転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



『勘三郎が亡くなったことで、がっくりしてしまい、
仕事も何もする気持ちになれなかった』、
という主旨の書込を、昨日はTwitterでもfacebookでもいくつか見かけた。
芝居を観る者なら、彼の舞台の思い出は様々にあり、
優れて楽しく、かつ野心的な勘三郎の取り組みを、
それぞれの見方で、長らく愛してきたということだと思う。

私も同じ心境だった。
別に後援会に入って応援するほど熱中していたわけではないが、
私にとって勘三郎は、いつも必ず面白い舞台を見せてくれる人で、
『今度は何が出るかな?』
と、劇場に行くときには信頼にも等しい期待をしていたものだった。
あの舞台がもう見られない、などということがあってたまるか!
と、胸を塞がれるような思いから、昨日は自由になれなかった。

しかし、思い返せば、勘三郎はとにかく愉快なことが得意だった。
仮に自分は陰で過酷な思いをしたとしても、舞台に乗せるときには、
何もかもを、とびきり娯楽性のある、楽しいものにしていた。
役者として彼は、いつだって観客に笑っていて欲しい人だったのだ。
だから、勘三郎のことを理由に、皆が沈んでしまうなどというのは、
いちばん勘三郎の願いに反することだろう、と思う。

昨日、勘九郎も七之助も、報道陣を前に、ちゃんと顔を上げて、
思い出を語るときには微笑さえ浮かべながら、
少しも乱れず、まとまった内容のことを話していた。
勘三郎を大事に思うのなら、私達ファンや観客もまた、
湿っぽくなるのは敢えて止めにして、元気でいなくてはいけない。
そして勘三郎のいた、歌舞伎の舞台をまた観に行くのだ。
それが、これからも勘三郎と一緒に居ることに繋がると思うから……。

ときに、昨日のアクセス解析を見たら、
『中村勘三郎 妻』
の検索語で来られた方がたくさんあった。
勘三郎の夫人である好江さんは、七代目中村芝翫のお嬢さんで、
若い頃から『ダンプのお好』の異名を取られた方だ(笑)。
それくらい勢いの良い、大胆な方だということなのだろうか、
と想像しているのだが、本当の由来は何だったのか……。

ともかく、しっかり者の奥様であることは間違いなく、
いつだったか、勘三郎(当時は勘九郎)の不倫騒動?があったとき、
無神経な取材陣を前に、好江夫人は動じることなく、
「浮体はいいけど、浮気はねぇ……」
と言ってのけたものだった。
浮体なら良い、……さすがだった(爆)。

好江さんは、中村福助・橋之助の姉上でもあり、
平成元年俳優祭『歌舞伎ワラエティ・べるさいゆ ばらのよばなし』で
オスカルに扮した福助(当時は児太郎)が、
カンクルウ伯爵夫人としてドレス姿になっていた勘三郎(勘九郎)に
『姉に言えないことも、私はいっぱい知っているぞ!』
とアドリブで振って、笑った勘三郎が台詞に詰まり、
客席にオオウケしていた一件など、本当に愉快で今も忘れ難い。

こうしてみると、やはり、勘三郎の居るところには、
いつも皆の笑い声があった、と改めて思う。
冥福だとか供養だとかを考える気には、私は依然としてなれないが、
とりあえず今は、勘三郎が聞いたら喜んでくれそうなことを、
考えたり、思い出したりするようにしたいものだ、
と、今朝から繰り返し、思っている。

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