転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



【どうかんがえたら 新幹線の三景】朝日投書(2ちゃん痛いニュース)
『朝日新聞 投書
【どうかんがえたら 新幹線の三景】 
暮れの新幹線。相当の混雑なので指定車両に移ってみた。ここも満席だったが、ふと見ると、座席に小さなバスケットが置いてあり中に小犬。隣に若い女性が座っていた。早速「ここ空いてますか」と尋ねてみた。すると、その女性は、「指定席券を買ってあります」と答えた。私は虚を突かれた思いがした。

改めて車内を見渡すと、多くの立っている大人の中、母親の隣で3歳ぐらいの男の子が座っている座席もある。あれも指定切符を買ってあるのだろう。

仕方なくいっぱいの自由席に戻ると、ここにも学童前と思われる子が親の隣に座っていた。懲りもせずにまた「ここ空いてますか」と尋ねると、母親は仕方なさそうに子どもをひざの上に乗せ、席を空けた。私はその座席で居心地の悪さを感じながら、この新幹線の中での三景をどう考えたらいいのか自問した。
http://digital.asahi.com/20121227/pages/shasetsu.html』

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昨日これがTwitterでリツイートされて回ってきて、
投書の男性は自己中心的だ団塊病だと、かなり非難されていた。
確かに私も『どうかんがえたら』というタイトルに対しては、
「何をですか」と問い返したい気分があるのは本当だ。
座席指定券を持っていない者は、指定席車両に座れないのは当然だし、
自由席は先着順なのだから、満席なら立っているしかないのが普通だろう。
しかしその一方で、この男性が『頭がおかしい』、とまでは私は思わない。
この人の行動には、ある面で私の理解できる部分がある。

まず、最初の段落だが、
『(自由席が)相当の混雑なので指定車両に移ってみた』
というのは、そこだけ見るならば「あり」だと思う。
こういうのは私も経験があるし、目撃したこともあるのだが、
自由席がいっぱいのとき、指定席に行って、車掌さんに、
「指定料金を払うから指定席に移らせて貰うことはできないか」
と申し出ることは、多くの人が実際にしている。
車掌さんは、料金を受け取り席番指定のない領収書を切ったあと、
「今、空いているところに座っていて下さい。
その指定席を買っているお客さんが途中から来られたら、
ほかの空いている席へ移って下さい」
という指示をされる筈だ。
だから、指定席に行ってみることそれ自体は、おかしな行動ではない。

しかしこれが可能なのは、指定席が完売でないことが条件なので、
『暮れの新幹線』でこういうことを期待した(のだろう)という意味では、
投書の男性は常識を欠いていたかもしれない。
この日が実際どの程度の混み具合だったかはわからないが、
指定席でも、立っている人があちこちにいたような記述があるので、
普通ではない乗客の多さだったことが伺われる。
「本日は指定席グリーン車ともすべて満席となっております」
とアナウンスがあるような場合だったら(お盆や連休・年末年始に多い)、
自由から指定に移ることは、車掌さんに尋ねるまでもなく不可能だ。

次の段落では、『(指定席車両内で)多くの立っている大人の中、
母親の隣で3歳ぐらいの男の子が座っている座席もある』
と、この人は、大人(=自分)のほうが3歳児よりも座る権利がある、
とでもいうかのようなニュアンスで書いているのだが、
指定券を買っている乗客は、子供も含め、
その座席を使う権利を既に購入しているのだから、
指定券を持たない大人に、席を譲らねばならない理由などない。
3歳児は指定席両内では「子供料金」(=乗車券・指定席特急券ともに
大人料金の半額)を支払っており、正規の「旅客」であるし
大人の利用客が多いときには購入を控える、などという規則も全く無い。

(小犬の件は、私には判断できない部分がある。
小犬は果たして「旅客」に入るのかどうか、という点と、
旅客でないなら、ひとりで複数購入した指定席のひとつを
「手荷物」のために使用することは許されるのか、という点が、
JRの旅客営業規則でどうなっているのか、私には詳細にはわからないからだ。
しかしこの女性も、車内改札を受けている筈だから、
こうした座席使用方法を車掌さんが認めたのだろうと思う。)

それで、最後の段落なのだが、自由席車両内に関しては、
私は微かに、この男性の発想にも理がないことはない、と感じている。
未就学児をひとり連れて自由席に乗っている場合、
私が母親なら(そして自分に病気その他の不都合が全く無いならば)、
車内に空席が少なくなった段階で、子供は膝に乗せるだろう。
私がそう考える理由は、自由席では、
「大人ひとりにつき未就学児童は2名まで無料」であり、
座席使用の権利を有料で手に入れている指定席とは違い、
自由席での子供の座席使用は、マナーの次元の問題だと思うからだ。

タダで乗せて貰っているのだから、
込んでいるときに子供が席ひとつ占領するのは悪い、
という感覚が、私自身には、かつてあった。
娘は一人っ子だったために、私は運良くいつでも身軽で、
バスでも電車でも、娘ひとりしか連れていなかったから、
娘が幼稚園の頃までは、大抵、乗り物の中で娘を膝に乗せていた。
とても空いているときは、娘にもひとりぶんの座席を与えたが、
そうでないときは、常に娘の席は私の膝の上だった。
娘がまた神経の太いヤツで(爆)、膝上でも文句は言わなかった。
大きくなってから聞いたら、
「いやま、毎度毎度、窮屈ではあったが」
と述懐していたけど(^_^;。

新幹線車内のアナウンスでも、混雑時には自由席の譲り合いに関して、
『小さなお子様はお膝にお抱きになり、ひとりでも多くのお客様が
お座りになれますよう、御協力お願い致します』
と言っているのを、私は幾度も聞いたことがある。
その感覚の延長で言うと、この男性が、
自由席の親子連れに「ここ空いてますか」と言ったことについて、
私は、道理のカケラも感じないわけではないのだ。
混んだ自由席車両において、大人が未就学児をひざに乗せ、
そうやって空いた席に、別の大人がひとり座れる、という状況がもしあれば、
それは私の感覚の中では「良いこと」だと思われる。

でも今、私自身は、電車の自由席が混んでいて自分が座りたいとき、
小さい子が席に座って母親がその横の席にいる、という状況を見ても、
「ここ空いてますか」
などとは言わないし、言えない(^_^;。
人に譲らせてまで座るのは、私の中では「図々しいこと」と感じられる。
それに親御さんだって、病身かもしれないし妊娠中かもしれないし、
移動距離が長くて、膝上抱っこでは済まされない場合もあるだろう。
自然に席が空かなければ、私は座れないし座れるとも考えない。

もし、同じ流れで、最終的には自由席車両で席を得た、
という結末になったのだとしても、この話のおしまいの部分が、
たまたま良い偶然で、母親のほうが子供を膝に乗せて『どうぞ』と言い、
筆者が『ありがとう』と答えて座った、
という順序になっていたら、シンプルに「イイ話」だったのだが、
現実には、投稿者が席を空けるよう言って母親に譲らせた、
という逆の関係だったから、座れても『居心地の悪い』結末になった。
しかしそれでも投稿者の男性は、まずこの母親に感謝すべきだったと思う。
『三景』について考察を深めるのは後にして、何はともあれ、
譲ってくれた人があったことは、とても有り難かったではないか。
それが書かれていないのは、意図があって割愛したのか、
それとも、本当に全然感謝していなかったということなんだろうか(爆)。

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