あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

足尾銅山の痕跡と旧国鉄足尾線廃線跡を歩く(続き)

2006-10-31 23:58:29 | カントリーウオーク
 06年10月28日(日)<続き>

 東側に見上げる山肌は、はげ山になっていたのが近年の植林
で、広葉樹がかなり伸びていた。



 対岸に足尾銅山の建物を見ながら、渡良瀬川左岸沿いの車道
を上流に向かう。

 前方に広がる山並みは皆、足尾銅山の煙突から排出された
亜硫酸ガスで興廃している。

 一部植林で復旧しつつあるとはいえ、周囲に広がる山々がすべて
同じ状態。間近にその姿に接し、影響の大きかったことが知れる。

 愛宕下には、足尾高山の社宅だった平屋の長屋が幾つも残る。

 渡良瀬川に何段もの砂防ダムがかかり、その上に足尾ダムの
大きな堰堤が見えてきた。


 ダムの上は、仁田元川、松木川、久蔵川の3つの川が合流して、
渡良瀬川の源流になる広い河原になっている。


 ダム上流の道路横に「わたらせ川源流の碑」が立っていた。

 幅広い滝のように落下するダムの放流を間近に見ながら、大き
な吊り橋を渡り、足尾ダム堰堤下にある銅(あかがね)親水公園
に下り、芝生広場で昼食をした。


 もと来た道を古河橋まで戻って橋を渡る。さらに出川の小さい
橋も渡って、旧国鉄足尾線の廃線跡に上がった。

 向赤倉トンネル(約36m)を抜け、少し崩落したがけ地を注意
しながら進む。線路も枕木もしっかり残っていて、いまでも列車
が通れそう。

 次の向間藤トンネル(約211m)は、入口がふさがれていて
入れない。

 小さい神社の横を下り、精錬所社宅らしい建物の横から南橋
を渡って左岸の道路に出て、上間藤の家並みを南に進む。

 道路が廃線の線路を横切る手前に、間藤水力発電所跡の説明
板があり、直径1mという送水管の一部が残っていた。

 発電所は、明治23年(1890)に完成したもので、わが国初期
の水力発電所で、足尾銅山近代化を強力に推進する力になった
のだという。

 道路と交差したところから再び廃線跡に入る。少し草の伸びた
ところもあるが、通過には支障ない。

 シカの糞らしいのがあちこちに落ちていた。

 300m余りで営業中の、わたらせ渓谷鐵道の終点、間藤駅に
着いた。

 次の列車まで1時間半近くあるので、さらに2つ先の通洞駅
まで歩くことにする。

 線路の西側沿いに進み、田元からは線路の東側沿いの旧道
を抜ける。


 足尾駅近くに、古河鉱業の古河掬水倶楽部と呼ぶ、いわば
迎賓館にあたる建物が見えたが、寄らずに通過する。

 足尾駅構内には、旧国鉄のディーゼル車が保存されていた。

 さらに線路沿いの旧道を進む。足尾銅山発展の基礎を築い
た木村長兵衛の墓があるという宝増寺前を通過し、14時45分
に通洞駅に着いた。


 まだ待ち時間があるので、5分ほど先の足尾歴史館に入る。

 足尾銅山で使われた鉱山機械、足尾に関わる人物紹介、荒廃
地の緑再生プロジェクトの概要などを、ボランティアの方の説明
を聞きながら観覧し、今日あちこちで目のあたりにしてきた、足尾
銅山の歴史や背景などを、一層理解することが出来た。

 通洞駅15時35分発赤城行きで帰途につく。

(天気 快晴後晴、距離 14km、地図(1/2.5万) 足尾、歩行地
 栃木県日光市(旧足尾町)) 
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足尾銅山の痕跡と旧国鉄足尾線廃線跡を歩く

2006-10-31 23:02:46 | カントリーウオーク
 06年10月29日(日)

 夜半知らぬ間に雨が降ったようだが、朝は快晴になっていた。
朝食前のひととき、宿の周辺を散策する。

 キャンプ場背後の山に朝日が差し込み、朝もやが上がる。庚申川
の流れも朝もやに包まれている。


 朝食を済ませ、8時38分に国民宿舎かじか荘を出発した。

 宿の標高は830m。少し先で折り返した林道は、東側の備前
楯山登山口に向かって緩やかな上り坂が続く。


 ところどころにある色鮮やかなモミジの紅葉が、青空に映える。

 「熊が出るかもしれない」と事前に聞いていた今回の企画者・M
さんは、空き缶を4つつないだ熊除けを用意、それを引きずりなが
ら歩く。

 そばでは話しが聞きにくいくらいの音なので、熊も近づかない
だろう。

 「関東ふれあいの道」の道標辺りから、ススキが多くなった。
標高1000m位まで上がったところに「鳥獣観察舎」の東屋があっ
た。30分余り一気に上ってきたので小休止し、ススキの向こうに
広がる色づいた山並みを眺める。


 傾斜が緩まり、10分足らずで備前楯山(1271m)の登山口。
備前楯山はかつての足尾銅山の主要採鉱地。

 なぜ「備前」なのか気になっていたが、慶長15年(1610)、備前
国出身で当時の足尾郷の農民だった人物が、この山で路頭して
いる銅功績を発見したことから名付けたものだという。

 すぐ先が標高約1035mの舟石峠。駐車場があり、東から北側
の展望が開け、奥日光の男体山(2484m)上部が見える。

 周辺の山は、足尾銅山の煙突から排出された亜硫酸ガスの影響
がいまだ残り、岩肌がむき出し。足尾公害の影響の大きさを知る。


 峠の先は旧足尾精錬所に向かっての下り。ススキの間をジグ
ザグの林道が続き、どんどん高度が下がる。こちら側は、黒い実
の付いたハンノキが多く、紅葉はあまり見られない。

 右から沢音が聞こえて出川沿いとなり、カーブも少なくなった。
対岸の中腹にあったという古河鉱業の最初の直営抗で、足尾銅山
の拠点となったという鷹の巣抗の説明板が立つ。

 かなり下まで下ると、ヌルデの紅葉が鮮やかな色を見せていた。


 右手山すそに廃屋の建物が2、3棟残っている。明治17年(18
84)に開発された本山抗跡で、鉱業所、選鉱所、精錬所、火力
発電所、小学校などが設けられ、足尾銅山の中心として発展した
ところとか。

 足尾銅山の北部地域最大の集落が形成されたが、昭和38年
に閉抗されて以後、無人になったようだ。

 当時の社宅などの建物配置図やイラストが描かれていたが、
いまは全く、その面影をしのぶことは出来ない。

 発電所跡付近の木造平屋の屋根からは、雑草に混じって松が
2,3本伸びていた。

 旧国鉄足尾線のガードの先が旧足尾精錬所。鉄骨がむき出し
の精錬所構内が、足尾本山駅跡。

 間藤駅から足尾本山駅までの1.9kmは、旧足尾精錬所関係
の貨物専用線。昭和62年(1987)3月まで使われていたという
線路や信号機が、そのまま残っていた。

 古河橋を渡って赤倉バス停横に出る。上流に並行して、もとの
古河橋が残っている。

 明治23年(1890)暮れに竣工した橋は、翌年日本初の実用化
した電気鉄道の単線線路を敷設したという。現在は通行禁止で、
日光市指定文化財になっている。 (続く)


 
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足尾銅山の一つ、小滝抗の面影を訪ねて

2006-10-30 23:28:00 | カントリーウオーク
 一昨日と昨日、カントリーウオークの仲間で、栃木県に源を
発する渡良瀬川の源流に近い、足尾を歩きました。今日は初日
のレポートです。

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 日光市足尾の庚申川沿いをさかのぼる
 2006年10月28日(土)
  
 カントリーウオークの仲間17人が、東武鉄道伊勢崎線、桐生線を
乗り継ぎ、相老(あいおい)駅に集まる。

 相老駅からわたらせ渓谷鐵道に乗り、12時5分に無人の原向
(はらむこう)駅で下りた。


 好天でさわやかな天気、渡良瀬川の橋を渡って国道122号に
出る。上流に1km近く進み、鉄道のガードを越えたところで
昼食をする。

 手前の信号を渡って渡良瀬川の支流、庚申川沿いの県道293号・
庚申山公園線に入り、緩やかな上り道を上流に向かう。

 信号を渡ったところに大きな「庚申山」碑が立つ。高さ4.1m、日光
市の民俗文化財である。


 少し先の電柱に「熊 出没注意」の張り紙が出ていた。熊君には
出会いたくはない。

 細い車道だが、車が結構通過するので注意が必要だ。1km余り
進むと庚申ダムがあった。水力発電用と記されているが、そばに
発電所はない。


 堰堤(えんてい)から500mくらい上流に進んだところ、対岸がけ
の太いパイプからかなりの水量が流れ落ちている。地図で確かめ
ると、庚申ダムのために、合流点から1.5kmほど上流の渡良瀬
川から取水しているようだ。

 梅橋を渡って庚申川の左岸沿いになり、2,3戸だけの小滝を
通過する。流れはかなり下になり、ところどころで紅葉が、まだ緑
の多い谷間に彩りを添える。


 4km余り進んだところに小公園があり、「ここに小滝の里ありき」
と刻まれた碑が立つ。

 かつての足尾銅山の3山のひとつ、小滝坑のあったところで、明治
18年(1885)に開発に着手し、大正5年(1916)の最盛期には、
今日の宿である国民宿舎のある銀山平にかけて1万余人の人口が
あり、社宅、病院、学校、浴場から、料理屋、芸妓屋などもあり、
ガソリンカー軌道も通じていたという。

 昭和29年(1954)に閉山となり、現在は家1戸もなくその面影は
感じられない。

 わずかに精錬所・選鉱所跡のレンガがだけがその名残を見せて
いた。

 松に絡まるツタの紅葉が色鮮やかな公園で、小休止する。

 少し上流に向かうと対岸に、流れは細いが何段もの滝が流れ
落ちていた。

 小滝橋の横には、明治20年(1887)に銅山便道として開削
された道路に、大正5年(1906)に架設されたという旧小滝橋
が残り、橋の先は小滝抗の入口となっていた。


 さらに500mほど進んだ左手に、覆い被さるようにせり出した
巨大な岩がある。

 旧小滝火薬庫跡で、足尾銅山では、火薬を使って採鉱して
おり、「明治40年(1907)頃まで使用していたらしい」と記され
ていた。

 少し先には、構内電車の導入前の抗口だったという、当初の
小さな抗口が残っていた。


 岩をはむ清流を見下ろし、色づきの増えた行く手の山腹の広葉
樹などを見ながら進んで、次第に高度が上がる。

 人が渡れるだけの小さな橋があり、1軒だけの温泉宿「足尾温泉
かめむら旅館」の看板が立つ。

 横に「猿田彦神社」への矢印もあったので、橋を渡って旅館の
裏手から神社に回ってみた。

 りっぱなシャクナゲの群落があり、「猿田彦神社例祭」と書かれた
白旗の並ぶ石段の上に本殿があった。

 明治23年(1890)に、小滝抗の山神社として抗夫により建立
されたものという。

 神社の背後は広い芝生地となっていて、色とりどりのテントが並ん
でいた。銀山平キャンプ場で、東屋(あずまや)や炊事場、管理棟
などもある大規模なキャンプ場である。

 横の台地上には、高さ10mくらいの大きな塔が見える。

 「中国人殉難烈士慰霊塔」で、太平洋戦争末期に中国から強制
連行されてきた257名が、足尾銅山の労働に従事したが、その
うち109名が殉難し、その人たちの慰霊塔とのこと。

 ここにも、足尾銅山の歴史が残されていた。

 今日の宿・国民宿舎かじか荘はすぐ先、15時34分に着いた。


 「庚申の湯」と呼ばれる地下1500mから湧き出る温泉は、つる
つるとしていて、「美肌の湯」ともいわれている。

 露天風呂に入り、眼前の色づく山肌を眺めながら汗を流した。

(天気 晴、距離 7km、地図(1/2.5万) 足尾、歩行地 栃木県
 日光市(旧足尾町))
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四国遍路道ある記(前編)・愛媛その3

2006-10-29 22:46:31 | 初めての四国遍路
 2日間とも好天に恵まれた栃木県日光市(旧足尾町)のウオー
キングから21時頃、帰宅しました。レポートは明日以降として、
今日は四国遍路道ある記を続けます。

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 第25日 2004年3月15日(月) 晴 
 <41番龍光寺~42番佛木寺
 =松尾峠を越えて宇和島へ=
 
 5時45分起床、6時30分朝食、7時にTさんと三好旅館を出る。
狭い町並みに古い家並みの並ぶ通りには、獅子文六ゆかりの
文六餅の店がある。

 近くに、臨江寺という変わった山門の寺があった。どうやら番外
15番札所のようなので寄り、参拝を終え納経帳をお願いする。

 しかし、ほかの番外霊場と違い、受付には納経帳に記帳するテー
ブルなど無く、奥で記入して受付で押印してくれた。山門に戻って
看板をよく見たら、何と「四国ぼけ封じ33番札所第15番」とある。

「ぼけ」を「番外」と読み違えていたのだ。ぼけが進むか、参拝した
ので治るか、どっちだろう?

 国道56号に出ると、休み明けの朝のラッシュ時で車が多い。上谷
で旧道の迂回路へ。国道を直進すると、長さ1710m、歩いて27分
かかり、排気ガスの多い松尾トンネルがある。

 迂回路は、1.7km多いが車は少ないとのことで、回ることにした
のだ。

 結構急坂が続き、どんどん高度が上がる。真珠貝養殖工場を過ぎ、
旧道松尾トンネルに入る。歩道はないが、長さは300m足らず、ライ
トを付けて通過する。行き違った車は3台だけだった。

 トンネルを出ると宇和島市で、下り道となる。大きな採石場を過ぎ、
国道56号に出る手前の柿木で休憩した。

 国道に戻って少しで西側の旧道に入る。へんろ道ではないが、
1kmあまり車の少ない山すその集落を進む。下保田の薬師谷川
を渡ると宇和島市街が近づき、商店も車も増えてきた。

 並松で、奥様から「お賽銭に」と百円をお預かりしたので、次に
回った41番に納めた。

 市街地に入ったところで、地形図を見て国道より東の道に入り、
少しだけショートカット。伊予ゆかりの伊達博物館の先で国道に
戻った。

 四月に開催する闘牛のポスターがあり、宇和島が闘牛の町だっ
たことを思い出す。マンホールのふたにも闘牛が描かれていた。

 山上に天守閣が見える宇和島城の下を南から東に回る。城への
上り口になっている上立門のそばに、「児島惟謙先生像」というの
が立っていた。

 宇和島藩士で坂本龍馬と交流があり、のち大審院長(現在の
最高裁長官)になった人だという。


 宇和島郵便局の手前で、歩道橋を渡って広い通りに入り、きさ
いけロードと呼ぶアーケードの通りを横断する。
 

 その先、宇和島駅の東南にある番外霊場、龍光院に参拝する。
 
 寺は長い階段を上がった丘陵上にあり、宇和島城や市街地の
展望がよい。大きな本堂、境内にかわいいお地蔵さんが並び、
ミニ88か所が設けられていた。


 宇和島駅東側の踏切を越えたら、そうざい店があった。中をのぞ
いたら弁当も置いてある。外崎さんと栗おこわを買った。

 国道56号に出てすぐ、光満川沿いの遊歩道を県道との分岐点
近くまで進み、県道57号に入った。道は上りとなる。

 安常の、コインランドリーと自動販売機の並ぶ無人販売所に、いす
と机があったので、場所を借りて昼食にする。Tさんから、おかずと
フルーツ菓子を頂いた。

 県道は、光満川を挟んでJR内子線沿いに谷間を進む。新屋敷を
経て柳の芽吹く馬根を過ぎる。

 気温が上がってきたが、湿気が少なく風がさわやか。窓峠を越え
ると、行く手に曽根の田園が広がる。

 14時前、41番龍光寺に着いた。本堂の納札箱に錦の納札が
あるのをTさんが見つけた。太子堂にも同じ札があり、私に分けて
下さった。昨夜、茶柱が立ったのはこれだったのかと、ありがたく
頂く。

 錦の納札は100以上回った人が納めたもの。価値あるものと
して珍重され、額に入れて飾る人もいるという。

 納経所を出て墓地を抜け、へんろ道の林を西に下り、田園地帯
を西に進む。成家で、「50年前、胃ガンを摘出して元気になった
のはお大師様のおかげ」と、一緒に歩きながら話してくれたおばあ
さんからミカンのお接待を頂いた。


 その先で手押し車の遍路を抜き、静かな集落の42番佛木寺に
着いた。本堂と大師堂は並んでいる。鐘楼は珍しくかやぶきだ。



 更に南西に500mほど進み、沼のほとりを上がって歯長峠へ
向かう。峠へ1.6km地点から山道になった。急坂が続き、顔も
背も一気に汗が吹き出る。

 200mほどの鎖場もあったので、息が弾まぬくらいのペースで
上り、送電線の鉄塔のある歯長峠に着いた。標高490m、送迎庵
見送り大師跡でもあり、小さな庵があった。

 峠の先は、スギやヒノキ、そして広葉樹の落ち葉の多い林を下っ
て車道に出た。肱川沿いの県道29号を西に進む。夕日が山の
向こうに落ちた17時42分、レストラン民宿みやこに着いた。

 部屋は、食堂を挟んで1階と地階にある変わった構造。私は
車庫の奥の地階の部屋。そばに風呂と洗濯機があったので利用
する。

 夕食は18時45分から食堂で。結構盛りだくさんの料理。隣席
は車で遍路している2組の夫妻。先に食事を始めており、意気
投合して大声で話しが弾んでいた。

〈コースタイム〉三好旅館7:00ー臨江寺7:22~上谷(旧国道へ)
7:50ー旧国道松尾トンネル東口8:25ー柿木8:58~9:06ー薬師谷
川先の三差路10:45~51ー宇和島城西下の門10:40ー番外・龍光
院10:57~11:23ー安常(昼食)12:05~26ー新屋敷13:17ー41番
龍光寺13:58~14:22ー42番佛木寺15:03~32ー歯長峠16:24~
30ー車道へ17:00ー民宿みやこ17:42

(距離 35km、歩行地 津島町、宇和島市、三間町、吉田町、
 西予市(旧宇和町)、歩数 60,100)
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足尾のカントリーウオーク

2006-10-29 17:56:01 | Weblog
昨日、今日、栃木県日光市の旧足尾町の、カントリーウオークと、旧国鉄足尾線の配線跡ウオーク、そして足尾鉱山の公害被害状態などを間のあたりにしました。
いま、帰途の東武伊勢崎線車中から、とりあえずの報告です。
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四国遍路道ある記(前編)・愛媛その2

2006-10-27 19:53:27 | 初めての四国遍路
 明日28日(土)と29日(日)は、カントリーウオークグループの
メンバーで、栃木県日光市(旧足尾町)へ、1泊のウオーキング
に出かけます。

 28日は、渡良瀬川の支流・庚申川をさかのぼって国民宿舎泊、
29日は、旧足尾精錬所跡の見学と、旧国鉄足尾線廃線跡を間藤
まで歩く予定です。

 標高800m以上の谷間にある国民宿舎では、モブログは無理
かと思いますので、レポートは30日以降にアップします。

 四国遍路道ある記(前半)は、愛媛県に入りましたが、あと4日
歩きます。

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第24日 2004年3月14日(日) 晴
=峠の上で遍路組曲のコンサート=
 
 今日は、昨夜の前夜祭に続く催し、「トレッキング・ザ・空海」に
参加するのと、次の宿まで22km足らずだし、昨夜遅かったことも
あり、7時に朝食とした。

 朝食前、部屋にあった2冊のノートを読む。宿泊者が書いたもの
だが、前日の宿から荷物を車で運んでもらったこと、歩けなくなっ
て次の宿まで送ってもらったこと、おかみの人柄にひかれて何回も
泊まったことなど、「御荘小町」といわれた美人おかみに感謝する
メッセージであふれていた。

 おかみさんと話ながらの朝食。ご主人を数年前に亡くし、一人で
宿を守っておられることや、宿泊した遍路の誘いで、一緒に旅行や
催しなどを楽しませてもらったことなど、人気おかみならではの交流
について聞かせてもらった。

 昨夜のご厚意を感謝して、8時2分にTさんと磯屋を出る。トレッキ
ングの出発地は、昨夜と同じ「DEあい21」。約9kmあるというが、
10時に着けるだろうか。

 御荘湾沿いの国道に、赤い実だけで葉のない街路樹が続いている。
Tさんと「何の木だろう」と話ながら進む。川之江では高度が上がり、
御荘湾の展望がよい。

 菊川小の先の上り坂で、逆打ちの男性遍路に声をかけられた。家
にはほとんど帰らず、野宿で回って19回目とか。

 赤い納札をくれて、「家からは月5千円の仕送りしかないので、いく
ばくかの…」と言う。それではと500円ずつさしあげた。もらった納札
には、妻子3人を相次いで失い、供養のため回っていることが記され
ていた。


 坂を上り、切り通しを越えると室手。海の展望が広がり、真珠貝の
養殖いかだが幾つも並んでいる。沖合は春霞みで見えない。


 9時50分、「DEあい21」に着く。すでに大勢の参加者が体操中。
急いで受付とトイレを済ませると10時、参加証(下の写真)をもらい、
すぐにスタートした。



 相川沿いにぞろぞろと長い列が続く。役員に聞くと、参加者は約
500人という。村外の参加者がほとんどのようだ。

 見事なハクモクレンが咲く柏坂上り口に着いた。ここからが急坂の
山道だ。用意されていた杖代わりの竹棒を借りて、突きながら一列
になって坂を上がる。

 標高300mの柳水大師には給水サービスがあり、冷水をもらう。
歩き遍路の参加者は我々2人だけ。参加者と話しながら、少しずつ
抜いてゆく。上りが続き汗が出る。

 標高460mの柏坂を過ぎると、林間のゆるい下りとなる。小さな
祠(ほこら)の清水大師に参拝し、更に進んで昼食地の接待松に
着いた。

 由良半島周辺の海を見下ろす絶好の展望地で、甘酒のサービス
があった。ここで野外演奏をする月岡さん、松末さんは既に着いて
いて準備中。

 すぐ近くが空いていたので腰を下ろし、磯屋のおかみさん心づく
しのおむすびを食べる。

 12時から野外コンサートが始まった。ごぜ唄、童謡、そして遍路
組曲が、青空の下、すばらしい展望の中で、今日も月岡さんの力
強い唄が響き、大変感激する。

 演奏が終わり、下りようとしたら、きのう紹介してくださったYさん
が来て、月岡さん、松末さんに、我々が歩き遍路中に参加した
ことを紹介して下さり、お二人からも激励の言葉を頂いた。

 反対側への下り道は傾斜が緩い。牛の背、女兵さん私案の石、
狸の尾曲がりなど、伝説の説明板を見ながら下る。茶堂休憩地
を過ぎたら、珍しいシキミの畑があり、花の咲き出した木もあった。

 ミカン畑が現れた。持ち主の奥さんが、「出荷後だから自由に
食べて下さい」と言う。数個もいで甘いミカンをその場でいただき、
残りはザックに入れる。

 津島町上畑地の1戸だけの民家の横に、へんろ椿と呼ぶヤブ
ツバキの古木があった。樹齢300年、目通り2.26m、高さ12
mという。

そばに、今朝見た赤い実の木があったので聞くと、接ぎ木して
実の付くようにしたモチノキだと教えてくれた。

 近くにあるピンクの桜が見ごろである。

 舗装された林道を下り、国道56号に近いゴール地に着いた。
缶飲料と酒まんじゅうを頂く。ここで声をかけて下さったのが、こ
の後開く句会の選者、夏井いつきさんの叔父にあたる宮部さん。
いつきさんの句入り名刺を頂いた。

 担当の方にお礼申し上げ、参加者に分かれて先方に向かう。
国道56号の南側、芳原川沿いの集落を抜ける。アオサギが
2羽、芦原に立っていた。

 さらに芳原川沿いの自転車道を左岸から右岸へと進む。この
街路樹は、オリーブに続き、ツバキとハクモクレンだった。

 津島大橋の手前を東に入り、川沿いに進んで、15時52分、
三好旅館に着いた。古いたたずまいで、いかにも旅館という
造り。新館と旧館の間に醤油販売の店があり、これも古い店
造りだ。

 本館に入り、早速入浴と洗濯をする。夕食は別館でTさんと
一緒に。豪華なエビフライ、さしみ、などなど盛りだくさん。
おいしいので全部頂いた。

 食後、Tさんが入れてくれたお茶に茶柱が立ち、「明日はきっと、
いいことがありそうだね」と喜んだ。

〈コースタイム〉民宿磯屋8・02ー菊川橋8:46ー御荘町・内海村境
9:31ー「DEあい21」9:50~10:00ー柏坂ーつわな奥展望台(昼食・
青空コンサート)12:00~13・00ー茶堂ー小祝ー三島(国道56号際
ゴール)14:43ー三好旅館15:52

(距離 22km、歩行地 御荘町、内海村、津島町、歩数 
 41,500)

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四国遍路道ある記(前編)・高知その16/愛媛その1

2006-10-26 20:53:13 | 初めての四国遍路
 第23日 2004年3月13日(土) 晴 <40番観自在寺>
 =松尾峠を越えて愛媛県入り=
 
 5時25分起床、6時朝食、「また来るんだよー」との親父さんの
声に送られて6時45分にへんくつやを出発する。


 雨が上がり、濃い朝もやで視界は100mくらい。気温も下がって
吐く息が白い。寒いので、軍手を着用する。

 国道56号に出て、小森から旧道へ。市山古石塔群を過ぎた辺り
で霧が晴れ、間もなく日が差してきた。

 和田で国道56号に分かれて北側の県道4号に入った。松田川の
宿毛大橋を渡って右折、文教センター、宿毛郵便局、市役所前など
を通過して、県道109号へ。

 町並みの終わりで国道56号と交差する。貝塚集落の山すそに向
かうと、国史跡・宿毛貝塚があった。縄文中期~後期の貝塚で、四国
では最大だという。貝塚一帯は芝生になっている。

 貝塚の先から山すその上り道。宿毛の町や宿毛湾の展望がよい。
ヒノキ林のたっぷりの落ち葉道や、ナノハナの咲く畑のあぜなどを上り
下りして錦集落を抜ける。

 集落は、桃、ナノハナ、ホトケノザなどが花盛りで、春先らしいやわ
らかな彩りを見せてくれる。


 再び草の道や杉落ち葉のへんろ道を進む。両側に池が現れ、小さ
な祠(ほこら)があったので休憩。久しぶりに自宅に電話し、近況と、
帰宅が1日遅くなることを伝えた。

 放置された棚田が、アシや草など伸び放題になっている。深浦集落
の手前で、駅の方を回ってきたという八戸の女性が左手の道から現
れた。以後同道する。

 八戸の女性とは何日か同宿したが、いつも私が先に宿帳を書き、
名前を知らなかったので聞いて、Tさんと知る。

 Tさんは、いつも「お父さん」と呼ぶご主人や、グループの仲間と、
連休や夏休みなどに山登りをされ、すでに九州、四国の日本百名山
も上ったという。さらに、冬はツアースキー、夏場海に潜るなど、活発
なアウトドア派の方のよう。

 伊予・土佐藩の松尾峠出番所跡を過ぎる。大深浦の集落では、
収穫した文旦をいっぱい並べて出荷作業中。距離は短いが、昔の
まま残る石畳道があった。

 みかん畑の横に新しい地蔵堂があり、「遍路さん休んでいって
下さい」と書いてあったので、Tさんと寄って休憩する。

 天気は良し、ミカン畑や芽吹き間近な山並みなど、のどかな展望
が広がり、いつまでも眺めていたくなるところだった。


 その先は上り坂が続き、茶屋跡を過ぎると海が見え、まもなく松尾
峠。大師堂があり、「純友城跡」の表示と、土佐と伊予の国境標石が
立っていた。


 峠が県境とは知らずに来たので、思いがけない国境標石だった。

 長かった高知県を歩き終え、愛媛県に入るのだと思うと、一瞬、
感慨を覚える。

 峠の先は、疑木の手すりが付いたゆるやかな下り。足あたりの
よい快適な土の道である。


 県道299号に出た。右から合した三差路には、小山番所井戸の
説明があった。

 坂石集落に入る。自宅の前で作業していた男性から、「ちょっと
待って」と言われ、中にいた奥さんをせかせて乳酸菌飲料のお接待
を頂く。そばに東屋(あずまや)があったので昼食とする。

 一本松町の中心街を抜け、国道56号を横切る。おだやかな午後
の日より、ゆったりした気分で車の少ない県道を進んだ。

 札掛集落を抜け、上満倉へ向かう山間は、県道がヘヤピンカーブ
を繰り返す。ショートカット工事中のところもあり、地図で確認したが
よく分からない。

 車の若い人も止まってくれたので聞いたが、要領を得ない。古い
方の道を回ったらへんろ道の標識があった。

 大場集落を過ぎ、谷間の田んぼを左に見下ろしながらゆるい下り
道を進むと、三差路が見えた。その先の僧都川の三差路と勘違いし、
左へショートカットしようとして、あぜ道を入ったら芦原となる。

 休耕田に回ったのだが、Tさんは水のあるところに踏み込み、靴が
泥だらけになった。ほんの少し近回りしようとして、かえって時間を
食い、へんろ道を行くのが正解だったと悟った。

 直前に抜かれ男性歩き遍路が見えないが、左の道をしばらく進む。
でも方向が違う感じ。

 次の三差路にあったへんろ標識は、先ほど見たような気がする。
結局、2km前後の回り道をしたことになり、勘違いした三差路に
戻った。

 15時前に観自在寺に着く見通しだったが、どうやら30分ほど遅れ
そう。Tさんと、「一人ならこんなことはしなかったろうね」と話す。

 城辺町の中心街を通過し、僧都川を越えて御荘町に入り、15時半
過ぎ、40番観自在寺に着いた。解放された感じの明るい境内。3匹
のカエルの石像がある。

 大師堂で参拝しようとしたら、「歩きですか?」と声をかけられた。

 NPO法人、黒潮実感センター事務局長のYさん。「今夜6時から隣
の内海村のDEあい21ホールで、津軽三味線奏者、月岡祐紀子さん
の演奏と、作家・早坂暁さんの講演があります。歩き遍路なら、ぜひ
お出で下さい」と勧められた。

 Tさんも、よい機会だから行きたいという。

 16時28分、民宿磯屋に着いた。早速おかみさんに話したら、急い
で夕食を用意して下さり、17時半前には出してもらった。急いでいた
だく。

 その上、ホールまで9kmあるからと、おかみさんが車で送迎して
下さることになった。

 開演直前に着き、急いで会場に入る。すでに満員だったが、幸い
前から5~6番目に空席があり、座ることが出来た。

 まず、月岡さんの演奏。ごぜうた、中山晋平の民謡三曲、そして
期待していた遍路組曲が始まる。

 月岡さんは2000年、前年に続き各札所で津軽三味線を奉納しな
がらの歩き遍路をして、この遍路組曲をつくった。

 私は、月岡さんの「平成娘巡礼記」(文春新書)や、月岡さんのことを
記した辰濃和男さんの「四国遍路」(岩波新書)を読んでいたので、
大変感慨深く聞く。

 声量豊かに弾き歌う月岡さん、そして伴奏の松末真由美さんの琴
とあわせ、心に残る演奏だった。

 続いて早坂暁さんの「四国遍路の底力」という講演。自分の幼児期、
母親に背負われての四国遍路のこと、最近、東京・高島屋で開催され
た四国遍路展のために作った遍路まんだらの話、四国遍路道の魅力
は人里を抜ける道だ、四国は千年の煩悩が埋もれた道である、平成
遍路の特徴は、自分の生き方を求めて来る人が出たきたこと、など、
予定時間をオーバーして味わい深い話しをされた。

 一緒に聞いた磯屋のおかみさんも大変喜ばれ、私たち遍路にとっ
ても一番思い出深い夜となった。

 もし道を間違えなかったらYさんに会えず、この企画も知らなかった
と思うと、これもお大師さまのお導きかと感謝した次第。21時過ぎ宿
に戻り入浴、就床は23時を過ぎた。

〈コースタイム〉民宿へんくつや6:45ー和田(県道へ)7:44ー深浦(二つ
の池)8:58~9:15ー地蔵堂9:36~50ー茶屋跡10:25ー松尾峠10:40~
50ー県道29号へ11:10ー坂石の東屋(昼食)11:45~12:15ー上満倉の
大宮神社13:35~50太場の三差路戻り14:41ー40番観自在寺15:35~
16:04ー民宿磯屋16:28

(距離 32km、歩行地 宿毛市、愛媛県一本松町、城辺町、御荘
 町、歩数 52,300)

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四国遍路道ある記(前編)・高知その15

2006-10-25 18:30:09 | 初めての四国遍路
 2日余り続いた冷たい雨が上がり、さわやかな秋空となりまた。

 四国遍路前編のレポート22日目、私の遍路旅は天気に恵まれ、
前半で1日中雨だったのはこの日だけでした。

 =========================== 

 第22日 2004年3月12日(金) 雨 <33番延光寺>
 =雨の県道をひたすら=
 
 5時25分起床、6時朝食。雨なのでザックカバーをかぶせ、ポン
チョとスパッツを付け、6時45分に安宿旅館を後にする。

 下ノ加江川に沿った国道321号を西北に戻り、2つ目の橋を渡
って県道21号に入る。

 新しいバイパスのあたりで雨がやんだのでポンチョを脱ぐ。道は
下ノ加江川右岸高みの木立の間を進む。先発した愛知県の女性
と八戸の女性に追いつき、すこし話しながら進み、途中から先行
する。
 
 きのうより気温が下がり歩きやすい。この辺りの地形図とへんろ
地図コピーは、きのう自宅に送り返してしまったので、現在地の
確認が出来ない。

 木立が続いて遠望が聞かないので、ウグイスの声を聞きながら
雨で濡れた道をひたすら前に進む。2戸だけ家並みが現れ、梅や
ボケが花盛り。

 空がかなり明るくなったが、水のない棚田でにぎやかなカエルの
競演が続く。

 再び家が途絶えた。県道といっても狭いところは1車線しかない。
でも車はめったに通らないので安心。土佐清水市大河内の標識
近くに数戸の集落があった。市の北端になる。

 聞こえるのはウグイスの鳴き声と自分の靴音、そしてかすかな
せせらぎのみ。

 杉林に囲まれた河内神社のあたりからまた雨が落ちてきたが、
少しで止んだ。三原村に入り、ゆるやかな上り道が続く。


 伐採した材木を運ぶワイヤーが、川の上を数百mに渡って伸び
ている。再び人家のない川筋。「たまご放し飼いしゅりの里」の看板
があった。

 山すそを半円形のカーブで回って鶴場橋を渡る。側溝の落ち葉
を3人で除去作業中。大雨の時に道路冠水を防ぐための作業だと
いう。

 楽に歩かせていただけるのも、このような作業のおかげと知り
感謝。また本降りになったので、廃屋の小屋でポンチョを付ける。

 芳井橋を渡って芳井集落に入ると、へんろ小屋第7号があった。
太い孟宗(モウソウ)の割竹で屋根や壁代わりに囲い、上にはビニ
ールの波板を張ってある。

 夕べ同宿した女性2人も着いて休憩する。早着した私は先に小屋
を出た。

 谷間に霞がかかり、山水画のよう。下之加江川沿いにSカーブを
繰り返しながら進む。もう、田のあぜに土塗りして水を張り、田植え
の準備をした田んぼもある。

 三原橋の先、たけうち商店の前に、4~5人抱えくらいもある太い
木に、「名木・タブの木」の標示があったが、由来などは記されて
いなかった。

 伝説「嫗滝権現と猫の爪跡石」という説明板があり、そばにある
幅7m前後の大岩に、猫の爪跡のような窪みがある。


 その先、左カーブする地点の天満宮には、下長谷城跡の標示が
あった。

 来栖野トンネルからの道と合した先に、いきいきみはら会のへん
ろ休憩所があった。お茶のポットが置いてあったので1杯頂く。

 何人か泊まれる宿泊施設もある。

 三原村役場近くのファミリーストアで弁当を買い、そばの、村総合
保険センターの屋根下にベンチがあったので、許可を得て昼食を
させてもらった。

 まもなく船ヶ峠交差点。峠の名がついているが平坦で、その先が
わずかな下り坂になっている。

 特養老人ホームふれあい広場前を通過、雨は止まず、息も白く
手がかじかむので、ニギニギしながら歩く。ひたすら歩くのみだが、
これも修行と考え無心で進んだ。

 宿毛市に入り、梅の木トンネルを出ると、左手に中筋川ダムの
堰堤(えんてい)が見えた。

 この写真は堤防の上流なのだが、水ははるか下に少ししかない。

 黒川トンネルを抜け、桜並木の続く川沿いを行く。


 土佐くろしお鉄道平田駅の先のT字路で国道56号に入ったら、
急にダンプや乗用車の交通量が増えた。

 1km余りで延光寺道に入り、14時20分、門前の宿、民宿へん
くつやに着いた。


 ザックを預けて39番延光寺に参拝。よく手入れされ庭、大師堂
は小ぶり。寺の山号、赤亀山ゆかりの赤亀の像があった。


 14時50分、へんくつやに戻った。親父さんは、いろいろなもの
を集めるのが趣味のよう。大石、漁具のガラス玉、いろりの釣り
カギなどが庭に並んでいる。古い発動機も数台あるという。

 2つある岩風呂も1年がかりで親父さんが作ったとか。宿泊客
からもらったという各地の天皇陵の掛け軸、八十八か所の砂入り
座布団など、珍しいものもある。

 ここでは、宿泊客は誰でも「お兄さん」とか「お姉さん」と呼んで
くれるようで、私はお兄さん、八戸の女性はお姉さんと呼ばれた。
歳はおじいちゃんだが気持ちはお兄さんのつもりなので、悪い
気はしない。

 夕食は八戸の人と2人。親父さんから、宇都宮の遍路にもらっ
たという金の納札を頂く。夕食後、ご夫妻の遍路が着いた。

〈タイム〉安宿旅館6:45ー県道21号バイパス7:15~18ー三原村へ
8:28ーたまご放しがいの里看板8:57ー鶴場橋8:55ー芳井橋近く
の廃屋9:05~10ー三原橋10:22ー天満宮10:45ーいきいき三原会
11:12~20ー三原村役場11:25ー総合保険センター(昼食)11:37~
12:00ー宿毛市へ12:47ー梅の木トンネル北12:55ー国道T字路
13:52ー民宿へんくつや14:20ー39番延光寺14:25~43ー民宿へん
くつや14:50

(距離 32km、歩行地 土佐清水市、三原村、宿毛市、歩数 
 48,800)
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四国遍路道ある記(前編)・高知その14

2006-10-24 21:35:37 | 初めての四国遍路
 庭や隣の畑のカラスウリが赤くなりました。今日は11月中旬の
気温とか。1日中冷たい雨でした。

 4日以降中断していた、「四国遍路道ある記(前編)」を再開します。

=============================

 第21日 2004年3月11日(木)  曇後雨
 =土佐清水経由打戻り=
 
 6時15分起床、7時朝食、弁当をお接待していただき、7時40分
に民宿青岬を出る。

 雲は多いがすぐに雨とはなりそうにない。林道を少し進むと、広葉
樹林の間のんろ道になる。なま暖かい風だが、今朝もウグイスが
元気。舗装が途切れて土の道へ。

 西側に潮騒を聞きながら林間を進み、やがて県道27号に出た。

 白波の立つ岸壁や、県道バイパスの新しい大浜トンネルを右に
見ながら北に進む。紫のモクレンガきれいな見せている。

 ヘアピンカーブをショートカットして中浜集落に入った。蒸すために
何段も積んだ棚に、女性数人が生カツオをのせている。

 町並みを抜け、坂を上がって青いアーチの中ノ浜大橋近くに出た。
いま抜けてきた、中浜の集落が見下ろせる。

 へんろ道の標識は橋の方向を指している。橋を渡って1kmあまり
進んだら、中浜万次郎生誕地への矢印があった。

 そうだ中浜は、ジョン万次郎こと中浜万次郎の出身地だったと
思い出す。

 しかし、へんろ道とはどうも方角が違うようだ。県道27号の標示
が出て、大浜方面に戻っているようなので引き返した。

 大橋の西側まで戻ったら、50mほどのところにへんろ道の標識
があった。見落としたため30分ほどロスしただろうか。でも、今日
は距離が短いので安心だ。

 このへんろ道は、落ち葉の多い道を上がり、平坦になり、やがて
下っていったのだが、とても歩きやすいいい道だった。

 下りはじめの木の間から、清水港が見えた。

 へんろ道が終わり、三差路に出てひと休みしていたら雨が落ちて
きた。ザックカバーを付け、ポンチョを抱えて立ち上がる。

 すぐ先の橋を渡ったところに、国史跡・唐船島記念碑があった。
遣明船の前線基地だったという。


 清水港の最奥部を回りこんでいたら突然風雨が強くなった。あわ
ててポンチョを付けようとしたが、風にあおられる。そこへ通りかか
った女性が、自分の傘が飛びそうなのも省みず、ポンチョを反対側
に回してくれた。本当に自然の所作で、ありがたいお接待だった。

 少し先に、消防署の倉庫のような建物があったので、入らせてもら
い、雨ズボンとスパッツを付けた。右カーブしたら薬局があったので、
あかぎれの薬を買う。

 土佐清水市の中心街から来た国道との三差路を右折して、国道
321号を北に向かう。ゆるやかな坂道を上がってトンネルを抜けた
ところで八戸の女性に追いつき、以後、宿まで同道する。

 往路に出る手前、以布利郵便局近くで雨が上がり、暑くなったので
ポンチョを脱いだ。

 下港山のへんろ道を抜け、往路同様、大岐海岸の砂浜に下りる。
引き潮で波打ち際は湿気があり、きのうより歩きやすかった。

 北端の橋を渡り、ナノハナの咲く砂浜で昼食。八戸の女性から、
お接待でもらったというトマトと和菓子のおすそ分けをもらう。

 蟻崎や久百々も往路のへんろ道へ。途中、2日目のさくら旅館で
一緒だった名古屋の男性が向こうから来て、久しぶりの再会。途中
3日間帰宅したと言うが、それにしてはあのころの足取りに比べる
と、速いペースになったものだ。

 久百々を過ぎた辺りで、今度は八戸の人が、初めのころ一緒だっ
たという男性と1人、更にその先で2人と相次いで行き違う。


 また雨になったが、八戸の女性と2人とが、しばし話し込む。

 かなり濡れてきたが、宿も近いのでもう少しと思い雨具を付けず
に進み、14時42分、安宿旅館に戻った。

 すぐに宿の親父さんから新聞紙をもらい、濡れたものを干し、靴
にも入れて乾かす。

 宿に預けていった荷物はもう不要と考え、近くにある閉局間際の
郵便局に行き、ゆうパックで送り返した。しかし、あわてて持って
いったので、必要なものも3点ほどあった。入浴後洗濯をする。

 今日の宿泊は、一緒に戻った我々2人と、愛知の女性1人だった。

〈コースタイム〉民宿青岬7:40ー払川の県道8:10ー大浜トンネル分岐
8:24ー県道27号折返し9:10ー中ノ浜大橋(戻り)9:26ー厚生町の
車道へ10:02~08ー旭町三差路(国道へ)10:50ー以布利郵便局11:26
ー大岐海岸砂浜へ11:56ー砂浜北端(昼食)12:22~45ー安宿旅館
14:42

(距離 23km、歩行地 土佐清水市、歩数 39,200) 



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近江商人発祥の町・近江八幡を歩く(続)

2006-10-24 11:34:01 | ウオーキング
 06年10月16日(月) (続き)

 八幡堀の明治橋を渡って広い敷地のシキボウ八幡工場の北側を
回り、図書館の横から八幡山山ろくの八幡公園へ。

 桜の多い公園の一角に八幡城主だった豊臣秀次像が立つ。

 現在放映中の、NHK-TV大河ドラマ「功名が辻」にも登場した
豊臣秀次は、永禄13年(1568)生まれで秀吉の甥。八幡城を築い
て城下町近江八幡を商都として発展の基礎を築き、一度は関白と
なったが、28歳の文禄4年(1595)に秀吉の後継者をめぐり自害
させられた。


 秀次像の横から遊歩道に入り、八幡山(271.9m)に向かって
上がる。ロープウェイの下を横切り、左に回り込んで林間をジグザグ
に上がって、ロープウェイの山上駅のところに出た。

 背後の山頂一帯が、天正13年(1585)関白秀次が築いた八幡
城の中心。ここに日蓮宗ただ一つという門跡寺院、村雲御所瑞龍寺
がある。

 秀吉の姉で秀次の生母、日秀尼公により、秀次の菩提をともらう
ため、文禄5年(1596)京都村雲に創建され、昭和36年(1961)
に、この地に主要建物が移されたという。

 境内に多いモミジが紅葉し始めていた。本堂前からは眼下に、
近江八幡の町並みが見下ろせる。


 瑞龍寺を出て、ロープウェイ乗り場のそばにある展望館に入る。

 1階は土産物店や喫茶、2階では近江八幡の歴史や八幡瓦の
展示などがあり、展望台に出ると、近江八幡の市街地や、田園
地帯の向こうに繖(きぬがさ)山や安土(あづち)城跡方面の展望
(下の写真)が広がる。

 展望館の上から、瑞龍寺の回りを一周する遊歩道がある。西
側の西の丸跡からは、琵琶湖やその向こうの比良山系が望まれ
るが、この日はちょっと霞んでいた。

 さらに北の丸跡に回ると、東側の田園地帯や繖山、西の湖方面
が見晴らせる。

 上がった道を戻って八幡山公園の東端に下り、ロープウェイ山
ろく駅の南にある日牟禮(ひむれ)八幡宮境内に入る。

 千有余年の歴史を持つ近江八幡の総社で、近江商人の信仰を
集めている。江戸初期に海外貿易で活躍した西村太郎右衛門が
寄進した「安南渡海船頭」額など、重要文化財が多いという。

 透かし彫りの灯籠などが多数吊された入母屋造りの拝殿は、
鎌倉初期の文治3年(1188)の建立。その後数回の改築を経て
現在に至っている。神社周辺は、観光バスで来た団体客で賑わっ
ていた。

 八幡堀の白雲橋を渡った突き当たりに、国の登録有形文化財
で、白雲館と呼ぶ西洋式の建物がある。

 明治10年(1877)に八幡東学校として建築されたもので、以後、
役場、郡役所、信用金庫などに使用されたという。

 館内は観光案内所になっていて、土産品や出版物などを販売
し、近江八幡関連の写真や年表などの展示もある。

 館のある大杉町通りから、南の京町通りに入り東に進むと、メン
ソレータムで知られる近江兄弟社学園がある。道を間違え少し
回り道して、手前の龍恩寺通にある旧ヴォーリーズ住宅前に行く。

 案内図にはヴォーリズ記念館と記されており、予約すれば中を
観覧できる。午前中に、ヴォーリズ洋風住宅を回ったが、こちら
は昭和6年(1931)の建築で、ヴォーリズ後半生の自邸。県指定
有形文化財である。近くの食堂で遅くなった昼食をする。

 2つ南の通りを西に向かうと、「アートギャラリー野間」という京風
数寄屋造りの町屋がある。先代が国立博物館の学芸部長を務め
た野間静六家で、昭和5年(1930)年の建築。

 この辺りにも、細く割った竹や木で造られた垣根のような、犬夜来
(いぬやらい)の並ぶ、古い民家や商家が幾つか見られた。


 小幡上筋交差点に出て往路を戻り、15時56分に近江八幡駅に
着いた。15時1分発新快速電車で米原まで行き、東海道新幹線
ひかり号で6日ぶりの帰途につく。

(天気 快晴、距離 10km、歩行地 滋賀県近江八幡市)
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