あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

ツツジ咲く三窪高原へ

2007-06-20 23:40:47 | ハイキング
 「カタクリの会」と呼ぶ軽登山グループの山行で、6月17日、
大菩薩連峰に近いツツジの名所、三窪(みくぼ)高原を訪ね
ました。

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 =富士山の展望とツツジの名所・三窪高原へ=
 2007年6月17(日)


 
 JR青梅線青梅駅に8時半に集合した一行は、3台の車に分乗
して国道411号・青梅街道を西に向かう。

 奥多摩湖畔の駐車場で一度休憩し、10時20分に柳沢峠
(1472m)駐車場に着いた。

 レンゲツツジが見ごろの時期で、梅雨入りしたが好天が見込ま
れる日曜日とあり、駐車場はほぼいっぱいだった。

 Tリーダーから注意事項を聞き、10時37分に出発する。


 駐車場周辺の斜面は、見ごろなレンゲツツジがたくさん咲いて
いる。

 駐車場奥にある階段を上がって林道へ出て、ヘヤピン状の
林道をショートカットして登山路に入る。

 駐車場周辺から、ハルゼミだろうか、ものすごい数のセミの
声が耳に入る。いったい何千羽いるのだろう。でも、木の幹や
枝を探しても姿はさっぱり見えない。

 青空が広がり風がさわやか。傾斜の緩い道をゆっくりと上が
る。「熊出没注意」の看板もあるが、これだけの人数では、熊
も恐れて出てこないだろう。

 やわらかな彩りのカラマツが増え、ところどころにレンゲツツ
ジやヤマツツジが咲いている。

 緩やかな傾斜でも、気温が高いので上って行くと汗が出る。
木陰で休憩して水分を補給する。

 木の階段もあり、左から回り込んで標高1671.2m2等三角
点のある柳沢ノ頭に上がった。

 ヤマツツジがたくさん咲き、その間から残雪の富士山の上部
が見えた。この時期に富士山が見られるとは…、全員感激して
しばし眺める。

 西の樹間からは、残雪の南アルプスの甲斐駒、北岳、鳳凰三
山などの山並みも望まれる。

 稜線をさらに北に向かう。幾分ハルゼミの鳴き声が減り、ウグ
イスがさえずる。

 リンゴに似たズミ(別名コナシ)の白い花が枝いっぱいに咲いて
いた。


 少し下って、通称「十字路」と呼ぶ登山道が交差する鞍部に出
た。テーブルと椅子の置かれた避難小屋とトイレ、案内板がある。


 周辺もツツジの名所らしいが、近年シカの被害が多いとかで、
金網で囲んだ木が幾つかあり、シカに食べられ枯れた木もある。
ここにも、「熊出没注意」の標識が立つていた。


 その先の稜線に向かって上がって行くと、満開のヤマツツジが
増え、標高1681mのハンゼの頭に着いた。柳沢の頭より広く、
何パーティか昼食をしている。

 展望もいっそう開け、真っ赤なヤマツツジの上に、富士山から
南アルプス、奥秩父、近くは大菩薩嶺や鶏冠山など、360度の
大パノラマである。

 山頂の一隅にシートを敷き昼食とする。日差しが強いが、乾い
た空気とさわやかな風で、暑さは感じない。富士山などの展望
を楽しみながら弁当を食べた。



 さらに北西へ下った鞍部付近には、東屋と新しいトイレがあり、
サラサドウダンの古木が何本か、まだ咲き残っている。


 ズミの大木もある(下の写真)。この辺りが三窪高原の中心部
のようで、ヤマツツジもたくさん咲く。


 案内板には、「約30haに及ぶレンゲツツジやサラサドウダン、
ヤマツツジの大群生地」だということが記されていた。

 太いダケカンバやブナなどの横を進み、パラボラアンテナ塔
のあるNTTドコモの柳沢無線中継所横に上がる。

 ここから林道が下っているが、この先、板橋峠への途中にも、
ツツジの群生地があるようなので、さらに進むことにする。

 相変わらず賑やかなハルゼミと、ウグイスの声を聞きながら、
緩やかに上り下りを3,4回繰り返し、ベンチのあるところまで
進んだ。

 周辺はやはりヤマツツジが花盛りで、奥秩父の笠取山や鶏
冠山などの展望がよい。


 無線中継所まで戻り帰路につく。NTTドコモの専用車道を下
り、入口のゲート横を抜け、舗装された斉木林道に入る。

 等高線沿いに近いカーブの多い道を少しずつ下り、国道411
号に出た。少し上がると「柳沢峠 海抜1472米」の標石があ
り、14時50分、すぐ先の駐車場に戻った。

 到着時いっぱいだった駐車場の車は、半分以下に減っていた。
15時2分に出発する。往路同様、奥多摩湖の駐車場で休憩し、
解散となり、青梅駅経由で帰途についた。

(天気 快晴後晴、参加 14人、距離 6km、標高差累積 
 730m、地図(1/2.5万) 柳沢峠、歩行地 山梨県甲州市
 (旧塩山市))
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国際ウオーキングトレイル実踏 =清泉寮~美し森山~清里= 

2007-06-19 23:56:08 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2007年6月14日(木) 曇後雨
 =清里・清泉寮~美し森山~清里駅=


 
 6時前、清泉寮のコテージで起床。朝食前、少しの散歩に出
る。雲が下りてきて厚く、予報通り雨になりそう。


 ジャージーハットからは、茅ヶ岳の上部だけ見えるが、富士
山は隠れていた。周辺のレンゲツツジが見ごろである。


 朝食を済ませ、ザックを預けてツツジの名所・美し森山まで
往復することにする。8時12分に清泉寮を出た。

 宿泊したキャビン「横浜」の隣、「神戸」の横から、広葉樹林下
のキープ自然歩道を北に向かう。


 少し先の自然歩道が交わる6差路で北東に向きを変え、
ホトトギスの鳴く気持ちよい広葉樹林を進む。

 東西に走る「八ヶ岳ライン」と呼ぶ車道に出た。東に少し、
美ヶ森交差点で南北に走る県道17号を北へ。正面にまだ
雨雲のかからない赤岳がよく見える。

 美しの森駐車場と、食堂や売店、観光案内所などがあった
が、平日の朝なので閑散としている。駐車場の北側から木の
階段へ。

 両側のヤマツツジが見ごろ。200mほど上がると、標高
1542m三角点のある美し森山である。

 八ヶ岳連峰を背にして、ヤマツツジやレンゲツツジが鮮やか。
売店と食堂の円形建物があり、上部が展望台になっている。

 記念撮影用に、こんな額縁もある。

 さらに赤岳に通じる真教寺尾根への登山路の下部を、羽衣
池まで往復することにする。

 キナシだろうか、真っ白な花が数えきれぬほどの花を開いて
いた。


 右に大きな建物の「たかね荘」を過ぎると、直線で上がる木
の段が続き、歩幅と合わず歩きにくい。


 それが尽きて間もなく、標高1610mにある羽衣の池に着
いた。

 池は水草に覆われ、水面はあまり見えない。池を一周する
木道が設けられ、そばに東屋もある。雨となったので東屋に
入り、雨具を着ける。

 すぐ後に、東京・府中市の小学生の団体が上がってきた。

 午後は雨の確率が高いとの予報から、ここでやまさんが予
定を変更、清泉寮に戻った後に回る予定の天女山は次回に
して、今回の実踏は打ち切るという。

 もとの道を戻る途中、たかね荘に寄る。旅行社やバス会社
のツアー客が多いようで、入口にそれら団体の看板が並んで
いる。旧大泉村村営だった「たかね荘」は、現在民間委託と
なり、名前も「美し森ファーム」と変わっていた。

森を眺めながら広い喫茶コーナーで休憩。売店も大きく、壁
面には八ヶ岳周辺の四季を撮った、きれいな写真が飾られ
ていた。小中学生などが利用出来る、広いキャンプ場もある。

 美しの森近くまで戻り、東側谷間にあるクリンソウ自生地
に回る。

 ちょうど花どき、ほかでは見たことの無いほどたくさん咲
いていた。


 美し森山へ下った頃から雨は本降りとなる。もとの道を八ヶ
岳高原ライン下のキープ自然歩道六差路まで戻り、南東に
緩やかに下る遊歩道へ。こちらも広葉樹林を抜ける歩きやす
い道。

 林が切れて、南側に広大な牧草地が広がる。展望テラスと
呼ぶ富士山の展望地だが、雨で手前の茅ヶ岳も山頂は雲に
隠れていた。


 ウッドチップの敷かれた別の遊歩道を西へ。清泉寮の一連
の施設の東端、やまねミュージアム前を通過、八ヶ岳自然ふ
れあいセンターに入り、八ヶ岳周辺の動植物や歴史などの
展示を観覧した。

 車道を越えて清泉寮の西に回る。こちらもクリンソウの自生
地があり、囲いもないので間近に色鮮やかな花が眺められる。


 その先にあるポール・ラッシュ記念センターも観覧する。

 ポール・ラッシュは、アメリカ・ケンタッキー生まれ、宣教師
として来日し、1938年に清里に清泉寮を建設したが、志半
ばで日米開戦となり、強制送還された。

 戦後はGHQの一員として再来日し、日本の復興とキリスト教
民主主義の紹介に尽力し、八ヶ岳山麓の開拓や、アメリカン
フットボールの紹介にも務めた。

 それら業績を紹介するビデオを観覧し、関連の展示を見る。

 ポール・ラッシュは、尊敬する聖路加病院設立者、トイスラー
博士から伝授された
「Do your Best, and it must be first class」
             「最善を尽くせ、しかも一流であれ」
の思想を教え、自身も忠実に守り、清里を開拓し、人々に希望
を与え、日米友好にも尽力したという。

 清泉寮に戻り、食堂で昼食を済ませ、車道を清里駅に向かっ
て急ぎ下る。13時41分に清里駅に着いた。

 ホームにある温度計は12.5℃を示す。14時1分発小淵沢行
きで帰途についた。

(天気 曇後雨、距離 9km、標高差累積 700m、地図 
八ヶ岳東部、谷戸、歩行地 山梨県北杜市(旧大泉村、高根町))

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国際ウオーキングトレイル実踏 =野辺山~清里=(続き)

2007-06-18 23:25:02 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2007年6月13日(水)(続き)

 平沢山をあとに、ゲートを通って牧場内に入り、土のうを積ん
だ段々の急坂を下る。たこを揚げていた東京港区の中学生と
行き交い、鞍部からひと上りで、標高1643m㍍の飯盛山(めし
もりやま)山頂に着いた。

 茶碗にご飯を山盛りに盛ったように見えるところから名付け
られた山である。

 こちらも360度の大展望で、なかでも八ヶ岳連峰の眺めが
絶景。東に奥秩父、南側の雲間には、残雪の富士山が頭だけ
姿を見せる。

 八ヶ岳連峰の大展望を見ながら昼食とする。さわやかな風が
心地よい。(上の写真は、われわれとは別のご夫妻)

 ゆっくりと大展望を楽しみ、西側の平沢に向かう下り道へ。
幅広い土道だが、丸太の段が500m余り続き、単調で歩きに
くい。林道との交差点で段は終わり、広葉樹林下を緩やかに
下る。


 林を抜け、右からの林道に合するところにゲートがあり、西
側に「ロッジ牧詞(ぼっか)」という宿があった。立ち寄ると、
50人以上宿泊可能というこぎれいな施設。

 そばに有機無農薬の農産物を販売する「風の里」という店の
あることも教えてもらった。

 玄関横の真っ赤なサラサドウダンが花盛り。

 T字路に出て右折、ビニールで覆われた若葉のレタスが並ぶ
畑の横を通過、次の角の左側には、喫茶の標識があったので
訪ねる。


 赤いトタン屋根、山小屋風の建築の「ロッヂ飯盛山」で、1泊
2食付き6500円とか。こういった喫茶や宿の情報を把握する
のも、この実踏の目的のひとつである。

 円形建物の南牧村平沢公民館横から建物だけ残る小学校
跡の先まで上がり、柏前(かしわざき)牧場付近から大門川へ
向かって下る。

 大門川が長野県と山梨県の県境。平沢橋を渡って山梨県
北杜市(ほくとし)に入った。

 橋のすぐ先を左折、ヴィラ千ヶ滝という宿の横から川沿いに
入る。少し先で急階段を下ると、弘法大師により開発されたと
いう千ヶ滝が、ごうごうと流れ落ちている。

 第2次世界大戦前後から、大峰山行者などにより心身修行
所となったことが記されている。河原へ下る途中の斜面岩穴
に、戦後建立されたという龍王塚があり、そばに、何本もの
錫杖(しやくじよう)が並んでいた。

 時計回りに半円形に車道を上がって、国道141号を横断、
商店街を通って清里駅に入り、小休止する。

 駅のそばに、山小屋風の北斗市営観光案内所があり、観光
パンフレットが並び、宿泊施設などの案内をしてくれる。

 若者向けのきらびやかな飾り付けが並ぶ商店街を西に抜け
る。駅東側の2つ目の踏切を越え、北に少し進んで案内板に
従い、清里聖アンデレ教会への道に入った。

 教会の北側から「十字架の道行」の道標に従い、林間の遊歩
道へ。

 広葉樹林下の気持ちよい土の道。林が切れて北側が開けた
牧草地からは、赤岳などが逆光にブルーのシルエットを見せる。


 広葉樹林を少しで、今度は南側が開けた牧草地。やや雲が
多いが、茅ヶ岳や富士山が展望出来る。再び木もれ日の射す
広葉樹林となり、小さい流れを3、4回横切る。

 下草にササが増えてジグザグの下りとなり、小海線の線路際
で、川俣川東沢に出た。橋を渡って右岸に回る。

 対岸の斜面から、吐竜(どりゆう)の滝と呼ぶ3筋の滝が流れ
落ちている。この先から、上流に向かって片道2.8㎞の川俣
東沢渓谷自然観察園の遊歩道となる。

 こけむす岩の間を流れる清流を見下ろし、岩や根の多い遊歩
道を、岩に記されたペンキの○印を頼りに進む。途中、鉄製の
急階段を上がって高みになる。

 対岸に覚円峰を望み、岩の間で流れが左右にくねる蘭庭曲水
を過ぎ、階段とハシゴを下って獅子岩橋を渡り、左岸に回る。

 ここで流れから離れ、木製の急階段を上がってジグザグに進
む。広葉樹林の遊歩道を抜けると、南側が開けた牧草地に出た。
左手が今日のゴール、清泉寮である。17時10分に着いた。

 牧草地を見下ろすジャージーハットと呼ぶ建物で、何組もの観
光客が名物のソフトクリームを手に、雲間に見える富士山や茅ヶ
岳などの展望を楽しんでいた。


 受付を済ませて鍵をもらい、南北に走る車道の東側にあるコテ
ージのひとつ、「横浜」に入った。

(天気 快晴後晴、距離 16㎞、標高差累積 1500m、地図 
(1/2.5万)八ヶ岳東部、谷戸、歩行地 長野県南牧村、山梨県
北杜市(旧高根町))
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ツツジの名所・三窪高原へ

2007-06-17 23:28:15 | Weblog
 14日の梅雨入り翌日から3日間、関東地方は好天が続
いています。

 今日は「カタクリの会」と呼ぶ軽登山を楽しむグループで、
山梨県のツツジの名所・三窪(みくぼ)高原のハイキングを
楽しんできました。

 詳しいレポ-とは、先週の国際ウオーキングトレイル実踏
報告の後とし、とりあえずハンゼの頭と呼ぶピークからの
富士山の写真のみを紹介します。


 
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国際ウオーキングトレイル実踏 =野辺山~清里=

2007-06-16 21:45:41 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 第2日 2007年6月13日(水)
 =野辺山~平沢山~飯盛山~清里~清泉寮①=


 
 朝から雲ひとつない快晴。朝食を済ませ、その前に散歩して
きた「やまさん」の案内で、そばの野辺山宇宙電波研究所の東
側敷地内を少し探検に行く。

 巨大なアンテナが八ヶ岳を背に上を向き、直径1mもない小さ
なパラボラアンテナが数十個も太陽に向いている。


 宿のそばの畑では、座ったままで作業できる機械で、広い畑に
レタスを植えていた。


 8時に「旅人の宿こっっあんち」を出る。行く手左手に、野辺山
スキー場のゲレンデが見える。

 目指す飯盛山は、左のピークの向こうになるらしい。

 宇宙電波研究所の敷地南側沿いに西に向かう。正面に赤岳や
横岳などの大展望が広がり、気持ちよい展望だ。

 南側、矢出川沿いの林でヨシキリやカッコウが鳴く。

 宇宙電波研究所の入口に出た。受付の方に聞いたら、見学で
きるというので、ザックを預けて構内に入る。

 鉄道線路のような2本のレールで移動できる、直径10mのパラ
ボラアンテナが6個上を向いている。

 ミリ波干渉計と呼び、最大600m離して観測すると直径600m
相当の巨大アンテナに匹敵する解像度になるという。

 突き当たりには、直径45m、重量700ンという大きなアンテナ
がある。(八ヶ岳連峰を背にした最初の写真)

 ミリ波と呼ぶ電波を観測できる世界最大の電波望遠鏡で、天体
からのかすかな電波信号を捉える能力に優れているようだ。

 散歩の時見た、たくさんのアンテナ群は、電波へリオグラフと
いい、太陽専門の望遠鏡。直径80cmのアンテナを84台使い、
直径500mの望遠鏡相当の解像度とか。(2番目の写真)

 それぞれの装置のそばには何枚かの説明パネルが、45m
電波望遠鏡の観測塔には、展示室があり、入館は無料である。

 「こっっあんち」の親父さんが、「野辺山は日本国内でも最も雨
の少ないところ」といわれたが、その気象条件が観測地として
選ばれたのであろう。

 思いがけず、世界でもトップクラスの「電波の窓」を垣間見る
ことが出来た。

 入口横に「野辺山派遣隊之碑」が立ち、ここが太平洋戦争中、
三重海軍航空隊野辺山派遣隊敷地で、特攻用グライダー演習
地だったことなどが記されていた。

 南側は、矢出川の流れを取り入れた矢出川公園。流れに沿っ
てレンゲツツジが花を競っていた。

 そばに、円形の新しい建物がある。「ベジタポール・ウィズ」と
呼ぶ南牧村(みなみまきむら)文化情報交流館。

 館内には、野辺山高原で見られる今夜の星空を紹介する「グ
ローブシアター」、フライトシミュレーター、図書館、レストラン、
売店などがゆったりと配置されている。

 屋上の展望台に上がると、宇宙電波研究所はもとより、八ヶ岳
連峰や、清里高原、野辺山高原など360度の展望が得られる。


 北側の車道に向かう途中に、たくさんの自然石が芝生に並び、
三重海軍航空隊野辺山派遣隊の人たちが平和を希求して造っ
たことを記したパネルがあった。


 車道に出て南に向かうとすぐ、「三軒屋碑」が立つ。慶長年間
(1596~)に徳川幕府が、行旅人のために近くの集落から3軒
の茶屋を移住させ、救護にあたらせたことが記されていた。

 500m足らずの十字路に、「飯盛山ハイキングMAP」があり、
それに従いコースに入る。広葉樹林やカラマツの下の緩い上り
道。昨日同様、ハルゼミがうるさいほどに鳴いている。

 右からの車道に合して、標高1450mの平沢峠に出た。駐車
場の隅に「お休み処飯盛亭」やトイレがあり、八ヶ岳連峰が、南
は権現岳から赤岳を経て北は硫黄岳までの大展望が得られる。


 そばに、黒っぽい溶岩の塊のような「獅子岩」があり、その上
からの展望はいっそう素晴らしい。


 駐車場の隅に「日本の分水嶺」の看板が立つ。北側には、
「平沢古道」の新しい案内板があり、「かつて佐久甲州街道は、
山梨県韮崎市から長野県佐久市岩村田の中山道を結ぶ交通
の要衝だった」ことなどが記されていた。

 道標に従い、南東に伸びる稜線を上がる。レンゲツツジや
ヤマツツジが増え、鮮やかな彩り。右に宮司の滝への道を分
け、さらにひとしきり上る。

 空気はさわやかだが、上り道はさすがに大汗が出る。

 稜線上に出て傾斜が緩まる。野辺山スキー場のリフト上部
辺りで北側の展望が開け、野辺山のビニールに覆われた畑や
平地林が一望できる。


 稜線の右側に牧場の柵が現れ、左に回り込んで少しで、標高
1653mの三角点がある平沢山に着いた。飯盛山より10m高
く、今回のルートの最高点である。

 行く手には、たこ上げをしている中学生らしい団体が群がる飯森
山(めしもりやま)、西の八ヶ岳連峰はもとより、南の雲間に南アル
プスや富士山も見え、東に奥秩父がなど、大展望が広がり、しばし
休憩した。

                    (続く)
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国際ウオーキングトレイル実踏 =海尻~野辺山=

2007-06-15 23:50:20 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 カントリーウオーカー「やまさん」こと、山浦正昭さんが、ヨー
ロッパにあるような魅力的な歩く旅人によるロングトレイルづく
りをはじめて5年目になる。

 本州中部を縦断するコースづくり9回目の実踏が、6月12日
から14日にかけて行われたので参加した。

 第1日 2007年6月12日(火)
 =JR小海線海尻~海ノ口牧場~野辺山=



 朝7時過ぎに自宅を出て、JR中央線高尾駅8時46分発下り
電車に乗る。小淵沢で小海線に乗り換え、海尻(うみじり)駅に
12時37分に着いた。

 今回の参加者は、やまさんのほか、大阪のHさん、茅ヶ崎の
Iさんと私の4人。いずれも昨年も参加のメンバーである。

 無人の海尻駅ホームで記念撮影して、13時3分に出発した。

 そばの民家のオオデマリが満開。この辺の標高は1050m
ほど。首都圏よりは1ヶ月以上遅い開花である。


 かやぶき屋根にトタン板を被せた古い民家の残る海尻集落を
通過し、小海線の線路を越えて国道141号へ。

 まだ早苗の田んぼでカエルが賑やかに鳴く。500mほどで
国道に分かれ、千曲川の支流、湯川の右岸沿いの林道に入る。
東側に並行する高石川との間に、やわらかな彩りのキャベツ畑
が広がっている。


 川から少しずつ離れて、緩やかな上りとなる。谷間に、八ヶ岳
連峰の一角、残雪の赤岳と横岳かと思われる山並みが見えて
きた。


 背の高いカラマツ林や広葉樹林が続き、高石川左岸の高みを
進む。うるさいほどのハルゼミと、カッコウが鳴く。向かい風が
さわやかだが、上りが続くので汗が出る。

 林道かと思って上がってきたが、道路際に「農業用道路」の
標識がある。時たま通過する車も、どうやら農業関係者のもの
らしい。

 高石川の右岸に渡り、国道から3km余りでヘヤピン状に2度
折返すと、広々とした高原農場地帯となる。


 一面ビニールで覆った畑や、大きくなったレタス畑の向こうに、
八ヶ岳連峰の赤岳や横岳などの雄大な展望が広がる。

 東に見えるのは、奥秩父の甲武信岳(2475m)だろうか。


 海尻パイロット集荷場から500mほどで、再びカラマツ林に入
り、展望が途絶えた。


 ところどころに、シラカバも見受けられる。


 緑いっぱいの林に、鮮やかな彩りのレンゲツツジの花が現れ、
相変わらず賑やかなハルゼミの鳴き声が続く。


 流れの枯れた高見沢上流の橋を渡り、海ノ口牧場に入る。2
車線の直線道路となった。子牛の遊ぶ牧草地の先に、一昨年
夏に訪問されたという、天皇・皇后両陛下のお成り記念碑が
出来ていた。

 シラカバやカラマツなどの間にレンゲツツジも混じる混交林の
間を進む。海ノ口から上がってくるハイキングコースとの合流点
に、「八ヶ岳 犬の牧場」への標識があった。

 間もなくT字路に突き当たる。右手に、「八ヶ岳高原海ノ口自然
郷」の看板が立っていた。左に進んで杣添川の千ヶ滝橋を渡り、
林を抜ける。

 橋の手前に、「千ヶ滝入口」の小さい標識があった。

 山野草試験圃場そばの三差路を右折し、すぐ先の野辺山電話
交換局そばの三差路を左折する。南へ向かい、ほぼ標高1400
mの等高線沿いに野辺山原に向かう。

 東側の展望が開け、牧草地の向こうに鋭いピークの山が二つ
見えてきた。

 左が男山(1851m)、右奥が天狗山(1882m)かと思われる。

 西側の八ヶ岳連峰は、逆光でシルエットのようになってきた。


 6~7mはあろうか、大きな開拓記念碑の立つ牧場横を過ぎ、
別荘地を抜ける。筑波大演習林の看板のあるT字路を左折して
東へ、野辺山駅に向かう。

 右からの国道141号に入り、JA長野八ヶ岳の乳製品直売場
横で国道を左に分ける。


 17時15分、JRで最高所の駅、標高1345.67mの野辺山
駅に着いた。


 近くの「Aコープのべやま」で、夕食時のアルコールなどを調達
する。さらに南東に1km余り進み、18時ちょうど、「旅人の宿
こっつあんち」に着いた。

(天気 晴、距離 16km、標高差累積 720m、地図(1/2.5万)
 松原湖、八ヶ岳東部、歩行地 長野県南牧村)
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カントリーウオーク大野原(秩父市)

2007-06-14 23:34:08 | カントリーウオーク
 カントリーウオークグループの例会で、6月10日(日)に埼玉
県秩父市郊外を歩きました。その時のレポートです。

===========================

 上空に寒気が入って雷雨になるとの予報。秩父鉄道大野原
駅に集まり、4グループに分かれ10時28分にスタートする。

 駅北側の踏切を渡り、国道141号に出て、近くの愛宕神社
へ。社殿は一段高い盛り土の上にある。

 雨が落ちてきたので境内の木の下で雨具を着けた。

 交通量の多い国道を南に500mほど進み、広見寺に入る。

 道路際の林の下に、横穴式古墳のようなものがあった。経蔵
と呼び、大般若経の経文が書かれた河原石が5000も収蔵さ
れているという。


 五色のまん幕を張った本堂、新しい山門、大きな鐘楼など、
背後の豊富な緑を背にしてみな見栄えがする。境内には十三
仏霊場も配置されていた。

 門前を南に回って車道に出て、少しショートカットして台地に
上がる。農林研究センターの先で林間を下って小さい流れを
越えた。

 別の車道に出て桜並木に沿って上がると、緑豊富で広大な
聖地公園が一望できる。

 公園の東側、林間の谷間を下り、矢追集落を見下ろす山腹に
ある秩父札所第3番、常泉寺に入った。

 社殿はそう大きくはないが、屋根下に精巧な木彫が施されて
いる。本堂背後の大岩下に、何体かの古い石仏や石碑が並ん
でいた。

 境内に手押しポンプがあり、「長命水」と呼ぶまろやかな水を
くんで飲めるようになっている。


 本堂のぬれ縁に、「子持ち石」と呼ぶ、自然石だが赤ん坊の
ような形の石が祭られ、子供の欲しい人が全国から訪れると
いう。


 咲き出したホタルブクロがたくさん並ぶ畑の前を南西へ。車道
を越えて豊富な緑が深い渓谷を覆う横瀬川の橋を渡る。

 欄干には、巡礼の姿が浮き彫りされていた。

 上山田集落に入り、道しるべに従って進むと、秩父札所4番
の金昌寺。

 大わらじや石仏がたくさん奉納された古い山門をくぐり、桜や
モミジなどの豊富な境内を上がる。

 古い本堂には千社札がいっぱい貼られ、その下に、赤子に乳
を飲ませる姿から子育て観音と呼ばれる慈母観音像がある。


 境内には、天明3年(1783)の浅間山大噴火の死者をともら
うために奉納された石仏が並び、その数は1300体を数える
という。境内のツツジが見ごろだった。


 正午近いが昼食地まではまだ先が長い。山田の春祭りで知ら
れる恒持(つねもち)神社は寄らずに通過、横瀬川の山田橋を
渡って左岸沿いに進み、矢行地で左折して西へ向かう。雷鳴が
とどろき雨も本降り。

 大野原交差点で国道141号を横断、西側の旧道を進み、13
時ちょうどに、昼食地の秩父市文化体育センターに着いた。

 ほかのグループはかなり前に到着し、入り口の横のベンチで
雨を避け、食事を終えようとしていた。

 13時40分に出発、北側の原谷小横の交差点を渡り、南東
への旧道を下る。国道下をくぐって横瀬川を渡り、上小川の
集落へ。クワの実がいっぱい実り、摘んで口に入れる人が多い。

 横断予定の道が一部無くなっていて、S字状にう回して北に
向かい、小槫(こぐれ)集落に入る。民家の庭先や畑のあぜに
いろいろな花が色鮮やかに咲き競う。東側の山腹でホトトギス
が鳴く。

 畑の一角に、ちょっと変わった石を積んだものが祭られ、横
に四角い井戸がある。

 「オシャングリ様」と呼ばれ、朝鮮から来た蚕の神だという。

 その先、山すそにある無住の広雲寺で小休止しした。

 さらに山すそを北西に進む。破風屋集落の小さい池で、
スイレンがピンクと白の花を見せる。


 麦秋の彩りを見せる畑の向こうにかやぶき屋根の家が
あった。

 代々この地の名主(なぬし)を務めたという内田家。建物
は秩父地方の大工のすぐれた技術によるもので。17世紀
初期の建築と見られるという。

 現在は無住で、市が文化財として管理しているようだ。

 美の山への案内板のところを右折し、山間の道を上る。
案内板に従い更に右折し、緑いっぱいの林間を緩やかに
下って行くと、流れのそばに大きな「和同開珎(わどうかい
ちん)」碑が立っている。

 奈良時代の慶雲5年(708)、この地から自然銅が発見
され、朝廷に献上された。その銅から日本最初の貨幣の
「和同開珎」が造られ、年号も「和銅」も改められたゆかり
の地。

 一帯は祝山と呼ばれ、周辺に、江戸期に採鉱された選鉱
場、精錬所跡、横穴跡などが残っているという。

 林間を途中まで戻り、東側の車道に出て北に下り、和銅
遺跡ゆかりの、聖(ひじり)神社に行く。

 祝山から自然銅が発見されたとき、守護神として金山彦尊
(かなやまひこのみこと)を祭ったのが始まり。朱塗りの社殿
は、秩父市中村にあった今宮神社本殿を昭和39年(1964)
に移築したもの。江戸時代中期の建築で、県文化財に指定
されている。

 境内に、和銅鉱物館や宝物庫がある。事前に、普段は閉
まっている和銅鉱物館の観覧を予約しておいたので、和銅
保勝会の若林さんほかの方が待っておられた。

 鉱物館は小さい建物だが、自然銅のほか、国内や海外か
らも収集した鉱石など349点が展示され、ほかに、県文化
財で和銅時代の「蕨手刀(わらびてがたな)」と呼ぶ太刀(たち)
なども展示されていた。


 4人がかりでないとカギが開かないという宝物庫も開けて下
さり、ご神宝の和銅鉱石2個と、献上当時の天皇・元明天皇
ご下賜とされる雌雄一対の和銅製のむかでもみせていただ
いた。鉱石は、献上した当時のものだという。

 希望者に、和銅遺跡のことをまとめた小冊子と、実物大の
和同開珎のお守りも分けていただく。

 すぐ下の国道141号に出て少し戻り、16時10分にゴール
の黒谷駅に着いた。

(天気 雨後曇、参加 18人、距離 13km、地図(1/2.5万)
 皆野、歩行地 秩父市)
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明日から国際ウオーキングトレイル実踏へ

2007-06-11 23:31:02 | Weblog
 明日、6月12日(火)から14日(木)まで、やまさんほかの
皆さんと、毎年春と秋に継続している、国際ウオーキングトレ
イル実踏に出かけます。

〈実踏予定コース〉
12日:JR小海線海尻駅(13時)~野辺山(約15km)
13日:野辺山~飯盛山~東原~清里(約20km)
14日:清里~美しの森山~天女山~JR甲斐大泉駅(約15km)

 時間の余裕と電波状態が可能なら、モブログにて簡単に報告
しますが、不可能な場合は、15日以降にレポートを投稿します。
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関東百駅巡礼歩行(茨城交通阿字ヶ浦)

2007-06-11 16:53:48 | 関東百駅巡礼歩行
 やまさんの関東百駅巡礼歩行、第35回は6月9日(土)、
茨城交通湊線の終点、阿字ヶ浦駅周辺を歩いた。





 参加者は15人。10時40分に阿字ヶ浦駅をスタートした。

 カメラマン2人を除く参加メンバー。

 ホームの先に100m余り線路が延びている。その途中まで
行き、線路の西側へ。ホームの端に廃車した古い2両の列車が
止めてあり、その一つに、「羽幌炭砿鉄道」と記されていた。

 蛇足ながら、羽幌炭砿鉄鉄道は1970年12月25日で廃止
された。その後転用され、この線を走っていたようだ。

 畑の間に住宅が点在する細道を進む。面積は狭いがうっそう
とした広葉樹に囲まれた小さい社があった。社殿の中は見えず、
「笠間神社」と記された金銀の鈴が下がっていた。

 北西に向かい、もう一つの小さい社の北側にある浄妙寺に入
る。

 大屋根の本堂、精巧な木彫を施した鐘楼、ツツジ咲き枯山水
を廃した庭など、いずれも見栄えがする。

 付近の民家に、この地方独特の造りがある。切妻屋根の下に
片側だけもう1つの屋根があり、柱や側板は朱系の色に塗って
ある。鬼瓦には姓が彫り込まれていた。

 寺の手前にある川前(かわさき)家のりっぱな納屋もその一つ。

 作業していたご主人の話では、川前家は代々庄屋を務め、
建物は市から文化財級として認められているという。

 地形図上は、さらに北に寺マークがあるので進んだが、無い。
どうやら、浄妙寺の位置を間違えて記入したらしいと推察された。

 西側の一角は区画整理され、広い敷地の新しい住宅が立ち始
めている。水子地蔵尊のお堂と墓地の横を南へ進み、阿字ヶ浦
小の北側から南西へ向かう。

 一体はサツマイモ畑で、まだ植えている畑、植えて間もない畑
が広がっている。

 集落の西端に進み、西久保稲荷へ。やはり小さい社で、境内
も狭い。木陰に座って昼食とする。道路際にケヤキの太い切り
株が残り、ヤドリギが何本か出ていた。

 昼食後、やまさんから、この歩きの狙いなどのお話しがあり、
各々自己紹介を行った後、解散とし、午後は自由行動となった。

 私は一人で、やまさんからもらった地図の次のポイント、南側
の神社に向かうことにした。植えたばかりのサツマイモ畑の間を
進むと、西側の森でキジが鳴き、上空でヒバリが数羽さえずる。

 畑の尽きたところに、南南東に2㎞あまり伸びる斜面林が連な
り、林に挟まれた田んぼがあるという珍しい地勢になっている。

 山間地の谷間にある谷地田(やちだ)ならともかく、周囲は
広大な畑作地帯なので豊富な緑が目につく。

 その斜面林の向こう、鳥ヶ谷の北端に目ざした神社があった。
クス、カシ、桜などに囲まれた原稲荷神社で、社殿は新しい。
周辺でホトトギスが鳴いた。

 斜面林の西側を1㎞近く進み、車道に出て少し戻る。斜面林
の東側台地に上がり、真っ直ぐに伸びる農道を東に向かう。

 一体はやはり広大なサツマイモ畑。冬から春先、茨城産の干し
いもが首都圏で販売されるが、この辺りはどうやらその原産地
らしい。


 その一角に、すっかり色づいたビール麦が、たわわな首を傾け
ていた。

大きなパラボラアンテナなどが並ぶ通信総合研究所横から北に
向かい、磯崎町の住宅地へ。


 やはりちょっとした森に囲まれた2つの小さい神社があったが、
いずれも朱塗りの稲荷神社。今日回った神社は皆、稲荷神社だ。

 ちょっとした盛り土上にある2つ目の神社の先でヘヤピン状に
折返し、四国の遍路道を思わす林の間の土道を下ると、海を見下
ろす車道に出た。

 周辺の磯浜は、中世代白亜紀層と呼ぶ、褶曲(しゆうきよく)に
より傾斜し、侵食された鋸歯上の岩が沖に向かって伸びている。

 海沿いの車道は車が多いので、別の車道を台地に上がる。

 磯崎小の先に白亜の灯台が立ち、近くから、少し霞んだ日立港
が望まれる。

 すぐ北は、りっぱな森に囲まれた酒列磯前(さかつらいそさき)
神社。斉衡3年(856)12月、神が大洗と磯前の海岸に出現
したので、それぞれに社を営んだ伝えられているという。

 大きな社殿正面に、「大勲位公爵桂太郎謹書」の額が掲げられ、
境内には、水戸藩九代藩主「水戸斉昭公お腰かけの石」がある。

 広い境内は豊富な常緑広葉樹に囲まれ、とりわけ見事なのが、
300mの参道両側を覆い隠したツバキの巨木群。

 タブノキやスダジイも混じり、ほかでは見られぬ特異な景観を
見せている。

 参道を東へ、入口に立つ鳥居前に出て、そばのT字路を南に
上がったところが比観亭(ひかんてい)跡。水戸藩六代藩主、
徳川治保が、寛政3年(1791)に東屋(あずまや)「比観亭」
を建てたところ。

 眼下に磯前漁港が見下ろせ、前方に太平洋が、北には日立港が
一望できる。


 三差路から南へ500m余りで磯崎駅に着いた。次の上り列車
まで20分余りある。線路沿いを進んで出発した阿字ヶ浦駅に
着き、15時23分発勝田行きに乗る。

 すでに皆さんは帰ったのか、始発の乗客は私ひとりだった。

(参加15人、天気 晴後曇、距離 11㎞、地図 ひたちなか、
 歩行地 ひたちなか市)
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雨の秩父路をカントリーウオーク

2007-06-10 21:25:24 | Weblog
 今日は、ほぼ午後3時過ぎまで雨となりましたが、秩父鉄道の
大野原駅から黒谷駅にかけて、秩父鉄道の東側をカントリーウオ
ークしました。

 帰宅後、眠気が強いため、レポート投稿は明日以降に回します。
とりあえず今日の参加メンバー一同、昼食地の秩父市文化体育
センターの玄関にて。
コメント (2)
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