2018年4月28日(土)
春のゴールデンウィークの初日は快晴で爽やかな日和との予報なので、2週連続でJR
東日本の駅からハイキングに参加することにした。
今回は乗り換え4回で行く予定だったが、小田急の乗り換え駅を間違えて相模鉄道も迂
回することになり、10時18分にJR相模線の寒川(さむかわ)駅に着いた。
駅からハイキングのタイトルは「思い出の西寒川駅・寒川支線跡を訪ねる寒川歴史散歩」。
駅前の寒川町観光協会で受付を済ませ、10時26分にスタートした。
東に少し、岡田交差点で右折して県道45号を線路手前で分かれ、線路に平行する道を
進んで寒川東中沿いに進む。その先からは田園地帯になり展望が広がる。
半円形に流れがカーブする小出川の寺尾橋を渡る。南東に200m足らずで、下寺尾官
衙(しもてらおかんが)遺跡群の「七堂伽藍跡(しちどうがらんあと)」碑が立っていた。
この辺りは約1,300年前の遺跡群で、相模国高座郡(こうざぐん)の郡役所があった
ところ。7世紀前半から9世紀後半にかけて寺院があったと考えられ、平成27(2015)
年に国の史跡に指定されている。
南西側に広い空き地があり、官衙遺跡群の地図や下寺尾廃寺、高座郡家、祭祀場などの
詳細な説明板が設けられていた。
ここから北西には、JR相模線の小出川橋梁の向こうに日本三百名山の大山(おおやま)
(1,252m)などが望まれる。
寺尾橋の手前まで戻り.JRの踏切を越えて南西へ、300m前後進んで住宅の間を西
進する。三差路際の小緑地に、「高安善塚(こうあんぜんづか)」の説明板が立っていた。
一説では、尼さんが、七堂伽藍の輝きで魚がとれず困っている漁師を助けたいと思う一
心でお堂を焼き払い、その罪で火あぶりの刑を受けたと言われ、その尼さんを供養したの
がこの高安善塚だとされているようだ。
すぐ先で県道44号に出て北西へ、景観寺(けいかんじ)前交差点際にある景観寺の山
門を入る。
本尊の十一面観音菩薩立像は室町時代の作と推定され、寒川町文化財第1号に登録され
ている。山門際で2色のツツジが色を競っていた。
200m足らずには一之宮八幡大神(はちまんおおかみ)が祭られている。
創立は元禄10(1697)年と伝えられているが、梶原景時(かじわらかげとき)が
この地一之宮に館(やかた)を構え、鬼門除けの神社として創建されたという説もあるよ
う。
拝殿には精巧な龍の木彫が施され、拝殿西側にはご神木の太いイチョウが新緑の彩りを
見せる。
さらに200m余りで妙光寺(みょうこうじ)に入る。堂々と構える本堂は昨年改築さ
れたようで新しい。本堂前の日蓮聖人像近くには、鯉のぼりが爽やかな薫風に泳いでいた。
近くに長屋門を構えた民家があり、門柱に古い電話番号札が残っているのが目につく。
県道46号交差点近くの天満宮入口に、「梶原景時館址(やかたあと)」碑が立つ。
梶原景時は、治承4(1180)年の源頼朝挙兵時、石橋山の合戦で逃れた頼朝の命を
救い、家臣となった。一宮を所領としてこの地に広大な館を構え、この場所は物見の場所
として一段高く構築したとも伝えられているという。
天満宮はカシの木の下に祭られ、そばのヒトツバタゴに真っ白な花がたくさん咲く。
県道46号を歩道橋で越え、一宮小の北側を進む。道路側植え込みに、ミニ富士山が造
られていた。
さらに県道を西に400m余りで、八角広場という小公園がある。この場所は、旧国鉄
相模線西寒川支線の西寒川駅があったところ。
開業は大正11(1922)年で、当時は相模川の砂利輸送の貨物線だったが、昭和19
(1944)年に旅客営業を開始し昭和59(1984)年3月末で廃止になったという。
八角広場というのは八角形の噴水があるからだが、今日は水も無く噴水は上がらない。
広場には「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」碑や線路敷が残っていた。
その先北東に向かって約900mは、西寒川支線の線路跡を活用した一之宮緑道を進む。
ツツジが咲き、緑陰が多くて気持ちよい。
ところどころに線路や車輪が保存され、中ほどの一之宮公園には200mを超える長い
線路敷が残る。廃線跡を活用した緑道は各地で何か所か歩いたが、こんなに長く線路が残
るところは無かった。
緑道が終わり、大門踏切前交差点で北へ、すぐにJR相模線の踏切を越えて寒川神社の
一の鳥居をくぐる。
両側のうっそうとした寒川神社の森は、「かながわの美林50選」に選定されている。
すぐ先を左手に入ると、昭和11(1936)年に造られた水道記念碑が立っていた。
そばの門を入り、赤レンガ造りの水道記念館を12時25分から観覧する。
水道記念館は、神奈川県営水道発祥の建物を活用した施設で、水について学びながら遊
べるという(入館無料)。
1階は「アクアプレイランド」、2階は「水道まるみえゾーン」と呼ばれ、直接触るな
どして、子どもたちにも水道の仕組みが容易に理解できるような展示になっていた。
記念館の建物は、歴史的価値が認められ「近代水道百選」「日本近代土木遺産」などに
選定され、館前には、かつてこの建物で使用されていた送水ポンプが展示されている。
館の前にはカッパの噴水があり、周辺の緑地はせせらぎの流れる「水の広場」になって
いて、多くの町民が訪れていた。私も緑陰のベンチで昼食とした。
ちなみに、館の西北側一帯は寒川浄水場で、昭和8(1933)年に県営水道が創設さ
れた際、その要となる浄水場として設けられ、現在も県民の飲料水を造り続けているとい
う。
12時58分に水の広場を後にした。浄水場横を進んで北端に達すると、流れを越える
太い送水管が2本並んでいた。
大門踏切前交差点から、境内林の無くなった参道に戻り北に向かう。東側畑の向こうに、
後で回る体育館の建物が望まれる。
千秋園と呼ぶ鉢花や生花直売所の先で、大きな二の鳥居をくぐる。昭和41(1966)
年完成の鉄筋コンクリと造りで、幅22.3mあり、神奈川県内最大級とか。
次の交差点際にも、さらに太い送水管が川を越えていた。
寒川神社前交差点の手前で、右手にある西善院(さいぜんいん)に入る。西善院は寒川
神社関連の寺だったが、明治維新後の神仏分離令で独立したよう。
本堂前に、握手するとお大師(弘法大師)さまと縁を結ぶことができるという握手大師
像が立っていたので、私も握手してご縁をいただく。本堂横のシャクナゲが、大きな花を
つけていた。
そばの交差点を越えて神池橋を渡り、相模国一之宮、寒川神社の三の鳥居を入る。
寒川神社は少なくとも1600年の歴史があり、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょう
ちよう)には、相模国唯一の名神大社と定められているとか。鎌倉幕府を開いた源頼朝や、
小田原北条氏(氏綱、氏康等)、武田信玄、徳川家康など武将の崇敬が厚かったという。
三の鳥居を入ってすぐ近くに、寛政8(1796)年に寄進され、安政2(1855)
年の江戸大地震と大正12(1923)年の関東大震災の2度にわたり倒壊したという
一の鳥居が保残されていた。
神門をくぐり正面の拝殿に参拝する。神門と拝殿とは東西の回廊で結ばれている。神門
の手前には、数え切れないほどのおみくじが奉納されていた。
拝殿の右手前に、方位盤(ほういばん)と渾天儀(こんてんぎ)がある。寒川神社は全
国唯一の八方除けの守護神で、方位盤と四神の彫塑、渾天儀という八方除けにちなむ三つ
の構造物の構成による記念碑を、平成24(2012)年に制作したという。
神苑のクスノキは、新緑みずみずしい彩り。境内には、国家「君が代」に歌われた岐阜
県伊吹山産の天然記念物「さざれ石」もある。
三の鳥居に戻らず、東南側の駐車場際から寒川神社を出た。東側にコース外だが、相模
地蔵尊の案内板と興善寺(こうぜんじ)の大本堂が見えたので立ち寄ることにした。
道路際に鈴付き錫杖(しゃくじょう)を持つ地蔵母子像があり、その横に立つ大きな地
蔵菩薩像が相模地蔵尊↓である。
寺の開創は天正14(1586)年と伝えられ、境内には安永7(1778)年造立の
地蔵菩薩坐像があり、とんがらし坐像とか、いぼとり地蔵とも呼ばれているよう。
傍らに、貞治6(1367)年と翌7年の建立で、地蔵信仰に関わりあり寒川町最古と
いう宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並んでいる。
ほかに、「畜霊碑」と「ペンドレーバグルボーイ二世号之墓」が目に入る。
畜霊碑は町内で飼育されて食生活に貢献した家畜に感謝するためのもの。ベンドレーバ
グルボーイ二世号は高座豚(こうざぶた)の元祖で、昭和6(1931)年に英国から輸
入して種付け頭数は600頭に及び、高座豚の基礎を確立した豚だという。
松の木の下には二宮金次郎像もあり、見どころの多い寺院だった。
南に少しで田園地帯を貫く農道へ。爽やかな向かい風が気持ちよい。突き当たりを左折
して寒川総合体育館を目指す。路傍のシオンが花盛り。西側、二ノ鳥居の向こうには、少
し霞む大山が望まれる。
体育館の南側一帯は「さむかわ中央公園」で、葉桜となったソメイヨシノが多く、連休
初日を憩う町民も多数見られた。
公園南西端の交差点を渡り、西側の「ファーマーズマーケットわいわい市」が最後のポ
イント。
JAさがみ野の大型農産物直売所で、地元湘南地方の農産物を販売している。寒川町特
産の花や野菜、苗木などが多数販売され、大勢の客で賑わう。
私は、茅ヶ崎アンダーギーを購入した。外の苗木コーナーには、珍しい紫色のシャクナ
ゲが目についた。
わいわい市を出て、南西にカーブする通りを進んで寒川町役場前を過ぎる。駅前に近づ
くと通りが広がり、無電柱化が済んでいた。観光協会に戻ってアンケートを提出し、ゴー
ルの寒川駅には14時35分に入る。
この日、近くの海老名の最高気温は夏日に近い24.7℃。だが爽やかな風があり、快
晴で気持ちよい新緑のウオーキングだった。
(天気 快晴、距離 9㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 藤沢)、
歩行地 寒川町、茅ヶ崎市(少し)歩数 16,700)
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春のゴールデンウィークの初日は快晴で爽やかな日和との予報なので、2週連続でJR
東日本の駅からハイキングに参加することにした。
今回は乗り換え4回で行く予定だったが、小田急の乗り換え駅を間違えて相模鉄道も迂
回することになり、10時18分にJR相模線の寒川(さむかわ)駅に着いた。
駅からハイキングのタイトルは「思い出の西寒川駅・寒川支線跡を訪ねる寒川歴史散歩」。
駅前の寒川町観光協会で受付を済ませ、10時26分にスタートした。
東に少し、岡田交差点で右折して県道45号を線路手前で分かれ、線路に平行する道を
進んで寒川東中沿いに進む。その先からは田園地帯になり展望が広がる。
半円形に流れがカーブする小出川の寺尾橋を渡る。南東に200m足らずで、下寺尾官
衙(しもてらおかんが)遺跡群の「七堂伽藍跡(しちどうがらんあと)」碑が立っていた。
この辺りは約1,300年前の遺跡群で、相模国高座郡(こうざぐん)の郡役所があった
ところ。7世紀前半から9世紀後半にかけて寺院があったと考えられ、平成27(2015)
年に国の史跡に指定されている。
南西側に広い空き地があり、官衙遺跡群の地図や下寺尾廃寺、高座郡家、祭祀場などの
詳細な説明板が設けられていた。
ここから北西には、JR相模線の小出川橋梁の向こうに日本三百名山の大山(おおやま)
(1,252m)などが望まれる。
寺尾橋の手前まで戻り.JRの踏切を越えて南西へ、300m前後進んで住宅の間を西
進する。三差路際の小緑地に、「高安善塚(こうあんぜんづか)」の説明板が立っていた。
一説では、尼さんが、七堂伽藍の輝きで魚がとれず困っている漁師を助けたいと思う一
心でお堂を焼き払い、その罪で火あぶりの刑を受けたと言われ、その尼さんを供養したの
がこの高安善塚だとされているようだ。
すぐ先で県道44号に出て北西へ、景観寺(けいかんじ)前交差点際にある景観寺の山
門を入る。
本尊の十一面観音菩薩立像は室町時代の作と推定され、寒川町文化財第1号に登録され
ている。山門際で2色のツツジが色を競っていた。
200m足らずには一之宮八幡大神(はちまんおおかみ)が祭られている。
創立は元禄10(1697)年と伝えられているが、梶原景時(かじわらかげとき)が
この地一之宮に館(やかた)を構え、鬼門除けの神社として創建されたという説もあるよ
う。
拝殿には精巧な龍の木彫が施され、拝殿西側にはご神木の太いイチョウが新緑の彩りを
見せる。
さらに200m余りで妙光寺(みょうこうじ)に入る。堂々と構える本堂は昨年改築さ
れたようで新しい。本堂前の日蓮聖人像近くには、鯉のぼりが爽やかな薫風に泳いでいた。
近くに長屋門を構えた民家があり、門柱に古い電話番号札が残っているのが目につく。
県道46号交差点近くの天満宮入口に、「梶原景時館址(やかたあと)」碑が立つ。
梶原景時は、治承4(1180)年の源頼朝挙兵時、石橋山の合戦で逃れた頼朝の命を
救い、家臣となった。一宮を所領としてこの地に広大な館を構え、この場所は物見の場所
として一段高く構築したとも伝えられているという。
天満宮はカシの木の下に祭られ、そばのヒトツバタゴに真っ白な花がたくさん咲く。
県道46号を歩道橋で越え、一宮小の北側を進む。道路側植え込みに、ミニ富士山が造
られていた。
さらに県道を西に400m余りで、八角広場という小公園がある。この場所は、旧国鉄
相模線西寒川支線の西寒川駅があったところ。
開業は大正11(1922)年で、当時は相模川の砂利輸送の貨物線だったが、昭和19
(1944)年に旅客営業を開始し昭和59(1984)年3月末で廃止になったという。
八角広場というのは八角形の噴水があるからだが、今日は水も無く噴水は上がらない。
広場には「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」碑や線路敷が残っていた。
その先北東に向かって約900mは、西寒川支線の線路跡を活用した一之宮緑道を進む。
ツツジが咲き、緑陰が多くて気持ちよい。
ところどころに線路や車輪が保存され、中ほどの一之宮公園には200mを超える長い
線路敷が残る。廃線跡を活用した緑道は各地で何か所か歩いたが、こんなに長く線路が残
るところは無かった。
緑道が終わり、大門踏切前交差点で北へ、すぐにJR相模線の踏切を越えて寒川神社の
一の鳥居をくぐる。
両側のうっそうとした寒川神社の森は、「かながわの美林50選」に選定されている。
すぐ先を左手に入ると、昭和11(1936)年に造られた水道記念碑が立っていた。
そばの門を入り、赤レンガ造りの水道記念館を12時25分から観覧する。
水道記念館は、神奈川県営水道発祥の建物を活用した施設で、水について学びながら遊
べるという(入館無料)。
1階は「アクアプレイランド」、2階は「水道まるみえゾーン」と呼ばれ、直接触るな
どして、子どもたちにも水道の仕組みが容易に理解できるような展示になっていた。
記念館の建物は、歴史的価値が認められ「近代水道百選」「日本近代土木遺産」などに
選定され、館前には、かつてこの建物で使用されていた送水ポンプが展示されている。
館の前にはカッパの噴水があり、周辺の緑地はせせらぎの流れる「水の広場」になって
いて、多くの町民が訪れていた。私も緑陰のベンチで昼食とした。
ちなみに、館の西北側一帯は寒川浄水場で、昭和8(1933)年に県営水道が創設さ
れた際、その要となる浄水場として設けられ、現在も県民の飲料水を造り続けているとい
う。
12時58分に水の広場を後にした。浄水場横を進んで北端に達すると、流れを越える
太い送水管が2本並んでいた。
大門踏切前交差点から、境内林の無くなった参道に戻り北に向かう。東側畑の向こうに、
後で回る体育館の建物が望まれる。
千秋園と呼ぶ鉢花や生花直売所の先で、大きな二の鳥居をくぐる。昭和41(1966)
年完成の鉄筋コンクリと造りで、幅22.3mあり、神奈川県内最大級とか。
次の交差点際にも、さらに太い送水管が川を越えていた。
寒川神社前交差点の手前で、右手にある西善院(さいぜんいん)に入る。西善院は寒川
神社関連の寺だったが、明治維新後の神仏分離令で独立したよう。
本堂前に、握手するとお大師(弘法大師)さまと縁を結ぶことができるという握手大師
像が立っていたので、私も握手してご縁をいただく。本堂横のシャクナゲが、大きな花を
つけていた。
そばの交差点を越えて神池橋を渡り、相模国一之宮、寒川神社の三の鳥居を入る。
寒川神社は少なくとも1600年の歴史があり、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょう
ちよう)には、相模国唯一の名神大社と定められているとか。鎌倉幕府を開いた源頼朝や、
小田原北条氏(氏綱、氏康等)、武田信玄、徳川家康など武将の崇敬が厚かったという。
三の鳥居を入ってすぐ近くに、寛政8(1796)年に寄進され、安政2(1855)
年の江戸大地震と大正12(1923)年の関東大震災の2度にわたり倒壊したという
一の鳥居が保残されていた。
神門をくぐり正面の拝殿に参拝する。神門と拝殿とは東西の回廊で結ばれている。神門
の手前には、数え切れないほどのおみくじが奉納されていた。
拝殿の右手前に、方位盤(ほういばん)と渾天儀(こんてんぎ)がある。寒川神社は全
国唯一の八方除けの守護神で、方位盤と四神の彫塑、渾天儀という八方除けにちなむ三つ
の構造物の構成による記念碑を、平成24(2012)年に制作したという。
神苑のクスノキは、新緑みずみずしい彩り。境内には、国家「君が代」に歌われた岐阜
県伊吹山産の天然記念物「さざれ石」もある。
三の鳥居に戻らず、東南側の駐車場際から寒川神社を出た。東側にコース外だが、相模
地蔵尊の案内板と興善寺(こうぜんじ)の大本堂が見えたので立ち寄ることにした。
道路際に鈴付き錫杖(しゃくじょう)を持つ地蔵母子像があり、その横に立つ大きな地
蔵菩薩像が相模地蔵尊↓である。
寺の開創は天正14(1586)年と伝えられ、境内には安永7(1778)年造立の
地蔵菩薩坐像があり、とんがらし坐像とか、いぼとり地蔵とも呼ばれているよう。
傍らに、貞治6(1367)年と翌7年の建立で、地蔵信仰に関わりあり寒川町最古と
いう宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並んでいる。
ほかに、「畜霊碑」と「ペンドレーバグルボーイ二世号之墓」が目に入る。
畜霊碑は町内で飼育されて食生活に貢献した家畜に感謝するためのもの。ベンドレーバ
グルボーイ二世号は高座豚(こうざぶた)の元祖で、昭和6(1931)年に英国から輸
入して種付け頭数は600頭に及び、高座豚の基礎を確立した豚だという。
松の木の下には二宮金次郎像もあり、見どころの多い寺院だった。
南に少しで田園地帯を貫く農道へ。爽やかな向かい風が気持ちよい。突き当たりを左折
して寒川総合体育館を目指す。路傍のシオンが花盛り。西側、二ノ鳥居の向こうには、少
し霞む大山が望まれる。
体育館の南側一帯は「さむかわ中央公園」で、葉桜となったソメイヨシノが多く、連休
初日を憩う町民も多数見られた。
公園南西端の交差点を渡り、西側の「ファーマーズマーケットわいわい市」が最後のポ
イント。
JAさがみ野の大型農産物直売所で、地元湘南地方の農産物を販売している。寒川町特
産の花や野菜、苗木などが多数販売され、大勢の客で賑わう。
私は、茅ヶ崎アンダーギーを購入した。外の苗木コーナーには、珍しい紫色のシャクナ
ゲが目についた。
わいわい市を出て、南西にカーブする通りを進んで寒川町役場前を過ぎる。駅前に近づ
くと通りが広がり、無電柱化が済んでいた。観光協会に戻ってアンケートを提出し、ゴー
ルの寒川駅には14時35分に入る。
この日、近くの海老名の最高気温は夏日に近い24.7℃。だが爽やかな風があり、快
晴で気持ちよい新緑のウオーキングだった。
(天気 快晴、距離 9㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 藤沢)、
歩行地 寒川町、茅ヶ崎市(少し)歩数 16,700)
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