の周囲を巡りました。




 実を付けたスイレン


 マユミの実は、熟し切っていまにも落ちそう。


 クヌギの黄葉


 モミジ以外の紅葉も見られます。


 鳥のごちそうも…。


 池の南側には、何本かモミジが色づいていました。


 ミツマタには、春先に咲く花のつぼみが見られます


 モミジの彩りを幾つか。








 こちらにも実が。


 池を一周して、東屋の近くまで戻りました。


 こんな色のモミジもありました。


 あと何日かすると、彩翔亭の彩りも冬の装いに変わってしまうことでしょう。
 


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修善寺の東郊をカントリーウオーク(静岡・伊豆市)

2011-12-05 18:06:07 | カントリーウオーク
 2011年11月8日(火)

 国際ウオーキングトレイル実踏の前日、伊豆半島の中央部、温泉郷で知られる修善寺
(しゆぜんじ)の、中心街の東側郊外をカントリーウオークした。

 伊豆箱根鉄道駿豆線の終点、修善寺駅を12時45分にスタートする。町並みを東に
抜けて柏久保で古川の橋を渡り、右岸に沿った県道80号を進む。


 流れが県道に近づいたところに、頭の大きなお地蔵さんが祭られていた。


 熟した柿の実る古川集落のカーブ点で県道と分かれ、古川を渡って左岸の高見を走る
農道に回った。振り返ると、いま通過してきた柏久保の家並みなどが望まれる。


 対岸の古川集落や古川の流れなどを眺めながら進み、農道は橋を渡って冬桜の咲くと
ころで県道に上がった。


 この集落にもたくさん柿が実っている。


 「伊豆中央ケアセンター」と「修善寺しいたけの里」の看板が並ぶ三差路で県道を離
れ、そばの神社で休憩する。


 神社の横から南に向かう車道を上がり、台地上に出ると柿畑があり、その先で伊豆中
央ケアセンターへの交差点を通過する。交差点には、享保2年(1717)と刻まれた
石塔が立っていた。


 南面を流れる年川沿いの、年川集落に向かって下る。

 谷地田や棚田のそばを通過して年川を渡り、対岸の上和田集落に上がり、年川左岸に
沿った車道を南西に進む。

 上和田公会堂のすぐ先にあった、杉木立に囲まれた山神宮で小休止する。


 冷たい雨がぱらついてきたので、道祖神前バス停付近でザックカバーをして傘を出す。

 バス停の名になっている道祖神は、車で通過すると見落としてしまいそうなものだっ
た。その後、雨は降ったり止んだりを繰り返す。

 さらに南西に進み、地形図上の温泉マークのところには、源泉を掘削したときのもの
らしいやぐらが残っていた。


 イハラサイエンスの建物の先で三差路を左折して山すそを回り、西集落の入口にあっ
た法住寺に背後から下った。本堂は再建して新しく、境内に日蓮聖人の立像がある。


 集落の東まで回ると、斜面中腹にわずかな境内の神社があった。鳥居の横に「白岩層
化石群」の説明板が立ち、サメの歯や貝殻、地形図にも表示されている直径3~4㎜の
原生動物レピドサイクリナなどの化石が、この地で採集されたことが記されていた。


 1㎞ほど下流で大見川に合流する西川の橋を渡って、対岸の久保集落へ。橋の近くに
こんな建物がある。誰を待つのか、どんな人が記したのだろうか…。


 東西に走る車道を2本横断して、さらに南側の大見川に向かって下る。集落の中ほど
にある、たちばな幼稚園の広い園庭の一角に、大きなケヤキが枝を伸び伸びと広げていた。


 大見川の橋際に、対岸の小川集落の共同浴場の建物が見える。

 入って行きたいところだが、修善寺まで戻ると暗くなりそうなのでそのまま通過した。


 大見川の下流は、いままで通過してきた集落の川沿いより開けているので、家並みも
ゆったりと広がっている。


 次の田代集落にあった観音堂には、「田代信綱が伊豆国司の任を終えて京都に帰る折、
父藤原為綱から守り本尊にせよといわれて祭った坂東三番札所の千手千眼観音を、江戸
時代末期にこの地に移した」ことが記されていた。


 さらに進むと、「史跡田代信綱の墓と砦跡(とりであと)」の案内板が立ち、鎌倉時
代、源頼朝・義経旗下の知将として名をはせた田代冠者信綱が、地頭職としてこの田代
郷に住居を構えたことなどが記されていた。

 田代集落を抜けると北側は田園地帯となる。次の加殿集落のY字路を右に入り、秋流
山と記された寺の前を通過する。寺の西側に、たくさんこぶのついた高木が立っていた。



 行く手に、アンテナ塔の立つ城山(248m)が近づく。


 ケヤキの古木が目につく住宅の前などを通過し、集落の西にあった妙国寺に寄る。


 山門近くに立つ大カヤは、根回り6.1m、樹高15m、樹齢700~800年と推
定される古木で、伊豆市天然記念物に指定されている。


 狩野川への合流点近くで大見川の狩野橋を渡り、修善寺の町中に戻り、薄暗くなった
16時40分に修善寺駅に戻った。

(天気 曇時々雨 距離 12㎞、地図(1/2.5万) 修善寺、歩行地 伊豆市、
 歩数 21,000)



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