あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

奄美4島めぐりの旅④ 徳之島を観光後フェリーで奄美大島へ(鹿児島)<前半>

2017-02-28 14:31:00 | 国内旅行
 2017年2月7日(火)
 == 徳之島を一周して観光後フェリーで奄美大島へ ==

 徳之島の南東部、徳之島町市の市街地、亀津にあるホテル グランドオーシャンリゾート
にて6時50分に起床した。部屋から外を見ると雲は多いが晴天である。
     

 7時40分頃ホテル2階のレストラン、ブルーマリンでバイキング朝食。今朝ももう多く
の宿泊者の朝食は済んだようで、レストランは閑散としていた。
    

 朝食後に海岸側の道路に下りて、原色に塗られたホテルを眺める。

 今朝も出発は9時30分なので、ホテルでゆっくり出来た。

 今日の観光は、南北に長い徳之島の南東側にある亀津の街並みを出て、時計回りに南か
ら西へ、さらに北から東へと一周する予定である。

 今日の観光バスのドライバーは福岡出身という川越健二さん、ガイドは富本秀子さん、
ちなみに島のガイドは3人いるとのこと。

 徳之島は、鹿児島市から約480㎞南西に位置し、古くから琉球と薩摩の影響を受けた独
自の言葉や文化が存在しており、年平均気温21℃の温暖な島という

 島の東側、太平洋側の大部分が徳之島町(とくのしまちよう)で、東シナ海に面した西
北側は天城町(あまぎちよう)、西南側が伊仙町(いせんちよう)の3町からなり、人口
は3町合わせて約23,500人。奄美群島中最大のサトウキビ生産地で、収穫期は12月から4
月、現在はその最盛期のよう。

 世界一の長寿者で知られた泉重千代さんを生んだ島は長寿の島で、現在100歳以上は50
人おられるという。奄美大島や沖縄同様、徳之島にもハブが生息していて、年8,000匹くら
い捕獲するという。

 徳之島町一の繁華街で、町の人口の半数以上が暮らすという亀津の、ホテル グランドオ
ーシャンリゾートを予定通り9時30分に出た。

 最初の観光地は南西に15分ほど、伊仙町の東部にある「徳之島なくさみ館」と呼ぶドー
ム屋根付きの闘牛場に着いた。

 2012年オープンの屋根付きの多目的施設で、資料館も併設しており、闘牛の紹介ととも
に徳之島観光のビデオを鑑賞することができるところ。

 ドームの収容人員は3,000人、島内に闘牛は400~500頭いて何れも雄牛とのこと。年3
回行われる闘牛大会の入場料は3,000円という。


 ドーム内を眺めてから資料館に入り、徳之島を紹介するビデオを観賞する。その後ドー
ム背後の牛舎に回り、飼育されている闘牛数頭を見た。


 駐車場のそばには、ガジュマルの古木が枝を大きく伸ばして立っていた。
  


 10時ちょうどにバスはなくさみ館を後にして、伊仙町内を西に進んで阿三(あさん)集
落に入り、長寿世界一だった泉 重千代(いずみ しげちよ)翁之像のところに行く。

 泉 重千代翁は慶応元年(1863)6月29日生まれ、昭和51年(1976)に長寿日本一とな
り、昭和54年(1979)6月、ギネスブックに116歳で長寿世界一と記録され、3年後に泉
重千代翁之像が建立されたという。
     


 そばに、泉重千代翁が生前住んでいたた自宅が公開されていて、翁の肖像や写真、使用
していた座卓や愛用した酒器、受賞したトロフィーなどが展示されていた。


    



 周辺にはサトウキビ畑が多く、ちょうどススキのような花が咲き競う。


 10時45分に出発して、バスは伊仙町を西北に向かう。町内の畑ではジャガイモの収穫中
で、家族総出で収穫している畠も幾つか見られた。


 近くには、明治20年(1887)生まれで平成14年(2002)年に114歳で長寿世界一となり、
やはりギネスブックに記録され、翌年116歳で亡くなった本郷かまとさんの自宅もあった。


 11時10分頃、徳之島の南西部、伊仙町の最西端にある犬田布(いぬたぶ)岬に着いた。

 琉球石灰岩の海食崖が続き、切り立つ断崖に東シナ海の怒濤の波が砕け、絶壁からの雄
大な展望、自然に生える高麗芝のスロープ地帯などが広がり、奄美十景のひとつで奄美群
島国定公園に指定されている。






 また岬には、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945)4月7日、特攻艦隊として沖縄に
向かう途中、岬のはるか沖で米軍機に撃沈された「戦艦大和」の戦没者を祭る慰霊塔が建
立されていて、毎年4月7日にこの地で慰霊祭を執り行われているという。
     



 11時33分に岬を出て、少し内陸に入って北へ、伊仙町から北側の天城町に入る。


 鹿児島特産、黒毛和牛の飼育されている牧場の横を過ぎ、県道83号の秋利神大橋を通過
する。

 平成8年(1996)に総工費77億円をかけて完成した橋で、2つの橋を合わせて450mに
なるという。


 次の観光地は、天城町の中ほどに近い犬の門蓋(いんのじようぶた)と呼ぶ東シナ海を
望む海岸線。


    
 季節風や荒波によって浸食された断崖や奇岩が見られ、中にはメガネのようにくり抜か
れた岩の間から海と空が望めるところもある。




 ここでも、寄せ来る荒波に砕ける豪快な白い波頭などが、見事な景観を見せていた。

 

 バス乗り場に戻る途中、近くの展望台上から「ざわわ ざわわ」で知られる「さとうき
び畑」を演奏するオカリナのきれいな響きが耳に入る。展望台の下に来て皆で拍手したら、
もう1曲演奏してくれた。
       
 下りてきた制服の人は、なんとドライバーの川越健二さん。譜面も読めず、独学でオカ
リナを習ったというが、なかなの名演奏だった。              〈続く〉




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奄美4島めぐりの旅③ 沖永良部島観光後フェリーで徳之島へ(鹿児島)

2017-02-24 18:46:47 | 国内旅行
 2017年2月6日(月) 
 == 沖永良部島観光後フェリーで徳之島へ ==

 3日目の朝、沖永良部島のおきえらぶフローラルホテルにて、6時50分に起床した。部
屋の窓から外を見ると雲が多い。

 7時30分過ぎ、1階のレストランに行きバイキング朝食を。もうほとんどの人は済んだ
のか、レストランは閑散としていた。
    


 朝食後、外に出てホテルを眺める。すぐ東側には知名小の校舎が見えた。


 ホテルの壁面と床の一部には、沖永良部島特産のトラバーチンと呼ぶ温泉や鉱泉、地下
水中などから生じた石灰質化学沈殿岩が使われている。


 9時30分に昨日のバスに乗り、島の南西部、知名町の中心街にあるホテルを後にする。
今日のドライバーは松村哲男さん、ガイドは松尾沙百合さん、松尾さんは福岡県出身で、
沖永良部島のガイドになって2か月という。

 バスは太平洋岸沿いを10分余り東進して、最初にウジジ浜公園に行く。ウジジ浜は長い
年月に侵食された岩が多く、様々な形の岩が独特の景観を見せている。




 この浜では、明治23年(1890)9月、カナダの帆船リジー・C・トゥーループ号が長崎
から米国に向かう途中に台風で座礁し、難波したという。

 乗組員22名中、10名が住民の必至の救助活動により救出されて無事帰国し、カナダ政府
は島民の献身的な救護に感謝して、2年後に望遠鏡と42ポンドを村役場と救助にあたった
村民に贈ったとのこと。


 公園は、遭難から110周年の2000年9月に整備したようで、遭難した帆船の模型やいか
りが展示されていた。
      



 10時にウジジ浜を後にして、畑の多い太平洋岸を東北に向かう。沖永良部島は農業の島
で、島の面積の48%は畑、全国では4%に過ぎない農業従事者も島では33%になるという。


 東側の和泊町(わどまりちよう)に入って市街地を抜け、島の東端に近い国頭(くにが
み)小に行く。国頭小の校庭の中央部校舎寄りには、日本一のガジュマルがあった。

 その枝の広がりぶりは、ほかの木でもめったに見られそうにないもの。
    
 明治31年(1898)の第1回卒業生が植えたもので、新日本名木百選に選定されていて、
和泊町指定天然記念物である。木には赤い実がついていた。
   

       
 ガジュマルの近くには、「汐干す母」と呼ぶ像がある。国頭小は地元の民謡仲里節の継
承、汐づくり体験やサトウキビづくりなどしており、文部科学省の「伝統文化教育」推進
校に指定されている。ちなみに、島内には小学校が9校、中学校4校、高校が1校あると
いう。


 バスは、島の北端に近い東シナ海側に回ってフーチャへ。フーチャとは隆起サンゴ礁が
荒波で浸食されてできた「潮吹き洞窟」のこと。

 沖永良部島北岸特有の絶壁と浸食されてできた景観は、強い季節風や台風時には20m~
70mも天高く飛び散った水滴が霧状になり、農作物にも大きな被害をもたらしたので、昭
和38年(1963)には4か所中の3か所を破砕し、被害が少なかったこの場所だけが観光資
源として残されたようだ。



 今日はかなり風もあり、見下ろす岩の間からは、寄せくる波の都度異なる様々な波しぶ
きや、岩に砕ける豪壮な波頭などが見下ろせ、周辺の岸壁にも強い波が次々に押し寄せる
ダイナミックな景観が見られた。




 10時43分にフーチャ海岸を離れる。今日は少し時間の余裕が出来たとのことで、予定外
だが近くの農産物販売所に寄ってくれるという。


 数分で国頭集落にある農産物販売所「ほおらしゃ市」に着いた。


 小さな店だが、島特産の新鮮な野菜や果物、農産物加工品、花などを販売している。重
い買い物は止めて、沖縄で買ったことのある「あんだーぎ」と呼ぶ菓子を求めた。


 バスは東シナ海と太平洋が見えるという島で一番狭い部分を通過して、太平洋側東部の
笠石(かさいし)海浜公園へ。
      
 ユニークな形の展望塔に上がると、島の東北端の国頭岬や眼下の岩礁の多い浜辺、周辺
の畑や島に多いという潅漑用ため池などが展望できる。









 展望塔から下り、近くの海岸や公園に咲くブーゲンビリアなどの花を眺め、3月12日開
催というジョギング大会のアーチのそばからバスに乗り、11時55分に出発した。




 南東に2㎞余りで和泊町の中心街に入る。創作島料理の店「とうぐら」に12時5分に着
き、その島料理の昼食をいただいた。
    

 食事を終えた後、13時15分までフリータイムとなり、近くの西郷南州記念館まで往復す
ることにする。 和泊町のマンホールのデザインは、特産のエラブユリのよう。
    

 店のすぐ近くには「いしこ公園」があり、この町の主要企業の創業者らしい山田三十茂、
明夫妻の像や記念碑が立っていた。


 2つ目の信号を越えた川沿いの一角に、かやぶき屋根の小さな建物がある。西郷隆盛が
島津久光公の怒りにふれ、薩摩藩の重罪人として沖永良部島に流されたときの牢屋で、そ
ばに西郷南州記念館が設けられている。



 西郷隆盛は文久2年(1862)に流罪となり、1年6か月間ここで牢屋生活を送ったとの
こと。その間、隣に胸像のある操家の蔵書や持参した書籍で学問に励み、精神を錬磨して
天地自然の理を悟り、「敬天愛人」の大思想を完成させ、これが沖永良部島発展の基をな
しているのだという。西郷南州記念館は休館日で入館は出来なかった。


 全員予定より早く戻ったので、13時08分にバスは昼食地近くのディスカウント店前を出
発する。沖永良部島最後の目的地、市街地から3㎞ほど西南の沖永良部酒造に7分程で着
いた。



 沖永良部酒造は、島内にある4つの蔵元が醸造した奄美黒糖焼酎を受け入れ、38~41℃
で3年間貯蔵後にブレンドして、幾つかの銘柄にして出荷しているところ。


 出荷量は年約9万本で、島内外への出荷量はおよそ半々ずつという。


 ちなみに奄美黒糖焼酎は、昭和28年(1953)に奄美群島がアメリカから返還されたとき、
奄美の主要産業であるサトウキビからできる黒糖で焼酎を造り、飲んでいた実績が評価さ
れ、黒糖を原料にしての酒類製造は酒税法で奄美群島(奄美大島、喜界島、徳之島、沖永
良部島、与論島)だけに認められているのだという。


 工場内で説明を聞いた後、売店に入って試飲タイムとなり、25~40度の銘柄を度の大き
い方から少しずつ口に含んで味わう。
    

         


 直売もしているので購入して、持ち帰ったり宅配便を依頼したりする人もあった。

 13時43分に沖永良部酒造を出て和泊町中心部に戻り、和泊港のフェリー乗り場に行く。


 岸壁にはすでにフェリー波の上号は着岸していて、昨日与論島から乗ったフェリーより
もかなり大きい。


 次の徳之島に向けてフェリーは14時40分に和泊港を離れた。


 
 フェリー波之上号は総トン数8,072トン、全長145m、幅24m、最大速力23.29Kn(キロノッ
ト)、旅客定員707名、乗用車72台、8トントラック48台を積載できるという。


 1時間50分の船旅で、16時30分に3つ目の島、徳之島の東南部にある亀徳(かめとく)
港に着いた。今日の宿は港に近い亀津(かめつ)の市街地、太平洋を望むホテル グランド
オーシャンリゾート、16時45分頃に入った。

 夕食は17時30分から、ホテル2階のレストラン ブルーマリンにてのバイキング料理。
私たちは部屋でゆっくりして、19時頃にレストランに行く。
    
                
                                (歩数 9,000歩)




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奄美群島4島めぐり② 与論島観光後フェリーで沖永良部島へ(鹿児島)〈後半〉

2017-02-22 11:16:33 | 国内旅行
 2017年2月5日(日) 〈続き〉
 == フェリーで沖永良部島に着き島内を巡る == 

 予定の14時10分頃、沖永良部島(おきのえらぶじま)の東部、太平洋側にある和泊(わ
どまり)港に着いた。


 港で待っていた沖永良部バスに乗る。今日のドライバーは元栄(もとえ)慎二さん、ガ
イドは辻香織さんで、最初の観光地、中央部よりやや西の世之主の墓に向かう。

 沖永良部島は、鹿児島市から南へ552㎞、北緯27度線上にあり周囲55.8㎞、面積93.8㎢の
隆起珊瑚礁の島。和泊(わどまり)、知名(ちな)両町合わせて人口1万4千人余り、年
平均気温は22℃という温暖な気候に恵まれ、奄美群島の中では与論島とともにハブのいな
い島として知られているという。

 世主之墓(よのぬしのはか)には14時25分過ぎに着いた。岩壁を彫り込んだトゥール墓
と呼ぶ琉球式墓で、15世紀の応永2年(1395)頃の島主「世之主加那志(よのぬしがなし)」
や嫡子、奥方などを祭り、歴史上貴重な文化財として鹿児島県指定遺跡になっている。





 第一石門を入った墓の前の広場にはセンダンの古木が立ち、墓の周辺ではヒカンザクラ
が色濃い花を見せていた。


    

          墓の近くに咲く花。
         

 14時40分に世主之墓を出発して、北西側近くにある越山(こしやま)公園へ。

 島の東側の和泊町で最も高い標高180mの場所にあり、町内を一望できる。




      
 公園内には平成3年(1991)に制作された↑町政50周年記念モニュメントをはじめ、米
軍軍政化から日本復帰60年となる2013年12月に建立した日本復帰記念碑、終戦五十周年記
念碑、「非核宣言の町」碑、和泊町戦没者慰霊塔など、幾つもの記念碑や記念塔が立ち並
んでいる。




 公園にはたくさんのヒカンザクラ植えられていて、ちょうど見頃の日曜日とあり多くの
町民などが訪れていた。


 越山公園を後にしてバスは西側の知名町に入り、島の西北端の田皆岬(たみなみさき)
に行く。


  
 パイナップルに似ているが、固くて食えないというアダンが実る道を下ると、東シナ海
に突き出た岬は高さ51mの断崖絶壁上にあり、腹ばいになって見下ろすと眼下に岩壁に寄
せ来る波頭の砕け散る様がすさまじい。


     

          



      
 奄美十景のひとつに数えられる景勝地で、映画「青幻記」のロケ地だという。灯台に近
い断崖の上からは、はるか下に泳ぐウミガメの姿を見ることもできた。


 周辺に多い、アシタバに似た葉はハマウドだという。


      
 15時40分に田皆岬を出て南に向かう。空が次第に白雲から黒雲に代わり、ひと雨来そう。
たくさん立ち枯れの気が目に付くが、近年松食い虫にやられ島内の松はほぼ被害にあい全
滅状態のよう。


 松の多い丘陵地帯から下の畑作地帯に下ると、ユリ畑が増える。沖永良部島は「えらぶ
ゆり」と呼ばれる白色のテッポウユリの特産地で、全国の生産量の90%を占めるという。


 とうとう激しい雨になり遠望が利かなくなった。でも長続きせず、16時ちょうどに3番
目の観光地、昇竜洞(しょうりゅうどう)に着いた頃には幸い小降りとなる。


 昇竜洞は全長3.5㎞ある大きな鍾乳洞で、そのうち主洞の600mが観光洞として一般公開
されている。

 鹿児島県の指定天然記念物であり、 岩手県の龍泉洞、福島県のあぶくま洞、東京都の日
原鍾乳洞、山口県の秋芳洞などとともに日本鍾乳洞九選のひとつに選定されているとか。

 歓迎フロアと呼ぶ建物を抜けて鍾乳洞に入る。午前中訪ねた与論島の赤崎鍾乳洞よりか
なり大規模な鍾乳洞で、天井の最高部は20m、最低部は1.2mとか。鍾乳石の総数は30万本、
鍾乳石の種類は25種あるという。
     

          
 大きな鍾乳石には「昇竜の鐘」「ナイヤガラの滝」「銀のすだれ」「竜神の滝」などの
名が付いていて、その迫力はほかではあまり見られそうにないもの。




      


 下には流れが続いているので、滑らぬよう注意しながら前方に抜けると、昇竜洞茶房と
呼ぶ建物があり、その中を通過して外に出たら雨はすっかり上がっていた。


 これで今日の観光をすべて終え、16時45分にバスに乗り宿に向かう。通行が許可されて
いるという、レーダードームなどのある航空自衛隊第55警戒隊の構内道路を横断して、島
の南部の知名漁港などのある知名町の中心市街地に入る。

 もと国民宿舎だったという、おきえらぶフローラルホテルに17時10分に到着した。

 夕食は18時30分から、ホテル2階のレストラン アダンでいただいた。
 
                                 (歩数 9,200)




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奄美群島4島めぐり② 与論島観光後フェリーで沖永良部島へ(鹿児島)〈前半〉

2017-02-21 17:34:01 | 国内旅行
 2017年2月5日(日) 
 == 与論島の後半を観光後フェリーで沖永良部島へ向かう ==

 与論島の宿、プリンシアリゾートヨロンのコテージにて6時50分に起床、外を眺めると
雲が多い。



 7時40分頃からフロント棟のレストランヴィーナスでバイキング朝食を済ませる。バイ
キングのメニューは豊富だった。
    

          ホテル構内に咲くハイビスカス
         

 9時にフロント棟前に集合して昨日のバスに乗り、午前中の残りの与論島観光に向かう。
最初は、島の中央部からやや東側、古里地区にある「ゆんぬ・あーどぅる焼の窯元」であ
る。20分ほどで到着した。

 ゆんぬ・あーどぅる焼は、島で育ったサトウキビやヤシ、ソテツ、サンゴ、海藻などか
ら作った釉薬(ゆうやく)を使った与論島独自の焼物。「ゆんぬ」とは与論方言で与論島
のこと、「あーどぅる」は赤土のことをいうようで、与論・赤土焼ということのよう。

 作者の山田幸子さんの作品は地元鹿児島県を始め、各地での陶芸コンテストにて優秀賞
を受賞されている。


    
 たくさんの食器や湯呑みなどが所狭しと並べられて直売しており、ほかに面や革カバン、
野球のグラブやボール、運動靴、帽子なを形どった作品も展示され、庭先にも山田さんの
作品が並んでいた。15分程で窯元を後にする。

 島の南島部、昨日最初に訪ねた与論民俗村近くの赤崎鍾乳洞に向かう途中、サトウキビ
を機械で収穫中の畑があった。

 ハーベスタという機械を使用していて、前部で刈り取って後部にサトウキビの幹を保管
するようになっている。バスをそばに止めて、作業の模様を間近に見せてくれた。


 漁港の横を通過して、昨日訪ねた与論民俗村に近い東区にある赤崎(あかさき)鍾乳洞
の入口に10時過ぎに着いた。
    
 与論島は珊瑚礁が隆起してできた島、その大地が地下水によって侵食され、長い年月を
かけて造り上げられた大自然の彫刻が赤崎鍾乳洞であり、昭和40年(1965)に日本大学芸
術学部の学生により調査・発見されたとのこと。本洞は120m、支洞は130mと比較的小さ
な鍾乳洞のよう。

 最初に右手の本洞に下りて、狭い遊歩道を進む。洞内には「幸福の門」「雪の棚田」
「剣の間」などと名付けられた見どころが多い。最奥まで進むとポッカリと外が見え、そ
こから引き返す。



 左手の支洞にも回って一巡して入口に戻る。中には頭が支えそうな低くて狭い場所もあ
り、15分余りで赤崎鍾乳洞の観覧を終えた。

 鍾乳洞の入口周辺には、たくさんのハイビスカスが咲いていた。



 待機していたバスに乗り、島の南部を西進して与論小や与論中の近くにある与論城跡に
行く。与論城は、1405~1416年頃、琉球の北山王の3男王舅(おーしゃん)が与論の島主
として築城したが、途中で中北山王が滅亡したため築城を中止し未完成になっているとい
う。

 城跡には当時の石垣が残り、城内に相撲場や琴平神社がある。





 神社の西側からは周辺の展望が開け、眼下にサトウキビ畑や港、東シナ海などが一望で
きる。




    
 咲きだしたヒカンザクラの横を下り、北側のサザンクロスセンター↓に行く。

 ちなみに、サザンクロスとは南十字星のこと。与論島は南十字星が観測できる国内最北
端のようで昨夜は南十字星が見られるかと期待したが、曇天で星は全く見ることができな
かった。


 ここサザンクロスセンターは、与論島の情報発信基地ともいえる資料館だが、まずは5
階の展望台に上がると島内が一望でき、北東の水平線上に霞んではいるが午後向かう沖永
良部島も望まれた。


 水平線上に見えるのは沖永良部島





 展望を楽しんだ後、4階から与論の自然や歴史、文化、民具、漁業、郷土芸能などを紹
介する展示を見ながら1階に下った。






 ここで与論島観光を終え、11時25分頃サザンクロスセンターを出て20分ほどで与論港に
行く。車内では、ガイドの西さんが与論音頭を披露してくれた。
        

 港には、これから乗船するフェリーが接岸しようとしていた。

 フェリーは、沖縄本島の那覇港を出て同じ沖縄本島の本部(もとぶ)港を経て与論港に
入り、沖永良部島の和泊港、徳之島の亀徳港、奄美大島の名瀬港を経て鹿児島港に向かう
上り便で、総所要時間は25時間30分になる。

 我々は2等の団体向け大部屋に入り、昼食の弁当が配られる。乗客は少なく船内は閑散
としていた。




 フェリーは12時10分に出航した。ロビーのテーブルで配布され弁当を食べ、その後デッ
キに上がって強い風に吹かれながら海や行く手の沖永良部島の島影などを眺めたり、船室
で横になったりする。〈続く〉 




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奄美群島4島めぐり① 与論島(前半)(鹿児島)

2017-02-19 16:49:43 | 国内旅行
 立春を迎えたがまだ寒さの続く2月4日(土)~8日(水)、『[55歳以上限定]ゆっ
くりじっくり巡る奄美群島4島めぐり5日間』という阪急交通社トラピックス企画による
ツアーに参加した。

========================================

 第1日 2017年2月4日(土)
 == 羽田空港から那覇空港経由で与論島へ ==

 自宅を5時40分に出て、池袋、品川経由で京浜急行の羽田空港国内線ターミナル駅に7
時26分に着く、第1ターミナル2階の日本航空16番カウンターの阪急交通社受付カウンタ
ーで受付を済ませる。今回の添乗員は大久保さん、参加者は15人前後かとみられた。


 8時50分発那覇行きJAL907便の777-200型機は9時05分に離陸する。まだ季節前なのか
機内には結構空席がある。

 羽田~那覇間は1,597㎞、快晴だが左側の席からは海上しか見えず、予定より10分早い
11時35分に那覇空港に着陸した。那覇の気温は20℃とのこと。

 乗り継ぎ便の間に空港内で軽く昼食を済ませる。

 那覇空港13時00分発与論空港行きJTA815便は、カナダのデ・ハビランド・カナダ社製の
双発ターボプロップ機DHC8=Q300という機種、搭乗人員は50人台のよう。


    


 13時09分に離陸して沖縄本島北部を北東へ119㎞、途中眼下に幾つも並ぶ石油タンク群
などを見下ろし、予定より7分早い13時33分に鹿児島県最南端の島、与論島(よろんじま)
の西端にある与論空港に着いた。狭い島にある与論空港の滑走路長は1,200mとか、到着し
た飛行機は逆噴射の急ブレーキを利かせて停止した。




 那覇で前泊したという札幌からの4人と合流して参加者は19人となり、待機していたバ
スに乗り込み13時55分にバスは出発する。ガイドの西あけみさん、ドライバーともども今
日明日担当してくれるという。

 与論島は鹿児島から南へ563㎞、沖縄本島の北23㎞にあり、周囲23㎞の隆起珊瑚礁の島。
1島全部が与論町(よろんちよう)で人口は5,390人、島の産業は畜産が主で黒毛和牛は
人口に近い5,300頭とのこと。

 現在はサトウキビの収穫期で忙しい時期で、ガイドの西さんも昨日はサトウキビの収穫
に従事したという。一昨年とその前年には2年続きで風速70mの猛烈な台風が襲来して、
島は大きな被害が出たようだ。

 河川のない与論島の海は、世界でも屈指の透明度の高さで知られ、サンゴやウミガメな
ど多く、島の周囲をコーラルリーフと呼ぶ環礁に囲まれたエメラルドグリーンの色鮮やか
海が広がり、60の美しい砂浜があるという。


 バスは島の西側にある与論町役場前を通過して、サトウキビ畑や珊瑚礁の海などを眺め
なながら進む。島の北側に回ると、明日訪ねる沖永良部島が平坦な島影を見せてくれる。


 島内一周道路を北から東へさらに南へと回り込み、最初の観光地は島の南東部にある与
論民俗村に行く。
        

 バスを下りたところに町木ガジュマルの古木があり、枝からたくさんの気根が地中に根
を下ろしている。



 与論民俗村は、昔の民家の建物や民具をそのまま残す菊さん一家の私設民族資料館。
    

        一本の板から切り出した手造りの枕
       
 ご主人の案内で幾つかの建物を巡り、古くから伝わる民具や建物の説明を受ける。



 島で唯一、技術を継承しているという芭蕉布織りの設備も拝見し、技術継承されている
93歳の菊千代さんもお元気に対応してくれた。


      
 庭にはまだ青いパパイヤが実り、町の花ハイビスカスなどが咲く。


 庭の一隅には、製糖工場が出来るまでサトウキビを搾るために馬に牽かせていたという
砂糖車と呼ぶ装置も残っている。



 別棟には売店↑もあり、芭蕉布製品や草木染め、パパイヤ漬、黒糖などを販売していた。


    

      
 15時10分に民俗村を後にして外周道路を北へ、東海岸の中ほどにあるグラスボート乗り
場に行き、小型のグラスボートに乗ってリーフ外縁に近い景勝地、百合ヶ浜周辺まで往復
の遊覧である。

 



 サンゴに埋め尽くされた砂浜からグラスボート・シーマンズ号に乗り、沖合に向かう。



 真ん中底部ににあるグラスファイバーの窓から見下ろす珊瑚礁の海は浅瀬が続き、底が
支えそうなくらい。

 水平線に見える濃い帯がリーフ(環礁)で、そこまでの水深は数10㎝~3mくらいのも
のでどこも浅い。

              
 百合ヶ浜近くにまで行くとたくさんの魚の遊泳が見られ、短時間ながらウミガメも見え
た。40分近く遊覧して浜辺に戻り舟を下りる。
    

    


 この浜辺にも売店があり、貝やサンゴなどの加工品を販売していた。







 バスは別の道を進んで西岸の役場前や茶花漁港横↓を通過しする。


 島の西端、与論空港の滑走路端に隣接した最初の宿、プリンシアリゾートヨロンに16時
45分に着いた。

 広いスペースに設けられた3ヶ所の宿泊棟はすべてコテージタイプで、中央部に本館が
ある。われわれは東側にある2階建て1棟4組ずつのコテージの決められた部屋に入った。


 さすがに南の島、夕食のレストランに向かった18時30分近くでも、まだ外は明るさが残
っていた。 向こうの建物がレストラン。


 ホテルのプライベートビーチ

                                  (歩数 9,600)




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小江戸川越七福神と蔵造りの街並みを巡る(埼玉)

2017-02-17 17:00:37 | ウオーキング
 1週間近くなりますが風邪の回復が遅れ、パソコンに向かう時間が疎遠のまま過ぎて
しまいました。

 順序が入れ替わりますが奄美4島巡りは後にして、今回は川越市内のウオーキングレ
ポートです。

========================================

 2017年2月11日(土・祝)

 発足以来まる24年、25年目のスタートとなるカントリーウオークグループの第240
回例会に参加した。集合地はJR川越線と東武東上線の川越駅。今回は小江戸川越七福神
を中心のタウンウオークである。


 所用で休むがアドバイスに来た地元Kさんによると、今日は観光客が多いので昼食予定
地も人出が多いはずとのこと。昼食地を初雁球場に変えて、4組に分かれて10時15分
にスタートした。
 
 == 県道39号の東を回り初雁球場へ ==

 東口を出て線路に平行する車道を南へ、踏切の近くから東進して、最初の七福神、毘沙
門天の妙善寺(みようぜんじ)に入る。

 妙善寺は、寛永元年(1624)の創建とか。コンクリート造り2階建ての本堂は昭和
53年(1978)の再建、階段を上がって2階の本堂に参拝する。

 Kさんによれば、各七福神の寺には水琴窟(すいきいんくつ)があるという。妙善寺に
もあったが、そばを走る県道39号の騒音が大きいので、竹筒を通して水音を聞くように
なっていた。


 県道39号を北へ、白梅が見頃な菅原神社前を通過する。信号のある交差点から東へ、
仙波町二丁目を抜けて国道16号側に回り込むと、寿老人の天然寺(てんねんじ)である。

 創建は天文23年(1554)で、木造大日如来座像は建武2年(1335)などの修
理銘があり、市内に現存する仏像としては最古のひとつという。


 境内の白梅は満開、寿老人は本堂前の小さなお堂に祭られていた。
     

 コイの泳ぐ池や手水舎には豊富な湧水が注がれ、ここの水琴窟は良い音色を聞かせてく
れた。


 北東側近くにある川越観音・長徳寺にも回ってみた。りっぱな山門を入ると、正面の本
堂も大きい。

 長徳寺は、「新版武蔵風土記稿」によれば永正年代(1514)の名が過去帳に記され、
境内にはもと若干の土塁と堀があったといわれ、仙波氏の館跡(やかたあと)と推定され
ているという。

 6地蔵を祭る地蔵堂は瓦屋根とコンクリート造りのりっぱなもの。山門の横には、千体
地蔵尊が祭られていた。露座の川越観音は愛くるしい幼児のように見える。
      

 東側にはコンクリート造りの新しい大きな建物があり、その横から背後に抜けると畑の
隅に白梅の古木が見頃な花を見せていた。


 仙波町二丁目に戻って北へ、川越一中の門前にある大きなコブシの芽がかなりふくらん
でいる。光西寺前を通過して鐘楼門をくぐり、中院(なかいん)に入る。


 中院は、北側にある喜多院同様天長7年(830)に慈覚大師の創立とのこと。当初は
現在の東照宮の地にあったが、寛永10年(1633)の東照宮建造の折にこの地に移さ
れたという。



 境内には樹木が多く、3本のシダレザクラや格好良い松、キンモクセイの古木などが目
に付く。

 墓地には、川越城主秋元候の家老、大陽寺一族の墓↓や、島崎藤村の義母、加藤みきの
墓などがある。


 中院を出てさらに北へ、川越総合高正門前を通過して間もなく、国重要文化財で朱塗り
の八脚門、仙波東照宮の随神門を入る。


 仙波東照宮の社殿は、門を入り空堀の横を過ぎ、石段を上がった小高い一角に祭られて
いた。

 朱塗りの拝殿と弊殿も国の重要文化財。創建は寛永10年(1633)で、弊殿には後
水尾天皇の御染筆による「東照大権現」の勅額が掲げられているという。

 北に続く広い境内は、川越の代表的な寺院で大黒天を祭る喜多院(きたいん)。正月に
は参拝客で賑わうようだが、今日はさほどでもない。

 喜多院は、淳和天皇の勅願により天長7年(830)慈覚大師が創建、寛永15年
(1638)の川越大火後、3代将軍家光公が江戸城の別殿を移築し、その他諸堂も再建
したという。

 大本堂にあたる慈恵堂のほか、境内には多宝塔、慈眼堂、五百羅漢、客殿などが点在し
ている。
      

          
 多宝塔の横から北に抜け、時の鐘に似た塔の目に付くそば処の横を進み、恵比寿天を祭
る成田山(なりたさん)川越別院へ。

 千葉県成田市の成田山新勝寺の別院で、交通安全祈願で知られる。恵比寿天は、本堂と
大師堂の間の小さなお堂に祭られていた。
      

 北側の県道15号を横断して東北に進み、三芳野神社の参道を進む。この参道は、わら
べ歌「とおりゃんせ」の歌詞の発祥の地といわれているようだ。

 三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)に再建されたとのこと。社殿
は修復中で、シートに囲まれていた。


 神社の北側が昼食地の初雁球場で、12時10分に着いた。だが、門が閉じて球場内に
は入れない。西側の塀付近にシートを広げて昼食とした。

 == 各自蔵造りの街並みを巡り本川越駅へ ==

 食事を終え、そばの川越城本丸御殿の周辺を見て回る。川越城は長禄元年(1457)
に築城され、県指定文化財の本丸御殿は、嘉永元年(1848)の造営。



 現在は玄関、大広間、家老詰所が残っている。邸内の紅梅が満開の花を見せる。


 御殿前の公衆電話ボックスは、利用者減少で電話機は1月中旬に撤去され、ボックス自
体も今月中には撤去すると記されていた。
      

 ミーティングの後に記念撮影をして、13時20分頃午後のコースに向かう。


 市立美術館前を左折して西へ、郭町交差点の先に川越城中の門堀跡が、数10mだけ整
備して公開されていた。


 市役所前から札の辻交差点周辺まで進むと、観光客がかなり増え、当初の昼食予定地、
元町休憩所も大勢の人が休んでいる。ここで15時までフリータイムをとり、各自自由に
近くの蔵造りの街並みや菓子屋横丁などを回ることにする。


 細い路地の菓子屋横丁も観光客で賑わい、色とりどりな菓子を眺めたり買い求めたりし
ていた。





 川越の中心部を南北に走る、中央通・県道12号の札の辻交差点から連雀町交差点周辺
まで、川越の代表的景観である蔵造りの家並みが続いている。

 重厚な蔵造りは、明治26年(1893)の大火を契機に築かれ、伝統的な町家群と近
代洋風建築などが連なる街並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 札の辻に近い蔵造り資料館から南へ、両側に並ぶ蔵造りなどの街並みを見て回る。電線
の地中化は済んでいるが自動車の交通量が多く、その間に多くの観光客の往来が続き、人
と車に注意しながら仲町交差点まで進む。

 東側に並行する通りに回って折り返し、先月修復を終えたばかりの川越のシンボル、
「時の鐘」の下を通過する。
      
 時の鐘は、江戸初期の酒井忠勝が城主(1627~34)の頃建設されたと伝えられ、
現在の鐘は、明治26年(1893)の大火の翌年の再建、高さは約16mで、環境庁の
「残したい日本の音風景百選」に選ばれている。

 県の登録有形文化財、埼玉りそな銀行川越支店の建物は、大正7年(1818)に第八
十五銀行の本店として建設された、ネオ・ルネッサンス様式の建物である。



 元町休憩所に全員戻り、15時過ぎに後半の七福神巡りへ。西進して新河岸川の高沢橋
際から右岸をすぐで、布袋尊の見立寺(けんりゆうじ)に入る。

 見立寺は、永禄元年(1558)小田原北条氏の重臣で川越の城将大道寺正政繁候によ
る開山とのこと。本堂内には、黄金色のりっぱな仏像が祭られていた。
      


 昼過ぎまで快晴で暖かだった空に雲が増え、気温も下がってやや寒々してきた。左岸沿
いに進んでお部屋橋を渡り、十念寺横を南下すると弁財天の妙昌寺(みようしようじ)が
ある。

 永和元年(1375)に池上本門寺の末寺として開山し、寛保元年(1741)に川越
城改修に伴い、現在地に移ったとか。

      
 弁財天堂は墓地横を下ったところにあり、水琴窟もその近くだった。


 少し戻って東へ、七福神の最後は福禄寿神を祭る、中央通に面した連雀町の連馨寺(れ
んけいじ)である。

 連馨寺は、天文18年(1549)川越城主大道寺駿河守政繁が母の連馨尼を追福する
ため開山したもの。のちに浄土宗の学問所である関東十八壇林のひとつに列せられ、葵の
紋所が許されるなどで栄えたという。

 現在は子育吞龍上人(どんりゆうしようにん)で親しまれ、さわると病気平癒祈願など
に霊感あらたかな、おびんずる様も人気のよう。
      

 ここで七福神巡りを終わり、さらに中央通を南下して西武新宿線の本川越駅に16時7
分に着き、散会となった。

(参加 18人、天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図 (1/2.5万)川越、小江戸
 川越散策マップ、歩行地 川越市、歩数 19,500)





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所沢航空記念公園のロウバイが見頃に(埼玉)

2017-02-13 20:52:28 | 所沢だより
 2017年2月13日(月)

 当「gooブログ」の写真のアップロード方法変更に伴う不調や、4日(土)~8日(水)
は奄美4島巡りに出かけ、帰ってきたら気温の変化について行けず風邪に押され、それで
も11日(土)にはカントリーウオークグループの例会に出かけ、12日(日)は1日中
寝込むなどで、投稿が10日間出来ませんでした。

 その間、昨年末には早くも咲き始めた所沢航空記念公園のロウバイでしたが、新年にな
り寒い日が続いたためか開花が進まずにいたのが、ようやく見頃になってきたので、毎年
のことながら紹介します。





 所沢航空記念公園のロウバイ園は、公園の中心部にある放送塔の立つロータリーの南西
側、日本庭園の東側にあり、約100本のロウバイがあります。

    





    

        

 ここに植えられているロウバイは、下の説明板のような2種類です。、 






      

         








 ロウバイ園の西側から入って東に抜けて、ふり返りました。まだつぼみの多い木もあり、
しばらくは花を楽しめるのではないかと思います。

========================================

 ところで、画像をまとめてアップロードすると真っ黒な画面になる現象は解消されませ
ん。どうやら、Internet Ezplorer 10 以上のバージョンでないと、まとめてのアップロードが
出来ないように変更(改悪)されてしまったようです。

 私のは、もう6年以上前から使っている Internet Explorer なので、それ以前のバージョン
と思われ、個別アップロードという方法で1度に3枚ずつの写真をアップロードするしか
ないようなので、今回のロウバイもその方法で行いました。

 まとめてアップロードだと、1度に30枚出来たので10倍の手間になりますが、操作
自体は1クリック少なくて済むようになったので、多少の煩わしさはがまんするしかない
ようです。

 さて、当ブログは2月9日(木)に満11歳になり、12年目に入りました。この11
年間、たくさんの皆さんにご覧いただいたことを励みに、アップを続けて参りました。

 11年間にご覧いただいた方は、延べ1,091,479人の方々、ご覧いただいた延べ
ページ数は4,900,422でした。

 歳が歳なのでいつまで続けられるかわからず、投稿間隔も次第に延びるかもしれません
が、出来るだけ続けたいと考えておりますので、これからもご覧いただきますよう、お願
い申し上げます




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画像をアップロードすると真っ黒になる

2017-02-03 14:52:48 | Weblog
 2017年2月3日(金)

 きのう、所沢航空記念公園のロウバイ園に出かけた写真を掲載しようと、アップロード
したら、10数枚の写真がみな真っ黒になってしまいました。

 何回やっても同じ、おかしいと思って gooブログのメッセージを見たら、2月1日から
画像をまとめてアップロードする方法を変更したようですが、その結果、このようなトラ
ブルが発生したようで、今日になっても解決していません。

 したがって、このトラブルが解決するまでは投稿を休みます。

 また、明日4日(土)から5日間ほどは別の理由で投稿できませんので、次の投稿は2
月9日(木)以降まで1週間ほどお休みと致します。9日以降に新しい投稿をご覧いただ
きますようお願い申し上げます
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