あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

奥武蔵、丸山から金昌寺へ初冬のハイキング(埼玉)

2015-11-29 18:20:23 | ハイキング
 2015年11月28日(土)

 久しぶりに、奥武蔵の展望台ともいえる丸山へのハイキングに出かけた。自宅を7時
10分に出て西武池袋線下り電車に乗り、8時38分に西武秩父線の芦ヶ久保駅に着く。


 駅前の標高は約310m、気温は5℃前後だろうか、駅の南面が山なので陽が差し込
まずひんやりしている。ここで従兄弟のOさん、旧知のTさん、そして初めてのHさん
と落ち合い、8時49分に出発した。

 最近、標高差500m以上の山登りはしていないので、皆さんについて行けるか心配。
遅れた場合はマイペースで行くからと了解を得て、3人の計画に参加したもの。


 周辺の山並みは晩秋の彩り。北側の横瀬川の橋まで下って国道299号を西に少しで、
道標に従い北側の中道集落へ。
    

 日射しがいっぱいの南面の車道を、北に向かって少しずつ上がる。路傍に小さなほこら
が祭られていた。
         

    
 その上の野谷(のがや)集落の民家の庭先に、不規則な枝張りのピラカンサがいっぱい
の実を見せる。近くには熟して落ちそうなカキも。
         

 「横瀬町農村公園」の看板があり、背後の園内にはアジサイ園や梅林、ショウブ池など
があるようだ。



 さらに上がると南から西方の展望が良くなり、石灰岩の採掘で荒々しい岩肌を見せる武
甲山(1,304m)や、奥秩父の山並みの展望が開けてきた。
 

 周辺にユズの木が増え、熟した実を採る人もいる。


 近くにユズやギンナン、ミニトマト、カキなどを並べた無人スタンドがあり、いずれも
1袋100円だが、まだ往路なので求めずに行き過ぎる。


 標高430m付近で古い道標に従い、県民の森に向かう山道へ。

 少し上がると、頭上のモミジが青空にきれいな彩りを見せる。
    

       
 イノシシ除けのネットが張られたゲートを空けて通過し、葉の落ち始めた広葉樹林の間
を緩やかに上がる。
       

         
 やがてスギの樹林帯となり、古い大日如来碑と観音像の並ぶ先からは、防火帯のために
登山道は広くなった。
    

       
 しばらくは、東北に向かって延びる幅広い防火帯の緩やかな上り道が続く。

 標高850m付近で、等高線上を走る「奥武蔵グリーンライン」と呼ぶ舗装された林道
を横切る。広葉樹林の樹間から、西北はるかに真っ白な日本百名山の浅間山(2,568m)
の上部が姿を現した。


 西には、ひと目でそれと分かる日本百名山の両神山(1,723m)の山容も望まれる。


 標高910m付近で、北側の県民の森森林館への分岐のある三差路に着き、右への丸山
への稜線に向かう。


 北側少し下に平行するグリーラインの車道が走り、登山路下をトンネルで抜けるところ
に、新しいトイレが設けられていた。



 東南に、丸山のすぐ東のピークにある電波塔群が望まれ、トンネル上から標高差約60
mほど上り、標高960.3mの丸山山頂に11時05分に着いた。山頂には、コンクリ
ート造りのどっしりした展望台がある。


 私が、最初に丸山に上ったのは昭和32年(1957)8月23日で、南東側の刈場坂
峠(かばさかとうげ)、大野峠経由だった。もう58年も前のことで、もちろんこのよう
な展望台は無かった。以来今日で4度目になる。
    
 古いアルバムにその時の写真があった。まだ20歳台初めで、同い歳だがすでに何年か
前に先だってしまったS君と一緒だった。
         
 アルバムには、この写真の下に「丸山頂上の木に上った人猿二頭」と記されている。


 展望台からは360度の大展望で、途中から見えた浅間山や両神山↑はもとより、北に
やや霞む上毛三山の妙義山、榛名山、赤城山、東北に男体山や白根山などの日光連山が遠
望できる。


 さらに、東にはポッカリと筑波山↑、やや霞む南方には大山から丹沢山塊と奥多摩の山
並み、そして南西間近の武甲山や奥秩父の山並み、西方はるかに真っ白な八ヶ岳連峰↓の
上部、北側眼下には秩父盆地の家並みなどが望まれた。


     大山


                武甲山


                秩  父  盆  地
  

 東北東眼下には、上り口で見えた電波塔群周辺から続く、春の「外秩父七峰縦走ハイキ
ング」コース上にある、堂平天文台のドームの設けられた堂平山(どうだいらさん)
(876m)が見下ろせる。


 山頂にある幾つかのベンチでは、各々のパーティが腰を下ろして昼食を始めている。


    
 わがパーティは、大きなザックを背負ってきたOさんが、ザックの中から鍋を取り出し、
肉とエノキダケを加えた熱々のうどんを作ってくれた。
         

 それぞれ持ち寄った漬物や煮物、弁当などとともに、美味しくいただいた。
        

 記念撮影(私のカメラは露出オーバーだったので掲載省略)をして、11時50分に山
頂を後にした。展望台の北側には、長い霜柱が残っている。
    

 下山路は、距離は長いが緩やかな傾斜で西に延びる稜線上を下る、金昌寺への道を選ん
でいる。皆さんについて行けるか心配したが、何とか一緒に上がれたので、下山路も同行
することにした。

 三差路まで戻って北に少し下ると、「埼玉県民の森」の西側中央部に設けられた学習展
示館がある。


 県民の森は、丸山の北側斜面の標高660m~960mのエリア約68㏊の森林レクリ
ェーションエリアで、昭和56年(1981)5月にオープンしたもの。

 わが家ではオープン直後に家族で訪れ、近くの記念植樹地に子供3人が植樹し、さらに
翌年と平成元年(1989)5月にも来ていて、私は26年ぶり。植樹地がどこだったか
は思い出せない。少しだけ森林学習展示館に入って観覧した。




 館の横から、西に延びる下山路に入る。しばらくは、かなり葉の落ちた明るい広葉樹林
帯の中を緩やかに下る。


 北側樹間に秩父盆地の家並みなどが望まれ、豊富な落ち葉道をカサコソと気持ちよく下
って行く。


 標高530m前後までは稜線上の緩やかな下り、小さなお社(やしろ)の前を過ぎる。
       

 やがてスギの樹林帯に入り、やや斜度が強まる。その先で道は狭いV字状になり、滑り
やすいところもあり、疲れも出て来た足を慎重に踏みしめる。

 2度ほど小休止しながら下り、暗い杉林がようやく終わって、眼下に金昌寺の屋根が現
れた。


 寺の背後の墓地際はコンクリートの階段となり、下っているうちに一瞬不自然な足運び
になり、右足首の背後少し上をひねったのか、筋肉の痛みを感じた。

 段差の下りが痛いので、ゆっくりと下って秩父三十四観音霊場5番札所の金昌寺境内に
入る。

 観音堂の前に慈母観音像↓が祭られ、観音堂の横には地蔵堂もある。
    

 昨年、午歳(うまどし)総開帳の秩父三十四観音霊場巡りで、金昌寺には雪の残る3月
12日に参拝していて、1年8か月ぶりである。


 1,000体以上あるという、江戸時代の宝永年間(1704~11)から奉納された
石仏の間を下って山門を出る。


 山門の2階には、西国三十三観音の木像が飾られていた。


 右足をかばいながら、遅れ気味に皆さんについて県道11号まで行く。近くの新木鉱泉
に寄って入浴するという皆さんと別れて、先に帰ることにする。

 県道を南に少し進んで、横瀬町川東下バス停に14時28分に着いた。
    

 そばに、ドラッグストア・バイゴーがあったので入り、鎮痛用貼り薬を求め、右足下部
に貼る。14時53分発の西武観光バスで西武秩父駅に向かった。

 好天で風も無くて好展望が得られ、近年疎遠だったハイキングを久しぶりに楽しんだが、
最後の最後で足のトラブルに遭遇したのが本当に残念だ。一瞬の不注意が悔やまれる。

(天気 快晴後晴、距離 10.5㎞、地図 「山と高原地図」奥武蔵・秩父、1/2.5
 万 正丸峠、秩父、歩行地 横瀬町、秩父市、累積標高差 上り約820m、下り約
 920m、歩数 21,700)


 帰宅後、県民の森の学習展示館でもらった県民の森の地図を見たら、記念植樹地は東側
300m前後にある。来春にでも再訪して、植樹地に回ってみたい。
 



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三浦大根の畑が広がる三浦市南部を歩く(神奈川)

2015-11-24 23:20:27 | カントリーウオーク
 2015年11月23日(月・祝)

 勤労感謝の日、山浦敬子さんの今年最後の「アートウオークセラピー」に参加した。集
合は京急久里浜線の三浦海岸駅。参加は敬子さんのほかは鶴見のIさんと私のみ。

 10時7分発のバスに乗ったが、下車予定の毘沙門天入口バス停は無く、終点の三崎港
バス停に着いた。ルートが違うと分かり、幸いすぐに来た剱崎経由三浦海岸駅行きバスに
乗り、毘沙門天入口バス停で10時55分に下りた。


 あたり一面にこの地特産の三浦大根の畑が広がり、近くの畑では家族3人が一心に大根
を収穫していた。


         
 「毘沙門尊天…」と「馬頭観世音菩薩」と刻まれた古い石像の並ぶ変則四差路を東に入
る。収穫期を迎えた一面大根畑の広がる農道を進むと、換気口のような円筒が並んでいる。

 近くで大根を収穫中の人に声をかけたが、少し離れていて聞くことは出来ない。

 別の畑には、珍しいピンクの大根が放置されていた。


 90度右カーブして南に下る途中に、三浦七福神の毘沙門天を祭る白浜毘沙門天のお堂
があった。

 慈雲寺の毘沙門堂で、本寺は応安元年(1368)の開山、毘沙門天は行基(ぎようき)
の作と伝えられるとか。

 正月3日の酉の刻(午後6時)には必ずありがたい神示があると信じられ、近郷から多
数の参拝者があり、知恵と勇武の守り神としてあがめられているという。

 堂内をのぞいてみたが、毘沙門天像を見ることはできない。無住で境内は手入れが行き
届かず、広葉樹などが乱雑に茂っていた。

 海辺まで下り、岩礁を西側の毘沙門湾に向かって回り込む「関東ふれあいの道」の「三
浦・岩礁のみち」を進むことにする。


 前回の9月27日に歩いた、凹凸の多かった東側の江奈湾付近を回る「岩礁のみち」よ
り、岩畳の凹凸は小さくてより歩きやすい。

    
 浜辺の砂地にたくさんのクコが実を付けていたので、つまんで口に入れたらほのかに甘
い。わずかなヤマブドウの実や、1輪だけ咲き残るハマユウも目に付いた。
        

    
 砂地には、たくさんの砕けた貝殻や、白っぽくて細かな海藻などが見られる。さらに進
むとタンポポに似た花が咲いていた。
         

 突端の尖った島との間を抜けると、毘沙門湾が見えてきた。そこで短時間のスケッチタ
イムとし、立ったまま毘沙門湾周辺を描く。


         

 毘沙門湾の向こうには、城ヶ島大橋と城ヶ島も望まれる。

   城    ヶ    島       城 ヶ 島 大 橋




 右手斜面が垂直の露岩になった辺りの下部に、ポッカリ大きな穴を見せる洞窟があった。



 「神奈川県指定史跡 毘沙門湾洞窟弥生時代住居阯群」の説明板があり、弥生時代から
平安時代に住居や墳墓として利用されたことなどが記されていた。


 その先は、ややゴツゴツした岩礁となり、コンクリート柱の上を渡ったりして通過する。
間もなく毘沙門湾の漁港に着き、岩礁の道と分かれた。



 エンジン付レジャーボートの保管所の横から、八浦集落の斜面を台地上のバス道路まで
上がる。北西に続く江奈集落に進み、12時13分に慈雲寺に入り、本堂左手横の濡れ縁
を借りて昼食にした。



 山門の外、道路際に古い地蔵尊などの石像が並び、境内にも石造の地蔵堂があり、青銅
の観音立像が色づくイチョウの下にあった。
         

 帰宅後に分かったのだが、ここ慈雲寺が最初に立ち寄った毘沙門堂の本寺で、正月に巡
る三浦七福神の毘沙門天の朱印などはここで押印するようだ。

 記念撮影をして12時38分に寺を後にした。

 近くの三差路を右折してバス道路の東に平行する旧道を進み、大根畑の中を回って再び
バス道へ。周辺の大根畑は収穫期を迎えたところが多く、よく太った大根は半分以上が地
上に姿を見せている。
    


 北側の斜面下から延びた広葉樹が色づき始め、その周辺に緑の大根畑が広がり、緩やか
な斜面上部まで続いている。


 道路の傍らに、首を補強したお地蔵さんが立っていた。台地上に吹く強風で折れたのだ
ろうか…。
     

 近くには、今を盛りと咲く皇帝ダリアが1本だけ、高く枝を伸ばして咲く。
          

 大根畑の真ん中にある大乗バス停の三差路まで進み、「海應寺入口」の石碑に従い、南
側の丸込集落に入る。海應寺は、変わった形の火の見やぐらの横を下ったところにあった。



 三浦地蔵尊37番と、三浦観世音第5番の札所で、どっしりした本堂の右手前に古い石
仏が並び、本堂左のモミジが淡い彩りを見せる。
     

 庫裡(くり)のそばのユズが、小さい実をたくさん付けていた。


 すぐ先の民家の納屋に、収穫して洗浄機で洗った大根がたくさん積んであった。

                      たいこん洗浄機↑      


 こんなに積んでは、下の大根はさぞかし重いだろうと気になるほど。ちょうど現在は収
穫期のようで、今日はあちこちで収穫中の畑を見ている。

 三差路の先辺りから大崎集落となり、集落を抜けると再び大根の畑になる。急斜面を、
西北に向かって毘沙門湾近くまで下る。



 りっぱな民家の横で家並みは途切れ、地図上の水田も大根畑に変わった低地を、狭い谷
間に回り込む。ここが三浦半島とは思えぬ静かなたたずまいである。



 谷間の奥まで進んでU字状に左に回り込み、ハゼ系らしい葉の色づく斜面を再び台地上
に上がる。

 大根畑の向こうに2基の発電用風車が近づき、1基は回転しているがもう1基は停止し
ている。

 よく見ると羽の方向が全く逆、季節により風向が変わるため、このように違う方向に向
いているのだろうか…。


 こちらも、一帯は緑一色の大根畑ばかり。わずかに違う色に見えたのはキャベツ畑だっ
た。



 その間を進んで宮川町の家並みに入り、今日のゴール、宮川町バス停に13時55分に
着いた。

 14時4分発、剱崎経由の三浦海岸駅行きバスに乗る。

(天気 曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 三浦三崎、歩行地 三浦市、歩数
 11,800)


[追記]風車の風向について、横浜市のTさんからのアドバイスによると、風車は上部を
風向きに合わせて動かせるので、たまたま1台は止めてメンテナンスをしていたのではな
いかとのことでした。止まった風車も、180度回転させれば動いていた風車と同じにな
って稼働させられようです。




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「花燃ゆ」の楫取(かとり)夫妻ゆかりの前橋を歩く(群馬)

2015-11-23 22:09:36 | JR東日本駅からハイキング
 2015年11月21日(土)

 10月下旬並みの気温になるとの予報に誘われ、JR東日本の「駅からハイキング」で
前橋市の中心部を歩いた。

 コースは、NHKで放映中の大河ドラマ「花燃ゆ」の終盤の舞台、初代群馬県令楫取素
彦(かとりもとひこ)と妻文(ふみ)・寿(ひさ)ゆかりの地を巡るというもの。

 自宅を7時7分に出て、JR両毛線前橋駅に10時22分に着く。構内の前橋駅観光案
内所で受付を済ませて、10時21分に南口をスタートした。



 色づくイチョウ並木を見ながら南町3交差点まで進み、右折して西に向かう。市民文化
会館の斜向かいに、代田(しろた)神社と淡島神社の小ぶりな社殿が並んでいた。


 淡島神社↑は、正保・天和年間(1644~84)に旧厩橋(うまやばし)城主、酒井
雅楽頭忠清(さかいうたのかみただきよ)のご内室が、紀州加多の浦から勧請したと伝え
られるとか。ちなみに厩橋城とは、後の前橋城のこと。


 ぐるりと長いレンガ塀に囲まれた前橋刑務所の北側には、どっしりした本堂の冷泉院が
あり、近接して、平日のみ開く刑務所作業製品の展示販売所が設けられていた。


 シンプルな斜張橋の平成大橋で利根川を渡る。北側には、JR両毛線と県道109号の
橋が平行して架橋されていた。

 渡り終えてすぐ、利根川右岸沿いの道を北へ、併走するサイクリング道路を進むと、左
岸上流に前橋中央病院(右)と、これから立ち寄る県庁(左)の高層ビルが望まれる。


 桜並木の辺りは、福山雅治が主演した映画「そして父になる」の、父子の感動シーンを
撮影した場所だという。


 国道17号に出て、アーチ橋の群馬大橋で利根川を東に渡り、群馬大橋東詰交差点から
北へ、県庁に入る前に手前の清光寺に寄る。

 清光寺は、明治12年(1879)、初代群馬県令(現在の知事)楫取素彦、寿子夫妻
の発願で創設されたとのこと。

 寿子夫人は母の感化もあり、浄土真宗信仰の大変篤い女性で、この地に念仏の教えを広
め、人身安らかなりしめたいと願い、夫妻で東京・築地本願寺の宗主を訪ねて前橋に寺院
開設を願い、創設されたのだという。

 境内には、前橋市保存樹木の松とイチョウがあり、松は旧前橋城内時代からのものと考
えられ、2本のイチョウは寺の開設時の植樹と思われるという。イチョウの下のモミジが
鮮やかな彩りを見せる。
    

 東側に回って群馬県庁に入り、まずは32階の展望ホールへ。フロア全体が展望室にな
っていて、360度の広大な展望が得られる。

                   浅間山


              榛     名     山


               赤      城     山

 西方に浅間山や榛名山、北に子持山、東北に赤城山、眼下北側には前橋公園や利根川、
東に前橋市中心街などが一望できるが、南側の神流川流域や奥秩父方面の山並みはやや霞
んでいて、遠望は利きにくかった。

        前       橋       公       園


        前    橋    市    中    心    街


        県    庁    東    側    眼    下


 1階では、3日間開催中の「ぐんまフランス祭」の中日で、フランスの産品目当ての県
民で賑わう。先週のパリでのテロ事件を悼む書き込みボードもあり、帰宅後のTV報道で
は、駐日フランス大使も午前中来られたという。


 高層の本庁舎を出て、北側に3棟並ぶレンガ造りの昭和庁舎のうち、本庁舎側の2階で
開催中の「ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」に入る。
    

 会場では、ドラマの時代背景や登場人物の紹介、出演者のサインや衣装・小道具、初代
群馬県令楫取素彦の業績紹介などの展示があり、群馬県令執務室も再現されていて、ここ
だけが撮影可能だった。
  

       

 ちなみに、昭和庁舎は昭和3年(1928)の建設で、設計は早稲田大学大隈講堂や日
比谷公会堂を設計した佐藤浩一。昭和初期の典型的な洋風建造物で、スチーム暖房や洋風
トイレが整備されるなど、当時としては関東近県で最も先進的な建築技術を駆使した建造
物だったという。

 県庁前広場の一角には、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」の石像がある。
       

 県庁を出て北に向かう。県庁の東側に見えるのは、翌昭和4年竣工の群馬会館。楫取が
県令時代の県医学校併設衛生所跡地で、群馬県で最初の公会堂らしい。


 県庁広場の北側「三の丸緑地」とよぶ一角に、旧前橋城の土塁が残り、「再築前橋城復
元図」の説明板があった。

 それによれば、江戸末期の文久3年(1863)から3年8か月かけて近代的な城郭が
完成したが、機能を果たさぬまま明治維新を迎えたという。

 緑地の北端の土塁上には、明治41年(1908)に建立された「前橋城址之碑」と、
その説明板が立っていた。

 そばの歩道橋を渡って、広い緑地の前橋公園に入る。東西に走る県道10号を挟んだ利
根川左岸にあり、群馬県を形どった「さちの池」、大噴水のある広場、大きな芝生広場、
日本庭園などがある。


 芝生広場に入ると、「楫取素彦功徳碑」と「宮崎有敬翁紀功之碑」が並んでいた。

     
 楫取素彦功徳碑は、貴族院議員として存命中の明治23年(1890)10月の建立。
碑文の隷書題字は有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王で、群馬県令時代
の楫取氏の数え切れない功績を称える言葉が記されている。

          
 宮崎翁紀功碑は明治40年(1907)の建立で、撰文は楫取素彦によるもの。宮崎翁
がこの地で最も優れている人物であると県民誰もが答えていたこと、翁が高品質の生糸輸
出に注力し、伊勢崎織物の品質向上に務めたことなどが記されていた。


 横の土塁に上ると、西側眼下に園内のさちの池などが望まれる。池の横に下り、北西側
のベンチで遅い昼食にした。


 13時5分に池を離れ、県道10号を横断して北側の日本庭園へ。池の周囲に東屋や和
風の建物があり、モミジが良い彩り。



 池の横を回った段丘上の「臨江閣(りんこうかく)」は、楫取素彦の提言により市内有
志の協力と募金で造られた、前橋の迎賓館である。

 明治17年(1884)に建設された本館は、楫取自身の送別会場としても使われたと
か。建物内は無料公開されているので入り、1階、2階の各部屋の内部を一巡して観覧し
た。


    

 別館の大広間


 本館2階の奥座敷は、明治26年(1893)の明治天皇行幸時の御座所跡だという。

                 ↑奥の部屋が御座所跡




 本館の玄関を出て、臨江閣の東側にある遊園地「前橋はなぱあく」を見下ろしながら、
県道10号を次の信号まで東進する。


 信号のある千代田町交差点を左折して北へ、左手に大きな本堂の源英寺(げんえいじ)
が見えたので立ち寄る。

 本堂内には、慶長6年(1601)に厩橋(前橋)城主となり、家康に信頼されていた
という酒井重忠が自ら描いたとされる、前橋市重要文化財で極彩色の「酒井重忠画像」が
あるとか。ここも、境内のモミジが鮮やかな彩り。
    

 道路の東側、木々の豊富な境内の弁天島に銭洗弁天が、その北側には神明宮や稲荷神社
などが祭られていた(稲荷神社↓)。
       

 すぐ先で広瀬川右岸沿いの遊歩道に入り、東方に向かう。清流沿いに、桜やヤナギ、ケ
ヤキなどの並木が続く。


 南北に走る国道17号下を抜けたところに広瀬川美術館があり、建物は国の登録有形文
化財に指定されていた。


 さらに進むと、近くの千代田町生まれの詩人、萩原朔太郎の「廣瀬川」の新しい詩碑が
ある。
    

 その先にも幾つもの詩碑が続き、「広瀬川詩(うた)の道」と名付けられていた。
       

          
 流れは右に大きくカーブして、県道10号近くまで進むと萩原朔太郎の全身像が立ち、
その背後に前橋文学館があったので入館した。


 1階の企画展示室では特別企画展「中原中也(なかはらちゅうや)と萩原朔太郎」展を
開催中だったが、時間の関係もあり2階の朔太郎展示室のみを駆け足で観覧した。

 県道10号に出て、両側歩道がアーケードの通りを西進する。明治14年(1881)
創業というそば屋さんの前に、糸の街前橋をしのぶ糸繰り器が展示されていた。

 すぐ先の参道の奥に、狭い境内だが熊野神社が見えたので入る。

 社殿は近年の再建のようだが、左側壁面のパワースポットとされる八咫烏(やたがらす)
御影石(みかげいし)に「運」の文字と八咫烏が刻まれていて、順に触れると自身に運気
が取り入れられるというので、触りながら参拝した。
         

 境内には「笠欠け三猿塔」と呼ぶ江戸時代に寄進されたらしい上部が欠けた三猿塔があ
る。                      三 猿 塔   
    
 太平洋戦争終戦直前の昭和20年(1945)8月5日、アメリカ軍B29爆撃機の空
襲により欠損したものだが、戦火を逃れて神社に集まった人々を守った塔として、護身、
開運の御利益ありと信仰されているようだ。

 さらに、同じ太平洋戦争の戦火で焼け野原になったこの地域で生き残った、「欅和合
(つきのきわごう)」と呼ぶご神木のケヤキや、「↓三つ足八咫烏石」と呼ぶ、太平洋戦
争後の改修の折に基礎の礎石から発見した3つの烏(カラス)の足跡が刻みつけられた不
思議な石も目に付いた。
         

 千代田町交差点から、南に延びる中央通のアーケード街へ。中ほどの広場で「前橋特区」
と呼ぶ催しが開催されていたが、店舗は店じまいを始めていて、ステージでの催しのみが
続いていた。


 アーケードの終端は国道50号との交差点だが、ひとつ手前に平行する馬場川遊歩道を
東進する。葉のかなり落ちた桜並木の下を「アーツ前橋」と呼ぶ建物際まで進み、右折し
て「前橋プラザ元気21」前を通過する。

 前橋プラザ元気21際には、「明治天皇行在所(あんざいしよ)跡」碑と「舊(きゆう)
前橋藩本陣跡」碑が並んでいた。
         

 国道50号に出て東南へ、旧建設省の「手づくり郷土(ふるさと)賞」の「ふれあいの
並木道三十選」に選定されたケヤキ並木を、すぐ先の五差路まで進む。
     

 さらに続くケヤキ並木の歩道を南下して、スタートしたJR前橋駅構内の前橋駅光案内
所に15時15分にゴールした。隣接する前橋物産館で軽い土産物を求め、15時49分
発高崎行き電車で帰途につく。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 前橋、歩行地 前橋市、歩数
 17,700)

 なお、この日、県庁の前後に訪ねた清光寺と臨江閣は、翌11月22日(日)のNHK
大河ドラマ「花燃ゆ」の最後に、前橋にあるゆかりの地として紹介されので、ご覧の方も
おられることと思います。




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文京シビックセンターからの展望(東京)

2015-11-17 22:53:03 | Weblog
 2015年11月17日(火)

 今日は10月並みの気温で、東京都内も日中は23℃を越える暖かさになりました。

 久しぶりに昼食をしながら会談をしようという職場の上司だったHさんからのお誘いで、
正午近くに東京・文京区役所の入っている文京シピックセンターに行き、食事前に25階
の展望ラウンジから都内を展望しました。

 展望ラウンジからは、南東から東、北、西、西南方面を見渡せるので一巡してみます。
南東方向の大手町周辺のビル群、右端近くの紅白の塔は東京タワー(333m)です。


 眼下には、後楽園遊園地の観覧車などが。


 東方の東京スカイツリー方面。


 東京スカイツリー(634m)をズームアップしてみると。


 東側手前には、東京大学や上野公園の森なども望まれます。


 上の写真の辺りをズームアップ、右手中央の森が上野公園、その上は国立博物館。

 左下のレンガ色の時計塔が東京大学安田講堂です。

 北西に回ると小石川植物園の森が。東京大学大学院理学系研究科の附属施設で、一般公
開されていますが、こんなに緑豊富なエリアとは知りませんでした。


 その左手先には池袋周辺のビル群。1番高いのがサンシャインビル。


 西南西に立ち並ぶのは、新宿副都心の高層ビル群。


 眼下には、シビックセンターの西側に道路を隔てて接する礫川公園。


 その南側は、東京メトロ後楽園駅の西に接する車両係留線に係留された2編成の車両。


 展望ウンジを一巡後、同じ25階の南側にある「シビックスカイレストラン椿山荘」で
昼食しながらの歓談に。眼下に見える森は都立公園のひとつ小石川後楽園です。


 そして、読売ジャイアンツの本拠地で、北海道日本ハムファイターズも準本拠地とする
東京ドームが見下ろせました。


 文京シピックセンターの周辺には高層ビルがないので、遠望の利く日には富士山の展
望台として知られ、「関東の富士見100景」のひとつにも選定されていますが、今日
は霞んでいて、関東平野を囲む山並みなども望むことはできませんでした。

 ちなみに、展望ラウンジにあった記念スタンプには富士山と東京スカイツリーが描か
れていましたので、このように見えるようです。
        
 



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植木の里 安行周辺を歩く(埼玉)

2015-11-16 17:00:41 | カタツムリ歩行
 2015年11月15日(日)

 JR武蔵野線とその周辺を歩き続けている、「続カタツムリ歩行」の第29回例会に参
加した。集合は埼玉高速鉄道の戸塚安行(とづかあんぎょう)駅。午前中は雨の予報だっ
たが、駅に着いた頃には雨は止んでいた。10時ちょうどにスタートする。


 地下にある改札口周辺から1番出口に出たが、どの方角を向いているのかよくわからな
い。地図と周辺の道路の状況を照合して、まずは西福寺(さいふくじ)を目指す。

 東進して県道103号を少し北へ、すぐに東側台地に向かって上がる。路傍の民家の盆
栽や庭先の木々が紅葉の彩りを見せる。
        

 上がりきると右手に西福寺の三重塔が見えてきた。
      

 西福寺は、弘仁年間(810~24)に弘法大師が国家鎮護のために創建したと伝えら
れる古寺で、新西国百観音霊場第26番霊場でもある。

 三重塔は3代将軍家光の長女千代姫が奉建し、元禄6年(1693)に建立したもの。
高さ約23mあり、埼玉県下では1番高い木造建造物だという。


 正面の観音堂は、西国、坂東、秩父札所の百観音像が安置され、このお堂に参拝すれば
百か所の観音霊場を参詣したと同じ功徳があるとされるようだ。

      
 新しい観音像の横には、川口市保存樹木のチャボヒバが立っている。境内に延命地蔵堂
もあり、標高17.5mの三角点が埋設されていた。
         


 正面入口から北北西に延びる旧道を進む。うっそうとした竹林やさつき園のサツキの盆
栽、たくさん実を付けたユズ、色づいたハゼなどが目に入る。
    

 外環道(東京外環自動車道)の近くには(株)安行植物園の看板があった。個人経営の
ようで入園可否が分からないので、門を入って少しだけのぞかせてもらう。


    

 外環道の北側側道を少し東へ、県道161号を横断した先にある持宝院に入る。


 「安行八景 俳句と持宝院」の看板があり、道路際に句碑があったが、ほかには見当た
らない。
         

 庫裡(くり)の横のユズが大きな実をたくさん付けていた。
      

 外環道の高架下を南に向けて、安行領家の集落に向かう。西福寺からの道沿いもそうだ
ったが、こちらも350年の歴史を有するという安行地区特産の植木畑が多く、〇〇造園
の看板も幾つか目に付く。

    
 民家の庭先に鬼ユズというカボチャのような大きなユズが実り、その先に安行氷川神社
がある。

 朱塗り社殿は元禄13年(1700)の造営とか。現在の境内はこぢんまりしているが、
移転前の東側30mほどのところにあった頃には、スギの大木があったことが明治初期の
「武蔵国郡村誌」に記録されていたという。

    
 近くの犬塚造園のカエデなどがよい彩りを見せ、次の十字路を左折した先の造園の一角
には古い石仏が祭られていた。
         

 県道103号に合するY字路際には、「埼玉県花と緑の振興センター」がある。

 埼玉県特産の花や植木、果樹苗木の生産振興を図るための生産出荷技術や、環境緑化の
指導、情報提供などのための施設で、約2.3㏊ある園内の花木や園芸品種などの植物は
公開されていて、四季折々の花や葉、実などが見学できるようだが、時間が無いので見学
は別途とした。


 県道を挟んで東側にある興禅院の山門を入る。山門周辺の、ハウチワカエデの紅葉が始
まっていた。境内は緑が豊富で、落ち着いたたたずまい。
    

 興善院は、室町時代の天文15年(1546)の開創、本尊釈迦如来座像は江戸時代の
貞享4年(1687)に旗本藤川氏により寄進されたと伝えられ、「新編武藏風土記稿」
には恵心(源信)の作と記載されているという。


 寺域は「安行八景」に選定されていて、桜、アジサイ、シャクナゲ、ヒガンバナ、モミ
ジなど様々な季節毎の花が見どころとか。

       
 本堂の手前右手から、背後の広大な広葉樹林に回る。一帯は「川口市野鳥の森」になっ
ていて、散策路を下った弁天池に弁財天が祭られている。


 弁天池から散策路を東にたどれば、十三仏石像が台地に上がる散策路沿いに次々に安置
され、各々の石像の傍らには御詠歌を記した石碑も並ぶ。
    

        

 1万4千㎡余りあるという豊富な広葉樹林に覆われた緑地は、ここが川口市内とは思え
ぬたたずまいを見せている。
       

 天候が回復して青空が広がり、気温も上がってきた。県道を渡ってもとの道を戻り、安
行氷川神社のある通りよりひとつ南側の車道を西北に進む。この通りにも、出荷前の苗木
を並べた造園などが目に付く。


 たくさん花を見せる皇帝ダリアのすぐ先で、県道161号との交差点を渡る。
    


 斜向かいの、花苗を販売するしばみち本店を見て、ゴールの赤山日枝(あかやまひえ)
神社に12時ちょうどに着いた。


 赤山日枝神社は、西側一帯にあった寛永年間(1624~44)に関東郡代伊奈忠治
(いなただはる)が構えた赤山陣屋の守護として、伊奈氏が江戸城鎮護の日枝神社から分
社して祭られたものと考えらるという。


 ゲートボール場にもなっている北側の広場のベンチなどを借りて昼食後、いつものよう
に記念撮影とミーティングをして、13時10分に散会となった。


 帰路は、西側の赤山陣屋跡を抜けて北へ、JR東川口駅に向かうことにした。

 赤山陣屋を築いた伊奈氏は、優れた土木技術により江戸時代の治水、新田開発に大きく
貢献し、関東軍代を世襲した家柄。赤山陣屋は、寛永6年(1629)に3代伊奈忠治に
より築かれたもの。以後163年にわたり在地支配と新田開発の拠点として機能し続けた
が、寛政4年(1792)伊奈家改易(かいえき)に伴い廃止されたという。

 ちなみに改易とは、江戸時代においては大名・旗本などの武士から身分をはく奪して所
領と城や屋敷を没収することのよう。

 改易に伴い、陣屋の建物や家臣の屋敷は取り壊され、土地は払い下げられて田畑や山林
として使われたようだが、現在はその一部を公園として整備して遊歩道が設けられている。

 桜並木もある南堀沿いを西進して西端まで進む。中心の十字路際には、「赤山城址」碑
が立っていた。赤山陣屋は赤山城ともいわれている。
       


 公園の西端から北に、少しだけ西堀が復元されていた。西堀に沿って進み、さらに下る
と豊富な竹林が残っている。
       

 竹林の北で外環道の高架下を北に抜けて、側道を西に向かう。神根東小と神根中の間を
迂回して、神根中の西側にある真乗院に行く。

 本堂は西向きでコンクリート造り。その前に3本の古木が立っていた。
       
 手前が幹が空洞のカシ、奥の左には目通り4.5m、樹高18mで川口市天然記念物の
コウヤマキが、右には川口市保存樹木のカヤが近接して立ち、南側にはスダジイの古木も
目に付いた。

 コウヤマキのそばには5体の石仏が集められていたが、右端の地蔵菩薩は日光御成街道
の道標を兼ねていて、川口市有形文化財に指定されていた。
         

 神根中の西側の車道を北に向かう。地図上、神根中の道路際に9.7m三角点の表記が
あるので道路側から探したら、標柱はあったが三角点は落葉の下らしく確認できなかった。
         

 かなり開発されて住宅の増えつつある石神集落を北進して、T字路で県道103号に出
る。西にすぐ先に妙延寺があった。

 左手の民家風の建物が地蔵堂で、右手奥のより小さな社殿風の建物が本堂のよう。


 道路側には「女郎仏」の表示があるが、その説明などはない。
         
 帰宅後ネットで調べたら、ここに女郎仏のことが記されていた。

 県道を東に300mほどのところにある二宮神社にも入る。
    
 二宮神社は元来は氷川神社と称し、この地立野村の鎮守だったが、明治40年(1907)
に近隣の稲荷社を合祀して改称したとか。境内には、御嶽神社と稲荷神社の小さい社殿も
ある。

 県道をさらに東へ、次のT字路から北に延びる車道を進んで、戸塚南4丁目の三佛寺へ。
東向きの本堂は会館風なつくり。由緒などは記されてない。


 さらに北進して、広い市道を横断して戸塚4丁目に入る。東川口駅に延びる車道沿いに
ある本行寺は、以前来た時には入れなかったが、門扉を押してみたら空いたので境内に入
り、大きな本堂に参拝する。



 駅に向かって幅広い市道を直進して、14時53分にJR武蔵野線の東川口駅に着いた。
午後はさらに気温が上がり、上着無しで十分だった。
 

(天気 曇後晴、距離 例会4㎞+帰路5㎞、地図(1/2.5万) 越谷、浦和、
 歩行地 川口市、歩数 18,100) 
 



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埼玉県民の日の記念フリー乗車券を発売中

2015-11-10 22:14:23 | 鉄道
 2015年11月10日(火)

 今週の土曜日11月14日(土)は「埼玉県民の日」です。明治4年(1871)に廃
藩置県が行われ、旧暦の11月14日に「埼玉県」が誕生しました。

 この日が「県民の日」と定められたのは、それから100年目の昭和46年(1971)
のことでした。今年は、埼玉県誕生以来144歳になります。

 埼玉県民の日を記念して、毎年県内の鉄道各社はフリー乗車券を発売していましたが、
今年もJR以外の6社から、県内を自由に乗り降りできるお得な乗車券が発売されます。

 すでに西武鉄道、東武鉄道、埼玉新都市交通では11月8日(日)から販売を開始して
いて、使えるのは埼玉県民の日の11月14日(土)のみです。

 6社の販売価格は、以下の通りです(埼玉県広報誌「彩の国だより」11月号掲載)。


 ご覧のように、つくばエクスプレスは県外の各駅でも販売され、県外を含めた全線が乗
り降り自由です。

 このフリー乗車券を使えば、例えば西武鉄道では、私の最寄りの西所沢駅から西武秩父
駅まで往復すると1,060円(ICカード1,048円)ですが、フリー乗車券を使えば
片道運賃以下の470円で済みます。

 また、東武鉄道で川越駅から寄居駅まで往復すると1,180円(ICカード1,176
円)ですが、フリー乗車券ではやはり片道運賃以下の470円で往復できます。

 県内で少し遠目のところに行きたいところがあり、14日に予定がないようでしたら、
この日に計画してフリー乗車券を利用されたらいかがでしょう。

 各鉄道の沿線以外の方でも、埼玉県内の鉄道をかなり利用される予定の方は、当日でも
購入できますので、ご利用を考慮されますようお勧めします。 




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雨の東松山市北部をカントリーウオーク(埼玉)

2015-11-09 17:59:57 | カントリーウオーク
 2015年11月8日(日)

 小雨の降り止まぬ1日だったが、埼玉県のカントリーウオークグループの第228回例
会に参加した。

 集合地は、先週も日本スリーデーマーチで3日間通った東武東上線の東松山駅。

 10時20分発熊谷駅行きバスに乗り、10時35分に水穴(みずあな)バス停で下り
た。

 == 和田吉野川近くの寺院と観音堂を巡る ==


 バスの走る国道407号から東側の五反林集落へ。雨でやや霞む田んぼ沿いを北東に進
んで、光福寺の山門を入る。


 本堂左手にあるコンクリート造りの収蔵庫に、宝篋印塔(ほうきよういんとう)と板石
塔婆(いたいしとうば)が保存されていた。


 宝篋印塔は高さ2.1m、元享3年(1323)の造立で、鎌倉時代の宝篋印塔の特徴
をよく伝えるものとして国の有形文化財である。

 板石塔婆は高さ1.52m、嘉元4年(1306)の造立で、阿弥陀三尊などが線刻さ
れていて、鎌倉時代の仏像彫刻のある板石塔婆として優秀なものとか。県の有形文化財で
ある。

 収蔵庫正面のガラス窓に盗難防止の金網があり、撮影はしにくかったので、ネットから
の「じゃらん」の画像を借りる。右が宝篋印塔で左が板石塔婆。
    

 一人で見ているうちに、皆さんは寺を出て見えなくなっていた。境内のマユミの実がた
くさん色づく。
    

 門前の道路を左に回り込むと、十字路際に赤布をまとったお地蔵堂さんが立っていた。
       

 田んぼに沿って進み、和田吉野川の右岸堤防を見ながら西北西に向きを変える。


      
 中岡集落沿いの斜面林と田んぼの間を進んで上岡集落に入り、国道に面して建つ馬頭観
音堂に行く。

 馬頭観音堂は妙安寺の境内にあって上岡観音と呼ばれは、馬頭観音としては関東地方随
一の霊場と言われており、毎年2月19日の例大祭には絵馬市が立つなど、馬の守り観音
として信仰を集めているとか。

        
 拝殿には奉納されたたくさんの馬の像が並び、鬼瓦にも馬の像が見られる。
   

      
 境内に馬の姿の馬頭観世音銅像が立ち、大正3年(1914)に建立された現在の観音
堂の東棟を支えていたという大きな鬼瓦が、平成19年(2007)に葺(ふ)き替えら
れて安置されていた。


 そばの上岡交差点で国道を横断し、新屋敷集落南部を西南へ。民家の前の畑に、たくさ
んのキクが色とりどりに咲き競う。



 集落を抜けて、田んぼの間や数羽のカモの泳ぐ潅漑用のため池のほとりを進む。



 りっぱな桜並木に沿ってV字状に折り返し、昼食地の農林公園コミュニティセンターに
11時50分に入った。


 濡れた雨具を玄関回りに干して、広い畳敷きの部屋を借りて昼食をする。雨の日の昼食
場所としては申し分の無い場所で、食後もゆっくりとくつろぐことができた。
 

 == 川越ゴルフ場東側の山里を回る ==

 雨は本降りではないがまだ止まない。13時に出発し、東に少しでV字状に折り返して
谷地田に沿って進む。

      
 最奥まで行かずに南に回り、川越ゴルフ場の東側の側道に入り、色づき始めた林間の緩
やかな斜面を上がる。


 ゴルフ場入口に通じる車道に出た。すぐ先の土の道への入口際に、お地蔵さんなど4基
の古い石像がお堂に祭られていた。
    


 たわわに実るミカンの木の横や雨に霞むため池のほとりを進み、再びゴルフ場沿いの道
路に上がる。


 大きく伸びたゴルフ場のヒマラヤスギ沿いから左折し、長中集落最奥の民家の間の緩斜
面を東側の谷地田沿いへと下る。民家の庭には、いっぱい実を付けたピラカンサが無造作
に延びていた。
    


 咲き残るエンゼルトランペットの先に穏やかな山里の展望が広がり、田んぼの北側には
民家の大きな母屋や土蔵、豊富な屋敷林などが望まれる。





 この辺りに多い潅漑用のため池の中で、今日一番大きな八反沼の横から南側を回り込み、
オランダ風建物とオランダ風の風車のある大岡市民活動センターに入る。


      

 東松山市は、先週開催されたウオーキング「日本スリーデーマーチ」の開催地として、
オランダの「インターナショナルフォーデーズマーチ」の開催地ナイメーヘンと姉妹都市
提携を結んでいることから、オランダの古いレンガ造りの街並みをイメージした建物と、
オランダ風風車を建てたとか。

      
 建物の前の皇帝ダリアが咲き出し、グミのような木がたくさんの実をつけている。館内
はきれいで天井が高く、幾つかの飾り付けもあり、ゆっくりと休める。


 安価な自動販売機のコーヒーでのどを潤し、ロビー壁面の写真や近隣の催し物のリーフ
レットコーナーを見たりしてくつろぐ。東松山市出身で、今年のノーベル物理学賞を受賞
される梶田隆章さんを祝う張り紙もあった。



 20分余りの休憩後に入口で記念撮影をして、14時10分にセンターを後にした。



 大岡小南側の谷地田沿いを東へ、車道を少しで亀の甲団地の標識のある三差路から林間
を抜ける。


 越塚集落に出て、南側の県道391号をコの字状に迂回して2つの給水塔の横を進む。
堅木岡西集落の北側から東に回ると、埼玉県史跡の冑山(かぶとやま)古墳がある。

 6世紀頃の築造と考えられ、古墳の南北径約90m、高さ約11.25mの円墳で、円
墳としては県内第2の大きさという。 

 墳頂には八幡神社本殿が、墳丘東側には宝暦2年(1752)の創立と推定され、熊谷
市指定文化財の冑山神社本殿↓が祭られていた。


 バス通りの国道407号を横断して、1本東の旧道を南に少しで、広い敷地の根岸家の
長屋門がある。

 根岸家長屋門は、天保11年(1840)の屋敷絵図には描かれていたことから、江戸
後期の建築と考えられ、正面左側は剣術道場の「振武所」として使われたという。

 根岸家は熊谷次郎直実(なおざね)の末裔(まつえい)とされ、江戸時代中期に甲山村
(かぶとやまむら)と箕輪村の名主を務め、約80町歩以上を所有する豪農だったとか。

 江戸時代の名主友山(ゆうざん)は、近郷の子弟を教育する寺子屋三餘堂をつくり、北
辰一刀流の門人だった友山・友香(ともか)父子は振武所という剣術道場を開いて、近郷
の子弟に剣術を教えたという。

 また、友山の2男武香(たけか)は明治新政府のもとで地方行政に関わり、初期学制の
確立に尽力し、第2代県会議長や貴族院の多額納税議員に選出されたとか。文化活動とし
ても「新編武藏風土記稿」の刊行や古文書、古美術の収集に努め、吉見町の黒岩横穴古墳
群や吉見百穴の発掘調査に多大な貢献を果たしている。


 振武所跡は「友山友香ミュージアム」として無料公開され、根岸家の活動状況などの資
料や写真、大洪水に見舞われた時に使われた木造船などが展示されていた。
    

 長屋門の右手にある建物は、旧建物焼失後の大正2年(1913)頃から建て始めたが、
建築途中に関東大震災に見舞われたために、完成は昭和初期になったという。



 国道に戻り、こんもりとした冑山古墳↑を眺めながら近くにある今日のゴール冑山バス
停に15時21分に着いた。10分後のバスで東松山駅に向かう。。

(参加 12人、天気 雨、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 東松山、熊谷、
 歩行地 東松山市、熊谷市、歩数 17,000)





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第38回日本スリーデーマーチ 第3日 都幾川・千年谷公園ルート(埼玉)

2015-11-04 17:58:19 | ウオーキング
 2015年11月3日(火・祝)

 3日目は初日同様に快晴となり、中央会場にもたくさんの参加者が訪れました。多少右
膝に違和感があるのが気がかりですが、20㎞コースを歩くつもりで中央会場を8時38
分にスタートしました。


 東松山の市街地を西南西に進み、5㎞地点の唐子(からこ)中央公園へ。今日は第38
回唐子地区商工祭を開催中で、ウオーカーのほか地元市民などで賑わっています。


 ステージ前では、小学生が空手の模範演技を。


 西側のグランド脇では、例年通り湯茶接待コーナーが設けられていたので、お茶と梅干
しをいただきました。


 NHK朝ドラへの採用を目指して署名活動中の、地元唐子が舞台の児童文学「天の園」
の文学碑前を通過し、台地を南に下る途中、地元の方がカキやユズを販売していました。
    

 その先、10㎞コースとの分岐では少し迷いながらも20㎞コースに入り、東松山市浄
水場前を東に抜けて広々とした駒形公園の草地へ。



 草地から都幾川左岸堤防に回り、篠竹の間を抜けて都幾川の沈下橋、おとうか橋を渡り
ました。


 南側の高本集落に入って高本峠に向かいます。


 今日は、県内の航空自衛隊入間(いるま)基地では航空祭を開催中で、基地に向かうジ
ェット機の編隊が時々上空を通過しました。


 高本峠へは、林間の上りですがかなりの傾斜でペースが上がりません。


 峠を越えて愛弘学園の横を下り、西側に緩やかな傾斜の谷地田を見ながら岩殿(いわど
の)集落へ。


 集落の民家で、庭に実った甘柿を販売していたので、1袋(4個入りにおまけ1個をつ
けてくれて100円)買いました。

 古くは坂東三十三観音巡礼者で賑わったという、岩殿観音への門前の通りを上がります。
     

 不動堂のそばのウメモドキが、実をいっぱいに。


 20㎞コースは、岩殿観音への石段は上がらずに横の車道を進むのですが、久しぶりに
石段を上がると、右手にかやぶき屋根の鐘楼が残っていました。

 鐘楼は元禄15年(1702)の再建で東松山市指定有形文化財、銅鐘は元享2年
(1322)の鋳造で埼玉県指定有形文化財です。

 坂東三十三観音第10番霊場の正法寺本堂、岩殿観音の名で知られ、古くから巡礼者が
たくさん訪れています。


 西側には、イチョウの古木が太い幹を伸ばしていますが、まだ黄葉に彩られるのは少し
先のよう。
     
 樹齢は700年を越えると推定され、天保年間(1830~44)に記された「正法寺
縁起」にも描かれているとか。東松山市指定天然記念物です。

 正法寺が、今日の22㎞中の10㎞地点、11時15~21分に立ち寄りました。

 南側の物見山公園に上がり、そばの埼玉県平和資料館の館内を通過します。向こうに見
える白い塔は、平和資料館の展望塔。今日は上がるのは省略しました。
     

 平和資料館のエントランスを出たすぐ先、下り階段上のモミジはいつも見ごろなのです
が、今年は少し早めのよう。


 下の駐車場が20㎞コースのチェックポイントなので、チェックのシールをもらいます。


 石坂ゴルフ倶楽部に沿って南東に下り、東に回り込んで第39回文化祭、鳩山祭を開催
中の東京電機大の鳩山キャンパス前を通過しました。

 いつもは「寄っていって下さい」と学生さんの呼び込みがあるのですが、今年は静か。

 毎年昼食地にしている千年谷公園に12時16分に入り、100円の募金をしてトン汁
をいただき、広い芝生広場にシートを広げて昼食に。


    

 南側の舞台では第39回東松山民俗芸能祭を開催中で、市内各地の郷土芸能グループが
次々に熱演熱唱を続けていました。


 初めて見た麦打ち歌のグループ。


 10月は暖かい晴天が続いたためか、園内の黄葉、紅葉ももう少し先になりそう。

 12時54分に千年谷公園を後にしました。ゴールまで残りあと10㎞です。

 車道に出て北へ、右カーブして関越自動車道の上を通過します。高坂駅に向かう中通り
には、高田博厚氏のブロンズ彫刻が34体続いています。



 高坂駅構内を東に抜けて駅周辺を拡幅している県道344号を横断し、七清水せせらぎ
歩道へ。


 その先は都幾川の支流沿いの「川風の散歩道」と呼ぶ遊歩道を進んで、都幾川を渡る国
道407号バイパスの新東松山橋南詰めに上がります。


 橋からは、西方に比企の名山、笠山や上州南部の山並みが望まれます。

   笠山


 北方には上毛三山の一つ、赤城山が。


 その右手には日光連山らしいのも。


 西北はるか、白い2階建て建物の上にかすかに浅間山が望まれました。



 北からの向かい風の強い、広々とした田んぼの間の国道407号バイパスを北進して、
下野本(南)交差点を渡り、北西に延びる細い流れ沿いのあぜ道に入ると、第10回野本
かかし祭コンテストを開催中。
                  

 ここにも、梶田隆章先生のノーベル物理学賞受賞を祝う横断幕が。 

 ちなみに、梶田先生はここ野本地区のご出身。今日はノーベル賞受賞に先立ち、皇居で
文化勲章を受章されたのは皆さんご存じの通りです。

 下野本(南)交差点の東北側すぐ近くに、梶田先生が卒業された野本小があります。





 国道254号の陸橋下を北に抜けて東松山駅東口を通過し、ゴールの中央会場には15
時7分に着きました。


 南側のステージでは、15時からの完歩式典が始まっていて、大会実行委員長の中村幸
一東松山市教育長から、3日間の参加者数の発表がありました。


 昨日までの参加者数のボード。

 今日の参加者数は31,946名と発表され、3日間合計では76,201名とのこと。

 会場内は昨日とはうって変わり、どこも大変な賑わい。




 私もなんとか3日間完歩することが出来、通算で21回目となる3日間完歩のバッジを
いただきました。

 (天気 快晴、距離 22㎞、地図 日本スリーデーマーチ地図、歩行地 東松山市、
  鳩山町、歩数 38,200)





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第38回日本スリーデーマーチ 第2日 和紙の里・武蔵嵐山ルート(埼玉)

2015-11-03 22:22:54 | ウオーキング
 2015年11月2日(月)

 日本スリーデーマーチ、第2日は冷たい雨になりました。今日は10㎞コースに参加す
ることにして、10㎞、5㎞コースのスタート時刻の9時30分~10時30分に合わせ
てゆっくりと自宅を出て、東武東上線の東松山駅には9時36分に着きました。

 昨日は気付かなかったのですが、駅東口の階段上部にも、東松山市出身でノーベル物理
学賞を受賞される、梶田隆章さんの受賞を祝う幕が掲げられてありました。


 スタートする中央会場の松山第一小の校庭は、雨で参加者が少ないようで閑散としてい
ます。

 私は10時10分にスタートしました。

 まずは北に向かって進み、県立松山高校の正門前で左折して西に向かいます。今年も松
山高の壁面には、たくさんの垂れ幕が下がっていました。


 気温も15℃に届かない12月上旬並みという予報なので、着衣が昨日より多い上、ポ
ンチョを被っているのでデジカメも胸ポケットから出しにくく、思うように写真も撮れま
せん。

 東上線の北側を平行する道路を進み、隣の武蔵嵐山駅構内を通過して南側に回りました。
東上線の車庫の途中辺りから西南に向かい、関越自動車道を跨道橋で越えて松山工業団地
に入ります。

 500m程進んで左折する角にあった新郷公園が中間の5㎞地点、ここがチェックポイ
ントになっていて、あわせて湯茶の無料接待所が設けられていました。


 こちらが湯茶の無料接待所。


 お茶と梅干し、それにあめをいただきました。


 公園の一角には松の植え込みが。


 工業団地を東に抜けて交通量の多い国道254号を600m前後進み、南に折れて栗畑
の先で20~50㎞コースに合流し、関越自動車道を越えて東側のおため池の横を通過し
ます。雨に濡れるおため池。


 このあとは昨年も通過したコース進んで、東松山駅に近い箭弓稲荷(やきゅういなり)
神社に背後から入りました。

 今週末や来週末には、七五三詣での人で賑わいそうですが、今日は人影もまばらです。

 ゴールの中央会場のそば、東松山市民会館と市役所を結ぶ跨道橋にも、梶田さんのノー
ベル物理学賞受賞を祝う幕が。


 雨もほぼ止んだ12時50分にゴールしましたが、やはり中央会場は閑散としていて、
出迎えの中学生スタッフも手持ちぶさたの感じ。


 飲食・交換エリアも昨日とは大違い。


 ステージ前の広場のシートも水浸し。


 北側の商工会物販テント周辺も、店の人以外はわずかでした。




 松山一小の校舎の西側、誰もいない屋根下のスペースで昼食を済ませ、私も早々に会場
を去ることにしました。出口付近にある参加人数の表示板には、まだきのうの第1日分だ
けです。
          

 ちなみに、後から分かった第2日の参加者数は、平日で雨天ということもあり第1日の
半数以下の13,220人(昨年の第2日は23,026人)でした。

 会場を出て、東松山市民会館横の細道から駅に向かいました。近くの民家にりっぱな門
があり、中をのぞいたらカキの実がいっぱい。


 庭の造園も、なかなかよく整えられています。


 駅に近いぼたん通り商店街にも、梶田先生の受賞を祝う飾り付けが続いていました。
        

 (天気 雨、距離 10㎞、地図 日本スリーデーマーチ地図、歩行地 東松山市、
  滑川町、歩数 17,000)


 今日の10㎞コースは、中間でかなりの間、東松山工業団地の工場地帯を抜けるのと、
その前後で交通量の多い車道を通過し、その前後を含めて見どころがほとんど無く、あ
まりお勧めはできません。歩けるのなら20㎞コースに回った方が良いと思われます。




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第38回日本スリーデーマーチ 第1日 吉見百穴・森林公園ルート(埼玉)

2015-11-02 20:42:56 | ウオーキング
 2015年11月1日(日)

 今年も、国内最大のウオーキングイベントである、第38回日本スリーデーマーチに参
加しました。第1日は、吉見百穴(よしみひゃくあな)・森林公園ルートです。

 スタート・ゴールの中央会場である東松山市立第一小学校に向かうため、東武東上線の
東松山駅に下車しました。駅を出て会場に向かう陸橋には、今年のノーベル物理学賞を受
賞される、地元東松山市出身の梶田隆章博士の受賞を祝う幕が掲げられていました。


 快晴の第1日、中央会場の壇上ではでは、日本スリーデーマーチといえばこの人、地元
東松山市の奥野清歩(おくのせいほ)さん(右)が、今年も見送りのメッセージを。


 私は、7時55分にスタートしました。今年は昨年までと違い、距離の短い人の繰り上
げスタートは無くなって距離別のスタートとなり、30㎞と20㎞コースが7時30分か
ら9時の間のスタートです。私は、20㎞コースを行くことにします。


 市街地を東南に進み、木々の色づき始めた下沼公園を東に抜けます。


 東松山ウオーキングセンターの前庭には、スリーデーマーチに参加するらしい市内の幼
稚園児が待機していました。


 滑川の橋を渡ると吉見町、橋の東北側斜面には国指定史跡の吉見百穴があり、今日は無
料公開していたので、多くのウオーカーも立ち寄って見学や休憩をしています。

 吉見百穴は、6~7世紀頃の横穴古墳群で、珍しいヒカリゴケが自生しています。

 滑川の左岸堤防を次の橋まで進みます。東側にクレー射撃場があり、激しい射撃音が聞
こえました。この辺りで、長年、スリーデーマーチの素晴らしい写真を数多く朝日新聞紙
上などに発表された金井三喜雄さんが、カメラを構えておられました。


 次の橋で右岸沿いに回り、東京農大三高のグランドや校舎横を抜けて、岩鼻運動公園の
林間を通過します。
     

 国道407号を跨道橋で越えて、西南西に真っ直ぐに伸びる市道を進みます。正面に見
えるのは奥多摩の目印、大岳山(おおたけさん)のよう。
     

 市野川の橋を渡って右岸を市の川小沿いに進み、次の橋で離れて北西へ。畑の隅にいっ
ぱい実を付けたピラカンサが。
    

 野田集落の辺りでは、かなり前に刈り入れを終えた田んぼの間を抜けて行きます。


 10時15分、20㎞コースのチェックポイントの東松山ぼたん園へ


 チェックのシールをもらい、背後のぼたん園に上がると何本ものジュウガツザクラが花
を見せていました。


    

 園内の芝生地で休憩するウオーカー。


 ぼたん園に接する東松山カントリーの東側をぐるりと抜けると、里山風景が広がります。


 秋葉神社の裏手から北に下り、県道307号を横断して比企氏ゆかりの寺、宗吾寺の先
から山すその緑陰に設けられた遊歩道へ。


 500m前後で遊歩道を出て、田んぼの間を県道307号に向かいます。


 県道307号の小さい峠を越え、国営武蔵丘陵森林公園に中央口から入りました。

 今日は、森林公園の無料開放日です。

 林間のアップダウンを南へ、林が開けて運動広場の東側に下ると、昨年までは見られな
かったアカソバとコキア(ホウキソウ)が一面に広がっていました。


       

 どちらもちょうど見ごろです。




 その先の広い芝生広場には、たくさんの人が…。


 広場の西側、ケヤキの多い辺りが例年の私の昼食場所、今年もこの近くにシートを広げ
て昼食をしました。


 林間の遊歩道を上り下りして、南口に向かいます。小さいウオーカーも。
        

 12時40分に、武蔵丘陵森林公園の南口を出ました。


 南南東へ2.5㎞余りりの遊歩道は、森林公園駅前まで続いています。


 森林公園駅前から東へ、ゴールが近づいたのですが、東武東上線の踏切の近くで大渋滞
に。15分くらいは待たされたように気がします。
    

 14時19分、東松山一小の中央会場にゴールしました。


 飲食・交換エリアは大勢のウオーカーで賑わっています。


 会場内をざっと一巡して、帰路につくことにして駅に向かうと、恒例のよさこいソーラ
ン踊りのグループが、次々に入れ替わり熱演中でした。






(天気 快晴後晴、距離 22㎞、地図 日本スリーデーマーチ地図、歩行地 東松山市、
 吉見町、滑川町、歩数 37,000)




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