転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ショパンのマズルカ作品59-2を練習し始めた頃に、
ショパンを弾くならパデレフスキ版の楽譜をきちんと見るべきだ、
と助言して下さった方があり、それに端を発して、
私はこのマズルカを通して、いくつかの版を読み比べる面白さを知った。
出ている版をすべて網羅したわけでは勿論なかったが、
それでも、シンプルで本質的な原典版の意義を改めて認識したし、
研究の成果を様々に記録した、各種校訂版の存在価値も、
自分なりに感じられるようになった。

それまでは私は、漠然と、
「日本語解説がついていて使いやすいし、安価だし、丈夫」
という理由で、何をするにも全音や音友の楽譜を使っていた。
楽器店の楽譜コーナーに行けば、輸入楽譜が各種あるのは知っていたが、
よほど手に入りにくい曲でない限り、
こんな高い専門書みたいなものは、自分には関係がないと思っていた。
そもそも、演奏会で取り上げられるような曲の大半は、
自分では弾けないのだし、楽譜を買うとしても聴くための補助用で、
だいたいの音符が確認できれば、細かいことはどうでも良かった。
『細かいこと』は、楽譜でなく演奏家が提示してくれるものだった。

私がこうなったのには、自分が受けてきたピアノ教育の影響もあった。
昭和40年代から50年代の先生方は、ほとんど、
ハノンやツェルニー、ソナチネアルバムなどを
全音ピアノ教本のシリーズで、生徒に与えていらしたのではないだろうか。
少なくとも私自身はそうだったし、周囲の友人たちも同じだった。
それは上級教本になっても変わらず、友人はバッハの平均律も全音で、
ベートーヴェンソナタ集は春秋社の井口基成版を
先生から渡されて、使っていた。
それらには、時代感覚を反映した解釈や、日本人学習者向けの提案が、
いろいろと書かれていた面はあったとは思うが、
それにしても、私自身も、身近にいたレッスン仲間や友人たちも、
外国の出版社が出している、「本家」の原典版を参照する、
という発想は、この時代、ほぼ無かったと思う。

先生方にもきっとご苦労はおありだったと、今なら想像できる。
最初から本気で専門家を志す子供ならいざ知らず、
「ただのお稽古ごと」に過ぎず、いつやめるかもしれない生徒に、
たった一曲の勉強のために5000円もする原典版を買わせることは、
到底できなかっただろうし、保護者だって承伏しなかっただろう。
また、特に探求心があるわけでない生徒(私か!)にとっては、
先生から渡される楽譜がすべてだったから、中学生くらいまでは、
同じ題名の曲なら、どの本でも同じことが書いてあるのだと思い込んでいた。
たまに、バッハのインベンションを最初からブゾーニ編で与える
という指導者もあったわけだが(笑)、
そういうのはきっと、先生ご本人がそれで勉強をなさったとか何か、
特別にその楽譜に親しまれた経緯がおありだったからだろうと思う。

しかし私だって、「なんか変なんじゃないか」と思うことは、あった。
それは、全音版のソナチネアルバム第一巻(昭和50年頃の発行)の、
モーツァルトのソナタKV545の第一楽章の、とあるアルペジオで、
『この「C音」は原典版では「D音」である』
と、欄外の注釈にサラっと書いてあったことだった(汗)。
……え?「ド」と「レ」じゃ全然違うよ?なに勝手に改編してんの!???
いや何か、研究の成果で、根拠があって書き直されたのだろうとは思うが、
理由説明一切ナシで、「ホントは違いますんで」と言われても……。

さて、そういうわけで、過去にはわからぬままにいろいろあったが、
今は大人になり、子供時代のお小遣い生活よりは、多少裕福にもなり(^_^;、
自分の判断で、趣味にお金をかけることも、ある程度可能になった。
知識のある方々から教えて頂いたり、自分でネットで検索したりして、
どの楽譜にどういう意味や特徴があるかを、徐々に知るようになり、
自己満足でもいい、読んでみたいと思う楽譜を自分の判断で買うことが
ほぼ完全にできるようになったのだ。
だから私は、これからベートーヴェンのテレーゼをやるにあたって、
少なくともヘンレ版とウィーン原典版にはあたろうと思っている。
ヘンレ版は王道だし、ウィーン原典版にはアイディアが多く掲載されているので
自分が弾くという観点から楽譜を読むには、どちらも、
きっととても興味深く、得るものが多いことだろうと思う。

これらとは別に、私は既に、出たときほとんどすぐに買った、
春秋社の園田高広校訂版のテレーゼも持ってる。
園田版に関しては、弾く人により、合う合わないがあると聞いているし、
ひとりの演奏家(研究者)の見解という内容だとは思うのだが、
これはこれで、自分の見たい(弾きたい)一曲だけで買えて、
製本も良く、譜面台に置くにも練習に持ち歩くにも最適なサイズで、
内容的には指使いの提案やペダルの指示も細かく出ており、
私には実用面で、とても便利だと感じられたシリーズだった。
買った当時は、自分が弾くためにはほとんど活用していなかったが、
このほど原典版を勉強することにより、いっそう、園田流アプローチが、
私のような者にも、鮮明にわかるようになるのではないかと思っている。

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血圧の記録

しばらく血圧を測っていなかったので、
先週、久しぶりに測定してみたら、132/79だった。脈拍72。
私は成人してこのかた、低血圧だったことは一度もなく、
二十代の頃からずっと、上が120~130台、下が80前後で、
医師の前で緊張しようものなら、150/100くらい平気で行く人間だった。
そういう意味では、この血圧値は自分的基準値ではあり、一応良いのだが、
しかしこのところひどく寒いし、年末で落ち着かないし、娘も受験生だしで、
私の血圧は上がる要因のほうが多いとしか思えず、この値はやや不審だった。

なんだそれ、家庭血圧でそれなら十分高いよ、
と低血圧の方はお思いになるでしょうが、
私の過去の経験と現在の体感から割り出した感じでは、
昨今ならば140台と90台あたりが適切である気がしたのだ(爆)。
もしかして血圧計が変なのかも?と思いついて、
別の血圧計を納戸から出して、ついでに逆の腕で測りなおしてみたが、
そのような作業のあとでも133/85で、機械の故障ではないようだった。
以来、毎日、時間を変えて測定もしてみたのだが、変わりなく、
例えば今朝も130/80だった。
悪くない値、というだけで容易に信用できないとは、困った心理だが、
ともあれ、2012年12月上旬のある日の値として、記録しておく。


選挙

この記事で紹介されている川島氏には感銘を受けた。こうでなくては!
94歳無所属新人、蓄えた葬式代つぎ込み出馬…埼玉12区(スポーツ報知)
『埼玉12区に無所属新人で立候補した川島良吉氏は、御年94歳。今選挙の最高齢候補者となるおじいちゃんは「葬式代としてためていた年金を選挙資金に充てた」と覚悟を口にする。』『政治家を志したことはなかったが、各党の主張を聞くうちに闘志がたぎった。「右傾化する安倍(晋三・自民党総裁)や石原(慎太郎・日本維新の会代表)から『軍』なんていう言葉が普通に出る。橋下(徹・同党代表代行)もムチャクチャ。無条件降伏したのに。日本はどうなっちゃったんだ、という不安がありました」。』

今の政治家はひどい人間ばかり、日本はもうおしまいだ、
などと悟ったふうな台詞は、誰でも言えるのだ。私のような者でも。
「善良な市民」として、決して矢面に立たない安全地帯から、
代表になった人の失点を指摘するのは、一番ラクで皆がやりたい役目だ。
それに較べて、身銭を切り、顔をさらして、人前で考えを述べるのは、
それだけでもどれほど勇気の要る、行動的なことだろうか。
この方の政治的主張に同意するかどうかは別として、
現代の選挙に臨む姿勢としては、お手本のひとつではないかと私は思った。

選挙は、見事な選択肢の中から選び放題にできるようなものでは、元来ない。
むしろ、完全同意にはほど遠い選択肢の中からでも、
自分で考えて、最も我慢できるもの・一番マシなものに投票する、
というのが選挙の基本だと、私は以前から思っている。
自分は何もせずにおいて、立候補してくれた人様に託すことなのだから、
個人の思い通りでない点が多々あっても、無理もないことだろう。
そして、選択肢がどれもこれもヒド過ぎてどうしても納得できないとなれば、
最終的には自分が出る、という方向で考えるべきなのだ。
当選できそうかどうかは大事ではない。立つことに意義がある。
法律はそれを少しも妨げていない。


I love you......

先日、娘が繁華街を歩いていたら、雑踏の中、
ふと頭上から、日本人ではない発音で、男性が、
「I love you......」
というのが聞こえた。
娘が、声のしたほうを見たら、白人の若い男の人がいた。
どうやらこの人は、ゆっくりと歩きながら、
自分の隣にいた相方に向かって、I love youと言ったらしかった。
その、彼の相棒というのは、やはり若い、白人の、男性だった。
「な~んだ、って思ってさ。ちゃんと相手が居たんだよぅ。
アタシにI love youって言ったんかと思ったのにぃ」
と娘は不服そうだった。
そこかよっっ

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UPする機会を逸したまま、日が経ってしまったのだが、
11月28日に、シメ(紫苑ゆう)さんのトートが観たくて大阪まで行った。
これがもう本当に、行った甲斐のあるコンサートだった(T_T)……!!

宝塚版『エリザベート』の初演は96年2月雪組公演で、
94年12月に退団したシメさんとは入れ違いになり、
彼女は在団時にトートを演じる機会が無かった。
だから今回は特別出演としてのトートだったのだが、
ある意味、現役時にリキんでいた(笑)彼女が演らなくて、
これはこれで、良かったかもしれないと思う出来映えだった。
ディナーショー『再会』でもよく感じていたことなのだが、
退団してからの近年のシメさんは、現役時より万事に余裕があり、
また年齢的なものなのか、柔軟性や包容力も増した男役になっていて、
そうしたゆとりや大きさが、今回のトートにもよく出ていたと思った。

私の個人的なツボは、幼ルドルフが、
『昨日は 猫を殺した 勇気試したんだ』
と歌うところで、シメさんトートが
まるで『おやおや』と言わんばかりに、肩をすくめたことだった。
トートにしてみれば、幼ルドルフの不健康さは
せいぜい苦笑する程度の面白さだった、という感じだった。
歴代トートは、ここでハっと表情をこわばらせたり、
逆に冷たく見つめたりするような反応だったのだが、
こういう、突き放した余裕が、シメさんトートの雰囲気にはふんだんにあった。
そのトートが、シシィのことになると本気で惚れ込み、
我を忘れそうになるところがまた、とても人間的(!)で、鮮やかに見えた。
リズム感や音程表現の点では、歌のうまいトートはほかに居ると思うが、
シメさんの芝居歌としてのトートの歌唱には、本当に魅力があった。
最初から最後まで目を離せない、息つく暇も与えないような、
完成された男役としてのトートを、私は多分、今回、初めて観た。

一方、ハナちゃん(花總まり)のシシィには私は既に全幅の信頼があり、
今回も勿論、期待通りの見事さだった。
実際に舞台で観るのは、98年の宙組大劇場公演『エリザベート』以来だったが、
考えてみると、たかこ(和央ようか)さんと一緒でない舞台で
ハナちゃんを観たということのほうが、今回は画期的だったかもしれない。
長い長い(爆)タカハナコンビ以前の、雪組時代から、
ハナちゃんとたかこさんは大抵いつも、同じ公演の同じ舞台にいて、
それぞれを単体で観る機会は、絶えて久しく無かったのだ。
「たかこさん」という前提なしにハナちゃんを観たのは、
私にとっては92年が最後だったと思う。
その92年というのは、シメさんのトップお披露目『白夜伝説』で、
ハナちゃんは研2(入団二年目)にして、ミーミルという、
台詞も多い大きな役で、シメさんと同じ舞台に立っていたのだった
(さらにそれ以前の91年秋に、研1「組まわり」でハナちゃんは、
花組の大浦みずきサヨナラ公演『ヴェネチアの紋章』に出ているので
私はさんざん観ている筈なのだが、さすがに目に入っていなかった(笑))。

たかこさんの「お嫁さん」であった間、封印されていたものを、
私は今回、久しぶりに観たと思った。
ハナちゃんは、本来、こういう、我が道を行く奇矯の花だった、
ということを私は少なくとも10年ぶりくらいで思い出したのだった。
たかこさんのトップ後半時代、ハナちゃんは「相手役」に徹していたが、
ハナちゃんは、もともと孤独なほうが輝く人だったのではなかったか。
タカハナコンビがなしえたものを、私は頭から否定はしないが、
独りで立つハナちゃんの輝きを観ていると、
これが失われなくて本当に良かったと、正直なところ、しみじみ思った。

一幕最後に、皇帝に答えて登場するシシィの場面で、
私は、あの有名な肖像画の角度での「振り向き」が観たかったのだが、
正面の立ち姿だったので、このときは、ややがっかりした。
しかし、私の思った「振り向き」は、実はフィナーレのほうにあった。
あれは実に、心憎い演出だったと思う。
やはりシシィ役者は、あの角度でのエリザベート皇后を
どこまで見せることができるかが、ひとつの試金石だと思うので、
それがフィナーレまでとってあった、というのが良かった。
そして、シシィが「振り向き」でその威力を全開にしてもなお、
シメさんが、揺るぎない主役としてそれを受けて立ってくれたことを、
実に贅沢なこととして、私はこのとき二重三重に嬉しく思った。

ゆき(高嶺ふぶき)ちゃんのフランツ=ヨーゼフも素晴らしかった。
雪組の上演時から思っていたが、ゆきちゃんは、台詞にある小さい一言でも
的確にニュアンスが表現できるという点で物凄く巧い人だ。
今回の皇帝陛下も、短い台詞ひとつにまで表情があって、
小さなフレーズの中でも表現されていたものが多彩だった。
フランツの心の揺らぎ、無言の苦悩や決意などが、とてもよくわかった。
それにしても、この物語においてフランツは本当に立派で、しかも気の毒な夫だ。
彼は深い結びつきで彼を支えてくれた母親から、敢えて離れて、
妻子を自分で守ろうとし、奇行の多い皇后を終生変わらずに愛したのに、
最後の求愛まで、報いられることがなかった。
男子が成長するとは、過酷なことだな、というのが、
私がゆきちゃんフランツを観ていて最もはっきりと感じたことだった。

カンちゃん(初風諄)がゾフィー役で特別出演しており、
これまた私には感慨深いものがあった。
というのは、彼女の24年ぶり舞台復帰第一作となった、
2000年の東宝ミュージカル『エリザベート』のゾフィー役を
私は観ているのだ。
もとアントワネット様の存在感と華やかさ、それに品格があり、
ぴったりのゾフィーだったと私は思った。
ただのイジメ役でなく、ゾフィーの言うことも強引だが一理ある、
とちゃんと思わせる役作りになっていたと思う。

ルキーニ役は、私は宝塚ではトド(轟悠)さんのが一番好きで、
やはりルキーニは小柄で濃くて「キッチュ」でなくては!
というのが、私の90年代からの基本的な前提なのだが、
しかし星組リカ(紫吹淳)ちゃんの妖しく美しいルキーニも忘れ難いし、
98年宙組ワタル(湖月わたる)ちゃんも、演技的には、
狂気と皮肉と、それに「良い人」の面までほの見えて、
興味深く、とても印象に残ったルキーニだった。
主な役の中では、際だって面白く奥行きのあるのがルキーニかもしれない。
この日のキャストは、そのワタルちゃんで、やはりなかなか良かった。
宙では、いかにも初めての大役という風情があって、観る方もドキドキしたが、
あれからワタルちゃんもトップ男役として真ん中を経験し、
退団後は外部の舞台でも主演してきて、今回は余裕が違った。
ワタルちゃんの華やかさもまた、シメさん同様、
源流は星組にあるのではないかと私は思うのだが、違うだろうか?
舞台姿に光が射しているような明るさがあって、
しかも色悪っぽい魅力も強く、次に洒脱で素敵なルキーニだった。

ルドルフがすずみん(涼紫央)だったのも嬉しい巡り合わせだった。
歌詞の上ではエリザベートとルドルフが「鏡同士」なのだが、
この舞台では、トートとルドルフもまた「鏡同士」に見えた。
シメさんとすずみんの、男役としてのつくりに共通するものがある、
というのが大きな理由だが、芝居としても、トートとルドルフが
「通じる」のは悪くなかった。
そもそもトートは、エリザベートの潜在的な死への願望が
具象化して人格?を持ってしまったような存在だから、
トートとエリザベートの根は同じものだ。
ルドルフも、エリザベートから枝分かれして同じものを持っているから、
トートとルドルフの間にも、根源として相通じるものがあるのは、
まったく相応しいことだと私は思っている。

その他、この芝居は、出番の回数としては多くない役柄も、
すべて「キャラが立っている」というのが物凄く魅力的だ。
例えば今回のマダム・ヴォルフ(嘉月絵理)は、本当に色っぽかった。
マックス公爵(立ともみ)の『アデュー』の一言は効いていたし
(本来、『アデュー』は今生の別れで言う台詞だ。
公爵の死と、その後の死に彩られたシシィの未来を暗示している)、
ラウシャー(風莉じん)もさすがの存在感で歌が巧く、それでいて、
『(美女の宅配を)取ったこと、あるのね?』
とゾフィーに詰め寄られてビビる大司教様が最高に愛らしかった。
それと、あれ?ちはる(矢吹翔)さんみたいなヒトがいるな??
と思ったのは、はっしー(葛城七穂)さんだったです(爆)。
品があるのだけどヤサグレた感じが、とても良かった。

以前は、ガラコンサートというと、舞台メイクや舞台衣装ではなく、
雰囲気は出していても、各自普通の服を着ていたものだったと思うが、
今回は、セットが無いだけで、扮装まで完全にしたコンサートで、
その点でも見応えがあった。
畳みかけるように名場面・名曲の連続で、
やはり『エリザベート』は名作だなと思ったし、
相応しいキャストに当たったとき、これほど緊張感のある、
高密度な舞台が実現するものなのだと痛感した。
私はほかのキャストの日を観ていないが、そうそうたる顔ぶれなので、
恐らく、いずれ劣らぬ名演だったことだろうと思う。
今回のはたった一度だったが、観ることが出来て本当に幸せだった。

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寒いと思ったら、朝からモウモウと雪が舞っていた。
市街地でこれなら、私の実家界隈は埋まっているだろう(汗)。

私の子供の頃の感覚だと、
「二学期が終わるまでに、雪の季節が始まる」
という前提があった。
天気予報で明日は雪だと言うと、父はアカギレの手入れをして(笑)
それから、自家用車のタイヤにチェーンをつけたものだった
(昔は、スタッドレスタイヤが普及していなかった)。
そして翌朝は、付近の大人たちは皆、4時台、5時台に家を出るのだった。
雪が降り始めると、特に橋の上など路面の凍結がひどくて、
町に近づくほどに、通勤の車で大渋滞になるからだった。

親にはウンザリの雪も、私たち子供にとっては、お楽しみの到来だった。
学校に行くと、休憩時間も体育の授業も、いつだって雪合戦で、
終わると、教室の大きなストーブのまわりに手袋や靴下を並べて干した。
走り回って大汗をかき、雪で髪も服も結構濡れていたと思うのだが、
別に、そのせいで風邪をひいた、という記憶は無かった。
たまにしもやけにはなったが、私自身はアカギレには縁が無かったし、
指先が切れて困ったという経験も、当時は無かった。

私は確かに、そういう村で育った筈なのだが、
近頃はもう、都会人を気取っており、すっかり別人になった。
今では、寒くなると手指が切れて痛いし、足は乾燥してカユい。
トシを取ったというのも理由だとは思うが、しかしこの脆弱ぶりは何だ。
きょうのように窓の外に雪が見えるだけで、
「寒い!」と真面目にビビってしまう。
4時に起きて朝御飯を作るなど論外だ。
雪合戦をしたいとも思わないし、雪だるまもかまくらも特に必要でない。
それより、足を冷やしたらてきめんに体が弱るから、真剣にイヤだ。
こんな日は、靴下を重ね履きして、おうちに籠もって、コタツで温もり、
本を読んだり音楽を聴いたりして過ごしたい、というのが私の希望だ。

……こんな人間、うちの田舎では、ただのカスだ。
冷えてつらいから大根干しをやりたがらない、というのも悪いが、
それ以前に、もこもこ着込んだ服装だけでも、たちどころに失格主婦として
「見てみんさい、あがいに(あのように)よけい服着てからに」
と村じゅうの評判になるだろう。
人間、だめになるのは早いものだな(爆)。

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私は老眼以前に、そもそも昔から目が非常に悪く、
矯正しても、あまり良い視力は得られていないので、
よく見えないまま行動することには、若い頃から慣れてはいる。
大人になるにつれて、顕著にテレビが嫌いになって来たのも、
音やら内容やら理由は様々あるにしても、
やはり「ちゃんと見えない、見続けようとするとつらい」という、
目の問題は大きかっただろうと自分で思っている。

そういうわけで、パソコン画面を見るにも多少の苦労がある。
画面上をチラチラと動いてまわるものが出るサイトは、論外だが、
もっと根本的な問題として、文字の小さいサイトが私には駄目だ。
HTMLのfontタグでいうと「3」、
font-sizeプロパティだと「medium」くらいの大きさが、
私には苦痛なく、かつ誤読せずに読める自信のある最小サイズだ
ゆえに、自分のサイトも基本的にfont 3で作ったし
(もうfontタグの時代ではないので、サイト自体はそろそろ
リニューアルしないといけないなとは思っているのだが)、
この日記もカスタマイズして、本文の文字サイズは自分で設定した。
かつて「さるさる日記」を選んだのも、デフォで字が大きかったからだ。

しかし、今時のブログは初期設定の表示サイズが小さいものが多く、
私の視力では、読んで読めないことはないが、結構つらいときがある。
それで、よそ様のサイトに伺って、内容をきちんと吟味したいときには、
ブラウザのほうで表示を大きく設定し直して読むようにしている。
小さいままだと、無意識のうちにシンドさに負けて
終わりへ行くほど、適当な読み飛ばしで終わってしまうのだ。
拡大すると表示が崩れ、デザイン的な意義が損なわれるサイトもあるが、
内容を読みたいなら、私にとっては文字サイズのほうが重要だ。

しかし拡大しても解決できないことがある。
それは配色だ。
濃い背景に薄い色の文字で書かれているサイトは、
どんなに文字サイズを拡大しようとも、私の目にはかなりつらい。
特に、黒背景に白文字あるいは黄文字、というのが完全にアウトだ。
読もうとすると、30秒たたないうちに、目がちらちらしてきて、
頭位めまいの発作を思い出す気分になる。
こうなると、読むのを中断して、パソコン画面から目をそらしても、
視界に横ストライプのような残像が出続けて、しばらくシンドい。

先日、Twitterだったかfacebookだったかのリンクで飛んだら、
黒地に、小さい白文字でびっしり書かれているブログが出て、
紹介した人は「必読!」と書いていたが、
私には到底、読めたものではなかった。
仕方がないから、ソースを開いて、ついでに文字サイズを拡大して
頑張っておしまいまで読んだが、あまりにも手数がかかった。

小さい文字のほうがスタイリッシュだとは思うし、
濃い背景というのも、色合いによってはお洒落なものではある。
そういうサイトが世の中に多い、……というか私の印象では
大半のサイトが私の目には厳しいサイズ・デザインで出来ているので、
私の目は多分、よほど悪いのだろう(^_^;。
「よ、読まれへん!!つらすぎる!!」
と私が投げ出したくなる表示のサイトが、普通に維持されているのだから、
作っている人も、読みに来ている人も、全然なんともないということだ。
私には、読みたい本も楽譜もまだいろいろとあるので、視力の温存のためには、
やはりもっと、ネットをやる時間を大幅に減らさないといけないな、
と、しんど過ぎる「必読!」サイトを見て、思ったことであった(汗)。

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約一年前に、ネットでふと出会った記事がきっかけで書いた、
「かけ算」に順序があったのか
という文章は、このブログの中で継続的にアクセスのある記事だ。
それだけ、この問題で困っていらっしゃる方々が多いということだろうか。

私自身は、娘が小学生のときどうしていたか、全然記憶がなく、
更に申し訳ないことに、私自身が極零細学習塾を経営していたときも、
雇っていた先生方がこれをどう指導していたのか、
ほとんど関知していなかった(爆)。
今から約十年前のことなのだが、あの頃どうなっていたのだろう(殴)。
生徒や保護者から質問や相談が無かったところを見ると、
このことで切実に悩んでいた人は居なかったのではないかと思うのだが、
なにぶん、こちらは塾だから、不信感を覚えた人は退会していただけか。

更に、先日はTwitterのRTで、こんな記事があることも知った。
かけ算九九のつまずきスッキリ解消法(Benesse)

娘もかつて、しまじろうをこよなく愛し、こどもチャレンジをやっていて、
3歳から小学校5年生のとき中学受験塾に入るまで続けたのだが、
こんなふうに、かけ算の文章題を習っていたのか。
…と書いているところへ娘(高3)が帰ってきたので(期末考査だから早い)、
捕まえて訊いてみたら、娘は「なんじゃそりゃ」と言った。
「順番があるとは習っとらん。バツになったことないし気にしたことがない」
というのが娘の答えだった。
彼女はどうも、順序に意味があるという指導は受けていないようだった。
まあ、ヤツは授業を真面目に聞いていなかっただけかもしれないが(爆)。

確かに、「なんでもいいからとりあえずかけ算しとく」という発想では、
文章題の取り組み方としてマズい、というのは私も同意する。
英語でもある。「( )の動詞を適切な時制に直せ」という問題のとき、
「単元が現在完了だから全部完了時制にしとく」という解き方が(爆)。
それ式で、文章題の意味も考えず、出てきた順番にただかけ算したら、
偶然、答えが合っていた、というのでは解いたことにならない。
しかし、それでも、その部分を確認するために、
「かけ算の順序」ではかろうとする、という点には私は違和感がある。

『さらが5枚あります。1さらにリンゴが3個。全部で何個でしょう』
というときに、正解は3×5=15だけで、5×3=15は不正解、
だとベネッセは言うのだが、私は到底、そのようには感じられない。
リンゴ3個が5皿分、あるいは5皿あってそれぞれにリンゴ3個ずつ、
のいずれかで生徒が理解しているなら、良い、と私なら思う。
要は、単位をつけさせてみたときに、
あるいは、図で文章題の内容を書かせてみたときに、
5は皿の枚数・3はリンゴの個数、という点が正しく書けているのであれば、
文章題は読めている、と思うのだ。

3(個)×5(皿)で考えるとわかりやすいですよ、という説明自体は完全に良い。
同時に、5(皿)×3(個)で考えている児童も、問題なく正解している。
なぜそれを頑ななまでに否定しようとするのだろうか。
ベネッセの解説では、5×3のところに「5個×3枚」(だから間違っている)とあるが、
元の問題文にない単位をわざわざつけて説明しようとしているために、
かえって話がわかりにくくなっていると、私には思われるし(^_^;、
2本足のタコ」などという絵的にどうしようもないものを
式から読み取ってしまう話
に至っては、困惑以外のなにものでもない(汗)。

ちなみに、「~個」を求めるのだから「個」を基準に始めるべきだ、
すなわち、3個×5(枚)=15個、以外の順序では書かない、
というのは、個人の美意識の範囲でなら、一貫性があって申し分ないが、
他人に対しても、これ以外の考え方を一切認めることができない、
というところまで行くと、実生活ではいささか柔軟性を欠いていると思う。
以前も書いたように、「数量×単価=合計金額」となっている請求書は、
世の中、普通にあるし、それで業務に支障を来しているとは考えられない。
順序により表現内容が特定されるというのは、
小学校算数教育限定の、児童の理解度をはかるための特殊な便宜、
いわばローカルルールだと私には思われる。

私が極零細学習塾で小学生を見ていた経験の範囲では、
もともとよく「できる」子は、自分で適宜やりやすい方法で計算しながらも、
「学校ではセンセイに注意されるから(テヘ)」
という理由で、学校の宿題では習ったことを守っていたものだった。
私のやっていた学習塾では、本部の方針により、
割り算のやり方が独特かつ実用的だったのだが、
余力のある子ほど、塾では塾のやり方をすぐに覚えて活用しつつ、
学校では、学校で要求されるとおりの答案をきちんと作っていた。
彼らにとっては、解法が増えるのは単純に良いことだった。

かけ算の順序の件も、多分、算数の得意な子は困っていないと思う。
いわゆる「できる」子は、先生が何にこだわっているかすぐに見抜くし、
学校の言う通りにしていれば○なのだから、
ちょっと気をつけてそれを守るくらいのことは、朝飯前だ。
式に関して無頓着で、○になったり×になったりしている子も、
中学や高校にいけば、交換法則が成り立つことを習い、
更に「~枚」や「~個」など単位つきの文章題など、
どんどん減って来るので、この問題はいずれどうでも良くなる(←娘がコレ)。

気の毒なのは、とても真面目で、かつ算数がいっぱいいっぱいの子だろう。
自分では文章題の意味がわかり、ちゃんと式を書いているつもりなのに、
順番がいけないと注意され、理解できないまま×にされるのはつらいと思う。
もしその子が、文章題の内容が適切に図で書けるのであれば、
つまづいているのは、算数の考え方そのものではなくて、
「かけ算の順序に意味がある」という、国語的な作法の部分だけだ。
ここが難所になる子は、それこそ、
「なんかわからんが適当に順番入れ替えて書いたらええんか」
と投げやりになるのではないかと、私は心配になるくらいだ。

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『勘三郎が亡くなったことで、がっくりしてしまい、
仕事も何もする気持ちになれなかった』、
という主旨の書込を、昨日はTwitterでもfacebookでもいくつか見かけた。
芝居を観る者なら、彼の舞台の思い出は様々にあり、
優れて楽しく、かつ野心的な勘三郎の取り組みを、
それぞれの見方で、長らく愛してきたということだと思う。

私も同じ心境だった。
別に後援会に入って応援するほど熱中していたわけではないが、
私にとって勘三郎は、いつも必ず面白い舞台を見せてくれる人で、
『今度は何が出るかな?』
と、劇場に行くときには信頼にも等しい期待をしていたものだった。
あの舞台がもう見られない、などということがあってたまるか!
と、胸を塞がれるような思いから、昨日は自由になれなかった。

しかし、思い返せば、勘三郎はとにかく愉快なことが得意だった。
仮に自分は陰で過酷な思いをしたとしても、舞台に乗せるときには、
何もかもを、とびきり娯楽性のある、楽しいものにしていた。
役者として彼は、いつだって観客に笑っていて欲しい人だったのだ。
だから、勘三郎のことを理由に、皆が沈んでしまうなどというのは、
いちばん勘三郎の願いに反することだろう、と思う。

昨日、勘九郎も七之助も、報道陣を前に、ちゃんと顔を上げて、
思い出を語るときには微笑さえ浮かべながら、
少しも乱れず、まとまった内容のことを話していた。
勘三郎を大事に思うのなら、私達ファンや観客もまた、
湿っぽくなるのは敢えて止めにして、元気でいなくてはいけない。
そして勘三郎のいた、歌舞伎の舞台をまた観に行くのだ。
それが、これからも勘三郎と一緒に居ることに繋がると思うから……。

ときに、昨日のアクセス解析を見たら、
『中村勘三郎 妻』
の検索語で来られた方がたくさんあった。
勘三郎の夫人である好江さんは、七代目中村芝翫のお嬢さんで、
若い頃から『ダンプのお好』の異名を取られた方だ(笑)。
それくらい勢いの良い、大胆な方だということなのだろうか、
と想像しているのだが、本当の由来は何だったのか……。

ともかく、しっかり者の奥様であることは間違いなく、
いつだったか、勘三郎(当時は勘九郎)の不倫騒動?があったとき、
無神経な取材陣を前に、好江夫人は動じることなく、
「浮体はいいけど、浮気はねぇ……」
と言ってのけたものだった。
浮体なら良い、……さすがだった(爆)。

好江さんは、中村福助・橋之助の姉上でもあり、
平成元年俳優祭『歌舞伎ワラエティ・べるさいゆ ばらのよばなし』で
オスカルに扮した福助(当時は児太郎)が、
カンクルウ伯爵夫人としてドレス姿になっていた勘三郎(勘九郎)に
『姉に言えないことも、私はいっぱい知っているぞ!』
とアドリブで振って、笑った勘三郎が台詞に詰まり、
客席にオオウケしていた一件など、本当に愉快で今も忘れ難い。

こうしてみると、やはり、勘三郎の居るところには、
いつも皆の笑い声があった、と改めて思う。
冥福だとか供養だとかを考える気には、私は依然としてなれないが、
とりあえず今は、勘三郎が聞いたら喜んでくれそうなことを、
考えたり、思い出したりするようにしたいものだ、
と、今朝から繰り返し、思っている。

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歌舞伎俳優の中村勘三郎さん死去 57歳(産経ニュース)
『江戸時代の芝居小屋を再現した「平成中村座」など歌舞伎界に新風を吹き込み、テレビや映画、現代演劇などでも活躍した人気歌舞伎俳優、中村勘三郎(本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんが5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため東京都文京区の病院で死去した。57歳だった。葬儀・告別式は未定。』『勘三郎さんは平成24年6月、食道がんを公表。7月に摘出手術をし、回復が伝えられたが、抗がん剤治療などにより免疫力が低下、肺炎を患い、重篤な状態が続いていた。』

到底信じられない。
来年、新しくなった歌舞伎座で、
『待ってました!』
と勘三郎を迎えるつもりだった。
万雷の拍手が起こり、客席は総立ちになる筈だった。
命の瀬戸際を見るような闘病であったなら、尚更、
役者である勘三郎には、それが宝となるのだと信じていた。

駄目だ。納得できない。
冥福なんか祈ってる心境じゃない。

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風邪
先週水曜の晩から自覚した風邪は、ほぼなおったのだが、
まだうっすらと咽頭炎の感触があって、鼻炎もある。
全快した、と言うには、あと少しはかかりそうだ。
風邪のウィルスは100種類以上(もっとか?)あると聞いたことがあるが、
確かに、罹るたびに微妙に経過が違うのは実感のあるところで、
全然熱が出なくても、咳や倦怠感が長く続くしつこい風邪もあれば、
ハデに寝込んでも数日でどんどん回復するようなのもあり、様々だ。
また、こちらの体力や疲労度など、受け入れ側の状況も関係があるだろう。
今回のは、最初はシンドくて症状が強かったが、幸い、咳に発展しなかったし、
発表会含め、スケジュールにはほとんど影響しないで済んだので、
かなり良いほうの部類だった、……と、思うことにしよう(^_^;。
ちなみに先に始めた主人も、今は咳払いが残っているだけになった。

追記:……と褒めていたら、夜から主人も私も風邪が再燃してきた。
ふたりとも咽喉の不快感がまた募ってきた。まだ終わっていなかった。


ピアノのおけいこ
日曜日にマズルカの本番が終わったので、私は一応、元通り、
ハノンとツェルニー30番とバッハの小プレリュード、
という、のどかな練習の日々に戻った。
テッテー的に勉強するような、クドい練習も良いが、
こういう、筋トレか何かみたいな(笑)稽古も私は嫌いではない。
次なる目標としては、これは一生の課題曲のひとつになりそうだが、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第24番『テレーゼ』作品78をやろう、
と今は思っている。
この曲は、一楽章も二楽章も嬰へ長調だ(変ト長調ではない!)。
この調性は私にとってとても魅力のあるもので、
ショパンだと『舟歌』が嬰ヘ長調だが、
現世とは質の違う、天国の光が射している調だと私は感じている。
ときに、嬰へ長調は♯が6つもあって譜読みしづらいという人もいるが、
考えようによっちゃ、どの音も大抵♯つけとけば良いってことでは(爆)。

広島のマエストロ!
大植英次さんが指導 「第九ひろしま」の合同練習(RCC)
年末恒例の「第九ひろしま」、今年は『広島のマエストロ』が指揮をなさる。
Twitterによると『メトロノームと小節線は音楽の敵です!』との
歴史的名言(笑)もあったそうで、日曜は熱い指導の一日となったようだ。
リンク先からRCCニュースの動画で練習風景も見られるようになっている。
小柄な大植氏なのに、こうして舞台に立っていると、
全員をむこうにまわして、ひとりで包みこんでしまうほど存在感があり、
全身から音楽が発散されている感じだ。
今年は、ひとつ新しい第九が完成するかもしれない(^^)。

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10時半から、ヤマハ広島センター7階スタジオで、
ザラフィアンツの公開レッスンがあったので、行った。
私は偶然、友人某氏からこういう催しがあることを教えて貰い、
早い時期に自分からファクスを送って申し込みをしてあったのだが、
どうもきょう聴講に来られていた方々は、大半が、
ピアニストやピアノの先生方のようだった。だから受付で、
「転妻よしこ先生ですねっ」
と呼ばれ、名簿をチェックされた。
そのまま返事だけして、参加費を払って通ったが、
すみません、先生じゃないどころか、実は近所の主婦です(爆)。

スクリャービンのエチュードとノクターンのレッスンがある、
ということは事前にチラシを見て知っていたのだが、
『公開レッスン&演奏』というタイトルの『演奏』のほうが、
予想以上の豪華版で、一時間を超える事実上のリサイタルだった。
曲目は、ザラフィアンツが現在取り組んでいるシューマンが中心で、
『子供のためのアルバム』から8曲、『幻想曲』、
それにショパンのマズルカが数曲あった。

ザラフィアンツの音楽は、とにかく懐が深い。
聴く人により、彼の演奏のどこが心に響くかは結構違うかもしれない。
それくらい、彼の音楽には多くのものが内包されていると思うのだ。
それと、彼は特定の○○弾きではなくて、
非常に幅広い時代と形式の音楽を、これまでに取り上げているのだが、
それだけにザラフィアンツの演奏からは、その作曲家の特徴とか、
その曲の時代背景や様式感などが、実に鮮やかに伝わって来る。
過去に私は彼の実演としては、リサイタルと、マスタークラスを聴き、
それ以外には接点はCDしか無かったのだが、
とてもアカデミックで、しかも繊細な感覚を持ったピアニストだと
今日も間近で演奏を聴きながらしみじみと思った。

リサイタル形式の『演奏』のあと、30分の公開レッスンがあり、
課題曲は予定通りスクリャービン2曲だった。
受講されるのもピアノの先生で、専門家の方だったので、
レッスンとは言え、模範授業という趣の、高度な実技内容だった。
ザラフィアンツはかなり日本語がうまく、
レッスンも直接に日本語で行い、
しかも音の柔らかさを言うのに『うどんのように』とか
巧まざる可笑しさがあって、良かった(爆)。

スクリャービンのノクターン作品9-2は、ザラフィアンツによれば、
スクリャービンらしくない作品で、それゆえに、
途中に見える、数少ないスクリャービンらしさのある箇所
(和音やバスの進行など)は意識的に際立たせて弾くのが良い、
とのことだった。
また、サロンのスタイルを忘れないように、という指摘もあった。

エチュード作品45-2のほうは、円熟したスクリャービンの様式で、
しかもショパンの影響が強く感じられる、ということだった。
エチュードなので技術的な安定感は必要だが、
音楽としては、次々と先を急ぐ展開になっており、
転びそうになるぎりぎりのところで走り続ける感じ、だそうだ。
『コンクールのためには、スクリャービンにはゴメンナサイだが
左手をまずきちんと弾かないといけない。
だが演奏会では、右手のほうを中心に考えて……』
というユーモラスで実際的な(笑)アドバイスもあった。

ザラフィアンツには次の機会には広島市内でもリサイタルをして頂きたい。
今回は福山公演だけだったようなので、近いうちに是非とも!と思った。
また30分という短いものでなく、公開レッスンやマスタークラスも、
もっとまとまった時間が取れれば、なお興味深いものになると思うので、
併せて検討して頂けたらと思った。
参加なさった方々も、先生方だけあってマナーが洗練されており、
不用意な拍手が出ないどころか、曲と曲の間も咳払いひとつ無い集中で、
本当に弾き手も聴き手も素晴らしいひとときだった。

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