あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道から見える海②

2010-07-31 23:20:46 | 四国遍路あれこれ
 2月28日(日)午後、チリ地震津波に注意しながら、室戸岬の24番最御崎(ほつ
みさきじ)を目指します。

 夫婦岩を過ぎても次々に小さい岬が続き、その下を国道55号は進みます。


 幾つかのアンテナ塔の見える左下が室戸岬です。


 岬の中腹、標高165mにある24番最御崎寺に参拝して、翌3月1日(月)朝、国
道55号を岬の縁に沿って回りました。月見ヶ浜と呼ばれるこのあたりは、大きな岩
が並んでいました。


 次の26番金剛頂寺も、標高は165mあり、ひと上りして再び国道に下り、国の
伝統的建造物群に指定された古い建物の並ぶ吉良川(きらがわ)の町並み抜けま
した。

 室戸市最後の町、羽根の町並みを抜けた先、羽根岬付近。多くの歩き遍路さんは、
ここを通らず中山峠越えをするのですが、今回は腰痛のため峠を越えずに、国道沿
いを進んだので私も初めての風景で、このあたりでは雨でした。 


 3月2日(火)は天気も回復、奈半利(なはり)を出発して、標高430mの27番神
峰寺(こうのみねじ)を経て、さらに国道55号沿いを進みます。

 安芸市に入って間もなくの、大山岬の先にある浜千鳥公園付近。ここには、この
地出身の作曲家・弘田龍太郎作曲の文部省唱歌「浜千鳥」の歌碑があるのです。


 3月3日(水)、安芸市の西隣、芸西村(げいせいむら)に入ると、海沿いのほと
んどは、琴ヶ浜と呼ばれる砂浜が続き、遍路道は砂浜沿いの松林の中を抜けて
います。


 1日おいて3月5日(金)は、高知市内を進みました。32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)
にお参りの後、浦戸大橋を渡って名勝・桂浜に向かいます。浦戸大橋から見下ろす
浦戸湾。 高知市の中心街は、浦戸湾の右手奥になります。


 浦戸大橋を渡り、桂浜公園の遊歩道から見下ろす灯台。近くには、坂本龍馬記念
館があったので、入館しました。


 行かれた人はおなじみの、名勝・桂浜。


 須崎市にある36番青龍寺(しょうりゅうじ)に参拝し、次の3月7日(日)、内海と
なっている浦ノ内湾の北岸沿いに進みました。波静かな湾内には、漁業用のいか
だが幾つも浮かんでいます。


 浦ノ内湾もそろそろ終える辺りにある浦ノ内中学校。海抜2~3mかと思われ、
大津波の時は大丈夫だろうか、チョット心配です。


 37番岩本寺を経て3月9日(火)は、四万十町から黒潮町を進みます。この日、
山間から下った初めての海が、鹿島が浦でした。

 前日の雨の名残で、かなり波立っています。


 この辺りは、景勝地・土佐西南大規模公園佐賀地区の西端、白浜海岸付近。


 3月10日(水)、四万十大橋を渡り、全長1620mの新伊豆田トンネルを抜けて、
土佐清水市に入ります。足摺岬東岸の付け根に当たる下ノ加江(しものかえ)海岸
を高見に上がると、海蝕景観と呼ぶ好展望地です。

 
 この先を下れば、間もなくこの日の宿、久百々(くもも)が見えてきました。(続く)
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四国遍路道から見える海①

2010-07-29 19:12:33 | 四国遍路あれこれ
 トルコ・イスタンブールのクルージングの様子をご覧いただいたので、その後は、
日本国内の海、それもこの2~3月に歩いた、3度目の四国遍路の道筋で見た海
の様子をご紹介します。

==================================

 徳島県の1番霊場霊山寺(りょうぜんじ)を出発した後、数日は吉野川やその支
流の鮎喰川(あくいがわ)沿いを回るので、海を見ることはできません。

 最初の海は7日目の2月25日(木)、徳島県美波町(みなみちょう)の田井ノ浜
でした。

 ここは、当時放映中だったNHK総合TVの朝のドラマ「ウェルかめ」にも登場した
ところです。

 きれいな砂浜は、格好の海水浴場のようで、猛暑の昨今は賑わっていることで
しょう。

 まだ寒かった当時は、人っ子ひとり見えませんでした。


 これも、田井ノ浜からの風景です。


 次は翌日2月26日(金)、同じ美波町の次の集落、木岐(きき)の漁港付近。


 木岐漁港の外れまで回ると、一人の女性が海に入って海藻を採っていました。


 海沿いの遍路道から、山座峠を下って恵比寿湾沿いに出ます。


 23番薬王寺に参拝した次の日、2月27日(土)、牟岐(むぎ)駅前の民宿を出発
して別格4番鯖大師に向かいます。

 牟岐警察署の近くから遍路道に入り、大坂峠越から番外霊場草鞋(わらじ)大師
近くに下って行きました。昨日の雨は上がりましたが、向こうの山にはまだ雲が…。


 海も、昨日の雨の名残で、かなり波立っています。


 国道55号の南側の遍路道に入り、松坂峠を越えて海岸に出ました。この海岸
を350mほど進みます。国道に上がれば、間もなく別格4番鯖大師です。


 鯖大師を過ぎ、国道55号は大砂海岸沿いになります。洗濯板のような岩場は、こ
の先、高知県内にあるのと同様、地震により隆起したのではないかと思われます。


 徳島県最後の町、海陽町に入り、那佐湾の横を通過します。幅200~300mくら
いの川のようなところが、2.5㎞近く続いていました。


 高知県東洋町に入り、2月28日(日)は室戸岬を目指し、向こうに見える幾つか
の小さい岬を次々に回って行きます。


 室戸市に入って佐喜浜港を過ぎると、前方に巨岩の並ぶ岬が近づきました。


 そばまで行くと、1番海側の2つの岩にしめ縄がかけられています。夫婦岩と呼
ばれるところで、傍らに東屋やトイレも設けられていました。

 この日は、チリ地震津波の警報が出ていたので、この辺りでは始終海を見ながら
注意して進んでいました。幸い、津波の影響はほとんどありませんでした。 

 夫婦岩から、室戸岬にある24番最御崎寺(ほつみさきじ)までは、あと12㎞余り
です。  (続く)
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「第2次 21世紀の朝鮮通信使 ソウル-東京 友情ウオーク写真展」

2010-07-28 22:24:15 | ウオーキング
 梅雨明け以来の猛暑はなかなか衰えず、わが所沢市内も梅雨明けの17日以来、
34~36℃くらいの暑さが続いています。

 今日、7月28日(水)は、東京・四ッ谷で開催中の、「第2次21世紀の朝鮮通信使
ソウル-東京 友情ウオーク写真展」に行ってきました。

 この写真展は、昨年4月1日に韓国・ソウルをスタートして、5月20日に東京・日比
谷公園にゴールしたウオークの記録で、江戸時代の「朝鮮通信使」のたどった道筋
を、日本人、韓国人、在日韓国人ウオーカーが手を携えた歩いた、草の根交流の様
子や、沿道の風景、各地の史跡、ゆかりの建造物などが紹介されています。



 会場の様子を撮ってくるのを忘れましたが、撮影した金井三喜雄さんも居られ、
当時のことを説明していただきながら見てきました。

 週末の31日(土)まで開催していますので、ご関心のある首都圏の方で新宿
付近にお出かけの予定がありましたが、少し足を伸ばして立ち寄り、ご覧下さい。



 私は暑さを避けて、西武新宿駅からサブナードなどの地下街を新宿1丁目付近まで
行き、新宿通もビル影になる右側を歩いて会場に行きました。

 JR新宿駅からなら、歩いて15分前後かと思います。

 ちなみに私は、このウオークには最終日の5月20日だけ参加しました。

 ゴールの日比谷公園での記念撮影の模様です。


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トルコ・イスタンブール・ボスフォラス海峡クルージング

2010-07-26 21:23:50 | トルコ旅行
 首都圏は、相変わらずの猛暑がこれからも続きそう。少しは涼しさを感じていただけ
ればと思い、トルコ旅行の最終日の、イスタンブールの海峡クルージングの模様を
お届けします。船上から海風に当たっているつもりでご覧下さい。

===================================

 2010年5月24日(月)、トルコ旅行最終日の午前中は、イスタンブールのヨーロッ
パサイトとアジアサイトの間にある、ボスフォラス海峡のクルージングでした。

 手前の船に、ツアーの一行12人が乗船しました。往路はヨーロッパサイド沿いを
進みます。


 スュレイマニエ・ジャーミィと呼ぶモスクが間近に。オスマン帝国が最も繁栄したこ
ろの君主スュレイマン大帝が造らせた寺院で、1557年の完成とのこと。


 出港した付近には、幾つもの観光船が並んでいます。


 右手の尖塔は、高さ61mというガラタ塔。143段の階段かエレベーターで頂上の
バルコニー出ると、ボスフォラス海峡や金閣湾、マルマラ海といたイスタンブールが
囲む海や、イスタンブール市街などの展望は絶景のようです。


 ドルマバフチェ宮殿の前を通過します。アフメット1世が1614年に完成した離宮
です。


 昨日宿泊した、コンラッドホテル↓が見えてきました。


 こちらは高級ホテルのよう。


 チュラーン宮殿のそばを通過しました。


 やはりホテルのようです。


 往路はデッキに上がって、移りゆく風景を眺めました。


 第1ボスフォラス大橋のそばにあるモスク、オルタキョイ・ジャミイ。


 ボスフォラス海峡に最初に架けられた、第1ボスフォラス大橋の下を通過。

 アンテナ塔の並ぶ向こう側(右手)は、アジアサイトです。


 この辺りでは斜面の上部まで、高級住宅らしい建物が並んでいます。


 間もなく、第2ボスフォラス大橋の下を通過します。完成は1988年で、全長は約
1200m、高さは約64m、建設には日本企業も参加したようです。

 橋の交通量はかなり多いようで、車が渋滞している様子が見られます。

 第2ボスフォラス大橋の手前にある要塞、ルメリ・ヒサール。1452年に、メフメット
2世が、コンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)攻略のために築いたもの。

 アジア側のアナドル・ヒサールと向かい合うように建てられ、海上封鎖によって、ビザ
ンチン帝国への武器や食料の運搬を阻止したとのことです。

 第2ボスフォラス大橋の先で折返し、アジアサイドに沿って戻り、約1時間半の船旅
を楽しみました。
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トルコ・世界遺産イスタンブール歴史地区③(ブルーモスク)

2010-07-25 21:43:29 | トルコ旅行
 2010年5月23日(日)夕方、トルコ・イスタンブールの旧市街の歴史地区にある
世界遺産ブルーモスクを訪ねました。

 ブルーモスクは、オスマン帝国第14代のスルタン・アフメット1世により建設され
た、イスタンブールで最も美しい寺院と呼ばれています。

 1609年に着工し、1616年に完成、神学校、貧民救済のための簡易食堂、隊
商宿などを兼ねた総合施設です。



 ここが、ブルーモスク観覧者の入口です。


 内庭は5か所の扉から入れ、広さは72m×64mとか。


 モスクに入ると、高い大きなドームに目を見張ります。


 中心のドーム下の部分は、礼拝者だけしか入れません。観覧者は、周辺の回廊
を巡ります。


 内部には、17世紀のイズニック・タイルが、2万1千枚以上使用されています。
当時は、タイル1枚が金貨7枚分に相当したとのことです。


 この礼拝堂の広さは、約2700㎡で、ドームを支える4本の柱の直径は、約5m
あります。


 真ん中の大ドームを見上げたところ。高さ43m、ドーム直径は22.5mです。


 窓には、たくさんのステンドグラスがはめ込まれています。

 ステンドグラスの美しい光と、内部に使われた青いイズニック・タイルから、「ブル
ーモスク」と呼ばれるようになったようです。


 1日5回の礼拝の時間には、見学することは出来ません。私たちが観覧できるこの
ときに礼拝している人は、礼拝の時刻に遅れて後から来た人のようです。  

 礼拝の人たちが向いているのは、メッカの方向です。



 観覧を終えて内庭に出ました。


 向こうの門が出口です。


 30分ほど観覧して、ブルーモスクを後にしました。
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トルコ・世界遺産イスタンブール歴史地区②(アヤソフィア)

2010-07-23 22:50:36 | トルコ旅行
 今日は、1年でも最も暑いといわれる二十四節季の一つ「大暑」。わが所沢市内も、
梅雨明けから今日までの1週間、連日35℃前後の猛暑に「対暑」しながらの毎日
です。

 この1週間は熱中症にならぬよう、日中はもっぱら家の中で過ごし、お陰で溜まっ
たままだった本棚の周囲の片付けが結構進みました。

===================================

 2010年5月23日(日)午後訪ねた、イスタンブール旧市街にある歴史地区の世界
遺産、アヤソフィアを紹介します。

 アヤソフィアは、ビザンツ建築の最高傑作といわれ、ギリシア正教の大本山になっ
たり、イスラム寺院に姿を変えたりした、イスタンブールの象徴ともいえる建物です。

 現在の建物は、537年に時の皇帝、ユスティニアヌスの命により、6年近くかけて
完成した、ビザンツ様式の大聖堂です。

 波乱に満ちた歴史を経て1934年、トルコ共和国初代大統領アタテュルクにより、
博物館として一般公開されるようになりました。

 ここがアヤソフィアの入口です。


 中に入ると、まず天井の高い大きなドームに目を奪われます。

 
 真下から見上げた中央の大ドーム。直径は31mあり、ロドス島で造られた軽い
レンガで出来ているようです。




 下から見上げる2階の回廊と柱。




 北側から石畳のスロープを上がると、2階の回廊を巡ることが出来ます。2階から
見下ろす1階中央部。


 1階の吹き抜けを挟んで、反対側の回廊。


 2階の窓は高く、私の背丈では直接見ることは出来ませんが、デジカメを手の上に
かざして撮った外壁など。


 2階には、モザイク画が幾つもの凝っていました。モザイク画は、ガラスや大理
石、金などを細かく砕いたものを、漆喰で固めた部分に埋め込んでいくとのこと。
耐久性に優れているので、長い年月を経ても美しさは変わらないようです。

 「聖母子と皇帝家族」と呼ばれるモザイク画。中央に幼いキリストを抱くマリア、
左は金貨の入った袋を持つ皇帝アレクシス、右は目録を手にした皇后イレーネ。


 こちらは「キリストと女帝ゾエ夫妻」と呼び、中央にキリスト、左は金貨の入った
袋を持つ皇帝コンスタンティヌス9世モノホマスと、右は目録を手にした皇后ゾエ
が描かれています。


 これも2階の高窓から見た、アヤソフィアの壁面の一角。


 出口が近くなりました。


 南出口近くの天井に描かれたモザイク画「聖母子に献上する皇帝」。10~11世紀
初頭のもので、中央に幼いキリストを抱くマリア、右はコンスタンティノーブル(現在の
イスタンブール)の町を献上するコンスタンティヌス1世、左はアヤソフィアを献上する
ユスティ1世とのことです。

 1時間近く観覧して、アヤソフィアを出ました。

 南側の公園を隔ててふり返るアヤソフィア。


 イスタンブールを代表する景観の一つです。
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トルコ・世界遺産イスタンブール歴史地区①(トプカプ宮殿)

2010-07-22 21:49:20 | トルコ旅行
 2010年5月23日(日)午後、トルコ第一の都市イスタンブールに戻り、旧市街に
ある世界遺産・歴史地区を訪ねました。



 最初は、ボスフォラス海峡や金閣湾、イスタンブールの町全体を見渡せる小高い
丘に立つトプカプ宮殿です。

 トプカプ宮殿は、15世紀半ばから20世紀初頭にかけて、強大な権力をもっていた
オスマン帝国の歴代君主(スルタン)の居城として建設されました。

 敷地面積は70万㎡あり、1856年にドルバフチェ宮殿が出来るまで、ここは、ウィ
ーン付近から黒海、アラビア半島、さらに北アフリカまでを支配したオスマン朝の中
心地として栄えたところです。

 現在は博物館として公開されていて、年間の来訪者は約150万人とのことです。

 最初にトプカプの門と呼ぶ、この門から入ります。


 その先は第1庭園と呼ばれ、広葉樹が道の両側に続いていました。


 博物館の入口となる皇帝の門(表敬の門)、ここでセキュリティチェックを受けて
入ります。

 木々の間を進むので、門のそばまで行かないと両側の双塔は見えませんでした。


 芝生と立派な植栽の第2庭園の左手にある「会議の間」。国政をとり仕切る重要な
会議が行われた場所のようです。


 3番目に通過する幸福の門。スルタンの私的スペースである第3庭園の入口。


 宮殿の東北端にあるレストラン付近からは、ボスフォラス海峡や、イスタンブール
の市街地などが展望できます。


 ずっと向こうに見えるのは、第1ボスフォラス大橋です。


 幸福の門の、入口右手前に立つ大木。


 これは図書館と聞いたように思います。中には入りませんでした。


 これは何の建物だったかな? あまりにも建物が多いので忘れてしまいました。


 ここは、あまり大きくはない建物でしたが、天井のドームはみごとです。


 同じ建物の中のひとつの間。


 第2庭園の右側にある厨房跡。16世紀末には、1200人余りの料理人がいたよう
ですが、現在は陶磁器の展示館になっていました。


 日本でも展示会で公開された、トプカプの短剣やスプーン屋のダイヤモンド、世界
最大のエメラルドなどの展示された宝物館は大変な混雑、写真撮影は禁止でした。

 1時間ほど観覧して、トプカプ宮殿を出ました。

 こちらは、近くにあったアヤイリニ教会、532年の改築で現在の姿になったとか。

 この後回るアヤソフィアが出来る前は、ギリシア正教会の大聖堂として機能し、アヤ
ソフィア完成後も、第2の教会として威光を放っていたとのことです。
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旅のテーマ探しに 文藝春秋 夏号 『「もう一度」日本を旅する』

2010-07-21 21:40:43 | Weblog
 梅雨明けとともに日本列島の多く後に猛暑が訪れ、連日、「熱中症に注意を…」
との報道が流れています。今日のわが家、2階のある部屋は39℃になりました。

 こんな時には、どこか涼しいところで避暑したいものですが、別荘のないわが家
では、どこに行ったらよいものか、行くまでが暑いナーと考えてしまいます。

 それなら、いっそのことテーマを見つけて旅をしたら、暑さも少しは和らげられる
のではないでしょうか。

 そのような、自分だけの旅のヒントを与えてくれそうな冊子が刊行されました。
7月1日発行の、文藝春秋スペシャル・季刊夏号 『もう一度日本を旅する』です。



 旅の達人、旅好きの人などが、オリジナリティ溢れる旅について、たくさん投稿
しています。

 巻頭随筆ではまず、映画監督の椎名誠さんが、日本の素晴らしさや安全さなど
の面から、日本を歩く旅をしたいと述べています。

 民俗学者の赤坂憲雄さんは、すぐれ者たちの個性的な「紀行」の跡をたどる旅
を、そして放送タレントの永六輔さんは、「遠くへ行きたい」から40年、旅には
「トリップ」「ツアー」「トラベル」「ジャニー」4つがあるが、自分が好きなのは「ジャ
ニー」だが、それぞれがうまく使い分ければよいと言われています。

 著名人にインタビューして、旅の原点やスタイルを語る項では、「白洲正子の「か
くれ里」を読んで、熊野古道や高野山を訪ねる精神的な旅」、「旅の目的はその土
地の人に出会うこと、行き先は小さな離島がよい」、「観光名所より普通のものを
見るのが好きで、地方特有の瓦や壁土を見たりスーパーマーケットに入る」、「旅
に出たときくらいは、自然の音を聞く」といった旅の仕方が述べられています。

 スペシャル・エッセイという項では、民俗学者・宮本常一の生地、周防大島のそば
にある小さな島のこと、孤高の登山者・加藤文太郎ゆかりの槍ヶ岳登頂、名月赤城
山で知られる国定忠治のふるさと、群馬県伊勢崎市(旧東村)への旅、鉄砲伝来の
島、種子島が砂鉄の島だったこと、国内に残る軽便電車に乗りに行く、といった多
彩な旅のエッセイが盛りこまれています。

 さらに、「パワースポット神々の湯」では、玉造温泉、霧島温泉郷、熊野・湯の峰
温泉、道後温泉など、歴史ある古湯を温泉教授と巡り、「こだわりの旅」では、万葉
の地を行く、山陽本線で歴史を感じる、若返りの水を求めて、語源探見、ブナの山
を踏破する、ふるさとご飯、軍事遺産を訪ねる、岩と洞窟、といったユニークな旅を、
その道の達人が記しています。

 そのほか、日本の小さな街を歩く、忘れられない旨いもの、地図で旅する明治、
名著で読む日本の旅など、といった多彩な旅の仕方が盛りこまれています。

 ツアーでは得られない旅をしてみたい方、ほかの人とはひと味もふた味も違う旅
をしてみたい方などには、この書から旅のヒントが得られるかもしれません。








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トルコ・世界遺産カッパドキア②

2010-07-19 17:20:17 | トルコ旅行
 2010年5月22日(土)に回った、トルコ中部にある世界遺産カッパドキアの
続きです。

 この日の午後のメインは、カッパドキア北部にある、ギョレメ野外博物館へ。
ここが野外博物館の入口。

 カッパドキアでは、4世紀頃からたくさんのキリスト教徒が住むようになったの
ですが、9世紀頃から強まったイスラムの圧迫を避け、岩を掘って洞窟に教会や
修道院を造ったといわれているようです。

 ギョレメ一帯には、400~500もの教会があったようですが、現在はおよそ30
の教会が、野外博物館として公開されているとのこと。



 
 当時の信徒が描いたフレスコ画の壁画が幾つか見られました。

 以前、そばにリンゴの木があったことから「リンゴ教会」と呼ばれるところの、みご
とな壁画。

 12~13世紀にかけて造られたもので、光が入らなかったところは保存状態がよ
いようです。

 高台の斜面につけられた遊歩道を歩いて、つぎの教会へ向かいます。 

 世界各国からの観光客で大賑わい。入るのにかなり待たされたところもありました。




 私たちは回らなかった、さらに高台にも、観光客の姿が見られます。


 ギョレメ野外博物館を出て、谷を隔てて反対側の高台にある展望台に上がりました。

 カッパドキアの中心部付近の展望が広がります。


 東側、一番向こうに見える平坦なところは、ローズヴァレー(赤い岩)と呼ばれ、ここ
にも教会があり、7世紀頃の彫刻や、11世紀頃のフレスコ画が残っているとか。


 最初に回った、ウチヒサールの「尖った砦(とりで)」と呼ぶ、巨大な一枚岩の城塞が
眺められました。


 この日泊まったギョレメの洞窟ホテルの、部屋からの眺めです。
コメント (2)
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カタツムリ歩行八坂(東京・小平・東村山)

2010-07-18 21:33:33 | カタツムリ歩行
 2010年7月18日(日)

 JR武蔵野線周辺を歩き続けている、カタツムリ歩行の第196回例会に参加した。
集合は、西武多摩湖線の八坂(やさか)駅。そばの府中街道を横断するため、駅の
周辺だけが高架になっている。

 10時過ぎ、八坂駅前をスタートする。

 南北に走る府中街道を南に少しで、野火止(のびどめ)用水を横切る。流れは細
いが、コイや小さい魚が泳いでいた。


 そばの緑風荘病院の入口に、GREEN VOICE と記された像が立っていた。

 
 高架工事中の西武拝島線の南へ。ブリヂストンの東京工場沿いには、立派な広葉
樹の緑地帯が続いている。


 広大なブリヂストン東京工場の入口を入ったところに、世界最大のタイヤが飾っ
てあった。(中には入れないので、門の手前から撮ったもの)


 正門前から西へ向かい、小川駅東通りを進んで、西武国分寺線と拝島線の交差
する小川駅へ。


 橋上駅の小川駅を西に降り、小川西町の集合住宅群を抜けて、野火止用水沿い
に出る。流れの北側にある明治学院高高校の境内に、明治か大正期の木造建築
の建物があった。

 極東アジア問題の世界的権威で、駐日大使ともなったA・K・ライシャワー博士の
の生家を、港区白金台から1965年に移築したもので、「ライシャワー館」と呼ばれ
ているという。

 東村山市市制30周年の平成6年(1994)に選定された「東村山30景」のひと
つでもある。

 明治学院のそばにある、南台公園を抜ける。

 
 くるみの木が何本もあり、実がかなり大きくなっていた。


 園内には、同じ型のトイレが4つも並んでいて、「とんがりぼうしトイレ」の愛称が
ついていた。


 やはり集合住宅が並ぶ富士見一丁目を進んで、東村山市立富士見図書館に寄り、
東村山市の郷土資料などをのぞく。入口にあった冷水器の冷水が、猛暑の中を歩い
てきたのどにしみ通った。

 北東に少しで、西武多摩湖線の南側沿いの、都立東村山中央公園に入る。

 旧通産省機械試験場跡地を活用したもので、広葉樹などに覆われた広い緑陰は、
厳しい暑さを和らげてくれる。

 公園の北東端にあった富士見文化センターの中を抜け、栄町三丁目の住宅街から
府中街道に出て、ゴールの八坂神社に12時5分に着いた。
  
 今日はちょうど夏祭りの日。広い境内には露店が並び、飾り付けも華やかで、たく
さんの東村山市民が詰めかけていた。  


 八坂神社は、近くの正福寺の創建された弘安元年(1278)ころか、国宝である
正福寺の千体地蔵堂が創建された応永14年(1407)ころと考えられているという。

 現在の社殿は、平成元年(1989)に新築されたとのこと。 
 
 私たちは、本殿右手前の広葉樹に覆われた緑陰で昼食後、ミーティングをする。

 やまさんの地元、葛飾区柴又ゆかりの寅さんの命日が、間もなくの8月4日との
ことで、寅さんの歌を合唱したり、配布された今日の地図に記された地形図記号が
何かとのクイズをしたりした後、散会となる。


 境内には、りっぱな山車や大太鼓、みこしなどが並んでいた。




 13時半からみこしが練り歩くとのことだったが、暑かったので13時前に神社を
出て、西武新宿線東村山駅から帰路についた。

(天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 東村山市、小平市、歩数
 6,600)


 

 
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