約一年前に、ネットでふと出会った記事がきっかけで書いた、
『「かけ算」に順序があったのか』
という文章は、このブログの中で継続的にアクセスのある記事だ。
それだけ、この問題で困っていらっしゃる方々が多いということだろうか。
私自身は、娘が小学生のときどうしていたか、全然記憶がなく、
更に申し訳ないことに、私自身が極零細学習塾を経営していたときも、
雇っていた先生方がこれをどう指導していたのか、
ほとんど関知していなかった(爆)。
今から約十年前のことなのだが、あの頃どうなっていたのだろう(殴)。
生徒や保護者から質問や相談が無かったところを見ると、
このことで切実に悩んでいた人は居なかったのではないかと思うのだが、
なにぶん、こちらは塾だから、不信感を覚えた人は退会していただけか。
更に、先日はTwitterのRTで、こんな記事があることも知った。
かけ算九九のつまずきスッキリ解消法(Benesse)
娘もかつて、しまじろうをこよなく愛し、こどもチャレンジをやっていて、
3歳から小学校5年生のとき中学受験塾に入るまで続けたのだが、
こんなふうに、かけ算の文章題を習っていたのか。
…と書いているところへ娘(高3)が帰ってきたので(期末考査だから早い)、
捕まえて訊いてみたら、娘は「なんじゃそりゃ」と言った。
「順番があるとは習っとらん。バツになったことないし気にしたことがない」
というのが娘の答えだった。
彼女はどうも、順序に意味があるという指導は受けていないようだった。
まあ、ヤツは授業を真面目に聞いていなかっただけかもしれないが(爆)。
確かに、「なんでもいいからとりあえずかけ算しとく」という発想では、
文章題の取り組み方としてマズい、というのは私も同意する。
英語でもある。「( )の動詞を適切な時制に直せ」という問題のとき、
「単元が現在完了だから全部完了時制にしとく」という解き方が(爆)。
それ式で、文章題の意味も考えず、出てきた順番にただかけ算したら、
偶然、答えが合っていた、というのでは解いたことにならない。
しかし、それでも、その部分を確認するために、
「かけ算の順序」ではかろうとする、という点には私は違和感がある。
『さらが5枚あります。1さらにリンゴが3個。全部で何個でしょう』
というときに、正解は3×5=15だけで、5×3=15は不正解、
だとベネッセは言うのだが、私は到底、そのようには感じられない。
リンゴ3個が5皿分、あるいは5皿あってそれぞれにリンゴ3個ずつ、
のいずれかで生徒が理解しているなら、良い、と私なら思う。
要は、単位をつけさせてみたときに、
あるいは、図で文章題の内容を書かせてみたときに、
5は皿の枚数・3はリンゴの個数、という点が正しく書けているのであれば、
文章題は読めている、と思うのだ。
3(個)×5(皿)で考えるとわかりやすいですよ、という説明自体は完全に良い。
同時に、5(皿)×3(個)で考えている児童も、問題なく正解している。
なぜそれを頑ななまでに否定しようとするのだろうか。
ベネッセの解説では、5×3のところに「5個×3枚」(だから間違っている)とあるが、
元の問題文にない単位をわざわざつけて説明しようとしているために、
かえって話がわかりにくくなっていると、私には思われるし(^_^;、
「2本足のタコ」などという絵的にどうしようもないものを
式から読み取ってしまう話に至っては、困惑以外のなにものでもない(汗)。
ちなみに、「~個」を求めるのだから「個」を基準に始めるべきだ、
すなわち、3個×5(枚)=15個、以外の順序では書かない、
というのは、個人の美意識の範囲でなら、一貫性があって申し分ないが、
他人に対しても、これ以外の考え方を一切認めることができない、
というところまで行くと、実生活ではいささか柔軟性を欠いていると思う。
以前も書いたように、「数量×単価=合計金額」となっている請求書は、
世の中、普通にあるし、それで業務に支障を来しているとは考えられない。
順序により表現内容が特定されるというのは、
小学校算数教育限定の、児童の理解度をはかるための特殊な便宜、
いわばローカルルールだと私には思われる。
私が極零細学習塾で小学生を見ていた経験の範囲では、
もともとよく「できる」子は、自分で適宜やりやすい方法で計算しながらも、
「学校ではセンセイに注意されるから(テヘ)」
という理由で、学校の宿題では習ったことを守っていたものだった。
私のやっていた学習塾では、本部の方針により、
割り算のやり方が独特かつ実用的だったのだが、
余力のある子ほど、塾では塾のやり方をすぐに覚えて活用しつつ、
学校では、学校で要求されるとおりの答案をきちんと作っていた。
彼らにとっては、解法が増えるのは単純に良いことだった。
かけ算の順序の件も、多分、算数の得意な子は困っていないと思う。
いわゆる「できる」子は、先生が何にこだわっているかすぐに見抜くし、
学校の言う通りにしていれば○なのだから、
ちょっと気をつけてそれを守るくらいのことは、朝飯前だ。
式に関して無頓着で、○になったり×になったりしている子も、
中学や高校にいけば、交換法則が成り立つことを習い、
更に「~枚」や「~個」など単位つきの文章題など、
どんどん減って来るので、この問題はいずれどうでも良くなる(←娘がコレ)。
気の毒なのは、とても真面目で、かつ算数がいっぱいいっぱいの子だろう。
自分では文章題の意味がわかり、ちゃんと式を書いているつもりなのに、
順番がいけないと注意され、理解できないまま×にされるのはつらいと思う。
もしその子が、文章題の内容が適切に図で書けるのであれば、
つまづいているのは、算数の考え方そのものではなくて、
「かけ算の順序に意味がある」という、国語的な作法の部分だけだ。
ここが難所になる子は、それこそ、
「なんかわからんが適当に順番入れ替えて書いたらええんか」
と投げやりになるのではないかと、私は心配になるくらいだ。
Trackback ( 0 )
|
|