あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

3度目の四国遍路(前編)・徳島その7

2010-03-30 22:31:08 | 3度目の四国遍路
 2010年2月25日(木) 四国遍路前半第7日 
 =22番平等寺=

 6時起床、6時30分に朝食、3人が先発したあとの7時11分に民宿龍山荘
を出る。すぐ先で県道28号に入ると、緩やかな上りとなる。昨夜はひと雨あっ
たようで、道路が濡れていた。

 朝から気温が高いので、厚めのシャツは脱いで薄着になる。阿瀬比の交差点
際にあるヘンロ小屋3号阿瀬比を過ぎ、谷間の遍路道へ。


 紅梅や白梅が咲き、ミカンが実りウグイスが鳴く、私のお気に入りのところだ。

 雨がパラパラしてきたので、ザックカバーをする。

 標高200mの大根峠へ向かう杉林の上りとなり、ステップが高めの疑木の段
をひと上り。

 下りも結構傾斜があり、折り畳み杖を使った。

 杉林を下って行くと、今朝崩落したらしいツバキが倒れて道をふさいでいた。
 
 牛舎の近くに出て里道を進む。

 22番平等寺(びようどうじ)の山門前に着いたら雨になったが、すぐに止んだ。
境内には、昨夜同宿の名古屋のNさんが居られたが、間もなく先発する。

 本堂にはたくさんの千羽鶴が奉納され、本堂下の斜面にしだれ梅とスイセン
が花を競う。

 参拝を終える頃に再び雨となり、ポンチョを被って寺を出た。しかし2㎞も進ま
ぬうちに晴れてきたので脱ぐ。その代わりに南風が強まり、菅笠があおられる。


 番外霊場の月夜御水庵(つきよおみずあん)には、樹齢1,000年、高さ31m
という大杉が立ち、お地蔵さん7体が並んでいた。


 その先、山間を抜ける1.7㎞ほどの車道はいつも交通量が少ない。今回も1
台に抜かれただけだった。途中に、竹を出荷するために段を設けた竹林が2か
所あった。


 国道55号に出て間もなくの鉦打(かねうち)トンネル(301m)は、両側に歩道
があり左側はガードレールもあり安心。


 トンネルを出たところに、ヘンロ小屋4号鉦打がある。


 今日は距離が短めなのと回り道もわずかなので、初めての番外霊場弥谷(い
やだに)観音に回ることにした。

 ヘンロ小屋の手前に少し戻り、福井ダムの橋を渡る。車道を500mほど進ん
で疑木の段を下って斜面をトラバース、夫婦地蔵や笠地蔵の前を通過し、急登
して弥谷観音の下に出た。


 そばに広場があり、東屋やトイレ、プレハブ小屋の納経所がある。しかし納経
所は無人だった。

 道路の上の段を上がると、国道工事のため近年移転したという弥谷観音の新
しいお堂がある。


 そばに、石舟に乗った新しい七福神と、ゆるぎ石という大岩があった。

 水が少なく、ダムとはいえない様相のダムの西岸を回って国道55号に戻る。
すぐ近くから細道を下ると、「小野の一里松跡」の説明板が立つ。間もなく県道
25号へ。

 今日のコース地図には、昼食を調達出来そうな店の表示がない。運良くそば
に小さな商店があったのでパンを買い、そばの無人小屋↓を借りて昼食代わり
とした。


 県道を緩やかに上がり、阿南市から美波町に入ると下り道となる。間もなく、
珍しい「カニに注意」の道路標識があり、6月から9月の月夜に、この地に生息
するアカテガニが、産卵のため道路を横断することがあるという。

 そばに、いろいろな名目での記念日に植樹をした一角があった。


 県道の気温表示は18度を示し暖かい。美波町側は道路の改修があちこちで
進み、かなり左右に回っていた県道が、何か所か緩やかなカーブになっていた。

 JR牟岐(むぎ)線の由岐(ゆき)駅近くの踏切を越え、駅舎のある「ぽっぽマリ
ン」と呼ぶ建物↓に入り、漁具や貝、過去の大地震のことなど、美波町関連の
展示を見る。


 県道に戻ってJRのトンネル上を越え、海に向かって下って行くと、海岸のそば
にある今日の宿、民宿明山荘の看板が見えてきた。

 宿に入る前に田井ノ浜の海岸をのぞく。3月27日で終わったNHK総合テレビ
朝のドラマ「ウェルかめ」に何度も登場した浜辺である。


 14時45分に宿に入り、ひと休みして入浴する。広い風呂からは海も見られ、
湯もぬるめで気持ちよい。今日の宿泊者は私ひとり、館内には「ウェルかめ」の
ポスターも貼ってあった。

【コースタイム】民宿龍山荘7:11ーヘンロ小屋3号阿瀬比7:53ー大根峠8:29ー
 22番平等寺9:22~10:00ー月夜御水庵10:45~52ーヘンロ小屋4号鉦打11:41
 ~52ー弥谷観音12:10~20ー小野の一里塚跡近くの小屋(昼食)12:28~50
 ー阿南市・美波町境13:33ーぽっぽマリン(由岐駅)14:12~19ー民宿明山荘
 14:45

 (天気 晴後曇一時雨、距離 19㎞、歩行地 阿南市、美波町、歩数
 37,200、遍路地図 21-1、22-1、22-2図)
コメント (2)
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「四国遍路ひとり歩き同行二人」[地図編]第9版発売!

2010-03-29 22:50:40 | 四国遍路あれこれ
 歩き遍路にとって無くてはならないのが、へんろみち保存協力会発行の「四国
遍路ひとり歩き同行二人」の地図編です。



 遍路道や霊場、宿の場所はもとより、コンビニ、スーパーなど昼食の調達場所、
公衆トイレ、ガソリンスタンド、薬局、交差点、交番、バス停、学校などの情報が
きめ細かく盛りこまれた地図で、この地図を持たずに四国の遍路道を迷わずに
歩くのは、かなり難しいといってもよいでしょう。

 いままでに第8版まで発行されていましたが、8版の発行は3年前の2007年
2月でした。3年が経過して、宿やコンビニなどの廃止や新設などがかなりあり、
新版の発行が待ち望まれていました。

 その新版がとうとう出来上がり、3月1日付で第9版が発行されたと、「掬水へん
ろ館」の情報で知ったので、今日、東京八重洲のブックセンターに出かけて、入手
して来ました。(第8版と同様、税込み2,500円)

 第9版も、表紙はもとより、地図の配置も第8版と同じなので、第8版を持って
おられ方は容易に比較することが出来ます。

 私は、2月に四国遍路に出かける前に、発行元のへんろ道保存協力会のWeb
Siteで、宿の改廃などの情報を入手して第8版に書き込んで出かけました。

 今日入手した第9版をざっと見ると、ごく最近の情報を除いては、Web Siteに
掲載されていたことは、ほぼ反映されているよいうに思われます。

 これから四国遍路に出かける方、計画される方はぜひ、最新情報の盛りこまれ
た第9版を入手されるよう、お勧めします。

 首都圏の方は、東京駅八重洲口の八重洲ブックセンター地下1階の国内旅行
書のコーナーで入手できますので、お出かけ下さい。

 それにしても、年々変わる膨大な情報を、きめ細かくチェックして改版、発行され
る、へんろ道保存協力会の宮崎建樹さんのご努力に、厚く感謝申し上げます。

 (注)「掬水へんろ館」のWeb Siteは、当ブログのブックマーク欄上から5番目か、
    以下から入れます。

http://www.kushima.com/henro/
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3度目の四国遍路(前編)・徳島その6

2010-03-28 18:10:05 | 3度目の四国遍路
 2月24日(水) 四国遍路前半第6日 
 =別格3番慈眼寺、20番鶴林寺~21番太龍寺=

 5時50分に起床、6時半からの朝食はTさんといただく。誘われたので一緒に
別格3番慈眼寺(じげんじ)に向かうことにする。Tさんは、すでに慈眼寺に行かれ
たことがあるとのこと。初めての私にとって、心強い先達と一緒で安心だ。

 ザックは宿に預け、ずだ袋と地図ケースだけの軽装で歩けるのも有難い。宿で
もらった地図と遍路地図とで確認しながら上がる。

 Tさんは、日本百名山はおろか二百名山、三百名山にもトライしておられ、新ハ
イ(新ハイキングクラブ)のメンバーでもあるとのこと。帰宅後拝見したメールでは、
句会にも参加され、多方面に活動されておられるようだ。


 林間の遍路道と車道を交互に進み、宿から距離3.5㎞ほど、標高差約400m
をゆっくりとあがり、1時間半余りで標高550mにある別格3番慈眼寺の大師堂
に着く。



 本堂はさらに15分近くも上がった標高650mにある↓。本堂と大師堂がこんな
に離れた霊場は、ほかには無いのではなかろうか。


 同じ道を、斜面のあちこちに咲く花を見ながら、ふれあいの里さかもとまで戻る。


 坂本の民家には軒並み、昨日も見たひな飾りがん並んでいる。



 飾り方にも各々の家で工夫を凝らしていて、甲乙つけがたい。


 南向きの深い斜面に、ひな壇のように並ぶ坂本の民家。


 ふれあいの里の体育館にも、たくさんのおひな様が飾られていた。


 ふれあいの里のロビーでお茶をいただき、ご一緒したTさんは私より先まで行か
れるようなので、先発してもらう。

 ふれあいの里さかもとは、3月3日で8周年になり、宿泊できる部屋は6室で定
員は36人のよう。生まれ変わる前の小学校は、平成11年(1999)に廃校になっ
たという。

 預けたザックを受け取り、11時近くに出発する。ジャンパーは脱いで薄着となり、
昨日来た坂本川沿いを勝浦川の合流点まで戻る。

 橋のたもとに、「高瀬舟発着場跡」の標石があり、明治時代には、ここから徳島
へ、勝浦川を上下する高瀬舟で賑わったことが記されていた。

 この先は、「第二の遍路転がしと」も呼ばれる20番鶴林寺(かくりんじ)と21番
太龍寺(たいりゆうじ)への上りが待っている。

 橋を渡って勝浦川右岸沿いを少しで、まずは鶴林寺への上り。軽装で往復した
慈眼寺と違いザックの荷が重く、ゆっくりと上がって行くが大汗をかく。


 重厚な山門を入って、標高500mの山上にある20番鶴林寺に参拝、本堂の前
には狛犬でなくて鶴が立つている。


 納経後、そばの石のベンチで、ふれあいの里さかもとで作ってもらったおにぎり
をいただいた。


 14時過ぎに出発、いきなり急な下りの疑木の段が続く。次の太龍寺への上り
道と距離を考えると、17時までの納経に間に合うか心配になってきた。


 勝浦川沿いの県道19号に出ると、りっぱは休憩所の東屋があるが、休まずに
通過する。

 水井橋を渡って若杉谷川沿いへ。縄文時代から土器を彩る赤い染料として使わ
れた、全国最古という辰砂(しんしゃ)生産遺跡の若杉山遺跡を通過、緩い上り道
を一気に進み、太龍寺登山口に15時半近くに着く。

 上り口にあった湧水を飲んだだけでここも休まずに上り、16時16分に何とか
21番太龍寺山門を入った。

 境内もさらに上りが続くので、山門の裏手にザックを置いて太い杉木立の中を上
がる。

 納経所で声をかけられたので先に納経印をいただき、さらに奥の本堂と大師堂↓
に参拝、読経する。


 標高520mの山上は日が傾き冷えてきた。山門に戻ったのは17時近い。しか
しあとは下り道なので、急がずに行くことにする。


 山ろくにある2つの民宿のひとつ、龍山荘に入り、まずは大汗をかいた衣類を
まとめて洗濯機に入れ、広い風呂にひとりで浸かる。風呂を出たら、先着の3人
はすでに食事を始めていた。さっそく私も、盛りだくさんの食事をいただく。

 一緒に宿に入った広島の男性は、もと自衛隊員で埼玉県熊谷市の基地にも
勤務されたとか。もう1人は岡山の方らしく、郵政省に勤務されていたとのこと。
あとは名古屋のNさん、いずれも男性のひとり遍路である。

 風邪気味となり、しきりに鼻が出るので、注意なくてはと思う。

 【コースタイム】ふれあいの里さかもと7:00ー標高300mの小屋7:33ー別格3番
 慈眼寺8:38~9:25ーふれあいの里さかもと10:32~55ー坂本川・勝浦川合流
 地交差点11:56ー山道上り口12:08ー20番鶴林寺(昼食含む)13:21~14:05ー
 県道19号東屋15:00ー太龍寺登坂口15:38~40ー21番太龍寺16:16~55ー
 民宿龍山荘17:50

 (天気 快晴後晴、距離 25㎞、歩行地 勝浦町、歩数 51,800、遍路地図
  92-1、21-1図)
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3度目の四国遍路(前編)・徳島その5

2010-03-27 19:19:43 | 3度目の四国遍路
 2010年2月23日(火) 四国遍路前半第5日 
 =18番恩山寺~19番立江寺=

 5時30分起床、サービスの朝食は6時半からあるが、早出したいので昨日買
ってきたサンドイッチで朝食とし、6時48分に東横イン徳島駅眉山口を出発する。


 国道438号を南へ、JR牟岐線二軒屋駅の先で踏切を越える。歩き始めると温
かくなったので、国道55号に近い若宮神社で厚手のシャツを脱ぐ。

 国道55号は両方向3車線あり歩道も広いが、通勤の車で両方向とも交通量が
多く、この先約6㎞、うっとうしい車の騒音を聞きながら進むことになる。


 大松川、勝浦川などの橋を渡って小松島市に入る。県道16号際のローソンで
昼食を仕入れ、すぐ近くに新しく出来た露ヶ本遍路休憩所で小休止する。

 県道136号に入り、車が少なくなってホッとする。すぐ先で高齢の女性から、缶
コーヒーとおつまみのお接待をいただいた。

 「源義経上陸の地」の石碑が立ち、その先で県道を左に分かれて18番恩山寺
(おんざんじ)道へ。


 暖地に生息する常緑樹で幹が赤く、県の天然記念物になっている「恩山寺のびら
んじゅ」は前回も見ているが、そばに恩山寺の山門があるのは気がつかず、今回
初めてその山門をくぐって境内に上がる。

 山を背にした静寂な境内、納経所前の白梅が見ごろ。近くの建物に、小さな木造
千手観音像や十大弟子像が並ぶ。石段の下には、大きな修行大師像が立つ。


 大規模な牛舎の横から、弦巻坂と呼ぶ竹林の遍路道を上って下り、弘法大師お
むつき堂お前を過ぎると、ミカン畑の多いところに出た。再び県道136号を進み、
煙火工場の横を過ぎる。

 立江郵便局で資金補充をして、チョッキ、マフラー、いままでの歩きのメモなど
を自宅にゆうパックで発送する。しかしザックの中身はわずか500グラム余りしか
減らなかった。

 間もなく19番立江寺(たつえじ)。6年前の初回の際と同様、今日23日から25
日までは初会式(はつえしき)の日。門前や境内に露店が並び、主に高年齢の善
男善女がたくさんお参りに来て賑わう。

 賑わいに誘われ、大わらじが奉納された山門より手前の入口から境内に入って
しまった。

 境内でカメラを構えていたら、ひとりの奥さんから、「撮りましょうか」と声をかけら
れ、私を撮ってくれた。

 今回の遍路旅の中で、ただ1枚の遍路姿の写真である。

 立江川の橋の手前にあった菓子店でおやつ用のケーキを買い、県道28号に入
る。立江中の先にあった天満宮で昼食。

 見事な大クスがあり、初回にも食事をした場所。新しい石鳥居や大クスの説明
板が出来ていた。

 午前中は背のザックが重く、右胸のあばら骨に圧迫感があったが、午後は幾分
楽になりピッチも多少上がる。午前中一時曇った空が再び晴れて気温も上がり、
ジャンパーは脱いだ。

 櫛渕小のそばの櫛渕八幡宮にも、大クスと県天然記念物「櫛渕のフウ」と呼ぶ
マンサク科の落葉樹、フウの高木があった。


 田園地帯から山すそに上がり、T字路を右折して県道22号に入ると車が増える。


 勝浦町に入って番外霊場沼江(ぬえ)大師に寄り参拝、ちょうど外出から帰って
きたご住職から、参拝の労をねぎらうお言葉をいただいた。

 勝浦川沿いの県道16号に回るとやはり車が多い。次のいまやま橋を渡り、左
岸沿いの静かな道へ入ってひと安心。

 少し先で合流した県道212号も交通量は少ない。北側の斜面は、かなり上まで、
ミカン畑が広がっていた。



 前回、番外霊場星の岩屋に行く際に、ザックを預けた星谷簡易郵便局も残って
いた。


 前回宿泊した宿、かえでの先からは、初めての坂本川左岸沿いの狭い道。一時
県道16号に出るが間もなく旧道の細道へ。周辺の斜面は、段状のミカン畑が続く。

 宿に近い坂本集落で、実ったミカンを撮っていたら、車で帰ってきた奥様から、
ミカンとポンカンを合わせて12個くらいいただいた。


 最後はかなりの斜度の車道を上がって行くと、「おひな様の奥座敷」ののぼりが
出ていて、家々の軒先にたくさんのひな人形が並んでいる。




 高台にあった小学校の校舎を活用した宿、「ふれあいの里さかもと」には17時
ちょうどに着いた。もっと小さな分校のような建物を想像していたら、鉄骨3階建
ての大きな建物だった。


 てきぱきと対応してくれる若い女性スタッフ、きれいな部屋や広いジャグジー風
呂、地元料理を盛りつけた夕食などみな大満足。私の部屋は、もと校長室だった
2階の「すだち」。広い部屋の窓際にはイスが、入口には洗面所もあり、テレビは
アナログだが、今まで泊まった遍路宿の中でもトップクラスといえる。

 夕食の席には、植村旅館で同泊の横浜市のTさん、車で回る遍路2人と、仕事の
人3人が一緒だった。

 【コースタイム】東横イン徳島駅眉山口6:48ー愛宕神社7:20~25ー県道16号交差
 点際ローソン8:27~35ー露ヶ本遍路休憩所8:42~50ー18番恩山寺9:38~10:10
 ー立江郵便局11:09~21ー19番立江寺11:26~50ー天満宮(昼食)12:23~13:00ー
 沼江大師13:54~14:00ーいまやま橋14:21ー星の岩屋下山三差路15:12~20ー
 坂本川・勝浦川合流地の交差点15:37ー県道16号から坂本の旧道分岐16:25ー
 ふれあいの里さかもと17:00、

 (天気 晴一時曇、距離 31㎞、歩行地 徳島市、小松島市、勝浦町、歩数   
  55,000、遍路地図 18-1、20-1、92-1図)
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3度目の四国遍路(前半)・徳島その4

2010-03-26 16:31:24 | 3度目の四国遍路
 2月22日(月) 四国遍路前半第4日 
 =別格2番童学寺、13番大日寺~17番井戸寺=

 5時20分に起床し6時から朝食、ミカン2つをお接待いただき、植村旅館を6時
45分に出た。相部屋のお二人はすでに出発していた。

 遍路道は橋を渡って鮎喰川(あくいがわ)右岸を1㎞ほど行くのだが、おかみさん
のすすめで県道沿いにある人形の飾りを見ることにして、宿の前から県道20号を
進むことにする。

 なるほど、少し先から4か所ほど、「阿川梅まつり」ののぼりのところに、地元の
人の手作りらしい人形が幾つも並んでいる。

 いずれも昔の暮らしや、ふだんのさりげない生活の様子などを表現しているが、
とてもよくできたものばかりだった。

 県道の車の交通量は少ないが、それだけにスピードを上げて通過するので、注
意しなければならない。湧水が流れ落ちていて飲めるようにしたところもあった。


 さらに鮎喰川沿いを東に向かう。


 高瀬公衆便所のところに休憩用東屋(あずまや)があったので小休止する。

 神山町の東端近く、鮎喰川が右に大きくカーブする地点で川を離れる県道をその
まま進み、新童学寺トンネルを抜ける。トンネルの北側からの、石井町の眺め。


 信号のある交差点を戻るように左に入って行くと、別格2番の童学寺(どうがく
じ)がある。間もなく寺に着くところで、参拝を終えた昨夜同宿の横浜の男性と行
き交う。

 寺の前の池に、お堂や境内のりっぱなアカマツが影を落とす、山を背にした静か
なたたずまいの寺。

 本尊・木造薬師如来座像は藤原期のもので、国の重要文化財だという。本堂と
大師堂の間には、別格霊場20か寺や西国三十三観音霊場の本尊の石仏が祭ら
れていた。

 もとの道を鮎喰川左岸まで戻り、徳島市に入って川沿いの県道を先に向かう。


 民家の庭先の紅梅が見ごろで、畑にはナノハナが咲く。少し先では、この春初
のキジの鳴き声も聞こえた。

 暖かな南風が顔をなで、穏やかな山並みと田園風景が広がり、のどかな春を
満喫する気持ちよい遍路道。植木畑が増えてきて冠水橋の梁田橋を渡り、右岸
の県道21号に回ると車の交通量が増える。


 しかしそれもわずかの間、500m余りで13番大日寺に着いた。車で来た団体
の遍路がいたが、お参りしている間に去った。


 ちょうど正午になったので、隣接するうどん店に行ってみたが、日曜で休業日
だった。

 道路を挟んで南側にある一宮神社にも参拝する。本殿の前に、狛犬とあわせて
狛馬?も並んでいた。

 参道の大きな石灯ろうと半円形の石の太鼓橋も、ほかでは見られぬ独特のもの
だった。

 鮎喰川右岸に近い田んぼの間を進んで一の宮橋を渡り、冬鳥の泳ぐ池の先を上
がって14番常楽寺へ。

 寺は巨大な岩盤の上に立ち、本堂の前には太い針葉樹が枝を広げている。納経
所前のシダレ梅が花を見せ始めていた。

 温かくなったので境内で薄着となり、先に向かう。すぐ先の番外霊場慈眼寺は、
中国風の建物。


 その先、興善寺の前には六地蔵を線刻した板碑が立つ。次の国分寺までは常楽
寺から1㎞足らずで着いた。

 15番国分寺は、聖武天皇の勅旨(ちよくし)により天平13年(741)に全国に建
立された国分寺のひとつ。

 本堂は2層の独特の造り、大きな鐘楼や古い礎石が寺の歴史を今に伝える。

 さらに北に向かい、国道192号の信号の近くに、いのちのふるさと直営という、
さぬきうどんの店があったので入り、遅い昼食とする。そばに無料休憩所もあり、
食事後に中をのぞく。


 国府(こう)の町中にある16番観音寺は、新しい本堂になっていた。


 国府の町並みを東に進み、左折する角にある大御和神社に参拝する。鳥居のそば
にある2本のクスノキが、豊富な枝ぶりをを見せていた。


 JR徳島線国府駅の東側踏切を越えて北に向かう。京都からという若い男性歩き
遍路が追いつき、井戸寺への道を聞かれた。彼は、山と渓谷社発行のガイドブック
だけで、地図が分かりにくいというので、へんろみち保存協力会の地図のことを教
えてあげた。

 今日最後の霊場、17番井戸寺に入って参拝、境内には、弘法大師が一夜に掘っ
たという、おもかげの井戸がある。納経を終えたら16時近い。


 徳島市の中心街に向かい、鮎喰川の長い橋を渡ってJR蔵本駅の前に出る。

 市街の中心を貫く国道192号や東側の旧道、さらに並行する小さい流れに沿った
通りなどを進み、17時50分に東横イン徳島駅眉山口(びざんぐち)に入った。

 すぐ手前の、眉山ロープウェイの乗り場近くには、ヘンロ小屋12号眉山がある。

 屋根は、阿波踊りの菅笠を形取ったものである。

 【コースタイム】植村旅館6:45ー広野郵便局前7:50ー高瀬公衆便所8:25~32新童
 学寺トンネル入口9:00ー別格2番童学寺9:27~10:00ー県道20号戻り10:32ー入田
 春日橋北詰11:04ー13番大日寺11:39~12:00ー一宮神社12:01~08ー14番常楽
 寺12:41~13:06ー15番国分寺13:19~38ーさぬきうどん店(昼食)13:53~14:18ー
 16番観音寺14:32~47ー17番井戸寺15:27~55ー中鮎喰橋東の交差点16:19ー
 JR蔵本駅17:00ー東横イン徳島駅眉山口17:50

 (天気 晴一時曇、距離 30㎞、歩行地 神山町、石井町、徳島市、歩数 57,900、
  遍路地図 14-1、16-1、18-1図)
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3度目の四国遍路(前編)・徳島その3

2010-03-25 11:54:25 | 3度目の四国遍路
 2010年2月21日(日) 四国遍路前半第3日 
 =11番藤井寺~12番焼山寺=

 5時20分起床、6時からの朝食は、バンクーバー五輪のジャンプ競技ラージヒル
での葛西選手のジャンプなどを見ながらいただく。6時39分にさくら旅館を出る。
いつものように、おにぎり弁当のお接待をいただいた。

 まだ太陽は上がらず、東の空があかね色に染まる。昨日の道を11番藤井寺まで
戻り、納経は済ませているので手を合わせただけで境内を抜けて、12番焼山寺へ
のへんろ道へ。「遍路ころがし」と呼ぶ四国遍路最初の難路である。


 四国霊場の本尊を祭る小さいほこらの並ぶ道↑を抜け、ひと上りで瑞山休憩所に
着く。

 昨日通過した吉野川流域や北側の山並みなどの展望が広がるが、少し霞んでいる。
汗ばんできたので、ここでジャンパーを脱いだ。


 さらに上り道が続いた後、平坦になる。路傍には、道しるべの石仏がところどころ
に残り、水場も1か所あった。


 藤井寺から3㎞余り、最初の番外霊場長戸庵(ちようどあん)でひと休み。少し先
には展望の開けた場所があり、ベンチが設けられていた。


 その後、疑木の段をひとしきり上がり、道幅が広がり平坦に。2つめの番外霊場
柳水庵(りゆうすいいあん)に下り、50mほど先にある休憩所で小休止。大きな
鉄の釜(かま)に冷水が流れ落ちていたので、そこにあったひしゃくでのどを潤す。


 稜線を進むと西側の展望が開けた場所があり、山腹の小集落が見下ろせる。


 うっそうとした杉林の中の上りが続き、またひと汗かいて浄蓮庵(じようれんあ
ん)に上がった。

 庵の手前に、「左右内(そうち)の一本杉」と呼ぶ樹高約30m、幹回り7.6m
のスギの巨木が枝を広げ、その下に荘厳な弘法大師像が立つ。


 下り道となり、どんどん下ると、南向きの斜面にへばりつくように、かやぶき屋根
にトタンを被せた家の多い左右内の集落へ。


 家並みの外れの畑に、イノシシの毛皮が10枚くらい干してあった。


 左右谷川を渡って、焼山寺への最後の上りにかかる。一気の上りが続いて足どり
が重く、ひたすらガマンの上りに耐え、12番焼山寺(しようさんじ)に上がった。

 焼山寺の標高は700m、四国八十八か所の中でも3番目の高所にある。

 山門を入り、大きな杉木立の並ぶ境内を進む。車で来た参拝客が何組か見られ
たが、参拝を終えた頃には誰もいなくなった。

 納経所でご朱印をいただき、前回同様、すぐ下にある梅林にシートを広げ、さくら
旅館お接待のおにぎりと缶コーヒーをいただく。

 おにぎりはとても粘り気があり、おかみさんの心温まるメッセージも入っていて、
読ませてもらいながらおいしく味わった。

 下り道の途中で、中年の男性と若い女性遍路を抜き、番外霊場杖杉庵(じようさ
んあん)に手を合わせる。

 お堂の横に弘法大師と衛門三郎の像があり、イチョウの大木が枯れ枝を高く伸
ばしていた。

 すぐ先から梅林を下り、さらに杉林を下って鍋岩集落に入る。バス終点の広場
に「おへんろ駅」と呼ぶ休憩所があり、ベンチやテーブルが置かれていた。

 そばのうどん店と、隣のすだち館とよぶ店にそれぞれ無料休息所がある。うどん
店の方に声をかけられたので入り、カボスや菓子などをいただく。

 途中で追い抜いた若い女性も立ち寄る。彼女は徳島市内に住み、焼山寺のふん
いきが好きで日帰りでよく来て、今日は8度目とのことだった。

 その先の阿部酒店のところから玉ヶ峠への遍路道に入るのだが、手前の交差点
で地図を確認していたら、それを見ていたうどん店の奥さんが追いかけてきて、こ
の道を上がるようにと教えてくれた。

 以前の遍路道と違うように思ったが、その道に入ったら、やはり玉ヶ峠に向かう
車道だった。新しい道をたどるのも良いと思い、そのまま進むことにする。

 車道なので、遍路道よりかなり迂回するので距離は伸びるが傾斜は緩やか、車
も来ないので上り道としては楽だった。

 途中の庄部(しようぶ)集落は、かやぶき屋根にトタンを被せた古い家が多く、黄
色く色づいたスダチがたくさん実っていた。

 峠の近くで遍路道と合し、峠にあるお堂で小休止する。お堂と道路を挟んだ北側
には、古い石仏が並んでいた。


 この先、今日の宿のある本名(ほんみよう)までは、下り一方の車道が5㎞近く続
く。最初の集落府中(ふぢゅう)からは、鮎喰川(あくいがわ)を挟む谷間の集落など
が見下ろせる。


 2つめの集落、宮分(みやぶん)の家並みの終わるあたりに、昨年9月に完成した
ことを記した「ヘンロ小屋36号神山」があった。

 ちなみに、「ヘンロ小屋○○号」というのは、四国霊場を巡る遍路道89か所に、
歩き遍路のための休憩所をボランティアで造ろうという、近畿大の歌 一洋教授を
中心に進めている小屋のひとつ。現在、39号まで完成している。

 小屋づくりは、地域の人たちや企業の協力を得ており、小屋の設計には、その土
地の風土、伝統文化、建築文化、空海の思想などを生かして歌教授があたっている。

 この小屋づくりをサポートする、『「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援
する会』があり、私も会員のひとりである。

 この会の活動内容や、ヘンロ小屋のある場所などは、下記Webをご覧下さい。
 http://www.geocities.jp/henrogoya/


 見ごろの白梅が咲き競う長代集落を通過し、17時05分に植村旅館に着いた。
この宿も、おかみさんの対応が気に入り、3度目の宿泊、相部屋と聞いていたが、
2階の東側の部屋をひとりで与えてくれた。

 夕食の席で、2階の隣部屋は安楽寺宿坊で同宿した大阪の若い男性、1階の部
屋に徳島県の立江寺近くの出身で鹿島アントラーズ本拠地近くに住むという千葉
県の男性と、後から来た7番十楽寺近くから歩いて来たという横浜市の男性が相
部屋ということが分かった。

 【コースタイム】さくら旅館6:39ー11番藤井寺7:13~23ー瑞山休憩所7:46~53ー
 長戸庵8:42~49ー柳水庵9:50~10:00ー浄蓮庵10:51~11:00ー左右内の車道
 11:35ー12番焼山寺12:39~13:03ー梅畑(昼食)13:06~36ー杖杉庵13:59~
 14:00ー鍋岩のおへんろ駅&無料休憩所14:29~50ー玉ヶ峠15:44~50ーへんろ
 小屋36号神山16:11ー植村旅館17:05

 (天気 快晴後晴、距離 26㎞、歩行地 吉野川市、神山町、歩数 47,600、
  遍路地図 12-2、14-1図)

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3度目の四国遍路(前編)・徳島その2

2010-03-23 23:07:41 | 3度目の四国遍路
 2月20日(土) 四国遍路前半第2日 
 =6番安楽寺~11番藤井寺=



 6時05分起床、7時からの朝食予定だったが、6時35分頃には呼んでくれた。
7時20分に6番安楽寺宿坊を出て、本堂と大師堂に参拝する。


 まだ本堂には日が差し込んだばかり。快晴で少し風はあるが、昨日ほどの寒さは
感じられない。唐門風の山門を出て2日目の行程へ。


 静かなたたずまいの上板町から隣の阿波市に入ってすぐの、熊野神社の社殿は
回廊付き。

 間もなく7番十楽寺、竜宮風の山門をくぐって参拝した。


 県道139号に出ると南側の竹林で、今年初めてのウグイスのさえずりを聞く。
宮川内川を過ぎて向かい風がやや強まる。板野十六地蔵四番札所のお地蔵さんが、
屋根付きで交差点際に祭られている。

 このあたりは、りっぱなかわら屋根の民家が多い。

 徳島県有形文化財で四国随一の規模という仁王門をくぐり、山腹にある8番霊場
熊谷寺(くまだにじ)へ。


 四国最大で最古の多宝塔の横をさらにひと上りして本堂と大師堂に参拝した。


 広々とした田園地帯を南西に2㎞余りで、9番法輪寺がある。本堂内に、健脚祈
願のわらじがたくさん奉納されていた。↓は大師堂。


 門前には、石焼きいもや草もち、たらいうどんなどを売る小さな店がある。

 さらに田園地帯を西に向かう。県道139号に出た角に、無料接待所になっている
商店があったが寄らずに通過する。


 秋月城跡の説明標石を過ぎ、狭い門前の通りを北に上がると、改築されて新しい
10番切幡寺(きりはたじ)山門に着く。

 本堂までは303段の石段があり、上るのにひと汗かく。誰が突いたか鐘の音が
聞こえた。思い出して私も、初めての鐘を突いてからお参りをする。

 自家用車や団体の遍路で境内は賑わう。団体遍路の先達が大師堂の前で、鐘
を突くときのマナーなどを話してた。私は少し強く突いたら大きな音がして、その
ことを言われたように感じた。

 それら遍路群が去った後、さらに高台にある国重要文化財である大塔まで上る。
豊臣秀頼が大阪の住吉大社に建立したものを、明治初期に解体移築したらしい。


 塔の前からは、吉野川左岸や、その南側の山並みの展望がよい。納経所の前の
紅梅が見ごろだった。


 南側の田園地帯に下り、県道12号沿いにあった、うどん亭八幡で昼食をする。


 さらに南へ、吉野川の左岸堤防を越えて冠水橋を渡る。現在の水量は少な目だ
が、河原には流れてきた大きな木株などが見られる。

 その先には、善入寺島と呼ぶ広大な中洲が広がり、キャベツなどの畑になって
いて、日本一の中洲らしい。

 その中洲の畑作地帯を1.5㎞ほど歩いて2つめの冠水橋、川島橋を渡る。

 いずれの橋も1車線で、後着の車は橋の手前で先着の車の通過を待たなければ
ならない。

 渡り終えた右岸堤防際にある遍路無料休憩所で、小休止した。県道240号を
吉野川市川島から鴨島へと進み、11番藤井へ。

 山門は工事中で、境内では樹木の伐採もしており、納経所は仮小屋に設けられ
ていた。

 前夜の安楽寺宿坊で一緒だった、大阪の男性歩き遍路が先着、途中で何度か
会った愛知県からの女性歩き遍路も来ていた。

 JR鴨島駅に近いさくら旅館には、15時43分に着く。3度目の宿泊だが、前回
同様に宿泊者は私ひとりだけ。

 でも若いご主人の心を込めた料理を、ご主人と話をしながらおいしくいただく。

【コースタイム】6番安楽寺7:20~39ー7番十楽寺7:58~8:18ー8番熊谷寺9:10
 ~40ー9番法輪寺10:05~25ー秋月城跡10:58ー10番切幡寺11:17~12:00ー
 うどん亭八幡(昼食)12:23~53ー川島橋上の休憩所13:46~52ー11番藤井寺
 14:45~15:05ーさくら旅館15:43

 (天気 快晴後晴、距離 23㎞、歩行地 上板町、阿波市、吉野川市、歩数
 42,000、遍路地図 10-2、12-1、12-2図)
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3度目の四国遍路(前編)・徳島その1

2010-03-22 21:42:33 | 3度目の四国遍路
 2010年2月19日(金) 前半第1日 
 =1番霊山寺~5番地蔵寺、別格1番大山寺=



 5時30分に起床、ホテルサービスの朝食は7時だが、予定の列車に間に合わ
せるため昨日買ったサンドイッチなどを食べ、6時40分に東横イン徳島駅前を出た。

 JR徳島駅7時05分発の高徳線に乗り、1番霊場の最寄り駅、板東(ばんどう)
に7時40分に着いた。


 無人の駅待合室で白衣を着け菅笠を被る。いよいよ3度目の四国遍路が始まる。
1番霊場霊山寺(りようぜんじ)に参拝し、納経所にある歩き遍路のノートに住所氏名
と出発年月日を記入する。

 この本堂の右手にある納経所の方から、お茶と和菓子のお接待をいただいた。

 2番霊場極楽寺までは県道12号を西に1.4㎞と短い。境内の中ほどにに樹齢
1200年という長命杉が大きくそびえ↓、白梅が見ごろ。


 3番金泉寺(こんせんじ)に向かう途中で、新しい民宿の案内をもらう。金泉寺も、
納経所のそばの紅梅、白梅が見ごろだった。


 金泉寺の近くにあった割烹(かっぽう)茶屋。


 JR高徳線の踏切を越えて間もない延喜式内社の岡上神社には、「岡の宮の大
クス」と呼ぶ見事なクスが立つ。

 樹齢700年と推定され、大きく枝を広げている。

 徳島自動車道をくぐり、番外霊場の愛染院(あいぜんいん)にも立ち寄る。山門
に大ワラジが、本堂内には数え切れないほどのわらじが奉納されていた。



 第2次大戦中、食糧増産のために禁止された藍染めづくりの技術を、ひそかに
守ったという岩田ツヤ子ゆかりの藍染庵↑前を通過、山すそにある4番大日寺に
向かう。


 4番霊場大日寺は、朱塗りの山門の2回が鐘楼となっている。

 本堂と大師堂の間に、西国三十三観音霊場の本尊の木像が並んでいた。

 徳島自動車道に近い吹きさらしの東屋(あずまや)で、冷たい風にさらされなが
ら昼食をする。一時、風花(かざはな)も舞う。その間、若い女性と大荷物の若い
男性のいずれも歩き遍路が追い抜いて行く。


 近くの梅畑で、古木の紅梅がかなり開花していた。

 5番霊場地蔵寺は、背後の五百羅漢堂の方から入って下る。いつも通過して
いるので、五百羅漢堂も拝観したかったが、今回は別格1番にも回るので、時計
とにらみ合わせやはり省略した。


 地蔵寺では、新しい方丈(ほうじよう)の前に以前にもあった水琴窟(すいきんくつ)
が、心地よい水音を奏で、大師堂前には、樹齢800年という大イチョウが立つ。


 神宅小の先で6番へのへんろ道に分かれ、北に向かう別格1番への道へ。大ク
スが目を引く野神社や飛地蔵堂を過ぎ、車道を離れて裸木のままの柿畑の間を上
がる。


 いったん車道に出た後、へんろ地図にない山道となり、両側の下草はウラジロが
多い。

 ひと汗かいて上り、「大山寺の大杉」と呼ぶ樹高28mの大杉の先が山門、屋根
は破損しているのか、ブルーのカバーに覆われていた。

 別格霊場1番大山寺(たいさんじ)は、標高450mの地にあり、山門を入ってさらに
217段の急石段がきつい。


 本堂↑前には、かなりの樹高の大イチョウが立っていた。上りでは大汗をかいた
のに、納経を終えるともう寒い。

 下りも同じ道を戻る。行く手に、明日向かう吉野川流域の展望が開ける。


 徳島自動車道の北で6番安楽寺への道へ。下り道なので急いだが、6番安楽寺
に着いたのは16時49分になった。今夜はこの宿坊泊まりなのでお参りは明日と
して、2度目の宿坊に入った。

 103号室は明るくて温かい。17時30分からお勤めがあり、車遍路のペア、歩き
遍路は男性1人と女性1人、それに私の5人が参加した。

 ご住職からは、「歩き遍路での出会いを大事に」とのお話など。お勤めを終わって
5人で夕食に。

 安楽寺の山号は温泉山、その山号どおり宿坊の湯は温泉である。遅く着いたの
で温泉への入浴は夕食後となった。

【コースタイム】JR板東駅7:49ー1番霊山寺7:59~8:28ー2番極楽寺8:41~9:06ー
 3番金泉寺9:40~10:03ー4番大日寺11:28~47ー自動車道近くの東屋(昼食)
 11:58~12:20ー5番地蔵寺12:34~13:00ー神宅小13:25ー別格1番大山寺14:42
 ~15:16ー自動車道下16:00ー6番安楽寺16:49

 (天気 晴一時曇、距離 25㎞、歩行地 徳島県鳴門市、板野町、上板町、
 歩数 43,600、遍路地図(注) 10~11、90-1図)

 (注) 遍路地図とは、「四国遍路ひとり歩き同行二人」[地図編]第8版(へんろ
  みち保存協力会 2007.2.1発行)(黄色の表紙)をいい、その掲載図を示す。
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春分の日は墓参に

2010-03-21 21:01:03 | Weblog
 四国遍路から帰って翌日の昨日は、たまっていた郵便物に目を通したり、
到着していたメールの確認などであっという間に1日が終わりました。

 メールは1か月で約430通ほど来ていましたが、そのうち必要なものは
わずか10通前後、あとは閲覧せずに削除しました。

 今日は彼岸の中日なので、例年通り埼玉県小川町の、父母の墓に墓参に
行ってきました。

 そんなことで2日間が経過し、四国遍路のレポートは明日以降になります。
なお、パソコンがかなり不調となり、時々立ち上がらなくなったりして、ブログ
更新も途切れる可能性もあり、6年以上使っていたこともあり、更新を早急に
しなくてはとも考えており、どちらが先か悩ましいことでもあります。

 いただいたメールやブログへのコメントも、パソコンの調子次第では、返信が
遅れることもありますが、ご了承下さい

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四国遍路第29 日、内子で区切り

2010-03-19 12:57:12 | Weblog
今日は、四国遍路前半の区切りである。大洲市のときわ旅館を7時
17分に出発する。

天気は快晴、大型店舗の連なる国道56号を北へ。
大洲ICそばにある、別格霊場8番の十夜ケ橋に参拝し、橋の下にある、
お大師さんのお休み像にも手を合わせた。

写真は、橋の下のお大師像。

新谷の旧道を抜けて国道に戻り、五十崎から草着きの遍路道を、
ウグイスの美声を聞きながら進み、今回の区切り打ちの場、JR内子駅
に10時36分に着いた。

帰路の途中、松山駅にて列車待ちの合間からの報告です。

帰宅後、改めて日々の道中のレポートをアップします。
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