あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

クロアチアとスロベニアの旅行記⑦ ドブロヴニク空港からワルシャワで乗り継ぎ成田国際空港へ

2019-01-30 17:42:17 | クロアチア・スロベニア旅行
 2018年10月19日(金)~20日(土)
 == クロアチアのドブロヴニク空港からワルシャワで乗り継ぎ成田国際空港へ ==

 連泊した、スロベニア西南端のドブロヴニク郊外にあるムリニ村のホテル、シェラトン
ドブロヴニク リビェラで7時に起床した。今朝も晴天だが、もう今日は帰国の日である。


 7時30分過ぎからホテルのレストランで、豊富なメニューが揃ったバイキング料理の
朝食をする。今朝も食事後、1階に下りてプールの周辺を散策した。




 9時30分にホテルを出て、バスはドブロヴニク旧市街とは反対の東へ約10㎞のドブ
ロヴニク空港に向かう。ドブロヴニク空港には9時50分に着いた。



 乗り継ぎのポーランド・ワルシャワ空港行きのLO564便は12時05分発の予定。チェ
ックイン手続きをして売店の横などを通過し、搭乗する7番搭乗口付近に行き待機する。






 ワルシャワ空港行きのLO564便の機種は中型のEnbrer195型機(112人乗り)である。

 搭乗ゲートはなく、11時45分頃、飛行機のそばまで歩いて移動して搭乗した。



 出発予定の12時05分より少し遅れて12時14分に離陸した。


     
 離陸直後の機内からは、眼下にアドリア海や迂回後の空港などが見下ろせる。


    

 機内にはかなりの空席がある。


 中継地のワルシャワ空港には、到着予定の14時06分より早い13時52分に着いた。


 乗り継ぎ時間が1時間05分しかなかったので心配されたが、ワルシャワ空港発成田空
港行きLO79便は1時間以上遅延すると分かり安心する。


    
 結局、15時10分発成田空港行きは大幅に遅れて、16時44分にワルシャワ空港を
離陸した。機種は往路と同じBowing787型Dream Linerで、成田までのフライト時間は9時
間50分、距離は9,060㎞という。




    
 飛行機は東北東に進んでロシア西部に入り、モスクワの北方から広大なシベリア大陸北
部を東へとしばらく進む。
    

    

    

    
 シベリア東部のノボシビリスクやイルクーツクの北方を通過して南東、南南東へと方向
を変えて日本海に出る。
    

    
 その間、機内では主に音楽を聴きながらフライト画面を見たりして過ごすが、ほとんど
眠ることができなかったので時間の経過がもどかしく、長い時間を過ごす。

 食事は、17時50分頃にチキン料理の夕食が、翌20日0時45分(日本時間7時
45分)頃に日本麺風の朝食が出た。

    
 新潟市上空を通過して、成田空港には予定時刻の8時40分より50分遅れの9時30
分に着陸した。成田空港の気温は16℃のよう。

 第1ターミナルで入国審査を受け、預けたスーツケースを受け取り、11時25分発
所沢駅東口行きバスに乗る。


 バスは順調に首都高などの高速道路を走り、予定の14時より30分以上早い13時
26分に所沢駅東口に着く。東口の「グランエミオ所沢」で多少買い物をして、14時
20分に無事帰宅した。

(天気 ドブロヴニク 快晴、ワルシャワ 曇、成田 曇、歩数(成田空港まで)
 3,700)    





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クロアチアとスロベニアの旅行記⑥ 世界遺産ドブロヴニクをフリータイム観光後 連泊のムリニへ(後半)

2019-01-29 18:43:44 | クロアチア・スロベニア旅行
2018年10月18日(木) 
 == クロアチアの世界遺産ドブロヴニクを
                 フリータイム観光後 連泊のムリニへ(続き) ==


 ドブロヴニク旧市街を囲む城壁を一周して東北側入口近くを下り、昨夜は暗くなってか
ら通った旧市街中心の通り、プラッツア通りに入り、改めて旧市街の内部を観光すること
にする。


 まずは、プラッツア通りの東端のルジャ広場に面した聖ヴラホ教会へ。
     
 聖ヴラホはドブロヴニクの守護聖人で、聖ヴラホ教会はかつてはロマネスク様式の教会
が立っていたが地震で損傷し、1715年にバロック様式で再建されたとのこと。

     
 中に入ってきらびやかな祭壇や装飾品、絵画やステンドグラス、聖職者の彫刻などを拝
観した。
     

          

     





     



         
 12時に聖ヴラホ教会を出て、一本北側の細い通りに回る。この通りにはレストランが
多いので昼食をすることにしたが、手持ちのクロアチア通貨クーナの残金が少ないので、
クレジットカードが利用できる店を探して西端近くまで往復する。南北に延びる幾つもの
通りも狭く、急階段が延びている。
          

     
 東側まで戻り、12時30分に「KONOBA SCIABECCO」というシーフードレストラン
に入り、アドリア海で獲れたお勧めのシーフード料理で13時25分まで昼食にした。
     


 午後も、旧市街内の観光をすることにしてプラッツア通りに戻り、沿道の店舗やその商
品、建物などを眺めながら西へと進む。






  
 多種多様な商品が多く、どの店を見ても飽きが来ない。




         

     
 西側出口のピレ(Pila)門に近いフランシスコ(Franjevački)会修道院に入り、14時
13分まで7分ほどだが拝観した。

 フランシスコ会修道院は、かつては城壁の外にあったが、外敵から守るために14世紀に
この地に移され、現在の建物は1667年の大地震後に再建されたという。
     

          

     

          

     

     
 プラッツア通りの西端にある城壁の入口からは、城壁への急階段が伸びている。西端の
ピレ門からいったん城外に出て、近くのバスやタクシーの乗降場周辺を回る。




     
 樹木に囲まれた小公園があり、南側から海を見下ろすとたくさんの魚の泳ぐのが見下ろ
せた。


 ロヴリイェナツ要塞の入口付近まで行って引き返す。
  
  


                 
 ピレ門を入って再び旧市街に戻り、オノフリオの大噴水↑の横から西側城壁沿いをとの
塀の横を南へ少しで東に回ると、ドブロヴニク旧市街などのスケッチを販売するおじさん
がいたので、はがき代のスケッチを求める。


     
 プラッツア通りのひとつ南に平行する細い通りを東進し、中ほどにあるセルビア正教会
に15時05分に入り、祭壇やステンドガラスなど10分ほど内部を拝観した。
     
  
     
 ドブロヴニクにはセルビア教徒が古くから住んでいたが、ラグーサ共和国時代には旧市
街内に正教会を建てるのが禁じられていたため、建てられたのはラグーサ共和国滅亡後の
1877年になってからという。


     



     
 さらに東へ進んで東端に近い青空広場へ。広場の中央には銅像があった。


 東側には旧総督邸が残されている。この街がラグーサ共和国という独立国だった頃の歴
代総督が住んだ家で、住宅のほかに評議会や裁判所なども置かれた行政の中心的な機関だ
ったようで、現在はラグーサ共和国の歴史を伝える博物館になっているという。

 青空広場の南側に大聖堂があった。聖母被昇天大聖堂とも呼ばれる大聖堂は、1667
年の震災後にバロック様式により再建されたよう。
     
   
 15時29分に入り、ドーム天井や多くの祭壇、絵画、ステンドグラスやパイプオルガ
ンなどを10分ほどで拝観した。

     

          

     

          

     

 主祭壇の奥に飾られているのが、イタリアの有名画家ティツィアーノが16世紀に描い
た「聖母被昇天」である。
     

 「MARIN DRŽIĆ(1508-1567)」と記された人物の坐像を見ながら青空広場を北に抜ける。
マリン・ドルジッチは、ルネサンス期における最も優れたクロアチア人の劇作家・散文作
家と見なされているらしい。
     

     

 ルジャ広場から北東に緩斜面を上がり、16時06分に入った北東側入口から城壁を後
にした。
     


 旧港を見下ろしながらバス通りまで上がり、16時13分にバス停に着いた。かなりの
人で混雑するバス停でしばらく待ち、16時42分に来た⑩番のバスに乗り東方のムリニ
村にある連泊するホテルに向かう。

 16時55分に最寄りのバス停「Srebreno」で下りた。今日の夕食は各々自由なので、
ホテル近くの大きなスーパー「KONOBA」に入り、夕食用のパンやトマト、ハムとチーズ、
ジュースや缶ビールなどを購入する。

 
 帰路の周辺は夕焼けに染まってきた。


 連泊するホテルシェラトン ドブロヴニク リビェラの部屋には17時57分に帰着した。
間もなく日没となり、西の空は美しいあかね空になる。


 最後の一日は好天に恵まれ、「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロヴニク観光を十分
に楽しむことができた。              (天気 快晴、歩数 15,500)







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クロアチアとスロベニアの旅行記⑥ 世界遺産ドブロヴニクをフリータイム観光後 連泊のムリニへ(前半)

2019-01-27 22:29:59 | クロアチア・スロベニア旅行
 2018年10月18日(木) 
 == クロアチアの世界遺産ドブロヴニクを
                     フリータイム観光後 連泊のムリニへ ==

 クロアチア最南東部にある世界遺産ドブロヴニクの郊外、ムリニ村のホテル、シェラト
ン ドブロヴニク リビェラで6時30分に起床した。

 7時10分からホテル2階のレストランで朝食をした。朝食後、ホテル1階の外に出て
プールや周囲の海や建物などを眺める。




 今日は終日自由行動の日で、オプショナルツアーとして東側近くのモンテネグロの古都
で世界遺産のコトル(Kotor)観光と、チリビ(Ćilipi)村での夕食付フォークロアーディ
ナーショーも計画されていたが、どちらも希望者が少なく実施しないことになり、全員フ
リータイムで各々ドブロヴニク観光を楽しむことにする。

  

 希望者はドブロヴニク市内までホテルからバスで送ってもらえることになっていて、全
員がホテル9時発のバスに乗り、9時07分にドブロヴニク旧市街を見下ろす見晴らしの
よい辺りで下車する。


 昨日は夕方だったので、スルジ山頂の展望台からの展望も逆光でいまひとつだったが、
今朝は順光の朝日を浴びたドブロヴニク旧市街とその周辺の景観が絶景である。







 しばし旧市街の展望を楽しんでから、その旧市街に向かって住宅地の間の急斜面を階段
などで下る。

    
 途中、たくさんの花が咲き競う民家やレモンの実る横などを通過する。
      


 独特の形の松の木のあるバス通りまで下り、バス停で帰りのホテル方面へのバスの時刻
を確認する。

     
 さらに下り、城壁に囲まれた旧市街の東北側入口から10時08分に城内に入った。入
場料は大人150KN(クーナ・約2,700円)である。
         

 城壁の上は一周できるようになっていて、長さ約2㎞を反時計回りで1周約1~1.5
時間ぐらいで回れるというので回ることにした。ただ城壁上は山側が高めで海側が低く、
途中にも結構アップダウンがある。


 まずは北端まで進んで、左折して西へと向かうと、昨夜中心街のプラッツア通で見たフ
ランチェスコ会修道院や、城壁の最高地点の西北端に立つミンチェタ(Minčeta)要塞な
どが望まれる。





 南側眼下には赤レンガの建物が建ち並び、その中に幾つかの教会のドームなどが見下ろ
せる。北側背後には、昨日夕方上がったスルジ山の斜面が間近である。



 西北端付近まで進むと、.南に向かう城塞上の下り道にたくさんの観光客が見下ろせる。

 その向こうの岸壁上のロヴリイェナツ要塞↑も近づき、西北端の↓ミンチェタ要塞で左折
して南へと下って行く。
     
 西北端のミンチェタ要塞は1319年に建造され、15世紀にフィレンツェの建築家バ
ルトロメロにより再建されたという。


 南東側眼下の家並みなど、旧市街を見ながら南へと城壁上を進む。
     

      


 眼下の円筒形の建物は、夕べも見た旧市街中心部のプラッツア通りの西端、ピレ門出口
付近にあるオノフリオの大噴水。だんだんと観光客が増えてきているのも分かる。
     

 城壁の外、ピレ門から西側に延びる通りの家並みなども一望である。
   


 階段を下ってさらに南へと進むと、右手眼下にロヴリイェナツ要塞の手前に入り込んだ
湾が近づく。
     


 北側のスルジ山方面の建物など再び振り返り眺める。間近の湾付近には観光船が見えた。


 1991年のユーゴスラビア連合軍による攻撃で破壊されたのだろうか、崩れた石垣や
建物の壁面なども見下ろせる。



 南西端まで進み、西側のロヴリイェナツ要塞↑やそばの湾、沖に向かう観光船などを眺
める。
     

 今歩いてきた、北側からの城壁周辺も振り返り見た。 
     


 城壁は南西端から左に折れて、こんどは海沿いを東へと向かう。  


 少し進むと休憩所があり、その辺りからは海に浮かぶたくさんのボートが見下ろせる。




 
 海側の岸壁の斜面やわずかな平地に設けられた休憩施設らしいものが見えた。
     


 東側のロクルム(Lokrum)島も近くなる。南東側まで回り込むと古い砲台が残っていた。







 南東側、海洋博物館のところからは、旧港を見下ろしながら西へ少しで90度折れて旧
港沿いを北に進む。

 港には大小さまざまな船やヨット、観光船など様々な船が見える。


     
 東向きに構えた砲台もあり、ルジャ広場東北側入口まで戻り、11時43分に一週を終
えて城壁から下りた。
        

     

                                    (続く)





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クロアチアとスロベニアの旅⑤ クロアチアの世界遺産スプリットとドブロヴニク観光後ムリニへ(後半)

2019-01-25 10:39:16 | クロアチア・スロベニア旅行
 2018年10月17日(水) 
 == クロアチアの世界遺産スプリットとドブロヴニク観光後ムリニへ(続き) ==


 世界遺産スプリットの観光を終えて市街地を出ると、背後には石灰岩がむき出した白っ
ぽい山並みが広がる。好天で気温が上がり、沿道の温度計は13時に23.3℃を示す。







 13時35分にトイレ休憩のためサービスエリアに入り、13時50分に出発した。サ
ービスエリアの周辺でも、荒々しい石灰岩らしい岩塊が見られた。14時07分の道路際
の温度計は25℃を示す。





 緩やかなアップダウンをくり返すハイウェイを進み、高台からマンダリン畑を見下ろせ
るという場所でバスを止めてくれて、14時40分から10分間眼下の広大な畑を展望す
る。






    
 そこには観光客用の売店もあり、マンダリンやジャムなどを販売していた。
       

 間もなく、東側の内陸国ボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia Herzegovina)の10㎞足ら
ずが海岸に面してクロアチアを分断する国境の町、ネウム(Nwm)に15時に入って3分
で検問所を通過した。


 15時07分から40分まで、近くのスーパーとホテルのあるところでトイレ休憩と買
い物を兼ねた休憩に。ボスニア・ヘルツェゴビナはクロアチアより物価が安いので、買い
物には好都合のところとか。

 スーパーでチョコレートなどの土産物を求めた。店からは、入り組んだ海岸線の展望も
良い。



 再びクロアチア領に入って東南へ、ストン(Ston)の町に入る入江の最奥部にはカキ養
殖用のいかだらしいのが望まれる。


 さらに進んで吊り橋を渡ってドブロヴニク(Dubrovnik)の町並みに入り、16時47分
にバスを下りた。

 ドブロヴニクはクロアチアの最南東部にあり、北緯42度38分で北海道千歳市と同緯
度である。人口は旧市街が約4千人、市全体では約43,000人で、『アドリア海の真珠』
と称えられており、クロアチア観光のハイライトともいえるところ。

 ドブロヴニクの誕生は7世紀頃で、スラブ人の襲撃から逃れてきたラテン人が岩場だっ
た小島に住みついたのが始まりのよう。12世紀になると海が埋め立てられて対岸の町と
合併した。13世紀には交易で町は発展し、1358年にハンガリー王国から独立してラ
グーサ共和国が成立している。

 中世には、アマルフィ、ピサ、ジェノバ、ヴェネツィアなどとともに5大海運共和国に
数えられ、15~16世紀に黄金時代を迎える。しかし1667年の大地震で壊滅的なダ
メージを負って徐々に衰退し、1806年にナポレオンに降伏して450年の歴史に幕を
下ろしたという。

 時代を経て、1991年のユーゴスラビア連邦軍の攻撃でも大きな被害を受けたが、現
在ではどこが修復されたか分からないほどに修復され、1979年に世界文化遺産に登録
されたが、1991~98年の内戦では危機遺産に加えられていたこともあるという。

     
 少し歩いてロープウェイ乗り場に行き、ロープウェイで町の背後の標高412mにある
スルジ(Srd)山頂の展望台まで上がり、世界遺産のドブロヴニク旧市街を上から展望する
ことにした。
          
 ロープウェイは約30人乗りで10分間隔で運行しているが、結構観光客があり少し待
たされ、17時20分頃展望台駅に着いた。

     
 山頂には大きな十字架があり、その周辺から眼下に、城壁に囲まれたオレンジ色の屋根
の旧市街や旧港、周辺の町並み、沖合の小島、ロクルム(Lokrum)島などが見下ろせるが、
日没が近づき半逆光で少し見にくいのが残念だ。
     










 さらに、東南方向には国境を越えたモンテネグロの岬が、北方にはボスニア・ヘルツェ
ゴビナの山並みなども望まれた。




     
 それらを眺めているうちに日没が近づき、18時07分に真っ赤な入り日が西の海に沈
んだ。

 18時10分にロープウェイ乗り場付近に集合してロープウェイに乗り、18時20分
頃に下に戻った。

 このあと、日没後の世界遺産ドブロヴニク旧市街の観光に回ることになり、南に下って
旧市街の東側の旧港の北側に出た。

 南側の岸壁に沿ってともる灯りを眺めてから、門をくぐって城壁内に入る。
     

 城壁に沿って緩やかに南西へと下り、東西に約200m続くメインの通り、プラッツァ
(Piaca)通りの東端のルジャ(Luža)広場に出た。

 すっかり日は落ちているがかなりの人出である。この通りはかつては水路で、通りの南
側(左手)だけが本来の旧市街だったという。


 南側の聖ヴラホ(Vlaha)教会の上部はライトで明るい。通りの両側の店など眺めながら
進む。


 西端には、ドーム状のオノフリオ(Onofrijeva)の大噴水がある。1438年に造られた
もので、16面もの蛇口からおいしい天然水が味わえるようだ。


     
 南側に平行する細い通りを東進してルジャ広場に戻り、スポンザ(Sponza)宮殿や聖ヴ
ラホ教会などをもう一度眺め、入ってきた城門から出た。




     

 東側の旧港からは、港に停泊された船や背後の町並みの灯り、ロープウェイのスルジ山
頂駅などが望まれる。



 19時15分頃港のそばの「POKLISAR」というピザレストランに入り、タコのサラダ、
シーフードピサ、プリンの夕食を味わう。



 20時15分に食事を終え、もう一度プラッツア通りを進んで西側のピレ(Pile)門を
出た。南西側湾の向こうの断崖に立つロヴリイェナツ(Lovrijenac)要塞が照明に浮かぶ。
     

 近くの駐車場からバスに乗り20時40分に出発し、ドブロヴニク旧市街とドブロヴニ
ク空港との間、南東約10㎞のムリニに向かう。


 斜面に転々と点る灯りもやがて途絶え、アップダウンしてムリニ村に入り、21時10
分頃、連泊する最後のホテル、シェラトン ドブロヴニク リビェラ(Sheraton Dubrovnik
Riviera)に着いた。


                     (天気 快晴一時晴 歩数 13,500)




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クロアチアとスロベニアの旅⑤ クロアチアの世界遺産スプリットとドブロヴニク観光後ムリニへ(前半)

2019-01-23 17:34:48 | クロアチア・スロベニア旅行
 2018年10月17日(水) 
 == クロアチアの世界遺産スプリットと
               ドブロヴニク観光後ムリニへ ==

 今朝は晴天で青空が広がる。ススプリット郊外のホテル カタリーナ ドゥーゴポリェに
て6時30分に起床し、7時10分からホテルのレストランで朝食を済ませる。9時出発
予定だったが、全員早くバスに乗ったので8時56分にホテルを後にした。


  
 今日午前中は、ホテルから近い世界遺産スプリット(Split)の観光である。スプリット
は人口約35万人、アドリア海沿岸のダルマチア地方では最大の港町で、古代ローマ皇帝
ディオクレディアヌス(245?~316?年)の宮殿がそのまま旧市街になったという
珍しい起源を持つ町で、1979年に世界遺産に登録されている。

 宮殿だったスプリットに人々が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡して異民族が
大挙してこの地に入り込んだ7世紀のよう。

 頑強な城壁に囲まれた宮殿内に避難してきた人々は、宮殿の基礎部分はそのままにして
その上に建物を増築する形で町を築いて住みつき、いつしか宮殿自体がひとつの町へと変
貌した。その後はここが宮殿跡と知らずに多くの人が生活し、第二次世界大戦で連合軍の
爆撃を受け、ディオクレディアヌス宮殿の地下部分が露出して発見されたという。


 9時20分に、スプリット中心部南東側のフェリー乗り場近くに着いた。バスを下りて
ヤシの並木の続く「プロムナード」と呼ぶ海岸通りから港の周辺を眺める。


 その後、近くにあったディオクレディアヌス(Dioklecijanova palača)宮殿の模型で説明
を受ける。

 旧市街にあたる宮殿の広さは南北215m、東西180mあり、周囲は厚さ2m、高さ
20mの巨大な城壁に囲まれていて、東西南北に4つの門があり、それぞれ「銀の門」
「鉄の門」「青銅の門」「金の門」(東西南北順)と呼んでいたという。

     
 城壁に囲まれた宮殿の、南側中央部の「青銅の門」から城内に入った。


 右手に八角形の大聖堂と高さ60mの鐘楼があり、大聖堂は8世紀に現在の形に改築さ
れたとか。また、鐘楼には上ることができて、頂上からは素晴らしい展望が楽しめるという。
     


 その先を回って中央部にあるかつての宮殿の中庭だったペリスティル(Peristil)広場へ。
周辺にはコリント式と呼ぶ円筒形の柱が並ぶ。
     

         
 ペリスティル広場の突き当たり、4本柱のところは皇帝の私邸の玄関だったところで、
その真ん中を抜けるとドーム天井がポッカリと抜けた広場がある。
     


 私邸の前庭にあたり、このスペースはドームでよく音が反響するため、クラッパの合唱
が行われていた。
    
 クラッパとは、ダルマチア地方に伝わる、無形文化遺産にも登録されている伝統的な男
性アカペラ合唱グループのこと。演奏後CDを購入したら、一緒に記念写真撮影に応じて
くれた。
    

 西北側の洗礼室前に回ると、ディオクレディアヌス帝がエジプト遠征の際に持ち帰った
スフィンクスの像がある。
    

     
 その横から細い通りを北に抜けて、西側の鉄の門から場外に出た。
     


 その先はナロドニ広場だが、先に進まずに城内に戻り、細道を北から東へと進む。
     

     
 北側の金の門から出ると、巨大なグルグール・ニンスキ(Gurgura Ninskog)像が立っ
ていた。
         
 「クロアチアのロダン」とも言われるイヴァン・メシュトロヴィッチの作品とか。グル
グール・ニンスキ司教は10世紀の人で、それまでラテン語のみで行われていたミサにク
ロアチア語を導入し、スラブ言語の保護に貢献したとされるクロアチアの英雄のひとりだ
という。

 金色の「左足の親指に触れると幸運が訪れると」言われていて、スプリットを訪れる必
ず人々が訪れる名所のよう。多くの人に触れられたので、左足の親指だけがピカピカに光
っている。


 再び城内に戻り、ペリスティル広場周辺のチョコレート店やネクタイ店などの説明を受
ける。




     
 西側の鉄の門を出てナロドニ広場へ↓。旧市庁舎付近で10時50分からフリータイム
となり、12時30分にフェリーの切符売り場付近に集合することとなった。


 まずは、ナロドニ広場から西進して魚市場へ。建物の中の市場は、そろそろ営業を終え
ようとしている感じ。



 その横のテント下の店の方が活気があり、アドリア海の新鮮な魚介類が並び、地元の奥
様方などたくさんの人が買い物に訪れていた。



 市場は、1843年に宮殿内からここに移転してきたという。

     
 その先の長い建物の中ほどから門を入ると、コの字型の美しいルネッサンス様式の建物
に囲まれた共和国広場と呼ばれるところ。ここはヴェネツィアの聖マルコ広場をイメージ
して作られたようで、右手(西側)↓はホテルとして使われているという。



 開かれた南側に抜けて広場を振り返り↑、噴水のある広場へ出た。


     
 右手に教会があり、前方から西側は海に面してヤシの並木の続くプロムナードで、人出
も多い。



 近くの岸壁にはたくさんのヨットが係留され、その向こうには大きなフェリーらしい船
も見える。




     
 そろそろ昼食の時間だが、レストランに入る時間は無さそう。共和国広場の↑東側の通
りを進んで鉄の門から中に入り、パン店で昼食用のパンを購入する。


    

 鉄の門を出て南側の、ブラチェ・ラディッチ(Braća Radić)広場にはマルコ・マルリッ
チ像があった。
     
 マルコ・マルリッチ(Marko Márulić)(1450-1524)はクロアチアの古典作家
で、代表作『ユディタ』(en:Judita)はスプリットで書かれ、1521年に出版されてお
り、スプリットは最初のクロアチア文学の近代作品が生み出されたのだという。


 近くのプロムナードに回り、気温が上がっているのでヤシの木陰のベンチを探して11
時30分近くから、パンと飲み物で昼食とする。


 昼食を終え、南側の青銅の門からペリスティル広場↓を経て東側の銀の門を出て南に回り、
たくさんの露店が並ぶ青空市場へ。
     
  

 野菜や果物、花から衣類や日用雑貨などを扱い、地元の人や観光客で賑わう。





 それらを見ながら集合地のフェリー切符売り場付近に戻った。



 予定通りの12時30分にバスは出発して、南東へ約227㎞の最後の観光地ドブロヴ
ニク(Dubrovnik)に向かう。〈続く〉





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クロアチアとスロベニアの旅④ プリトヴィツェ湖群とシベニク観光後ドゥーゴポリェへ(後半)

2019-01-21 10:14:31 | クロアチア・スロベニア旅行
 第4日 2018年10月16日(火) 
 == クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園とシベニク観光後
                         ドゥーゴポリエへ〈続き〉 ==

 プリトヴィツェ湖群国立公園内の観光を終え、バスは南へと向かう。正午近くに昼食を
する「Vila Velebita」と呼ぶ小レストラン(BISTRO)に着き、屋外のテーブルでサラダと
ピーマンの肉詰めの食事をする。

 店の入口では、等身大かと思われる木彫りの熊が迎えてくれた。


 13時にレストランを出た。しばらくは緩やかな丘陵と草原の広がるところを進み、陸
軍の演習場らしい横も通過する。


 周辺の山並みは石灰岩だろうか白い岩肌が目立つようになり、高度も上がる。



 広い湖の横を過ぎ、14時50分から15時30分までレストラン「KRKA」やカフェ、
売店などあるサービスエリアで休憩した。今日は気温が上がって晴天なので暑さを感じる。
沿道の温度表示は23~24℃台になってきた。



 サービスエリアからは、ヨットの並ぶ港や背後の家並み、近くのコンクリート橋などが
眺められる。


    
 敷地内には紅葉した葉に熟した実のたくさんついた木があり、近くには古い馬車のよう
なものが放置されていて、実が熟し始めたオリーブの木もあった。


    

 サービスエリアを出て間もなく、15時45分にアドリア海に面した小さな街シベニク
(Šibenik)の、港のそばのバスターミナル付近の駐車場に着いた。


 シベニクはダルマチア地方の中央部にあり、クルカ川(全長73㎞)がアドリア海に流
れ込む河口に開けた歴史の古い町で、人口は約35,000人とか。天然の良港を持つこと
からアドリア海の要塞として、また内陸部とアドリア海を結ぶ海上交通の要として発展し
てきたという。

 シベニクが初めて文献に登場するのは、11世紀の中世クロアチア王国のウラジミール
4世の時代で、アドリア海東岸で最も古い町のよう。その後、ハンガリーの支配を経て、
15世紀初頭から400年間ヴェネツィア共和国に支配されたが、1649年のペスト蔓
延で町の人口は4分の1にまで激減したようだ。

 ヴェネツィア共和国が滅亡するとハプスブルク帝国の支配下となり、第1次世界大戦後
はユーゴスラビア王国の一部に、第2次世界大戦中はイタリアファシスト政権とナチスに
占領され、戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部となり、1990年にクロア
チア共和国として独立を果たしているという。


 まずは、バスターミナルの西端付近から北西側斜面に立つ旧市街の町並みなどを眺める。


 北側の小公園に上がると独特の姿の銅像がある。
    
 台座には「PETAR KRESIMIR Ⅳ 1058-1074」と記されているので、11世紀のクロア
チア国王ウラジミール4世のよう。

 城壁の一部かと思われる横を進んで西北に広がる旧市街に入る。車の通れそうにない石
畳の細い通りを西北に進み、広場に出た。
     

 さらに進んで時計塔のある教会の前に行く。聖イヴァン教会(Sv.Ivana)で、15世紀
に建てられたゴシック・ルネッサンス建築の教会。
     
 鐘楼にはシベニクで最初の大きな機械時計があり、階段の手すりには建築家ニコラ・フ
ィレンティナッツによるというライオンの彫刻が施されていた。
     


 古い町並みが続き、その一角に犬の水飲み場というのがあった。細い通りをさらに進ん
で、独特の鐘楼に四つの鐘が目につく聖バルバラ(Sv.Barbare)教会前に出た。
      
 15世紀に建てられたゴシック様式の教会で、二つの鐘楼はバロック様式のよう。


 西北に少しで、北側に市庁舎のあるレプブリカ(Repblike)広場へ。9つのアーチが連
なる市庁舎は、ヴェネティア支配時代の建築という。


 南側は、シベニクのシンボルともいえる世界遺産の聖ヤコブ(SV.jakova)大聖堂である。

 大聖堂の建築には1431年から1535年までの100年以上を要し、途中何度も建
築責任者が変わっているとか。

 レンガや木材など一切使わずに石材だけで建築されていて、石造建築の教会としては世
界最大だという。

     
 外観で特徴的なのは、周囲に施された71人もの人間の頭部で、建築当時の市民の有力
者をモデルにしたといわれているようだ。北側の入口は「ライオンのドア」と呼ばれ、ア
ダムとイブやライオンの像があった。
     

 ここで16時30分から17時40分までフリータイムとなったので、まずは目の前の
大聖堂を拝観することにする。
     
   
     
 中に入って幾つかの祭壇や半円形の天井とドーム、精巧な彫刻の数々、宗教画、洗礼台
などを10分ほどで観覧した。
         

     

         

     

         

     


 通ってきた道筋を中心に戻ることにして、沿道の店をのぞいたりしながら進む。



 気温が上がり喉が渇いたが、ちょうどアイスクリームを販売していたので買ってその店
で味わう。


     
 さらに細道の両側に並ぶ店をウィンドショッピングしながら進む。
    

         


 市役所前を通過して、最初の公園を経てバスターミナル近くの岸壁まで戻る。



 岸壁沿いを少し回り、日が傾いて逆光に照らされた海や、近くの船なやヨット、対岸の
標識灯、海岸沿いの建物などを眺めた。
     



     



    




 バスに乗り17時45分に出発して、10分ほどで夕食のレストラン 「ANTIN GUST」
に着いた。早めの夕食のメニューは、サラダ、イカのグリル、チョコレートケーキだった。



 夕食を終えたこるには外はすっかり暗くなる。18時55分にレストランを後にして、
約67㎞東南東の今夜の宿泊地ドゥーゴポリェに向かう。

 明日訪ねるスプリットの街の北東側にあるドゥーゴポリェのホテル、カタリーナドゥー
ゴポリェ(Katarina Dugopolje)には19時46分に到着した。

  
                    (天気 曇一時雨後晴、歩数 14,900)





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クロアチアとスロベニアの旅④ プリトヴィツェ湖群とシベニク観光後ドゥーゴポリェへ(前半)

2019-01-15 18:06:05 | クロアチア・スロベニア旅行
 第4日 2018年10月16日(火) 
 == クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園とシベニク観光後
                            ドゥーゴポリエへ ==

 クロアチアの中央部内陸のプリトヴィツェ湖(Plitvika jezera)群国立公園内にあるホテ
ル イェゼロにて6時30分に起床した。7時10分頃ホテルのレストランに行き8時近く
まで朝食をする。

  

 8時50分にホテルを出発して、世界遺産プリトヴィツェ湖群(Plitvička jezera)国立公
園内を約2㎞、標高差約60m、歩行時間約2時間の軽いハイキングに出かける。
     

 プリトヴィツェ湖群国立公園は、クロアチアで最古かつ最大の国立公園。80%が森林
で覆われ、大小16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観を作り出してお
り、1979年に世界遺産に登録されている。

 16の湖は、山間から流れ出て来る水が標高639m~503mまでをおよそ8㎞にわ
たって南北方向に流れる中で形成され、上湖群と下湖群があり、湖群は約2㎞にわたって
広がり、最大の滝は下流のプリトヴィツェ川に流れ込んでできたヴェリキ滝と呼ぶ国内最
大の大滝で、湖群の最下流にある湖からコラナ川へ流れ出すという。

 今日のハイキングは、それの中の下湖群の観光である。


 9時過ぎに、下湖群最下流部南側のチケット売り場前に着く。すでにたくさんの観光客
で賑わい、ポチポチと雨が落ちてきて傘を差す人もいる。


 「入口1」と呼ぶ最下流北東側の入口から入り、湖群に向かって少し下がると落差の大
きな滝など3つの滝と湖などが紅葉を始めて木々の間に望まれる。


     
さらに下った展望台からは、右手に落差78mで国内最大のヴェリキ滝が間近に眺められ、
正面の遊歩道の下に3筋の垂直に落ちる滝が、左手に幾筋かに別れた滝が一望である。




     
 流れに向かってジグザクの遊歩道を下って行くと左手上流側の湖や三つの滝の滝壺など
も見えてきた。


     

         

 対岸の垂直な斜面には、張り付くように紅葉の木々が色づく。
  


 最下部の次の「カルジェロヴァツ(KALUDEROVAC)」湖と呼ぶ標高508m、広さ
2㏊の滝の湖面際に下り、下流側の木道を渡って対岸に向かう。最下段のノボコヴィッア・
ブロッド(NOVAKOVIĆA BROD)湖(標高504m、0.3㏊)沿いを進む。湖には幾
つもの魚が見られた。


     

 上から見えた真ん中と左手の滝の下にある展望台に着き、間近に落下する滝を眺めたり
記念撮影などする。
     


 少し戻って往路の反対側、カルジェロヴァツ湖の西岸の遊歩道に向かう。


 湖岸に沿った木道を進むと、こちらにも魚影が見られる。南端近くまで進んだところに
は、次の湖からの落差の少ない滝が現れた。


    
 三つ目の滝はガヴァノヴァツ(GAVANOVAC)湖で、標高514m、面積0.9㏊と
記されていた。湖にはマスらしい魚が見える。


     
 遊歩道は対岸へと進み、幾つもの落差の少ない滝の横を通過する。


         


 次の湖はミラノヴァッツ(MILANOVAC)湖で、標高524m、面積3㏊。対岸に垂直
の断崖が望まれる。


     

         







     

     
  
    
 さらに先には、この公園に寄付をしたオペラ歌手の名前を記したプレートが岸壁に埋め
込まれていた。

 東岸を南端付近まで進み、落差10mのミラノヴァチュキ(MILANOVAČKI)滝の横を
上がる。
     


 その上は下湖群最大のコズイヤク(KOZJAK)湖で、北端から湖畔を離れて西岸を高み
に上がって行くと、木々の切れ目から湖の一部が望まれた。



 500m前途進んで10時36分に、「P3」と名付けられた船着き場近くの広場に着
いた。

 ここには土産物店やカフェなど幾つもの建物、休憩用テーブルや椅子などあり、観光客
も多い。ここで11時までフリータイムとなる。





 11時に集合して船着き場に行き、遊覧船に乗り11時03分に船は出た。



 広い湖の周囲を囲む山並みや木々など眺めながら船は南東へと進み、11時23分頃
「P1」と呼ぶ船着き場に着いた。










     

         


 林間を歩いて公園入口「ST2」を11時36分に出て、近くで待機していたバスに乗
り、4分ほどでホテル イェゼロに戻る。





 すぐにもう一度バスに乗り、11時44分にホテルを出発して、南へ約187㎞のアド
リア海沿いの都市シベニクに向かう。〈続く〉






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クロアチアとスロベニアの旅③ リュブリャーナとポストイナ観光後プリトヴィッツェへ(後半)

2019-01-10 22:11:53 | クロアチア・スロベニア旅行
  第3日 2018年10月15日(月) 
== スロベニアの首都リュブリャーナとポストイナ鍾乳洞の
               観光後クロアチアのプリトヴィッツェへ〈続き〉 ==

 10時25分にバスはスロベニアの首都リュブリャーナ出発し、南西に約48㎞のポス
トイナに向かう。

 



 車中では雨になり、この後の天候が心配されたが11時過ぎには止み、11時10分に
ポストイナ(Postojnska)に着いた。


 ここでは、ポストイナ鍾乳洞の観光である。ポストイナ鍾乳洞は全長約27㎞、最深部
は地下115mになり、ヨーロッパ最大規模を誇る鍾乳洞のよう。

 鍾乳洞は、10万年ほど前からピウカ川の水を吸収した石灰岩が少しずつ削られて形成
されたとのことで、鍾乳石が1㎜成長するのに10~30年かかるといわれている。

 スロベニア有数の観光地として、世界各地から年間30~50万人の観光客が訪れると
いう。


 11時15分頃チケット売り場前で一旦解散し、11時50分に鍾乳洞入口の広場に集
合となる。


 土産店をのぞいたりしながら進んで階段を上がり、たくさんの国の国旗の立ち並ぶ入口
付近へ。




         
 周辺にはいろいろな草花が植えられていて花を競い、川を挟んで両側の色づく樹木など
も一望できる。
    




 時間までに集合して、斜面に開かれた入口から洞内に入り、12時発の長い編成の観光
用トロッコに乗る。

 トロッコは2㎞ほどを5~6分で走行するが、屋根のない車輌がカーブの多い線路を岸
壁すれすれに進むので、スリル満点だ。

 洞内の気温は年間を通して10℃前後のようなので寒さも感じるが、車中からも多彩な
彩りや形の鍾乳石群が眺められた。

 トロッコを下りて、約1.7㎞という周遊路を各々のペースで決められた時間までに1周
することになる。


 受付で借りた音声ガイド(日本語)を、数字で表示された見どころで聞きながら進むと、
様々な色の鍾乳石が上から、石筍(せきじゅん)が下からと年代に応じて成長している。




     


 形も様々で進むにつれてその変幻自在で規模の大きさに驚かされる。
     

         

     



     




 広い空間や狭いところ、アップダウンもかなりあり15分余り進むと橋を渡る。
     







     
 さらに進んで少しずつ回り込んで往路の橋を下から眺め、13時頃一週を終えると洞内
に売店があった。
         






 売店には鍾乳洞ゆかりの土産物が並び、著名な来訪者や古い写真なども展示されている。




    


 13時10分頃のトロッコに乗って入口に戻り、20分後にバス乗り場に戻るよう案内
されたので、13時20分過ぎに入口を出てバス乗り場に戻る。





 13時40分にバスは出発して近くの昼食地に向かい、13時47分に「Erasmus」とい
うレストランに入り、スープとローストビーフの昼食をした。





 昼食を終えてバスは14時45分に出発して、国境を越えて南東へ約206㎞のクロア
チアのプリトヴィッツェ湖群国立公園の宿泊するホテルに向かう。
 国境までは高速道路に入らず、カーブの多い山間や鉄道線路も見られる一般道路を行く。

 15時37分にスロベニア側国境ゲートに着き、10分ほどで通過したがクロアチア側
ゲーとでは少し待たされ、30分余りの16時16分に通過した。





 そのあとは首都ザグレブ方向への高速道路を進み、17時33分から55分までサービス
エリアに入ってトイレ休憩をする。売店には「Marché」の看板が出ていた。



 日没となって周辺は次第に暗くなり、18時32分に高速道路を出た。宿泊する、プリ
トヴィッツェ湖群(Plitvika jezera)国立公園内にあるホテル イェゼロ(Jezero)には19時
37分に着いた。


 部屋に入って少しの時間休み、20時20分頃から21時頃までホテルのレストランで
遅い夕食をした。

 高速道路の温度標示は、国境通過後間もなくの16時25分は16℃だったが、日没後
の18時09分には10℃まで下がっていた。 (天気 曇一時雨、歩数 12,400)




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クロアチアとスロベニアの旅③ リュブリャーナとポストイナ観光後プリトヴィッツェへ(前半)

2019-01-04 15:17:09 | クロアチア・スロベニア旅行
 第3日 2018年10月15日(月) 
 == スロベニアの首都リュブリャーナとポストイナ鍾乳洞の観光後
                       クロアチアのプリトヴィッツェへ ==

 スロベニアの首都リュブリャーナ中心街の東北東にある、ラディソン ブルー プラザ
ホテルのレストランで朝食を済ませ、8時45分にバスでホテルを後にした。今朝は曇天
である。
     

 今日の行程は、リュブリャーナ中心街の散策後、バスで約48㎞移動してポストイナ鍾
乳洞の観光、そして国境を越えてクロアチアに戻り、宿泊地のプリトヴィッツェ湖群国立
公園へ向かう予定である。
  

 午前中はリュブリャーナ市内の観光で、市内中心部に入り9時5分にバスを下りた。


 街の名「リュブリャーナ(Ljubljana)」は、市内を流れる全長41㎞のリユブリャニッ
ァ川にちなんで名付けられ、人口は約30万人、標高は298m前後とか。

 500年にわたる神聖ローマ帝国の支配後、オーストリア・ハンガリー二重帝国に組み
込まれてハプスブルク家のもとで発展を遂げ、ルネッサンス、バロック、アールヌーボー
など各様式の建築物が調和した小さな芸術の都だという。

 リュブリャーナに住む日本人女性ガイド〇〇さん(名前はメモ忘れ)の案内で、三本橋
の方に向かう。
         

   
 広場に入って旧市庁舎↑の前を通過し、青いドームの聖リュブリャーナ大聖堂(聖ニコ
ラス大聖堂)の前に出た。

 13世紀に創建され、船乗りや漁師が守護聖人ニコラウス(サンタクロース)に捧げた
教会とか。

 火災により何度か再建を重ね、現在の建物はイエズス会の建築家ポッゾにより1706
年に建設されたもののよう。


 東側のヴォードニコフ(Vodnikov)広場には、日曜以外の毎日に開催される青空市場が
ある。

 たくさんのテントの下に青空市場が開催されていて、新鮮な野菜やたくさんの果物、生
活用品などが目に入り、多くの市民が訪れていた。
    

            

    

        

 広場の北東側に架かるのが「龍の橋(Zmajsi most)」。1895年のリュブリャーナ大
地震で崩壊した「肉屋の橋(Mesarski most)」の代わりに1901年に建てられたアール
ヌーボー様式の橋である。

 リュブリャーナ初の鉄筋コンクリート製で、橋の四隅にはリュブリャーナの象徴である
龍の像が据え付けられいた。
         


 南側高台にそびえるリュブリャーナ城を眺めながら青空市場の横を戻り、次の「肉屋の
橋」を渡る。

 2010年落成の新しい橋で、欄干にはカップルが「愛の誓い」を願って付けた南京錠
がたくさん並んでいて、恋愛スポットとして知られているという。


         
 橋を渡ったところに、地元芸術家のブロンズ彫刻があった。


 東側の「龍の橋」↑や、これから行く「三本橋(Tromostovje)↓」などを眺めで橋の南に
戻ることにする。



 リュブリャーナ大聖堂などを見ながら西に少しで、リユブリャニッァ川が90度カーブ
する辺りに架かるのが「三本橋」である。

 南東側の旧市街と西側の新市街を結ぶ小さな3本の橋だが、この川に架かる橋では最も
人々の往来が激しく有名な橋のよう。中世から何度も改善され、1930年代に建築家ヨ
ジェ・ブレチニクにより歩行者用の2本の橋が付け足されて現在の姿になったという。

 橋の北西側はプレシェーレン(Preernov)広場で、リュブリャーナの中心にあたるとこ
ろ。

 広場に面して、鮮やかなピンク色のフランシスコ会(Franciskanska)教会がある。

 1646~1660年に建てられ、イタリアの影響を受けたルネッサンス建築の教会の
よう。

 広場の三本橋のたもとには、19世紀スロベニア最大の詩人フランツェ・プレシェーレン
とミューズの銅像がある。
         
 ちなみに、プレシェーレンの書いた詩が、スロベニア国歌の歌詞になっているという。
広場を囲む建物にもユニークなものが見られた。


     

 三本橋を渡って旧市街に戻り、正面高台にリュブリャーナ城を見上げる。
     

 下には市庁舎があり、その前にベナチア出身の有名な彫刻家フランシスコ・ロッパが建
築したという噴水がある。
     
 だがこれはイミテーションとのことで、本物はナショナルギャラリーにあるようだ。


 広い通りから細い通りへと進み、再びリュブリャーナ大聖堂(聖ニコラス(Sv.Nikolaja)
大聖堂)に向かう。


     


 大聖堂前に出て、扉の彫刻や建物の装飾などガイドさんから説明を受けたが、メモして
ないのでその内容は紹介できない。
     

         


              


 9時50分過ぎから10時15分までフリータイムとなる。少しだけ川を眺めた後、青
空市場のあるヴォードニコフ広場に戻り、市場の生花を眺めたり周辺の商店をのぞいたり
する。


         



         

     
        
 リュブリャーナの観光を終えて10時25分にバスは出発し、南西に約48㎞のポスト
イナに向かう。                             〈続く〉





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クロアチアとスロベニアの旅② ザグレブとブレッド湖観光後リュブリャーナへ(後半)

2018-12-30 16:09:55 | クロアチア・スロベニア旅行
 第2日 2018年10月14日(日) 
 == クロアチアの首都ザグレブ市内観光とスロベニアのブレッド湖観光後、
                       首都リュブリャーナへ(後半) ==
 
 バスはクロアチアの首都ザグレブから西北西に約53㎞移動し、途中国境を越えて隣国
スロベニア(Slovenia)に入り、首都リュブリャーナ(Ljubljana)に向かって高速道路を
移動する。


 車中、添乗員のSさんから両国についての話があり、国全体の森林率は日本68%だが
スロベニアは62%でクロアチアは34%、農地はスロベニア24%、クロアチアも24
%、主要農産物は麦、トウモロコシ、砂糖大根、ジャガイモなどのほか、スロベニアでは
ホップ、クロアチアではオリーブなど。石灰岩の土地が多いので土地はやせていて、畜産
が盛んとのこと。

 国境までは40分余り、クロアチア側ゲートではドライバーのチェックのみだったが、
スロベニア側ゲートでは全員下車してパスポートチェックを受け、11時55分頃通過し
た。

 スロベニアに入って間もなく、高速道路の途中にあったサービスエリアに12時22分
に着き、12時40分までトイレ休憩となる。


 ちなみに、スロベニア共和国はクロアチアの北西側にあり、西にイタリア、北にオース
トリア、東北にハンガリーと接していて、1991年に旧ユーゴスラビアから独立し、
2004年にEUに加盟している。

 面積は四国とほぼ同じの約2万273㎢、人口は約206万人、首都はリュブリャーナ、
言語はスロベニア語で、宗教はローマ・カトリック教が95%、通貨は€(ユーロ)で1€
は約135円である。



      
 さらに進んでリュブリャーナ市内に入り、13時30分に昼食地の「Via Bona」と呼ぶ
レストランンに着き、14時30分までスープとターキーのグリルの食事タイムとなる。


 14時35分に出発して北西に約53㎞進み、スロベニアの北西端に近いブレッド(Bled)
湖畔東部の駐車場に15時35分に到着した。


 ブレッド湖は、東西約2.1㎞、南北約1.4㎞、最深は30mで、周囲を一周できる6
㎞の遊歩道もあり、湖にはサケ、マス、ナマズ、ウグイなど19種類の魚が生息するとか。

 アルプス山系の東端、2,000m級の山々が連なるユリアン・アルプスを背にしたス
ロベニアを代表する景勝地で、国立公園に指定されているという。

 山々を映す澄み切った湖は「アルプスの瞳」と讃えられ、中世にはハプスブルク家の保
養地として整備が始まり、近年では旧ユーゴスラビアのチトー大統領もこの地をこよなく
愛したという。

 現地ガイドのマンタさんの案内で湖の南面を西に向かう。
  


 湖畔からは紅葉に彩られた木々や湖畔の建物、北東約100mの高さの断崖上に立つ
11世紀建造のブレッド城や聖マルティヌス教会、背後のユリアン・アルプスの山並み、
さらにこれから行くブレッド島に立つ聖母マリア教会などが望まれる。
     







 色づき始めた広葉樹の下を進んで行くと、ユーゴスラビア時代にチトー大統領の別荘だ
ったホテルがある。



 近くのボート乗り場からの眺め。









 そのボート乗り場から15時50分頃、「プレトナ」と呼ぶ手こぎボートに乗る。この
ボートは普通のボートとは逆に、前方に向かってオールを押して漕ぐ。
     

 ボートはすぐ先に見える「ブレッド島に向かい、15分ほどで島の波止場に着いた。

 聖母マリア教会に向かっては99段の急階段が伸びている。階段を上がって教会内を拝
観することにした。
     
 聖母マリア教会ができたのは8~9世紀のようだが、現在のバロック様式の教会に改築
されたのは17世紀とか。この教会はスロベニア人の憧れの結婚式の場所のようだが、花
婿は教会まで続く階段を花嫁を抱きかけながら上らなければならないのだという。


 白亜の教会に入り、黄金の祭壇の聖母マリア像や周辺の豪華な絵画などを拝観した。
     





     



       

    


 教会を出て周辺の風景や近づく手こぎボートなども眺める。




 元チトー大統領の別荘だったホテル。


     
 16時45分に再び手こぎボートに乗り、南岸の乗り場に戻った。




 もとの道をバス駐車場に向かい、駐車場周辺に戻り17時20分頃から30分ほどのフ
リータイムとなり、周辺の土産物店や湖岸などを一巡する。

 ある土産物店店頭で歓迎してくれたクマちゃん。
     

 噴水


 ブレッド湖の模型






 湖畔のホテル



 太陽が西に傾き、ユリアン・アルプスの山並みは夕日であかね色に染まる。


 湖岸に建つブレッド村役場↑前には、2013年6月に秋篠宮殿下ご夫妻が植樹された
桜の若木が育っていた。
     

 17時50分に集合してバスは18時にブレッド湖を後にする。

 バスは往路を約53㎞戻って首都リュブリャーナに入り、宿泊するラディソン ブルー
プラザホテルに19時07分に着いた。


 19時45分から20時30分頃まで、ホテルのレストランで夕食をする。
                         (天気 晴、歩数 12,300)





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コメント (2)
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