あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

トルコ旅行第6日(世界遺産カッパドキアからイスタンブールへ)その1

2010-05-31 12:38:37 | トルコ旅行
 2010年5月23日(日)

 前夜、カッパドキアの洞窟ホテルに泊まり、この日はいつもより遅めの出発だった
ので、朝食前にホテル周辺の散策に出る。

 ホテルの前には、私たちの乗って来たVIPバスのほかに、同様のバスが2台待機
していた。


 出発が遅いのは、早朝5時前に出発して気球の上からカッパドキアを眺める、オプ
ショナルツアーに参加する人があったから。

 その気球が幾つか上がっている。ホテルの上空までは来なかったが、一時は10
基くらいが見えた。ツアーに参加した人の話では、数十基上がったらしい。 

 このツアーは人気が高く、同じころ散歩していた韓国のご夫妻は、前日に申し込
んだが、すでに満員だったという。1基には、20人以上乗れるらしい。

 ちなみに、オプショナルツアーの参加費は、1人185トルコリラ(約12,000円)に
なる。

 洞窟ホテルを9時に出発し、最初に、近くの陶器工房に行く。

 まず、足でろくろを回してつぼを造る様子。つぼを造った後、ピッタリとしまるふた
も造って見せてくれ、その精緻な技術に感心する。


 その先の部屋では、数人の職人さんが皿に精巧な絵を描いていた。


 直売店には、色彩もデザインもすばらしい製品が、たくさん並んでいる。


 カッパドキアでの観光を終え、レンガ造りに適した赤土の多い、川沿いを北西に
17㎞ほど進んで、ネブシェヒルの空港に行く。最近できた新しい空港である。

 空港で、5日間1,900㎞前後に及ぶバス移動にお世話になった、2人のドライ
バーさんに分かれ、12時5分発のトルコ航空の国内便TK2009便にてイスタン
ブール空港に向かう。 搭乗機種はB737-800↓。 

 イスタンブールまでは、約1時間、650㎞のフライトである。

 イスタンブールに着き、午後は、ヨーロッパサイドにある世界遺産イスタンブール
歴史地域へ。その最初はトプカプ宮殿に行く。

 宮殿には庭を挟んだ3つの門があり、これは最初の皇帝の門。

 トプカプ宮殿は、オスマン帝国歴代スルタン(君主)の居城で、政治の中枢として
370年の歴史を重ね、現在は博物館として公開され、年間150万人が来訪すると
いう。 

 館内の観覧を前に、まずは昼食に。食堂は、ボスフォラス海峡を見下ろす景勝の
場所にあった。


 向こうに見えるのは、全長1,569mの第一ボスフォラス大橋。


 昼食後、1時間ほどの自由時間となり、各々が見たいところを回る。歴代スルタン
の宝飾品や、玉座、宝石などを展示する宝物殿は、展示物を3重、4重にも囲む人の
群で大混雑していた。 隣の衣裳展示室にも入る。いずれも写真撮影は禁止である。



 次に日本館をかけ足で回って仏像や書物、衣裳などの展示を見る。
  


 最後に、謁見の間に入る。ここは撮影可能だった。


 トプカプ宮殿の次は、「聖なる叡智の聖堂」を意味するアヤソフィアへ。537年
に再建されたもので、ビザンチン聖堂の大傑作といわれている。


 中に入ると、大きなドームと華麗な色彩に包まれた広い空間に圧倒される。

 ドームの高さは55.6m、直径は31~33m、世界でも5番目の高さのドーム
とか。


 石畳のスロープにより2階に上がると、幾つかのモザイク画を間近に見ることが
できる。これはその一つ、キリストと女帝ゾエ夫妻像。


 17時半を過ぎたが、次の世界遺産に向かう。 (続く)
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トルコ旅行第5日(コンヤから世界遺産カッパドキアへ)その2

2010-05-30 12:20:58 | トルコ旅行
 2010年5月22日(土) 続き

 カッパドキア観光、昼食後の最初は、バスで10分ほどのラクダ岩へ。 

 本当にラクダによく似た岩だが、これも自然の造形によるもの。

 カッパドキアの地層は、数億年前の噴火により火山灰と溶岩が積み重なって、凝
灰岩(ぎょうかいがん)や溶岩層となり、各層により硬度の異なる砂岩が、雨や風で
長い間に浸食され、このような不思議な形の岩が生まれたという。

 さらにバスで10分足らずのところには、「キノコ岩」と呼ばれるキノコのように林立
する岩が立ち並んでいる。 


 さらに15分ほど移動してギョレメ野外博物館に行く。

 ここも、4世紀ごろから住むようになったキリスト教徒が、9世紀ごろから強まった
イスラムの圧迫から逃れるために、岩を彫って教会や修道院を造ったといわれる
ところ。


 教会は400~500くらいあったというが、現在はそのうちの約30が野外博物館
として公開され、壁面や天井には、このようなフレスコ画の残るところもある。


 いろいろな国からの観光客で溢れ、少し待っていないと入れない洞窟もあった。


 野外博物館からの周辺の眺め。


 ギョレメの高台にある展望台に上がると、カッパドキア中心部の展望が広がる。


 向こうの平らな台地は、ローズヴァレー(赤い岩)と呼ばれている。


 最初に訪れたウチヒサールの、城塞だった巨岩も見える。


 今日の最後は、この展望台の下にある洞窟住居に今もも暮らす一般家庭を訪ね、
トルコティーをいただいた。

 このお宅の奥様は、ご自身でじゅうたんを緒っておられ、部屋に敷いてあるじゅう
たんも、全部奥さんの手作りだという。


 お茶をいただいた後、奥さん(後列左から2人目)や、今回通しで現地ガイドを
していただいたハイダルさん(後列左端)とともに、全員で記念撮影をする。

 この中には、新婚旅行の2ペアと、金婚のペアも居らた。

 上の展望台からは、眼下のギョレメにある洞窟を利用したホテルや住居もよく見
える。

 私たちがこの日泊まったのは、右手中ほど、3,4段に見える洞窟ホテルだった。
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トルコ旅行第5日(コンヤから世界遺産カッパドキアへ)その1

2010-05-29 21:16:09 | トルコ旅行
 2010年5月22日(土)

 トルコで一番広いコンヤ平原の、中心都市コンヤ郊外のホテルを7時に出発し、
これもトルコで一番直線区間が続くという、国道D300号を東北東に向かう。

 この道路は、かつてのシルクロードでもあり、周辺は麦の穀倉地帯で、近くで
世界一古い時代の麦が発見されたとのこと。

 シルクロードには、かつては遠くても50㎞ごとには隊商宿があり、政府の政策
で当時の商人は、2日間は無料で泊まれたという。

 今も残る隊商宿のひとつ。沿道にはほかにも、修復した隊商宿などが幾つか見
られた 


 最初は右手の一番高い山が富士山のようにひとつだけ見えたが、進むにつれて
3つのピークを見せるようになった。ピークの標高は2,000mを超えている。 


 コンヤから230㎞ほどで、世界遺産カッパドキア地方に着く。カッパドキアは、
紀元前15~12世紀ごろにはヒッタイト王国の中心地として栄えたという。

 カッパドキア地方は、行政やビジネスの中心都市ネブシェヒルなど、南北約50
㎞に広がっており、この日は、その中にある幾つかの地域をめぐった。

 最初の下車地、カイマルクが近づき、山の斜面の岩を利用した住居群が見え
てきた。


 まず訪ねたのが、カイマルクの地下都市。キリスト教徒がアラブの迫害を逃れる
ために造ったといわれ、多いときには5,000人以上が暮らしたという。

 地下都市の内部は地下8階まであり、外気を取り入れる換気設備、台所や厨房、
食料庫やワイナリー、教会など、生活をするための施設が整っていたようだ。

 複雑な地下通路を上り下りして、その一部を回ったが、よくもこのように迷路の
ような穴を掘削して、大きな地下都市を形づくったものだと感心させられる。

 地下都市のそばにある観光客向けの露店。この先のどこにも、似たような店が
あった。




 次の目的地への途中、この地方の特産品のひとつ、じゅうたん工房に寄る。

 トルコじゅうたんの織り師たちの実演を見た後、トルコじゅうたんの特徴などの
説明を受け、多彩な彩りのじゅうたんの数々を見せられ、買うよう勧められる。

 丈夫なことと彩りの素晴らしさは良く分かったが、お値段はわが家では買える
ようなものではないので、全く買う気はなかった。

 だが、この部屋に、われわれツアーメンバー12人より多いセールスマンが集
まり、ひとりずつ執拗に声をかけてくる。買わなければ部屋から出さないのでは
ないかとさえ思われ、私にとっては不快なところだった。

 結局一人の方が、玄関に置きたいというじゅうたんを1枚買って解放?され、店
を後にした。


 次は、カッパドキア一帯では一番高所にある小さな村、ウチヒサール。村の中心に、
敵の侵入を防ぐ城塞としたという大きな岩山がそびえ、周辺に幾つもの岩窟住居が
見られた。


 眼下に、この周辺に産出する赤土を利用して造る、レンガ工場↓を見下ろす、丘の
上のレストランで昼食をする。

 
 昼食後も、カッパドキアの奇岩群の幾つかをめぐる。(続く)
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トルコ旅行第4日(世界遺産パムッカレからコンヤへ)

2010-05-28 17:36:17 | トルコ旅行
 2010年5月21日(金)

 パムッカレのホテルを7時半に出て、まずは近くの高地にある世界遺産、古代都市
ヒエラポリス遺跡に行く。


 ヒエラポリスは紀元前2世紀ころ、良質の温泉の周囲に建設された都市と考えられ
ているという。一時地震で町が崩壊したが、皇帝ネロの時代に再建され、2~3世紀
には人口10万を超えるローマ地方都市として復活したようだ。


 ヒエラポリス遺跡のあるパムッカレとは、トルコ語で「綿の城」を意味し、長い年月を
経て凝結した温泉の石灰岩が、綿の城のような広大な石灰棚となった珍しい光景が
見られる。

 石灰棚は、長さ約3㎞、厚さは300mあり、ふもとの平地から100mほどの高さ
のところにできている。

 観光客は石灰棚に、はだしで入って、温泉の流れる細い溝に足を浸して足湯を
体験できる。 ただ、温泉の流れの底はぬるぬるしているので、滑らぬよう注意が
必要だ。


 高台に広がるヒエラポリス遺跡からは、眼下の町並みや広大な平原、はるか向こ
うの残雪の山並みまで一望できる。


 緩やかな山の斜面の広いエリアに、古代都市の遺跡が残っていた。




 紀元206年に完成したという劇場。観客席の直径は100mあるという。


 遺跡の一角にはアンティックプールがあり、たくさんの観光客が温泉に浸かっていた。

 でも、日本人らしい姿は見えない。日本から観光ツアーは、ここで温泉に浸る
だけの時間のスケジュールがなく、かけ足で次の観光地に向かうようだ。

 パムッカレの観光を終え、バスは東に向かう。近づいてきた2000m級の山の
上部には残雪が見える。


 このあたりは一面麦畑が広がる。1000mを超える高地なので、収穫はもう少し先
になりそう。


 一面の白い花はケシ、麻薬を造るわけではなく、花の種を収穫してパンや香辛料
などの食品として使う。麻薬に転用されぬよう、耕作に当たっては面積を報告して
許可を得て栽培し、収穫期には検査があるらしい。


 バスはパムッカレから約410㎞走り、トルコでも最も敬虔(けいけん)な回教徒の
多いというコンヤの市街地に入り、メヴラーナ博物館に入る。

 館内は撮影禁止で、中にはメヴラーナ教の創始者の棺や、教団の衣裳、儀式用具
などが展示されていた。

 構内にあるメヴラーナ教の墓。


 博物館のそばにあった陶器店の、外に並ぶ陶器の数々。


 この日の最後は、コンヤの郊外にあったスーパーマーケットでの買い物。町の人
たちがどんなものを購入しているのかが良く分かり、土産店より安い買い物もできる。


 コンヤでの今夜の宿は、スーパーに近いリクソス(RIXOS)という25階建ての
高層の新しいホテルだった。

 コンヤの人口は約80万人、セルジュク帝国の首都だったところで、この近くには
セルジェク大学があるとのことで、市の中心とを結ぶ市街電車が、ひんぱんに走っ
ていた。

 
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トルコ旅行第3日(ベルガマ遺跡とエフェソス遺跡へ)

2010-05-27 22:00:49 | トルコ旅行
 2010年5月20日(木)

 地中海に面したトルコ西部の町、アイヴァリクに泊まり、この日は朝7時にホテル
をバスで出発した。

 間もなくすぐ左手に水を張った塩田が現れ、野生のフラミンゴがたくさん見える。

 塩田には、右手のエーゲ海から海水をくんで天日により濃縮し、塩を造るという。

 最初の目的地ベルガマに近づくと、金を採るために掘った土を盛り上げた、木の
ない小山が幾つも見られた。このあたりでは、1トンの土から3グラムの金が算出
されるとのこと。

 また、ベルガマはトルコ石の産地とのことで、トルコ石の販売店に立ち寄る。女性
の何人かは、トルコ石のアクセサリーを購入した。


 きょう最初の観光は、ベルガモ(ベルガモン)遺跡。紀元前283年から約150
年間、栄えたという。城壁の下に咲くのはキョウチクトウ、この花もあちこちで見た。


 大理石の柱が残るトラヤヌス神殿。


 ベルガモ遺跡は、標高392mの山上にあり、眼下のベルガモの市街や、周辺の
山並みなどが一望できる。 曇りがちの午前中で、ちょっと寒かった。


 丘の斜面を利用して造られた大劇場。世界一急斜面の劇場といわれ、収容人員は
約1万人だったという。


 きれいなアーチの続く通路。


 ここでは本の材料としてパピルスの代わりに、保存性の良い羊皮紙が用いられる
ようになったとのこと。

 遺跡の入口付近では、下の町並みから上がるロープウェイの、山上駅の建設が進
んでいた。

 バスは、地中海に近い道筋を南に向かう。途中の都市イズミール(IZMIR)でも、町
並みの背後の斜面に、新しい集合住宅の建設が進んでいるのが見えた。

 イズミールはトルコ第3の都市で人口は350万人、周辺はブドウ畑が多く、種なし
の白いブドウが収穫できるとのこと。また、美人の多い都市で、毎年の美人コンテスト
には上位入賞者が続いているという。

 町並みを抜けると、松に覆われた山の斜面や、オリーブ畑が続く。

 オリーブは、トルコの重要な産物のひとつで、世界第3の産地とか。樹齢400年
くらいまでは実を収穫でき、11月の収穫期には、ほかの地方からの季節労働者が
たくさんやってくるという。

 ベルガマから約190㎞南下して、次の観光地エフェソス(エフェス)遺跡の見える
ところで昼食をした。 昼食地から望むエフェソス遺跡↓。


 この遺跡の黄金期は、ローマ帝国支配下の紀元前130年ころで、人口20万人
の世界最大級の都市だったという。 


 山の斜面に造られた大劇場。紀元前3世紀に造られ、ローマ時代に増築されて、
72段あり収容人員は2万人を超えたという。

 音響効果も抜群で、左下の舞台で話す声は確実に最上段まで聞こえたとか。私
たちも舞台から「さくら」を合唱したところ、上の方から拍手があった。

 図書館(左)と南門(右)。エフェスノシンボルともいえる図書館は、1階と2階では
異なる様式で造られている。


 大劇場の全景。午前のベルガマ遺跡では少し寒いくらいだったが、ここでは好天
となり暑さを感じ、日陰が欲しかった。また、観光客の多いことも目についた。


 地中海に近いエフェスから東へ、緩やかで広大な谷間を185㎞ほど進み、パムッ
カレの宿が近づいてきた。


 この日は、温泉プールや温泉のあるPOLAT THERMALというホテルに泊まる。

 ホテルの食堂から望む入り日。ちょうど20時だった。
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トルコ旅行第2日(イスタンブールから世界遺産トロイ遺跡へ)

2010-05-26 22:53:53 | トルコ旅行
 今回のトルコ旅行は、5月18日(火)に成田空港を出発して空路、トルコ・イスタ
ンブールに入り、翌日から7日間、トルコ西部の世界遺産などを巡った。

 2日目からの、日々の旅の様子を順次報告する。



 ちなみに、宿泊地は ①イスタンブール、②アイヴァリク、③パムッカレ、④コンヤ、
⑤カッパドキア、⑥イスタンブール、⑦帰路の機内泊である。

==================================

 2010年5月19日(水)

 成田国際空港からのトルコ航空にて、前日の20時過ぎトルコ第1の都市イスタン
ブールの空港に着き、空港から比較的近いホリディイン エアポートホテルに宿泊
した。

 今回のメンバーは12人、この日は7時45分にホテルから大型バスに乗る、12
人で50人乗りくらいのバスなので、通路を挟んで4人並びの座席に1~2人だけ
座ればよく、ゆったりできるのがありがたい。

 トルコは、アジアとヨーロッパに属するただひとつの国。その中でイスタンブール
はトルコの北西端近くにあり、ボスフォラス海峡を挟んで、アジアサイドにもヨーロ
ッパサイドにも市街がある。

 イスタンブールの人口は、東京都と同じくらいの約1200万人という世界有数の
大都市、面積は5343平方㎞あるという。

 バスはビルの林立するヨーロッパサイドの市街を抜けて、マルマラ海沿いに南西
に向かう。次第に人家が少なくなり、緩やかな起伏の緑豊富な平原が広がる。

 緑の濃いところは林で、ほとんどが松林。日本の黒松や赤松とは違う種類のようだ。

 このほか沿道には麦畑が多く、一部には水田もあり、その後の食事でライスを何度
も食べる機会があった。

 マルマラ海の西端まで進んで、西側のエーゲ海とを結ぶ長さ62㎞、狭いところは
幅1.2㎞というチャナッカレ海峡沿いに入り、中ほどの町Eceabatにあるカーフェリー
乗り場のそばで昼食をした。

 波止場に停泊中のカーフェリー。われわれのバスは右側のフェリーに乗る。 


 カーフェリーは12時30分に港を離れた。


 対岸のアジアサイドから来たカーフェリーと行き交う。


 アジアサイドが近づき、30分足らずで対岸の町、チャナッカレに着いた。


 チャナッカレから再びバスで約30分、20㎞ほどで、世界遺産トロイ遺跡に着く。

 トロイは、伝説上の都市と信じられていたが、ドイツの考古学者シュリーマンが
私財を投げ売って発掘を続け、1870年に発掘した遺跡である。


 ここは城門への入口。突き当たりを左折するところは、外敵の侵入を防ぐため、
さらに狭くなっていた。


 遺跡の一角から見える風景。当時は海が近くまで迫っていたようだ。


 ここに初めて集落ができたのは紀元前3000年ごろ、それから紀元400年ころ
までの間に、9つの時代の都市が重なり合っているという。


 遺跡のあちこちに咲くヒナゲシ。トルコの気候風土に合うのか、この後もあちこち
で見た。


 9層に重なった都市層が見られるところ。下から上にⅡ、Ⅲ、Ⅳの表示が見える
が、その時代の都市層を示す。


 遺跡の高台から見える、4つ前の写真とは別方向の眺め。手前の黄色いところは、
実りを迎えた麦畑。


 大劇場だったところ。右手の木のところが舞台だった。


 遺跡の入口付近には、トロイの象徴ともいえる「トロイの木馬」の復元像がある。
1975年に当時の大きさで復元したが、形はこのようだったかははっきりしない
らしい。

 階段を上がって中に入り、窓から外を眺めることができる。

 この日の観光はトロイ遺跡のみ。ここからエーゲ海沿いに南下する。周辺は次第に
オリーブ畑が増え、やがて一面、山の上までオリーブ畑が広がる。

 通過する町並みには、新築の集合住宅が目立ち、その屋根にはどこも、太陽熱の
温水設備やパラボラアンテナが並び、ベランダでのバーベキュー用という煙突も目に
ついた。

 トロイからアイヴァリク(Ayvalik)まで、約170㎞南下し、エーゲ海に面したグランド 
テミゼル(GRANDTEMIZEL)ホテルに宿泊した。

 プールの右手を下りると、海水浴場の砂浜と紺碧のエーゲ海が広がる。

 対岸に見えるのは、大きな島である。
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8日間のトルコ旅行から帰国

2010-05-26 08:26:43 | Weblog
 5月18日(火)~昨日5月25日(火)、8日間のトルコ旅行に行って来ました。

 行き先も告げずに出かけ、どこへ出かけたのだろうかと疑問に思っておられた
方もおありかもしれません。

 現地からは、毎日の行程の概要をモブログにて投稿したのですが、どうしたこと
かアップできていませんでした。

 私の携帯電話は海外対応にしてあるのですが、トルコの通信方式に対応する
「3G+GSM」の電話機でなかったので、同じNTT Docomoのレンタル制度を
利用して対応する携帯電話を借りて行き、投稿したのです。

 途中、投稿できない場所もあったのですが、ほぼ毎日送信できたので、アップ
できたものと思い、昨日帰国してさっそくのぞいてみたら、だめだったので、ガッ
カリしました、 また、ご期待いただいていた皆様には申し訳ありません

 旅行の結果は期待以上で満足したので、その経過は順次アップします。とりあ
えず、8日間アップできなかった事情の報告です。


 世界遺産トロイに、1975年に復元したトロイの木馬(5月19日)


 世界最大級の都市遺跡エフェソス(エフェス)(5月20日) 


 世界遺産パムッカレの広大な石灰棚(5月21日)


 じゅうたん工房の見学(5月22日)


 世界遺産カッパドキア(5月22日)


 イスタンブール、ビザンチン聖堂アヤソフィア(5月23日)


 アヤソフィア内部(5月23日)


 イスタンブール、ボスボラス海峡クルージングで望むスレイマニエモスク(5月24日)

   

 
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海外旅行へ

2010-05-17 22:40:09 | Weblog
 5月18日(火)から5月25日(火)まで、8日間の海外旅行に出かけ
ます。そのため、この間のパソコンからの投稿はお休みとなります。

 可能なら、現地からモブログにて簡単な経過報告をしたいと考えていますが、
現地のネット事情により毎日報告できるかどうか分かりません。
 
 また、当ブログへのコメントや、メールをいただいても、閲覧の機会がありま
せんので、返信は帰宅後となります。 ご了承下さい
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カタツムリ歩行 花小金井(東京)

2010-05-17 13:20:27 | カタツムリ歩行
 2010年5月16日(日)

 JR武蔵野線とその周辺の駅から、カタツムリの歩みのようにゆっくりと半日
のウオーキングを続けている、カタツムリ歩行の第194回例会に参加しました。

 今回の集合駅は、西武新宿線の花小金井駅。5月1日~3日に開催された、
東京国際スリーデーマーチでも毎日乗降した、私にはおなじみの駅です。

 10時過ぎに出発、駅の南側を走っている多摩湖自転車道を東に向かいます。

 このあたりは小平市、まだ畑も残っていて、自転車道沿いには、取れたての
野菜を販売する店もありました。 

 赤い旗は「畑からまっしぐら」となっていますが、この店のすぐ南側が、この農
家の裏庭になっているので、ほんとうに旗のように、とりたたの野菜です。

 自転車道を挟んで、この店の反対側も畑になっていて、良く育った野菜が見
えていました。


 自転車道の南を走る鈴木街道が接してきたので、その街道に入りました。すぐ
先にあったのが「おふろの王様」という日帰り温泉。地下1500mから出てくるの
は、塩化物泉のようです。


 さらに400m余り進み、持宝院に入ります。小ぶりな本堂の前に、ちょっとした
盛り上がりがあり、そこに石仏がたくさん並んでいました。


 境内の一角に咲くミカンの花。


 鈴木街道を少しだけ戻って、都立小金井公園に向かいます。公園の入口近く
に、「道草」と書かれた建物があり、小金井公園や多摩湖自転車道、玉川上水
沿いなどの写真が展示されていました。


 すぐ先が、都立小金井公園北口です。ここから緑豊富な園内へ。


 小金井公園の前身は、昭和15年(1940)の紀元2600年記念事業で計画され
た小金井大緑地とのこと。公園は昭和29年(1954)に開園し、現在の面積は、
約79万3千㎡という広大なもの。小金井市、武蔵野市、小平市、西東京市に位置
しています。

 ツツジで埋めつくされた盛り上がりは、ソリゲレンデの北斜面。反対側では、ワッ
クスを縫ったソリで滑り降りることができます。


 こちらはハンモック広場。30分150円でハンモックにゆられるのも、気持ちよい
かもしれません。


 5月1日~3日には、東京国際スリーデーマーチの中央会場になった、いこいの
広場では、フリーマーケットが開かれていました。


 西に進むと、江戸東京たてもの園の南側の池で、カメが気持ちよさそうに甲羅
(こうら)干しをしていました。


 江戸東京たてもの園には、この建物から入ります。今日は時間がないので、ロビー
にあるミュージアムショップをのぞいただけでした。


 小金井公園の中央南側にある正面入口近くで公園を出て、玉川上水の北側に
ある、八幡神社に正午ちょうどに着きました。今日のゴールです。


 社殿の前の緑陰で昼食を済ませ、ふと上を見ると、モミジの花が咲いていま
した。


 社殿の前で記念撮影をして、事務局のDさんや、この歩きの企画者・やまさん
の話を聞きました。


 最後にK子さんのオカリナに合わせて、「ミカンの花咲く丘」などをみんなで
合唱し、散会となりました。


 私は、スタートの花小金井駅北口に回り、用件を済ませてから、多摩湖自転車
道を西に、前回のスタート地だった小平駅まで歩き、西武新宿線下りで、帰途に
つきました。

(天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 小平市、西東京市、
 小金井市)
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奈良・平城宮跡東院庭園から法華寺へ

2010-05-16 22:33:26 | 奈良を歩く
 2010年4月21日(水)(続き)

 平城宮跡めぐりの最後は、東南の位置にある東院庭園(とういんていえん)に
入りました。


 平城宮には、ほかの日本古代都城の宮殿地区には例のない、東の張り出し部
を持つのが特徴のようです。

 この南半分は、皇太子の宮殿があった場所で、「東宮」あるいは「東院」と呼ば
れていて、その南東端にあった庭園を復元したものです。

 この庭園は中心に池をめぐらし、2つの建物がありました。







 池の周囲を時計回りで一周して、東院庭園を出ました。

 庭園の塀に沿って東北に進み、奈良市法華寺町にある法華寺に行きました。

 法華寺は、光明皇后の願により創られた日本総国分尼寺です。

 この山門を入って、法華寺を拝観しました。


 本堂に向かうところの、八重桜が満開でした。


 法華寺本堂。内陣では、本尊の十一面観音や、木造梵天、帝釈天、横笛座像
など、多くの仏像が拝観できます。



 境内に立つ幾つかの建物。


 国の史跡 名勝になっている庭園も拝観しました。庭園の面積は五百坪ほどあり、
への字形の土橋を境に、手前は広い池になっています。




 庭園を出て、さらに境内の建物などを見て回りました。これは「からふろ」と
呼ぶ浴室。光明皇后が、薬草を煎じてその蒸気で、多くの難病者を救済され
たところのようで、国重要文化財です。


 光月亭と呼ぶ建物は、奈良県月ヶ瀬村の民家を移築したもので、18世紀の
建設と推定され、県文化財です。


 境内東側には、植物園のような一角があり、そこに咲いていた「五月梅」と
呼ぶ木の花です。


 法華寺の拝観を終えて南東に進み、佐保川を渡って近鉄奈良線の新大宮駅
に15時半過ぎに着き、今回の5日間の京都・奈良をめぐる歩き旅を終え、京都
経由で帰途につきました。

 (天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 奈良、歩行地 奈良市)
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