あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

JR東日本駅からハイキングでJR相模線の寒川駅周辺を歩く(神奈川・寒川町)

2018-04-30 21:29:34 | ウオーキング
 2018年4月28日(土)

 春のゴールデンウィークの初日は快晴で爽やかな日和との予報なので、2週連続でJR
東日本の駅からハイキングに参加することにした。

 今回は乗り換え4回で行く予定だったが、小田急の乗り換え駅を間違えて相模鉄道も迂
回することになり、10時18分にJR相模線の寒川(さむかわ)駅に着いた。


 駅からハイキングのタイトルは「思い出の西寒川駅・寒川支線跡を訪ねる寒川歴史散歩」。
駅前の寒川町観光協会で受付を済ませ、10時26分にスタートした。


 東に少し、岡田交差点で右折して県道45号を線路手前で分かれ、線路に平行する道を
進んで寒川東中沿いに進む。その先からは田園地帯になり展望が広がる。

 半円形に流れがカーブする小出川の寺尾橋を渡る。南東に200m足らずで、下寺尾官
衙(しもてらおかんが)遺跡群の「七堂伽藍跡(しちどうがらんあと)」碑が立っていた。
     
 この辺りは約1,300年前の遺跡群で、相模国高座郡(こうざぐん)の郡役所があった
ところ。7世紀前半から9世紀後半にかけて寺院があったと考えられ、平成27(2015)
年に国の史跡に指定されている。


 南西側に広い空き地があり、官衙遺跡群の地図や下寺尾廃寺、高座郡家、祭祀場などの
詳細な説明板が設けられていた。


 ここから北西には、JR相模線の小出川橋梁の向こうに日本三百名山の大山(おおやま)
(1,252m)などが望まれる。


 寺尾橋の手前まで戻り.JRの踏切を越えて南西へ、300m前後進んで住宅の間を西
進する。三差路際の小緑地に、「高安善塚(こうあんぜんづか)」の説明板が立っていた。
     
 一説では、尼さんが、七堂伽藍の輝きで魚がとれず困っている漁師を助けたいと思う一
心でお堂を焼き払い、その罪で火あぶりの刑を受けたと言われ、その尼さんを供養したの
がこの高安善塚だとされているようだ。

 すぐ先で県道44号に出て北西へ、景観寺(けいかんじ)前交差点際にある景観寺の山
門を入る。
     
 本尊の十一面観音菩薩立像は室町時代の作と推定され、寒川町文化財第1号に登録され
ている。山門際で2色のツツジが色を競っていた。


        

 200m足らずには一之宮八幡大神(はちまんおおかみ)が祭られている。
        
 創立は元禄10(1697)年と伝えられているが、梶原景時(かじわらかげとき)が
この地一之宮に館(やかた)を構え、鬼門除けの神社として創建されたという説もあるよ
う。


 拝殿には精巧な龍の木彫が施され、拝殿西側にはご神木の太いイチョウが新緑の彩りを
見せる。



 さらに200m余りで妙光寺(みょうこうじ)に入る。堂々と構える本堂は昨年改築さ
れたようで新しい。本堂前の日蓮聖人像近くには、鯉のぼりが爽やかな薫風に泳いでいた。
     


 近くに長屋門を構えた民家があり、門柱に古い電話番号札が残っているのが目につく。
        

 県道46号交差点近くの天満宮入口に、「梶原景時館址(やかたあと)」碑が立つ。
     
 梶原景時は、治承4(1180)年の源頼朝挙兵時、石橋山の合戦で逃れた頼朝の命を
救い、家臣となった。一宮を所領としてこの地に広大な館を構え、この場所は物見の場所
として一段高く構築したとも伝えられているという。

     
 天満宮はカシの木の下に祭られ、そばのヒトツバタゴに真っ白な花がたくさん咲く。


 県道46号を歩道橋で越え、一宮小の北側を進む。道路側植え込みに、ミニ富士山が造
られていた。


 さらに県道を西に400m余りで、八角広場という小公園がある。この場所は、旧国鉄
相模線西寒川支線の西寒川駅があったところ。

 開業は大正11(1922)年で、当時は相模川の砂利輸送の貨物線だったが、昭和19
(1944)年に旅客営業を開始し昭和59(1984)年3月末で廃止になったという。


 八角広場というのは八角形の噴水があるからだが、今日は水も無く噴水は上がらない。
広場には「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」碑や線路敷が残っていた。




 その先北東に向かって約900mは、西寒川支線の線路跡を活用した一之宮緑道を進む。
ツツジが咲き、緑陰が多くて気持ちよい。
     



 ところどころに線路や車輪が保存され、中ほどの一之宮公園には200mを超える長い
線路敷が残る。廃線跡を活用した緑道は各地で何か所か歩いたが、こんなに長く線路が残
るところは無かった。


     





 緑道が終わり、大門踏切前交差点で北へ、すぐにJR相模線の踏切を越えて寒川神社の
一の鳥居をくぐる。

 両側のうっそうとした寒川神社の森は、「かながわの美林50選」に選定されている。

     
 すぐ先を左手に入ると、昭和11(1936)年に造られた水道記念碑が立っていた。
そばの門を入り、赤レンガ造りの水道記念館を12時25分から観覧する。

 水道記念館は、神奈川県営水道発祥の建物を活用した施設で、水について学びながら遊
べるという(入館無料)。


 1階は「アクアプレイランド」、2階は「水道まるみえゾーン」と呼ばれ、直接触るな
どして、子どもたちにも水道の仕組みが容易に理解できるような展示になっていた。


 記念館の建物は、歴史的価値が認められ「近代水道百選」「日本近代土木遺産」などに
選定され、館前には、かつてこの建物で使用されていた送水ポンプが展示されている。


     
 館の前にはカッパの噴水があり、周辺の緑地はせせらぎの流れる「水の広場」になって
いて、多くの町民が訪れていた。私も緑陰のベンチで昼食とした。


 ちなみに、館の西北側一帯は寒川浄水場で、昭和8(1933)年に県営水道が創設さ
れた際、その要となる浄水場として設けられ、現在も県民の飲料水を造り続けているとい
う。

 12時58分に水の広場を後にした。浄水場横を進んで北端に達すると、流れを越える
太い送水管が2本並んでいた。


 大門踏切前交差点から、境内林の無くなった参道に戻り北に向かう。東側畑の向こうに、
後で回る体育館の建物が望まれる。


 千秋園と呼ぶ鉢花や生花直売所の先で、大きな二の鳥居をくぐる。昭和41(1966)
年完成の鉄筋コンクリと造りで、幅22.3mあり、神奈川県内最大級とか。


 次の交差点際にも、さらに太い送水管が川を越えていた。


 寒川神社前交差点の手前で、右手にある西善院(さいぜんいん)に入る。西善院は寒川
神社関連の寺だったが、明治維新後の神仏分離令で独立したよう。


 本堂前に、握手するとお大師(弘法大師)さまと縁を結ぶことができるという握手大師
像が立っていたので、私も握手してご縁をいただく。本堂横のシャクナゲが、大きな花を
つけていた。
        

    

 そばの交差点を越えて神池橋を渡り、相模国一之宮、寒川神社の三の鳥居を入る。

 寒川神社は少なくとも1600年の歴史があり、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょう
ちよう)には、相模国唯一の名神大社と定められているとか。鎌倉幕府を開いた源頼朝や、
小田原北条氏(氏綱、氏康等)、武田信玄、徳川家康など武将の崇敬が厚かったという。

 三の鳥居を入ってすぐ近くに、寛政8(1796)年に寄進され、安政2(1855)
年の江戸大地震と大正12(1923)年の関東大震災の2度にわたり倒壊したという
一の鳥居が保残されていた。



 神門をくぐり正面の拝殿に参拝する。神門と拝殿とは東西の回廊で結ばれている。神門
の手前には、数え切れないほどのおみくじが奉納されていた。


 拝殿の右手前に、方位盤(ほういばん)と渾天儀(こんてんぎ)がある。寒川神社は全
国唯一の八方除けの守護神で、方位盤と四神の彫塑、渾天儀という八方除けにちなむ三つ
の構造物の構成による記念碑を、平成24(2012)年に制作したという。
        

     
 神苑のクスノキは、新緑みずみずしい彩り。境内には、国家「君が代」に歌われた岐阜
県伊吹山産の天然記念物「さざれ石」もある。
    

 三の鳥居に戻らず、東南側の駐車場際から寒川神社を出た。東側にコース外だが、相模
地蔵尊の案内板と興善寺(こうぜんじ)の大本堂が見えたので立ち寄ることにした。


 道路際に鈴付き錫杖(しゃくじょう)を持つ地蔵母子像があり、その横に立つ大きな地
蔵菩薩像が相模地蔵尊↓である。
     

 寺の開創は天正14(1586)年と伝えられ、境内には安永7(1778)年造立の
地蔵菩薩坐像があり、とんがらし坐像とか、いぼとり地蔵とも呼ばれているよう。
     

 傍らに、貞治6(1367)年と翌7年の建立で、地蔵信仰に関わりあり寒川町最古と
いう宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並んでいる。
        

 ほかに、「畜霊碑」と「ペンドレーバグルボーイ二世号之墓」が目に入る。

 畜霊碑は町内で飼育されて食生活に貢献した家畜に感謝するためのもの。ベンドレーバ
グルボーイ二世号は高座豚(こうざぶた)の元祖で、昭和6(1931)年に英国から輸
入して種付け頭数は600頭に及び、高座豚の基礎を確立した豚だという。

 松の木の下には二宮金次郎像もあり、見どころの多い寺院だった。
     


 南に少しで田園地帯を貫く農道へ。爽やかな向かい風が気持ちよい。突き当たりを左折
して寒川総合体育館を目指す。路傍のシオンが花盛り。西側、二ノ鳥居の向こうには、少
し霞む大山が望まれる。



 体育館の南側一帯は「さむかわ中央公園」で、葉桜となったソメイヨシノが多く、連休
初日を憩う町民も多数見られた。


 公園南西端の交差点を渡り、西側の「ファーマーズマーケットわいわい市」が最後のポ
イント。

 JAさがみ野の大型農産物直売所で、地元湘南地方の農産物を販売している。寒川町特
産の花や野菜、苗木などが多数販売され、大勢の客で賑わう。




 私は、茅ヶ崎アンダーギーを購入した。外の苗木コーナーには、珍しい紫色のシャクナ
ゲが目についた。
        

 わいわい市を出て、南西にカーブする通りを進んで寒川町役場前を過ぎる。駅前に近づ
くと通りが広がり、無電柱化が済んでいた。観光協会に戻ってアンケートを提出し、ゴー
ルの寒川駅には14時35分に入る。


 この日、近くの海老名の最高気温は夏日に近い24.7℃。だが爽やかな風があり、快
晴で気持ちよい新緑のウオーキングだった。

(天気 快晴、距離 9㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 藤沢)、
 歩行地 寒川町、茅ヶ崎市(少し)歩数 16,700)




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写真展の観覧などで武蔵浦和駅から北与野駅へ(埼玉・さいたま市)

2018-04-26 21:37:35 | ウオーキング
 2018年4月25日(水)

 午前中はかなりの雨でしたが11時過ぎには上がったので、予定していたさいたま市で
開催中の写真展に行くことにしました。


 12時38分にJR武蔵野線・埼京線の武蔵浦和駅をスタートして、埼京線と東北・上
越・北陸新幹線の高架の東側に平行する「花と緑の散歩道」を北西に進みます。
   
 散歩道の両側には、ちょうど1ヶ月前には満開だったと思われるソメイヨシノの並木が
続きますが、今はすっかり緑に覆われていました。
        
 途中から右にカーブして北に進み、約1㎞で花と緑の散歩道が終わり、こ道橋で県道40
号を越えて別所沼公園に入ります。こ道橋からの別所沼南側の眺め。


 橋を公園に下ったところに松があり、花が咲き出していました。
    

 南北に長い公園の中心部、別所沼の西岸に沿って新緑がみずみずしいメタセコイアの並
木が続き、その間に遊歩道が伸びています。
     



 池の中には2つの噴水があり、よいアクセサリーになっています。


 別所沼の西岸中ほどに弁天島があり、別所沼弁財天が祭られたお堂があるので参拝する
ことにしました。

 島の入口にある、やなせたかしさんデザインの「浦和うなこちゃん」の石像。
        

 別所沼弁財天は、昭和2(1927)年にこの島を構築した小島長次郎氏により東京・
深川の洲崎神社から分祀したようです。


 さいたま市内も午前中かなりの降雨だったようで、境内に残る水溜まり。


 弁天堂には、小さな千羽鶴が何組か奉納されていました。
        

 参拝を終えて遊歩道に戻ろうとしたら、こんな変わった植物が。メタセコイアの子株か
とも思われますがどうなんでしょうか…
    


 さらに、一層増えたメタセコイアの間を北に進みます。たっぷり残った水溜まりが新緑
の木々を倒影していました。
    

                      

 池の北側を東に回って東側の台地に上がり、高砂四丁目の住宅地を進みます。坂を上が
ったところの民家に咲く花。
    

 埼玉県庁の北西端で南北に走る国道17号を横断し、そば処吉田屋で昼食をすることに。
この辺りに来たときには何度か利用しているそば屋さんです。


 具が3種類ある、三昧そば(730円)というのを注文しました。
    

 正午前後は県庁職員などで賑わっていたのでしょうが、13時30分前後だったので席
はガラガラ。


 昼食を終えて国道17号を北へ、3つめの市役所前交差点まで進んでさいたま市役所の
構内に入ります。


 交差点に近い小さい建物、「市民ギャラリー」が今日の目的地。ここで開催中の写真ク
ラブうららの第21回写真展に、カントリーウオークグループのメンバーのNさんが出展
しておられるので、観覧に訪れたのです。
        


 会場では、Nさんなどメンバー7人の方々が各々3点ずつ出展されていて、上高地や裏
磐梯、県内、中国などで撮影した季節や時間を鮮やかに切り取った風景写真が展示されて
いました。


  

     

        
 ちなみに、この写真展の会期は4月29日(日)までです。

 さいたま市役所の本庁舎周辺は、ケヤキなどの豊富な新緑に囲まれています。


 さて、この後は国道17号を北上して、北与野駅そばの書店まで行くことにしました。

 市役所の北側にはNHKさいたま放送局があったので入館しましたが、今年12月から
スタートするという「4K・8Kスーパーハイビジョン」の案内くらいで、特段目につく
ものもなかったのですぐに出ました。



 国道17号を北へ、埼玉りそな銀行の大きなビルのある常盤七交差点で左折しました。


 銀行の西側の通りを北進して、浦和北公園に東南端の門のところから入りました。



 池の近くにツツジが咲き、モミジやイチョウ、ケヤキなどの新緑にあふれています。
      




 公園内には埼玉県立近代美術館↑があり、建物の周辺には近代的で大きな彫刻が何点か
野外展示されていました。


     



     

 北側の噴水池からはたくさんの噴水が。


 美術館のそばに咲くシャクナゲとクリスマスローズ。
    

        

 浦和北公園を北西端に抜けて、所沢方面に伸びる国道463号を横断し、細い通りを北
へ。次の交差点際にヒトツバタゴの若木があり、たくさんの花が咲いていました。
    
 ヒトツバタゴは、別名「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれる木です。

 再び国道17号に出て西北へ。緩やかに右カーブする北浦和五交差点際に、東京電力パ
ワーグリッドの埼玉総支社ビルがあり、屋上から伸びる高いアンテナ塔が目につきます。
     

 100m余り先の新仲里三丁目に、「二度栗山弘法大師参道」の標示があったので、細
いその通りを西に進み、二度栗山と呼ぶ台地に上がりました。


 ここはかなり以前、与野七福神で来た記憶があり、その後、七福神からは外れてたこと
も知っていましたが、上がってみたら以前より大きくて新しい建物になっていました。

 どうやらこの建物の改築に伴い、七福神の寺から外れたようです。境内西側には出世開
運稲荷神社も祭られていて、寺が神仏混交の地だったことがうかがえます。



 本堂前のソメイヨシノの木の下には、石仏が集められた塔があり、その上に弘法大師の
修行像が祭られていました。
     
 これら石仏は以前は二度栗山の周りに置かれていて、その道筋をたどって回ると四国霊
場を巡拝したのと同じ功徳が得られるといわれていたよう。

 その後、地域開発や石仏の風化、紛失などによりここ一ヶ所にまとめたとのことです。

 二度栗山の東側の道を300m前後進んで、国道17号に出たところには、中里稲荷神
社がありました。

 中里稲荷神社は、この地中里と隣接する下落合とともにその昔、地元で「九人組(きゅ
うにんぐみ)」と呼ばれる9軒の先祖が開いたときに鎮守として祭られ、文政9(1826)
年編さんの「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」にも記され、境内にある
力石には明和2(1765)年の年号が刻まれているようです。
    
 力石は二つあり、重量は26貫目(97㎏)と27貫目(101㎏)とのこと。

 すぐ北側には大日堂があり、六地蔵と少し大きいお地蔵さんが立っていました。


        

 国道をさらに500mほどの下落合交差点からは、北側間近にさいたま新都心の高層ビ
ルが望まれます。


 この辺りは、合併してさいたま市になる前は与野市(よのし)だったので、当時のマン
ホールも。
     

 国道17号はJR埼京線の北与野駅下で、埼京線と東北・上越・北陸新幹線高架下を北
に抜けました。そばにあるビルの大型書店・書楽(しょらく)が、今日のもうつの目的地
です。

 書楽に入り、地図売り場で2万5千分の1地形図を2枚購入しました。ここには全国の
地形図が揃っていますが、埼玉県内で全国の地形図を置いている書店はここだけではない
かと思われます。


 JR埼京線の北与野駅には15時53分に入り、16時04分発上り電車に乗りました。

(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市南区、浦和
 区、中央区、歩数 13,400)  




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JR東日本駅からハイキングで小机駅北部を歩く(神奈川・横浜)

2018-04-24 10:33:51 | ウオーキング
 2018年4月21日(土)

 最高気温が25℃を超える予報だったが、JR東日本の駅からハイキング『触れよう!
”歴史”感じよう!”自然”イイね「小机春の散策」♪』というコースに参加した。

 スタートはJR横浜線の小机(こづくえ)駅。この辺りのウオーキングは初めてだが、
我が家の最寄り駅からは元町・中華街行き直通電車で、乗り換えは東横線菊名駅の1回だ
けで済み、10時10分に小机駅に着いた。



 改札を出て受付を済ませ、10時20分に南口からスタートした。県道12号に出て西
にすぐ、南西への細道を入ると突き当たりが雲松院である。

 曹洞宗の寺で、小机城主だった小田原北条氏の家老・笠原越前守信為が、主君北条早雲
と実父信隆の菩提を弔うために建立したとか。

 山門を入ると境内はやわらかな新緑に包まれ、足下に紅白のツツジが色鮮やかに並ぶ。
2本のシダレザクラは新緑に覆われ、刈り込まれたツツジもあちこちに咲く。




 宝暦3(1753)年建立の本堂と安政5(1858)年建立の山門は、横浜市の有形
文化財に指定されている。



 本堂背後の斜面上にも何色かのツツジが咲き競い、右手斜面にはたくさんのフジが開花
していた。


 県道12号に戻り西に向かう。小机土井谷戸交差点を右折して北へ、JR横浜線の踏切
先のT字路を西に入り、南北に走る国道466号・第三京浜道路際まで進む。


 北側の台地は「小机城址市民の森」で、もうそう竹に浸食された林間の急坂を上がると
空堀(からぼり)↓があり、さらに上がって本丸広場に出た。



 小机城は、鶴見川に突き出た丘陵上の要害で、室町時代の15世紀半ば頃までには築城
されたと考えられるとのこと。

 戦国時代には、小田原北条氏の関東進出で重要な軍事拠点となり、城も改築したよう。
北条氏の重臣・笠原越前守信為が城代となった後、北条三郎、氏信、氏堯(うじたか)、
氏満が城主になっている。


 豊臣秀吉の小田原攻めでは戦闘の記録はなく、徳川家康の関東入り後に廃城になり、現
在は「小机城址市民の森」として整備され、大きな空堀や土塁(どるい)、本丸、二の丸
などが、ほぼ原型のまま残されているという。
     
 本丸広場から竹林などの間を北東に進んで二の丸広場に行き、折り返すように遊歩道を
櫓台(やぐらだい)、土塁、空堀などの説明を見ながら本丸跡に戻る。

 二の丸広場


      櫓台
     

 本丸跡には、「横浜市内城址の分布図」もあり、幾つもの城跡があることが分かった。
     

 T字路に戻って北へ、新横浜公園沿いの広い道路に出て、東に少しで鶴見川流域センタ
ーに入る。


 北側を東西に流れる鶴見川の防災・洪水の情報パネル展示や、鶴見川流域の航空写真、
流域の生き物を展示した水族館などがあるが、今日は1階の水族館のみ公開していたので
一巡して観覧する。


    

 センターの北側から東側にかけての広い一帯は鶴見川多目的遊水池になっていて、新横
浜公園と呼ばれ、北側には野球場、二つの運動場、球技場、草地広場などがあり、多くの
市民が様々な運動や散歩などを楽しんでいた。




 東側は、日産フィールド小机と呼ぶ運動場と、Jリーグ横浜F・マリノスのホームグラ
ンド・日産スタジアムなどがある。


 鶴見川多目的遊水池は、鶴見川の洪水流を一時的に取り込むことで、周辺地域や下流域
を洪水の危険から守るために設けられたもの。総貯水量は390万立方mで、東京ドーム
約3倍分もの水をためることができるという。


 新横浜公園の東寄りにある県道13号・横浜生田線の亀甲橋を渡りながら、草地広場↑
や減勢池↓、鶴見川の流れなどを見下ろし、北側の新羽町(にっぱちょう)に入る。


 鶴見川



 橋のすぐ北に、わずかな境内の浅間神社が祭られていた。北に延びる県道の東側一帯は
新しい住宅地だが、西側台地下には農家らしい古くからの民家が続いている。

 600m余り進んで専念寺入口交差点を西に入り、コースポイントではないがその専念
寺に行く。

 道路際に横浜市の銘木古木に指定されたケヤキが立ち、本堂への階段横などツツジが見
頃である。





 高台にある本堂からは新横浜駅方面のビル街が望まれ、西側にあるハンカチの木に花が
咲く。ハンカチの花を見たのは久しぶり。その先には観音堂がある。
    


 参道の西側には温室が並び、そのひとつに紫色の花が咲いていた。
    

 次のT字路際に地蔵堂があり、その前に明治14(1881)年造立の道祖神が祭られ
ている。


 新羽小学校入口交差点で県道13号に分かれて西へ、新羽小の北側を上がって新羽中の
校門前に出た。校門横の木に、「注連引百万遍(しめびきひゃくまんべん)の藁蛇(わら
へび)」というわらで作った蛇がしばりつけてある。

 天明年間(1781~9)の大飢饉の時にこの地に疫病が流行し、そのとき通りがかっ
た旅の行者から、わらで作った大きな蛇を村の出入り口のヒイラギの木に巻き付け、疫病
から村を守ることを教わったとのこと。それがこの地・中之久保の伝統行事として残り、
横浜市指定無形民俗文化財になっているという。


 すぐ先の突き当たりを右折し、北側の高台にある新羽丘陵公園に12時28分に着き、
ベンチで周辺の豊富な新緑や、南側の新羽小と新羽中、東南側の町並みなどを眺めながら
昼食にした。



 13時50分に公園を出た。公園のそばから西方に高圧送電線が延び、周辺には豊富な
新緑の森や畑などが望まれる。南側の民家では、庭先の鯉のぼりが風をはらんで気持ちよ
さそうに泳いでいる。
     

        
 西側の斜面を下って行くと、路傍の林でシャガがたくさん花を見せる。県道140号・
港北産業道路の大竹交差点に出て、東北へと上がる緩斜面際の民家に、大きなツツジが花
をたくさん見せていた。



 県道を500mほど進み、左手山腹にある西方寺(さいほうじ)の石段を上がる。正面
の山門、本堂、そして鐘楼ともに趣あるかやぶき屋根である。


 西芳寺は建久5(1190)年に鎌倉に建立され、のち鎌倉の極楽寺に移され、室町時
代の明応4(1495)年に海路から鶴見川を遡って当地に移建されたという。

 現在の本堂は享保6(1721)年、鐘楼は宝永5(1708)年、山門は弘化年間
(1844~7)の建立で、いずれも横浜市の文化財に指定されている。


        
 境内のあちこちにアヤメが咲き、モミジやツツジなど緑が豊富で、横浜市の名木古木に
指定されたイチョウも目についた。


 葉桜になったソメイヨシノの並ぶ参道を出て、寺を後にする。台地縁の旧道を北に少し
で、新羽郷総鎮守の杉山神社があった。

 延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記された古社で、言い伝えでは、景行
天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折この地を通過しており、武尊
の崩御後に村民がその徳を慕って創建したという。


 次のT字路を左折して西へ、その先は緩やかなサインカーブ状の道筋が延びている。最
初のカーブを半円状に進んだ辺りに光明寺の看板があり、コースポイント外だが境内に向
かって上がる。

 室町時代の明応5(1496)年の開創で、武相不動尊二十八番霊場の第二十六番札所
のよう。酉年には本堂に祭られた大聖不動明王が開帳されるという。

 石段を上がった本堂は、近年の再建らしくコンクリート造り。高台なので展望がよく、
東側間近に高架になっている横浜市営地下鉄ブルーラインが見下ろせる。


 境内には、やはり市の名木古木のケヤキが立ち、石段際には小さな弁財天のほこらが祭
られていた。


 さらに緩いカーブを半円状に進むと、北側に蓮華寺があった。本堂は民家風の質素なた
たずまい。境内には、枝を切り払ってすっきりしたクスノキが目につき、参道横にシュロ
の花が咲く。
        


 200mほど進んだT字路で右折して畑の中の台地を上がる。起伏の多い斜面の向こう
に新横浜駅周辺のビル群が望まれ、近くの畑にはナノハナが花盛り。



 左側眼下に国道466号・第三京浜道路が近づき、富士見橋でその上を横断する。その
先も畑が多く、ビニールハウスの並ぶ秋本農園前を西進する。

 仲町台三丁目の新しい住宅地に入り、ソディックと呼ぶ大きな工場横を北へ、くわがた
公園で最後の小休止をした。



 市営地下鉄ブルーラインが地上に出たところを越え、北原交差点を渡ると総合種苗メー
カー「サカタのタネ」の大きな建物があり、西側の「グリーンプラザ」と呼ぶ庭園が公開
されていた。



 サカタのタネが開発したオリジナル品種を中心に展示しているようで、様々な彩りのパ
ンジーがたくさん花を競って咲く。




 ゴールの、横浜市営地下鉄ブルーラインの仲町台(なかまちだい)駅はすぐ近い。14
時32分に着いた。


 この日の横浜市の最高気温は25.5℃だったが、湿度が低くて風もあり、新緑や花も
豊富で、爽やかなウオーキング日和だった。

(天気 快晴、距離 9.5㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 荏田)、
 歩行地 横浜市港北区、都筑(つづき)区、歩数 19.900) 
 



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小手指駅北口で小手指ハナミズキまつり(埼玉・所沢)

2018-04-22 15:39:20 | 所沢だより
 2018年4月22日(日)

 午前中、市内ウオーキングで西武池袋線の小手指(こてさし)駅北口に回ったら、駅前
から国道463号に伸びるハナミズキ通りは歩行者天国になっていて、「小手指ハナミズ
キまつり」を開催中でした。

 きのう21日(土)と今日の2日間、10時30分~16時の時間に開催されます。

 毎年同じ時期に開催されていますが、今年は昨年まで何年か続いていたこの道路の無電
柱化が完了して初めての年になり、好天と相まってたくさんの人出でした。


 通りには、地元商店や市内の企業や団体などが数多く出店しています。




 中心部の西友ストア周辺


 市内三ヶ島地区にある早稲田大学の学生による読み聞かせボランティア。


    

 近くでは、催しのひとつ、江戸芸かっぽれ 所沢道場のメンバーが。






 午後には、子どもみこしも練り歩くようです。




 さらに進むと、市内に伝わる重松流祭囃子(じゅうまりゅうまつりばやし)保存会の演
奏も。






 歩行者天国の北側末端付近から振り返ると。


 さて、かんじんのハナミズキですが、今年は開花が早かったのですが、まだ花は残って
いました。
     

    

     

 北側の国道463号に出て、そのあと新所沢駅前方面に向かいました。
 



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カタツムリ歩行同窓会の散会後も荻窪駅周辺を歩く(東京・杉並)

2018-04-17 21:49:17 | カタツムリ歩行
 2018年4月15日(日)午後

 カタツムリ歩行同好会が散会した後も、少し周辺を回ってJR荻窪駅に向かうことにし
て、13時過ぎに尾崎熊野神社を後にする。


 屋倉橋際から善福寺川右岸の緑地に入り、遊歩道を上流に向かう。センター広場と呼ば
れる辺りに大きなプラタナスが目につく。


    
 二つ目の西田橋を渡って左岸に回り、工事中の調整池の北側を進んで遊歩道を離れ、成
田西四丁目の住宅地に入った。



    
 西洋サクラソウやパンジーなどの鉢をたくさん並べたお宅があり、その先で「善福寺川
かりん広場」と呼ぶ小公園の横を過ぎる。


     
 さらに少しで「天神橋公園」で、善福寺川の旧河道跡だろうか緑地が長く北に延びてい
た。


 公園を出て交番の先から善福寺川の西田端橋を渡り、荻窪一丁目と二丁目の境界の通り
を西進する。区立松渓中の南側台地は、ケヤキやコナラの新緑に覆われた「松渓公園」に
なっていたので立ち寄る。

 この地は、昭和49(1974)年に縄文時代早期(8500年前頃)の土器片や縄文
中期(5000年前頃)の住居跡が発見され、「西田小学校北遺跡」と呼ぶ都内初の遺跡
公園だという。


 遺跡の説明板の横には、漫画家・園山俊二氏が描いた縄文人の生活の絵が並んでいた。


 帰宅後改めて地図を見たら、南側は西田小で、校内には郷土資料展示室があるようだ。
次のY字路際の民家に、真っ白なフジの花がたくさん咲いていた。


    


 北側は中道寺(ちゅうどうじ)で、石段を上がると立派な鐘楼門が目につく。天明元
(1781)年竣工の表門と鐘楼を兼ねた禅宗様式の四脚門で、都内では珍しい建築遺構
として杉並区有形文化財に指定されている。





 境内の植栽はよく手入れされていて、本堂際には早くも咲き出した何色ものボタンやシ
バザクラが花を競っていた。


       

 境内に沿って西側を進むと、次の十字路際には不動堂がある。かつては荻窪高付近にあ
ったのだが、大正末(1926)年の区画整理でここに移されたとか。
     

 堂内の宝暦6(1756)年造立の石碑は、下荻窪村で流行した熱病が止むよう村人が
願をかけて造立したもので、おかげで熱病が治まったといわれているようだ。
       
 堂内をのぞいてみたが、木造の不動明王像しか確認できなかった。


 西側を南北に走る都道311号・環八通りを横断して西北へ。

    
 シャクナゲの咲く住宅前を通過して南荻窪四丁目にある「与謝野公園」の辺りに行くも
分からず、周辺を少し回って見つかった。

 与謝野公園は、明治から昭和にわたる近代詩人として知られる与謝野寛(鉄幹)・晶子
夫妻が晩年を過ごしたところ。

 夫妻は、関東大震災後の昭和2(1927)年からここに移り住み、歌会を催したり
「日本古典全集」や歌誌「冬柏」の編集などを行ったという。


 園内には当時の建物の写真と間取り図のパネルや、2人の各々の歌を記した10数個の
歌碑が並んでいた。


     

          

               

 ひとつ西の通りを北北西に進むつもりだったが、500m前後進んで道のカーブが地図
と違うと気づく。持参した「杉並区史跡散歩地図」で確認したら、90度違う西南西方向
に進んでいたと分かる。

 大宮前体育館横で軌道修正して南荻窪二丁目を北進し、神明天祖神社の長い境内に西側
から入る。新緑のイチョウが高く両側に立ち並び、拝殿は西向きだった。
     
 創建時期は不詳のようだが、天正12(1584)年の検地の際には小祠があったと伝
えられ、その後、紀州徳川家の領地となり、家臣の水刀谷(みとや)氏が社殿を興したと
いわれているようだ。

 拝殿の周囲にはケヤキやカシなどの高木が伸び、立派な鎮守の森となっている。

 参道の途中から北に抜けて南荻窪三丁目に入り、古宇田家住宅の前を通過する。

 古宇田家住宅は、昭和2(1927)年の建造。切妻の大屋根と持送りのある2階開口
部など独特の外観の洋館として知られ、東京西郊における昭和初期の洋館の好例のひとつ
として、国登録有形文化財だとという。

 北進して善福寺川沿いに出て、すぐ上流のJR中央線線路際で橋を渡る。線路沿いを東
へ少しで、コンクリート造りの願泉寺がある。

 寛永18(1641)年に奥州街道幸手宿(さってしゅく)(埼玉県幸手市)近くに開
創され、昭和12(1937)年に当地に移転し、現在の近代的な伽藍(がらん)は昭和
58(1983)年の再建のようだ。

 東へ少しでJRの高架下を北に抜けて、東側の線路際にある光明院に入る。

 通称は「荻寺」と呼ばれ、荻窪の地名もこの名に由来するといわれているとか。本尊の
千手観音は南北朝時代の作で、境内からは同時代に作られたと見られる五輪塔や室町期の
板碑などが出土していて、当寺の開創は南北朝期と考えられているよう。

       
 境内東部には延享3(1746)年銘の不動明王像、13体の地蔵菩薩像がなどが並び、
中央部にはケヤキの高木が立つ。


     


 この本堂周辺でも、何色ものボタンが見ごろである。


 西側からの住民や通行の人たちは、寺の南側線路際を進んで東側の細い通用門をくぐり、
荻窪駅方面に進めるようになっていた。


 南北に走る環八通りを線路沿いの車道で越えて、少し環八通り側に回り荻窪白山神社に
入る。

 白山神社は旧下荻窪村の鎮守で、文明年間(1469~88)に関東管領上杉顕定の家
来、中田加賀守が屋敷内に五社権現社を祭ったのに始まり、後に中田一族が社殿を建てた
のが起源のよう。歯の神様として知られ、近隣の人に厚く信仰されたという。

     
 うっそうと茂る木々の間の細い境内を東の鳥居に抜けて、賑やかな商店街を進み、JR
荻窪駅北口には15時42分に着いた。


(天気 曇り、午前からの通算距離 11㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、吉祥寺、
 歩行地 杉並区、通算歩数 21,200)





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カタツムリ歩行同窓会で荻窪駅周辺を歩く(東京・杉並)

2018-04-16 21:29:24 | カタツムリ歩行
 2018年4月15日(日)

 昨年12月で終わったカタツムリ歩行、今後は回数を減らしても続けようと2月18日
に打合せし、その第1回同窓会が開催されたので参加した。

 集合はJR中央線の荻窪駅東改札口。午前中は前夜からの風雨が残る予報だったが、幸
いに雨は上がり風も治まった。久しぶりに練馬のKさんもお顔を見せる。

 同窓会の担当は毎回分担することになり、初回の担当は三郷市の若手、KKさん。地図
をもらい、10時05分に北口を出た。


 都道4号・青梅街道を横断し、天沼(あまぬま)三丁目の住宅地を北北東へ。マンショ
ンのアメリカハナミズキが見ごろで、たくさんの鉢植えや飾り物を並べた住宅もある。
    



    

 その先に天沼弁天池公園があり、クスノキやケヤキ、モミジなどの新録がみずみずしい。

 この辺りは雨沼(あめぬま)と呼ばれた大きな沼地で、天沼の地名の由来の一説になっ
たとか。その水辺の一部が残り、回遊できるようになっていた。




 公園の北西側には杉並区立郷土博物館の分館があり、特別展も開催中だが観覧は少しに
して、区内の観光地図などをもらう。


 東側すぐ近くの天沼二丁目には、天沼八幡神社が祭られている。
     
 創建は天正年間(1573~91)と伝えられ、武運の神として崇敬を集め、近くの厳
島神社を合祀以来、水神・安産の神として信仰されているという。


 境内にはほかに日枝神社や須賀神社、三殿並ぶ稲荷神社、大鳥神社などがあった。



 さらに東へ、次の四差路際には藤之湯という公衆浴場が残る。
     


 東北に進んで天沼の総鎮守だったという天沼熊野神社に入る。

 社伝によれば、神護景雲2(768)年に東海道巡察使が来た折りに氏神を勧請したの
が始まりとか。一説には新田義貞が元弘3(1333)年に鎌倉北条氏を討つ途中でこの
地に陣をしき、社殿を創設したとも伝えられるという。


 境内には、新田義貞が戦勝祈願に手植えしたと伝えられ、直径2mに達する大杉の切り
株が保存されていた。昭和17(1942)年に枯死して伐採されたようだ。


 その横には、40貫(150㎏)と30貫(112.5㎏)の力石が並んでいた。
     


 南に向かい、JR中央線の高架下を抜けて青梅街道を横断する。境内のない民家風の立
教寺↑前から南西に進むと、近くの角に昭和5年(1930)創業という割烹旅館西郊
(せいこう)の古い建物が目につく。



 さらに南西へと進んで杉並区立太田黒(おおたぐろ)公園に入る。太田黒公園は、音楽
評論家だった太田黒元雄(1893~1979)の屋敷跡を日本庭園として整備したもの。
     
 園内には、樹齢100年を超えるというイチョウ並木を始め、ケヤキ、クロマツ、アカ
マツ、シイノキなどの古木が多く、特にモミジの新緑が気持ちよい。


     

    




 池には、特産地の新潟県小千谷市から寄贈という何匹ものニシキゴイが泳ぎ、竹林には
大きくなったタケノコも見られた。


 ツツジの植え込みの並ぶ民家の横を下り、西から南へと回り込み、国史跡の荻外荘(て
きがいそう)の庭園に行く。

 荻外荘は、昭和戦前期に3度の首相を務めた政治家、近衛文麿の別邸だったところ。近
衛は昭和12(1937)年からここに住み、政治会談や第二次・第三次近衛内閣の組閣
を行うなど、近衛の主要な政治の場になったとか。

 終戦後A級戦犯に指名され、昭和20(1945)年12月16日に邸内の書斎で自決
している。現在、建物部分は非公開だが、庭園からはその一部が望まれた。


 東に進んで荻窪三丁目に入り、細道を北に少し回り込み、角川(かどかわ)庭園・幻戯
山房(げんぎさんぼう)に寄る。

 角川庭園は、俳人で角川書店の創設者である角川源義氏の旧宅を、杉並区が遺族から寄
贈を受けて改修したもの。

 建物は昭和30(1955)年竣工の近代数寄屋造りで、国の登録有形文化財と杉並区
景観重要建造物に登録されている。


 入口付近にアセビなどが清楚な花を見せ、庭園に回るとヤマツツジやシャクナゲ、アメ
リカハナミズキなども花開く。







 水琴窟(すいきんくつ)もあり、傍らのつくばいからの水を流すときれいな音色が聞こ
えてきた。

 展示室では角川源義氏の俳句や写真、所蔵品などが観覧できるが、時間がないので省略
した。


 新しい集合住宅地、シティテラス荻窪内を北西側から東南に回る。成田西四丁目の住宅
地を東進して善福寺川の屋倉橋を渡り、ゴールの尾崎熊野神社には12時06に着く。ほ
とんどの皆さんはゴールしていて、境内で食事中だった。
     
 尾崎熊野神社の創建年代は明らかではないが、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武
士が、代々崇敬する紀州の熊野権現をこの地に勧請したのに基づくと伝えられているよう
だ。


 社殿前に斜めに伸びるご神木のクロマツは、幹回り3.27m、樹高32m、樹齢は400
年以上と推定され、区内でも有数の樹木として杉並区の天然記念物に指定されている。
     


 食事を終えて記念撮影とミーティングをして、13時過ぎに散会となった。


 今日の参加者は15人、ミーティング後、さらにメンバーの知人2人がかけつけた。次
回は9月15(日)の予定である。

(天気 曇り一時晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、歩行地 杉並区、
 歩数 10,100)

 雨の心配もなくなったので、午後も少し周辺を回って帰ることにした。午後の行程は別
途とする。




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ヤエザクラやシダレモモなどが見ごろに(埼玉・所沢)

2018-04-08 18:18:20 | 所沢だより
 2018年4月8日(日)

 花祭りの今日この頃、我が家の周辺ではソメイヨシノは葉桜になり、代わってヤエザク
ラやシダレモモなどがあちこちで満開の花を見せてくれています。


 一昨日の市内ウオーキングで、所沢航空記念公園の北側にある国立リハビリテーション
センター周辺を歩いたら、正門近くのヤエザクラが見頃になっていました。


    

 南側の防衛医科大学校のグランド周辺も同様です。


     

 今日は、小手指(こてさし)駅方面に向かうことにして東川(あずまがわ)沿いを進ん
だら、川沿いの民家の庭のトキワマンサクが。
       

    

 近くの対岸にはシダレモモも。


     

    

 川沿いのヤエザクラ。


    

 近くの広い庭のある民家では、10数本のシダレモモとトキワマンサクが花を競ってい
ました。








    





 そのお宅の前の川沿いにも、花いっぱいのヤエザクラが。


    

        

 川を離れて畑の増えた辺りのアメリカハナミズキ。


    

 麦畑の向こうのクヌギなどは、新録が少しずつ増してきつつあります。


 小手指駅周辺から新所沢駅西口周辺を巡って我が家近くまで戻ると、再び東川沿いのア
メリカハナミズキが。
     

    

 近くのお宅の庭先では、フジの花も咲き出していました。


    

 この時期は、どこを歩いてもたくさんの花を見ることができますね。




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手賀沼に流入する大津川沿いを花見ウオーキング(千葉・柏)

2018-04-03 12:27:23 | カントリーウオーク
 2018年4月1日(日)

 暖かな晴天が1週間以上も続く新年度の初日、カントリーウオークグループの第252
回例会に参加した。


 集合はJR常磐線の北柏(きたかしわ)駅で、10時04分に南口をスタートする。

 == 桜咲く大場川から増尾城址総合公園へ ==


 線路沿いを西へ、大場川左岸に出た。両岸にシダレザクラが続き、満開は過ぎたがまだ
見ごろ。近くの北柏橋を渡り、右岸の散策路沿いに南下する。



 こちらも桜並木が続き、岸辺には釣り人も。ソメイヨシノに混じり、ヤマザクラも咲き
出していた。






    


 柏ふるさと大橋の下を抜けると、対岸は手賀沼西端の公園で、以前の例会で花見の宴を
したところ。



 右岸沿いは「柏ふるさと公園」、家族連れなど多くのグループが花見などを楽しんでい
た。






     


 公園の芝生広場を横断して南東端から出た。南側の住宅地の中にシダレモモが咲き、モ
ミジが真っ赤な春の紅葉を見せる。


    


 緩やかに台地を上がると、東側の中央区柏学園が園内を一般開放していた。受付で案内
をもらい、学園舎前のソメイヨシノや、中央部の庭園東端にある竪穴式住居の復元建物、
その周辺のシダレザクラやソメイヨシノなどを鑑賞する。









 園内のケヤキなどの淡い新緑も気持ちよい。ここで記念撮影をする。


 道路を挟んだ開智国際大の構内も、ソメイヨシノやハナモモなどが花を開いていた。



 住宅地や畑の横を南西に進んで宿畑集落に入る。


 日体大柏高校の北東端近くに広い芝生地があり、その入口に「柏のへそ」の標柱が立っ
ていた。

 柏市の中心標として、3年前の平成26年9月に柏市の広報番組で認定したという。
       


 東側の林間を下って東屋(あずまや)のある広場を過ぎ、さらに杉などのうっそうと茂
る林間を下り、宿畑集落の南端付近へ。
     

 次の台地を上がり、樹林も残る文京区柏学園横を通過し、国道16号の柏トンネル上を
西に抜ける。


 東柏一丁目と二丁目の新興住宅地の南に出て、大津川沿いの田園地帯に回った。大津川
の左岸堤防に上がって近くの中之橋を渡る。



 流れに沿って上流に向かい、左カーブした先の送電線鉄塔横で川を離れた。



 田園地帯を横断して、西側の名戸ヶ谷(などがや)地区の台地下にある昼食地の増尾城
址総合公園に12時13分に着いた。

 若木のソメイヨシノが何本か花を残し、ヤナギの若葉が暖かな春風に揺れる。芝生地に
シートを広げて昼食をした。


 

 == 大津川沿いを進み柏のカタクリ群生地へ ==

     
 昼食後にミーティングをして、ボケなどの咲く池の横を回って13時20分に公園を後
にした。南西に進んで増尾(ますお)地区の宮根集落に入り、スミレ咲く西参道から広幡
八幡宮に寄る。
    

 創建は寛平年間(889~98)と推定され、下総国第一鎮守で宇多天皇の勅願所だっ
たとか。江戸時代には3代将軍家光から朱印地10石を献上されたという。

 境内から発掘された宮根遺跡は、縄文時代から弥生時代にかけての古代住居と古代文化
発祥の地のよう。
     
 境内は南北に幅広く、杉の高木や広葉樹など豊富な樹林に覆われている。平成9(1997)
年に改築を終えたらしい社殿は堂々たる構え。屋根下には精巧な木彫が施されていた。


    


 さらにシダレザクラやシダレモモなどの咲く集落を進んで、ニッカウィスキー柏工場の
正門前を通過する。





 工場南側の林間を東へ、再び大津川左岸沿いに出て南進する。堤防に放し飼いのニワト
リが遊び、西側には芽吹き始めた斜面林の木々などが望まれる。

 南西から流入してきた支流沿いに入り、すぐ先の藤心(ふじごころ)集落の八幡神社に
寄る。境内に杉の古木が立ち、その前に大杉大神を祭るお堂もある。ここで小休止した。
     


 道路を挟んだ南側は宗寿寺。周辺の柏・松戸・鎌ケ谷・白井の4市の88か所を巡る准
四国八十八ヶ所東葛印旛大師が毎年5月1日~5日に実施され、今年は宗寿寺が53年ぶ
りの結願寺になるなど記されたポスターがある。

 道路際の青面金剛塔には、正徳3(1713)年と刻まれていた。
     

 南西に進んで藤心小の先を右折し、逆井(さかさい)運動場の正門前から細道を入る。
運動場の東側に三角点があったが、地図上には表示はない。
        


 すぐ先の北斜面の樹林下にたくさんのカタクリが花開き、何組かの市民も来ていた。
    
 柏市指定のカタクリ群生地で、千葉県が選定した「房総の魅力500選」にも選定され
ている。
     

 
        

 近くの柏市のマンホールもカタクリのデザインが。
      
 
 東武アーバンパークラインの線路際に出て、ゴールの逆井駅には15時15分に着いた。


 散会としたが、全員が東側の区画整理された戸別住宅地にある藤ノ台第一公園に行き、
17時頃まで4月例会恒例の花見の宴を楽しんだ。


(参加 10人、天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 流山、松戸、
 歩行地 松戸市、歩数 21,400)




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